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石山委員 私は、ILOの問題については、あなたと討論する気持はないわけですが、ただ、残念に思うのは、ILOの精神というものと、国内関係
法案というものは、全然違うということなんですね。ここにやはり私、どうも今の労働行政に対する池田内閣、自民党
政府のやり方に非常な疑問を持つわけなんです。表向きのILOだけ見れば、なるほどILOの条約を批准すると一歩前進したわけですね。しかし、そのことは、今度は個々の
国家公務員法、地方
公務員法、公労法、鉄道営業法等に照らし合わせれば、ILOの精神で動いたことが罰則になるというのです。罰せられるということです。それではちょっと筋が通らないし、何のためのILOの批准かということになりかねないと思うのです。労働省で今出していられる賃金問題、この賃金部設定は、労働組合側から見れば、これはマル公賃金を設定することを一生懸命やる部であるのだ、こういうように言っているわけです。新聞などでは、適正水準というふうな言葉、あるいは適正賃金を中小企業の労使間に提示するのではないかというふうなことが間々出ているわけですが、それが大きな波になって労働組合関係者をば刺激しているようです。法文そのものを見れば、全く単純明快にして、何ら疑義のはさまるようなことはないのでございますけれ
ども、それに尾ひれをつけていろいろな疑問が浮かぶというのは、結局、
政府のとっている労働対策というものが、非常にごまかしをしょっちゅうやっているというところに通ずると思うのですね。ILOの問題
一つとってみたのですが、ごまかしのような感じがする。たとえば今度の
法律の場合で見てみますると、八条の三項に賃金部の仕事の部分というふうなものが書かれてある。これだけ見れば、マル公賃金を作るとか適正水準の賃金を作るとかいうことは、何ら書いてない。しかし、それをやるだろうというところに、今までの労働行政の誤りがあったのではないか。それで、賃金の面だけ見てもわかるわけですが、たとえば労使で、国鉄その他現業関係の方々が賃金をきめたのですが、これが大蔵省関係から強い
異議がありまして、三年ぐらいたったら、それは不法な労使の契約であるから、その金を返せといって、返された
時代がありました。ですから、労使間でうまく話し合いをしろ、こう言って労働省が指導しておりながらも、そこできまったものが、あるときになると、微妙な解釈をつけて返還を命ぜられていた、こういうような事実もあった。ですから、どうしても労働組合の諸君は、労働省の労働行政に対しては信用が置けない。その返還を命じたのは、私
どもの知っている労働
大臣の
時代にばしんと行なわれた。たしか三カ年分で七百円近くの返還が行なわれたと思っております。ですから、これはやはり労働行政の
一つでしょう。公共企業体ですから、各
大臣のその下にあるのだけれ
ども、労働省としては、労働行政上から見れば、大きな責任があったと思っております。それから労働賃金というものについて、労働省はどうもあまりにも外国主義的なものの
考え方をしているのではないかというふうに思うのです。賃金とは何ぞやと原則論をうたわなくてもよろしいわけですが、賃金というものは、われわれの肉体を動かして何がしかの仕事をなしたときのいわゆる
一つの代価になるわけですが、このわれわれが仕事をなすというときの肉体と精神というものとは、なかなか分離はできないはずなんです。こういうことを私はなぜ言っているかというと、たとえば賃金、労働時間——ここに八条の第一項にあるわけですが、「賃金、労働時間及び休息に関すること。」の中から、賃金だけをはずしてきているわけなんです。こういうものの
考え方は非常に機械的だと思うのです。賃金だけを何でもかんでもやるというふうな
考え方で、八条の一項一号、六号の四、十一号というふうに、賃金に関するものだけをはずしてやってきているわけですが、賃金というものは、そういうふうな格好で抽出できるものかということです。賃金というものは、私はそういうふうなものではないと思うのです。非常に外国的にカード式なものだと思うのです。しかし、このカード式になるのには、少なくとももっと賃金がよくなければそういう仕方が出てこないと思うのです。
労働基準局の中に賃金があるということを考えてみてもおわかりだと思う。この日本の賃金という場合には、労働時間、それから非常に条件の悪い労働条件、こういうふうなものが加味されて賃金が出るわけですが、賃金というその上積みにされたもののみを取り扱ってみて、中小企業と大企業との賃金格差が最近は縮んできたと喜んでいるんだが、そういう喜び方でいいのかどうか。賃金課はおそらく今までそういうことをおやりになってきたのですが、賃金部を作って、より以上に上積みなものを見る、形式的なカードの分類に終わりゃしないかというような
考え方がある。これは私
ども設置法を二十何条か見ているんだけれ
ども、無理に課を分離するために何か物事を集めてみる、今回もそういう
傾向があるんじゃないかと私は思うのです。何もこの中に入れておいてやれないことはない。この中から抽出をして別個に問題を見るということは、むしろ、日本の現在の労働賃金というものをまともに見なくなってしまうという欠点が浮かぶのではないかというふうに思うのです。そうではございませんでしょうか。