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1962-04-17 第40回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月十七日(火曜日)    午前十時四十五分開議  出席委員    委員長 中島 茂喜君    理事 伊能繁次郎君 理事 草野一郎平君    理事 堀内 一雄君 理事 宮澤 胤勇君    理事 石橋 政嗣君 理事 石山 權作君    理事 山内  広君       内海 安吉君    小笠 公韶君       金子 一平君    倉成  正君       辻  寛一君    藤原 節夫君       保科善四郎君    緒方 孝男君       田口 誠治君    西村 関一君       受田 新吉君  出席国務大臣         国 務 大 臣 藤枝 泉介君  出席政府委員         総理府総務長官 小平 久雄君         総理府総務副長         官       佐藤 朝生君         総理府事務官         (恩給局長)  八卷淳之輔君         防衛政務次官  笹本 一雄君         防衛庁参事官  麻生  茂君         防衛庁参事官         (長官官房長) 加藤 陽三君         防衛庁参事官         (教育局長)  小幡 久男君         防衛庁参事官         (人事局長)  小野  裕君         防衛庁参事官         (経理局長)  木村 秀弘君         防衛庁参事官         (装備局長)  久保 忠雄君         調達庁長官   林  一夫君         調達庁次長   眞子 傳次君         総理府事務官         (調達庁総務部         長)      大石 孝章君         総理府事務官         (調達庁不動産         部長)     沼尻 元一君         総理府事務官         (調達庁労務部         長)      小里  玲君         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局審議課         長)      中嶋 忠次君         警  視  長         (警察庁刑事局         捜査第一課長) 本多 丕道君         専  門  員 加藤 重喜君     ————————————— 本日の会議に付した案件  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  七四号)  防衛庁設置法等の一部を改正する法律案内閣  提出第八七号)      ————◇—————
  2. 草野一郎平

    ○草野委員長代理 これより会議を開きます。  本日午前中、中島委員長が所用のため出席できませんので、委員長の指名により、私が暫時委員長の職務を行ないます。  防衛庁設置法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、これを許します。石橋政嗣君
  3. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 私は、先月の二十日、佐世保米軍基地において、アメリカ兵隊駐留軍労務者ピストルで撃った事件について、お尋ねをしたいと思うわけです。  早く質問をしようかと思っておったのでございますけれども、もうすぐ調査が終わる終わるという米軍発表もございましたので、できれば一応めどがつくまで実は待っておった方がいいのじゃないか、そういう気持で、今まで質問をしなかったのでございますが、なかなか真相が明らかになりませんので、一カ月もたっておることでもございますし、この際、真相究明の一助にもなるのではないかと思いまして、あえて質問をしようという気持になったわけであります。  事件の荒筋は、すでに御承知のことと思いますけれども、一応私の方で承知いたしております分について申し上げてみたいと思いますので、足らざる点、誤っておるような点がありましたら、その辺からただしていただきたいと思います。  この事件は、先ほど申し上げましたように、先月の二十日、時間は、午前の十時から十時半ころの間までというふうにいわれております。そのころの時間に発生しておるわけですが、場所は、佐世保市の針尾弾薬庫正面ゲート付近であります。加害者は、すでにわかっておりますように、米海軍佐世保基地海兵隊のノーマン・G・ラング海兵隊二等兵、十八才だそうです。被害者は、米海軍警備隊針尾分遣隊に配属されております自動車運転手中尾正、三十四才、どういう経過からこのような事件が起きたかといいますと、立哨中ラング二等兵が、用便理由交代を要求してきた、その交代要員を運んできた車の運転手がこの中尾氏であったというふうに聞いております。中尾運転手交代を待っておる間、運転の座席にすわっておったのですが、すわったまま突如として被弾しておる、そういうふうに私どもは聞いている。負傷の程度は、鼻先から右のほお骨を抜ける貫通銃創、初め出血多量危篤状態であったのが次第に持ち直して、現在のところ、命に別状がないことがはっきりした。若干機能障害が残るというふうに聞いております。  簡単に言えば、以上のような経過であったと思うのでございますが、この経過を見てもわかりますように、本人には何ら落度がないというふうに私どもは考えておるわけです、運転台にすわったままですから。まず、先ほど言ったように、あらましについてもし補足すべき点があったら補足していただきたいし、特に本人落度がなかったという点は確認されておると思いますので、この点、あらためて捜査当局の方から御確認を願っておきたいと思います。
  4. 本多丕道

    本多説明員 御答弁申し上げます。  ただいまのお話で、大体私どもの聞いておるところと同じなのでございますが、ただ、ラング二等兵用便をもよおしましたときに、ヘイトという巡察兵隊がやって参りました。そこで、そのヘイト交代を依頼しまして、ヘイトは上官の許しを得たわけでございますが、そのヘイトの乗ってきた中尾さんの運転している車に乗りまして、そこから五百メートルばかり離れた事務所へ行ったわけであります。そこで用便を終えまして、その間十五分ぐらいだというのですが、また中尾さんの車に乗って帰ってきた。帰ってきて、歩哨哨舎の前でおりまして、一回哨舎の中に入って、ヘイトに帰ってきた旨を告げまして、ただ、拳銃について、本人は一回便所へ行ったときに拳銃をはずしておりますので、弾が入っているかどうか点検したいというので、ちょっと待ってくれといって外へ出まして、そこで拳銃点検をしようとした、そのときに誤って弾が出たのだ、こういうふうな状況になっております。その他の点は御説の通りだと思います。   〔草野委員長代理退席堀内委員長代理着席
  5. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 これは、事件としては、経過だけから見ると非常に単純なものであるような気がするわけです。ところが、一月近くたっておるのに、真相というものがなかなかつかめない、そういう点から、非常にいろいろ不明朗なうわさが伝わっております。私は、そのうわさも率直にきょうは指摘していきたいと思うわけですが、本論に入ります前に、捜査方法についてお尋ねをしたいわけです。  地位協定の十七条6の(a)によりますと、このような事件の場合にも、当然日本捜査機関がタッチできるような規定になっておると私了解いたしております。そこで、現在までこの捜査日本政府機関が、警察がどの程度の介入をしておるか。どうも見ておりますと、形式的にタッチはしておるけれども、実際にはアメリカ側の一方的な取り調べが行なわれておるような気がしてなりません。特にこの事件にあたって、日本人目撃者というものが全然おらないわけです。やられた被害者本人中尾一人、あとアメリカ兵が、加害者ともう一人の交代兵とがおるだけで、なかなか日本側としては調べにくい面がある。アメリカ側の方としてみますと、幸いというのかどうか、米兵二人だけが目撃者ですから、いろいろな工作が行なわれる可能性があるというふうに見ておるわけなんです。そこに根本的に不明朗なうわさの生ずる要素があると私は思うのでございますけれども日本警察当局がどの程度この捜査に介入したか、その経過を先にお伺いしておきたいと思います。
  6. 本多丕道

    本多説明員 順を追って御説明申し上げます。  事故が発生しましたのは、三月二十日の午前十時過ぎでございますが、警察最初に認知いたしましたのが、同日の午後二時ちょっと過ぎごろのようであります。これは、県の渉外労務管理事務所から佐世保警察署にそういう連絡がありまして、そこで、佐世保警察署から地元管轄署であるところの早岐警察署連絡をいたしました。また、同時に県の本部の方にも連絡をいたしております。それで、早岐署長以下係官が直ちに針尾弾薬庫に参りまして、事実の真相をつかもうとしたわけでございますが、そのとき、大体時間は四時半ごろであったということであります。それで、米軍側勤務時間は午後四時ということになっておりますので、大ていの者は帰ってしまっておって、はっきりした事情がわかる者がおらないというような状況だったようであります。そこで、署長が、当直の下士官に、そういう事故があったという話を聞いたのだが、どうだというようなことで、調べてもらいたいということを申し出ましたところ、当日の当直日誌を調べまして、事故が午前十時二十七分にあったということを確認したわけでございます。それから被害者はどうしたかということで、被害者は直ちに救急車共済病院に運んだということがわかりましたので、捜査員一名を病院に行かしております。病院の方では、ともかく今非常に大事な時期だから、面会してもらっては困る、あしたにしてくれ、まだ生命に別状はないというような話を主治医の方がしたものですから、捜査員はそのまま帰ってきております。  一方、早岐署長以下の係官は、それ以上そこにおりましてもらちがあきませんので、一たん帰りまして、佐世保警察署渉外係を通じまして、米軍調査部海兵隊連絡をいたしております。この米軍調査部の方も、時間外でありますので、はっきりした返答のできる者はおらなかったようであります。海兵隊の方では、たしか副官だと思いますが、そういう事故があったということはわかっているが、きょうは時間外でどうもよくわからないので、実際の捜査はあしたにしてもらいたいというような話があったようで、その日はそのまま帰っております。  翌日の二十一日の午前九時から、早岐署長以下の係官がまた米軍側に会いまして、米軍側と協議をいたしました。そのとき、署長以下日本側としましては、事は非常に重大である、わが方としては徹底的に真相を追及しなければならぬのだということを強く申し入れたようであります。それに対しまして米軍側としましても、基地内の事件であるし、私の方としてもそれは捜査しなければならぬのだ、両方でしても二重になるから、一緒にやろうじゃないか、いわゆる合同捜査ということを申し入れてきたわけであります。日本側としましても了解いたしまして、合同捜査をしようということで、その点について打ち合わせを行なったようであります。それからその日の午後一時から、その日の監督者とか、あるいは交代者ヘイトとか、その他救急車で運んだ兵隊とか、そういった事件に対して関係のあるような人を呼びまして、午後一時からずっと事情を聴取しておったようであります。  それから一方、病院被害者の方にも二十一日に参りまして、ようやく医者が面会を許可してくれましたので、そこで被害者にもお目にかかりまして、被害者から事情をいろいろ聞いております。そういうことで二十一日は終わっております。  それから二十二日に、あらためて被害者に対しては、もう一度正式に調書を作成しております。それから一方、県の本部から捜査課長鑑識課長その他関係者、それから米軍側憲兵大尉、それから佐世保地検の検事、これからの人たちが、二十二日の朝に、一緒になりまして現場の実況検分を行なっております。その実況検分を行ないました後に、被疑者であるところのラングという兵隊取り調べ日本側が要求いたしたのであります。それについて、それでは明日から取り調べに応じさせようという話がつきまして、その日は、基地の方からはそれで帰っております。それから共済病院主治医の、被害者を見た医者の人から、その日にけがの状況その他を聞いております。  それから翌日の二十三日の午前中、第一回目のラング取り調べ合同で行なっております。ところが、この第一回の取り調べにおきましては、ラング供述しておりません。少年でありますし、非常に驚いた関係もあるかもしれませんが、何を聞いてもしゃべらないというような状況で、捜査が進捗いたしませんので、その取り調べを一応打ち切りまして、さらに関係者からの事情聴取をこの日に行なっております。  それから二十四日、五日の二日にわたりまして、どうもこういう状況ではというので、今後の取り調べについてさらに米軍側の協力を求め、いろいろと打ち合わせをしているようでございます。  二十六日の午前と午後にわたりまして、またラング取り調べを行なっております。ところが、ラングとしては、まだどうも答弁する用意がないとか、そういうようなことを理由にいたしまして、はっきりした回答をしないというような状況にありましたので、午後の三回目の取り調べのときに、ともかく話すことができないならば、一つはっきりとした弁明書を書いてもらいたいということを申し入れたようであります。  それで、二十七日の午前中にまた第四回目の取り調べを行なったわけでありますが、そのときはラング弁明書を持って参りまして、約二十分ぐらいにわたりましてそれを読んでおります。それには、自分暴発したという事実は認めておるわけであります。あくまで故意とか、そういうものではなくて、ただ、自分便所に行って、そこで一たん拳銃をはずしておるので、帰ってきてからもう一回たまの数を調べるつもりで、拳銃を取り出した。そのときは、拳銃を上の方に向けて、絶対に安全な方法をとりながら点検したつもりだ。そのときに哨舎内におったヘイトが何か言ったそうであります。その言ったのがよく聞こえなかったので、それは何かということで、ヘイトの方をちょっと見て返事をした。そのときに、またヘイトが何か言ったが、自分はよくわからなかった。そういうことを思ったその瞬間に、暴発をしてしまった。自分としては、どうしてそういう暴発が起こったかよくわからないというような趣旨の弁明書を出しております。これに基づきまして、さらに取り調べを進めたわけでありますが、ラングとしましては、弁明書以上のことは何も申し上げることはないというような返答であったようであります。それで、警察側といたしましては、その調書を翌日の二十八日に供述調書にいたしまして、署名捺印を求めたわけでございます。それで、一応被疑者関係者、それから被害者側取り調べを二十八日に終了いたしておるわけでございます。  二十九日に、いろいろ検討した結果、被害者側中尾さんの言い分も、ヘイトラングという兵隊は、自分は二、三カ月前から知っている、平素日本人に対して何ら悪意を持ったり反感を持ったりするような人物ではない、また、自分に対しても、今まで不快な思いをさせたり、あるいはけんかをしたりというような状況は全然ないので、自分故意に撃つというようなことは毛頭考えられないというようなことは、中尾さんも言っておりますし、また、拳銃発射をして中尾さんの顔に当たったのが、左の鼻の横から右の耳の下に抜けておりますが、そういった状況から、当時の車の位置、あるいはその兵隊の立っていた位置中尾さんの腰かけていた位置というようなものを勘案いたしまして、やはり横から暴発しているというのが一番妥当な考え方のように思われる状況にあります。また、拳銃をもてあそんだかどうかというような問題につきましても、車でその哨舎に帰って参りましてから暴発が起こりますまでの時間は、非常に短い時間でございまして、特に兵隊拳銃をもてあそんだというほどのこととはとれないというような状況から見まして、これはラング弁明書にもありますように、一応たま点検のつもりで取り出したのが暴発したというように見るほかはないというような結論を得まして、いわゆる業務上の過失傷害事件といたしまして、長崎地検の低世保支部へ送致いたしたわけであります。
  7. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 日本警察当局捜査状況、そういうものは今初めてお伺いしたわけです。そこで、私は、主として過去三回にわたってアメリカの方が正式に発表しております発表文に基づいて、いろいろ矛盾している点、疑問の点、こういうものを実は洗い出したわけで、この発表文を中心にいろいろお伺いしたいと思うのでありますが、その前に確認をしておきたいと思いますのは、日米両者で共同で捜査をしたということでありますし、この捜査段階においては、それでは食い違いは全然ないというふうにおっしゃっておられるのかどうか。これを確認しておきますと、米側発表を私が追及する場合にも、日本政府もこれは認めたということになるかと思いますので、まず、食い違いがあったのかなかったのか、全く同じ見解を持っているかどうか、最初お尋ねをしておきたいと思います。
  8. 本多丕道

    本多説明員 私ども聞いております範囲では、特に著しい食い違いはなかったようであります。ただ、米軍側としましては、最初からこの事件暴発事故であるというような気持を多少持っていたようであります。日本側といたしましては、単なる暴発であるのか、あるいは故意であるのか、あるいは拳銃をもてあそんでその結果の暴発であるのか、そういう点についての捜査というものが一番大事な点でありますので、あくまでこちらで捜査したいということを強く申し入れたのであります。
  9. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 その疑問の第一点は、今捜査課長のおっしゃったところにあるわけです。日本側最初に通報したのがアメリカ側ではない。今御指摘になっておられたように、佐世保渉外労務管理事務所から通報がなされております。これは駐留軍労働組合注意を喚起して、そうしてその立ち会いのもとに、日本警察にも連絡をさせておるわけです。アメリカ側が通報する前に、労働組合注意によって労務管理事務所警察に通報しておる。その時刻が、大体二時半ごろという今お話でしたが、この点にも問題があるわけです。ところが、アメリカの方では、その二時半ちょっと前ぐらいに、正確に申し上げますと、二時二十五分に初めて佐世保渉外労務管理事務所連絡をしております。そのときに、すでに事故の原因はピストル暴発だと言っているのですよ。どう考えたって納得がいきません。本人は数日後まで供述を拒否しておるのです。何も述べていない。それなのに最初から暴発による事故だというきめつけ方をしておる。こういうところから、いろいろなうわさが出てくるのは当然じゃないですか。誠意ある態度とはどうしたってこれは考えられません。加害者が何も一言も言わないのに、捜査当局が一方的に暴発による事故だと言う。もう少し詳しく申し上げますと、こういうふうな連絡をしております。「午前十時頃歩哨交替のためジープ運転して海兵隊マリン)一人を針尾弾薬庫門まで運ぶ。マリンを降してそれまで立哨中マリンとの交替間本人は車内で待機していた。その時マリンの一人が暴発させたコルト拳銃の弾が本人に命中。推定時刻は午前十時五分。なお詳細の状況本人以外の日本人の証人がおらないため不明、マリン達憲兵隊調査中、傷病程度も不詳。」加害者憲兵隊調査中だ。しかし、調査中というけれどもあとでわかったことは、何も自供はしていない。傷病程度もさっぱりわからぬ。そういう段階において、早くもマリン一人が暴発させたコルト拳銃たまが当たったのだ、こういうきめつけ方をしておるというところに、まず問題があるわけです。これは、あなた方にしたって納得がいかないと今おっしゃいましたが、スタートから何か不明朗なものを感ずる要素がここにあるわけです。だから、巷間のうわさですけれども常識的に考えて、鼻から抜けて耳の下に通っているというような、いわば重傷です。これは、もうちょっと命はとりとめられないのじゃないか、そういう先入感を持って死人に口なし式で、さっさと暴発発表してしまったのじゃないか、こういう考え方日本人が現実に持っております。最初態度がこういう態度ですから、このような点は、厳重に注意していただかなくちゃならぬと思うのです、日本政府として。ここに非常に微妙なものを私どもはくみ取らざるを得ないわけです。  なお、翌日、正式に米軍報道部を通じて、PIOの発表をしておりますが、この中でも同様なことが言われております。「米海軍佐世保基地勤務日本人警備員中尾正氏は、針尾島弾薬集積所においで四十五口径のピストル暴発に依り負傷した。事故は一九六二年三月二十日午前十時二十五分、米海軍佐世保基地針尾島弾薬集積所において発生し、中尾氏は日本人警備隊巡察ジープ運転手として勤務中であった。」これがアメリカ側正式発表の第一回目です。これは正式のものですから、おそらく否定はしないでありましょう。かりに先ほど私が引例いたしました当日の二時二十五分の第一報を否定するにしても、この第一回の正式発表は否定できない。しかし、この段階においても、加害者は、何らの自供をしていないわけだ。これが私が不明朗だと言う問題の第一点です。  これに関連して疑問の第二が出てくるわけですが、暴発による事故ほんとうに純然たる過失による事故ならば、なぜ加害米兵は頑強に供述を拒否したかということです。一日、二日は、あなたが今好意的に解釈を下しておりましたが、若いので、多少動揺を来たしてというようなことがあるかどうか、私はちょっと考えられませんけれども、あるとしても、数日間にわたって供述を拒否する。ほんとうに済まなかったという気持が一体あるのか、単なるあやまちだったということになるのか。これは長年にわたって犯罪者を扱っておられる皆さん方の方が詳しいわけですけれども一般常識からいけば納得いきませんですよ。これは米軍の第三回の発表です。三月二十九日の発表にこういうことが書いてあります。「日本及び合衆国法事件についての黙秘権を認めているにもかかわらず木曜日にラング二等兵調査官に三ページにわたる供述をなしている。」  われわれも、日本憲法アメリカ合衆国の憲法黙秘権を認めていることは知っている。しかし、黙秘権というのは、本人に不利な供述をしない権利なんでしょう。従って、何か加害者に不利なものがあったと考えるのが常識じゃないでしょうか。自分にとって不利だというものがあるからこそ、黙秘権の行使というのが出てくるのじゃないですか。これが一般常識人の考えですよ。もしそういう決定的な不利なものがなくて、ほんとう過失であったならば、済まないという気持が先に立って、実はこういう事情でしたということをしゃべるのが普通なんじゃないでしょうか。この点で、長年の経験者として日本警察当局の御見解をお伺いしたいわけなんです。並びに、この黙秘権というものについての私の考え方についても、一つ御意見を述べていただきたいと思うのです。
  10. 本多丕道

    本多説明員 ただいまのお話、非常にごもっともだと思うのでございまして、その点、確かにラング二等兵が三回にわたって供述をしておらぬ、取り調べに対して応じておらないということについては、非常に理解に苦しむ点があるわけでございますが、本人供述しない以上はやむを得ないということで、むしろその裏づけを私どもとしては検討したわけであります。米軍側最初警察へなぜすぐ連絡をしなかったかというような点も、私どもとしてやや不思議に思ったわけでございますが、やはりそれは、米軍側考え方が、われわれとしては納得のいかない考え方ではありますが、一応事故であるという先入主をもってこれを扱っておったということから、むしろ労務管理事務所の方へ連絡をしたのであろうというふうに解釈いたしたのであります。  その被害者に対してまずどういう措置をとったかということも調べたわけでございますが、米軍側といたしましては、救急車ですぐ病院へ運ぶと同時に、直接に海兵隊の隊長が副官とラングを連れまして病院に行って、陳謝の意を表しておる。また、被害者に対しては、さらに司令官が見舞に行っておる。それからまた、三日目からは、米軍側で家政婦を雇って、中尾さんの世話をさせておるというような状況もありまして、米軍側としては、必ずしも悪意を持ってとやこうしたというようにも私どもとしてはとれないわけでございます。また、先ほども申し上げましたように、被害者の話というものもいろいろ聞いてみますと、ラングが特に被害者側に対して悪意を持って、あるいは拳銃をもてあそんで、そのために被害者に被害を与えたというほどの証拠も出て参りません。そういうような結果からいたしまして、総合的に見て、やはりいろいろ気持の上で、私ども米軍側との考え方に多少最初においては食い違いがあったという感じがいたしますが、結果的に見ますると、特に故意に事実を隠蔽しているというような状況には私どもとしてはとっておらないわけでございます。
  11. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 その点、私いささか考え方が違うのです。普通われわれの常識からいけば、中尾個人に対して特別の感じを持っておらない、何もわざわざねらい撃ちするような要件がないから、おそらくわざとやったのではなかろうという判断が成り立ちますけれどもアメリカ人と日本人という立場からいくと、そうばかりでは結論が出ないのですよ。私も長い間駐留軍の労務関係に携わっておりますから、よく知っております。これは、一中尾に対してどうあったということではなくして、日本人に対してどうあったかということも、この問題は考えなければならないのですよ。中尾を特に憎んだとか、これを軽べつしておるとか、そういう感情はなくても、一日本人に対してどういう考えを持っておるかということまで、われわれとしては一応考えてみる必要があるのです。この米側の三回にわたる発表を見ましても、どうも私は、済まなかったという気持の表われが出ていると見えないのですよ。何となく加害者をかばっておる。被害者に対しては、大したけがじゃない、経過良好、そういうふうなところを強調しておるような印象をどうしても受けます。この点も特殊の事件として御考慮を願うべきだと思うのです。第一、ろくに調査もしないうちに暴発ときめつけたこの態度からもうかがわれます。供述を拒否したということについても、やはり一応疑ってみる必要があるのです。私、先ほど黙秘権というものについても見解を述べましたが、日本憲法にも、三十八条において、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」と規定しております。アメリカの方の憲法も調べてみました。大体同じような規定の仕方です。改正五条によりますと、「何人も、刑事事件において自己に不利益な証人の地位に立つことを強制せられることがなく、」こういうふうに規定せられております。いずれも不利な場合ということです。国民感情の違い、国民性の違いというようなものがあるのかどうか知りませんけれども、何としてもこれは納得いきません。済まなかったという気持があった者が行使する権利だとはどうしてもわれわれ考えられないのです。従って、中尾個人に対してどういう感情があったかということよりも、やはり私たちとしては、今申し上げたように、日本人に対して非常に軽く考えておる、米軍発表すらそれを裏づけているじゃないかと言わざるを得ないのです。現に、あとで私申し上げようと思いますが、基地の中では、ふざけ半分にしょっちゅうやっているのですよ、ホールド・アップというような調子で。向こうの兵隊が持っているピストルや小銃の中には、実弾が入っているのですよ。そういうものでおもしろ半分にホールド・アップなんてやるのです。向こうさんがふざけ半分にやるのならと、こちらも同時にホールド・アップなんてやろうものなら、ものすごいけんまくで怒るのです。こっちの方には空包しか入っていないのを知っておりながら。そういうところにも問題はありますよ。突然起きたというふうに見られない要素があるのです。下地があったというふうに私たちは見るわけです。  さらに私どもが疑問に思いますのは、事故発生の時刻です。これはこれからいろいろお尋ねしていく問題に関連性がありますから、ただしておきたいと思うのですが、一体二十日の何時何分にこの事故が起きたのか。あなたは今十時二十七分というアメリカ側発表をそのまま引用されておられるようですが、おかしいです。この十時二十七分はおかしいです。あとのいろいろな計算が合わなくなってきます。今から立証しますけれどもほんとうに十時二十七分というのが事故の発生した時間だというふうに自信を持っておられますか。現に先ほど私引用いたしましたが、一番最初に、非公式かどうか知りませんけれども佐世保渉外労務管理事務所に通報して参りましたその通報によりますと、午前十時ごろとしてある。しかも、推定時刻は十時五分と言っておる。この通報を行なったのは、アメリカの機関において働いておる者ではありますけれども日本人です。大友という安全の方をやっております技師の通報であります。これによりますと、十時ごろ、推定十時五分と言っておりますが、この十時五分か十時二十七分かという問題は、単に二十分の短い時間の問題ではなくなってきます、これから私がいろいろ話していく過程の中で。この十時二十七分という事故発生時刻には自信を持っておられるかどうか。その点をまずお伺いしておきたいと思う。
  12. 本多丕道

    本多説明員 十時二十七分と申しましたのは、先ほどの当直日誌の時間でございますが、私の方へ警察側から連絡がありました時間は、十時二十分ごろということになっております。
  13. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 それじゃ私が、十時二十分や二十五分ではつじつまが合わないということをこれから御説明申し上げます。救急車がこの現地に着いて被害者を収容した時間は何時ですか。
  14. 本多丕道

    本多説明員 被害者を収容した時間ははっきりしておりませんが、運んだ病院の到着時間は十一時ということになっております。
  15. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 その点は、米軍の第三回の発表に書いてあります。一応私は信用しましょう。一応ですよ、この点も疑問はありますけれども。そうしますと、病院というのは佐世保共済病院であります。針尾弾薬庫から共済病院まで何分かかりますか。フル・スピード、ノンストップで走って。
  16. 本多丕道

    本多説明員 今までの報告によりますと、通常二十分前後ということになっております。
  17. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 大体ほんとうにフル・スピードでですね、ノンストップで走って二十分で行けるかなと私も思います。それも一応信用していきましょう。そうするとそれは十時四十分に針尾の現場に来て、被害者を収容して乗っけて行ったとしますと、今度は救急車が現場にかけつけてくるのにやはり最低二十分はかかると思います。そうですね。そうすると、海軍病院から出発しております救急車は、海軍病院を何分に立ったことになりますか。
  18. 本多丕道

    本多説明員 その点ははっきりしておりません。私の方の調査が行き届いておりませんが、アメリカ救急車であるということだけは聞いております。
  19. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 その点は私は調べておるのですよ。アメリカ救急車アメリカの海軍病院から出発してきておるのです。そうすると、共済病院よりも海軍病院は若干遠いのです。だから、これまたフル・スピード、ノンストップで走ってきて二十分以上かかるわけです。そうしますと、兵隊が、発射した本人かあるいは立ち会ったもう一人の兵隊が、直ちに電話に飛びついて海軍病院に電話した。すぐ飛び出したとしても、十時何分に出発しなければ計算が合わないのですが、被害の実際に起きた時間よりも早いことになりますよ。十時二十分あるいは二十七分にこの事件が起きたとするならば、それよりも早く電話をかけたことになるじゃありませんか。こんなばかなことが通用しますか。しかも、私が言っておるのは、実際に走ってみればわかるが、行きも帰りもフル・スピード、ノンストップで走ったときの話です。計算が合わないじゃありませんか。そういう点は、アメリカ発表なりアメリカの言っていることを、そのまま日本警察もうのみにした結果になっておりはせぬですか、事故発生の時刻自体。これが、一番最初渉外労務管理事務所に通知のありました十時五分ならまだ話がどうにか合うのです。ところが、十時二十分や二十五分や二十七分では、事故が起きる前に電話をかけて、それより早く救急車がスタートしてきた、こういうばかばかしいことになります。これは専門家のあなた方がよくわかるはずです。疑問に思われるならば、あらためて調べ直してごらんになる意思があるかどうか、その意思の表明を待ちたいと思います。
  20. 本多丕道

    本多説明員 ただいまのところでは、私が申し上げました程度しか私どもでは状況がとれておりませんので、もう一度その点は調査いたします。
  21. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 これが三番目の私の疑問点です。計算をしてみた場合に、常識的に考えて、フル・スピード、ノンストップといったって、そうは簡単にいきませんし、電話をかけてから、消防車のようなものでも、即座にぱっと出てくるなんてことはちょっと考えられないし、やはり一番最初日本の安全技師が連絡した十時五分というのが事実じゃなかろうか。その前後に、ちょうど米軍の通信の使用回数が急激にふえたという立証もあるのです。ものすごく電話が混んだというのも、私の方で調べているのです。常識的に、やはり十時五分ごろが正確な時間じゃなかろうか。  そうなってくると、ここに新たな問題が出てくるわけですが、応急措置なり、あるいは救急車の手配なりが、直ちに行なわれておらないのじゃないかということです。先ほど、米軍の第三回発表の、共済病院被害者が収容された時間が十一時ということを私は一応信用しましょうということを申しました、その点は調べてないから。それにしても、十時五分に事故が発生して、病院に入るまで一時間ですよ。これだけの重傷患者を、事故が起きてから一時間後に初めて病院に送り込むという態度が、妥当な態度だとお考えになりますか。どう考えても、私は妥当だと思えません。鼻から耳の下まで抜けるような重症患者を、一時間後に病院に収容させておる。しかも、米軍の第三回の発表に至っては、私に言わせれば言語道断ですよ。結局日本側への通報がおくれたのは、いろんな調査に手間取ったからだ、こんなことを書いたあとで、「米海軍救急車事故の直後針尾島の現場に急行し、それから非常なる短時間で中尾病院に護送して十一時に病院に着いている。ある第三者は「この急速な救助が負傷者の早期回復を多分助けたと感じている。」」とぬけぬけと言っている。事故が発生してから一時間もたって病院に入れておいて、早く収容したから命が助かったのだろう、私は何という言いぐさですかと言いたいのです。おそらくこの辺をおそれて、五分発生の事故を二十五分とか二十七分とか言っているのではないか、こういう疑問も出てくる。私の言っていることが十分御理解願えると思います。確かにこの針尾島の現場付近には病院はないでございましょう。しかし、すぐ近くの早岐という町には、病院は何ぼでもあります。タクシーもあります。車だって、現にその現場にあるわけです。一体どういうような応急措置がとられたのでしょうか。一時間後に病院に入れるまで放置されておったのでしょうか。その辺はお調べになりましたか。
  22. 本多丕道

    本多説明員 私の方としましては、先ほどお答えいたしましたように、十時二十分ごろ事故ということで、至急病院へ送ったというふうに解釈いたしております。
  23. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 それじゃ捜査当局は、その点全くアメリカ追随で、自主的に、私が感じとったような疑問すら感じなかった、そういう疑問を感じて調べもしなかったということになりますよ。向こうの受け売りだということになりますよ。日本人基地の中で、提供された施設や区域の中で、こういう目にあったらどんな扱いを受けてもどうにもならぬということになりますよ。  それじゃもう一つ、労務管理の担当者である調達庁の方では、こういう疑問はお持ちになりましたか。現に自分が責任を持っております労働者の人がそういう目にあっていることについて、積極的な取り調べをなさり、あるいはその事故発生後の措置について何らかの異議の申し立てでもなさいましたか。この点、労務管理の責任者である調達庁の方に一つお伺いいたしましょう。
  24. 林一夫

    ○林(一)政府委員 調達庁のこの事故発生後にとった措置を概略申し上げますと、事故発生は十時約二十分ごろというふうに聞いておりますが、この事故発生の事実を承知いたしましたのは、先ほど石橋先生から御指摘があったように、地元の組合からの通知を受けて、その事実を知ったのであります。それが約零時十分ごろであったかと存じます。そこで、直ちにその事実を確認するために病院に行きまして、それからすぐ軍に連絡しまして、その真相を確かめようとしたのでございます。軍におきましては、たまたま労務士官室には、労務士官を初めだれもいないというような状況でございました。その点まことに残念に思っているのでございます。このような事実を確認いたしましたので、直ちに関係機関、これは佐世保警察署、佐世保事務所、その他の関係機関に通報しますとともに、さらに共済病院に参りまして、被害者のお見舞をいたしたわけでございます。その後、この事故についての捜査が始まりました場合においては、関係者としてその席上に参りまして、知り得た連絡時間等についてはよく説明をいたしているんであります。
  25. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 どうもどちらの答弁も満足いきません。一体事故が起きたそのあと被害者に対して応急措置としてどういう処置を講じたのだろうか、このことを私たちはまず心配するわけですよ。特に加害者に自責の念があったというならば、何よりもかによりも、しまった、どうしよう、すぐ医者を呼ばなければ、そういう気持になるのが人間として当然じゃないですか。あなた方の場合でも、一体それはやってくれただろうか、こういう気持を持ってくれないのですか。私はすぐそこを調べたのですよ。そうしたら、病院に入るまで一時間もかかり、よく命が助かったと、米軍が感じておるようなものとは逆な気持を私は持っているのです。この疑問に答えてくれる何らの材料が警察当局にもないし、労務管理当局にもない。先ほども申し上げたように、早岐という町には病院が何ぼでもある。だれでもまず感ずることは、みんな地元の人なんですから、早く病院に連れていくなり、医者を呼ぶなり、このことです。現に、公式か非公式か知りませんけれども佐世保渉外労務管理事務所に第一回目の通報をしてきた安全技師の大友氏の話によりますと、こういうことを言っております。前畑の日高という顧問、これが現地の責任者ですが、この日高顧問から電話連絡があって、「警備員一人が拳銃暴発でけがをした、けが人に対しては弾薬庫隊長より海軍病院及び海兵隊本部に通知を終ったが、一切の事については、わからぬが報告しておきます」と連絡があり、なお患者は早岐の樽美外科に送り込んだということを聞きました、こういう話をしているのです。そこで、大友さんは、さっそく樽美外科に行っているのですよ。そうしたら、何のことですか、全然知りませんという話だった。おそらく現場で、現地の事情に明るい連中ですから、樽美外科に連れていかなければ、あるいは樽美外科から来てもらわなければという話があったと思うのです。それが間違われて、樽美外科に連れ込まれたというふうな情報になったのではないかと思う。だから、同じ日本人仲間は、事件がどうしたかこうしたかということよりも、どうして早く被害者に手当をするかということを考えているということです。ところが、米軍やあなた方は、そのことは調べもしておらぬということになるじゃありませんか。情ないじゃありませんか。本件に関しては、アメリカの方の気持にはぴったりいっているかもしれぬけれども、われわれ日本人の仲間と同じ血が通っていないということになります。これが次の疑問点です。どうも私は、十時五分という事故発生時刻では、それから後にとられたいろいろな措置に問題が出てくるので、ずっと事故発生の時刻をずらしていったのではないかという疑問を持たざるを得ません。しかも、私は、先ほど救急車の移動の状態から割り出して立証したわけでございます。  そこで、今度は、政府機関に対する通知がおくれたのはなぜかという問題が同様に出てくるわけです。この点でも、米軍発表にはごまかしがございました。三月二十三日の第二回のPIOの正式発表です。これによりますと、「佐世保渉外労務管理事務所には、事故が発生した後、僅か数分後、すなわち二十日火曜日の午前十時四十分に通知がなされた。海兵隊調査官が中尾の負傷の程度について知ったのは、昼すぎであった。事故発生後僅か三時間しか経っていないその時において、佐世保警察もまた通知を受けた。」こんな発表をしております。これもインチキなんですね。インチキだということを私指摘する前に、アメリカの方で第三回発表で認めました。第三回発表では、二十九日の発表ですが、「本件の日本政府係官への通知に関する最初の証言は木曜日に再調査され、米軍日本側発表との明らかな食い違いは調整された、基地労務室の安全技師大友徹の供述には「労管は十時四十分に通知を受けた」と最初は了解されていた、大友の証言を再検討してみると実際は「憲兵隊事務室は、十時四十分に通知を受けた」といった事が分った。大友は実際に労管に対して事故の完全な詳細がまとまった後直ちに一時四十分通知をしている。「私は十時四十分に充分の詳細を通知する事は事実上出来なかった、なぜならずっと後までは詳細な事が判明しなかったから」と言明している、大友が労管に電話をしたあと、労務士官フレンド・D・ピーターソン大尉は午後二時二十五分頃二度目の電話をしている、労管は一時間前に通知を受けていたけれども労管はこれをもって(労務士官の電話をもって)「正式の通知」であると述べている。」こういう発表をしておりますから、第二回目の発表、数分後十時四十分に労管に連絡をしましたというのはうそであるということは、自分で認めております。ところが、最初のものはうそだといって訂正して出された二度目のこの時間にも疑問があるのです。これによりますと、一時四十分ごろに労管に大友氏が連絡したと言っておりますが、そうじゃないのです。実際に大友氏が労管に電話をしてきたのは、先ほど申し上げた二時二十五分です。二時二十五分に全駐労佐世保支部の佐々木副委員長が現実に労管におって、目の前で受けておるのですから、これは間違いありません。ここにもまた誤差がございます。ほんとうに誠意のある態度だろうかと私たちが思わざるを得ないのです。そうして開き直ったようなことを言っております。労管はその前にちゃんと知っておった、だからいいじゃないか、こう言わぬばかりのことがつけ加えられておりますが、その前に労管が知っておったのは、組合からかけつけて行ったからです。そうして松永労務係長を連れて病院にまで一緒に行って、被害者を見舞って、帰ってきてから、警察にも電話しろ、どこにも電話しろと、これは県の本庁にも電話させております。調達事務所の方にまで連絡させております。これは組合の副委員長がやらしているのですよ。組合から連絡するまでは労管も知らなかった。それをもって、労管が知っておったからいいじゃないか、われわれが通知したのが多少おくれたかもしれぬけれども、知っておったからいいじゃないか、そう言わぬばかりの発表をしておる。それから私傑作だと思うのは、「事故発生後僅か三時間しか経っていないその時において、佐世保警察もまた通知を受けた。」「僅か三時間」とは何ということですか。しかも、そのわずか三時間後には警察はまだ知らないのです。どう計算しても四時間から四時間後です。こういうことを一つ一つ指摘して参りますと、単にそういった米軍のやり方に疑問を持つということではなくして、やはり何かうしろめたいものがあるのじゃないかという気持にならざるを得ないのです。だから、せい一ぱいつじつまを合わすことにきゅうきゅうとしているのじゃないかという感じを私たちが受けざるを得ないのです。そう思いたくないけれども、こういうように一つ一つ洗っていくと、そう思わざるを得ないような要素がたくさん出てくるわけです。私は、もう少し被害者気持に立ち、そして被害者日本人であるという立場を十分に考慮して、厳正公正にこの事件真相究明をやっていただきたかった。非常に困難なことであることはわかっております。しかし、現在の地位協定なり何なりで困難だというならば、それを改正してでも日本人の人権を守るという任務を遂行するのが、日本政府当局の責任じゃありませんか。これは私は大臣に申し上げたいのです。地位協定で、提供施設の中で起きた事件についてはまあその程度でございます、どうしても、日本側の自主性を発揮して十分な捜査をすることは困難ですということだけでは済まされません。困難なら、その困難な道を打開していくのが為政者の責任だと私は思います。この点について、私は大臣の所見をお伺いしたいのです。
  26. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 今回のこの事件につきましては、結論的には、私は警察当局並びに調達庁から申し上げたことだと思います。しかしながら、被害者のそうした手当について、直ちにいかなる方法がとられたかというような点につきまして、なお十分な調査ができなかったということにつきましては、非常に残念だと思いますし、また、わが方に対する通報等がおくれておりますことも、これまた非常に遺憾なことであります。私は、現在の地位協定におきましても、そうした点は十分調査もできる、捜査もできるものと信じております。従いまして、こういう通報のおくれたことあるいはその他につきましては、今後の問題といたしまして、米側にも十分厳重に申し入れをいたし、そうして再びさような点におきまして、こういう事故が発生すること自体が遺憾でございますが、万々一不幸にして事故が発生した場合の被害者に対する手当の仕方、あるいは通報の仕方等につきましては、万遺憾なきを期するように、さらに十分な注意を喚起する所存でございます。
  27. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 大臣の答弁によりますと、現在の地位協定のもとにおいて十分な捜査はできるのだとおっしゃる。そうしますと、十分な捜査をやってない本事件については、日本警察当局の怠慢だということになりますよ。私が今指摘しておる問題についてすら、正確な答弁ができないのです。全くアメリカ捜査当局に追随している形が暴露されております。そうしますと、それは警察当局の取り組み方に問題があるのであって、地位協定そのものに原因があるのじゃない、大臣の今の答弁によりますと、そういうことになりますが、そういうことなんですか。
  28. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 先ほど石橋さんが御指摘になりました、たとえば救急車被害者共済病院まで運んだ時間がどれくらいかかるか、あるいはその救急車が一体どれくらいの時間に来たかというようなことにつきましては、私は、現在の地位協定でも十分調査のできるものと考えるわけでございます。もちろん、現地の捜査当局は十分調査をされたことと存じますが、それらの点につきましては、私の方といたしましても、駐留軍労務者を管理をいたします立場から、なおさらに突き詰めた調べもいたしたいとは存じます。
  29. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 防衛庁長官としては、さしあたり労務管理の面における直接的な責任があるわけです。私は、そのことも問題ですが、国務大臣としての御見解をお伺いしたつもりなのです。しかし、この点については、皆さん方、お聞きになっている方々もそれぞれの判断をお持ちになっていただけると思いますので、あえて申し上げません。  もう一つ捜査当局にお伺いいたしますが、この加害者であるラング二等兵というものには、前科という言葉が当たるのかどうか知りませんけれども、そういったものがあるということも御承知になっておられると思います。知っておるかどうか、私、新聞に出ておりますものをここで読んでみますから、知っておるなら知っておるとお答え願いたいと思います。これは三月三十日の長崎時事新聞、三月二十九日の長崎新聞、私が見た範囲においては、この二つの新聞に大体同じような記事が出ております。内容は「ラング二等兵は昨年九月四日昼ごろ、酒を飲んで同僚のジョージ・Y・ヘイト二等兵、フランク・W・ウラデ二等兵と佐世保市の鹿子前水族館から陳列中のベッコウ二万円を盗み、相浦署の取り調べを受け地検世保支部に書類送致されたこともあり、また同市松浦町で日本人のバーの客引きをなぐるなど乱暴な行為も過去にあるので、いたずら半分に中尾さんに向けてピストルを撃ったことも考えられる。」こういう記事を載せておりますが、この点については、十分に御承知になっておられたわけでしょうね。
  30. 本多丕道

    本多説明員 はっきり調べておるわけではございませんが、そういった情報があるということは承知しております。
  31. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 どうなんですか、何か事件が起きましたときに、加害者の過去というものは調べないのですか。過去にどういうことをやったか、しかも、日本人に対して暴行を加えたという事件まであるのですよ。そういうものを情報程度で知っておる、捜査段階で問題にはしないということなんですか。一般日本人犯罪者に対してもそういう態度で臨まれるのですか。
  32. 本多丕道

    本多説明員 まことに申しわけないわけでございますが、おそらく現地としては十分調査しておると思いますけれども、私の方への報告にはその点がはっきりと出てはおりません。
  33. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 報告が出ていないということは、現地の警察当局は大して問題にしていないということなんですか。私たちは、これを非常に問題にすべき内容だというように常識的に判断するわけですけれども、そこで、先ほど申し上げたように、一般日本人が犯罪を犯した場合にも、過去のこういった前科というものについては、やはり何ら考慮しないのが常識なんですか。
  34. 本多丕道

    本多説明員 もちろん、御指摘のように、そういうものについても十分調査をいたします。
  35. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 ここにもやはり手落ちがあるような気がいたします。一つは窃盗です。これは直接関係ないといえばいえるのかもしれません。私、専門家でないからわかりませんけれども、もう一つ日本人に対する暴行事件です。こういう前科は、常識的に相当影響を持つのじゃないかと思うのです。中尾個人に対して憎しみがあるとかないとかいうことは問題じゃないと先ほど私は申し上げました。米兵一般と申し上げていいのかもしれませんけれども、このラング二等兵なるものの日本人観は、こういうところに現われているのじゃないですか。こういうことも酌量しないで結論を出すということは、私は許されないと思うのです。それからもう一つ、その交代に行ったという兵隊ですね、唯一の目撃者であるという兵隊、これの証言が相当重みを持っておると思うのですが、この兵隊と、鹿子前の水族館、これは佐世保市営の水族館ですが、ここから二万円相当のべっこうを盗んだときの仲間であるジョージ・Y・ヘイト二等兵というのと同一人ですか。
  36. 本多丕道

    本多説明員 十分にまだ調査しておりませんので、調査してお答えいたします。
  37. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 私も調査しておりませんし、人権の問題でありますから、申し上げません。しかし、これなども、実際に捜査に当たる者としてみれば、立ちどころに調べてみなければならぬ問題じゃないですか。もしかりに唯一の目撃者である米兵が、かつてグループとしてこの加害者一緒の行動をやって、窃盗でもやった者であるということになると、ちょっとまたここに問題が起きましょう。それすら調べていかない。私は結論的に申し上げて、納得がいきません。本問題に取り組む日本政府側、警察当局態度というものに問題があると思います。一応、今私が指摘をいたしました問題だけでも、これはしろうとの私が気がついた面ですから、くろうとのあなた方がもっと掘り下げて検討なされば、疑問がもっとたくさん出てくるのじゃないかと思う。私はほんの何時間かざっと見ただけで、これだけの疑問が出てくるのですから、専門家の皆さんならもっと出てくるはずですよ。しろうとの私が探し出した疑問点すら一つもお答え願えない。そうして一応の結論が出ましたなどといって、日本の国民が、あるいは同じ職場に働く仲間が納得するはずはございません。どうか少なくとも最低限、今、私が指摘いたしました問題だけでも正確にお調べを願って、私はあらためてまたここでお尋ねをいたしますから、それまでに一つ早急に結論を報告していただきたいと思います。  途中でも申し上げましたように、残念な話でございますけれども、やはり米兵日本人一般という、対した形でものを見ざるを得ないような要素がたくさんあるのですよ。この事件が起きましてから、地元において、米兵発砲傷害事件対策委員会なるものができました。わが社会党あるいは民主団体が参加いたしまして、こういうものを作りました。その対策委員会で発表しておりますものをちょっとここで引用してみます。三月二十三日に第一回の発表をしておりますが、それにはこういうことが書いてあります。「委員会としては、予ねて基地内における米軍人の銃砲とり扱かいが、慎重さを欠き、日本人労務者に対する態度も、公正と思えなかった事情から、単なる偶発事件とみることはできないのである。」同じく三月二十五日発表の文には、こういうふうに書いてあります。「事故のタネはまかれていた」という小見出しのもとに「米側は二十一日午後三時、第一回のステートメントで「暴発による事故」と発表した。しかし、単なる暴発か、重大なる過失か、故意にやったのか、まだわからない。基地労働者に緘口令を出し、彼らはなかなか慎重である。しかし、このような事件のおこる可能性はあった。第一には米軍日本人に対する「ジャップ」意識であり、次に銃とりあつかいの粗雑さである。実例はいくらもあるようだ。西部劇もどきのガン扱いでは、日本人労働者こそたまったものではない。」こういう声明文を発表しております。私が先ほど具体的な例を申し上げたのもこういうことなんです。ホールド・アップ、あるいはときどきふざけて実弾を発射することすらあるそうです。こういうことまでさかのぼって、特に労務管理当局は検討を加える必要があると思います。このような態度に対して厳重なる抗議を申し込み、二度とやらせないということを誓わせる必要があると私は思います。  以上、結論的に申し上げまして、米軍発表という限られた面からだけ、しかも私のようにほんとうのしろうとが検討してみただけでも、以上申し上げたような間違いや矛盾が発見されるわけです。  整理して申し上げますと、まず第一に、何らまだ調査もしないうちに、そして本人黙秘権を行使しておるにもかかわらず、事件直後直ちに、原因はピストル暴発だときめつけたこと。第二に、事件発生の時刻すらあやふやであるということ。第三に、日本政府機関への通報が極度におくれておる事実。第四に、加害者黙秘権を行使しておるにもかかわらず、深い自責の念を表わしておるなどといって、終始かばおうとしているような態度が見えること。しかも、この加害者事件発生後とった措置にも私どもは疑問を持っております。第五番目に、調査はもうすぐ終わる終わると言いながら、なかなか終わらなかった。しかも、終わってから正式の発表がなされておらない。こういうふうに見ていきますと、何としても誠意というものをくみ取ることができません。何かしら、最初に結論を出して、つじつまを合わせることにきゅうきゅうとしているような印象をどうしても受けざるを得ないのであります。偏見ではなくして。被害者に対して同情はしたかもしれません。運が悪かったくらいの同情はしたかもしれません。しかし、ほんとうに済まなかったという態度は残念ながらくみ取れないのであります。   〔堀内委員長代理退席、草野委員長代理着席〕 済まなかったと考えた場合には、もっといろいろな形の言動が現われてくるべきだと私は思う。国民性の違いからきたものだというふうには考えられない面が多々あります。ほんとうに済まなかったと思うならば、何よりもまず第一に、真相を国民に知らせるということです。これが先決です。過失なら過失故意なら故意、なぜ銃口が中尾氏の方に向いていたのかをわれわれでもわかるように説明をすることです。加害者がどのようなピストルの操作を行なっておったのか、今までのような御説明では納得いきません。  それからもう一つは、とるものもとりあえず、二度とこのような事故は起こさないようにいたしますとみなに誓って、特に同じ基地の中で働く労働者諸君に誓って、そのためにこのような措置をとりましたという発表が当然行なわれたときに、私たちは誠意をくみ取るのであります。日本政府の当局といたしましても、一つきぜんたる態度をとって、私は、この際、日本人労働者の安全保障と人権を守るための具体的な措置をとらせるように考慮していただきたいし、アメリカの方に申し入れもしていただきたいと思います。  残念ながら、先ほどから申し上げますように、日本人一般あるいは日本人労働者、特に労働組合というものに対する偏見は顕著に持っております。過去においても、佐世保基地においては、労働組合の代表と会うということすらしないのであります。意思の疎通をはかるような努力もしないで、どうしてうまくいきますか。これは明らかな偏見です。この点なども特にただしていただきたいし、最後に、被害者に対する最大限の補償措置を講じてもらいたいということを申し上げたいのでありますが、以上、結論的に申し上げた点については、防衛庁長官、担当大臣としてあるいは閣僚の一人として、所信と決意を表明していただきたいと思います。
  38. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 今回の事件の取り扱い等についての遺憾な点は、先ほど申し上げましたように、十分今後注意を喚起して参りたいと思いますが、さらにこの事件について、再びこうしたことが起こらぬように、しかも、こうした基地内に働く労務諸君の不安を除去するための処置をとるように、これは調達庁長官から在日米軍司令部に厳重な申し入れをいたしておるわけでございます。ただいまおあげになりました全般の問題につきまして、十分今後も米当局に申し入れをいたし、そうして再びこうしたことが起こらぬことを確保するために、最善の努力を払いたいと存じます。
  39. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 だいぶん時間がたちましたから、もう一つの問題をなるべく簡潔にお尋ねをしたいと思います。  それは、前会、三月九日の本委員会における質問で、私がいろいろと申し上げた佐世保の崎辺地区の使用問題なんです。当日の質疑の中で明らかになりました問題点が大体五つばかりあったと思います。それは、自衛隊としてもぜひ崎辺地区を教育隊の敷地としてほしいが、市民、これを代表する市議会等も工場誘致に非常な熱意を持っているのであるから、今後十分地元と話し合いを進め、調整をはかるようにする、絶対に強圧的な態度はとらないように注意するということ。次に、米軍が崎辺地区を返還するにあたり、自衛隊の使用を条件としていた事実はないということ。三番目は、返還にあたっての条件というのは、昭和三十六年六月六日の合同委員会で確認されたものをいうのであるということ。四番目に、地位協定第三条によって拘束される場合も、関係法令の範囲内であることは言うまでもないということ。五番目に、要は、返還にあたっての条件に反しなければ、民間の工場が建っても差しつかえないわけであるということであります。この点、最初に、防衛庁長官と調達庁長官の御確認を願って、次の質問に入りたいと思います。
  40. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 ただいまおあげになりましたことは、その通りでございます。
  41. 林一夫

    ○林(一)政府委員 ただいま大臣の御答弁の通り、その通りでございます。
  42. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 その結論を得ましたので、私は質問をいたしました後、この予定されております工場が、はたして五条件に反するかどうかということを主として検討したわけであります。結論は、私なりの検討の結果、反しないという結論を得ました。  その立論の第一は、大阪鋼管が新しい工場に置くことを予定しております電縫管製造機械のメーカー、アメリカのオハイオ州のアベ・エトナ会社というのだそうですが、この会社が自信を持って裏づけておるということ。副社長から書簡が来ておるわけでございますが、これは専門的な分野が非常に多うございますから、私は朗読を差し控えます。とにかくそのような障害を発生することはない旨をワシントン当局者とも懇談してもよいと付言して、自信のほどを示しておる。そういう資料を入手したということが一つ。  それからもう一つは、これは私独自の立場で、専門家の友人を中心に数氏集まってもらって、いろいろな角度から検討してもらったわけです。今後皆様方が御検討なされる場合にも役に立つことがあろうと思いますから、私はその結論をここで申し上げてみたいと思います。  まず第一に、電波障害の防止については現在きわめて進歩をしており、あらゆる場合、その一つ一つのケースについて、発信側にも受信側にも防止装置またはその対策が施されている。ということであります。たとえば、発信側には雑音発生防止装置、モーターや螢光灯にさえも必ず規定によってこれがつけてある。それから受信側にもフィルターを入れる等の障害除去方法が極度に発達しておる。こういうことが述べられております。それから法的にも措置が講じられる。   〔草野委員長代理退席委員長着席〕 電気工事施行規則や電波法等、その他によってその規制が行なわれているので、かりに一般の通信施設、通信機能が電波障害によって支障を来たしても、直ちにその除去の方法はあり、これが施行されている以上、固定的、永続的な障害はあり得ない、こういうふうな結論が出されております。  第二に、NHKその他各放送関係警察、自衛隊、海上保安庁、電信局等の通信施設を初めとして、国内にある膨大な数の通信施設は、おのおのそのそばに工場があるとか、電車の電線が通っているとか、各家庭の螢光灯の不良なものから自動車のエンジンによるものまで入れれば、膨大な障害となる要因は一応存在するのであるが、おのおのすべてその防止が行なわれ、すべての通信施設がその機能を円滑に遂行していることを思えば、崎辺だけ工場による電磁障害が米軍の通信施設の機能を妨げるとは絶対考えられないということであります。  第三は、米軍が主張する溶接のスパークのごときものがその障害になるというのであれば、溶接は百八十サイクルであり、普通の電球六十サイクルの三倍にすぎず、きわめて小さく、また工場の場合、それらは建物に吸収されるので、障害はあり得ない。各家庭の切れかかった蛍光灯の方がもっと障害は大きい。道路通行の自動車もしかりである。また、障害が考えられる場合は、大工場より、かえって設備の粗悪な町工場の方がその可能性は考えられる。こういうことであります。  第四番目は、ただ一つ、アンテナのすぐ隣に、これが隠れるような高い建物を建てたときには障害が発生するが、これは法規により規制されている。千メートルも離れた崎辺の米軍施設に防止し得ない電波障害があることは絶対に考えられない。佐世保においても、各官庁の通信所の付近にはこれ以上の工場その他の条件が存在し、また、NHK佐世保支局のすぐ下にSSKのような膨大な工場施設があるが、おのおのその障害はなく、また除去され、防止され、その機能は完全に遂行されている。こういうことであります。  第五番目は、崎辺の米軍施設が特殊なもの、特に重要なものという弁明も当たらないようである。なぜならば、この施設は、外見もきわめて小さい施設であり、軍事的価値も大したことはないと見えて、米軍人は一人も見当たらず、海上自衛隊の隊員が若干いる程度であるのを見ても想像できる。こういうことであります。  第六番目は、なお、米軍側五条件の一項目に当たる三十メガサイクル以下とは、テレビ、レーダー、超短波等の特殊なもの以外すべての電波はこれに入るので、限定された特別な意味はなく、平たく言えば、すべてのものというにひとしい。また、一メートルにつき二十マイクロ・ボルトをこえるような重大な障害をもたらすもの云々とあるが、同様の規制は国内電波関係法規でも一般に行なわれており、米軍独特のものではなく、要するに、障害がなければ問題ないものと思われる。こういう結論であります。  そうしてこのほかに、崎辺地区にある米軍の通信施設というものが一体どんなものか、それを想定してみまして、方向探知機、ローラン、ビーコン、一般連絡用送受信機等、いろいろ想定して検討してみたが、いかなる軍事上の施設であっても、発する電波は理論上の各サイクル別の電波に変わりないのであって、その施設のいかんを問題にする必要はないという結論である。また、米軍の五条件なるものは、文書にある純粋の電波上の問題だけを考慮すれば足りることは明白となった。  最後に、要するに、前述したような崎辺の米軍ゴルフ場の端にポツンと置き去られたように建っている小屋程度の、米軍人が一人もいない通信施設に対して、千メートルも離れて現にある二十一空廠跡の建物を利用する大阪鋼管が、電波障害を与えるというような主張はなかなか信じがたいものである。こういう分析の結果が私のところにもたらされました。  こういうものをいろいろ検討してみた結果、考えられることは、問題は、防衛庁さえ遠慮してくれれば、問題は解決するのではないかということです。防衛庁の教育隊の敷地にほしいという気持、これを受けて、アメリカの方で少し無理してややこしいことを言っているのではないか、 こういう印象を非常に強く持ったわけであります。  そこで、私がお伺いしたいことはただ一つ、先日も申し上げましたように、自衛隊の教育隊の敷地はほかにあるわけです。私があげただけでも、相浦、針尾佐世保の旧海兵団跡、そういうものが厳然としてあるわけですから、いま一度こういうところでどうだろうかという再検討をしていただきたいということなんです。  先日、佐世保市で旧軍港市議会協議会というものが開かれました。その際においても、満場一致で、この崎辺地区を一つぜひ大阪鋼管の敷地として払い下げてもらう運動を歩調をそろえてやりましょうという決議をしておりますが、その際明らかになったのでございますけれども、旧軍用財産の返還状況を見ますときに、佐世保が一番少ないのです。横須賀は四八%が返還されておる。舞鶴に至っては八五%、呉が八〇%、これに対しては佐世保市はわずか二五%しか返還されていないということも明らかになっております。協力すべき点はいかに佐世保市が協力しておるからということが、この数字をもっても明らかなんです。そこで、両方立てるためにも、ぜひ防衛庁の方で再検討していただきたい。私はこの間の質問以後、数度にわたって防衛庁長官にも、調達庁長官にも、この点についてはお願いしてきたわけでございますが、いま一度本委員会において、正式に再検討方の要請をいたしまして、私の質問を終わりたいと思うのですが、この点についてのお答えを願いたいと思います。
  43. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 十分御承知の石橋さんでございますから、こういうことを申し上げるのはどうかと思うのですが、実はあそこの崎辺地区に建てられるものが、返還の条件に合致するかどうかということが問題でございます。そうしてもちろん、防衛庁としては、ぜひあそこがほしいということには変わりがないのでございます。ですが、防衛庁が遠慮しただけの問題ではなくて、建てられる工場が返還の条件に合致するかどうかということが、もう一つ問題だと思うのであります。ただいまおあげになりました、絶対に電波障害はないのだというそのお話を、決して信用しないわけではないのでございますが、これにつきましては、御承知のように、日米双方の現地機関において具体的な問題について検討協議をすることになっておるわけでございます。こうした協議が持たれて、それがはたして適格かどうかということの検討をしていただくことが一つあろうかと存じます。先般も申し上げましたように、佐世保が工場を誘致されるというこの前提条件については、私ども非常に賛意を表するわけでございますが、ただいま申しましたように、私どもも十分研究はいたしますけれども、要は、そこに建てられると予定される大阪鋼管の施設が、はたして返還条件に合うかどうかということを検討していただかなければならぬ。そして、いわば防衛庁側としては、国有財産の管理者である大蔵当局に、私どもが使わしていただきたい、一方会社側もそういうことを言っているわけでございまして、それらの点を考慮をいたしまして、適当な結論を得ていただきたいと考えている次第でございます。
  44. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 もちろん、払い下げの直接の衝に当たるのは、大蔵省当局であることはわかっております。現在大阪鋼管と自衛隊の競願の形になっているわけであります。そこで、工場があそこに建てられても障害があるかどうかということは、一方でわれわれも検討し、会社の方でも検討し、そして大蔵省に対して、障害は起こしません、そういう立証を盛んにやるわけです。しかし、かりに五条件に反しないという立証がなされても、防衛庁が一歩も引かぬというのでは、これはどだい話にならぬわけです。何のためにそのような努力をしたのかということにもなるわけです。その辺を私は含みを持って十分に考慮するのだというお答えをいただきたいわけであります。
  45. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 お言葉を返すようでございますが、私どもとしては、ぜひあそこを防衛庁として使わしていただきたいという非常に強い希望を持つわけでございます。しかし、工場誘致ということも大切なわけでございます。従いまして、工場に払い下げても、その工場がはたしてあなたの返還のときの条件に合致するかどうかということも十分検討をしていただかなければならぬわけで、そういう点につきまして、非常にかたくなな気持でいるわけでないことだけは申し上げたいと思うわけでございます。
  46. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 それでは、たとえば大阪鋼管の場合には、五条件に反しないということが明らかになった場合にも、あくまで固執するということはないのだ、その点では若干幅があるのだというふうに理解をして、私は質問を終わりたいと思いますが、差しつかえございませんか。
  47. 藤枝泉介

    ○藤枝国務大臣 幅と申しますのは、どの程度になるかわかりませんが、しかし、決してそう非常にかたくなな考え方ではないということだけは申し上げたいと思います。もちろん、財政面の問題その他もございますから、他に適地をもう一度求めるとかなんとかいうことを直ちにやるわけにも参りませんけれども、そういういろいろな御検討の結果につきましては、十分考慮をして参りたいと思います。
  48. 石橋政嗣

    石橋(政)委員 まだ機会はございますから、きょうは一応これで終わります。      ————◇—————
  49. 中島茂喜

    中島委員長 次に、恩給法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を継続いたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。受田新吉君。
  50. 受田新吉

    ○受田委員 私は、恩給改正案に対しましてお尋ねをするにあたりまして、最初に、恩給事務を担当される恩給局長に事務的な立場のことをお尋ねをして、政治的な問題を総務長官に一つお尋ねしたいと思いますので、お含みを願います。  今度の改正案を拝見しますると、その最も核心に触れるものは、公務扶助料、普通恩給額等のベース・アップであります。一万五千円ベースから二万円ベースあるいは二万四千円ベースに切りかえたという、この措置でございますが、このベース・アップというものは、一体何を根拠にされたのであるか、その根拠を御答弁願いたいと思います。
  51. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 思給のベース・アップということは、従来も経済事情の変更に追いかけましてやって参ったわけでありますが、昭和三士二年、法律百二十四号によって旧退職者の恩給のベースを昭和二十九年の一月一日以降から施行されましたいわゆる一万五千円ベースを基準にして、それ以前の一万二千円ベース時代から引き上げたわけでありますが、その後の事情の変化を考えまして、今回の措置といたしましては、一般退職者及びその遺族につきましては二万円ベース、これは昭和三十四年の十月一日に改定されました公務員の給与ベースを基礎にいたしまして引き上げたわけであります。それによりますると、大体一万五千円ベース時代よりも二割前後の増額になる。もちろん、二割前後と申しますのは、完全に一万五千円ベースにしなかった上級者については、一万二千円ベースの据え置きから、ある程度一万二千円ベースと一万五千円ベースの幅の間で制限を加えておりました。それを土台にしまして一躍二万円ベースまで持っていくことによりまして、二割前後という増額になるわけであります。そういうことであります。また戦傷病者、戦没者の遺族という方々の公務傷病死没者につきましては、これら一般の恩給よりも特に処遇を厚くしたい、こういう見地から、二万四千円ベースに公務員の給与を基準にして引き上げることにした。これによりますと、大体現在の一万五千円ベース時代よりも三割六分くらいアップになる、こういうことになるわけであります。この措置は、結局今申し上げました昭和三十三年以降の経済事情あるいは国家財政等、諸般の事情を考慮して、総合的に考えてこういうふうにきめた、こういうことを申し上げております。
  52. 受田新吉

    ○受田委員 私は、このベース・アップの取り扱いについて、新しい道がここに開けておることを確認するわけですが、公務扶助料と普通恩給あるいは普通扶助料とにベースの差をつけたという、この根拠はどこにあるかということです。
  53. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 今申し上げましたように、公務傷病死没者につきまして、一般の恩給受給者よりも優先的に厚く処遇しようというふうな配慮から、そうしたベースにおける差をつけることによって実質的に厚くなる、こういうことであります。
  54. 受田新吉

    ○受田委員 予算上において、普通扶助料と普通恩給との総額、これは公務扶助料に比較して大したものになっていないと思うのです。お示しいただいた資料を拝見してもそう言えるのでありますが、この普通恩給と普通扶助料を二万四千円ベースにした場合に、どれだけの予算の追加が必要であるのですか。
  55. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 全体を通じまして二万四千円ベースに持っていく、こういう場合の予算は、平年額にいたしまして、三十七年度の人員を基礎として計算いたしますと、大体三百六十億でございますが、今回措置いたしましたように、一般の恩給受給者につきましては二万円ベース、公務傷病死没者につきましては二万四千円ベースということにいたします結果、約三百三十億、そのくらいの隔たりができております。
  56. 受田新吉

    ○受田委員 わずかに一割足らずの増額で、恩給体系をこわさなくて済む。公務扶助料をもらわれる人々には、別途にまた何らかの方法で、たとえば家族加給をふやす、未亡人加給をふやす、こういうような措置で道が開けてくる、こういうことが言えるのでございますから、一応恩給法のすべての体系は一本で前進するという基本的な立場だけはおとりになるべきではなかったか、かように思うのでございますが、いかがでしょう。
  57. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 恩総の内部でベースを違えたということは、全然なかったわけではございませんで、たとえば、軍人恩給の発足のときには、逆に、文官については一万二千円ベース、軍人については一万円ベースというような時代もありました。また、ベースといたしましては同じだというような時代もずっと続いてきております。しかしながら、今回の措置といたしましては、そうした財政負担の関係とか、あるいはその他諸般の事情を考慮しました上で、公務傷病死没者につきましては、一足先と申しますか、より優先的な措置をとった、こういうことでございます。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、一足先というと、公務死没者以外の方は、適当なときに、追いつくという対策は用意されてあるのですか。
  59. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 これは、今後の経済事情の変化によることでありまして、これをどういうふうに手直しするかということは将来の問題でございまして、それ相当の時期においてまた判断するということになろうかと思います。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 将来の時期に、この差がそのまままた踏襲されるという形になることもあり得るのですか。
  61. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 それは、そのときの状態において判断しなければならぬ問題でありまして、今直ちにここでどうこうということを申し上げることはできないと思います。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 三十七年度の予算において、この普通恩給と普通扶助料を二万四千円にすることで、三百六十億のうちで、必要経費は幾らになるか。つまり、二万四千円ベースに普通扶助料、恩給を持っていった場合に、どれだけ三十七年度予算へ追加すればよいか。
  63. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 先ほどは平年額で申し上げて、その差が大体三十億と申し上げたのですが、それが三十七年度予算、つまり、十月実施というと、平年の四分の一の場合にどうなるかということでございまして、算術計算すれば、その四分の一ということでございます。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、三百六十億の総額の中から、三十七年度の部分の四分の一ということになれば、金額はほんのわずかですね。
  65. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 三十七年度分といたしましては、三十億のうち一部分、こういうわけでございます。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 四分の一ですから、三十億のうちのほんのわずか。それで、全体を通じても三十億、増額分の一割にも足らない額をちょっと配慮すればいいのであって、財政上の理由としては、はなはだ薄弱だと思う。これは恩給局長としては大へん苦しいお立場であろうと思いますから、総務副長官にお伺いいたします。  これは、私ちょっと問題があると思うのですが、ほんのわずか一割足らずの金額の操作をされることで、この恩給体系をこわさなくて済む、こういうことになると思うのでございますが、そのわずか一割足らずを節約されようとして、ここにびっこのベースで改定措置が講ぜられたわけです。お考えいかがでございましょう。
  67. 佐藤朝生

    ○佐藤(朝)政府委員 ただいま恩給局長からも御答弁いたしましたように、今受田先生のおっしゃったことは、本来から言えば、原則的なものであるということを私どもも考えております。今回の場合は、諸般の事情でこういうふうになったのでございまして、将来はこういうことのないように心がけたいと思いますし、また、普通恩給、普通扶助料につきましても、なるべく早い機会に二万四千円ベースにいたしたいと思っております。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 総務副長官の御答弁は、政治的に非常に前進した発言でありますが、公務性を持った人々を処遇するということになるならば、公務扶助料の倍率を改定すればいいのです。倍率をうんと高くしてやるべきであって、倍率の基礎になる恩給仮定俸給額というものをそのままにしておいて、そして一方はベースを二万四千円、一方は二万円に押えるということになると、これは恩給法の建前からいっても問題があると思うのです。文武官を通じて同じ基準で処遇をさるべき性質のものが片手落ちになってきておるということです。公務扶助料の倍率を改定すればよいのです。待遇改善をやろうとするならば、公務性を高く評価しようという立場からは、こういう改定の時期に同時にやっておくべきであって、公務扶助料の額は、その倍率によりて明瞭に優遇されておるのだということを示す方が筋が通ると思うのです。これは、筋としては倍率の改定をやるか、あるいは同時にこれを一ぺんに引き上げるべきだと思うのですが、財政上、予算措置上の便宜だけで体系がくずされておるということになるのですか、あるいは体系の上からもこれは納得がいけるものだという御判断であるのですか、御答弁を願います。
  69. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 公務扶助料の受給者を優遇するならば、ベースを同じようにしておいて、倍率を変えても目的が達するじゃないか、こういうお話なんですが、公務扶助料の倍率というのは、普通扶助料に対する割増率の問題、基本的には本俸に対する何割ぐらいが公務災害に対する扶助料だ、こういうことの割合の問題ですが、この割合というのは、大体標準がございまして、最近の国家公務員退職年金制度でも本俸の四割とか、あるいは昔の恩給法時代でありますれば、公務扶助料としては普通恩給と同じ、すなわち、本俸の三分の一とか、そういうスタンダードのあれがあるわけであります。戦没者遺族の処遇等にあたりましては、上級者についてはその率を薄く、下級者に厚くというような精神で、大体上の方は普通恩給並み、下の方は本俸に対する——現在六割近くまでいっておりますが、そういうふうな率になっておるわけであります。これをむやみに変えるというわけにはなかなかいかぬと思うのです。そこで、結局処遇を厚くするということならば、基本給というものの組み直しをしていく、こういうことになるわけであります。問題は、普通恩給の方をどうして同じベースにしないのだ、こういうことだろうと思うのですが、これは先ほど申し上げましたように、これによって財政負担もよけいかかるわけですし、そのほか、いろいろほかの年金制度等の関係もございますので、今回の措置としては、一般の恩給につきましては二万円ベース、公務災害関係の恩給につきましては二万四千円ベースということで優遇しておる、こういうように考えております。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 総務副長官の御答弁で、政府のこれからの考え方の基本的なものははっきりしてきた。つまり、文官、武官を問わず、普通恩給、普通扶助料は二万四千円ベースに当然追っかけるべきである、このたびはこれができなかったのだ、こういうような意味の御答弁だと私了解するのです。副長官、そうですね。長官もそれと同じ御意見ですか、長官は副長官と違いますか。
  71. 小平久雄

    ○小平政府委員 今回のベース・アップは、諸般の情勢から総合的に判断してこういうことになったわけでございますが、将来は、今副長官から答弁申し上げた通りでありますが、今お話のありますような方向で進むべきものと私ども考えております。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 しかも、この改定案の問題点は、その実施時期が三十七年に一部、完成が三十九年になっておるのです。この間において、また公務員のベース・アップというものが当然予想されるわけなんです。三十九年の当時になると、公務員のベースはあるいは三万円をこえるということになるかもしれません。そういう時期にやっと二万四千円が実現をするということでは、終始従来の退職者と現職の皆さんとの間にアンバランスが生じてくるわけであります。人事院の規定をした国家公務員法の第百八条に、「恩給制度は、本人及び本人がその退職又は死亡の当時、直接扶養する者をして、退職又は死亡の時の条件に応じて、その後において適当な生活を維持するに必要な所得を与えることを目的とする」と、こう恩給制度の目的が書いてあるのです。その後において適当な生活を維持するに必要な所得を与えるということになれば、やめた後においても、その退職当時の条件に応じて、やはり適当なベース改定というものが当然考慮されなければならないということになると思うのでありますが、いかがですか。
  73. 小平久雄

    ○小平政府委員 恩給の性格というものは、概括的に申しますならば、今お示しの通りだと私ども心得ております。しからば、現在の公務員の給与のベースが改定された場合に、それと必ず一致していくべきかどうかという点になりますと、これはやはりいろいろな要素を考慮に入れなければならぬと存じます。一般経済事情の変化はもちろんのこと、特に物価の問題、生活水準の問題、国家の財政の問題あるいは国民感情の動向といったような各種の要素を総合的に判断しなければならぬものだ、それによって受給者の給与ベースというものも逐次改定をしていくべきものである、かように考えております。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 必ずしも一致しなければならぬということはないけれども、大体そういう方向へ持っていくべきである、こういう御答弁だと伺います。また、先年の臨時恩給等調査会の答申の中にも、この点が明瞭に書かれてありまして、特に有力意見の一つとして取り上げられておる。これは恩給局長御存じの通り、将来において給与ベースの引き上げがあるとしても、前退職者どの均衡を考慮し、ベース改定後退職する者が割よくならないような処置を講ずるよう考慮することという一項があるわけです。だから、やめる時期によって恩給その他の年金が差がつくということになりますと、今退職勧告を受けた人が、長くおるほど退職年金が高くなるのだ、こういうことになると、なかなか退職ということも、踏み切ることが困難であるということも考えられるわけなんです。それで、やめる時期によってその所遇の差が大きく開くということは、多少のなにはありましても、原則的には大体並行する形でいくべき性質のものだと私は思います。それは、長官そう思いますか。
  75. 小平久雄

    ○小平政府委員 先ほども申し上げた通りですから、大勢としてはそういう方向でいくべめものだというふうに考えております。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 大勢としてはそういう方向。そうすると、この二万円ベースの改定が昭和三十九年に完成した暁において、三万円ベースになるという予想かつきます。大体今までの推移から見て、三十九年には三万円ベースをこえるところにいくでしょう。そういう見通しの今日、三万円ベースになったときにやっとこさで二万円ベースが実施されるというと、三分の二じゃないですか。この三分の二で、退職の時期によるところの均衡を保つという、この国家公務員法の精神や、臨時恩給等調査会の答申の有力意見に合致できるかどうかという問題があるわけです。
  77. 小平久雄

    ○小平政府委員 今回の改定が完全に実施になる時期において、現職の公務員の給与ベースがどうなるか、これは今受田委員のお示しのようなことにあるいはなるかもわかりませんし、いずれにいたしましても、不確定なことでございまして、われわれはその成り行きに従って恩給の方も考慮をいたしていく、ただいまのところ、こうお答えするよりはかなかろうかと思っております。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 現在二万七千円ベ ースになっている。それが今二万円ベースで、あとから二年後に追っけていくということになれば、これは大体ついていくということじゃなくして、非常に離れているということになる。これは長官の御趣旨とは違って非常に離れていますよ。そうお考えでないですか。現在の二万七千円になっている公務員ベースと、やめた人がやっとこさで三十九年に二万円ベースになっていくのとは、非常に開きがあるという現象を御確認になりますかどうか。
  79. 小平久雄

    ○小平政府委員 三万円ベースと二万円ベースというものを比較すれば、まさに三分の二にすぎないことは、これはもう数字の明らかに示すところであります。ただ、先ほど申しました通り、それだけでこの恩給のベースを変えるかというと、なかなかそれだけというわけにも参らぬかと思います。その辺は、今後の成り行きに従って総合的に判断していくというよりはかなかろうかと思っております。ですから、隔たりがあるということは、今申した通り、数字的に明らかでありますから……。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、先ほど長官が言われた、大体いつもそのつど改定するということで、追いかけていくという方法を取りたいという御答弁と、現実とは離れているということになりますね。
  81. 小平久雄

    ○小平政府委員 今回の改定も、結局は総合的な判断に基づくものではありますが、その中の有力な一つの因子は、やはり現職の公務員の給与改定ということが一つの大きな要素になっておる、かように私どもは考えております。従って、今後においても、現職公務員の給与の改定というものが、依然として将来にわたって考慮さるべき一つの大きな要素となって、現職のベースが変わるならば、それを考慮しながら、その他のものとの総合的な判断で、恩給のベースも改めていくべきものだ、さように考えております。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 どうもはっきりしないのですが、私は結論を急ぎましょう。恩給改定のいきさつは、従来経済事情の大きな変動に対処する場合と、もう一つは、公務員の給与改定がされた場合に、これに伴う措置としてなされる場合と、二通りある。しかし、現実の問題としては、やはり公務員のベース改定というものは、経済事情に即応してなされているのですから、それを追いかけていくような形を取るのが妥当性を持っておる、こういうことが言えると思うのです。従って、せめて二万七千円ベースの際には二万四千円ベースのところまでは持っていくというような配慮をすることが、私は長官の趣旨に合致すると思うのです。完全に一致してなくても、一歩手前までは追いかけていくという配慮が必要じゃないのですか。
  83. 小平久雄

    ○小平政府委員 そこが、先ほども申しましたいろいろな要素の総合的な判断によってきめるほかございませんので、今お示しのように、幾らになったら必ず幾らにする、こういうことをあらかじめここで申し上げるというわけにも参らぬわけであります。
  84. 受田新吉

    ○受田委員 そういうことではたよりないことですね。これは、退職の時期によって公務員に失望を与えたり希望を与えたりすることなくして、一応公務員である者は、退職後もその生活の保障の根拠の年金がもらえるんだという基礎的なものだけは確立しておかないと、現在の公務員だって非常に不安定を感ずるわけです。その意味で、ほんのわずかな予算措置で済むのですね、増額部分の一割にも足らない措置でこれらの公務員の、あるいは文武官の退職者の処遇改善ができるのです。これを一つこの際考慮すべきじゃなかったか。それができないことになっておるので、ごく近い機会に何らかの措置をとりたいというのが副長官の御答弁であり、長官もそれを補説されました。従って、普通恩給、扶助料は、遠からず二万四千円に引き上げられるという期待を持っていいということになりますね。
  85. 小平久雄

    ○小平政府委員 同じことを申し上げるようで恐縮でありますが、方向としては、先ほど来申します通り、そういう方向でいくということになると思いますが、しかし、そうかといって、時期を限って恩給のベースを幾らにするというようなことを、今私がここで、私の立場からはっきり明言をいたすという、それだけの権限もございません。従って、方向としては先生のおっしゃる通りでありましょう、また、われわれもそう努力いたしましょう、こう言っているわけなんです。
  86. 受田新吉

    ○受田委員 権限はないけれども、あなたの意思を言明され、それを閣議において主張されていくということで物事が解決するのですから、いいですか、そういう担当者だけは強い主張をしておかぬと、なかなか実を結ばぬものです。しり込みをしておったら仕事ができないです。  そうして、今度は具体的な問題で、公務扶助料をもらわれる方々に対する処遇改善ということについて、人一倍強く考えておるものでございますけれども、その問題の一つは、未亡人対策として、家族加給として、何らかの形で国民年金との併給ということが認められておりますけれども、こういう問題を同時に考えてあげる、減額されるのでなくして、併給を停止されるのでなくして、これは別に家族加給というものを考えるべき性質のものではないか。公務扶助料の受給者に対する家族加給制度というものをお考えになっておられるか。
  87. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 現在家族加給のついておりますのは、公務扶助料と増加恩給受給者でございます。この家族加給というのは、公務扶助料の場合は、その年金を受ける人に扶養せられるもの、また遺族がある、こういう場合に、その一人につきまして年額四千八百円、また増加恩給受給者におきましては、増加恩給受給者の扶養する家族一人につきまして四千八百円というものがつけ加えられるわけであります。ただいまのお話は、未亡人の場合におきまして特に加給というのでございましょうか、あるいは未亡人であるがゆえにその公務扶助料の年額を特にふやすというような結果になるような御措置だったように承りますけれども、公務扶助料受給者の中で、遺族の中で、特に未亡人だけをそういった措置をするということにつきましては、これは全体の体系上——恩給ばかりではございません。退職年金制度にいたしましてもそうでございますけれども、そういった全体の制度の体系上、むずかしい問題だ、こう思っております。
  88. 受田新吉

    ○受田委員 家族加給の月四百円という金額が、これは少な過ぎるということを申し上げている意味だったわけです。従って、国民年金の寡婦年金、未亡人年金というものの実質的なものが、常にこれを伴うように今後も措置をする、また、その金額を、できればもう少し増額せしめていくというような形のものは、これは私、国民も納得すると思うのです。
  89. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 わかりました。つまり、四千八百円という家族加給、たとえば未亡人が未成年の子を養っておるといたしますれば、その子供一人について、基本年金のほかに四千八百円、その額が少ないということは、まことに御説の通りと思います。ただ、しかし、この家族加給という家族手当の額は、一般の公務員の給与の上でわれわれがいただいております家族加給金というものと同じでございまして、全体のそうした給与制度上の体系というものにならって、恩給における家族加給というものを考えて参られたわけでありますから、今にわかに恩給だけは別なんですというわけになかなかいくまい、こう考えております。
  90. 受田新吉

    ○受田委員 国民年金の併給を停止せしめないということ、つまり、扶助料をもらっている人も、国民年金は終始寡婦年金として別途にもらう、こういう形を今後も続け得るということになるかどうかということです。
  91. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 国民年金と恩給等の公的年金との併給の問題につきましては、別途厚生省の方から提案がなされているはずでございまして、一般の恩給受給者につきましては、国民年金と合わせて二万四千円まで、公務傷病死没者関係の恩給につきましては、恩給と国民年金と合わせて七万円までという範囲内で、国民年金の方の併給をいたそうという案だと私たち承知いたしておりますけれども、そうなりますと、その幅では、たとい恩給の方をもらっておるからといって、国民年金を併給されない、受けられないということにはならないわけでございまして、両方とももらえるというふうなことになる、こう思っております。
  92. 受田新吉

    ○受田委員 公務扶助料が七万二千円以上になってくるということになると、これは七万円をこえますね。
  93. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 公務扶助料が今度の案では七万二千四百二十円に兵の場合なるわけでございまして、先ほど申し上げました国民年金との併給の場合の条件としての七万円という限界をこえるわけでございます。従って、七万二千四百二十円のレベルに到達する時期、すなわち、昭和三十九年、あるいは老齢者につきましては、昭和三十八年に七万二千四百二十円に公務扶助料の方は増額されるわけでございますから、そのときには国民年金の併給ということは実質上なくなる、こういうことになるわけでございます。しかもなお、そうした七万円という国民年金併給の方におけるワクを取り除いて併給すべきかどうか、こういう議論につきましては、これは厚生省方面において今後も御研究になる問題だろうと思います。現在のところは、こちらの方は七万円をこすという段階になりますと、国民年金の方は併給されない、こういうことになると思っております。
  94. 受田新吉

    ○受田委員 これは総務長官、やはり一つの問題だと思う。七万円をこすと国民年金の併給はなくなる、これはやはり救済措置をとっておくべき性質のものである、かように私は思うわけです。長官、御趣旨は賛成ですか。
  95. 小平久雄

    ○小平政府委員 この併給の問題は、私も非常に重要な問題だと考えております。従いまして、今後厚生大臣等ともよく連絡をとりまして、なお研究を続けていきたいと思っております。
  96. 受田新吉

    ○受田委員 きょうは区切りのいいところまでやって、残余の質疑はあすさせていただくこととして、この改正の具体的な数字に入っていきますが、今度の改定を拝見いたしますと、公務扶助料において、私たちとしてはなはだ満足する点が一つできてきておるのです。それは、従来私がしばしば主張していた下級者の優遇、階級差を下の者には撤廃するという精神が、一部生きてきた。軍曹、曹長、准士官、少尉というこの四階級が全部七万三千六百八円と改定されて、階級差がなくなった。これは私多年主張した、下級者には階級差をなくして、せめて少尉か中尉のところまでを一律にすべきだという主張を、ある程度取り入れていただいておると私は思うのです。恩給局長は、私の多年の主張を十分採用したと思われるのですが、これは、今までの階級差をたとい百円といえどもつけていかなければならなかったという主張を改められたのか、倍率関係などでちょうどいいようにここが一致したということになっているのか、階級差撤廃の数字が出た根拠をお答え願います。
  97. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 公務扶助料の現実の額におきまして、その方が最短年限でなくなられた場合にどのくらいになるかということを今度の法律案によりましてはじきますと、兵の場合五万三千二百円から七万二千四百二十円になるわけですが、これ以上の階級につきましてどうなるかということでございます。実は公務扶助料の額というものは、その基礎俸給といわゆる倍率とのかけ算の結果でございまして、今度の基礎俸給のアップ率が、兵の場合のアップ率よりも伍長、軍曹、曹長、准士官、少尉というようなところが若干下回っておるという関係からいたしまして、従来の倍率をかけて参りますと、むしろ伍長のところが七万三千二百六十九円ということになり、軍曹のところでは若干上がって七万三千六百八円ということになるのでございますけれども、曹長、准士官、少尉というところに至りますと、逆に軍曹のところよりも落ちるという現実の計算の結果が出るわけであります。上級者の方が下級者より落ちるということはまずいので、少なくとも下級者の額にひとしくさせる、こういう意味で、曹長、准士官、少尉というところでは軍曹と同額にしてございます。これは、そういう計算の結果そうなっておるのでございまして、そこに何か作為的に、この辺を一本にするというふうな考え方をここではっきり出したんだ、こういうふうにおとりになると、かえって何と申しますか——それほどの深い意味があってやったわけじゃない、結果的にそうなっておる、こういうことでございます。
  98. 受田新吉

    ○受田委員 今の、かけ算の結果がこうなったということでございますけれども、私は、この七万三千六百八円というようなときは、これを上に切り上げて七万三千七百円というように計算されるようにして——半端をつけるということは一つの問題がある。もう一つは、その前の兵と伍長だけはまだ依然として取り残しておるわけですけれども、この際、今のあなたのかけ算の結果こうなったということと、もう一つの下級階級の整理ということと、政治的意図を持った配慮をされまして、この際全部七万三千七百円と少尉以下を一律にされるという措置、これはきわめて適切である。従来だって、二等兵、一等兵、上等兵というものを全部整理して、兵長に統合されたという事例もあるのです。階級差というものは、今までもだんだんと現実に整理されておるのです。過去に整理した歴史があるのです。それを、せっかくこの四つが同じ金額にたまたまなった機会に、兵と伍長の分も含めて七万三千七百円というふうに整理したものにやられることはいかがなものであるか、これは、今かつての副長官と現在の長官と話しておられますが、あなたとしては、今までのいきさつをよく御存じなのでございますから、私の今お尋ねしている、少尉以下を一律に七万三千七百円とぴちっと線を引かれる措置は適切であるとお考えかどうか、御答弁願います。
  99. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 先生が、この前の法律百二十四号を作るときから、兵から少尉まで一本の公務扶助料でという御持論であることは、よく承知しております。しかしながら・そのときも申しましたように、旧秩序というものを尊重しつつ、いろいろこうした恩給上の処遇なり、また事実というものを考えておりますものですから、やはりそれを全部一本にするということについては、恩給法というものの基本的な考え方からははずれるのじゃないだろうか、こう思っております。今回の措置といたしまして、兵と伍長は若干の違いがありまするけれども、軍曹から少尉までは一本であるということは、逆になぜ違えなかったかという議論に対しましては、先ほど申し上げたようなことでありまして、これを全部一本にするということは、私としては賛成できない、こういうことであります。
  100. 受田新吉

    ○受田委員 これは一つの政策的なものもあるので、恩給法はすでに政策的なものが幾つも入っておる、社会保障的なものがどんどん取り入れられたのです。従来の恩給法という特権的な意識で固められた法律は、もう大幅に修正されて、社会保障の線が入ってきておるのです。従って、この際こういう根本的な改定をされる機会に、少尉以下の金額を少尉まで持っていくということになれば、その遺族にしても、兵、伍長、軍曹というような立場の人も、少尉と同じ金額を自分はもらっておる。英霊そのものも満足するし、英霊の遺族にしても、自分の夫は兵であり、伍長であったけれども、少尉と同額の扶助料をもらっておるのだという一つの喜びを感ずると思うのです。これは政策的に、この機会に十分採用すべきチャンスであると思う。このチャンスを逸すべからず、局長英断をふるわれるべきじゃないか。従来の経緯をご存じの副長官から御答弁願いたい。
  101. 佐藤朝生

    ○佐藤(朝)政府委員 私はあまり従来の経緯を十分には知りませんし、前の恩給法の調査会のときにおりませんので存じませんが、今回の場合は、ただいま恩給局長から答弁いたしましたように、もちろん、受田委員のおっしゃる通り、社会保障的の意味も、この恩給法に幾分入っておることはいなめないと思います。
  102. 受田新吉

    ○受田委員 入っていると確認をされているわけですから、この際これをやるべきでなかったか。これは自民党の皆さんとも御相談して、一つ修正案としてみんなで——これはだれも反対する人はないわけです。  もう一つお尋ねして、区切りをつけて質問を終わりますが、今度の改定案の中で、年額のおしまいに注が書いてあります。「旧軍人以外の公務員の恩給年額は、三四号俸以下の公務扶助料年額のうちに、同号俸の旧軍人の公務扶助料年額と若干の差のあるものがあるほか、」と差があると書いてあるのでございますけれども、この差をなぜおつけになったか。三十四号俸というと、これは少尉のところに該当する号俸ですけれども、どうして差をおつけになられたのか、御答弁願います。
  103. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 これは、文官の場合は、実は文官の公務扶助料の倍率が別にできておるわけです。そこで、文官の公務扶助料の倍率をかけまして出た答えというものは、同じ十八号のところでも違うわけです、文官の方が倍率が低うございますから。そこで、兵の十八号の公務扶助料といっても、同じ仮定俸給が十八号であっても、文官の方が低い額が出てくるわけです。しかしながら、法規定におきましては、同じ十八号であれば、公務扶助料の年額は、それにもかかわらず、兵においてきめられた七万二千四百円というものと同額にするというような最低保障的な規定が入れてございまして、十八号以上大体中尉クラスのところまで、この兵の七万二千四百二十円という最低保障額が、文官の場合においても生きて参りますので、そういう意味でこの軍人の公務扶助料の額とは違う、こう書いてございます。
  104. 受田新吉

    ○受田委員 その違う部分を除いてこの表と同額である、こう書いてある。大体公務死ということになれば、文官も武官もこの段階においては同一にすべきだと私は思う。軍人の公務死も文官の公務死も、これは公務死としては同性質のものである。同性質のものであるということになれば、文官で公務でなくなられた皆さんにも、軍人の公務死と同額のものを支給する、そういう規定に厳然と調節されてはどうか。それは今までの倍率の相違というような書き方ではなくて、これまた政策的な立場から、公務死というものは文武官を通じて一本であるという原則を確認される段階ではないかと思います。
  105. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 技術的にはこまかくせんさくすればそういうことになりますけれども、実態的には、文官におきましても、兵隊の階級で言って少尉クラス、三十四号俸くらいのところが、大体文官も兵隊も同じだということに結果的になっております。従いまして、特に文官の倍率というものを、軍人の場合の公務扶助料を算出する倍率に近づけてそれを手直しするというふうな技術をあえて使わなかったわけで、現実の結果といたしましては、軍人も文官も公務死亡者につきましては同じだ、大体こういうような結論が出て参っております。
  106. 受田新吉

    ○受田委員 階級が上にいけば、これはまた同じになってくるわけですね。つまり、中間がちょっと違う、これが問題なんですよ。これは倍率の二十割以下のところはもう同じになっている、こう伺っておりますが、その中間だけなぜ差をつけたかというこの問題は、恩給局が昔の旧秩序とさっき申されたが、これは、私は新秩序に切りかえなければならぬと思うのです。新秩序をもって恩給法の体系を新しく樹立される必要があると思うのです。公務死は、文武官を通じてそれぞれ法適用者は同率であるということを確立されるべき必要があると思うのです。例外はごくわずかな例外です。それを、何か旧秩序にとらわれておられるような印象は、私はほんとうに残念に思うのでございますが、頭を切りかえていただいて、新秩序をもって公務死は同率に扱うべきだという原則を樹立されることを要望しておきます。  区切りが問題になっておりますが、もう五分ほど延ばしていただいて、この問題は、できれば違うところの数字を示していただいて——今指摘した点についての文武官の相違点をお示し願いたいと思います。  さらに、この傷病関係の規定に触れておきますけれども傷病恩給の中で、特別項症の金額は一項症の五割増しということは、まだ規定が生きておりますね。特別項症の規定の適用者には介添者が要る、介護者が要る、そういう意味で五割増しになっている。介護者も、今ごろは物価高で、生活費が高まって相当苦しくなっている。一人人をつけることになると、一項症で三六%の増額になっているのでございますが、介護者がその半額ほどふえてくるわけです。これで現実に特項症の皆さんが満足している段階かどうか、恩給局で御調査された結果があると思いますけれども、御答弁願います。
  107. 八卷淳之輔

    ○八卷政府委員 今回の措置によりまして、第一項症の額は二十三万三千円、こういうことになりますし、特別項症ということになりますと、一割から五割増しということで、一番ひどい場合がその五割ですから、約十一、二万というものがそれにプラスされるわけでありますので、三十万円くらいになるわけです。そのほかに、介護手当が二万四千円、それからまた普通恩給が、兵の場合、仮定俸給十二万四千百円というものを基礎にいたしまして、その三分の一でございますから、四万何千円というものを合わせますと、約三十数万円という年金になるわけでありまして、月額三万円をこす場合も出てくるわけです。従いまして、そういう方々の場合の御生活というものも、その程度のところならば、現在の生活水準からいって何とかやっていけるのじゃなかろうかというふうに考えておるわけです。
  108. 受田新吉

    ○受田委員 特項症といえば、両手もしくは両足がなくて、全然身動きのとれぬような不幸な立場の人なんですが、こういう人々の介添えをする人々にしても、これは容易でない。精神的な苦痛も伴うものでございますので、それで何とかなっておるということでございますが、実際に実態を調べた結果がどうであるか、満足しておられるかどうか、いろいろな報告などがあれば、きょうでなくても、明日でけっこうですから、これを承りたいと思います。  それから私非常に遺憾なことは、今日この増加恩給の改定がされたにもかかわらず、白衣の募金が依然として続いている。お宮へ参っても、また公園などにおいても、一番楽しい印象を持ってレジャーを楽しんでいるときに、白衣の募金の皆さんがあそこに立っておられると、また多くの人々が胸に痛みを感ずるということになると思うのです。これはどうしたことか。これは総務長官、あなたの方の御所管になるわけです。こういう白衣の募金をなぜ許しているのか、とめておってもやっているのか、これは政府部内において十分検討されていると思いますが、どういう形でこの白衣の募金者を取り扱っておられるかをお答え願います。
  109. 小平久雄

    ○小平政府委員 実は最近における白衣の募金の状況、あるいはそれに対して政府がどういうことをやっているのかということにつきましては、私もよく存じません。いずれ、その点は、関係する向きも多いのでございますから、よく最近の事情について調査もいたし、また、何らかの施策を講ずべきものであれば講じたらどうか、私も今さように考えます。  もう十四、五年前でありますが、やはり引揚者及び遺家族援護の特別委員会で、そういう問題が出たことを今実は思い出したのでございますが、あの当時、相模原でございましたか、そこにああいう人たちの住居があって、ほとんど職業的にやっておられて、何月何日にはどこでどういう催しがあるというようなことで、派遣をされていくというように、事業的にやっておるがごとき話を、その当時伺ったこともございますが、今どうなっているか、あまり私も存じませんので、研究します。
  110. 受田新吉

    ○受田委員 これは大事な問題ですから、これが街頭から消えるように、処遇改善が不十分であれば、その人の意見を聞いて、処遇改善で、どの点が欠けているか探求する必要があると思います。これは早急に、あしたまでに御答弁願います。  もう一つ、問題は、五項症以下の軽度の障害を受けた皆さんの場合は、就職が可能なんです。軽度の身体障害者の皆さんに対しての適当な就職の問題では、身体障害者雇用促進法というものができているのですが、この身体障害者雇用促進法によって、軽度の増加恩給の五項症以下程度、また傷病資金をもらっている皆さんは就職が可能ですが、該当者が何人おって、どういうふうに就職を可能にしておられるかという調査の結果も、明日御答弁を願いたいと思いますので、明日への課題として残しておきます。そのほかの問題は、きょうここで区切りがいいので、明日へ延ばすことにしまして、本日の質問を一応終わらしていただきます。
  111. 中島茂喜

    中島委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は、明十八日十時より委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後一時二十九分散会