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1962-04-11 第40回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月十一日(水曜日)    午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 中野 四郎君    理事 小沢 辰男君 理事 齋藤 邦吉君    理事 澁谷 直藏君 理事 藤本 捨助君    理事 柳谷清三郎君 理事 小林  進君    理事 五島 虎雄君 理事 八木 一男君       安藤  覺君    伊藤宗一郎君       浦野 幸男君    大石 武一君       大橋 武夫君    加藤鐐五郎君       佐伯 宗義君    中山 マサ君       永山 忠則君    楢橋  渡君       松山千惠子君    渡邊 良夫君       河野  正君    島本 虎三君       滝井 義高君    中村 英男君       吉村 吉雄君    井堀 繁男君       受田 新吉君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 灘尾 弘吉君  出席政府委員         厚生政務次官  森田重次郎君         厚生事務官         (大臣官房長) 山本 正淑君         厚 生 技 官         (環境衛生局         長)      五十嵐義明君         厚生事務官         (社会局長)  大山  正君         厚生事務官         (援護局長)  山本淺太郎君         通商産業事務官         (企業局長)  佐橋  滋君  委員外出席者         議     員 八木 一男君         大蔵事務官         (主計官)   岩尾  一君         厚生事務官         (援護局庶務課         長)      福田 芳助君         厚生事務官         (援護局援護課         長)      石田 政夫君         厚生事務官   横溝幸四郎君         参  考  人         (日本赤十字社         副社長)    田辺 繁雄君         専  門  員 川井 章知君     ————————————— 四月十日  委員井堀繁男辞任につき、その補欠として佐  々木良作君が議長指名委員に選任された。 同月十一日  委員佐々木良作辞任につき、その補欠として  受田新吉君が議長指名委員に選任された。 同日  委員受田新吉辞任につき、その補欠として井  堀繁男君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 四月十日  ばい煙排出規制等に関する法律案内閣提  出第一四二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第七二号)  臨時医療報酬調査会設置法案内閣提出第一〇  一号)  ばい煙排出規制等に関する法律案内閣提  出第一四二号)  生活保護法の一部を改正する法律案八木一男  君外十一名提出衆法第九号)  医療法の一部を改正する法律案滝井義高君外  十一名提出衆法第二八号)      ————◇—————
  2. 中野四郎

    中野委員長 これより会議を開きます。  内閣提出ばい煙排出規制等に関する法律案議題とし、審査を進めます。     —————————————
  3. 中野四郎

    中野委員長 提案理由説明を聴取いたします。灘尾厚生大臣
  4. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいま議題となりましたばい煙排出規制等に関する法律案提案理由を御説明申し上げます。  近年、製造業その他の産業の急速な発展とその都市集中に伴い、主要工業都市におきましては、工場事業場から排出される煤煙等による大気汚染が著しくなってきており、公衆衛生上放置することを許さない事態に立ち至っているのであります。この問題は、急速に発展しつつあるわが国の産業活動国民生活環境との間における避くべからざる摩擦現象でありますが、健康にして快適な生活環境を保全し、かつ、産業発展を健全ならしめるよう両者の調整をはかることが必要であることは言を待たないのであります。  政府といたしましては、この問題につきまして、数年来、種々調査研究を進めてきたのでありますが、このたび、国として煤煙等排出について何らかの規制を加えることが必要であると考えまして、ここに法律案提出することとした次第であります。  本法案の主要な内容は、次の通りであります。  第一に、煤煙排出規制する地域といたしましては、工場事業場が集合することにより、煤煙による大気汚染が著しい地域指定地域として政令で指定することとしたのであります。  第二に、煤煙排出規制する施設といたしましては、工場事業場に設置される施設のうちから、煤煙を多量に発生する施設煤煙発生施設として政令で指定することとしたのであります。  第三に、煤煙排出規制する基準といたしましては、厚生大臣及び通商産業大臣が、指定地域ごと施設種類別排出基準を定めて、その順守を義務づけるとともに、都道府県知事にこの基準による現実の取り締まりをゆだねることとしたのであります。  第四に、規制の具体的な方法でありますが、指定地域内において新設し、または改造する煤煙発生施設について、事前届出制度を採用して一定期間を限ってその計画の変更または廃止を命じ得ることとし、さらに、現に指定地域内の煤煙発生施設から排出基準に適合しない煤煙排出している場合においても、所要の改善を命じ得ることとしたのであります。  第五に、以上のような通常の状態における規制のほか、煤煙特定有害物質についての事故時の措置及びスモッグの発生による緊急時の措置につきましては、大気汚染防止の見地からする所要規定を設けることといたしております。  第六に、大気汚染による被害に関する紛争についてでありますが、この種の紛争解決に迅速を要し、また判定に専門的知識を要するなど本来裁判制度になじみがたい性格を有しており、現状において必ずしも合理的な方法解決を見ているとは言いがたいものがあります。このような実情にかんがみまして、本法におきましては、大気汚染防止のための規制とあわせて、都道府県知事による和解の仲介の制度を設け、紛争処理を合理的な軌道に乗せようとはかったのであります。  第七に、大気汚染防止について実効をあげるためには、前述のような規制を行ないます反面、煤煙処理施設の整備の促進について、所要助成措置を講ずることが必要でございます。このため、煤煙処理施設に対する固定資産税の免除及び中小企業設備近代化資金貸付制度の活用をはかることといたした次第であります。なお、このほか、この法律の円滑な実施に資するため、煤煙処理技術大気汚染の人の健康に及ぼす影響等につきまして、国が積極的に研究を推進し、その成果を普及することに努める所存であります。  以上がこの法律案提出する理由であります。何とぞ慎重御審議の上、御賛同下さいますようお願い申し上げます。
  5. 中野四郎

    中野委員長 なお、本案に対する質疑は後日に譲ることといたします。      ————◇—————
  6. 中野四郎

    中野委員長 内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案臨時医療報酬調査会設置法案八木一男君外十一名提出生活保護法の一部を改正する法律案及び滝井義高君外十一名提出医療法の一部を改正する法律案、以上四案を一括議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。小沢辰男君。
  7. 小沢辰男

    小沢(辰)委員 私は、八木委員外社会党の諸君が提案されました生活保護法の一部改正につきまして、社会党を代表される八木委員に御質問を若干いたしてみたいと思います。  まず第一点は、この法律の名称を生活保障法に改めたい、そうして生活保障審議会というものを設けられて、最低生活水準というものを客観的なものにして、しかもそれが、憲法二十五条にいう、いわゆる健康で文化的な最低生活保障という線に持っていこうという御趣旨のように見受けられるわけでありますが、その考えられるところは、確かに同感をすべきものがあると思います。しかし、生活保護法本来の目的は、御承知のように、ほんとうにぎりぎりの最低生活を国の方で保障してやろうという趣旨でございまして、この最低生活水準ということについては、いろいろと憲法二十五条の規定もありますけれども、なお現実にはわれわれとして相当慎重に考えなければいかぬ点があろうかと思います。  それで社会党考え方を見ますと、これは単純にきめがたいものではあるけれども特定時点における特定の面においては客観的に決定し得るものであり、かつ決定すべきものであるという考え方に立っておられるようでございますが、この決定にあたっていかなる要素を考慮に入れておられるのか、まずこの点について八木先生のお考えを聞かしていただきます。
  8. 八木一男

    八木(一)議員 小沢委員の方から、生活保護法に対する非常に御熱意のある御質問をしていただくことを、国会の正常化意味において非常にありがたいと思うわけであります。  生活保護法の一部改正案につきましては、私どもは、憲法第二十五条の精神を実際に生かすために、確立をするために、これが絶対に必要であるという意味提出をしたわけであります。今御質問にありましたように、最低生活というものがいかなるものであるかということにつきましては、御質問中に御解明がありましたように、非常にむずかしい問題ではありまするが、一定の時期においては客観的にそうしたものがあるべきであるという観点に私どもは立っているわけであります。客観的に見てどういうものであるかということは、先ほど質問の中にも言われましたように、私も説明の中に申し上げましたように、きっぱりとどういうものであるかということはなかなかむずかしいものでございまするが、一般の健康で文化的な生活というものが、しょっちゅう常に社会の進展に応じて、それから一般生活水準の向上に応じて、その基準が流動すべきものでございますけれども、その時点においては少なくともこの辺にあらねばならないということが、当然客観的に見て考えられなければならないという観点に立っているわけであります。その考えられなければならないという方法が、たとえばすべてのその時点における最低生活費、健康で文化的な最低生活費を、一つ一つマーケットバスケット式にそういうことを計算してやる方法もございますでしょうし、また他の要因から計算する方法もあると思いますが、計算方式はとにかくといたしまして、そのような基準がなければならないと考えておるわけであります。その基準はどのようにとるかということは、生活保障基準審議会において、民主的な構成でその道の権威者が寄って、最も適当であるといういろいろの計算方式基準を出されることを期待いたしまして、このような生活保障基準審議会というものをこの法案の中で作り上げようというふうに考えているわけであります。そんなばく然とした御答弁では御質問に対する十分な御答弁になりませんので、私どもが少なくとも考えているある程度のことを申し上げますると、生活保護基準昭和二十六年から七年のときに五四・八%、これは一般勤労世帯生活水準に比して五四・八%という比率でございます。ところが、二十八年度ごろからそういう比率が四〇%台に下がりましたし、それから三十二年度から三九%台に下がったわけであります。昨年は二回の改定がございましたので、四〇%を少し上回りましたが、本年は、本年度予算改定で、これは計算をしっかりしなければわかりませんけれども、四二%に達するであろうと推定されているわけであります。少なくとも、二十六年、二十七年の五四・八%でありましたものが、その後それより比率が下がるということは許されないことでございまするし、この専門的な生活保障基準審議会結論を出された結果が、おそらくは、このような一般勤労世帯生活水準に比して六〇、七〇というような線に達するであろうと私どもは期待をいたしているわけであります。はなはだむずかしい点の御質問でございますので、的確に数字をあげて、的確にまた計算方式をすぐお答えができない点を非常に申しわけなく存じまするが、このために生活保障基準審議会を作ろうと思っておりますので、この点で御了解いただきたいと思います。
  9. 小沢辰男

    小沢(辰)委員 私は、なるほど一つの案として生活保障基準審議会というものにすべてまかすべきだ、そこで客観的な時点における最低生活水準というものをきめてもらうのだということ、これもまた一つ考え方であり、答弁になっておると思いますけれども、どうもそれでは大上段に振りかざして生活保障法という名前を打って、最低生活保障社会党として一つかくあるべしと考えられる、あるいはこの改正をしようと言われる場合には、少し何か物足りないような気がするわけであります。今のお話の二十八年ですかから徐々に回復して、ある時点では五五%くらいになったものが、今日四二%に下がっておると言われるのですが、また提案理由でその後ぐんぐん低下してきたというような表現を使っておられますけれども、むしろ低下してきたというよりも他が非常によくなった。国民経済力の伸展に従いまして、一般生活水準というものがどんどん上がってきた。そのためにこの格差が開いてきておる。従って、これをもちろんある程度埋めていかなければいかぬということはわかりますけれども、それだからといって、これだけが一つの何か材料になって、現在の四二%が最低生活維持に全然当たらぬものだということは、少し飛躍しておるのじゃなかろうか。これは最低生活でございますから、その後のたとえば物価なり、あるいはその他の一般的な生活上必要な経済的な諸要素というものを勘案した上で、この率そのものがどうであるかということも検討しなければいかぬのじゃないかと思うわけです。  それはさておきまして、そういたしますと、生活保障基準審議会ということで学識経験者を集められまして、ここで一つ慎重に検討してもらった上でこの水準をきめていきたいというふうにお考えのようでございますが、これは私、実はいかに練達な学識経験者が集まりましても、諮問を得てからそう簡単にはなかなか出ないのじゃないだろうかと思います。また使う材料が、そう今日現在の材料を使うというような——統計上の資料ということになりますと、一年前とか、そういうものによっていろいろ検討されていくのだ、またその結論が出ますのが、そう簡単には私なかなか出ないと思いますが、そういう場合に、その年その年の予算編成にあたっての水準を決定するめどというものを、社会党提案理由にありますように、予算のワクに縛られて最低限度というものを決定してはならぬという考え方は、もちろんそれは確かにそうだと思いますけれども、国の一般税金はもうあらゆる階層税金が含まれまして、そして国としてほんとうにすべて無料で生活保障していこうというわけですから、他の生活保護法に関連していわれておりますボーダーラインとの関係考えていかなければならぬ。こういう点から見まして、ただ単に生活保障基準審議会にすべてまかすということでなくて、現在のボーダーライン階層あたりとの比較といいますか、そういう関係でどの程度のランクを想定しながら立案をされておるか。審議会におまかせになるということ、もっともでございますけれども提案をされる以上は、およそ何かめどを持っておられるのじゃなかろうかと思うので、この点で一体現在の保護世帯平均水準といいますか、そういうものとの関連で、最低生活基準というものをどの辺を一応想定といいますか、めどにされておるか、その辺もう少し具体的に御答弁願いたいと思います。
  10. 八木一男

    八木(一)議員 非常に御熱心な質問でうれしく存じますが、いろいろな調査といたしましては、生活保障基準審議会即時発足をいたしまして、強力な事務局を持つことになっております。既成のいういろな統計資料も合わせましてそのような準備を進めて、委員審議に遺憾なきを期すというつもりで、そのような強力な事務局を置いておるわけであります。御意見中に見られました、たとえば一般の者が働いてどんどんと生活水準が上がってくる、だから生活保護法は、一般勤労世帯平均から率が下がってきてもいいとはいわれませんけれども、あるいは仕方がないのじゃないかというようなお気持、間違っておりましたら私訂正いたしますが、そういうお気持を込めた御質問があったと思います。私どもは、ごく少数の精神の薄弱な方や何かは別といたしまして、そうでない方は、働いて自分の生活を建設することを国民のほとんど全部が期待しておられると思うわけであります。それにもかかわらず、そのような、就職をしたり、あるいは自営業者として立ち得ないということのために生活保護を受けなければならないような状況になった、あるいはまた病気その他の原因のためになった、そういう人たちに対しては、やはり社会全体の責任でございますから、ほかの働いた人の生活が上がった率に応じては当然でありまするし、またもとの基盤の生活保護基準が少なかったならば、それを是正する意味においてほかの方々生活水準の上がった基準以上にこれを上げて、同じく人間と生まれ、日本国民と生まれた以上は、健康で文化的な生活をしていくということのために、社会全体がやはりその負担にたえるというような立場に立っていかなければならないと思うわけであります。その意味一般勤労世帯生活水準との比率がぐんぐん下がってきたことは、何としても私どもといたしましては首肯ができない点であります。その意味でこういう法律改正をしなければ、ますますこのような私ども気持と反対の方向に進むというわけで、この法律をあえて提出したわけであります。  ボーダーラインとの関係でございますが、この法律で当然生活保障基準審議会が、基準はいかにあるべきか−私どもはこれは相当上回ることを期待いたしておりますけれども、その場合に、今いわゆるボーダーラインという人はその対象者になられまして、あまり積極的な言葉ではありませんが、落層という言葉がございます。積極的にそういう薄層対象者になられて、ボーダーラインの人が生活保護を受けられる。しかし、もちろんその収入との差額が原則でございますから、生活保護を根底から一文の収入もなく得られている人とは違うわけでありますが、とにかく生活保護費から差額をもらわれて今よりも生活が向上する、ボーダーラインの問題はそれでほとんど解決がつくのではないかと思います。  これは御質問にはございませんでしたけれども自立助長精神がこの改正案においてはあらゆる面で入れてありますので、その落層のあることを期待いたしておるわけではありません。今ボーダーラインの人が生活保護を受けておられないで、国の方のそういう保障を受けておられませんけれども、一時保障を受けられて健康で文化的な方向に近づかれる。しかもその自立助長精神でそれを積極的に脱出をされて、さらにりっぱな生活を自力で建設されるという道が残されているわけであります。  御質問の焦点である大体の基準をどのように期待しているかという問題でございます。私ども、これは保障審議会のメンバーの方が、真剣にいろいろな角度から検討されると思いますけれども、私どもがこの法律基準審議会というものを出しました関係上、どのくらいの程度と申し上げることは、本来から言えば差し控えなければならぬところでございますけれども、そのような形式的な論理ではなしに、小沢先生の御質問でございますから、お答えできる範囲でお答えを申し上げたいと思います。  私ども考え方の一端に、一般勤労世帯水準の少なくとも——これは最低ではなく、少なくとも六〇%以上は保持されなければならないのではないかという考え方を持っております。これは前の、昭和二十七、八年ですが、五四・八%の問題もございますし、いろいろの意味社会保険の方の保険制度で、賃金あるいは標準報酬に比して六割のものが働き得ないときの保障として出されております。その意味で、一応六割という考え方を持っておるわけであります。別の私ども考え方といたしまして、標準報酬に比して六割の基準以上の方も底上げをしなければならぬ、八割にしなければならぬという考え方を持っておることは、小沢先生の御無知の通りでございます。そうなりますと、生活保護基準最低のところにありますから、その意味で、八割という考え方にしないと、私どもとして筋が合わない点もございます。その点は実は詰めて考えておりません。こういう重大な問題でございますから、すべてこの権威のある生活保障基準審議会委員方々の、精密な御調査に基づいた上の熱心な御討議の結果としての点におまかせすることが必要であろうということで、こういうふうにいたした点を御了承願いたいと思います。
  11. 小沢辰男

    小沢(辰)委員 どうもわかったようでわからぬようなお答えですが、この提案理由を拝見いたしますと、あとに出てくる勤労収入認定緩和という条項と、健康で文化的な最低生活水準維持、そのために生活保障法という名前に変えてみた、あるいは審議会を設けて、ここで人間らしい最低生活保障するんだ、こういう答申を得るというのと、両方かみ合わせて拝見をいたしますと、どうも非常に高いところに、今一般勤労世帯の六割ないし八割の線にめどを置いておるというお話ですけれども、一方において、勤労収入認定緩和ということを非常に強く打ち出しておられるわけです。そうすると、私は、むしろ現実の姿から相当高いところを考えておると思うのです。しかし、一方憲法で健康で文化的なという場合、あるいは人間らしいということが、一体どの程度なのかということは、実はいろいろな考え方、議論もあると思います。生活保護法で国なり地方公共団体なりのお世話にならぬで、何とか一つ勤労しながら将来伸びようとしつつも、現在非常に恵まれない生活である、しかし、それから脱却しよう、あるいはそれ以上にもなろうとして、相当勤労意欲を燃やして、まじめにやっておられる人たちと、政府税金ですべてをまかなっていくような生活保護法階層との開きがなくなるどころか、むしろそれ以上のものになるような感じ提案理由なり法律考え方から受けるわけであります。そこまでの考え方が、はたして、生活保護法生活保障法という名前に変えましても、国が責任を持つべきであろうか、こういう点について、私どもとしては、なるほど現在の生活保護基準をもし少し上げなければならない、毎年わが党としてもこれは努力して、過去二年間の予算を見ていただけばわかるように、相当思い切った引き上げ措置をやっておるわけでありますが、まだもちろん足らぬと思いますけれども、どうもそういう点で、少し考え方——八木先生の非常な御熱意はよくわかるのですが、何か行き過ぎておるような感じがするわけです。  なお、この機会に、勤労収入認定緩和について少しお尋ねしたいのですけれども、どうも提案理由なりあるいはこの法律を見ますと、この勤労収入認定緩和につきましては、収入認定控除制度を新設する、そうしてこれを大幅にといいますか、簡単にわれわれが理解しますと、働いた収入があれば、もうそれをそのまま一つ勤労控除として認めてやるというような考え方になっておる。その場合、私が伺いたいのは、率直に言ってどの程度緩和、たとえば生活保護世帯の中で臨時あるいは恒常的な収入があった場合、これはもう全部一応ある一定のものが想定される、あるいは審議会答申を待ってか何か知りませんけれども生活水準を想定されて、それに達するまでの、それ以上になるまでのこれは全部緩和しよう、控除しようというのか、そうじゃない、今政府考えておるのは勤労収入を、たとえば働いて収入を得る、その場合の再生産に要する費用とか、あるいは働くためのいろいろな道具の費用とか、そういうものを控除しているけれども、それじゃ不満だから、それ以上にその収入の何割かを想定して控除してやるのだ、何かその辺の線を考えておられるのか、それを一つ……。
  12. 八木一男

    八木(一)議員 少し時間をかけて、私ども考え方をすっかり明らかにさせていただきたいと思います。  今、少し高いところを考え過ぎているのじゃないかというふうな気持も含めた御質問でございましたけれども、私どもは相当高いところを考えておりますが、それが当然であろうという考え方に立っているわけであります。健康で文化的なという点は、非常に幅のある考え方ですけれども、健康ということは人間ほんとうの一番大事なことですから、これは完全に考えなければいけないと思います。たとえば三八%程度生活保護法の時代であれば、ただそのとき死なないというだけであって、自分の、たとえば肝臓にたくわえた、筋肉にたくわえた栄養分を食べながら、従ってやせ細りながらそれでその時代を生き過ごしていたというにすぎないわけであります。従って、その寿命は、場合によっては急速に結核になって死んでしまうこともあるし、そういうことを免れ得たとしても、普通の、今までの日本の生活で生きられる寿命が、五年も七年も十年も縮まったという状態をその当時は示しておった。そういうことであってはならない。それからさらに、このようにいろいろ医学も進歩した、人間の寿命も延びる要件ができたというようになったときには、そのようなことをやって、今まで、たとえば昭和の初年あるいは大正年代の寿命を保つだけではなしに、そのような新しく発達したいろいろな科学あるいは社会的のいろいろな方法、それが適用されて、少なくともその人が生きられる年限、うまくすれば、たとえば七十五まで生きられる、八十まで生きられる、そういうようなところまでこれを十分に保障するものでなければ、ほんとうに健康な生活保障したということにはならない。その意味で、たとえばビタミン剤が必要であれば、またビタミンの非常に入っているたとえばトマトとか、そういうものが必要であればそういうものが十分に食べられる生活で、ほんとうにその人がいい条件であれば命を延ばし得るというような、健康を保ち得るというものでなければならないわけであります。昭和三十二年度ぐらいはめちゃめちゃですし、その人が普通に生きられる寿命を十年も縮めておったと思います。今の状態でも、これはやはり命を縮めておると思います。従って、少なくとも今度上がったのでよくなったといわれても、延ばし得る命を延ばす、保ち得る健康を確立するということにはならない。生活保護を受けている人たちの子弟と、そうじゃなくてしあわせな人たちの子弟が、ほかの体格が同じだったら、バランスさせてみたら片方は簡単にへたばることは明らかです。片方は栄養が豊かですから、新記録は出さないまでも、どんどん走り抜くでありましょう。そういうように、ほんとうに健康というものは基本的なものですから、今の科学でそれを延ばし得るもの——ぜいたくなものは必要ありませんけれども、延ばし得るもの、それを全部補てんするものでなければならない、その意味最低であっていいと思う。ですから、普通でいう最低生活とはめちゃくちゃに違う高度のものでなければならないと思うわけです。  それからもう一つ生活保護法基準をよくすることによって、たとえば生活保護法基準以下の賃金で働くというような間違ったことがなくなると思う。これが政府の方も、労働関係でございますけれども最低賃金を作るのには熱心だということをいわれる。しかし、私どもとしては、そんなに十分に熱心であるとは思わない。全国一律の最低賃金制を積極的にやろうとせられない点で非常に不満でございますが、一応熱心にやっておるといわれている。そういうときに、この生活保護法基準が上がれば最低賃金も上がらざるを得ないし、その働いている人々全体が、非常に金を持っている人が栄耀栄華をしているのに、その人たちが働いて社会を背負って立っているのに、それだけの十分な生活ができないという状態を押し上げる作用を持つと思うのです。そう申し上げますと、そういう働いている人たちはそれでいいけれども、働かない生活保護を受けている人たちは、それではいけないんじゃないかというような考え方がまた別に出てくると思いますけれども生活保護を受けている人たちは、私どもは働きたいけれどもその機会が与えられなかった、完全雇用政策が進んでいないために与えられなかった、形式的に職業は与えられても、賃金が悪い、労働条件が悪いから、実質的に雇用されている状態ではなかった、半失業の状態だった。またそれ以上に大きな要因は、医療保障制度が完全でなかったために、たとえば国民健康保険の五割給付しかない、あるいはいなかの方では、健康保険制度があっても診療所がないために見てもらえないで病を重くしてしまった。そういうような、医療保障のそういうことがなかったために予防衛生もない、積極的な健康増進の制度も非常に不十分であるというようなことのために、からだを弱くして、そういうふうになって生活保護を受けざるを得ない羽目に陥っている。それから、またはいろいろな障害を受けたときに障害に対する保障がない、老齢に対する年金の保障がはなはだ不十分である、今まではなかったというようなことのために、そのような生活保護を受けるような基準だった。一切その人たち責任ではない。それは一億に一人くらいは、能力がありながらなまけている人間があるかもしれませんが、その大部分は政治のやり方の不十分さのために、社会が冷たかったためにそういうことになったわけでございますから、それは当然社会全体で、この人たちの健康で文化的な生活を保持しなければならないと思います。健康で文化的な生活というのは、さっき申し上げたように、少なくともその人が、今の進んだ科学、今の進んだいろいろの諸施策を活用しさえすれば、その人の保ち得る寿命を完全に保ち得る、その人の保ち得る健康を完全に保ち得るというような程度のものでなければならない。後に申し上げますが、これは四月から改定をされましたけれども、一食当たり平均が十円台あるいは二十円をちょっとこすというようなものでは、ろくなものが食べられない。算術計算では、それでもたとえば魚の端くれをたまに、それから葉っぱの端くれをたまに、それで御飯のあまり上等でないお米をたまに食べれば、カロリーが入って何とか生きられる計算になっているかもしれませんけれども人間は生きる動物であります。科学の鉄の機械ではない。虫の食った葉っぱでは食欲が出ないということもある。食欲が出なければ完全消化されない。それが完全に消化されて完全に吸収されて、やっと生存するような基準、そういうものであってはいけないので、かなり大幅に引き上げなければならないと考えているわけであります。  少し御答弁が長過ぎましたので、まだ申し上げたいと思いますけれども、次の御質問のときに譲りまして、勤労収入認定緩和についての具体的な考え方はどうかということをおっしゃいました。勤労収入認定緩和についても、これは一般生活保護基準、この法律によれば生活保障基準、この基準との関連があります。でございますから、この点も生活保障基準審議会方々におまかせをしているわけであります。しかしながら、私どもとしては、ある程度考え方は当然持っている。その考え方の根底は、小沢先生は自民党における社会保障権威者でありますから、十分に御承知であろうと思いますけれども、蛇足と思いますけれども、ごくちょっと御説明申し上げますと、今の収入認定の控除の制度では、働く者一人について幾らという金額しかございません。それからもう一つ、そういう勤労控除の理屈立ては、小沢先生おっしゃったように、必要経費の控除ということになっているわけであります。実際はあまりに冷たいこの法律でありますから、行政運用を相当あたたかくしないととんでもないことになりますので、厚生省の行政運用はかなりあたたかい配慮がされておりまして、たとえばこの必要経費の控除といっても、そこには何らかのゆとりを持った計算をしておられるように私どもは解釈をいたしております。これは何も政府が全部悪いわけではなくて、政府もあたたかい配慮をすることもあるという私ども考え方として解釈をしますと、そういうふうに思います。それにしても、もとは必要経費の控除でありまするから、どのような計算を精密にしていられるかは、厚生省の方でお聞き下さればはっきりわかると思いますけれども、労働する人はそれだけのエネルギーが必要でありますから、それだけの食いもの代を必要経費として計算しておるとか、あるいは汗が出ればタオルが必要であるとか、顔を洗えば石けんが必要だとか、歩くためにははきものが必要であるとか、下着がよけい要るとか、そういうものを計算をしていられるものと推定しておるわけでございますから、少なくともその推定が、必要経費の控除でありますから、そういうものは働きに出るために必要であります。従って、そういうものはほかの生活を潤すことにならない。働くためにタオルが必要だ、そのタオルはどろまみれになりながらもしぼって、うちで顔を洗うときに使えますけれども、働きに出たときに使った石けんは、うちに持って帰ったら分量は減っておるわけでありますし、働きに出るためのエネルギー補てんとしてのものは、ほかの者には回らないわけであります。従って、その理屈でいえば、働きに出て勤労控除を受けても、その中の勤勉手当は幾分違った意味を持っておりますけれども、一番大事な勤労控除の中の基礎控除の部分については、働きに出て必要なものでありますから、それだけ生活がプラスになる要件は理屈上はないわけです。あたたかい配慮がありますならば、幾分そのうちの何割かは実際の生活を潤すに役立っていると私は理解しておりますが、基本的には生活を潤すことになりませんから、結局働いたら働いただけの、働きに必要なものだけはもらえるけれども、あとは生活のプラスにならない。結局極端に言えば、疲れが残るだけ損だということになるわけであります。そういうことでは自立助長ができない。従って、勤労控除それ自体においても、そういうような必要経費の控除という非常にむずかしい理屈を使わなければできないようなことをなくして、法律的にそういうことを堂々とできるようにして、勤労の自立助長勤労意欲を助長さして、そして自立助長をするために積極的にそれ以上のものを控除できる、実際にそれだけのものが生活を潤すということにすべきだと考えておりますし、また、今の制度では働く人一人について幾らというきめがございますので、その人にたとえば五才の子あるいは七才の子、病気の妻、そういうものがあった場合でも、たとえば働く者が単身の場合でもこれは金額が同じであります。これではほんとう生活を潤すことになりませんし、妻子のために、少し苦しくても生活を潤して、ちょっとでもおいしいものを食べさしてやりたいというような意欲を起こさせるためには、家族一人当たりについて控除幾ら、収入のうちで幾ら控除されて実際の生活に残るかという制度を作り上げないと、ほんとう自立助長にはならないと考えているわけです。私ども考え方では、このように家族一人当たりの控除という方にかなり重点を置いて考えております。その金額が一人当たり幾ら、これは千五百円なりあるいは二千円なり、そのような金額が妥当であろうかと考えておりますけれども、これも生活保障基準審議会の全体の基準の上がったバランスによって、その非常に民主的な熱心な権威者によってきめていただきたいと考えておるわけであります。  また、これを永久的にやるかどうかという問題についても、問題があろうと思います。自立助長をするためには、永久的にその問題に甘え過ぎていたら自立助長はできないかと思います。従って、その人の金額の何分かは、ある時限を切ってそのようにするという考え方小沢先生考えておられるのではないかと思いますが、私はそれを全面的に否定するものではございません。しかしながら、それが半年とか一年というような短期間であれば、本来私ども考えておる意味は抹殺されるわけです。もう少し長い期間で、しかもずばりと切るのではなしに考えていく必要があろうと思います。また、今家族一人当たりの勤労控除緩和という点につきましても、一段階にする必要はないと思います。幾らまでは——たとえば千円までは一律に控除する、次の二千円については半額を控除するというような段階、あるいは二段階ではなしに三段階にするということも考えておりますが、ほんとう自立助長意味を込めるために、そのような配慮が必要ではないかと考えておるわけであります。しかし、こういう考え方について、すべてこの民主的な権威者審議会がきめていただくことを期待をして、この法律を出したわけであります。
  13. 小沢辰男

    小沢(辰)委員 本日は、一応提案者の改正内容についての各点にわたって基本的な考え方をよく承って、いずれさらに掘り下げて御質問したいというつもりでやったわけでございますが、あと改正内容では、分けてみますと、いわゆる保護の要旨といいますか、その決定する場合の原則というものを、あなたの方では現行の世帯単位から個人単位に改めるという考え方が入っております。それと資産の活用について、できるだけ現行のやり方、資産のあるものはそれを十分処分なり、あるいはそういうものを前提にして考えて、さらにその上で保護の必要があるかどうかを認定しておるわけでございますが、その資産の活用についてこれを大幅に緩和したい、こういうような改正のようであります。私は世帯単位から個人単位に改めることについては、これは遺憾ながら賛成をしがたい。やはり現状のわが国の国民生活の実態ということから見ますと、原則的にはやはり世帯単位を中心にして考えるべきじゃないか、ただし、それでいった場合に極端な弊害があるというような場合には、当然個人単位の考え方をそこにかね合わして入れていかなければならぬ。たとえば親が病気しておる、家族の成年の男子が世帯を持っておるという場合に、その親の医療扶助について生活保護を適用しない、世帯単位に考えていくんだというような考え方は少し行き過ぎがある。その場合に親については、これは一つ個人単位といいますか、そういう考え方でこれを医療保護の対象にするということはやらなければならぬと思いますけれども、全く原則を個人単位に切りかえてしまうということは、現状のわが国の国民生活の実態から見ると、少し行き過ぎだというふうに考えております。そこまで特に社会党でお考えになった理由は、一体根本的にどこにあったのか、これが第一点。  それから資産の活用は、これもやはり大事な税金を使って生活保護をしておる、国が保障しておるわけですから、できるだけその人が保護を受ける前に、まず自力で解決をしていくという意味で、この資産の活用についてあまりルーズにするという考え方は、私はこの制度あるいは税金というものを考えた場合にやるべきじゃない。むしろほんとうに個人が自分の力で生きていけないという場合に、国がめんどうをみようという制度にしていきまして、その他一般的に国民水準を引き上げるということ、文化的な、あるいは健康な生活をしていく政策というのは、経済政策その他万般の政策でやることは当然でございますけれども、どうしても自立できないというものについて国なり公共団体の費用全部でこれを出しまして、この人の最低生活維持さしてやろうというような場合には、その世帯、その人の資産をできるだけ活用さす。その上で、ほんとうにぎりぎりのところをよく認定して、国の税金を出していくべきじゃないかと思うのです。これを緩和されようというのは、私は少し行き過ぎじゃないかというふうに思いますけれども生活保護なりあるいは保障を国の手でやろう、これはすべて税金でやるわけですから、そういう点から見て若干の疑念を私は持っているわけです。簡単でけっこうですから、世帯単位から個人単位に改めよう、どうしてもしなければならぬとお考えになるその理由を端的に伺いたい点と、それから、今言ったように、全く別のところから出てくる金じゃないので、やはりとうとい汗の結晶たる税金から、国がぎりぎりのところで自立できない人を何とかしょうという場合に、その人の持っている資産は、やはり最大限に個人的に活用さしていくのがほんとうではないか。もちろん底上げの意味で、たといとうとい税金であっても、四五%から五〇%、六〇%にしていく努力は、毎年私どもとしては相当の力を入れてやっておるわけであります。そうしなければいかぬと思いますが、それでも、その保護を受ける人の資産の活用を緩和していく考え方そのものが、私どもにとってはふに落ちない。この点を御解明願いまして私の質問を終わりますが、なおかつ、せっかく熱心な御提案でございますから、いずれ機会をあらためて御説を拝聴したいと思います。
  14. 中野四郎

    中野委員長 なるべく答弁は簡明にお願いします。
  15. 八木一男

    八木(一)議員 委員長質問者から制約を受けましたので、できるだけ簡明にいたしますが、問題を明らかにする意味の時間はお許しを願いたいと思います。また、終わりますなどとおっしゃいましたけれども答弁で不十分な点がありましたら、受けて御質問をしていただきたい。  今の個人単位、世帯単位の問題でございますが、提案理由にも申し上げましたように、今同じ世帯の中で、たとえば十八才くらいになった青年がいる、その人が何らかの職について一生懸命働いているときに、たとえば弟妹が二人いて、せき損のお父さんがいて結核のお母さんがいたというような場合ですと、十八才くらいの子供がどんなに働いても、五人分の生活保護費生活扶助の金額をこえる賃金をとらない限り、朝から晩まで汗みどろに働いても生活は向上しないわけです。自分は生活保護基準生活をしなければならぬわけですから、それでは積極的に生産に邁進している若い人の生産意欲を阻害いたしますし、またその人の人権が完全に侵害をされると思う。そういう事例を私どもよく調べました。それを見て、せき損の親が、実を言うと私が首をくくって死んだ方が物質的に子供にはしあわせだ、どういう観点から考えてもそれの方がしあわせだ、しかし子供は親孝行で、親がこんなからだでもできるだけ長く生きてほしいと言われるので、それができないということを言っているわけであります。実際三人ほど、そういう人から私聞きました。首をくくって死んだ方が生活保護からはずれるから、子供が賃金をもらったら、その賃金を内分のものにしてどんどんできる。だけれども、子供は親孝行で、どんなにかたわでも百まで生きていてくれというふうに言われるので、自分としては自分の命を処理することができない、泣きの涙でいるわけであります。また別な意味で、親に非常にひどい目にあわされた子供がいます。しかしながら、同じことで、親が酒を飲んでむちゃくちゃなんだ。ところが、そういうことで、保護は受けているのですが、子供は幾ら働いてもやはり生活費につぎ込まなければならない。生活保護費から引かれる。だから子供は一生懸命やってもうだつが上がらない。その人は逆に女の人です。結婚もできないし、どうにもならない。自分の方が首をくくって死んでしまおうと思うというような人もあるわけです。これは親子の中の愛情の違い、それから親が子供を非常にかわいがったか、あるいはひどい目にあわしたかということで違いが出てくるわけでありますけれども、少なくとも子供の人権が、そういうことで完全にじゅうりんされている状態があるわけであります。これを変えるためには、ぜひともこういう改正が必要であると考えたわけであります。  そこで、どの範囲に限るかということは、法律生活維持義務というのがシビアーな義務になっております。これは未成年の子供と親の間、そこだけは一体にして考える、それ以外は離すことが必要ではないかというふうに考えたわけであります。完全に個人単位にすることも一応考えてみました。しかし、今小沢先生の言われるような日本の実情ということも、われわれの頭にありました。最低限度生活維持義務の人は一体として考えるけれども、それ以外のものは同じ世帯にある子供でも別に離して、その人はその人の勤労をもって生活をしていくということにすべきだと思ったわけであります。また、はずすことによって、病気の両親それから小さい弟妹が生活保護費を四人してもらう。十八才の子供は自分が一生懸命働いて収入を得る。親孝行の子供ですと、同じ世帯で暮らしますから、生活保護費と片方の賃金が合流されて、親やあるいは弟妹が少しおいしいものを食べられ、親孝行が実を結ぶことになろうと思う。その両面で、この程度の個人単位はぜひとも維持する必要があるというふうに考えて、この改正案の中に一項目を加えたわけであります。  もう一つ、資産の活用の点であります。これにつきましては、私ども二つの方式で考えていることは、御研究下さいました小沢先生が御承知の通りであります。一つは、日本国民生活慣習上当然必要と認められるものというような文言で書いてございますし、もう一つは、自立助長に必要なもの、この二つの資産は残してよいということであります。前のことはどういうことかと申しますと、端的に言えば、たとえば夫婦の記念品あるいはまた親の形見というようなもの。それを処分して古道具屋に売ったところで大した金にはならない。ところが、その当事者にとっては何ものにもかえがたい大切なものである。そういうものを、今の法律では全部経済的に利用してからでなければ生活保護を受けられない。これはあまりにも冷酷むざんなやり方であると思う。もちろん、運用においてはかなりあたたかい配慮をしていることは私存じておりますが、法律では冷酷むざんになっております。幾ら厚生省があたたかい配慮をしようとしても、限度がある。その法律を直して、厚生省の方々ほんとうに適当であるというあたたかい配慮をすることができるようにすることが、厚生省のためにも必要であると私は考えております。何やら法律違反をしているような考え方でおっかなびっくりやるより、正々堂々と厚生省にあたたかい政治をやってもらいたいというふうに考えております。たとえば夫婦の記念品、親の形見、あるいは何か有意義なことをしてもらった賞状とか賞品、古道具屋に売れば二百円か三百円、五百円くらいの価値があるかもしれないけれども、今の生活保護費の何日分にも当たらないようなものを持つことによって——生涯にこういう仕事をやって記念品をもらったということで心の励みになる、そういうものは古道具屋に売らないで、その人に保持させることが一番よいではないかという意味であります。それはまだ一ぱいあります。たとえば先祖伝来の墓地を売っ払って金にしろと言っても、そんなことは国民の慣習上許されることではありません。そういうようなものも持っていなければならない。また、たとえばテレビを持っている。今年からテレビは少し猶予されることになりましたけれども、そのようなものは、病気でからだの動かない老人にはただ一つの生きる楽しみである。それをもぎ取るような法律はいけないと思うのであります。そういうような意味で、必要なものは処分しなくても生活保護が受けられる。テレビといえば高価なものに見えますけれども、買って古びたテレビになれば、このような増産時代になれば二束三文になり、生活保護費の何日分にも当たらないような金額になってしまうわけです。それを持っていることによって、その年寄りが幾分でもにこにこ暮らす、そうなれば、その中で働ける余力のある人が、年寄りがきげんをよくして幾分でも明るい生活をしてくれると思えば、うしろ髪を引かれて働きに行くのではなしに、少し明るい気持で働きに行くことができる、その人が一生懸命働くことによって、家運を挽回するいしずえができるよすがになると思う。人間生活というものは、何十銭、何円ということで算術で割り切れるものではありません。精神要素が多分にありますので、そういうことを保持させたいということであります。  そのほかに、自立助長の方の資産活用のことであります。人間はどんな仕事でも機会があればできると思いますけれども、ある程度の年令に達したならば、自分のなれた仕事でなければ、そのような激しい社会の競争の中では立っていけないものであります。しかも、一ぺん病気の結果か、あるいは非常に不幸な災害の結果か、非常な不幸な原因から生活保護を受けなければならないことになった人ですから、健康が悪いとか、あるいはいろんな生存競争上不利な状態にある人です。その人たちが再起をしようとするときには、並み大ていのことではなく、非常な困難が伴うものであります。その人たちに、自分のなれた仕事で再起させる生産手段をある程度残さなければ、官立助長というようなことを観念的に言っても実効を果たさない。小さい商売をしていて、その商売の店でやっとお客がついてかつかつ暮らしておったところが、商売の中心をなしている、たとえばお父さんやお母さんが病気で倒れたために、生活保護を受けなければならない。お父さん、お母さんの病気は、幸いであればなおるでありましょう。なおったときに、やっとお客のつき出した店を手放してしまったならば、ほとんど再起の見込みがなくなってしまう。そのようなお店であるとか、たとえば小さな田畑であるとか、その田畑のすぐそばにある家、そういうものをはずしてしまったならば、これは再起ができなくなる。そういうような生産手段、たとえばオート三輪車で商売をしている人でもそういうことは必要でありましょう。そういうことで、自立助長に必要な資産は残しておかないと自立ができないという意味で、そういう資産を処分すべきものからはずそうというふうに考えたわけであります。小沢先生が、十分私どもど同じ気持を持っておられるあたたかい先生であることは、私も確信をいたしておりますが、別に財政的な御心配をしておられると思うのであります。そのような生産手段を維持させて樹立助長を早くすることが、のちに、自立助長を促進させることによって生活保護費をその分だけ少なくすることができて、大局的に大きな目で見たら、財政的に見ても、思い切って生産手段と思われるべき財産は残して、生活保護を適用するということが必要であろうと思うわけです。長い目の財政で見ましたならば、このような生活保障法全体——これは御質問の点でありませんけれども、国家財政があるからと言われましたけれども、健康で文化的な生活日本国民全部にさせるためには、国の政治が責任を負わなければならないけれども、その負担を全国民がある程度負うということは当然やっていいと思うのです。しあわせな人もふしあわせな人も、自立のために、その人の生活のために負っていいと思うのです。また、そのことによってその人たちに元気がつき、健康が維持され、そうして病気がなおり、自立助長ができて、その人たちが生産の方に入ってくることによって、ほかの人の負担は少なくなるわけでありまして、長い目で見て、社会保障費というものは、特にその中の生活保障費、生活保護費というものは思い切って投入することによって、長期間の財政的に見ても、よい結果をもたらすものであると私は考えています。社会保障に熱心な小沢先生を初め、自民党の先生方が、私どもの一生懸命考えましたこの法律に御賛成を下さいまして、即時可決をして下さることが、社会保障を進展させるとともに、心配をしておる大蔵省の人たちに、短期間の近視眼的な財政政策ではなしに、長期間の財政政策を考えなければならないということを頭にたたき込むいいチャンスであろうと思いますので、どうか小沢先生を初め、良民党の先生方の積極的な御賛成を心からお願い申し上げる次第でございます。
  16. 中野四郎

    中野委員長 関連質問を許します。小林進君。
  17. 小林進

    ○小林(進)委員 私、厚生大臣に一言だけお伺いをいたしておきたいのでございます。それは前回も繰り返したことなんでございますが、生活保護基準を三十七年度から幾らにおきめになって、実施をされるかということなんです。それをまず大臣からお聞かせを願いたい。
  18. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねまでもなく、小林委員よく御承知のことと思いますが、昨年度の生活保護に比べまして、さらに一三%引き上げましたわけであります。
  19. 小林進

    ○小林(進)委員 それは私はこの前にも質問したのですが、大蔵大臣と厚生大臣、他の大臣もそうですが、この間の理論といいますか、考え方がどうも一致していない。この一三%基準を上げたということは、他の一般予算と違いまして基準改定なんです。生活保護法には、生活保護基準厚生大臣がこれをきめるといっておる。厚生大臣がおきめになる。これは法律ではっきりしておる。それを大蔵大臣は、ほかの予算と同じようにこれを考えて、厚生大臣のおきめになった基準を大蔵大臣が勝手に値切ったりしておる。これは重大なる法律違反じゃないかというのでありますが、どうも予算委員会で言っても大蔵大臣はおのみ込みにならない。大蔵大臣は国の予算を持っておるから、ほかの予算を削るように、やはり厚生省の予算、生酒保護法の予算も削るのがあたりまえだ、だから厚生大臣が一八%の基準の引き上げをお出しになったけれども、財布は私が持っておるから、私のふところ勘定で一三%に削るのは何ら違法でもなければ、不思議でもない、こういうような大蔵大臣の考え方、去年も厚生省が二六%の基準の引き上げ——これは基準の引き上げじゃない、二六%の新しい基準厚生大臣がお示しになったことになるのであります。その基準を一八%に値切った。これは基準改定です。厚生大臣基準をきめるという法律行為に対する、大蔵大臣の違法行為じゃないかと思っておる。しかもまた、厚生大臣が一八%引き上げという基準、これは決して予算の問題じゃない、基準です。基準改定生活保護法に基づいて、厚生大臣法律的権限に基づいておやりになったところを、何らの権限がない大蔵大臣がすぱすぱと値切っておる。生活保護法基準に関する限りは、ほかの予算と全く性格を異にいたしまして、厚生大臣のおきめになったものは、総理大臣、大蔵大臣といえども、何人もその基準に服するというのが法律の建前ですから、これは歴代内閣は大きな法律違反を行なっておると私は解釈しておるのでありますけれども、この点、一つ大臣の方から明確にお答えをいただきますとともに、こういう間違いを将来とも起こさないようにやっていただきたいと私は思う。さもないと、私は行政訴訟に訴えても——行政訴訟というものは今はなくなりましたが、何らかの方法法律関係を明らかにしておかなくてはならぬと思います。この点一つ大臣からお答えをいただきたいと思う。
  20. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お話通りに、保護基準をきめますのは法律の示しておる通りであります。厚生大臣がきめることになっておるわけであります。従って、厚生大臣のきめました生活基準、これは法律に基づいてきめましたものについては、大蔵大臣といえども、総理大臣といえども、これには従ってもらわなければならぬ。従って、厚生大臣が決定しました生活保護基準に対して、もし——これはお金の要る話でありますから、予算が足りなければ予算は当然補充してしかるべきものだ、こういうことになるわけでございます。ただ厚生大臣生活保護基準をきめる場合におきまして、その事前においていろいろ政府部内で相談をするということは当然のことだと私は思うのであります。今申しましたように、財政にも関係のあることでもございますし、予算その他の点において大蔵大臣との間によく話し合いをいたしました上で、厚生大臣が保護基準を決定する、こういうことになるわけでございますので、その間に何も違法とか何とかいう問題はございません。きめるのは私でございます。ただきめるまでの問題としましては、いろいろ予算その他の問題について関係の向きと相談をして、厚生大臣としてきめていきたい、こういうふうに一つ御了解を願いたいと思います。
  21. 中野四郎

    中野委員長 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について、質疑の申し出があります。松山千惠子君。
  22. 松山千惠子

    ○松山委員 私は戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部改正について、次の諸点についてお伺いしたいと思います。  戦後すでに十七年を経過して、一般国民の念頭から、あの忌まわしい戦争の傷あともようやく忘れ去られようとしております。もはや戦後ではないとも言われております今日、異国にあって今まで消息不明の肉親の安否を気づかい、その帰還をひたすら待ちわびている留守家族がございますが、これら未帰還者の状況はどのような状態になっておりましょうか。政府が今日までの御調査の結果把握しておられる未帰還者の数、その所在地域、生存の見込みなどについてお伺いしたいと思います。
  23. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 若干資料が古いのでございますが、昨年の十二月一日現任で申し上げますが、厚生省といたしましては未帰還者の氏名を把握しております、留守家族援護法第二条に規定しております意味の未帰還者の総数は約一万七千六百名でございます。これを各地域別に分けて申し上げますと、まずソ連地域、これは樺太を含んでおりますが、ソ連地域が二千五百人、中共地域が一万三千六百人、北鮮が九百人、その他の地域、主として南方でございますが、約六百人でございます。こういう未帰還者のうち、今日どれだけ生存しておるかということでございますが、現在的確にどれだけのものが生存しておるかということをつかむということは、当該国でもおそらく非常にむずかしい事情の地域もあろうと思うのでございます。まして国内におきましてこれを正確に把握するということは、きわめて困難というよりも不可能に近い現状でございます。しかしながら厚生省がいろいろ手を尽くしまして調査いたしました資料に基づきまして判断いたしますと、以上申しました未帰還者のうちで現在生存しているものと一応推定されますところの数は、六千八百人でございます。この六千八百人をさらに地域別に申し上げますと、樺太を含めましたソ連地域に約七百人、中共地域が約六千人、北鮮が約百五十人、それから南方にはきわめて少数と思われます。こういう状況でございます。従いまして以上申し上げました数以外の未帰還者の大部分というものは、今日における諸般の状況から見まして、まことに当該御家族にはお気の毒なことでありますけれども、遺憾ながら死亡しておるのではないかというふうに推定されておるのでございます。
  24. 松山千惠子

    ○松山委員 次に、留守家族援護法には、国は未帰還者の状況について調査究明をしなければならないと規定しておりますけれども、このような未帰還者について政府は今後どのように調査究明をなさるおつもりでございましょうか。なお厚生省は未帰還調査部を廃止する意向のように聞いておりますが、この点とも関連してお答えをいただきたいと思います。
  25. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 先ほど申し述べましたように、未帰還者といたしましてはまだ一万七千六百人を数える状況でございますが、ただいま申しましたように、約二割程度のものは今日におきましても生存しているというふうに推定されているということは先ほど申したのでありますが、このような方につきましては、まず生きておることの確認、また生きておられる方についてはどういう状態になっておるか、また御本人につきまして、日本にほんとうに帰りたいといった帰国の意思をお持ちになっておるのかどうかというような点を確認いたしまして、もし御本人に帰国の意思がありといたしますならば、それらの方々の帰国を何としても実現しなければならないということを考えておる次第でございます。いろいろ外交上の問題もございますけれども、国交の開けておりまする国につきましては在外公館を使い、あるいはそれが不十分なところあるいはその方法がない地域につきましては、日本赤十字社のルートを使いましてお願いをするというようなことを考えてやっておるわけでございます。また御本人の留守家族から、本人にとかく通信が十分にいきがたいといったようなことで、現地におられます方と家族との間の意思の統一といったような点も、遺憾ながら不十分な向きもございますので、そういう点につきましては、家族からも積極的に通信を出していただきまして、以上の諸点が明らかになるようなことを留守家族にもお願いをいたしておるような次第でございます。また相当数の方につきましては、御本人が外地にそのまま残って、それぞれ現在の仕事を続けたいというお気持の方も一部にはあると思われますので、そういう方は、そういう事情を明らかにいたしまして、政府の行ないまする未帰還者としての調査の対象からはずしていきたい、こういう点も考えておる次第でございます。問題は、約八割に近い、不幸、現在としては生存していないのではないかと思われる方についての調査でございますが、これは留守家族の御心情という点も十分勘案いたしまして、今後におきましても、たとえ死亡と推定されるものにつきましても、事人間の生命の問題でございますので、今後もさらに一そう綿密な調査を重ねまして現在持っておりますよりもより詳しい情報の収集に努力を傾けなければならないと決意をしておるところでございます。いろいろ国内的に手を尽くして現在調査を進めておるのでございますが、最近におきましては、こういう調査関係の職員を——現地におりまして未帰還と同一の行動をとった方でありますとか、あるいは同一の場所に最終的に起居をともにしておったというような人を集めまして、いろいろ御事情をお聞きし、進んで職員をこちらからそういう方々のお宅に訪問させまして、詳細な事情聴取に当たっているような状況でございます。また一人々々の聞き覚えただけではとかく記憶を呼び起こすことが困難でございますので、関係者が一堂に集まりまして、お互いにお互いの記憶を持ち寄り、それをさらに一つの機運として新たな当時の事情を呼び起こすといったような、非常にこまかい調査の作業を進めておるような次第でございます。そういう調査を行ないました結果、先ほど申しましたように遺憾ながら死亡と推定せざるを得ないような方々につきましては、今まで国の内外をあげまして調査をいたしましたその調査資料の全部を御本人によく納得のいくように詳しく御説明いたしまして、死亡されたものとしての事後の手続をとっていただく御了承を得たいというふうに考えておる次第でございます。  なお、ただいま御指摘の未帰還調査部の廃止でございますが、これは全部機構を廃止してしまうというようなことではございませんで、現在ございます援護局の部を課に組織がえをするというものでございます。これは未帰還者の非常な減少によりまして、それに対応した事務処理の範囲を課としてよろしいという現状に立ち至ったという判断のもとに、現在厚生省設置法の改正をお願いしておるところでございますけれども、このことは決して今後におきまする未帰還調査の業務を消極的に軽く考え意味ではなく、担当職員も御承知のように非常に経験の深い人が依然従事するわけでございますので、調査究明の業務にいささかも渋滞を来たすおそれがないように、今後御注意を受けつつ十分万全の配意をとっていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  26. 松山千惠子

    ○松山委員 昭和三十四年の第三十一国会において、議員立法によって未帰還者に関する特別措置法が制定されて、いわゆる戦時死亡宣告の制度が設けられ、同時に留守家族手当の支給期限も延長されました。これは当時留守家族手当を受けている者が相当あったので、これを急に手当を打ち切らずにある程度猶予期間を設けることと、創設した戦時死亡宣告の制度等によってある程度受給者が減少するのを待って、手当の打ち切りをするため三年間だけ受給期限を延長したものと聞いております。しかしその期限がことしの八月に到来するため、手当の支給を打ち切られることになっておる者も相当あると思いますけれども、その状況及びこれに対する政府の御見解を伺いたいと思います。
  27. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 留守家族手当または特別手当の支給を受けておられます方々は本年一月現在で約四千五百名と承知いたしております。そのうち死亡公報を発令いたした者、あるいは戦時死亡宣告等によりまして、だんだんその支給を終わる方がございますので、ことしの七月の末には約三千名ばかりに減るのではないかと考えております。このうち八月一日現在におきまして、留守家族手当支給の要件でありますところの過去七年以内に生存していたと認めるに足る資料のあることというこの条件からはずれることになる未帰還者の留守家族が相当出ることになっておるわけであります。しかしこのような法律制度の建前は、今のお話にもございましたが、昭和三十四年の特別措置法を制定いたしましたときに、すでに国会の意思として打ち出されましたところの方針でございますし、留守家族の方々にも相当周知せられておるところと思うのでございます。また実際の問題といたしまして、これらの方々は特別措置法によりまして、戦時死亡宣告というものを受けられれば大部分の方が恩給法や遺族援護法におきまして公務死亡の取り扱いを受ける。そして公務扶助料、遺族年金、または遺族給与金の支給が受けられることになっております。またこれらの留守家族の子弟の方の大部分は、戦争が済みましてからだいぶ年もたったことでありますので、すでに成年に達しておられますために、それらの御家庭の生活の状態もよほど変わってきておると私ども思うのであります。かような次第でございますから、国会におきまして特別措置法が制定せられました趣旨にもかんがみ、今日手当の支給期間をさらに延長するというふうなことは政府としては考えておらないところでございます。願わくは、この法の趣旨を十分御承知をいただきまして、御家族の御心情をお察しすればお気持はよくわかるわけでございますけれども、相当戦争後年もたち、家族の状態も変わってきておるわけでございますので、思いを新たにせられまして新しい生活設計と申しますか、そういう方向に向かって一そうの御努力をお願いいたしたいものと政府といたしましては考えておる次第でございます。
  28. 松山千惠子

    ○松山委員 留守家族手当が支給されなくなることによって、今日まで定期的に入っておりました収入が断たれることになる。留守家族にとってはかなりの痛手を受けることになると思いますが、手当が支給されなくなったあとにおけるこれら留守家族の援護についてはどのようにお考えでいらっしゃいましょうか。
  29. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 留守家族の方が、未帰還者について戦時死亡宣告を受けられました場合、その約半数が公務扶助料を受けられることになると予想しております。また約四割が遺族給与金を受けられるものと考えております。また若干の方が遺族年金を受けられることになる。このような給付を受けられない方が約五%くらいではなかろうかと思うのでございます。この少数の方たちは、死亡宣告を受けられました未帰還者が、終戦当時幼児であったというような理由に基づきまして恩給法や遺族援護法において公務死亡の取り扱いを受けることができないこと、さような理由によるものでございますが、特別措置法によりまして弔慰料三万円、引揚者給付金等支給法により遺族給付金の一万五千円、留守家族援護法によって葬祭料五千円が支給されることになっておるわけでございます。また先ほど申しましたように、さようなその当時幼い方も今日では大部分がすでに相当な年に達しておられるわけでございますので、いろいろ職場を得られて活動なさっておる向きも相当あろうかと思うのでございます。従いまして、留守家族手当の支給が終わりましても、援護を受ける事情につきましては、援護にかけるというふうな事態は一般的には生じないのではなかろうか、さように私ども考えている次第でございます。万一非常にお困りの方がありますれば、これは一般の援護施設の活用によりましてできるだけのお世話をして参りたいと考えております。
  30. 松山千惠子

    ○松山委員 次に、未帰還者の置かれておる特殊の事情にかんがみ、また留守家族の心情をもしんしゃくして、厚生大臣が留守家族にかわって戦時死亡宣告の請求を行ない、あわせてその後における遺族の援護を円滑に行なうというねらいで制定せられました未帰還者に関する特別措置法が施行されてから、ちょうど満三年を迎えるわけでございますが、今日までの戦時死亡宣告申し立ての進捗状況というものはどんなふうになっておりましょうか。
  31. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 戦時死亡宣告の制度は三十四年の四月から発足したのでございますが、本年の一月末現在で申し上げますと、死亡宣告の家庭裁判所におきます審判が確定しましたもの、これが五千九百九十六件でございます。次に、家庭裁判所で審判申し立て中でございまして、まだ最終の審判の確定しないものが二千九百三十五件であります。次に、審判の申し立ての手続中のものが千五百四十件となっているような状況でございます。  一言つけ加えますと、当時この戦時死亡宣告の申し立ての制度というものにつきましては、留守家族の間に一部誤解があったのではないかと思われるのでございますが、ただいま大臣が申し述べましたように、この死亡宣告の申し立ての趣旨はあくまで当該留守家族にとりまして、いわばわらをつかむような気持で、未帰還者が生存しておってほしいという念願は、気持の上でよくわかるのでございますけれども、しかし調査調査を重ねた結果、死亡と推断せざるを得ないというような調査資料を国が持っておりながら、留守家族のそうした甘い気持に甘えるような態度で、そのような事情を的確に御家族にお知らせしないということは適当でない、ただいま申されましたように、新しい生活設計を始めていただくことの方が、その御家族にとって必要な事情にあるというような趣旨で、留守家族のためを考えてこういう制度は設けられたのでございます。そういう趣旨を逐時当該御家族に御説明いたしまして、最近におきましては非常にこの審判の申し立てが順調といいますか、進んでおるような状況でございます。先ほど大臣のお述べになりましたことに関連いたしますが、留守家族手当が八月から支給されなくなるというようなことにつきましても、留守家族の団体のごく一部にいろいろお尋ね的な陳情といいますか、そういうものがございまして、衆参両院の先生方も中にお入りになりまして、私ども数たびお話し申し上げたのでございますが、こちらが二時間、三時間詳しくお話しいたしますと、そういうことかと非常によく事情をのみ込んでいただいて、最近もお帰りいただいたような状況でございますので、ただいま申しました数字に加えまして、今後この申し立てば非常に多くなるものというふうに考えておる状況でございます。
  32. 松山千惠子

    ○松山委員 未帰還者に関する待別措置法を改正して、厚生大臣が戦時死亡宣告の請求を行なうことのできる未帰還者の範囲を拡大なさろうとするその御趣旨は何でございましょうか、お伺いしたいと思います。
  33. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 今回改正をお願いいたしておりまする未帰還者に関する待別措置法の問題でございますが、現行法では、御承知のように同法の第二条によりまして、厚生大臣が戦時死亡宣告の請求を行ない得る場合といたしまして、未帰還者につきまして民法の三十条の規定、すなわち不在者の生死が七年間不明という民法の規定によりまして、失踪宣告を行ない得るという要件を備えておる条件のほかに、措置法の二条一項ただし書きに定めておる要件、すなわち最終の外地におきまする生存の資料昭和二十七年の十二月三十一日以前のものであるということが必要とされておるのでございます。しかしながら特別措置法が施行されまして、今日すでに三年を経過したわけでございますが、この法律規定によりますと、昭和二十八年の一月一日以降のある時期に一応の生存と思われる資料があったけれども、今日としては死亡と推断せざるを得ないような方があるわけでございます。このような方につきましては、今の法律では、先ほど申しました戦時死亡宣告の申し立てをすることができないということができないということになっております。しかしこういう現行法のままにしておきますと、戦時死亡宣告の申し立てをすることができない。また留守家族の方から、積極的に民法の規定によりまして失踪宣告の手続を裁判所にお願いするということは、どうも家族の立場としてできにくいといったような御心情もございます。従いまして留守家族の団体からも、そういう死亡と推断せざるを得ないような者があれば、二十八年の一月一日以降のある時期における生存のデータがあった者についても、やはり戦時死亡宣告の申し立てをすることができるようにしてほしい。すなわち、そうしなければ、ただいま大臣が申しましたように、公務扶助料なり遺族年金なり遺族給与金なりをもらうという切りかえもできないというようなことでございますので、いわば時期の経過によりまして、法律の穴を埋めるといいますか、そういう必要が生じたために、今回改正をお願いしておる次第でございます。
  34. 松山千惠子

    ○松山委員 留守家族の中には、戦時死亡宣告の申し立てをもって、政府がその未帰還者についての調査究明に終止符を打とうとするのではないかというように考えて、非常に不安の念を持っている者も多いと思いますが、戦時死亡宣告を受けても、その未帰還者については死亡の事実が確認されていないのでございますから、留守家族の心情を考えるならば、政府におかれても、戦時死亡宣告を受けた未帰還者についても引き続き死亡資料等の調査究明を行なうなど、国として誠意ある措置を講ずる必要があると存じますが、政府の御見解はいかがでございましょうか、特に厚生大臣の御答弁をお願いしたいと思います。
  35. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ごもっともなお尋ねと伺ったのでございます。松山さんのお心持は私どもによくわかります。われわれといたしましても、この戦時死亡宣告の審判の確定ということが、未帰還者についての調査究明をやめるというふうな意味では毛頭ないつもりでおるわけでございます。これらの方々につきましても、他の未帰還者と同様に、今後とも十分留守家族の方々のお気持等を考えまして、十分に関係国の協力方を要請する等、あらゆる手段を講じまして、この調査究明は続けて参るつもりでおります。
  36. 松山千惠子

    ○松山委員 樺太地区には帰国を希望している日本人が相当あるように聞いておりますけれども、この実情はどんなふうになっておりましょうか、お尋ねいたします。
  37. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 ただいま御指摘のような樺太に住んでおられます日本人からの帰国を嘆願する書簡というものは、私もつい最近現物で数件、これは留守家族や日赤に届いておるものを見せていただいたのでございます。政府といたしましては、ソビエト地域に居住しておりまする日本人でございまして、帰国を希望する方々の帰国につきまして、今までソ連政府に再三申し入れを行なったように承知しておるのでございます。また違ったルートといたしましては、昨年の九月にチェコのプラハで開催されました赤十字社連盟理事会という会合を利用いたしまして、日赤にお願いいたしまして、日赤の社長からもソ連の赤十字社に対して、ただいま御指摘のような問題を含めまして、日韓問題の解決についてソ連側の好意ある善処を促すようなお願いをしたわけでございます。その際ソビエト側からは、日本人の引き揚げは昭和三十四年にもう済んでおる、永住しておるところの日本人については、他の各国のソ連に在住しておる国民の帰国一般の問題として必要な手続をとれば、その目的を達する道がある、各国すべて同一の基準で、そういう申請があったときは考慮する、こういうお話があったということでございます。ソビエト側からはそういう回答がございましたが、先ほど申しましたように、現地からは御指摘のような書簡が参っておることも事実でございます。私の方の未帰還調査部で調べましたところによりますると、樺太地区には現在、やや正確を欠きますが、大体百七十七世帯ぐらい、二百十二人ぐらいの帰国希望者があるように資料としては判断いたしておるのでございますが、そういう帰国希望者があり、また書簡がわれわれにもたらされておるにもかかわらず、その引き揚げが実現しなという理由は何であろうかといろいろ考えておるのでございますが、ああいう土地でございますので、もちろんこれは想像が相当入っておるのでございますが、第一にはこの帰国を希望せられる方の多くは婦人でございます。従いまして、こういう方々はソビエトの人あるいは朝鮮の人と結婚した御婦人でございまして、御本人は日本に帰りたいという希望を持っておりながら、夫たるソ連人あるいは朝鮮人の方は必ずしも妻が日本に帰っていくということを喜ばないという点があるのではないかと察せられます。また次に、こういう婦人の方々はソビエトの国籍を持っておられるかあるいは朝鮮の籍を持っておられるか、あるいは無国籍の人であるかもわからないといったようなことで、そういう登録関係などの関連がございまして、ソビエトでの出国手続が相当複雑なように察せられる。御本人がそういうむずかしい手続を処理することができがたいような事情にある、こういうことが判断されるような状況でございます。
  38. 松山千惠子

    ○松山委員 ただいまのお話のような、そういった帰国希望者に対して政府はどのような御処置を講ずるおつもりでいらっしゃいますか。ソ連とわが国はすでに国交が開かれているのでございますから、もっと強力に推進できないものかと思うのでございます。あるいはこの問題は厚生省でなく外務省関係とも存じますけれども、一応御見解を伺わせていただきたいと存じます。
  39. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 確かに先生の御指摘のような、政府としては非常に深い責任を感ぜさせられておる問題でございます。厚生省といたしましては、こうした方々の未帰還の状態というものをさらに正確に把握するように内部的に調査を進めますとともに、ただいま御指摘のように、外務省にもっともっと強力にソビエト側に交渉していただくように緊密な機宜の連絡を遂げたい、そうしていずれにいたしましても、そういう家族関係としてむずかしい問題があると思いますが、そういう問題が片づくならば、御本人の帰国が実現できるように一そうの努力をして参りたい、かように考えている次第でございます。
  40. 松山千惠子

    ○松山委員 中共地域についても、樺太地区と同様の事情にあるというようなことを聞いておりますが、その方の実情はどうなっておりましょうか。
  41. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 中共地域にも、先ほど申しましたように約六千人の生存と推定されます未帰還者があるわけでございますが、こうした方々の大部分はいわゆる私どもの申しておる国際結婚といいますか、中国の男性に戦後片づいた御婦人の方が大部分でございます。従いましてその大部分の方々は今日としても帰国の意志がないという方が大部分ではないか、こういうふうに判断しておるのでございますが、その中にはやはり帰国を希望するというような家族あてあるいは日赤あての書簡が相当参っております。諸般の事情を総合して判断いたしますと、いわゆる戦後生まれました子供等を除きまして、御本人を単位に考えますと、約三百人くらいが現在としては帰国を希望しておられるのではないかというふうに判断されるのでございます。中国から日本に帰ります場合には、まず中国側の出境許可というものと日本におきます入国許可手続が要るわけでございますが、日本におきましてはもちろんそういう引き揚げ希望の方につきましては、もう無条件に入国の手続をいたすわけでございますが、その手続をとっております者がすでに二百十三人、その関係の家族を含めますと、さらに百七十五人でございますが、そういう人々が日本におきまする入国手続を済ましておられるような方であります。そういう状況でございますので、政府といたしましてはこのような帰国を希望せられる方々に対しまして、日本側としてそういう入国の手続は済んでおるというようなことを御本人に知らせまして、御本人が中国におきますいわゆる出境許可に必要な手続の条件を満たすよう御連絡をしておるわけでございます。  それからまた、ずっと以前から、香港から日本に帰りますので、香港から日本に帰る船運賃というものはすべて日本政府が負担しておるというようなこと等の御援助を申し上げておるわけでございます。そういう次第で、昨年一年間には同伴の家族を含めましてたしか六十人だと思いますが、こういう方々が商船、便船を利用してお帰りになっておるような状況でございます。
  42. 松山千惠子

    ○松山委員 帰国希望者に比べて、実際に帰国した者が比較的少ないように思うのですが、これはどういうわけでございましょうか。どのような問題が帰国するにあたっていわゆる隘路となっているのでしょうか。またこれに対して政府はどのような御処置を講じていらっしゃいますか、お伺いいたします。
  43. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 御指摘のように、帰国希望をしておられる方と思われる方の数に比較いたしまして、現実の帰国者は比較的少ない現状でございます。これも中国内の事情でございますので、われわれがなぜ帰ることがむずかしいのかという的確な材料を申し上げることはむずかしい点もございますが、いろいろ向こうから帰りました人等の話を総合して考えてみますと、まず第一には中国側の出国の許可がなかなか容易にできないという中国側の出国手続上の問題があるように思われます。次に帰国を希望せられる御本人自身が、非常に広大な中国の地域でございますので、その国内の旅費の調達が困難だという事情の問題が第二にあるというふうに判断されるわけでございます。  それで第一の出国手続を早くやられるという問題につきましては、先般も日本赤十字社が関係の団体と協議せられまして、もっと的確にそれが行なわれるように、中国の紅十字会にいろいろお願いをしたいということで、お打ち合わせをせられまして、具体的な問題打開の方途を協議せられておるというようなふうに承知いたしております。また第二の問題として指摘いたしました中国国内の旅費負担が本人ができないという問題につきましては、本年の四月から日本赤十字社で乗船地までの旅費を負担するということを計画しておられますので、これが実現いたしますと、今まで隘路であった帰国問題の問題点が相当改善されるというふうに考えられておるのでございます。
  44. 松山千惠子

    ○松山委員 次に、遺族援護法に関連してお尋ねいたします。  まず、聞くところによりますと、遺族援護法による遺族年金、障害年金、弔慰金等の請求は、非常におくれておるとのことでございます。請求をしてもいつになったら支給されるのかわからない、またもらえるのかもらえないのかわからないというようなことでは、生活も困窮しておる遺族にとっては非常に困ると思うのでございます。特に高齢の租父母とか父母のような場合には、裁定の前にあるいは死んでしまうようなことも考えられます。   〔委員長退席、柳谷委員長代理着席〕 せっかく遺族年金等遺族援護の制度があるのに、援護の趣旨が十分反映できないことになるのではないでしょうか。これらの請求の裁定状況はどのようになっておりましょうか。またその処理対策としてどのような方法考えておられましょうか。最初に事務当局から御説明を伺って、また厚生大臣の御決意を伺わせていただきたいと思います。
  45. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 現在の裁定状況をまず事務当局から申し上げますが、本年の二月一日現在の数字でございます。まず初度請求、いわゆる得権とか失権をはずしました新たな請求としての件数でございますが、その受付の件数は遺族年金と弔慰金を含めまして二百二十万件余りでございます。次に、障害年金と障害一時金を合わせまして五万八千余件でございます。遺族給与金が二万五千五百余件であります。合計いたしますと二百三十万九千五百二十五件、きわめて膨大な数に上っておるわけでございますが、このような件数が膨大であるということのほかに、御推察のように終戦前後の混乱、あるいは今日としては十年以上時間的空白があるといったような事情によりまして、裁定に必要な各種の資料の把握ということがきわめてむずかしい現状があるのでございますが、それは別といたしまして、こういうふうな膨大な件数に対しまして二月一日現在の裁定状況を申し上げますと、遺族年金、弔慰金につきましては二百二十一万八千三百三十四件、障害年金一時金が五万七千五百三十五件、遺族給与金が二万五千百二十件、合計いたしまして二百三十万九百八十九件の裁定を終了いたしまして、差引現在といたしましては八千五百三十六件がいわゆる未処理となっておる状況でございます。ちなみに前年の同じころをとってみますと、前年はこの八千五百件の倍くらいあったのでございますが、前年に比較いたしますと未処理の件数は非常に少なくなっておるという現状でございます。  次に、こうした未処理のものの対策でございますが、まず私どもが一番痛感しておりますのは死因の証明が的確につかまれていないということ、それから所属部隊が誤っておるといったふうな問題、それから先生方に非常に御関心の深い準軍属につきましては勤務先の記載が非常にあいまいであるというようなことで、せっかくお出しをいただいておるのでございますけれども資料の不備が非常に広範にございまして、再度あるいは再々度調査を要するような場合が非常に多いのでございます。これが裁定の促進をはばんでおる率直な実情でございます。  こういう実情でございますので、まことに一面的な事務的な処理だけを考えますと、現在出ておりますところの書類だけではとうてい棄却せざるを得ないといって御本人に突っ返すようなケースが多いのでございますけれども、しかしながら何とか私どもといたしましては、遺族の申し立てに十分の理由があるのではないか、何とか御遺族のお申し立ての線に沿ってあげたいという一心から、先ほど申しました各種の資料についての不備等につきまして、ただ単に突っ返すということでなく、こちらの方で調査の壁を破っていって、何とか申し立てを立ててあげたいというような親心を持っておるわけでございますが、こういう親心がある意味で滞留件数の増というような結果にとられまして、おくれておるという印象を非常に多く御遺族に与えておるのではないかと思います。しかしながらこういう技術的な難点は難点といたしまして、十分御遺族のお立場が満たされるように、また御指摘のようなことがあってはなりませんので、裁定の促進をはかって参る決意でございます。私個人のことを申して恐縮でございますが、援護局長につい先だって就任させていただいたのでございますが、特に就任の際大臣から、この裁定の促進ということにつきまして特段の留意をするようにという非常に強いお話を受けたことを肝に銘じまして、職員とともにただいま御指摘のような批判が少しでもなくなるように、精一ぱいの努力をいたしたいと考えておるのでございます。
  46. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 遺族援護法による遺族年金等の請求の裁定がおくれておるという事情につきましては、ただいま事務当局から御説明申し上げました通りでございます。松山先生にしてもそうでございましょうし、私にいたしましてもしばしばこの問題について地方の方からお話を伺っておりまして、なるべく早く片づけてあげたいという気持で一ぱいでございます。そういうことでございますので、私就任以来この裁定の促進ということには特に留意いたしておるつもりでございます。今後とも事務当局を督励いたしまして、できるだけ御趣旨に沿うようにいたしたいと思います。
  47. 松山千惠子

    ○松山委員 ただいまの厚生大臣並びに事務御当局からの御説明を伺いまして、この点につきましてはまことに私も安心したわけでございます。  同じような問題でございますが、次にやはり聞くところによりますと、遺族援護法による遺族年金、障害年金、弔慰金等の裁定に対する不服申し立ての裁決がこれまたおそいと聞いております。不服申し立ての道が開かれていても、裁決までに何年もかかるということでは不服申し立ての制度のせっかくの趣旨が生かされないのではないかと思うのでございます。御当局における不服申し立ての裁決の状況及び今後の処理見通しについてちょっと伺っておきたいと思います。
  48. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 これも確かに御指摘のように各方面から御注意を受けておるところでございます。今年の二月一日現在の数字を申し上げますと、未処理の不服申し立て案件が三千百二十件ございます。このような不服案件は全体として非常にいわば難解なケースが多いのでございます。特に全体がおくれておるということではなくて、不服申し立て事案の中でも、おくれているものはおくれているほど難解なケースであるというのが、率直に申しまして実情でございます。先ほど裁定の際に申し上げましたと同じように、いわゆる死因等の挙証関係が非常にむずかしいものでございまして、これもぶっきらぼうに扱えば、直ちにお返しするといったようなものが非常に多いのでございますけれども、せっかく御遺族がもう一度考え直してほしいという不服申し立てをしてこられておる御心情を考えまして、やはり何とかそういう事実があるのではないかという、遺族の側に立った厚意的な立場で調査調査を重ねておっておくれておるというのが大部分でございます。しかしながら、そうはいいましても、そういう技術的に困難がありましても、迅速に処理しなければならないということはもう当然私どもの任務でございまして、政府といたしましては、諮問機関でございまする援護審査会の格段の協力を得まして、事務の簡素化をはかるように最近いたしております。また不服処理の専門の班を援護局内に設けまして、不服事案の特別の迅速処理ということを最近においてもやり始めております。そういうふうにこの事案を処理する部内の事務態勢を強化いたしまして、現在先ほど申しましたような滞留件数というものは本年の末までには必ず一掃したいということで、お互い担当の者が誓い合って現在作業を進めておるような状況でございます。また参考までに申し上げますと、去年の十一月から本年の一月までの不服の処理件数は六百六十八件でございますが、これは前年の同期に比較いたしますると倍以上の成果でございまして、この成績に満足することなく、さらに御注意を受けつつ不服事案の迅速処理には一そう努力をいたしたい、かように考えております。
  49. 松山千惠子

    ○松山委員 次に、昭和三十三年五月の遺族援護法の改正で、大戦中国家総動員法または軍の要請に基づいて出動し、不幸にもその犠牲となって果てた動員学徒、国民義勇隊等についての国家補償の関係についてお伺いしたいと思います。  すなわち、これらの方々の遺族に支給される遺族給与金は五カ年で打ち切られることになっており、昭和三十九年にはこの期限の切れるものを生じると思いますが、これを見ても、準軍属は軍人軍属に比べて非常に冷遇されていることが明らかであります。従ってこの遺族給与金を軍人軍属並みに年金化するように、従来からたびたび政府に要望されてきたと存じますが、これに対して厚生大臣は、二月七日の当委員会の席上伊藤委員からの御質問に対する御答弁で、実現の決意を表明しておられるので、政府において次の通常国会に立法化の措置が講ぜられるものと信じておりますが、この際いま一度厚生大臣の御決意を承っておきたいと思います。
  50. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねの問題につきましては、先般申し上げた通りでございまして、私といたしましては、できるだけ努力いたしまして、次の通常国会において、この年金化の問題について御審議をわずらわすようにいたしたい、さような心持でやって参る所存でございます。
  51. 松山千惠子

    ○松山委員 次にまた、遺族援護法では、準軍属といわれる動員学徒、徴用工等の被徴用者が業務上の傷害を受けても、それが戦時災害でない場合は援護がなされないことになっておりますが、動員によって強制的に徴用され、非常時下の過酷な労働のために結核等にかかって死亡した人々は、戦争があったがために死んだと言えるのではないでしょうか。これらの人々も軍人や軍族の場合と同様に、国が援護をなすべきではないかと思うのでございます。政府におかれましては、このような戦時災害の制限を撤廃して、徴用工等の処遇を改善するお考えはございませんでしょうか。お尋ねいたしたいと思います。
  52. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねの御趣旨につきましては、遺族の方々のお気持等を考えました場合に、私としましては、これは十分検討を要する問題である、かように考えております。積極的に検討いたしたいと思います。
  53. 松山千惠子

    ○松山委員 徴用工等の準軍属に支給される遺族給与金の父母の場合の支給要件は、六十才以上であっても、その者を扶養することができる直系血族がないことが要件とされており、また不具、廃疾であっても、生活資料を得ることができないこと、及びその者を扶養することのできる直系家族のないことがその要件とされております。同じ父母でありながら、軍人、軍族の場合の遺族年金の支給要件よりも非常にきびしくなっております。これは当然遺族の場合と同様に緩和すべきではないかと存ずるのでございますが、いかがでございましょうか。
  54. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 準軍属の場合と軍族の場合との取り扱いが違っておりますことは御指摘の通りでございます。これにつきましては、内地勤務の軍属の父母に対する処遇とのつり合いというようなことが考えられるかと思うのでございます。またそのことについて臨時恩給等調査会等においてもいろいろ御審議のあったいきさつを承知いたしておるわけでございます。しかしこの問題は、私はやはり従来のいきさつはいきさつでございますけれども、今日の犠牲者を出されました方々のお気持の上から申しますと、やはり積極的に十分検討さしていただきたい問題だと存じております。
  55. 松山千惠子

    ○松山委員 徴用工等の準軍属の遺族に支給される遺族給与金の額は、軍人、軍属に支給される遺族年金の半額となっております。遺族の立場になってみれば、同じように戦争で死んだ者でありながら、身分が違うから半額だというのはまことに割り切れない気がいたします。むしろ身分的に考えますと、戦争に参加を義務づけられております軍人、軍属が戦争で死んだ場合は、ある程度予想もされておりますし、覚悟もできていたかもしれませんが、白紙という国の命令で工場などに連れてこられて、そこで死んだ準軍属の遺族の場合の精神的な打撃は非常に強いのではないでしょうか。この意味において準軍属を軍人、軍属よりもむしろ優遇すべきではないかとも考えられるのでございます。従って政府は、遺族給与金を年金化するだけでなく、全額を遺族年金と同額に引き上げ、軍人、軍属との不均衡をなくすべきではないかと考えられるのでございますが、いかがでございますか。
  56. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お尋ねの御趣旨につきましては、私も同感の節が多いのでございます。ただこの扱い方につきましては、軍人、軍属と身分関係において違っておりますので、全く同じような処遇をすることははたしていかがであろうか、また他の一般の戦争犠牲者とのつり合いというふうな問題もございますので、臨時恩給等調査会における御調査の報告にかんがみまして今のような制度ができておると思うのでございます。しかし私は、この問題につきましても全く同じように扱えるかどうか、この点はよほど検討を要すると思いますけれども、先ほど来お答え申し上げております通りに、私は積極的な心持をもってこれを検討さしていただきたい、かように考えておる次第でございます。せいぜい一つ努力してみたいと思います。
  57. 松山千惠子

    ○松山委員 次に、軍属の障害者に対しては、第六項症よりも第一款症から第三款症までの場合にも障害年金が支給されておりますが、徴用工等の準軍属の障害者に対しましては、第六項症に至らないいわゆる款症程度の不具、廃疾については障害年金の支給がされておりません。同じ程度の障害でありながら、軍属には支給し、準軍属には支給しないという不公平な処置を国みずからがとっているということを正しい援護のあり方といえるかどうか、私は非常に疑問に思うのでございます。持に準軍属の場合は、軍属の場合に比して女性の障害者が非常に多いと思うので、軽度の障害であっても、女性の場合の精神的、経済的損失は重度障害者に劣るものではないというように考えられるのでございます。準軍属の障害者については、少なくとも軍属と同等の援護をなすべきではないかと思われるのでございますが、お考えを承りたいと思います。
  58. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 確かにお述べのような現実でございますが、御承知のように、現化の準軍属の処遇の基本的な建前と申しますか、そういうものが軍人、軍属と雇用関係において違うというところで、当初立法の問題を整理しておるようでございます。また臨時恩給等調査会の御答申といいますか御報告にも、やはり現行法を支持するような、また現行法が臨まれたような理屈が書いてございます。従いまして款症程度のいわゆる軽度の障害につきましては、障害年金を支給するというふうに範囲を広めるという問題につきましては、今日としてはいかがなものかというふうに一応考えるのでございます。現に国家公務員の災害補償、あるいは労災あるいは厚生年金あるいは国民年金、船員保険、そうしたすべての社会立法におきまして、款症程度の者は年金を支給しないという一般的な例になっておるのでございます。今直ちにこれを援護法の世界だけで踏み切るということには相当問題があろうと思うのでございますが、なお御指摘の次第もございますので、よく検討させていただきたいと思います。
  59. 松山千惠子

    ○松山委員 私の質問を終わります。
  60. 柳谷清三郎

    ○柳谷委員長代理 安藤覺君。
  61. 安藤覺

    ○安藤委員 ただいま松山議員から遺族の不服申し立てに対する審査、あるいは軍族、また動員学徒のこれに漏れている者についてのあり方、あるいは徴用工と他の軍人等との間において、その年金、手当等にはなはだ格差を持っていること等をるるおあげになって御質問があり、これに対して灘尾厚生大臣及び山本援護局長から親切なあたたかい心を持っての御答弁をいただいたのでございまして、今さらここにつけ加えてお尋ねすることもないのでございますが、ただ一言申し述べて、大臣並びに局長の、来年度予算に対して、あるいは来通常国会に対して一段と御決意をお固め願えるものかどうか、その点についてお尋ねしておきたいと存じます。終戦後十七年をすでに経過いたしております。およそ世の中で親の墓を建てますのには、大体十七回忌までに建て終わるものでございます。この辺であの悲惨な戦争の犠牲者たちにきめのこまかいところの手も一応終わりの段階にきておるのではないかと思います。この意味におきまして、ただいままで非常にあたたかいお心を持ってこれに対処すべき御回答をいただいておるわけでございますが、さらに一段と覚悟を新たにいたされまして、来通常国会には、これらの漏れたもろもろの法案を御提案下さると同時に、ぜひ一つ予算の裏づけをなさって、これこそは必ず成立通過させるという不退転の決意をもってお臨みを願いたい。ことにこの遺族の不服の申し立て審査に対しては非常な御努力は下されておられるのでありますけれども、なかなかに先ほど来御答弁のありましたように難件が多いのでございますので遅々として進捗しないということでございますが、すでにこの法律が制定されまして以来幾たびか改正されまして、その改正される方向は、幅広く、できるだけ疑わしきものは拾い上げてやるというあたたかい心持のもとにおいて改正されておるのでございますから、その改正されました精神をおくみ下さって、できるだけ広くこれにお取り上げ願うようにお計らい願いたい。このためには、でき得るならば、灘尾厚生大臣から何らかの機会において下僚を督励されるのはもとよりでございますけれども審議会に対しても、ただいま私が申し上げましたような趣旨においてお働きかけをお願い申し上げたい。そうして、ぜひともこの十七回忌を契機として終止符を打つというくらいのお覚悟のほどをお願い申し上げたい、かように存ずる次第でございます。
  62. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私といたしましても、次の通常国会におきまして、従来問題とせられておりました事柄についての政府としての答案をぜひ出したい、かように考えておる次第でございます。なかなか御期待通りに参りますかどうですかわかりませんが、私はせいぜい努力いたしたいと存じておりますので、御協力いただきたいと思います。  なおまた、不服申し立て等の処理につきましても、事実現在残っております問題はむずかしい案件ばかりだと思うのでございます。その処理の心持は、先ほど局長もお伝え申し上げましたが、これを断わってしまうのなら何でもないわけであります。何とかと考えますためにむしろ処理が長引いておるというようなことでございますので、われわれの気持一つ御了承をいただきたいと思います。できるだけ早く解決するように、さらに一そうの督励もいたしますし、また審議会等に対する皆様方のお心持も、私の方からもよくお伝えいたしまして御協力を願うようにいたしたいと考えております。
  63. 柳谷清三郎

    ○柳谷委員長代理 午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時四十七分休憩      ————◇—————    午後一時五十九分開議
  64. 中野四郎

    中野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  去る四日、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案審査のための参考人出頭要求に関する件につきまして、委員長に御一任を願いましたが、本日、日本赤十字社副社長田辺繁雄君に、参考人として当委員会に御出席をいただいております。  参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人には、御多忙のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本案につきましては、各方面に広く関心が持たれておりますが、当委員会におきましても、この機会に本案に御関係をお持ちになられますあなたから忌憚のない御意見を伺い、審査の参考といたしたいと存じます。  なお、議事規則の定めるところによりまして、参考人が発言なさいます際には委員長の許可を得ていただくことになっております。また、参考人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、以上お含みの上お願いいたしたいと存じます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。河野正君。
  65. 河野正

    ○河野(正)委員 戦争の傷あとというものを一日も早く回復せしめ、さらには終戦処理をすみやかに達成していくということは、今日私ども日本国民に与えられました大きな責務であろうというふうに考えるわけでございます。そういう意味で実は本日の午前から戦傷病者あるいは戦没者遺族等援護法改正をめぐりましての質疑が繰り返されたわけでございますが、なるほどその改正趣旨法案でも述べられておりますように、最近の経済情勢にかんがみてそれぞれの時宜に応ずる改善を行なうのだ。このこと自体は私も一つの進歩だろうと考えます。しかしながら、そうであるからといって、今回の改正で終戦処理の諸懸案を解決することができるということではないというふうに考えるわけです。もちろん個々の問題もございます。あるいはまた基本的な問題もなお未解決の点が多々ございます。そこで、先ほど申し述べましたように、戦争の傷あとを一員も早く回復せしめ、あるいはまた終戦処理をすみやかに達成する。そういう建前から私どももこの法案に取り組んでいかなければならぬ、これは当然のことだと考えます。  そこで、これは後ほどの質疑にも関連して参りますので、まず私が大臣にお尋ねを申し上げておきたいと思いまする点は、そういう終戦処理あるいは戦争の傷あとの回復、そういう点に対して、今日まで、今申し上げました法律が適用されて、逐次解決方向をたどって参ったわけでございますけれども、そういう法適用にあたって、この終戦処理の問題というものがどういう現状に置かれておるか。その現状の一つの価値判断でございますが、それによって今後の改善というものが当然強く推進されなければならぬ面も出てこよう。そこで今日まで法を適用なさっていただいて、そしてこの終戦処理という問題がどういう方向に向かいつつあるか、またそれに対して今後政府の対処いたします態度と申しますか、そういう点についてのあらましの御所感をまずもって承っておきたいと存じます。
  66. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御質疑の点について私お答え申し上げることがあるいは見当違いなことを申し上げるようなことになるかとも思うのでありますが、お尋ねがだいぶ抽象的でございましたものですから、さように思うのでございますが、戦後の処理の問題といたしまして厚生省で扱っております遺家族援護の問題等につきましては、私は大体順調にいっているのではないかと思うのであります。また先般制定せられました特別措置法によりまして、お申し立てによって死亡宣告をするというような問題につきましても、だんだんと趣旨を御了解願って、その方も比較的順調に進んで参っておるかと思うのでございます。戦後すでに十七年でございます。だんだん遺家族の方々の御家庭における状況も変わって参っておるかと思うのでありまするが、われわれといたしましては、さらに元気を起こして今後一そうそれぞれの御家庭が繁栄するように祈っておるわけでございます。  ただ問題として今朝来ございました未帰還者の方々に対する問題が完結いたしておるというところまで至っておりません。私どもも非常に残念に存じておりますが、今日の国際情勢のもとにおきまして思うように参らぬ点もございます。何とかこの問題を早く解決いたしたいと思っております。  それからまた昨年は、ソ連地区に対しまして、ごく一部ではございましたけれども、遺族の方々が墓参といったような機会が与えられ、御遺族の方も喜んでいただいたと思うのでございます。さような問題につきまして、なおソ連についてもございますが、お隣の中国という方面について全く解決せられないような状態で残っております。こういうような問題を政府といたしましても常に念頭に置きまして、これらの問題が御遺族の方々の御満足のいくような方向において解決せられる日の一日も早からんことを実は祈っておる次第でございます。さような考え方のもとに調査もいたしまするし、また時期を見ておる、これが現在の状況でございます。何とか早く未帰還者の問題なり今のような遺族の方々のお心持を満たして差し上げることができるようにいたしたいものということが、最も念頭にあるところでございます。
  67. 河野正

    ○河野(正)委員 遺家族援護に対しまする政府の取り組んで参りますところの態度、心がまえというものについて大臣の御所見を承ったのでございますが、今大臣からもお答えがございましたように、だんだんと解決をして順調に進んでおる点もございます。それから未帰還者等、特に中共関係等の問題についてはなかなか困難な問題もございます。そういう点については、今後さらに一そう積極的な態度で臨んでいただかなければならぬだろうというようなことを考えるわけでございますが、まずそういう大臣の誠意ある遺家族問題に対しまする取り組む姿勢というようなものをお答えを願いましたので、私はなお今後力点を入れて考えていただかなければならぬ諸問題について、若干触れて参りたいというふうに考えます。  まず最初にお尋ねを申し上げたいと思いまする点は、これは午前中に松山委員から若干触れられましたので、私は多少変わった立場からお尋ねして御所見をお伺い申し、そしてさらに今後の御善処をお願いを申し上げたいと思います。  それはこの遺家族援護法の中でも一番むずかしい問題でございまする未帰還者の問題をまず取り上げなければならぬと思いますが、これは午前中触れられましたように、昭和三十六年十月一日現在で氏名の明らかな未帰還者数のみでも二万五十四名というたくさんの方々がおられる。しかもその中からいろいろ帰還者の情報、現地からの来信、在外公館によりますところの調査、こういうもろもろの調査なり情報によって、現在生存しているであろうという方々が六千八百名、これは二万五十四名の約三分の一程度でございます。ところがこの六千八百名の中でも、これは午前中もちょっと触れられましたけれども、二千五百人程度というものは昭和二十八年以降生存資料がない。生存というものを必ずしも期待できない、こういうふうに実はいわれておるわけです。しかし、私どもが遺族の立場に立って考えて参りますと、昭和三十六年十月現在において姓名が明らかである場合、あるいは少なくとも昭和二十八年までは生存しておったであろうが、昭和二十八年からは資料がないので必ずしも的確につかめない、かなり新しい時点において、生存しておられた方の氏名が明らかだということも、実は厚生白書が示すところであります。ところが、今日はその実態がつかめないので、その生存が必ずしも明確でない、そうしますと、この遺族にしてみれば、おぼれる者はわらをもつかむで、これはなかなか納得するわけには参らぬと思います。特に終戦直後でございますと、諸情勢がこんとんとしているというようなことでございますけれども昭和二十八年の時点でありますと、かなり時世というものも変わっておりますし、内外ともに安定した段階にいっておりますので、その時点における氏名のわかっている方々の生存が明らかでない、そういうことだけで、私はなかなか遺家族というものは納得できぬであろうというふうに考えるわけです。そこでそういう実態に対してどういうふうにお考え願っているのか、一つ事務当局からお答え願えればけっこうだと思います。
  68. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 お答え申し上げます。  ただいま先生御指摘のように、通常でありますと、二十八年以降一度でも生存資料のあります方々は、今日におきましてもおおむねそのまま生存されておるものと推定されます。従いまして、私どもの方といたしましても、法律改正されましてもそういう実態を重視いたしまして、ただ単に二十八年以降生存の資料を得られないという結果だけで死亡宣告の申し立てをするということはいたさないつもりでございます。ただ午前中に申し上げましたように、二十八年以降の生存資料のあるといいますものも、その個々のケースをあたってみますと、その生存の事実の確認の度合いというものがやはり非常にはっきりしたものと、不確かではあるが一応そういうデータがあるのでそれを取り上げておるという、やはり生存の確認の度合いというものにいろいろウエートがございます。従いまして、そういうやや弱いのではないかと思われるような個々のケースの審査をした上で、しかも御遺族が家系の転換をはからなければならぬという御家庭の御事情等もございまして、新しい親族あるいは相続関係をこの際打ち立てなければならぬという関係家族の御要望等も現にございますので、そういう諸般の事情を考慮して、少なくとも人間の生死でありますから、慎重の上にも慎重を期しまして、やむを得ず死亡宣告の申し立てをしなければならないものにつきましては、申し立てをするということでございます。従いまして、そういうケースにつきましては当然家庭裁判所の審判におきましても、未帰還の状態あるいは関係遺族の申し立て等を十分慎重に勘案せられまして、審判が進められると思いますので、御指摘のように二十一年当時の資料と二十八年後の資料につきましては、家庭裁判所の審判自身も相当変わったものが出るのじゃないか、こういうふうに考える次第でございます。
  69. 河野正

    ○河野(正)委員 私がお尋ねしておる点は、そういうことでなくて、実は昭和二十八年までは約六千八百名の未帰還者の方々の氏名というものがきわめて明確であった、ところがその後二千五百名の方々の生存というものが必ずしも的確でない。たとえば北鮮あるいは中共においては国交が回復しないという事情もございましょう。その他については国交も回復して在外公館も設置され、かなり調査が行き届くと思うのです。その割に二千五百名というのはあまり多過ぎはせぬか。そういうことでは遺族の方々も納得できぬだろう、こういうことを御指摘申し上げておるわけでございます。そこで、どうして二千五百名という多数の方々の消息というものが二十八年以降確認できないのか。その間の事情を一つお聞かせ願ってほしい、こういうことを言っておるわけでございます。
  70. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 いろいろ地域によりまして特性がございますので、一がいには申し上げかねるのでございますが、主要な地域について申し上げますと、まずソビエトでございますが、ソビエトにつきましては、先ほど来申し上げておりますように、在外公館を通じまして、幾たびか未帰還者の現状の把握及び帰国希望の者につきましては、それを促進してほしいという要請をいたしておるのでございますが、遺憾ながら、今日までソビエト当局といたしましては、わが方の核心に触れた要望に沿った答えを出されていないのでございます。それから中国におきましては、ここに日赤の副社長もおられますから、そちらの方が詳しいと思いますが、赤十字のルートを通じましていろいろお願いしておるにかかわらず、これも私どもが直ちにもって満足するような、的確な生存者の状況を聞かせていただけないのが、遺憾ながら現状でございます。それから、南方、北鮮も同種でございますが、南方につきましては、各地の在外公館が、ただいま先生の御指摘されましたような点につきまして、自分たちの大きな任務としてこの問題にとり組んでいただいておるのでありますが、その成果は今までのところそう大きなものが出ていないという現状でございます。
  71. 河野正

    ○河野(正)委員 そこで、その点については、私は遺族もなかなか納得できぬ点もあろうと思うのです。そこで、今後そういう私どもの要望ないし遺族の要望というものを十分頭に入れていただいて、さらに格段の努力をしていただきたいということにしておきたいと思います。  それから戦時死亡宣告の問題でありますが、御承知のように、昭和三十四年四月から特別措置法によりまして、留守家族の同意を得て厚生大臣が戦時死亡宣告を請求することができるということになっておるわけですが、この実情を見ておりますると、昭和三十六年九月末までの申し立て件数というものは八千百九十三件でございます。そのうち、死亡宣告の確定いたしました件数というものが五千五十六件というようになっておるわけです。もちろん、この宣告を受けますると、遺族に対する弔慰料、遺族年金、公務扶助料等が支給されるということでございます。けれども、未確定についてはそのような弔慰料ないし遺族年金、公務扶助料の支給を受けるわけにいかぬ。ところが、ここで特にお伺いしておきたいと思いまする点は、申し立て件数が八千百九十三件、そのうち確定いたしましたのが五千五十六件で、未確定というものが三千百三十七件に及んでおるわけです。これはどういう事情であるのか、こういうことを考えますので、その実態というものを一つここで明らかにしていただきたい。
  72. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 戦時死亡宣告というものは、ともかく一人の人を戸籍上抹消する行為でございます。従いまして、当該留守家族と申しますか、遺族と言いますか、御家族にとりましては非常に大きな問題、未帰還者が何人あるということよりも、御家族にとっては一人がすべてでございます。従いまして、慎重の上にも慎重を期されておるのが、遺族全般のお気持であろうと察します。従いまして、私どもといたしましても、かりそめにも役所の都合とか、そういうようなことで死亡宣告をするというようなことはごうまつも考えておらないわけでございまして、あくまで調査を重ねました成果から見まして、これ以上調査方法もなく、また今日まで調査した結果を総合して判断すると、遺憾ながら死亡したものと推断せざるを得ないというはっきりした判断のつくものだけにつきまして、当該遺族に、このような調査の結果でございますと、御家庭の新しい設計のお考えもございましょうからと、相手方の御事情も聞き、また政府側で調査し尽くしました今までの成果を、十二分に資料を添えてお話をして、御納得をいただいた上で申し立ての同意をしていただいておるわけでございます。従いまして、これは県によって遺憾ながら非常に違うのでございますが、大部分の県におきましては、順調に進んでおると思うのでございますが、ごく一部の府県におきましては、これは事実上県の世話課がやっております関係上、そういう人のよろしきを得ないと言いますか、説明の十分行き届かないようなところも、率直に申してございまして、一部の向きにつきましては、まだやはり自分のむすこは生きておると考えたいという一念で、もうしばらく同意するのは待っていただきたいというようなことで、同意を渋られてきたのが今までの状況でございます。しかしながら、先ほど来申しましたように、最近はそういう非常に強硬な県におきましても、陳情団がたびたび来られまして、国会の先生方同席の席上で、私どもがずいぶん死亡宣告の趣旨、並びに未帰還調査の現況等を詳細に話しますと、非常によくわかられて、これで自分たちも安心して同意できるというような向きが最近非常に出ておりますので、全国的に見まして、若干の例外はあろうかと存じますが、今日としてはこの戦時死亡宣告の目的と言いますか、そういう点が非常によく理解されてきたものと考えておるのでございます。今後もそういう趣旨の徹底には十分意を用いますとともに、個々人の、個々の家庭に対しまして戦時死亡宣告の申し立てをすることがしかるべき向きにつきましては、責任者が出向きまして、十分御遺族の納得を得るように、また資料も惜しむことなく留守家族にお見せいたしまして御判断をしていただくというようなことにしたいと思いますが、先ほどの数字は、そういう非常に円滑に進行しております直前の数字とも言えますので、今後は相当この数が大きくなる、こういうふうに考えております。  なお、申すまでもございませんが、戦時死亡宣告の審判は、六カ月の公示期間を置くというような、期間のズレもございますので、実際の申し立ての機運というものは相当進んでおるのではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。
  73. 河野正

    ○河野(正)委員 事人命に関する問題でございますし、また遺家族の人間的の感情もございますから、慎重の上にも慎重を期さなければならぬという点は私も全く同感でございます。ところが、実は先ほどちょっと触れましたように、厚生白書によりますと、昭和三十六年十月一日現在の氏名の明らかな未帰還者数というものは、約二万五十四名ということになっておるわけです。そういう未帰還者の数から見て、たとえばさっきもちょっと触れましたように、現在その中で生存の非常に確実な実数というものは約四千三百ということに数字が大体なっておるわけです。そうしますと、それを差し引きますと、大体氏名は明らかであるけれども生存が必ずしも的確でないという方々が一万五千七百五十四名ということになるわけですね。一万五千名以上の方々の生存というものが必ずしも明確でない。そういう数字と今死亡宣告の確定数というものの間に非常に大きな隔たりがございますね。その間の隔たりというものはどういうことを意味しておるのか、この辺も一つ遺族のために明らかにしていただければけっこうだと思います。
  74. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 ただいままでに申し上げましたほかにつけ加えなければならぬと思いますのは、ただいま御指摘の点でわかったのでございますが、戦時死亡宣告をいたしますものは、どちらかといいますと、やはり新しい家庭の設計を要するようなものが多うございます。従いまして、未帰還者の中には、日本に遺家族のいない、あるいは遠い親戚関係はございますけれども、死亡宣告をしてもらった方がいいというような積極的判断のつきかねるような関係の親族といったような方がございますので、これまでのところ、やはりそうした親とか子といったような、親族の中でも、そういう新しい設計を積極的にやらなければならぬと考えておられるような向きにつきまして進められておるというような関係もございますので、ただいま先生の御指摘のような数字と死亡宣告の申し立てが現に済んでおる者との差は、そういう面もあろうと思います。それから、数はそう多くはございませんが、こういう戦時死亡宣告のほかに、厚生省みずからがいつどこで死んだとはっきり断定できます者につきましては、従前からございました例の死亡公報を出しておるものもございますので、あれこれ、そういう事情等もございまして、それからまた、特別措置法の先ほど申しました時期的ズレといったようなものもございまして、先生御指摘の氏名のわかっておる未帰還者と、特別措置法による審判の確定者といったようなものの数字の開きが出たというふうに御理解いただいたらいいのじゃないかと存じます。
  75. 河野正

    ○河野(正)委員 そういうことであれば非常にけっこうだと思うのです。ただ、結局その調査が非常にあいまいで、そのためにそういう数のズレが出ておるということでありますと、これは非常に申しわけないことだと思うのです。そこで、そういうことに対して自信を持っていただけば非常にけっこうだと思うのですが、非常に自信がないということでございますならば、さらに一そう的確な調査というものを実施して、そしてそういう疑問が出ないように善処をしてほしい、こういうことを申し上げておきたいと思います。  それから、今の死亡宣告の問題と関連いたしますが、死亡宣告を受けますると、葬祭料、遺骨引取経費等の支給を受けるわけですね。ところが、その遺骨の帰ってこぬもの、これについては、この遺骨引取経費というのはどういうふうになるのですか。
  76. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 軍人軍属につきましては、これはずっと昔からの行き方でございますが、いわゆる霊璽というものを渡します。これは遺骨のおかわりとして御遺族に渡される唯一の象徴的なものでございますので、霊璽をお渡しいたします際に遺骨引取経費を差し上げておる現状でございます。一般邦人にはそうした霊璽といった取り扱いは従前もいたしておりませんので、軍人軍属以外の、いわゆる国と直接雇用関係に立った身分的つながりのある者以外につきましては、遺骨引取経費は現実の遺骨がお渡しできる場合にのみ渡しているという実情でございます。
  77. 河野正

    ○河野(正)委員 そういうふうに、軍人軍属の場合と、一般国民の場合と差別をつけるということについては、午前中もいろいろ質問が展開されたようです。私どももこの尊い人命を、まあいろいろ立場はございますけれども、国のためになげうった、しかもなくなって後にそういう差別がつけられることについては、これは了承するわけには参りません。そこで、そういう点については今後の問題だと思いますけれども、十分一つ大臣も念頭に入れていただいて、何分の御善処をお願い申し上げたい、かように考えます。  それから、日赤もおいででございますから逐次その方に入って参りたいと思いますが、その前に、もう一つ、留守家族援護法の改正によって、葬祭料の三千円が五千円に格上げされた。あるいはまた遺骨引取経費が二千七百円から三千五百円に格上げされた。これは物価が上昇したわけですから、当然のことと思うのですが、それでは一体こういう葬祭料にいたしましても、あるいはまた遺骨引取経費にいたしましても、実際に未帰還者の場合は、これはもう現実の問題を私は申し上げるわけでございますが、個人の葬祭というふうにいかない面が非常に多いのですね。これはやはりどうしても遺骨が帰ってくるというような場合には、やや半ば公的な——ほんとうの公でございませんけれども、慣例から申し上げますると、半ば公的な性格を若干持っているのですね。そこで、この死亡宣告がされて、そうして弔うにいたしましても、あるいは遺骨を引き取るにいたしましても、かなりの経費が要ると思うのですよ。個人の死亡で葬式をするような割にいかぬ面が、これは現実の問題としてありますね。そういうことを考えてみますと、なるほど今度厚生省の御尽力によって葬祭料が三千円から五千円、それから遺骨引取経費の二千七百円が三千五百円に格上げされた、そのことはけっこうでありますけれども、やはり今私が申し上げる現実というものは、十分に尊重していただかぬと工合が悪いのではないかということを考えるのです。そこでそのような数字の根拠と申しますか、これは今度上がったのは物価の引き上げ、これは法律に書いてありますから間違いはないと思いますけれども、そういう金額のきまりました根拠というもの、そういう点がどこに根拠があるのか、私どもはむしろもっと現実に即してやってもらいたいという希望もございますので、その辺の事情がおわかりでございましたら明らかにしてもらいたいと思います。
  78. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 お答えする前に、先ほど一つ抜かしておりましたが、遺骨引取経費は、軍人、軍属のほかに「ソビエト社会主義共和国連邦の地域内の未復員者と同様の実情にある者」、いわゆる特別未帰還者と称しますが、これにも支給されております。落としましたので恐縮ですが、訂正させていただきたいと思います。  ただいまの遺骨引取経費なり葬祭料の根拠でございますが、これは先生御存じのように、非常に古くからこういうものは出ることになっておって、一番初めの、留守家族援護法の前身でございます未復員者給与法あるいは特別未帰還者給与法当時からあったわけでございます。その当時どういう目安でもとの金額が変わったか的確には存じませんが、この葬祭料及び遺骨引取経費は、今般増額のための法律改正を御審議をお願いしているわけでございますが、ずいぶん長い間現行の三千円なりあるいは二千七百円というものが据え置かれて今日に及んでおったのでございますが、これは何としても承服しかねることでございますので、大蔵当局にもこういうばかなことはないということで、ずいぶん折衝いたしまして、五千円なり三千五百円というものにしてもらったわけでございます。今回の五千円なり三千五百円なりにいたしましたのは、遺骨引取経費につきましては、これは大体県庁所在地に御遺族が出てもらうという一応の積算基礎がございますので、現行の二千七百円を、その後の鉄道運賃の値上がりあるいは公務員の日当の改善といったようなものに見合う事務的な積み重ねをいたしまして、三千五百円に増額をお願いしたわけでございます。  なお葬祭料につきましては、生活保護法を一応の基準にしたのでございますが、御承知のように、生活保護法におきましては遺体の処理というのがございますが、この留守家族援護法におきましてはそうした面はないのでございまして、生活保護法の葬祭の経費に比べますと、実質的にははるかに高い経費になっております。しかし同時にただいま河野先生の御指摘のように、こういう方々につきましては、一軒の家だけでしめやかに葬儀をするというようなことが割合少なくて、村とか町とかいったようなものでやっていただくというような広がりはあると思います。しかしそういう点はまず私の方といたしましては十分配意いたしまして、現在各所によって多少事情は違いますが、県の方でそういう一つの遺骨の伝達といったような行事をやっていただきまして、県におきましてもそれぞれ予算を組み、国においてもそれに若干の補いをつけるといった経費を、この遺骨引取経費なり葬祭料に加えて支出しておるような状況でございます。ただいまの御指摘の点につきましては、将来さらに前向きの方向で十分実態を見、改正をさらに要するということであるならば、善処するように努力してみたいと考えております。
  79. 河野正

    ○河野(正)委員 今この葬祭料あるいはまた今度改正されました遺骨引取経費、こういう問題をめぐって若干御所信を伺ったわけでございますが、この遺骨の問題が今日までなお未解決のまま経過をしてきた事実がありますことは、もう御案内の通りでございます。  そこで私ども今までの御答弁の中で感じますことは、たとえば軍人軍属の場合には、遺骨がない場合は霊璽を遺家族に渡す、あるいはまた一般の軍人軍属でない方々の場合には、遺骨引取経費が支給されぬわけでございますから、これも別に、しいて遺骨を引き渡す必要はない、そういう軍人軍属の場合は遺骨を渡さないで霊璽で済むというようなことから、どうも遺骨問題が今日まで未解決できたのではなかろうか、そういう遺骨の問題の解決はなかなかむずかしいので、霊璽あるいは遺骨を渡さぬでもいいというような制度のもとで責任を回避された傾向があるのではなかろうか、これはまことに残念でございますけれども、そういう印象を持たざるを得ないのでございます。今日までこの遺骨問題につきましては、私もしばしば政府当局にお願いをいたして参りました。そこで今申し上げますように、遺骨の問題にいたしましても、たとえば南方諸地域のように治安が非常に悪いというようなことで遺骨をなかなか思うように内地に帰すことができないという事例もございます。あるいはまた遺骨がどこに埋葬されておるかわからぬ、埋葬地域が不明確のまま今日まで日本に帰すことができないという事情もございます。いろいろ事情はありますけれども、そういう事情のみでなく、今日まで政府の努力の欠陥によってそういう遺骨の帰還というものが達成できなかったというふうな経緯がなきにしもあらずでございます。そこでそういう遺骨の問題についてどういうふうに政府考えられて参りましたか、私ども、さっき申し上げますように、今軍人軍属においては霊璽、あるいは軍人軍属以外については遺骨引取費を渡すことは要らぬというような制度のために、どうも遺骨の問題というものが多少なおざりにされたというふうな印象も持っておりますので、この際一つ所信を伺わしていただきたいと思います。
  80. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 今次の敗戦によります戦没者の御遺骨の問題につきましては、ただいま御指摘のような遺骨引取経費の出る出ないとは全然関係なく、御遺族の御心情をお察しいたしまして、できるだけ日本に持って帰れるようにしたいという念願で基本的には参っておるわけでございます。しかしながら、今次の戦争の戦われました地域が、世界で例を見ないような広範な地域でございますし、しかもいわゆる負けいくさで、撤退に次ぐ撤退をしましたような地域もございまして、その全体を御遺族の御希望のように日本に持ち帰るということは、結果的にできがたい地域も御推察のようにたくさんあるわけでございます。従いまして、やはりこれは地域ごとに考えざるを得ないのではないかというふうに考えておるわけでございます。それでまず南方の諸地域でございますが、これはいわゆる敗戦に次ぐ敗戦をしましたような地域が大部分でございます。従いまして、遺骨の収集が戦闘の最中に十分できかねたような地域もたくさんございます。のみならず戦後相当の年数がたちまして、いわゆる海浜とかジャングルの中に遺骨が散乱しておるというような指摘を受けまして、御承知のように昭和二十八年の一月であったと思いますが、南方八島に遺骨収集団を派遣いたしまして、遺骨の収集並びに現地追悼を行なってきたわけでございます。以後引き続きまして東部ニューギニア、フィリピンあるいはインド、マレーあるいはアラスカ、アリューシャン群島といった各方面に同様の船舶または飛行機による遺骨収集団を派遣いたしまして、政府官吏のほかに宗教家の代表、御遺族の代表等をも交えまして、遺骨の収集と慰霊に当たってきたわけでございます。そういう地域に参りました際は、氏名の判明する遺骨はすべて日本に持って帰る、氏名の判明しがたい遺骨につきましては、その一部を象徴的に日本に持ち帰り、自余は現地に厚く弔ってきて、いわゆる遺骨収集は一応終えた形になっておるわけでございます。もちろん他の地域も同様でございますが、南方におきましても、戦闘の直後、戦友が日本に持ち帰った遺骨は多数ございます。  それから次にソビエトでございますが、ソビエトには現在ソビエト政府から正式に墓所があるとして通報されましたのは十八カ所、三千三百余名の氏名しか通報されておりません。しかしながら、わが政府資料によりますと、大体収容所等でなくなった方々が大部分でございますので、比較的同一の収容所におりました人々が自分で埋めてきた、信相すべき証拠であると存じますが、それによりますと三百数カ所ぐらいの墓はあるはずだと考えております。死亡者も五万に達する数であると考えられておるのでございます。しかしながら、この点につきましては、ソビエト側は、今日遺憾ながら死亡資料については追加すべきものがないというような表現で、午前中に申しましたプラハにおきまする赤十字の会合で言っておるのでございますが、しかし私どもといたしましては、先ほど申しましたように、起居をともにした僚友が現に葬ってきた墓所であり、御遺骨でありますので、まずソビエトにつきましては、その死亡せられた者の氏名の把握、それから墓所の確認といったような点につきまして、今後根気よくソビエト政府に正式な通報をもらうように——その通報を得た上で、全体としての遺骨の処理考えていきたいというふうに考えております。  それから次に中国でございますが、中国につきましては、いわゆる敗戦に次ぐ敗戦といった南方の諸地域とは、当時の戦闘の態様が非常に違いますので、戦争中なくなられました方々の大部分の遺骨は戦友が持ち帰っておるのでございますが、その後におきましても、赤十字の方で、中国紅十字会とお話し合いを進めていただきまして、判明し得る限りのものは遺骨送還について協力をするという先方の好意ある態度でございますし、満州を除きました中国本土につきましては、現に相当数の遺骨が持ち帰られておるわけでございます。ところがまだ中国本土につきましても、いわゆる法務関係者の遺骨で、私どもどこそこに埋葬されておるはずだという資料がありながら、中国側から渡されていない御遺骨がございますので、これにつきましては、最近赤十字を通じまして、新たな措置をとってもらうようにお願いしたわけでございます。  次に満州でございます。満州はソビエト軍の進攻に伴いまして、まず国境地帯で凄惨な戦いが行なわれましたので、南方と同じように相当の軍人軍属なりあるいは義勇隊員といったような方々に、戦闘による死亡者を出しておるわけでございますが、遺憾ながらその後どういうふうになったか、全然知る由もないような状況でございます。また新京その他の都市を中心として起こりました引き揚げ途上の死亡者も非常に多く、満州全体といたしましては約二十万の死亡者を出しておるわけでございます。こういう方々につきましても、その遺体がどこにどのように葬られておるか、現状としては正確にはつかみ得ない現状になっております。
  81. 河野正

    ○河野(正)委員 今お答え願いました中でもう一点だけお尋ねをしておきたいと思います点は、ソ連の地域でなくなった将兵が、今もお話がありましたように約五万、そして現在私どもが仄聞するところによりますと、三百三十数カ所の地域に遺骨が埋葬されておる。ところがソ連の方で最近第一次の墓参を許可いたしまして、一部の方々でございますけれども、遺族の方々の墓参を願った。第二回の許可も出るというようなことでございますが、私の仄聞するところによりますと、日本に遺骨を帰さぬ。それにはいろいろ事情がありましょうけれども、その遺骨を帰すかわりに墓参を許した。これはあとで日赤の副社長にもお聞きしたいと思いますけれども、中国の問題と関連いたしますので、この際ソ連について一つお答えを願っておきたいと思います点は、墓参を許可するかわりに遺骨は帰しがたいという一つの条件付の墓参であるというふうにも仄聞いたしておりますが、その間の事情がわかっておりますならば一つお示しを願いたい。
  82. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 そのような条件はないものと考えおります。
  83. 河野正

    ○河野(正)委員 ないかあるかわかりませんが、私の仄聞するところによりますと、そういう内々の条件があるので、おそらくソ連地区の遺骨は帰ってこぬだろうというふうに私どもは仄聞いたしておりますけれども、それはどこまでも仄聞でございますから、一つ願わくば、これは日本の国民感情からいいましても、一応最後の処理というものは、遺骨が帰ってきて、故国の土に埋めて、初めてすべての行事が終わったという観念が、日本の国民感情でもございますので、一つそういう仄聞が実際の事実になって現われぬように十分の御配慮を願っておきたいと思います。  そこでそういう要望を申し上げて、せっかく中国の遺骨の問題等についても御答弁を願いましたので、日赤を通じてどのような努力がなされておるか、この点については一つ日赤の方から御事情を承っておきたいと思います。
  84. 田辺繁雄

    ○田辺参考人 旧満州地区を含めた中国で戦時中あるいは戦争に関連して死亡した人たちの遺骨の問題につきましては、中共からの邦人引き揚げに関連して、向こうの紅十字会とたびたび折衝する機会がございましたので、そのつど調査、送還方を依頼して参ったのであります。三十一年の六月、戦犯の問題で日本から赤十字ほか二団体が天津に参りまして、紅十字会の幹部といろいろお話し合いをしました際に、特に遺骨の問題につきましてお願いをいたしまして、その協定ができたのであります。ほかの問題もたくさん入っておりますが、その協定の中の一つに、中国にある日本人の遺骨で、日本側が資料を提供し、中国紅十字会で発見できるものであれば、中国紅十字会はその送還を援助することができる、こういう協定ができたわけであります。その後三十二年に、また紅十字会の代表が日本に参りまして、三団体と東京で会談をいたしました際に、またこの問題についてお願いをしましたところ、向こうから、日本側の各方面からの依頼によって調査発見した遺骨が二千三百六体ある。これは最近の帰国船に託して送還する。なお、日本人の遺骨については、日本の国内の諸団体から非常にたくさんの申し出を受けている。これらはだれから資料を提供されてもよいが、中国側からの措置や送還は三団体を通じてやりたい、こういう回答があったわけであります。  それで中共からの引き揚げ開始以来日本側に、紅十字会から赤十字社あてに、あるいは赤十字社を通じて遺族に送還されました遺骨が全部で二千四百六十八柱でございます。その中にはいわゆる中共になってからの戦犯四十八名を含んでおります。それからそれとは別に十五の箱に、もちろん氏名は不明でございますが、遺骨が入って送られておるわけでございます。それから最近におきましては、昨年の六月白菊遺族会から、中国でなくなった戦犯等の遺骨七十七体について送還をしてくれるように、赤十字社から紅十字会に頼んでもらいたいという依頼がございましたので、昨年の六月十五日紅十字会にその旨を伝達したわけでございます。その後、どういう事情かわかりませんが、これに関連しましては何らの返答もございませんので、三月二十七日付でさらに資料を追加いたしまして、と申しますのは、昨年遺族からの嘆願に基づいて向こうに依頼をした場合には十分な資料がございませんでしたので、その後厚生省に依頼をいたしまして、その七十七体のうちで帰還者から得た情報によりどの辺のところに遺骨があると認められるというような資料を集めまして、六十九体判明いたしましたので、六十九体の遺骨一つ一つについてどの辺のところに遺骨があったかという地図をつけまして、先方に調査方を依頼いたしました。
  85. 河野正

    ○河野(正)委員 実は今田邊副社長からもお答えがございましたように、昭和三十一年の天津協定によっても、あるいはその前、李徳全氏が昭和二十九年の十月に日赤の招待で来日されたわけです。その場合の懇談会の覚書、あるいは昭和三十二年八月の、全協の会長であります有田八郎氏が訪中をいたしましたその場合の会談の覚書の中でも、遺骨がわかった場合は、具体的な資料をつければ、中国紅十字会は日本の三団体に送り帰す用意があるというような再三再四にわたる確約が行なわれて参っておるわけです。その点は今田邊副社長が御答弁なさった通りでございます。ところが、今御答弁の中にありましたように、実際に資料がありながら今日まで未解決になってきた問題が、今副社長からも申し述べられたのでございます。特にこの問題は、別に大臣の前で申し上げるわけではございませんけれども灘尾厚生大臣が就任されて後も、特に積極的に御尽力いただいておる点については遺族も非常に感泣いたしております。ところが、今までそういう資料がありながら、しかも中共の方では資料があればと言っておりながら、この問題が推進されなかったことについては、私ども残念でもございますし、非常に不満に思っておるわけです。それはなるほど昨年の六月十五日に中国の紅十字会の方に折衝したということでございますけれども、別にことしの三月二十七日に資料を追加されぬでも、その当時から資料はあったわけです。そういう資料があったのに、なぜそういう資料のもとに折衝を持たれなかったかということについて、私どもは非常に不満を持っておるわけです。と同時に、これは政府が幾ら熱意を持たれても、国交が回復しておりませんから、厚生省が直接この問題に対して手を染めて交渉をするというわけには参らぬわけです。これは日赤を初め三団体にも委嘱しなければならぬ。これはこれまでの中国との間でそういうふうな取りきめをやっている。幾ら厚生省が熱意を持っていただいても、実際に窓口になってやっていただくのは日赤なんです。ところが今の日赤は、取りきめの中では資料をつけて出せば必ず遺骨は帰しますと言っておるのに、ことしの三月まで資料提出しなかったということについて、これはどういう角度から見ても日赤の怠慢は免れざるものがあると思うのです。そこでそういう資料をつけてあらためて交渉を持ったけれども、そういう交渉についても今日まで中国の回答がないということでございますけれども、今までそういう交渉をして回答がなければ、どういう事情であるのかという折衝というものが、当然とられてしかるべきだったろうという考え方です。そういう立場からも、私はどうも日赤については熱意のほどが疑われる。まことに残念でありますけれども、私はこういうことは本来言いたくないですけれども、そういう印象を持たざるを得ないわけです。と同時に、そういう遺骨問題がなかなか解決しないということについて、私ども若干別の角度から疑問を持っておるわけなんです。と申しますのはどういうことかと申しますと、一九五五年の十一月、ジュネーブ駐在の沈総領事から日本のジュネーブ駐在の田付総領事あてに出された書簡の中で、次のようなことが言われているわけであります。中華人民共和国外交部スポークスマンの声明が指摘したように、「中国侵略の戦争に駆り出されて参加し、行方不明となった日本人の問題は、日本政府が日本人民に対して説明すべき問題であります。すでに帰国した約二万九千名の日本人居留民及びすでに処罰を免除されて日本に送還された四百十七名の罪状軽微な元日本人軍人を除くほか、現在中国にいるのは僅かに六千余名の日本人居留民及び一千名の日本人戦犯にすぎず、いかなる状況不明の日本人も全然いないのであります。」こういうふうにジュネーブ駐在の沈総領事が日本の田付総領事に対して書簡を寄せておるわけであります。そこで、もちろん今まで日赤が非常に努力を怠ったということも一つあります。ところが、手続はやったけれどもなかなか返事はこない。それについては私どもはいろいろ疑問を持つわけですが、沈書簡の中に言っておりますように、「いかなる状況不明の日本人も全然いないのであります。」という、この状況不明の中に遺骨というものが含まれておりはせぬか、こういう一つの疑問も出てくるわけです。そうしますと、もうそういう不明の者がないということですから、従って遺骨もないということに通じてくると思うのです。ところが、遺骨がありませんというようなことは、中国としてはなかなか言いにくいだろうと思うのです。これは日本に対しても中国人の遺骨を帰せということを言っておりますね。そういう建前から、中国における日本人の遺骨はないというようなことは、中国の立場からするとなかなか言いにくい点もあろうと思います。そこで、状況不明の日本人は全然いないという中に遺骨が含まれているかどうかという問題ですが、もし含んでおるとするならば、これはもう実際帰りっこないわけですね。こういう沈書簡に対して、日赤はどういう所感をお持ちになっておりますか。
  86. 田辺繁雄

    ○田辺参考人 私もあまりよくその趣旨の内容を検討しておりませんので、多少見当違いかもしれませんが、率直に申し上げます。そこに言っている状況不明者というのは、日本側で言っている状況不明者ということを受けて言っているのじゃないかと思いますので、これは日本側で見た観念が状況不明者でございますので、向こう側から言えばそういう者はない、こういう当然のことを言ったのではないかと思います。  遺骨の問題につきましては、先ほどちょっと申しましたが、二十九年の中国紅十字会が参りましたときの懇談の覚書に、こういう意味のことが書いてあります。中国紅十字会は、日本人の遺骨について、一九四九年以後のものに関しては、できるだけ調査して送還するように努力するが、大多数のものについては多分不可能ではないかと思う。一九四九年以後という、中共が成立したあとのことについてはこういう条件がついておる。ところが三十一年六月の天津協定では、先ほど申しましたように、調査し、発見できるものであれば送り返す、その通り実行しておるわけであります。先ほど申しました二千四百六十八柱の中には、中共になってから帰った戦犯四十八名以外は、大部分その前の死没者ではないかと思われるわけであります。中には、蒋介石政府時代の戦犯の遺骨も四十八柱の中に入っておると思います。従って、天津協定では、調査して発見できるものであるならば、中共になってからであろうと中共以前のものであろうと、すべてわかる限りはお帰しします、こういう約束をしてくれたものと日赤の方では信じております。できるだけその線に沿ってわれわれも協力を依頼し、向こうも誠意をもって実行してくれるものとわれわれも期待しておるわけであります。今後もできるだけその線で向こうに依頼を続けて参りたいと思っております。
  87. 河野正

    ○河野(正)委員 ところが、一番極端な例は、さっき申しましたように、六十九体については埋葬個所がはっきりしておるわけです。これは日赤が出されるまでもなく、厚生省でちゃんとまとめてある。そういう埋葬個所がはっきりしておりますような資料を出しながら、それに対する回答がないというところに私の疑問があるわけです。そういう資料を出さない場合にはいろいろありましょう。たとえば埋葬の個所が明らかでないからというような問題もありましょうが、中共側の紅十字会が言っておりますように、この具体的な資料を出しながら、しかもそれに対する回答がない。そこに私が申し上げておるような疑問があるわけだ。そこでそれはいろいろあるわけですが、たとえばさっきの書簡の中に、次のようなことが書いてある。「人道上の原則に基き、中国紅十字会としては、日本赤十字社等三団体が具体的資料を提供しさえすれば個々の日本人の消息の問題について、できるだけの調査をすることを依然として希望しております。中国人民が日本人民に対して、このように友情を表明しているからといって日本政府の側がいわゆる状況不明の四万名の日本人問題を提出して中国政府に難題をもちかける余地は如何なる根拠をもってしても全然ありません。」こういうことも書いてあるわけであります。それですから、この日本側の要求に対して、中国側が、今申し上げるような考え方から具体的な反応を示しておる。これはまことに恐縮でございますが、そういうことが改善されない根本的な原因が今の政府にあるのではないか、この文書によるとそういうことになる。それですから、具体的な資料を出したけれども帰ってこないし、返事もこない。そこに私は疑問があるが、その疑問を解いていくと、今申し上げるように、そういう政府に対する反発、遺骨に対しては十分調査をする、あるいは協力するということだけれども、末段ではそういうような文章も明記されておる。あるいはまた、所在不明の者は一人もおらぬという中に、遺骨も含まれておるのではなかろうかというような感じさえ持つわけです。  それからもう一つは、時間がございませんから端折って申し上げたいと思いますが、今時政権のもとにおけるものについても云々ということがございました。ところが、それについて、私どもは、これはもう日本人同士の文書でございませんから、相手の気特がこの文書に織り込まれておるわけですから、日本側で田辺さんがお考えになるような意味であるかどうかということも疑問があると思うのですよ。  そこでもう一つ私は提示をいたしますが、それは、全協会長の有田八郎氏が訪中されたときにおける覚書の中で次のような二点があるわけです。その二点の間にも、実際関連があるかどうかわかりませんが、私ども若干疑問を持つわけです。申し上げますと、終戦から中共政府成立までの間に中国にいた日本人の送還または残留は、当時の蒋政府処理したもので、中共政府責任をおわないということがある。有田さんと周総理、李徳全会長との間の覚書の中の第二項に、そういう蒋政権のもとにおける帰還者の処理については責任を負えぬという項目が一つあるわけです。それから四項に、これは遺骨に関係しておるわけですが、遺骨がわかった場合には三団体に送還する用意があるということがございます。なるほど、さっきもちょっとお話がございましたが、第二項の、蒋政権の時代における処理については、中共政府責任を持たぬということと、遺骨については、四項の中で、三団体に送還する用意があるといっておられるが、その送還も、蒋政権時代のものについては責任が負いがたいというふうな意味が関連して含まれておるのじゃないかという印象も受けるわけです。というのは、中共政権のもとでの遺骨は帰っておる、ところが蒋政権治下の遺骨の帰る率というものは非常に少ない、そういうことから、どうもその覚書の中にも、帰ってこないについての若干の問題点があるのではなかろうかというふうな感じを持つわけです。これは悪い方に悪い方にと解釈しておりますけれども、どうも覚書の通りならばスムーズに解決できるのだが、なかなか解決しない。これは日本人の書いた文書でなくて相手が書いた文書ですから、その底意はどういうことを意味しておるかということも私どもが判断しなければならない。その場合にそういう判断も成り立つわけですから、副社長のおっしゃるように簡単に考えてはいかぬ。その点に対してどういうふうにお考えになっておるのか、この際承っておきたい。
  88. 田辺繁雄

    ○田辺参考人 中共になってから死没したいわゆる中共戦犯の遺骨は、四十八柱全部帰ってきております。ところが、先ほど申し上げましたように、中国紅十字会から赤十字あてに送還されました遺骨の総数は、中共戦犯の遺骨四十八柱を除きましても二千四百二十柱あるわけです。そのほかに不明な遺骨を入れた箱が十五もあるわけですこれは大部分、中共政府ができる以前の死没者の遺骨と推定されるわけであります。そのうち二千三百十二柱が、昭和三十三年四月二十四日、自由丸で帰ってきておりますが、そのうちの二千体近くのものは、各般の資料から推察いたしますと、旧満州地区における死没者の遺骨と判定されるわけであります。また、先ほど申し上げましたように、この多数の遺骨の中には、国民政府時代の、いわゆる蒋介石戦犯と称せられる方々の遺骨が四十体も含まれておるわけでございます。従って、中共政府ができる以前において死没した人の状況不明とかなんとかいう問題については、中共の政府責任を持たぬということと、遺骨については全部帰すということとは矛盾はしていないのじゃないか、こう思うわけであります。現実に帰ってきている遺骨から判断いたしますと、向こうで確約している通り、発見できるものならば協力するということは、その通り理解していいのじゃないかと私どもは思っております。
  89. 河野正

    ○河野(正)委員 それなら、なぜさっきの六十九体については帰ってこぬのかというのです。それが具体的に資料をつけて帰ってこぬから、私どもそういう疑問を持つわけです。もしその額面通りでしたら、帰ってこなければならぬでしょう。帰ってこなければならぬのに帰ってこないから、何かほかに原因があるのじゃないだろうか。そうだとすれば、その原因を解かなければならないと言っておるわけです。それで解決しなければならぬ。私は何も日赤の責任を追及するのではない。今言った通り、額面通り理解したいとおっしゃるなら当然帰ってこなければならぬ。それが帰ってこないのは、何かほかに原因があるのではないかということを私は御指摘申し上げておる。もしそうだとすれば、その原因を解いていかなければ解決できぬ。ところが、今あなたのおっしゃる通り額面通りというならば、当然帰ってこなければならぬのが帰ってこないから、何かこれはほかに原因があるのではなかろうかということを心配しておるのです。今もあなたの言う通り、額面通りというならば、いつまでたっても解決しませんよ。そういう点については、あなた方も若干私と同様に疑問を持っていただいて、そうしてその疑問の解決のために努力していただかなければ前進しませんよ。そういうことを言っておるのです。それでよろしゅうございますね。
  90. 田辺繁雄

    ○田辺参考人 私どもは、その資料が十分でございませんので、政府の御協力もいただきまして、詳細な資料を作って、向こうに差し上げたわけであります。従って、私どもはその反応を実は期待しておるわけであります。ただ、遺骨は、日本の場合も同様でございますが、年月の経過とともに発見できない場合もあり得るのです。従って、いろいろの建設工事も進んでおる向こうのことでございますから、多数の遺骨の中には、当時はそういう資料があったけれども、今日は発見できないということも推察できないわけじゃない。それにはこういった人道上の問題がございますから、何か責任があるとかないとか、そういう政治的な考慮を加えて帰ってこないということは考えたくないわけであります。できるでけ向こうの善意を信頼して、協力をお願いしておるわけであります。
  91. 河野正

    ○河野(正)委員 私が言っておるのは、遺骨が帰ってくるということが一番望ましいことですけれども、それは今言った通り、都市計画が進んでみたり、あるいは現地の状況が変わってみたりして、当時の資料通りいかぬということもありましょう。それならそれでいいから、その都市計画なら都心計画によって、あるいは遺骨がなかなか思うように資料通り発見できないということであればそれでけっこうです。ところが、結局ナシのつぶてだということに問題がある。ここでちょっと認識を改めてもらっておかなければならぬのは、自民党の諸君は、日赤を責めたって仕方がないじゃないかと言われるけれども、中国の問題については国交は回復しておりませんので、政府間ではどうにもならぬ。政府も日赤を通じてやらなければならぬのです。ですから、これはあなたを責めるのではなくて、この問題を解決するためには、どうしてもあなたの力にたよらなければならぬのです。そういう意味で申し上げておるのですから、謙虚に聞いていただかなければならぬと思うのです。ですから、今申し上げますように、遺骨が帰ってくることが望ましいが、もし都市計画その他によってなかなか発見が困難であるとすれば、困難であるということでこの問題は終止符を打つべきだと思う。ところが、ナシのつぶてだからどうにもならぬ。ですから、その結末をつけるためには、私ども中共側の善意は信じますけれども、なぜそういう回答がこないのか、それらの点については、さらに格段の努力をお願いすることによって、この問題を処理しなければならぬと思うのです。  そこで、時間もありませんから、ここで私は、いやなことですけれども、一言だけ申し上げておきたいことがございます。それはどういうことかと申しますと、実は私はこういうことは言いたくないのですけれども、これはやはり日赤の真価を認識してもらう意味において、私はこの際明らかにしておきたいと思います。日赤のこういう問題の窓口でございます外事部長が、遺族の方々に対して、生きた人間が残っておるのに遺骨とは何事だ、こういう暴言を吐いておられるわけです。遺族にしてみれば、おぼれるものはわらをもつかむという気持で、何とか日赤におすがりして自分の主人、親、兄弟の遺骨を帰してもらいたい、これは遺族の心情としては全くその通りです。ところが、日赤に行ったら、外事部長が、生きた人間が残っておるのに、遺骨とは何事だというようなことで——日赤の精神は、人道的な行為を行なうことが明記されておる、日赤法の第一条には。だから、そういう非人道的なことをおっしゃってもらっては困ると思う。これは私は、何もこういういやなことを申し上げたくありませんけれども、しかし日赤というものに対して、遺族はおぼれる者わらをもつかむという心情にあるということです。そういう遺族に対する暴言というものは、これは日赤に対する認識を誤りますよ。この点は副社長も十分に耳に入れておいていただいて、これは内部の問題ですけれども、こういう問題は及ぼす影響が非常に大きいです。こういう点については一つ善処していただきたい。これは日赤法三十八条では、大臣は日赤の職員を罷免させることができるわけだ、厚生大臣は行政上の責任があるわけですから、大臣もこういう点については一つ十分に頭に入れておいて御善処を願いたいと思います。  そこで、この点についてはいろいろ意見の食い違いがございましたけれども、私ども中共の善意を信頼しないわけではないわけです。ただ、そういう手続き上において何か行き違いがあるのじゃないか、こういう意味で申し上げているわけですから、もしそういうことのために解決しないということであれば、これはいつまでたっても解決しませんけれども、これは私ども長い間やっているのですから、そういう経緯というものを十分お聞き取り願って、一つ今後さらに格段の解決のための御努力を願っていただきたい。これは大臣は非常に熱意をもってやっていただいておりますので、遺族も感泣しておりますが、この点もあわせて申し上げておきたいと思います。  最後に一点、これは遺族援護法そのものとの関連の問題ですが、いろいろございますけれども、あと吉村委員質問もございますので、最後に一点だけ私が取り上げて申し上げておきたいと思うのです。それは戦傷病者の療養給付期間の問題です。今度の法律改正によって当分の間延長された。ところが、現在この療養給付を受けております傷病者が約三千七百でございますか、これはお聞きいたしたいと思いまけれども、時間がございませんからそのまま申し上げますが、そういう療養期間の方々がおられる。ところが、なるほど今度の法律で当分の間延長となったということで、やれやれ当分安心をして療養に専念されるというようなことで、傷病者諸君も安堵はしたいと思います。ところが当分の間でございますから、従って、いつまた打ち切られるかというようなことで不安がつきまとっておるわけですね。そこで、これは戦争の古傷をなおす、あるいは終戦処理を達成していくという建前から、少なくとも、これは数もそう大きい数ではございませんから、私どもは、当然療養給付期間についてはその転帰までということになるのがしかるべきではなかろうかという感じを持つわけでございますが、この点はいかがでございますか。
  92. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 お気持としては全く痛感でございます。御承知のように、従前は一年、二年、三年という小刻みの延長をしたのでございますが、そういう延ばし方は適切でないということで、あえて当分の間という表現で改正をお願いしておる次第でございまして、ごく近い将来にそれを打ち切るというような考えがかりにあれば、こういう表現は絶対使わないわけでございますので、ただいま河野先生の御指摘のような趣旨で、療養患者に安んじて療養していただけるように、十分周知の方法はとりたいと思います。
  93. 河野正

    ○河野(正)委員 それでは、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。大体精神としては、転帰まで安心して療養に専念しろ、こういうふうに理解してよろしゅうございますか、この点大臣から一つ……。
  94. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私どもの心持ちは、そのような心持で御審議をお願いしておる、かように御了解願いたいと思います。
  95. 中野四郎

    中野委員長 田辺参考人にはいろいろ意見をお述べいただき、本案の審査に多大の参考となりましたことを厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)  吉村吉雄君。
  96. 吉村吉雄

    ○吉村委員 先ほど来、戦傷病者戦没者遺族等の援護法の問題あるいは留守家族援護法等の問題について、やや詳細に質問が行なわれ、これに対して政府答弁があったわけでございますので、それらの問題について、私は重複を避けながら要点について、限られた時間でございますので、大臣ならびに関係当局の見解をお伺いしておきたいと思うのですが、今回のこの戦傷病者戦没者遺族等の改正につきましては、その改正内容については一応の前進を示しておるというふうに考えますけれども、しかしながら、これはあくまでも現在その適用を受けておる人に限られた問題でございますから、私は、むしろこういった法律がありながらもその適用が受けられないでいる人が相当数ある、こういうことについて各地方で種々問題になっていることを自分で体験をいたしておりますので、そういうような点に問題をしぼりながら、質問をしていきたいというふうに考えております。  まず初めに、この戦傷病者戦没者遺族等援護法が施行されまして以来、その適用を申請した数、これに対するところの今日までの厚生大臣の裁定件数、同時にその差としての未処理の件数、こういうものを事務当局の方にお尋ねをしておきたいというふうに考えます。
  97. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 遺族援護法に関します状況でございますが、本年の二月一日現在における受付件数、これは午前中松山先生へのお答えで申し上げたのでございますが、遺族年金、弔慰金については二百二十二万五千二百六十七件、障害年金、障害一時金については五万八千六百九十三件、遺族給与金は二万五千五百六十五件、合計二百三十万九千五百二十五件、これが受付件数でございます。これに対しまして当日までに裁定いたしております件数は、遺族年金、弔慰金が二百二十一万八千三百三十四件、障害年金、一時金五万七千五百三十五件、遺族給与金二万五千百二十件、合計が二百三十万九百八十九件の裁定を終了いたしております。従いまして、現在の手持ちは八千五百三十六件、以上でございます。
  98. 吉村吉雄

    ○吉村委員 ただいまの未処理件数の八千五百三十六件というのは、援護局の方に滞留して現在作業中の件数でございますか。そのほかに、厚生省の方から各県の世話課の方に、いろいろの書類の不備というようなことで差し戻しをしたところの件数はこの中に入っておるかどうか、その点をお伺いします。
  99. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 厚生省が受理いたしまして、いろいろ資料等で県に照会しておるのは、八千五百三十六件に入っております。これは権利がないと判定いたしましてお返ししました、いわゆる棄却の件数は入ってございません。
  100. 吉村吉雄

    ○吉村委員 県の方に差し戻されたところの件数については、書類の不備なり、いろいろの原因があるだろうと思いますけれども、これはどのくらいの数に上っているか、厚生省の方では掌握をされておりますか。
  101. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 これはものの考えでございますが、非常に形式的なもので、こういう点をつけ加えてもらいたいという軽微なものもございますれば、死因自体について肝心の証明書がない、だからこういうものをつけてもらいたいといったような、程度の差がいろいろございまして、出入りを的確に把握することはできませんが、八千五百三十六件は、全然手を染めないで、書類がきて積んであるというふうなものでなく、相手の部分については一応目を通して、こういう資料がついてないといったような審査をしまして、最終的な判断材料を整える段階にあるものも含んでおるものでございます。
  102. 吉村吉雄

    ○吉村委員 そういたしますと、私の先ほどお尋ねをいたしました、県の方に援護局から差し戻した件数はこの中に包含をされていないということになるのですか、部分的には入っておるということになるのですか。
  103. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 書類全体を見まして、資料の整備とかそういうことではなくて、内容自体を判断いたしまして、これは援護法の対象にならないという判断をして棄却する、すなわち申請者にその旨を知らすこと、そういうのが一つの裁定でございます。裁定というのは、大きく分けますと、申し出の通りであるという認容をする場合と、それから内容が不当である、援護法に該当しないということで却下します、その二つを含めて裁定と申し上げたのでございますが、そのうちの、いわゆる棄却と称しますのは、いわゆる処理済みとして、今申しました八千五百三十六件には含まれておりませんが、こういう部分的な資料を補備してもらえるならば十分審査できるというようなことで、若干の資料の補償を県にお願いしておるものはこの八千五百三十六件に含まれておるということでございます。
  104. 吉村吉雄

    ○吉村委員 前に援護局の方から提示をされました資料によりますと、十一月一日現在と十二月一日現在の各受付件数、裁定件数、未処理件数が出ております。先ほど報告願ったものと数字的には若干違うのでありますが、私がここで奇異に感じましたのは、たとえば障害年金、障害一時金等については、十一月現在と十二月現在と比較しますと、百二十二件増加をしている。遺族年金、弔慰金等については千九十三件の増加がある。遺族給与金については三百九十七件の増加になっておる、その合計が千六百十二件になっております。   〔委員長退席、柳谷委員長代理着席〕 そこで、この裁定が済んだところの件数、これが合計で二千二百五件になっております。私が今奇異に感じたと申し上げたのは、その当時の資料によると、十二月一日現在で未裁定件数は九千七十九件になっておるのでありますが、ここでは大体ふえた数字が千六百十二件で、裁定済み件数が約二千二百件でございますから、十一月一日現在から十二月一日現在までの間に作業は相当進捗をした、こういうふうに言い得ると思うのです。このように一カ月程度で作業が非常に進捗をしておるという意味であるならば、今言われたように、約九千件に上るところの未処理件数が今日まで残っておるということであるとするならば、私は、これは難事案だけが相当残っておるのではないか、こういうふうに予測されます。もちろん新たに申請をされたものもあるのでありますけれども、数の割合等から考えてみますと、難事案というものが相当に滞留しておるのではないかと考えられますけれども、この未処理件数の内容というものは一体どういうものが多いのか、この点はどうなっておりますか。
  105. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 吉村先生のおっしゃる通りでございまして、ごく概括的に申し上げますと、非常にむずかしいケースが残っておるということは、端的に言えばその通りでございます。もちろんそうでない一般のケースも、ただいま御指摘のようにその後次々と新たな裁定の申請として出て参りますので、すべてが難ケースとは申せませんが、全体の割合から占めるところのものは、難ケースが大部分でございます。従いまして、先ほどの十一月一日、十二月一日、それからただいま私が申し上げました二月一日の数字といろいろでこぼこがございますが、御指摘のように新たに裁定を求めてくるもの、それからこちらで片づけたもの、いろいろ出入りがございまして、現在一番新しい数字は、八千五百三十六件未処理という数字でございます。この難ケースの原因はいろいろございますけれども、一番大きいものは、死因の証明が遺族援護法にいうようなものに該当しないと一応出ておるもの、それから所属部隊の誤り、本人はこういう部隊におったというのでありますが、厚生省が持っている軍人軍属の名簿にはどうしても見当たらない、おそらくは本人の記憶違いなのではないかと思われるのもの。それから遺族給与金の、準軍属につきましては戦争中の会社、工場等が多うございますので、現在それがございません。本人はその当時の会社の名前を書いておりますが、それがどういう経過をたどって今日までその事業が継承されておるかという継承先を追及するのに非常に困難が伴うということ、そういうことがいわゆる難ケースの中の典型的なものとして指摘されます。
  106. 吉村吉雄

    ○吉村委員 その難事案の中で、この法律が施行されましてからすでに十年にならんとしておるわけでありますけれども、もっとも長くかかっているというのは、どのくらいの期間がかかっておるのですか。
  107. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 極端に申しますと、四年ぐらいかかっておるのも確かにあると思います。しかしこれは四年間腕をつかねて書類を積んでおるということでは決してございませんで、長い歳月が経過しておりますものは、その間二度、三度、こちらからこういう点が不備だということで照会いたします。ところが、それで出てきましたものがまだ不備であるといったようなことで、何回も再調々々を重ねておるというのがございます。それからごく極端な例でございますが、本人は何年にどういう部隊に入ったという申し立てをしておるのでございますが、私も現物を最近見ましたが、どうしても厚生省の索引カードにはそういう該当の人はいない。これは海軍でございますが、実に正確と思っておりまする索引カードだけでも百冊もあるようなんでございますけれども、該当の者に当りますとそれが出てこない。それでは本人の記憶違いではないかということで、それに近接したようなカードも全部見るというような手間もかけておりますが、見つからない。こういうのがございまして、先ほど申しましたようにそれをいきなり突っ返すということでなく、根気よくもう一つわれわれの方でも努力をしてみたいというようなことでお預かりしておるということで、おそくかかっておるのがあるわけであります。しかし、できるだけ早く処理しなければならぬということで、私ども非常な決意を持って現在仕事に当たっておるような状況でございます。
  108. 吉村吉雄

    ○吉村委員 戦後十七年、この法律ができてから十年でございますが、その間有能な援護局の局長以下が、四年間かかってもなかなかその実情を明らかにでき得ない、こういうことでございます。これは時日がたてばたつほど調査がむずかしいということになってくる性格のものではないか、こういうふうに考えられます。従って、こういう点については、なおあなた方の方としては努力をしていくということでございますから、それはそれとして、私の方では一応預かっておきます。  次に、援護局の業務の中で、どうしてそんなふうにおくれていくのかということについて、私はいろいろ疑問を持ったわけです。いま一つは、私一人で、該当者の方々から、ここ四、五カ月の間にこの法律の適用を受ける手続をした人が、すでに二十人近く相談を受けておる。ですから、私一人の体験でそういうことでございますから、全国的にはこの点について早く適用をというふうに願っておる家族、本人たちが相当数おる。私の推測では、今申されました九千件内外というのは、厚生省の援護局で掌握し得る件数であって、都道府県の世話課の方にいろいろな理由のもとに滞留をしておる件数というものは、まだまだ多いのではないかというふうに推測をいたします。従って、そういう点から見て、厚生省の方では地方の実情というものは十分に掌握をしていかないと、わずかに九千件ぐらいであるというようなことでは、私はこの実情に沿った解決策にはなっていかない、こういうふうに考えられますので、この点は強く十分現地の方の実態というものを把握するように努めていただくようにお願いをしたいと思うのです。  そこで次に、援護局の業務の内容でございますけれども、たとえば今回恩給法の一部が改正になりまして、戦地加算というようなものが認められるようになった。そういうふうになって参りますと、これらの新たな法改正に伴う業務というものは、これまた厚生省の援護局の方でやるようになるだろうと思うのですが、それは間違いございませんか。
  109. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 さようでございます。  なお、先ほど四年かかっておるのもあると申しましたが、非常に極端な例を申したのでありまして、全体がそういうことではないと了知しております。なお、都道府県の世話課におきます滞留でございますが、これも御指摘のように十分留意しなければならないところでございまして、大体私の聞いておるところでは、一カ月ないし二カ月くらいの手持ちが多いと聞いておりますが、中には若干それよりもおくれておるものもあると存じますので、御注意の点を十分肝に銘じまして、現地を指導したいと存じます。
  110. 吉村吉雄

    ○吉村委員 この戦地加算の業務も援護局の方で行なう、さらに今度は、各公的年金制度の通算措置が行なわれることになったわけでございますけれども、これまた各軍歴期間というものが公的年金の通算期間になるわけですから、この種の作業も厚生省の援護局の方で行なうということになると思いますが、それは間違いありませんか。
  111. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 あるいは誤解が出たかと思いますので補足しますが、この戦地加算の業務は最終的には恩給局が裁定をするのでございますが、援護局といたしましては、元の軍人軍属でありますので恩給局に申達をする業務を担当しておる、これも御指摘のように大へんな業務でございます。なお、通算の関係でございますが、もちろん軍人としての在籍期間が何年から何年までであるという証明は、当然援護局が担当しなければならないところでございます。
  112. 吉村吉雄

    ○吉村委員 そこで、この援護局の業務というものは、法改正に伴って、いわゆる戦後処理の仕事を逐次行なっていくというあんばいになっておるようなんでございます。そしてまた、旧軍隊があった当時は軍隊で行なったものを、厚生省で行なう部分が非常に多くなっている。これらが新たな業務として、法改正と同時に厚生省に累増をされてきておる、こういうのが実情じゃないかというふうに推測をされます。事実また今の答弁によりましても、戦地加算の問題あるいは通算措置の問題等についても援護局の方で行なうということでございますから、そうなって参りますと、それでなくてすら、今まで指摘をいたしましたようにそれに四年間もかかっておるというようなこの種の証明事務、いわゆる裁定業務、こういうものは、だんだんと軽視をしないまでも、仕事に追われてないがしろにされる危険性というものもなきにしもあらずと考えます。しかも、先ほど申し上げましたように、私はこの当時の戦時中の実態というものを証明する業務というものは、時日が経過すればするほど困難になっていく、そういう性格の問題であろうというふうに考えますから、この仕事をやっているところへ新たな仕事がどんどんとふえていくということになるならば、ますますもって、今まであなた方が一生懸命やったとは言いながら、長期間かかっていまだに解決のつき得ないこれらの援護上の問題については、もっともっと遷延をされる危険性がある、こういうふうに考えられるのでございますけれども、こうした総合的な援護局全体の業務量、この中で今の遺族等援護法の実際の適用業務というものを推進していくという努力をするという言葉それ自身はわかりますが、現実の業務の実態、己累増する業務の実情等からして、それは言葉だけに終わる危険性なしとしない、こういうふうに考えられるのでございますけれども、こういう点について厚生大臣としてはどういうふうに対処をして、先ほど来の各委員の早期解決、早期に裁定をという要望に対してどうこたえられようとしておるのか、この点についての大臣の見解をお伺いしておきたいと思うのです。
  113. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大へん御理解のあるお言葉をいただきまして、感謝する次第でございます。仰せの通りに、ある面においては仕事も減って参り、また新しい仕事がふえて参りますということで、なかなか仕事の面から申しますと、援護局の諸君もかなり骨を折っておると思うのであります。なおまた、私特に注文いたしまして、なるべく早く物事を片づけるようにということでやっておりますだけに、一そう忙しい思いをしておるのではないかと考えておる次第であります。極力勉強してもらってやって参りたいと思いますが、今回戦時加算の問題がございましたので、若干の増員を予算の方で認めていただいておることになっております。たしか三十名増員ということになっておるわけでございます。ずいぶん忙しいとは思いますけれども、それでもってしっかり勉強してもらいたい、かように考えておる次第でございます。
  114. 吉村吉雄

    ○吉村委員 若干の増員措置といいますか、そういうものは予算の中に出ていることは私も見て知っておるのでありますが、これまたきわめてスズメの涙ほどのものじゃないかと思うのです。非常勤職員手当の項が新設をされて、約三十万前後、三十万よりはちょっと多いのですか、そういう程度の金じゃないかと思うのですが、それは総額の分でありますから、人数に換算をすれば私の言うのと違うことになるのかとは思います。しかし、いずれにしても、私は援護局の仕事というものが、厚生省全体の中でややもすると軽視されているきらいがあるように考えられてしようがないのです。非常に重要だと考ええられるところの遺家族の援護の作業というものは、十年この方未処理の状態のままになっておる。数は今のところ八千件とか九千件とかいわれておりますけれども、これは全国の各都道府県に滞留をしておるものを調査をすれば、私はもっとふえるに違いない、こういうふうに考えます。そういうことについても、実態というものはなかなか掌握できかねておる。それはやる気がないという問題ではなくして、やろうと思っても、現実に終戦処理的なそういう方面については政府熱意が乏しいのじゃないかというふうに考えますから、そういう点については、厚生大臣は先ほど来、各委員質問に対しては、熱意を持って早急に処理するということをこもごも答弁をしておりますから、これは答弁というか、言葉だけでなしに、そのやり得るところの裏づけ、こういうものをかちとってやらなければならぬのじゃないか。私の知る限りでは、厚生省全体というわけではないのでしょうけれども、超過勤務などは相当やらせられておる。やらざるを得ない。けれども、超過勤務手当などというものはもらっていないというのが大半だと聞いています。これは各官庁にある例でありますから、そのこと自体が基準法違反でありますので、これは別な角度から追及しなければならぬと思いますけれども、特に援護局の問題については、私はそういう気がしてならない。いろいろな政策を実施しなければならないのは政府として当然でありますけれども、終戦処理的な、そして一番夫や子供をなくして苦労している人たちの心の痛手というものを慰めてやる措置のためにできたこの法律は、早急にみんなが適用を受けられるという対策をとっていかなければならないはずだ、このように考えますので、特段にこの点は要望しておきたいと思うのです。  そこで、これは私の一つ考え方でございますけれども、このような今日まで滞留したところの事案は、ほとんど難事案だというふうに考えられます。これは調べようと思っても、時日の経過とともにほんとうに困難になってしまう。とするならば、これらのことに対して特例的な措置をとって、そうして、たとえば地方自治団体等の責任者の証明、こういうようなことによってこの適用をするとか、この法律の持つ温情的な、愛情的な精神を生かしていく、そういうような方向をとっていかなければ、今日八千件であっても、あるいは三千件に将来減ったといたしましても、全部が全部解決する時期は、おそらく何年かかってもこないのじゃないか。とするならば、ここは一つ英断をふるって、留守家族手当等についても相当思い切った措置をとろうといたしておるわけでございますから、先ほど私が申し上げたような措置が一それだけではないと思いますけれども、何らかの特例的な措置をもって、この問題については戦後処理の問題として打ち切る。打ち切る方法としては、温情的な、該当者が全部適用される、そういう特例的な措置をとっていくことが必要じゃないかというふうに考えておりますけれども、そういう点について厚生大臣はどのようにお考えになりますか。
  115. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御趣旨はよくわかりました。非常に長い年月の間、ものがきまらないで、遺家族の方から言えばこれを心から望んでおられる、こちらから言えばなかなかきめられない、こういうような状態で過ごしておるわけでありますが、今お話しのような点につきましては、こちらといたしましては、理由のつく限り、また何か適当な証明さえあればできる、こう考えておりながら、なかなかそれが充足せられないという悩みがずいぶんあるわけであります。そういうふうな点について、何かうまい案があれば考えてもいいと思うのであります。一つ検討さしてもらいたいと思うのであります。また中には、私自身の経験でございますが、実はどう考えてみても当たらない、こういう方もおられるのであります。それに対しましても、遺家族の方から言えば、そんなことはないというのでいつまでたってもあきらめ切れないというような気持で、かなり延びている事項も相当あるようにも思うのであります。しかし、今お話しのありましたように、永久にこの問題が片づかぬというようなことではいけませんので、お考えがありましたら私ども伺わしていただきまして、われわれまた検討もいたしまして、気持といたしましては積極的にできるだけ処理していきたい、こういうふうな方向でやって参りたいと思います。知恵があったらぜひ教えていただきたいと思うのでございます。
  116. 吉村吉雄

    ○吉村委員 今私が申し上げたのは、いつまでたってもなかなか解決がつくものじゃないというふうな考えを持っていますから、何らか特例的な措置をとらなければ本問題の処理はつかぬだろう、こういう気持で申し上げているわけです。それがことしが適当か、来年が適当かは別です。しかし、問題の本質、この性格から見て、何らかの措置をとらなければならない時期はくるに違いない、このように考えられますから、その場合については、一つ十分考慮されて、少数の悪意のある人がないとは言えないと思うのですが、しかし大多数の人はそういうことはないわけだと思いますから、そこは国民を信頼していただいて、できるだけ早い機会にこの法の恩恵を受け得られるような措置をとってやる。そうでないと、ヘビのなま殺しみたいに、四年も五年も六年もまた書類が行ったり来たり、行ったり来たりということを繰り返して、それで援護局が一生懸命やっているということだけでは私は問題の解決にはならない、こういうふうに考えますから、特にそういう点もあわせて考慮の中に入れていただいて——政府の言うところによりますと、日本はもう世界でも有数の大国になっておるそうでありまして、外国に対しては問題になっておるところの賠償金なども惜しげもなく払うという態度もとっておるのですから、国内の終戦処理の問題については、一つできるだけ早い機会に処理をしていただくように特に要望して、私の質問を終わります。
  117. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほど私お答えいたしました中に、あるいは言葉が適当でなかったところがあったんじゃなかろうかと思います。私は必ずしも悪意でもってというふうな意味で申し上げたのではございません。ただ、遺家族の方の気持から言えば、必ずもらえるだろうという気持でありながら、こちらがいろいろ調べてみますと、なかなかそうもいかないというふうな点で、実は痛しかゆしといいますか、ものの解決がつけにくいという状態のもとに延びているものが相当あるのじゃなかろうかということを申し上げたようなつもりであります。今おっしゃったごく大局的な話といたしましては、これは政府としても十分考えなければならぬ。またそのためには、先ほど申しましたように、私どもも検討いたしますが、吉村さんの方におかれましても、何かまたヒントを与えていただくことがあれば、いつでも教えていただきたいと思います。
  118. 柳谷清三郎

    ○柳谷委員長代理 小林進君。
  119. 小林進

    ○小林(進)委員 ただいま審議をされております法案に関しましては、私ども、さしあたり四つの修正点を持っておるのでございます。  一つは、在外居住者帰還の問題。六カ月の要件を三カ月にする。在外居住者の六カ月未満のところを、引揚者給付金の対象とする。三番目には、引き揚げ後死亡した者に支給される給付金の支給要件として、二十五才の制限を十八才までに引き下げてもらえないかというような問題。四番目には、時効を一年間延長する。こういう問題を修正の要点としてぜひとも政府にお願いをしたかったのでありますが、これは今両党の間で話し合いが続けられておりますので、質問からはずしまして、以上申し上げました問題のほかのことについて、若干御質問をいたしたいと思うのであります。  その第一番目といたしましてお伺いいたしたいことは、陸軍共済組合の内容がどうなっているか、お聞かせを願いたいと思います。
  120. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 これは私も不勉強でございますが、大蔵省の所管でございますので、何でしたら大蔵当局をお呼び下さる方が適当ではないかと思います。
  121. 小林進

    ○小林(進)委員 朝から大蔵省に来ていただくよう申し込んでおきましたが、おいでになりませんので、大蔵省の来るまでの間、御質問をいたしたいと思うのであります。  この援護法にはいろいろなケースがあると同時に、先ほどから質問が繰り返されているように、当然もらうべき立場の人たちで、わずか法律に該当しないだけではずされて、今なお気の毒な状態になっている人が多い。この点まことにお気の毒にたえないのでありまして、そういう人たちも広く救済できるように、法律措置はもちろん、行政的にもやっていただきたい、こういう観点から質問をするのでございますが、身分は陸軍の看護婦で、なおかつこういう法律に該当しない者がいる。その理由は一体どういうことなのか、私どもわからないのであります。陸軍の看護婦の中にも、日赤から行くものもありましょうし、現地徴用になるものもありましょうし、 いろいろケースがあると思うのであります。その看護婦の中で、一体この援護法の適用を受けないものがどれくらいいて、どういう立場の人なのか、お聞かせを願いたいと思うのであります。
  122. 石田政夫

    ○石田説明員 御指摘の身分が陸軍の看護婦さん、こういう方でございますが、御承知のように、戦時中陸軍に雇い入れておりました有給軍属の身分を有しておられる看護婦さんだと思うのであります。ところで、この陸海軍に雇用されておりました有給軍属につきましては、現在援護法では、内地勤務の有給軍属は旧令共済組合の対象として処遇されております。現行援護法では、有給雇用人は戦地勤務の者に限定されておりまして、この点は、原則的に申し上げますと、旧令共済の処遇の問題でございます。従いまして、先ほど局長から申し上げましたように大蔵省の所管でございます。しこうして、この数等につきましては、実は共済関係でございますので、現在私ども正確な数を把握いたしておらないのでございます。
  123. 小林進

    ○小林(進)委員 この法律案はどうもあまりめんどうで、私自身もわからないのでお聞きするのですが、そういたしますと、内地勤務と戦地勤務に分けて、内地勤務の陸軍の看護婦は——海軍でもよろしゅうございますが、これは陸軍共済組合の適用を受ける、こういうことになるのでございますか。そういたしますと、私は具体的な例をあげて、これが内地勤務か戦地勤務かということをお聞きしたいのでございます。本人の名前は山田サウさんという看護婦さんで、身分は陸軍の看護婦として東寧の第一陸軍病院に所属をしていたわけです。それが二十年の八月十日、満州で死亡しているのであります。これがいわゆる陸軍看護婦として援護法の適用を受けていないのでありますが、この援護法によれば、昭和二十年八月九日以後、北緯三十八度以北の朝鮮と満州は戦地とみなすというふうな法律があるわけでございますから、当然八月十日満州で死んだ彼女は援護法の適用を受けるのではないか、私はこう思うのでありますが、これは援護法に該当しないということで取り消されておるわけであります。その理由がわからないのでありますが、お聞かせ願いたいと思います。
  124. 石田政夫

    ○石田説明員 この援護法の現行法令から申し上げますと、今申し上げました援護法の戦地の解釈でございますが、この戦地の解釈が、実は地区をそのまま指定しておりますものと、さらに地区のみでなく、身分的に旧令共済組合の組合員たるものにつきましては、その身分に勘案いたしまして、今先生のおっしゃいました満州の勤務のものにつきましても、これは援護法に該当いたします戦地勤務のものとみななさいという趣旨規定があるのでございます。趣旨といたしましては、先ほど申し上げましたように、いわゆる戦地勤務の有給軍属を原則といたしまして、その危険度あるいはその当時の勤務態様の非常に自由化されましたこと等にかんがみまして、そうしてこれをおのずから原則的に分けておるわけでございますが、ただ身分的に旧令共済組合員で、外地勤務の者で満州に勤務のものにつきまして、一部旧令共済組合の対象につきましては、戦地勤務の解釈を限定いたしておるのであります。こういう仕組みに相なっておりまして、従って、今先生御指摘の方の場合につきましては、なるほど満州の東寧の第一陸軍病院所属でございますが、二十年の八月十日に満州で死亡されましても、この方が旧令共済組合員たる有給軍属の方でございますと、この在職期間は戦地勤務とはみなされないのでございます。
  125. 小林進

    ○小林(進)委員 これは大蔵省の方に来ていただかないとわからぬのでありますけれども、一体旧令の共済組合に該当しているとするならば、今どれくらい交付金といいますか、給与額といいますか、金額をもらっているものでありますか、おわかりになりませんか。
  126. 横溝幸四郎

    ○横溝説明員 死亡者に関しましては援護法が現行で五万一千円になっておりますが、旧令の方は、日給にある係数を掛けまして、算定額が出ております。ただし、その最低が援護法と同様に五万一千円になっております。
  127. 小林進

    ○小林(進)委員 そういたしますと、援護法によるも旧令共済組合法によるも、ふところに入る金額にはそう大差はないわけでございますね。ほとんど同じと解釈してよろしいわけでございますか。
  128. 横溝幸四郎

    ○横溝説明員 ほぼ同様でございます。
  129. 小林進

    ○小林(進)委員 この問題につきましては、また大蔵省が来られたらいま一度質問してみたいと思うのですが、聞くところによれば、こういう同じような立場にある人でも、援護法にも該当しなければ、旧令共済組合法にも該当しないような気の毒な方がある。これを海軍の方では非常に整理いたしまして、そうして旧令の共済組合法の適用をされない者は、相当幅を広げて、援護法で救済するようにしたということでありまするけれども、陸軍の方には、そういうような手の込んだこまかい救済が行われていない、こういうことを聞いているのでございまして、その関係から質問したのでありまするが、そういう実例がありますかどうか、厚生省の方では御存じでありませんか。
  130. 石田政夫

    ○石田説明員 実は先生御指摘のように、この問題は大蔵省の所管でございますので、正確には大蔵省が見えましてから御答弁申し上げることと思いますが、私仄聞いたしますと、まず先生御指摘の第一点は、旧令共済の対象にもならないし、援護法の対象にもならないものがあるという点でございます。この点につきましては、昔の旧令共済では一定の条件をしぼっておりまして、たとえば生計主維持の原則あるいは旧民法当時の同一戸籍の原則をとっております。生計主維持の原則を旧令共済に適用いたしますということは、具体的には長男が親を見て、主として生計を維持しておった、二、三男は親を見ていないという場合に、長男がなくなった場合には、その遺族年金は主としてその生計にたよる者にいく、二、三男が死んだ場合には、旧令共済の遺族年金はいかないというしぼりがかかっているわけでございます。ところが、現行援護法の先ほど申しました有給軍属——雇用人につきましては、戦地勤務の者に限定されておりますので、内地勤務の者は結局旧令共済で、内地勤務のままで生計主維持の原則から、旧令共済から落ちこぼれて対象になり得ないもの、これは旧令共済の対象にもならないし、援護法の対象にもし得ないということになるわけでございます。この問題は実は旧令共済内部の問題でございますので、大蔵省の所管であると心得ておるのでございます。
  131. 小林進

    ○小林(進)委員 それではいま一つ例をあげてお尋ねしたいのは、今申し上げましたように、両方に該当しないという気の毒な人の例なんですが、これは一体原因はどこにあるのか。これは細貝勇という人ですが、具体的なケースを申し上げますと、昭和十七年の三月の十八日に陸軍徴用工として応召したのです。十九年の三月帰国の予定であったものが、その後徴用が変更されて、満州奉天の現地で繰り上げ応召をされたわけです。二十年の二月入隊予定通知を受けた。当時は入隊予定通知なんというものがあったのかどうか知りませんが、二十年二月入隊予定通知を受けた。その間において、この細貝勇君は、十八年の三月から六カ月間特殊の無線通信士として秘密の教育を受けて、十九年の徴兵検査のときは無線通信士として合格をしているわけです。それがやはり死んでいるんですね。細貝勇君は、十九年の十二月七日、南満州陸軍兵器補給廠第一修理工場の中で死んでいるわけです。これが特務の工作員なるがゆえに軍人の戦死とみなされないということで、一緒におりましたものが全部戦没者としての手当をもらっておるのに、この人一人だけがもらっていないんです。これは一体どういうわけか。これはすでに裁定により、一たん援護局では金を交付をしておきながら、償還要求があって、それを取り返していられるんです。最初やったのが間違いだというように取り返していられる。それで遺族の方では異議の申し立てをしたところ、やはりだめなんですな。一体どこに原因があるのか、これがわからないと言うんですが、これはどういうケースなんですか、法律の根拠は。これはやはり法律の問題ですから……。
  132. 石田政夫

    ○石田説明員 ただいまお話しの方でございますが、実は率直に申し上げまして、ただいま伺った範囲ではきめ手の結論が出ないのでございます。もう少し実態を具体的にお伺いいたしまして、当時まず第一点は、身分的にどういう身分であったかという点、次に死亡の原因でございますね。あるいは公務と因果関係がありやいなやといったような問題でございますね。そこで先ほど局長からるる御説明申し上げました当時の——お伺いいたしますと入隊予定通知とかいうようなお話もございましたが、そういった内容につきまして、はっきり確たるあれがございませんと、今ここで結論的には申し上げかねるのでございまして、何なら後ほど……。
  133. 小林進

    ○小林(進)委員 この問題は個々のケースですから、これはまたこれで個別的にお伺いすることにしまして、次に、これは特に私どもも兵隊中にしばしば遭遇したことでありますが、自殺の問題です。軍人の自殺の問題はいろいろ原因はありますけれども、一がいに自殺者だからといって、戦死や戦病死に扱えというのもどうかと思いますが、やはり特に初年兵や新しい兵隊に多い。当時の軍隊の監獄部屋的な過酷な、旧年兵の暴力的な圧力に屈してみずからの命を断つ、こういう気の毒な兵隊が多いんです。具体的に言えば、やはり初年兵で古年次兵に痛めつけられて、身も世もなく感じて、とうとう衛兵の勤務中にみずから勤務の銃をとっておのれの命を断った。こういうことは、当時の陸軍としては変死の扱いをしておりますね。遺骨を帰すのに普通の帰し方をしない。家族は肩身の狭い思いをして送っておるという状態でありましたけれども、今日になってみれば、私はこういう家族にまだ狭い思いをさせておくなんということは、民主主義の今日むしろ反対じゃないかと思う。当然一つ援護法を適用せしめてよろしいのではないかと考えるのでありますが、どういうふうに扱われているのか、これを一つお聞かせを願いたいと思います。
  134. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 自殺につきましては、その原因、動機が非常に複雑であります。従いまして、すべて個々にその具体的事情を十分明らかにいたしまして判断すべきところでございますが、一般論といたしましては、当時置かれた特別の事情にかんがみまして、情状掬すべきものがあります者については、現在援護法の対象として拾っておるところでございます。具体的に申しますれば、内地におきまする自殺につきましては、特例法の職務関連としてやっておるものもございますし、また現地につきましては、公務として死傷したものとして扱っておる例が非常に多いのでございますが、ただいま先生御指摘のケースにつきましては、本人の平素の勤務状況、それから当日上官からどういう仕打ちを受けたとか、詳細な事情を承りました上で判断せざるを得ないと思いますが、相当拾っておるという最近の一般的傾向だけ申し上げておきます。
  135. 小林進

    ○小林(進)委員 それでは一つ具体的にお聞かせを願いたいのでありますが、いわゆる死んだのが昭和十六年の——期日がどうも問題になっておるらしいのですが、十六年の六月四日、死んだ場所は中支であります。そして初年兵であります。普通の軍人より動作が緩慢であるということで古年次兵に痛めつけられて、とうとう神経衰弱になって、戦地において歩哨に立ったその際に銃で自殺をした、こういうのでありますが、何かこれによりますとそれが援護法に該当しない理由は、十六年の十二月八日以前の自殺であるというようなことが一つ理由になっているやに聞いておりますが、そういうことはどうですか、その理由をお聞かせ願いたい。
  136. 石田政夫

    ○石田説明員 原則的に申し上げますと、ただいま局長から申し上げましたように、当時の軍隊勤務の内容並びに自殺されるに至りまする直接の当時の状況でございますとか、あるいは部隊長の証明その他をこまかく観察いたしまして、その上で、はたして援護法にいわゆる公務とみなされるかどうかという点を判断しておるわけであります。ところで、個々のそういうケースにつきましては、それぞれ今申し上げました部隊長証明、あるいは身分上の証明、その他の若干の参考資料が出てくると思われるのでありまして、その際今申し上げました客観的判断をいたしまして、当時軍隊勤務の状況におきまして、まさに通常人の感覚をもってすれば、自殺に追い込まれてもやむを得ないというような諸般の事情が感得されますれば、公務にみなすものといたしまして解釈上採用いたしております。ただ、ただいまお伺いいたしますと、十六年の六月四日の自殺で、中支の勤務——内容をもう少し伺いませんと決定的なことは申し上げかねますが、少なくとも大東亜戦争の終わりごろの非常に異常な状態と比較いたしますと、時期からいたしますと、当時の軍隊勤務も一般的にはあながち自殺に相当するようなものがあるかどうか。そのきめ手につきまして十分な挙証資料があるかどうか、この点の探索がよほど先行すべきものと考えられるわけでございます。
  137. 小林進

    ○小林(進)委員 問題はそこなのですよ。問題は、やはり自殺が客観的に見て公務とみなされる程度かと言えば、ぶんなぐるのも当時は軍隊の訓練ということだったそうですから、初年兵が軍隊の訓練に耐えかねて死んだということは、一般の常識から言えば、やはり公務に該当するのではないですか。たとえて言えば、公務執行中に敵にとらわれてそして死んだとか、捕虜のはずかしめを受けないで死んだとか、こういうことならば、あなたが言うように客観的に見て公務ということだろうけれども、これは神経衰弱になって、とても耐えられないということで衛兵につきながらみずからの命を断った、これはどうも公務にならぬ、私の言いたいことは、そこら辺までもこの際一つ拡張解釈をしてやっていただかなければ、お気の毒ではないかというふうに私は感じられるわけでございますが、どうでしょうか。こういうところは、法律改正に待たなくても、行政的措置でこういうものを入れてもらえないかどうか。もし入れた場合、今の援護法では法律違反になるのかどうか。
  138. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 具体的なケースにつきましては、なおよく事情をお聞かせいただきたいと思います。援護法では、先ほど申しましたように、なるべく自殺の問題につきましては弾力的な運用をして参りたいと思いますが、しかしそれもおのずから限度がございまして、援護法はいわば恩給法と並んで非常な相関関係を持つ法律でございますので、恩給の裁定の基準とそうかけ離れたものでも国としておかしいところでございます。その辺非常にむずかしいところでございますが、十分御趣旨の点も考えつつ、また恩給との極端な隔たりもないような、非常にむずかしいことではございますが、運用については十分留意して参りたいと存じます。
  139. 小林進

    ○小林(進)委員 今おっしゃるように限度がありまして、私ども知っておりますから、それはなかなか——戦地にも女もおりますし、そういうところへ行って恋のさや当てでとうとう殺したとか、殺されたとか、みずから死んだとかいうのもございますから、そういう自殺までも公務にして一つめんどうを見てくれということまでは私ども要求をいたしませんけれども、しかし、いささか気持が弱くて、勤務中にみずから命を断ったというような気の毒な者が、もう家族は十七年も、やはり戦時中は戦没者の名誉も与えられないでさびしくきたのですから、ここら辺、一つ私は該当者に引き上げてもらってもよろしいのではないか、こう考えておりまするので、この問題はまた一つあらためてお願いに上がることにいたしまして、そこで解決していただければ、それでよろしいし、できぬければ、やはり法改正でもして何とかこういうものを救ってもらうように、一つまた私どもの方も別な角度でお願いしなければならぬと思いますから、これはこれで——問題もたくさんありますから、おさめることにいたしまして、ちょうど大蔵省もお見えになりましたから、先ほどの問題を繰り返したいと思うのでございまするが、いわゆる陸軍の共済組合、先ほどお聞きしますと、旧令の共済組合法を適用されるという言葉で表現されましたが、それと援護法との関係がどうなっておるのか、それから給付の内容もどういうふうになっておるのか、そこら辺を一つ、こっちがわかるようにお聞かせ願いたいと思うのであります。
  140. 岩尾一

    ○岩尾説明員 旧令共済のお話でございますが、旧令共済と申しますのは、従来の陸海軍の工廠等に勤務しておりました現業員につきまして、当時共済制度があったわけでございます。その共済制度はちょうど終戦後なくなったわけでございますが、そういった年金の権利というものはその際にもあったわけでございますので、そこで旧令に関します特別措置法を制定いたしまして、そういった権利をそのまま承継して、国においてこの年金を支払うという特別措置法を出したわけでございます。それに従って給付をいたしておるわけでございます。援護法の方は、先ほどからいろいろと御答弁があったかと思いますけれども、これは昭和二十七年でございますか、当時の軍人、軍属の戦地等における死亡、そういったものにつきまして恩給がございませんでしたので、そういった人の援護という趣旨で、そういった旧令の内地の工廠等に勤めておった人とは別に、戦地でなくなった軍属あるいは軍人というものを中心に援護措置を講ずるということできめたわけでございます。ところが、二十八年でございますか、講和条約が発効いたしまして、恩給法が復活をいたして、今申しました援護法のそういった援護という意味で見ておった措置に対して、今度は恩給法に基づく権利としての恩給という思想が入ってきまして、恩給法というものが改正をされ、援護法の対象の大半は恩給に吸収をされたわけでございます。なおかつ残ったもの、特に軍属を中心にそういうものが残ったわけでございます。さらに、たしか三十三年であったかと思いますが、恩給の大改正をやりましたときに、準軍属、いわゆる動員学徒でありますとか、そういった方も援護法の対象に入れようじゃないかということで、これが入って参りまして、そこでだいぶ、今申しましたような旧令の対象である従来の陸海軍の内地の工廠において行なわれておった共済法の適用を受けておるものに近いものが現われてきたわけでございます。そこで若干その辺に問題が存するかと思いますけれども、本来、もともと性質が違うものでございまして、ちょうど現在でも各現業官庁では共済制度をやっておりますが、そういった意味で、各陸海軍の工廠が、しかも工廠単位でやっておりました共済年金制度というものを、そのまま国が引き継いで給付をしたというのが旧令の制度でございますので、援護法とは違うわけでございます。  なお、給付の内容をちょっと申し上げましょうか。——大体、陸軍と海軍とで若干違っておるのでございますけれども、本来在職が二十年の場合でございますと、退職年金が百二十日ということになっております。それからあと廃疾、遺族等につきましては、陸軍にはなく、海軍にあるというような差がございます。障害年金につきましても、それぞれ今申しましたような制度でございますので、掛金も違いますし、それから勤務の実態も違いますので、病気の内容、それに応ずる障害年金の方も陸海軍で若干違っております。措置法の方は、それをそのまま引き継いだというような形でございます。それから障害、遺族年金につきましては、戦災に限りまして、陸海軍とも七十五日分を給付するということになっております。それから殉職年金につきましては、戦災に限りまして、陸軍が二百二十五日、海軍は百五十日、こういうふうになっております。掛金の方は、陸軍が千分の四十八、海軍が千分の八十ということでございます。
  141. 小林進

    ○小林(進)委員 それで、なかなかめんどうで、ちょっとこれはわかりづらいのですが、先ほど質問をしたその具体例を、いま一回私はここで繰り返してお伺いいたしますが、陸軍看護婦で、東寧の第一陸軍病院に所属していたその者が、昭和二十年の八月十日にその東寧の陸軍病院で死亡したわけであります。これが軍属としての戦地または準戦地に勤務中の死亡とは認められないという理由で、一時陸軍からもらっていた遺族の援護資金を、陸軍大臣の裁定が間違いだからといって二十九年に取り消しになって、そして償還命令がきた、こういうのです。それでその理由は、その東寧の第一陸軍病院に所属していたその所属部隊は、陸軍共済組合の指定部隊の軍属だからということで、援護法は打ち切りになったというわけです。では、その共済組合から支給されたかというと、共済組合からも共済資金が支給されていないわけなんだ。両方からもらえないわけです。この矛盾は一体どこにあるかということをお聞きしているわけなんです。
  142. 岩尾一

    ○岩尾説明員 私、実は予算の方をやっておりますので、直接共済の方は給与課の方でやっておりますから、あるいは思い違いがあるかもわかりませんが、女子につきましては、旧令の共済組合におきましては、事実上いわゆる年金制度がございませんで、実際上にやめた場合におきましても、一時退職金をもって打ち切っておるわけでございます。そこでこれは、本来掛金も男子に比べまして非常に低いという問題がございましたし、それから一般的には、在職年限にさらに年令制限というのがあったわけでございますが、女子については年令制限がなかったわけでございます。そういったことの関係がありまして、女子については一時退職金だけで打ち切るという制度があったので、あるいはそういう関係ではないかというふうに、今お聞きしますと感じがいたします。
  143. 永山忠則

    ○永山委員 関連してちょっと。今のに直接関連じゃないのですけれども、旧令共済組合が陸海軍との扱いが違っておる。それでどういうふうに違うか、それは不合理ではないか、これが均衡をとる考えはないかということを、この場合ちょっと触れておいてもらいたい。
  144. 岩尾一

    ○岩尾説明員 先ほど小林先年の御質問に対しまして若干お答えをいたしたわけでございますが、旧令におきましては、従来から掛金も違っておりますし、それに伴いまして、先ほど申しましたように、各工廠ごとにおきます単位でものを考えておりましたので、勤務の実態も違っておるという状況がございまして、給付並びに対象が違っております。まず退職年金につきましては、陸軍は在職期間二十年以上、年令四十五才以上という場合に九十日、こういうことになっております。海軍は、それが在職二十年以上の場合には、年令の制限なく百二十日でございます。さらに陸軍につきましては、別途定期職工という制度がございまして、非常に勤務成績のいい職工につきましては、年令制限なしに、在職期間二十五年であれば、掛金もかけずに九十日をやるという制度が別途ございましたけれども、これは海軍にはございません、この点につきましては、実際上先ほど申しましたように、現在の特別措置法と申しますのは、従来の旧令による共済組合の権利というものをそのまま承継をする、そうしてそれをそのまま渡すんだという建前でできておりますので、従って、終戦前に陸海軍においてそれぞれ別個に掛金をとって給付をやっておった共済制度というものを変えて、新しい権利を設定するということはやっておらないわけなんでございます。しかし、今申しました退職年金だけにつきましては、これは終戦という一時的な状況で、本来ならもう少し生きておれば年令制限を受けないで金をもらえたかもわからぬじゃないかということがございましたので、この点だけは修正をいたしまして、新しい権利の設定というよりは、その事態に応じた特殊な調整という意味で、陸海軍通じまして二十年以上の場合は全部百二十日、こういうことにしております。  それから廃疾年金につきましては、先ほど申しましたように、陸軍にはございません。海軍には三年以上の場合に百二十日という廃疾年金がございます。  それから遺族年金については、陸軍にはございません。海軍においては、やはり在職二十年以上の場合には六十日というものがあります。  それから障害年金については、こまかに、全然これは陸軍、海軍それぞれ別の体系で組み立てておりまして、一致いたしておりません。  それから障害遺族年金につきましては、陸軍は戦災に限り七十五日、も同じく七十五日、殉職年金は陸軍が二百二十五日、海軍が百五十日、こういうことになっております。
  145. 永山忠則

    ○永山委員 それで海軍の方は昭和二十年以後、陸軍は大東亜戦争後、その間のやはりギャップがありますから、今小林君の言うような取り扱いの問題が起きてくるのではないかというように感じるのですが、少なくとも大東亜戦争後ということに、海軍も線をそろえていくということが望ましいのではないかという世論が強いのですが、それに対してはどういうお考えですか。
  146. 岩尾一

    ○岩尾説明員 ちょうど終戦になりましたときに、今申しましたような年金制度の実施について、実際上、陸軍、海軍で取り扱いが違っておりましたために、ややそこにギャップができたという問題が一つございます。さらにもう一つ、今いろいろと、昔から御議論のありましたのは、女子につきまして、陸軍については女子工員に年金がない、海軍については、女子については年金があるのではないか、こういうような議論があるかと思います。これはすべていろいろ議論いたしますと問題はあると思うのでございますけれども、何と申しましても、今申しました特別措置法というのは、従来の共済組合というものに新しい権利を設定していこうという趣旨ではできておりませんので、そのまま引き継いで渡すということでございますので、現状においてその措置法をなお直していくということになりますと、たとえば今の女子の場合でございますと、陸軍の方の女子をかりにいじるということでありますと、掛金は非常に少なくしかかけてなかったのに、女子はたくさんもらうではないかという問題が出て参りましょうし、さらには、二十年以内で、男子工員で一時退職金でやめた連中がおるわけでありますが、そういう連中が、女子にだけどうして年金を出すのだという議論も出て参りますし、そういう各種それぞれの制度の成り立つ基礎を動かしていくことになりますので、われわれとしては現状で御了承願いたい、こういうふうに考えております。
  147. 永山忠則

    ○永山委員 支給条件において多少差異があるというようなことはやむを得ぬ要素もあるかと思いますが、やはり支給の期限ですね、こういうものは実際上はそろえていくということでないと、非常に大きな不均衡の取り扱いというようにも考えられますので、その他不均衡是正等の再検討を願いたいと思うのであります。
  148. 小林進

    ○小林(進)委員 それで私も、今永山委員が言われたように、不均衡是正をしてもらわなければならないということなんですが、これは厚生省にお願いです。特に局長も今お聞き下さった通り、同じ旧令に基づいて、女子職員は年限もなければ、一時の退職金だけで処置せられているということなんでございまするが、やはり現実には、先ほどから申し上げておるように、八月九日にソビエトの軍隊がなだれて南下してきて、そして十日には死んでいるのですから、遺族の立場からすれば全くこれは戦死なんです。それが、内容が今旧令だの援護法だのという、いろいろの立法技術上の問題があって、ともかく一時の涙金ですね。今のお話によれば、一時金をもらったのでしょう。一時金は幾らもらったか知りませんが、記憶にないくらいの涙金でおさめたということになれば、これはとてもやりきれないと私は思うのです。こういうことを旧令というか、大蔵省で共済組合法で処置せられておる点を厚生省の援護局で拾い上げて、そういうもののアンバランスを均衡を保つように処置してもらわなければならぬと私は思うのでございますが、いかがでございましょう。局長さん一つ……。
  149. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 先ほど申しましたように、よく事情を明らかにしたいと思います。
  150. 永山忠則

    ○永山委員 この場合は、やはり関連して厚生省に言っておきますが、準軍属の障害者について、軍属と同様に款症程度の不具廃疾者にも障害年金を支給するというような点も、今のに非常に関連が深いので、厚生省で御検討を願わなければならない、こういうように思います。
  151. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 ただいま御指摘の問題は、きょうの午前に松山先生からお尋ねがございまして、お答えしたところで御了承いただきたいと思います。
  152. 永山忠則

    ○永山委員 それではさらに不均衡の是正について厚生省に申し上げますが、軍人軍属の死亡に関して特別弔慰金を支給する場合は、在職期間経過後一年、結核、精神病では三年以内に死亡した場合に限るということになっていますが、この制度を撤廃してあるいは期限を延長するか、こういうような点も是正をしていただかないと、これらが非常に審議がおくれて輻湊いたしておる一番大きな原因で、とにかく職務関連で死亡したという場合において、期限をつけるということに非常に無理があるわけなんですから、これはもう期限はなくするということでいい。事実職務関連で、それが原因で死んだのだということが、証明つくものがあるのですから、当然それでやるべきではないか。これらが、ある人はもらわれて、ある人はもらわれないという小林委員から指摘されましたような各種の不公平が出てくる原因だ、こういうように思うのですが、御意見を承りたい。
  153. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 職務関連の死亡者の扱いにつきましては、御承知のように、臨時恩給等調査会の御報告に従いまして立法されたものでございますが、これはただに援護法だけでなく、実は実態的には恩給局所管の特例扶助料に圧倒的大きな影響のある問題でございますので、私どもも、ただいま先生が御指摘のような事例をずいぶんあっちこっちから聞かされておる現状でございますが、何分にも厚生省限りでこれをやるというわけには参りませんので、恩給局ともよく相談いたしまして考えてみたいと存じます。  ただ、その期限を無期限に制限を撤廃するということにつきましては、職務とその後の死亡との因果関係というようなものを捕捉することに非常に困難をきわめますので、期限撤廃ということはとうてい考えられないところでございますが、自余の問題につきましては、十分恩給局とも話し合っていきたいと考えております。
  154. 小林進

    ○小林(進)委員 次に、一つ項目を追うて事務的にお尋ねをいたしたいと思いますが、満州鉄道株式会社等その他の国策会社、戦時中には華北何とか華中何とかという国策会社がだいぶできましたが、そういう満鉄等の会社に勤務いたしておりまして、そして軍の特別の任務を課せられて、その任務に携わりながら死亡した人たち、あるいは傷つけられた人たち、こういうものの処置がどうなっておるのか、お聞かせ願いたいと思います。
  155. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 御承知のように、満鉄の定款を見ますると、軍に協力するというような事項が入っております。満鉄が満州におきまする軍に一般的に協力する任務を持っておったことはよくうかがえるのでございますし、またその事実もあったと思うのでございますが、援護法の世界におきましては、そうした会社がそういう任務を持っておったということだけで、直ちに援護法に言うところの公務またはそれに準ずるような行為を導くことの方には参りませんで、やはり個々の人が軍とどういう関係を持っておったか、また死亡がどういう死に方であったかということのせんたくが要るわけでございます。従いまして、満鉄の職員であったがゆえをもって援護法上の対象とする、軍属とするというようなことは、とうてい考えられないのであります。  次に、それでは満鉄なら満鉄だけのただいまお話しの特別任務を持って軍に協力した者について、その死亡者をどうするかという問題でございますが、現在は御承知のように、現行の遺族援護法では、満鉄の職員でソビエトに連れていかれた人が相当数ございます。これはいわゆる特別未帰還者とされ、それからもう一つ、戦闘に直接参加した職員の方がございます。いわゆる戦闘参加者、これらの二つのグループに属します者は、現在援護法では準軍属として処遇されておるわけでございます。ところが、それ以外の方で、その二つのグループには入り得ないが、相当考えるべき人があるではないかという陳情並びに国会の意見は、たびたび私ども聞かされておるわけでございまして、いろいろと当時の事情を現在調べておるところでございます。これはただ単に満鉄だけでなくて、御指摘のように、中国にはいろいろ類似のものがございます。まだよく正確にはつかんでおらないのでございますが、たとえば満州航空株式会社とか満州電電でありますとか、華北交通でありますとか、華中鉄道といったような、その他もあると思いますが、ございます。そういうところにもすぐ影響する問題でございますので、そういう方々についてどのように処遇すべきかということにつきましては、慎重に考慮する必要があるのではないかと存じます。今日までわかっておるところによりますると、一応身分的な軍属のような発令はせられておる向きがございますが、同時に給料は依然として満鉄から出ておる、あるいは他の会社でいいますと、それぞれの会社から出ておるというようなことで、現行の援護法の一番基本でございます、いわゆる国との雇用関係に立った密接な一つの基本的な事項が欠けておるというような点が指摘されるわけでございます。しかしながら、いろいろ問題もございますので、さらにこれらの点につきましては、各会社ごと、また会社の中にもいろいろ出先を持っておりまして、その点についていろいろ興と協力関係を結んでおるような非常に複雑な関係があるようでございますので、十分そういう点につきましては事実をまず明らかにして、どういうふうに考えるべきかという点に突き進んでいきたいと考えておる次第であります。
  156. 永山忠則

    ○永山委員 関連して。軍の命令を受けて特殊任務についた満鉄職員並びに国策会社の関係者は、遺族援護法の有給軍属として取り扱う、この基本方針を確立されるということが、これが今の諸問題を解決する一番大切な点ではないか、それが解決しておれば、それに応じて諸条件に合うものを取り扱っていくということになると思うのですが、それに対するお考えを伺いたい。
  157. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 いわゆる軍に協力する、あるいは軍の命令というのもいろいろ程度がございまして、全く軍隊内と同じようなのもございますれば、そうでない、命令といえば命令ともいえる程度の協力関係もございます。また先ほど申し落としましたが、南方にも一種の国策会社というものが進出しておったような事態もございまして、満鉄の問題を考える場合には、他に及ぼすいろいろな均衡の問題等も十分勘案いたしまして、まず実態をよく突きとめていきたい、かように考える次第であります。
  158. 小林進

    ○小林(進)委員 ただいまお話しの通りに、そういう国策会社に勤めた者は、今のところは、ソビエトに抑留された者と戦闘に参加した者の二種類だけは、無差別にごめんどうを見ていただいておる。それ以外の者は、個々のケースについて実情調査中というお話でございますが、それについて永山委員より、軍の命令で特殊任務についた者は援護法を適用すべきである、こういう基本線をしいてくれ、私は非常にもっともだと思うのです。ただその命令の内容について、強弱いろいろのことがあり得るからという厚生省の言い分も私どももわかりますので、どうかそこら辺は、そこが実情の調査でございますから、よく実情の御調査をいただきまして、できるだけ、その命令を受けた者は基本的に準軍属の取り扱いをするというふうな線で処置をしていただきたい。  大蔵省もお急ぎのようでありますから、ちょっとお願いしておきます。  先ほどから、同じ戦傷病者戦没者の中でも、あるいは今旧令がありまして、そして大蔵省の方では、共済組合法というものを基準にして、その権利だけを存続せしめて処置しておいでになる。そういうことでありますから、掛金の問題やらあるいは旧令の差別がそのまま残されて、陸海軍とかそういう差別がある、こういうような形で処置されておるようであります。これは大蔵省の旧令に基づいて処置する立場からは一応ごもっともと思いますけれども一般、視野を転じて戦傷病者戦没者、こういうものをやはり普通平等に扱うという観点から見れば、非常にそこに不公平が生まれてくる。また遺族の立場からもその通りです。戦死者の扱いに、うちのせがれは、うちの娘は戦死だけれども、そういう旧令の該当者であるがゆえに、人がもらっているものもちょうだいできないということでは、まことに気の毒であります。この点は厚生省と十分御連絡をいただくとともに、できればそういう旧令に基づく大蔵省の処置を一括厚生省の援護局に移して、厚生省の方でそれをまた再調査をしていただいて、戦死者、戦傷病者は平等に扱っていただくようなわけにいかないものか。そういうような抜本的な処置をしていただかなければ、この問題の解決はできぬと思うのです。いかがですか。
  159. 岩尾一

    ○岩尾説明員 先ほど申し上げましたように、旧令共済の方は、内地の工廠等に勤めておりました現業員に対する共済制度の権利義務を継承しておるわけであります。それからいわゆる遺家援と申しますものは、これは戦争によって被害を受けた軍人、軍属あるいは準軍属に対します援護の措置を講じておるわけでございます。さらに、軍人につきましては恩給法というものがあって、援護しておるわけであります。これは援護といえるかどうか疑問でございますけれども……。そういたしますと、そういう見地から見た点では、全体としてある程度それなりの措置がしてある、こう言っていいと思うのでございますが、今先生の申されましたように戦死者によって差がある、あるいは戦病者によって差があるということは今はないわけなんでございまして、やはり全体をながめて参りますときに、一般国民も戦争によってかなり被害を受けたわけでございまして、空襲等によってなくなった人もあるわけでございますので、そういう点も考慮して、援護法でやっておりますところの戦時災害というものをさらに広げて一般の災害等にまで及ぼしていくべきかどうか、あるいは対象につきましても、先生のおっしゃいますように、準軍属の中で戦闘した者だけに限らないで命令を受けた者まで及ぼしていくかどうか、この辺は国全体としての政策として非常に大きな問題であろうかと思いますが、十分検討いたしたいと思います。  なお、われわれのやっております仕事を厚生省の方へ渡せというお話につきましては、今のところは、終戦後各陸海軍の持っておりました共済組合の仕事をそのまま引き継いでやっておるという状況でございまして、現在各省の現業の共済等も各省で取り扱っておるという状況でございます。特に厚生省にお移しする必要はないので、むしろ厚生省は援護の立場、その援護の立場をどういうふうに考えるかという考え方の問題ではないだろうか、こういうふうに考えます。
  160. 永山忠則

    ○永山委員 関連して。小林委員が言われますように、もう不均衡是正をするという事態に終止符を打たなければならぬ時代がきていると思うのです。ですから、あらゆる点に対して、政府はこの場合不均衡是正に前進をしてもらいたい。関連して申し上げますと、遺族給与金の年金化については、今朝も松山委員によって、政府がこれを永久年金にする、三十八年度で打ち切りをしないようにという強い決意を大臣はお持ちのように承っておるのでございますが、それに今のお言葉にありましたような戦時災害という特別のものを加えていくというようなしぼり方をしないように、すみやかに配慮してもらわなければいかぬ。と同時に給与金も軍属の半分にするというようなことは考えられぬことですから、これも一つ軍属並みに引き上げるよう持っていくというふうにやるべきだと思うのです。  同時にまた、準軍属の犠牲者を靖国神社に合祀するというようなことは、金が要るわけではないのですし、国家命令で国の犠牲になった方々に対する一番大きな処遇の道ですから、この点に対しては関連してお尋ねするのですが、厚生省の方で特に直ちに実行できることでございますから、実行をお願いしたい。  立ちましたついでに申し上げますが、戦傷病者の援護を強化するために法規を統合して、総合的な単独立法を制定するというようなことも、大体もう時期がきておる。また今日、複雑なるあらゆる援護諸立法を総合的に調整していくというときにきておるのではないか。この点に対して政府の御所見を承りたいと思います。
  161. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 準軍属に対します年金額の増額あるいは戦時災害要件の撤廃の問題につきましては、今朝大臣が申し上げた通りでございまして、大臣の御方針に従いまして、事務当局もせっかく勉強いたしたいと思います。  次に、靖国神社の問題については、靖国神社自体がきめることでございますが、永山先生からそういう強い御要望の御披瀝があったということは、十分神社側にもお伝えしておきたいと存じます。  それから、戦傷病者に対する総合立法を作るべき時期でないかということでございますが、これは戦傷病者の団体の方々のお気持の底には、われわれは普通の事故等で身体障害となった者とは違う、軍務について名誉の負傷をした者であるという特別の栄光あるステータスを持っておるのだという意識のもとに、そういう地位というものを法律上明確にしてほしいということが、基本的におありのようでございます。それは十分わかるところでございますが、同時にまた、わが国の社会保障制度の全般的な水準の引き上げということで、身体障害者全体の福祉を念願していろいろ施策を講じております厚生省の建前と一見非常に大きく対立する考えでございまして、これは非常に大きい問題でございますので、ただいまの御意見は大臣にもよくお伝えして検討してみたい、かように考えておる次第でございます。
  162. 小林進

    ○小林(進)委員 今の大蔵省の御答弁でございますけれども、抽象的にはそのように共済と援護法と恩給、みな分かれておるのでございましょう。けれども、実際には、先ほどから私が申し上げましたように、満州において八月十日ソビエト軍の南下を見て、そこで戦死をしている陸軍の看護婦部隊が、いわゆる共済に所属している部隊であるというだけで、涙金の一時金をもらって、遺家族援護の恩典に浴しないというようなことは、共済年金制度というものがなければこんな不遇に置かれないわけです。こういうものがそのままにある限りは、抽象論として割り切っても、実際の面においてはこういう矛盾が現われてくる。そういう矛盾を実際の面においても公平化するように、私は大蔵省にも考えていただきたいし、特に厚生省も努力していただきたい。そのための一つ方法として、何か行政事務を一本化していただけないかというのが、先ほどのあなたに対する質問なんです。御答弁は要りませんけれども現実にこういうことがある。私は寡聞にして一つか二つの例しか知りませんが、たくさんの例があるのじゃないかと思いますので、その点を十分考慮してやっていただきたいと思います。  次に、時間もたちましたから、一、二厚生省に質問して終わりたいと思いますが、徴用船が攻撃を受けて沈んだ場合に、その船の中に軍属でもない一般人が乗っていた場合、この人たちの待遇は一体どうなるかという問題です。軍属ならば問題はありません。
  163. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 徴用船の乗組員はもちろん有給軍属でございますが、今先生の御指摘は、たまたまそこに徴用でない一般の人が乗っておったというごとかと思うのでございます。事情を個別によく聞かしていただきたいと存じますが、援護法は、先ほど来いろいろ問題はございますけれども、やはり身分を持っておるということが基本でございますので、そういう例はあまりないと思うのでございますが、たまたま一般の軍属でない人が乗っておったとしましても、その方を援護法の対象にするということはできがたいところと存じます。
  164. 小林進

    ○小林(進)委員 個別のケースはあとでお話しします。時間がありませんから、一つずつ問題をお聞きします。  次に、軍の慰安婦ですね。私も兵隊に行きましたからよく知っていますが、慰安婦は、陸軍でもどこの部隊にも所属部隊がございました。こういう慰安婦が敵襲を受けて敵弾によって倒れた、こういう場合は一体どういう処置を受けるのでしょうか。
  165. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 いわゆる大陸等におりました慰安婦は、軍属にはなっておりません。しかしながら、敵襲を受けたというような、いわゆる部隊の遭遇戦といったようなことでなくなられた場合におきましては、戦闘参加者として準軍属の扱いをしておるはずでございます。
  166. 小林進

    ○小林(進)委員 これはここで一つずつケースをお聞きしてもいいのでございますが、次に、諜報機関に従事をしておりまして、身分関係が表面に出ていない。私が先ほどお尋ねしましたのもその一例であります。特殊の通信工作に任じていたとか、あるいは身分も——御承知の通りに、戦時中には中野にスパイ学校というのがありまして、もっぱら特殊工作員の訓練を受けたりしておりました。こういうのは本籍も抜いてしまって、いろいろの変装、いろいろの偽名をさせて諜報任務に従事せしめたわけです。戦時中こういうのが多かった。戦地においてもそういうのが多かったのでありますが、こういう人たちの戦死とか戦傷を一体どう扱われているかという問題であります。
  167. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 やはりきめ手になるのは、当時その方が、軍から給与が出ていたかどうかということが根本のきめ手になると思います。給与が軍から出ておりますれば、援護法にいう有給軍属の扱いをしているはずでございます。それから軍から給与が出ていない場合もあるかと思いますが、そういう方につきましては、戦闘参加の状況にある方でありますれば、いわゆる戦闘参加者としての準軍属扱いをしているはずでございます。なお、特定の人がございますれば、よく事情は承らしていただきたいと存じます。
  168. 小林進

    ○小林(進)委員 いま一点で終わります。  次にお伺いいたしたいのは、学徒動員の中の、これは先ほどからも永山委員が言われたように、徴用は普通の援護資金の半額で、しかも五年で打ち切るなんということの局長の答弁がありましたけれども、これはやめていただかなければならない、そういう御努力をお願いしなければならないのでありますが、沖繩のひめゆり部隊というのは一体徴用なのか徴用でないのか、全員参加して全員死んだというような形のものは一体どうなっているか。ひめゆり部隊だけではございません。特に沖繩には牛島部隊がいて、全島あげて戦いに参加をするような形をとられたのでありますけれども、ああいう人たちが一体どういう処置をせられているのか、承っておきたいと思うのであります。
  169. 山本淺太郎

    山本(淺)政府委員 多分間違いないと思いますが、ひめゆり部隊は、有給軍属として全員扱っているはずでございます。これに類以のものも、おそらくそうなっているはずでございます。ひめゆり部隊のようなもの以外のものにつきましても、軍に採用されたという形をとっておりますれば、有給軍属として扱っているはずでございます。また沖繩につきましては、一般在住民で、こうしたいわゆる隊組織でない戦争従事者、戦闘協力者があるわけでございますが、現地のああした凄惨な戦いの状況にかんがみ、また当時の所在の陸海軍と住民との関係から見まして、なるべく広範に戦闘参加者として取り扱うことが援護法の立法の趣旨にも合うものでないかということで、なるべくそのような趣旨で今まで裁定も進め、今後も処理していきたい、こういうふうに考えます。
  170. 小林進

    ○小林(進)委員 最後に一つ、これは厚生省にお願いいたしておきたいのでありますが、先ほども与党委員からありましたように、もう戦後十七年であります。仏事で言えば十七回忌がめぐってきたわけでございますから、この十七回忌を迎えて、まだ戦没者の霊も浮かばれないというようなことでは、なくなった人にもお気の毒でありますし、特になくなった人よりも、未解決のままに、あるいはまた、政府の恩典を受けないままに放任せられて生きている家族、遺族であります、こういう人たちは一番お気の毒でありまして、みんなが平等に扱われて、みんながもらわないときならよろしいのでありますが、今こうしてそれぞれの給付が行なわれているときには、何といっても、もらわない方々の心情というものは、推測すれば涙なきを得ないのでありますから、これはどうしても一つ広範囲に——広範囲といっても限度があるのであります。将来また戦争でもあれば無尽蔵にふえていきましょうけれども、戦争の跡始末でございまして、その点一定の限度があるのでありますから、できるだけ一つ善意に解決をするように御努力をいただきたい。そのために、どうも伺っておりますと問題がまだたくさん残っておるようでありますから、どうかこういうもろもろの法律も、できれば一本にまとめて、先ほどからお願いしているように、大蔵省なんかで扱われている問題も、一つ緊密に連絡をとるなり一本化するなりいたしまして、抜本的な、あたたかい御処置をしていただきますることをお願いいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  171. 柳谷清三郎

    ○柳谷委員長代理 本日は、これにて散会いたします。    午後五時二十二分散会