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1962-03-19 第40回国会 衆議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月十九日(月曜日)     午前十時二十六分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 臼井 莊一君 理事 竹下  登君    理事 小林 信一君 理事 村山 喜一君    理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    小澤佐重喜君       坂田 道太君    高橋 英吉君       中村庸一郎君    濱野 清吾君       松永  東君    松山千惠子君       井伊 誠一君    杉山元治郎君       高津 正道君    野原  覺君       鈴木 義男君    谷口善太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         総理府事務官         (公正取引委員         会事務局長)  小沼  亨君         警  視  監         (警察庁刑事局         長)      新井  裕君         文部政務次官  長谷川 峻君         文部事務官         (大臣官房長) 宮地  茂君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 清水 康平君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      羽山 忠弘君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 諸沢 正道君         文化財保護委員         会委員長    河原 春作君         参  考  人         (東京大学教         授)      坂本 太郎君         参  考  人         (日本学士院会         員)      原田 淑人君         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     藤島亥治郎君         参  考  人         (奈良県知事) 奥田 良三君         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 三月十九日  委員松前重義君辞任につき、その補欠として野  原覺君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  義務教育学校教科用図書の無償に関する法  律案内閣提出第一〇二号)  義務教育学校の児童及び生徒に対する教科書  の給与に関する法律案山中吾郎君外九名提出、  衆法第一三号)  教科書法案山中吾郎君外九名提出衆法第一  四号)  文化財保護に関する件(古跡に関する問題)      ――――◇―――――
  2. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これより会議を開きます。  文化財保護に関する件について調査を進めます。  本日は、本件に関し古跡に関する問題について参考人より意見を聴取することといたします。御出席参考人は、東京大学教授坂本太郎君、日本学士院会員原田淑人君、東京大学名誉教授藤島亥治郎君、奈良県知事奥田良三君、以上四名の方々であります。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中のところわざわざ御出席を賜り、まことにありがとう存じました。  これより、文化財保護に関し、古跡に関する問題について御意見を承ることといたしたいと存じますが、先般来より、本委員会におきましては、平城宮跡に関する問題について政府に対し質疑を行ない、調査をいたして参ったのでありますが、本問題のみならず、古跡全般の問題として、文化財保護の観点からいかにすべきか等、御専門の立場から忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、御意見の開陳は、原田参考人藤島参考人坂本参考人奥田参考人の順に、お一人約十五分ないし二十分程度にお願いすることとし、その後委員諸君質疑があれば、これにお答え願いたいと存じます。  それでは、まず原田参考人よりお願いいたします。原田参考人
  3. 原田淑人

    原田参考人 今日は文化財保護全体に関する問題もあるのでございますが、しかし平城宮遺跡に関することがおそらくおもなことになると思うのでありまして、私はごく簡単に平城宮址文化財としての価値につきまして申し上げまして、それをお話のきっかけにしていただければ非常にけっこうだと思うのであります。今日、若干平城宮に関します資料をここへ持って参りまして、多少プリントしたものが、皆さん全般にはとうてい及びませんけれども、若干お回しすることができると存じますので、またそこに若干参考になる図を掲げておきましたし、話がそれに触れることと思いますが、満州渤海国の渤海上京遺跡に関する報告書並びに唐の長安大明宮に関する報告書をそこに持って参りましたから、もしおひまがございましたらごらんを願いたいと思っております。  それで、この奈良文化と申しますと、ちょうど八世紀に当たりまして、ヨーロッパ並び西アジアの方におきましてはアラビアが勃興しまして、すこぶる混乱した状態にあったのに反しまして、東洋では、この八世紀は、唐を中心としまして、朝鮮は新羅が八道を統一いたしまして、それから満州にはちょうど牡丹江上流その他に五つ都がございますが、渤海という国が勃興いたしまして、その間にありまして、日本は大化の改新以来、奈良朝へと文化が進展して参りましたが、ちょうどこの時代は、実際、戦争などは東洋にはございません。いわば東洋では八世紀におきましては共存共栄時代でございまして、各国々が唐は長安洛陽というようなところ、ことに長安はその首都でございますが、朝鮮におきましては慶州が都でありました。それから渤海五つ都がございましたが、特にここに報告書に持って参りました牡丹江上流上京というところが長い間首府として栄えておりました。その間に日本奈良朝におきましては奈良京都城として繁栄いたしたのでございまして、お互いに文化を競い合って、いわば世界的の文化東洋に樹立したわけでございます。それぞれみな都が中心になっておりますので、唐の長安は当時まことに繁栄をいたしまして、そこに一番左の方に唐の長安城宮殿を含めての長安城でございますが、それをそこに出してございますが、こういうような都城ができておったのでございます。唐の長安は、簡単に申しますと日本の二里四方東西が少し上長いので、南北が詰まっておりますが、一辺がちょうど二里というような、東西はもう少し長いかもしれませんが、そんな工合になるわけです。それから他の国々の都は、大体面積にいたしますと約四分の一くらいだろうと思います。奈良京でも渤海上京でも、いずれも形が少し違いますけれども、大体一里四方というような見当の広さでございますが、いずれもみな長安の例にならいまして、宮殿がちょうどこの都の一番北の中央にございまして、そして他の外の城は東西南北にちょうど碁盤の目のように大路小路整然区画されておったわけでございます。  ところが唐の長安は、中共政府が樹立して以来この辺を特別史跡といたしまして、この長安洛陽とは大いに身を入れて調査しておるわけでございまして、最近には大明宮という、ちょっと東北の方に出っぱっております宮殿でありますが、あれが調査されたのであります。しかし唐は元の宮城並び役所などがありました、日本で申しますならば朝堂院の一部でございましょう、とにかく役所のありますところ、宮殿のありますところは、今日、西安の町になってしまいましたので、これは調査不能といってもいいのであります。わずかに大明宮はちょうど西安のステーションになっておるところでありますので、この辺は調査ができたわけであります。なおかしこに転々しております宮殿並びに寺の跡などはどんどん調査が進められることと思うのであります。しかしまだ何ぶん広い土地でありますから、今日のところは大明宮調査が済んだ程度でございます。  それから渤海の方は、先年あれは昭和八年、九年の二年にわたりまして、ここを日本学者調査いたしました。われわれが参って調査いたしたのでありますが、その報告はここにございますから、おついでにごらんを願いたいのであります。これは歴史はないのであります。渤海という国は自分では歴史を残しません。従って、この城に関する記録というものは何もないのであります。ただ地下にこの遺跡をとどめるばかりでございます。しかし調査の結果は、宮殿の府は北の中央に、整然として南北の線を通って並んでおりますし、なおまた東の方には、庭がりっぱに池を残しておりますし、また築山などを残しておりますし、また各種の建物の跡などが至るところにありまして、図面の上においては整然として復元ができたわけであります。ただ個々の調査はこれからのことでありまして、われわれが大体の荒ごなしをいたしたわけでございます。  朝鮮の方はかつて、ここにおられます藤島さんが御調査をなさったことがございますが、これはまだ調査整然としてはできておりません。ただ雁鴨池という新羅時代の池が残っておりまして、その淵には臨海殿といいますか、御殿の跡がございまして、その付近には花崗岩で作りましたどぶなどが整然として出ておりますし、また、りっぱなから草模様などがついておりますれんががそのまま敷いてありますところが残っておるというような状態で、これも将来大いに調査を待たなければならないことでございます。  これに反しまして日本平城宮は、平城京が終わりましてから今日までそのままで、もちろん多少荒廃はいたしておりますけれどもお寺がちゃんと昔のままに残っておりますし、またその遺跡は、大部分田や畑になっておりますが、そこにありますように、ちょうど今日の奈良の町の中心になっておりますところの約五、六倍のものが西の方に遺跡として残っておるわけでございまして、ことに宮城などはおそらく調査をやりましたならば、旧観がそのままはっきりわかると思われるのでありまして、よその国ではあまり調査もできぬし、記録も十分に整っておらぬのでありますが、日本は幸いにも奈良歴史というものがはっきりしておりますから、調査いたして参れば宮殿などはほぼ京都のあの平安京宮殿のああいう組織と同じようなものがもっとあったに違いないのでありますから、それなども若干復元ができることと思うのであります。  こういうような平城宮でありますので、平城京はまだお寺が残っておりますので、そういうものをだんだん調べて参りますと、奈良文化というものを植えました平城宮平城京というものの旧態がわかりまして、これの調査によりまして、他の唐の長安とかあるいは朝鮮慶州とかあるいは渤海の五京とかいうものの様子が、日本のこの平城宮調査することによりまして、いろいろはっきりわかって参りました。従って当時の世界的文化を生みましたその時代東洋都城というものの全般的の状況がよくわかると存じますのでありまして、まことにその平城京は――日本の上代の歴史というものはいろいろな神話や伝説などによって組み立てられておるのでありますが、最もその資料となるものは、地下にありますところの、地下の文献と申してよろしいと思いますが、遺跡であります。そのうちでもこの平城京というのは最も重要なものであると考えますので、特にこの平城京を例として申し上げる次第でございます。  なお私は後ほど足りないところは申し上げることにいたしまして、これで終わることにいたします。
  4. 櫻内義雄

    櫻内委員長 次に藤島参考人にお願いいたします。藤島参考人
  5. 藤島亥治郎

    藤島参考人 ただいまの原田参考人お話によりまして、平城京平城宮の跡のいかに重要であるかというようなことは、大体の御了解ができたと思うのであります。私は今日参考人として呼ばれまして、皆さんからの御質問に答えればいいという工合に考えておりましたが、実はこの際自分の発言の機会を与えられましたのを幸いにして、少し原田先生と重複しないようにお話をしたいと思います。  進み来た世界文化ほんとうに知るためのいろいろな物質的資源というのがいわゆる文化財である。地上に残されてきたものといたしましては、建造物絵画彫刻工芸品その他いろいろあり、それから地下に累積した遺物があるのでございますが、とにかく遺跡遺物なるものが地下にありますので、普通の目には触れませんから、従来までは地上にあるいろいろな文化財をもってその国の文化が考えられ、歴史が知られてきたわけだったのです。これでは非常に足りないのでありまして、ことに文化なり歴史なりというものはもっと具体的な実証をもってやっていかなければならぬ。ところがえてしてそういうふうなものは、かなり推測的なものが多くなり過ぎまして、ほんとうのものがわからない。わが日本歴史のごときもそのために非常に誤った見解を持ってきたわけでありますが、そういうふうな見解を是正するためには、やはり地下遺構遺物調査しなければならないわけであります。また地下遺構遺物が十分あるならば、初めてその時代、その国の文化がはっきりいたしまして、それが世界文化といかに関係しているかということがはっきりわかるわけであります。  そういうふうなことで考古学の発達したのが百何十年前からでございますが、現在におきましてはそれが精密な調査方法によって、今まで知られなかったようなものもどんどんわかってきておるというような時代に到達しておるのであります。それまであまり列国ともに広く大きな発掘調査をしなかったということは、むしろしあわせだったと思うのでありますが、現在の力をもってしてさらにりっぱな調査をするならば、そのめぐりめぐってきた何千年かの世界文化がはっきりわかるのであります。  ところでこの東洋文化は、御承知の通り、ただいまお話がありました通り、八世紀を頂点といたしまして非常な栄えを示した。その当時の西洋文化を見ますと、西洋暗黒時代なお去りやらず、ロマネスクからゴチックへと向かう道筋にあるときであります。当時の世界のことを考えますと、全く暗黒時代という言葉のようにヨーロッパが暗く、それに反して東洋は、西アジアにおきましても、インドにおきましても、極東方面におきましても、あらゆる国が最高の、全く世界に誇るべき文化栄えておった。それで特に極東におきましては唐、朝鮮日本中心といたしまして、大きな文化栄えを示した。その一端は正倉院御物におきまして、日本のその当時の奈良朝文化をよく知ることができるわけであります。  その正倉院の御物なり、それから残されておりますところの建築物なり、それだってほんのわずか十数むねしかないのでありますが、そういうものがあります。そのほかの遺物をもっていたしましても、十分その当時のことはわかるとは言うものの、そういうものがいかにして使われておったのか、そういうものの使われておった都はどういうものであったか、その当時の生活ぶりはどうであったかということを知るためには、発掘調査をしなければならぬわけであります。それが幸いにして地下に残っておる。ただいまもお話がありました通り、この当時の文化中心というのは、大がい都であるわけでありますが、この都といたしましては、ほんとにただいまのお話通り、ほかにないだけの割合に完全な姿を持って、幸いにしてこの奈良の都、平城宮平城京は残されてきたのであります。平安京はもはや京都の市街の地下でありますので、非常に調査が困難である。この平城京そして平城宮の跡は非常によく残されてきております。そのことはずっと古くから知られておりまして、明治三十年代においての関野貞先生の御調査以来漸次具体化しつつあったわけであります。しかしながら、それらの調査はみな地上調査であります。地上調査をもってしてもかなり具体的にそのありさま等はわかっておったのであります。私が、よけいな話ですが、学生のときに、生駒山の上に上ってぱあっと見おろしたときに、あの三笠山や若草山などを背景にして、整然とまっすぐ並んでいる道が何だろうと思ったら、二条路であり三条路であり四条路であるというふうなことであったわけであります。ただいまもそういう面影は生駒山の上から見られないこともないのでございますけれども、それに妙ちくりんな道がたくさんできました。あれは阪奈ドライブ・ウエー、これは何である。だいぶくずれかかっているのは危険であります。何しろ戦後急速な交通機関の伸展と深刻な住宅難は、もはや奈良を昔のままにしておきません。特に奈良の平野は、大阪郊外地として発展しつつあり、またこれを阻止することはできないのであります。考えてみますと、東京都発展から考えますと、大阪中心として奈良、神戸などは一連のものになるのは当然でありますが、当然であるから仕方がないとほっておきますれば、すでに重要なものとして残されてきた都など全然こわされてしまう。そこでこの調査をわれわれも非常に重要視いたしまして、それがゆえに政府特別史跡として指定しておりましたものをこわすのは、将来どうにもこうにも調査のしょうがなくなるようにするのは困るというふうなわけで、いつも努力してきたわけであります。  幸いにして、昭和二十九年にその道筋の一部を調査しなければならないことに恵まれました。その後その重要性が認められまして、政府も努力して発掘調査を重ねて、これですでに第七次ですか、八次でしたか、調査を進めてきております。ことしにおきましても、さらにやる。またさらに第一次、第二次の五年計画をやるというのは非常にけっこうであります。しかしそれにしても、ただいまの調査方法計画をもっていたしましては、百年河清を待つにひとしいのであります。あの平城宵の跡を調べ、方八町の跡を調べるだけでも、百年以上はかかるのであります。こういうことをしておりますうちには、市街地の発展はどんどん進んで参ります。すでに今日まで非常に好ましからぬ、全く学者としても嘆かわしいと思いますような事実がたくさん勃発しております。これを調査に伴って何とかするというようなことをしておるのもけっこうでありますけれども、とても急速にはこれは解決できません。ほっておきますれば、みなだめになってしまうようなおそれもあるわけです。平城宮跡だけにしぼってみましても、平城宮跡方八町のうち国が指定した土地は東の方に寄ったところの三分の二の地域であります。西の方の三分の一はまだだめであります。指定してありません。  しかしこれは急速に指定することが必要だと思うのであります。急速に指定し、できるならばこれを国有化する必要がある。この国有化するということのために相当な予算が必要でありますけれども、この日本における重大な遺跡世界における重大な遺跡と言ってよろしいと思うのです。それを保護しないのは日本国民の恥である。そのためには少しくらい予算が多くとも、これをもってして十分の計画を立てていただきたい。このことに私は切なるものがあります。政府におかれましても非常に御困難なことだと思います。しかしこれは日本文化といわず、世界文化のために、十分な御努力をさらに進めていただきたいと念願する次第であります。
  6. 櫻内義雄

    櫻内委員長 次に坂本参考人にお願いいたします。坂本参考人
  7. 坂本太郎

    坂本参考人 私は文化財保護委員会専門審議員で、史跡部会に関係いたしましてすでに十年あまりになっておるのであります。その十年あまりの閲してきましたことは、大体国家史跡として指定した土地に対して、あるいは産業開発のため、地方の観光資源を増すためと、いろいろな理由で史跡保護とは反対のような事態が始終起こってくるのでありまして、それに対していかにこれを防衛するかということに十何年間も追われてきたような次第であります。もちろん私どもはただ古いものだから保存しなければいかぬというような懐古趣味に陥るつもりはないのであります。もちろん日本国家の成長が大事なことでありますから、それに妨げとなるようなことはしたくはないと思っておりますけれども、しかしながら先祖がわれわれの時代までずっと守って伝えてきてくれましたこの史跡のいろいろなものを、この時代に急激に失ってしまうということは、子孫に対して私どもが相済まぬことであるというような気持もある。この矛盾することが常にありました。このジレンマに苦しんできている次第であります。ただ何分にも一般方々はこれに対する関心が少ないようでありまして、何しろどうも学者どもは古いことばかりを言っていて話にならぬというような御意見が多かったように思うのであります。非常に残念に思っております。  このたびはこのような古跡保存のことにつきまして、衆議院の文教委員会がお取り上げになり、私どもをお呼びになりまして非常にありがたいと思うのであります。今までのことを思ってみますと、これは非常に私どもにとっては涙が出るほどうれしいのであります。この機会にこの文化財保護、特に史跡保護ということにつきまして、皆様方の御関心を高めていただきますれば、これにまさる幸いはないと思います。大体文化財保護ということについて政府あるいは一般方々の御関心は薄かったように思うのでありますが、特にその文化財保護の中でも史跡保護というのは最もまま子扱いになっておるところでありまして、文化財保護委員会などの予算など見ましても、史跡だけが最も軽少なわけであります。ほとんどさしみのつまみたいなものであったのであります。ほかの絵画彫刻建築建造物は非常に重大なものであります。史跡もまた一たん失なわれますと、永久に取り返しのつかぬことに相なる次第でありますから、この保存については多くの御関心をお願いしたいと思うのであります。ただいま問題になっております平城宮趾は、今すでに諸先生お話がありました通り、重大な日本遺跡でございます。ことに史跡の中でも最もその随一に位するものであります。この平城京史跡くらいを国家保護することができなかったならば、ほかの史跡は全滅になると言っても過言ではない。これに対しては国家は総力をあげてやっていただきたい、史跡保護についての最もおもなるものとしてやっていただきたいと思うのであります。  それで国家が数年来発掘をいたしておりますが、これはごく一部分であります。一部でありましても、発掘しました結果は、非常に重大な、われわれの思いも及ばなかったような事実がいろいろと判明してきております。特に平城宮の中の殿舎の配置であります。これはそこに地図もございますけれども、大体方八町の大きな区画がありますが、この中にまた幾十もの区画がありまして、最も正式の儀式をいたします所を朝堂院と申しております。これに大極殿、十二朝堂というものがあります。これは唐のものをそっくりまねたものでありまして、緑のかわら朱塗りの柱、下にはかわらを敷き詰めましたような全くのシナ風御殿があったのであります。即位式とか正月元日儀式などはここで行ないました。それから大内裏という区画がありまして、これは天皇の平生の居所であると考えられますが、実はこれは平城宮ではこのようなことがそれほどはっきりわかっておりません。後世の京都平安宮につきましては、地図が残っておりますが、そこにあげておりますのは、平安宮地図であります。平安宮は割合よく絵図なども残っております。江戸時代裏松固禅という人が四十何年間苦心をして研究いたしました、それが大内裏図考証という書物になって残っております。これがもとになって江戸末期の皇居の造営も古式に即してやれたわけでありますが、平安宮につきましては、大体どういう役所宮城内に配置されてあったか、御殿がどういう工合でありましたか、わかるのでありますが、平城宮については全くわかっていないのであります。断片的な御殿の名前などはその歴史書物に出ておりますけれども、それがどういう機能を持っており、どういう位置にあったかということが全くわかっておりません。平安宮のものから類推する方法が一つあるわけでありますが、しかしながらすでにそれはわかっておる限りではかなり違っておりまして、平安宮平城宮とでは様子がよほど違っておるであろうと私どもは考えておるのであります。  最近発掘せられまして、いろいろ出て参りましたので、学者は大膳職の跡などと申しておりますが、もしそうならば、それも地図ごらんになればおわかりのように、平安宮では、大膳職は東の端にあったのでありますから、一致しないわけであります。むしろそれは平安宮などでは大蔵省があったところであります。そういうように単なる役所の配置だけについてもかなり違っておりまして、これは実地に調査してみないことにはほんとうのところはわからないという状況でございます。これはこまかい点でございますが、ともかくそういう次第でありますので、この方八町の宮城、ことに、もとの大内裏と申しますが、この地につきましては早く精密な調査をいたしまして、宮城の中はどういう配置になっておったかということを考える必要があると思うのであります。これがただいま申されましたように、三分の一はまだ未指定にされておりますので、これが指定にならなければ、自由に売買処分され、また家なども建つであろうと思います。これが最近まではたんぼとして大体地下保存されてきております。これが急激に市街地化いたしますと、もはやそういう調査はできなくなりますので、早く指定をしたならばいいという説もございますが、指定だけいたしましても、それはかえって私どもの方の苦しみが増すばかりでありまして、指定すればまたすぐ現状変更を申し出る、それがもうやむを得ない、絶対生存権のために必要なことであるということになって、調査も常に苦しむことになるわけでございますから、指定するということになりますれば、どうしても国有ということにしていただかなければならないと思うのであります。少なくともこの方八町の地は、今のうちならばまだまだおそくはないと思いますので、すぐ国有化するような方策をとっていただきますれば、幸いこれに過ぎることはないと思います。  この史跡保護は戦前におきましては割合にうまくいったのであります。国民精神の振興のために、国民思想を統一するために、この地方の史跡を顕彰し、大いに愛郷心、従って愛国心を増す上に力もあるということで、かなりうまくいったわけでありますが、戦後はどうもこれが単なる学問的な興味ということだけで、学問的に必要だということになりますと、どうしてもほかの緊急の必要度の前に後退せざるを得ないような状態でございます。  史跡保護につきましては常にかような問題がございますが、しかしながらこの平城京は今申しました通り史跡の中でも重大なところでございますので、国家が力を出してこれを救っていただくならば、これに過ぐる喜びはないと思います。
  8. 櫻内義雄

    櫻内委員長 次に奥田参考人にお願いいたします。
  9. 奥田良三

    奥田参考人 私は奈良県の知事でございます。当委員会文化財保護につきまして格別の関心を持っていただきまして、ことに昨秋は多数の委員の皆様が奈良県の現地を御視察いただき、また私ども地元の者の意見もいろいろ御聴取になったわけでございますが、皆様方の御好意に対しまして私ども奈良県の者は深く感謝いたしております。この機会に厚く御礼を申し上げます。  ただいま他の三先生からいろいろお話があったのでございますが、いずれも専門的な立場からお話願っておるのでございます。私は行政を預かっておる立場から所見を申し上げたいと思うのであります。私の所見の概略はお手元にプリントでただいまお配り申し上げたはずでございますが、もっとも実はきょうのお呼び出しの趣旨を十分了解いたしかねておりましたので、あるいはこれから申し上げることが皆様のお尋ねせらるべきことにこたえているかどうかわかりませんが、一応申し上げたいと思います。  奈良県におきまする文化財保護、ことに古跡に関する問題につきまして申し上げます。もっとも御存じのように行政と申し上げましても文化財保護に関することは県の組織としては教育委員会が責任を持って処理いたしておる、こういうことに相なっておる次第でございまして、私は平素事務的には関係が薄いわけでございますが、あるいはこれから申し上げますことも微細な点においては当を得ず、あるいは御説明申し上げることも専門的立場から言えば問題があるかと存じますが、一応私どもが聞いたり見たりいたしておりますことを率直に申し上げたい、こう思う次第でございます。  奈良県には御存じのように文化財保護法にいいますところのきわめて価値の高い古い文化財が非常に多いのでございます。歴史上意義の深い古跡も県内各所に散在しておりまして、本県といたしましてはこれらの維持と保存につきましてかねて格別の努力とまた犠牲を払ってきたところでございまするが、この機会に私は平城宮跡について、この現状とこれに対する本県の考え方を申し上げ、本県の古跡についての考え方と決意の一端をお聞き取り願い、この機会政府がこれについて一大決意をもって善処をして下さいますようにお願い申し上げたいと考えます。  先ほど来お話がございましたが、平城宮跡は大体現在奈良市の佐紀町地内にあるのでありまして、あの地図ごらん願うように、右の方の一番まん中にあるのです。濃いところが現在の奈良市街地でございます。この位置にあたっておるのでございます。これはま四角でございまして、面積が約九十九町歩と推定されておるのでございます。そのうちで第二次朝堂院跡など約十二町歩が先ほどお話のように国有と相なっておりまして、その国有の分も含めまして東約半分、約五十五町歩は一般史跡でなく特別史跡に指定されておるのでございまして、西半分、残りの約四十四町歩になるわけでありますが、それは指定を受けておらぬのであります。いわゆる周知の遺跡ということに相なっておるのであります。お手元に差し上げてありますこの略図によりまして大略ごらん願いたいと思います。西の方がずっと未指定でございます。  終戦後社会あるいは経済の発展もございまして、この地域につきましてもたびたび実は地元で問題を起こしておるのでありますが、その一つは、先ほどどなたか先生の言われました昭和二十九年に県が一条通りを拡幅したのでございます。一条通りはこの地図ごらんのように大体北の辺にあたっておるのでございますが、その際に内裏廻廊の遺構などが発見されたのでございまして、これが機縁となりまして、それが非常に政府の決意を促したようでございますが、その後政府におきましては昭和三十四年ごろから計画的に指定地の北の辺一帯の調査に乗り出されまして、今日までこれを続行されておるような状態でございます。その図面の指定地の北の方にあります三、五、六、九、十、十一と打ってありますのは、ずっと調査をせられておるものでございます。もっとも現在までの調査の・実績を申し上げますと、三十四年から三十六年度、本年度を加えまして三カ年間に、その左の表で発掘面積を書いてございますが、ごらん願えばわかるように合計四千七百六十五坪を三カ年度間で調査願うということに相なっておるようでございます。四千七百六十五坪、約一町五、六反でございます。三カ年かかって一町五反、一年間に平均五反歩ずつ御調査願っておるという結果に相なるわけであります。これは後日だんだん調査を急がれることと思うのでありますが、一年に五反とすれば十年で五町歩、百年で五十町歩。約百町歩のこの指定地域あるいは未指定地域を含みました平城宮を御調査願うとすれば、今のスピードでいけば二百年かかる、そういうような勘定に相なるわけでございます。そういうわけで、私ども地元におる者の立場から申しましたら、調査は遅々として進んでおらぬ。地図ごらん願うように、この調査願っておる近辺には佐紀町あるいは佐紀西町の人家が点々とあるのであります。そこを調査を願っておるのでありますが、遅々として進んでおらないのであります。  もう一つの問題は、先刻お話がありました近鉄が、いわゆる周知の遺跡の地内において検車区を作ろうということであります。平城宮跡は、先ほど来お話がありましたように、特別史跡にまで指定されているので、坂本先生お話によりますと、これは史跡として一番意義のあるところであるというお話でございます。そういうところでありますから、私どもはこれを破壊したり、あるいは滅失しないようにしなくてはならぬことは当然でございます。しかし、また一面におきまして、その周辺の町一帯の発展を目の前に見ております地元の者でございますが、その平城宮のちょっと南が二条通りであり、さらに下がって三条通りがあるわけであります。三条通りは、先ほどお話の繁華通りに直結いたしております。従って、最近三条通りにはガソリン・スタンドであるとか、あるいはその他の工場がどんどんできていまして、農地も坪何万円であるとかいうような価格で売買されておるのであります。従来、佐紀町の諸君にしてみましたら、そういう農地の売買が高くやられておるということは聞いておっても、それはよそのことであったのです。それが最近は、目の前の農地を高く売っておるという姿を見ておるのであります。そういう現状からいたしまして、現地の者がかねてより主張いたしておりまする第一には、指定を解除してほしい、自由に処分することができるようにしてもらいたいということを主張しております。第二番目といたしまして、その解除ができなければ、せめて政府がこれを全部買い上げてほしいというのでありますが、これらの地元の諸君の要望も、今申し上げた周囲の事情からして、私はやむを得ないものがあると考えるのでございます。  つきましては、この際政府は一つ英断をもって、第一に、現在行なわれておる国の発掘調査の早期完了をお願いいたしたい。予算面において、あるいは人的組織において充実して、この九十九町歩の調査を、二百年もかかるような調査でなく、近辺の経済の発展のテンポに合うような意味で、調査をぜひ一つ急いでいただきたい。第二に、地域内の民有地は、すべて政府が買い上げてもらいたい。第三に、地域内全部の政府の買い上げが、いろいろな事情で困難でございましたならば、少なくとも指定地域内だけはぜひ買い上げてもらいたい。そして第四として、そういう買い上げた土地は、今後一括史跡公園か何かの公園として、史跡保存一般の活用に供する施設をしていく、こういう工合な措置を政府でとってもらいたいというのが、私ども地元におる者のお願いでございます。しこうして、政府が直接これを買い上げることが、あるいは他の地方の様子であるとか事情によって困難でございましたら、私は本県としても、これが買い上げに踏み切らざるを得ない状態であろうと考えております。私の県は、実は恥さらしでございますが、全国屈指の貧乏県でございます。税収入のごときは、少ない方から二番目か三番目の県であります。そういう貧乏県でございますが、先ほど諸先生お話のように、平城宮歴史的意義と、そしてその周辺の発展の姿、これを見るときに、県としてはじっとしておれない。ぜひ政府が処置をしてもらいたい。政府の買い上げが困難であるならば、県で買い上げなければしょうがないというのが私の意見であります。もっともそれには県議会の議決を要する次第でありますが、そういう考えをただいま私は持っている次第でございます。しかしながら、県が買い上げます場合には、私は政府の高率の補助と、そしてその便宜をぜひ一つ与えてもらいたい。これは当然の条件であろうと私は考えております。  もう一つ、先ほど申し上げた近鉄の事業でございますが、これは何分にも、いわゆる周知の遺跡の地域におけることでもございますし、この際事業を実施せしめることは、私はやむを得ないのではないかと思うのでございますが、しかし事業をやるにいたしましても、これが着工以前に、関係者が協力して短期間に調査をしていただくようにいたして、その上で工事をやるという工合にいたしてもらいたいと私は考えております。関係者の協力と申しますのは、政府、県、近鉄でありますが、私ども先ほど申し上げたような意味で、県もこれが調査に犠牲を払うこともやむを得ない、近鉄、もとよりその覚悟はしておると思います。政府もこれに協力していただいて、そして私どもは、率直に申し上げて金銭的な用意はぜひいたしたいと思っております。ただ、その調査の人的用意が政府においてお願いできるかどうか、これを実は私は疑問を持っておるのでありますが、皆さんの御協力を得てぜひ調査をして、その上で近鉄が工事を始めることにしたいものだと思います。もっともその調査は、二年かかるあるいは五年かかるというのでは、これはおそらく無理なことであろうと思います。実は近鉄自身も、元来奈良県の古文化財とともに発展してきた会社であります。また会社の責任者も、古文化財については特に関心を持っており、あるいは大和文華館を作ったり、あるいは県の文化財保護のために、創立五十周年記念に、会社は五千万円寄付をしてくれたのでありますがそういう意味で協力的立場にありますので、会社としてはできるだけの協力をすることと考えるのでございますが、それにしても工事をやるにつきましては、ぜひ皆さんの御協力で短期間に調査をして、その上で実施せしめるようにいたしたいと私は考えます。  そこで、私は政府としても、この際必要な予算を計上して、積極的に文化財保護に協力していただきたい。私ども地元は貧乏県であるのに、先ほど申し上げたような覚悟をするわけであります。平城宮跡は、多数ある史跡中でも、特別の意味のあるものと考えられておる次第でありますから、県の犠牲も私どもは覚悟しなければならぬと思いまするので、この際、政府としてもぜひ一つ積極的な、しかも率直に申し上げて、あまりぐずぐずしないで――まわりの情勢はゆっくりすることを許さないと私は考えます。先ほどどなたからかお話がありましたように、今と終戦前と比べると、社会情勢が変わっている。それらの社会情勢に応ずるような措置を政府がしてもらわないと、すなわち急いで必要な措置を積極的にしてもらわないと、せっかくのこれだけの遺跡を十分に保護し、あるいは守っていくことができないのじゃないかと私は思うのであります。  その意味で、ぜひ一つ政府の積極的な、急速な措置をお願い申し上げます。地元としても、これには十分の努力を払いたいと思っている次第であります。
  10. 櫻内義雄

    櫻内委員長 以上で参考人各位の御意見の発表は一応終りましたが、何か補足しての御発言はございましょうか。
  11. 原田淑人

    原田参考人 ただいま奥田知事さんから、行政上からのいろいろな御意見がございましたが、ごもっともなことと思います。なお平城宮保護保存というようなことにつきましては、過日私ども学者の立場から御参考になることを文化財保護委員会にまで申し上げておいたのであります。数は少のうございますが、皆さんのお手元にお回ししてあると存ずる次第であります。大体奥田さんの御意見と近いものでありまして、どうしても国有にしていただきたいということでございます。  ただ私ここでちょっと申し上げておかなければなりませんのは、調査に約二百年もかかる、学者調査というものは実に迂遠きわまるものであるということにつきまして、若干私の意見を申し述べておきたいと思うであります。実はただいまあそこにちょうど細長く掲示してございます大体三十四年から今日までの発堀調査でございまして、東洋遺跡と申しますのは、西洋のエジプトとかバビロニアとかアッシリアとかギリシャ、ローマとは違いまして、その用材がほとんど木材でございまして、その木材の遺跡を調べるのでありますので、実際その努力、方法というものはまことに困難なことでございます。ことにあの一条通りから北の方の遺跡は、これはおそらく今までなかった大きな発掘でございまして、実はわずかな七十年の奈良朝の間に何度もあれは建て直しておるのでありまして、その何度建て直したかということまで調べませんと、建物の配置状態というものはわからぬのであります。それが綿密な調査をやって、これはおそらく西洋人にもできない調査であると思うのでありまして、これは実をいうと、東洋の考古学の進歩でありまして、大いに外国に対して誇り得る発掘事業であると思うのであります。そのためにあそこは大炊寮とかあるいは大膳職というようなものに属する、あそこから木簡が出まして、今日でいえば伝票みたいなものでございますが、諸国から参りますみつぎであります。それを見ますと、いろいろな諸国の物産で、しかも食料品などが見えておりますし、それからまたお寺その他から、役所の各所から食料を要求してくる、その伝票が発見されたのであります。これらの木簡の発見なんということは、よほど綿密にやらなければ、ものがものでありまして、これはじきにこわされてしまうものでありますので、わずかな人数で、奈良文化財研究所の諸君が渾身の努力を払って調査いたしたのでありまして、そのために井戸なども出て――今日ちょうどあそこにございますように大体幅五十メートルくらい、奥行きはもっとありますが、一つのブロックになっておりまして、建物が幾つか並んでおる。そしてそれには井戸が一つある。その井戸の下の方は側がすっかり残っておりまして、しかも井戸の中から出ましたものにはその当時の文化を十分しのび得るようなものが出ておるのでありまして、そういうような結果わかって参ったのでありますが、しかしこれは日本的の建物でありまして、同時にひとり奈良朝の建物、日本流の建物を調べるばかりでなく、それがさらに上りましては飛鳥からさらに五世紀くらいの時代、あるいはもっと前にさかのぼるかもしれませんが、そのころの日本の住宅、ことにこれは宮殿でありますが、それの日本流の建物というものをわからせるということができる大きな発見であります。従ってかなり時間をとりましたことはどうもやむを得ないのでありまして、たとえば西洋におきましても、ごく身近なポンペイの遺跡のごときはこれは何年やっておりますか。一つの大きな町をすっかり出すという計画でございますが、これはむしろ平城宮発掘に比べれば私は容易であると思うのであります。これも年々遅々たるものでありまして、これはどうも発掘調査の方から言えばやむを得ないのでありますが、ただ平城宮は、これから先南の方に進みますと今度シナ風建築になって参ります。もちろん北方の日本的な建築もございますけれども、これはもうだんだん北の方の綿密な調査をやって参りますればなれて参りますので、その辺はさほど手間は取らぬだろうと思いますし、それからシナ風建築は土壇がありまして、それに礎石だとかまたは土壇の周囲が石なんかでおそらく囲ってあったと思いますので、これらは唐の大明宮とか、あるいは渤海上京あたりから出ましたものと似たようなものがどんどん出るのではないかと思うのでありまして、私はそんなに二百年なんというような――私もこういう高齢でございまして、できるだけ早くその結果が見たいために、いろいろと早くなにをするということは希望しておるのでもありますけれども、とにかく二百年とかかるというようなことは絶対にございませんし、また日本の事情としてそこまでかけるということは私は期待しておりませんけれども、とにかく綿密な調査をしなければ実際の木造建築の跡というものを調査するのでありますから、これはやむを得ないと思うのでありまして、今度の近鉄の方の遺跡も幾ら早くやりましても、それほど早くやって、むしろそれでは破壊をするということと同じことになりますので、これまた程度問題だと思いますので、そのことだけを私はちょっと申し上げた次第でございます。
  12. 藤島亥治郎

    藤島参考人 ただいまのお話で二百年ということが問題になりました。確かにただいまの組織と金をもってするならば二百年かかります。これをいかにするかということは、これから先いろいろ論じていただきたいことなんでございますが、金がうんとふえて、それから調査員も大ぜい養成されていきますならば、われわれ学者が満足し得るだけの十分の調査をしながらかなり時間的には短縮ができると思います。これができますならば、これはいよいよもって世界に誇るべき調査ということになると思います。聞きますと、中共ではこういう発掘調査調査員を非常にたくさん、多額に年々生産しております。そうしてそれを各遺跡地に派遣し、調査させております。それでかなり調査が進んでおりますので、そういうことも他山の石とすべきだと思うのであります。  それはそれといたしまして、私がちょっと補足さしていただきたいことは、われわれはもちろん興味を持って調査しておるだけではないのであって、これをいかに活用するかということ、精神的な面においては日本文化というものをほんとうに知らせるということなんでありますが、物質的な面におきましても、これは相当貴重だと思います。調査したからといって、それを埋めてしまって、あとはどうでもいい、よく非難がありますが、平城宮趾として指定したところは、大極殿の跡も草ぼうぼうでヘビが出てきてあぶなくてしょうがないというような、まさにそうなんでありますが、それでも困る。これは先ほどのお話にもちょっとありました通り奥田知事さんのおっしゃったように、遺跡公園にすべきだということは、私たちも年来主張しておったことなんです。こればかりではありません。各地方にあります史跡は公園緑地化しておくべきものだと思う。そうしてそこで遺跡をしのび、いろいろなそれにからまったものを見るというようなことにしたいと思うのです。この点におきましては、木造建築でありますところの日本遺跡地帯は損であります。ギリシャやローマのように石がそのまま残っておるのではないのでありますからして、非常に損でありますけれども、しかしやはりここにはこういうものがあったということを表示する方式もありますし、それからまた私たちが要望しておる書類などには遺跡博物館を作れというような、これも非常にけっこう、一部を復元することもけっこうだと思います。いろいろ方法があると思います。それをいたしますにつきましても、私は前から言っておるのですが、都市計画と大いに関連させなければならない。ただ遺跡だ、文化財だ、そればかり言っておったのではだめなので、これは総合的ないろいろな政治方式をもってこれを保護し、そして活用すべきだと思うのです。奈良は急速に都会人の入ってくるところ、観光施設のうんと出てくるところでありますからして、今のうちに十分の都市計画をしていただきたい。奈良県、奈良市ともに十分その方面に御考慮を願いたいと思うのであります。この点につきましても、最近奈良市の都市計画は相当その点を考慮してやっておられるというお話を伺いますので、大へん心強く思うのでありますし、また奥田知事さんの大へん積極的なお話もありましたので、いよいよもって私は喜ばしく思うのであります。ともかくも平城京そのものは、昔は非常に広い大路をはせて、非常に区画整然たるものであった。これを基礎にしてその道路を復活するような形に都市計画を行なうことは、非常に望ましいと思うのであります。こういう道路計画というのは、数千年来の東洋において発達してきた道路計画である。しかも近代的だと思うのです。世界の近代都市の計画にもそういうのが非常にたくさんあるのでありまして、相当現代にも活用のできる道路方法である。ゆえにそういうことをなるべく試みてやっていただきたいと思う。阪奈道路がそういうものを主体としませんで、勝手に施設されましたことが、私どもとしては非常に遺憾に思っておる次第であります。その中心地としまして遺跡公園なるものができること、これはつまり平城宮址遺跡公園化することでありますが、あの地域はただいまでも大体その傾向が見えております通り、住宅地になります。それからその西部あたりにはおそらく工場地帯もできるのでありましょう。そういう工場地帯はあまり大きな進展はしてもらいたくないと思うのですが、住宅として好ましい土地である。あれより西の方に西大寺、学園都市、菖蒲ケ池など、松山の間に広がっており、非常に健康な住宅地になることは必至であると思いますが、それに伴って、その中心となるところの公園がどうしても必要である、それにこの平城宮趾が当てはまりますならば、非常にけっこうだと思います。そういうようないろいろな方針を持ってやっていただきたいことを、私は特に希望してやまない次第であります。ちょっと補足いたします。
  13. 櫻内義雄

    櫻内委員長 それでは、引き続き、質疑の通告がありますので、この際これを許します。中村庸一郎君。
  14. 中村庸一郎

    ○中村(庸)委員 ただいま、参考人より平城宮史跡につきまして、貴重な御研究の結果並びに御意見を拝聴して、感謝にたえないのであります。また奥田知事より、なるべく早くこれを解決しろという御意見、またこの土地を国で買い上げろというような御意見もあったようでありますが、この問題は、土地はいずれも民有地であろうと想像いたしますので、民有地の多くの人の土地を、広い地域にわたって買い上げるということはなかなかむずかしい問題であろうと思いますが、いずれもごもっともな御意見で、わが国の文化財を守るということはわれわれの最も急務であり、またわが国が敗戦後世界に誇れるものは、わが国のこの文化であると私どもは信じておりますが、この文化財が滅びていくということは、全く嘆かわしいことで、この問題につきましては、御意見通り全力を上げて守っていかなければならぬと考えております。これにつきまして、しからば国としてどういう処置をおとりになったか――きょうは文化財保護委員会委員長さんも見えておりますし、直接その衝にあたっております清水局長が見えておりますから、この平城宮史跡保存に対する処置、これはどういう処置をとられたか、また現状はどうなっておるかという説明をお聞きしてから、いろいろな質疑に入ったらどうかと考えますので、詳細にわたって文化財局長さんより御説明願いたい。
  15. 清水康平

    ○清水政府委員 最初にごあいさつ申し上げたいと思います。  昨年十一月、文教委員長初め各文教委員方々奈良を御視察なさいまして、特に平城宮の問題については高い関心をお持ち下さったわけであります。それが契機となり、このたび文教委員会でお取り上げ下さいまして、本日はまた各方面の専門家、現地の知事までお呼び下さいまして、貴重な御意見を拝聴いたしたことに対しまして、私ども心から御礼を申し上げる次第でございます。  私どもといたしましては、平城宮跡はもちろん、全国の埋蔵文化財は何としても守りたいという気持で、微力を尽くして参ったのでございますが、この機会に各方面の意向も大いに参酌し、地元の決意も伺い、それにおくれをとらないように、開拓精神を持って、改善すべきは改善し、反省すべきところは反省して、この文化財保護に努力、邁進して参りたい決意でございます。  ただいま中村先生から、現在の平城宮趾の指定地についてどういう考えで今までおったか、それを詳細に報告せいというお話でございます。平城宮跡は、御承知のごとく、三分の二が特別史跡として指定されておりますが、以前から南の方に近鉄が通っております。終戦後、付近に駐もしておりました進駐軍の力といいますか、それによって特別史跡の上の方、いわば二条通りの辺に大きな道ができたのでございます。そうしますと、その辺は指定はしてございますが、国有地ではございませんので、道ができますと、付近におります土地を持っている人たちが、家を建てるとかいろいろな計画を持って参ったのでございます。その際はもちろん指定してございますので、現状変更の手続をとって参りましたが、文化財保護委員会といたしましては、これは非常に大切なところであるから、もちろん所有権その他は法律を待つまでもなく尊重しなければならぬけれども、どうしてもここは調査する必要があるというのでもって、すべて現状変更は今日まで必ず事前調査をいたして措置して参ったのでございます。ところが、その後、文化財保護委員会の付属機関でありまする奈良文化財研究所が主としてこれを掘っておるのでございますが、これは何としても早く調査をしなければならぬというので、三十四年度からおくればせながら予算措置をとりまして、三十八年度までを一期五カ年計画、それから自後二期五カ年で二期計画、二期で十カ年になりますが、それから三期と分けまして、つごう十五カ年計画を立てまして、国立奈良文化財研究所をしてこれに当たらしめておったのでございます。経費及びその発掘面積は、これは掘り返しの土を置く関係もございますが、三十四年度におきまして三百三十五万六千円で千七百四十坪、三十五年度においては六百三十二万四千円で二千七百三十三坪、三十六年度は八百二十九万円で四千坪、明三十七年度は千五十七万七千円で約六千坪の発掘を予定しておるわけでございまするけれども、先ほどお話がございました通り、これは非常にむずかしい発掘でございまして、非常におそいようでございまするが、私どもといたしましてはやはり良心的に掘らなければならぬ。従って、普通の古墳を掘るような工合には参らぬことを承知いたしておりまするが、今日のこのような組織と人員でいいかどうかという問題は、この問題が起きるまでもなく、来年度におきましてはとくと考えていかなければならぬと思っておる次第でございます。  平城宮跡指定地、特に指定してありまするところは、大極殿、朝堂院があることは間違いございませんし、過去数年間にわたって掘りましたところ、意外なものが出てきておるのでございます。ところが、わずか十七万坪指定してありまするけれども、そのうち国有地はわずか三万六千坪、約四万にも達しないという狭い土地でございまして、その土地は先ほどもお話がございましたが、昨年私も文教委員長その他の先生方にお伴いたしまして現地に参りましたところが、草がぼうぼうはえておる。そうするとスズメが何百羽となくここで遊んでおって、疲れるとわっとその指定地外のたんぼへ出て稲をついばむ、しかもマムシがおる。こういうことでは一体どうしたことかという話を聞きまして、この点国有地でありまするけれども、何とかこれは――管理は知事に委任してございまするけれども、この費用を取らなければならぬというので予算を要求いたしたわけでございますが、国有財産法上のいろいろな問題がありまして、認められなかったことは非常に残念でございますが、しかし奈良県におきましては、仄聞いたしますると、草刈り機を購入し、それから人も入れまして、現在国有地として一段と高くなっております特別史蹟の中のその四万坪に足らないところは草を刈って、将来これを緑地帯にするのであるから、そういう方面の準備をいたしたいというふうに予算も獲得されたと聞いておる次第でございます。  それからこの指定地で民有地の問題があるわけでございますが、実は昨年の今ごろから少したちまして、あそこに近鉄が車庫を作りたいというような話があったのでございます。なるほど未指定地であるけれども平城宮跡の一部であるので、何とかこれはわきへ持っていってもらえないだろうか、本格的な調査をするというとあるいは数年かかるかもしれぬが、表面調査でもしてもらいたいというような気持でいろいろ内面的に折衝はしておったのでございますが、地元あるいは所有者との関係がまとまらないで、ああいうことになったわけでございます。  本日地元の管理団体としての知事のお知恵も私どもここで拝聴いたし、だいぶ事情も変わってきたようでございまするので、とくと考慮いたしまして、この平城宮はもちろん、全国の埋蔵文化財について各方面の御意見を拝聴いたしまして、御叱吃も受け、御鞭撻も受けて、今後この方面の保護に微力の限りを尽くしたいと思っておる次第でございます。
  16. 櫻内義雄

    櫻内委員長 小林信一君。
  17. 小林信一

    ○小林(信)委員 お忙しい参考人方々にきょうおいで願ったことを心から感謝申し上げるものでございますが、ここに至りました経緯というようなものを私個人的な考えで申し上げて、それを御了察の上でいろいろと御答弁いただきたいと思うのです。  先ほども中村委員の方からお話がありましたように、また文化財保護委員会の事務局長からお話がありましたように、最近奈良文化財に対しましていろいろな問題が聞かされましたので、特にこの問題で熱心な櫻内委員長中心になりまして、昨年奈良方面を視察したのでございますが、そのときにたくさんな問題に出合いまして、もっと根本的に文化財対策を考えなければいけないというような反省がお互いにあったわけでございます。しかもその中で今問題になっております埋蔵文化財に対しましては、もっと真剣にこれは考えなければいけないというような意見が一致したものでございますが、たまたま近鉄の問題が出まして、この委員会で何とかしなければいけないというような意向から御足労を願ったわけでございます。  その中で特に私この際申し上げたいのは、奈良県当局の方たちの御心痛、いろいろな御心配というものをもっと国民的な立場でともに考えなければいけないというような感を私たちは深くして帰ったものでございます。と申しますのは、先ほども県知事さんからお話がありましたように、奈良は財政的に豊かな県ではない。しかも文化財をたくさん持っておりまして、その文化財を保全することについては国民的な立場で重大な責任を感じておる。しかし、世間が経済伸展の波に乗るように、奈良としても時代の経済伸展をはかるために、いろいろ産業計画もしなければならない。いかにして文化財を守ることと奈良を豊かにすることを並行させるかということで御苦心なさっておられる点につきまして、非常にわれわれとしては、このまま放置しておったのでは申しわけないというような気がしたわけです。特に奈良市におきましては、あれだけたくさんな文化財を持っておりますが、保全の責任は負うけれども、いかに観光客が殺到しましても、奈良市の収入というのはきわめて少ない。あそこにたくさんな寺院がありましても、その寺院からは固定資産税を取ることはできない。しかしこれを観光地として保全することについては、奈良市としては大きな財政的な責任も負っておるというような話を聞いたわけです。しかも奈良市の人たちがいわゆる世にいう俗化されるというふうな言葉が使われておりますが、そういうもので国民全体からは非難を受けておる。われわれとしては実に苦しい立場であるというようなお話もあったほどでございます。そのときにわれわれ委員の方からは、先ほど参考人の方もお話がありましたが、ただこれを文化財保全という問題でなく、産業計画、都市計画、観光計画というようなものを総合してここに根本的な対策を立てなければならぬというような、われわれは共通した意見を持って実は帰ってきたわけでございます。しかし、それらを検討するよりも、もっと差し迫った平城宮趾に近鉄の検車庫が作られるという問題をどうしたらいいかということで悩んできたものでございますが、われわれとしては最近の世界の埋蔵文化財に対する傾向というようなものを知りまして、一そうこれを重視して、できるならば完全な姿でここを残して、十分その遺跡発掘し、しかも将来この姿をできるならば保全したい。あのエジプトのダムを作るために埋没する文化財に対しまして、世界人類の立場から救済に立ち上がったというふうなことがきっかけになりまして、その中にこの奈良の問題も三つの大きな埋蔵文化財として世界の人たちが指摘をされておる。もし奈良が壊滅するようなことがあれば世界全体の責任でこれを救済しなければならぬというような言葉を聞きますときに、たとい一画が近鉄に使われるということであっても、そのまま放置しておって、きょう生きる日本人の責任が果たせるかどうかというような点を考えまして、その重大性をもっと認識して、できるならば完全な姿で保全してもらいたい、こういう私たちは見地に立って、先生方のここに対するところの重要であるということをお知らせ願い、これを保持するためにはどういうふうな方法でやったらいいか、またこれを発掘するためにはどんなことが考えられなければならないかというようなことをお聞きしたくてお願いするわけでございますが、最初先生方の御意見のこまかい点をおそれ入りますが御質問申し上げて、そしてまた今のような大きな項目についてお話を願いたいと思います。  その前にちょっと申し上げますが、実はわれわれが問題にしまして何とかなるのじゃないかという考えから、文化財保護委員会に先日いろいろと尋ねたわけでございますが、清水事務局長を初め、保護委員会もこの問題については非常に真剣にお考えになっておられる。ただこの平城宮趾だけの問題でなく、全国の埋蔵文化財というものが、経済進展の計画と土木事業の最近非常な発展のために次々と破壊され、あるいはいろいろこれに対する扱い方等について現状変更の届け出等がたくさんにきておるというようなことから、何とか根本的にこの問題を考え直さなきゃならぬというような御心配もあったのですが、ただ、今の法律の建前からすればいかんともしがたい、そしてもしこれをわれわれが簡単に考えるように、国が買い上げるというようなことも、今の財政事情ではなかなか困難だ。さらに先ほどもお話がありましたように、いざ買い上げるとしましても、はたして地元の人たち、所有者がこれに簡単に応じてくれるかどうか。そこには簡単に考えられないたくさんな問題があるんじゃないかというようなことで、われわれと同じような希望は持っておいでになるけれども、きょうの状態ではどうすることもできないというような実は壁にぶつかってしまったわけなんです。従って、保護委員会がこれに対してきわめて冷たい考えを持っておるとか、無関心であるとかいうことでなしに、重大に考えておるし、また平城宮趾だけの問題でなく、日本全体のこうした埋蔵文化財に対していま一つの大きな壁をぶち破らなきゃならぬという、そういうところに立っておられる。われわれとしては簡単に考えて予算を組めばいいんじゃないか、あるいは法律を改正してこの法律適用で処理したらいいじゃないか、こういうふうに言っておるのですが、こういう点を学者先生方は常に御検討になっておられるので、御考慮の上でいろいろと御指導を願いたいと思うのです。  まず最初に近鉄が車庫を作るという西南の一角ですが、私はこの点が重要であるか重要でないか、全体という問題で重要であるわけなんですが、ことに西南のすみというものが軽視できないものであるということをたまたま聞いておりましたので、この点をまず最初にお知りでありましたらお教え願いたいと思うのですが、先ほども藤島先生お話の中にたまたま出て参りまして関野貞氏の研究ということがありましたが、この先生がこのすみに対しまして研究された中に「続日本紀」を取り上げて、この方面に池があったのだというようなことを漏らしてあるのですが、これに対して御意見を承りたいと思うのですが、宮の西南において池庭を新造するという文が「続日本紀」の中に載っておって、そして曲水の宴を設けたというようなことが書いてあるのですが、こういう点についての御見解がありましたらお聞きしたいと思います。
  18. 藤島亥治郎

    藤島参考人 ただいまのお話の宮の西南において池を作るという「続日本紀」の記事は重視すべきものだと思うのです。これだけの宮殿でございますからして相当な庭園があってしかるべきものである、庭園の発達は古来中国の方で古くから発達しております。たいがい宮殿の西の方あるいは北の方にこさえておるものが多いようでございますが、それにならいまして、この平城宮趾でも、あるいはそういうふうな施設があったろうと思うのです。関野先生地上の探査と文献の考証からして、この未指定地域の方は、大宮やその他の外苑の遺跡と考えておられたわけなんでございますが、これは地上と文献だけによることであってまだはっきりしておりません。ただし、この地図ごらんになるとわかるのでありますが、地籍図のようなものでごらんになるとわかるのですが、秋篠川がこの宮城の西方を流れてきて、ちょうど宮城の西南部を斜めに流れておるのですが、はんらんや何かでもって宮が廃されてから後も西南部あたりを荒らしたとみえまして、この地籍図がその西南部の方が非常に乱れております。こういう水をとって池を作るということもあり得べきだと思うのであります。しかし、これはあくまでも発掘調査によって実証しない限りは、ここにはこういうものがあったということは学者としては申すことができない。大体におきまして、この方八町の中は朝堂院と内裏があり、そのほかのところは町のように区画されて、諸官庁があったことは、そこにあります平安宮宮城の図をごらんになりましてわかるようなわけでありますが、それにかなり類以したような状態でこの平城宮社もあったということは、先ほどのお話と、そこのまん中の図面でごらん通りです。大膳職と思われるところが発掘調査されたというところから押していきますと、この北側にはずらりとそういうふうな掘立柱の諸官庁が並んでおる。それが第二次朝堂院の東側、つまり宮城の東の壁に沿いましてずっと南に及び、それからまた南辺もそうであり、西辺もそうであろうということが考えられるわけであります。こういうふうなものがこの平城宮趾で見ますと、そこではやはり諸官庁がぎっしり詰まっておりまして、ここに庭があったかどうかというようなことはこの平安宮趾をもっては理解ができないのでありますけれども、この平城宮趾におきましてはそういうものがあったかもしれぬ、しかし同時に諸官庁もあったかもしれぬ。万事発掘調査をなすべきだ。もし非常に不幸にしてこれを近鉄の車庫のために破壊しなければならないというような――これはあり得べきことにしたくないと私は思うのですが、そういうことになるとするならば、事前にこれを十分に調査をする必要がある。それによってまたこの土地重要性を判断すべきものだと私は承知しております。
  19. 小林信一

    ○小林(信)委員 先ほど先生が言われましたいろいろな遺物、これによって古代を推測するということを今日までやってきたのですが、きわめて誤りの多い場合がある。それについては、こうした埋蔵された遺跡を調べることによってこれが確証されるのだというお話がございまして、今の問題とあわせ考えれば、続日本紀にはこういうことが書いてあったとしましても、それで判断することができない、やはり発掘しなければわからないという簡単な考えを私たちは持っておったのですが、先生の御意見を伺ってなおこれは重大視しなければならないという観点に立ったわけです。  そこで、原田先生にお伺いしたいのです。この平城宮、さらに、先ほどお話がございました渤海、私は忘れましたが、それと新羅の慶州、これらが長安の都と相当類以した形で当時共存共営の東洋の中でお互いにしのぎを削って発展した都だ、こういうふうなお話がございました。その慶州の何というところですか、発掘にあたって、先生が直接にお調べになったというお話があったのですが、雁鴨池ですか、そういうものの周辺には必ず池に臨んでいろいろな建物が建てられておったというように伺ったわけですが、それは事実かどうか。そうすれば、同じ形式で作られたこの平城宮も、もし続日本紀に書かれているように西南の方に池堤を設けたということが事実とすれば、ただ池だけでなくて、相当建物もあったではないか、こういうように考えられますが、先生の御意見はいかがですか。
  20. 原田淑人

    原田参考人 宮殿には大てい庭園が所属しておりまして、たとえばシナの大明宮の例から申しますと、大液池という池がございまして、やはり宮中の一種の遊園の場所というふうになっておるわけでございます。その他にも、これはまた長安宮殿の方ではなく長安京、広い都城の例でございますが、それの東南のすみ、そこには有名な曲工、これは都民の遊覧の土地で、そこにはたくさんの建物があったように語録に載っております。それからなお、渤海の例といたしましては、先ほどもちょっと私触れましたが、北の方のちょうど中央には宮殿の跡の土壇が南北に一列に並んでおります。土壇のないところでも宮殿の跡が発掘の結果出たのでありまして、実によく残っているわけでございます。その宮殿の並んでおります東の方に庭の遺跡がございまして、今日でも楕円形の池がそのまま形を存しております。しかもその中には今日でも東西相並んで築山が残っておりまして、その築山を発掘いたしました結果、緑の上ぐすりのかかりました瓦でふきました八角堂がそこにあったということが明瞭になったわけでございます。なおまたその池の各所に、先ほど朝鮮の例で申しました臨海殿というような遺跡が発見されたわけでありまして、今は木も何もございませんが、その当時は相当木もございましたし、それから私ども発掘しております期間において、あるいはスズランが咲き、野のシャクヤクが咲き、あるいはまた野生のアヤメなど次から次へと一面に咲き乱れておりまして、その当時の庭のいかに美しかったかというようなことを思い出させるのでございます。朝鮮慶州――これは多分藤島さんがお詳しいと思いますが、今日でも雁鴨池――古くガンやカモがそこへ集まるので雁鴨池と俗称されたのだろうと思いますが、これもかなり古い名称でございますけれども、それが現在残っておるのでございます。その周囲に、先ほども申しましたように臨海殿と申します御殿がありまして――それが今日はたして臨海殿と称されるものの跡か知りませんが、かなりの面積の遺跡がありまして、から草模様のありますレンガが今日でもまだ並んでおるところがあるそうです。これはなまじ発掘するとかえって破壊のもとになるというので、大事にまだ発掘しないで総督府時代に残しておいたようであります。なお、きれいな花崗岩で東西南北に曲がっておりますどぶ、ところどころには水槽ともいうべきかなり広いところなどがございました。そういう遺跡がありまして、もし池がありとすれば、――ことに曲水の宴と申しますのは後の平安時代とは違うかもしれませんが、とにかくあずまやみたいなものがありまして、その下に曲水がありまして、そこで文人などが宴会を開くのでありますが、そんなものでもあれば非常にいいと思うのでありますが、しかしこれまた発掘しませんければ、文献通りそこに池があったか、あるいは平安宮のように建物でもあったか、われわれにはわからぬことでありますけれども、池があるとすればやはりふちに建物があるということは一応考えてもいいのじゃないかというふうに存ずる次第であります。
  21. 小林信一

    ○小林(信)委員 ありがとうございました。  それから坂本先生にお伺いしたいのですが、先ほど先生お話では、指定すればいいじゃないかという簡単な考えがすぐ出るが、なかなか指定だけでは現在においては困難なものが非常に多くなってきておる、たとえば指定してもすぐ現状変更を申請されて、これに応ずるのに非常に苦しむ場合が多いのだ、こういうお話がございまして、結論としては、国有にすべきだ、国有というよりも公有という――奥田知事さんもおっしゃっているように、もし政府が買わなければ県が買ってもいいというくらいの認識、実際その問題に苦しめられる当事者というものはそのくらいに私はなってくると思うのです。政府はこの際、ほんとにこの認識を高めてこなければならぬ段階だと思うのですが、なかなか今の国の予算状況ではその国有ということがむずかしい。そこで私は、現状変更が非常に問題だと言われましたが、これは坂本先生にお伺いするよりも保護委員会にお聞きした方がいいと思うのですが、今指定されておるものの数、できたらこれが各地区的なものに示してもらいたいのですが、そういう指定される数、ところがこれに対して今坂本先生がおっしゃっているように、現状変更の申請が続々と出てくる。一体現在日本でどれくらいの現状変更の申請が出ておるか、これに対する一研究家としての立場でお考えになっておる現状変更の実情というものを坂本先生からお伺いし、さらに事務局の方からお伺いして参りたいと思います。
  22. 坂本太郎

    坂本参考人 先ほど私は、平城宮趾方八町くらいはぜひ国有にお願いしたいくらいだと申しましたが、奥田知事のお話を承りますと、県でもその御用意はおありのようでありますから、必ずしも国有には限らないで、公有にしていただければけっこうであると思います。それから現状変更のために史跡に指定されたものが常に困難しているということは先ほど申した通りでありますが、その数のことははっきりしておりませんから、いずれこれは事務局の方からお答えを願いたいと思います。  ついでに、先ほどの御質問の要旨とはちょっと違いますけれども原田先生お話しになりましたことに関連しておりますが、西南の方に池があるという話ですが、これは続日本紀をずっと見て参りますと、南苑あるいは南樹苑、これはしばしば出て参りまして、ここでかなり正式な宴をしていたようであります。つまり正月元日の拝賀は大極殿で、朝堂院で行ないますが、そのあとの七日にも宴会があります。あるいはときたまにもあります。その時分の宴会は、よく南苑において行なう、ということがあります。だから字の面で申しますと庭みたいですが、実はそうではないので、これはりっぱな建物があったと考えられます。この南苑がどこであったかということは文献だけではわかりませんが、字づらだけからいえば南でありますから、いずれ内裏、朝堂院などの南の方になると思います。そういうことでありますから、遺跡遺物はたくさんあるということは当然考えられます。  それから続日本紀を見ますと、松林の苑あるいは松林の宮、苑があって宮があった、そういうものが出て参ります。同時に松林の倉廩というものも出て参ります。これも宮城内にあった建物の設備であったと思います。これもどこにあったかわかりませんが、やはり遺跡はどこかにあるに違いありません。  それから鳥池の塘、鳥池の塘において何かしたということもあります。これも宮城内であります。これも今の西南の池か、あるいはその他の池か知りませんが、やはりこういう池もあったのであります。これは断片的な設備の名前ですが、ここでいろいろな儀式なり行事なりがありましたので、この文献に残っておるわけでありますが、そこはだんだんと調査していけばわかってくると思います。  それからなおついでに申しますが、京都のまわりにはもちろん築地がございまして、南の方に羅城門があります。これは平安京ではそのあとがはっきりしておりますが、奈良京でも羅城門はどこかにあったということは、羅城門で雨ごいをしたということがあります。それから方八町の宮城の南正面は朱雀門でありまして、ここではしばしば行事がありまして、ここで聖武天皇が時には歌垣があった。ここへ男女二百人くらいが集まって歌垣をしている。天皇もここに臨んで歓を臣民とともに尽くしたということがありまして、朱雀門あたりは市民が集まっていろいろ行事をしたところではないかと思います。  それからこの宮城のまわりには十二の門があったのでありますが、その若干の名前は続日本紀に残っております。この全部の門の名前は平安京ではわかっております。しかし平城京の名前は平安京の名前と違うのでありますが、十二あったことは事実であります。こういうふうに断片的に宮殿その他の設備は文献に残っております。だからいずれもこれは調査していくに従って、それがはっきりどこであったかということはおそらくはわかってくるであろうと思います。  私に対する御質問とは違いますけれども、ついでであるから申し上げます。現状変更のことはいずれ事務局の方から……。
  23. 清水康平

    ○清水政府委員 本年一月現在におきまする史跡、名勝、天然記念物として指定してありまする件数は、特別史跡、特別名勝、特別天然記念物合わせまして百三十五件でございます。特別でない普通の史跡、名勝、天然記念物を合わせますと千六百八件になっております。その中で、詳しく申し上げますと、特別史跡が四十九、それから一般史跡として指定してありまするものが六百八十四件になっております。その中には史跡として指定された古墳も若干入っておるのであります。  なお次に、現状変更の問題がございましたが、史跡、名勝、天然記念物の現状変更の年間の件数を申し上げますと、現状変更の申請を見ますると、三十五年度におきましては七百二十三件、三十四年度は五百九十七件、三十一年、三十二年、三十三年度も大体その見当でございます。三十六年度におきましては、一月三十一日現在で五百五十四件というふうに相なっております。
  24. 小林信一

    ○小林(信)委員 ありがとうございました。  今事務局のお話を聞いてみると、指定されたものが、最近のいろいろな情勢からして、現状変更の届出がされてくるわけです。事務局としてもその扱いには困難していると思うのです。そういう点からすれば、学者先生方ひとしく坂本先生と同じように、国有かあるいは公有にしなければ始末に負えないということになってくると思うのです。そこで、藤島先生にお伺いいたしますが、一応私たちも常識として今回奈良を視察してわかったわけですが、今まで私たちは東大寺や正倉院、これが奈良文化のように考えておったわけですが、しかし東大寺あるいは正倉院、あるいはその中の御物というようなものが生まれたのはこの平城宮だ。従ってその母体であるここが大事だ、こういうように私たち一応考えてきたわけであります。しかし今先生お話をお伺いしますと、やはりその御物や建物は、ほんとうにその時代を知る十分な材料にはならないんだ、やはりそれを使って生活をした場所、社会というものを知ることが最も古代文化を知る上に大事なものだ、こういうふうにおっしゃられたのですが、そこにあの道路を作りまして平城宮の北の方が発掘をされましたが、私たちも一応は発掘したものを見て参りました。事務局長からいろいろ懇切な説明を受けてきたわけですが、東大寺あるいは正倉院という現存する姿から見るものを、こうした地域から発掘せられるものによってさらに裏づけられる古代文化というふうなものを、お話を聞くと非常に長くなると思うのですが、ほんとうに私たちが簡単に頭に入れる程度でよろしゅうございますから、こういうものが出たためにこれが立証されるんだというふうなことを――これは実はよけいな質問になるわけですが、しかしせっかくの先生方のおいででございますので、お伺いしたいと思うのです。
  25. 藤島亥治郎

    藤島参考人 ただいまの御質問のうちに、正倉院の御物や、それから東大寺その他に伝えられてきましたところの宝物類だけでは――だけではでありまして、宝物類はその当時の文化を立証するものではないんだということを申し上げていないのであります。そういうものだけでは当時の文化全般を知るものとしてはなお物足りないところがある、こう申し上げたわけであります。やはり文化というものは、その時代の総合的な所産でありますからして、その母体であるところの平城京平城宮というものをかなり私たちは重大視しておりますが、まずその当時の最高の生活であった宮廷生活がどうであったか、そうしてその宮廷の中において諸官庁でいかなる政治がどういうふうに行なわれたかということがわかれば何よりというところから、発掘によってそういう遺物が出ますと、その遺物でもってそういうことが立証されるというわけなんであります。ただいまのところは、北辺の大膳職、宮中のお台所をつかさどるところでありますから、非常に重大なところではありますが、北のところのお台所、俗な言葉で言えば、犬小屋や豚小屋のあるところなのでありますが、そういうところを発掘してみれば、掘立柱ばかり出ているし、それから土器やら、そう金銭的な価値では言えないわけですけれども、まあ普通の人にはあまり目を引かないというものが出ておるのではしようがないのじゃないか――これは皆さんお話しするのではなくて、一般の人はそういう考えかもしれませんが、それがまた非常に重大だろうと思うのです。その当時の宮廷に使われている人たちの生活と、それからそこに持ってこられましたところのいろいろの品物だとか、それがどこから来たかというようなことが今度わかったということは、非常に貴重なんです。さっき原田先生からもお話がありましたところの木簡が出たということ、それからまた年代が記入されている、天平宝字の銘が木簡に書かれているということは、ちょうどその年にどういうふうな事実があったかということを続日本紀あたりと比べ合わせてみまして、ああ、それではこのときこういうふうな事実があった、それではおそらくこうなったろうという事実がわかりまして、非常に興味深く、また当時の文化史、人間の生活史をはっきりさせるということの上において貴重だと思う。こういうことは、正倉院の御物やお寺に残っておりますものだけでは、なかなか明らかにされないことだと思う。さらに調査が進んで参りまして、朝堂院や内裏の一角にぶつかった場合には、それは地下に埋もれまして、非常に破壊されてもいましょう、腐ってもおるかもしれませんが、どんなものが出てくるかもしれない。それと正倉院などに残されているものとの比較において、正倉院の御物の性質がさらによくわかる。これがときには唐から来たものであるか、あるいは日本できのものであるかということやら、場合によってはそのはっきりした年代などもわかるかもしれませんし、それからさらにそういうものが御所の中のどういうところで使われておったかというような場所の考慮もできるかと思うのです。そういうようなわけでありまして、これらの調査はそういうものを明らかにする意味におきましても特に重大だろうと思います。こういう遺物につきましては原田先生の方が御専門でありまして、私は建築家でありますから控えるべきでありましたけれども、御指名によりましてちょっとお話し申し上げたのであります。詳しいことはさらに原田先生からお聞きになったらいいかと思います。
  26. 櫻内義雄

    櫻内委員長 午後一時まで休憩いたします。    午後零時二十八分休憩      ――――◇―――――    午後一時二十五分開議
  27. 櫻内義雄

    櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。小林信一君。
  28. 小林信一

    ○小林(信)委員 午前中、平城宮の重要な文化財であるというような点につきまして一応お話を承ったわけですが、もっと詳しく重要性を認識するためにお話を承りたいのですが、たくさん質問をする方たちも待っておりますし、先生方もお忙しいと思いますので、以上で省略して、これから具体的な問題について御意見を承りたいと思います。  先ほども坂本先生からおっしゃられましたが、文化財行政の中でも、特にこの史跡保存に対するところの財政措置が非常に貧弱だというお話がございました。これはもうわれわれが論議するまでもないところでございまして、きわめて微弱なものであって、今日の埋蔵文化財に限らず、史跡天然記念物、こういうふうなものを保存することには、もう根本的に考え直さなければならない段階だと思うのですが、これについて先生方全体の御意見を承りたいのです。特に坂本先生がこの点を指摘されましたので、史跡に対するところの経費、その問題をもう少し詳しくお話し願いたいと思います。
  29. 坂本太郎

    坂本参考人 先ほど、文化財保護行政の中でも、特に史跡の面について非常に弱いということを申し上げたのでありますが、それは常にわれわれそういうことを経験しておるわけであります。具体的な数字はよく私存じませんので、あとから事務局からお話していただければと思いますが、美術工芸品絵画彫刻などにつきましては、これは国家で、何か散逸のおそれのあるようなものは買い上げをしてありますが、その買い上げの費用は、毎年相当額計上せられているようであります。すでに文化財保護法ができましてから国家が買い上げましたそういう物件は、かなりたくさんになっていると思います。史跡の方では、それに相当するものは指定地を買い上げるということであると思いますが、それは私ども知っている限りでは、きわめて微々たるもののように思うのでありまして、結局、これは個人の私有地になっておるのが多いのであります。個人の私有地になっておりますと、処分は、売買なども自由なわけであります。ただ、その際に、一応文化財保護委員会に届け出まして、そうしてもしそれが保護に反するときにはそれを認めないというようなことも――売買はいいけれども、現状を変更する場合には、それは委員会の許しを得るということになっておるのであります。それで、史跡保存に影響があると思うときには差しとめるわけであります。そういう場合には、財産権の侵害である、持っていられる方から見るとそういうことになりますので、常にその隘路に閉口しておるわけであります。昔は、史跡保存されるということは、その本人はもとより、その土地の名誉とも考えたわけでありまして、喜んでこれを承諾していたわけでありますけれども、戦後はそういう気風がなくなりまして、土地はいろいろな事情で値上がりするばかりだのに、史跡に指定されているために、それがうまくいかないということで、むしろこれを指定されることをきらう傾向も多くなっている、早くこれを解除してほしいというような声もしばしば聞くわけであります。これを救うためには、やはり国が必要な場合にはこれを買い上げるという措置を講じていただくよりほかないと思いますが、それも今申した通り予算が非常に僅少でありまして、国の買い上げということはできません。現在のものを適当に管理していく、あるいは建物、設備のものが若干ありますれば、それを何とかして修理していく等、環境を整備するということだけで精一ぱい、それもとても全部には及んでいない。至るところの史跡が荒廃して、特にまた平城宮でも国有地の場合でも、さっきもお話がありましたが、草ぼうぼうとしておって、管理状況は今でも感心されなかったのでありますけれども、これが一般の私有地になりますと、ますますその傾向ははなはだしいのでありまして、どこの史跡に参りましても、実にこれが国家の指定した史跡かと思うように、寒心にたえないところが至るところにあるわけであります。これは文化財保護のほかの部門に比べまして、史跡は特に貧弱であるというように感じておりますが、具体的な数字につきましては事務局の方からお答えさせていただきます。
  30. 小林信一

    ○小林(信)委員 ありがとうございました。事務局の方へお伺いしますが、一体買収するとか――指定はこれは別に金は要らぬかもしれませんが、いわゆる史跡の方に回す金というのはどれくらいとってあるのか。それから建物等を国が補助するという形をとっておりますが、その補助率ですね。これは建築物等は相当パーセンテージの高いところで補助率を出していますが、しかし史跡等に対しては補助率が少ないようにも聞いておるのですが、そこら辺もこの際御説明願いたいと思います。
  31. 清水康平

    ○清水政府委員 史跡関係の予算のことでございますが、三十六年度におきましては、こまかい数字を省略いたしますが、三千五百万円、三十七年度におきましては四千九百六十万円ということになっております。中のおもだったところを申し上げますると、史跡に相当して指定してあるところがございます。名勝も同じでありまするが、土地が相当広いために、どこからどこまで一体史跡であるのか、またその史跡がどういう歴史的ないわれがあるのかわかりませんので、その説明板でありまするとか、標識とか、あるいは境界線とかというようなものの補助を考えておるものが一つ、それからもう一つは買い上げの問題がございます。三十七年度におきましては継続二件と新規が二件、計合わせて四件、これは買い上げの補助でございますが、地元におきまする公共団体と史跡に指定されました土地で、その民有地を持っている民間の人たち深い理解と御協力によって、とにかくこれは買い上げたい。それはいろんな公共事業などにぶつかりまするので、たとえば団地を作りたいとか、いろいろありまするので、そういうような場合は一つ補助を出そうというところで、三十七年度においては四件予定しております。これが二千七百万円余になっております。そういうものを合わせまして現在四千九百六十万円に相なっておるわけでございますが、まことにこれは全国の史跡名勝の数から考えまするというと、しかも今日の経済の発達あるいは公共事業が多いということを考えまするというと、その調査をはかる意味合いからも、こういうような経費はもっと飛躍的な増強をはからねばならぬと思っておる次第でございます。  御参考までに申し上げますが、指定しておりません古墳などがいろんな方面で痛めつけられておるわけでございますが、それを至急指定いたしまして、そうして買い上げた例は大体毎年二つ三つあるわけでございますが、たとえばイタスケ古墳も破壊される寸前、地元の公共団体、土地所有者に心から理解していただき、協力していただきまして、これを買い上げまして指定いたしたようなわけでございまして、毎年そういうようなものが一、二件ございます。これが史跡に関する大体の内容でございます。それの補助率は、一般建造物あるいは美術工芸品に対する修理などを要する経費の補助率は、大体美術、建造物関係では七〇%をこすのでございますが、史跡関係の補助は平均五〇%というのが普通でございます。中には特別な事情がありまして、それより高い補助率を出しているところがございます。なお、これは史跡として指定されたものだけでございますが、史跡に指定されていない古墳でありまするとか、貝塚でありますとかというようなものはつまびらかにわかりませんが、人によりますると、全国に二十万もあるのだという人もございます。しかし古墳群というものを固まって考えた場合は相当縮まるでありましょうが、指定してないこれらの埋蔵文化財関係の予算を御参考までに申し上げますと、それは文化財保護委員会自身が直接指定してなくても発掘調査ができるわけであります。それによってあとで指定するということも考えております。たとえば秋田城跡というのがございます。これはあとで史跡になりましたけれども、これは三十四年度から継続いたしまして三十七年度で終わる予定でございます。この秋田城跡というのは御承知の通り徳川時代の秋田城跡ではなく、奈良時代から平安にかけての東北地方における経済、軍事、文化中心地であった秋田城跡の発掘は、文化財保護委員会自身がこれを発掘いたしておるのでございます。その他、指定してはありませんが、埋蔵文化財がいろいろなところで発掘されます。これはどうしても散逸を防がなければならぬのでございまして、その土地柄等の関係もありまするので、散逸を防ぐ意味と、それから土地柄の人たちの文化財との結びつき等を考えまして、それを一カ所に集める収蔵庫というようなことも考えておるのでございます。なおその他道路でありますとか、団地でありますとか、鉄道でありまするとかというようなものが、いろいろな方面の未指定の貝塚、古墳を破壊するというおそれがありまするので、これはぜひ事前調査をしたいというところで、地元の公共団体あるいは土地所有者の深い理解と心からなる協力によって、法律は何もございませんが、それは毎年十何件ございまして、三十七年度におきましては、そういう件数が十四件ございます。  なお遺跡が、周知されていないけれども、いろいろなところにありますが、これのどこに遺跡があるかということを調査して明らかにしておかなければなりませんので、これも年次計画によりまして、来年度は十九の都道府県にお願いしまして、遺跡台帳を作りたいというふうに努力しておるわけでございますが、何せ予算は、今申しましたようなものを入れまして、わずか千六百六十万という事情でございます。  なおそのほか、ただいま問題になっておりますところの平城、これは史跡として指定してあるところだけでございますが、平城遺跡発掘調査を、文化財保護委員会の付属機関である奈良研究所をしてやらせております。それが本年度は千五十万ばかりございまして、埋蔵関係では現在のところ二千六百万円、その他の史跡におきましては四千九百万円というのが予算上の今日の現状でございます。
  32. 小林信一

    ○小林(信)委員 建造物が七〇%以上九〇%にも及ぶような補助をもらっておるところもあるのですが、この遺跡が五〇%にとどめられておるということ、これは相当に検討しなければならない問題があると思うのです。そういうふうにして、予算上も冷遇されておるし、それから先ほどお話がございましたように買収というふうなことが、実際こういう大きなものにはとうてい手が出せないような措置である、これではとても現在問題になっておる平城宮趾の問題は解決できないわけなんですが、ただこれは平城宮趾だけの問題でなく、あらゆる埋蔵文化財に対してこういうふうに再検討される段階になれば、坂本先生が指摘されましたように、相当この問題を政府で重視してもらわなければならないわけなんですが、それには根本問題があると思うのです。というのは、先ほど坂本先生お話にありましたように、文化財に対して骨董品的な考えというものを一般も持っておりますが、政府自体もこの考えを除かなければいけない、これが一番の問題だと思うのです。さらにこの文化財保護法の生まれた時代の考えというものが、今日まだ踏襲されておるのではないかと私は心配するのです。というのは、あの当時進駐軍が参りまして、文化財が相当外国に散逸するというふうなことが心配になったし、戦争の間、こういうふうなものの保存ということが全然忘却されておったということから、非常に文化財が危機に瀕しておる。さらに加えて、戦後の荒廃した人心の中からは文化財保護するというふうな思想がないというようなところから生まれた性格の上で、形のものが非常に大事にされたということが私はこういう補助率が低いとか、これに対する予算の計上の仕方が少ないという原因を持っておると思うのです。だから文化財保護をもっと当時の考え方から切り離して、ここで再検討をしなければならない、こういうふうに考えるわけなんです。今のお話等を聞きますと、埋蔵文化財の重大性とはおよそ逆の方向をたどっておるのが、予算あるいは補助率等に見られる現象だ、こういうふうに考えますが、さらに考慮されなければならぬことは、これは奥田知事さんから、奈良に参りましたときに訴えられたことなんですが、指定されたところが、先ほどもお話がありましたように、解除するかさもなければ買い上げてほしい、これが率直な地元民の所有者の要望だと思うのです。これに対して奥田知事さんが、こういうところに対しては免税ぐらいはしたらどうか、あるいは補償をすべきだ、あるいは固定資産税の対象にならないようにしたらどうか、あるいは相続税等はとらないということぐらいはすべきだというふうな、実際そういう仕事に直面しておられる方たちの切実な要望というものがあったのですが、こういうことについて政府は検討したことがあるかどうか。奥田知事さんに再度この点をもう少し具体的に承って、そういう所有者の切なる要望があるけれども、これが顧みられないその実情というものを訴えてもらって、そして政府はこういうものに対して検討したことがあるのかということを私は聞いて参りたいと思うのですが、お願いいたします。
  33. 清水康平

    ○清水政府委員 史跡または名勝に指定されてある土地で民有地の場合、課税との関係はどうかと申しますと、すでに御存じと思いますが、史跡に指定された土地で、史跡と関係の深い建物、不動産でありまする建物と建物の下の土地、下の土地と申しましても、建物のひさしから垂直に下りた土地とその不動産である建造物だけについては免税になっておるのでございまして、それ以外の建物も何もない土地は免税という明文はございません。それで私どもとしては、毎年この史跡名勝に指定されている土地の免税はぜひやってもらいたい、こういうふうに折衝いたしておるのでございますが、いまだにその域に達していないことはまことに残念に思っておる次第でございます。それで大蔵省側としましては、ほんとうに必要であるならば、地方税法の六条の規定があって、地方公共団体は、公益のためその他必要のある場合は減税または免税にすることができるという規定があるから、それでやればいいんじゃないか、こう言いまするが、われわれとしては、文化財として国で指定しておる以上、ぜひこれは免税にしてもらいたいということをそのつど交渉しておるのでありますが、いまだに実現に至っておらないことはまことに遺憾に存じておる次第であります。
  34. 小林信一

    ○小林(信)委員 これはどちらかと申しますと、奥田知事さんのその当時の要望を訴えたにすぎないのでありますが、こういうふうに等閑視されておるという点を政府でもこの際認識をされて、そうして平城宮そのものも、こういう点で早く問題解決に当たっていただきたいと思うのであります。  そこでこの際、関連いたしますからお尋ねいたしますが、あのエジプトの遺跡保存するために、日本政府にも協力するように金の要望がきているはずなんですが、先ごろの朝日新聞の天声人語でしたかに、五億ということが書いてありました。またはかのところには一億ということがどこかに書いてあったのを見ましたが、この額を私は聞くことと同時に、たとえば五億という要望があったとするならば――外国の文化に対して協力することについて、私は決してその額を惜しむわけではない。やっぱり出すということが望ましいことなんですが、そういう要望がくるような世界情勢から考えても、四千万や五千万を史跡に対して予算を盛っておるというようなことは、非常に日本として情けないと思うのです。一体一億であるか五億であるか、その点を明確にしていただくことと、日本の今の政府の態度は、これを出す気持でおるのかどうか、こういう点から考えて、平城宮趾なんかの問題、もし外国に五億出すならば、二十億ということをこの前おっしゃったんですが、全面買い上げをして、公有地にするというようなことが、この際できるような気がいたすわけでありますが、その意味からして、その点をお伺いいたします。
  35. 清水康平

    ○清水政府委員 ただいまの御質問は、例のヌビアの発掘問題じゃないかと思うのでございますが、文化財保護委員会として御答弁申し上げるのは必ずしも適当でないかと思うのでございますけれども、私の聞いておる範囲内を申し上げますと、各国にヌビア救済委員会がございまして、それが外務省に置かれているというふうに聞いているのでございます。それで各国のいろいろな事情によりまして、それぞれの救援――救援には探検隊もありましょうし、物資で救援するところもありましょうし、あるいは金で救援するところもございましょうが、私が聞いておりまする範囲内におきましては、大体一億ぐらいのものを民間から募集して救援したらどうだろうかというふうに聞いておるのでございます。大へん申し上げにくいことでございますが、ヌビア関係につきましては、原田先生がある程度御関係していらっしゃると思うのでございますが、先生はその後何か聞いていらっしゃるでしょうか、大へん失礼でございますが。
  36. 原田淑人

    原田参考人 ヌビアのダムのことにつきましては、ユネスコからユネスコ参加の国々にアピールして、あそこを水没から救おうということで、非常に大きな計画をしておられるようでありまして、それにつきまして、ユネスコに参加しております国々は、それ相当な金額を出すというなにがあったようでございますが、どうもその後あまり思わしくないような様子であります。向こうから、お前の国はこれだけ出せというふうに、それぞれの国へ指定してきたらしいのです。日本には、今私、実ははっきりなにいたしませんが、たしか五億というのは、五億円に相当する金だと思います。五億ドルではなかったようでございます。そんなようなことで会議がありまして、はたしてそういう金はどういうふうななにで出すか、それを七年間に出すのですか、十年間に出すのですか、何かそういうことがございますが、実はイエスとかどうとかいうことを早く言え、昨年の十月くらいまでに言えということであったのですけれども、どうもよその国は、だいぶ渋っているようなところがあるようでして、思ったようにはいかないようで、それなら一年くらい延ばすからというようなことであったらしいんです。とにかく政府の腹を一つ聞きたい。はたしてこういうなにに応ぜられるかどうか、その辺の腹を聞こうということで、その後まだ会議がございませんので、私それしか存じません。まだ今のところちょっとはっきりいたしません。それから援助しますのに、例の神殿を持ち上げます莫大な費用でございますが、それに出す金、あるいはまた何か物資、機械のようなもので出す援助、探険隊を出す援助、こういうような三つくらいあるらしいんですけれども、おそらくこの神殿を上に上げる金が最も必要であるので、それがはたして予定通り集まるかどうですか、その辺どうもまだはっきりいたしておらぬようでございます。まだその後それに関する会議は実はないのでございまして、今のところはっきりしたことは、私は存じておりませんので、ただ知っていることだけを申し上げました。
  37. 小林信一

    ○小林(信)委員 それは、直接関係する官庁は外務省かもしれませんけれども、しかし、こういう文化財の問題にもっと日本政府関心を持っておれば、文化財に対する見解というものはすぐ問題になるわけであって、そういう官庁、政府が無関心でおるということは、まだ文化財に対する一般認識が徹底していない証拠だと私は思うんですよ。これほど国際的な問題になっている問題で、他官庁の問題だからと言っているところに、日本文化財保護の性格が私はあるんじゃないか、こういうふうに忠告をしたいところなんです。実は六十メートル湖底から引き上げる非常に大きな仕事だそうですが、それに対しても協力をせよ、なお調査団派遣もせよというふうに要望されておるわけなんですが、今のところの話では、日本はきわめて冷淡だ、こう思うわけです。先ほどから学者皆さんお話を聞いても、文化財そのものが、日本文化財でない、すべてこういうものに対しては世界的な見地に立って問題を考えなければいけないというときであれば、調査団を派遣するくらいのことは、外務省がどうのこうのじゃなくて、文化財保護委員会そのものが立ち上がるようでなければいけない。従って、先ほどお話申し上げた、あるところでは五億と言い、あるところでは一億と言い、とにかく相当な額なんですね。日本の埋蔵文化財に対する一年間の経費ではとても追いつかないところのものを要望されておる。してみれば、私は、世界情勢というふうなものから考えても、ここで埋蔵文化財に対する予算措置というようなものは大胆に要望して実現をはかるべきだ、こう思うのですが、とにかく予算、それから今度はそれに対する免税の問題というふうなことについても、現状ではとても問題にならないということが考えられるわけですが、それに続きまして、今度は先ごろも問題になりました法律の問題あるいは文化財保護委員会の機構というようなものが、はたして今の埋蔵文化財に対する要望を満足させるような姿になっておるかどうかということを、学者先生たち並びに当局に、この際お伺いしてみたいと思うのです。私の考えでは、先ほども事務局長は台帳を作るというふうなお話がありました。それからパトロールを出して埋蔵文化財保護に当たるというふうなこともいつかお聞きしたと思います。こういうような計画はされますけれどもほんとうに十分に仕事ができるような機構が完備しておるのかどうか、これが私問題だと思うのです。  それから先ほど奈良文化財に対しましては、国立の文化財研究所が奈良にある、一切この研究所にまかしておるようなことをおっしゃるのですが、私もその後いろいろ考えてみたのです。ところが研究所はやはり研究所であって、発掘とかあるいはここを指定をする、買収をするというふうなことを、この研究所にまかしておるということは私は大きな問題だと思う。法律の二十四条に、事務局の出張所を設けるという制度が許されておるのですが、こういう奈良県あたりには出張所を設けて、ほんとうに事務的な面から県当局と交渉するとかあるいは地元と交渉するとかいうふうな、そういう体制をとることが必要だと思うのですよ。ところがこの出張所は、法律にはあるけれども、これが設けられておらないように私は思うのです。そういうふうな点が、計画は幾らされても体制が整っておらない、こういうふうに思うのですよ。そこで機構の問題で、事務局だけでなく、先生方の要望をこの際お伺いしながら話を進めていきたいと思います。お三人のうちどなたでもけっこうですが、埋蔵文化財に限りませんが、主として埋蔵文化を守るための機構というふうなものについて御意見を持っておられる先生がございましたらお伺いしたいと思います。――あとの質問者も要望しておりますから、私の方から申し上げますが、それをお答えしていただけばけっこうだと思います。史跡関係の係職員が二名、名勝天然記念物関係が一名、埋蔵記念物関係が二名、こういうふうなわずかな人たちで、しかも出張所の制度があっても、出張所は設けないという形で運営されておって、幾ら計画をなされても、それは計画倒れに終わってしまって、今のように現状変更の要請が何百件とある、これはますます最近の土木事業が多くなってきておる現状、あるいは工場がどんどん建っていくというふうな、そういう産業伸展の実際問題からして、とても応じ切れない状態だと思うのです。こういうふうな人たちの人員の整備というようなことが、私は必要になってくるのではないかと思う。それから法律も、この前いかんともしがたいのだというような説明をなされましたが、学者皆さんとしては、現行法でもっと本法を強化するというふうな御意向を持っておられると思うのですが、あるいはあとからそういう点について質問がなされるかもしれませんから、私はその点でおきます。何しろ財政的な問題、法律の問題あるいは文化財保護委員会の機構の問題、これらを検討しなければならない段階だと思います。  最後にお伺いしたいのは、名神高速道路が作られましたが、あの場合には公団あるいは国から費用が出て、文化財があるかないかわからぬけれども、事前調査をするというふうな、そのための費用まで出て、実際にその仕事が行なわれたと聞いております。あるいは愛知用水建設にあたっても、文化財の事前調査というようなもくろみがあったように聞いております。そういうふうに大きな事業に対しましては、最近心ある計画がとられておるのですが、一体事実かどうか、そうしてそういう場合に文化財保護委員会というものが、何らか意図を持ってこういう計画に当たっているのかどうか、もしこういう考えがあるならば、今後近鉄がここに車庫を作るというような場合に、これと同じように事前調査というようなことを計画されなければならぬと思ったのですが、これを含めて、先生方でもけっこうだし、それから事務局でもけっこうですが、お話し願いたいと思います。
  38. 清水康平

    ○清水政府委員 ただいま愛知用水工事のため埋蔵文化財との関係はどうであったかということ、名神高速道路を建設するため遺跡との関係はどうなっているか、それに関連して近鉄が今度作ろうとする計画はそういうふうにできなかったものかという意味の御質問があったわけです。愛知用水につきましては、これは愛知用水の工事主体者の特別の理解と、愛知県の教育委員会が特にこれに強い熱意を持っていただきまして、もちろんわれわれもそれに対して指導したのでございますが、調査主体は愛知県教育委員会がいたしたわけでございます。それに対しまして三十一年から三十六年にわたりまして国は、愛知古窯跡、これは愛知にいろいろな古いかま跡がありますが、愛知古窯跡の調査をするという愛知県教育委員会の事業に対しまして、国は総額五百万円を、それを六カ年にわたって補助して参ったのでございます。次の名神高速道路建設のためでございますが、これも指定してはないが、いろいろなところを通りますので、これはいろいろな遺物があったり、あるいは寺跡があったりあるいはお宮の跡があったりするところを通る計画もありますので、文化財保護委員会といたしましては、日本道路公団と折衝の上、調査主体は京都府の教育委員会が当たりました。当初は、初年度はいたしませんでしたが、三十三年度におきましては、日本道路公団がその調査に要する経費を負担していただきまして、あとは半額程度国が補助いたしまして、それぞれ、これは京都ばかりでございませんので、愛知県を通ったり、岐阜県を通ったり、滋賀県を通ったり、大阪を通ったりするのでございますので、それぞれの教育委員会文化財保護委員会と密接な連絡のもとに、調査主体となって発掘いたし、それに対して、大体国が半額補助して参ったのであります。これは全くの、先ほど申しました緊急調査でございまして、地元民、特に地方公共団体の深い理解と御協力あったればこそだと感謝いたしている次第でございます。  近鉄の例の車庫を作ろうという問題につきましても、地元民、県教育委員会また文化財奈良研究所の人たちもいろいろなことで、これはわきへもっていってもらいたいとか、あるいは調査してもらいたいとか、いろいろ折衝したのでございますが、地元民の意向もある、先ほどからお話がございました通り、経済の伸展等がありまして、なかなかまとまらず、ときには現在発掘中のものがついに発掘もできなくなったというような状況になって参りました。指定地でありません、未指定地であったので、相当もみにもんで参ったのでございますが、うまくまとまりませんで、あそこに、先般申し上げたようなところに落ちついたような事情でございます。その後この問題が当委員会において取り上げられ、また一般世論も注目して参りました。その辺が今後どういうふうに発展していくか、われわれといたしましても、できる範囲内において地元の県その他とも連絡をとって参って処置して参りたいと思っている次第でございます。
  39. 小林信一

    ○小林(信)委員 さきの二つが地元の熱意からして、そういう事前調査をするような形になって、それに対して文化財保護委員会としても補助金を出して、六カ年間五百万円出した、非常にこれは大事なことだと思うのですが、そういうような仕事と同じことなんですから、今回も、少なくとも事前調査をするような措置が私はほしかったと思うのです。名鉄というものが仕事をする場合に、ことに名鉄の関係者が保護委員会の中にいるというようなことを聞きますと、そういう前者のものに対しては事前調査をしたけれども、今度の近鉄問題では事前調査をしないというようなことは、非常に誤解を起こすもとだと思うのです。そういう意味から、私は事前調査というものを少なくともやってほしかった。今問題はこういうふうに大きく転換しますので、それ以上の措置がとられることが期待されるので、そんな小さなことにはこだわらなくてもいいかもしれませんけれども、そういう行政上の措置に私は少し残念なところがあるわけなんです。  最後に、私は奥田知事さんにいろいろお伺いして、重大な決意を持ってこの文化財を守るというお考えを具体的にさらに深めて参りたかったわけですが、先ほど申しましたように、もう時間がございませんので、私はもう申しませんが、とにかく国がやらなければ県がやろう、これは奈良県の県会の様子も私は承っております。知事さん初め県民全体が非常に熱意を持っておられるようにお伺いしますが、この地元の方たちの熱意と、そして御三方の先生方の文化財に対するいろいろなお話を承って、この際、私は文化財保護委員長に、奈良平城宮跡に対しておそらく新たな決意を持っておられると思うのですが、これは具体的なものをお聞きすることはできませんが、せめて御意思の一端でもこの際お伺いすることができれば、私の質問を終わりたいと思います。
  40. 河原春作

    ○河原説明員 ただいま小林さんから御質問がございました。またそれまで三人の先生方からのお話も伺いまして、私としてもずいぶん考えるところがなくてはならぬと決心しております。時間がございませんから詳しいことは申し上げられませんけれども、とにかく文化財保護行政については、先ほどどなたか壁にぶつかっておると申されて、あるいは曲がりかどにいっておると申されましたが、もう少し根本的の対策を考究しないと、こういう問題は他にも必ず発生するだろうと思います。そういうことのないように、われわれもこれから努力をいたしたいと思います。  なお、この問題につきましては、ここにおいでになっておる三人の先生方は、今までも専門審議会の委員としていろいろお世話を願っておりますが、これからはさらにもう少し密接な連絡をとって、いろいろ御意見を承って仕事を処理して参りたいと考えております。
  41. 櫻内義雄

  42. 山中吾郎

    山中(吾)委員 小林委員から網羅をして質問をされましたので、参考人の三人の方に一、二点ずつお聞きをいたしたいと思います。  私の質問を申し上げる趣旨は、当面の対策に必要な知識を得たいことと、今後の恒久対策を立てるについて参考にいたしたいので、二面からお聞きいたしたいと存じます。  まず、原田先生にお聞きいたしますが、現在問題になっておる近鉄の工事着手までに、あの付近の調査をするにはどのくらいの日時がかかるか、調査を始めますと。それが一つ。なお、私の質問で、小林委員の質問と重複しておるときは省略していただいてけっこうです、座をはずしたときもありますから。  それから、かりに近鉄が車庫を作った場合に、そのあと再び調査というものは永久に不可能になるかどうか、これが二点。  それから第三点には、現在調査をしないままに保護委員会が、届け出をしたときにやむを得ず認めたということになっておるのでありますけれども、そういう場合に、着手を待てという指導、あるいは現状変更を指導によってとめさすというふうなことが、文化財保護委員会の現行制度ではできないのか、またそれをやるについては皆さん専門審議会、その他に意見を聞かれて行なわれたのかどうか、この三点を原田先生にお聞きをいたしたいと思います。
  43. 原田淑人

    原田参考人 今の御質問は、どんな様子か前もってあれしたかという話でございましたが、これは遺跡を掘ってみなければ実はわからぬのでございますが、そう急に――遺跡が絶対になければ問題ないのでございますが、もし何か木造建築の跡でも出て参りますと、そうやすやすには調査できないのだと思うのでございます。しかし時と場合でございますから、何とかそれは臨機な処置を講じていくことも必ずしも不可能ではないと思います。しかしそう一カ月や二カ月で、はたして工事してもあとは遺憾ないということができるかどうか、それはちょっと私にはお答えしかねる次第でございます。  それから、工事はどういう工事をいたしますのですか、固定的なものを作られることになりますと、もう将来それを調査しますのは非常にむずかしくなるのではないかというふうに気づかわれるわけでありまして、できればその前に一つ調査をしたいというふうに私は希望するわけでございます。ただ、今現在のところ、奈良文化財研究所の人員というものがまことに手薄でございまして、事前調査はもちろんでございますが、何かそこに、ある重要なものが発見されたという場合には、そのほかは捨ててそれを調べなくちゃならぬのでありまして、そうしますと、今までの調査計画がだいぶ狂って参るようなわけでありまして、しかしぜひとも事前調査はしなければならぬことだ、学問の上から見ますと実はそう考えられるのでございまして、しかし、もしそういうことができなければ、臨機応変にできるだけ綿密な調査をやりまして、そしてそれを紙の上にとどめるというよりほかに方法はないのじゃないかと思います。  それから、近鉄があそこを買い上げたことにつきましては、これは別に学術上の問題でないのと、あれが指定地域以外のことでありますので、今までのわれわれに対する諮問のなにとはちょっと筋が違っておると考えられますので、あまり指定地域以外のことについては御相談は受けておりません。
  44. 山中吾郎

    山中(吾)委員 調査は一カ月や二ヵ月ではできない、それは一年かかるとか、二年かかるとかいうことなのか、お答え願えなければ他の先生方でけっこうですが、大体のめどは、今までの経験を通じて、着手してから半年くらいで一応の調査ができるとか、発掘したときにいろいろ出てくるから、そうなると一年かかるというようなお答えはできないですか。藤島先生、中尊寺の発掘にも参画してもらって、私目撃しておりますが、そういう体験から、あの付近においては一番短いときには半年、長くかかれば二年とか、そういうことを言っていただければ非常に参考になるのですが、その点一つお願いしたいと思います。  それから、あそこにああいう車庫を建てたあと、今のお答えでは、さらに調査することが非常にむずかしいというお答えなんです。それは不可能ということなのか、あるいはむずかしいということなのか、それが一つ。  なお、つけ加えてお聞きしたいのですが、この写しの、要望されたのは平城宮跡調査委員会である。この平城宮跡調査委員会というのは、文化財保護委員会に対して意見具申しても何の効果のない、意見具申権のない団体なのか、あるいは何かの権限を持って要望できるものであるか、それもついでにお聞きいたしたいと思います。藤島先生原田先生が今よう言われなければ、今度はおのおの学者の方の私見まで入っていただいてけっこうでありますが、われわれのこれからの心がまえに必要なものですから、同じお答えならばそれでけっこうですが、もっと一歩進んで言っていただければ、参考にお聞きいたしたいと思います。
  45. 藤島亥治郎

    藤島参考人 ただいまの山中委員の御質問に対して、私が原田参考人の御意見を多少補てんする形になってくるわけでございますが、今度の問題になっておる土地は一万六千坪だそうです。それで考えてみますと、ことしあの平城宮調査対象になっておりますところが三千坪なんですね。今年度として三千坪です。そうしますと、今と同じようなやり方でいきますと五年かかるということになってしまいます。今と同じやり方で今と同じメンバーでやりますと五年かかります。これはまあなかなか大へんなことだと思います。しかもそれは、何か建物の跡があるか庭の跡があるか知りませんけれども、大てい重複して複雑になっている複合遺跡であります。一カ所掘って済むというのではなくて、次から次から掘って考証していかなければなりませんから、どうしてもかかる。ですからこの調査はそう簡単にいかないといっていいのではないかと思います。  それから次の、この土地に車庫なりレールなりができた場合に、破壊されるかどうかという問題でありますね。これは近鉄の方で一体どういう計画を持ってこれをやるかということは、具体的なことは私は存じませんから、何ともお話ししかねるのでありますけれども、どっちみち車庫のようなものは必要だと思います。もし車庫のような建築だとすると、当然鉄筋であります。鉄筋コンクリート構造です。鉄筋コンクリート構造だとすると、地下一、二メートルは掘ってしまいます。さらにあるいは地盤が悪ければ、その下の方まで工事が及んで参ります。基礎工事がそういうわけで相当な面積を相当深く掘られてしまいますので、遺跡は破壊されます。これは将来調査しようだって調査できなくなってしまいます。それからレールを敷設するにも、地盤が悪ければやっぱりそれだけの基礎固めをやりますから、遺跡のある地域までいくかいかないかわかりませんけれども、相当表面は荒らされてしまいます。半メートルなり一メートルの深さには及ぶかもしれない場合も多いのですから、やはり遺跡は安全であるというわけにはいかないと思います。第一、問題の奈良朝遺跡の地盤にまで達しなかったからいいといっても、その上の方だってやっぱり歴史を持っているものでありますから、その辺の検討からかかって、初めて遺跡の本筋にぶつかって調査すべきものでありますから、やはり上の方が荒らされてしまうということは非常に困ります。ことに、ここのところはもはやすでに荒らされておる。だからその点は、川のはんらんや何かでもって少し土地が荒らされておりますからいいようなものの、しかしそれならそれで、いかにはんらんその他の事情によって荒らされたのか、それでこの整然としたあぜ道などを持っておるこの地域が、ここに限ってなぜこんなふうになっておるのか、それこそ川筋がどうなっておるかというようなことを調べるには、やっぱり重要な地域だと思います。将来何かそういうものができてしまっては、学界の調査としては非常に困る事態に達するわけであります。そういうふうなわけでありまして、私としては、このところはやはり事前に調査しなければならない、調査するために、もはや近鉄にその許可を与えたというなら仕方がないようなものでありますけれども、その仕事の方は、完全に調査ができるまで何年でもいいから待ってくれと言いたいぐらいです。もしそれができないならば、やっぱりメンバーを増員して、金をそれだけつぎ込んで、そしてやるだけの組織を立てなければだめだ。そして、今申しましたように、面積からいって五年間必要だということを申しましたが、もしそういうことをするとなれば、ただいま現実に計画しておる北辺地帯の発掘は全部やめてしまわなければならない事態に立ち至ってしまいます。しかし、これはあの辺の住民に対しては、本年のうちにほとんど目鼻をつけるのだという公約があります。これをやらないわけにいきません。もしそれをやらなかったら、わあっとあの辺の地元の人たちがいろいろな問題を起こしてくることは明白であります。そういったことで、そっちをやらなければならない、今度はこっちの方をやらなければならないということになると、やはり政府としては特別の予算を編成して、そうしておやりになるほかはない。許可をした以上はそれだけの御覚悟をぜひとも御当局も持っていただきたいように私は信じております。  大体において、先ほど実は小林さんの御質問の点に、三人のうちのだれか立てというのに、ぐずぐずしたのでそれきりになってしまいましたけれども、実はあのときにちょっと触れられましたけれども、現在の文化財保護委員会の機構は大へんに欠点が多いので、私もふだん非常に残念に思っております。ことに、昔あった国宝保存法とそれから史跡名勝天然記念物保存法、この二つが一緒になって、そして現在の文化財保護法が昭和二十五年にできた。そうしてこの保護委員会の中に事務局ができて、事務局の中に幾つかの課ができて、そしてやっているわけでありますが、その国宝保存法だけでも相当大へんな仕事であるところへ、史跡名勝天然記念物保存法の法律の仕事も入り込んできている。しかもそれが記念物課というものの中にごちゃごちゃと入り込んで、一つの小さな部屋の中に入り込まされている。その上に、無形文化財だとか民俗資料だとか埋蔵文化財だとか、いろいろなものが入り込んでしまいまして、この課は全く、言ってみれば、はきだめじゃないかもしれませんけれども、要るものもあるし、中にはほかにいってもいいようなものがまじっている。それを一人の課長が、わずかの技官をもってやっさもっさやっている。これはどうにもこうにもしようがない。予算のとりょうもない。それじゃ幾ら努力されても、とても大へんだろうなと、私はいつも同情申し上げております。激励はしますけれども、同情します。仕方がないですね。こういう機構がすでに悪いということにならざるを得ない。あれは少なくとも幾つかの課にならなければならない。少なくとも史跡と名勝の一部、こういうものだけで一つまとまれば、予算ももっととりいいのではないか。天然記念物とか、それから名勝のうちの景勝地帯などに当たる人工を加えないようなものは、また別の課でもってやるべきものじゃないか。本来そうであったものを一つにまとめて、がちゃがちゃやってよけいな目にあわせるのはお気の毒だと思います。私はいつも言うのですが、わずかの予算でやっている。それでも努力されて、昔に比べれば少しずつよくなっているのではないかとわれわれとしても思いますけれども、もっと大いにやっていただく。もしそうすれば、ことしも相当金がとれて、ことしもこの車庫をやるのだ、それではもっとこっちの方に別に予算をつぎ込もうといって、車庫の地区は十分できるのじゃないか。この点も何とか一つ早急に組織がえをいたしまして、あるいは予算を臨時にとりまして調査をしていただきたいと思う。  大体この地域が法律の関係から許可しなくちゃならなくなったのだというお話であるし、私たちは大いに関心を持っておったのですけれども、いつの間にかこれが許可になってしまった。私は実はあぜんとしたわけであります。これは審議会にかけるべきところでないのだから、そのままにしたのだということはよくわかりますけれども、それにしてもあまりあっさりといっちゃったので、私ものんきでありましたが、非常に驚いた次第であります。事こうなりましたら、もう少し向こうの近鉄の方と話し合って、決して遺跡を破壊しないような手段を講じるというか、まあつまりこれは車庫を作るということをやめにしてもらうとか、あるいはどうしてもやるというなら、これだけの調査をするということを前提としてこのことの解決に向かわなければならないと思っておる次第であります。
  46. 山中吾郎

    山中(吾)委員 非常に参考になる御意見を承ったのですが、立法的にいってこれはわれわれが検討すべものだと考えてはおりましたが、今藤島先生お話で、基本的にもわれわれ研究いたしたいと思うのです。当局お聞きになっておられたようですが、許可という言葉を法律上使わない、あるいは適当であるかどうかは別にして、あそこに車庫を建てることを事実上認められるという限りについては、相当の覚悟をなさっておられるはずだというお話が今藤島先生からあったのですが、覚悟しておられるでしょうね、必ず調査をしなければ少なくとも着工ささない。今聞くと、一たん着工すればだめだという御意見が学問的に出されておる。そして現在の人員において調査が五年もかかるとすれば人員を倍加する、あるいはどこかの考古学専門の学生を使うとか、これは立てようと思ったら対策は行政的にできると思う。そういうふうなことを考えて当局も――私は今参考人の方にお聞きするので、当局にお聞きすると時間がかかるのでやめますけれども、清水局長委員長は聞きながら一つ覚悟を……。  そこで知事さんにお聞きするのですが、許可になったので現状変更、つまり農地の変更については農地委員会がこれは認めざるを得ない。ただし、聞くところによると、奥田知事さんの方で何とか目鼻がつくまでは着工ささないように考慮をされておると仄聞をしておるのですが、その点の行政的な措置からの見通しはいかがでしょうか、ちょっとお聞きしておきたいと思います。
  47. 奥田良三

    奥田参考人 ただいまの農地の転用問題でございますが、ただいま会社の方から県の方に農地転用の許可申請がきております。私は農地転用のことでこの問題を押えるのは邪道である、こう考えております。農地は農地法の建前上いいか悪いかだけできめるべきであるので、法律の許可、不許可でこちらの方の問題を処理するのはよくない、私はそう思います。そこで実はこの間近鉄の副社長の泉氏に来てもらっていろいろ話をいたしましたが、近鉄としても、先ほど来申し上げたような文化財保存維持ということについては特別な関心を持っており、また従来非常に好意的であり協力的であったわけであります。そこで近鉄としては先ほども申し上げましたように早急に調査をしてもらって、その上でやらしてもらいたいという考えを実は持っておるようであります。ただ、先ほど諸先生方からいろいろお話がございましたが、またただいまもお話があったようでございますが、これは文化財保護委員会としては法律上未指定地である、法律上は何ら制約を受けない場所である、だから許可とか何か全然無関係の場所であると私は思うのであります。従って文化財委員会としても、許可せられたことはないはずである。ただ近鉄からいろいろお話があって、まあ仕方なしに了解せられたものであろうと想像いたしております。しかも実は近鉄は、あまり事情がむずかしければそう無理にやらぬでもいいというふうな意向も一時持ったようでありますが、ほんとうは近鉄としてはここに――私、図面を持っておりますが、検車場を作りますのでレールを引くのだそうでありますが、これはぜひ奈良線に、奈良の近くに作りたいという技術上の必要から考えておったようでございまして、そういう意味からいえば、ここが一番いい、率直に言えばここでなくちゃならぬというような考え方のようでありますが、それよりもむしろ先ほどお話がありました北の方の、この地図ごらん願っております現在調査にかかっておりますところの農家の諸君が、せっかく近鉄がわれわれの土地を、たとえば坪六千円であるとかあるいは五千円であるとかいうて買ってくれるのに、検車場を認めてもらわなければこれは買ってもらえない、これは非常に農民諸君の利害に反することである、そういうようなことになるならば、北の方の調査にも協力できないというような意向が、私は直接聞いておりませんが、強くなってきて、私が見ましたところでは、文化財保護委員会、ことに清水事務局長としてはいろいろな事情を勘案して、この際やはりそのまま進まざるを得なくなったのではあるまいか、私はそう考えておるわけです。また私どもが地元におりまして見ておりますと、ただいまいろいろ問題になっておりますが、もうここに、別なところに工場が一つできておるのです。未指定地区ですがね。何ら許可が要らないのだから、建てればそれでおしまいであるということなんです。あるいはそういう場合に小さい工場が、勝手にどんどん買収してあちこちできてしまいまして、調査もしないで、かえって現状の破壊をされていく。むしろそれよりも近鉄などだったら、ある程度調査もして工事をするだろうから、率直に申し上げてこの方がましであるというようなところから、いろいろお考えになったんじゃないかと、私は内部の事情はよくわかりませんが、お察しいたしております。実際そういうふうな状態でないかと、私は今この話を聞きながら考えておるのでございます。従って先ほど申されたように、ごく短時間に調査ができるものなら、ぜひ本格的な調査をしてもらいたい。ところが先ほどお話しのように、もし五年もかかるというようなことでありましたら、近鉄もやはり一営利会社である。奈良の停車場を拡張するためにはここに検車場をどうしても作らなければならないという必要に迫られておるから、あそこの交通関係上、じんぜん日が延ばされることは許されないのではないか、またそれがために私ども奈良のものが近鉄を利用する建前上、非常に迷惑をするようになりましたならば、奈良市民としてもこれはしんぼうしないんじゃないか、そういう点も実は考えなくちゃならぬと思うのです。そういう意味から、ぜひ一つ調査をしていただきたい。そこで私は先ほどお話のように、予算の面からは県も協力する、近鉄も協力されるように考えておりますし、一応御了解を得ておる。先ほどお話しのように、どこかで補助されるそうですが、政府もぜひ補助してもらいたい。ただ、金の面はできても、人的の面で問題があると思います。その点はぜひ無理してもやってもらいたい。皆さんの努力にかかわらず、金は用意ができたが人的な用急ができなくて三年、五年かからなければ調査ができないというのだったら、次善の策として近鉄が着工しながら、文化財保護委員会あるいは奈良の研究所あるいは県の係の者が絶えず横におって監督し、相談をし、しながら、やはりめちゃくちゃに掘るということでなくて、もう小し別な工事の仕方で、完全ではないが相当な調査ができるような方法で着工さすことにしたらどうかと私は率直に言って思います。これは次善の策でありまして、あるいは学者皆さん方と意見が違うかもしれません。そこで私といたしましては、農地法上押えることは無理である。しかし、そういう周囲の事情であり、また近鉄自身は文化財保護については特別な関心を持っておりますので、きょういろいろそういうお話を承った上で、もう一度帰って近鉄当局とも相談をしてみようかとただいま実は考えておるわけでございます。
  48. 山中吾郎

    山中(吾)委員 何か名案が出そうな感じをしておるのですが、再度藤島先生にお聞きします。  中尊寺の埋没文化発掘、ああいうところの体験から、今の陣容では五カ年ぐらいかかるというのですが、農閑期とか、学生の場合は夏休みでしょうが、利用するというふうなことを考える。そして文化財から緊急――予備費からこういうものは取れるんじゃないかと思うのですが、そういう可能なる方法を考えて、今五ヵ年とおっしゃったのはどの辺まで縮めることができますか。もし今までの経験でお答えできれば、粗雑な見通しだけでけっこうですが、参考になればお答え願いたいと思います。
  49. 藤島亥治郎

    藤島参考人 私も考古学者のまねをしまして各所を掘っております。ただいま平泉の毛越寺や中尊寺のことを参考にしてとおっしゃいますが、そのほかのところも掘って多小の経験はあるのでありますが、この平泉の毛越寺や中尊寺のような地域とそれからただいま問題になっているこの地域と比べてみると、内容がだいぶ違うのです。あの中尊寺や毛越寺の方ではお堂の跡が割合はっきりしておりまして、そうして下の方にはずっとほかの地盤面は石が敷いてあるとかというようなことで、掘っていけば割合出やすい。たとえばしろうとさんがちょっといじくってみてもある程度出し得るというようなところなんですから割合楽なんですが、この平城宮趾に至りましては、それは朝堂院の跡のような基壇あり、礎石あり、敷がわらを敷いた堂々とした建築の跡は別として、そうでない周辺の地域は、もはやすでに何カ年かの調査の経験でわかっております通り、ああいうふうに複雑に出てくるのは、土を非常に神経質に掘っていきまして、そして初めて何かの変化がある。その変化について、経験を積んだ学識経験があるりっぱな人が、あそこの技官のような方でなければ工合が悪いと思うのですが、そういう方が判断を下していく。そうしてそれが済めばまたさらに下の方に及んでいくというようなことで行くのであって、つまりそういうふうな人夫を大ぜい使って掘らせて、そうしてそれを判断していくという人は、相当な学識経験者でなければならないわけです。奈良文化財研究所にはそういう特にすぐれた人に、小数ではありますがいていただいて、そうしてその仕事に関係していただいておりますからこれだけの結果が上がったのです。それを夏休みに学生を動員してばあっとやらせるということは、かえって遺跡を破壊することじゃないか。やはり学生さんを使うのも――実は私もかなり学生さんを使いますが、その学生さんは相当経験を積んだ考古学の方の学生さんであり、また、その学生さんをわれわれが監督してやっていくので、割に小面積のところでやっておりますから目が届く。しかし、こういう広いところでもって学生を幾ら動員しても、かえってこわすもとになりますから、しかるべき学識経験者がそのまた上の監督さんになってやって下さらない限りは、あまりわれわれとしてはそういうことは望ましくない。つまりそういう諸方面の学者たちの動員――学者も、われわれのような者ばかりじゃだめです。もういいかげん年をとると、土方がなかなかできない。どうかすると自分が掘っていかなければならないし、やっぱり若い血に燃えた、力がある、そういった人が、学問的に熱情も欲望も持ってやっていかなければならない。そういった人たちが、中堅になってやっていかなければならない。そういう人たちが相当数あそこに集まってやって下さるなら、また話は別であります。それにまた大ぜいの学生さんがつくというなら別であります。それでいきますと、金の問題はともかくとして、人数は相当いきますから、私はこれが正しいか正しくないか知りませんけれども、十の地域を今の五の人間の数でもってやっていくのを、もっとふやして、十の人間の数でやっていくならば、二十の地域くらいは掘っていけるだろうという考え方はあります。おそらく動員の結果によっては、五年のところが三年になり二年になるということはあり得ると思います。しかしそれを総括して全部をまた――こっちの現場あっちの現場と幾つか現場を作ってやるわけですが、それを総括した、一つの大きな結果をまとめ上げる次の仕事が残っております。これは発掘以後でもいいのであります。かなりこの調査完了というまでには時間がかかると思います。そういうふうでありまして、どっちみち事こうなった以上は発掘調査をすべきだと思います。願わくは、この場所は奈良県知事もおっしゃいます通り、非常に文化に理解の高い近鉄さんのなさることなのですから、もう少し近鉄さんにも考えていただいて、こういう大事なところをみだりにこわさないような施設の場所としていただきたいということをまずお頼みするのが、一番いいことじゃないかと思うのであります。ただいまちょっと横目で近鉄の計画図をひょいと見ましたが、線路がたくさん走っておるばかりのようであります。そうえらい大きな建築を作るような様子でもなさそうであります。これは間違いかもしれませんが、どんなふうになさるか、あるいはもうちょっとこの地域は将来のことにとどめておいて、近鉄さんはよその地域を別に考えられるかというようなことにして、大ぜいを集めて縮めたらどのくらいの年数になるかといったようなことは、それには金はかかりますし、金がかかるというと文化財は今きゅうきゅうしているようですし、すぐ出れば非常にけっこうだが、いろいろな問題がある。それよりか全体の指定買収ということが問題ですから、そっちの方にも大きな重点もありますことですから、できるなら今のような近鉄さんとの話し合いをもっと十分つけられた方がいいのじゃないかと思います。
  50. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あらゆる努力をすると二カ年くらいでも何とかなるというようなお話ですが、近鉄でも副社長の人が非常に文化財に理解がある人らしいと知事さんから聞いておるし、文化財保護委員会の方で具体的に調査計画を示せば、その間話し合いによって理解のある結論が出るのじゃないかと思うのです。そこで先ほど藤島先生からお話があったのですが、お三人の学者の方どなたからでもけっこうでありますけれども調査員を養成するというふうな計画が諸外国にもある。あと一年もかかるなら、最初の六カ月、何か特別調査をする人の、調査員の講習会とか、そういうふうな計画も含んでこういう調査計画を進めて、その人が同時に動員されるというような形になっていくならば、具体的に進めるような計画になると思うのですが、埋没文化財発掘に関する知識とか技術とか、そういうものを養成する計画は何ヵ月あれば大体できるのですか。三ヵ月か六カ月か、一年かかるのか、どんなものですか。お三人のどなたでもけっこうです。私わからぬのでお聞きいたしたいと思います。
  51. 原田淑人

    原田参考人 ただいまの御質問、前々から学界の方でもそういうことは考えられて、非常に問題になっておることなのでありまして、諸外国の例などを見ましても、先ほど話に出ましたが、中共の方の例を見ましても、リーダー格の者は北京大学で一年間、あるいはもう少し長うございましたか、二年、三年、正規の手続等を踏ませるんでしょうが、リーダー格の者は北京大学で養成して、さらに実際いわゆるフィールド・ワークをやる方の者は、夏季講習なんというようなところでやっている様子でございまして、私数年前に中国に参りまして、長安発掘あたりを見学いたしましたのですが、相当に皆やっているようでございます。人数もかなりな多数になりますから、相当フィールド・ワークをやる者がたくさんになっておると思うのですけれども、中国のようなところは、今平城宮の北側をやっているような、あんなような調査ではとうていらちがあかない、非常に広大なところであり、遺跡がもう五千年なんというような時代遺跡でありますから、至るところ遺跡でありますが、それでもそういうふうな方法でどんどんやっております。もちろん各時代を通じてはかがいっておりませんけれども、しかし、従来に比べますと、えらい大活躍をやっておるのであります。日本も今各大学に、考古の学科があるところもありますし、あるいはまた、少なくとも講義はありますし、中には大学院をすでに持っておるところがございまして、年々たしか一、二名は、多いところはもっと出るかもしれませんが、養成されておるのであります。ですから、そういう者を臨時にしてやってもらうようにすることはけっこうであります。また、そういうことを希望しておるのですけれども、先ほど藤島さんのお話にもありました通り奈良のようなああいう遺跡調査しますには、ただ夏季講習くらいな程度で――もっともそういう方面の研究を大学でやっているならよろしゅうございますけれども、しかし、あるいは貝塚関係の縄文時代のことを専門にやるとか、あるいは古墳をやるとか、大がい一つのまとまったようなところをやりまして、実はまだ平城宮のようなあんな大きなところをテーマにして研究しようというような学生は、きわめてりょうりょうたるものでありまするので、どこもすぐに大学の卒業生あるいは大学院の学生なんという者にまかしてやるということは、現場としてはちょっと困るんではないかと私は思うのです。実際特殊な技術を持っているといってよろしいのであります。今奈良の研究所にそういう方面の人が三、四人おるのでありまして、そういう者が実際その現場に行きまして、時々刻々遺跡をにらんでは調査を進めて参る。従って、非常におそくなるわけなんでありますが、そういうような状態でありますので、そう一ぺんに人をふやせば仕事ができるということがはたして言い得るかどうかは疑問なんでありますけれども、しかし、相当そういう方面に関心を持つ学者がおるのでありますから、考古学あるいは建築学方面の人が、そういう方面に向かって下されば私けっこうだと思うのです。学生は別でございますけれども、そういう指導者となりますと、それぞれ大学なり何なりに勤めておる人でありますから、ずいぶん長い間にどうかして交代してやっていければいいんでありますけれども、今の状態ではどうもはなはだ不安な点があります。しかし、そういう者をどんどん養成し、またそういう者を総動員してやるということは、これは望ましいことでありまして、そうできれば非常にけっこうと思います。また一方、経費や何かの問題のほかに、各大学あるいはそれぞれの調査機関なり研究機関なんというものが、十分に協力してやるということが望ましいわけでありまして、絶対にできないというわけではございませんが、そういうふうにやるには、やはりやるようにして持っていかなければならぬと思うのでございます。
  52. 山中吾郎

    山中(吾)委員 調査員の養成というものは簡単にいかぬというお話ですが、考古学者調査費なり研究手当を出して、全国の全学者を動員しなければならぬといようなお答えを聞いたのでありますが、それはわれわれも研究さしていただきたいと思う。  もう一つ、現在指定をしていないあの地域を早急に指定することが必要であるということも、先ほどお伺いしたのですが、調査をしないでも指定することができれば、諮問委員会の御意見によって文化財保護委員会でも決議をするのだと思うのですが、この辺はいかがでしょう。お三人の方、同じく委員をされておるのだと思うのですが、大体の見当をつけて、調査をしなくてもあの地域を指定することはできるのでしょうか。
  53. 坂本太郎

    坂本参考人 従来でも、史跡の指定は必ずしも調査した結果によって指定しておるわけではありませんから、この辺が重大な史跡であると認定すれば、大体この辺が重大な史跡と考えまして指定しておりますから、それはやろうと思えばできると思います。
  54. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その指定をするかいなかの大体の判定を下すのは専門委員方々で、それが文化財保護委員会にかかって決定になる、こういうことでしょうね。そうすると、学者皆さんがその委員をされて、皆さんが御判定になるわけですか。
  55. 坂本太郎

    坂本参考人 それは従来の慣例では事務局が発議をするわけです。事務当局がこういう指定をしたらばということをまず考えられまして、それを専門審議会に諮問されるのであります。専門審議会ではその諮問に応じて答申をするという建前でありまして、法令上はいいかもしれませんが、われわれの方で、専門審議委員の方から発議したという慣例はありません。みんな事務当局の方から先にやっております。
  56. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま一度お聞きいたします。意見具申権もあるのでしょうから、指定を要請されることもできるのじゃないかと思いますが、かりに事務局の方から皆さんの審議会に諮問をされる、そのときに今未指定の地域は、皆さんのいわゆる専門的な立場からいって、指定するに価値のある地域であるとお考えになっておられるか、お聞きしておきたいと思います。
  57. 坂本太郎

    坂本参考人 これは委員会できめることでありますので、私の個人の考えでありますが、もちろん指定する価値のあるところであると存じます。ただ先ほど申しました通り、指定したからにはすぐに何か現状を変更してもらいたいという希望がいろいろ出て参りまして、事後の問題の処理に手を焼くわけでありますから、そこでそういうためには、公有というような形にでもしていただければ一番いいという希望を持っておるわけであります。
  58. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体のことはわかりました。  最後に知事さんにお伺いいたしたいのですが、先ほど学者方々から、藤島先生だったですか、都市計画文化財保護という立場を統一して、あの平城京の地域に、昔の道路に沿うて道路計画を立てるとか、そういうような都市計画、それから観光、文化財保護というものを一つにしていくということが、ある地域においてはどうしても必要だというふうな意見も聞いたのですけれども、これは奈良市のことになると思うので、あるいは市長の決定になると思いますが、全体の行政的立場において都市計画平城京保存というものを合わして計画を立て、それをたしか県において認定されて建設大臣が内閣に申請される手続じゃなかったかと思うのですが、その辺は、見通しはどうなんでしょう。十分可能性のある線ですか。
  59. 奥田良三

    奥田参考人 ただいまの奈良市の都市計画のおもな点は、昔の道路と合っておるのじゃないかと私は見ております。末端の方ははっきりいたしません。なお今後都市計画変更なりをいたします場合に、ただいままでいろいろ御意見がありました点を私ども県としても考えていくつもりでございますし、また、市の方にもその意向をよくお伝えしたいと思います。
  60. 山中吾郎

    山中(吾)委員 次に、あの地域を買い上げるについては、国が直接買うことを第一に要望されておるのですが、国が補助をする限り、県も積極的に犠牲を払ってもやる御意思があるというお話ですが、大体買い上げるのにはどれくらいの金額が必要であるか、その辺のお見通し、御計算をされておられれば、地元側の計算はどの程度かお聞きしたいと思います。
  61. 奥田良三

    奥田参考人 いろいろ私ども腹づもりはいたしておるのですが、こういう席上であまり申さない方がいいのじゃないかと思うのです。ただ、先ほどお話の近鉄があすこを買いますときの相談は、坪六千円であるとか五千円であるとかいうふうなことは聞いております。御参考までに申し上げておきます。
  62. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体私としてお聞きしたいことはそのくらいなわけですが、いずれにしても当面の問題の解決と、そういう史跡とか埋蔵文化財保護のためには、個々のものを保護する現在の保護法ではできない、地域全体を保護するというふうな立法措置も含んで私は検討すべきであると思うので、この点当面の問題について、立法を含んだ恒久対策というものについて、学者方々も、それから地元の行政的立場にある方々にも、いろいろ今後とも参考意見を教えていただきたいと思うのです。文化財保護委員会の立場からいっても、少なくとも緊急調査費というものをこの機会に出すべきであると私は思うのですが、そういう予備費はあるのですか、あるいは、それはまた大蔵省から要求してとらなければならぬのか、それを一つ簡単に言って下さい。  それから先ほどお聞きしてお答えを得られなかったのですが、平城宮跡調査委員会の性格は、文化財保護委員会に対して何の権限もないものなのか、もし権限がないとすれば、文化財保護委員会に対して権限のあるものにしておかないと、世界的な意義のある重要な遺跡だといっておって、その平城官についての意見を述べる委員会文化財保証委員会と直結していないような機構というものは、非常にいけないと私は思うのです。これは責任回避で、なるたけそういう意見書が出ないように――この緊急要望書も出ておりますけれども文化財保護委員会に対して直接の権限も何もないものかどうか。それから緊急予備費その他の関係についてどういうふうになっておるか、それをお聞きして私の質問を終わります。
  63. 藤島亥治郎

    藤島参考人 先ほどの御質問、一つ忘れておりましてはなはだ失礼いたしました。この文化財平城宮跡調査委員会というのは、年次計画である調査をするにあたりまして、その調査の事業の一環として作られまして、われわれは文化財保護委員会から委嘱されたものであります。それでわれわれ委員のいろいろな方針のもとに、国立奈良文化財研究所の方々が実際の調査に従っておるものでございます。これは十分の権限がある。県にいたしましても十分それに対して価値を認めて下さるということになるだろうと思っております。十分の権限がございます。
  64. 山中吾郎

    山中(吾)委員 平城宮跡調査委員会奈良文化財研究所の所長に対する諮問機関のようになっておると、ちょっと聞いたわけです。従って文化財保護委員会に対しては何の権限もないのだ、皆さんのような日本的権威のある人が平城宮調査委員になって、平城宮そのものが日本文化財として最も直大な問題で国会でも問題になっておるのに、文化財保護委員会に対して法的に何も権限がないと聞いたのです。そして、権限のないものからこういうものを受け取っても文化財保護委員会は平然としておれるという仕組みならば、これは直さなければならぬように私は思っておるのですが、それはどうでしょう。
  65. 藤島亥治郎

    藤島参考人 私、ちょっと間違っておりました。確かに平城宮跡調査委員会規則の第一に、国立奈良文化財研究所に特別史跡平城宮跡調査委員会を置くということになっております。それで、確かに今のお話のように、その研究所長がいろいろな調査を委嘱しておりますが、なおその研究所は文化財保護委員会の付属機関でありますからして、やはりそこに脈が引かれておるというような考え方をしておるわけであります。直接ではないわけです。
  66. 河原春作

    ○河原説明員 ただいま山中委員のお尋ね、その通りなんです。それであの要望書を私ちょうだいいたしましたときに、委員方々は、理屈はそうなんだけれども、われわれの希望はこういうのだから、一つその意味で受け取ってくれろということをお申し出になりました。まあ形式論、法律論としては別ですけれども、とにかくこの三人を初め多数の方々にはもう平素こういう方面について御指導、御厄介を願っておるのですから、そういう形式論は別として、ただ皆さん方の御意見はこういうことだということを拝聴することにして、受領いたしましたのですから十分尊重いたしたいと思います。
  67. 山中吾郎

    山中(吾)委員 緊急調査費を出せるかどうかを一つ答えて下さい。
  68. 清水康平

    ○清水政府委員 三十六年度におきましては緊急調査費は、もちろんこれは災害を防止するという意味もありまして、防災の項目で九百三十六万円計上しておりますが、三十七年度におきましては千三十二万七千円計上いたしております。それは先ほど申しました通り、主として未指定地として古墳、貝塚というようなものが公共事業でやられるということが、もう一年前に、予算を組む前にわかっておる場合に、それを一々あげまして大蔵省と折衝して緊急調査費として認められておる次第であります。
  69. 櫻内義雄

  70. 谷口善太郎

    ○谷口委員 午前から大へん長時間にわたって、諸先生方からいろいろ貴重なお話を聞かしていただきまして感謝にたえません。私も心からお礼を申し上げます。話がだいぶ煮えてきまして、何かいい方法で当面の厄介な問題の解決点が見つかるのではないかというような状態になってきております。私もそういう点で、さっきから山中さんの御質問の中でかなり解決の道が発見できるようになったことを非常に喜んでおる次第でありますが、しかしそう簡単には言えないような空気があるように思うのです。そういう点で、時間もおそいですから大ざっぱに一、二点先生方に伺っておきたいと思います。  まず、これは念を押すことになりますが、ただいま山中さんの御質問に対する坂本先生のお答えで、今の近鉄が敷地にしようとしている地帯一帯が当然指定する価値があるというふうに自分としては考えているというお話でございます。また、指定する場合には文化財保護委員会の事務当局が発議するが、それは専門羅議会に諮問があってそれに対して答える、その場合にわれわれとしては当然指定すべきだというような答えが出るだろうというような御意見もあったようであります。これは私どもとしましては、先生方からそういう御意見を伺ったことは非常に意を強くするわけでございまして、この間からこの文教委員会でこの問題を取り上げてなされた国会の論議の中で、必ずしもそういうふうに考えられない議論も若干あったのであります。と申しますのは、あの地帯の評価につきまして、必ずしも今先生方がおっしゃったような、そういう非常に高い評価をしないような発言もありましたことは事実であります。そういう点で実は私も非常に詳しく質問を用意してきたのでありますけれども、それは省きますが、まず今度の問題を論議する出発点になりますのは、あそこが平城宮跡部分としましてそれほど重要であるかどうかという価値判断の問題です。私どもしろうととしては、非常に重要なところで、全体の部分としてこれは切り離すことのできない重要なところだというふうに考えているわけでありますけれども、そうでないような御意見もあったので、その点をまず先生方から、学問的な見地から伺っておきたいというのが、他の委員諸君もそうではなかったかと思いますが、私としてはそういう点にきょう皆さんからお聞きしたいと思う力点があったわけです。しかしこのことは大へんはっきりと、あそこは非常に重要な地帯であって、たとえば指定するということになれば指定する価値のあるところだというふうに、坂本先生おっしゃったわけであります。多分他のお二方も学者としては同様なお考えじゃないかと思うのですが、そこの点を一つお漏らし願えませんか。
  71. 原田淑人

    原田参考人 私も、当然坂本参考人の御意見と同じでございます。実は平安京の例を見ましてもわかりますように、あるいは唐のなにを見てもわかりますように、おそらく全宮城にわたって建築物がある可能性が十分あると思うのでありまして、実は平城宮を三分の二だけ指定してありまして、あとの三分の一が指定してないというのは、まことに遺跡保存の上から考えまして遺憾に思うものでありますので、指定としてはあとの三分の一まで指定しておかなければいかぬというふうに、学問の上からは考えられるのでございます。今度の近鉄の買収した土地もやはりその区域の一端でありますので、当然指定すべきものであると私は考えておるわけでございます。ただ、そこの史跡がすでに堀られて何もないという場合には、これはもういたし方ありませんけれども、しかし何かある可能性は十分あるのでございますので、私今申しましたような、あとの三分の一を指定するというそういう建前の上の一環として、指定の必要はあると私は思うのでございます。
  72. 藤島亥治郎

    藤島参考人 平城宮というのは方八町、中に朝堂院あり、内裏あり、諸官庁あり、お庭あり、それが実に珍しくきれいに残っている可能性が多分にある。これはほかにない。そしてあれだけのものがあって初めてその当時の宮廷の全機構がわかる、それからさらに諸官庁の機構がわかるというので、その一つを欠いても工合が悪いと思うのです。たとえここを掘ってまさか出ませんけれども、豚小屋のようなものばかり出たところで、やはり価値は十分あります。まして、ここにはお庭があったような様子が見えるということを考えれば、宮廷生活においてたびたび行なわれました施宴置酒の行事なども十分わからせることができますので、渤海上京址の庭の遺跡、新羅の雁鴨池、臨海殿の跡、そういうものとの関連性、また平安京の神泉苑との関係というようなことを考える上においても、非常に重要であるということになって参る次第であります。そういう可能性が非常にここにありますものですから、これはやはり重要な地域として見るべきだと思うのです。今までそこのところが、この西の三分の一があまりにわからなかったがゆえに、おそらくかって古くここが遺跡指定を受けた際にはずされておったと思うのですが、これは大へんな間違いだった。はずされておるからこちらの西半分の地域は価値がないんだということは絶対にありません。十分な価値を持っているとわれわれは認むべきであります。そして金殿楼閣は出なくても、ちっとも差しつかえない。どんな小屋が出ようが、どんな池が出ようが、十分な価値がある。もし池があれば、これは将来遺跡公園とした場合に、これを復原いたしましてりっぱな庭園施設にし、奈良朝の宮をしのぶということになれば、私は決してこれを軽視すべきものじゃないと確信しております。
  73. 谷口善太郎

    ○谷口委員 ありがとうございます。大へん力強いお言葉を三先生方から伺いまして、私ども国会の中でこの問題と取り組む場合の心がまえとしましても、非常な確信といいますか、勇気といいますか、そういうものが出たわけであります。  ところで、たとえば指定をいたしましても、あるいは指定をしなくて調査を始めましても、現在の状況で調査を始めるとしますと、先ほど先生方がおっしゃったように、学問的に完全な調査をやろうとすれば、そこへ動員するいろいろな学者方やあるいは補助員の数をふやし、組織を新たにしましても、やはり二年やそこらはかかるだろう。同時に、調査の結果、そこから保存すべき、あるいは復原すべき遺跡が出てきたとしますと、これまたずっと平城京全体として後々残していく上に、その部分になるわけでありますから、この際指定すればいいと思いますが、同時に指定ということも含めて抜本的にこの問題に対処する必要があるのではないか。指定いたしましても、先ほどからお話が出ておりましたように、現状変更の問題その他が出てきますし、あるいは土地の所有者の所有権や財産権あるいは公共性の問題との矛盾がありまして、それらも解決しなければなりませんので、少なくとも平城宮跡に対しては抜本的な態度で向かうべきじゃないか。こういうふうにしろうとであるわれわれは考えているわけですが、そういう点の先生方のお考えはいかがでありましょうか。
  74. 坂本太郎

    坂本参考人 お説の通り、この平城京の問題につきましては、指定すればそれでいいという問題じゃございませんので、いろいろな問題がたくさんありますから、抜本的に対策を考えていくということは必要がある、私どもそう考えております。ただ、これにつきましては結局多額の予算が必要になることかと思います。それについては国会の皆様方の御協力をお願いしたい、こう存じております。
  75. 谷口善太郎

    ○谷口委員 確かに、抜本的な対策といいますと、指定にすると同時に、行く行くは国有地にする。すぐ国有地にできればなおいいわけでありますが、その場合には金が要りますし、それからそこに土地を所有している方々の利害と衝突するというような問題もありますし、そういう点を解決しなければならぬ幾つかの問題が出てくるわけであります。そこで、こういう点も私ども非常に重大なことになるのじゃないかと思うのですが、先ほど知事さんの方もおっしゃっておりましたが、ここに土地を持っている農民諸君から言えば、現在の近鉄の予定地に売るという農民も、もしこれが国有地にでもなって国が買い上げるようならば別ですが、指定地になって近鉄の工事が当分進められぬということになったりすると、場所は変更するし、売れるものが売れなくなるという問題で、問題が起きてくるというお話もございましたが、そういう問題が起きてくると思うのです。従って、文化財保護法の中にも、こういう場合、そこの土地の所有者の所有権、財産権、あるいは公益性という問題との関係を十分に考慮しなければならぬということが書いてありますし、これが建前だと思います。私どもも当然だと思うのでありますが、その場合に、考え方といたしまして、文化財保護する、大事な史跡を保全するということが目的であり、そのために、そこから起きてくる所有者との関係やその他の問題を考慮するということであって、逆に、そこに土地を所有している人たちがあって、その人たちの利害関係があるから、それを考慮するということから、文化財保護するという原則的な問題をむしろ軽々に取り扱うという考え方があるとすれば、これは正しくないのじゃないか。史跡としてあくまでもこれを保全するという見地が前提条件でありまして、そのために起こってくる諸矛盾を合理的に解決し、配慮するということでなければならぬと思います。ところが、そうでない考え方も往々にして生まれ得る可能性がありますし、今までも事実があるようでありますが、保護法の見地からいいましたら、文化財としてあくまでも保護し保全するということが前提条件であって、そのために起こってくる所有権その他の問題については配慮しなければならない、それが逆であってはならないというふうに私どもは考えておるのでありますが、学者としての先生方のお考えはいかがでしょうか。
  76. 坂本太郎

    坂本参考人 全くお説の通りでありまして、文化財保護の建前からいえば、文化財保護ということをまず第一に優先的に考えるべきことでありまして、それに伴って起こってくるいろいろな諸矛盾は、その大本を立てた上で解決するという方にいかなければならぬ。ところが、現実は、今までのところそう参らない場合もなきにしもあらずであったのでございます。それは私どももやはりあやまちを犯していることもあると思いますが、この平城宮などは、先ほども申しました通り重要なものでございますから、この場所くらいについてはあくまでも文化財保護に徹するということに私どもももちろん進んでいきたいと思っております。
  77. 谷口善太郎

    ○谷口委員 こういう問題になりますと、法の改正ということなども問題になるかもしれませんし、第一、予算、お金の問題が大事な問題になります。そういう点は、私ども国会におる者といたしましては、政府当局との間の問題としましていろいろ重大な問題が起こってくると思うのです。しかし、先生方にここでそういう問題を何か御意見を伺うということは、これは筋違いのように思いますから申しませんが、ただ、現実の文化財保護の仕事をやっていられる方々の中にそうではない考え方がある、これは私ども、この問題を処理する上にも、また一般文化財保護という事業を進める上にも、大へん重要な問題であるとして重視しなければならぬ問題ではないかと思います。先ほどちょっと触れましたが、この問題につきましては、すでに何回か文教委員会では委員諸君文化財保護委員会の当局の方々との間の論議がございました。その中に現われてきております保護委員会の考え方の中には、私どもとしては、こういうことを先生方に念を押して聞いておくことが非常に力になるが、そういうことを思わざるを得ないような、そういう状況があったことは事実なんです。たとえば今度の近鉄の問題でも、これは山中さんの御質問に対する事務局長のお答えでありますが、指定にする場合には、調査によりましてそこから新しく何かの遺構が発見できたとか、あるいは史跡が発見できたとか、そういう条件がなければできないのだというように答えているのであります。さっき坂本先生お話では、もちろんそういう場合も大いにあるのであるけれども、しかし、非常にはっきりしているところでは、そういう調査をあらためてやらなくても指定という問題はあり得る、またやってきた、こういうお話でございましたし、今度の近鉄の敷地になる場所などは、当然そういうことを事前に調査をして何かの具体的なものを発見しなければ指定できないというふうなところではないというふうなお答えがございました。しかし、清水局長のお答えでは、はっきりとそうおっしゃっているわけです。  それから、この地帯の重要性につきまして、清水局長は、言葉では、非常に重要な文化財であるというふうにおっしゃっておられることは、そうでありますし、またそういうふうにお考えであると私も信じておりますが、具体的にこの地帯のことになりますと、近鉄が申し込んできたときに、それを、やむを得なかろうということでお認めになったのだろう、了解されたのだろうと思うのでありますが、そのときにあたってなぜ何とかできなかったのかという話になったときに、この土地に池があうたといわれておる、あるいは西の方に三つの門のあることは明らかになっておるが、その門にもかからぬ地帯だというような点もあげ、あたかも、あまり重要でないような、少なくともそれを読む者には、あるいは聞いている者には、そういうふうにおっしゃっているのではないかというふうに思われるような言葉を使っておられます。山中さんも御質問の中で、どうもあまり軽視しているのではないかというような――山中さんでなかったら、小林さんであったと思いますが、そういうことも述べておられるくらいに、非常に不安を感ずるようなお答えが清水さんからあったわけであります。また、もちろん、これは現在の法律から申しますと指定地ではございませんから、ああいう業者が申し出た場合には、学者調査を申し出た場合と違いまして、必要な指示を与えるということだけであるが、学者の場合は、そのほかに、禁止、停止、中止を命ずるという規定があるのでありますが、それがないからどうにもできないのだということをおっしゃっていました。その点は、私は法律上そうではないかと思うのでありますが、しかし、ここが非常に重要なところであったとしますと、やはり委員会として発言して、専門審議会にかけて、そして先生方の御意見を聞いた上で何とか対処する方法があったはずだ、そういうことをとり得なかったというところにも、大へんわれわれとしては不安な感じがあるわけであります。かたがた、この問題は、冒頭に申しましたように、話がここまでくると、解決難ということになりそうでありますけれども、そういう考え方やそういう風潮と申しましょうか、そういうものが現実に政府の中にあるのではないか。そう簡単にこの問題が、われわれが望み、先生方がお望みになるような、そういう方向に向くことはなかなか困難じゃないか。よほどここで学者先生方も国会も、これは国民全体もこの問題を重要問題として取り上げて、そして政府当局に大いに力を入れていただくという、そういう国民的世論の中にこの問題を解決せぬと、困難ではないかというようにわれわれは考えるわけであります。ここらのところを一つ考えておりますので、先生方にきょうここへ来ていろいろ大へんけっこうな御意見を伺わしていただいたのでありますが、今後の学者あるいは学界――この平城宮趾を守るというための仕事ですね、今後の仕事で何か学界でお考えになっておられることがあるかどうか、あるいはそういうことを考えているような学会があるかどうか、そういう点はいかがでありましょうか。
  78. 原田淑人

    原田参考人 ただいまの御意見、われわれも、今後この平城宮について私どもの力の及ぶ限り、その重要性は十分申すつもりでございます。今までわれわれも、あまりにただ学術的に見るものでありますので、学問をやる者の一つの弊といたしまして、しり込みをするくせがありますので、今後この問題につきましては、できる限り一つ必要性を強調いたしたいと思っておる次第であります。  学界といたしましては、こういう方面の学会、建築学会にしろ、考古学会にしろ、考古学協会にしろ、史学会などにしろ、それぞれございますが、いずれもただ論文とかなんとか、そういうような研究会のことだけに専念しておりまして、こういう大きな国家的見地から事を見るというようなことはあまりございません。これをいい機会に、ますます、平城宮の大事であること、文化国家としてぜひ守らなければならぬということを一つお互いに協力してやっていきたいと思いますが、何しろ事がやはり法律あるいは経済というような題とからみますので、その方面は、学者が幾ら声を大きくしましても、まことに微力でございますので、その点はどうぞ皆様方の御支援を衷心から仰ぐ次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
  79. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私どもが――私どもという言葉が悪ければ、私が、こういうふうに諸先生方やわれわれ政党人、それから国会、あるいは国民全体がこういう問題を取り上げていきませんと、現状の法律や機構ではなかなか抜け道がありまして、うまい話になりそうに見えて実際はすぽっと抜けていってしまう。どうしてもうしろに悪影響を残す、かえってそういう道が開けるような、そういう危険性を常に感じておりますのは、今までの文化財保護保護行政の上で、いろいろ重大な失策と申しましょうか、われわれとしましては大へんな間違いが幾つか事実としてあったという事実がございます。そういう点を知っておりますから、この点を非常に重大に申し上げるのであります。先ほどイタスケ古墳の話が出ましたが、清水局長お話通りに、あれは全く破壊寸前に指定されまして助かった。そう言ってしまうと大へん話が簡単でありますけれども、破壊寸前というふうに至るまでの状況は、これは文化財護保委員会としましても、私はだいぶん手落ちがあったと思う。むしろ、民間の団体やあるいは学者方々の、あれを守ろうという大きな運動があった、その結果として、ようやく、いわゆる寸前にあれが守れたという事実がございます。こういう点なども、現行法の不備だと言ってしまえばそれは言えるかもしれませんけれども、考え方としまして、現行法が不備であるならば、直してでも、あるいは予算が足りなければ、政府に対して国会もすべてが一致してこれをお願いする、そういう中で解決するという態度でなくて、現行法が不備であって、予算がないということで見のがしておりますと、とんでもないことになるという一つの例だと思うのであります。そういう点があるので、例をあげれば幾つもありまして、これは有形文化財のことでございますが、一九五八年に、アメリカ人のハリー・パッカードが日本の骨董商の何がしと組んで、北魏の金銅仏座像あるいは保元平治物語屏風あるいは等伯の烏鷺屏風という重要美術が、法をくぐってアメリカに流れた。これなども保護法では、外国へこういう重要文化財が流れることを禁止しておるはずでありますが、それがいつの間にか流れておって、どうにもできないというふうな事実がございます。私はここに幾つか例を持ってきたのですが、申し上げません。こういうことは先生方よく御承知だと思う。それが非常に不明朗な、現行法律で禁止しておるようなものであっても、それを抜けていくというようなこと、そういうことが現在の文化行政の中で、あるいは目の前で行なわれておるという事実がある。従って、現行の法律、現行の機構でもってでも相当のことができるにもかかわらず、できないでおるということの方が非常に重大な問題でございまして、そこらの問題は、やはり一つ一つこういう問題が起るごとに国民的な世論の中で解決するという態度をとりませんと、政府もなかなか金を出しません。これは先生方よく御承知だし、保護委員会の方も御承知だと思う。そういうことにはなかなか政府は金を出さぬ、これをとっていかなければなりませんから、そういう運動にならなければならぬと思うのであります。私どもも、今度の機会に、国会では各党一致して平城宮跡を守るという態度を持っておるようでありますし、大へん私もそういう点では心強いと思っておりますが、単に国会内だけでなくて、国会の外の諸先生方や国民全体もこの問題を取り上げて、この事件を突破口にして、文化財を守るという運動が全国民のものになるようにしていきたいと思う。この平城宮跡が守られるかどうかということは、これはどなたか先生がおっしゃいましたが、他のすべての埋蔵文化財、ひいてはまた、有形文化財その他の文化財につきましての保護がどれだけ進められるかということの一つのかなめになるように私ども思っておる。ことに、今の近鉄の場合必ずしもそうでないかもしれませんが、現在の政府の経済政策から申しまして、地域開発とか、あるいは産業の地方分散とか、いろいろな点がございますから、史跡名勝あるいは埋蔵文化財に関しましては、よほどわれわれが注意深く、また決意をかたくして立ち向かっていきませんと、いつの間にか大事な文化財がなくなっちゃって、悔いを千年に残すということになりかねない状況でございますので、そういうふうにしてやっていきたいと思いますから、今後とも一つ先生方の御奮闘、御協力をお願いしたいと思います。  それから知事さんにちょっと伺いますが、さっき知事さんは、非常に含みのあるお言葉で――地方の行政責任者としては私は当然だと思うのですが、地目変換をやるかどうかによって、今の近鉄の工事を延期させるとか、あるいは文化財を守るという、そういうことに利用してはいけないと考えておるというふうにおっしゃいました。事実上、そのお言葉によってわかるのでありますが、奈良県はいろいろな見地から文化財保護のために大へん尽くしておられることにつきまして、この際、私ども国民としては高く評価しなければならぬ、こういうふうに思います。  この際私申し上げておきますが、皆さん御承知の通り、私、共産党員でございます。こういう場合に私どもも農民の利益ということをかなり重視します。この地域に土地を持っている所有者としての農民の利害関係がある、そこで農民の所有権が出てくるという場合には、これは捨てておくことはできないという態度をとります。しかし、少なくともこういう問題の場合には、文化財を守るという原則的な重大な社会的な問題と、それからそのために何らかの被害なり利害関係を生ずる住民との間に問題が起きるのは当然でございます。一方が悪く、一方がいいという問題ではなくて、両方とも理由があることであります。従って、この場合は、農民も支持され、同時に文化財保護できるというような道を、矛盾の中で、全体の中で解決するという態度が私ども望ましいと思います。実は前の文教委員会で文部大臣がこの問題に触れまして、どうもよくないというような考えらしいことをおっしゃったように思うのでありますが、私は、こういう問題の利害相反する人々ができる場合に、それをそれ自体として確認した上で解決していかなければならぬというふうに考えているわけであります。知事さんのさっきのお言葉も、行政の担当者として、そこらにやはり問題があるようにおっしゃっておられましたが、よほど苦慮されるところであろうと思います。やはり奈良県の観光あるいは史跡保存という面からの重大性もありますが、農民の問題も大へん重大だと思いますので、そこらについて県としてどういう態度をとっておられるか、その点だけ一つ伺っておきたいと思います。
  80. 奥田良三

    奥田参考人 先ほど来いろいろ、急いで指定をしようとか、あるいは文化財を守ることが優先であるというようなお話がございまして、私もその点は同感でありますが、それとともに、地元の多数の者がこれがために非常な生活上の苦痛を今後一そうなめることがないような扱いにぜひ私としてはしたい、こういうふうに考えております。先ほど来、史跡に急いで指定しようというようなことでございます。これはけっこうであります。あやまちがあれば改めることはもとより必要でございますが、それなら、なぜもっと早くそういう大切なことを大切であるように措置をしなかったのか、その点におきましては政府学者も、あるいは地元の私たちも責任を負わなければならぬと思うのであります。今近鉄が未指定地を――極端に申し上げますと、何ら法律上問題にならぬところに仕事をすることになっている、その問題から、急いでそこを指定しなければならぬ、考えてみれば非常に大切なところであるというお話であります。私は実は地元におきまして今までいろいろ聞きましたところが、西の未指定地のところでは、先ほどもお話がありましたような門が西の方に三つあって、そのところは大切であるということはお聞きしておったのでありますが、それ以外のところは、そう大切であるということは私は実は聞いたことがないのであります。しかし、もとの平城宮のところでありますから、大切であるといえば、それは大切でありましょう。そういう意味で、今までおろそかにして指定をしなかったのが、問題が起こってきたから、今回これは指定をして極力文化財を守っていくのだ、おくればせながらそれもけっこうです。ただ、先ほど申し上げましたように、近鉄がここを買収いたしますのには、はっきりは聞いておりませんが、坪六千円であるとか、あるいは五千円であるというような話を聞いておりまして、農民の諸君もそれを期待いたしております。あるいは先ほど申し上げましたように、指定地の北部の先ほど来申し上げたような委員会調査についても、近鉄のそこの土地の買収も押えられるようでは、われわれ調査に協力できないという態度を農民はとったそうであります。それのよしあしは別にいたしまして、それほど農民としては絶えず問題を持っておる。大体申し上げますと、現在国有地になっておるところにつきましても、農民は、これを国有地にしたならばすぐに一部分は復原して何かいいものができるであろう、あるいは史跡として顕彰せられて、そうして地元の発展になるのではないか、そういう話を聞いて買い上げに応じたそうであります、よくわかりませんが。それが今は、先ほどお話のように、非常に草ぼうぼうと生えたまま何十年そこに置いてあるそうで、今さらに指定地の民有地の方も調査しておられるが、先ほど申し上げたような、遅々として進まぬ調査の仕方である。そうして今回また新しく指定をしようというのである。一体地元の農民はどうしてこれに対して応じていくべきであるか。文化財保護を優先的にやられることはもとよりけっこうであります。とともに、地元の農民の犠牲においてそういうことがせられないように、私たちとしてはぜひお願いいたしたい。また、そうでないと地元の者も承知しないと私も思う。ぜひ一つそういう意味で、私は、未指定地を指定されますならば、これを買い上げるという腹をきめて指定を願わないと、問題が起こるのではないかと思う。続々と許可申請が出てきて、おそらく委員会としても政府としても収拾がつかぬということに、事実問題としてはなるのではないかという気さえいたします。ただいま近鉄の問題が起こりましたが、今までのところは、幸い地元の諸君の良識によって、奈良県としては、全体を通じて見ると割合大きな問題を起こさずに済んで参ったのでありますが、今回農民の意思に反して指定をして、何らそれに対する国家的な補償の措置をされないといたしますならば、私は新しい問題が起こると思う。文化財保護法第四条でございましたかにも特に明記してある。そういう意味で、私は文化財を守るという考え方には同感であります。しかし、それと同時に並行して、地元の関係の者をこれがために泣かしめないというふうな措置を政府としてぜひとってもらいたい。それがなければ、地元として私どもはこれに協力することがなかなかできなくなるのではないか。今まで一応協力的な態度をとってきた地元の者としても、あるいはむしろ反感を持って、平地に波乱を起こすようなことになるのではないかと、私は先ほど来お話を聞いて感じております。ぜひ一つ地元の者をこれがために泣かさぬような方法をとって、指定なりその他の方法をとってもらいたい。今までの文化財保護委員会のやり方から見ると、あるいはそうなるおそれがある。指定地の北辺地域の調査にいたしましても、私は直接聞いておりませんが、これを調査してその上で、特別なところは別だが、その他のところは家を建てるなら許可してやるのだ、そういう相談をしろ、そういう中で、農民は何とかして一日も早く自分たちがそこに家を建て、納屋を建て、土地を利用することに政府が許可をしてくれるだろう、いずれのうちにかそうなるだろうという期待のもとに実は協力しておるようであります。私はそう見ておる。それが遅々として進んでおらぬ。いつ許可されるかというのに、今また話を聞きますと、いや何か窯が出た、あるいは遺構があった、これは大切であるからそのまま保存しなければならぬと言うておる。なるほどそれは大切でありましょう。しかし、私どもが初めから聞いておりましたのは、調査してそして特別なものがなければ、そこを利用することを、現状の変更を許可するという含みで調査を進められ、かつそれが含みで農民も協力したようであります。話が違うような進み方になるおそれがある。しかし、これは文化財保護のために必要かもしれない。必要なら必要で、それに応じた補償の措置を、農民が納得し得るような措置をとっていただくことを、私はこの機会に特にお願い申し上げたいと思うのであります。
  81. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私の質問はこれでやめますが、今知事さんがおっしゃったこと、私も同感であります。農民を泣かしめて文化財保護するということは間違いなら、逆に、土地所有者の利益を尊重するという建前で文化財あまり重要視しないというのも間違いであります。その矛盾の中で文化財保護していかなければならぬというのが現状でありますから、従って、これは金の上から言いましても、また機構の上から言いましても、そうなまやさしく解決できる問題ではない。それだけにわれわれは、重要な文化財を守るためには、相当な決意を持って、みんなで今の制度の中で文化財を尊重するという実際上の施策を推進できるようにやっていかなければならぬじゃないか、こういうふうに思うわけです。特に、この平城宮趾の非常に世界的に重要な文化財が壊滅するか、まあその一部でありますが、重要なところが滅びるかどうかというような問題にぶつかって、初めて国会も、それから学者先生方も、また各ジャーナリズムなんかも相当やかましく取り上げております。これは非常に重要な機会だと思う。この機会に、ほんとう文化国家として、われわれが祖先から譲り受けた、そして子孫に残すべきものを守っていく、そのために、だれも泣かしめないで、全国民が一致してこれをなし得るような、そういう施策をとるということは非常に大切だと思いますので、そういう点、私どもも全力を尽くしたいと思いますが、諸先生も、また知事さんも、一つ御協力をお願いしたいと思います。
  82. 櫻内義雄

    櫻内委員長 野原覺君。
  83. 野原覺

    ○野原(覺)委員 相当時間も経過いたしておりますし、三人の先生なり知事さんもお疲れでございましょうから、私はきわめて簡潔にお尋ねを二、三いたしたいと思うのであります。  一つの問題は、これは知事さんはよく御承知でございますが、若草山――奈良のシンボルといわれる山でありますが、この若草山に、料理温泉の旅館が建てられておる。私は、これが建てられるときから実は問題にして、この文教委員会で取り上げてきたのですけれども、とうとう建ってしまった。私の選挙区は大阪でございますから、奈良はもうほんのわが家同然であり、しょっちゅう行くのであります。だから、奈良について私はよく知っておるのでございますが、あの若草山に料理温泉の旅館が建てられて、そうしてもう毎日毎晩どんちゃん騒ぎ、私はこれはいかがなものかと実は考えておるのです。いろいろ調べてみますと、この史跡としての区域の線のすれすれなんですね。だから合法的なんです。区域外なんです。もう玄関がこの史跡としてのあのラインのところにきておりまして、そのラインのところすれすれの外でございますから、これは合法的だ、こういうのです。私は先生方にもお尋ねいたしますが、第一に知事さんにお聞きしたいのです。これは決してあなたのあげ足をとるつもりで私はこういうことを申し上げるのではございませんが、奥田知事としては、奈良史跡奈良文化保存に鋭意努力されておるということは承っております。けさのお話にもあったのであります。奈良県のごときは、いろいろな史跡があるし、名勝記念物があるしするから、これは努力しなければならぬと、この刷りものにも書いてあるわけでありますが、ああいう温泉旅館をどういうわけで一体許可されるのか、この点はいささか私は県当局の良識を実は疑っておる一人なんです。どうしてああいう――若草山の端じゃありません。もうだれが行っても、あの温泉旅館が目ざわりになってしょうがない。あそこには世界じゅうの人が、富士山に次ぐ日本のシンボルにしておるのです。私も外国を旅行いたしましたが、若草山の絵はがきというものは至るところにあるのです。そこにあんな俗悪なものを建てられる。これは知事さんが直接その任に当たられたわけではないでしょうけれども古跡を持っている県であり、史跡保存しなければならぬ、どこよりもそれに努力しなければならぬ県当局が、ああいう建物を許可されるということについては、私は、率直に言って不満なんです。知事さんの御所見を承っておきたいと思います。
  84. 奥田良三

    奥田参考人 お話の三笠温泉でございますが、ただいまもお話がございましたように、史跡の外にあるのでございまして、そういう意味からは、率直に申して、法的に盲点をつかれたということに相なっております。私の手元で許可したとか取り扱ったことはございません。法律の盲点をついて作ったものである。それよりほかないのであります。
  85. 野原覺

    ○野原(覺)委員 これはどこでどういうふうに許可されたのか、建物が許可されるにあたっては、それぞれ許可する筋があろうかと思うのです。当時私は、高橋さんが文化財保護委員長であったころでございますが、この問題を取り上げた。当時文化財保護委員会は私の考えと全く同様なんですね。同意見でありながら、それを何ら制肘できないところに、今知事さんの言われたような問題点もあったかと思うのですけれども、私はこれはほんの一例として申し上げたのであります。  そこで、次にお尋ねをいたしたいことは、近鉄の検車区の問題がこの委員会が開かれる直接の動機になったのではないかと思いますが、今先生方のお話を聞きますと、三人の方とも最高権威のお方でございますが、この最高権威の三人の先生方が異口同音に、やはり未指定地域というものをすみやかに指定にしてもらうことが、平城宮保存のためであり、実はこの奈良史跡保存のために絶対必要だと繰り返して力説をされたのであります。私は河原文化財保護委員長にお尋ねいたしますが、これはどういうわけであなたの方は諮問しないのか。諮問をした上で、学識経験のある方々が、いろいろな角度からやはり問題があるというので保留になればいざ知らず、文化財保護委員会は、文化財保護法に基づいて作られた委員会でございますから、だれよりも文化財保護に熱心でなければならぬ。私はしょっちゅう言うのですが、文化財保護委員会は政治的な配慮をあまりするな、政治的配慮というものは、運輸省なり、あるいは内閣の各省なり、あるいは国会等からやっていくでありましょうから、文化財保護事業というものを気違いのようになってまっしぐらにやれということを言ってきた。ところが、私がじっと見ておりますと、ここ数年来の文化財保護委員会というものは、あまりに政治的配慮が多過ぎる、文化財保護事業には怠慢である、私はそう思わざるを得ない。イタスケの話が出ましたが、このイタスケについても、私どもはいろいろ問題にしてあれは中止になった。今度は堺市の付近に古墳がある。その古墳は、実は家を建てるのに最もよいのです。松の木が生えて、池があって、地ならしをしてそこに家を建てたら、環境上いかなる別荘にも実はひけをとらないようなところでございますから、埋蔵文化財としての指定ができていないものはこれ幸いに実はどんどんつぶされているじゃありませんか。これは文化財保護委員会は知っていらっしゃるはずだ。ところが、指をくわえておられる。私はこういうことでお聞きしたいことは、なぜ三分の一しか残っていないのを諮問しないのかということです。これはよほど諮問できない理由があるのか。諮問してだめだというならばよろしいですよ。なぜこれを諮問しないのか、保護委員長にお聞きしておきたいと思います。
  86. 河原春作

    ○河原説明員 平城宮跡の指定は大正十一年だと存じております。その後若干の追加はございましたが、大体大正十一年の指定のときに、今日平城宮跡と推定されておりまする土地の約三分の二を指定して、その他が未指定になっておる。今日まで別にその点についての問題はなかったのです。それを指定するかどうかということは、今日の御疑念のように、また将来さらに考えなければならぬとは考えております。指定しなかったのはそういうわけなのでございます。
  87. 野原覺

    ○野原(覺)委員 近鉄が良識を持っておられるかどうかは別にいたしまして、近鉄経営者の問題がかりに解決いたしましても、私は三分の一の土地にはまた問題が起こると思うのです。ほかの建物が立つ、工場が誘致される、必ず起こると思うのです。だから、これをどうして解決するかということが、実は今朝からのどなたの委員質疑の中にもこれが見えておる。私は河原委員長の良識に期待いたします。これは事務当局ですみやかに検討をして、早急に一つ委員会に諮問されるように、これはおそいのでありますけれども、今からでもおそくない、次の問題を解決する意味でも、これはやはり早急に検討して、何らかの方策を立てて、そういう問題が今後起こらないような措置をとっていただきたいと思うのであります。  第三点は、奈良の問題でございますが、これは知事さんのお話を私承りまして、実はもっともだと私も考えておることがあるのです。私どもが子供のときには、奈良に修学旅行に行って泊ったものであります。観光バスという便利なものができましてから、全国の修学旅行団体は奈良にわんさと押しかけますけれども、今日は泊らぬのです。大阪から実は四十分そこらで奈良に来て、そうして奈良を一時間ぐらい見物したらさっさと京都に行って、京都に泊るのであります。奈良は最近ほんとうにさびれておる。たくさんな文化財を持っており、そこにたくさんの観光客が、単に学生、児童生徒だけでなく、北海道から九州に至る全国のいろいろな団体の人が来られるにかかわらず、そういう方面の収入が上がらない。私はまことにこれは考えてやらなければならぬ問題ではないかと思っておるのであります。つまり、金を落とさないのです。落とすものは紙くずだけです。そうしてその落とした紙くずはだれが処分するかといえば、県なり市が金を出して処分するのです。その税収がないところに、そういうような金も出して、文化財保護し、そうして公園の美化清掃に努めなければならぬという県なり市には、大いにこれは同情してやらなければならぬ面があると思うのです。こういう点で、先ほど知事さんも言われたのでございますが、文化財とか、あるいは文化都市とかいって重宝がる前に、ほんとうにその文化財を愛し、ほんとう文化都市としてのその地域を発展させるためには、やはり国の施策として考えてやらなければならぬ点がたくさん私は出てくるのではないかと思うのであります。今日平城宮跡の問題が出ておる。これだけではない。私は専門調査室でいろいろ長い間石井専門委員が検討された石井さんの試案というものを聞かされて、実は敬服しておるのでございますが、この石井試案を私が申し上げてここで参考に供したいと思います。これは文化財保護委員会に特に聞いていただきたいのでありますが、奈良のごときは古跡国立公園に指定すべきではないか、あるいは古跡名勝地区に指定すべきではないか、そしてその指定の範囲は、平城宮中心にして、三笠山の以西、あるいは奈良市の北部御陵地帯の以南、唐招提寺、薬師寺の以東、法隆寺を含む郡山以北、この辺を奈良の国立公園として、国が経費を出してこの史跡保存奈良の前向きの発展を考えてやるということが、今日絶対に必要になってきておるのではないか、私は、こういう基本的な検討をしなければ、平城宮の問題だけではないのでございますから、奈良の古代文化保存という問題の解決は実はできないと思うのです。これは私が言うまでもなく、聖徳太子以前の歴史は古代史といわれておるが、この歴史奈良をおいてどこで一体調査をし、勉強したらいいのでしょう。千三百五十年前の歴史を調べるには、奈良をおいてはほかにないのであります。その意味において日本の宝庫です。これは世界の宝庫でなければならぬ。それが全くほうりっぱなしにされて、史跡だ何だといって、そしてあそこの土地の所有者は売ることもできない。現状変更もできない。大阪に行きますと、坪三万円、五万円で売れておる。生駒山まで電車で二十分。生駒山を越したところは布施。布施は工業地帯。これは坪三万円、五万円で売れておるのに、生駒山を一つ越した奈良では、先ほど知事のお話では、五千円、六千円で農民が飛びついてくるのですね。こういうことでございますから、私は文化財保護委員会はもっと知恵を出してもらわなければならぬと思うのです。刀や焼きものばかり鑑定だ何だといって保存するのじゃない、私は、そういった前向きの文化都市の存立というものを考えた対策を立てないことには、この問題は実は解決できないと思っておるのであります。この点については、特にきょうは三先生がお見えでございますから、私の見解が間違っておるかどうかにつきましても伺いたいと同時に、単に、平城宮跡だけを指定してもらって、そこだけを発堀調査したらいいのだということではなしに、もっとスケールの大きな奈良の古代文化全体を保護するという立場で、こういった名勝地域の指定、国立公園の指定を法律で規定をしていくとともに、奈良については国がうんと予算を出してめんどうを見る、こういうような措置を考えるべきではないかということについて、委員長であられまする原田先生の御意見を承っておきたいと思うのであります。
  88. 原田淑人

    原田参考人 お説まことにごもっともなことでありまして、私まことに感銘をいたした次第でございます。しかし、今までの状態でございますと、どうも急に大きい考えをそこへ持ってくるということはできませんで、日本の重要な遺跡平城宮が守り切れないというようなことがあっては大へんだと思ったものでありますので、この機会を利用しまして、まず平城宮保護保存ということから話を持っていきまして――結局、奈良文化を生み出したのは、決して一朝一夕に生み出したのではなくして、その前に飛鳥もございますし、さらに飛鳥の文化というものをこしらえたのは、五世紀ごろの、雄略天皇の時代なんという、ああいう時代がございまして、そして結局飛鳥文化というものをこしらえた。さらに五世紀ごろの文化を作りましたのは、その前に弥生式時代とか、あるいはさかのぼっては縄文時代とかいうような時代があるのであります。これらの文化というものは実は一貫しておるのでありまして、決してこの文化が、あるころで区切って急に変化をしたというものではないのであります。隣国の朝鮮半島というものがございます。さらにそれの北の方には中国という先進文化国家がありまして、そこから文化が入るのでありますけれども、しかし、日本民族というものは、すでに縄文時代から文化を持っておりまして、受け入れ態勢を始終作っておいては、大陸文化の方を吸収してそれを自分のものにして、さらに進んでまた新しい文化を作る、そういう国民性を持っておりますので、平城宮保護ということを申しますのは、奈良文化を生みましたところにある重要な遺跡であるということで、私はそれを一つのきっかけにしたいと思うのであります。もちろん、それ以前の埋蔵文化というようなものは、日本の古代史を解決する上においては唯一のものでありまして、ほかの記録というものは奈良朝時代に編さんされたにすぎないのでありまして、実際土中にあります文化財というものは、日本の古代史を研究する上におきまして実に重要欠くべからざるものであるのであります。ただ、これはエジプトだとか、あるいはギリシャのものと違いまして、その文化財の材料であるものが滅びやすい、こわれやすいものである。従って、それを保存する上においてはまことにうまくいかぬ。それに実はじみでありますので、エジプトのようなぱっと世界的の注意を引くというものではないのであります。しかし、日本としては重要欠くべからざるものでありますので、日本民族としてはどこまでもこれを守らなければならぬことは仰せの通りでございまして、ただ私は平城宮だけを保護すればそれでいいというのでは決してないのでございますから、その点何分御了承をお願いいたします。
  89. 野原覺

    ○野原(覺)委員 原田先生委員長をなさっております平城宮跡調査委員会のパンフレットを拝見いたしまして、私はなるほどと実は感服をいたしたのでございますが、「将来の保存計画について」というのが最後に一項起こされておるわけであります。それを読んでみますと、平城宮跡については、全域を緑化して史跡公園にしなければならぬということが書かれてございますし、その他いろいろなことがここに述べられておるのであります。緑化なり環境の整備等、それから都市計画等の関係についても触れておられる。私は、先生方がものされましたこういう考え方をやはり奈良については根本的に立てる必要があると思う。それで、先ほど私は石井さんの試案をちょっと聞きましたから、それをつけ加えて、あるいはあまり大げさに申したかどうかは知りませんが、発言いたしたのでございますが、これをやはり文化財保護委員会はすみやかに検討すべき時期が今日きておる。私はポンペイに行きました。同時に、バビロンにも行ってきました。バビロンといえば、イラクの砂漠の中にある。イラクといえば、それほど文化の進んだ国とは私どもは考えていない。あの後進国といわれるイラクすら、砂漠の中の二千数百年前のバビロンの都を砂の中から堀り起こしておる。そうしてりっぱな遺跡が次々と出てきて、その堀り起こす地域一帯は囲いをして、事務所が建てられておる。ところが、一体奈良はどうなのかというと、平城宮については、今、近代都市としての奈良の悩みと、史跡保存をしなければならぬ日本の悩み、谷口氏の言葉によりますと、その矛盾した姿が今日出てきておる。私は、この矛盾を解決するところは文化財保護委員会をおいてないと思う。だから、これはすみやかに試案を出していただきたいと思う。これは今日ないだろうと思います。あればこれを御発表願いたいのですけれども、時間がございませんから、きょうは私は聞こうとは思いません。こういった試案をすみやかに出していただいて、奈良を前向きに発展させる――知事さんを前にして言うのではございませんが、単に史跡保存すればいいんだといっても、文化財を持っておるおかげで気の毒に奈良はやせ細っていくではありませんか。奈良の人たちの気持を私たちは考えてやらなければならぬ。文化財保護に対してはきびしい態度をとると同時に、奈良に対しては、文化財を持っておるのでございますから、これは国が十分な対策を講じてめんどうを見てやるということで、奈良のために何とかしてやらなければならぬと思う。あれは奈良の人たちだけの文化ではない。原田先生が言われたように、日本の国の文化でありますから、日本の国がめんどうを見てやらなければならぬ。こういうことを背景にした試案をすみやかに出して下さるようにお願いしたいのであります。  最後に、私は文教委員長に要望しておきます。本日のこの会議はきわめて重要な会議であったろうと思います。そこで、文教委員長はこの奈良の問題をきょうお取り上げ下さったのでございますが、取り上げっぱなしでは困るのであります。賢明な文教委員長でございますから、そうではなかろうと思うのです。奈良については、たとえばあの正倉院の問題が起こったとき、道路の問題が起こったときにも申し上げたが、実は今日の政府官庁のなわ張りというものが非常に災いを来たしておるのです。道路を作るときには、文化財保護委員会には相談もしないで、じゃんじゃん運輸省が勝手にやるのです。工場を立てるときには、農林省とか通産省、あるいはまた自治省、それぞれの役所が、何にも連絡がないのです。そこに実は三笠温泉の悲劇が生まれてきた。文化財保護委員会は困るといっておるのに、ちゃんと、建設省でございますか、建物の許可をやってしまう。それから三笠温泉に通ずる有料道路を作ることを運輸省が許可する。こういう省は、風致もくそもあったものじゃない。だから、文教委員長はせっかくこういう機会をお持ち下さったのでありますから、私が要望として申し上げたいことは、政府部内に、この奈良史跡保存、それから同時に、奈良を前向きに発展させるといったような意味合いを持つ委員会、こういうものを作る推進役を文教委員長がしてもらわなければならぬのではないか、私はこのように思うのでございますが、いかがですか、伺っておきたいと思います。
  90. 櫻内義雄

    櫻内委員長 私といたしましては、参考人各位の貴重な御意見も承りましたし、さらに、熱心な質疑も行なわれた次第でございます。また、野原委員のただいまの御要望もございますから、政府関係当局にこれらを伝達いたしまして、平城宮跡の発堀の重要な参考にするよう、また必要な行政措置をとるよう要望いたしたいと思います。
  91. 野原覺

    ○野原(覺)委員 これで終わります。
  92. 櫻内義雄

    櫻内委員 参考人に対する質疑はこれにて終了いたしました。  参考人各位に申し上げます。本日は、長時間にわたり、しかも貴重な御意見の開陳を賜わり、まことにありがとうございました。本件調査のため多大の参考になるものと存じ、委員会を代表いたしまして、委員長より重ねて厚く御礼を申し上げます。(拍手)      ――――◇―――――
  93. 櫻内義雄

    櫻内委員長 村山喜一君。
  94. 村山喜一

    ○村山委員 文化財の問題でちょっと地方的なものが出ておりますから、私この際御質問を申し上げて、文化財保護委員会の態度を承っておきたいと思うわけです。  鹿児島の城山というところが、昭和六年に国の文化財として指定をされておるわけでございますが、そこの樹齢約三百年の大クス並びに上山城跡としての城を囲むところのU字形の土塁、これを城山観光株式会社という会社が文化財保護法に触れるということを知りながらも、あえてこれを無視いたしまして、そして、観光優先だ、こういう立場で違反をいたした事実でございます。この内容は、鹿児島県の教育委員会の方に関係者が日参をいたしまして、バスの駐車場を拡張してくれということでいろいろ訴えたのだそうであります。その結果は、決定権は国の文化財保護委員会にあって、県の方にはない、しかもそれは、駐車場は指定区域内に触れないという契約書をかわさなければならないくらいにきわめてやかましいのだから、そういうようなことが許される見込みはない、こういうようなことで回答をしておった。ところが、それに対しまして、会社側の方は、夜間その樹齢三百年といわれる大クスを初め十数本の木を伐採をいたしました。そして土塁を六メートルもこわして、近く城山にこの観光株式会社のホテルを作る準備に充てたということであります。これは日刊紙にも出ておりましたが、その取り扱いをめぐりまして非常に問題が出ておりまして、責任は市の当局にもあるのではないか、こういうようなうわさも飛んでおりまするし、あるいはまた文部省の文化財保護委員会の方から係官もやってくるというようなことも報道せられておるわけであります。今、文化財保護法の百七条に違反をしておるということで、警察で調査中であるとも聞いておるわけであります。その事態を招きましたここの観光株式会社の桑江という常務は、こういうようなことを言っているわけです。「文化財と知っていたし、現状変更の手続をふんでも許可になるかどうか不明だったし、許可を待っていたら駐車場の完成が間に合わなくなるし、道幅が狭いので交通事故の危険も出てくるし、人命尊重、観光優先を考えて悪いとは知りながら伐採、土塁をけずった」、こういう談話を発表しておるわけであります。ところが、人命保護あるいは交通上危険があるというようなことに対しましては、国の文化財保護委員会でも同じような立場をとりまして、現にその広場に上る道のまん中にはえていた文化財のクスの木がバスから顔を出す子供たちに当たってはならないということで、これを倒伐をするという許可を出しておるわけであります。そういうふうな人命尊重云々ということは理由にならないというふうに私たちは聞いているわけです。そこで、観光優先という立場に立ってこういうようなしわざがなされたということしか受け取れない。そういうような点から考えてみますと、観光というのも、そういうような史跡とかあるいは天然記念物というものがあってこそ成り立つわけです。そういうようなものをこわして、自分のホテルを中心に考えて、文化財保護委員会はあってなきがごとき態度で、全く法律を無視して強行している。こういうようなやり口は、いかにも非常に横暴であり、県民に対して与えた影響もきわめて不快な感じを持っておるわけです。こういうような場合には、あなた方はそういうような状況をただ調査するということだけでなくて、現地に行って、そういう違法な行為が事実なされているような場合には行政指導をするところの責任というものがあるのではないか、こういうふうに考えておるわけですが、これらの事実に対しまして、あなた方は今まで調査されたところの経緯、並びに指導をどういうふうにしておられるのかということについて一応お伺いをいたしておきたいと思うわけであります。
  95. 清水康平

    ○清水政府委員 ただいま、鹿児島にあります天然記念物及び史跡としての城山がむざんにも心なき観光業者によって破壊された事実について、るるお話がございました。事実はまずおっしゃる通りでございまして、まことに遺憾、残念しごくでございます。駐車場は指定地外に作るという予定だったそうでございますが、駐車場へ入る道と申しますか、出る道と申しますか、狭いということでもって、無断でこれを六メートル削り落として、そこにあった三百年のクスその他の樹木十何本を夜陰に乗じて切ってしまった。しかも、許可されないであろうからということでやったということが新聞に出まして、実はびっくりぎょうてんいたしました。直ちに県の社会教育課長に来てもらいまして、事情を聴取し、一応の報告は聞いたのでございます。木の本数、あるいはまわりの大きい木がどういう跡始末になっておるか、それから土塁が削られておるが、この土地は、たとい文化財として史跡または記念物に指定されなくとも市のものである、しかもそれが史跡、天然記念物として指定されてあって、市が管理し、しかも管理団体になっておる以上、市と観光業者は一体どうなっておるのかということを、今詳細に調査中でございます。  私は、文化財保護委員会に参りましてじっと見ておりますと、なるほど今日観光事業が日本において、国内観光は言うに及ばず、国際観光も非常に重要であることは認めるが、ややもするというと文化財を破壊して、文化財の犠牲において観光事業を行なうという傾向がままあるいうことは、きわめて残念に思っておる次第でございます。まず文化財があってこその観光、特に日本の観光は文化財中心の観光ではないかと思いますると、観光事業をやる場合には、どうしても文化財保存しつつその範囲内でやるということを、あらゆる機会において説明しておるのであります。今こういうような事態が、無断で、しかも悪意をもって、やられたということは、まことに残念しごくに存じます。ただいま警察の手で調査中でございます。私どもといたしましては、まだ係官を派遣しておりません。今月の終わりあるいは四月の上旬に現地に参って、つぶさに状況を調査して、今後の措置を講ずるつもりでございます。先般参りました向こうの社会教育課長には厳重な態度をもって、特に市が自分が所有し、管理団体である、それと観光業者との関係をつぶさに報告してもらいたい、と言っておるのでございます。  観光事業のために文化財が破壊される根本の原因は、もちろん私どもも今後考えていかなければならぬのでございますが、御質問以外のことを申し上げて恐縮ですけれども、組織の上において、各県の教育委員会文化財に関することをやっておるのでございますが、観光の事業は知事部局でやっております。知事部局でやっておっても、その県の部局でございますから、たとい観光事業をやる場合でも、文化財を管理をしている教育委員がよく連絡をとってやってもらいたいということを言っておるのでございますが、こういう事態が発生しましたことはまことに遺憾しごくに存じておる次第でございます。
  96. 村山喜一

    ○村山委員 この観光株式会社というのは、資本金が九千万円の会社で、鹿児島県の保守政界の代表を初め、財界あるいは新聞界、そういうような人たちが関係をしている。顧問団には現職の国会議員が入っている。そして、県会議員も相当入っている。そういうような県下の財界、政界を代表するような人たちが役員であり、顧問である。こういうような形の会社ができて、それがホテルを建設する。そのホテルを結ぶところの、いわゆる駐車場との間において今回の事件が出てきたわけです。これに対して警察の方で調べ中であるということですけれども、やはり今日のこの文化財保護の問題は、鹿児島市内だけでも六十七の指定文化財がある。そういうようなものを市の財政で管理、巡視をしていくところの金というものは、これは国や県の方からそういうような指定をしたからといって、別に金が出るわけではない。だから、その管理費は当然その地元の市が持たなければならぬ。こういうような面にも欠陥が一つある。方化財保護法が無視されて、心ない大きな観光会社が、そういうような政治的な背景をもとにしてこういうようなことをやっていくのは、非常に不当なことである。それと同時に、今日のこの文化財保護の行政に伴うところの資金的な裏づけ、財源的な裏づけというものを、あなた方ももっと考えていただかなければならぬ。ただ指定をするだけでは、これは効果が上がらないのではないか。そういうようなことも考えるわけですが、いわゆる文化財保護を進めていく上において、そういうような財政的な裏づけをする努力を今後どのようにして進めていかれるのかというのが一点。  それからもう一つは、何といっても、これはそういうようなことに対して憤りを覚えるところの国民的な支持というものがなければ、やはり業者は悪いことを知りながら法律を無視して自分がもうかりさえすればよろしい、こういうようなことで進めていくわけですから、国民の厳重な監視の目といいますか、批判の目というものを養成をしていかなければならない。そういうような国全体の文化財に対する国民の関心をふるい立たせていくような、いわゆる政策というものをどういうふうにして進めていこうとせられるのか、そのあたりも承っておきたい。
  97. 清水康平

    ○清水政府委員 申し上げるまでもなく、貴重な国民的財産であり、文化遺産である文化財保存管理していくということは、全国民の大きな責任だと思います。たといそれが個人のものであろうと、社寺のものであろうと、社会的信託を受けたつもりで管理してもらいたい、そういうつもりで私はおるのでございます。また、法の建前から申しましても、所有者管理ということが原則でございます。所有者が保存し、これを管理していく。しかしながら、所有者が保存管理に支障があるというような場合には、国で補助するということも考えられておるわけでございます。  なお、文化財と国民との関係でございますが、非常にこれは重要かつ大きい問題でございます。文化財をやっておりまする私どもといたしましては、文化財こそは、これこそ日本国民の先祖が今日まで残してくれたものである。これをまた後世に残すと同時に、私ども文化遺産としてどこまでも大切にし、これを目で見、これを保護していくことが、正しい意味の国民精神作興の意味においても、民族精神の涵養の意味においても、非常に大切なものではないか。文化国家を標榜する日本としては、この方面に一段の、最大の努力を払っていくべきであろう、というつもりでやって参りたいと思っております。
  98. 村山喜一

    ○村山委員 行政の責任は文化財保護委員会にある。しかしながら、この文化財に対して、これを政策として保護していく、そして国民に対して、文化財はきわめて尊重しなければならない重大なものであるということを宣伝をし、普及をしていく責任は文部省にあると思う。そういうような意味から、長谷川政務次官も見えておりますので、政務次官から文部省の立場を御説明を願いたい。
  99. 長谷川峻

    ○長谷川政府委員 お答え申し上げます。この委員会が開かれて以来、平城宮趾中心にしてわが祖先が築いた民族文化に対して、非常な正当な御認識のもとに御議論が出ておりますことを心からうれしく思っておるものであります。今まで文化財の清水局長が申されましたように、私たちのこの国土というものは譲るわけにもいきませんし、もらうわけにもいきません。これを築いてくれた先祖の遺産の中にわれわれが住み、そしてまた将来生きていく。こういう建前からいたしまして、私はわれわれのすばらしき残された文化を、こわされないで残していくことこそ文部行政の中における重大な使命だと思っております。そういう意味合いにおいて、先ほど以来村山委員の、城山のそうした惨状が行なわれつつあるという話を聞きまして、私自身もまた大きな憤りを感ずるものであります。西郷さんの本を私も一、二冊書きました。近世の日本においてあれだけの英雄であるところの西郷さん、その西郷さんの城山に参りますというと、案内者が、桜烏山をのみ取るような勢いで西郷さんのことを異国の者に宣伝し、そしてその精神を誇吹するのであります。そして、鹿児島の持った西郷さんのその遺跡を、心なくも観光という営利のために破るようなことは、これは鹿児島県人も許さないだろう、また日本人全体も憤りを感ずるだろう。そういう気持を受けて立って、今から先も誤ったところの観光のそうした不合理に対しては是正しながら、今まで持っているこの文化財の行政をさらにさらに推進することこそ私たちの責任じゃないか、こう思うわけであります。
  100. 村山喜一

    ○村山委員 次官の適切な御説明でございますが、聞くところによりますと、文化財保護委員会の方もまだ係官を派遣していない。そしてその実情は、そういう報告は受けた警察で現在調べつつある、こういうようなことでございます。新聞が伝えるところによりますと、これはきわめて悪質な行為である。城山にそういうようなホテルを作るということから出発をして、今日こういうような問題が生まれているわけですが、まだ着手していない。それの準備を進めるためには、文化財であっても何であってもこわしていいという、そういう思い上がった考え方を持ってこの観光株式会社がやっているとするならば、その実情を十分に把握した上で、この委員会に文部大臣の責任で、そしてまたこれは文化財保護委員会の方にも責任があるわけですが、その真相を御報告願いたいと思います。その用意がございますか。
  101. 長谷川峻

    ○長谷川政府委員 この委員会がそうした文化の遺産について、超党派的に御議論されることを私は非常に歓迎するものでございます。われわれの先祖が残したものを、これを正しく理解し啓蒙して持っていく。そういう意味合いからいいまして、平城宮趾の指定地外において営利会社である近鉄が車庫を作る、これは法には触れないかもしれませんが、ここで御議論がされましたからこそ、世論というものを反映して、若干でもあの連中が建設を延ばすというふうな効果があったのではないか。そういう意味からいいまして、私はその城山のホテルの問題などにいたしましても、そういう不合理が公々然と行なわれるとするならば、直ちにもって、文部省あるいは文化財の方から、今まで係官を派遣していないかもしれませんけれども、早急にお送りいたしまして、そして実情を調査し、こういう機会に国民的遺産である文化財がどうあるべきかという姿を解明する絶好のチャンスでないかとさえ考えておる次第であります。御了承をお願いします。
  102. 小林信一

    ○小林(信)委員 もう審議ではございません。先ほど非常に時間が短かったためにお願いできなかったのですが、資料を御提出願いたいと思うのです。  それは、先ほど問題になりましたが、近畿日本鉄道の検車区の設計図、これをぜひ一つ出していただきたいと思うのです。  それから、現状変更についてお伺いしましたが、私たちも今のような具体的な話が全国にたくさんあると思うのですよ。しかもそれが、機構の問題で私申し上げたかったのですが、県には文化財を扱う人はおそらく一人か二人だと思うのです。そういうような点から考えれば、実際機構上からもこういうたくさんな問題をかかえておって問題だと思うのですが、現状変更の申請をしておるところを一覧表にして具体的に知らしていただきたい。  第三の問題は、外国の文化財行政について文化財保護委員会の方で御調査願っておるようなものがありましたら――もしなければ、国会図書館あたりに命じていただいて、われわれの参考にしていただきたい。  とにかくこの問題は、根本的に検討さるべき時期だと思いますので、一つ御提出願いたいと思います。
  103. 清水康平

    ○清水政府委員 承知いたしました。
  104. 櫻内義雄

    櫻内委員長 ただいまより理事会を開催いたします。おおむね三十分ほど、五町十分まで休憩いたします。    午後四時四十五分休憩      ――――◇―――――    午後五時二十七分開議
  105. 臼井莊一

    ○臼井委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  委員長が所用のため、指名により私が委員長の職務を行ないます。  義務教育学校教科用図書の無償に関する法律案義務教育学校の児童及び生徒に対する教科書の給与に関する法律案及び教科書法案の各案を一括議題といたします。  質疑の通告がありますので、この際これを許します。村山喜一君。
  106. 村山喜一

    ○村山委員 公正取引委員会の事務局長が見えておりますので、お尋ねをいたしておきたいと思います。  これは昭和三十六年の十二月一日、読売新聞の記事でございますが、「教科書汚職で訴え」というもので、元東京書籍の関西支店員である池田博正、この人から、公取の大阪の事務所に成瀬所長を訪れて、いろいろ会社側の方から指令が出た、その資料を提供して、それに基づいて会社側が一億円以上の買収費をもって教科書採択に対してとったところの措置が訴えられたわけであります。それに対しまして、当時公正取引委員会の大阪事務所長の成瀬さんの話では、池田さんの訴えの内容と、持ってきていただいた証拠資料をよく検討した上、東京と連絡をとって十分に調査したい、委員会としてはこの際徹底的なメスを入れるつもりである、このことが新聞に伝えられております。それからもう今日まで約三カ月、公正取引委員会の方ではどういうような調査をされたものか、調査のそのメスを入れられたところの内容をこの際御呈示願いたい。
  107. 小沼亨

    ○小沼政府委員 これは独禁法違反容疑としまして審査をいたしておるわけでございまして、現在までのところ、当時大阪に出されたという資料を検討したわけでございますが、なお内容につきまして調査を要する点もありまして、御本人に出頭を求めておったわけでございますが、やっと最近出頭されたということで、まだ違反容疑としてでございますので、内容を今直ちに御発表できる段階までには至っておらない次第でございます。
  108. 村山喜一

    ○村山委員 どの条項の違反容疑ですか。法の何条ですか。
  109. 小沼亨

    ○小沼政府委員 教科書業に関します不公正な取引方法につきまして特殊指定というものをいたしておりますが、その特殊指定の第一号違反容疑でございます。
  110. 村山喜一

    ○村山委員 その内容は……。
  111. 小沼亨

    ○小沼政府委員 「小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において使用する教科書の発行または販売を業とする者が、直接であると間接であるとを問わず、教科書を使用するものまたは教科書の選択に関与するものに対し、自己または特定の者の発行する教科書の使用または選択を勧誘する手段として、金銭、物品、きょう応、その他これらに類似する経済上の利益を供与し、または供与することを申し出ること。」ということでございます。
  112. 村山喜一

    ○村山委員 それであるならば、公取の方としましては警察庁の調査しております内容、あるいは法務省の刑事局の方で、検察庁の方から起訴する、その裁判の結果を見てからでなければ、あなた方の結論を出せないわけですか。
  113. 小沼亨

    ○小沼政府委員 これは目的が違いまして、あくまでも独禁法の不公正な取引方法であるかどうかということでございますから、裁判所の裁判と関係なく独禁法関係の事案として別個に処理できるという問題でございます。
  114. 村山喜一

    ○村山委員 池田さんが公取の方に持って参りました理由は、警察の取り調べによっても、捜査の結果は三名を摘発したのみであった、警察の手ぬるいところの捜査ではこの事件の徹底的な解明はできない。それは出先の者だけしか引っかからない。会社がそういうような不公正な取引をするように業務命令を下しても、その会社の責任者は調べることができない、こういうようなことからあなた方のところに持ってきたわけです。この問題は今後の教科書行政の問題のみならず、日本のいわゆる教育行政といいますか、教科書の政策の問題につながる大きな問題であります。従ってあなた方が独禁法違反であるということで調査を進められ、その内容が、もう四カ月近くもなろうとしているのに、今日この場で発表ができないということは、どういうような理由で発表できないのですか。まだ内容の調査が十分に済んでいない、どの段階まで内容の調査が進んでいるのか、その進んでいるところまでをお聞かせ願いたい。
  115. 小沼亨

    ○小沼政府委員 現在までのところ任命されました事務局の審査官が調書を調べておるわけでございまして、これで大体の審査官としての意見が決定いたしますと、公正取引委員会の正式な委員会で、この内容を違反であるかあるいは違反でないかということを委員会としての決定をいたすわけでございまして、まだ委員会に正式に持ち出す段階までには行っておらない次第でございます。従いまして審査途中でございますので、事前にこういう内容であるということは外部に発表できないという段階でございます。
  116. 村山喜一

    ○村山委員 そういたしますと、審査官の調査は済んだわけですか。
  117. 小沼亨

    ○小沼政府委員 先ほども申しましたように、池田さんあたりの出頭もありましたので、そういう点をさらに供述を得て審査するという段階でございますので、なおしばらく時間をかしていただかなくちゃ結論は出ないじゃないかと思います。
  118. 村山喜一

    ○村山委員 いつごろまでにあなた方としては審査を終わり、そうして委員会にかける予定でおいでになるのですか。
  119. 小沼亨

    ○小沼政府委員 できるだけ早い機会にやりたいということでございますが、これは御承知でもあろうかと思いますが、独禁法違反であるということで、かりに本件でも違反事項として不公正な取引方法として差しとめを命ずるということになりますと、これに不服のある者は東京高裁に訴えることができるということで、直ちに裁判につながる問題でありますので、公正取引委員会としても十分納得のいくだけの資料を整える必要があるということで時間がかかっておるわけでございます。
  120. 村山喜一

    ○村山委員 羽山刑事課長が見えておいでになるようでありますから、お尋ねいたしますが、検察庁の方にはこの問題について警察庁の方から調べていろいろ書類が送付されて参って、起訴段階にあると思うのでございますが、現状はどういうような段階にきておりますか。
  121. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 教科書に関しまする汚職を扱いましたのは、ただいままでに報告を受けておりますところでは、神戸、徳島、大阪、大津、奈良、名古屋でございまして、このうち検察庁の処分といたしましては収賄で起訴されましたのが、大阪で二名、神戸で一名でございます。贈賄で起訴いたしましたのが、これまでのところ、神戸が三名、徳島が三名、大阪が九名、大津が二名、奈良が三名、名古屋が五名、こういうふうに相なっております。
  122. 村山喜一

    ○村山委員 これはもう警察の手を離れて、そして検察庁の方に移っている、こういうように見ていいのですか。捜査はもう全部終わったわけですね。
  123. 新井裕

    ○新井政府委員 お答えいたします。御指摘の通り、全部済みまして検察庁に送っております。
  124. 村山喜一

    ○村山委員 私は、調査の段階で個人的な人の名前をどうのこうのというわけではないのでありますが、いろいろ捜査を進められたときに、この内容がいわゆる贈賄行為をした者あるいは収賄行為をした者、こういうようなものによって分類いたしましたときに、教職員の調査に当たりましては、いろいろとその該当者について調査を慎重に進められ、教育上の影響その他を考えて、慎重に配慮した上でやられたという記事を当時読んだことを記憶いたしております。   〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕 その中で、教職員のそういうような汚職といいますか、被疑者になった人たちは、校長何名、教頭何名、教諭何名、指導主事何名、その職種別の分類をされたものがありますか。ありましたら、その職種別分類に基づいた数だけをお知らせ願いたい。  それと同時に、いわゆる校長なり教諭なり教頭なりあるいは指導主事、こういうような人たちが採択委員として関係しておった者がその中で何名あるか、そういうような調査はすでに捜査の段階でいろいろ出頭を命じ、あるいは参考人として調査を進められたわけでありますから、あなた方の方で資料としてお持ちになっていらっしゃるだろうと思いますが、その数字をお示しを願いたい。
  125. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 今ここですぐ集計をいたす――一覧表は持って参っておるのでございますが、たとえば神戸におきましては二十五名、徳島におきましては四名、大阪におきましては約六十名、大津におきましては三名、奈良におきましては八名、それから名古屋の地検管内におきましては十三名が、収賄者として捜査の対象になっておりますが、これらがすべて校長あるいはただいまお話しの教頭でございまして、そうしてほとんどすべての方が教科書の選択委員ということに相なっております。
  126. 村山喜一

    ○村山委員 この校長、教頭というものがほとんどすべてであって、しかもそれは採択委員といいますか選択委員になっている、こういうようなことでございますが、そのほかに地方教育委員会の指導主事、こういうような人たちは入っておりませんか。
  127. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 指導主事という方はあまりいないようでございますが、ただ大阪で収賄として起訴されました一人が、豊岡市の教育委員会事務局の指導主事であるようでございます。
  128. 村山喜一

    ○村山委員 大阪の場合六十名の収賄の容疑者があったわけですが、その中で大阪市内の学校に関係がある者と大阪府内、これは分類がわかりますか。
  129. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 大阪市内を申し上げますと、ざっと勘定いたしまして四十五、六名が大阪市内で、その他がそれ以外の場所であるように思います。
  130. 村山喜一

    ○村山委員 四十五名というのは、大阪市内のそれは校長、教頭ということですか、場所ではなくて、その身分が所属しているのは市の教育委員会の管轄下にある学校長あるいは教頭ですか。
  131. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 または各学科の主任教諭というような方でございます。
  132. 村山喜一

    ○村山委員 そういたしますと、関係の会社の名前は東京書籍、学校図書、教育出版、大阪書籍、大日本図書、教育芸術社、この六社ですか。
  133. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 教育出版と大阪書籍株式会社それから株式会社教育芸術社、大阪の関係で報告が参っておりますのはこの三社のように思うのでございますが……。
  134. 村山喜一

    ○村山委員 この捜査の結果起訴されたのは、これは神戸ですか、兵庫県警に回されて、そして東京書籍の関西支社次長吉本助男、同販売係北村慶二、同じく佐々木清二郎、これは東京書籍の職員でしょう。
  135. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 ただいまの三名は、報告書によりますれば神戸地検の関係者と相なっております。
  136. 村山喜一

    ○村山委員 神戸であれ、大阪であれ、全部あわせて私は質問をしているわけです。  そういたしますと、先ほど言いました六社は間違いございませんか。
  137. 羽山忠弘

    ○羽山説明員 さようでございます。
  138. 村山喜一

    ○村山委員 公取の事務局長にお尋ねいたしますが、独禁法違反の容疑であなた方が今調査を進めておいでになるのは、これは東京書籍ですか。そのほかにありますか。
  139. 小沼亨

    ○小沼政府委員 六社全部でございます。
  140. 村山喜一

    ○村山委員 六社とも、その内容については、ずっと関係のそういうような会社の方から現場の駐在の社員に対しまして統一的な指令あるいは指示、こういうような書類が出ていることを、あなた方の方では調査をされているわけですね。
  141. 小沼亨

    ○小沼政府委員 具体的にそういう指示が出されておるかどうかという点につきましては、先ほども申し上げましたが、違反容疑の調査段階でございますので、その通りであるかどうかということにつきましては、いましばらく御猶予をお願いしたいと思います。
  142. 村山喜一

    ○村山委員 公取並びに検察庁あるいは法務省の方には、いろいろとそういうような事情についてお尋ねをいたしたわけでありますが、この問題について行政的に責任を持たなければならないのは文部省であります。文部省はこれに対しましてどういうような指導をしておいでになったのか、このことについてお尋ねをしておきたいと思います。と申し上げますのは、今日このことあることが予想されておった。というのは、新しい指導要領の改訂に基づきまして、教科書が全面的に、中学校はことしから変わる、小学校は昨年から変わった、来年からは高等学校教科書が変わる、こういうような場合においては、やはり予想される事項であります。従いまして、国会においては臼井莊一君の提出によりまして、三十五年の四月二十七日の文教委員会において、教科書採択等の公正に関する決議として決議を上げております。その内容は、申し上げるまでもなく、学習指導要領の改訂に伴う小学校の新教科書の採択の時期に会している。だから宣伝も行き過ぎになっていることは憂慮にたえない、採択の公正について、今後その公正妥当を期するように特に善処せられたいという意味の決議であります。こういうような決議が三十五年の四月二十七日には文教委員会で決定をされた。もちろんそういうような国会の意思というものも十分に尊重した上であなた方は対処してこられただろう。今お伺いいたしますと、その贈賄、収賄者の数にいたしましても、これは全部で百名をこす数であります。しかもそれはあなた方が最もたよりにしておられる校長、教頭、指導主事、こういうような人たちであります。いわゆる行政の末端の権力機関としての役割を果たしていく、そういうような人たちであります。しかもそれはあなた方が教育委員会に採択権があるとして、その教育委員会が採択委員として指名した人たちであります。そういうようないわゆる実態というものの上から、文部省がこの教科書の採択にあたってどういう行政指導を、その採択以前においてあるいはこの事件が発生をいたしましてから後においてどのような措置をしてこられたのか、承りたいのであります。
  143. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 この前の委員会におきましてもその点についてお答えを申し上げたのでございますが、さきほどお述べになりました決議等の趣旨を私どもといたしまして十分尊重いたしまして、昨年の五月六日でございますか、特に教育委員会のみならず発行者に対しましても、教科書の公正な採択が行なわれるようにという趣旨からいたしまして、特に昨年は御指摘のように新旧教科書の切りかえを控えておったときでございますので、そういった趣旨から、この採択の公正確保という点から、特に発行者におきましても、十分そういった点を考慮いたしまして、従来のような行き過ぎた宣伝等がないようにということを注意を喚起いたしまして、指導して参ったわけでございます。同時にまた、教育委員会側に対しましても歩調を合わせまして、五月の六日にその点につきまして、昨年の採択の時期は特に特殊な事情がございますので、そういった点を注意を喚起いたしまして十分にこの採択の公正を期するようにということを、教育委員会を通じまして指導して参ったのでございます。しかしながらただいまいろいろお話の出ましたような不祥事件が起きましたことを非常に遺憾に存ずるのでございます。文部省といたしましては、従来採択の公正な処理が行なわれますように、年々注意を喚起して指導して参ったわけでございますが、昨年の不祥事件をさらに今後繰り返さないように、三十八年の教科書の採択につきましても、近くこれについていろいろと指導通達を出したいと考えておるわけでございます。重ね重ねそういった事件が起きましたことを非常に残念に思っておる次第でございます。
  144. 村山喜一

    ○村山委員 注意してきた、そして注意を喚起した、それはどういうような方法でおやりになったのですか。ただ通り一ぺんの文書をお出しになっただけじゃないですか。
  145. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 文書も出しましたが、主管課長会議等を通じまして、十分末端に徹底するような方策を昨年度もいたしたのであります。
  146. 村山喜一

    ○村山委員 三十六年に主管課長会議で――いつやられましたか。そうしてこの事件が発生してからいっそういうような注意をまた与えられましたか。
  147. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 主管課長会議は昨年度の初めに行なったと思いますが、この事件が起きましてからも、再再教育長会議等の際にはこの点を十分話しまして、そうして通達の趣旨が十分徹底するようにということを繰り返し私ども申し上げて、注意を喚起して参ったのでございます。
  148. 村山喜一

    ○村山委員 学校の校長なり教頭に対してはそういうような措置をせられたんでありましょう。教科書会社に対してはあなた方はどういうような行政指導をしておいでになっているか。特にこの問題を起こしました教科書会社、東京書籍、学校図書、教育出版、これは日本の三大教科書会社であります。この会社が、しかもその中で一番悪質なやつを選び、大きな会社ほど悪いことをやっている。そういうような会社に対してはどういうような行政指導をしておいでになったのですか。
  149. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 会社側に対しましては特にそういう事件を起こしました会社は、責任者を呼びまして文部省としては注意をいたしております。  それから教科書発行業者の団体でございます教科書協会におきましては、そういった同業者のいろいろ自粛問題について従来やっておりますので、そういう協会におきましてもこの問題を取り上げましてお互いに今後こういうことを繰り返さないようにというような意味でいろいろと相談をしたように聞いております。
  150. 村山喜一

    ○村山委員 文部省以外の方には、もうあえて質問を申し上げませんので、どうぞお引き取り願いたいと思います。  大臣も御出席になったようでありますので、この問題についてさらに問いただして参りたいと考えますが、会社側に対しては責任者を呼んで厳重に注意をした、業者が作っておる公取協議会の方にも話をしました、こういうようなことでありますが、私はそういうようなことでこういうような問題がおさまる可能性があるとお考えになっているかどうかをお尋ねしたい。というのは、競争をやっている会社は教科書会社八十六社のうち、まあそれぞれやっているでありましょう。しかしながら不公正な競争をやり、しかも一億を上るところの金が一会社によってやられて、そういうような悪質なことをやるのはやはり問題として調べられた六社、これがやはり大きな問題だろうと思う。そういうような会社はただ注意をしただけで聞きますか、どうですか。
  151. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 これは非常にむずかしい問題と思いますけれども、要するに会社側の誠意の問題だと考えております。これを法的に何かできるというような問題であれば、これはまた別の問題でありますけれども、文部省といたしましてはやはり会社側に誠意を持ってそういう機会を作らせないということを確約して、仕事を今後進めてもらうよりしようがないと考えておりますので、当事者の誠意を信頼いたしまして今後参りたいと思っております。
  152. 村山喜一

    ○村山委員 確約を求めたとおっしゃいますが、何か確約書でもとられたのですか。そしてその問題を起こすのはいつも同じ会社が毎年々々起こしておる。そういうようなのに対して、文部省としてはただ確約を求めて、毎年確約を求めて毎年破られておる、そういうような状態で放置されておくおつもりでありますか。
  153. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 現行の教科書発行に関する臨時措置法によりましても制裁規定というわけではございませんが、教科書発行の最終的な指定をなします場合、信用度の低いものについては指定しないことができる、あるいはすでに指定したものといえどもその指定を取り消すということができると私は一応思っておりますが、もし私の記憶が正確でございませんければ政府委員からまた修正してもらわねばならないおそれはございますけれども、現行法で私はそういうことは一応できると考えます。従って、いわば現行法上の伝家の宝刀的なものでございますが、それをふんだんに振り回すことは自重すべきであると思いますが、再三再四警告したにかかわらず同じような誤りを犯すことありせば、それ以後教科書の発行会社としての指定をしないということがあり得ると思います。それと同時に、先刻政府委員が申し上げましたように、また先日私も申し上げましたように、こういうふうな不祥事件というものは、やろうと思えばいかなる厳重な規定がございましても起こる道理でございまして、汚職の双方の立場、特に教科書会社の側で自粛すべきことはこれは当然の社会的責任だと思います。その意味で警告を発しながらその良識に待つという態度が原則で、もしどうしてもいけない場合は現行法におきましても、今申し上げましたような措置をとることもあるべし、さような態度で参ったらば、こういう問題の今後における発生を防止し得る相当の効果があろうかと思います。
  154. 村山喜一

    ○村山委員 現行法の第九条に「文部大臣は、左の各号の一に当る事由があるときは、需要者の意思を考慮して、他の発行者に発行の指示を行うことができる。」その第二項に「発行者の事業能力、信用状態教科書の発行に不適当と認められるとき。」これがありますね。これによって警告を発せられたんですか。初中局長にお尋ねいたします。
  155. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 法律の条文を明示しまして注意をいたしたのではございませんが、そういう不祥事件を起こしたということにつきまして会社側の反省を求めたわけでございます。
  156. 村山喜一

    ○村山委員 会社側の反省を求めた結果、この問題を起こしました会社、六社ですね、この人たちは反省をいたしましたかどうですか。そしてまたその出席を要請されました会社の責任者というのは、社長が出てきたんですか。
  157. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 前局長のときでございますが、会社の社長が全部出てきたそうでございまして、遺憾の意を表されたと聞いております。
  158. 村山喜一

    ○村山委員 私はこの前資料提出の要求をいたしておきましたが、文部省は啓林館が著作権法の違反に関する問題を起こしている事実を御承知でありますか。
  159. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 詳細に承知いたしておりません。
  160. 村山喜一

    ○村山委員 局長はそうでありましょうが、課長はその問題を御承知であろうと思いますが、どうでありますか。
  161. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 その内容が著作権の侵害になるようなことであるかどうか、私もつまびらかにいたしましませんけれども、啓林館から出しております学習参考書のようなものにつきまして、多少他の発行者と問題があるやに聞いております。その程度でございます。
  162. 村山喜一

    ○村山委員 三省堂がニュー・クラウンという英語の本を出しております。その著作権者はクラークという人だそうでありますが、この人は著作権を教科書会社に渡さずに保留しておる。自分で持っておる。それで啓林館がトラの巻を十万部作って売り出しておる。ところが同じくトラの巻を作ったのに文理書院というのがある。この文理書院は紙型を持参の上おわびを申し入れて、そしてクラークの了解を得て、これは問題にならない。ところが啓林館は相変わらず著作権法違反を起こしながら、この問題をそのままにして、われわれに著作権はあるのだ、こういうような解釈をとっておるようですが、現在東京地裁に裁判として提起されておる。この事実を教科書課長が知られないということはおかしいと思うのです。局長や大臣や次官はそういうようなことまで全部詳しく知る必要はないでありましょうが、担当の教科書課長は――しかもこの啓林館というのは日本でも四番目か五番目の教科書会社でしょう。その会社がやっておるそういうような問題、しかもトラの巻というのは学力向上に役に立ちますか。学力向上の役に立たないそういうようなものを教科書会社が片手間に副業として・作っている。しかもそれは国際的に見て著作権を侵害してやっている。こういうような教科書会社に対してあなた方はどういうような御指導をされているのですか。
  163. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 ただいまの御質問の内容でございますが、私は詳細に知らないのでございますが、お話のようなことを多少聞いたことがございます。しかしそのトラの巻がどういうトラの巻か、私も見ておりませんので申し上げかねますけれども、もしそういう著作権法違反の問題であれば、これは著作者とその発行者との話し合いの問題かもしれませんし、あるいはまた今お話のように、裁判によってこれを解決するということであれば、そういう司法的な解決によってこれを進めるべきものであろうと思っております。ただ私どもとしては、直接の教科書でございませんので、あまり詳しくそれを知っていないのでございます。
  164. 村山喜一

    ○村山委員 現職の各地教委の教育長で、教科書の採択の駐在員になっている人はおりませんか。
  165. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 承知いたしておりません。
  166. 村山喜一

    ○村山委員 私の耳には、愛知県の小牧市の教育長がある会社の実質上の駐在員である、こういうような情報が入っております。そのほかにもまだあるようであります。こういうように一つの教科書会社とコネがあり、そこの実質上の駐在員をしているところにおいては、勢いそこの教科雷はその会社のものが使われていく、こういうような好格になってくると思うのですが、あなた方の方では、今日の教科書の採択権の問題を、今度の事件を起こしました百数十名についても、これはあくまでも教育委員会に採択権がある、そのことが今日の問題を引き起こしている、広域統一採択をやっておるのでこういうような問題が出てきたということは新聞によってもはっきりしておるし、その事実をお認めになりますか、なりませんか、どうですか。
  167. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その点につきましては、この前も申し上げたのでございますが、採択の権限としては、私どもはあくまでこれは教育委員会が持っているものと考えております。ただ事実上の選定その他につきましてはいろいろやり方がございますので、十分それぞれの学校先生意見をいれて採択を行なうということが、事実問題として行なわれているわけでございます。従ってそれの関係におきまして、今回の不祥事件が特にそのために起きたとは、私は考えていないのでございます。
  168. 村山喜一

    ○村山委員 問題を起こしたのは、先ほど警察庁の方からもはっきり示しましたように、採択委員が大部分だということをはっきり言っておる。しかもそれは校長、教頭、こういうような管理的な職にある人だ。それは採択委員として実力のある教育界のボスである。その人たちがやっておるじゃありませんか。これは、いわゆる各学校単位に教科書を採択していくならば、教科書会社が何十億の資産を持っておっても、幾らそういうような運動資金を持っておっても、一校々々撃滅して歩くわけにいかぬ。だけれども、広い地域にわたって採択をする権利を持っておる人たちをつかまえれば、百パーセント成果は上がる。けれども、それをつかまえることができなければ、その地域においてはゼロです。そこにこの問題の根本的な原因があるじゃありませんか。その問題はどうです。
  169. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 この採択の問題が広域であるか、あるいは狭い地域の問題であるかということは、いろいろあれがありますけれども、これがかりに狭い地域におきましても、やはり特に会社側におきまして過当競争のためにいろいろやるということになりますと、それが学校単位でありましても、私は同じ問題が必ず多く起きるのじゃないかというように思いますので、この前も申し上げましたように、やはりそれは会社自体のいろいろ不正な宣伝なり、そういうことに巻き込まれないようにするということが一番根本であろうと考えております。ただ採択権の狭い、広いによりまして、それのみによって私は起こるものではないというように思うのでございます。
  170. 村山喜一

    ○村山委員 あなたがたがどんなに強弁をされようが、東京のような各学校単位に採択をやっておるところにおいてはほとんど問題が起こっていない。だけれども広域統一採択をやっておるところほど問題が起きておる。現実に事象が現われておるのですよ。そういうような点から、この採択についてはどうなければならないか。ただそれを道義的なものに訴えていくだけで事足れりという考え方だけでは、これは教育者ではあっても、教育行政者ではないでしょう。あなた方は教育行政についての最高責任者です。その点から大臣どうですか。
  171. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 ただいま政府委員からお答え申した通りでございますが、私も採択の及ぶ範囲の狭い広いによって汚職事件が起こるということでなしに、心がまえの問題が第一だと思います。それは他の行政処分といいますか、電気事業であれあるいは鉄道であれ数十億、数百億になんなんとする許認可事件があるわけですが、それを末端に委任したからといってそういういまわしい事件の絶滅を期するということは、私は論理的に不可能だと思います。根本は汚職当事者がそういう誘惑に負けない、あるいは誘惑をしない、過当競争しないという心がまえであることが第一義でなければならぬ。同時に、私は学校にまかせることによって、万一、一人でも学校先生がそういう問題に係属されるということは、取り返しのつかない不信感を巻き起こすおそれもある。さような意味合いにおきましても、さらにはまた、先日お答え申し上げました通り、採択をするということそのことは、いわば教育政策の末端行政の一種であって、教育活動それ自体じゃない。従って、住民に責任を持つ立場におる、包括的な立場を持っておるところの教育委員会が、採択の権限と責任を持ち、そして間違いが起こった場合には、その責任者として国民に責任をとるという制度こそが、正しいと私も考えておるのでありまして、先刻の政府委員のお答え申し上げた趣旨と、私は考えを同じくいたしております。
  172. 村山喜一

    ○村山委員 それは一つの行政解釈なんですよ。あなた方が法律案を出した。いわゆる地方教育行政の組織及び運営に関する法案と同時に、教科書法案を出された。片一方地方教育行政の組織及び運営に関する法律は通ったけれども教科書法案は通らなかった。その通らなかった教科書法案の中に、採択権は地教委にあるということが記入してある。これが通らなかったということは、国民のそういうような世論というものは、そうでないということを示したと思う。その点から、今の地教委の法律案と同時に国会に出された採択権の問題については、今うやむやです。大臣は今、学校に問題があるとするならば、学校に責任を負わせることは、教育上好ましくないとおっしゃったけれども、大臣が出席なさらないときに話が出たのですが、神戸で二十五人、大阪六十人、徳島四人、大津三人、奈良八人、名古屋十三人、これは学校先生じゃないですか。校長、教頭で、最も学校の責任者でしょう。学校先生でしょう。この人たちが、収賄行為として調べられたのです。だが、それは地教委に採択権があるから生れた採択委員の人たち、その人たちは、学校現場では教育に携わっている人たちです。どうですかその点は。
  173. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 昨日参議院の予算委員会では、村山さんと違ったお説も承ったのであります。東京都における教科書の採択は、各学校ごとにやっておる。その結果として、不祥事件とはならないけれども、いろいろな事実がある。従って、好ましくないのだという趣旨の御意見と同時に御質問がありまして、私は同じ趣旨のことをお答えしたのでございますが、教育委員会が持っておる採択権、あるいは採択の責任を分担させる制度にしておるのは、便宜上の、事実上の問題とは思いますが、そうしておりますことに関連をして、事件として取り扱われることになったと思うのでありますが、これは私は、単に意見を述べるという立場に限って、学校が、あるいは学校先生が関与されることが適切だ。その愚見を聞いて、どれだという判断は、教育行政の末端の責任者たる教育委員会がやって、責任は全部教育委員会が国民に対して負うということこそが、私は制度として最も合理的であり、それが現行法である、かように解釈をいたしております。
  174. 村山喜一

    ○村山委員 権限を持たない者が、そういうような捜査の対象になり、そして収賄行為の被疑事件として起訴されますか。
  175. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 その点は裁判の問題であり、検察当局の解釈の問題でありますけれども、法律的にはまさしく教育委員会が採択の権限と職責を持っていると思いますけれども、事実上採択委員などという制度を作られて、その中にあって、現実に採択に影響をもたらす立場にあった者が、こういう不祥事件にひっかかった場合、やはり職務に関したという解釈のもとに起訴され、あるいは告発されている事例ではなかろうか。しかしこれは裁判のことでございますから、行政府の私どものかれこれ言うべきことじゃないのですけれども、そういうケースはあり得ると思います。
  176. 村山喜一

    ○村山委員 地教委から採択委員として任命をされた人たちが、そういうような収賄行為を受けた。だからその人たちが、地教委が形式的に採択権を持っていることを是認いたしたとしましても、あなた方は広域に採択をせよという指導をしておられるでしょう。できるだけ市郡単位が望ましい、できたならば府県単位が望ましい、そういうような指導行政はしておいでになりませんか。どうです。
  177. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 市郡単位に採択を実施しているところが、実際上多いと聞いておりますが、具体的な指導をいたしましたかどうか、その辺を現実に私も承知いたしません。ただ、今のお話の点は、広域採択、あるいは教育委員会が採択権を持っているから、そういう問題が起こるという筋合いのものじゃないと思います。学校長ないしはそれぞれの教師に教育委員会意見を聞いたのは、あくまでも参考的に聞かせてもらったということに処理をして、そしてその意見に影響されましょうとも、教育委員会の責任において採択をするという責任関係が明確であるならば、さような問題は発展していかないと私は思います。法律の運用の仕方に適切さを欠いているのではないかと考えるのであります。
  178. 村山喜一

    ○村山委員 大臣は、文部省がそういうような通達というか、これは次官名で出しておりますね。政務次官は御存じですか。――初中局長にお尋ねいたしますが、あなた方はそういうような広域採択、統一採択をすることが望ましいという指導をずっとしてこられたでしょう。どうです。
  179. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 従来文部省としては、教科書の利用者側の便ということも考えまして、少なくとも郡市単位くらいの広さで採択することが望ましいという指導は、やってきたと思います。
  180. 村山喜一

    ○村山委員 そうした場合に、今大臣は、教育委員会が最終的な責任を持つべきだと言われたが、それは形式的にはそうであります。しかし実質上は、どういうふうにやっていきなさいという行政指導をやっておりますか。
  181. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 郡市単位に採択する場合におきましても、それはあくまで教育委員会の関係者等の相談によって、一種類ないし数種類を、これを採択しようということを申し合わせるわけでございますから、権限としては、やはりその個々の教育委員会が採択の権限を持っておる、その申し合わせに従って採択を行なう、こういう仕組みになるわけでございます。従来そういったやり方を、多くの市町村がやってきておると思います。
  182. 村山喜一

    ○村山委員 私がお尋ねをしているのは、そういうような形式上の問題ではない。実際教科書を採択していく手はずを言っている。それには今言ったように、地教委にそういうような行政能力はありませんよ。あなた方も御承知のように、教育長がようやく専従でおるような、そういうような地教委もある。指導主事なんかおりっこない。そういうようなところは、しかもしろうとの人が教育長になっている例もある。こういうような人たちが教育行政の責任者として立っていく以上は、教育の内容について知らなければならぬ。教育の内容については教師に責任がある。こういうようなことで、最もその教科について熟練をした人はだれだ、こういうようなことで国語についてはだれ先生、何についてはだれ先生ということをお話し合いをして、その人たちが今度は採択委員として活躍をしているのが実情です。それをうのみにしているのが教育委員会ではないですか。そういうようなふうにした場合に、実権は、形式上の権限は教育委員会にありとしても、実質上の権限はその採択委員の人たちにあるのじゃないですか。それから大臣が言われるそういうようなのを最終的に責任を持って決定をしていくのが教育委員会であるとおっしゃるけれども、その形式と実質の差はどういうようなふうにして大臣は埋めようとしておられるのですか。
  183. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 次官名の通牒が出ておるということを、この事実を私は知らないままに申し上げておりますが、次官通牒それ自体どういう表現になっておりますか、適切でない部分もありそうに私は思います。その点は検討さしていただきたいと思いますが、かりにお説のようなことがあったとして、現にあったとおっしゃるわけですが、それは最終的な裁判の判決がなければ、はたしてそれが汚職であるかどうかは判明しませんけれども、その途中におきましても、検挙されるあるいは起訴されるなどということそれ自体はむろん望ましいことではございません。たとえば文部大臣という立場におきましても、事実上すべてのことを知っているわけではございませんが、最終責任は負わねばならぬという建前で動いておるわけですが、その場合に直接の部下でない外部の方の意見を聞いて、それによって自分の意思決定をしたとしても、責任がそれだけ分散されるわけではなしに、あくまでも責任は文部大臣という立場の者にある。理論的には私はまさしくそういうことであるべきだと思うのでありまして、検定委員等という制度を作り、名前を具体化して一々委員が集まって合議してきめるのかどうかわかりませんが、法律そのものから来る制度でないにいたしましても、そういう運用上のことを考える権限も教育委員会にあるわけでございますから、そういう制度を作ったところに私は適切を欠いた、今のような汚職事件等が起こった場合に責任の分界点が不明瞭になるという意味において私はあまり適切なことではないと考えますが、あくまでも教育委員会の責任の立場において意見を聞いて選定を誤らないようにする、採択を誤らないようにするという建前が正しい建前だと私は思います。それにいたしましても、選考委員になっておったから先生が汚職事件に引っかかったという必然性は私はないと思います。(村山委員「あるのですよ」と呼ぶ)採択委員になっておりましょうとも、そういう誘惑に負けないという心がまえを先生というものは人一倍に持っているはずでございますから、そういうことに私は信頼できる。そのことだけとしてはそう思いますが、制度的に法の運用を考えます場合には、はたして今の通牒に基づいてそのままやったかどうかは別といたしましても、適切であったかどうかは検討の余地がありそうに考えます。
  184. 村山喜一

    ○村山委員 大臣の答弁では私は納得できません。現に問題を起こして、そして警察に引っ張られ縛られて調査をされてそして起訴される。その悪質なものを起訴している。そのほかは教育者でもあるし、教科書印刷会社の攻勢の前に金をほんの何千円かもらったというようなのはかわいそうじゃないかということで目こぼしを願っておる、こういうようなのが現実の姿なのです。これは文部省が今日まで統一採択を進めてきたその統一採択の機構に問題が一つあるのです。大臣がおっしゃるのは道義的な意味です。それはすべてに共通しなければなりません。しかしこの問題がいわゆる一〇〇%か〇%かというそういうようなところに教科書会社は追い詰められ、そしてその権限を持った者が、教育委員会から委任をされた人々が採択委員として採択をしていくことが、その通り現実に教科書採択として現われるのじゃないですか。その証拠はどうですか。今度の東京書籍は一億円の買収費を使ったと言っておる。一億余りの金です。その東京書籍の採択状況はどうですか。そういうような悪い会社であればそういうのは道義的に排除されなければならない。にもかかわら昭和三十六年度は三千八百七十八万冊、ことしはどうですか、これが私は最局だと思いますが、第一位は東京書籍ではないですか。どうですか、教科書会社は。
  185. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 さよう心得ております。
  186. 村山喜一

    ○村山委員 問題を起こしたところの会社が依然として最高だ、この実態は、そういうようないわゆる問題を起こしてでもいいからとにかく実績を占めていかなければいけない、こういう教科書会社の競争意識、またそれに伴ってそういうような被害をこうむる先生たち、特に採択委員、こういうようなシステムというものが続く限りは教科書汚職の芽は絶えませんよ。これを抜本的に行政機構の上において改善する方法はあります。大臣はなぜそれをとろうとせられないのですか。
  187. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 その採択委員というものを設けておるとしますれば、それはあくまでも諮問機関的に運用さるべきものと私は思います。本来教育委員会の職責であるべきものを法律に基づかずして採択委員なるものを設けて、責任までもそれにぶっかけるという運用の仕方はどうも妥当ではないように私は思います。そういう意味では検討さしていただきたいと思いますが、しかし、だからといって、各学校に採択権を与えた方がよろしいという結論にはならないと私は思います。あくまでもそれは心がまえの問題、何人といえどもそういう汚職はなすべからずという基本的な鉄則に対する心がまえの問題が第一であろうと思います。今引例されましたような会社が現に相当多量の教科書を発行しつつあるという点は私も遺憾に思いますけれども、実際問題といたしますと、それだけの多量の教科書を他の会社に指定するといたしましても、実際上末端にタイムリーに教科書が配給されるというその事柄が確保できないということもありまして、一刀両断的な、先ほど村山さん読み上げられました現行法に基づいての措置というものがやられないままになっておると考えます。教科書そのものは、検定を受けたものであれば、よかれあしかれそれは文部大臣の責任でございますから、その内容がよろしい限りにおいては、教科書の配給に混乱を来たさないという当面の妥当性を負いました結果がさような採択数になっておろうかと思いますが、相変わらず警告を発しましても同じような誤りを犯かし、あるいは犯かすおそれありとせば、次の機会に指定をしないということもあり得る。そういう考え方で具体的には対処するほかにはなかったろうかと思います。
  188. 村山喜一

    ○村山委員 指定云々、指定云々とおっしゃいますが、そういうような権限は大臣にありますか。私はないと思う。私はお尋ねをいたしておりますのは、今日の採択の方法については、県の教育委員会で推薦教科書というものを選定している、これは御承知でありますか。一教科三名なり五名ぐらいの選定委員というものを県の教育委員会で選びます。そして順序を付さないで、この教科書はこの点がいい、こういうようなところがまずい、こういうような内容のものをつけまして、各地区の、郡市単位のそういうような統一採択をやる、そういうようなところに流していく。そこで学校先生たちは、そういうような県の推薦教科書というものも大体きまってきておりますので、その選定委員の人たちがいろいろ研究しましたものをもとにして、教科書展示会に出かけていく。そしてそこで幾らか展示物を見ることは見ます。しかしながら、採択になってきた場合には、今度は採択委員というのがおって――先ほどから申し上げておりますように、事件を起こしたそういうような採択委員、これが最終的に決定していくところの権限を持たれておるような格好に実質上なっている。そういうようなことで、結局今日の採択に対しましては、教師が自分たちの子供たちの教育に――文部省が検定しました教科書ですが、その中から、この学校としてはこれがよろしいということで選考していく、そういうような責任が持たされていない。従って学校の教師は無気力になる。教科書というものに対しては無自覚になり、無責任になる。こういうような格好で、一部の者が教科書に対する実権を握っていく。これが端的に現われたのが今回の事件ではありませんか。これは今日まで、教科書法案が流れて以来、文部省がずっとやってきたところの行政指導の結果です。そういうようなところから、私は、行政の最高の責任者としては反省をしなければならない段階だと思う。その点はどうですか。
  189. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 採択権限をだれに与えたらいいかということは、先ほど来繰り返し申し上げている通りに考えますが、次官通牒の結果がそういうことになっておるとすれば、次官通牒そのものをもう一ぺん見直してみたいと思います。しかし次官通牒が出まして、それに応じて、教育委員会が、実際問題としまして、採択委員等を正式に定めて運営しておるとすれば、その採択委員になった人が汚職事件にひっかかりました場合は、先刻も申し上げましたように、裁判所の判決に待たざるを得ませんけれども、採択に影響を与える地方としての制度上の立場にあります限りは、汚職の疑いありとして起訴せられておると想像いたしておりますけれども、さような関係に立たせることそれ自体考え直す必要があるんじゃないかと、今のところ思います。さりとて、仰せの通り学校ごとに採択権を与えねばならないということとは、考えないのであります。むしろそうすることが、かえって本来の趣旨に反する結果になりはしないか。地方分権の建前で教育が行われねばならない基本線は、教科書がいろいろと種類があって、展示会等をやって採択するということになるわけですけれども、それは学校ごとにやらずして、行政区域ごとに地方分権という建前が貫かれるのが最終段階であって、一つ一つの学校ごとに採択させることが地方分権の趣旨にかなうとは、私は考えません。
  190. 村山喜一

    ○村山委員 さっき大臣は指定を取り消すとおっしゃったが、あれは間違いだと思うのですがどうですか。
  191. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 指定という言葉を使いましたが、抽象的には同じにいたしましても、法律の用語は指示ということの誤りでございました。
  192. 村山喜一

    ○村山委員 現在の法律の上では、指定を取り消すというような権限はない。これははっきりしておるわけです。指示を与えるということはできます。またほかの発行会社に発行を移し変えるということはできますが、それだけです。それは汚職の場合じゃないでしょう。その点ははっきりしておいていただかないと、これから先論議を進めていく場合に、大臣の頭にあるものと、現実に法律の上において大臣に権限をまかされているものと、ごちゃごちゃになったら困りますので、明らかにしておいていただきたい。
  193. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 現行法上、私が申し上げたと同じようにとれるとは、必ずしも解釈できないように思いますが、指示をするにつきまして、会社の信用状態等というのは、原則として会社の経済状態、経営能力等が中心とは思いますが、しょっちゅう汚職を繰り返すような教科書会社が、はたして会社としての信頼度がありやいなやということは、本質的には一致した問題でございますから、指示をしないことがあり得るし、一たん指示したものを他の教科書会社に、そのゆえをもって指示することも、私は解釈上あり得るかと思います。
  194. 村山喜一

    ○村山委員 大臣は、そのような気持だけをおっしゃっては困る。法律はやはり法律としてはっきり解釈をしてもらわないと審議ができませんので、この次まで一つ大臣、よく研究してきていただきたいと思います。きょうは、あとに残っております質問を保留いたしまして、終わります。
  195. 櫻内義雄

    櫻内委員長 次回は来たる二十二日木曜日、一時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時四十八分散会