○
福島参考人 大正鉱業労働組合の
組合長
福島武雄でございます。お
手元にお配りしております陳述書に若干の説明を加えまして陳述にかえたいと思います。
一民間
企業の再建をめぐる紛争を国会の
委員会が取り上げられるということは異例のことであることを承りまして、深い感謝の気持を持ってお伺いしたものであります。
昨年秋、通産、大蔵、労働、自治、四大臣が親しく現地視察をされたおり、絶対つぶさないからしっかりやる
ようにとの激励を受け、河上社会党
委員長からも深い御同情の言葉をいただき、私どもも歯を食いしばって再建のための
努力を続けてきましたが、生きるなま身の悲しさ、食わないでは働けないところから、また保安、生産資材の欠乏から、ついにやむを得ず緊急避難の措置をとるに至り、社会的にも重大な関心を呼ぶに至りましたことを遺憾に存じておりますが、事ここに至りました経過を述べ、また私どもの再建の方針をも述べまして、問題解決のため、再建のための御協力をお願いする次第であります。
三十五年十一月の賃下げ
合理化。先ほど
田中社長の方からも説明があった
ように、石
炭鉱業
合理化の波で
大正鉱業も、一、三十五年の二月に新中鶴鉱への起業要員百二十六名の配転による本坑の人員削限。二、同年四月、
鉱員三百四十名の希望退職募集の完遂。三、同年七月、福利厚生諸条件の切り下げ。四、同年八月、上期期末手当の四〇%支払いたな上げ。五、同年九月
基準外労働の三割削限強行と、相次いできびしい
合理化を強行いたしましたが、同年十月
会社は、大幅な
賃金切り下げを含む広範な
合理化提案を行なってきました。
これについては、結局十一月二十二日、一、予算
出炭確保のため出稼率の
向上、切羽別
出炭体制の確立、二、電気料、燃料代の負担分の引き上げ。三、一人
当たり二千八百円の
賃金切り下げ。四、配給所、病院の分離、その他をもって解決に至りました。
この争議解決にあたり
会社は、当然長期にわたった
賃金の遅欠配分を精算解消し、もって
従業員が
生活を整え、安んじて生産に取り組む態勢を作るべきであるにかかわらず、この精算立ち上がり資金の調達ができ得ませんでした。よって
組合は、みずからの手で四千五百万円の遅払い解消精算原資を確保し、
会社にかわって代払いを行ない、もって既往の
賃金遅欠配分を精算し、
合理化争議後の急速な生産立ち上がり体制を作りました。しかしながら、この
会社側債務は、今日ただいまにおいても、いまだ八百万円が未払いのまま放置されております。
合理化以降の
経営状態。こうしてこのごろ石
炭鉱業各社のほとんどが
赤字経営を続けている中で、
大正鉱業は
昭和三十五年下期で
出炭トン当たり五百三円という各社の倍額以上の金利負担を負いつつ、なおかつ十二月以降三十六年四月までの間、月九百万円から三千八百万円の利益を計上し得たのであります。このことは、
賃金切り下げその他
労働者への過酷な犠牲の転嫁と、
物品費その他所要
経費の大幅削減により、再生産をさえあぶなくする無謀な出費の圧縮によってこの結果を得たものでありますが、とにかくこうして
労働者の犠牲と協力の上に進められた
企業努力により、黒字
経営を続け得たにもかかわらず、次の通り主力融資銀行である福岡銀行への急速な借入金返済が強行され、利益の内部保留による生産体制の整備が放棄されたばかりでなく、逆に資金的に急速な行き詰まりを迎える結果をもたらしました。
福銀借入金残額の推移は、三十六年四月末十一億五千八百八十五万、三十六年七月末九億四千七百万、差引返済額二億一千百八十五万で、月産四万トン
規模、月間販売額一億六千万円の
大正鉱業の
経営において、月
平均七千六百万円、売上高の半分に近い銀行債務の弁済が強行されたのでありますから、
経営の行き詰まりをもたらしたのは当然のことであったというべきでありましょう。
ここで問題になりますのは、
田中社長が
経営を担当されまして、まず第一番に、
賃金切り下げを含む、先ほど報告いたしました
合理化、それから資材費が、各山で若干の差異はありますが、地方
大手では約五百円というふうにいわれておりますが、それを二百円から二百五十円に削減をされて、そのことは最終的に後ほど触れますが、一切の機材が老朽化をし、あるいは資材が確保されない、貯木場には一本の坑木も蓄積をされておらぬ、こういう結果をもたらしております。なおまた人員の削減、これがいわゆる
出炭と人員とのバランスを欠いて、
予定の
出炭が確保されないという結果を作り上げております。あるいはまた、新中鶴の起業資金あるいは退職をした人に払った退職資金、こういうものを一切短期で借り入れてあります。従いまして、毎月四千万から五千万という
赤字報告が今なされましたが、その中でなお七千六百万という金額が、毎月金利とも福岡銀行に返済をされておる。このことは当然だれがやっても
経営が成り立たないということは明らかであります。その中でこういう金額が返納されておる。なおかつ、開銀から出ました一億五千万円という金が、そのままそっくり福岡銀行に返済をされた事実もあります。こういう結果ではだれがやってもやれないということは明らかであります。
それから先ほど若干触れられましたが、
労働組合が今後ストライキをやらない、従って再建に協力をするという文書を入れながら、三十六年の五月にストライキを行なった、こういうふうに指摘をされております。事実十一日間のストライキを行ないました。このことは、ずっと以前から
田中社長の方からそのことを主張されました道義的な問題がありますので、わが方としてもそのことの公表は差し控えておりましたが、本日はその書類をも持参いたしております。一応読み上げてみます。
覚
新中鶴
炭鉱営業
出炭開始までの間、
組合は上部組織の指令に基く所謂「配給スト」に当っては、これが特別免除、公休振替等の措置を講じ予算
出炭の確保を約す。
尚
期間を通じての予算
出炭が確保された場合、
会社は爾後の期末手当について
大手妥結額に一、〇〇〇円を加算支給する。
昭和三十五年十二月二十九日
大正鉱業株式会社
取締役社長 伊藤 八郎
大正鉱業労働組合
組合長 林 秋男
こういう協定を結びました。三十五年の十二月のいわゆる期末手当の原資が出ない。どうしても原資が出ない。従って、金を借りるためにこういう協定をしてもらえまいか、こういうことで、この裏に裏協定というものを結んでおります。
議事確認
組合は、
会社の
経営実態が正常でない現情を認識し、予算
出炭確保のため、配給スト等が
企業の存続に影響するところ重大である点を銘肝し右覚を取交したものである。
元来ストを実施するかどうかについては、時間をかけ、
組合員独自が判断するものであるが、十二月三十日午前八時現在の時点において、緊急やむを得ず調印するに及んだものである。以上の実態に鑑み
組合は本覚の公開については特に慎重を期し、公開されることの無き様、広渡労働部長を通じ重ねて念を押したところ、今泉常務が責任をもって諒承し、同場所に居合せた近藤常務、伊藤監査役もこれを確認したものである。
昭和三十五年十二月三十日
福岡銀行からいわゆる年末手当を借り出すためにこういう覚書をかわしてもらいたいという、このことは一切公開をされないという裏協定であります。
大正鉱業株式会社労働部長広渡浩美、
大正鉱業労働組合組合長林秋男とあって、それぞれ印鑑が押してあります。
経営者の交代。こうした実績を残して、代表取締役
田中直正副社長は、三十六年五月末
賃金争議の終結とともに、代表取締役を辞して平取締役に下がり、かわって六月一日から、専務取締役今泉耕吉氏が代表取締役に就任、
経営を担当いたしました。このことは、まず第一点に、社内の中堅幹部の中で、非常に
田中社長の
経営方針についての批判がなされております。一例を申し上げますと、先ほど申しましたいわゆる
経営の
内容なり——それから、いわゆる学歴を持っておる非常に優秀な
技術職員が、当社にはたくさんおられます。大学を卒業し、あるいは専門学校を卒業して、恒久的な
経営の方針なり、
技術を担当されておる
技術の優秀な社員の方がたくさんおられます。ところが、
炭鉱では学歴は要らないんだ、実力主義でいくか、そういう人は要らぬということで、約四、五名のいわゆる学力者を残して、
あと一切淘汰してしまった。あるいは五カ月間行なわれました
田中社長の
経営方針にいわゆる中堅幹部から異論が出、重役連中からの反撥を買って、五カ月で退陣をされたというのが実態であります。学歴者の首を切ったというそのことは、今でも明らかにその意思が公表されております。このことは文書にして持ってきております。
通達
職員の昇給昇格は従来学歴、年功、序列等に基き行われたものの如くであるが、今後は実力主義を採用し、本人の技能勤務成績に
重点おき之を実施する
尚現時点が当社にとり重要なる段階にあるに鑑み、今次争議に際し特に功績ありたる者には解決後論功行賞を行う
右社長命により通達する
昭和三十七年二月二十七日
総務部長
こういうのが、最近職員に、通達命令として
田中社長から配付されております。
そういう
計画は、明らかに恒久的な、いわゆるこまかい
計画を立てる審議室なり、あるいは
技術担当部の中におらなくては、とうてい成り立たない。従って、ただ単なるその時点の
技術だけを求めても、
炭鉱経営というものは恒久的に
経営されないというのが実態であります。そういうものを無視して、そういう学歴等は要らない。いわゆる実力主義を採用するんだ。そうして、争議に功績のあった者については、解決後に論功行賞を行なう。これはもう労働史上まれに見ることかと思考いたします。
この夏、すなわち
昭和三十六年上期の期末手当について、炭労
大手会社は、一人
当たり二万四千五百円の、かつてない高額をもって妥結しましたが、
大正鉱業では、社業の現実直視の上に、スト行為に訴えることなく、他社の半額に当たる、一人
当たり一万三千円、ただし盆前支給一万円をもって解決いたしました。
会社は、この期末手当の支払い原資その他の越盆資金調達のため、福銀と折衝しましたが、期末手当一万円の支払い期日である八月十四日、福岡銀行は、逆に、融資の大幅引き締めつまりつなぎ融資月間約八千万円の中止の意思表示をしましたため、資金調達ができなくなり、期末手当その他の諸支払いも、またこれを繰り延ばすことになりました。さなきだに無謀な福銀返済を強行した上、つなぎ融資まで中止されては、
経営に責任の持てるはずもなく、翌十五日、代表取締役今泉耕吉氏らは辞任をいたしました。
伊藤体制での再建
努力。こうした事態を迎えて、八月十五日、取締役会は、伊藤八郎会長を代表取締役に立て、残留重役をもって
経営を担当すること、及び
経営中枢すなわち社長の補充人選工作、対福銀の融資工作を積極的に進めることなどの方針を決定いたしました。何分にも福銀の態度変化に伴う金融閉塞を自力で切り抜ける力のない
会社は、資金面では大口債権者を中心に、その援助、あっせんによる資金調達、首脳人事面では、
経営陣の補強策として、九州石
炭鉱業連盟顧問
田中丑之助氏の社長就任懇請の作業を進めました。
一方、私どもは、何日おきかに千円、二千円という全くめちゃめちゃの
賃金支払いで遅欠配額は累増し、将来に対する不安も増大して、
生活は全く疲弊し、暗たんたる状況に陥りました。食いつないでいくためには、やむなく社外で就労して、その日のかてをかせぎ出すほかに方法がなくなったのであります。このため
組合は、九月十一日以降、臨時休業措置をとらざるを得ない段階にまで至りましたが、このとき
会社は、従来の遅払い分は別とし、当面、当日就労分の
賃金は翌日に概算払いする、いわゆる日払い
方式を行なうこととしましたので、最低
生活は確保できるという見地から、休業は中止をいたしました。なお、
会社が進めていた
田中丑之助氏社長招聘工作は成功せず、一応中絶の形となりました。
再建協定の締結。この
ような経過の中で、
会社は九月十日、現況下
会社再建のため必要な措置として、再建に関する
提案を行なってきましたが、
組合もまた、学識経験者を含めた
企業実態
調査の結論などを
参考として、
組合としての再建構想を提示して討議し、結局、十月五日、次のことを骨子とする再建協定を締結いたしました。1、
組合側は
計画出炭の達成をはかる。労使間の諸問題については極力紛議を避け、平和的解決をはかる。2、
会社側は
賃金の定日全額完全支払いを行なう、
出炭達成のための必要機材、資材を調達、確保する。なお、
会社は、銀行その他債権者の協力並びに
経営体制の確立が再建達成の不可欠の要素であることを確認し、そのための
努力を払う。この協定の成立で明るい空気を取り戻した私どもは、再建達成への希望に燃えて
出炭に
努力し、次の通り着々その実効を上げ、
出炭原価面においても千五百万ないし二千万円の黒字を計上するに至りました。九
月出炭実績二万七千二百トン——九月というのは、そういう問題をかかえて内部が混乱をし、あるいは就業不可能だということも関連をいたしまして、非常に就業率が落ちております。この実績が二万七千二百トン、個人
能率が十三・七トン、出勤率が七三・六%であります。十月は、五日に締結をいたしまして、若干の立ち上がり期日を要しましたので、月産四万百二十トン、個人
能率二十一トン、出勤率七七・九%であります。十一月は、四万二千三百五十トン、個人
能率二十一・三トン、出勤率八〇・三%であります。一方、
会社は、この協定にかかわらず、
賃金の定日・全額払いができず、さらに
坑内機器の補充整備、保安の確保には全く手が回らないため、負傷者は激増し、一日
当たりの
出炭関係機器故障時間は、七百六十分という驚くべき実情にありましたが、私どもはなお前述のごとく超人的
努力を行ないました。この間、佐藤通産大臣の支援声明もあって、通産局及び業界団体である
石炭協会あげての支援工作が進められました。このため、一時は断念していました
田中丑之助氏の社長就任の内諾もあり、再建資金融資工作に当たられましたが、十二月下旬に至り一切が徒労に終わりました。これは十一月には、先ほども説明がありました
ように、大体
トン当たり五百円
程度の資材
コストを持っておりましたけれども、当社では二百円から二百五十円に下がっております。このことから、一切新しい機材が入ってこない。従って、ここに書いてあります
ように、交代時間を除いて、十一月は一日
当たり九百六十分、約十三時間という故障時間を数えております。その中でわれわれは四万二千三百五十トンの
出炭をしてきた。このことは、そういう非常に環境の悪い
坑内状況の中で、われわれの手で何とか再建をしなければならぬ、こういうことが全山を包みまして、
労働者の手で必ず再建をしてみせる、こういう気がまえに燃えてわれわれは
出炭に協力をいたしたからであります。その間、いわゆる福岡銀行の融資なり、あるいは社長人事の補強なり、こういうものが決定をされると、そのことが裏づけにされて本格的な再建が進められる、こういう希望に燃えて協力いたしましたが、十二月に入りましてからは、ほとんどいわゆる採炭場の機材の故障が多く、一日ほとんど故障時間にとられてしまって、全く炭が出ない
ようになった。このことは、非常に機材が老朽化し、あるいは坑木が入ってこない、あるいは火薬が制限をされる、こういう環境の中で、十二月はまた生産が非常に落ちた、こういうのが実態でございます。
六番目は、
田中新社長の就任であります。しかしながら、私どもは、最後まで大正再建の希望を捨てず、年明けて本年一月
政府当局に
経営安定
対策委員会の設置を求めました結果、通産大臣のあっせんにより、一月二十日、取締役
田中直正氏が代表取締役社長に就任しました。これに先だち、福銀は手形の割引も中止いたしました。
組合は、累積された遅払いと生産、保安に必要な資材の欠乏がその極に達している
現状の早急な改善を求めて、新社長に団体交渉の申し入れを行ない、当面緊急の手当を求めましたが、交渉は全く拒否されました。私どもの米びつはからになっていました。まさにその日の
生活にも事欠き、正常な就労は全くおぼつかない
現状を述べて、一月三十日、
会社に対して次の五項目の確認を求めましたが、
会社の回答は、私どもの苦衷を無視し、その協力態度に報い
ようとする誠意を欠くものでありました。
「一、
賃金を含む
労働条件は、現行
基準を最低として確認し、
賃金その他未払い分債権の即時支払い精算を求める。」
賃金を含む
労働条件、現行
基準と申しますのは、十月五日にわれわれは平和条項を認めて
会社側と再建協定を結んでおります。先ほど骨子を説明いたしました。このことは、われわれは譲るべきぎりぎりの線まで譲って、われわれはいわゆる平和条項も入れて
会社と協定書を取りかわしております。従いまして、
賃金を含む
労働条件は、十月五日に結んだいわゆる再建協定を最低にしてもらいたい、こういうことを要求として出しております。
会社回答、「第一項は再建
計画と不可分の
関係にあるので、再建
計画の中でその方針を決定する。」「二、自己の都合により退職を希望する者には、退職届提出後七日以内に退職手当等の全額支払いを行なうことの確認を求める。」「三、
賃金の定日・全額支払いの実行確約を求める。」
会社回答、「第二及び第三項は、再建
計画が実施に移され
経営が正常な状態に復した暁、早急に要望に沿って善処したい。」これは、全額
賃金の支払いは、将来再建ができなくては約束できないという意味のものが盛られております。「四、対外旧債務の返済は、
企業運営正常化の時点まで責任を持って留保する
よう措置することを求める。」
会社回答、「第四項は、
会社再建のためには、外部の援助協力に待つ以外道がないので、この際回答の限りでない。」「五、その他必要な諸事項の履行、善処を求める。」
会社の回答なし。
たとえば、私どもが当面最も問題にしていた
賃金支払いについていえば、一月末日に支払われた一律わずか千二百円の十二月分
賃金内払いによって、再建案提示時期——二月十五日ごろの予想——までの半月間を食いつなげということであり、今後の
賃金支払いについても、
経営正常化までは定日・全額払いなどの確約はできないというものでありました。この千二百円の支払いは、通産大臣の口きき、今まで手形の割引を停止していた福岡銀行から割引いてもらったものですが、
田中社長は、この手形千二百万円の中から、その半額を旧債の金利として福銀に納めました。六百万円の金利は、
労働者一人
当たり三千円をこえるものであります。食うや食わずの
鉱員には千二百円を支払っただけです。私どもは血の涙を飲む思いをしました。
ここで、新社長が就任をされる若干のいきさつを報告しておきたいと思います。
田中丑之助氏が福岡銀行に二億円の融資を頼むとともに、
政府から六千三百万円の
近代化資金の融資をしてもらい、債権者間で約七千万円の融資をしてやろう、こういう形で融資を求めて、再建を
田中丑之助氏によってやろうということで作業が進められましたが、
政府の
近代化資金は、非常な
努力をして出していただきました。まず債権者の方には二千万円という金を出してもらっております。従って、福岡銀行がその二億円の融資一切を最後まで拒否した。ただ、福岡銀行に言わせれば、コマーシャル・ベースに合わなければ金は一切貸しません、従って、返ってくるあてがある金であれば貸しますけれども、おたくに貸したら返ってこない、そういうことで一切貸すわけにはいかぬ、従って、福岡銀行は
大正鉱業の
企業その他に関与する意思は全くありません、そういうことで最後まで突っぱねられまして、
田中丑之助氏は、福岡銀行の二億円の融資がつかないということから、十二月下旬に一切の話は挫折をしたわけであります。従いまして、通産大臣その他が現地に来られましたときにそういう激励を受けましたので、われわれは再度上京いたしまして通産大臣に呼ばれまして、
大正鉱業の問題について話し合いを進めております。そのときにわれわれは、大正再建
委員会というものを一つ
政府の責任において作ってもらえぬだろうか、こういう要請をいたしましたところ、福岡銀行は一月十日をもってその時点で商業手形一切の割引の拒否をしてきております。こういう
関係で、一月十九日に通産大臣から呼ばれまして、今のいわゆる
政府の
機構の中で一
企業に金を貸してやるということになっておらぬ、あるいは膨大な負債をかかえておる
大正鉱業に他の銀行が金を貸すというところも出てこぬ。しかしながら、大正を何とかして再建をしなければいかぬ。あるいは通産省も折紙をつけておる
ように、非常に優秀な
炭鉱で、埋蔵炭の炭質においても非常に優秀だ、これをつぶすとなると、その影響は非常に大きい。あるいは
会社がそういう七千六百万円という金を毎月銀行に払い込むために、そのしわがどこに寄るかと申しますと、いわゆる
労働者の
賃金が払えぬ、マイト代が払えぬ、資材代が払えぬ、あるいは電気代が払えぬ、貨車金がとまる、こういう結果をもたらしております。そういうことだから、どうしても大正は金が要る、資金を投入しなければ再建ができぬ。そうなると、いやでも取引銀行である福岡銀行の言うことをきかなければいかぬじゃないか。それで
田中直正社長という話が出た。いろいろ問題はあろう、あろうけれども、資金を導入しなければならぬというこの実態の上に立って求め得るものは、どうしても福岡銀行以外に融資をするところはないぞ、従って、問題はあろうけれども、一つ
田中直正社長を受け入れて再建に協力をしてもらいたい、なお今後いろいろ問題があろうが、第二
会社に移行せずに、
労働条件を
引き下げずに、今の形のままで再建をするとするならば、福岡銀行の言い分を通さなければならぬぞ、従って、
田中新社長になって問題が出てくる、そのことが当然予想される、そのときには、労働省に行かずに、通産大臣、私のところに相談に来なさい、このことは、一月十九日、参議院の院内で通産大臣からわれわれが受けた
内容であります。従いまして、われわれとしましては、一昨年の
田中社長の
経営その他については骨身にこたえておりますが、そのことをわれわれがここで拒否をしても、どうにもならぬ。
田中社長そのものをいやとか何とかいう権限もわれわれにはない。従って、機関といたしましては、
田中社長よろしゅうございます、従って、一月二十三日に前の伊藤八郎さんから、団体交渉の席上で、
田中直正社長に引き継ぎました。こういうことから、
田中新社長にその後三回にわたって文書で団体交渉を申し入れましたが、一切拒否されております。先ほど団体交渉の席上と言われましたが、団体交渉にはまだ一回も
田中社長は出てきておりません。山元にもまだ一回も姿を見せたことはありません。
労働組合は、まず当初
賃金を払って下さい、そうして
坑内の資材を入れて下さい、そのことが可能になってわれわれが働ける状態の中で話をし
ようではありませんか、こういうことで、まず飯を食わせろという要求から始まって、三回にわたる文書の団体交渉の申し入れをいたしております。一通のごときは、自宅に行って、奥さんから、玄関にも入れてもらえなかった、あの通用門の上の郵便箱の横のくぐり戸、戸を手前に引っぱって五寸角ぐらいの口がありますが、そこで書類をとられたという実績もあります。こういうことで、
田中新社長は
本社に来られまして、一回の団体交渉にも出られませんし、一回も山に来られぬ。そういう中で、まず
労働組合の無条件協力ということが前提にならない限り、金が出ないぞ、
賃金は払えないぞ、資材は買えないぞ、これが終始一貫、
田中新社長の意向であったわけでございます。そういう形で、福岡銀行がそういう要請の中で求めて
田中新社長を大正に送ってきた。そのことは当然何がしかの再建資金がついておらなければならぬ。
田中新社長に再建資金がついておらない限り、これはだれがきても同じだというふうにわれわれは
考えております。従って、
賃金も若干は払ってもらえるぞ、あるいは退職した人がもうすでに三千四、五百万円の退職金が未了になっておりますが、
田中新社長が来ると何がしかの退職金ももらえるだろう、この人たちは、
会社は退職をした、退職金は一銭ももらえない、あるいは失業保険も四十日間はもらえない、こういう中で、ほとんど売り食いをして
生活をつないでおる、こういうのが実態であります。従いまして、そういう中から私たちは十二月分の
賃金を一月二十日に二千円、それから一月二十五日に二千円、それから先ほども若干述べました
ように、一月三十一日に千二百万円の商業手形を福岡銀行に持っていって、これで何とか若干の資材代と
労働者に飯を食わせる金を作ってもらいたいということで商業手形を持ち込んで、通産大臣のいわゆる口ききもあって千二百万円の商業手形を割った。その中で、
会社と銀行の話し合いの中で六百万円は金利で差し引かれております。こういう実態であります。
緊急避難の一斉休業。
労働者に餓死させても銀行を大事にする社長のもとでは、山を守ろうにも命が続かないので、座して死を待つよりはと、全員が総辞職をきめました。まともに金を払うところで働いて食いつなぐか、失業保険にたよろうとしたわけです。ここまで山を守ってきたのに、その山を去らねばならぬ私どもの感慨は無量でありました。しかし、上部組織の炭労はこの決議の実行をとめ、当面の人道的な問題である未払い
賃金の解消と、生産持続の絶対要件である保安生産資材の充足だけに問題をしぼってもっと交渉することを命じ、その間における
生活資金を用意すると申し入れてきました。私どもはこの炭労の指令に従って総辞職をやめ、炭労とともに、
経営者として最低限の義務である両問題だけに限って交渉しました。しかし、
会社側は、諸君がこれから掘り出す
石炭を売って金を作るほかに金はできないし、まず
田中体制に無条件に協力してもらわねばならぬと答えただけでした。ロボットではない私どもは、食わぬで働くことはできませんでした。就任以来、
賃金を下げねばならぬ、
人員整理をやらねばならぬと盛んに新聞に発表している社長に対して、再建案も見ないうちに無条件協力を求められても、返事のし
ようはありません。一方、一月二十九日以来
坑内の
調査をされた保安監督部では、二月六日、八十数項目に上る保安法違反をあげられました。そこで私どもは、二月七日以降、もう就労することができなくなったと通告しました。食うためには、金を払ってくれるところで働かねばならぬし、
坑内は危険だし、いわば急迫の危難を避ける緊急避難で、争議行為ではないと私どもは
考えています。この通告をしましてから通産局長の仲介もあり、二月六日夕方十二月分
賃金残額の五〇%が払われ、二月七日の朝にも、緊急避難を避けることを条件に、十二月分
賃金の残額を二月八日に払う、一月分を二月二十日と月末に払うという
提案がありましたが、しかし、もうみんなの腹はきまっていましたし、この日の朝では手おくれでした。長い遅配ととんびとんびの少額支払いで借金もできていましたし、そんな支払い方では焼石に水でした。今になって何を言うかという気持も
組合員を支配しました。保安状態も危険だったのであります。この一斉休業に入った時点でわれわれが非常に苦労しましたのは、もうどうしても食うことができぬ、
炭鉱に働いてもいつ
賃金がもらえるかわからない、従って、全部外部に働きに行こうではないかということが出てきまして、この時点ではすでに
従業員の三〇%
程度しか就業ができぬ、こういう実情でございました。従って、
労働組合といたしましては、ここで各人ばらばらに就業すると、一番悲惨な目にあうのは
労働者であります。従いまして、これを統一をしてどうこの問題に対処していくか、処理をしていくか、こういうことをいろいろ機関で決議をいたしまして、われわれは総辞職をいたしまして、失業保険によって飯を食おう、そうしてその中からわれわれの手でこの大正の再建をやろうじゃないか、こういうことをきめまして、七日から一斉就業に入っております。その時点ではすでに米びつには米もありません。
坑内に下ってけがをしても、労災の補償はありません。
会社が労災金を納めておらぬために、給付制限になっております。病院に行っても、油紙がないために新聞紙で患部を巻いております。六十四ベッドがありますが、今でも十二月分の
賃金を払ってもらえないということから、お医者さんが六名中三名までやめるという意思表示をされております。医は仁術といえども、お医者さんでもやはり食えなければどうにもならぬのだというのが実態であります。あるいは、いわゆる豆炭工場を下請でやっておりますが、あの小さい
企業に、
田中新社長が来られたときに約一千万、それから以降にわれわれが買った代金も、
会社の補助金も一切出さぬということで、再度一千万、約二千万という負債をかかえております。そういう中で
企業が回っていかない、あそこに働いている
労働者に金を払うこともできぬ、こういう中で私どもはにっちもさっちもいかぬ、あるいは金も払ってもらえぬ、新社長は来たけれども、一回も顔も見せぬ、こういう中ではどうにもわれわれの
生活はできませんし、あるいは
坑内で働くという裏づけがない、こういうことから、やむなくわれわれは緊急避難として一斉休業に入ったわけであります。
緊急避難の保安要員引き揚げ。このとき、飢えている
組合員の中から、不確定な後払い
賃金の約束で保安要員を選ぶことはできませんでした。そこで労使の間で、保安要員の
賃金をその翌日払いとする協約が成立いたしました。この協約で、二月七日から二月十五日まで保安が確保されました。ところが、二月十五日になって、
会社は、もう資金調達ができないから、翌日払いの制度を中止すると通告してきました。保安要員の費用は一日約六万円です。どんなに行き詰まってつぶれかかった山でも、大事な資産であり、また抵当権の設定してある資産を守るための費用は、
経営者はどんな無理をしてでも調達するものであります。保坑費用も作れない
経営者では困るのであります。ところが、これをめぐって交渉をやっているさなかに、夜ひそかに職員の家庭を回って、十二月分
賃金の残額と見られる総額約二百万円の金が配られました。時を同じくして、
炭鉱ではただ一つの炊事と暖房の燃料である豆炭の供給も中止されました。二百万円というと一人頭約七千円の
賃金が、夜の夜中に経理課の職員によって職員の各家庭に配られております。たまたま十六日の日に、
会社の方から、保安要員の後払いは一切できません、あるいは豆炭購入の金を渡すことができませんので、燃料の豆炭供給は中止します、あるいは、病院の薬がないので、がまんをしてもらいたい、こういう申し入れについてやっているさなかに、九時、ころ、夜の夜中に、
会社側は、経理職員によって、職員だけに一人頭約六千円から七千円の給料をひそかに配付しておる、こういう事実を突きとめております。
組合員の購入していた豆炭券約四十万円は不渡りになりました。これでもか、これでもかという、いわゆるいやがらせが続きました。それでも
組合は、確実に
あとで支払うことが確認されるなら、炭労から金を借りて立てかえ払いをしてでも保安要員を出そうとして、二月十六日には最低限の保安要員を出してもみましたが、確約は得られませんでした。そこで、ついに二月十七日以降、保安要員も緊急避難の措置をとりました。しかし、職員は
賃金の支払いをしてもらったばかりですから、職員
組合に頼んで、職員の手で最低限の保安を確保してもらっています。二月十六日に、八時五分前ごろに、
会社の青木重役が帰って見えましたので、十六日に出しておる保安要員の
賃金なり、十七日以降の保安要員の
賃金についてはどうするのか、こういうことで尋ねましたところ、そういう
賃金は一切できぬという話をされておりましたが、最後には、一日から十五日まで働いた分はその月の二十日、十六日から月末まで働いた分については三月五日、いわゆる翌日の五日、こういうことで支払いたいという申し入れがありました。そのことは何回となく文書で
賃金を払う払うというふうに約束されたのでありますが、一こうに実行されておらぬ、従って、口約束だけではわれわれはどうにもできぬ、従って、何か裏づけがあるかどうか、こういう話をしているさなかに、職員が金を配ったという情報が入りましたので、一時休憩をして
組合にわれわれは引き揚げたわけであります。約二十分くらいして、わが方の態度をきめるのに若干の時間が要るから、しばらく待ってもらいたいという電話連絡をいたしましたところ、青木重役、日高
調査次長は、すでに自動車でどこに行ったかわからぬということで、いわゆる姿をくらましたのが十六日の夜であります。従いまして、そういう責任のない行動でわれわれに対処するとするならば、われわれも保安要員を引き揚げざるを得ない。十九日の日に団体交渉を開くというふうに
会社の方から一応申し入れがあっておりますので、十九日の団体交渉でその点が明らかになるまでは、保安要員については、職員三百名によって保安確保をして下さい、こういうことを当時の責任者である伊藤卓郎課長に口頭で申し入れて、二月十七日以降保安要員の引き揚げを行なっております。
地労委の事情聴取と
勧告。二月十七日福岡県知事の要請で地労委が事情聴取をされ、二十八日に、
組合は保安要員を出すこと、
会社は確実に
賃金を払うことという趣旨の
勧告を出されました。
田中社長の約束は当てにならぬのですが、地労委の
勧告をもし
会社が受諾すれば、地労委を介して社会的に
賃金支払いを確約することになるわけですから、私どもは一時
組合が立てかえ払いをしても、保安要員を出すことを喜んで受諾しました。もともと保安要員の引き揚げは争議戦術ではなく、保安要員の
賃金が払われなかったことから起こったものですから、当然でもあります。しかし、
会社側は事実上拒否にひとしい条件をつけて、
組合員による保安の確保を拒もうとしています。この条件というのは、まず第一点に、保安要員を出して金を払うということであれば、
労働組合は
田中体制に協力をするという体制を作りなさい、それから保安業務については、一切
会社の指示に従うこと、あるいは
会社の保安要員を入れる人員に制限をいたします、特定の者については、そういう者は
坑内に下げてはいかぬ、保安要員に使っちゃいかぬ、あるいは福岡銀行なり、そういうところの抗議行動をやめなさい、こういう条件をつけて地労委に回答がなされております。従いまして、地労委としては、事実上
会社の方は拒否をしたというふうに見ております。これまでの、そしてまたこの態度を見ると、
田中社長は
組合を激高させて、
組合の手で、
組合の責任で山をつぶさせ
ようとしているのではないかと思われます。
組合の手で山をつぶさせて、休山の中で銀行以外の債務を切り捨て
ようとしているのではないかと
考えられます。
大正鉱業は、
労働者や鉱害農民、
中小資材業者、商社、農業協、社会保険等に十億をこえる債務を持っているからです。
憶測までつけ加えて失礼しましたが、経過は以上の通りであります。
組合側の再建方針の大要。最後に、私どもの
考えている再建の基本方針の大要を簡単に申し上げます。
一、現段階では、新中鶴
縦坑の本格的
出炭よりは、その前に、まず中鶴本坑の恒久的な
出炭体制を確保するために
重点投資を行なうこと。このための長期資金の確保と確固たる開発
計画を策定すること。二、新中鶴
縦坑開発
計画は、資産処理による借入金の償還、開発資金、
近代化資金の導入と見合わせながら実施するものとし、従来の
ような
経費処理や短期借り入れで運転資金まで行き詰まらせることのない
ようにすること。三、今
大正鉱業は物心両面にわたって荒れ果て、生産面、
技術面ともに萎縮してしまっているので、当面の資金処理の
重点をまず未払金と緊念な保安、生産資材の投下に置き、この萎縮生産からの脱却をはかることであります。
大正鉱業今日の危機は、十二億に上る新中鶴
縦坑の開発費の半額を経常費でまかない、あるいは短期借入金でやりくりするという無理算段のため、新
縦坑の完成前に肝心の中鶴本坑の設備や機材が参ってしまい、
労働者も飢えるに至ったところに原因があります。従って、再建築は、この危機の本質をつかんで、従来のやり方の批判検討の上に出発しなければならないと私どもは
考えます。私どもはいまだに
田中社長の再建構想を聞かされていませんが、
中小B級並みに下げた
労働条件をさらに
引き下げたり、優秀な
鉱員を逃がしてしまう
ような
人員整理で立ち直れるとは思わないのであります。
公正な
委員会の各位が十分御審議の上、社会的にも人道的にも納得のできる形で問題が解決され、再建ができます
ようお力添えをお願いいたします。また、私どものやむを得なかった緊急避難の措置に御理解を賜わります
ようお願いいたします。御清聴を感謝いたします。
以上をもって
意見にかえさせていただきます。(拍手)