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1962-07-19 第40回国会 衆議院 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年七月十九日(木曜日)    午前十時十一分開議  出席小委員    小委員長 伊藤 五郎君       岡田 修一君    鴨田 宗一君       藤井 勝志君    毛利 松平君       佐藤觀次郎君    広瀬 秀吉君       堀  昌雄君    武藤 山治君       横山 利秋君    春日 一幸君  小委員外出席者         大 蔵 委 員 坊  秀男君         大 蔵 委 員 平岡忠次郎君         大 蔵 委 員 藤原豊次郎君         大蔵事務官         (理財局次長) 高橋 俊英君         大蔵事務官         (理財局証券部         長)      有吉  正君         大蔵事務官         (銀行局長)  大月  高君         通商産業事務官         (中小企業庁振         興部長)    加藤 悌次君         参 考 人         (東京大学教         授)      矢澤  惇君         参 考 人         (日本証券業協         会連合会会長) 小池厚之助君         参 考 人         (全国信用保証         協会連合会常務         理事)     深瀬  晃君         専  門  員 抜井 光三君     ————————————— 七月十九日  小委員岡良一君三月二十六日委員辞任につき、  その補欠として春日一幸君が委員長指名で小  委員に選任された。 同日  小委員佐藤觀次郎君及び春日一幸君同日小委員  辞任につき、その補欠として横山利秋君及び岡  良一君が委員長指名で小委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  証券取引に関する件  金融に関する件      ————◇—————
  2. 伊藤五郎

    伊藤委員長 これより会議を開きます。  無額面株式発行の問題について調査を進めることにいたします。  本日は東京大学教授矢津惇君及び日本証券業協会会長小池厚之助君のお二人が参考人として出席しておられます。  参考人には御多川のところ御出席をいただきありがとうございます。  まず、本問題について参考人より御意見を述べていただき、その後に質疑を行なうことといたします。  では、まず、矢澤参考人に御意見をお願いいたします。
  3. 矢澤惇

    矢澤参考人 矢澤でございます。私の伺いましたところでは、問題は、無額面株発行する場合の発行価額が不適正であるというために株主が害されるおそれがある、この場合に株主はいかなる方法で保護されるか、あるいはどういう救済手段があるか、こういうのが私に与えられました課題であろうかと存じます。こまかい問題につきましては、後ほど、もしさらに突っ込んだ御質問があればお答えすることにいたしまして、ごく概略、大筋だけを、ことに現行商法規定に即してお話し申し上げてみたいと思います。  実はこの問題は、むしろ額面株式との対比において問題が提起されておるように思いますので、額面株式についてと比較しながら御説明申し上げたいと思います。大体場合は大きく分けて二つ、さらにそのあとをまた二つに分けて三つに分かれるかと思います。第一の場合は、株主新株引受権を与えて発行する場合はどうであるか、これが一つの問題。第二は、株主引受権を与えないでやる場合はどうか、実はこの中には三つ場合がありまして、いわゆる第三者引受権を与えて発行する場合はどうであるか、それからさらに何もそういう引受権というものを一切与えないで、いわゆる公募した場合にはどうであるか。大体大ざっぱに分けてこのように三つに分けて考えないと問題の所在がはっきりしないかと思うのであります。  株主新株引受権を与える場合におきましては、これは商法理論から申しますと、発行価額の点は何ら規制をしておらない、こう言ってよかろうかと思うのであります。と申しますのは、株主は一方において、新株をもし低く発行すれば、旧株値段が落ちるわけでありますが、この落ちた部分は、いわば低く発行した部分で補われる。非常に極端な場合を申しますと、百五十円株を五十円で発行すれば、同じ株数を発行すればちょうどまん中の百円に落ちつくはずであります。そうしますと、旧株で五十円損をして、新株は百円のものを五十円で取得するのですから、いわば五十円得をする。非常に図式的に申せばそういうことであります。もっとも株式時価というものは必ずしもそういうふうに図式的に動くものではございませんが、この点は後に小池参考人からお話が出るかと思います。  いずれにせよ、このような考え方を進めますと、結局発行価額についての株主の保護は、むしろ新株引受権を与えられるということによって解決している、こういうふうに考えてよかろうと思います。従いまして、解釈論といたしまして、後に公募のところで申しますような発行差しとめ、あるいは損害賠償責任という問題は、少なくとも株主引受権を与えた場合には価額の点では働いてこない、こういうことになるかと思うのであります。現在まで無額面発行した例は多くこの範疇に属するものでありまして、そういう意味では発行価額の問題は商法的な理論からは問題にならない性質のものであります。この際において、額面と無額面差異一つ、つまり額面の場合は株主に対しては額面以下では発行できない、こういう差異がある。これに対して無額面の方はそういう制約はないということであります。しかし事の本質は同じでありまして、額面株式がたとえば特価千円で額面は五十円である、五十円で発行しておるということは真実価額とは差があるわけであります。この点は無額面株でも本質的には違わない。ただそこに五十円あるいは五百円という一応の金額的な最低限があるという点が違うだけであろうと思います。  次に、そのような株主に対する新株引受権を与えない場合を考えてみますと、この場合は今申しましたような論理、つまり親株で失ったものを新株で取り返す、こういうことが働かないわけであります。そこで考えられる方法としては、一方において親株実質的値段を落とさないような、つまり親株真実株式価値にほぼ匹敵するような発行価額発行しなければならないという制限をするか、それともそうではなくて、それよりも低い場合には何か特殊な引受権という形でやるかという問題になります。その引受権でやる方がいわゆる第三者に対する引受権の付与の問題、この場合は商法規定上は発行価額というものは一応は制限は付しておらないわけであります。従って、今の株主引受権の場合と全く同じであります。ところが今申しましたように、株主の方は失うところがあって得るところがないわけでありますから、そこで特に厳格な特別決議、つまり普通の場合は取締役会でできるわけでありますが、特別決議で慎重な手続を経て与える、こういう形になっている。これではたして完全に保護されるかどうか大いに問題があるところかと思いますが、一応法律としてはそういう非常に厳格な手続を経て初めて発行できる、こういうことになっております。  そこで、最後に公募の場合でございます。公募の場合は、これは今申しましたように非常に害されるおそれがありますので、一応取締役会が決定した価額発行されますが、もしこれが著しく不公正な価額であるならば、商法二百八十条ノ十で差しとめを請求することができる。そしてさらに十一で、この著しく不公正な価額発行した取締役会責任及びこれと共謀した者の責任を問うことができる、こういうことになっております。この場合の公正——法律の書き方は著しく不公正であってはならないということでありますが、逆に言うと、公正とは何かというとはなはだむずかしい問題でありますが、ごく抽象的に言えば、旧株株式価値にほぼ匹敵するものを出すというのが本来のねらいであります。もっともこれは新しい株を出しますからどうせ価額は落ちる。それが得られる限りの最高の値段で出すというのが普通の考え方だろうと思います。それで、これに違反したような場合は差しとめでありますが、差しとめは、少なくとも法律の視角上は、これは別に訴訟によらなければ差しとめられないとはいってないのでありまして、実体的には差しとめ請求権がある。そうしてこれを会社に申し出た場合には取締役が非を認めてとめるということが期待できないことはないと思いますが、もし言うことを聞かない——見解の相違ということになろうかと思いますが、その場合は普通の民事紛争一般原則に従って訴訟に訴えざるを符ない。この場合は一般発行差しめ請求という本案にしまして仮処分で行なう、こういうことになります。従来この規定に基づく差しとめは、私の見ました限りでも判例集に六件ほど掲載されております。その中の一つは、公正な発行価額はどういう基準できめるかということについての裁判所の見解を示したものもあります。その見解によれば、時価、募価、将来の収益力その他四囲の状況を勘案して合理的な価額をきめればよろしい、こういうことについては証券業界意見も聞いて客観的にきめていかなければならない。たまたまきめたあと値段が下がってもそれが不公正ということはできない、こういうふうに伴いております。そして損害賠償の方は、この場合、本来引受人というのは引受価額で押えるわけでありますが、これと共謀した者については差額を賠償するという二百八十条の十一の規定がございますことを申し添えまして、一応私の陳述はこのくらいにいたします。
  4. 伊藤五郎

    伊藤委員長 次に小池参考人に御意見をお願いいたします。
  5. 小池厚之助

    小池参考人 小池でございます。私は証券業者立場に立ちまして、無額面株式発行についてどう考えているかということを陳述してみたいと思います。  無額面株式発行は我後商法改正によって認められたのでありまして、わが国としては新しい制度でありますが、この趣旨は結局資金調達を円滑にするということからきておると思うのでありますが、理論上から申しますれば、何ら非とするところはないと思うのであります。ただし御承知通り日本株式は明治以来額面発行ということで令部きております。しかも現在の価額というものは、この額面発行、しかも大部分額面でもって株主引受権を与えるというこの習慣が株価に織り込まれております。無額面株式発行する際、われわれ証券業立場から申しますと、乳用されては困るという考えがあるのであります。ちょうどこれは額面株式であって時価発行をする場合と同じような問題があるような気がするのであります。従いまして、場合々々によって違いますが、現在の時価額面そこそこである、あるいは額面を割っておるというようなときに増資の必要があった場合、無理に株価を操作して額面以上に上げて失権を防ぐというようなことをやるよりも、はるかに無理のない価額でもって無額面で出してもらった方が望ましいのではないかと思います。もっとも時価が非常に額面を割っておる場合、極端に言いますれば半分以下だとか三分の一だとかいう場合は減資によって出すという方法も考えられますが、それほどではなくて、額面とそう違わない時価増資の必要に迫られた場合、これは無理をして額面以上に時価でもって発行をするよりいいと思います。しかしこの場合も、今矢澤参考人お話がありました通り、この新株株主に引き受けさせるか、あるいは第三者に割り当てるか、公募するかというのと違いますので、これは結局値段の問題であります。適正なる値段を決定いたしますならば、これは株価額面そこそこ、または額を割っているような場合は、私は必ずしも非とする制度ではないと思うのであります。ただ先ほど申しました通り、普通の特価発行とちょうど似たような問題でありますが、時価額面よりも非常に高いというような場合、これを乱用されると、現在の日本株式市場に非常に影響があるのでありまして、この点につきましては証券界としては、無額面株、ことにプレミアムがついている株式の無額面株発行については慎重を希望しているわけであります。  それから、ただいま矢津参考人お話がありました通り、この発行価額の問題でありますが、私どもも、ただいま矢澤先生お話通り、公正なる価額ということはやはり時価を準拠として考えなければならないと思います。それでその会社株式がまたそこで市場によけいに出るのですから、若干下がることは覚悟しまして、時価基準にしてある程度用心をとった値段でやらなければならないと思います。それをどう決定するかは公式的なものはないのであります。長年の私どもの経験によりまして、この辺が適当であろうということを事業会社と御相談してきめるよりほかはないのでありますが、しかし長年の慣行によりましてそう非常に特価と違ったものではない、一制か二割というところの限度においてきめるのが普通の場合であります。これで大体私の申し上げるところは尽きると思うのでありますが、今回この国会で御研究になる動機になったと思われる住金の増資の場合でありますけれども、これは御承知通り時価額面を割っておる。しかも住友金属としては世界銀行との約束の関係上増資に迫られておる。それで一方他の鉄鋼会社みたいに再評価積立金を分けましてそれに充てるということができなくなりましたので、無額面株発行ということに決心したと思うのであります。これも結局は全部を株主に割り当てますし、しかも値段をまずまず時価を若干下回ってきめました。そのほかに住友金属が全株を持っているところの住友軽金属の株を割り当てるという特典がつく予定になっておりますので、あれこれ考えますと、結局他の鉄鋼会社増資をされたものとほぼつり合いのとれている増資方法だと思いましたので、証券会社としましても、私ども幹事といたしましても、これに賛意を表したわけであります。ただし同時に、そのときに、ただいま申しました通り、これは現存時価額面あるいは額面そこそこまで、あるいは額面を割っているからこれに御賛成したのである。将来株価が回復してプレミアムがたくさんついているというようなときに、今と同じ方法でやるということに対しては慎重にしていただきたいということを特に希望いたしまして、このことは会社の御了解を得てあるわけであります。従いましてもう一度繰り返しますれば、今回の住友金属増資は、全部を株主に割り当てます。それから軽金属の株の引受権が将来控えておる。及び世界銀行に対します約束増資に辿られておる。そういうような事情を勘案いたしまして、まず私どもといたしましては、適当なもの、かように考えて賛意を表しておる、こういう事情であります。何か御質問がございましたら……。
  6. 伊藤五郎

    伊藤委員長 これにて参考人の御意見陳述は終わりました。     —————————————
  7. 伊藤五郎

    伊藤委員長 これより本問題について質疑に入ります。通告がありますので、これを許します。堀昌雄君。
  8. 堀昌雄

    ○堀小委員 最初に、矢津参考人にお伺いいたしたいのでございますが、この宙法規定の中で、さっき先世がおっしゃいました新株引受権を全部現存株主に了える場合、それから与えない場合、与えない場合に第三君に引受権を付与する場合、公募の場合、こういうふうに御税明いただいたのでございますが、価額が公正であるかどうかという点については、引受権を令部与えた場合には、法律的には価額は大体どこへ参りましても問題は起こらない、こういうお話がございましたけれども理論的に全部引き受けました場合はさようになろうかと思うのであります。要するに五十円の額面といたしまして、これは例でありますが、時価が四十五円の親株株価になる、そのときに、もし三十円の著しく不公正だと思われる価額取締役会が無額面株発行をした。そうなりますと、その時点で三十円の株ということによってそれを引き受ければ、先生のおっしゃったように平均化されて参りますが、どうもそういうやり方は望ましくないし、現在いろいろな経済的な条件等があって、それは株主の側が引受権を放棄するということになりますから、権利部分的な放棄ということは生じておるかもしれませんが、そういうことに相当なってくるような場合には、実は全株を引き受けさせる仕組みになっておりましても、実質的には株主自体不利益を受けるおそれがあるのではないか。その問題はやはり株価発行価額価額によっても生じてくるのではないか、こういうふうに感じるわけでございますけれども先生の御説明では、全部引受権を与えた場合には、株価の問題は問題にならないのではないか、こういうお話でございましたが、その点はどういうふうになりますでしょうか。
  9. 矢澤惇

    矢澤参考人 お答えいたします。今御指摘の点はまさにおっしゃる通りでありまして、私の議論はあくまでも引き受けた上での議論をしておりまして、その点はおっしゃるようにいろいろ問題がありまして、いわゆる時価あるいは実質価値と非常に違う発行価額で出せば、その引受権価値というものは相当なものでございまして、とれを引き受けるためには資金がなければ引き受けられないのでありますから、そういうことを考えますと、非常に不利益を受けるおそれはまさにございます。その問題を解決いたしますには、実はやや本問題からはずれる傾向がございまして恐縮でございますが、現在われわれの方で考えておりますのは、この引受権というものを譲渡することによって実質的な価値を回収するということを考えるべきではないか。私もまさに今御指摘の問題に気がつきましたので、この点は重要な問題ではないか、こういうふうに存じております。それもなるべく時価に近くすれば、いわばそういう経済的な不利益は全く受けなくなる、これも御指摘通りであります。
  10. 堀昌雄

    ○堀小委員 その次に、これはちょっと私わからないので、小池さんにそこのところの関連がございますので伺いたいのですが、第三者引受権を付与したり公募をいたすという場合がそのあとにございますけれども、無額面株でそういうことを——今回の住友にはございませんが、今後には予想され得る可能な道だろうと思いますので伺いたいのですが、こういう場合に、公募ということになりますと、たとえば今度一千万株の増資がある場合に、五百万株は株主引受権をお渡しして、あとの五百万株を公募する。かりに四十五円の発行価額というもので公募をいたしましたときに、たとえば今度の住友のように、住友軽金属新株二十五分の一割当というようなものがくっついておるとすると、そういうことによるプレミアムが、その四十五円についてくるというような問題も起き得るのではないかと思うのでありますが、そうすると、今度はその発行価額二つになるといいますか、そういう問題が生ずるのではないかという感じがするのでございますが、これも私しろうとでよくわかりませんが、証券業立場としてはそういう場合がもしあったとしたらどういうことになりそうでございましょうか。
  11. 小池厚之助

    小池参考人 ちょっとお伺いしますが、二つになるというのは、公募価額と、それから株主に割り当てたものの価額二つになる、こういうことがあり得るんじゃないか……。
  12. 堀昌雄

    ○堀小委員 はあ。
  13. 小池厚之助

    小池参考人 それは二つになると思います。現在も普通の額面株式ですけれども公募がございます。その場合は明らかに二つになる。一つは五十円、片方は七十円とか百円とか、これは二つでございます。
  14. 堀昌雄

    ○堀小委員 そうしますと、無額面株発行という場合に、これは額面でございますと……。
  15. 小池厚之助

    小池参考人 ちょっとそれは、今申し上げましたのは、今の額面株発行の場合に二つになっておりますが、無額面株の場合に一つになることはないんじゃないでごさいましょうか。今度四十五円であれする。これは、株おも四十五円だ、片方公募も四十五円だということは、その場合に一つ違った値段公募されることは今まで例がありませんけれども、ないんじゃないでしょうか。額面株においては明らかに二つです。
  16. 堀昌雄

    ○堀小委員 これは大蔵省、将来の問題ですから理論的な問題になりますが、今の問題で私ちょっとわからない点があるのは、株式のようなものは常に内部的な含み部分についての評価がされるわけですから、公募をするということになれば、ここでは自由競争で入札をすると同じような結果が出てくるのではないか。そうすると含みが十分にあるので、無額株が、今の四十五円というのは差が少ないですからあれですが、四十五円でも、実は住友軽金属新株がたとえば三百円に生まれるという予想をもししたとするならば、その場合における住友軽金属新株割当によるプレミアムというものが、一株当たり十円ぐらいについてくる、そうすると、四十五円の新株でもしこれを公募するとすると、自分は五十五円でも買いたいという格好で公募を受ける人たちが殺到をしてくる。そうなったときに額面なら問題はありませんが、無額面発行価額というものは一つでなくてはならないのではないかと私は思うのですが、実質的に株主に割り当てた部分は四十五円で一つでしょうけれどもあと公募したのにみながプレミアムつきでも買おうということになると、その場合でも、現状ではこれは四十五円で、くじ引きか何かでもして公募をするということになるのか、発行価額二つにすることができることになるのか、これは理論的な問題ですが、現存商法からみて大蔵省はどう判断されますか。
  17. 高橋俊英

    高橋説明員 商法の二百八十条ノ三によりますと、株式発行価額などは均一でなければならない、だが、その引受権を有する者、つまり株主でございます。株主に対して有利な条件ならよろしい、こうなっております。ですから、たとえば額面株式の場合に今までも公募がございましたけれども、その公募価額というものは原則としてはプレミアムがついたんだ、ですから株主には五十円でやるけれども一般公募は百円だというようなやり方をしている。これは株主は五十円で一般の人は百円でなければ買えないということになって、株主にとって不利でない。そのプレミアム益資本準備金として積み立てられるから有利であろう、こういうことだろうと思います。今の住友軽金属プレミアムの点ですが、これは私は今回の場合かりに公募をしたとしましても、その場合は少なくとも均一でなければならない。ですから、住友軽金属プレミアムの二十五分の一が入るわけですが、それは株主にも入るわけです。それから公募したものにも入る。それでそういう場合は、私はあらかじめ株価というものが権利落ち前にそれを予想いたしまして、権利落ち後のあれを考えてそれだけ四十五円を上回った価格が形成される。ですから、権利落ち前と権利落ちあととを比べて同じであるような株価が形成されるのであったら株主にとっては必ずしも不利にならない。ですから、四十五円で払い込んでしまいますと、これは住友軽金属プレミアムは別個に株価には織り込まれません。四十五円かもしれません。しかし実際に株主には別なプレミアムが入る。こういうことになるわけですから、そういった場合全額が株三に割り当てられた場合と公募のついた場合とでは私は少し実際が違うと思う。公募のついた方が幾らか株主に不利になる。不利になりますけれども、一応均等の条件でやれば商法上は差しつかえない。そういう不利になることも織り込んであらかじめ権利落ち前の株価が作られている。ですから、四十五円でなくて株主全額を割り当てられれば、四十八円とか九円というような相場になるはずであります。ですからそれが一部公募ということになると、その分を織り込んで、それより一円か二円安い相場になる、こんなことになろうと思います。
  18. 堀昌雄

    ○堀小委員 小池参考人もおっしゃったように、この問題はできるだけ株主に全部を割り当てるという方針でやってもらいたいというお話もありましたし、私もそういうことであるならば今の問題は解消するわけでありますが、今後の問題としては必ずしもそういう保証がないわけでありますし、その場合にどうもこの商法規定では無額面なら発行価額一つだということになっているわけでありますから、この問題もちょっと今御説明はありましたけれども、これは将来の問題でわかりませんからこれまでにいたしますが、商法側の方に多少これは不備があるのではないかという感じがいたしますが、矢澤参考人いかがでございましょうか。
  19. 矢澤惇

    矢澤参考人 今の発行条件の均一の問題でございますが、私は株七にやる場合と公募と並行して無額面を出す場合は、これは差があってよろしい、もちろん差がなくてもよろしいのでありますが、これは今大蔵省説明員の方から御説明がありましたように、均一でなければならないということはありますが、株主の場合は有利でよろしいということは、たとえば今度の場合は非常に低くやりましたから大体実質価格に合わせたわけでございますが、かりに高い価格であるということを予想いたしますと、公募の分は無額面で百円で出す、株主の分は五十円で発行する、これは現在の規定のもとで全く適法なやり方であろうと思います。ただ百円の分は公正でなければならないという先ほどの問題が出てくるかと思います。そういう意味ではその点はあまり商法には欠陥がないのじゃないかと思います。ただ先ほど小池参考人のおっしゃいました、現在の証券市場額面基準にしてやられておる、こういう刑の日本の慣習の要素がございますから、この点は実は私は触れませんでしたけれども、実際問題としては相当考えなければならない。無額面の場合はこのような事態に対してどのように考えるかということをもう一回再検討する必要があると思います。
  20. 堀昌雄

    ○堀小委員 その次に、実はこれはちょっと住友の問題に関連して、私は小池さんに伺いたいのでありますが、これは川崎製鉄が始められたと聞いておりますけれども、配当をいたします場合に、配当は少し低く抑えておいて、あとの残りとそれに同額分ぐらいを再評価積立金を取りくずして無償交付株をもって配当にかえる格好で処理をされるケースが始まっている。それを住友もやられた結果として、実は再評価積立金はほとんど取りくずしをされて、今回無償の抱き合わせ増資ということができなかった、こういう経緯があるようでありますけれども、この考え方でございますね。これは鉄鋼に限らず、今後よそでも起こるのかもしれませんけれども、この無償株交付によるところの小刻み増資、実費は増資ではないと思いますけれども、これは証券業果としてはどんなふうに考えていらっしゃるか。
  21. 小池厚之助

    小池参考人 お説のような再評価積み立てを無償交付にいたしまして小刻み増資する例がたくさんございます。これは資金の社外流出を防ぐという考えから出ておると思います。少し違いますけれども、若干似たやり方はいわゆるストック・ディビデンドというもの、キャッシュで渡さないで増資でやる、実質増資、これがアメリカなんかではたくさんありますけれども、キャッシュで払わないでもって株式増資で小刻みに払う、こういう例はアメリカあたりにはたくさんあります。これは再評価積み立てをくずしているのじゃないのですけれども、しかし、若干性質は違いますけれども、キャッシュを外へ出さないという考えで株主に報い、かつまたそれを自分の方に資本金をふやすという考えは似たところもあると思いますが、この町評価積み立ての無償交付という制度は、もうやがて再評価積み立てそのものがなくなりますから、これは将来の制度としてはあまり問題にしなくてもいいのじゃないかと思います。ただし、ストック・ディビデンド、これはアメリカ人あたりは盛んに日本ではストック・ディビデンドをもろとやっていいのじゃないかということを批評します。自分たちがやっておりますから。それは日本では高額配当をしておいて、あと増資でもってまた株主からその資金を回収するというやり方が従来の慣行ですけれども、ですから、一昨キャッシュが外へ出るわけです。これはあまりいいやり方ではないじゃないかということを盛んに批評いたします。今後、再評価積み立ての取りくずしという問題でなくて、別にいわゆる株式配当という形の増資でございますね。これが盛んになりますかどうか、これはわかりませんけれども一つ考え方としてはあると思いいます。   〔伊藤委員長退席、毛利小委員長代理着席〕
  22. 堀昌雄

    ○堀小委員 実はいろいろと税制上の問題もありますから、無償株交付の方が大額な株主に対しては有利に作用するだろう、それから長期の投資家にとっては有利であろう、もちろん会社自体の中に保留されておるのが外へ出ないわけでありますから有利であろうと思いますが、あまり大きくない株主、その大きくない株主がこういう格好で無償株を受けますと、端株のようなものが相当たくさん出る。そしてその次に起こる端株処理ということがはたして本来的な株価の公正な価格で処理されておるかどうかという点で、実は零細株主にとってはこのようなシステムというものはあまり望ましくないのじゃないか。大きな機関投資家でありますとか、巨額な資本を持っておられる方でそれはずっと投資をして長期的に見ていけばいい、配当はそう入らなくともいいという場合はよろしいかと思うのですが、現在の日本の大衆のような、証券を持つことが一種の、貯金よりは有利に働くような、そういうスタイルで投資しておる人もあるかと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
  23. 小池厚之助

    小池参考人 お説の通りでありまして、小額の株主は、しかし端株の割当の場合、一株に達しないもの、あるいは一株に限りません、そのときによりますけれども、ある整数に達しないものは適当に処分してそれをキャッシュで払うというようなやり方をやっておりますから、利益を害すると思いませんけれども、実際問題としてこの端株の無償交付なり、あるいはストック・ディビデンドの制度が盛んになりますと、端株の処理問題が証券会社としましても、発行会社としても非常に大きな問題になるわけです。それでアメリカあたりではこの端株の処理が非常に発達しておりまして、十六分の一株なんというような株が出るのですから、それを集めてまた整数にして売買するような業者もいるわけです。そういう制度が同時に発達してこないとなかなか問題だと思います。  ついでですから申し上げますが、現在取引所では、御承知通り、普通は五百株の売買。五百株に達しないものは、いわゆる端株として扱われる。そのうち百株単位のものは非常に円滑に行なわれておる。百株に満たない株も専門の業者が東京におきましては二軒ございまして、これが公正にそれを扱っておるという意味でもって、端株株主の利益が非常に害されるとは思っておりません。証券界といたしましてはあらゆる努力をいたしまして、端株株主の利益が害されないように努力しておる、こういうことだけつけ加えておきます。
  24. 堀昌雄

    ○堀小委員 その次に少し前に話を進めまして、さっきの差しめ請求の問題でございますが、差しめ請求会社に対していたしました場合と、それにまたもう一つ仮処分の申請をして訴訟をする場合と二つあるのであります。三百八十条の十でございます。ところがどうもこの法律及びそれの解釈をお書きになっておる本を調べてみますと、差しめ請求が出ても、会社はそれを無視して発行できるのではないか、それから仮処分の申請をして訴訟をいたしまして、もし株主の側が勝ったといたしますと、おそらくそこで株式発行差しとめの判決が裁判所から出ると思いますが、判決が出ましても、しかし会社発行できるのではないか、こういうふうに思いますが、その点実質的に発行差しとめ得られるのかどうか、どこでどうやったら差しとめ得られるのかという点が、ちょっとこの現行法ではわからないのですが、矢澤先生ちょっと……。
  25. 矢澤惇

    矢澤参考人 ただいまの発行差しとめの問題でございますが、おっしゃいますように、法律技術的に申しますと、この仮処分に違反した場合に、何らの制裁がない。たとえばこれに対して過料を課するというような意味の制裁はございません。普通説明されているのは、このような制裁がないから、やろうと思えばできる、こういう説明であろうかと思います。  それからもう一つの面は、差しとめ判決に違反してやった場合に、無効になるかどうかという問題として提起されておりますが、これも無効にならないという説及び無効になるという説もございますが、ならないという説をとるならば、これを無視してしまっても何でもないのではないか、こういうことになろうかと思います。しかし事実問題といたしまして、先ほどちょっと例をあげましたが、六件ばかりございます。うち二件は裁判所が差しとめ命令を出したわけでございます。これはその通りに従ったわけでございまして、特に相当の会社でございますと、裁判所がこれを禁止する命令を出していると、あえて押し切ってやることは事実上はできない。ただテクニカル的には、今申しました点で若干問題があるということは事実でございまして、立法当時、仮処分に違反した場合、差しとめの判決に違反した場合に過料を課するというような裁制を考えてはどうかという意見がございまして、これは将来考えてみるべき問題かと存じます。
  26. 堀昌雄

    ○堀小委員 実際には今後の問題が多くなりますので、将来の問題ばかりの論議で恐縮でありますけれども、たまたま今度の無額面株発行についていろいろ調べてみましたところでは、現行商法ではかなり取締役会に力がありまして、そちらで恣意的な処刑をいたしました場合には、事実上は株主側としてはそういう差しとめがなかなかしにくいような条件があるのではないか。そこで私は商法としては株主権利が何らか保障されるような道がもう少し確保される方が、そういうことの起こるおそれを少なくするのではないかという感じがいたしまして、特にこの問題を取り上げたわけでございますけれども、現状では、今おっしゃったようなことで、事例としては差しとめでやめておるようでありますが、実際にはやろうと思えばやれる道は法律的にはどうも可能なのではないか。これまたそういう事例が出てこないとわかりませんけれども、そういう点に私は多少現行両法の株主権利保護という点で不十分なような感じが一ついたします。  その次に、小池参考人にお伺いいたしたいのは、先ほど話が出ておりました時価発行の問題でございます。無額面株発行というのは、一面的にはこれは時価発行一つのケースになるだろうと思うのでありますけれども、この時価発行ということは、これは会社側から見るならば、非常に有利な方法だろうと思います。先ほどの無償株の小刻みの交付といいますか、増資という問題等を含めて、現在長期的に安定している投資家であるならば、会社が有利になるようなことは、ひいては株主の有利でありますから、そういうことは一本につながると思うのでありますけれども、残念ながら日本の現状というものは必ずしもそういうふうになっていない株主が相当多いのではないか、きわめて短期な投機的なものを除きましても、そう非常に長期にわたって株を保持していないという場合もありますので、この博価発行の問題はそういう意味では会社に有利、株主に不利に作用する要素というものが、もちろん短期的なものと長期的なものとで有利、不利は変わりますけれどもも、生じてくるのではないか。その問題について今回はもちろん特例の場合でありますから、以後は時価発行というようなことはする意思がないという会社側の御意向のようでありますが、これは住友金属の場合でありますけれども日本証券業界立場として会社側は特価発行するという問題を提起された場合には、日本の現状の慣行及び客観的なそういう株主の状態という中でどういうふうにお考えになりますか。
  27. 小池厚之助

    小池参考人 この問題は、理論的に申しましても、ただいまのお説の通りだと思うのであります。ただ明治以来の慣習がありますので、投資家は原則として額面で割り当てられることを期待しております。時価がそれを織り込んでおります。昨年でございましたか、一昨々年になりますか、証取審議会でこの問題を非常に論議されまして、結論は今の理論の問題よりも、実際問題としてこれは漸進的にいくことが望ましい。時価発行並びに公募問題——公募となるとどうしても時価に準拠しておる。これはそのときの増資の額の一割以下に押えることが望ましいという結論が出ているわけです。現在われわれがそのつもりでもって発行会社とも話している、これが現状です。また漸進でだんだんと日本の経済も安定いたしまして欧米並みになりますれば、それからほんとうの利回りでもって株を買うような人がふえるような事態になりますと、これはだんだんとふえていってもかまわないと思いますけれども、要するに、漸進ということだと思うのであります。理屈ではないと思います。
  28. 堀昌雄

    ○堀小委員 今度は無額面と直接関係はないのでございますが、本日小池参考人にお越しいただいておりますので、証券の問題について二点ばかりお伺いしたいと思います。  第一点は、今川住友金属が無額面株発行しなければならなくなった一つの理由は、株価額面及びそれ以下くらいになったということが大きな問題だと思います。実質的には一割一分配当にはなっておりませんが、内容はそういうことだということで行なわれておるようなものが五十円の額面が切れるという今の日本の証券の状態というものの中には、一体何がその主たる原因なのか。実は非常に高い株で利回りなどは非常に悪くても、将来の増資含みプレミアムがついておるものは非常に高くなっておりまして、その傾向を象徴的に現わしておるのは第二部だろうと思うのでありますが、これに対する証券業界考え方、対策等を含めてちょっと伺っておきたいと思います。
  29. 小池厚之助

    小池参考人 概括的に申しますと、いわゆる大型株が比較的利回りが高くなっておる。それから中型株、小型株は利回りが低く買われているのが実情でございます。これはわれわれといたしましてもはなはだ残念に思っておりますが、おもな原因はやはり大型株が基幹産業で、日本の経済が急激に発展いたしましたためにその資金需要も多かった、それから増資のテンポも早かった、投資家がこれに追いついていけなかったということが根本の原因だと思います。ですから、ここで若干時をかせぎますれば、両方の着は縮まるものと私ども期待しております。ただ、今の御質問の中に、あるいは小型株が高くなり過ぎて不健全に商いされているのじゃないかというようなお考えもありはしないかと私ども想像するのでありますが、それにつきましては取引所といたしましても大いに注意をいたしまして、そういう小型株、中型株が投機の対象にならないように万全に注意をしておるということを申し上げておきます。
  30. 堀昌雄

    ○堀小委員 もう一つは、昨年以来当委員会でずっと取り上げておりました証券担保全融が六月でございますか実施されたようでございます。この前の公社債投信の発足のときにも小池参考人に御出席をいただいたわけでありますが、証券担保全融が行なわれまして、証券会社として今月はなんか行なわれないようでありますし、株価もだいぶ高くなっておるようでありますが、今後の問題として、今の証券担保全融という問題を一時的な問題として私どもは理解をいたしておるわけでございますけれども、どういうふうにお考えになっておるか、このことだけを伺っておきたいと思います。
  31. 小池厚之助

    小池参考人 証券揖保全融につきましては、現在制度としての問題と目先の問題の二つに分かれます。制度の問題といたしましては大いに御研究願いたいと私は希望いたします。  証券担保全融にもいろいろの種類がございます。一つは、いわゆる流通市場の円滑を期するための証券金融と申しましょうか、あるいは信用取引あたりもその中に入ると思いますが、そういう金融。それから証券の発行の際、引受人に対する売れ残りに対する金融という問題がございます。それから業者あるいは投資家、主として業者でございましょうが、自分何らかの理由でもって長期または短期に手持ちにする場合の金融、それから投資家の方も証券に関係なく、たとえばうちを建てたい、しかし今証券を売ってあれするよりも、しばらく借りられれば借りたいという金融もあると思うのです。いろいろの種類の証券担保全融があると思うのです。それから種類によりますれば、株式に対するもの、社債に対するもの、いろいろあると思うのですが、これを通じまして今後金融制度の一環としてどういうふうな証券金融の制度を打ち立てるかということが金融界の一つの問題だと思うのでありまして、どうぞ今後解決していただきたい問題だと思います。アメリカでは、御承知通り証券金融に際しましてはフェデラル・リザーブ・ボードでこれを規制しておりまして、その規制も証券金融のそれぞれの動機によりまして規制が三つ、四つあるわけです。そしてそれをフェデラル・リザーブ・ボードが規制しておるということですが、私はこういう制度に将来は進むことが望ましいの、ではないかというふうに思っております。ことに当面の問題でもあるし、また将来の問題でありますが、公社債市場の正常化、流通市場の確立ということが論じられておりますが、これは証券金融の背景なくしては実はできない。もっと端的にいいますと、コール市場が皆後になければ円滑なる社債の流通市場はできないと思います。こういう意味におきましても、社債の流通市場を確立するためには一日も早くコール市場を正常化していただきたい。コール市場の正常化ということは実は金融全体の正常化の大きな課題の一つだろうと思うのです。できるだけ早い機会に証券金融の諸制度が確立されることを私は切望するわけであります。  次に目先の問題でありますが、先般来証券担保全融として論じられましたのは、主として社債投資信託の解約がふえた。それでわれわれ証券業者の手持ちがふえたためにその金融の問題が論ぜられたわけです。それができません。いわゆる理想的なものができればそんな問題は大した問題でなく、われわれは社債を市場で売却するかあるいは金融を受けるかということでありまして、そう特別に論ずるような問題ではないと思うのです。別に不思議のことでも何でもないので、証券界か金融界、マネー・マーケットに行って金を借りる、あたりまえの話です。しかし、現在そのように円滑にいっていないところに問題があったわけです。これは一つは、社債の投資信託の制度にも若干の欠点がありますが、それも今是正されてきた、それから社債の投資信託も国民貯蓄組合の対象になった、こういうことで徐々に解決して参りました。さらにここに公社債に対する担保全融の問題が解決されれば、証券界としては非常に圧迫がなくなってくるわけです。ただし、これも金融界と十分お話し合いをして、無理のないところにいきたいと思って今努力しているわけであります。いずれにいたしましても銀行とよく話し合いまして、証券金融に対する制度が一日も早く正常化することを私は希望しております。
  32. 堀昌雄

    ○堀小委員 大へん長時間にわたりましていろいろと御意見を承りましてありがとうございました。  最後に、矢澤先生にお伺いをいたしたいのは、今度のこの改正商法というのがこれまでの大陸系の商法と非常に変わってアメリカ的なものが入って参っておりまして、私もよく勉強しておりませんからわかりませんが、この問題というのはいろいろな沿革なりその周囲の客観的な条件というものなり、その問題に関連をしております人たちのものの考え方というものがやはり上台になっておるのではないかと思います。アメリカではやはり権利義務といいますか、そういうものが非常にはっきりしておりますけれども日本ではどうもその権利義務という概念がまだはっきりしていないという点で、ややもすると力の弱い者の権利というものが十分に守られにくいような条件日本の社会的な条件の中にまだあるような感じが私はいたします。  そういう問題を考えながら、今度のこの無額面株発行についてちょっと調べた感じでは、もう少し何か——これまでも株主総会は形式的になっておることは事実だと思いますが、そのことは、やはり株主自体が自分たちの権利というものをもう少し自覚をしなければならぬ問題であったのではないかという感じがしますので、何らかもう少し株主——特に、株主といいましても最近非常にふえて参っております小さな株主でございますね。ちょっと今回住友の方の話で伺いましても、十四万三千人ぐらいの株主があるようでありますけれども、その中の十二万人ぐらいというのはおおむね一万株以下の株主であるというような話を承っておるのでありますが、このいわゆる少数株主の保護というものは、現状のこの商法ではやや不十分なような感じが私はいたしますけれども、それについては今後検討される方向になっておるのかどうか、先生はどういうふうにお考えになりますか、ちょっと承っておきたいと思います。
  33. 矢澤惇

    矢澤参考人 実は二十五年の改正で一番力をいたしたことは株主の保護ということであったわけであります。実はその前の商法に比べますと非常に強くなったわけでございますが、ただ、その与えられた権利というものが、今の差しとめ請求権でおわかりのようにはたして有効に動くかどうか、これは大へん問題でございまして、私個人としては、むしろ今堀委員のおっしゃいましたように株主権利というものは非常に重視すべきである、そのための保護手段も必要であると存じておりますが、それがいかにしたら有効になるかということは、これは御説のようにアメリカでうまくいくことが日本で必ずしもうまくいかないように、もうこれでかれこれ十年以上の経験がございますから、これらの権利をいかに有効にするかということは私も大いに検討すべき問題であろうかと思います。  ただ、そこで一つだけ申し添えさせていただきますと、これは直接商法には関係ございませんが、いわば商法の特別法と申しますか、証券取引法というものが大衆株主についてはもっと現実的な接近の方法をとっている。商法の方は、最後の手段としては、先ほどの差しとめ請求権のように自分みずから事後に救済を求めに裁判所にいく、こういう建前でありますが、証券取引法の方は大衆株三の場合はそのようなことはあまり望めない。従って、いわば予防的に証券取引法による届出にする、すなわち会社の内容を公開する。公開しましても、個々の株主だけでは必ずしも専門的な判断はできない。そこで、これが専門化の手を通じて絶えず、いわば会社がガラス箱の中に入っているという形で予防をする。つまり、事後にいろいろな弊害が出てきてからチェックするのではなく、事前に予防する。これはこちらが御専門でございますが、届出制度あるいはもう一つ総会の方でいえば委任状の勧誘制度というようなことは、私はアイデアとしては非常にいいものであろうと思います。しかし、これもはたしてそういう効果を十分あげているかどうか、あるいはそういう制度の趣旨がほんとうに理解されているかどうかというと、これは遺憾ながら法律は、やはり占領中に十分な理解がなしに入れられたという傾向がございますので、こういう点はやはりもう少し考えて、こちらとしてはアイデアとしては、商法よりは少数株主の保護の点では現実的でございますが、なお一段と有効にする必要があるのではないかということを私どもは考えております。
  34. 堀昌雄

    ○堀小委員 大蔵省のどなたでもけっこうですが、さっき私がちょっと問題にしました端株処理の問題ですね。たとえば今度住友軽金属の株は二十五分の一の割当をする。そうしますと今千株持っております株主は〇・六の増資によって千六百株になります。その千六百株の二十五分の一の株が割り当てられるということになると、おおむねみんな端株になるんじゃないか、百株以下になりますね。そういうようなときに今の端株の処理が——住友軽金属の株は最初に今度は公開される株式であって、かなりの額に生まれるのだろうと思いますが、そこのところの端株処理が株主不利益のないように行なわれるかどうかという点の監督は、これは大蔵省で行ない得るのかどうか、その点をちょっと伺っておきたいと思います。
  35. 高橋俊英

    高橋説明員 端株処理は今までも今度の場合に限らずあったと思います。先ほどお話のありました再評価積立金を配当として処理されたという場合に非常に端株になりますね、またその端株が生ずるという……。これは従来も多分に経験がございますので、私の知っている——あまり全部を調べたものではございませんが、どうやっておるかと申しますと、会社の側がある証券会社一つ二つと特約いたしまして、これは令部の証券会社を使うわけには参りませんが、そこで端株を扱わせる。そこで値段が問題になるわけです。そこは普通の株を売買する場合に比べれば少し不利でございますが——不利か有利かわかりませんが、必ず期日を指定しないで証券会社に株券を届ける。そうするとそれを一括いたしまして、その届いた日の何日後とか——二日後とか三日後にまとめて売却するわけです。その日の終わり相場あるいは証券会社にその株券が到着したその日の終わり値で売れたものとして扱うという処理をしております。そうしますと端株であっても何ら特別な不利はありません。手数料もその場合普通の手数料で、端株としての高い手数料でなくて一般の場合の手数料と同じ手数料しかとらないということで、発行会社の方がおそらくその不利になる経費は特別に負担しているのだと思いますが、株三には不都合が起こらないように処理をしている会社が幾つかありますが、これからはやはりそういうふうにやるように、証券会社の方なり発行会社の方と話をして片づけていけば、そういう端株による、不都合は十分に防いでいける、こういうふうに考えます。
  36. 堀昌雄

    ○堀小委員 それでけっこうなんですが、そこで、一株未満の端株は問題ないのですが、六十四株というような端株ができますね、それをそのまま持っているということは、これは大蔵省の方より小池さんに伺った方がいいのかわかりませんが、これは百株にしなければいけないのか、そういう端株がしょっちゅう出てくるということが予想されるなら、ともかく端株をだんだん足していけば売買しなくてもある一定単位をこえてくるということになると思いますが、その点はどういうことになりますか。
  37. 高橋俊英

    高橋説明員 その点は発行会社の方で結局株式事務が非常に複雑になるわけですね。ほとんどの株主が端株つきになると、配当の計算にしても何にしても、非常に大へんである。そういうことから、なるべくそれをまとめて、少なくとも百株単位に合わせてしまおう、こういうのが発行会社自体の都合でよく行なわれておるのであります。ですから、今私は売る場合だけを申し上げましたが、当然買うこともできるのであります。六十四株の場合、あとの三十六株を賢い増しする、少なくとも百株単位にまとめて下さいということを会社側が勧誘をして、そのために先ほど私が申し上げたような便宜をはかっておるということでございます。
  38. 小池厚之助

    小池参考人 私も一つ、ちょうど先ほどお話が出ました証券金融と若干関係があるので申しますが、先ほど申し上げましたけれども、東京におきましては、端株専門の業者が二軒ございます。上場会社が、一部だけでも六百社をこえるのですから、端株がたまってくると、金融がなかなか大へんなんです。それから金融を急ぎますと、どんどんかえていかなければならないわけなんですが、これはもし端株会社がある程度たまるまでファイナンスがつけば、そうすればそれを発行会社に持っていって、五百株なり千株にかえてもらうということになると、あとが非常に便利になるわけです。そういう意味においては、端株業者の証券金融という問題が一つございます。もっとも端株業者もあぶないと思えば、たまる前に相場が下がると思えば急いで売らなければならないということもありますが、まず売り急ぐ必要もないというようなマーケットの場合は、若干ためて、それを発行会社に持っていって、五百株なり千株にかえてやりたいということを、彼ら自身が言っているわけです。しかし端株もたくさんたまりますと、相当な金額になるので、この業者に対する証券金融の一つの問題として心にとめていただきたいと思います。
  39. 堀昌雄

    ○堀小委員 これで終わります。
  40. 毛利松平

    ○毛利小委員長代理 この際参考人の方々に対し一書ごあいさつ申し上げます。  参考人には御多用のところ長時間にわたり御出席いただき御意見を述べていただきましてまことにありがとうございます。小委員長より厚く御礼を申し上げます。     —————————————
  41. 毛利松平

    ○毛利小委員長代理 次に、信用保証協会の運営の問題について調査を進めます。  本日は参考人として全国信用保証協会連合会常務理事深瀬晃君が出席しておられます。参考人には御多用中のところ御出席いただきありがとうございます。本問題について参考人より御意見を述べていただきます。その後に質疑を行なうことにいたします。  ではまず深瀬参考人から信用保証協会の運営の基本方針について御説明を願います。
  42. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 私は全国信用保証協会常務理事の深瀬でございます。よろしくお願いいたします。本日は会長の田中が伺わなければならないところでございますが、おりあしく通風で引きこもり中でございますので、私、かわりまして伺わさせていただきました。  保証協会も皆さんの強い御支援によりまして、昨三十六年度に件数にいたしまして四十三万件、二千五百億円の保証承諾をすることができまして、前年度に比べまして四〇%強の増加、こういう保証をいたすことができましたが、全中小企業の需要から見ますと、まだまだ問題にならないのでございまして、私の方といたしましては一そうの努力をいたさればならない、かように考えておるのでございます。信用保証協会の運営につきまして、私ども平素考えております点、いささかではございますが苦心をいたしております点を一、二御参考に申し上げたいと存ずるのでございます。  第一は、保証協会の運営の基礎をどこに置くかという問題でございます。言いかえますと、一体保証協会というのは経済ベースで運営するものか、社会保障的見地で運営するか、どっちかという問題でございます。  結論的に申し上げますと、社会保障的見地と経済ベースに立った見地とを調和いたしまして運営していくというふうに私ども心得ておるのでございます。くどいようで恐縮でございますが、保証協会は銀行に対しまして、中小企業者の債務保証をいたしておるのでございますから、その保証の主人公でございまする信用保証協会が赤字を出すようなことであれば、これは人さまの信用を保証するという性質にかなわないのでございますから、少なくとも赤字を出さない経営が必要であるというのが、保証協会運営の最低限と心得ておるのでございます。しかしながら保証協会は中小企業者のための機関でございまするから、そういう使命から申しまして、比較的に弱い立場にございます中小企業者の便益にならなければ意味がないのでございまして、こういう見地を私ども社会保障的見地と申しますか、こういう二つ立場の調和をうまくやりながら使命を果たす、こういうことが保証協会運営の基本ではないかと考えておるのでございます。  この点で最も端的な点は保証料率の問題でございます。この点は、私ども常に苦心をいたしておる点でございまするが、中小企業者から見ますると、保証料は低いだけいいのでございます。これは当然のことでございますが、一方、協会の経理から考えてみますると、協会の全収入の六〇%は保証料収入でございますから、先刻来申し上げました二つ立場の調和点という問題が私どもが保証料率について苦心をしておる点でございます。弔いに保証料率もだんだんと引き下げることができておるのでございまして、実績から申しますと、ちょうど二年前の三十五年の七月一日と本年の七月一日現在の比較で申し上げさせていただきます。保証料——これは最高料率でございますが、この最高料率が、蛇足でございますが、全部適用になっておるのでございませんで、いわゆる最高料率でございまして、申し上げるのは日歩でございます。三十五年に七厘台という協会が十協会ございましたが、三十七年の七月一日にはそういう協会はないのでございます。それから六厘台の協会が二十一協会ございましたが、これが三十七年の七月一日に八協会に減っておるのでございます。それから五厘台の協会が十八ございましたものが三十二にふえておるのでございます。それから四厘台の協会が二協会ございましたが、これが十一協会になっておるわけでございます。ただいま申し上げましたことを要約いたしますると、三十五年当時は六厘台という協会が非常に多かったものが、四厘台、五厘台の協会がほとんどになった、こういうことでございまして、これから見ますると、保証料は次第に低下しておるということが御理解願えると思います。  それから実収保証料率でございますが、これは保証料の全収入をそのときの保証平均残高で除したものでございますが、三十五年当時は平均五厘四毛でございましたものが三十七年では四厘入毛に引き下がっておるのでございます。こういうふうに保証協会といたしましては、経営を見ながら中小企業者の要望にこたえておるという点の一端を御理解願いたいのでございます。  次に、保証協会といたしまして、保証を行なうにはどういう心がまえでやっているかという点を申し上げたいと考えます。  今から二十五年前に東京の保証協会が創立されたのでございますが、その当時以来の保証協会の心がまえといたしまして、協会の保証は物的担保の偏重を排し、人的信用を重視するということでございます。物的担保が十分でございまするならば、保証協会の保証は必要でないのでございまして、物的担保は薄いが、当該の中小企業者といたしまして、努力と熱意とまじめさがあるという中小企業者に対しましては、その信用を重視いたしまして、これを基礎に保証をするということでございます。保証協会といたしましては、まさに理想は、ほんとうにまじめな中小企業者の人的信用ばかりで保証ができるということが望ましいのでございますが、現実について見ますると、なおその理想には隔たりがございまして、物的担保を併用するというのが実情でございます。保証の小口の分につきましてはすでに無担保保証制を実施しておるのでございますが、中小企業に対しまする指導が行きわたりまして、だんだんとこの物的担保をなくするという理想に近づいていきたいとわれわれも平常念願しておるのでございます。  はなはだ簡単でございますが、保証協会を運営いたしまするについて、私たちが日常考えております一端を申し述べて、御参考に供した次第であります。     —————————————
  43. 毛利松平

    ○毛利小委員長代理 続いて質疑に入ります。  通告がありますので、これを許します。春日一幸君。
  44. 春日一幸

    春日委員 問題の二、三点についてお伺いをいたしたいと思うのであります。  伺いますると、ただいま運営の基礎を、とにかく経済面と社会政策の中間にポイントを置いておるということでありますが、これは保証協会法を制定いたしました本委員会といたしまして、大体において同感のところであるのであります。しかしながら、実際の運営がどのような形で現実に行なわれておるか、問題点はむしろそこにあろうと思うのであります。これは何といっても、中小企業者がそれ自体の信用力をもってしては金融機関から保証を受けがたい、その面に対してこの協会の力が信用を補完することによって受けられる態勢を作り上げるというところにあるのでございますから、その問題はきわめてデリケートでありまして、もしその運営の衝に当たる者がその運営をあやまちますると、結局この保証協会の機能というものは、全然その政策意図からそれてしまう心配がなくはないと思うのであります。この点は全国協会を通じて、よく末端保証協会に対して十分趣旨の徹底をはかっていただきたいと存ずるのであります。  集約して申し上げますならば、結局保証協会の保証の対象となるものは、中小企業の中でも比較的信用力の高いもの、これは保証する必要がない、それは単独で裸金融が金融機関から受けられる。だから単独で受けられるもの、それが私は二種類あると思うのであります。その一種類は、とにかく一応金融ベースに乗せれば乗せ得られないことはないけれども、はなはだ問題点が多いので、その問題点をせんさくする前に保証によってその問題を消化してしまう、こういういわば弱小企業であるけれども、それは一個の経済的な条件を備えておるというもの、これは当然その保証の対象になさるべきものであろうと思うのであります。それからもう一つは、その下のものであります。保証協会の保証基準としては、いわゆる不良企業といいましょうか、信用力というものが全然ないと見ておるでありましょうか、いずれにしてもその弱小企業のその下にあるものであります。これはどろぼうにも三分の理屈の説をもってすれば、その見分けというものは、なかなかつきがたいと思うのであります。問題点はそこにあると思うのでございます。私はそれぞれの経験律から推しまして、そういうものにむちゃくちゃに貸し付けていけというのではございませんけれども、やはりこれが社会政策的な意図に基づいて制度として設けられたものでありますならば、重点はそういうところに置かれてしかるべきであるということを申し上げたいのでございます。現在保証協会においては、三百万、二百万、五百万、今回の新しい制度によって七百万円が限度額となっておるようでありますが、そういう比較的大きな金額の保証というものはすべからく金融機関が裸金融をなすべきものである。それは当然担保が設定されておるでありましょうから、その担保拘束の立場からいたしまして、そこでさらに保証をもって屋上屋を設けておくというようなことはぜいたくきわまる措置であると中さなければならぬのであります。従いまして、そういうようなものは、できるだけ従に置いて信用保証協会の保証対象というもの、保証基準というものは、まずそのような金融を導入することによって、上り高い段階の中小企業に育て上げられるもの、これが第一である。第二には、これはてんで問題にならぬとおぼしきもの、そういうものをやはり指導、育成、助長しながら、これを今申し上げました一応みずからの経済力をたくわえ得るに足るところの資格を造成していくものに育て上げていく。そのところに私は、重点が置かれるべきであると考えるのでありまして、裸金融が受けられるほどの担保力のある者やあるいは相当の経済力のある者については、これはむしろ信用保証協会の制度の中に問題があるかもしれませんけれども、信用保証協会みずからが金融機関にあっせんすることによって、保証なしでも金融が受けられるように、そういうような事柄を十分掌握しながらこの運営の完璧を期していただきたい、こういうふうに考えておるのでございますが、いかがお考えになっておりますか。この点について御見解を付いたいと思います。
  45. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 ただいま春日先生から大へんありがたい御注意がございまして、われわれとしてもその通り考えねばならないと存じておるものでございます。保証協会の運営の衝に当たる者が日常考えなければならない点につきまして、末端までよく徹底しろというお話がございましたが、これは全く同感でございまして、われわれといたしまして、中小企業者のための機関でございますから、中小企業者に対しては、幾ら正しいサービスをいたしましても、サービスのし過ぎはないのでありますから、そういう意味におきまして、いろいろの御注意につきましてはほんとうに謙虚に受け入れたい。それでわれわれの業務の運営が真に中小企業者のためである制度の実を発揮するように心がけたい、かように存ずる次第でございます。  それから第二の点でございますが、先ほど御指摘になりましたように、一番むずかしい問題は、何とかすれば金融に乗せ得るもの、それからそれ以下のもの、そこのボーダー・ラインの点でございますが、これにつきましては、あるいはこういうことを申し上げるとわれわれの苦心の一端が御理解願えるかとも思います。よく保証につきまして非常に時間がかかるというふうな御批判を受ける場合がございますが、確かに事務的な関係でおくれておるという点もございますが、一面におきまして、何とかしてこの企業を保証の対象にしたいと存じまして、私が先ほど来申し上げましたように、人的信用ということを現場におきましてよく調査をいたし、一方、それに付帯いたしまして、物的信用が若干でもございますればそれもあわせ考えまして、本来普通の金融ベースでございますれば全然問題にならない業者も、何とかして企業的にプラスになる線を保証協会といたしまして発見いたしまして、信用保証協会がそこを足がかりといたしまして保証をいたしまして、これを金融ベースに乗せるというふうな努力を払っておるのでございまして、ただいま先生のおっしゃいました点は、われわれといたしまして一番苦心の存する点でございますが、これがまた最も必要な点でございまして、その点を十分に使命を果しませんと信用保証協会設立の一半の意義がなくなりますから、この点はくれぐれも関心を持ちまして、私たちといたしましても苦心を払っていきたい、かように考えておる次第でございます。
  46. 春日一幸

    春日委員 それで問題点は、経済的信用がないけれども、人的信用はある、そういうものに保証をつけて経済発展の基礎を作ってやる、こういう点に問題を集約して考えたいのでありますが、そういうためには、やはり信用保証協会としては当然保証をしないという上位基準、すなはちすでに経済的信用度が高い企業であるから、そういうものには信用保証しないという上位基準、それからもう一つはその逆に、経済的信用度がはなはだ低いのでそういうものには危険率をおもんぱかって信用保証しないという、いわゆる下位基準というようなものでありましょうか、そういうようなものが私は各信用保証協会にあるのであろうと思うが、あるのでありますか、あるいはそういうものは作成されてはいないのでありますか。だとすれば、一体勘どころはその当事者の主観によって決定されるのか、やはり公的機関として何らかの中央基準というものが示されておるのであるか、この点を一つお伺いいたしたい。
  47. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 お答えをいたします。  ただいまお尋ねがございました第一点は、保証に対するものさしができているかという問題に尽きていると思います。この点につきましては、的確に申し上げますと、客観的なものさしはない、こういうことでございます。ただ原則として営業開始しまして一年以内とか、それからこういう業種は保証しないとか、そういうふうな側面的なものさしはございますが、具体的なケースにつきましてはっきりしたものさしがあるかというと、ものさしはない、こういうことでございます。しからば保証に出たっております協会当事者の全く恣意でやっておるか、こういうことにつきましては、私はさようでないと申し上げたいと思います。保証協会といたしましては、一つは長年の経験でございます。それですから、その経験をもとにいたしまして、実際中小企業者の方にお会いいたしまして判定するというのが判定の実情でございます。ただ一定金額以上につきましては、個人的な判断では判断を誤る場合も多いと存じまして、制度的に、各方面の有識者を集めまして委員会なら委員会を作りまして、衆知によって解決しておるということが一般でございます。
  48. 春日一幸

    春日委員 その点がちょっと明確でないと思うのです。ものさしはない、けれども主観によって処理するものではないとおっしゃるけれども、しかしそれは、たまたま当時者が非常に公正な男であって、長年の経験者である場合には、そういう一つの安心感も信頼感も持ち得ると思うのでありますけれども、しかし人間というものは感情の動物で、相手が好ききらいもありましょうし、印象のよしあしもありましょう。その日における本人の感情のいろいろな変化もあるでありましょうから、やはりそういうものは、これが公的機関であります限り、一定の基準というものがあってしかるべきだと思うのであります。非常にデリケートな、困難なせんさくではありますけれども、しかしそういうものは、やってやり得ないことはないと思うのであります。現実はどういうふうになっておるのでありますか。今御説のように、そういうような上位基準とか、あるいは信用しないという下位基準、こういうものは何ら制定されたものはないというのが実情であるのでありますか、あるいは地方の保証協会においてはそういうものを設けておるものもあるというのでありますか、実情はどうなっておりますか。
  49. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 そういう正確なものさしは表現したものはないと、私はさように心得ております。
  50. 春日一幸

    春日委員 銀行局長、これはやはりあなたの方が業務方法書を許可、認可されております立場において——信用度が高いがゆえに保証しないという上位基準、信用度があまりに低いがゆえに保証しないという下位基準、これは当然信用保証協会の業務運営の一個のバロメーターになり得る問題であろうと思うのでありますが、業務方法書の中においてはそういうようなものには何ら言及されてはおりませんか、お伺いいたします。
  51. 大月高

    ○大月説明員 ただいま春日委員からお話がございましたように、信用保証協会の性格といたしましては、保証協会の保証なくしても当然銀行から金を借りられるというようなものについては保証しないという、おっしゃいましたような上限があると思います。それからまた保証するにどういうように考えてみても保証できない、それだけの能力がないという人に対しては保証しないという下限があるというのは、理念的にその通りだと思います。信用保証協会全体といたしましても、そういう精神でもって運営されておると考えるわけでございますが、しからばその上限と下限を文章ないし具体的なケースで示すかということになりますと、これは一つの社会的な良識というものがございますので、個別の事例に応じまして判断するよりしようがない問題ではなかろうかと考えております。そういう意味で、たとえばわれわれが金融ベースに乗るとか乗らぬとかいうことをよく申しますけれども、それは理念としてはあります。しかしそれを具体的に、どういうような場合にはコマーシャル・ベースに乗るのだ、どういう場合には乗らぬのだというようなことを文章に書くわけにはなかなかいかない、おのずから社会的に是認されておる良識の線というものがあるというようにわれわれは考えておるわけであります。
  52. 春日一幸

    春日委員 この信用力の度合いというものは、その個人のよって立つさまざまな、多元的な要素の上に組み立てられておりますから、それを一個の尺度によって割り切ることは相当の困難性のあるということは私もわかります。けれども、問題はこの機関が公的機関であるということであります。法律に基づいて、しかもその財源は出捐によるものである。おとして公共団体の出捐による公的資金によって行なわれておる公的機関である。こういうものの運営の衝に当たる場合には、国民金融公庫でもあるいは中小企業金融公庫でも、業務方法というものについては相当細部にわたって国原的なチェックがなされておると思うのであります。従いまして、一側の理念が現存するからといって、その理念を敷衍するところの執行というものが常に完璧であるとは私は期待いたし得ないのであります。いわんや金を貸してやるという大いなる経済的なきめ手になります保証行為、これに対して、一個の理念があるから、その理念によってその運営が完璧を期し得るというようなことは、いうならば一個の独断であって、私は行政当局としてもまた国会としても、この程度のものは借りられるのである、この程度のものは借りられないのであるというその客観的な基準というものが設定されて、すべての国民が法律の前に平等な概念をもって、すなわち保証協会の当事者の主観がいかがあろうとも、その感情の動向がいかがあろうとも、国民が権利を行使するときにおいて甲乙のないという体制を確保することが必要なことであると私は思うが、この点いかがでありますか。
  53. 大月高

    ○大月説明員 たとえばほかの政府機関につきましても、輸出入銀行あるいは日本開発銀行、国民金融公庫あるいは中小企業金融公庫、それぞれ政府が全額出資いたしまして金融をやっております機関があるわけでございます。これらはいずれも、たとえばそれを補完し奨励するというような言葉でございますとか、あるいは一般の金融機関から融資を受けることが困難とするものに対して金融をするとか、やはり理念としてはございますけれども、具体的の場合にこれがそれに当てはまるかどうかということは、その金融機関の役員及び職員の長年にわたる経験と研さんの結果により、しかもその態度が、非常に金融機関といたしまして、公正な判断をするということを長年積み上げていくということ以外にはないのじゃなかろうかと考えるわけでございまして、一般の銀行におきましてもやはりコマーシャル・ベースということを申しますけれども、それでは一体コマーシャル・ベースは、具体的にそれを文章で響くということになりますと、やはり抽象的に、一定の金を貸しまして、それが確実に償還されるということをコマーシャル・ベースと考えるわけでございます。それではどの程度をもって確実と見るかというような場合は、それぞれ相手の能力もございましょうし、事業の見通しの問題もございましょうし、必ず判断が入ってくる。その判断は、公正に、しかもよく透徹した良識をもってやるという以外にはなかろうか。そういう意味で従来の政府機関の関係におきましても、具体的な文章による基準というものははずしてあるわけでございます。われわれといたしましても、もちろん何らか一般的に表現し得るような言葉あるいはそういう事例というものを書き表わすことができますれば、そういうものを書き表わすことは非常にけっこうなことだと存じておりますが、なかなかそういうような名案は浮かばないというのが今の段階でございます。
  54. 春日一幸

    春日委員 大月君はいつでも、私はいやなことを書いたくないのだけれども、何か革新・改革するということについて貴殿はまことに怯懦である。何か現在の弊害を是正しようとかこれれを改善しようとかいうときにはいつでも反論を述べられる。しかもその反論が申しいのであるならばよろしいけれども、それはほとんど詭弁にたぐいするものであって、後日必ずあなたの言われたことはその通りになってはいない。やはりわれわれの正論が貴殿の詭弁を克服して、問題は貴殿が言われた方向とは逆の方向に向かって前進しておる。私はこの点強く反省を求めてやみません。  今、輸出入銀行だとか市中銀行だとかいわれておりますけれども、これは純然たる一個の金融ベースであり経済機関である。この金融保証協会というものは、冒頭から述べられておりまする通り、経済ベースと、それから社会保障とはいわぬけれども社会政策ベースと両方かね合いのものであって、いうならば、その原資が出捐に待っておる点から考えましても、社会政策的な面にそのウエートがより重く置かれておるのであります。そういうような社会政策的なものと、それから純粋の経済的なものとを同一の概念で取り扱っていこうというところに問題点があるのです。社会政策的な面は、やはり自力をもってしてはなかなか問題の処理がかなわないので、さればこそ公的な機関の助力を得て、その力を加えていこうというのでありますから、従って、その力弱き者に対する権利の保証ということは、そんなものは輸出入銀行における何十億何千万円というような問題と同じ概念で律するあるいは律しようとしておること自体に大月君の頭の狂いというものがあると私は思うのであります。私はぜひともそういうものを作れというのではない。ただ私が心配されるのは、輸出入銀行にしても、普通の金融機関にしても、それはやはり長い年月をたたき上げて、銀行には銀行としての慣例があり、さらに取引としての長い歴史があり、さまざまな実績の上に立って問題の処理がなされておるのであるけれども、この金融保証協会の業務というものは、いうならば不特定多数、しかも一回々々相手が変わっていく問題である。しかもその重点を置かるべきである零細企業なるものは、言いたいこともよう表現し得ないような、能力のきわめて未熟な人々ということを頭に入れて判断いたしまするとき、やはりその国民に対する権利の保証というものが、与える者の主観によって変動されるようなことのないよう、不公平にわたらざるよう、そこに行政的な配慮というものがめぐらされることが必要ではないか、このことを指摘しておるのです。現在ないからそれでいいというのではない。しかも現在ないことの基準が、輸出入銀行や地方普通銀行にそういうことがないから、保証協会にもなくていいというようなばかげた答弁をなさるべき筋合いのものではない。やはりそれは異質のものである。従って、現在ないというこということによって何も弊害がなければそれでよろしい。けれども、もし弊害があったりなんかするとするならば、やはりそういうようなものは後日その弊害をなからしめることのために、政策の前に国民平等の恩恵が受けられるように、その足らざるを補うところの適切な是正措置は考慮していいではありませんか。私は、そういう問題はやはりそういう方向に向かって検討するとか、もう少し含蓄のある答弁をするのでなければ本委員会の意義というものがない。ただわれわれがわからぬことがあるからあなたに聞いておるのではない。足らざるところを補ってよりよき制度を作り上げることのためにわざわざ名古屋からやってきたのですから、そういうことをよく考えて答弁してもらわなければ意味をなさぬと思う。あらためて御答弁願います。
  55. 大月高

    ○大月説明員 はなはだ御趣旨に合わない御答弁を申し上げまして申しわけございませんが、実は先ほど私、例として輸出入銀行、開発銀行ということを申し上げましたので、あるいは不適切であったかと思いますが、具体的に信用保証協会と直接つながっております中小企業金融公庫でありますとか、あるいは国民金融公庫、こういうようなものにつきましても、先ほど申し上げましたと同じ精神で今運用されておるわけでありまして、たとえば中小企業金融公庫におきましても、一般の金融機関が融通することを困難とするものを融通するというような抽象的な表現になっております。それから国民金融公庫におきましても、同じように一般の金融機関が融通することを困難とするというような表現になっておりまして、その困難とするという中におのずからやはり社会的な標準があるのではあるまいか。これは全額政府出資でございまして、信用保証協会がむしろ若干民間的な色彩を持っておるよりもさらに政治的色彩の強い、しかも中小企業金融という観点から見ましては、みずからも金を持って政府がみずから貸しておるような機関でございまして、さらに客観的な標準を必要とするというようなことだと思いますけれども、今までやっております感覚といたしまして、ほんとうは先生の仰せのように、具体的にこういう場合はコマーシャル・ベースに乗るのだ、こういう場合には乗らないのだと、事こまかく書ければそれが最善だと私は思います。ただ、そういうような具体的な事例をあげますと、むしろほんとうの事例に当たりました場合に逆にしばられて実際の実情に合わないような場合が多々できるのじゃあるまいか。これは金融というものの性格からいってどうも法律ですっぱり割り切ってしまうわけにもいかないような部面がたくさんあるのじゃあるまいかというのが従来の考えでございまして、お話にありましたように、何かいい具体的な書き表わす方法とか、あるいは文書でございますとか、基準というものをどなたかお考え願えれば、われわれとしてはその方向に努力することにはやぶさかでございません。できるだけ勉強してやって参りたいと思います。
  56. 春日一幸

    春日委員 なお、商工中金であるとかあるいは中小企業金融公庫であるとかいうようなことを言っておられますけれども、私の言っておるのは、やはりこれらのものはなるほど法律の条文においては一般金融機関において貸しあたわないものについて云々とうたってはありますが、実際の慣行は何百万円、何千万円という融資が事実上現実になされておる。その金融保証協会の中でも、なかんずく今論ぜられておりますのは、信用度の最も低いもの、はなはだ低いもの——おでん屋を開くから十万円銀行から借りたいが借りられないので保証してちょうだいとか、焼きイモ屋をやるから二、三十万円貸してくれとか、こういうような要求がなされた場合、信用保証協会のその貸し出し当事者が、あなたは信用がないから全然だめだといってぽんとはねる場合と、あるいは人によってはやはり保証協会の使命というものにかんがみてそういう問題と熱心に取り組んで保証し、そのことによってその人が経済発展の基礎をそこでつかみ取る場合もある。ある者は拒否され、ある者は受け入れられるというようなことのないようにすることのためにはどうしたらいいか。それは一個の理念によって検討するから、その理念を基準として、運営はおおむね正鵠な期し得ておるというあなたの認定ではあるが、現地においてはそうではない。そうではないという実証をわれわれが痛感すればこそ、その欠陥を補完することのために何らかの基準を設定するの必要はないか、こういうことを申し上げておる。開発銀行の例を言ってみたり、輸出入銀行の例を言ってみたり、もう一つレベル・ダウンして商工中金のことを言ってみたりするが、実際問題として、そういう筋合いのものではない。純粋の社会政策的な金融対象としてのこの保証対象、こういうような場合には、できるだけその者たちがその政策の恩恵を、フェイバーを受け得るように一個の基準々制定して、主観の高低によってそのものを受けるものがやはり不公平にわたらざるように、制度としての公正を確保することのための措置を請ずることの必要がある、このことを申し上げておるのでありますから、この問題は一つ十分検討されて、なお保証協会自体としても以上のことをおわかりであろうと思うが、保証基準が絶対ないと言われておるけれども、私は保証基準なくしてあの大きな仕事が行なえるものではないと思う。私はあるものはあるであろうと思う。持っていないところもあるであろうけれども、一価の理念によって、いわば腰だめで処理しておるところもあるであろうし、しかし多数の従業員がそのような重大な衝に当たる場合、一定のやはり尺度がなければならぬと考えておる保証協会もあるであろうと思う。保証協会は一個の基準を設けておるに相違ないと私は想定する。しかしないと言われればないでもよろしい。だから、そういうものがなければ作るように、しかも作ったその基準なるものが法律の精神に合致するように、この問題は十分全国の協会の問題として私は検討されるべきであると思うが、これに対するあなたの御見解はいかがでありますか。
  57. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 ただいまの春日先生お話重々ごもっともでございます。第一点の当事者の恣意で行なってはならぬという点でありますが、まことにその通りでありまして、われわれが日常服暦しなければならない鉄則であると私は考えております。  第二点につきましては、私先刻申し上げたことに関連いたしますが、むしろ保証協会としては非常に困難ではあっても、何とかしてその中小企業者の利点を見つけまして、これを積極的に保証に乗せるように努力をさらにすべし、こういうふうな御趣旨と解しまして、その通りに努力していきたいと思っております。  最後の点でございますが、基準を作るのは非常にむずかしいだろうけれども、その方向に向かって勉強しろ、こういうお話と心得ますが、この点は、私たちも非常に困難とは思いますが前進する努力を払っていくべきものだ、かように承知いたしております。  それでございますから、全国協会力を合わせまして、できるだけこういう基準ができまするように及ばずながら努力を集結していきたい、かように考えております。
  58. 横山利秋

    横山委員 春日さんの質問に関連をして私の意見を申し上げ、御答弁が願えるかどうか御参考までにお聞きします。  要するに私も全く同感でございますが、これは、一般の市中金融のやり方条件とどこが違うかということを明らかにしてもらいたい。これはまず第一の手がかりだと思います。そのためには保証人のあり方、それから担保のあり方、それから下限等についても、具体的にその手がかりが生まれると思う。  第二番目に、先ほどの質問が出ましたけれども、保証協会に保証を頼みに行ったときに、お宅は保証の必要がないという保証をしてもらいたい。つまり私の申し上げたいのは、かつて私も申し上げたように、保証協会が、ある場合保証すべからざる者に保証し、保証しなければならない者に保証しないという弊害が生まれてくるということを警告したのでございますが、保証しなくてもいいところに保証することのないように、その場合には、あなたのところは保証する必要がございませんというものを書類にして出して、銀行にも通報するという制度を設けてもらいたい。それによって銀行の責任において、あとは銀行の資金があるかないかという問題に限定をしてもらいたい。少なくとも、銀行に資金がないから保証協会に行って保証してくれれば私の力は貸すという問題と、信用保証協会に飛び込んできた者を、これは保証する必要はないけれども、それなら保証して上げましょうかというようなやり方と、二つの面が是正されなければならないという考えであります。それは最初の場合でも、常に保証してもらっておるから今度も保証してもらいたいという連続の場合にも同様に言い得られることであります。  第三番目は無担保の限界を上げるべきだと私は考えておるのであります。これは全国的に、一体その共通の限界かどうか知りませんけれども、私の知っているところでは、五十万円までは無担保だ、それ以上は担保が必要だという立場だそうであります。これは信用保証協会というものが、広く信用担保がないものを保証するというのが筋でありますから、六十万円、七十万円に一々担保を要求することが実はおかしいのではないか。この無担保の限界を上げるべきだということが第三番目であります。  第四番目には、今でもあるかどうか知りませんが、常にわれわれがあなた方に主張しており、また国民金融公庫に主張しておりますことは、国民金融公庫の扱いに信用保証をするということは理屈もくそも通らぬことではないかとすでに警告を発しておるのでありますが、そのようなことが今でも温存されているとするならばこれは間違いであるというように私は考えておるわけであります。  それから第五番目に、あなたが今一生懸命に答弁をされるけれども、一体連合会というものは個々の信用保証協会に対してどれほどの調整能力を持っておられるのであるか。どれほどの指示をなさる権限といいますか、力を持っておられるのかどうか、私はちょっと疑わしいように思うのであります。現在それぞれの信用保証協会が、相当の自分たちの能力、権限を持ってやっておるのでありますが、もう少し連合会の——どもあなた方を通じてそれぞれの信用保証協会にものを言っておるわけでありますが、これが確実にあなたから、連絡だけでなくて、調整する能力をもう少し高めていただかなくてはならぬのではないか。これはあなたに言うばかりでなくて、政府側に対しても、その実権というものが名実ともに備えられるようにならぬと、ぬかにくぎというような感じが失礼な話でありますけれどもするわけであります。  それから保証付の金融ですね。あなたの方が保証されたものに対する金融をする場合の金融機関の金利は、ところによって考えておるところはありますけれども、少なくとも保証付のものの金融金利については下げさせるべきではないか。これはもうお宅の金利は言うもおろかなことでありますけれども一般の金融を実際にするところの金利はもっと下げさせるべきではないか。これは銀行局長に申し上げるべきことかもしれませんけれども、これこれのものが一つの手がかりになるのではないか、私はこういうように考えておるわけであります。御意見があったら簡単にお伺いをいたしたい。
  59. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 保証協会で保証の必要のないものを保証するということでございますが、私はこれは理論としてあり得ないことだと考えております。と申しますのは、保証に二つのルートがございまして、一つは金融機関を経由いたしまして保証協会に保証の申し込みがある分と、保証協会に最初中小企業者が来られまして、保証協会で認定をして金融機関に金融の申し込みをするという二つのケースがございますが、最初の金融機関経由のものにつきましては、金融機関といたしましてはお得意さんでございますから、お得意さんに金利の上に保証料を支払わせるということは、これはお得意さんに対する信義に反するわけでございますから、そういうことは一般論としてはあり得ない、かように考えております。  それから私の方に申し込みがございまして、それを審査いたしまして、金融機関に保証するものにつきましては、私の方の自主的判断によりましてこれは信用保証の必要があると認めるものだけを保証に回しておるのでございますから、理論的には、保証の必要のないものにつきまして保証しておるということはないはずでございますが、実際におきまして、あるいは御本人から見まして、自分が保証を受ける必要がないのに保証がついた、こういうことで負担過重になるという見解をとられる場合が、これは感情でございますからあり得るのでございまして、そこのところは見方の相違でございまして、私どもといたしましては、保証の必要のない方に保証をするということはあり得ないし、絶対にあってはならぬことだ、かように考えております。  それから無担保の限界の問題でございます。今五十万円というお話がございましたが、これは五十万円以下の保証につきましては、非常に迅速にやるという意味におきまして、実地調査を省略いたしまして書面で審査をいたしまして、場合によりますと、もうすでに金融機関に申し込みがあったら、追認保証と申しますか、事後にそのものを保証いたしましてさかのぼって効力を発生することによりまして保証の効力を生ずる、そういう簡易な手続によりまする保証を五十万円以下ときめておるわけでございまして、そのことにつきましては、そういう意味合いにおきましては無担保でございますが、無担保の限界が五十万円にとどまっておるのではございませんで、私が先ほど来申し上げました通り、非常に人的信用力の高いものにつきましては、現に五十万円以上になりましても無担保の例が多々あるのでございます。それでございますから、今の先生お話は、無担保の限界をもう少し上げて、無担保でやるという理想にできるだけ近づけるように努力しろ、こういうような御趣旨と解しまして、さような方向に進んでいきたいというふうに考えております。  それから国民金融公庫の融資に対しましての保証でございますが、実は私前年でございますか商工委員会に参考人として呼ばれまして、この点につきましていろいろ御質問を受けましたが、私どもといたしましては、中小企業者のための機関でございますから、建前はどうあろうとも、政府金融機関に対する保証を保証協会がするのはおかしいじゃないかということは、私も理論的にはさように考えますが、ただ現実の問題といたしまして、私の方が理屈を言っておっては、中小企業者が迷惑をするものでございますから、私の方は現在では若干理屈をはずしまして、中小企業者本位に考えまして保証しておる、こういうことが事実でございまして、私の方とすれば、今後ともこの問題は別に割り切るといたしまして、現実としましては、やはり中小企業者のために保証をつけでいくというのが私どもの建前ではないかというふうに心得ておるわけでございます。  それから保証付金融につきましては、銀行の金利を下げろ、こういうお話でございます。これはむしろ私よりは、政府御当局から御意見がある方が正しいと思いますが、現実におきましては、私の方といたしましても、銀行と交渉いたしまして、保証付金融につきましては金利を下げるというケースが順次多くなりつつあるということを御報告いたしまして、私の御説明は以上六点につきまして、簡単でございますが、終わらしていただきます。
  60. 横山利秋

    横山委員 銀行局長の方から一つ……。
  61. 大月高

    ○大月説明員 最初の上限の問題でございますが、保証協会としては保証の必要がないと思うからという証明書でも出したらどうかというお話でございますが、やはりこの問題は、金融をするものの自主性という問題がございますので、たとえばある銀行が金を貸すについて保証協会の判断にまかすというわけにはいかない。しかし現実に保証協会がそういう意見を持っておるといたしますれば、かりにそういう書面が出れば、それを専門家の保証協会の判断でございますので、金融機関も相当尊重して運用することができるのではあるまいかと考えております。ただ、そういう証明書が出れば、金融機関は当然金さえあれば貸すべきだという方向には若干問題があるのではないかと考えております。  それから無担保で保証する限度を上げるように考えられないかということにつきましては、それは、逐次保証協会の能力ないし資金壁もだんだんふえて参りますれば、その方向に努力するのが当然であろうと思うのであります。これは協会の方でもそのように努力されるということでございまして、私どもも全く同感でございます。  それから協会の統制力をもう少しつけたらどうかという問題でございますが、これは従来金融機関だけではなしに、ほかの協会もそうでございますが、一般の業界の協会に対して統制力を具体的に与えるということについては、法律上いずれも統制的な問題が起きるということで、むしろ制限されておるような状態でございます。ただ現実の問題といたしましては、銀行協会でございますとか、信用金庫の協会でございますとか、相当歴史を持っております協会につきましては、本来の意味の統制力ではなしに事実上意見をその易において述べ合いましてその調整をはかっておるということが現実でございまして、信用保証協会はまだそういう意味では歴史が浅いものでございますから、なかなか十分な活動の段階に入っておらない、こういうことであろうと思います。われわれといたしましても次第にこの協会自体の基礎が確立されまして全会員のいろいろな意向を調整し、かついろいろな研究もそこで積まれまして、次第にその運営が適正な方向に向かうという努力をされることを期待いたしておることを申し上げます。  それから国民金融公庫の貸し出しにつきまして信用保証をつけるのはおかしいじゃないかという議論、これは前前から当委員会においても御議論のあるところでございます。われわれの考えといたしましては、一般原則からいえばやはり国民金融公庫も低いベースではございますけれども、金融ベースで金を貸す機関でございますので、そのベースをはずれるわけにはいかない。それが信用保証協会が保証するという事実があれば、初めてその国民金融公庫のベースに乗るというような問題がございますれば、これも先ほどの理論は別といたしまして、私は保証協会として相当踏み切ってやられる事例だと思います。そうすればそれを国民金融公庫として受けて立つということがあっても悪くはない。むしろそれだけ中小企業者の利便をはかることになるのであろうかと考えるわけであります。  それから保証協会の保証付の貸し出しの金利の問題でございますが、従来からこれもできるだけ下げるようにという指導もいたしておりますし、各金融機関においてもその方向で御協力をいただいております。現実に先ほどお話がございましたように、保証協会の保証付の貸付につきましてはある程度金利を下げてもらっておるというのが実態でございまして、この方向は今後われわれ努力いたして参りたいと存じております。
  62. 春日一幸

    春日委員 次は信用保証協会と担保との関係についてですが、今横山君の御質問の中にも触れられておりましたけれども、私はこれは知らないうちに変なことになっておるのではないかという印象がするのでございます。と申しますのは、信用保証協会の保証というものは理論上無担保が原則であるべきではないか。問題はここにあるのでございます。と申しますのは、担保力が十全なものであるならば何も保証する必要はないのであります。銀行は債権保全の措置として担保を取る。従ってその担保力があるのならば、何のために保証するのでありましょうか。その担保力を提供して、本人が償還せざる場合においては、その担保処分、抵当権の執行を行なっていけばそれでいいのであります。ところが、結局その保証にかけるということは、担保力が不足しておるから保証にかけるのであろうと思うのであります。それを本来の任務と考えられておる保証協会が十全の担保を自分で取って、なお保証にかけておるというようなことは、一体それはどういうことなのでありましょうか。理論としてそれは理解できないのであります。担保力が完全にあるものならば、銀行へその借受人がその担保を提供すれば、それによって経済的な信用力というものがあるのでありますから、保証は必要はないはずのものであります。にもかかわらず保証協会が保証をして、なおかつその担保を取るということ、担保権の設定を行なうにあらざれば保証をしないということは一体どういうことでありますか。この点一つ説明願いたい。
  63. 大月高

    ○大月説明員 金を貸しまして、その金が返ってくるかどうかという認定問題でございますが、それぞれ判断が入るわけでございますので、銀行がこれならば確実に返るという判断をする場合と、信用保証協会の立場において、これは確実に返るであろうと考える場合と、やはりニュアンスが違うのではないか。具体的には、たとえば一つの土地なり建物を持った人がございまして、はたしてこれの担保価値をどのくらいの評価をするか、あるいはどのくらいこれを確実なものと見るのか、あるいは返済能力がどの程度確実と見るのか、おのおの立場が違うと思います。特に具体的な不動産でございますとか機械でございますとか、工場だとか、こういうようなことになりますと、かりに銀行では掛目を六掛しか見ないというような場合に、保証協会ならば七、八掛を見る、あるいは一般には銀行で三百万しか見ない場合に、保証協会ではぎりぎりに見れば五百万くらい見られるかというような、いろいろなニュアンスがあると思います。その面で銀行としては保証協会がその間に保証人として立ってもらえば非常にその点が確実になる。保証協会としてはいろいろ考えた末、保証人としてなろうということになりますと、自己保全の立場からやはりできるだけいざという場合に備えるということは当然でございまして、そういうような万全の備えをとってもらうことによって、一般の中小企業者としても金融を受けられる、こういうことでございますので、信用保証協会は担保は取らない、完全な責任において保証するのがいいというわけにもいかない。やはり信用保証協会自体としての自己防衛ということも当然考える必要があるのではないか、こういうように考えております。
  64. 春日一幸

    春日委員 その問題は二つに分かれると思うのであります。と申しますのは、今申し上げましたように、金融機関が金を貸し出す場合に、その相手方の信用力が不足であると見るがゆえに貸し出さない。その足らざる信用力を補完するものが保証協会の任務である。ところがその補完する保証協会それ自体が担保を取るということは、保証協会自体として自己保全の立場から、自己防衛の立場からこれを取るのであるが、しかし保証協会が自己防衛をなし得るものであるならば、そのことはわが国の金融制度自体として考えるならば、金融機関自体がその手段によって自己防衛をなし得る筋合いのものである。だからこれを金融機関、保証協会、それから借受人、この三つの関係の中から判断すると、やらなくてもいいことをやっておるような感じがするのであります。と申しますことは、信用保証協会が十全の担保を取るくらいならば、批判力、経済力なるものは、わが国において客観的に通用する経済力であるから、当然これは金融機関がその担保力として直接取ってしかるべきものである。取らんとすれば、信用保証協会制度みたいなものを作るのではなくて、銀行それ自体がそういうことをなし得るように何らか他の措置をもってしてもそういうことをなし得る筋合いのものである、理論としてはそういうふうに私は考えられないことはないと思うのであります。  それからもう一つ、それはそれ、これはこれとして、金融機関ならば三百万しか見ないものを保証協会がこれを五百万と見て、そうしてその点の役割が事実上現実に貢献し得えおるというのならは、まだ一個の救済がそこにあると思うのであります。ところが現実にその保証協会というものが金融機関と同じように評価するのではないか。一個の非難事項として担保の過小評価、過大供給という問題は、これはもう金融問題としての大きな問題になっておることは、すでに御承知通りであります。それは信用保証協会といえどもそのうち外にあるものではありません。事実関係を調べられてみればわかると思うが、三百万貸そうと思えば二百万の担保でしんぼうする保証協会はないと思う。また自己保全という考え方からすれば、それは十全の措置が講ぜられてはいないということになると思うのであります。そういうわけでありますから、問題はやはり担保をとって保証をするというこの保証協会のあり方というものは、いわば少数異例の措置、こういうふうに考えて保証協会の運営というものがなされてしかるべきものである、こう思うのであります。ただ相当大きな金額になって、そうしてなお担保力に余裕がある場合においてはそういう徴求されるということもそれは妨げない場合もあるでありましょうけれども、しかし当然べースとして担保をとってそうして金融機関にあっせんする、金融機関は本人が返さなければ代払いを受ける、保証協会は本人が返さなければ担保権を執行するというようなことならば、保証協会の社会政策的使命というものは何らその役割を果たし得ていない、こういうふうに私は思うのでありますが、この点、いかがでありますか。
  65. 大月高

    ○大月説明員 信用保証協会の存在理由といたしましては、一般の金融べースに乗りにくいものについて保証することによってその人が金融を受けられるようにするというのが全体の考え方であろうかと思います。そういたしますと、一般の銀行で考えておりますコマーシャル・ベースの外であって、かつコマーシャル・ベースという広い観点から見ればそのワク内に入るということが、先ほどお話のございました、いわゆる下限の問題であろうと思うわけでございます。そういうような、いわばコマーシャル・ベースに乗るといたしましても相当またそこに危険度も織り込まなくもやいかぬ、こういうようなことになりますれば、かりに担保を持った人があるとすれば、それをとってはいけないのだと逆に言うことはいかがであろうか、できるだけ保証協会といたしましても、かりにある人の保証をしたために全部それがロスになってしまうというようなことになりますと、また何千人かに対する保証ができなくなるわけでございまして、保証協会の運営といたしましても、できるだけ自分の資産が完全に保全されてたくさんの人にサービスをしていくということも必要であろうか。ある特定の人に対して保証してそれが完全に倒れてしまう、そうして一銭もとれないというようなことになりますれば、制度自体がまたこわれてし使う、やはり健全な原則というものはどうしても必要だ。そういう意味で一般の銀行が貸しますいわゆるコマーシャル・ベースと、保証協会が考えますコマーシャル・ベースとにはそこには当然幅がある。その幅を埋めるということにあると思いますけれども、また担保の点から申しますれば、それだけに、もし相手に担保があればそれも入れてもらう。ない部分は保証人でもってがまんする、こういうような運用の方が適当ではないか、こう思うわけであります。
  66. 春日一幸

    春日委員 問題は理論ではなくて、その運営の実態なんですね。保証協会がたとえば現行制度ならば、大体五十万円以上でありましょう、その場合は担保をとることを原則としておるのです。しかもその担保の徴求の仕方が社会政策的見地で評価しておればよろしい。ところが、それが現実には過大徴求、過小評価の批判の的になるほど、それは担保というものを経済べースで評価してこれを徴求いたしておる。中小企業者の経済力を保証することによってそれだけ現実に拘束しておる。していないとすれば問題ありませんが、しておるとすればこれは重要な問題であると私は思う。そういうような経済力というものをやはり拘束するからには、だとするならばそんなものは保証協会みたいなものではなくても、それは金融機関が融資の対象として直接のルートによって考慮をなすべきものであり、その使命を果たすのが金融機関の使命でなければならぬ。ところがたまたま保証協会なるものがあるから、そこに行って保証をしてもらえば銀行で訓育する必要もないからといって、結局は銀行の下請機関みたいなことになってしまって、結局銀行の保証料を本人が保証料をそれだけ余分に払って負担を重くして、銀行が調査する必要がなく、課せられるということで、事務経費をそれだけ倹約節減できる、結局は金融機関が利得するだけであって、一般の融資を受ける対象の者にはそれだけ負担を重くして、何のことはない、結局同じことになってしまっておるということになってしまうと思うのです。だから、問題は理論や理念ではなくして、運営の実態なんです。銀行局はこの際信用保証協会が担保を徴求しておるその対象について、過大徴求をしておる事実関係はどうであるか、過小評価をしておる事実関係はどのようなものであるか、これを一つ調査して、本委員会にその報告を願いたいと思うが、この点は委員長を通じてお願いをいたしておきたいと思います。私の申し上げることは、ただ銀行局長が申し上げられたように、金融機関ならば百万円だ、ところが信用保証協会ならばこれを二百万円に見て、そうして中小企業者の信用の不足額が保証協会の政策的機能によって補完されておるという実際上の貢献があるならば、私はそれはそれで政策の効果は現われておると思う。ところが銀行と保証協会が同じことをやっておるとするならば、保証協会は銀行の下請機関であって、何も中小企業者のための政策金融機関ではない、この点を一つ実態を調査の上、委員長を通じて本委員会に資料の提出を願いたい。厳重に御調査を願いたい。これはその調査資料を待ってあらためて論じたいと思う。  次に、私は事故処理の問題についてお伺いいたしたいと思うのでありますが、これは当然事故がない方がいいと思います。対人信用である限りは借りた人もその信頼にこたえるためにやはり弁済をなすべきであると思う。けれども結局これが社会政策であります限りたまたま事故が起きやすい。事故の率は私はやはり高いと思う。さればこそ、政策としてそれを再保険することによって、保険効果がその損害補てんの責任をになうておると思うのであります。そこで私はお伺いをいたしたいのであるが、その事故処理の場合、私ともが承知しておる範囲内ではその延滞日歩というものを相当高額に取る、期限内に返済されない場合においてはちょうど税務署のように重加算税みたいなものを延滞日歩相当のものを取る、こういう形になって、そうして処理がなされるのでなければむろん担保を解除しない。これは極端にいえば高利貸と何ら変わらないところの処理をしておるように承知しておりますが、事故処理の場合における実際の処理はどういう形になされておりますか、その心がまえ、またそのなされておる実態、これを一つお伺いいたしたい。
  67. 深瀬晃

    ○深瀬参考人 事故処理の場合でございますが、保証協会といたしましては、少なくとも事故がありましたものにつきましては、第一は元本でございます。それから利息でございます。その点につきましては、できるだけ当事者の中小企業の実態を見まして時間をかけて回収するということが本体でございます。事実そうしなければ御返済を願えない事例が多いからでございます。従いまして、ただいまお話がございました損害金のことだろうと思いますが、損害金がかさむという事例が事実起こります。これは大体日歩三銭から五銭の間に見てございますが、二年とか、三年とか長期になりますと損害金が相当額になることは事実でございます。ただその場合この内入れ償還なりお払いを願います場合は、本人から特にこれは元本でございません、損害金に充てますよという意思表示がない限りは、こういうことはあり得ないことでございますが、意思表示がない限りは元木に充当するわけでございます。そういたしまして損害金の発生ができるだけ少なくなるように配慮いたしておるわけでございます。  それから損害金につきましては、保証の場合御本人と保証協会の約定には何銭ということになっておりますが、現実に損害金をいただく場合につきましては、その中小企業者の経済的な実情、それから御努力そういうところを十分に判定をいたしましてとれないものは御事情によりまして減免する措置を講じておりまするから、私はないに越したことはない、こういう議論は別でございますが、現存非常に苛酷な苛斂誅求をしておるということには考えていないないわけでございます。  それから損害金でございますが、私どもといたしましては少なくとも支払いなりそれから代弁後の事故につきまして分割でも何でもお払いを願っておるまじめな業者と、ふまじめなといっては語弊がございますが、そうでない督促をしばしば繰り返しましても御返事もないというふうな業君につきましては、若干の差別があってもしかるべきではないかというふうに考えておるのが現行の損害金でございます。
  68. 春日一幸

    春日委員 私はこの問題はやはり法律の本旨に基づいて運営されなければならぬと思う。ただ横着者や無法者に対しては当然しかるべき制裁的な執行がなされてしかるべきだ思うのですけれども、しかしながらその認定というものは、これまたきわめて複雑困難であろうと思うのであります。私はあやまちなき問題はその法律の精神に即応して執行されていかなければならぬと思うのであります。  私は大蔵省にこの際聞いておいていただきたい。信用保証協会の人々にも聞いていただきたいと思います。ことは、末端では、中には法律の精神に基づいてりっぱに社会政策としての機能を果たし得ておるところもたくさんあると思うのです。ところが中にはその執行者の感覚が誤ったり、またその人の主観が様々変化したりしましてとんでもない執行がなされておる。私は事実関係を一つ申し上げますから、これを十分お聞きいただいて御判断を願いたいと思う。その人は玉百万円を借りたわけです。ところが伊勢湾台風によって工場が壊滅をいたしまして償還能力を失ったわけです。それから担保はかれこれ一千二百万円程度の土地家屋を入れておるわけです。ところが伊勢湾台風によってその工場がつぶれまして再起不能になったがゆえに問題になってきました。そこでさら地が入れてある。それを換金処分することによってかれこれ三百万円ばかり返したわけです。残存しておるものが二百万円あるわけです。私はこれを担保を抜いてやれないか、担保を抜けばその担保力によって他の金融機関から借り入れてそれを返すことができるのだ、こう言ったのです。他の金融機関から借りてこれを返済して保証協会の残債、これを整理することができて、そうして早期に産業を再建することもできるからそうしてやらぬか、こう助言をしたわけなんですね。そうしたときに保証協会当事者がどう言ったかというと、担保を抜くことはできません、こう言うんですね。だから元本を全部返してもらいたい、こう言う。ところが現実に産業を伊勢湾台風で失敗してしまったんだから返すことができない。幸いにここに土地があるんだから、その担保を抜いてやっていただけば、これを売ることができるし、また残存担保を、他に抵当権を設定して金融を受けることもできるんだし、これは一つ抜いてしまえば一応将来どうなるかわからないであろうから、同時担保の設定をやればいいじゃないか、君の方が抜いて、そうして金をもらって、そうして担保のつけかえを、同時担保の設定をやればいいじゃないかと言った。ところがそれも応諾しないんですね。それから、私はそんなむちゃなやり方はないじゃないか、大体担保自体が残存債権三百数十万のものに対して一千二百万のものが入っておるんだから、そういう中小企業の政策意図から考えるならば、しかも伊勢湾台風でかなり大きな災害を受けた場合に、それを救済することのために便宜な措置をはかってやるというのが当然のことでないか、まあこう言ったわけでありまするが、いや何と仰せられたところで信用保証協会には保証協会の考え方がありますからできません、こういうことなんです。現実にそれだけの担保力を拘束して、全部完済されるにあらざれば担保を抜くことはできません、こういうことがやられておる。これは事実関係であるから、私は保証協会にも銀行局長にもその事実を明らかに申し上げますが、これは一つ御調査の上、一殺多生の剣というものがあるが、これはある一カ所にそういうことがなされておれば全国津々浦々において同様の事柄がなされていないとは断じがたい。かくてはこういうような保証協会の実際の運営のあり方というものは、まことにこれは高利貸しにも見まごうような、純粋の経済ベースで行なわれておるとするならば、われわれがかつて保証協会法を制定したときの国会論議、またその法律の精神ともはなはだしく背反いたしておる容易ならざる問題と考えて、本日協会の運用を中心としてここに国政調査をお願いいたしておるわけであります。そういうわけで、問題は冒頭から申されておるように、これは経済面と社会政策面と両方ひっくるめて、そうして中小企業者の保護育成、この政策意図から発足をした保証協会が、現実の末端においてそのような商利貸みたいな運営をされておるというようでは、法律の精神は全く圧殺されてしまっておる。そうして彼らがまるで金を貸してやる、保証をしてやるということについて中小企業者に君臨をしておる、間違ったやつは徹底的にやっつけるというような形、そんなことをやられておっては私どもはこれを看過することはできないのであります。従いまして、こういうような問題が他の地域にも私はなくはないと思います。どうかその実態を調査することのために、一つは今申し上げましたような事故処理、前に申し上げましたように担保の評価、それから徴求の実態、これの代表的なものの調査でけっこうであります。それから今申し上げました第二点は、事故処理の場合においてはたして法律の精神に基づいてその事故処理がなされておるかどうか、こういう問題を一つあとで御調査の上本委員会に一つ資料の御提出をお願いいたしたいと思う。資料の御提出を待って、あらためてこの調査を進めたいと思います。私の賛同はこれで終わります。
  69. 広瀬秀吉

    ○広瀬小委員 春日委員から今資料要求があったほかに、この問題についてわれわれとしてもより一そう正確な資料を得て、本問題の問題点をより一そう明らかにして改善の方向をとりたい、こういう気持から、次に申し上げる資料を一つ御提出をいただきたいと思います。  先ほど保証料率の問題で、平均した数字を三十七年で四厘八毛になっておるということが言われたわけでありますが、たとえば栃木県のごときは、県で補助をいたしまして、たしか二厘になっておるはずであります。この保証協会のあるところ、大がい県庁の所在地だと思いますが、それを全部各県の補助があるところは補助をさして、最終的に中小企業の負担になっている保証料は幾らになっているか、これを全部あげていただきたいと思うのです。  それからもう一つは、この金融機関から保証協会に回されてくる件数、金額、こういうようなものを、件数を金額別に出してもらいたいということと、それから最初に保証協会に直接かけ込む件数と金額、その金額の最高、最低、平均というような取り方で、これを一つ参考に出していただきたい、そういうふうに思っております。  それから無担保の限界の問題で、際にやっているのは五十万というような紙があるようでありますが、これについてもより一そう正確な実態というものを出していただきたいと思います。  それから国民金融公庫で借りる場合の保証の件数というようなものもここ数年にわたって具体的に数字を出していただきたいと思います。  以上です。
  70. 毛利松平

    ○毛利小委員長代理 藤井委員
  71. 藤井勝志

    ○藤井小委員 各委員から大へん貴重な意見が出たわけでありまして、私から蛇足を加える必要はないと思うのでありますが、一、二お願いを申し上げて研究をしていただきたいと思いますことは、私も先ほど来の御意見全く同感でありまして、保証協会というものの作られた趣旨が、実際の運営において生かされておらないということを現場においていろいろな面で痛感をいたしておる一人であります。先ほどいろいろお話がございましたが、私は中小企業者の担保力を補うということだけではほんとうの趣旨が徹底しない。やはり中小企業者は大企業よりも低利な資金を貸さなければならぬ。こういう面においては、現在では保証協会の保証料だけ、中小企業者は高く金利を払わなければならぬ。これはむしろ私は保証料を含めて、やはり一般の金利と同じような状態に一つ持っていくのが本来の趣旨に沿うゆえんではないか、いなむしろそれよりも低めるくらいの努力はしてしかるべきではないか。すなわち保証料率の問題ということが私のお願いしたい中心であります。先ほど保証協会の方からのお話を聞きますと、保証協会の保証料収入が六〇%ということになっておる。これに問題がある。これをもう少し下げていくということはできないものであろうか。同時にそれと関連いたしますが、少なくとも三厘以下くらいにならなければほんとうに中小企業者の保証協会という趣旨が生かされない。これが一つ実現について銀行局としても研究をしていただきたい。そしてそのくらいに下がれば保証料を含めて、一般の金融の伴う金利と同じくらいなベース、すなわち保証協会の保証をつけるということによって、銀行は担保力というものがつくわけですから、その分だけは金利を下げて保証協会の保証を受けるものもそうでないものも、同じような金利で融資が仰げるというような方向にいかなければ、保証協会の本来の趣旨が生かされない、現在は中途半端な現状になっておる。これに対して、一つこの際銀行局としては真剣に中小企業金融対策として一考を願いたい、このように思います。この点を一つ私の提案といたしまして、せっかくの小委員会で先般来貴重な御意見が出ておりますので、あわせてお願いを申し上げる次第であります。
  72. 毛利松平

    ○毛利小委員長代理 この際参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人には御多用中のところ長時間にわたりまして御出席をいただき、御意見を述べていただきましてまことにありがとうございました。小委員長より厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十五分散会