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1962-03-12 第40回国会 衆議院 文教委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月十二日(月曜日)     午前十一時十九分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 上村千一郎君 理事 八木 徹雄君    理事 小林 信一君 理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    小澤佐重喜君       中村庸一郎君    松永  東君       松山千惠子君    南  好雄君       杉山元治郎君    高津 正道君       前田榮之助君    鈴木 義男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部政務次官  長谷川 峻君         文部事務官         (大臣官房長) 宮地  茂君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君         文部事務官         (管理局長)  杉江  清君  委員外出席者         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 諸沢 正道君         文部事務官         (管理局振興課         長)      平間  修君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 本日の会議に付した案件  義務教育学校教科用図書無償に関する法  律案内閣提出第一〇二号)  義務教育学校児童及び生徒に対する教科書  の給与に関する法律案山中吾郎君外九名提出、  衆法第一三号)  教科書法案山中吾郎堤外九名提出衆法第  一四号)  学校法人紛争調停等に関する法律案内閣提  出第一二一号)  学校教育に関する件      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 これより会議を開きます。  学校教育に関する件について調査を進めます。  質疑通告がありますので、この際これを許します。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 国立大学の入試問題で質問をしておきたいと思うのですが、国立学校試験問題のミス問題はまことに遺憾でありますけれども、これは一応私はここで取り上げる気はないのですが、出題の問題について、私にとって非常に重大な問題があると思うのです。それは三月六日の新聞記事なんですが、広島大学において五日行なわれた同大学の入試問題において、高校では教えない問題が出題されて、その出題の行き過ぎが問題になっておる。いろいろと書いてあります。それは省略しますが、大学入学の問題にどこの高等学校でも教えていないような問題を出題するということについては、これはいろいろの弊害があると思うのです。いわゆる教科書勉強しても、入学試験には関連しても、できないから、特別に予備校を乱立さすようなことにもなり、それから生徒は平生学校授業をさぼって特に受験勉強ばかりする、そうして実際の学校生活に即してまじめに勉強をしておるということが、そのまま大学入学試験に現われない、こういう問題が出ると、これは教育上重大な問題になる、こういうことを考えるので、この点まず広島大学の問題について、これは大学局長ですか、事実を御存じであれば、一つどういう状況か、先に伺っておきたい。
  4. 福田繁

    福田(繁)政府委員 ただいまの広島大学入学試験問題につきまして、一部適当でない問題が出たというように新聞記事に表われておりまして、私もその点につきまして新聞を一応読んだのでございますが、問題の適当でないというのはゾウリムシの走性であったかと思います。それにつきましていろいろ専門家の間に聞いてみますと、今の高等学校教科書では、ゾウリムシの走性について実験その他教えることにはなっている教科書もあるそうでございます。しかし実際にいろいろな化学的な場合を想定しての実験はあまりやってないというのが実情のようでございます。従って、そういう一般的に広島大学が出しましたようなゾウリムシの走性についてのいろいろな化学反応を求めるような出題は必ずしも適当ではなかろう、こういうようなことでございまして、従って、私も、あまり詳しいことは存じませんけれども、そのことだけから判断いたしますと、必ずしも大学の入試問題としてはどうかと思われる点もあるのでございます。新聞記事から想像いたしますところは大体さような点でございます。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 これを今読んでみますと、大体局長と同じような内容ですが、「ゾウリムシの走性を試す実験は、電気と熱、酸に対してだけ調べているが、いまの授業時間数では、とても庶糖液や食塩水実験までできないし、使っている教科書にものっていない。」こういうふうに書いているわけですね。そういう教科書に載っていないものを出して、そしてそれが実験もされていない場合には、その答案に正解を書ける生徒暗記をしておる、教科書にもないから、別の参考書を読んで暗記をした、そういうものだけが正解で、それが入落を決定するということになると、これは試験弊害は非常に多いと思うのです。そこで問題のミスというふうなことは、政治問題になっても、教育的には全体的に大した影響はない、しかし問題の出し方が、大学先生が一方的に試験問題を作成して、実際に授業をしておる高等学校状況を無視して問題を出せば、これは大へんな問題である。この点については、根本的に再検討すべき必要があるのではないか。大学入学試験問題の作成には、必ず大学教授高等学校の現役の先生と共同の作成委員会を作るとか、高等学校先生自体を問題を作成することに正式に参加せしめない限りにおいてはできない。それをやらないために、大学入学試験において、いわゆる試験地獄ではなしに、正当に勉強した人が効果が出ないし、高等学校の日常の授業を放棄する。われわれは少しそういう傾向で受験した記憶がある。この作成あり方について根本的に再検討すべきであると思うのですが、その点について、今大臣が来られましたので、大臣にお聞きしたいと思います。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 入学試験問題について、大学側に立って、あるいは高等学校側に立っていかにあるべきかを確信を持ってちょっとお答え申し上げかねますけれども、常識的に考えましても、後期中等教育教科に関することは、文部省で定めねばならないという建前になっていると私は承知いたしておりますが、その高等学校が一面においては大学に進学のための予備校的な存在になることは、現実問題としてはやむを得ないことであるわけなんで、従って高等学校で何を教えるかという基準がある以上は、そのことを大学側も念頭に置いて問題を作成すべきであることは、常識的結論として私はうなずける当然の措置かと思います。ところが今お話に出ているゾウリムシの関係のそのこと自体はよくわかりませんけれども、もしお説のごとくんば、適切でないかのようにも思えます。ただ今の制度上のことを私の理解に立って申し上げれば、大学入学受験者の選考をするにあたって、試験をする問題を作る、これは自主的に独自の立場でやる建前であると思います。従って、具体的にどうするということは、制度論としては困難がありますが、一般的にいかにあるべきかという立場から大学当局に反省を求め、考慮を促すという立場文部省としても当然あろうかと思うわけであります。今政府委員からちょっと耳打ちされて聞きましたところでは、今中教審諮問しております事柄の中にも入学試験の問題も含まれて諮問しているようでございます。中教審からもいずれは客観的立場からの答申をちょうだいするかと思いますが、にわかに間に合わないかとも思いますけれども、十分検討を加えて善処すべき課題だと心得ます。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 今中教審諮問されている、それは適切なる諮問だと思いますが、大臣のいないときに私は質問したのでありますけれども、現在の中教審の顔ぶれは、こういうことがわからない者ばかりだと思うんですよ。大体七十前後の年寄りばかりで、大学のことはわかっておっても、そういう高等学校その他のことについて理解する人が非常に少ない。おそらく中教審メンバーは権威を保つ機関であって、実際に政策を正当に進め、判断をするメンバーではない。その点について私疑問に思っているので、前にそういう意見を述べておいたのですが、その点については、別途の実際に経験を持った人々の意見を聞くような機構を持つ必要があるのではないか。特に入学試験はそうだと思いますが、それはそれとして、今大臣は、大学入学試験大学教授が決定するのが当然だというふうな思想であったと思うのですが 私はそうは思わない。国家試験によって国が一定した試験によって入れる、これは国が決定することになると思いますし、あるいは高等学校の、前に教えた先生意見を加味して問題を作成してきめるということもできますし、あるいは内申とかあるいはアチーブメント・テストによって、到達をした教育というものを、教えた人が認定することによって入れることもできると田ふう。ところが今大学入学試験というのは、大学教授が当然に自分で好ききらいをきめて、おれが教える者はおれが選択する権利があるというふうな思想入学試験問題の作成に出ておるので、それで高等学校で教えないような問題を勝手に出して、受験勉強が中心になって、学業放棄をする、参考書そのものだけを勉強して入学をする、学校授業をサボって家で予備校に行く あらゆる弊害が出ておると思うので、問題を作成する、入学者を決定するという人は、私は教える学校先生の当然の権利とは思わないのです。そういうことの考えを一応白紙にして 入学試験問題の作成機構というものを検討する必要があるんじゃないか。たとえば義務教育先生の場合は、入ってくる人の選択権はなくて、入った人を、どんなにできない子供でも、低脳の子供でも引き受けて教育をしております。小学校中学校先生は、与えられた子供を最善の入間形成をするのがわれわれの義務だといって教育をしているわけです。そして今度は同等学校の場合については、高等学校先生は錯覚を起こして、だれを教えるか教えないかはわれわれに選択権があるんだというので、中学校先生内申とか推薦とか、中学校先生がこの子供高等学校に進学する資格は十分あるのだという意見をなかなか聞こうとしない、軽視をしている。そして高等学校先生自分判断によって問題を作っていく。だから英語の先生がいない学校を卒業した中学校の卒業生は絶対入れない。僻地学校子供高等学校先生の作った試験では最初から入れないのです。私は教育をした先生が問題を作成をして、そして問題によってきまった人を上の者が教えていくということならあらゆる弊害はなくなってくると思うのです。そこのところに根本的に今までの慣行を当然のことのようにお考えになって、それを前提として諮問をされて答申が出ても、私は解決しないんじゃないか、そういうように思うので、この点はいかがでしょう。法律的にいっても疑問はないと思うのですが、大臣でも、次官でも局長でもけっこうですが、一つ見解をお述べ願っておきたいと思うのです。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今のお尋ねに対しましても、先ほどお答えしたこと以上には申し上げられないと思います。ただ中教審メンバーにも高等学校先生の現職の方が入っておられると思うのですが、そういう方の意見も反映して、いかにあるべきかについては妥当な結論が出るであろうということを期待するわけであります。それと今山中さんの言われる具体的に試験問題を作る機構をどうするかということは、別個のことではありましょうが、その機構考えるにしても、こんなふうに考えたらどうだという示唆も与えられるかもしれません。同時に、断片的なことを申しておそれ入りますが、二、三日前新聞を瞥見しておりましたら、大学側意向として、大学ごとにそれぞれ専門的に特色を持っておる、従ってその特色のある大学勉強するのにふさわしい人を選定する立場から、特殊の問題が一部入るということもむしろ望ましいことではないかという説を書いておった人もあるようでありますが、それが正しいかどうか、私はむろん知るところじゃございませんけれども、少なくともいろいろと大学側ないしは高等学校側意見があり得るわけなんで、そういうものを客観的にとらえて、最も妥当な試験問題の作成方法いかん、そういうことで検討の上でないと、にわかに今即席での結論を申し上げる段階ではなかろうという気持がいたします。検討させていただきます。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その諮問をされるにしても、大臣自身がある程度その考え方を変えておいていただかないと、諮問はやはりそういう線で出てくると思うので、今申し上げておるのですが、日本の大体の学校制度は、入学試験の出し方によって、大学基準になって、大学入学するために高等学校教育が曲がっていくし、高等学校入学試験の出し方によって、小中学校教育あり方が曲がっていっているわけです。一に入学試験の出し方だと思うのです。そこで、小中学校教育というものの線に沿うて、まじめに小中学校教育課程に従って勉強しておる者がそのまま自然に高等学校に入るような入学試験——これは入学選抜試験は廃してだれでも入れるという思想を含んで言っているのではないのです。そういう線において問題の作成が出てくれば、正当な教育に基づいて一生懸命に勉強した者が入る、高等学校においてその教科課程に忠実に勉強した者がそのまま大学に正当に評価をされて入るというのは、これは問題の作成いかんによるので、大学教授が作った問題が基準になって参りますと、下の下級教育というものが曲がってくる。従って私は、高等学校の担当した教師大学に入るための問題の作成に少なくとも十分の参加をするという体制を作らぬ限りにおいては、この弊害は絶対なくならないと思う。これは御承知のように、高等学校は中以下のずっと下の者でも、受験勉強専門にやった者は東大だって入るのですから、そういうあり方入学試験問題の作成にあるので、私はその点については根本的に検討すべきものがあるのじゃないかと思う。その点だけはおわかりだと思うのですが、いかがですか。
  10. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 一番最初お答えしましたときそういう気持は申し上げたつもりですが、原則として言えば、高等学校を経て大学にいくわけですから、しかも高等学校で教わる内容というものは全国的に共通的に指導要領で定め、その線に基づいた教科書を使って授業が行なわれるという、そういう平常の姿の教育を通じて十分に勉強している者は原則として入学できるという建前であるべきことは、私も同感でございます。ただ、そこに先刻御披露しましたような大学側意向がかりにあるとして、それを是なりと仮定して、どの程度それが加味されるか、あるいは全然そういうことは加味してはいけないかどうかということは、私にはわかりませんけれども、ともかく高等学校教育内容を十分に知り尽くして大学側が問題を作らねばならないということだけは言えようかと思います。その場合に、お説の通り高等学校先生が現に問題作成に具体的にタッチせねばならないかどうか。それに対する利点もありましょうが、弊害があるかどうかということもあわせ考えねばならない事柄かと思います。文部省にも視学官等がいて、同等学校教育経験者もおろうかと思いますが、そういうものによって置きかえるというふうなことができるかどうか、それでお説のような懸念は解消できるかどうか、いろいろ具体的な問題となりますと私もよくわかりませんけれども、繰り返し申し上げますが、原則は、高等学校教育実態を把握した上に立って大学入学試験問題が考えられねばならないという建前は、私ばそうであるべきだと思う。その期待を具体的に表わす方法いかんということは、また検討させていただかねばならないと思います。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 希望を申し上げておきます。とにかく現在の学校制度がさか立ちをして、一段階下教育というものが正常の姿で教育をされてその上に積み重ねていく教育にならないで、大学の方が基準になって下の方にしわ寄せがいっておる。そこに日本教育制度教育内容の非常なひずみが生じておるということは十分御認識を願って、しかもそういうひずみの根本原因入学試験の問題にある——ミスとかいうことは少しも言っているんじゃない、問題の出し方、問題の作り方にあると私は思うのです。そして一方に実験設備その他というものが高等学校中学校には不十分なために、実験に結びつく問題を出すということになると、これは設備のある、ないによって、実験をしないで暗記で教えた学校とそうでない学校で完全に違ってくる。実験に関する問題を暗記をして問題を書くというふうな弊害と結びついて、中学校及び高等学校選抜試験で進学する教育というものは、実態はもう全部予備校的になっている。文部大臣は先ほど予備校的になるということはやむを得ないと言われたが、それは間違いだと思うのです。そういうことはこちらの政策のやり方によって幾らでも改正できる。それは入学試験にあるのだということを深く認識をされて、具体的に中教審諮問をされた場合についても、また別に視学官——高等学校中学校経験した視学官もあるでしょう。あるいは全国の長い経験を狩った人——もう高等学校を二十年もした人はそういうことはわかりません。やはり現実に学級担任をしておるとか僻地教師とか都市の教師、漁村と農山村の教師ぐらいはやはり高等学校についても集められて、そうして別途に検討されるように私は切望いたしておきます。      ————◇—————
  12. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 義務教育学校教科用図書無償に関する法律案義務教育学校児童及び生徒に対する教科書給与に関する法律案及び教科書法案の三案を一括議題とし、質疑に入ります。  質疑通告がありますので、この際これを許します。小林信一君。
  13. 小林信一

    小林(信)委員 大臣も申されておるようにこの法案は確かに画期的な、文教行政の中で重大視すべき法案だと考えておるわけですが、政府で出されたこの法案について御質問申し上げるのですが、前に昭和二十六年に一応これと同じような形のものがとられたわけでございますので、これに対しまして政府としては研究しあるいは検討されておると思います。この点を少しお聞きして参りたいと思うのですが、まず第一番に、昭和二十六年の教科書無償法律が出されたその趣旨政府側としてはどういうふうになっておるかどうかお聞きいたします。
  14. 福田繁

    福田(繁)政府委員 昭和二十六年に出されましたものは、御承知通り昭和二十六年度に入学する児童に対する教科用図書給与に関する法律という法律に基づいてこれを実施したわけでございますが、これは公立小学校の一年の児童全部に対しまして国語算数教科書給与いたしたわけでございます。ただし国庫はこれを二分の一負担しまして市町村が二分の一負担するというような建前で出したわけでございます。当時のこの法律に基づきまして、法律趣旨は書いてございますが、その後、二十七年、八年はまた変わって参りましたけれども、要するに公立小学校の一年の児童の全部に対しまして教科書給与する、こういう建前で出したものでございます。
  15. 小林信一

    小林(信)委員 そのときの趣旨は、義務教育無償でなければならない、その原則にのっとってかかる行為をするのだということがうたってあったと思います。当初は一年生に無償で渡すのだが、やがてこれは順次全体に及ぼす方針だ、こういうふうに法律にも——あるいは法律にはなかったかもしれませんが、そのときにそういうふうに政府側から説明を受けたように記憶しておりますが、政府のそのときの態度というものもそういう態度であったかどうか。
  16. 福田繁

    福田(繁)政府委員 この法律の第一条に目的を誓いてございますように「義務教育無償理想のより広範囲な実現への試みとして、地方公共団体に対して、昭和二十六年度に公立学校入学する児童教科用図書給与を奨励することを目的とする。」というような言葉を使ってございます。従って御承知のように義務教育無償原則憲法に掲げるところであります。従って憲法理想をより広く実明する試みとしてこれを実施する、こういうような考え方でこの法律はできていると思います。当時の小学校の一年生に対しまして国語算数教科書給与いたしました趣旨は、そういう無償理想をより広く実現するという考え方に基づいて出したものと考えております。
  17. 小林信一

    小林(信)委員 それと同時にさらにお伺いしたいのは、当時は一年生であったけれども、これを小学校中学校義務制には全部適用するというような意思があったかどうか。
  18. 福田繁

    福田(繁)政府委員 政府部内にはそういう考え方もあったと思いますが、しかしとりあえず一年の児童に対しまして国語算数だけをやるというような考え方で、この法律はできております。
  19. 小林信一

    小林(信)委員 あったかどうかというここは念を押しておきたいところなんですがね。そのときの答弁等では、はっきり全教科書である、しかも中学校小学校全体に及ぼすように考えるその手初めだ、こういうふうに説明されたと思うのですが……。
  20. 福田繁

    福田(繁)政府委員 そのような考え方であったと思います。
  21. 小林信一

    小林(信)委員 もっとはっきり言ってもいいと思うのですがね、その後教科書がこの法律から変わってお祝いになったときに、天野文部大臣もはっきりと——われわれが非常に危惧をはさみまして、従来のものと変わってお祝いというような形式になったのは非常に将来が憂慮される、これは決してお祝いというようなことではなくして、必ず将来は全学年、全教科書無償にする考えに変わりはないかと念を押しておるわけなんですよ。これに対して天野文部大臣もはっきり必ずそういう趣旨でやります、必ずそういうふうにいたしますということを言っておるのですがね。あなたのおっしゃるところはきわめて不明瞭なのですが、当時の政府はわれわれ国民に対しては、決して中途でもってこれをやめてしまうとかあるいはなくなしてしまうというようなことはいささかも漏らしておらないわけなんです。かえってこれが拡大されて全学年、全教科書に及ぶというふうに述べられてあるはずなんですよ。従って最初昭和二十六年に出された法律を説明する場合にははっきり、今のように不明確なものでなくて、非常な希望国民に持たして政府態度を表明されておったわけなんです。そこでそういうものがなくなったということは、今度この教科書無償法律が出されて実施されるにあたってはなぜそれが雲散霧消してしまったかということを検討しなければならぬと思うのです。そういう点は、この法案を出すからには、文部省当局としては十分検討もし、今度は確たる信念に立って立案される態度を持っておられると思うわけです。そこでその経緯を、私この際検討する必要があると思うのですが、昭和二十六年に施行されたものが、これがお祝いになった。今考えれば、われわれ国民政府にだまされたわけなんです。当初の意向というものとすぐここで中断することは、衝撃を与え過ぎるから、お祝いというふうな形にして順次なくなそうという腹がもうすでにそのときにはあったわけです。しかしわれわれの質問に対しては、国民の要望に対しては、きわめてあいまいな態度で、必ず将来も続けてやりますとか、順次拡大して全教科書に及ぼすというようなことを言っておるわけです。今考えてみれば、政府態度は、この問題に対してはきわめて欺瞞的な行為をとった、こう言っても差しつかえないわけなんです。しかしその中にやはり何らかの形でもってやり切れない、やることが不可能だということがあったと思うのです。  そこでまず第一番にお聞きしたいのは、当時最初の懸案は、地方行政に半分財政的に負担をさせて、そして国庫が半分負担をしたわけですが、これが非常に問題だったと思います。私もそういうふうに聞いておりますが、その点は、今なさろうとする当局はどういうふうに反省しておられるか。
  22. 福田繁

    福田(繁)政府委員 先ほど申し上げましたように、二十六年の当初は、小学校の一年の児童に対しまして国語算数教科書給与いたしました。国が半分持ち、地方団体が半分持つ、こういうような建前でできておったのでございますが、地方公共団体の半額負担ということにつきましては、その後地方側から、やはりこれは全部国が負担した方がいいんじゃないかというような意見も確かにあったと思います。それから地方に半額負担させるということにおきまして、事務的ないろいろ煩瑣な面もございましたので、そういう点をいろいろ勘案いたしまして、次の二十七年度には、これはやはり国語算数のものでございます。目的も若干変わっておりますけれども、国が買い上げまして、それを給与する、こういうような建前に変わったものと承知しております。
  23. 小林信一

    小林(信)委員 もっと深い原因追及というものはなさっておらなかったわけですか。大体それが政府が今つかんでおる全貌ですか。
  24. 福田繁

    福田(繁)政府委員 私が承知しておりますのはそういうことでございます。
  25. 小林信一

    小林(信)委員 今回の法律は、調査会を設けて、その調査会の答申に基づいてというふうな、りっぱなことをおっしゃっておるのですが、やはりそういう過誤というものはあるわけなんですから、その過去の反省の上に立って、文部省当局が明確な態度を持っておらなければ、また雲散霧消するおそれも私はあると思うのです。今のような見解だけでもってもし臨んでおるとするならば——実際はもっと深いものがあるかもしれませんが、私は、また今度の教科書無償も同じような運命をたどるような気がするのです。一体あの法律を国会で審議するときには、文部省はほんとうにやるつもりがあったかどうか、準備態勢が確立しておったかどうかを実際はお伺いをしたいわけなんです。今のような問題にしても、準備態勢というものがなく、ただいたずらに国民が喜ぶからというようなことでもって出発したのが大きな原因だと思うのですが、今のような地方財政の要望から、国が負担をしてくれと言ったから、負担をするように次はしたのだ、こんなことは簡単にはうかがわれないわけなんです。それ以前に政府態度というものが明白になっておる以上は、そんなことであれだけの重要な法律がなくなることは、私には考えられない。何か業者の方で、半分の方は国からもらえるからこれは確実なんだけれども、地方財政の負担をする分というものは市町村の支払いがなかなか困難だ、従って金の回収がおそくてうまくいかぬとか、あるいはそのための金利が重なって損をするという業者の要望というようなことがあって、国の方でも全額国が負担をするというふうに変わったとも聞いておるし、実際市町村の方でも普通の商店に支払うのと違って、国が保証をしておるようなものであるから、支払いがずさんだったというような傾向も承っております。確かに地方にこういうふうなものをゆだねれば、本の数から、あるいは金の徴収から、事務的に非常に煩瑣になってきて、文部省としても、この無償を実行する際に、非常に不都合なところがたくさんにあったと思うのです。とにかくそういう地方の市町村の金銭出納の面の煩瑣あるいは業者の要望というようなものが、どうしても国の半額負担ではできないというようにされたと思うのですが、もう少しその点を明確に文部省としても、この際していただきたいと思うのです。
  26. 福田繁

    福田(繁)政府委員 その点につきましては 市町村が半額負担をするということにおきまして あるいはそういう業者側からの要望も確かにあったと思いますけれども、今おっしゃいました中にもございましたように、国が半額だけの負担でやります場合には、その代金の回収等におきまして、やはりいろいろ技術的にもめんどうな点があることは事実でございます。しかしそれのみで変わったというのは、私どもは承知しておりませんけれども、そういう点も確かに二十六年の実施の際にはいろいろ研究すべき問題であったと思います。そのほかに、もちろん財政上の理由もあったと思います。いろいろな点から二十七年の場合には 新たに入学する児童に対しまして教科用図書給与する。これは国民的な自覚を深めるというような趣旨小学校一年の児童に対しまして、同じように国語算数教科書給与した、こういうことになっておるわけでございます。
  27. 小林信一

    小林(信)委員 そのほかにもと言われるが、そのほかにもあるなら それを明確にしていただきたい。これは非常に大事な問題だと思うのです。
  28. 福田繁

    福田(繁)政府委員 そのほかと申し上げましたのは、それは財政的な理由もございます。それから今のような事務的な、あるいは技術的な手続の問題もあると思います。そういうことでございます。
  29. 小林信一

    小林(信)委員 大体財政的な問題あるいは事務的な問題は、今お互いに話し合った点で尽きておると思うのですが、そのほかにもという点が、さらに何かおありになるかどうかを私はお尋ねしたのですが、ないようにお見受けしますが、これを実行するにあたって、こういう点が準備が不十分だったというような反省をされておるか、あるいは大丈夫この問題はこういうふうにすれば解決できるんだという、その当時あるいは今日、何か見通しを持っておるかどうか伺いたい。
  30. 福田繁

    福田(繁)政府委員 そのほかには理由はないと思いますが、今回の場合は二十六年あるいは二十七年のときの趣旨と違っておりますので、従って教科書無償を実施するための必要な措置というものは、これは調査会で検討していただいた上で実施するという建前をとっております。そういったいろいろな技術的な面も確かにあると思いますので、そういった点は十分検討した上で、これをその結論に従って処理するというような考え方でおるわけでございます。
  31. 小林信一

    小林(信)委員 しかし行政者としては、そういうことが原因でもって半額国庫負担の形を全額国庫負担にしたというのであれば、今後もし半額国庫負担の形でもって答申がなされたような場合には、それは不可能である、できませんと言うくらいの行政官としての責任があるのじゃないかと思うのです。過去にそういうふうなことを持っておりながら、今度答申案が何と出てくるかわからぬ、出てきたものに対して善処するというような考え方では、私は行政者として非常に無責任だと思うのですが、どうですか。
  32. 福田繁

    福田(繁)政府委員 その点はどういう答申をいただけるか、まだこれからの問題でございますので、もしそういう議論の際には、過去の経験というものは私ども十分申し上げて参考に資したいと考えております。
  33. 小林信一

    小林(信)委員 だから過去の経験の上から、今文部省の持っておるものを私は今ここでもってはっきり申していただきたい、こう申し上げているわけです。
  34. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 二十六年、二十七年に実施しました概要については、政府委員からもお話を申し上げたわけですが、これはまさしく憲法二十六条の趣旨を受けまして発足したことは確かでありますが、あくまでもそれは試みとしてやるということであって、それが最終的に確定した法律案内容を持っていなかった。また二十七年にいたしましても、法律そのものが新たに入学する者について教科書無償とする建前でありまして、法律上当然に小学校中学校義務教育ことごとくに対して教科書無償とする建前ではなかったと思います。   〔委員長退席、八木(徹)委員長代理着席〕  むろん当時の政府当局としましては、将来だんだんと伸ばしていって、憲法二十六条の趣旨に沿うように教科書は少なくとも全部無償にしたいという希望は持っておったと思います。そういう希望は国会でも表現したことと思います。ですけれども、それは一つの行政府としての希望にすぎない。法律そのものがそのことを明言し、宣言していないところに法律上の根本的な弱点があった。そのことが希望希望で持ち続けましたけれども、財政上の都合ないしは事務的、技術的な都合によって、その繁にたえなくなってついに沈没するに至った。その制度の廃止の法律の御審議を願って、国会でもやむを得ないものとお認め願った。そういう経過をたどった根本の原因は、教科書無償とするのだという全部についての方針が確立していなかった点に私はあると思います。今度の場合は、その方針は確立した上で、その発行会社のあり方が今のままでいいだろうか、あるいは配給機構等も現状のままでいいだろうか、さしむきは三十八年に入学します小学校一年に無償給付するための予算措置だけしかしておりませんが、それは順次年次計画そのものも調査会で相談をして、いかなる年次計画がよろしいかを答申してもらったその線に沿って、あらためて予算措置そのものも年次的にきまっていく、そういうことでございまして、根本の相違と申しましょうか、二十六年、二十七年の教科書無償が幾ばくもなくて廃止されるに至った根本の原因は、法律制度それ自体に内在しておる理由が最大のものであったというふうに私は考えております。
  35. 小林信一

    小林(信)委員 大臣の方は、前の教科書無償法律というものは試みである、こういうふうに言わておりますが、あのときに私たちが承ったものは、相当決意を持って、国民希望を投げかけた法律であって、そんな試みというふうな印象はなかったわけです。しかし政府試みであると言うなら、そのまま受け取って話を進めていこうと思うのですが、試みであれば試験的なものであるということですから、教科書無償にする場合のいろいろな問題点というものはいよいよ明白になっておらなければならないわけなんです。私はそこを聞いているわけなんですよ。その試みによって政府はどういうふうな反省を持っているか。ということは、結局いまさら調査会を持ってやるということは、これだけの経過を持ち、試みとして試験的に行なっている以上は、もっとそこには金もかけ手数もかけているわけなんですから、今後実施する場合にはこういう方針で、こういう方法でというものがなければならぬと思うのですよ。だから本来なら今さら調査会を持つということは非常に不見識ではないかということにもなるわけだし、でなければ前回行なった教科書無償のことが非常にずさんなものであったということを認めなければならぬわけで、私はそこに問題を集中しているわけなんですが、さしあたって一体全額無償国庫負担をしてやるのか、あるいは答申に地方が半額を持つというふうなことが出ればその通りにするのか、ここら辺は過去の実績から考えて全額国庫負担しなければならぬじゃないか、これぐらいは政府としてもしっかりしたものを持っていいのではないか、こういうふうに実は聞いてきたかったわけなんです。  そこで大臣が今おっしゃった発行会社がきょうのあり方でいいかどうか、あるいは配給機構の問題がきょうの状態でいいかどうかというふうなお話がありましたが、これに対していいかどうかというならば、大臣としても何らか現行の制度の中に不満を持たれている点があるように伺われるわけなんですが、その点をできたら御説明願いたいと思います。
  36. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほどのお尋ねに対してお答えが少し十分でなかったので補足させていただきます。  御指摘の昭和二十六年の教科書無償法律法律の題名それ自体昭和二十六年度に入学する児童に対する教科用図書給与に関する法律とうたってあるのみならず、その第一条には、「義務教育無償理想のより広範囲な実現への試みとして」と法文そのもので明記いたしておりますから、一時的なものであったことは法律そのものが明瞭に物語っております。しかしその当時といえども、当時の政府当局としましては憲法二十六条の趣旨に従って逐次充実していきたい希望は持っておったことは当然であろうと思います。法律それ自体が一年限りであり、試みであるという制度のもとに発足したものであることを申し添えさせていただきます。さらに二十七年の法律は新たに入学する児童に対する教科用図書給与に関する法律という題名でございますと同時に、その内容は第一学年に入る者だけについて、いわばはなむけとして送るという建前法律そのものが明記いたしております。従ってこの法律に関する限りは一年生の者だけは何とか維持していきたい意思はあったろうと思いますが、二年、三年、四年、五年、六年、中学まで及ぶという意思は法律自体になかったわけであります。従ってそういう中途半端なことでは適切でなかろうということで、廃止の運命に立ち至った、こういうことと心得ます。従って今度はそういうことでなしに、予算措置は当面財政の都合上、一年生だけの分を措置いたしておりますけれども、当然に今度の法律義務教育課程全体について教科書無償とするという建前国民に明確に約束をし、その具体的なやり方だけを調査会待ちでもって——他の立法で、政令でもやれないことはありますまいけれども、万全を期して法律によってその実行方法を定めるということで、これも昭和三十七年度一年度限りでもってその結論は必ず出すという建前をとっておることで、その根本的な相違点を御理解いただけようかと思う次第であります。  そこで、今さら調査会待ちはおかしいじゃないかという御議論もあり得ると思います。もし拙速をたっとぶとしますならば、現行の教科書の発行に関する臨時措置法に基づきまして、従来やっておりますやり方を、予算措置を講じさえすればやれるという論も成り立ち得ると思います。実行もまたできると思います。しかしより慎重に、根本の相違は今申し上げた通りでございますけれども、事務的に技術的にいろいろとこの前の失敗と申しましょうか、至らぬ点もあったことも反省されますがゆえに、そういうふうなことをこの際調査会で十分審議してもらって、失敗しないような考え方答申してもらった上に立って、三十八年度以降に処したい、こういうのが調査会でございます。教科書発行会社のあり方等につきましても、当初現行法でやろういう考え文部省としては一応持ったことはございますが、そのときといえども、国民の血税をもって無償にするという、しかも金額的にも、全部を一挙にやるとしますならば、現在でもって百五、六十億円は要る、平年度になりましても百億円は要るというぐらいの膨大な財政支出を必要とするのに、完全に自由企業になっていると言えるくらいの今の教科書会社のあり方だけでいいだろうか、少なくとも現在の教科書会社は実績に照らして認めていくにいたしましても、新たに教科書発行会社とならんとするものは、義務教育教科書無償原則を十分に念頭に置いて、確実な会社でなければいかぬという建前から、認可制度にしたらどうであろう、そうでないならば、納税者たる国民に対しては申しわけない意味がありはしないかということも、私どもの立場だけでも連想をいたしました。それから今の配給機構も、現在のままで動きはしますものの、もっと能率的に合理的にやれる方法はないであろうか、当初考えました時分には行政指導で何とかいくのではないかとも思いましたが、もし調査会の慎重審議の結論として、立法措置を必要とするようなところまで合理化し整理する必要を認めた答申をいただくとするならば、これまた立法事項になる可能性もある、さらに年次計画等につきましても、調査会の答申に基づいてそれは動かさないという建前の年次計画を確立したいというような事柄が、調査会待ちのおもな事項でございまして、今さらというお説もあり得ましょうけれども、どうせ今度は本式にやるならば、再び前の轍を踏まないように用意をしたいための調査会であると御理解をいただきたいと思います。
  37. 小林信一

    小林(信)委員 重ねてこの問題を蒸し返すのは失礼かもしれませんが、試み試みとおっしゃって、前にやったことはかりのことであるというふうに印象づけられるわけですが、確かにあのときの政府側の説明というものはそんな簡単なものじゃなかった。今後は相当これが基礎になって、やがては近い将来教科書無償になるのだ、それが憲法の精神にのっとって、憲法も生きてくるのだというように、単に教科書の問題だけでなく、憲法というものも相当に国民には強く印象づけられて、あのときには政府側からいろいろ説明がなされたわけなんですよ。それを今さら、試み法律に書いてあったじゃないかというふうなことを言われても、それは決して意味のないことであって、やはりそれだけの金をかけ、手数をかけた以上、その試みによってどういう成果が出てきたか、その成果が今検討されて今日こういう態度になってきたのだと、よってくるその経緯というものをこの際私たちに明白にされることが大事だと思うのです。ただ試みだったから何も反省なかったのだ、これからあらためて教科書制度に取っ組むのだということは、私はどうしても理解がいかないわけなんです。さらに発行会社の問題、今度は国民の血税を取り上げて、それによって教科書無償にするのだから、この際教科書発行会社のあり方検討しなければならぬというようなことは、この法案とは切り離しても考えられる問題だと私は思うのです。なぜならば、教科書を国が無償でやろうがやるまいが、国民教科書自分がやはり金を出して子供に買ってやっておるわけなんです。従って税金になろうが、直接財布から出そうが、問題は同じことであって、無償になるかならぬかという問題でなくて、発行会社の問題をもし検討する必要があるならば、当然これは切り離しても考えていかなければならない問題であるし、あるいは配給機構の問題も同じだと思うのですよ。こんなことを何もこの問題と結びつけて考えなければ行政指導ができないというようなことは、これは文部行政の怠慢であるということを言われても仕方がない、こう私は考えるところであって、適切な大臣の答弁とはとれないわけなんです。もちろんそれはこの問題の出た以上、教科書に関係するものはあらゆる問題を包含して取り扱うことはいいでしょう。いいけれども、何もそれだからここでもって調査会を設ける必要があるのだという理由には私は聞かれない。  そこで最初に返りますが、大臣にごまかされたような形になりましたが、なぜ昭和二十六年度の問題を、たといそれが試みであってもやめたかというその理由がまだ明白になりませんが、その点もう一ぺん御答弁願いたいと思います。
  38. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほども申し上げましたように、法律そのものが、昭和二十六年度に入学する児童に対する教科用図書給与に関する法律ということで、その年度限りの建前であったわけでございます。だからこれは理由なしに廃止せざるを得ない。法律そのものに内在する事柄から廃止されたわけであります。廃止されっぱなしでは残念だから、さらに二十七年には、新たに入学する児童に対する教科用図書給与に関する法律として、新入学生だけに限って無償給与をしようということに改まったわけでありまして、これまた法律そのものが一年生だけで、二年生には絶対に及ばないという建前になっておりますので、そういうことでは実際の効果が上がらない、本来の期待が十分に達成せられないということで、廃止の運命になった。それに付随して事務上、技術上いろいろなトラブルがあって、むしろ廃止してあらためて出直した方がよかろうという形で、廃止の運命にたどりついた、こういうことだと理解いたすのであります。そこで、別にごまかすわけでも何でもございません。当時の政府側の国会における説明なり御質問に対する答弁では、速記録を全部私は読んでいるわけでございませんで、おそれ入りますけれども、所を変えて当時の政府側に立ったと仮定してお互いが考えましてもわかりますことは、憲法二十六条の趣旨を敷衍する一つ試みとしてやるという以上は、当然それに続いて、試みの結果に基づいて前進していくのだということであったことは言わずして明らかでございまして、そういう希望は、また政府側の意図は、明確にお話もあったことは必然的なことだと存じます。そのことにいささかも私は疑義を持たず、それにけちをつける意思は毛頭ございません。ただ現実に昭和二十六年、七年のいわば試みが廃止されたことは事実でございますから、その事実を顧みながら、そんなことにならないように第三番目の発足をするならば、根本の方針を確立して再スタートすべきだ、そういう建前に立って今の法案を提案したような次第でございます。ただそれの実行方法につきましては、文部省だけの事務的な検討でやれないことはございませんけれども、さらにそれを慎重にし、再び、三たび、また廃止せねばならないような考え漏れがあってはいけないので、調査会に客観的な立場から審議していただいて万全を期したい、こういうわけでございます。教科書会社にいたしましても、何もこの機会にやらねばならないことじゃないじゃないかという仰せですが、そういう意味も多分にあると思います。ですから現行の教科書発行に関する臨時措置法は廃止するつもりはございません。これはこれで生きている。足らないところがありはしないかということを調査会で検討していただこう。たとえば認可制度にした方がいいか悪いかということもございましょうし、また教科書無償のやり方が、初めの試みの場合のように、国があるいは公共団体と一緒になって、本そのものを物として買い上げて、それを配給するという考え方もありましょうし、教科書発行会社の実態を聞いてみますと、相当まとまった金が要るものですから、資金繰りになかなか苦労がある趣であります。それならば、たとえば三十七年度予算に計上しております。億円余りの金を年度内に一部を支給して、完了したときに決算して渡すというふうなやり方、いわば一種の物としての本の買い上げということでなしに、本を作って山間僻地の末端まで配給するという一連の一種の混合契約的なやり方で無償を実施するとしますればなかなか単純ではない、法律的にもあらかじめ金を概算払い的に渡すについては立法措置も要りましょうし、教科書会社それ自体が会計検査院ないしは大蔵省等の監督のもとに立つという関係も当然出てくることが連想されます。それら一連のことをいろいろと考え合わせてもらって、どういうやり方が一番妥当であり、安定していけるであろうという意味の調査を調査会にお願いをしたいということもむろんございまして、何も今度の法案に際会して、このときとばかりどうしようということでもなし、あるいはこの法案に関係なしにやれることを、怠慢をごまかそうとする意思でもなし、きわめて誠実に、事務的に、技術的に考えても、必然的にそういう課題が出てくる、その万全を期したい、繰り返し申し上げている意味はそういう意味でございます。
  39. 小林信一

    小林(信)委員 大臣のおっしゃる慎重にやるということ、これはもう行政者の当然のことであって、国民もこれに対してはいささかも異議がないと思います。しかし慎重ということにも限度がある。さらに行政官としては、こういうことについては常に考えておるべきことであり、心がまえというものは常に持っておる問題だと思うのですよ。してみれば、一切がっさい調査会にゆだねるとか、慎重を期するために調査会にゆだねるんだということも、私は無制限にそういうことが許さるべきものじゃないと思う。だったら、行政官というものは要らないので、こういう調査会の諮問機関を設けて、それから出てくるものだけでもって行政をやればいいということになる。これは極端な言い分ですが……。従って、大臣のおっしゃる慎重の意味もわからぬわけじゃないのですが、大臣のおっしゃることは、行政機構というものがなくてもいいんだというようなことまでいくおそれもなきにしもあらず、こう考えるので、この点も大臣、よく考えていただきたいと思うのです。  それから、大臣は私の質問に対して、あくまでも昭和二十六年の法律試みであるということをおっしゃっておるのですが、試みであってもよかったら必ずこれは前進すべきはずだったわけです。幾ら一年こっきりの法律であっても、その法律がよければ継続されるはずです。それが継続されなかったのはなぜだ、これを追及することが、これから同じものを実施しようとする場合には検討されてしかるべきである、これについては、十分な検討文部省としてなされておるべきだという建前で、しかも、大臣のように飛躍せずに、具体的な問題から一つ一つこの際検討していくべきだと思って尋ねているわけです。だから、そういうふうに飛躍をされずに、まず第一番目に、最初の年には半額国庫負担であったのが、来年度には、お祝いという言葉に変わり、法律も変わってはきておるけれども、そこには半額国庫負担は無理だ、だから全面的に国庫負担でいかなければいけないのではないかというふうに変わったわけなんですから、その変わり方をどういうふうに文部当局は把握しておるか、反省しておるかということを尋ねることは決して無意味ではないと思うわけなんです。それを私は局長にお聞きしておるわけです。
  40. 福田繁

    福田(繁)政府委員 大臣の申したことに、大体尽きておると思いますけれども、一点補足させていただきますと、二十六年の法律は、もちろん二十六年限りの法律でございますが、しかも、その法律内容を拝見いたしますと、第二条には、市町村が児童に対して教科書給与する場合に、国が二分の一の補助をするという建前になっております。従って、純粋に、法律制度の問題から考えますと、これは補助でございまして、建前論としては、市町村が給与をしなかった場合には、国は補助をしない、こういうようなことになりますので、その点から申しますと、第一条の法の趣旨と若干足らない面があるのではなかろうかというような感じがするのであります。従って、そういう点を十分検討した上で、二十七年度の問題を発足させようという心組みであったと考えます。それで、いろいろ研究された結果が、二十七年は全額国が負担して、国語算数は全部の新入児童に対してこれを支給する、こういうような建前にして、その点はよりよく改善されたのではないか、こういうように考えるのでございます。
  41. 小林信一

    小林(信)委員 義務教育無償という憲法にのっとっても、義務教育が半額国庫負担であるというふうな形であるから、あの当時半額負担の形をとったのか、この点、どういうふうにお考えになっておられたらしいですか。
  42. 福田繁

    福田(繁)政府委員 御質問趣旨が、多少私の申し上げる点と違うかも存じませんが、やはり憲法義務教育無償原則をより広範に推し進めるという考え方から申しますと、例外なく全部の子供に対してこれを給与するという建前の方が望ましいという前提で物事を考えるべきであろうと思います。
  43. 小林信一

    小林(信)委員 これは今後あらゆる問題について検討される基礎になると思うのですが、義務教育無償だといっても半額国庫負担という形でもってすべてが行なわれておるから、半分だけ負担をして、それが大体無償原則に沿うものだというような考えになるのかならぬのかという基礎的な検討のためにお伺いするのですが、昭和二十六年のこの法律を出すときには、無償といっても半分は市町村が負担して半分は国庫負担をする、それが無償じゃないかという建前で出発したかどうかということを聞いているわけなんです。明確でなければいいです。
  44. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほど政府委員から二十六年度の第二条の趣旨を申し上げてお答えしたようですが、当初の試みは、まさしく先ほど申し上げましたように、市町村が実施主体であって市町村ごとのものの考え方無償にするかどうか具体的にきまる、無償にした市町村に対しては国が半額補助をするということでございますから、私の聞いて承知します限度においては、決算がなかなかおくれまして、教科書会社に現金が渡るのが半年も七カ月も後にならなければ渡らないということのために悲鳴を上げたというのが、かなり再考を促す要素になったようであります。そこで今度調査会で審議してもらいます事柄の中にも、当然国で全部持つか、あるいは国と公共団体で、義務教育一般のやり方のように、たとえば義務教育学校の教職員の給与負担のやり方のように、国が半分、地方が半分というやり方でいくか、どっちがよかろうという事柄諮問をし検討していただく予定でおります。ですけれども、その二分の一負掛というやり方も、今二十六年の法律について申し上げましたやり方もある。すなわち実施主体を市町村にして補助金というやり方でやるのが試みられた一つのケース、さらに義務教育学校の教職員の給与の分担みたように、当然に国が半分、地方が半分持つのだとして、実績に基づいて最後に決算をしてケリをつけるというやり方もございます。それから今申し上げたように、申すまでもなく国が全部持つというやり方もあるわけであります。いずれも憲法にいう義務教育無償考え方には沿うものと思いますが、最もいい方法は、国で全部持つことが一番簡潔で本来の趣旨にぴたっとするのじゃないかと私は思います。かりにまた二分の一ずつ持つといたしましても、現在の、小林さんよく御承知の、今申し上げました教職員の給与負担みたいに、当然のこととして実績に基づいて決算で最後の締めくくりをつけるというやり方は、現実問題としては二十六年の場合と全然異なって混乱は生じない。この二分の一負担のやり方が第二番目の考え方。二十六年のやり方が一番拙劣なやり方だと私は思います。これは私見でございまして、そういうことも、もっと深く具体的なことも調査してもらって、調査会の答申に基づいてそのいずれかにしたい、しかし少なくとも二十六年に実施しましたやり方は混乱を生じたことは経験上はっきりしておりますからとるべきではなかろう、そういう気持でおるわけであります。
  45. 小林信一

    小林(信)委員 別に大臣をおだてるわけじゃないのですが、大臣くらいに文部当局のお役人さんが検討しておれば全く調査会なんか持つ必要ないと思うのです。文部省の面目にかけても調査会なんか要らぬと。大臣は就任して何もそんなに長くおやりになったわけじゃないのですが、そのくらいにこの問題について考えれば、まず昭和二十六年にとった態度というのは最も拙劣な方法である、一番好ましいのは国が全部負担することだ、さらに何かそこに町村負担の形式で便法はないかという検討をされる。大臣はその最高責任者であるから当然かもしれませんが、昭和二十六年に行なってこれが取りやめになったということは単なる試みじゃないのです。計画がずさんであったかあるいは準備態勢というものがなくてやったのか、きわめて軽率なやり方であったからだと思うのです。しかしやった以上は、これは将来考えなければならないことなのですから、当然そこにもっと反省をし検討を加えて、今後これが行なわれる場合にはこういう方法でなければならぬという確たるものが官僚の中になければ私はうそだと思うのです。それが責任を問われるようなことがあってはならないという点で口をふさいでいるのかどうか知りませんが、局長の方からお答えされずにきわめてあいまいな御答弁で終わっておる。大臣はそこまで率直に言われてきたわけですが、私はここで前回の反省の上に立っていえば、地方財政に出させるという方法はどうしても今後とられないと思うのです。何かの便法がつけば別ですが、やはり国が全額国庫負担をしなければならぬ、そうしなければまた中途でもってこの問題は挫折し暗礁に乗り上げるようなことになるおそれがあると思うのです。このくらいは私たちが考えるのでなくて、当事者は真剣に考えて、今回は絶対に全額国庫負担でなければやれないのだという意思表明が検討の中に出てこなければうそだと思うのです。従ってその意味から調査会に今のような文部当局態度でもって諮問をする、その答申を待って何か考えるというようなことをやるならば、また前回と同じように試みに終わってしまう。そんなことを重ねたら文部行政の権威も失墜するわけですし、非常に国民に不安を与えるものだと思うのです。そこで大臣の御答弁で大体今後の方針というものは伺えたわけですが、そういうものからしても、私は調査会なんというものを持つ必要はないということを言わざるを得ないわけなんです。  そこで次にお伺いしたいのは、今度昭和二十七年に移るわけなのです。入学祝いにやったという問題ですが、このときも、大臣の御答弁はまたおそらく前回と同じような、このときだけのものだというふうにおっしゃるかもしれませんが、速記録を見ればわかっていただけると思います。終始天野文部大臣が、これが必ず全学年、全教科書に発展をするものだ、この点はかたくお約束をするというふうに記録されております。それが今度は完全に取りやめになってしまった、それに対して文部省はどういうふうにその経緯を確認しておるか、御説明願いたいのです。
  46. 福田繁

    福田(繁)政府委員 二十七年の法律は御承知通りに、新たに入学する児童に対する教科用図書給与をする法律でございます。従って当時の大臣その他の関係者の中にはそういう拡大したいという気持は持っておいでになったと思いますけれども、法律自体としてはこれは新入児童に対する教科書給与でございますので、一年生だけにこれは給与するという趣旨のもとに、制度的にいって始められたものと考えております。
  47. 小林信一

    小林(信)委員 局長、何かこだわっているようですが、法律自体お祝いであるから云々だけでもって御説明が終わっているのですが、なぜそのお祝いもやめたか。それから前からの関連で言えば前には無償でもって発足して、そして順次拡大をするということは、試みであっても何度も政府から答弁されておるわけなんです。もしよければ、あれは必ず拡大されたわけなんです。それがお祝いになったということは、その当時政府の説明はきわめてごまかしであったということは、これはもう問題ないと思うのです。なぜお祝いに変わったか。そのお祝いになったものが、なぜ取りやめになったか。法律がこうであったからどうだということで終わってますが、もう少しあなたたちがつかんでいるものを聞かなければ——あるはずなんです。それを聞かしていただけば、これからこの法律を審議するにあたって非常に参考になると思うのです。その点はきょうはもう時間がありませんから、次回に……。ここはやはり大臣に遠慮する席じゃないと思うのです。あなたたちがつかんでいるものを率直に御説明願いたいと思うのですよ。決して調査会をそのために云々されるというようなことはない。調査会にも、もし設置されるとすれば、非常な参考のものになると思うのですから御用意を一つお願いして、それでは質問をかわります。
  48. 福田繁

    福田(繁)政府委員 ただいまの御質問でございますが、後段の方は私まだ申し上げておりませんのでなんですけれども、二十六年から二十七年に変わりましたのは、二十六年の法律が暫定的なものでございましたので、よりよき法律を二十七年には作るという前提でできたものと考えております。二十七年の場合は御承知通り小学校の一年の新入児童に対するお祝いとして国語算数給与する、こういうようになったわけでございますが、それが二十七年、八年と継続いたしまして、九年になりますと、このお祝いとしてやるということよりも、要保護児童あるいは準要保護児童に対する教科書給与を広げるべきではないかというような議論も出てきたと思います。従ってそういう趣旨から二十七年に制定されました法律は、お祝いとしてやるということをやめまして、むしろ二十九年以降におきましては、この考えが社会保障的な考えに変わってきているということは、これは事実でございます。そういう考え方から、経過的に申し上げますといろいろな措置がとられてきたわけでございます。   〔八木(徹)委員長代理退席、委員長着席〕
  49. 小林信一

    小林(信)委員 時間がないと言いながら、これは重大な問題ですからやはり一言申し上げておいて、さらに御答弁をお願いをしますが、何かあなたのこの教科書給与する変遷の仕方というものは、私に言わしめれば、非常に最初に強くうたったものが消極的になってきて、生保保護、要保護の子供にやった方がいいじゃないかというけれども、もし無償にすればそんな要保護の児童はみな救われるわけなんで、だから積極的な方向をたどりさえすれば問題はないのを、そういうふうに変わってきたというのは、とにかく政府態度というのが消極的になってきたわけなんです。その消極的になってきた理由というのはどこにあるかということを私は尋ねていきたいわけなんです。それが今社会保障の方向にいくことが正しい、これならこれでいいんですよ。義務教育無償よりも社会保障の形でもっていく方がいいというなら、その見解をはっきりと明示してもらえばそれでもいいと思うのです。それがやはり今後のこの法律審議のために非常に役立つものだと思うのですが、とにかくそれと同時に、そういう点を明白に整理してきてもらうことと、それからここでもってお願いすることは、各国の実施状況ですね。どことどこというふうなものでなくて、何年ごろからこの国は実施しておるか、その実施の仕方も、給与の仕方、支給してしまう仕方と、それから貸与の仕方がありますね。こういうふうなものを参考に、ぜひ一つ資料として出していただきたい。それからこれはさっき大臣から簡単に百五、六十億というふうにおっしゃっておられますが、全額負担をする場合の費用、これもできるだけ詳しく出していただきたいと思うのです。そして次回にまた審議の上の参考にしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  50. 福田繁

    福田(繁)政府委員 資料につきまして、できるだけ御要望の線に従いまして提出いたしたいと存じますが、教科書無償を実施する場合におきまして、先ほど大臣が申し上げました数字をもう少しこまかく申し上げますと、三十八年度で計算いたしますと、小学校において約七十二億五千万、中学校におきまして七十三億三千万ばかりでございます。従って小学校の一年から六年まで、中学校三年まで、全部合計いたしますと約百四十五億九千万という数字になります。  以上申し上げておきます。
  51. 小林信一

    小林(信)委員 かわります。      ————◇—————
  52. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 学校法人紛争調停等に関する法律案を議題といたします。  質疑通告がありますので、この際これを許します。山中吾郎君。
  53. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あと大臣がいなくても質問は続けますが、先に大臣に基本的な点についてお伺いします。  この法案について数年違法状態に放置をした文部大臣の責任は私は重大だと思うのです。法律的には違法状態をそのまま放任をしたというそしりは免れない。しかし政府提案で今度決意をされてこの法案を出されたことについては、おそいけれども私は妥当な措置だ、そういう感想を持っております。この法案を提案をするについては、万人が認めているように名城大学の紛争を中心としてこの立法の措置が論議になってきたのでありますが、名城大学はすでに卒業式を目前に控えております。従ってこの法案は私は緊急に処理すべき性格があると思う。文部大臣はこの法案を提案をされるについては、時期を失しないようにこの法案を成立させなければならないというお気持で出されたと思うのでありますが、一部またこの審議を長引かすというふうな空気もあるから、私はまことに遺憾と思うので、内容的にきょう審議に入るべく質問をしたいと思うのです。今申し上げた私の感想に呼応して、この法案提案の心境を大臣にお聞きしておきたいと思います。
  54. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 御指摘の通り、具体的にいえば名城大学の問題が現実にこの法案の対象となるわけでございますが、もともと私学は独自の存在の意義を持ち、自主的な立場を持っておるわけなんで、ああいう紛争がみずからの力で、自治権に基づいて処理できないということは、本来ならばあるべからざることと私は希望するのであります。ですけれども、現実問題として何とも抜き差しならないような状態にまでなっておる実例が現にある。現行制度からいきますれば、文部大臣はどうにもならないときには解散を命じてよろしいという権限を与えられておることも承知いたしますが、解散しっぱなしであとは野となれ山となれというわけにも参りませず、どうも有効適切な対症療法を編み出すような法的根拠がございませんので、望ましいことではございませんけれども、やむを得ず例外的な場合に処する対策として、かねて論議せられておりました、かつては議員立法でも出して善処したいぐらいのお気持も持っていただいたこと等の経過から考えましても、政府として提案申し上げて、なるべくすみやかに御決定をいただいて対症療法の効果も上げたい、こういう気持でおることは率直に申し上げざるを得ないと思います。繰り返し申し上げます。望ましいことではございませんが、やむを得ざる最小限度の措置であろう、かように考えまして御提案申し上げました。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)委員 こういう機会に、私学法の第一条に規定しております公共性と自主性というものについての二つの要請というものを、われわれがどういうふうに統一的にこれを解釈をするかということが非常に重大な問題であると私は思うのであります。公立の場合については、そう学校運営についての、監督という言葉は悪いならば、とにかく運営についてある程度公共性の立場から規制する場合については、その学校の外側に文部大臣とか知事とかその他の監督主管官庁がある。従って外部的管轄があって運営されておると思う。私立学校の場合については、理事も評議員も学長も、その任命されるまではその学校法人内の相互の任命権の格好になっておる。従って学校というものを運営するについての規制は、いわゆる自主規制というものですか、外側からではなくて、内部の規制である。そういうときに、こういう外部からの規制に対してはいわゆる大学の自治というふうな一つ教育立場から中立性を要求し、それから権力支配に対する排除を要求するという声が当然出るはずであり、これは当然そういうものを認めないとまた権力支配が出ると思う。私学の場合については外からの統制ではなくて、評議員の任命があれば、評議員によって理事が選ばれ、理事会によって学長が選ばれる。その点詳しくわかりませんが、すべて内部の相互の姿の中にその管轄がされておるのが私は私学だと思う。そうしますと一体どうしたらいいのか。そういう点について自主性と公共性の問題を統一的に、私学の自主性を侵さないように、教育の特性に基づいた教育の中立性を侵さないようにしてどうするかということが、私はこういう名城大学の紛争を中心としてまじめに検討すべきものであると思うのです。そのときにこそ、行政的に自由に自由裁量で干渉するというようなことについての弊害を除くために、私学法の第一条が自主性という言葉で規制されておるのであって、公共性を保持するのにはどうしたらいいか。やはり私は行政官、大臣とかがそういう行政的に干渉することを除くかわりに、法定主義といいますが法律というものによって、はなはだしく逸脱した場合においては規制をするということが残っておるんじゃないか。そこにこういう学校紛争に関する立法措置というものが出てくるのではないかと思うのであって、もちろん現在私学関係においては日本教育行政官庁に対して信頼感がないので、非常に不信感が多いというところから、こういう問題がなかなか簡単に解決しないという現実、これをそのまま認めながら日本の私学に対するあり方というものを考えるべきである。その意味において議員立法というものから政府提案で一応ここに出てきたのでありますけれども、今大臣が言われた私立学校の自主性、それから私少し自分の私見をここに加えたのですが、公共性ということをどういう方法で今後調和をして、統一的に弊害なく進めていくかということについてお考えをお持ちであろうと思うので、それをお聞きしておきたいと思います。
  56. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は今度御提案申したような紛争処理に関する立法措置が、やむを得ざることとは言いながら必要になってきたことを私学のために遺憾に思う気持でございます。本来ならば、自主的に当然解決さるべき、良識があるならば学校法人内の運営に関する限り教育目的を阻害しないような解決の仕方があるはずと思いますが、その良識を欠いておるという遺憾な現実の前に立ちます場合、例外的なものではありましょうとも、教育目的と申しますか、公共性を果たさせるようにどうするかということが主眼点たらざるを得ない。その法人としての私法上の権利義務の関係等、あるいは経済的には求償関係等もろもろのものが、他の法律制度のもとに解決策がございましょうけれども、それは学校教育という目的を果たさせることを当然予想したものでもないと思われる節もございますので、こんなふうにこんがらかってきましたものが万一あった場合には、教育プロパーの立場から秩序立てていく。文部省とかなんとかいう立場ではなしに、教育目的達成のために必要な最小限度の調整措置あるいは規制措置というものが要るんではなかろうか。こういうことが絶無であれば、むろんなきにこしたことはありませんけれども、一つでも、ほんとうに例外的ではありましょうともあれば、今申したような趣旨から立法措置が必要であろう。立法措置に基づかずして行政的な指導、助言等でやるもうらちを越えた課題でございますから、あくまでも立法措置に基づいて制度づけられる必要があるんではないか、かように思って提案もしましたわけですが、御質問趣旨にぴたりと合ったお答えになっておるかどうかいささか疑問でございますけれども、一応以上申し上げます。
  57. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうも僕も大臣のおっしゃることはぴったりこないのですが、それは今後の問題で、そう簡単に制度的にどうするということはむずかしいと思うので、それでけっこうです。なぜ申し上げますかというと、同じような問題で今この文教委員会で昭和女子大の問題が一つある。性格が違うわけですね。それで私学法に基づいて違法な状態においては解散することができるという条文があるわけですが、その違法な状態において解散という形において処理するのが適当である場合と適当でない場合、そういう場合が想定されるのだと思うのです。教育基本法、憲法にまっ向から違反する教育が行なわれておるという場合については、その学校教育そのものを継続せしめること自体に問題がある。そのときにはもう解散しかないのじゃないかという感じがする。そうでなくて、教育が健全に行なわれておる、ところが、事実評議員がいわゆる違法行為を行なって、寄付行為に違反を起こすとか、そうして学校法人の財産を勝手に売り飛ばすとかいう場合には、解散をするということが適当な行為であるかいなかということになると疑問が出るのじゃないか、そういうところに今度、一応私学の自主性を侵すということを非常に私学の人々がおそれておるがゆえに、まだ文部行政が信頼を回復していないがゆえに、時限法として出されたと思うのでありますが、そういうふうに私学について違法状態の場合に解散をもって処理すべき場合と、教育は継続して守りながらその教育の外郭、周辺を整備整頓しなければいけない場合とあって、そこにこの立法の精神が出ておると私は解するのですが、大臣のお考えを聞いておきたいと思います。
  58. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 分析して言えばお説の通りだと思います。名城大学の問題は、教育プロパーの立場においても好ましからざる具体的な事象がたくさん関連して起こっているとは思いますが、現行制度のもとの解散をもって臨むべき適切なケースではない、私もそう思いまして苦慮して参ったような次第であります。解散をもって臨み得ないが、しかし今のままではおけないということを処理する方法がございまんので、やむを得ず今度の立法になっておる。憲法その他の法令に違反するような教育教育活動それ自体の中にある、何といってもそれが改まらないというときにどうするか、これが解散をもって臨む一つのケースじゃないかという想定は、概念論としては私もわかるような気がいたします。具体的に何々大学がそれに該当している、いないは別としまして、一般論としては二つの場合の仕分けができるのじゃなかろうかという気持は、山中さんと私も同感でございます。
  59. 山中吾郎

    山中(吾)委員 一応その程度の分析をしておかないと、この法案政府提案として出されたのでありますから、議員立法の場合と違うものですからお聞きしておいたのです。  そこで先ほど申し上げましたように数年の違法状態で、名城大学教育はどこから見ても何とか継続させていかなければならない。しかしそのままでは学校法人として違反状態にある。すみやかにこれを解決しなければならぬということで提案をされたと思うのでありますが、すでに今度の卒業も近づいてきておるという格好で、一方にこの附則を見ますと、この法案の附則には、「公布の日から起算して一月をこえない範囲内において政令で定める日から施行する。」と書いてあります。怠慢で、これが成立しても、一カ月はしばらく捨てておくこともできる、こういうことでは、今までの経過からいいまして、私はこの法案を実際に施行するには非常にタイムリーでなくなると思うので、成立した場合については大臣がすみやかに一カ月なんということを考えないで、直ちにこの法律を公布するという御意思を持つべきだと思うのですが、その点はいかがですか。
  60. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 一カ月以内という意味は、一カ月ぎりぎりに政府側としてなまけようという意図ではないことはいわずもがなでございます。一日も早くこれが活用されることを希望しておるわけであります。ただ名城大学という具体問題を前にいたしまして、しからばこの法律を決定していただいたら、直ちにこの春卒業するであろう者についても的確な効果が具体的に現われるというふうなことは、物理的に困難であろうかとは思いますが、考え方としましてのんべんだらり一カ月のぎりぎりまで施行を延ばそうという意図は毛頭ございません。
  61. 山中吾郎

    山中(吾)委員 消極的に延ばす。のんべんだらりと延ばす意図はないというのではなくて、すみやかに施行するつもりだというお答えをやはりいただくべきだと私は思うのですがいかがですか。
  62. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 表からいえばそうなります。私は裏から申し上げております。
  63. 山中吾郎

    山中(吾)委員 表裏一体のことだそうですが、表の方を私は信頼をしておきます。さらにこういう法案は実は一番巧妙なる運営は、伝家の宝刀でこの法律ができることによってすっきりとなるということが一番私は望ましいと思うのでありますけれども、経過からいいますとなかなか名城大学のケースはそうはいかないように思う。すでに調停委員会が作られて調停案が出てもそれが拒否をされて現在にきておるわけでありまして、現状からいいますと、そういう調停案をこの法律に基づいて最初から手順をずんずん積み重ねていくというふうな事態ではなくて、現状においてはこの法律の第六条ですか、「調停委員は、」云々とあって、「調停の成立を困難にするおそれがある行為につき、必要な勧告をすることができる。」一定の中間段階から今までの経過からある程度の困難な状況を認定をして、この法律を適用していくというふうな必要があるのじゃないかと思う。その点については、私はこの法律を有効にタイムリーに適用するように文部大臣に要望しておきます。お答えは要りません。  さらに、ただ、私学関係においては各学校に適用されるということを非常に心配をしておるので、私は今一つ原則論を出したのでありますけれども、乱用するということは、現在のいろいろな条件からいって、厳に慎むべきものがあると思うので、現在の信頼関係その他からいって、この点についてはやはり大臣にここで意思表示を明らかにされておく必要があると思いますので、その点をお聞きいたします。それでどうぞ向こうへ行って下さい。あとは局長でけっこうです。
  64. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 概念論だけでいきますと、名城大学云々ということをここで申し上げることそのものが適切でないと思いますが、現実は周知のことでございますから、その意味でお許しをいただいて申し上げれば、当面名城大学にこの法律は十全の効力を発揮することを期待しておるのであります。そのほかに乱用するなどということは本来あるべからざることでありますが、具体的な対象としても全然考えておりません。
  65. 山中吾郎

    山中(吾)委員 局長にお聞きしますが、この第一条の二行目「当該学校法人が法令の規定に違反するに至った場合」ということを書いておるのでありますが、この違反した場合の大体の実例をあげられますか、あげてもらいたい。
  66. 杉江清

    ○杉江政府委員 名城大学の場合のことですか。
  67. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうでなしに、一般的に……。
  68. 杉江清

    ○杉江政府委員 私ども最も大きな法令違反は、これは名城大学の場合にも見られるのでありますけれども、学校法人がその学校を管理していないという事態、これは最も大きな法令違反だと考えます。そのほかいろいろな届出をしない場合、備え付けるべき帳簿を備え付けてない場合、財産処分が正当な手続を経て行なわれない場合、また理事の選任等がやはり正当な手続をもって選ばれてない場合、またその職務執行が正当に行なわれない場合等々いろいろあげ得ると考えます。
  69. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そういう場合も、届出もすべてときにしない場合まで含んで違法という解釈をいたしますと、その答弁だけではあと乱用の問題で大へんなことになるのですよ、法案審議で……。そこでお聞きしているのですが、届出というのはしなくともどうにもできないというようなことを今度別の問題で——この間ここで論議になっておるくらいですから、そこをもう少し詳細に説明して下さい。しかしこの法律適用については、そういういわゆる微弱なる違反の場合には、この法律の適用にはならないというところまでを御説明されないといかぬと思うのです。
  70. 杉江清

    ○杉江政府委員 この法律の適用は、第一条に書いてありますように、三つの要件が必要なのであります。一つ学校法人紛争があるということ、この学校法人紛争というのは一般の紛争をすべて含んでいるのではなくして、いわゆる役員相互間に紛争がある場合をさしております。そういった学校法人紛争があるということ。それから学校法人の正常な管理及び運営が行なわれないということ、それと法令違反、この三つの要件が同時に満足されない限りこの法律の適用はないのであります。従って今のような単に届出違反というような場合は、多くの場合この三つの要件を満足しない。しかもその上、この法律を適用しなければ解決しがたいという客観的な事情があることが、やはりこの法律適用の要件になることは当然でございます。  今私は法令違反一般を例示したのでありますけれども、それがすべてこの法律適用の対象になるというわけでは毛頭ございません。
  71. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それでけっこうだと思います。ただ気にかかるので、脱線しますが、届出をしない場合というものは違反にならないかということになって参りますと、違反にならないのじゃないか。この間文化財保護の問題で奈良の平城京の指定地区外に建設するときには届出をすることになっているが、これは一つの訓示規定のようなものでというような答弁の仕方をしておりますが、その点は文部省で統一解釈しておいてもらわなければいかぬと思うのですが、今お答えできればしていただいてけっこうだし、そうでなければ次でもけっこうです。届出の性格を明確にしておいて下さい。今のように学校法人の紛争に限定されるということを明確にしてもらわなければいかぬと思う。  それから逐条審議に入りたいのですが、第四条の調停委員の「三人以上五人以下」という場合は四人の場合も想定される、その四人の場合に調停委員が二対二で意見の相違が出たような場合に、これはなかなか困難な問題があるので、私は奇数にしておかなければいかぬという感じがしているのですが、この辺何かこういう法律を作るについて吟味されておるわけですか。
  72. 杉江清

    ○杉江政府委員 本法における調停委員は、これは数名ですから、一つの調停委員会のごときものを構成して事実調停に当たることが実際の運営の姿ですけれども、法的にはこの委員会で多数決をもってこれを処理していくという建前になっておらないのであります。従って、この調停委員の調停は、全員の意見の一致を必要といたします。そういう意味においてこの数が四人であっても差しつかえないものと考えます。
  73. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法律的にはお答えの通り理解できます。実際問題として、現実には少し問題が出るのではないかと思ってお答えを求めたわけです。  それから十条の四項に「解職した者の後任者の選任について、当該学校法人に対し、必要な指示をすることができる。」とある。これもきっと他の質問者からいろいろ審議されると思いますので、私もお聞きしておるのですが、これは官庁が次の理事を一方的に選任するということを含んでおるわけですか。
  74. 杉江清

    ○杉江政府委員 選任までは含んでおりません。選任について、これを選ぶことが望ましい、必要だという意思表示をするわけであります。従って、それに従わない場合どうなるかということは問題になりますけれども、その点はあえてこの法案では必要な指示をするという段階でとどめておく。それはこの法律全体の建前から、また調停制度建前からそういうような指示には従っていただけるものという期待を持っておるわけでございます。
  75. 山中吾郎

    山中(吾)委員 指示だから期待上いろいろあると思いますけれども、その辺も慎重に運営をされるべき面があると思いますので、お聞きしておるわけです。  主たる質問者はきょうはいないので、またそのときに譲って、私は質問はきょうはこれで終わりにしておきます。
  76. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 次会は十四日水曜日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時十八分散会