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佐藤国務大臣 大
へん専門的なお話が出て参りました。ただ、
経営の基本に関する問題でございますから、その点についての
滝井さんのお考えも聞きたいし、私も
意見を述べたいと思います。
資本主義経済のもとにおいてという言葉がしばしばございますが、
能率が上がらない場合にそれが一体どうなっていくか、これはおそらく、
資本主義経済だろうが共産主義経済だろうが、
能率が上がらない山を無理やりに助けていく方法はないだろうと思います。ただ、その場合に、その山が一体どういう形になるのか、第
一段の場合といいますか、大
企業の
経営には不適当だが、小
企業の場合には存続される、こういう場合も実はあり得るんだ、そういう形態が許されるのは、
資本主義の建前ばかりじゃないだろうと私は思う。おそらく、規模を小さくして
経営するということは、共産主義の場合でもあるのだろう、かように私は思います。全部が国だから同じことだと言われるかもわかりませんが、おそらく、生産規模の大きいものと小さいもの、そこの力の入れ方は、共産主義の国でもやや力が変わってきはしないか。これはそれぞれの経済行為として見た場合には、共産主義もなければ
資本主義もありません。また、自由経済もなければ、統制経済の差もないと私は思います。そこで、しからば非
能率の場合は一体どういう形に進んでいくのか、ただいまの
炭鉱経営の場合だと、労使の間のバランスがとれておるなら、これは双方で話し合いがうまくついていくはずであります。もし一方が強かったら、その強い方の主張が通る。あるいは過去も現在も資本家が強いという御主張があるかもしれませんが、私は率直に言いまして、資本家がいりも強い
状況じゃない、問題は、労使が同じ立場に立って、双方がひざを突き合わせて話し合う、ここに解決の道があるのではないか。先ほど
大峰のお話が出ました。峰地鉱のお話が出て、これが悪い先例だということを言われておる。しかし、私の聞いたところでは、これは聞き方があるいは不十分であるかわかりませんが、峰地鉱の場合には、前の古河が退職金を支払って、その退職金を運用することによって、新
会社で働いておる人
たちもその運用等で必ずしも収益は下がっておらない、こういう話をされております。おそらくこういう点が、新
会社を設立して、そこで引き続いて採炭する、こういう点の話し合いがついたゆえんだろうと私は思います。もし話し合いがつかないのなら、第二
会社など絶対にできるはずはない、こういうふうに思います。どの
程度まで
組合と
経営者との間での話し合いがついたか、大事な
鉱害の復旧はそれじゃできておるのかどうか、あるいは
保安の問題はどうだ、こういう問題が私
ども行政官庁としては非常に気になる問題であります。
鉱害復旧の問題は、新
経営者が一応形の上で引き継いでその
責任を負うといっても、これを実際に負わないなら、これは私の方が行政指導する点があるだろう。また、第二
会社になったために前よりも
保安が非常に悪くなった、こういうことでありますならば、もちろん監督官庁として、生命に関することですから、
責任を持ってこれは整備しなければならない。そういう事柄が
会社経営の負担になって、
経営ができなくなる、こういうことがありましても、これは仕方がないことだと私
どもは思います。そういう場合には、その山をやめていただく以外には方法はないだろう、しかし、それが一通りの基準にかない、そして一応済んでおり、同時に、双方で話し合いがついておるなら、これは私は、特に労働条件が過重になったとかなんとかいうだけで、形式的な労働条件で云々するわけにはいかぬだろう、ただ、もちろん、今の労働基準法にも、これが非常な過重労働、こういうことになることについては、法規がございますから、
賃金は安くなりましても、労働時間なりはやはり法規を守らざるを得ないから、それまでの搾取はないだろうと私は思います。さらに進んで、第二
会社が今度租鉱権者に移るとか、さらにどうとかいう場合に、ただいま申し上げました行政官庁として
責任をとる点、これを強く堅持していくことが
一つ、もう
一つ、私
どもが最終的にこれだけは絶対にやらしてはならないと思いますととは、
政府が
買い上げた山を再び掘らすということは、これは絶対にさせない、今度はこの点だけは非常に明確になったようでございます。だから、この点は一歩進んだと思います。この問題は、いろいろの
鉱区の問題のお話が出ておりますが、なるほど、今地下資源としては一部残っておる、隣の
鉱区とこれが一緒になればその山が掘れるという話をしばしば聞いて、
鉱区の譲り受け等を希望した向きもあるようであります。これな
ども法律でやはり規定をしていて、
保安上そういう掘り方はいかぬ、その
鉱区を譲ることはいかぬというような問題もあるようでございます。これも、
経営者同士だけでは
鉱区の譲り渡しはなかなかできないと思います。
組合が必ず了承しないと、
鉱区の譲り渡しをやっておらない。
また、
滝井さんの先ほどの従業員の転職の話、七万人のうち、あるいは五万人が再就職するというお話がありました。だんだん小さい
会社に行くというお話がございました。私は、小さい
会社に行く例ばかりでもないだろう、大きい
会社にも移るのではないかと実は思います。
炭鉱労務者ぐらい、離職が多くて再就職の多いものはない。これは先ほどのような実例だけでお話しにならないで、総体の大量観察をしてみると、必ずしも不都合ばかりではないのではないかと実は思います。ただ、私が先ほど来のお話で一番気になります点が
一つございます。それは、私
どもが今日まで五千五百万トンの
数字を申し上げた。それで、
滝井さんがお聞きになりますように、五千五百万トンの
数字にこだわる限り、離職者、退職者はどんどん出てくるのではないか、この点でございます。この点は、私
どももうすでに御披露いたしましたように、五千五百万トンを絶対それよりふやさないと申しておるのではございません。だから、採算がとれる方法があるならば、それは五千五百万トンが六千万トンになったって、六千五百万トンになっても、これは大丈夫でございます。けれ
ども、ただいまのところ、まだ五千五百万ンの炭が出ていないのだから、今から、六千万トン掘るのだとか、六千五百万トン掘るのだとか、そうしてそれが千二百円
下げて
石油とも太刀打ちができるのだということは、いかにも先走り過ぎるという感じがいたしますので、私は、ブレーキをかけておるのでありまして、千二百円
下げができたり、あるいは千三百円
下げができるというような
状態のときに、五千五百万トンにくぎづけにする要はないと思います。従いまして、
石炭産業というものを、国内資源である
石炭は引き続いて掘っていく、こういう立場に立っております限り、これはぜひとも盛り立てていくつもりだし、そうするならばおそらく
能率が上がり、そうして新鉱が開さくされるならば、これは従業員自身が離職するといううき目を見なくても済むのではないか、かように思います。本来の姿はそういう方向であってほしい。ただいまの
段階では、やむを得ず、
合理化が進まない、こういう立場から、ある
程度労働者の数が減る、こういうことになる。これは本来望ましい姿ではございません。私
ども、そういうことを避けたいと思います。しかし、なかなか
合理化が進んでいかない、ここに実は悩みがあるのであります。いろいろお話がございましたが、私は、
経営者自身のわがままは許すつもりはございませんが、しかし、経済的なあり方としての
労使双方の話し合いというものがやはり中心をなす、
政府、役所が関与する範囲はおのずから限定されるものだということを御了承いただきたいと思います。