○今野
参考人 道路交通の安全、そうして
自動車交通を能率的に流すために、どういう対策があるかということにつきまして、
先生方は御専門で、すでに御研究あそばされ、対策をお持ちでございましょうから、私つけ加えて申し上げることがあるかどうかと思うのでございますが、私、学者として日ごろ考えておりますことを申し上げまして、いささかでも御
参考に供すことができれば幸いだと思います。
申し上げるまでもなく、
自動車交通は、大都市の都市としての機能を営むために必要なものでございまして、それを制限するということはやむを得ず行なうことだと思いますが、制限あるいは
交通規制をせざるを得ない
状態ということは、非常に残念な
状態でございまして、できれば
自動車を自由に使う都市が理想的な都市であろうと思います。よい都市ということは、やはり生活がしやすくて、衣食住が安く、そうして便利で住みよいということになりますので、乗りものが非常に能率的に私
たちの生活あるいは生産のために使える都市ということになるのでございます。
それで、対策を立てますのには、なぜこういうふうな
状態になったかという
原因を考えてみなければならないと思うのでありますが、
原因は、言うまでもなく、
道路が
東京あるいは大阪の場合著しく古めかしい旧式な
道路であるということでございまして、
自動車時代には完全に陳腐化して、機能的に
自動車交通を、能率的に流すだけの
道路でない、構造的に無理である。それでやむを得ず、うわべの
交通の
流れを、右に曲がるのを禁止したり、左に曲がるのを抑制したりして、何とかして筋を持たせようということだろうと思います。そういうふうな
道路の構造及び
道路に関連した施設その他の物的な面での不完全さ、こんな不完全な都市は、世界的に非常に珍しいと思うのでございますけれども、今日まで放置したその結果がこうなったということでございます。
もう
一つは、
自動車時代、
自動車文化時代、特に高速
自動車の文明と申しますか、文化に浴し得るための私どもの
人間関係と申しますか、秩序あるいは
交通道徳というものについての私
たちの自覚なり
教育が徹底していない。これは
自動車の
運転者だけではございませんで、
一般の
歩行者、
国民全体の高
速度交通機関に対する常識というものが、残念ながら西欧社会ほど発達しておらないということだろうと思います。どちらかと申しますと、そういうふうな
精神的な面、あるいは
自動車時代に相応した現代的な
道路交通法というものの体系が、今作られつつあるというふうな、そういう後進国としての法的な問題、私
たちの
道徳的な問題あるいは
関心、そうしてそこに
道路が不完全であり、そうして
ただ経済的な要求によって急いで走るということから、こういった
事故が起きているのではないかと思いますが、
自動車の
精神的な
事故の
原因ということにつきましては、申し上げるまでもなくドライバー
——私も
運転者でございまして、二十年来
道路を使わせてい
ただいておりますが、やはり
運転者というものは、私
たち国民の税金で作ってもらった
道路を使わしてもらっているという気持が、はたしてどの程度あるのか、使うことの権利は主張いたしますけれども、義務というものについての自覚がそれほどないのじゃないかということでございます。
もう
一つは、
国民あるいは
一般の
歩行者は、
自動車というものは
自転車と同じように、ブレーキをかければ、すぐにとまるというふうな考え方でございまして、
自動車に関する技術的なと申し上げるほどのことでなくても、常識的な知識、そうして
交通道徳というものを知らない。一方では非常にむずかしい試験をしておりますけれども、同時に
交通道徳というものが、日本のように
教育の中に入っていない国も珍しいと思うのでございまして、これは文部省に
お願いしまして、ぜひ、私、できますれば義務
教育あるいは付随した課外
教育でもよろしいのですけれども、そういうふうにしてい
ただきませんと、
運転者だけの心がまえでは防げないということがあると思います。そういう意味で、やはりなるべく最大多数の
国民が
運転についての知識なりモラルを知っているということが、
交通事故対策として大事なことだと思いますけれども、何か
道徳と名のつくものは一切教えられないというようなことであるそうで、それでは行儀でけっこうでございますから、そういう秩序なり行儀、
交通秩序というものを、ぜひどこかで教えてい
ただきたい。同時に、試験
制度につきましても、そういうものを教えてい
ただきたいということを
お願いしたいのでございます。
さて、物的な、つまり
道路施設がそんなに不完全か、りっぱに舗装した
道路があるのではないかと、大方の方はおっしゃると思うのでありますけれども、しかし、
自動車を安全に流すためには、やはり
交通工学的なルールに合った
道路でなければならないということでございまして、
自動車の
事故の起こる
原因と申しますと、大きく分けて四つあると思いますけれども、それは川の
流れと同じことでございまして、水力学的のプリンシプルで説明できます。つまり
交通の
流れ、トラフィック・ストリームということでございまして、水の
流れと同じで、同じ方向に向かって
流れる
流れの間で摩擦が起きる。これは、
自動車の幅、大型車なら大型車を考えまして十分な車線をとりまして、その間に車線を守らせれば、こういうふうな同じ方向に向かってぶつかって起こる
事故はなくなるということが一応考えられる。
事故を起こそうと思えば起こせないことはない。一応そういうことになりますが、もう
一つは、反対の方向から来る
流れの間において起こる摩擦であります。こういったものを防ぎますためには、まん中に中央分離帯
——不完全ではございますけれども、横浜の新道、あるいは最近第二京浜でもそういうふうなものをお作りになっておりますけれども、狭いところへ無理してお作りになっているといううらみがございますので、できますれば
道路を広げて、そういうところへ中央分離帯を置いて下されば、反対方向から来る
事故というものは最小限度に防げるわけです。ましてアウトバーンや、アメリカの最近の高速
道路、あるいは日本の名神で今作っておりますように、中央分離帯に三メートル程度の幅を持たせますと、そういう反対方向から来る
事故というものは、ほとんど防げると思います。
第三は交差点において東西南北から来る
交通の
流れの間に起きる摩擦でございますが、これは立体交差にする。本格的な立体交差でなくとも上下にして流す。祝田橋その他でお作りになることが発表されておりますけれども、そういう四つかどで起きる
事故は、立体的に交差させることによって摩擦を起こさせないようにするということが
一つであります。
もう
一つは
道路の端で起きる
事故でございまして、電柱がありましたり、どぶがありましたり、ごみ箱まで御丁寧に置いてある。
自動車の
事故を起こさせるような条件がそろっている。あるいは人道と
車道の間の区別がないから
人間と
自動車がぶつかる。そういう
道路の端で起きるマージナル・フリクションというものがございます。これはちょうど川がはんらんいたしますと、人の家にぶつかったりするのと同じことであります。
交通工学と申しますか、トラフィック・ストリームを水の
流れのように流すためには、やはりどうしてもそういった規格の
道路を作るということと、少なくとも
道路の幅を広げるということと、立体交差ということはぜひ必要なことであります。しかし、日本の
道路を見てみますと、そういう規格の
道路でないものが多いわけでございまして、たとえば四つかどを見ましても、四つかどに商売を繁盛するといって、だんだん高い建物を建ててくる。見通しがきかない。多少申しわけ的に三角に切りましても、前に背の高い荷物を積んだ車が来たりして信号機も見えないという
状態でございまして、
東京でも大阪でも、都市の近郊は
交通事故が起きるような条件が非常によく整っている。これは、
病気になる条件が整っているところで、
運転手は
自分の注意でそれを何とか避けていっているというのが現状であり、
歩行者もはらはらして歩いているということでございます。従いましてそういう
道路を作るためには、やはり本格的には高速
道路を作ってい
ただきたいということでございます。もう
一つは、
精神的な面で私
たちもう少し思料し、公共の福祉に対する責任感を
ほんとうに持つということが大事なことだと思います。そんなことはわかっている、しかし、どうしてそれではそういうことができるのだ、できないからやむを得ないのだというふうな御
意見が強いわけでございます。もちろんすぐ応急的な対策として
交通規則をやるとか、
交通道徳を強化すると申しますか、普及させるとか、あるいは試験
制度についてもそういうことを
考慮する。そういうことは、金のかからない、法令をいじったり、あるいは
教育的なことでできることでございますが、それは第一段階にぜひやってい
ただきたい。
同時に、並んでやってい
ただきたいことは、
東京都の
交通を例にとりますと、あらゆる
交通機関があります。まるで展示会のようにございますけれども、どれもこれも満足に走っていないということが言えるのではないか。そういう点でどうしてもこれを近代的な高
速度交通機関というところにピントを合わせて整理してい
ただきたい。私は、第一に取り払うのは路面電車だろうと思います。路面電車というものはいろいろな利害関係がありまして、とりたくないという方もございます。それはよくわかります。取り払ってはならぬという理由の
一つに、あれは安いじゃないかということをおっしゃいます。もう
一つはたくさん
人間が積めるということであります。しかし、一番安いのは歩くことでございまして、その次に安いのが都電であり、都電と同じくらい安くできるのは
バスだと思います。安いから歩けとか、安いから都電に乗れといっても、私
たちの所得が増加し、経済生活が忙しくなってきて、一人当たりの生産性が高くなって参りますと、歩いている人がなくなるのと同じような意味で、外国では都電なり市電がなくなってきている。もう
一つ市電の欠点は、市電だけを考えると経済的でございますけれども、
道路全体のキャパシティを最も有効に使うということから考えますと、これがじゃまになる。じゃまになるのはどうしてかと申しますと、だんごになりましてあとから来た車がこれを追い越せない。申し上げるまでもなく、狭い
道路のまん中で鉄道とか電車が乗客をおろしたり乗せたりしているということは、馬車時代のいわゆる馬車鉄道のなごりでありまして、狭い
道路のまん中で、ああいうのんきなことをさせておくということは、普通では考えられない
交通の政策だと思います。でありますから、それでは取り払ったらどうするんだという心配は、われわれの仲間にも多いのでありますけれども、やはり
バスを流すことだと思います。今は
バスも五分間隔、十分間隔、都電も十分間隔で流すが、停留所が違うので、われわれはあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていなくてはならないということで、やはりロンドンやニューヨークのように、
バスなら
バスを二分間隔、あるいはもっと詰めて、中央線のラッシュのように流す。
バスを待っておれば、必ずエスカレーターみたいに乗れるようにすべきであって、何もかもあるけれども、どれもこれもそこに来ないということでは困る。
バスをどうして増発できないんだということを聞きますと、土地がないから操車場ができないといいますけれども、
バス会社は何も
道路だけを操車場にお考えにならなくても、
自分でお作りになってもいいし、デパートを作るくらいの資本があったら、そういうことをするのは当然の義務だと思います。そういう点で、
バスというもの、地下鉄、国電、私鉄でもけっこうですけれども、いなかに鉄道をお作りになるようでしたら、ぜひ第二の山手線でも第二の中央線でもお作りになって、これだけの通勤者をあまり苦労させないで、どんどん運ぶことを実現してい
ただければ幸いだと思います。
もう
一つ、
道路を外国で作っておるのに、日本でなぜ作れないのかといいますと、国が小さいというお話でありますが、ベルギーもオランダも、日本より小さいのでございます。イタリアも日本と同じくらいであります。もう
一つは、用地を買収するのに費用がかかるということで、資金の問題がある。用地買収に伴う法律がありますけれども、非常に近代的な意味では弱いと申しますか、所有権の絶対を主張しておるということで、農地改革をおやりになった政府の伝統がありますが、何も土地の所有権というものは、公共のためにやむを得ない場合は制限する、あるいは使用権を制限してもいいのではないかと思います。これは関連した問題であります。
そこで、青山学院の前あたりでおやりになっていらっしゃるように、市街地にげたばきの住宅を商店街の裏側に作って、できたらそこに入ってい
ただくようにして広げることが
一つ。もう
一つは、根本的には都市の再改造公社と申しますか、シティ・リデヴェロップメント・コーポレーションあるいはエージェンシー、要するに都市の
混雑地域であまり高層建築のないようなととろは、都市の再開発を計画してい
ただく、その中で通路を広げるということだと思います。そういうふうにしてい
ただきたいと思います。住宅公団というものがあって、私
たちのために家を作ることをお世話して下さいます。同時に国がもう少し公共用地を造成してい
ただくということが必要だろうと思います。外国でやっておることで日本ではできないというはずはあまりないのじゃないか、国柄にもよりますけれども、大体においてそういうふうになっておる。
もう
一つは資金の問題でございますけれども、ガソリン税だけを値上げしておやりになる。日本のガソリン税の体系というものはアメリカなりヨーロッパから見ますと、大体二十年くらい前のシステムでございます。
一般的にガソリン税の税率を上げるという気持でございまして、それもけっこうですけれども、ガソリン税と
自動車税というものが二元的になっておるということは、どっちかと申しますと古い体系でございまして、どうしてもガソリン税を
道路の使用税として考えてい
ただきたいということになりますと、
道路を利用する時間と、スペースというものをウエートにとって考えてい
ただきたい。そうしますと、重量車に対して税金をやはり多少重くかけてい
ただくということによって、ある程度財源もできますし、それから
道路というものの生命はほとんど三十年、五十年のものでございますから、今のタックス・ペイアーだけにそれを支払わせるということも不公平でございまして、ある程度の債券なり、健全財政の許す限りにおいてそういう金融措置、
道路公債もけっこうだと思いますが、将来の受益者が負担することを考えますと、資金計画が立たないことはないと思うのであります。ちょっとここに古い写真でございますけれども、ボストンの写真がございます。これはボストンの目抜きの
場所で、家を取っ払って、ちょうど日本橋の裏側みたいなととろを取って払って、高速
道路を作っているところであります。これは二階建ぐらいの、こういう日本の立ちのかないというようなうちをトレーラーにつけて持って歩いているのでして、できない、できないということを言わないで、ぜひ思い切ったことをやってい
ただきたい。
ただ、
道徳的な問題あるいは法律的な問題ももちろん大事ですけれども、同時に
道路を直さないで、どんなに上の
交通の
流れを右に曲げたり左に曲げましても限度がございます。
自動車をやめてしまうのなら別ですけれども、そんなことは経済成長にとって有害でございます。やはり
自動車は経済的に必要な手段でございます。私
たちの生活の手段であり、同時に生産手段でございますから、
自動車をなるべく使うようにする。そうするには
道路を広げるということでございます。金がかかるからよすというお考え、しかし金をかけなければ、今のような形で、私
たちは人命の
事故とか、あるいは経済的に非常に、十分間で行けるところをみんなが一時間で行く、そして重役さんからわれわれどんな
方々でも、みんな疲労をするというふうなことで、マイナスのつまりお金を払っているわけでありますから、
道路は金をかけてもかけなくても、やはり一定のコストがかかる。投資しても、しなくてもかかりますので、それならば積極的に
道路を直した方が
国民経済的にプラスであるということで、各国が都市の
交通問題に対して、
道路というものに集中して、
道路を広げるというところにピントを合わしている。それ以外のことは並んで行なうということになっておりますが、どうも日本の場合、残念なことに、今まで一番ガンのところに手術をしないで、丸薬だけでなおそうというふうな安易な気持が戦後二十年続いたのじゃないか。この辺でぜひ
先生方に思い切った対策を立ててい
ただきたい。そうしてやはり対策の大きなラインというものは、日本の経済成長のために、将来の
国民のためにりっぱな
交通路を、施設を残してい
ただきたいということで、これがやはり国の財産であろうと思います。同時に
お願いいたしたいことは、
交通施設につきましても、信号の数が少ないとかいうことで、どうも信号がなかなか見えないというような
状態にもなっておりますし、また大きなビルディングを建てたらその間に
——霞ケ関あたりもそうなんですけれども、アメリカあたりでしたら、みんな地下の人道ができておりますけれども、地下の人道ができ
ただけでもずいぶん、ダウン・タウン、
繁華街とかあるいは日本橋、丸の内あたりでは能率が上がるのじゃないかと思います。その他、パーキング・スペースをたくさんとって下さるとか、いろいろよく言われていることでございます。しかし、一番大事なことは、やはり一番むずかしい
東京の
交通麻痺の動脈硬化の
状態に対して、科学的なメスを入れて、それに対して臨床的な処置をとって下さいということでございまして、それには
道路工学あるいは
道路交通工学、そういったものの科学の基礎の上に立って下さいということと、せめて私
たちは外国と同じくらいの
交通道徳を
国民の中に普及させてい
ただきたい、それが物心両面における対策だと私は思います。(拍手)