○松井(誠)
委員 それから
法律論ではございませんけれ
ども、一般論として異議の
理由を書いておるわけですね。今の特別措置法の場合にも、一般論という形で、
法律論と隣合わせのような形で出ておりますけれ
ども、自治体の議員の場合にも、たとえば青森県の県
会議員の問題にしても、議会の懲罰
処分は議会の規律を維持するための議会の自律作用である。従って、そういうものについて
処分の執行が停止されることは地方議会の規律の維持に好ましからざる影響を与える。これは一般論であります。これを見ますと、何か議会の自律作用に基づく
処分については、執行停止をやっても必ず異議は言うんだぞと言わんばかりの形になっておるわけです。私が、公共の福祉という立場から疑問だというものの
一つは、現実に青森県の場合なんかは典型的な例で、次官
会議の決定後にもかかわらず、法務省は関知しなかったというのでありますから、くどくは申し上げませんけれ
ども、これはまさに公共の福祉を最も悪用した具体的な実例だと私は思うのです。そのほか、たとえば学校の生徒の退学
処分だとか、あるいは一般の公務員の免職
処分だとか、そういう個人にとっては非常に重要な問題についての執行停止に対する異議権の行使というものが相当数占めておるわけですけれ
ども、たとえば、その中で昭和二十四年に大規模な
行政整理があった。その
行政整理の際にやった執行停止に対しては、この
行政整理というのはどうしてもやらなければならないのだ、従って執行停止をされることによってこの必要な
行政整理ができなくなるじゃないかという
意味で異議の
理由を言っておるわけですね。これはもちろん一般論であります。これはいわば極言をすれば公共の福祉ということでなくて、実は政府の都合というものを公共の福祉という
言葉にすりかえて言っておるのであります。そういうような具体的な運用の過去の実例があるわけであります。そういう政府の御都合だという形で公共の福祉を理解するという建前がこれからあとはなくなる、そういう具体的な担保は一体どこにあるのですか。そのことを
考えますと、では、この
改正案がそういうことを具体的に担保しておるのかどうかということになりますと、私ははなはだ疑問だと思うのです。
それでこの
改正案の二十七条についてちょっと
お尋ねをしたいのであります。先ほど猪俣
委員からもお話がありましたけれ
ども、そして局長の御答弁の中にもちょっとありましたが、今までは執行停止後の異議権の行使はいけないのだということを最高
裁判所では言っておった。少なくともこれを行使するとすれば、執行停止の事前でなければならないのだということを言っておる。それが執行停止後でもいいという形で、つまり目に見えて、われわれの目の前で裁判官の決定が現実にひっくり返るということが行なわれるようになってきたわけです。これも、
提案理由によりますと、執行停止をした後に公共の福祉に影響があることがはっきりする場合があるのだから、これは当然の
規定なんだという御
説明です。そうしますと、執行停止前には、公共の福祉に合致するか反するかどうかがわからなくて、執行停止後に初めて判明するという、公共の福祉というのはそういう非常にデリケートなものなのか。私は、公共の福祉というものは、そんな、どの人が
考えたからどうだというほどのものではなくて、執行停止があってからそういうことが判明するなどというものではなくて、もっと明々白々のものでなければならぬと思う。ところが、そうでなくて、執行停止のあとに初めて公共の福祉に反するんだということが判明するということを言われる裏には、やはり、公共の福祉というものの
考え方が非常にあいまいだ、そういうことがそこにあるような気がしてならないのです。公共の福祉に違反するかどうかは、執行停止の前にはわからなくて、あとになって判明するというのは、具体的にはどういうことなのか。これは先ほどのお話にありましたように、まず執行停止をするときには、
意見を聞く、疎明資料を出させる。そういう
経過の中で一体
考える余地が、あるいは材料がないほどなものなのか。そういう具体的な場合としては、たとえば一体どういうことをお
考えになっておるのでしょうか。