運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1962-03-29 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第29号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十九日(木曜日)     午前十時十四分開議  出席委員    委員長 小川 平二君    理事 鴨田 宗一君 理事 黒金 泰美君    理事 細田 義安君 理事 毛利 松平君    理事 山中 貞則君 理事 有馬 輝武君    理事 平岡忠次郎君 理事 堀  昌雄君       足立 篤郎君    伊藤 五郎君       岡田 修一君    金子 一平君       久保田藤麿君    田澤 吉郎君       高見 三郎君    永田 亮一君       濱田 幸雄君    藤井 勝志君       坊  秀男君    吉田 重延君       井手以 誠君    久保田鶴松君       小松  幹君    佐藤觀次郎君       田原 春次君    芳賀  貢君       広瀬 秀吉君    藤原豊次郎君       武藤 山治君    横山 利秋君       春日 一幸君  出席政府委員         大蔵政務次官  天野 公義君         大蔵事務官         (主計局法規課         長)      上林 英男君  委員外出席者         大蔵事務官         (大臣官房財務         調査官)    有吉  正君         日本国有鉄道総         裁       十河 信二君         日本国有鉄道常         務理事     関  四郎君         参  考  人         (日本長期信用         銀行頭取)  河野 一之君         参  考  人         (九州大学教         授)      高橋 正雄君         専  門  員 抜井 光三君     ————————————— 三月二十九日  委員藤井勝志田原春次君及び芳賀貢辞任に  つき、その補欠として竹山祐太郎君、井手以誠  君及び小松幹君が議長の指名で委員に選任され  た。 同日  委員井手以誠君及び小松幹辞任につき、その  補欠として田原春次君及び芳賀貢君が議長の指  名で委員に選された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  財政法の一部を改正する法律案内閣提出第六  三号)について参考人より意見聴取証券取引に  関する件      ————◇—————
  2. 小川平二

    小川委員長 これより会議を開きます。  財政法の一部を改正する法律案議題といたします。  本日は、参考人として日本長期信用銀行頭取河野一之君が出席しておられます。  参考人には、御多用中のところ御出席をいただき、ありがとうございます。  では、まず河野参考人より御意見を述べていただき、その後に質疑に入ることといたします。河野参考人
  3. 河野一之

    河野参考人 河野であります。  議題となっております今回の財政法の二十九条の改正についてどう考えるかというお話だと思うのでありますが、その前に、こういうような問題を起こしました昭和三十五年度補正予算二号で、三百五十億円を産投会計に入れて、それを三十六年度以降に使う、こういうことが適法であるかどうかというようなことが契機となりまして、この三十九条の改正が起こったというふうに、私承知いたしております。従いまして、まず昭和三十五年の補正予算でやりました三百五十億円の産投会計繰り入れが違法であるかどうかという問題から申し上げてみたいと思うのでありますが、この問題は、私の見解といたしましては、違法ではないというふうに思っております。適法であると考えております。また私もその委員の一人をいたしております財政制度審議会におきましても、そのような御意見はなかったように承知いたしております。  問題点、いろいろ伺ってみますと、三つほどあるようでございまして、そのまず第一は、この産投会計繰り入れというものが、現在の財政法二十九条の追加予算提出要件である必要避くべからざる経費に該当するかどうかということが一点と、もう一つは、せっかく繰り入れておきながら後年度において収出するということが、会計年度独立財政法原則に反するのじゃないかという点、それからもう一つは、こういうことによって、実質年度剰余金処理をきめておる財政法六条でございましたか、それに実質上違反するのじゃないか、この三つの点であったように私は拝聴いたしております。  第一の必要避くべからざる経費に該当するかどうかということでございますが、この規定は旧会計法時代からございまして、その字句を踏襲いたしておるわけでありますが、この解釈というものは、今まで相当弾力的に行なわれてきておると私は考えております。必要避くべからざると申しますと、あたかもこれがなければ国政の運用支障を及ぼすというようなきつい意味にとられがちでありますが、運用は必ずしもそうでなかったと存じております。たとえて申しますと、公務員給与改定というようなものは、戦前におきましては、追加予算処理するということは必要避くべからざるものと、はたして認められたかどうか、私は疑問であると思いますが、戦後におきましては、補正予算におきまして給与改定というのはたびたび行なわれております。かつまたせっかく人事院の勧告がありました際にも、財政上その他の理由によってその補正予算提出しなかった、その場合においては必要避くべからざる経費でなかったのかということにもなるわけでありまして、必要避くべからざるものであるかということは、経費本体議論もさることながら、財政事情その他社会事情一般の点を判断してきめられるものでありまして、この判断最高政治判断に属するものだと私は考えております。その判断を第一次的にいたしますのは予算提出する政府にあるのではないか。それが妥当であるかどうかと  いうことは国会がおきめになることであると思っております。従いまして、この産投会計繰り入れというものは必要避けることのできない経費判断せられて出したものであり、またそのこと自身は決して二十九条に違反しているものではないと考えております。  それから会計年度独立の問題でございますが、これは、この必要避くべからざる経費というものがあたかも国庫外支出されない、つまり産投資金となるというところに多少問題が提起されたのでありますが、これは財政法の現在にも規定いたしております通り国庫内の支出つまり移しかえにとどまるものでありましても、これを経費と認めておるのでございますから、すでに昭和三十五年度において支出したものである以上、それはその結果といたしまして、その財源が後年度において実質上使われることになりましても、何ら会計年度独立原則には反しないというふうに考えます。  また前年度剰余金の問題でありますが、年度末におきまして余裕財源をもってこういうふうな処理をすることは、実質的には三十五年度において生ずべき剰余金を減らしたものである、従って、財政法では前年度剰余金の三分の一は国債償還費に充当するというその規定から起こるべき処理を、あらかじめ財源を別除することによって実質的に違法なことをやったのではないかという議論でございますが、これもすでに昭和三十五年度支出せられておるものでありまして、前年度剰余金というものはその結果として出てくる財源処理の問題でございます。それを違法だと申しますと、年度の終わりにおきまして補正予算を組むのは常に前年度剰余金処理規定に抵触するということになるのでございまして、私はこの議論は当たらないと考えております。今回この二十九条を改正になりまする目的は、一つにはそういった点についての「必要避けることのできない」という、ただ語感の問題は確かにあると思いますので、これを御改正になることは適当であろうと思います。また経費につきましてもこれは財政法に明らかに規定されておるところでありますけれども、国庫内の移しかえにとどまるものもそれまで含むのであるという意味を明らかにしたという点においても、またいろいろな疑義を避ける意味におきまして非常に適当であろうと思います。  その他修正予算提出条件というものは、現在は予算成立後の事由によっておるのであります。これはもちろんその当時としては一つ意味があったのでありますが、最近のいろいろな事情から考え追加予算修正予算に相当するものを合わせて補正予算といっているような事情から考えまして、修正に相当する場合の提出条件追加の場合と同一にする、すなわち「予算作成後」に統一するということは適当であろうと考えております。  以上によりまして、二十九条の改正は妥当であると考えておる次第でございます。
  4. 小川平二

    小川委員長 質疑の通告がありますのでこれを許します。有馬輝武君。
  5. 有馬輝武

    有馬(輝)委員 私は二点ほどお伺いいたしたいと思いますが、今度の改正に直接関係ございませんけれども、会計年度始期について新聞等では現在の四月を一月にしたらどうかというような意見がちらほら見られるのでありますけれども、この点について河野さんの御見解をお聞かせ願えれば、このように考えるわけです。
  6. 河野一之

    河野参考人 会計年度改正につきましては、従来からたびたび議論のある通りでございます。現在自民党におかれましても、特別に調査会を持ちまして御検討になっておるようでございますが、現在の会計年度明治十九年に施行されて現在の四月から三月ということになっております。現在七十数年を経過いたしておるわけでございます。会計年度始期をいつにするかということは、これは便宜の問題でございまして、どうでなければならないという絶対的の原則はないと存じます。しかしながらすでに七十数年を経て、国民経済あるいは政治その他がその制度のもとに動いておるという現在の実情からいたしますと、これによって起こる混乱というようなことから考えますと、これを変えるのは私は適当でないと考えております。もし会計年度を変えるということになりますと、たとえば教育年度というような問題にも触れてくるでありましょうし、また政府関係機関会計年度は変えないといかぬと思いますし、日本銀行の現在の事業年度も四月、十月ということになっておりますまた民間事業年度につきましても、たしか一億円以上の資本金を持っている会社約二千のうちの六〇%が四月からの始期になっております。銀行保険会社は全部四月でありますし、それから電力会社海運会社も大部分そうだと思います。鉄鋼とかそういうようなところが多く四月ということになっております。もちろん国の会計年度を変えましたからといいまして、そういうところを変えねばならぬという絶対的な理由はないわけでございますけれども、政府とのいろいろな関係、たとえば補給金を受け補助金を受けるというような、あるいは財政投融資を受けるといったような関係からいたしますと、これは一緒にした方が便利であろうと思います。またそういうような会社でなくしても、政府関係機関から調達を受けているというような会社も、やはり四月−三月と政府会計年度と合わせた方が、いろいろな点において便宜であろうと考えます。これがすでに七十年にわたって動いているわけでありますから、これを変えるということについては相当支障があると思います。  もう一つは、現在言われておりますように、一月からの、つまり暦年によって会計年度をやったらどうかということでございますが、この問題は二つの点があろうかと思います。  一つ国民経済節季と国の節季一緒になる。従いまして、国庫の支払い年度末で起こるのとそれから一般の年末決済というものが重なって、そこで金融等いろいろ問題が起こるのじゃないかということ。それから国庫事務の点につきましても、日本銀行あるいはその代理店でありまする金融機関なんかにおきましては、両方の事務が幅湊して非常に負担が過重になるといった点があろうかと思います。  またもう一つは、現在の財政資金流れ方からいいますと、第三・四半期すなわち十月から十二月までは非常な国庫払い超でありまして、一月−三月が揚超になります。そしてその結果一月から十二月の暦年ということにいたしますと、十二月には非常に払いが起こって、年度開始の一月にはかえって現金が不足するという結果になるのでありまして、国庫運営経理の上からいっても相当問題があるんじゃないかというふうに考えまして、私は現在の会計年度というものは軽々にこれを改正すべきものではないという意見でございます。
  7. 有馬輝武

    有馬(輝)委員 次にお伺いいたしたいと存じますことは、憲法の八十三条と財政法四十三条との関連についてであります。昨年政府閣議決定国際収支改善のために公共事業費とか官庁営繕費、そういったものについて財政投融資繰り延べをいたしまして、これは財政法四十三条によって適法だという工合に説明をいたしておるのでありますが、私たちの考えといたしましては、財政法二十八条で当然処理すべきではないか。その点が憲法の八十三条によってはっきりとうたわれておるゆえんではないかという工合考えておるのでありますが、この点についての河野さんのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  8. 河野一之

    河野参考人 財政特に予算について項に計上された金額をどういうふうに考えるかという問題とも私は関連すると思います。今までの解釈におきましては、予算に計上された金額講会から授権をされた最高限度ということで、それを使い切らねばならないということにはならないというふうな解釈に現在なっておるわけであります。従いまして、経済の状況によりましてそれを節約いたしまして繰り延べ、あるいは繰り越しをするということは、憲法の八十三条の、財政処理する権限は国会の議決に基づくことを要するという点に決して違反しているものではないと思っております。そういうような政策の結果といたしまして繰り越しをするといった場合に、それがやむを得ない客観的な事由に該当するものとして繰り越しするということは、私は財政法上違法ではないと考えております。
  9. 有馬輝武

    有馬(輝)委員 八十三条の趣旨によりまして、おのずから財政法四十三条のやむを得ない事由については一つのリミットといいますか、限界を設けてあるのではないかと思うのでありますが、今おっしゃるように、確かに使い切ってしまわなければならないというあれはないかもしれませんけれども、しかしそれにしましても八十三条の趣旨からおのずから限界があるだろうと思いますが、そこら辺についてはどのようにお考えか、お聞かせいただきたいと存じます。
  10. 河野一之

    河野参考人 これは非常に限界がむずかしい問題だと思います。戦前予算におきましては、ことに戦時中におきましては、いわゆる実行予算というふうなこともやっておりした。それは決して予算趣旨に反しないということでありますが、新しい財政法になりますと、非常に大きな繰り延べ繰り越しをするということは予算実質修正をするものではないかという議論があろうかと思います。これも議論は私は妥当だと思いますけれども、しかしそれは程度の問題でございまして、これが全然その年度内において使わず、従って、ほかの財源に充てるんだというような場合でありますと、この点が非常にクローズ・アップされてくるのでありますけれども、使うものであるけれども、財政経済事情にかんがみて当該年度においてはこれをある程度抑制し後年度にずらすというようなものでありますと、この点の考え方は今言われます憲法規定という点からして、決して不適法であるというふうにまで断ずべきものじゃないと私は考えております。ことに二兆円の予算の中でどの程度になりますか、ほんの一〇%にもならないような金額繰り延べしあるいは繰り越しするのでありますから、私は許されていいことだと存ずる次第でございます。
  11. 小川平二

  12. 堀昌雄

    堀委員 先ほどのお話の中で、「必要避けることのできない」というのは語感の問題としてはそれほどシビアに考える必要はないのではないかというような御意見がございましたけれども、そこで私は法律用語解釈の問題になると思います。結局法律用語が、「必要」という言葉一つあり、次に「避けることのできない」という用語一つございます場合には、二つの要素がここに含まれておるのじゃないか。まず前段としては、必要であるということ、これが一つでございます。それからもう一つは、避けることができない。もし今お話になったような語感感じといたしますと、必要であるという点についてはみな論議のないところでありますが、避けることができないという言葉をどう解するかというところに私はこの問題の一番論議の点が集中をしておるのではないかと思います。そこで、河野さんはかつて大蔵省においでになったわけでございますから、そのことをちょっと離れまして、財政法のこの問題を一応離れまして、避けることのできない事態というものを具体的にはどういう場合にお考えになっておるか。この言葉は抽象的な概念として論議をいたしてみましても、そこにはニュアンスの相違が残るだけでございますので、具体的な事実の中で一体その避けることができないということはどういうことに該当するのか、ちょっと承りたいと思うのでございます。
  13. 河野一之

    河野参考人 どういうふうに申し上げたらいいのか、私もちょっと御質問に戸惑いいたす次第でございますが、普通に全然財政制度あるいは予算というものを御存じない、あまり御存じないしろうとの方がお考えになりますと、必要避けることのできないというのは常識的に考えて非常に厳格なもののようにとれると思います、それはもういなめない事実だと思うのでありますが、これが物理的ないろいろな災害のように、それをほっておくとまた災害を繰り返すというような、これは確かに一般的に考えて必要でありかつまた避けることができないということがはっきりいたすと思いますけれども、それならば年度末になっていろいろな補助金が出ることもございますし、給与改定なんかもそうでありますけれども、それは人によって非常に感じが違う。たとえば給与改定の問題でありますと、それがために非常に混乱が起こるということも避けることができないという見方になりましょうし、あるいはその点多少二、三カ月おくれても、本予算でもいいじゃないかということになれば、そういう判断であればそれでもいいのですし、これは人々の感じによって非常に違うと思います。この規定会計法にありましてずいぶん御議論があって、私よく好じませんが、たしか議員立法か何かで入ったようないきさつもあるのじゃないかと思います。それもしかし明治の初めのころでありまして、追加予算を乱発したというような事態に対して国会の方で抑制されたというふうに私記憶いたしておるのでありますが、その後の運営考えてみますと、この規定を物理的に避けることができないというふうに考えることは、いかにも時代の進運に沿わないし、実情に合わないということで、最近では非常に弾力的に考えられておると思うのであります。  そこでこの産投資金繰り入れるということになりますと、そういった御疑念が起こるのも私は普通の常識的にはごもっともだろうと思うのであります。しかしこの財政制度というものは、できるだけ常識的でなくてはならぬことはもちろんでありますけれども、長い間の政治運営ででき上がっておるものでありまして、そこがやはり目的論的に解釈する余地があり、またそうするのではないと制度自体が動いていかない。しかしその制度というものがあまりにもかけ離れているということになりますと、またそこで制度改正の問題が起こるわけであります。そういった点もございまして私は今度の財政法の二十九条の改正が提案されておると思うのでありまして、私はその点からいいますとこの改正は妥当であるということは先般申し上げたことに尽きるわけでございます。
  14. 堀昌雄

    堀委員 やはり私は、法律の問題については、今お話が出ましたように、沿革の問題がかなり重要な性格を持っておると思います。沿革としてはかなり追加予算等が乱発をされて、それをためるべきであるということで議員立法でなったように私ども承っております。その問題と、もう一つお伺いをしたいのは、予算年度主義といいますか、結局問題はこことのかね合いの問題になろうかと思うわけでございます。そこで、河野さんは今予算年度主義というものがとられておる積局的な理由は大体どういうことにあるとお考えですか。
  15. 河野一之

    河野参考人 国の経済民間経済でもそうでありますけれども、ある経済というものを計画的に見ていき、そうしてそれを処理していくという場合には、どうしても一定の期間を必要とするわけであろうと思います。従いまして、その期間を、どういうふうに求めるかということは、現在の経済生活が一年というものを区切っておりますので、そこにおいて一応のけじめをつけて経理をするというのが建前で単年度主義というものができておると思います。しかし、いろいろな長期計画というようなものが出て参りますと、ものを一年でなしに数年にわたって考えなければならぬという場合が起こってくるわけでございまして、現在の憲法は一応単年度主義に立脚して規定しておるわけでありますが、その原則をどこまでも続けると申しますか、それに対してある程度例外というものはあっていいんじゃないかと存じます。従いまして、現在その例外といたしましては継続費という問題がそうでございますし、繰り越しの問題がそうでございます。現在そういう点において解決せられておるわけでありますけれども、将来の問題といたしまして、この単年度主義というものを全面的にこわすということは適当でないと思いますが、その原則に反しない範囲において長期的な計画財政の上においてどういうふうに処理していき、考えていくかという問題は、確かに今後の問題であろうと私は考えております。
  16. 堀昌雄

    堀委員 この問題が出て参りましたのは、御承知のように産投会計繰り入れの問題が端緒でございますが、単年度主義としての例外は、今お話しになりました繰り越し及び国庫債務負担行為等もそういう形では形式的にはなると思いますが、そういうものがすでに例外として明らかに残されておるわけでございます。産投会計繰り入れという形は、私は単年度主義という問題の面から見ますならば、現状としてはそれは例外のうちに入ってないのじゃないか。本来的には、今お話しになった財政法で定められておるものだけが今の憲法規定した単年度主義例外規定ではないか、私はこういうふうに思います率直に申して、今のこの概念拡大解釈をされてきますと、ともかく産投という窓口を通して、極端な言い方をすると、いつでも、どこでも使える資金が大幅にそこへ入れられてくるという可能性——入口は非常に小さいと思いますけれども、入口を入ってしまえば中は無限に広がり得る可能性のある会計になるわけでございます。そうすると、今の単年度主義という問題の一番大きなもの、繰り入れその他につきましては、具体的に将来についての問題を明らかにしておりますから、今おっしゃったような計画が二伸、三年にわたるというような場合等についても実は予算を提議されるときの判断の基礎になり得ると思うのでありますけれども、産投会計の中へぽんと繰り込みましたものについては、当初繰り込んだときにはそれを何に使うかということを予測することはできないのではないか。その点において、今の憲法規定をいたしております単年度主義という原則は、具体的にその用途が明らかになるものについてのみ例外を認めるけれども、具体的にその用途予算編成の時期に明らかにできないものについてまでそういうふうに認めるような例外のとり方は少し無理があるのではないか、こういう感じがいたしますけれども、その点はいかがですか。
  17. 河野一之

    河野参考人 御趣旨の点はよくわかりますが、これは財政法の方から見ますと、産投会計資金繰り入れるわけで、これは明らかに支出でございまして、決して単年度主義例外をなすものではないと私は思うのであります。また後年度におきましては、その産投資金を歳入として繰り入れ支出するわけでございますから、憲法の単年度主義に抵触することは私は考えないのでございます。そういうことを申しますと、今まですでにずいぶん資金というものを作ってきておりますが、現在もたくさんの資金がございます。中には回転的な資金もありますし、資本的な資金もありますし、消費的な資金もいろいろございます。資金の性質は財政制度、審議会でいろいろ今後審議されることになるかと存じますが、そういったことからしますと、資金に入れるのは、後年度においてあるいは消費されることになり、金にけじめはございませんけれども、あるいはそれがどんどん回転していくといったようなことになりますが、それがすべて単年度主義に違反しておるというふうに考えるのは少し行き過ぎじゃないかと私は考えます。現在の単年度制の規定は先ほど申し上げたようなものに限られますが、財政処理の題題として前年度剰余金というようなものがここ数年来一千億以上出ておりますけれども、それをその年度において使わないで留保しておいて後の適当な時期において使うということはむしろ適当なことではないか。それのやり方の問題としては、もちろんいろいろあると思いますけれども、産投会計の今度の繰り入れというのは一つの行き方であったと思いますので、財政政策的に考えても決して悪いというふうには思いませんが、堀さんの御指摘になりましたような点は一応あろうかと思います。そこの問題として、それならば後年度に使おうとすれば後年度計画を明らかにせよという問題がその次に出てくるだろうと思いますけれども、そういう点を問題にいたしますならば今後の運営の上において一つの問題はあろうと思いますが、現在の問題としては単年度主義例外であるとは考えられないと思います。
  18. 堀昌雄

    堀委員 もう一つは、ここが私は非出席に問題になっていると思うのでありますけれども、これまで政府も、それから今河野さんのおっしゃたように、財政法第三十九条第二項で内部的に動かすことができる経費、そういうふうな形で見ていくならば現状でも別に間違っていないのだという論議が一方にあるわけでございますね。一方にありながらなぜ今度改正をするか。私がわからないのは、これが間違っているならば改正の必要が出ると思うのでありますが、片一方でこれは一つも間違っていないということにちゃんとなっているわけです。少なくとも間違っていないというのになぜ変えるのか。ここが立場の相違としてしょっちゅう議論になるところであります。憲法にしても法律解釈にしてもそうでありますけれども、それを比較的法律運営する側にある方は常に広く解釈をする、そうして運営される側としてはできるだけこれを狭く解釈していきたいというのが、法律ができ上がった後の行政という段階になると、これは全般的に通例的になることではないかと思います。そこで、なるほど政府の側に立って見ますと、さっきおっしゃった欠くべからざるということも、できるだけ広く解釈した方が行政としてはやりやすくなるわけであります。ただ法律というものは、その場合にはやはり国民の利益をそこなわざることを目的としてすべての点でできておると思いますから、その国民の側から言うならば、できるだけ幅を狭く解釈して、財政処理が少なくともあまり政府の恣意的な行為にわたらないようにしたいという基本的な二つの立場の相違があると思うのです。そこで、それはそういう形になっておって、私どもは非常に問題があるということをかねがね指摘をしていたにもかかわらず、具体的な事実としては拡大解釈が最近までとられてきた。ところが今度は、どうも拡大解釈が望ましくない、うまくない。これは何か一つのものがありまして、それが次に変わるときには、少なくとも積極的にまずいという理由がなければ変えられるはずがないわけです。どうも私今までの河野さんのお話を聞いておりますと、積極的にこれまでの財政法がまずいのだというふうに受け取れないわけでございます。積極的にまずいということでないというのなら、改正理由が出てこないのじゃないか。そこで、私は今までの河野参考人お話は、改正は必要なという論旨に私は理解いたしておるわけでございます。そこで改正をしなければならぬということですから、そういうお話がありながら改正に賛成だ、こういうようになっているので、ちょっとそこは私、論理的につながらないように感ずるのでございます。そこで一体これまでの財政法がよろしくないという積極的な理由々承っておきたいと思います。
  19. 河野一之

    河野参考人 現在の規定でも、昭和三十五年度補正予算の措置というものは違法ではない、適法であると私は思っております。従って改正をしなくてもいいじゃないかという御意見も成り立つと思います。現に今までの運営からいってそうだと思いますけれども、こういうことが問題になりました点からいって、いろいろな疑義が起こってくる余地がある。従って、このことをはっきりさせる意味においてこういう改正をなさるのだと私は了承しておるわけでございます。  それから現在の財政法がよくないかどうかという問題でございますが、現在の財政法昭和二十二年に現憲法の付属的なものとしてできたのでございますが、その際いろいろな御議論があったと存じます。この財政法の内容についてはよく御存じだと思いますが、相当部分従来の会計法というものを踏襲しておる面があるのでございます。予算の形式でありますとか、あるいは予算の編成、実行というようなものについては、戦前会計法にありました規定、あるいはそれまでの実際上の制度として行なわれておりましたものを踏襲しております。その際いろいろな点を勘案いたしまして、あるいは堀さんのおっしゃるように二十九条の問題もあったかと思いますけれども、とにかく早急の際にやっておることなのでございまして、その字句自体に非常にとらわれるという解釈もいかがかと思いますし、従来の運営その他から言って、御指摘の「避けることのできない」というような観念は、いろいろな法律で私は違うだろうと思います。刑法にもございますし、それから税法にもございますし、財政法のこういう規定も、同じようなことで解釈すべきでなしに、従来の沿革、従来のいろいろな慣例その他も参考にして解釈するのが適当であろうと私は考えるわけであります。
  20. 堀昌雄

    堀委員 どうも今のこの問題は、端的に申して、これは国会論議ですから、今のようなやりとりで終わるかと思っていますが、一般の国民が聞きましたら、まさにこれは論理が通らないと思うのです。特にさっき疑義があるとおっしゃいましたね。そうすると、少なくとも政府が疑義のあることをこれまでしておったことがいいのか悪いのかという問題が、私は明らかに出てくると思います。法律を行政庁が執行します場合には、かりそめにも疑義がないことでやってもらいませんと、疑義がありながらやるということは問題がある。だから私は今度裏返してものを伺うと、さっき適法だとおっしゃいました。適法ではあったけれども、それが適当であったかどうかという点については、疑義があるとおっしゃった以上は、これは適当でない部分もそれは全部が適当でないという場合もありましょうが、百のうち疑義のある部分に該当する部分は適当でなかったということは起こると思います。河野さんの今のお考えはそうだと理解いたしますが、これまでの政府の二回にわたる取り扱いは、やや部分的に適当でない——ただ単に全体的に適当でないと言い切れるかどうかは別ですが、とにかく適当でないというニュアンスがあるということに私はなると思います。
  21. 河野一之

    河野参考人 私はちょっと言い間違えたかもしれませんが、疑義を生ずる余地があると言うべきでございました。この問題につきまして、社会党の皆さん方からいろいろ議論が出たことを、私は速記録でも承知いたしましたし、財政制度審議会でも御披露がありましたので、そういうような御解釈が生ずる余地があるということで、この措置について財政法二十九条に抵触する疑義があると考えたことは実はないのでございます。従いまして、適法であったことはもちろんでございますけれども、こういったこと自体が財政処理の方から必要だという政治判断に基づきまして、また国会がそれを御議決になっているという、最高の決定は国会においておやりになるわけでありますから、私は適当であろうと考えておるのであります。
  22. 堀昌雄

    堀委員 もう一つ、今日の財政資金の留保をする余裕があるのかということです。きわめて減税が不十分のために、その結果として起きており、資金の余裕が出ておるのであって、ここは相対的な問題になっておる。先ほどは余裕があってそれを後年度に使用する問題の適否のことに触れられましたが、私はこれまで予算委員会でも大蔵委員会でも累次して申して参りましたけれども、今の財政の問題は、日本の全体の状態のいろいろの面から見ても、きわめて減税が不十分なわけでありますから、そういう意味では留保の余裕があるということはないとわれわれは見ております。この点いかがでしょうか。
  23. 河野一之

    河野参考人 これは財政処理の上において、どういうふうに考えるかということでございますが、国民経済の異端な成長に基づきまして、自然増収が非常に多額に企まれたという場合に、現在国民の租税負担が相当きついという現状から、それは減税に充てろというのも一つ議論でございますが、また一方経済の成長、ことに社会資本の充実ということをやらなければいかぬ、また社会保障も相当やらなければいけないというようなことで、それの方の歳出の方がむしろ重要であるという考え方に立ちますると、減税というものはこの際としてはすべきじゃないという議論もできるかと思います。この余裕があるとかないとかという問題は、結局財政をどういうふうに処理するかということでありまして、非常に財政需要の強い今日におきまして、金が余っておるというふうな言い方ができるものであるかどうかは私は疑問だと思っております。
  24. 堀昌雄

    堀委員 私が今伺ったのは、要するにこの問題は、ある年度における収入の余剰をともかく後年度繰り延べようということがそもそもの問題の発端でございますから、そこで私どもは、それを後年度繰り延べる前に、実はそれは少し取り過ぎたんだから国民に返すというのがまず第一のものの考え方ではないか、それを返しますと、今おっしゃったように財政需要の非常に強い時期でありますから、留保をして繰り延べたりする余裕ができるはずがないのではないか。だから留保をして繰り延べるということは、本来国民から取り過ぎた部分を返さないで、政府が恣意的に使うのに都合がいい、こういう考え方につながってくる。  そこでもう一つ。今河野さんは金融機関の方の仕事をしておいでになりますから、あわせてちょっと伺いたいわけですけれども、現在日銀の貸し出しが異常な状態を続けております。この日銀貸し出しが異常な状態を続けておるもとをたどってみると、財政揚超が相当に激しくて、なおかつそれが国民の方には必ずしも返ってこない。そこで国民の側としますと預金をしたくても、減税が十分にないために預金をする能力はもうない。企業の方は池田さんのいわゆる成長政策でむちゃくちゃに過当競争をやりながら、借入金でものを処理する。ですから資金需要は非常に強い。しかしそれに見合うだけの財源資金は国民の側からは還流してない。還流するはずはないので、国民の側は税金で吸い上げられておるわけですから還流するはずはないわけです。従ってこの悪循環をためるためにも、そういう関係から金融正常化という面から見ても、もっと減税をするのが正当なので、減税をしないで次の後年度繰り延べるということは、今の金融不正常化をさらに強める方向にのみ作用こそすれ、正常化の方向には作用しないと私は思います。その点についてのお考えを伺いたい。
  25. 河野一之

    河野参考人 国庫の異常な揚超によりまして、金融面においていろいろな現象が起こっていることは御指摘の通りだと思います。しかし国庫揚超にも外為の問題等がございますので、これは除いて考えなければいかぬのでございますが、国の自然増収というものは経済の成長の結果として現われるものでございまして、その結果金融面、一般民間資金の吸い上げが起こって、日銀の貸し出しがおこるという面は確かにあるのでありますが、財政の面からいたしまするとそれは結果の問題でありまして、初めから取り過ぎというつもりでやったのではないので、経済財政でもって予算で見通したより以上に成長したより以上に成長した結果起こってきた自然増収、これを取り過ぎといえるのか、税自身は税法の建前で正当に取られておるわけでありまして、予算の税収とは関係なく取られておるのでありまして、これは予算の上からいうとよけいになったということはあっても、法律の前、税法の建前からいって取り過ぎということは言えないと思います。のみならず、ここ数年自然増収が続いて大きな剰余金ができておりますからそういう議論通りますが、かりにこれが景気が沈滞した場合に、そういった、たまたま予算上生じた自然増収というものを直ちに——ことに現在の税法というのは、恒久税制でありますから、そういう減税に充てるのが適当かどうかということは、私は疑問があると思います。むしろそういう金というものは臨時的な、資本的な支出に充てるというのが、私は財政としての処理の建前ではないかと考えます。
  26. 小川平二

    小川委員長 横山委員
  27. 横山利秋

    ○横山委員 その問題について私もだいぶ意見がありますけれども、時間がございませんから次の二、三についてお伺いします。簡単にお伺いしますから要領よくお願いいたします。  今の財政法ができましてから四月以降予算の空白になったことがときどきございます。これは空白があるべきではないけれども、絶対あってはいけないということでは必ずしもないわけですね。つまり場合によってはそのあり得べきことを想定しなければいかぬと私は思う。そういう点については、予算の空白に対処する特別予備金制度などを考えてもいいのではないか。外国にも予算項目の中に例がございますが、その点はどうお考えになりますか。
  28. 河野一之

    河野参考人 十五年の戦後財政運営の結果を見ますと、そういう事態が起こったことは確かでございます。それがために一日でも予算の空白があると国政運営支障が起こるわけでありますから、何か特別の措置をしろという議論は確かにございます。それは特別予備金という制度でいくことにいたしまするか、あるいは英米法みたいにある程度数年を通ずる恒久予算という行き方でいくか、それは確かに議論がございます。しかし私の考えでありますが、やはり制度というものは入れものなのでありまして、そういったような事態が起こらないように運営されていくことが一番望ましいので、財政法を作りましたときも、そういうことはおそらくないであろうと考えておったわけでありまするし、またたまたま一、二回そういうことが起こりましても、そういうことがないように運営していただくことが、財政法財政処理趣旨であろうと私は考えております。
  29. 横山利秋

    ○横山委員 河野さん、政治的にあまりとらわれないで、理論的な問題としてお答え願わないと、あなたがそこに青いのをつけているのはあまり意味がないのであります。私は空白ができたことが国会内部の与党の責任であるか野党の責任であるかということは、客観的な判断の問題としてそれは避けて、少くとも予算の空白があったことが現在すでにあるのですから、そういう意味から考えますと、外国にも事例があるのだから、予算編成における際にそういう場合を想定した特別予備金制度を想定するということは、理論上、しかも経験上あり得ることではないか、こう思うのですが、どうです。
  30. 河野一之

    河野参考人 おっしゃる意味はよくわかります。現在予算は一月の二十日ごろに出るわけでありますけれども、各国の例を見ますと、予算の編成あるいは国会への提出が非常におくれておるというのが各国の実情じゃないかと思います。それはできるだけ年度に近い時期において予算を組むということが実際に即するということと、それから予算国民経済に及ぼす影響、力というものが非常に大きいものですから、その審議というものを相当慎重にやらねばならぬ。御承知のように、戦前ですと各院とも予算を受け取ってから二十一日以内に決定しなければならぬということになっております。現在はそうなっておりません。そこで今後の実際の運営がどういうふうになるか、私はよくわかりませんが、イギリスなんかにおきましても本予算が出て——あそこは四月が会計年度開始でありますけれども、年度が開始された後において本予算というものが審議されておるというような実情が現在ございます。そういうふうなことが考えられます。もし日本においてそういうふうなことがあるということになりますと、予算の空白という問題でなしに、予算の審議、運営をどうするかという根本問題として取り上げるという問題が、私はおっしゃる点以外にあろうかと思います。その点について現在の暫定予算という制度をどうするかという問題があるかと思います。そういった問題をもあわせて今度の法案を拝見いたしますと、財政審議会を根本的に御改組になるようでありますけれども、そういうところでやはり御検討になることもあるのじゃないかと思います。私は特別予備金制度自体がそれを解決する唯一の道じゃないかと考えております。
  31. 横山利秋

    ○横山委員 どうももうちょっとというところまでしかおっしゃらないので非常に残念ですが、次の質問に移ります。  現在債務負担行為として計上されておるものの中に、継続費として計上されておるものが非常に多いのですよ。たとえば、これはあまりまた政治的に考えてもらっても困るのだけれども、ローキードの国産化の費用が、債務負担行為として三十五印度に一括して計上されました。これなどは継続費として年度計画を付して計上さるべき筋合いのものではないか。債務負担行為としてやって、次年度になるほど予算の中に入るのではありますけれども、前の年にきまったのだからということの網をかぶせるということはいささかどんなものであろうか。継続として年度計画を付して堂々とそれの全貌が明らかになり、国会の審議を助ける、本来そういう性格のものではないか、こう思うのですが、いかがですか。
  32. 河野一之

    河野参考人 継続費とそれから国庫債務負担行為の限界というのは実はなかなかはっきりしない点がございます。財政法も初めは継続費というものがなくて、債務負担行為だけでもって運営できるのじゃないかということで、初めは継続費にしてなかったわけでございます。それがいろいろな、実情考えまして、たしか昭和二十六、七年ごろだと思いますが、改正で入れております。たとえばこれが国がみずから仕事をするという場合、直轄工事をやるという場合でありますると、これは支出権限がございませんから、継続費が要ると思います。ところがこれが民間の請負に出すとか、あるいは物資の調達ということになりますと、問題は契約でございまするから、前金とかなんとかいう問題はありまするけれども、そこで契約をするということになりますと、国が債務を負担するだけであって、必ずしも現金支出は要らないということになりますと、その面に関する限り国庫債務負担行為で足りるわけであります。ロッキードの例がどういうことか存じませんけれども、おそらく数年にわたって調達の契約をされたと思うのでありまして、後年度において支出する、現年度において支出する必要がないということになりまするならば、国庫債務負担行為で何ら差しつかえないのじゃないか。実情はよく存じませんが、私はお話をお聞きしました範囲ではそう考えておるのであります。
  33. 横山利秋

    ○横山委員 それは債務負担行為だからその年度支出の必要はないという点はあるかもしれません。それじゃその年度でなくても、次年度、次々年度にわたって債務負担行為として一たん国会に承認されたものは、なるほどあとでもう一回それは議論ができるけれども、一たん国会において債務負担行為として原則的にそのものは購入してもよろしいという決定があったものを、次のときからこれをくつがえすということはなかなか実際問題としてはできませんでしょう。そうだとすれば、そこで実質上きまっておったようなものです。それに具体的な計画も出さずに網をかぶせてしまうということはいささか私は穏当ではないのではないか。だからそういうものはよほど、長い期間にわたって国家財政に大きな影響を与えるものについては必ず具体的な計画を作り、そうして国会の審議を十分ならしめることが健全なやり方ではないか、こう考えるのです。あなたと私の多少の見解の相違は、一つには理論上の問題があるけれども、私は大事をとって、少なくとも国家予算の問題であればどちらを選ぶべきかという場合においてはより民主的な方法を選ぶべきではないか、こう考えるのです。
  34. 河野一之

    河野参考人 現在も国庫債務負担行為は予算の中の一部になっておりますので、何年度において幾ら幾ら、総額幾らの契約を、何年度にわたってというふうな規定がございまして、これは予算の款項に分けた金額ではございませんが、そういう形式によって議決を受けておるわけでありまするから、その点継続費の方がより審議に都合がいいというふうなことは私はないのじゃないかと思います。いかがでございましょうか。
  35. 横山利秋

    ○横山委員 債務負担行為というものは、原則的には期間は短いものというふうに理解した方が穏当ではないでしょうか。継続費というものは期間が長くて、しかも問題としては、相当具体的なもので起こるものといいますか、そういうふうに理解するのが穏当ではないでしょうか。私が例として申し上げたロッキードの国産化の費用というものは、相当膨大な予算でもあるし、長期間にわたるものであるし、慎重に取り扱うべきものでもあれば、これは単に債務負担行為としてやるべき筋合いものではないじゃないかという感じがしますが……。
  36. 河野一之

    河野参考人 現在継続費国庫債務負担行為も一応五年でしたか限られていると思っておりますが、継続費にするか、国庫債務負担行為にするかということは、結局あらかじめ国みずからの支出権限を得ておく方がいいか、あるいはそれは契約だけやれば当面は、現在の年度あるいは翌年度もそうでありますけれども済む、こういったような配慮から出ているものであって原則として継続費にする方が妥当であるというふうなことは現在の予算を作成し、処理する上においてはそういった絶対的な原則はないように今までのところ承知しております。
  37. 横山利秋

    ○横山委員 見解の相違のようでありますから、高橋さんお見えになりましたから、たくさんあるのですが、残念ですがもう一点だけお聞きしておきます。  予算の補正ですね、必要避けることのできない経費に不足を生じたときに補正予算を組むことにはなっている。しかし最近のように、経済情勢が非常に変化が強くて補正予算を組むということがもう常識になっている。政府でも、予算の弾力性々々々と言っておるのですが、それは政府が勝手に弾力性を持つということでは、財政法の持つ民主主義というものがうまくいかないのではないか。だから必ず予算補正をしなければならない。制限条項でいいからこれをつけるべきではないか。つまり経済情勢が非常に激動した場合においては補正予算提出しなければならないというふうに、少なくともこの場合においては補正予算は出さなければならないという制限列挙方式でもいいと思うのですが、それを政府に義務づけるべきではないか。それが財政法の最近における情勢ともにらみ合わせた一つの方途ではないか、こう考えるのですが、いかがですか。
  38. 河野一之

    河野参考人 最近補正予算が行なわれることは毎年の例のようになっていることは私も承知いたしております。しかしその原因としてはいろいろあると思いますが、たとえば当初の見積もりが十分でなかったということもありましょうし、その後におけるいろいろの事情の変更ということもございましょうが、そういう見積もりの適正をはかるということも補正予算を少なくする方法であります。と申しまして、経済情勢が変動した場合には、やはり補正予算も義務づけるといいましても、財政というものは一定の経費支出の必要があって、それが支出する必要があるかどうかということから出てくるものでありまして、必ず補正予算を出せというふうな、出す義務を負わせるというようなことは財政の乱費を招くということになって、やはりある程度補正予算提出の制限は必要なんじゃないかというふうに私は思います。
  39. 横山利秋

    ○横山委員 どうも遠慮が過ぎるような気がするのです。予算を組んだ情勢が変化をすれば、これは予算として再検討すべきことは常識なんでありますから、いかに国会が議決をしたところで、その情勢の変化がくれば予算修正、補正をするのは当然なことだ。しかしそれがどういう場合になされべきかという点については、判断はいろいろございますが、少なくとも抽象的であっても、経済情勢が非常に著しく変動した場合においては、政府補正予算を組まなければならないというふうにしておくということは——じゃ激変とは何だという議論があります。それはいろいろ判断の相違がありましょうが、財政法全体の精神からいいますならば、私は当然なことではないかと思う。くどく言いますけれども、それはもちろん制限列挙方式でいいのだ、そう思うのですよ。これは私の私見ですけれども、財政法全体の考えからいうならば、それは当然なことではなかろうかと思うのですが、どうですか。きょうのあなたの御意見はあんまり遠慮が過ぎるですね。
  40. 河野一之

    河野参考人 経済情勢が変化した場合には、補正予算を出すというのはちょっとそこに論理の飛躍があるのじゃないかと思うのです。経済情勢の変動によって、現在の予算に……(横山委員「著しく変動した場合」と呼ぶ)著しく変動をして、その結果現在の予算にいろいろな変更を加える、あるいは追加を加えるという必要が起こったということで補正予算の問題が起こるのであって、経済事情が変動したから、あるいは災害が起こったから必ず補正予算を出すのだという建前は、どうも金があれば予算を組んだらいいのじゃないかという考えにも通ずることにもなり、これはやはり財政処理のやり方としては適当でないので、全体の立場を見て、そうしてその必要があるかどうかをきめて補正予算を出す。従って補正予算提出についてある程度の制限というものを置くことは財政処理の上からいいますと当然の考え方のように私としては考えます。
  41. 金子一平

    ○金子委員 河野さんに一つお尋ねしたいと思います。先ほど四十四条の特別資金の問題についてお述べになりまして、資金には性格上いろいろな種類があるのだということでございましたが、実情問題として今日の財政運営上大きな財政法上の特例になっておるのが今の四十四条の資金だと思います。財政原則であるところの単年度主義あるいは総予算主義に対する大きな特例をいろいろな資金が占めておるので、むしろ四十四条をはっきり改正して、今度の補正で問題になったような疑いを避けるべきだという考え方もあろうと思います。今度二十九条の改正だけでこれを片づけられているのですが、そこら辺の御意見一つ承っておきたいと思います。
  42. 河野一之

    河野参考人 ちょっと時間を拝借いたしたいと思うのでありますが、現在の財政法の内容の問題なんでありますが、現在の財政法は、現在の憲法ができますときに、その付属としてできたのでありますが、その内容は三つぐらいあるのであります。一つは、現憲法の補完的な規定がございます。たとえば明治憲法時代もございましたような継続費規定だとか、予算が成立しなかったような、前年度予算施行というような規定がないものですから、それにかわるべきような暫定予算だとか、あるいは国庫債務負担行為というような憲法の補完的なものが一つございます。もう一つは、財政運営にあたって、従来も戦時中のいろいろな経験にかんがみまして、財政運営についての基本的な原則、たとえば赤字公債を発行しないとか、日銀に引き受けさせないとか、あるいは専売料金等について、あるいは国鉄の運賃——これは公社になりましたので多少事情は変わりましたけれども、これは国会の議決を要するというような規定。もう一つは、予算財政管理——財政管理と申しましても、主として予算管理の仕事のことでございますが、予算の形式、内容、編成、実行といったような問題についての規定が、これは先ほど申し上げましたように、会計法規定あるいは従来の実際上の政治上の制度としてやっておったもの、この三つがございます。  ここでお気づきのことは、いわゆる財政政策に関することは、財政法の内容となっていないということでございます。つまり財政というものはどうあるべきか、たとえば税金はどのくらいとったらいいとか、あるいは社会保障にどうであるとか、極端にいいますと、補正的な財政政策でございますね。景気の調整というものについて財政はどうあるべきか、その場合をどうするかというような、そういう政策的なことは財政法には一切触れておりません。つまり財政法というものは制度の入れものであって、政策自体をきめるものではないということでございます。この点をまず一つの前提に御了承願いまして——ところがその財政政策というものはそれ自体、そのときどきによって非常に変わるものであり、経済事情政治事情の変遷はなはだしいものでありますから、そのときどきによって、これは高度の政治判断によってきめるべきものであります。ただそこで、最近いわゆる補正的財政政策ということを言われるのでありますが、そういうもののための入れものといいますか、制度でございますし、そういうことを阻害しないような入れものを作れという議論は私はあると思うのでございます。それがはしなくもこういう問題に起こってきた。いろいろ議論せられますけれども、その点の一つ考え方だと私は思うのです。それで金子さんのおっしゃった点も、この現在の資金制度というものが、従来旧会計法時代において考えてきたものとだいぶ様子が変わってきたという点をおっしゃっているのだと思います。その点は同感でありまして、こういう点がやはり改組せられるべき財政制度審議会一般の知識経験者から御意見を聞いてきめることじゃないか、私はそう思います。御答弁になりますかどうか知りませんが……。
  43. 藤井勝志

    藤井委員 河野さんに一つのお伺いしたいと思います。私から申し上げるまでもなく、財政というものは国の運営に直結しておるわけであります。従いまして、その法のあり方というものは、ただ単に学問的な理論で割り切るということのみならず、やはり国政運営の実態に即して考えなければならぬ、そういうところから考えると、河野さんはかつて主計局長あるいは大蔵次官、そういうことをやられながら、またかたわら財政学という著述もなされておる。まことに適役がここに現われたと思うのでありまして、私は一つそういう期待を持って御質問をしたいと思います。  第一点は、先ほど金子さんからもお話が出ておったことに関連いたしますが、財政法が制定されてすでに十数年の歳月を経ております。その後、日本の経済実情というものは予想外の大きな伸びといいますか、変化をたどって今日にきておる。このような経済の変化の実情に即して、このたび二十九条の改正ということが行なわれるわけでございますけれども、このような部分的な改正のみならず、やはり抜本的に財政法そのものの検討が必要ではないかというふうに思うのでありますが、これについて河野さんの御意見一つ承りたいと思います。
  44. 河野一之

    河野参考人 財政法制定以来すでに十五年たっておりまして、いろいろな点において問題が起こっておりますことは御承知の通りでございます。今まで数回技術的な改正を主として行なわれておるようでありますが、先ほど申し上げましたように、現在の財政法というものが三つ規定の内容を持っておる。一つ憲法の補完的な規定がある。それから財政運営の基本的な原則を掲げておる。それから財政管理に関する規定を置いている。こういうことでございますが、まず第一の問題と第二の問題については、大きな改正の問題があるかどうか。しかし、いろいろ先ほど横山さんも御指摘になったように、実際上予算の空白を生じたということがあるので、現在の暫定予算制度では足りないので、特別予備金を設けろという御意見がある。これも一つの御意見であろうと思います。それから健全財政原則というものをとっておる。これには二つ議論がございますが、つまり日銀の公債引き受けを原則的に——現在は国会の議決を経た範囲内においてというふうに、たしか財政法でなっておると思いますが、実行はされてないわけであります。先般の金融制度調査会の日銀法改正のときにも、一切これを禁止したらという御意見が出ておることも、私拝承いたしております。そういった問題がございますが、そのほかいわゆる財政料金といいますか、財政法三条の問題といたしましては、先ほど申し上げましたように国鉄、電電というものが公社になりましたので、形式的には国の事業でございません。現在は専売もそうでありますし、適用の範囲というものは郵便料金だけになっておるわけであります。そのほかに、現在米は全部政府の管理で、ヤミはないという建前でありますと、事実上政府の専売ということになりますけれども、これは御承知のように国会で議決してきめるという制度になっておりません。これは財政法第三条の特例というものができておりまして、現在のような制度になっておるわけでありますけれども、こういったものを、そういった財政法三条をそのまま適用するのが適当であるかどうかという議論があるることを私は聞いております。しかし、一番問題な点は、財政ことに予算管理についてのいろいろな問題点がございまして、たとえて申しますと、前年度剰余金の問題、それから処理の問題でありますとか、あるいは先ほど金子さん御指摘の資金の問題でありますとか、これは財政法に直接規定してあるわけじゃございませんけれども、政府関係機関予算の問題がございます。現在開発銀行とか輸出入銀行とかいうような銀行及び公庫についてだけ予算国会に出しておるわけであります。そのほかに国鉄、電電とか専売というような公社も出ておりますが、公団であるとか事業団というものは国会に出しておらないわけであります。その辺の関係をどういうふうに考えるかというような問題もございます。この辺の問題はいろいろ運営実情考えてやりませんと、なかなかそう急には結論が出ないことではないかと思います。
  45. 藤井勝志

    藤井委員 今度の改正の起こりは御承知のごとく昭和三十五年度一般会計予算補正第二条による産投会計繰り入れに関してからでありますが、私はこれは第二十九条の違反ではないという立場をとるものでありますけれども、わかりやすく誤解のないように改正したいという考えを持っておるわけであります。ただ問題は、財政政策上過去の昭和三十一年のとき、今度の昭和三十五年のとき、それから後そういったことをやったことが経済の過熱を起こしたという実績がある。従って、そういったことに対して、こういったことは不適当だという財政政策上の意見があることを私は承知しておりますが、これに対して河野さんはどのようなお考えを持っておりますか。
  46. 河野一之

    河野参考人 藤井さんのおっしゃる意味は、昭和三十一年の補正予算であって、三十二年に使うことにしたところが、金融引き締めでたしか繰り延べたという点をおっしゃった。三十五年のときもたしかそうだったと思います。この点は、なるほど繰り入れなくてもよかったのではないか、少なくとも繰り延べになった分だけはその年度に使わない結果になったじゃないかという点からしますと、これは見通しを誤まったということはけしからぬじゃないかというおしかりの問題はあろうと思いますけれども、財政政策の上からいって、そういうことをやることがいけないということには私はならないと思います。そういう資金をかりに昭和三十六年度に使わないでも、それを繰り越して後年度において使えるわけでありますから、三百五十億を繰り入れたことがむだである、いけなかったということには私はならぬと思います。財政政策上の問題としても、政府がそういうふうなやり方をやられたということは、私は決して不当であったということはできないと思います。
  47. 藤井勝志

    藤井委員 これにちょっと関連してもう一つお伺いしますが、景気調整資金、これは話が出ましたかどうか、これを繰り入れるとか、もう少し財政の弾力的運営をはかるような措置、こういう説が出ておるのです。これに対して、河野さん現在は銀行屋さんになっていらしゃいますが、両方の経験をなにされまして、どのような実感を現在持っておられるか、一つ御感想をお聞かせ願いたいと思います。
  48. 河野一之

    河野参考人 昭和三十七年度予算の編成にあたりまして景気調整資金を設けろというのが、民間の方には相当強かったのであります。少なくともたな上げをしろという要請があった。私その気持はわからないことでもないので、むしろ予約繰り延べといいますか、そういった方式がとられることは一つ考え方であろうと思うのであります。しかし景気調整資金として銘を打ってそういう資金を設けるということは財政議論の問題で、実情の問題としてどうであろうかというふうに思います。つまり景気調整のためにあるときは金をためておいてたな上げしておく、それから景気が悪くなれば公債でも発行して大いに得業をやるというのですが、財政財政本来の目的があるので、景気調整のためには景気調整に資するようにやるということは必要でありますが、景気調整のためにあるのではないということの前提が一つあると思います。従って、景気が悪いから道路をうんとやるんだ、あるいは住宅をやるんだという考え方が成り立たないと同時に、災害があるけれども、景気がよ過ぎるから災害復旧はやらないのだという議論にはならないと思う。そこに従って財政の理論としては、どうしても景気調整というような行き方を考える場合においての限界があると思うのです。  それからもう一つは、実際問題として、現在は均衡財政でございます。外国のように公債を相当発行しておりまして、経常収入で黒が出たら公債を償還する、そして足りない場合においては資本支出について公債を発行するという制度をとっている国とは多少違った点がございますけれども、均衡財政である、そういうところにおいて、一方国民の負担も相当商い現状におきまして、金を別除するということが、なかなか政治的な問題、かつまた一方においては、経済の安定成長、社会資本、社会保障、その他文教の振興等、いろいろな潜在的の経費の需要が非常に強い日本の政情下としますと、これは実際問題としてなかなか実行ができないのじゃないかというふうに思うのであります。理論としては非常にわかるのでありますが、私外国の制度をあまりよくは存じませんのでございますが、外国でも景気調整としてこれを銘打った制度を持っておるところはないように存じます。何かスエーデンでそういったものがあるという話を聞きましたので、ちょっと聞いたことがあるのですが、それはやはり経常収入で黒があったならば、それでもって公債を償還するという事実上の制度であって、資金というものじゃないというふうに私は聞いておるのでございます。
  49. 藤井勝志

    藤井委員 もう最後の一点であります。これは制度の問題よりも運営の問題だと思いますけれども、財政法の第十八条に関連するいわゆる予算の査定と申しますか、実際毎年一、二回あるわけですが、これは大へんな作業で、一次査定、二次査定、こういうことで、いろいろ関係者が苦労するわけです。率直に申しますと、現在政党政治というものになって自民党の公約した政策を実行する。この実行するための唯一のとりでは予算でございましょうが、その予算の編成が、実際上はいわゆる大蔵省の主計局、主計官、そこら辺ですべて積み上げられて、ほんとうにいろいろな政策的なものは、後に二次査定、三次査定、復活要求、こういったことで、野党を含めれば四百数十名の国会議員が主計官に引きずり回されるというような、これは見方がえらい雑な見方で、まことに恐縮でございますけれども、そういったことでない、すっきりした予算の編成の仕方というものが、あなたの体験を通じていい分別はないものだろうか、これまた一つ御感想をお聞かせ願いたいと思います。
  50. 河野一之

    河野参考人 予算の編成の合理化ということをおっしゃっているのだろうと思います。この問題は昔からある問題でございまして、いろいろ指摘される点は、私最近の事情をよく存じないので、新聞その他で皆さんから話を聞く程度で、事実に当たっておりませんのでわかりませんが、一つは圧力団体と申しますか、陳情と申しますか、そういうことの問題があるのじゃないかと思います。それからもう一つは各省と大蔵省との間におけるかけ引きの問題がやはり一つの大きな問題としてあるのじゃないだろうか。それからもう一つは、藤井さんも御指摘になりましたように、政党の方において予算の編成についてタッチされる範囲の問題、この三つくらいが今まで言われていることではないかと思いますけれども、最初の圧力団体とか陳情団体とかいう問題は、これは昔からあったのでございまして、最近特にひどい様子がありますけれども、これは人の口に戸は立てられぬということで、これをとめることは実際上はむずかしいと思っております。私も、役人の方をやめまして、学校のPTAの役員をしまして、大蔵省に陳情に行かされたこともございますが、これは陳情をするから入るのか、あるいはやらぬでも入るのか、その辺のところのかね合い——やっている当局としてはそういうふうに考えたことはおそらくないと思うのでありますけれども、実情は皆さんがやると、やらざるを得ないような格好になっているのではないかと思います。新聞でいろいろと報道されますと、関係のところでは、あっちでもやったからこっちでもやらなければならぬということで、次から次に波が及んでいる。御承知のように日本の予算というものはガラス張りの中で編成されますので、なかなか関係の方はいたたまれない気持になることはもっともだと思いますけれども、これについてはやはり皆さんに自粛していただくという平凡なこと以外にないと思います。それからまた陳情のために入ったのだということでなく、厳然とやっていただきたいと思っております。  それから大蔵省のかけ引きの問題でありますが、これは人の性を善と見るか悪と見るかという人生哲学の問題になるのでありまして、これはどこから話を聞いてくるのか、よく大蔵原案が新聞なんかに出ておりますと、大蔵原案が非常に後退してどうのこうのと言われるのでありますけれども、人間のことでありまして、多少のかけ引きのやり方の問題、かけ引きの幅の問題というふうに私は思います。組合交渉でもずいぶんかけ引きがあるのでございますから、人間の交渉ということはある程度仕方がないと思います。ただその範囲を狭める方法としましては、あまり小さな経費は一応削っておいて、相手の出方を見てやる——これは私もやったことでございまして、はなはだ恐縮なんでありますけれども、やはりそういう点はかつては標準予算という制度が相当活用されて、前広に予算事項をきめてやっておりましたので、その点割合に幅が狭く、新規のものとして交渉する幅が限られておったと思うのでありますが、最近は非常にボリュームが多くなり、事項も多くなったことが一つ。従って、標準予算といったような制度をできるだけ前広に活用するといったこと、それからまた無用な、無益な、初めからわかっておるようなかけ引きをしない、これは両方が自粛しなければいかぬと思っております。  それから政党でいろいろなされることでありますけれども、これはあまりこまかいものまで御指示になりますと、なかなか行政府と立法府との関係もございますし、財政当局としても、いろいろ迷惑するわけでありまして、やはり財政の根本に関するようなことをやっていただくということが必要ではないかと思います。また私従来ずっとお話を聞いておりますと、最近非常に改善をされておるように拝聴いたしておりますので、予算制度の合理化の前途について決して悲観的な見方を持っておりません。  それからいろいろ言われますけれども、でき上がったものを見ますと、そのために非常に大きな予算が曲げられているというふうには思っておりません。むしろプロセスの問題としてこの問題が議論されておりますし、またそのこと自体も、国民に与える影響というものもいろいろございましょうから、十分自粛しなければならぬと思いますけれども、要は、皆さんで自粛していただくことで、私ども幾ら批評して見ましても、やっていただかなければ何にもならぬと思います。これは政府当局に御希望申し上げる次第であります。
  51. 足立篤郎

    ○足立委員 ちょっと一つだけ関連して。今藤井君の質問に対しまして、例の景気調整資金について、河町さんからお答えになったのですが、河野さんのお答えは、財政には財政として本来の目的があるという観点から、景気調整資金を組むというようなことについては、消極的な御意見のように承りました。私もその考え方については全面的に賛成ですけれども、この際もう一歩突っ込んで、河野さんの御意見をちょっと伺っておきたいと思うことは、たとえば年度半ば、あるいは年度末で自然増収が見込まれて、この処置について、財政法規定通りにやらずに翌年の資金に回す、あるいはこれが景気調整の目的であっても、あるいはある特殊なファンドを作る、たとえば産業投資特別会計に繰り込むというようなことを今までやって参っておりますが、これは私は国民の立場からいっても是認されると思うのであります。しかし年度当初から予算に景気調整資金を組むということ、それがはっきりとした当てのないもの、将来万一困ったならば使うのだという、いわば備荒貯蓄のようなものを初めから組むということになりますと、今お話のあったような財政本来の立場からいっても問題があると思うと同時に、ちょっと思い過ごしと言われるかもしれませんが、もう一歩突っ込んで申し上げれば、予算というものは民主政治のもとにおいて国民から税金をとるのですから、いかに国家的な国民全体のためになる目的があるといっても、いつ使うか当てのないものを税金を過重にとっておくということに、結果としてなると思う。この景気調整資金予算に組まなければそれだけ税金をまけることができたという理屈にもなる。そこで、こうした税金のとり方というものは実は財政法以前の問題じゃないだろうか。政治倫理といいますか、政治道義の問題じゃないだろうかというふうな感じさえもするわけなんですけれども、こういうものの見方といいますか考え方、感じ方は思い過ごしと言われるか、どういうものでしょう。どういう御見解ですか、ちょっと承っておきたい。
  52. 河野一之

    河野参考人 私が申し上げましたのは、景気調整ということをはっきりうたってそのために特別の資金を置くということはどうであろうかということを申し上げたのでございまして、財政国民経済における地位から考えまして、財政の内容において景気調整という目的を入れて運営をするということは必要なことだと思います。それをどういうふうなやり方によってやりますか、いろいろ考え方があって、今年度のように前年度剰余金に相当するものを実際上たな上げしておくことも一つの行き方で、合理的な行き方であり、また産投のような考え方もございます。ただ税金をとり過ぎておるかどうかということは考え方の問題だと思うのでありまして、現在の予算の上では、予算に税収があるからそれだけとるという建前でなしに、税法の建前として税法を適正に執行した結果生まれてくる、そしてそれで予算よりふえているというのが実情であろうと思います。そのことがつまり経済政府の見通した以上に大きく成長し発展したということであるからして、それが税金のとり過ぎであるというふうに言うことは、私はむしろそういう感じを持っておらないのでありまして、その金というものを、こういうものがあるから将来においてそれを目当てにあるいは減税するあるいは歳出にするといったような問題としてそれを考える。ことに先ほどもちょっと申し上げたのでありますけれども、ここ数年来千億円以上の前年度剰余金が出ておりますのでまあ勢いそういうものになるのでありますけれども、やはりそういった金は経常的な支出に使うべきものじゃないので、臨時的な支出に使うというのが財政処理の建前としては筋だと私は思うのであります。いきなりとり過ぎだといって税金をまけろということは、私はちょっと感じとしては出てこないと思います。
  53. 足立篤郎

    ○足立委員 どうも話が食い違っておる。私が最初申し上げたのは、経済の伸長によって非常に増収になった、これは年度末にいって税法を変えて税をまけるというわけにもいきませんので、この金を将来のために備えるということは許されると思う。しかし、年度初めから計画的に景気調整資金というものを作ってたな上げをするという考え方は、とりもなおさず国民の立場から見れば税をそれだけ余分にとられることじゃないか。これは明らかです。そういう税のとり方は政治倫理の立場からいって許されるかどうか。民主政治のもとにおいては、財政計画というものに対しては、政治家も財政に当たる役人ももっと国民の立場に立って真剣に考え、厳密に考えなければならぬのじゃないかという立場からすると、これは財政法以前の問題である、政治道義の問題だというふうに感じましたので、それに対してのあなたの御意見を伺ったのです。
  54. 河野一之

    河野参考人 私もその通りだと思います。ことに景気調整というような姿で税金をたな上げする——金というか、どういう姿になるか、必ずしも資金を設けなくてもいい、歳入歳出アンバランスの歳入の多い予算を作るということも一つの行き方でありますけれども、これは現在の政治上においてはなかなか実行は困難であります。しかし外国においてはアンバランスの場合に歳入の黒字を公債償還に充てているというふうな制度にしているところはありますけれども、現在の日本のような均衡財政でありますと、足立さんのおっしゃるようなことがそのまま該当すると思います。
  55. 小川平二

    小川委員長 ただいま九州大学教授高橋正雄君が参考人として出席されました。  高橋参考人には御多用中のところ御出席をいただきありがとうございます。  この際、町橋参考人から御意見を述べていただきましてから質疑を続けることといたします。では高橋参考人にお願いいたします。
  56. 高橋正雄

    ○高橋参考人 二、三日前大学で卒業式が終わりまして、学生諸君にはもう諸君は試験をされることはなくなったと申してきたのですが、きょうは私が学生みたいに皆さんからお尋ねを受けることとなって大へん光栄に存じます。  予防線を張っておきますけれども、私は国会審議のことは何にも存じません。それから財政制度審議会のことも承っておりません。今日問題になっておりますことについてふだん考えておりますことを申し上げます。先ほどから河野さんと皆さんとのお話を承っておりまして、何か最初に十分くらい述べろというお話でありますから、ちょうどいいので、今伺ったことに関連して私の考え方を述べさせていただきます。  こういうことであります。昔私たちが学生時代に習って、最近まで学生に教えております経済学、財政学はこういうふうになっていたわけであります。ある国の経済全体のことを国民経済と呼ぶといたしますと、国民経済の中に政府財政経済民間経済があるというふうに分けまして、それでは政府経済財政、広い意味での財政の方の経済民間経済とはどういう関係にあるか、そういう問題であります。それについて、民間経済の方は天然現象みたいに自分で自分の問題を解決していくのだ。それでその国全体の経済なり国民全体の生活がうまく行なわれるにきまっているのだ。従って、政府経済財政の方はなるたけ何もしない方がいいのだ。国防とか警察とか、せいぜい義務教育、最低限度の衛生とかいうことくらいをやった方がいいのだ。御承知のように、そういう国家のことを、自由主義経済はなやかなりしころは野経国家、野蛮な経理をしている野経国家ということを言いまして、安いほどいいのだ。これは国民の一人々々からいいますと、どうしても税金をとられる関係になりますから、その点だけを考えれば税金は安い方がいい、政府は小さい方がいい、そういう考え方が強かったのだと思います。そういうことが今日に至りましても経済学者の中に、私たちもまだそういう古い考え方から完全には抜け切っていないのですけれども、財政というと何だか国民経済全体のうちでは居そうろうみたいな、大した意味のないものだというふうな考え方がまだまだあると思うのであります。しかし日本でいいますと、満州事変前後の恐慌、世界的には一九二九年、三三年ごろの大恐慌からこっち、経済学では御承知のようにケインズという人の名と結びついて言われるような考え方でありまして、どういうことかと申しますと、自由主義経済だけでは、民間経済だけでは恐慌とか不景気とか失業とか、ことに日本のようなあるいはイタリアなんかもそうでありますけれども、相当過剰人口のあるところでは国民のかなりの部分に対してまともな生活を保障できない。すなわち完全雇用と社会保障、それから中小企業、零細企業なんかのあり方に対しては、自由経済をもとにする民間経済だけではだめだということが、大よそ考え方の上でも、実際政策の上でも認められてきたのだと思うのであります。そういう状態でありますと、それでは国の方では財政の方ではどうしたらいいかということになりますと、そういう事情の必然的な結果といたしまして、完全雇用とか、社会保障とか、中小企業とか、これは国内においても低開発地域などについては国家、政府が当然責任を負うべきだという考え方が起こっているのだと思います。  そういう点で、こういうことを申し上げたいと思うのでありますが、アメリカの経済学者で、アメリカ政府委員や役もやり、それから戦争後はドイツの占領政策にも関係した一考でありますが、その人がこういう本を書いております。それは国家資本土義という言葉であります。その人は国家資本主義という言葉一つに分けまして、一つは形式上の国家資本主義、一つ実質上の国家資本王義というのであります。形式上の国家資本主義とは何だといいますと、民間経済にまかせておいたのでは経済の問題、国民の問題が解決つかない。そこでどうしても国家が出てこなければいかぬのでありますけれども、形式上というのは財政の問題、国家の支出の問題、これはきょう問題になると思いますけれども、財政投融資などという金の問題が出てこない点で、政府民間経済、資本主義経済に対して関与または干渉することによって問題を解決しよう。たとえばある廃業を保護したいというような場合には、保護関税政策をしいてある産業を保護する、あるいは労働基準があまりに劣悪であれば労働基準法などをしいてやろう、そういうような形で形式上法律や法令などで資本主義経済の悪い点を直そうというのが形式上の国家資本主義。実質上の国家資本主義というのは申し上げるまでもなく、補助金その他価格、いろいろな形で政府財政投融資をすることによってその国の経済全体を円満にいかせよう、そういう考え方であります。その学者は、日本の翻訳についての序文でも言っておるのでありますが、日本には、アメリカという国は自由経済だ、自由企業性をもとにしている経済だという伝説が伝わっているらしいけれども、そんなことはない。アメリカでは財界でも農民関係でも労働者階級でも全部が国家の力を形式的にも財政的にも利用してお互いに均衡を保ちながら損をしないでやっていくのだ、そういうようなことを言っておりまして、日本もその目で見ればそうなっているのではないか。自由な資本主義というのはないので、形式上の国家資本主義か、実質上の国家資本主義かでない国は今日はないのだということを言っております。  では、そういうことを考えますと、今日の世界なり、あるいは各国の状態では財政というものが民間経済の従たる役割しか演じないということはかなり考え直さなければいけないのではないか、そういうふうに考えるわけでありまして、そこでこういうことになるわけですね。景気変動というのが三年間——日本はもっと短くなって三年か五年くらいで景気の上昇があり下降があるわけであります。そういう場合に、だれでも困りますけれども、下降の場合、不況の場合困りますのは、どうしても中小企業、零細企業あるいはそういうところで働いている労働者、あるいは農民でもすその方の人が困るわけであります。そこでもしその国家が民主主義国家であって、社会保障、完全雇用、零細企業などの保護ということに責任を負っている国であるならば、私は日本もまたそういう国であるべきだと思うのでありますが、そうしますと、どうしても財政の方は一年こっきりの考え方というのはおかしいのでありまして、もし景気変動が五カ年くらい継続するなら五カ年間全体を通じた財政計画財政政策というものがあるべきだ、そういうふうになると思うのであります。  ただそこでこういう問題が起こってくるわけであります。それは民主主義という問題であります。民間経済については一つ一つの資本主義的な企業の中でありますなら、その企業内部の労働者側、経営者側との産業民主的な協商なり、闘争といってもいいのでありますが、そういうことで解決していくことになります。それから今申しましたような大きな意味を持つようになってきております財政については、これは中央政府財政については国会の方々が政府を監督しながら、あるいは政府と交渉しながら先ほど申し上げたようなことをやるべきであり、地方政府については、地方の議会と地方の政府の問題になりますけれども、そこで民主主義ということからいいますと、つまり国民が出す金を政府がどう使うか、あるいは国民のために使う金を政府がどう使うかという点で国会による政府の監督なり、政府国会との関係がどうかということにかかるのだと思うのであります。  今回の財政法二十九条の改正というのは、そういう意味では前向きの改正だと言えるわけでありまして、われわれの間ではせんだってまでは、議会の一方の側は従来のようなことをやっていても財政法には反しないのじゃないかということを言っていたようですけれども、それではどうも財政法の建前上おかしいじゃないか。しかしわれわれといたしましては、法律上の解釈がどうあろうとも、実質的にいい方に直せるなら早くそういう方向にいった方がいいのじゃないかという議論をしているのでありますけれども、今度そういうふうな改正が行なわれることになったわけであります。ただ、あくまでも申し上げなければいけないことは、基本的に大局的にはそういう意味を持っております改正であっても、先ほどあとの方で河野さんと皆さんの間に非常に御質疑があったようでありますが、その使い方その他が国民経済全体、日本全体のためから見て思わしくない、圧力が強い方だけにいってしまうんだということになりますと、先ほどから申し上げております、私の考えているところとは非常に違うことになるのだと思います。  では、一応そのくらいにしておきますが、よろしゅうございますか。
  57. 小川平二

    小川委員長 質疑の通告がありますのでこれを許します。横山利秋君。
  58. 横山利秋

    ○横山委員 先ほどから河野参考人に質問しておることをお聞きになったと思うのでありますが、まず原則的なことからお伺いします。  この国会に提案されております財政法一つの問題だけなのですけれども、別途また政府政府部内で財政法の検討を始めていることはお聞き及びだと思います。そこで、その財政法を検討するにあたってどういうものの考え方でやるべきかということであります。私どもはこの現在の財政法が、財政民主主義の拠点になっておると思うのであります。なるほど経済の推移がありまして——まあ一部の方々から財政法の中に経済の推移に伴って弾力性を持たせなければいけないという意見があることは事実であります。弾力性を持たせるという意見が、実は政府にもっと権限を与えるべきだというふうな意見であります。そうなりますと、現在の財政法がよって立っております財政民主主義の基盤がくずれることをおそれるのであります。財政法検討にあたってどういうふうな観点でなされるべきかという点をまずお伺いをいたしたいと思います。
  59. 高橋正雄

    ○高橋参考人 ただいまの点は非常に重大な点でありまして、もし今度の財政法改正が、政府の権限を一方的に拡大するのだということになれば、お話のように民主主義の原則に反するわけであります。私はその辺は非常にこまかいことはわかりませんけれども、どこの国でもやっております権限を与えておくということと、その権限をそのつど使うにあたって国会の方の、たとえばこういう委員会の方のさらに小委員会というのですか、そういうものを作っておいて、そのつど相談にあずかるということは不可能ではないのではないか。それからさらに使ったあとで、ただ報告ということだけでなしに、使ったものはどうにもならぬじゃないかということとは別に、政治的な責任その他のことをその前後について国民全体に対してはっきりした報告なり説明なりをする。要するに国会の皆さんが政府当局をどこまで監視、コントロールできるかという問題でありまして、その点はいろいろ方法が考えられるのではないかと考えます。
  60. 横山利秋

    ○横山委員 私はむしろ財政民主主義をさらに徹底をいたしますために二、三の意見を持っておるわけであります。たとえば、公債発行は現在国会の議決を要することになっております。ところが、公債の借りかえは政府が勝手になることになっておるのであります。これは非常におかしいと思うのであります。公債の借りかえでも、考え方によっては、実質上は新規発行と同じなのでありますから、これは当然国会の決議を要することになるべきではないか、これが第一であります。  第二番目には、現在の予算の中で、一般会計予算だけで議論ができなくなって、八千億になんなんとする財政投融資の問題がある。これは最近になって初めて国会でいろいろ財政投融資議論がなされるようになりましたが、これほど経済に大きな影響をもたらす財政投融資国会の議決事項ではないというのはいかがなものであろうか、これは議決事項にすべきではないか、こういうことを考えるのでありますが、まずその二点からお伺いします。
  61. 高橋正雄

    ○高橋参考人 最初の公債の借りかえは、経済上の通念においても経済学上のあれにおいても、つまり一度返してまた借りるということをただ便宜上一緒にやるだけの話でありますから、もし公債を新たに募集するときに国会の議決が必要なら、借りかえる場合にも当然必要で、そういう点は一つ一つ直していくべきではないか、そういうのは最初申し上げた私の言い方の中に含まれると思います。  それから、あとの財政投融資については、私も非常に詳しい財政投融資報書が政府から国会の皆さんのところに出ているのだろうと考えておりまして、当然それは国民に対して説明さるべきだからというふうなことを言っていたのでありますが、調べてみましたら、そうはなっていないということを最近聞きまして非常にあわてまして、これは政府側が悪いというよりも、今までそのままにしておいた皆さん方の責任じゃないか。  ついでに申し上げますけれども、昨年イタリアに行きまして少し勉強しておりましたら、こういうことがあるのです。これはムソリーニがやったことですが、その後戦後になって共産党、社会党の政府になってもやめないでやっていることであります。何だといいますと、日本の例をもって申し上げるとわかりやすいですからそういたしますと、戦後日本に復興金融金庫というのができました。あれと全く同じことをムソリーニが一九三〇年、先ほど申しました大恐慌のときにやったのであります。イタリアの銀行は日本よりももっともっと悪いといいますか、日本はあまり悪くないかもしれませんが、つまり普通の商業銀行であるくせに長期信用、投資信用を盛んにやっていたのです。それで大恐慌のときにイタリアの有数な大銀行がみな破綻を来たしまして、イタリアの経済全体が大へんなことになりそうだったのであります。そこでムソリーニがちょうど日本の復興金融金庫にあたります全額国庫負担の産業復興公社、名前も日本と同じであります。産業復興公社というのを作りまして、そこで銀行を全部接収し、銀行が持っていた会社の株をどんどん取り上げまして、今日ではイタリアの重要産業重要企業のうちのかなりのものの株をその産業復興金融金庫にあたるものが持っておるわけです。そういう形での国家の管理下にある企業です。その企業を統帥する省が一つありまして、その省は当然国会に対して責任を負っておるわけです。ですから、私はイタリアのことを見てきましてから、日本でも復興金融金庫のときからそうやったらよかったけれども、まだおそ過ぎはしないから、これから財政投融資で金を出す場合には、金だけ出すというようなことにしないで、株式をとることによって政府がその企業について国民に対する責任を負い、国会がその政府を監督することによって、日本経済全体の円満な発展ができるんじゃないか、そういうふうに考えますので、財政投融資のただいまのお話については全く賛成であります。
  62. 横山利秋

    ○横山委員 今度は、政府のなすべき予算編成の過程で二つの問題について御意見を伺いたいと思います。  毎年九月ごろ予算編成方針が出ます。この予算編成基本方針というものは一体何を意味するのか、実は抽象的なものですから、国民もそれに対して大きなものを感じない。与党の皆さんも、それによってそう束縛を感じない、こういうことになっておるわけです。私は、政党政治のあり方として、先ほど御質問もありましたが、公約を盛るという意味においては政府が一番最初に出す資料としての予算編成基本方針については、基本的な数字を盛るくらいにして、みずからの立場を明確にすべきである。それによってこそ、先ほど出ましたようないろいろな圧力というようなものがきぜんとして避けられるのではないか。与党七国会へ来たらものを言わないというような感覚がなくなるのではないか、こういうことが私の感想の一つであります。  それからもう一つは、予算の中に含まれる単価の問題、今、おそらく国会議員のだれも、また極端に言うなら大蔵省の主計官ですら、その単価で工事が、あるいはいろいろなことが実行されるとは思っていないのであります。たしか三十三、四年ごろのままの単価が使用されておるのであります。こういうことがあるからこそ税外負担というものが国民に非常な影響をもたらしておるのであります。その予算単価というものが財政法上に占める地位というものはないのでありますが、実際問題としては、それが非常に予算を無意味なものにしておると思うのでありますが、この点について御感想を伺いたい。
  63. 高橋正雄

    ○高橋参考人 初めの方の予算編成については、私は占領後、しばらく占領軍の中で経済専門家という形で勤めたことがあるのですけれども、私のいたところとは直接は関係ないのですけれども、占領軍では、御承知のようにアメリカでは大統領直属の予算局があるわけであります。日本でも主計局というのですか、そういうのを総理大臣直轄かあるいは何だか、そういうことを考えたようでありますが、どうも占領軍の力をもってしても、そういう行政機構の改革はできないものかなと思うほど制度的には今日まで変わっていないわけですけれども、しかし、制度を変えることがすぐにはできないといたしますれば、先ほどから河野さんのときでもお話が出ましたように、皆さんというのですか、われわれですか、国民の良識で直すということで努力しなければいけないと思いますけれども、それと同時に、政府あるいは与党というのは、日本の国政を担当する責任上、政権をおとりになるときにどういうことをするかということを、おおよそはきめていらっしゃるはずでありますから、その年度々々についてはこういうことをやるんだということも、これまたきまっておるはずでありますから、できるだけ早く根本的な点については、はっきり国民に打ち出して、国民に批判検討をさせるようにしなければいけない。その点についてはあなたのおっしゃる通りであります。  それから二番目の問題につきましては、大蔵省の方が予算できめた単価ではできないだろうということを御存じだということもほんとうでありますけれども、同時に、大きい会社が百で請け負ったものを、地方の次の会社へ八十で請け負わせ、その次は六十で請け負わせ、その次は四十で請け負わせるというようなことをやりまして、はなはだその点行き過ぎがあるわけであります。私は、この点に対する対策といたしましては、最近物価政策がやかましくなってきましたので、その意味では大体いい傾向だと思うのでありますけれども、政府が注文する事業についての単価というのは、全国的に数えたって、今日の計算機械をもってすれば、ちっともむずかしいことではないのでありまして、そういう単価などを、地方なら地方で、幾らかは格差を認める必要があれば認めてもいいと思うのでありますが、単価について国民に対して公表する制度、こういう事業をするについてはこれこれの、労働者なら一人幾ら、あれなら幾らということを発表する制度を、皆さんの方で、国会の方からお考えになったらよろしいのではないかと思います。  参考までにちょっとだけつけ加えて申し上げますと、先ほど河野さんからスエーデンの話がいろいろ出ました。スエーデンではこういうことになっているのです。個人の人格に関する秘密というのは、思想とか恋愛は入っていますけれども、自分の財産がどのくらいあるか、自分の所得が幾らあるかということは個人の秘密には属しない。ですから、スエーデンでは、役場へ行きますと、選挙権の所有者の名前がありますように、高橋正雄はどのくらいの財産があってどのくらいの所得があるということが帳面に書いてありまして、国民が全部それを見られるようになっているのだそうであります。もう一つついでながら申し上げますと、はっきりどういう調査でやっているのかまだ調べてないのですけれども、スエーデンでは、国民全体の中で一番いい生活をしている人の月の消費額が三といたしますと、一番悪い国民の生活が一であります。それからイスラエルは、最近聞いたばかりですけれども、大使館に行かれればわかりますが、ごく最近まで、一番上の官僚の諸君が三とすれば、一番下の人が一であります。  こういうように、国民の所得や財産の区分がだんだん減って参りますと、財産のことを特に秘密扱いをする必要がないのではないか。日本の一般的感情からいって、なかなかそこまではいかないと思いますけれども、世界的には、財産や所得のことは個人の秘密にはなっていないのだということを考えますと、まして政府の事業をやっているような企業の会計なり単価というようなことについて秘密扱いをするのはおかしいじゃないか、皆さんの方でそういう方面にだんだんお考えを向けられたらいいのじゃないかと思います。
  64. 横山利秋

    ○横山委員 あとの方の御質問もありましょうから、私まとめて三つばかりお伺いをいたしたいと思います。  一つは、財政法上の予備の問題でございます。先ほども河野さんにお伺いをしたのですけれども、四月一日以降予算が空白になりますことが今までありました。これがいいとか悪いとかいうことでなくて、現に経験としてあるのだから、財政法の中で特別予備金制度考えてもよろしいのではないか、外国にも例があるように聞いておりますが、これをどうお考えになるかということが一つであります。  あわせて予備費について、予備費は計上することができるとなっておるのですが、財政上からいうならば、しなければならないとすべきなのがほんとうではないか、ただし使用条件ははっきりきめて、使用状況は次の国会に報告をするようにして、予備費は計上しなければならないというのが財政上の根本的なあり方ではないか。  それから第二番目は予算の補正の問題であります。予算の補正については、必要避けることのできない経費に不足を生じたときに補正予算を組むことになっておりますけれども、最近のように必ず補正予算が毎年々々出るという現状を考えてみますと、これは経済情勢の激変が最近は強いからだ、従ってこの予算の補正については財政法の中で、制限列挙条項でもいいですけれども、それを加えて、補正予算を組むことを義務づけるべきではなかろうかと思われるのが第二番目であります。  第三番目には、財政法に弾力性を持たせるとするならば、一つ私はあると思う。それは政府関係機関予算の問題であります。先ほども話が出ましたが、現在、公団、公庫からあるいはいろんな政府関係機関がございまして、財政法上の取り扱いが区々になっております。国鉄とか電電とか専売公社は予算を拘束されておるのであります。これは自主性並びに公共企業体としては予算統制をすることに意味がないのではないか。むしろ包括予算制度にして政府における経理監査制度を厳重にして、国会に報告を出させて監査を厳重にやるということの方が望ましいことではないか。  以上三点についてお伺いいたします。
  65. 高橋正雄

    ○高橋参考人 最後の方からお答えいたしますと、先ほど申しましたような事情で、どこの国でも日本語でいう政府関係機関に当たる金融機関や産業が非常に多くなっているわけであります。それについて国民の理解を通じての民主的なコントロールをどうするかということについては、各国とも悩んでいるようであります。あまりにも国会で担任の方を呼んですみからすみまでやったのでは、公社なら公社制度にしておく意味がないのではないかという点と、じゃほうっておけば国民の監視の目がちっとも届かないじゃないかということで悩みがあって、いろんな意見が出、いろんな研究があるようでありますが、今おっしゃったような監査を大いに厳重にするということは、どこでも主張されているようであります。それ以上どういうふうにしていいか、自分でも煩悶の最中でありますが、その程度であります。  二番目の補正予算を組む義務づけという点については、一々のことについてはっきり国会に対して約束させよう、国会の監督というか審議のワク内に置こうということは、財政民主主義の建前からいって当然のことだと思います。  それから最初の空白が出て困るということは、これは皆さんが悪いのか政府が悪いのか存じませんけれども、国民といたしましては、議員と政府にお願いしておりますことは、年々の予算を四月から実施できるように早く審議してほしいということでありますから、空白があることを自然現象とお考えにならないで、なるたけ空白がないようにがんばる方法はないものでしょうかということを考えております。
  66. 小川平二

  67. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 高橋さんはおそく来られましたが、いろいろ河野さんの意見も聞かれたと思うのですが、日本の一番大きな欠陥は順法精神がない、法を守るという精神が非常にないので、それがいろんな弊害を与えると思っておりますが、たとえば憲法を無視した自衛隊の計画とか、こんなのは実際はおかしいのですが、それがだんだん習い性となりまして、結局は法を守らぬような形がどんどん出てくる。日本の一番悪い点が今露呈しておりますが、国会予算の問題についても政府が勝手な解釈をして、都合のいいことはどんどんやる、自分に都合の悪いことはやらない、こういう弊風が残っておると思いますが、高橋さんは最近外国に行ってこられて、一体こういう国はよそにありますかどうか、この点をまず承りたいと思います。
  68. 高橋正雄

    ○高橋参考人 その点は取り調べ中でありますから……。
  69. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 財政法二十九条をこの前私も問題にしたのでございますが、今度改正をしようということで、河野参考人からもいろいろ意見を聞いたのですが、どうもそういう点に対しまして、先ほど高橋さんが言っておられましたが、今まで政府財政法の二十九条については勝手な解釈をして、やはり力を持っておりますから、結局押し切ってやってしまうようなことがあるのですが、こういう点をどんなふうに考えておりますか。
  70. 高橋正雄

    ○高橋参考人 先ほど簡単に政府のまねをしてお答えをいたしましたが、あれじゃないでしょうか。外国の人はよく言うのですけれども、外国といってもいろいろあると思いますけれども、どうも西ヨーロッパなんかでは、少なくとも法の支配、法律に書いてあることは従おうじゃないかということは野党、与党を問わず大体了解済みなのに、日本ではそうではないじゃないかということを言う人もあります。その点についてどうしても権力を握っておる側に、かりに日本国民共通だといたしましても、権力を握っておる側にそういう悪いくせが出やすいということは認めなければいけないと思うのでありまして、その点については国民も議員もみんなで反省するのが一番だと思います。  それから、あとでおっしゃったどうしたらいいかという点については、できるだけ国会の審議と、それからその国会での討議なり、審議の内容を与党の方も野党の方も大いに国民にPRをされて賛成を得られるような議論法律解釈、適用ということで争うといいますか、どっちが正しいかを国民の判断に待つということがいいのじゃないかと思います。
  71. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 この予算というのは国会の心臓だと思うのです。ところが、現在の国会のあり方の中で、旧憲法時代とそれから今度新しい憲法との間のこの開きの中においていろいろ矛盾があるのじゃないか。そこで、今まで予算の問題について政府の使い方、政府のやり方というものはやはり旧憲法時代のようなやり方をしておるのじゃないかというようなことが考えられますが、その点については高橋さんはどのようにお考えになっておりますか、伺いたいと思います。
  72. 高橋正雄

    ○高橋参考人 その点はよく言われることなんですけれども、新しい憲法がしかれて十何年間になっているのですが、旧憲法時代の意識でもって、権力を握っておる側が動きやすい、考えやすいということは、いろいろの面に現われておるわけでありまして、その点についての国民の批判的な考え方ということがもっともっと強くなると同時に、国会の方でも、政府の方でも大いに反省されるべきではないか、そういうふうに考えます。
  73. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 先ほど同僚堀委員から河野参考人にいろいろ聞いたのですが、その中で、私たちはこの前の国会財政法第二十九条の規定のときに、補正予算を組んで、産業投資の問題などでいろいろ野党が追及したのですけれども、政府は勝手な解釈をした。ところが、今度はそれが非常に悪いと思ってこういう法案を出してきたと思うのですが、そういう点については、私たちは今までの財政法二十九条の非常な勝手な解釈でやってきたのだ、こういうふうに思っておりますが、高橋さんは経済学者としてどういうようにお考えになったか、この点をもう二度伺っておきたいと思います。
  74. 高橋正雄

    ○高橋参考人 その点はこうじゃないでしょうか。どうも政治をやる世界では誤っていたとか、負けたということは禁句になっておるのでそういうことは言わないようですけれども、常識で考えて、従来はこれでいいのだ、いいのだといっていた人々が、従来と同じことをやるために、従来はこれでいいのだといっていた法律改正なさる方に回ったとすれば、従来は法律解釈としては必ずしも穏当でなかった考え方に基づくやり方をしていたじゃないかということになりまして、従来の批判なり、反対に従ったことになるのではないか、そういうふうに考えます。
  75. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 これは高橋さんにこういう席で伺っていいか悪いかわかりませんけれども、御承知のように、先ほど河野参考人財政法一つの型だというような話がありまして、今の自民党の政府は資本主義の政府でございますから、これをどうこうしようということはできませんけれども、私たち大蔵委員会などでいろいろこの法の審議をした場合にも、一定のワクがあって、大蔵省の課長級の頭のいい人ばかりですからなかなか返事がうまい。議員はなかなか選挙区の問題がありまして勉強しておらぬ間に勝手な上手な解釈を終始してきておる。おそらくこういう結果が日本の政治一つの欠陥だと思いますが、今の日本の政治というものが官僚政治と言われるゆえんはそこにあるわけで、たとえば先ほどの河野さんなんかも大蔵省に二十七、八年もおられる。代議士は選挙のたびに選挙区に帰っているような形で、今高橋さんが、あなた方国会議員の責任だと言われても、みんなお互いに何言っておるのだ、おれの責任じゃないのだとい5考えがあるわけです。それは今の日本の議会政治の中で、日本では大体解散が平均二年くらいに一つあるわけですから、二年くらいで交代しなければならぬような形になるわけです。ところが、大蔵省の役人は、もうとにかくどうやって上手に答弁をのがれるかということばかり勉強している。だから、いつでも法律があっても勝手な解釈をやられる場合が非常に多いわけです。そういう点はわれわれも反省しなければなりませんけれども、あなたのような九大の教授をやっておられる、いわば民間の学者のような形をとっておられる人は、第三者の立場からこの国会のそういうあり方についてのいろいろ注文なり注意をしていただきたいと思います。  そのほかに、私は、私の学生時代からマルクスとかケインズというような経済からずっと入り込みまして、それ以来大きな発展をしていないように考えているわけです。それだから、ソ連とか中共のような国際的な共産主義の国があるのでありますけれども、しかしもう少し変わった形で、資本主義から社会主義へ転換するこの転換期の財政学のようなそういう形のものができるべきではないか、そういうふうに私は昔から考えているわけです。あなたは経済学者としてそういう点のベテランだと思いますが、そういう考え方を、こういうところではちょっと無理でございますけれども、簡単な形で一つ教えていただきたいと思います。
  76. 高橋正雄

    ○高橋参考人 最初の方の質問にお答えいたします。  私は自分の友人で国会議員になる人、県会議員になる人にはこういうふうに言っております。つまり議員さんの仕事は何だというと、自分が大蔵委員なら大蔵委員になったとしたら、大蔵省の局長とか部長、課長、係長というような人では、それこそ腕っこきの人が幾らでもいるわけですから、そういう人と友達になって、自分が属している委員会の仕事を担当している各省のお役人と大いに議論したらいいじゃないか、そうすると、お役人さんが三十年同じ仕事をやっていらっしゃるといっても、三十年間毎日々々新しいことをやっているのじゃないのでありまして、それを上手に皆さんの方が質問し、上手に向こうの信頼を得るような形で話し合いをすれば、私は、国会議員の方がよくおれは一年生で何も知らないというようなことをおっしゃいますけれども、国会議員は今日では実に大へんな権利をお持ちでありまして、どんな資料でもどんな調査でも、政府なり国会の図書館などを通じてお集めになれるのですから、読むのは大へんだとしても、耳学問というような方法もあるのですから、そういうことをおやりになることによって、大蔵省なら大蔵省の主計局長であろうが課長であろうか、その人々から尊敬を得るように皆さんの方で勉強なさることが第一でありまして、それはちっともできないことではないと存じます。  それからあとの方で、お前の本ということでございますが、ただいまの御質問の方、私のためにPRをされたようでありまして、私は最近「資本主義は変ったか」という本を書きまして、その本の中で、ただいまのお出しになりました問題に答えております。この席では本の宣伝はかんべんしていただきたいと思います。
  77. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 いろいろお伺いしたいこともありますが、時間もあれですから……。日本のこういうような政治の欠陥というものは、どうも法を守らぬという面もあると同時に、最近各省にわたっての汚職の事件が非常に多いのです。こういうのは、外国にあるかないか知りませんけれども、非常に不穏な形勢がある。私は個人的には、最近クーデターがたくさんありますけれども、日本の今のこういうような政治をやっていると、これは韓国に近い日本の国では、自衛隊というのがあって、国民にこの現実というものはなかなかわからないので、一体政府や与党やあるいは野党は何をやっているのだろうというような、そういう疑問が生まれて、その間に私は二・二六事件のようなことが起こらないとは限らないというような感じを持っておるのであります。そういう点で、やはり何といってもいわゆる財政とか経済とか、あるいは物資の不公平なところにいろいろ問題があるし、同時に池田さんは高度成長政策で日本の生産は上がった、先ほど河野さんも五千五百億からの自然増収があるのは産業の成長のおかげだというような、楽観的な意見が非常に多いのですけれども、しかし一面においては、非常に所得の不均衡というのが、いろいろ弊害をもたらしておるということを感ずるわけです。非常に大ざっぱな意見でありますけれども、私はそういう点でやはりわれわれ国会議員はもちろんでありますけれども、いわゆる政治家という名のつく者は、こういう面にも思いをいたして検討すべきじゃないか。何といっても、やはり所得の不均衡、あるいは消費の面において、一方においては非常にはなやかな娯楽あるいは遊興の場がある反面において、非常に悲惨な生活をしておる人がある、こういう不安がますます顕著になっていくような、そういう思いを私はしておるわけです。  そういう点で、私は昨年イタリアに行きまして、非常に感じましたことは、八年前のイタリアと八年後のイタリアというのは非常に変わってきました。EECの関係で非常にイタリアは利益したと聞ききましたけれども、あのこじきだといわれたイタリアが非常に経済的に立ち直ったような感じを受けて参りました。むしろフランスが戦争に勝って、アルジェリア問題なんか起こしておる反面に、イタリアはかえって非常に生活が明るい面が出てきたように私は感じております。そういう点について、私は日本の経済というものは非常に成長はしておるけれども、この国民の所得の不均衡のために、表は非常にいいようで、裏は非常に激流があるのじゃないかということを感じておりますが、そういう点についてどのようにお感じになっておるか。この問題とは直接はずれておりますけれども、そのことだけをお伺いしておきたいと思います。
  78. 高橋正雄

    ○高橋参考人 あとの方からですけれども、こういうお話を申し上げて参考にしていただければと思います。  日本へ来たEECの中の、日本なら大新聞社の記者に当たるような人ですけれども、日本を出ますときに——私はしばらく一緒にいて、いろいろ世話をしたものですから、何か日本のことについて、ほめ言葉はたくさんだから、いやなことを言ってくれないかと言いましたら、ただいまの御意見関係するわけですけれども、どうも自分は日本人の気持がわからなくなった。こういう住宅事情、こういう道路事情、それからその方は広島へ行きまして、原爆被害者の生活状態をつぶさにごらんになりまして、自分たちヨーロッパ人の感覚では、二十万人いようが五十万人あろうとも、原爆被害者についてだけは全部国庫負担で生活も職業もめんどうを見ているのだ。そういうことをやりながら、かたわら原水爆反対運動が日本に行なわれておるのかと思ったら、新しい特殊な貧民くつみたいなものができているじゃないか。そういう原爆被害者、この住宅、この道路、それで一方では高度成長を宣伝し、あまつさえオリンピックまでやって、外国人を招いて恥をさらそうというのはどういうお考えですかということを言われまして言葉がなかったのでありますが、そういう点ではまだまだ日本では、ほかの人が悪い生活をしているのに自分だけがいい自動車に乗る。いい生活をし、いいレストランに行くということを恥ずかしく思わないような、むしろそれが自慢になるような社会情勢でありまして、その点はだれということなしに、われわれもそうでありますけれども、大いに戒めなければいけないことだと思います。  それから私は自分が国家公務員ですので官僚諸君を擁護するつもりはないのですけれども、汚職は確かに悪いですし、私も大いに汚職を攻撃するのですけれども、しかし汚職というのはいわば税金関係、国民からとった税金その他のところをごまかして不当に使う、もらったり何かするということにあると思うのであります。しかしそれは政府の官公吏とか政府関係機関の人だから罪になるのでありますけれども、民間の企業では同じようなことを幾らやっても処罰されない。民間の企業で行ないましても、もし不当な経費、不当な支出ならば、どこかで税金として国家に納めるべきものをごまかしているのでありますから、その点では民間企業についても同じようなことはあるわけでありまして、私、行って見たわけではありませんけれども、官庁の部長、課長のうちの年末と、大きな会社の部長、課長のうちの年末とをごらんになったら、大へんな違いだと思うのであります。だから官庁の汚職がいいと申し上げるのではないのでありますが、そういう点で何百万もいる官公吏、政府関係機関の中に汚職があれば、それはぜひ皆さんの手で大いに洗いざらいしていただきたいのですけれども、そういうことも考えるべきではないか。私の学生なり先輩、友人で官庁へ行く人もあり、政府機関に行く人もあり、財界に行く人もありますけれども、日本人として外国人よりも劣っておるはずもないし、日本人相互としても、そんなに違っているはずもないのであります。その点そういうふうに考えます。
  79. 小川平二

    小川委員長 この際、委員長より参考人に対し一言ごあいさつ申し上げます。  参考人には御多用中のところ長時間にわたって御出席をいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  この際休憩いたしまして、本会議散会後、理事会に引き続き委員会を再会することといたします。    午後零時四十八分休憩      ————◇—————    午後三時四十二分開議
  80. 小川平二

    小川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  証券取引に関する件について調査を進めます。  質疑の通告があります。これを許します。横山利秋君。
  81. 横山利秋

    ○横山委員 この間カラーテレビ問題で世間に喧伝されました東洋電機の総会が行なわれまして、社長が辞任をして、空席のままになっておるそうであります。本委員会としては、証券を担当する委員会として、一回その実態について検討を加え、将来あるべき姿というものを議論をしておきたいと思ったのでありますが、機会を失しまして今日に至りました。すでに各位御存じ通りだと思うのですが、この東洋電機の株価の推移をたどって見ますと、昨年の一月には、一番安いときで百三十円、三月には三百五十一円、六月には四百六十円、七月には五百五十円の最高をいき、それから暴落が始まって七月末三百三十円に、現在はたしか百六十五円という水準にあると私は承っておるわけであります。このような株価の激動というものに——すでに政府側でも御存じ通りでありますけれども、非常に考うべき点がたくさんある。一体このような事態というものは防止できなかったものかどうか。今は原因結果がはっきりいたしておりますから、これを議論したところで、格別に問題が生ずるわけではございませんし、政府並びに取引所並びに客観的判断をする人々にとっても、これは非常に貴重な体験だったと思うのです。  私がお伺いしたい第一の問題は、取引所は、値幅制限、報告銘柄という措置をとったけれども、それは結局効果をもたらさなかった。カラーテレビがにせものであったかどうかという点も、なかなか知る由もなかったわけでありますが、この東洋電機の経緯を通じて、特定銘柄の株価の激動に対して、何か反省なり経験なりというものが生じなかったかどうか、それをまずお伺いをいたします。
  82. 有吉正

    ○有吉説明員 お尋ねの東洋電機の株価の推移につきましては、先生のおっしゃる通りでございまして、またこの間におきまして証券取引所が対策を講じました点につきましても、先生のお触れになったところでございます。再び私ここで、その対策につきまして申し上げまして、今後の問題に言及いたしたいと思うのでございます。  まずもって、証券取引所におきましては、特に真相を究明するために、三月以降数字にわたりまして会社側から事情の聴取をいたしたのでございます。初めにおきましては、会社当局は、新製品試作の事実を否定しておりました。六月の二十日に至りまして、ようやく新製品の企業化に踏み切るという旨の報告を行なった由でございます。東京証券取引所におきましては、三月に至りまして同社の株価が上昇するとともに、売買高も急増するに至りましたので、過当騰貴の傾向がある、こう判断いたしまして、三月八日の売買分より値幅制限、これは通常上下三十円程度の値幅制限を行なう銘柄がこの際におきましても多かったのでありますが、この際は特に上下二十円の値幅制限の措置を行なったのでございます。その後平静を取り戻した株価が五月に至りまして再び騰勢に転じたために、五月の十五日の売買分から売買内容の調査措置をもあわせ行なうことにいたしたのでございます。その後は、先生のおっしゃいましたように、七月四日、これは五百五円が高値でございますが、五百五円を高値といたしまして、新製品の内容を疑問とする説が広がったために株価は下降に転じまして、九月に至りまして株価も二百円台となる、そういう平静な状態になりましたので、株式市場全般も平静状態になったこととあわせまして、九月十八日の売買分より値幅制限、売買内容報告の規制措置を解除することにいたしたのでございます。  この場合におきまして私どもの考えました点は、同社の株価の上昇なり売買高の増大につきましては、いわゆるカラーテレビの問題につきまして、会社側の態度に非常にあいまいな点が多かったのでございます。そのために、これがかえって材料視されて非常な人気的な動きを示した点があるのでございます。特定の者が特に、そこに踊ったというようなことが断定できるに至らなかった。一般的に人気的な動きを示したというような状況、それから先ほど申しましたように、取引所がその報告を聴取し、また私どもといたしましても、取引所を通じその報告を受け入れて、また資料の聴取もいたしたのでございます。その結果、値幅制限及び売買内容等の所要の措置はとって参ったのでございますが、それ以上に特に何人かが相場操縦なりあるいは不公正取引を行なっていると判断されるような事実を断定するに足る根拠を持ち得なかったために、以上の措置に限った次第なのでございます。私どもといたしましては、株価全体の動きというものにつきまして、それが公正に行なわれるという限りにおきましては、株価の形勢そのままにまかしておるという態度をとっておるのでございます。これが投機化なりあるいは人気化の傾向を帯びます際におきましては、先ほど申しましたような値幅制限なりあるいは報告銘柄に指定いたしまして、その内容をキャッチするということを行なって、これによって人気化なり投機化の傾向というものの是正に努めて参りたい、かように考えておるのでございます。さらにこれが何かの株価操縦なりあるいは不公正な取引という事実があると判断いたしますならば、証券取引法によりまして所要の措置を講ずるということも考え得るのでございます。しかし何分にもかかる問題につきまして、それが直ちに株価操縦の意図ありと断ずるということにつきましては、なかなかもってむずかしい問題が伏在しておるのでございます。私どもといたしましては、今後におきましても一般の株価の動静そのものを注意して参るということは当然のことでございます。個々の銘柄の動きにつきましても、人気化、投機化の傾向につきまして十分に監視いたしまして、これが是正に努めて参りたい、かように考えておる次第でございます。
  83. 横山利秋

    ○横山委員 求めもしないのに言いわけのようなもとを言っていらっしゃるが、しかし結果論から推察いたしますと、その長尾という発明家はインチキであったこと、カラーテレビは実際はできなかったこと等からいって、これは政府ばかりが悪いというわけじゃないけれども、何か手の届かない点があったのではないか。あなたは自分の方としては証券業者も調べ、あるいはまた値幅制限なり報告銘柄の措置をとった、買い占めのような状況はないと言うけれども、警視庁が今とっておる措置は、証券取引法の違反容疑、相場操縦禁止または禁止された不正行為をやった疑いがある、あるいはまた商法違反で自社株の操作、会社財産を危うくする罪に該当するところがあるのではないかというふうに焦点を置いて取り調べておるのですが、それがどういう結果になるかわかりませんけれども、かりにそれが犯罪を構成するということになりましたならば、平素それを担当しておるあなた方監督者としていささか責任は免れがたい、そういうことはお考えになりませんか。
  84. 有吉正

    ○有吉説明員 この問題につきまして影響するところは、一つには株価の形成の問題、一つには証券会社が何らかの措置をしたのではないか、他の一つにおきまして、今先生御指摘の発行会社の問題、この三つがあろうかと思います。最初の株価全体の問題につきましては先ほどお答えした通りでございます。証券会社につきましても、一般的な人気化の傾向からかかる株価の高値を招いたのであり、それが証券会社の特定のものによって操縦されたのじゃないというふうに私どもは判断しておるわけでございます。  最後に先生のお尋ねの発行会社の問題でございます。実は私どもといたしましては、発行会社にきまして残念ながら捜査、調査の権限を有しておりませんので、私どもといたしましてここにその事情を真相を報告してもらう、あるいは話を聞くというようなことはできますが、さらにそれに立ち至りまして深く調べ上げるというような点までできませんので、そこのところの真相をつかむということは、証券行政を担当しておる者といたしましてなかなかできにくいところでございます。
  85. 横山利秋

    ○横山委員 けれども私が言っているのは、警視庁の捜査の結果そういう犯罪を構成するということが明らかになったならば、事前に予防措置をとらなければならない、あなた方としても、責任を感じてもらわなければいかぬではないか、それは結果論からいってもいささかあなたの方がそういうことを探り得なかった、知ることができなかった、知って措置をすることができなかったことについて、何ら責任を感じないのですか、こう言っているのです。
  86. 有吉正

    ○有吉説明員 私どもといたしましては、先ほどもお答えいたしましたように、会社側からの報告を聴取するにとどまるということでございまして、それが法の違反であるかどうかということを断定いたすにつきましては、さらに強制的な捜査等、現在司法当局が行なっているようなところまで突き詰めませんと、私どもといたしましてそれがはたして法の違反であるかどうか、はたして相場操縦の目的があったかどうかということをつき得ないということでございます。
  87. 横山利秋

    ○横山委員 私は皮肉を言うわけじゃないけれども、この間検査官が汚職をやりましたね。そんな検査官が、証券会社を検査している検査官が汚職をやるようなことをやっておって、そうして東洋電機については神様ならぬ知るよしもないと言ったところで、私は納得ができないのですよ。もう少し証券会社の検査をする人たちが眼光紙背に徹して、汚職なんかやらないで、しっかりした態度をもってやっておれば、かかることもないのではないかという感じが私はしてならぬのです。  もう一つ聞きたいのですが、本件については新聞記者その他に一緒に東洋電機といって紹介したのは、野村証券だと聞いている。その野村証券の会長が今度東洋電機の監査役におなりになった。幹事役というのは、ある場合には幹事は回り持ちの幹事だからと言って、甘えないことはない、けれども一緒に同道してこの東洋電機のカラーテレビの真実性をつき添って普及した野村証券が、この会社の総会で監査役に就任するという点に、私は一まつの疑問なしとしないのであります。今回の東洋電機の株が上がった実情を調査したところによりますと、必ずしも特定の一つの証券会社が買い占めをやったのではない、投資家はまた広範にわたっていると一応言い得られる。言い得られるけれども、最近の証券市場、証券業界の実態を見ますと、四大証券が下まで、中小証券までくまなく資本的にあるいは人的に支配力、影響力を及ぼしていることは、皆さん御存じ通りですね。そういう点まで検討してみましたか。
  88. 有吉正

    ○有吉説明員 東洋電機の株の売買につきましては、先ほどもお答えいたしましたように、全般的に特に特定の会社について取引の量が格段に多いという事実がつかみ得なかったわけであります。特にお話のございました野村の関係につきましてその会社のみを取り上げて申し上げた通りでございますが、他の会社につきましても同様にやはり特定のものについて多いということの実情もつかみ得ませんでした。またいわゆる野村というものの近い会社につきましてあわせましても、それを断ずるに足らない。一般的な人気から一般の投資層の注文を証券会社としては取り次いだもの、かように私どもとしては考えております。
  89. 横山利秋

    ○横山委員 さっきからあなたの話を聞いておりますと私はいささか疑問なしとしないのですがね。と言いますのは、今日東洋電機の問題について司直の手が伸びて広範な調査が行なわれている段階です。その点をあなたは一つ銘記してもらわなければいかぬ。ところが今までの答弁は、自分の調べたところによりますと東洋電機について商法違反、証券取引法違反の疑いはないと言わぬばかりの発言をせられておることは、いささか穏当を欠くと私は思う。まあ私の聞き違いであるならば訂正してもらわなければならぬけれども、どうもさっきから聞いておると、自分の調査したところによりますと証取法、商法違反の疑いがないと言っておられるような気がするのだが、それをあなたが国会において公式の証言をせられるということは、現在の警視庁の捜査に対して一つの影響を与える。その点についてあなたは責任をお持ちになって発言をしておられるのですか。私がさっきも言ったのだけれども、もしもこれが犯罪事実を構成をするとなったときは、少なくともあなた方も道義的な責任を感じてもらわなければ困りますよと言っておるのだが、そのつぼをはずして、ひたすら問題がないという立場ばかりに固執しておられるのは、いささか私は誤解を招くおそれがあると思うのだが、重ねてあなたの所見を伺いたい。
  90. 有吉正

    ○有吉説明員 まずもって私どもの立場を御了承願いたいと思うのでございますが、私どもといたしましては、証券行政を担当いたしまして、限られた調査なり、検査の権限しか持っておりませんので、報告を聞き、資料を収集し、また場合によりましては証券会社を検査する、これもまた任意の検査でございます。その限りにおきまして、私どもの得ました情報につきまして、当時の判断を申し述べている次第でございます。私どもとしましては、現在刑事事件になっているものが、強制捜査の段階におきましていかなる事件の発展を見、いかなる結論を得るかということにつきましては、刑事当局から連絡を受けるわけには参りません。その点で、私どものいわゆる行政当局の調査あるいは資料の収集あるいは任意的な検査というものの範囲におきまして、当時得られましたところの心証だけを申し上げておるのであります。それと刑事事件と結びつけてお考えになるということになりますと、私どもの立場としまして、できる限りのことをする程度にとどまるということを御了承願いたいと思います。
  91. 横山利秋

    ○横山委員 限られた資料、限られた人手で調査した結果は、どうも十分な感じがしない、こうおっしゃるのですが、その前提をおつけになるならば、自分たちはそうであるけれども、自分たちの知らざるところがあるかもしれぬがと、つけなければならぬ。知らざるところを警視庁が捜査しておって、それがもし犯罪事実を構成するとするならば、自分たちの手の届かない点を遺憾としなければならぬ。自分たちの調査が不十分であったという点を遺憾としなければならぬ。この点について、証券行政を担当する者として残念だと思う、ここまでこなければ話にならぬ。そうでしょう。それをあなたは前段だけでとどめられるから、何かいわくありげに聞こえるのです。だから皮肉を言うのですけれども、一体この間の証券業界に対する検査官の汚職はどういうことになるのだと言っておる。一つ参考のためにお伺いしたいのですが、その検査官はいかなる汚職、いかなる事態でそういうことになっておるのですか、その事件のあれを聞かしてほしい。
  92. 有吉正

    ○有吉説明員 先般、三月八日と記憶いたしますが、関東財務局の証券検査官新行内剛が警視庁に任意の取り調べを受けまして、三月の十一日に逮捕せられるに至りました。証券検査官の内部からかかる疑惑を持った人間を出しましたことは、はなはだ遺憾でありまして、まことに申しわけない次第でございます。この新行内証券検査官と同時に贈賄容疑に問われましたのは、金泉証券の社長でございます。金泉証券の社長からの収賄の容疑で逮捕された次第であります。実は金泉証券は三十六年の七月に設立された新しい業者でございます。まだ現在のところまで検査をしたことはございません。また証券検査上官は証券検査の事務を担当いたしておりますので、登録事務と行政事務に新行内剛がタッチしたこともございません。なお現在刑事事件の取り調べ中でございますので、私ども詳しいことは内容的に深く知り得ないところでございます。
  93. 横山利秋

    ○横山委員 それもまた検査官を検査する検査官を私は設けなければならぬと思うのです。少なくとも被疑行為をただし、健全な証券業界の育成に努めなければならぬ検査官が収賄をするということでは、何をもって一体これから検査をするのか、まことに私はその責任を感じてもらわなければいかぬと思う。かつて金融機関の人に、銀行検査はどういうふうになされておるのだといって聞いたことがあります。そのときでも、私は一驚を喫したのであります。かつて本委員会で、銀行検査はいかなるふうに行なわれておるか、またその実情を、銀行の名前は隠してもいいから、一つ報告をしてもらいたいと言ったことがあるのですが、どうしてもお出しにならぬ。検査官というものが預金者なりあるいは大衆投資家の保護ということに名をかりて、どういうふうにやられておるものやら、そこでまたどういうふうに買収、贈賄を受けてもみ消しをしておるものやら、これでは私は信用するわけにいかぬと思うのであります。あなた方は一体検査官をどういうふうに監督されておるのですか。証券業界の監査なり金融機関の監査なり、それらについてわれわれもチェックする必要があると思う。政務次官、どうですか、そうお考えになりませんか。検査をする人が収賄をして引っぱられるというようなことであっては、これから銀行検査なり証券業界の検査なりというものはまかしておけないから、検査官を検査する検査官をわれわれ作ろうじゃありませんか。
  94. 天野公義

    ○天野政府委員 大蔵省の証券検査官の中から汚職容疑者を出しましたことは、まことに遺憾千万でございまして、おわびを申し上げる次第でございます。ただいまお話のありましたように、検査官に検査官をつけるということになりますと、これはなかなかむずかしい問題でございます。今後は綱紀を粛正し、検査も厳正に適正に行なうように指導いたしまして、今後とも汚職事件のないように、また行政が円滑に参りますように配慮をいたしていかなければならないと思っております。  なお、先ほど来の横山光牛の東洋電機に対するいろいろな御質問を承っておったわけでございますが、まことに御説ごもっともでございまして、現在の証券界にあのような事件が起きましたことは、まことに遺憾千万でございます。基本的に言いますならば、東洋電機というような一流の会社が、まさかインチキテレビを公表をし、証取法違反や商法違反等、いろいろな犯罪容疑の捜査中で決定はしておらないようでありますが、犯罪を構成するようないろいろな行為をすることによって、株価の操作をいたし、大衆に非常な迷惑を及ぼしたということは、近来の証券のいろいろな事件の中でも、まれに見る悪質な事件ではないかと思っております。ただし、新しい技術というものをいつも詐欺という容疑をもって見るわけにはいかないのでありまして、技術の進歩という面については、一般世上の考えるところによりますと、これは新技術の開発という面からいたしましていろいろと奨励されなければならない問題でありますが、そういう点から離れましても、東洋電機の今回のいろいろな行為は、日本の産業界にとりましてもまことに恥ずべきことである、かように考えておるわけでございます。当方といたしましては、値幅制限等いろいろやって参ったことは事実でございますが、その犯罪容疑もしくは詐欺容疑というところまで調べたり、いろいろ捜査をするというような権限もございませんので、おそらくいろいろな疑惑の眼をもちながら、不安な気持で見ておったのじゃないかと思います。今後の問題といたしましては、日本の全国の会社がそういうような不当な行為をしないように要望すると同時に、当方といたしましても、今回のような不詳事件の起きないように、十分注意をしていかなければならない、かように思っておるわけであります。
  95. 横山利秋

    ○横山委員 私は証券監査官の問題を例に引き出しておるでありますけれども、事は大蔵省関係で証券監査官だけじゃないですよ。すでにあなたもお聞き及びだと思うのですが、税関係では渋谷の税務署、本郷の税務署、福岡国税局に至っておる。財務局は財務局で某所がある。私は今それを言おうとは思いませんが、金融関係においてどえらい問題を一つ私は知っております。そはを今言うことが適当であるかどうかについては私は非常な疑問を持っておりますものですから差し控えておるのでありますが、今この経済の推移の中で新しい汚職の波が政府の周辺に押し寄せておることを私は痛感をしておるのであります。だから私はこの東洋電機に関連をして発言をするのでありますけれども、今日の汚職の問題については事前に一つ萌芽を刈るという決断を持ってやりませんと、私の予感するところでは、これからの汚職というものはどんどん経済情勢の推移に従ってあると思うのです。この問題に関連して私が考えましたことは、情報の入手に非常に早い地位にある者の身辺は特に注意をしなければならぬということを私は痛感いたします。たとえば株の面をたどったみますと、もしも政府の政策なりあるいは行政措置によって株の変動が起こり得ると明らかに予見されることがある。そのせつなに、自分の名義ならずとも他人名義でやらせるならば、今の経済情勢のもとでは大きな収穫をすることができる。ことに最近では政府の株関係のお仕事をやっていらっしゃる人の中でどんどん証券業界へお入りになるということが従来からあるわけです。普通の役所での天下りの人事と違いまして、この株の問題につきましては私は特に峻厳な態度を持ってそれを措置しなければならぬと思う。人事院の認可を得るにしましても、あなた方の部下の人事にいたしましても、こういう点については十分心得なければならぬと思う。場合によれば禁止すべきことではないかということすら、ある事実をもって痛感するのであります。御所見はいかがでありますか。
  96. 天野公義

    ○天野政府委員 おっしゃることはよくわかる次第でございます。今後も大臣ともよく相談を申し上げまして綱紀の厳正の維持に努めて参りたいと思います。
  97. 横山利秋

    ○横山委員 そこで東洋電機ははしなくも国鉄に対する贈収賄の事実に発展をいたしました。もうすでに世間に知られているところでありますが、東洋電機は資本金士三億五千万円、配当一割五分、まずまずというところなんであります。しかも車両用の電気機具は六〇%、産業用電気機具は四〇%を国鉄に納入し、東洋電気の商売の三分の一は国鉄にいっておる。なぜ随意契約で国鉄にそうもいくかということはこれまた世間はすべて知っておる。社長以下重役陣はほとんどが国鉄の者である。国鉄のこれらの関係をいたします現職の高官は数多くある中で東洋電機へ行くことを一つの重要なポストだと考えておる。従って東洋電機の売り上げはますます国鉄がふえ、国鉄と東洋電機の関係はますます強くなる。私が現職におりました当時からこの関係は切っても切れない関係にあったことは私も承知をしておるわけであります。今度国行さんがおやめになりましたけれども、国鉄からあとお出しになるお気持でございますか。
  98. 十河信二

    ○十河説明員 そういう気持を持っておりません。
  99. 横山利秋

    ○横山委員 社長ならずとも今後国鉄は東洋電機へ人を派遣なさるおつもりですか。
  100. 十河信二

    ○十河説明員 ただいまそういう考えを毛頭持っておりません。
  101. 横山利秋

    ○横山委員 そのことはどういうことなのですか。今回の経験をもって東洋電機と国鉄の関係には新しい関係といいますか、何かこの際さっぱりするというお気持なのですか。
  102. 十河信二

    ○十河説明員 事柄はただいま司直の手で取り調べをいたしております。その事柄の事態が明瞭になった上で適当な処置を講じたいと考えております。
  103. 横山利秋

    ○横山委員 司直の手にゆだねられておるとはいいながら、もうすでに大村メモが発見をされ、そうして現職の課長は引っぱられておる。局長、部長、課長、係員に至るまで大村メモによってこれだけの金を贈ったということはわかっておる。東洋電機と国鉄の局部に、どこの局のどこの課に、しかも担当者はだれであるかということは、あなたならば全部御調査済みだと思いますが違いますか。
  104. 十河信二

    ○十河説明員 私は存じません。
  105. 横山利秋

    ○横山委員 私の言っていることをよく聞いて下さいよ。東洋電機の品物が国鉄に納入をされるその認可権を持っておるその担当の人はだれで、その責任者はだれである、そういうことは三局それぞれの部課にわたって、焦点になっておる人はだれであるかということはわかっておるだろうというのであります。その人が汚職をしたとかいなとかにかかわらず、責任者、担当者その他は全部御存じのはずでしょうねと言っている。
  106. 十河信二

    ○十河説明員 責任者は全部存じております。
  107. 横山利秋

    ○横山委員 その責任者についてあなたは調査をしましたか。
  108. 十河信二

    ○十河説明員 十分問いただして見ました。
  109. 横山利秋

    ○横山委員 その結果はどうでした。
  110. 十河信二

    ○十河説明員 その結果はただいままで何にも悪い点はないように記憶いたしております。
  111. 横山利秋

    ○横山委員 ほんとうにあなたはそれを信じていらっしゃるのですか。少なくとも東洋電機の交際費は半年に三千万円になんなんとしている。こんなばかげた会社は私はあろうはずがないと思う。売り上げと利益の関係を見ましても、あらゆる状況を見ましても、平素普通の会社の利益率、交際費の状況から見まして、半年に三千万円、ゴルフのクラブの入会費やゴルフ関係に七百万円半年に使っている。一体常識で考えても、三分の一を国鉄に納入をする会社が、半年に三千万円の交際費を使い、七百万円のゴルフ入会費やゴルフ費を使った中で、国鉄の当局者の人たちが一文ももらっていないとあなたは信用しますか。
  112. 十河信二

    ○十河説明員 私はもらっていないと信用いたしております。
  113. 横山利秋

    ○横山委員 あなたはここだからそういうことを言うかもしれぬけれども、ほんとうにあなたは腹にこたえて、胸で考えて、自分の部下にかかるまずいことをやった者が一人もいないということを感じますか。
  114. 十河信二

    ○十河説明員 一人もいないということを申し上げたのじゃない。そのおもなる責任者には尋ねてみましたが、そういう事実はないと信じております。
  115. 横山利秋

    ○横山委員 あなたはそれで納得をするのですか。少なくとも贈賄をした側の方からメモが発見をされて、贈りものとして一回局長は五万円、課長は三万円、係長は五千円、係は二千円、しかも某百貨店の品物を五万円なら五万円のワクで買って、多少金を余すようにして、余したその金はギフト・チェックにして品物と一緒に贈りました、こういうことまではっきり自供しておるのですよ。あなたが局長なら局長に、お前もらったか、私もらいましたという人はないでしょう。そうでしょう。それで、あなたはああそうかと言って自分の責任を免れるつもりですか。そんなことで、あなたは総裁のおれは聞いた、調べた、けれどももらわぬと言った、それで、ないと信じますと、あなたはそれで済ますつもりですか。みんな、銀座のキャバレーから二次会の料理屋のつけのやり方までもすでにわかっておるのですよ。銀座のキャバレーへ行って、料理屋へ行って、これから二次会に行くと、お前のところにつけておくということにして、はいよろしゅうございますとつけておいて、そいつがまた東洋電機でつけになっている。どうなんですか。あなたはほんとうにもうこの東洋電機の関係で明らかになったことで、自分の部下に間違いを起こした者がないと、今でもほんとうに腹からそう思っていますか。思っておれば、あなたはよっぽどおめでたい人だと思う。
  116. 十河信二

    ○十河説明員 警視庁の取り調べはどういうふうになっておるか、それは私は存じません。知る由がないのであります。従って私としては、ただいまいる責任者に聞くのほかはないのであります。その聞いた結果、私はそれを信じております。
  117. 横山利秋

    ○横山委員 形式的な質問をしているわけじゃないのですよ。国鉄十河総裁として、今回の事件でもうすでに反証が上がりつつある、しかも出した金はべらぼうもない交際費と、べらぼうもないゴルフのための金を出している。国鉄の首脳部でゴルフをやる人間が、どういう人たちがゴルフをやっているか知っていますか。国鉄の最高首脳部がゴルフのために血眼になっている事実をあなたは知っていますか。総裁はゴルフはおやりになるのですか、ならぬのですか。あなたは各部長や各局長や各担当者が、これは国鉄ばかりじゃないと思うのだけれども、どのくらいゴルフ熱が強いかということを知っておりますか。それを知っておって、かかるゴルフが発展をしておるということについて危険を感じなかったですか。今まで何にも言わなかったですか。
  118. 十河信二

    ○十河説明員 私は昔ゴルフをやりましたが、今はやりません。最近のゴルフ熱は、お話し通り少し度を越しておる、こう考えましたから、私はそういう汚職の問題も起こった機会に、部下に対して、日曜以外にゴルフをやることは慎しめ、それから取引のある業者の招待のゴルフやマージャンはやることは差し控えろという厳命を数回出しております。
  119. 横山利秋

    ○横山委員 あなたはその命令を出して、その命令が徹底したと思っているのですか。あなたは汚職ということが、国鉄を毒するもはなはだしいということを前もおっしゃったのですが、命令の出しっぱなしで、それが守られておるかどうか、検査しましたか。私の言うことをよく考えて言って下さいよ。
  120. 十河信二

    ○十河説明員 私自身検査いたしません。せんだっても支社長会議でそういう命令を出しております。それが実行せられておるかどうか、十分に注意をして見ておれということを雷明いたしておきました。
  121. 横山利秋

    ○横山委員 さっきの大蔵省と同じように、形だけやればそれで済む、ゴルフをやるなと言えば自分の役目は済んだ、責任は済んだと思っているからこそ、こういう問題が続々発生をしてくるのです。  この間引っぱられた福崎さんが外国から帰ってきたのはいつですか。
  122. 十河信二

    ○十河説明員 私はお答えできません。
  123. 関四郎

    ○関説明員 第一回がインドにおける国際鉄道会議で、これがたしか三十四年だったと思っております。それから第二回がイギリスにおける鉄道電化会議であって、これが三十五年の秋、それから第三回が昨年の夏に、これは国際電気標準委員会の会議に参っております。
  124. 横山利秋

    ○横山委員 それで去年はいつ帰ってきましたか。
  125. 関四郎

    ○関説明員 昨年はたしか六月に帰って参りました。
  126. 横山利秋

    ○横山委員 昨年の暮れに電気機関車を発注する際に、最初の予定が五両であった。ところが福崎さんが六月なら六月に帰ってきた。電気機関車の注文について責任ある、権限ある福崎さんが帰ってきて、その後八両になった。こういうことが疑惑の焦点になっておる。しかも福崎さんが収賄をしたということが今問題の焦点になっておる。この点について総裁はどうお考えですか。
  127. 十河信二

    ○十河説明員 そういうことによって五両が八両になったと私は考えておりません。五両が八両になった経過は、関理事から説明させます。
  128. 関四郎

    ○関説明員 東洋電機の当初の発注の予定が五両だったものが八両になった、こういう事実はございません。そしてしかも八両の契約をいたしましたのは三十六年の八月であります。それでこれは直流機関車は、御存じかと思いますが、川崎車輌と東洋電機の二社に注文し、それから交流または交直流機関車は日立、三菱、東芝の三社で作る、こういうふうに大体きめております。直流機関車は将来次第に減っていくということで、これを三社にしておるわけでございますが、たまたま三十六年の十月には岡山電化の開通、それから今年度の三十七年の六月には広島までの山陽線の電化が開通する。それからもう一つは長岡——新潟間の電化が完成する。こういうことから三十五年には直流機関車の発注はゼロでございます。それですから川崎車輛も東洋電機もゼロで、ございますが、三十六年度はこの二つの電化がありますために全部で三十八両発注しております。それで三十四年の実績が、川崎車輛が十一両の東洋電気が八両でございますから、三十六年の四月には川崎車輛が十二両の東洋電機が八両という、従来と同じだけの画数を発注したわけでございます。そうしてこれを岡山までの電化の十月のものに間に合わせるといってやったところが、東洋電機が一両だけ一カ月納期がおくれたわけでございまして、そのために三十六年の十二月に発注した場合には、川崎車輛十二両の東洋電機が七両、総計三十八両になっておりまして、こういう点が、何か新聞紙上ではそういうふうになっておりますが、これは事実に非常に相違するということを申し添えておきたいと思います。
  129. 横山利秋

    ○横山委員 福崎車両課長の持っておる権限は、どういう仕事をやっていますか。
  130. 関四郎

    ○関説明員 車両は、たとえば三十六年度なら三十六年度にどういう車両が何両要るかということは、これは営業政策上きまることでありまして、これは営業局と運転局でもって、たとえばディーゼル動車を何両、電車を何両、機関車を何両ということをきめるわけでございますが、一方、鉄道電化の場合には電気機関車が新しく要るわけでございます。これは電気局の方の電化工事の進捗状況によりまして、その年に電気機関車が何両要るかというようなことが、電気局の工程によってきまるわけでございます。これによってどういう性能の車が何両要るかということが、これは工作局車両課に運転局、営業局または電気局と打ち合わせた結果、そこでもって計画を立てる。そうしてたとえば三十六年度で言いますと、とにかく下期の十月までには十九河の機関市が、要る。それから三十七年度の上期には残りの十九両が要るということの予想がつきますと、そういうような要求で資材局の車両課の方にこれを回します。そして資材局の車両課では、前回からの実績と、その後の納期を門に合わしたかどうかということをいろいろ考慮しまして、これによって各社別の車両発注量をきめまして、これについては工作局の車両課は何のタッチもしておりません。最終的にはこれは資材局の車両課長と資材局長が私のところに来まして、総裁のところまで行って最終的な決裁を受けるわけであります。それですから工作局の車両課は各会社別の車両契約量数というものについては権限はないわけでございます。
  131. 横山利秋

    ○横山委員 そうおっしゃいますけれども、新聞の伝うるところによりますれば、車両課長に贈った贈賄の本人東洋電機元常務大村福太ら六人を逮捕した、大村は最初国鉄の出入り業者としての儀礼的なつき合いをしていただけで、贈賄の事実はないと強く否定し続けていたが、捜査二課の連日にわたるきびしい追及の結果、大村は三十六年夏福崎課長が海外の鉄道事情調査のためヨーロッパ旅行に出かける際、せんべつの名目で現金十六万円を贈ったほか、銀座のキャバレーなどでたびたびもてなしたと自供した、従ってこの種の取り調べになったもの、そうして国鉄アパートに住んでいる福崎課長を勤務先から出頭を求め、東洋電機幹部から金品を受け取った疑いで取り調べを始めた、こういうわけであります。本人が福崎課長に十六万円を贈ったほか、銀座のキャバレーでたびたびもてなした、こう言っているのですよ。私も国鉄の出だから、国鉄の事情がわからぬではないけれども、一人の課長がそのつもりになって——関さんの言うことをかりに百歩も千歩も譲ってそうだと認めたところで、工作局の車両課長がその地位を利用して情報を提供し、そうして東洋電機の便宜をはかろうとするならば、なすべきことはたくさんありますね。どうですか総裁、私の言うことは間違っていますか。なすべきことはたくさんあります。できることは山ほどありますよ。しかも本人が福崎課長に十六万円贈ったと言っている。キャバレーでたびたびもてなしたと言っている。あなたはそれを信用しませんか。
  132. 十河信二

    ○十河説明員 私はその新聞の記事だけで信用するわけには参りません。
  133. 横山利秋

    ○横山委員 火のないところに煙は立たぬというけれども、それならあなたは今日これほど東洋電機の問題が派生的に——警視庁は東洋電機と国鉄の汚職を調べるつもりでやったんじゃないのですよ。今回は東洋電機のカラーテレビにからまる問題として調べていったら偶然に出てきたというわけだ。意識があって警視庁がやったわけじゃない。偶然に出てきたほど客観的な事実はないということだ。事の推移を考えてみても、あなたがおれの部下にはそういう人間はないだろうとたかをくくっておられるとしたならば、私は国鉄総裁たるものが何たるみっともないことだろうと思う。これは司直が調べるつもりで調べていったものでなくて、偶然にも東洋電機とカラーテレビの関係で書類を押収して調べていたら大村メモが発見されたし、交際費やゴルフクラブの費用がたくさんある。一体何だ、これは証券業者に贈ったのじゃなかろうか、そちらの方が問題の急所だと思ったら、あにはからんや国鉄へ一ぱい行っているということを自供したというのだ。どうなんです。あなたはここまで来てもだれももらっておらぬとほんとうに信用なさるのですか。あなたはそういう点についてここで、私が調べたところ、そういうことはなかった、それで済むと思っているのですか。あなたはそういう責任についていつも——この前の東海道線電化の問題だって、あのときに言ったことをあなた思い出して下さいよ。私こそ質問しなかったけれど、同僚委員が質問したとき、あなたは何と言いましたか、今後かかることは絶対にさせないと言ったはずでしょう。今後こういうような気配があったら断固として処置をすると言ったでしょう。責任者が出たらはっきり処断すると言ったでしょう。いつもいつもそれじゃ——今更もまた明らかになったら処断する、その次もまた明らかになったら処断する、そのうちに国鉄のすみからすみまで毒巣に包まれてしまう。二度三度こういうような問題が起こったときに、あなたのなすべきことは何だと思いますか。どうしたらいいと思いますか。
  134. 十河信二

    ○十河説明員 何度御質問があっても、私は新聞の記事だけでは信用するわけには参りません。しかしながら、そういう疑惑を受けるような事実をなくしようという努力は、私は渾身の努力を傾けてやるつもりであります。それゆえに先刻申し上げましたごとく、私の意思が実行されているかどうかということを事実を調べろということを各支社長に伝えておいた次第であります。
  135. 横山利秋

    ○横山委員 あなたはこの国会で幹線の汚職の問題が起こったときに、国会で約束したことをほごにしようと思っているのですか。あなたはこの国会で幹線汚職が起こったときに、国鉄総裁として責任をもって言ったことをもう一ぺん思い出して下さい。何とあのときに言いました。あなたがいつも自慢している幹線工事の中で、汚職ができたことについては、あなたはあのときに、東海道新幹線として世界に誇り得る幹線工事に汚職が起きたことはまことに遺憾なことであったと言いました。私はかつて、話は変わって恐縮だけれども、あの新幹線の線路、愛知県岐阜県で問題が紛糾して、大野さんの政治線だと言われたときも、これは新幹線のためによくない、技術一本で新幹線ができなければならぬものが、一人の政治家によって右に回ったり、左に回ったりするような、そういうことをしては断じてならぬ、私もかつて言いました。あなたも、そのことについては同感だと言いました。この幹線汚職が起こったときに、その政治路線よりもはるかに新幹線を毒するもはなはだしいとあなたは言ったじゃありませんか。その言ったときに、あなたは今後は決してと言ったはずです。その約束はあなたはどうしますか。その約束は神にかけて、あなたの良心にかけてどういうのですか。今またやはりこれから汚職を起こさないで、それでこれを済まそうとするのですか。良心にかけてものを言いなさいよ。あなたも人間だろう、私も人間だ。ほんとうにここで自分が腹をきめるというならば、あの新幹線の汚職で言ったときの責任をとりなさいよ。あれは単に約束で、国会に対する申しわけで、ていさいのよいことだけだったとほんとうにあなたは今言うのですか。それを今ここで、約束があったけれども、またこれは調べなければわからぬで、あなたは良心に恥じるところはないのですか。どうです。
  136. 十河信二

    ○十河説明員 私は自来、あのときに申し上げましたように、渾身の努力を傾けて汚職をなくするように努力いたしております。その点において先刻申し上げましたように、いろいろな手段方法を講じておるものであります。
  137. 横山利秋

    ○横山委員 そんなことで済まされませんよ。あなたが単に、これがほかのことならいざ知らず、少なくとも栄誉のある幹線に恥辱を受けた、どのくらいあなた自身もあのときくやしがったか、われわれも国会議員として、また社会党の一員として、少なくとも新幹線に関係をしたものの一人として、かかることは絶対によくないことだと言って、国鉄の当局に対して鞭撻をいたしました。まことにあのときは誠意のこもる話をあなたはしたじゃありませんか。それであのときの約束を——約束という言葉をよく覚えていて下さい。あなたの約束というのはいつまでたったって約束は結局ほごにする約束なんだから。私の言うことはよくわかるでしょう。そういうことを良心にかけて言うたなら約束を守る男になりなさいよ。部下が約束したなら責任をとりなさいよ、部下が約束したら責任をとれ。私の言いたいことはわかりますね。わかりますか。そういう汚職の問題についてまで約束を守らない、責任を感じないでどうしますか。私どもはもうあなたを信用するわけにいかぬじゃありませんか。あなたが鉄路を枕に討ち死にするというて国鉄へ乗り込んで、がんこおやじだと言われながら、一応国鉄総裁は言ったことはやるということであなたは売ってきた人じゃありませんか。その人が、最も国鉄で恥ずべき汚職の出たときにそう言った約束をなぜ守りませんか。約束が実行できなかったらあなたは責任をとりなさいよ。あなたが約束をせぬでも、部下が約束したことだったら責任をとりなさいよ。どうです。
  138. 十河信二

    ○十河説明員 私は十分責任を重んじて、先刻来たびたび言いますように、渾身の努力を傾けて実行しつつある次第であります。私の力及ばぬところは、これはどうもやむを得ない、これは人間ですから……。
  139. 横山利秋

    ○横山委員 自分は努力したけれども、できないことはしようがない、それはだれでも言えることですよ。どんな人でも言えることで、それで済ませるものなら、だれだってそれで済んでしまいますよ。あなたはそれであってはならぬはずです。あなたは、あの幹線汚職ができたときに言ったことが、ほんとうに正真正銘自分の人格をかけて言ったことであるならば、今回こういうことは起こっておらぬはずです。新聞を見て下さい。ちまたの戸を聞いて下さい。国鉄の連中は東洋電機と銀座のあるキャバレーで、あるいは某料理屋でどんちゃん騒ぎをやっておる、あれを知らぬ人はおかしいくらいだ、こう言っておる。その料理屋の名前もキャバレーの名前も警視庁の内偵で全部わかっている。そこまでわかっておって、あなたは、私は努力したけれども、しようがありませんで済ますつもりですか。重ねてあなたの御意見を伺います。
  140. 十河信二

    ○十河説明員 こういう問題の起こったことはまことに遺憾であるということは、たびたび申し上げている通りであります。私の力が足りないことをさらに反省して、一段と努力を傾けてやりたいと思います。
  141. 横山利秋

    ○横山委員 私は詳しい事実を知っておりますけれども、そういうことを私はあなたに言っておるのですから、個個の人の名前を出すのはここでは避けたいと思う。だから新聞を利用するわけですが、「係官も驚く悪どさ」という見出しで、全く国鉄については、「同社はつねにこれら係員に対して、年に二、三度、品物や商品券を贈っていた。」のは普通のことで、贈りもの一回の相場は、クラスごとにこれこれ、これこれ、そうして料理屋やキャバレーでどんちゃん騒ぎ、こういうことは枚挙にいとまがないといっている。今でも、今夜でもそれが続くかもしれませんよ。それに対して、あなたはそういうことはするなと言っておいたということだけで済まそうというのです。あなたはそれで国鉄総裁が勤まると思いますか。自分の約束したこともほごにした。ほごにして、あのときに誠心誠意、幹線汚職のときに涙を流さんばかりにして幹線の名誉を傷つけたと言ったあなたが、また出てきたら、またこういうことのないようにいたします、それでほんとうにあなたは良心に恥じないですか。あなた自身が国会においてきちんと約束をしたことで、それが守られなかったら責任をとりなさいよ。人間としてあなたは約束を守りなさいよ。大体国鉄はこのごろ約束を守らぬ人間ばかりだ、それの証拠はあなたが始まりだ。あなたが約束を守らぬのだから部下の連中も約束を守らぬ、そういうしかけになっちゃったじゃありませんか。あなたがここで一ぺん、男子の一言、しかも公の国会で約束したことは私が責任をとりますといって範を示して下さい。そうしたら部下の連中だって一ぺんとにかく約束したことは約束だという気持がはっきりしますよ。そういういいころかげんの話をするから、局長から部長から課長に至るまで、約束は約束、約束はほごになってどんなことが起ころうとそんなものは知らぬ、こういう考えになっている。約束を守らぬ結果どんなに問題の事態が発生しても、私は努力したけれどもしようがないということであなたはごまかすつもりですか。約束ということについて、あなたはもう一ぺんはっきり自分の所信を聞かして下さい。
  142. 十河信二

    ○十河説明員 私は約束を守って努力を続けて参ります。
  143. 横山利秋

    ○横山委員 一体それなら、また今度汚職ができ、約束を、努力したけれどもうまくいかなんだ、私は努力したから私に責任はない、またできた、また約束を守って通達を出したけれどもまた汚職ができた、これは努力したけれどもしようがない、そういうことであなたは済ますつもりですか。仏の顔も二度、三度ということがあるけれども、何べんやったらあなたは責任をとるのですか。そういう点について私はあなたの所信を伺いたいのです。
  144. 十河信二

    ○十河説明員 今まで申し上げた通り、私はさらに努力を傾けるという以外には申し上げられないのであります。
  145. 横山利秋

    ○横山委員 そういうことができようができまいが、結果が現われようが現われまいが、そんなことは自分としては考えてない。自分としては通牒を出し、訓示をたれ、そうしてその結果がどうなろうと私は知らぬ、こういう意味のあなたの努力ですか。結果に現われなければ、どんなにうまいことを言ったところで結果がよくならなければ責任はとってもらわなければいかぬ、私はそう思うのです。あなたの所見を伺いたい。
  146. 十河信二

    ○十河説明員 たびたび申し上げた通りでございます。それで御了承を願い出す。
  147. 横山利秋

    ○横山委員 一体あなたはどういうつもりなんですか。少なくともこの東洋電機の問題が、まさに今では国鉄汚職に最も大きな影響を与えて、問題がすりかえられて、東洋電機と国鉄という関係は、もう世間の知るところとなって、深い関係があって、汚職の根源があって、人が出ていって、人間が入ってきて、そうして金はもうかっていくしかけというものは、もう天下周知の事実なんですよ。そうでしょうが。これは東洋電機だけれども、国鉄のほかの外郭団体には一ぱいあるかもしれない、あなたの知らないことが。またそこへ出た、あなたは努力したけれどもしようがない、こう言うのですか。人間というものは、私ども政治家なんか特にそうだけれども、約束を守らなければ政治家として恥ずべきことだといわれている。いやしくも国鉄総裁じゃありませんか。四十万の部下を統率しているあなたが、あれだけ涙を流さぬばかりに幹線汚職で約束をした人間が、今度また汚職ができたらまた努力を一いたします、こういう約束をして、部下にも約束をほごにさして、どうなるかわからぬけれども、そんなものはしようがないと言うて、たかをくくるつもりですか。少なくとも、あなた方約束を重んじて、一ぺん約束したことは信義にかけて守る、それがあらゆる問題について一番大事なことだと割り切って約束を守るということにあなたが徹底をしなければ、どこに信頼感が生まれますか。どこに信頼関係が生まれますか。この問題について、どういう欠陥があろうと、約束をしたことは——あれは努力したけれどもだめだったと言うて、汽車がとまり電車がとまり、泥沼の中に飛び込んでいって、それであなたはてんとして恥じないつもりですか。あなたがもしも不祥事故をここで回避しようとするならば、約束を破った方から約束を守るところまであなたは切りかえをすべきだと思うのですが、どうですか。
  148. 十河信二

    ○十河説明員 私は約束を守って努力いたして参ります。
  149. 横山利秋

    ○横山委員 それじゃ部下にも約束を守らせなさいよ。私の言いたいことはわかっているでしょうが、部下にも約束を守らせなさいよ。夜中の十二時にきちんと約束をして、それによって円満に解決をする方向にいたものが、三時間や四時間たった直後に、すぐに約束を破るという手はないでしょうが、どうです。
  150. 十河信二

    ○十河説明員 そういうことはいたさせないようにしております。
  151. 横山利秋

    ○横山委員 私はあなたがほんとうにそうおっしゃるなら、ここであなたを問い詰めて、そうしてどうしようというつもりはありません。ありませんが、日ごろあなたが信ずる道を、そして円満な労使関係を確立をしようというお気持であったとすれば、偶発事故であったかもしれぬ、たくらんで起こったことかもしれぬ。けれどもこの際一ぺん結んだ約束なら、その約束を忠実にやってやれとあなたが腹をきめなければだめですよ。ここでそれによって円満な労使関係も生まれ、不祥事故もここで回避されるのですよ。そのためにちょっとやそっとの問題があろうと、百年の国鉄のためにこの際約束を守る、夜中の十二時に結んだ約束であるならば、その線まで線を戻すというお気持にあなたはなりませんか、どうですか。
  152. 十河信二

    ○十河説明員 部下にも約束は守らせております。
  153. 横山利秋

    ○横山委員 言葉じりをつかまえるわけではありませんよ。けれどもあなたも私の言うことがどういうことを言いたいのかよくおわかりのはずで、そうして約束は守っておりますとおっしゃるのは、いささか答弁としては、総裁、的はずれじゃありませんか。本気で私は言っておるのですから、あなたも本気で答えて下さいよ、約束を守らせようと。夜中の十二時にそれぞれの代表がきちんと話し合った約束を、総裁として責任をとってその約束を守らせよと私は言っておる。その意味においてあなたがそういう約束を守らせるとおっしゃるならばそれはいい。けれどもどうも今のあなたの話はほかのニュアンスが入っておるようだからあらためて聞きますけれども、夜中の十三時に結んだ約束を守らせなさいと言っているのですから返事をして下さい。
  154. 十河信二

    ○十河説明員 私は、夜中の十二時にした約束を破ったという覚えはありませんし、部下にもそういうことをした者はおりません。
  155. 横山利秋

    ○横山委員 まだあなたは形式的の話をしていらっしゃる。私がなぜ形式的だと言うかということをあなたはおわかりのはずです。ほんとうに名実ともに約束を守れと言っておるのですよ。形だけなら何とでもできますよ。今ここでそらぞらしい答弁をして事をそらそうとしなさんな。ほんとうに名実ともにその場の水準にまで返って、そうして真に約束を守る、こういう気持でおっしゃているんですか。
  156. 十河信二

    ○十河説明員 真剣な気持で申し上げております。
  157. 横山利秋

    ○横山委員 これ以上いたしますと皆さんにも迷惑がかかると思います。総裁が今真剣な気持で十二時における労使のそれぞれのときの約束を守るということを私なりに受け取りますよ。いいですか。少なくとも今日これだけ議論をして、理屈でなく、あなたの人間性に期待をして私も話をし、それをそらぞらしくあなたがよもや形だけの約束を守るとは私は思いませんよ。ただ私が憂慮いたしますのは、こういう国鉄ではいかぬということであります。汚職が続発し、部下は約束を守らない。それを形の約束で済まそうとするようなことでは、これはだめだと思う。従って、今後生ずるかもしれない不慮の問題についても、きのう労働大臣が社会労働委員会でおっしゃったように、もう少し国鉄もいい経営者になってもらわなければ困る。これは労働大臣がおっしゃっておる。あなたは聞いていらっしゃらなかったけれども、副総裁は聞いてお帰りになったはずです。少なくとも約束を守って、どちらが約束に不利であろうがなかろうか、一ぺん約束をして、労働側はそれによって朝の実力行使をやめるに至るほどその約束について納得をして帰った。たった四時間もたたぬうちに約束を名実ともにほごにして、それでてん然としておったのでは、労働大臣に言わせるまでもなく、世間に言わせるまでもなく、あなたの国鉄に働く労働者は断じて納得しませんよ。その点をよくあなたは腹に据えて事態処理されるように、私は心から要望いたしたいと思います。
  158. 毛利松平

    ○毛利委員長代理 次会は来たる三十一日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十七分散会