○
奥田参考人 私は
奈良県の知事でございます。当
委員会が
文化財の
保護につきまして格別の
関心を持っていただきまして、ことに昨秋は多数の
委員の皆様が
奈良県の現地を御視察いただき、また私
ども地元の者の
意見もいろいろ御聴取になったわけでございますが、
皆様方の御好意に対しまして私
ども奈良県の者は深く感謝いたしております。この
機会に厚く御礼を申し上げます。
ただいま他の三
先生からいろいろ
お話があったのでございますが、いずれも
専門的な立場から
お話願っておるのでございます。私は行政を預かっておる立場から所見を申し上げたいと思うのであります。私の所見の概略はお手元にプリントでただいまお配り申し上げたはずでございますが、もっとも実はきょうのお呼び出しの趣旨を十分了解いたしかねておりましたので、あるいはこれから申し上げることが皆様のお尋ねせらるべきことにこたえているかどうかわかりませんが、一応申し上げたいと思います。
奈良県におきまする
文化財の
保護、ことに
古跡に関する問題につきまして申し上げます。もっとも御存じのように行政と申し上げましても
文化財保護に関することは県の組織としては教育
委員会が責任を持って処理いたしておる、こういうことに相なっておる次第でございまして、私は平素事務的には関係が薄いわけでございますが、あるいはこれから申し上げますことも微細な点においては当を得ず、あるいは御説明申し上げることも
専門的立場から言えば問題があるかと存じますが、一応私
どもが聞いたり見たりいたしておりますことを率直に申し上げたい、こう思う次第でございます。
奈良県には御存じのように
文化財保護法にいいますところのきわめて価値の高い古い
文化財が非常に多いのでございます。
歴史上意義の深い
古跡も県内各所に散在しておりまして、本県といたしましてはこれらの維持と
保存につきましてかねて格別の努力とまた犠牲を払ってきたところでございまするが、この
機会に私は
平城宮跡について、この現状とこれに対する本県の考え方を申し上げ、本県の
古跡についての考え方と決意の一端をお聞き取り願い、この
機会に
政府がこれについて一大決意をもって善処をして下さいますようにお願い申し上げたいと考えます。
先ほど来
お話がございましたが、
平城宮跡は大体現在
奈良市の佐紀町地内にあるのでありまして、あの
地図で
ごらん願うように、右の方の一番まん中にあるのです。濃いところが現在の
奈良市街地でございます。この位置にあたっておるのでございます。これはま四角でございまして、面積が約九十九町歩と推定されておるのでございます。そのうちで第二次朝
堂院跡など約十二町歩が先ほど
お話のように国有と相なっておりまして、その国有の分も含めまして東約半分、約五十五町歩は
一般の
史跡でなく
特別史跡に指定されておるのでございまして、西半分、残りの約四十四町歩になるわけでありますが、それは指定を受けておらぬのであります。いわゆる周知の
遺跡ということに相なっておるのであります。お手元に差し上げてありますこの略図によりまして大略
ごらん願いたいと思います。西の方がずっと未指定でございます。
終戦後社会あるいは経済の
発展もございまして、この地域につきましてもたびたび実は地元で問題を起こしておるのでありますが、その一つは、先ほどどなたか
先生の言われました
昭和二十九年に県が一条
通りを拡幅したのでございます。一条
通りはこの
地図で
ごらんのように大体北の辺にあたっておるのでございますが、その際に内裏廻廊の
遺構などが発見されたのでございまして、これが機縁となりまして、それが非常に
政府の決意を促したようでございますが、その後
政府におきましては
昭和三十四年ごろから
計画的に指定地の北の辺一帯の
調査に乗り出されまして、今日までこれを続行されておるような
状態でございます。その図面の指定地の北の方にあります三、五、六、九、十、十一と打ってありますのは、ずっと
調査をせられておるものでございます。もっとも現在までの
調査の・実績を申し上げますと、三十四年から三十六年度、本年度を加えまして三カ年間に、その左の表で
発掘面積を書いてございますが、
ごらん願えばわかるように合計四千七百六十五坪を三カ年度間で
調査願うということに相なっておるようでございます。四千七百六十五坪、約一町五、六反でございます。三カ年かかって一町五反、一年間に平均五反歩ずつ御
調査願っておるという結果に相なるわけであります。これは後日だんだん
調査を急がれることと思うのでありますが、一年に五反とすれば十年で五町歩、百年で五十町歩。約百町歩のこの指定地域あるいは未指定地域を含みました
平城宮を御
調査願うとすれば、今のスピードでいけば二百年かかる、そういうような勘定に相なるわけでございます。そういうわけで、私
ども地元におる者の立場から申しましたら、
調査は遅々として進んでおらぬ。
地図で
ごらん願うように、この
調査願っておる近辺には佐紀町あるいは佐紀西町の人家が点々とあるのであります。そこを
調査を願っておるのでありますが、遅々として進んでおらないのであります。
もう一つの問題は、先刻
お話がありました近鉄が、いわゆる周知の
遺跡の地内において検車区を作ろうということであります。
平城宮跡は、先ほど来
お話がありましたように、
特別史跡にまで指定されているので、
坂本先生の
お話によりますと、これは
史跡として一番意義のあるところであるという
お話でございます。そういうところでありますから、私
どもはこれを破壊したり、あるいは滅失しないようにしなくてはならぬことは当然でございます。しかし、また一面におきまして、その周辺の町一帯の
発展を目の前に見ております地元の者でございますが、その
平城宮のちょっと南が二条
通りであり、さらに下がって三条
通りがあるわけであります。三条
通りは、先ほど
お話の繁華
通りに直結いたしております。従って、最近三条
通りにはガソリン・スタンドであるとか、あるいはその他の工場がどんどんできていまして、農地も坪何万円であるとかいうような価格で売買されておるのであります。従来、佐紀町の諸君にしてみましたら、そういう農地の売買が高くやられておるということは聞いておっても、それはよそのことであったのです。それが最近は、目の前の農地を高く売っておるという姿を見ておるのであります。そういう現状からいたしまして、現地の者がかねてより主張いたしておりまする第一には、指定を解除してほしい、自由に処分することができるようにしてもらいたいということを主張しております。第二番目といたしまして、その解除ができなければ、せめて
政府がこれを全部買い上げてほしいというのでありますが、これらの地元の諸君の要望も、今申し上げた周囲の事情からして、私はやむを得ないものがあると考えるのでございます。
つきましては、この際
政府は一つ英断をもって、第一に、現在行なわれておる国の
発掘調査の早期完了をお願いいたしたい。
予算面において、あるいは人的組織において充実して、この九十九町歩の
調査を、二百年もかかるような
調査でなく、近辺の経済の
発展のテンポに合うような意味で、
調査をぜひ一つ急いでいただきたい。第二に、地域内の民有地は、すべて
政府が買い上げてもらいたい。第三に、地域内全部の
政府の買い上げが、いろいろな事情で困難でございましたならば、少なくとも指定地域内だけはぜひ買い上げてもらいたい。そして第四として、そういう買い上げた
土地は、今後一括
史跡公園か何かの公園として、
史跡の
保存と
一般の活用に供する施設をしていく、こういう
工合な措置を
政府でとってもらいたいというのが、私
ども地元におる者のお願いでございます。しこうして、
政府が直接これを買い上げることが、あるいは他の地方の様子であるとか事情によって困難でございましたら、私は本県としても、これが買い上げに踏み切らざるを得ない
状態であろうと考えております。私の県は、実は恥さらしでございますが、全国屈指の貧乏県でございます。税収入のごときは、少ない方から二番目か三番目の県であります。そういう貧乏県でございますが、先ほど諸
先生が
お話のように、
平城宮の
歴史的意義と、そしてその周辺の
発展の姿、これを見るときに、県としてはじっとしておれない。ぜひ
政府が処置をしてもらいたい。
政府の買い上げが困難であるならば、県で買い上げなければしょうがないというのが私の
意見であります。もっともそれには県議会の議決を要する次第でありますが、そういう考えをただいま私は持っている次第でございます。しかしながら、県が買い上げます場合には、私は
政府の高率の補助と、そしてその便宜をぜひ一つ与えてもらいたい。これは当然の条件であろうと私は考えております。
もう一つ、先ほど申し上げた近鉄の事業でございますが、これは何分にも、いわゆる周知の
遺跡の地域におけることでもございますし、この際事業を実施せしめることは、私はやむを得ないのではないかと思うのでございますが、しかし事業をやるにいたしましても、これが着工以前に、関係者が協力して短期間に
調査をしていただくようにいたして、その上で工事をやるという
工合にいたしてもらいたいと私は考えております。関係者の協力と申しますのは、
政府、県、近鉄でありますが、私
ども先ほど申し上げたような意味で、県もこれが
調査に犠牲を払うこともやむを得ない、近鉄、もとよりその覚悟はしておると思います。
政府もこれに協力していただいて、そして私
どもは、率直に申し上げて金銭的な用意はぜひいたしたいと思っております。ただ、その
調査の人的用意が
政府においてお願いできるかどうか、これを実は私は疑問を持っておるのでありますが、
皆さんの御協力を得てぜひ
調査をして、その上で近鉄が工事を始めることにしたいものだと思います。もっともその
調査は、二年かかるあるいは五年かかるというのでは、これはおそらく無理なことであろうと思います。実は近鉄自身も、元来
奈良県の古
文化財とともに
発展してきた会社であります。また会社の責任者も、古
文化財については特に
関心を持っており、あるいは大和文華館を作ったり、あるいは県の
文化財保護のために、創立五十周年記念に、会社は五千万円寄付をしてくれたのでありますがそういう意味で協力的立場にありますので、会社としてはできるだけの協力をすることと考えるのでございますが、それにしても工事をやるにつきましては、ぜひ
皆さんの御協力で短期間に
調査をして、その上で実施せしめるようにいたしたいと私は考えます。
そこで、私は
政府としても、この際必要な
予算を計上して、積極的に
文化財の
保護に協力していただきたい。私
ども地元は貧乏県であるのに、先ほど申し上げたような覚悟をするわけであります。
平城宮跡は、多数ある
史跡中でも、特別の意味のあるものと考えられておる次第でありますから、県の犠牲も私
どもは覚悟しなければならぬと思いまするので、この際、
政府としてもぜひ一つ積極的な、しかも率直に申し上げて、
あまりぐずぐずしないで――まわりの情勢はゆっくりすることを許さないと私は考えます。先ほどどなたからか
お話がありましたように、今と終戦前と比べると、社会情勢が変わっている。それらの社会情勢に応ずるような措置を
政府がしてもらわないと、すなわち急いで必要な措置を積極的にしてもらわないと、せっかくのこれだけの
遺跡を十分に
保護し、あるいは守っていくことができないのじゃないかと私は思うのであります。
その意味で、ぜひ一つ
政府の積極的な、急速な措置をお願い申し上げます。地元としても、これには十分の努力を払いたいと思っている次第であります。