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猪俣委員 今回
警察庁長官の発表によりましても、
韓国の朴ですか、あの
クーデターに相当刺激せられたということになっております。この文芸春秋の新年特別号に、湯川康平なる名前で「朴
議長との一時間」サブタイトルに「日韓両国の橋渡しをした元二・二六青年将校」こういうふうになっておりまして、この湯川康平というのが、二・二六
事件のとき
警視庁を占拠した反乱軍の将校で清原少尉という人であります。この論文の中に湯川康平その人が自分でそう名乗っております。
そこでこの人の
記事を読んで見ますると、この人は、今回の池田・朴会談、あの日韓会談の黒幕は、この湯川、それからさっき申しました
韓国の
情報部長である金とであって、おぜん立てをしておったのだというふうに私
ども聞いておりましたが、この湯川の
記事を見ますると、どうもそういうふうに思われる。その中にこの湯川という人、つまり清原少尉が朴
議長と一時間会談をした。このことについて非常に感激をもって書いてある。こういうことを書いてある。「なにしろ革命いらいはじめて
韓国の元首に会う
日本人なのである。それでなくともまずめったのことでは許可がおりない。そのうえ、ふつうの面会時間なら十五分がとおり相場なのだから、この一時間にはぐっと重みがでる。後の話であるが、
日本代表の杉道助氏すら、失礼ながら、面会わずか十五分であったということだ。なぜ、そんな大それたことができたのか?いまの私にも、奇しき因縁ということばとしかいいあらわせぬ。やはり奇妙にこのことばがぴったりする。つまり春秋の筆法をもってすれば、二・二六
事件が日韓両国の橋渡しに役だった。二十五年も前の
事件がいまさら予想さえしなかった意味をもって、私によみがえってきたのである。」こういっておる。そうしてこの朴という人は陸軍士官学校の五十七期であり、自分の会った商工部
長官、
日本の商工大臣にあたる丁来赫という人は五十八期である。とにかく
日本の士官学校を五十七、五十八という時分に卒業した。今度の五十九期、六十期の一期か二期先輩にあたる
人たちが、この
韓国で
クーデターを断行した
人たちの中に相当入っておる。そうして清原という人はこれらのまた、四十七期であるのだから十期ばかり先輩であるというようなことが書いてあるわけであります。そこでなお長いから
記事は略しますが、
韓国の
現状に「もはや黙過してはおられぬと軍が
たちあがった。
韓国の二・二六
事件ではなかったか。このことは、私が二・二六
事件のことを話したときの、耳をじっとかたむける朴
議長の熱心さがありありと物語っていたようである。」こういうふうに書いてある。なおこの清原の
意見として、「革命は軍隊が動かなければ成功しない。これは大原則である。すなわち軍の主導権をもつものが先頭にたたねばならない。連隊長、大隊長クラスがそれである。イラクの
クーデターも
中心は大佐であったし、ナセルも当時は中佐であった。少将であった朴正煕氏が、佐官クラスの力をにぎっていたことは想像にかたくない。」こういうことを堂々と発表しております。この清原少尉、つまり湯川康平なる——これはペン・ネームか何か知りませんが、この
人物が日韓会談の前後に
韓国に渡って朴と一時間、杉さんすら十五分しかできない、自分は一時間会談した、そうしてもっぱら二・二六
事件の話をしたという。この人と川南らと非常に親交があると聞いておる。それから
韓国の憲兵大佐で今は
報道部長をやっておる金鐘必という人と川南も清原も非常に懇意だ。そこでどうもただムードとして
韓国の
クーデターが
日本の旧
軍人に精神的に刺激を与えただけであろうか、あるいは何らかのそれ以上の
関係があるのじゃないかという
疑いが出てくるわけです。そこで、今回の
関係者の背景の中にこの湯川康平あるいは清原反乱軍少尉、この名前があるかないか、それを
お尋ねします。