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1962-03-27 第40回国会 衆議院 社会労働委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十七日(火曜日)    午前十一時五十五分開議  出席委員    委員長 中野 四郎君    理事 小沢 辰男君 理事 齋藤 邦吉君    理事 澁谷 直藏君 理事 小林  進君    理事 八木 一男君       井村 重雄君    伊藤宗一郎君       浦野 幸男君    加藤鐐五郎君       藏内 修治君    佐伯 宗義君       永山 忠則君    八田 貞義君       早川  崇君    渡邊 良夫君       淺沼 享子君    大原  亨君       河野  正君    田邊  誠君       滝井 義高君    吉村 吉雄君       本島百合子君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 灘尾 弘吉君  出席政府委員         大蔵事務官         (主計局次長) 谷村  裕君         厚生政務次官  森田重次郎君         厚生事官務         (大臣官房長) 山本 正淑君         厚生事務官         (児童局長)  黒木 利克君         厚生事務官         (年金局長)  小山進次郎君  委員外出席者         議     員 滝井 義高君         大蔵事務官         (主計官)   岩尾  一君         厚生事務官         (児童局企画課         長)      武藤琦一郎君         厚生事務官         (年金局国民年         金課長)    高木  玄君         厚生事務官         (年金局福祉年         金課長)    鈴木 正信君         専  門  員 川井 章知君     ――――――――――――― 三月二十三日  委員安藤覺辞任につき、その補欠として小川  半次君が議長指名委員に選任された。 同日  委員小川半次辞任につき、その補欠として安  藤覺君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 三月二十六日  医療法の一部を改正する法律案滝井義高君外  十一名提出衆法第二八号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  児童扶養手当法の一部を改正する法律案内閣  提出第九号)  国民年金法の一部を改正する法律案内閣提出  第三二号)  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第七二号)  臨時医療報酬調査会設置法案内閣提出第一〇  一号)  生活保護法の一部を改正する法律案八木一男  君外十一名提出衆法第九号)  医療法の一部を改正する法律案滝井義高君外  十一名提出衆法第二八号)      ――――◇―――――
  2. 中野四郎

    中野委員長 これより会議を開きます。  滝井義高君外十一名提出医療法の一部を改正する法律案議題とし、審査を進めます。     ―――――――――――――     ―――――――――――――
  3. 中野四郎

    中野委員長 提案理由説明を聴取いたします。滝井義高君。
  4. 滝井義高

    滝井議員 私は、日本社会党を代表して、医療法の一部を改正する法律案提案理由を御説明いたします。  わが国医療保障は、今日では形の上での皆保険体制を完了して、その内容充実させる段階に入っているわけでありますが、これがための基礎的条件整備の一環として、医療機関適正配置が緊急の施策として要望されております。  申すまでもなく、医療機関適正配置施策は、一方で、無医地区その他医療機関の不足する地域においてこれが新増設をはかることを要請するとともに、他方、医療機関に対する需要がすでに十分満たされていると考えられる地域においては、これが新増設を規制して、その乱立を防止することを期待するものであります。  最近の傾向として、公的な性格を持つ病院でも、採算のとれないものは地域医療需要に関係なく、どしどしつぶしていく、あるいは、人口の密集する一部大都市に大病院が集中的に乱立するといった現象が見られますが、これらは、右の見地からすれば、当然規制されるべき事柄であります。  わが国医療保障充実のためには、各種医療保険内容改善医療労働者待遇改善予防衛生充実等、なお多くのなすべきことが残されておりますが、私は、この際、とりあえず医療法を改正することにより、医療機関配置計画性を持たせることが必要であると考え、本改正案提案いたした次第であります。  この法律案のおもな点を御説明いたします。  第一に、国及び地方公共団体は、医療機関不足地域に対し、計画的に病院診療所整備する義務を負うことを明らかにいたしました。医療機会均等実現することは、国民医療保障における中心的な課題であります。国及び地方公共団体は、原則的に採算を度外視して、医療機関適正配置を行なうべきであります。  第二に、公的医療機関開設者が、病院または病院ベット数を新増設し、あるいは種別変更をする場合、当該地域病院病床数が、省令の定める必要病床数をこえるときは、開設変更の許可を与えないことができるものといたしました。  第三に、都道府県知事は、右の処分をするときには、あらかじめ、医療機関整備審議会意見を聞かねばならないことにいたしました。  第四に、地域別必要病床数及び病床数算定方法に関する省令をきめる場合には、医療審議会意見を聞かねばならないことにいたしました。  第五に、三公社、労働福祉事業団、簡易保険郵便年金福祉事業団病院開設病床の増加または変更の場合には、その計画について厚生大臣に通知しなければならないことにいたしました。  以上、簡単でございますが、本法案提案理由及び内容を御説明いたしました。すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。(拍手)
  5. 中野四郎

    中野委員長 なお、本案に対する質疑は後日に譲ることといたします。      ――――◇―――――
  6. 中野四郎

    中野委員長 児童扶養手当法の一部を改正する法律案国民年金法の一部を改正する法律案戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案臨時医療報酬調査会設置法案及び八木一男君外十一名提出生活保護法の一部を改正する法律案、以上五葉を  一括議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。八木一男君。
  7. 八木一男

    八木(一)委員 私は、ただいま議題になりました諸法案のうちで、国民年金法の一部を改正する法律案中心にいたしまして、厚生大臣政府委員に御質問を申し上げたいと思います。  今度の国民年金法の一部を改正する法律案提案理由説明の中に、「今回の改正法案は、この制度における低所得者層の処遇をさらに厚からしめるため、当委員会の強い御要望でもある保険料の免除を受けた場合にも保険料を納付した場合と同様に国庫負担を行なうことを実現することによって、低所得保険者について拠出年金受給要件を緩和し、あわせて年金額の引き上げを実施するとともに、低所得、かつ低額の公的年金受給者に対する福祉年金支給制限緩和等を行なおうとするものでありまして、そのおもな内容は次の通りであります。」というふうに、厚生大臣が御説明の中の重点として言われたわけであります。この中で「当委員会の強い御要望でもある」と、いうことについて、私としては、厚生省の御努力に対して多といたしておる気持を表明いたしたとい思います。今までもいろいろと行なわれたこともございまするが、国民の代表である国会で、この問題を担当している委員会である社会労働委員会において論議をされたこと、そうしてそこで附帯決議がつけられたこと、また、その論議中に内閣総理大臣あるいは厚生大臣から前向きの御答弁があったことについて御実現を見たこともございまするけれども、今度のこの点については、特に実現を急速に見たこととして、その点についての御努力を認めたいと思うわけでございます。今後も、こういうことについて、国民気持が直ちに国政に反映するようにしていただきたいと思うわけであります。この点について厚生大臣の御所信を伺いたいと思います。
  8. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 政府といたしましては、国民要望、またこれを代表される国会における御審議ないしはその御要望等に対しましては、常にこれを尊重いたしまして、政府の力でできるだけのことはいたしたい、かような考えをいたしております。
  9. 八木一男

    八木(一)委員 政府のまじめな御努力について、私どもとしては、それを多とする気持を表現するにやぶさかじゃないわけでございまするが、この点は中心課題が解決しましたので、特にこの点について私の気持を披瀝させていただいたわけでございまするが、なおたくさんの問題が未解決で残っているわけでございます。その問題については、われわれ不満な点もたくさんございますので、これからその問題を中心といたしましていろいろと御質問を申し上げたいと思います。  まず、この前の附帯決議の中に、第一項として「各年金年金額を大幅に引き上げること。」というような要件があります。第二項に「老齢年金老齢福祉年金支給開始年齢を引き下げること。」第三項に「福祉年金給付制限を緩和すること。」第四項に「保険料年金額給付要件受給対象等すべての面において社会保障の精神に従って改善すること。」「右の実現のため大幅な国庫支出を行なうこと。」というような、最も大事な大綱的な附帯決議が第五項にあるわけでございます。その点については、ほとんど問題が推進されておらないということを非常に残念に思うわけでございます。年金のこのようなほんとう意味の完成について、厚生省としてはどのようなお考えを持っておられるか。今のこの時点におけるある程度固まったものがあれば、お伺いをいたしたいと思います。なければないで、さらに質問を続けたいと思います。
  10. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この前の附帯決議で今お述べになりました問題は、いずれも制度的に見まして重要な問題でございます。厚生省としましては、御趣旨を尊重いたしまして、目下いろいろ検討を重ねておるところでございます。まだ具体的にお答え申し上げる段階に至っておりませんが、十分検討する、そのつもりで督励いたしておるところでございます。
  11. 八木一男

    八木(一)委員 国民年金法成立をいたしましたのは、昭和三十四年四月だったかと思います。その成立をいたしますときの論議におきまして、こういうあらゆる問題について不十分な法案であるということが指摘をされまして、時の厚生大臣坂田道太さん、あるいはまた、時の内閣総理大臣岸信介氏、そういう方々が、とにかくまず開始する問題だからこの程度でがまんを願いたい、急速にその問題点を解決して、ぐんぐんよくするからというようなお話であったわけであります。ところが、幾分改善を見ておりまするけれども、ほんとうに骨である金額、あるいは開始年令、あるいは組み立てということについて根本的な対処がされておらないわけであります。幾分の手直しがあったことは、私も担当いたしておりますから十分に承知をいたしておりますが、ことにその問題のすべてがやはり国庫支出ということに非常に関連が深いわけであります。本年度厚生省の方の国民年金について予算をふやされた金額は、これはごくわずかで、特に予算の非常に増大した割合から見れば、非常に少ないわけであります。最初のスタートが非常に不十分なものであったわけでございまするから、これを十分なものにするためには、毎年相当多くの国庫支出増額をはかってさらにまだ不十分であろうと思うのに、ことしのように、金額的に見て停頓している状態では、国民年金伸び方がぐっとおくれて、その本来の目的を果たすことが非常に不十分な状態のまま置かれるだろうと思います。このように予算が少ないということであっては、厚生省の取っ組みが本年度において非常に少なかったということをいわざるを得ないと思いますので、その点について厚生大臣の……。
  12. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民年金法出発当時の総理大臣あるいは厚生大臣のお気持は、私どもそのまま持っておるところでありまして、逐次改善をして参りたいという心持でやっておるわけでございます。予算の点につきましては、改善の策を立てて、そしてこれを実行するということになれば、あるいは非常に大きなものになるかもしれません。その年その年の状況によりまして、大きい額になる場合もございますし、それほど予算的には大きな額にならないという場合もあろうかと思いますけれども、それはやはりそのときの状況によってきまっておるので、かりにことしは少ないといたしましても、また今問題になっておりますような点について成案を得て、国会に御審議をお願いするという段階まできますれば、またそのときには相当の予算増額になってくる、こういうふうに御了承いただきたいと思うのでございます。何さま大きな問題でございまして、とても半年や一年でなかなか結論の出にくい点もございますので、慎重に、かつまた急ぎつつこの問題に取っ組んでおるわけでございますので、御協力をいただきましてさらに改善をはかって参りたいと思っております。
  13. 八木一男

    八木(一)委員 社会保障制度というものが、今急速に伸ばさなければならない制度であることは、再三この委員会の他の社会保障制度のときの御答弁から見ても、御確認であろうと思います。ことにこの国民年金制度は、前のほかのものと違いまして、数年前から発足しておりますので、その中でも特に進めなければならない要件が大いにあるわけであります。そういう点で、今慎重に、かつ急速にと言われましたけれども、その慎重にの方を抜かして急速に進めていただかないと、慎重という言葉は往々にしてブレーキになって、ほんとうにどういう方法でやるべきかということは、賢明な厚生大臣、賢明な政府委員皆さんがお考えになれば、どういう方針が正しいかということはすぐ出るわけです。慎重にが、ほんとう予算をなかなか引っぱり出す自信がないからということのブレーキの役をいたしますので、慎重にを抜かして、急速に充実という方の御意見にしていただきたいと思いますが、それについてもう一回、一言簡単でけっこうでありますから……。
  14. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 根本的には、気持としては変わらぬだろうと思いますけれども、いささかお言葉を返すようでございますけれども、私は、社会保障制度日本においてはもっともっと完備しなければならぬということについては、その熱意は少なくとも皆さんの驥尾に付してはいけるだろう、かように考えておるわけでございます。さりとて、あまりにも拙速ということに流れて、十分な基盤も作らないで、そうしてただもう広げていきさえすればそれでいいとか、ふやしていきさえすればそれでいいというふうな安易な心持で進めてはいけない。やはり慎重に考えるべきところは考えて、そうして勇をふるって進むべきときは進めていくということでなければいかぬと思うのであります。そういう意味におきまして、慎重という言葉も、あわせて一つ御了承をいただきたいと思うのであります。
  15. 八木一男

    八木(一)委員 一般論といたしまして、先輩の政治家である灘尾さんの御意見は伺えるわけでございますが、この問題については伺えないわけであります。というのは、非常に不十分なものであるために、国民年金に対する当然起こらなければならない期待が非常に薄い、そのために非常に理解程度が少ないということがあって、いろいろな問題が起こるわけでございます。ですから、当然こうしなければならないという目標は急速に立てていただかないと、それに対する期待、それに対する理解、それに対する協力というものが生まれないわけであります。そこを早く立てることによって、国民年金に対する非常にいろいろの国民期待が深まって、スムーズにいくのではないかと考えるわけであります。  少し原則論に戻りますが、国民年金制度が無拠出拠出拠出制もとになって一部無拠出制があります。ほんとうの根本的な考え方によると、無拠出の方がよいということが、普通の意味の通則であろうかと思うわけであります。ただし、その問題を、具体的に年金額をふやすためにその金額負担能力というようなことを考えて、現在の段階において拠出というものを政府としては組まれたと思いまするし、また、政府の案とはおおよそ考え方が違って、全く完全な社会保障的に組み立てられておりますが、わが党の方も、そういう意味拠出制もとにした年金の案を持っているわけであります。根本的に無拠出ができ得れば、そうして金額が十分であれば無拠出が根本的にいいという考え方を私は持っているわけでございますが、厚生大臣はどうお考えでございましょうか。
  16. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 拠出制がいいか無拠出がいいかということは、これは確かに二つの大きな議論と申しますか、あるいは沿革があるだろうと私は思う。私は、どちらがいいとか悪いとかいうようなことは別として、基本的に考え方をきめておるというわけでもございません。まだ私の勉強も足りないと思います。足りないと思いますが、各国の例を考えましても、拠出制あり、無拠出制あり、いろいろあるわけでございますので、その利害得失についてはなお研究さしていただかなければならぬと思いますが、さしあたりの考え方といたしましては、スタートしたばかりの国民年金、これを基本的に今変えるとかいうふうな考え方はいたしておりません。この拠出制国民年金というものを改善し、発展さして参りたいという考え方もとに、ただいまのところは検討いたしておるところでございます。
  17. 八木一男

    八木(一)委員 現在拠出制をとっておられますが、現在の段階として拠出制の力がいい――これは長い制度でありますから、今とりましたらこれはかなり続きますけれども、それをとられたのは、どういう理由でそれがいいというふうにお考えになっていらっしゃるのか、伺わしていただきたいと思います。
  18. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この種の制度につきまして、どちらをとったらいいのかということは、これは各国それぞれの事情もあるのだろうと私は思うのであります。日本といたしましては、何といいますか、一人が万人のためといいますか、万人が一人のためといいますか、お互いに助け合ってやっていこうというような考え方が、基礎に一つあるだろうと思います。同時にまた、国の財政支出というような点の考慮もあるいはあるのじゃなかろうか、かように考えておる次第でございますが、立法当時どういうふうな具体的の理由によってこうなったかということにつきましては、政府委員の方から一つ答えさせていただきます。
  19. 小山進次郎

    小山政府委員 この点は、もう八木先生十分に御承知の上でお尋ねになっておいででございますので、簡単に申し上げますけれども、あの際にも話に出ましたように、やはり日本のように経済の底が浅く、特に財政の底が非常に浅いというような国の場合に、一般財政の方からの支出に全面的によるというような制度では非常に不安定な制度になってしまう。そういう状態もとで、あることを先々まで約束をしていかなければならぬというようなことになりますと、勢い非常に控え目な、どっちへころがってみても絶対間違いの起こりっこない、程度の低い年金額というものをもとにして考えざるを得ない、そういうことになると、結局年金制度らしい年金制度にいかない、こういうようなことが、あの当時、社会保障制度審議会拠出制をもおきめになった最大の根拠であったわけであります。やはりその根拠というものは、政府考え方でもそのまま取り入れられて現在の制度もとになっている、こういう状況でございます。
  20. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣小山局長のいたした御答弁のような経過と私も承知しております。また、それはそれなりに理由がある。その点について、そういう考え方もとに、私ども日本社会党でも拠出制を基幹としたそのような年金案をもって提出をしたことは、御承知通りであります。ところでこの問題は、拠出制をやった理由は、無拠出制だけですと国家の方の必要とするほかの財政支出との競合が起こって、非常に高めなければならない年金額が少なくなる、あるいは年金金額に影響するいろいろな条件がきびしくなる、そういうことではほんとう年金制ができないので、国の方で、できる限り、あらん限りの国庫支出をいたすと同時に、自分の老後、あるいは遺族、あるいは障害の場合に備えて、国民が貯蓄をするというようなものを合理的に保険料として、わが党の場合には年金税として徴収をして、この二つの財源を重ねて、できるだけ大きな年金、できるだけ条件の緩和した年金制度を作ろうということから、こういうふうな経過になってきたのだろうというふうに私は理解しておりますし、また、厚生大臣年金局長のお答えになったのも、同様な理由であろうかと思います。厚生大臣、それについて同様なお考えだろうと思いますが、どうですか。
  21. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 その通りに心得ております。
  22. 八木一男

    八木(一)委員 そういう根底からできた拠出年金制度である。従って、拠出年金の意義は、年金額をふやすとか、あるいは開始年令を短くするとか、あるいはいろいろな諸条件制限条件を緩和するというために拠出年金制をとったのであって、その逆に、年金額を低めようとか、いろいろの制限でもらえる人を少なくしようとか、そういう意味拠出年金制をとったのではないのであります。政府の方もそうである。日本社会党考え方もそうである。政府の方の案のもとを出した自由民主党の考え方もそうである。根本的に、出発点はそこからきております。ところが、そのために、いわゆる字句の問題でありますが、保険――年金保険というような言葉が使われている。保険料というような言葉が使われる。根本的なもとは、たくさんの年金の必要な人に年金をあげたい、しかし無拠出のままでは金額が少なくなる、条件がきびしくなる、だから金額を多く、条件を緩和して大ぜいの人にあげられるために拠出年金制度がとられた。ところが、残念ながら日本語の不都合なところで、拠出年金制度を作ったときに、日本社会党のように保険という言葉を使わないですればよかったわけでございますが、今、一般的な言葉としては、社会保険というとんでもない言葉が、憲法できまってない言葉が横行しておる。それで、年金保険保険料というような概念が、二次的、技術的に入ったわけです。ところが、二次的、技術的に入った保険料というような概念から、保険料を払えない者にはやらなくてよろしいというような、民間の任意保険のような考え方が横から――非常に残念なことに、そのような間違った思想が年金の中に入ってきた。それは私は誤りであろうと思います。拠出年金制をとった根本的な理由が、ただいま厚生大臣年金局長が言われ、私も申し上げたように意識が一致している以上、保険というような言葉でそれを制限することは本旨でないということに、当然ならなければならないと思います。それについての厚生大臣の御意見を伺いたいと思います。
  23. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 保険という言葉を使うのが適当であるか不適当であるかということは、制度の立て方として、いろいろ議論のあるところであろうと思うのであります。わが国制度といたしましては、やはり保険の原理というものを入れて制度を立てておるように思うのであります。そういう意味から申しまして、私はこの前の国会でも八木さんのお教えを受けたわけでございますけれども、保険という制度をもってやるということは、必ずしも私の考えておる社会保障という点から申して矛盾するものではない、少なくともそういうものまで、今の社会保障という観念の中には入れて考えられておるというようなことを申し上げたように記憶するのでございます。また、計算仕方等につきましても、保険の数理というふうなものが根底になって計算もせられておるわけでございますので、この保険という観念を導入したということが、それほど間違っておるというふうにも私は考えないわけでございますが、ただ、最初にお話しになりましたように、何も保険という言葉を入れたために制限するのだとか縮小するのだとか、そういう意味じゃないので、広く多くの人に年金がいくように考えなければならぬという基本的な考え方であることは、もちろんであります。保険料の負担というような問題につきましても、負担が高いという御議論が確かにあると私は思うのであります。同時にまた、国の負担があるいは少ないというふうな御議論もあるかと思うのでありますが、これらは必ずしも固定したものではないわけでございまして、保険料の問題については、過重な負担にならないようにという考え方もしなければならない、また、国の負担といたしましても、何もこれだけで、これ以上やってはいけないというふうなものとも実は考えておりませんが、この点は、国の経済状態なり国民負担能力なりの実情にかんがみまして、それぞれ適当な措置を講じていけばよろしいと思うのであります。一番積極的に考えれば、国民の経済力というものがついていって、そうして保険料の負担というものが、今はかりに重いと考えられておっても、将来はそれが重いと感じられないというような状態まで積極的に持っていかなければならぬ、実はかようにも考える次第でございます。根本的に、そう八木さんと考え方が違っているとは思わないのでありますけれども、保険という制度をとったために、妙に窮屈なものにしておるというふうにはお考え願わないようにお願いしたいと思うのであります。
  24. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣の御答弁、私、若僧でございますが、私どもの考え方から申しますと、やや満足な御答弁であります。それを突き進んでいただきたいと思うのです。今言ったように、保険という概念は、ほんとう国民年金を、必要な人に十分に、それからあまり制限をつけないでたくさんあげたいということから年金制度が始まったけれども、額が少なくて諸条件がきつくてはいけないので、その原資を得るために、国民の直接の負担をしてもらうために保険料という制度がとられた。われわれは年金税という考え方でしたけれども、まあそういう負担がとられた。そういう原則から進んでいるわけであります。そこで、技術的に似たような制度でありますから保険の技術が取り入れられたということは、これは当然やむを得ないことであろう。ところが、技術を取り入れられたときに、厚生省の方で、年金審議会なんというところに、たとえば協栄生命の人が入っておるとか、民間保険会社の人が幾分その審議会に入っておる。ですから、いかに熟達の人であっても、民間保険会社の考え方が抜け切らないわけであります。それと国の年金制度とは、性質の違う部分がぐんとたくさんある。そういう考え方が影響している部分が幾分あると思います。ただし、初めから担当しておられる小山年金局長は、年金の本旨についてよく理解していられますし、理想を持っておられますから、そのような私的保険年金の違う点を理解されて、ほんとう年金制度に進むように努力しておられることを私も十分知っておりますし、認めたいと思いますけれども、そういうような保険という言葉保険という概念から、一般的にその問題が、政府部内で対大蔵省との問題、あるいはまた、与党の方々の中の審議、そういうときに、第二義的、第三義的に技術的に取り入れられた保険という言葉に縛られて、ほんとう意味年金の進展に幾分ブレーキをかける論議なり立場があろうと思う。それについて、ほんとう年金の本旨に従っての進展を、厚生大臣がぐんと勇敢に進めていただきたいと思うわけであります。そこで、この保険という言葉論議を出したわけであります。それを直すためには、まず本旨に従って、ほんとうは無拠出で国から出すべきであったので、国庫負担をうんと出すということがまず第一の根本的なことであります。それからまた、一般保険という、原理で、保険料を払ったから払った部分について反対給付を受けるというような私的年金でなしに、年金を必要とする人に年金がいくという大原則が、私的年金の原理でブレーキがかけられないように前進させていただきたいと思うわけであります。そのような方に相当前進され、改善されていることは私も承知しておりますが、まだ完全ではありません。相当不十分な点があるわけであります。今後その点で、社会保障の精神に従って、必要な人に年金がいくという意味制度を前進させていただきたいと思いますが、それについてこの総括的なお答えをいただきたい。
  25. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民の老後の安定をはかっていくということは、これからの日本といたしましては特に考えなければならぬことだと思います。そういう意味合いにおきまして、今のは老齢年金の問題になって参りましたが、こういうふうな制度の前進をはからなければならぬことは当然だと私は思うのであります。従って、現在の制度があまりにも窮屈で、そういうことの発展を阻害するということがあってはなるいまと私も思うのであります。国民の経済力の発展をはかりつつ制度の前進をはかって参り、また、制度の前進を妨げるような要素がありました場合にはこれを除去していくことに、厚生省としては努めなければならぬと思います。
  26. 八木一男

    八木(一)委員 老齢が中心でございますが、やはり障害も遺族も関係があるわけでございます。先年から非常に改善されているわけでございますが、私どもの考え方では、障害というようなものは、その障害が両手両足が切れた人だったら、拠出年金年金に達したら、一分間のすき間もなく直ちに障害年金は出るべきなんです。ところが、最初の原案よりは、何回も委員会の番議もし、それから政府のお考え方改善されておりますけれども、やはり一回目の保険料を払う、あるいは一回目の保険料の免除措置をした後でなければ払わない規定になっております。前の三年よりもずっと緩和されておりまして、その前進は認めますけれども、少なくとも障害というものについては、障害者は所得能力がないから所得保障をしなければならない。それは少なくとも保険料納入とか、それにかわる免除の申請とか、そういう要件とは関係のない問題だと思います。最初のときはそうでなかった。今度はだいぶ前進はしておりますけれども、それをさらに前進をさせて、足、手のないだるまの人――だるまと言っては失礼ですけれども、非常に不自由な人が保険料を払うという要件じゃなしに、直ちに――生産年令人口である二十才になければ親の扶養から当然離れなければならないし、それからそういう方であっても、当然結婚をして人間としての権利を果たさなければならないわけでございますから、そういうことについては、そういう要件なしに直ちに年金が出るというようなことにまで進靴なければ、性質的に完全な年金とはいかないと思う。そういう点について一つお考えを伺わしていただきたいと思います。
  27. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 これは政府委員からお答えいたします。
  28. 小山進次郎

    小山政府委員 八木先生いつも仰せの御主張でございまして、私は、そういうお考えも一つあろうと思っております。ただ、いつも先生と質疑応答を重ねておりますときに感ずるギャップは、実はこの問題は、国民年金の場でやることが解決になるかどうかということなんであります。むしろこれは年金全部についての基本問題でありまして、保険に入る前の障害については全然考えないというのが、今の保険システムをとっているすべての年金制度の共通原則になっているわけでございます。これは外国も同じでございます。それについてどう考えるか、また、そこのところまでは踏み切れないとしても、しかしその制度に入ってきたら、長い場合は三年とか、あるいはかつてはもっと長い例もございましたけれども、そういうふうに非常に長い受給資格期間を置くことが適当かどうか、こういう問題があるわけであります。厚生年金国民年金は、先生方の御鞭撻によりまして、この点、現在の仕組みで歩み寄られるところまで近づいたわけであります。厚生年金の半年、国民年金の一年、大体これは現在の制度ではほぼ行きつくところまで行きついた、こういうことでありますけれども、これをもう一段進めるかどうかというようなことになりますと、どうしても総合調整の問願として議論せざるを得ないわけであります。その意味において、私は、先生が委員のお一人でもあり、社会保障制度審議会のあの総合調整の中に、やはりこういう、割合にじ入でありますけれども、しかし関係者にとっては非常に大きい意味を持っておる問題であります。しかもそれをやるためには、従来の考え方に相当大きい転換をしなければならぬような問題がありますので、これをぜひお取り上げを願って、学識経験者の間で議を尽くしていただいて、どういう方向にいくのが適当であるかというようなことを解決していただきたい、こういう考えを持っておるわけでございます。そういうような点について一つの確定した原則が打ち立てられますならば、もとより従来といえども、厚生省はこの問題については常に積極的に進んで参ったわけでありますが、そういうことの実現にはもちろん一番先にやっていきたい、こういう考えでございます。
  29. 八木一男

    八木(一)委員 社会保障制度審議会で、総合調整についてはこれからほんとうの討論に入るということでございますが、その問題については、すでに問題点として提起がされているわけでございます。私もその委員のうちの一人として、問題の推進に全力をあげていきたいと思いますが、何分にも委員会の中には、今まで社会保障制度審議会の答申について十分にこのことに対処されたことが少ないために、根本的にいいことを出しても政府がなまける、その中からちょっと引き上げるぐらいのことじゃないと具体性がないじゃないかという私どもの方とは、全然観点が違った考え方を持っておられる方があるわけであります。やはり審議会が推進の一つの大きな母体でありますけれども、その問題は、担当しておられる担当官庁、そしてまた、ほかの官庁に制度がまたがっておりますけれども、少なくともこのような所得保障についての中心官庁であるところが、こういう問題については非常に明確に、具体的に推進するような意図を発表されることが、また一つの大きな推進ではないかと思う。制度審議会が全部その通り即時に実行されれば非常にけっこうだろうと思いますが、残念ながら今そうではない。でありますから、その具体性をねらって、議論が低くなる委員が残念ながらいる。従って、両々相待ってやらなければならぬ。厚生省としては、そういう自信のある問題は、先にそういうことがいいという態度を強力に打ち出していただきたいと思うわけであります。  ちょっと横にそれてしまいましたが、今度は金額の問題でございます。今の拠出年金は、六十五才で月三千五百円というものが、いろいろな要件を完全に果たした人の金額になっているわけであります。この金額が非常に少ないということは、すでに定説であろうと思う。それについて厚生大臣、どう思いますか。
  30. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 年金の給付額の引き上げという問題については、積極的に取り組みたいと考えております。
  31. 八木一男

    八木(一)委員 年金金額の具体的な金額でなしに、いろいろと物価の変動は、もちろんそれにスライドしなければなりませんけれども、生活の事情がぐんぐんと向上するわけであります。それに見合ったものでなければならないと思います。見合ったものでなければならないけれども、根本的にどの程度のものであるかというようなことについて、厚生大臣として今固まった御意見があったら伺わしていただきたいと思います。
  32. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいまのところ、私としましては、ここまで持っていこうというところの固まったものはございませんが、事務当局にその辺のところをいろいろ検討してもらっているところでございます。
  33. 八木一男

    八木(一)委員 現在どの程度ということでなくてもいいのです。どういうものであるべきかという考え方で、別にないからけしからぬとは何も申しません。今固まったものをお持ちであるか、一つ伺いたい。
  34. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 年金全部で生活をするというところまでは、なかなか持っていきにくいと私も思うのでございますが、しかし、何さま現在の年金額はいかにも実情に合わないものがありはしないか、もう少し、老後の関係をいえば、老後で年金生活がある程度できるというところまでは、実は持って参りたいという考え方をいたしておりますけれども、また年金の性質上、それだけで生活するというところまで持っていく必要もないという要素もあろうかと実は思います。そこらの点はもっと研究もしなければなりませんが、同時に、国の財政力なり本人の負担能力の関係もございますので、経済生活の状態の推移につれて、それと見合って引き上げていくということが、一応基本の考え方となると思います。   〔委員長退席、小沢(辰)委員長代   理着席〕
  35. 八木一男

    八木(一)委員 大先輩の灘尾さんは厚生行政に非常に詳しい大臣でいらっしゃいますが、年金制度が具体的な問題になりましたのは昭和三十四年でございます。大臣となさってはほかに医療保障の問題あり、生活保護の問題あり、いろいろとたくさんの問題がおありになるので、年金については、十分に御研究であろうと思いますが、まだ客観的に見ましたら、完全な、十分な御検討をなさるおひまがないのではないかと思うわけであります。従って、今私が意地悪く申し上げたわけではありませんが、固まった御意見があるかと思って伺ったわけでございますが、今抽象的にお答え願いましたけれども、その中で、若僧が申し上げて非常に恐縮でございますが、今おっしゃった考え方を、御検討の上でけっこうでございますが、お考えを直していただいた方がよい点があろうかと思うわけです。それについて申し上げますので、若僧の意見でありますけれども、それが妥当な意見であろうと思われましたならば、そちらの力に向いて御検討になるというふうに考えていただきたいと思います。  年金制度につきましては、私どもの考え方、また、今までこの問題について、当委員会でいろいろ論議をされた大体の方向は固まっていると私ども思います。年金制度が生活費の一部を保障するものではいけない。もちろんぜいたくな生活ではありませんけれども、健康で文化的な生活を保ち得る年金額、これは技術的に直ちには、国家財政の都合もありますから、たとえば無拠出年金を、それだけいきなり上げるということは困難であることは、もちろん知悉した上での意見でございますが、年金制度というものが、健康で文化的な生活を保ち得るものでないと中途半端なものになって、効果が非常に少ないということになろうという意見が今の論議中心点でございます。それがそうでございませんと、結局憲法で保障された健康で文化的な生活ということが、社会保障制度の中の所得保障の一番の柱である年金制度実現がされないということになろうかと思います。それではやはり工合が悪いので、健康で文化的な生活を維持する年金を作り上げるというような気持になっていただきたいと思います。そこはもちろん財政の関係で段階はあろうと思います。そして健康にして文化的な生活の所得保障をするのに、老齢を何才からしなければならぬかとか、障害の程度については、どのくらいについてはこのくらいの保障をしなければならないとかいう具体的な問題についてはいろいろ検討しなければならぬかと思いますが、原則として、憲法で、健康で文化的な生活を保持する所得保障を、老齢者あるいは障害者あるいは遺族という人たちに、そういうことを保障しろといったようなやり方で論議がされておりましたので、このようなお考え厚生大臣のほんとのお気持もおありだろうと思いますが、それについて、抽象的でけっこうでございます。
  36. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私の先ほど申し上げました中に、あるいは言葉が足りなかった点もあろうかと思いますが、国民の中にはいろいろな生活の階層があると思うのです。従いまして、年金をもらう人の中にも、それぞれの生活の程度というものは、いろいろ違っておると私は思うのでございます。そういう意味において、必ずしも全部をということはできないということを申し上げたわけでございますが、少なくとも国民の、いわゆる健康にして文化的という言葉でいわれておりますが、そういう生活の一これはあるいは語弊があるかもしれませんが、健康にして文化的な生活の、少なくとも最低基準を維持できる程度年金は全国民に保障しなければならぬ、かように考えております。
  37. 八木一男

    八木(一)委員 先輩の言葉にひっかかって非常に恐縮ですが、そこを私は、健康にして文化的なということにしていただきたいと思うのです。ということは、生活保護との関係があろうと思うのです。健康で文化的な最低生活というものが、今の時点において幾らの金額になるかということについてはいろいろの論議があろうと思いますし、幾らでなければならないということは、私どもは一人ぎめで言える立場にはないわけですけれども、生活保護の方は、現在貧困で暮らせないというような人たちに、憲法の条章に従った生活保護法によって、健康で文化的な最低限度の生活を保障するという建前になっておる。ところが、この年金制度はさらにそれよりは積極的なものて、そのような前もって――たとえば無拠出制度もありますし、免除の制度もありますが、総体として、保険料を負担までして老後について人間らしい安心した生活ができるという建前のもとに作られた制度であります。従って、そんな制度がなくても、そこまで国の責任で生活保護でやってもらうよりは、少なくとも上の制度でなければ前向きのことにならないと思います。私の考え方では、その言葉の解釈はまた与野党で討議しなければならぬし、政府側の検討された御解釈であってけっこうだと思いますが、生活保護は健康で文化的な最低生活を維持しますので、前もって積極的に協力をして、準備をしたこのような社会保障制度の基準は、健康で文化的な相当の限度というような概念考えていくべきだと思います。先輩に若僧が申し上げてあれですけれども、その点について一生懸命考えておりますので、そういうお考え考えていただくような前向きの御答弁を、抽象的でけっこうでございますから承りたいと思います。
  38. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私の先ほどのお答えが非常にまずかったと思います。あるいは語弊があるかもしれぬがというようなことにひっかかったのもその点でありますが、おっしゃるようにきわめて抽象的になりますけれども、国民として相当な生活ができるというところは保障しなければならぬ、さように一つ訂正いたします。
  39. 八木一男

    八木(一)委員 大先輩に若僧の意見を率直に聞いていただきまして、非常にありがたいと思います。私どもも、もし言って誤りの点がありましたら、今度またそういうことを訂正するようにします。ぜひ一つ論議を前向きで進めてもらいたいと思います。  実はこの金額の点でございますが、前にも申し上げましたので簡単に申し上げますが、六十五才で月三千五百円という金額が、一応社会保障制度審議会年金制度に対する答申をもとにして、自民党でも検討され、厚生省で原案を作られた。社会保障制度審議会委員を私いたしておりまして、いろいろなものに関与いたしましたけれども、年金の答申が一番ふできな答申であります。それ以外は相当ですが、あれはあそこの答案としてはふできであります。特に障害や母子で、政府のあとで出された原案の方が前向きであったことを主張いたしました私としては、政府の力が幾分その点前向きであったことを理解いたしております。非常にふできといってはほかの方に失礼かと思いますけれども、少なくともほかの答申よりは不十分だった答申であったわけでございますが、それがその当時で、経済の成長をごくわずかに見ておりまして、二%の成長と見ています。その後所得倍増計画、経済の成長計画が進みまして、ぐんぐんと伸びております。ことしは少し調整期に入っておるようでございますけれども、どんなに少なくとも五%や六%で伸長することは明らかであろうと思います。また政権交代が行なわれまして日本社会党内閣を作ってやるときには、計画的ではございますけれども、自民党さんより以上に成長させるつもりでございますから、政権が交代してもそれ以下になる心配は毛頭ない。ところが、間違った推定で二%で組んでおります。そこでさらに余裕をとって、一・五でそういう年金額がふえていくという計算にいたしまして、時の生活保護基準の一人当たり大体平均二千円ということから計算いたしまして、それで四十年後に三千五百円、一・五のパーセンテージをとっております。そういう金額を出した。ところが、この点は、今度政府の方が、社会保障制度審議会の不十分な答申をさらに不十分なものになさったわけでありますが、社会保障制度審議会では四十年後を設定しておる。政府の方の原案は、開始が四十五年後であります。大体これは不十分なものをさらに値切ったという形で、政府の原案は非常に間違っておるわけでありますが、そういう点で、明治以後の経済成長率は全部で四%、それから終戦後の経済成長率は一〇%をオーバーしておるのではないか。そのくらいであって、経済成長は、成長率が減るという議論もありますけれども、どんなに減っても少なくとも五%以下にはならないと思われるときに、二%というような低い――複利計画でありますから、二と五の開きは天井と平地くらいの大きな違いが出てくるわけであります。そういう間違ったもとから答申が出、それをもとにして政府案が作られたわけでありますから、六十五才月三千五百円というものは、根本的に大幅に、あの時点において改定をせられなければならない問題であったのです。それについて大いに論議がかかわされましたけれども、いろいろな準備をして今発足をするのだから、とにかくこれを通してほしい。われわれはほかの点で徹底的に反対をしましたけれども、そういうことで通ってきた。年金制度を作ることは賛成でありましたけれども、内容が不十分なのと社会保険的な部分が多かったために、反対したわけであります。ところが政府としては、与党の方々に、これは不十分でありますけれども初めだからがまんして下さい、ぐんぐんよくしますから。その一番の根本は、いろいろな手直しをしましたけれども、やはりその集中点は金額だろうと思う。それが改定をされていないわけです。その当時でも少なくとも、二、三倍にはしなければならなかった。それがされていない。従って国民は、やや本能的といいますか、やや感覚的でありますけれども、六十五才になって、四十五年後になって三千五百円、そんな金はどうなるかわからぬということで魅力が少ないようであります。魅力が少ないということは、政府が非常に熱心に検討されて、一生懸命に浸透に努められておるものに対して協力の度が足らない、あるいはそれに対して批判が起こるということの中心の問題になろうと思います。ですから、当然最初の過程からいって変えなければならない問題であれば、急速に目標を変える必要があろうと思うのです。ただし、将来の見込みが少ないから、今、たとえば三千五百円を三倍の一万五百円にしたところで、これは二万円にしなければならない、三万円にしなければならない。この前古井さんは、灘尾先生の御就任の前に、この委員会で、わしは三万円ぐらいにしなければならないということを言っておられました。それはもちろん三万円くらいにした方がいいに違いない。四万円くらいにした方がいいに違いありません。しかしそれは、計算が済んでから目標を作るということで技術的に難易はあるかもしれませんが、それよりも国民理解させるためには、今一万五千円でもあるいは二万円でもいいですから、とにかく三千五百円では魅力が少ないのだ、これは変えるのだという方針を直ちに示して、それがまだ少なければ、それからじっくり検討して、一万五千円が少なければそれを三万円にする、四万円にするということを検討してやられたらいいと思うのです。検討の済むまで三千五百円でとめておきましたら、これはいろいろな年金制度に対する期待が少なくて、保険料の支払いその他に対する非協力の態度が一部まだ残ると思います。また、そうでなしに、国が年金制度で老後のことは安心してもらえるということに十分な自信がないために、ぼろもうけをして老後の準備をしようということで、しろうとが株なんかに投資して、それですってんてんになったりする。それならまだ大したことはありませんけれども、競合するような中小企業をどんどん興す。もう隠居したり、自分のなれた仕事をしたらいいのに、一握千金をねらって妙なことを始めて、それでそっちで競合が起こって、その事業を推し進めて参りますと、武士の商法でひっくり返ってだめになってしまう。そういう老後の不安定に対する焦慮から無謀な冒険が起ころう。そういうことを防止するためには、早く目標をきめて、こういう年金が確保されるのだから、自分のなれた仕事、自分の適当な仕事について、それにまっしぐらに邁進して給与で暮らす、あるいは商売の収入で暮らす。老後はそういうものがあるから安心なんだというような安心感を与えることが、ほんとうに落ちついた意味の勤労意欲を増すと思うのです。そういう意味で、技術的なとかなんとかいうようなことでなしに、もっと勇敢に、急速に、国民のためを思われて年金額をふやす、具体的に今直ちにこれだけにする、さらに情勢に応じてふやすというような目標を早く立てていただきたいと思います。この幅を大幅にしていただきたい。それについての厚生大臣の御意見を伺いたい。
  40. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 八木さんのお話を伺っておりますと、すぐにでも引き込まれるような気がするのでありますが、そういう技術的な考慮もございますし、また、一面からいって政治的な考慮をしなければなるまい、かように考える次第でございますが、それらの点を含めまして、現在いろいろな調査をしてもらっておるという段階でございます。今直ちにどうということは申し上げかねますけれども、現在の国民年金制度がいかにも魅力が少ないということは私もわからぬじゃないわけです。何とかもう少し国民が将来の希望を持って、この国民年金協力してもらうようには、ぜひ持っていきたいという考え方をしております。さりとて、またあまりにも政治的になってしまう、しかも、将来国民を欺くようなことになっては大へんなことになる。やはりそういう点についていろいろ検討を加えて、すみやかに結論を出したい。もちろん、先ほど申しましたように決してゆっくり、ただ引き延ばしを考えておるという意味ではありません。どちらにいたしましてもそろそろ国民年金につきましては、年金額の問題について結論を出して、皆さんの御審議をわずらわす時期もそう遠くない、そういう意味で作業をしておるようなわけであります。御了承いただきたいと思います。
  41. 八木一男

    八木(一)委員 その年金額をふやすことについて、ふやすにはどうするかといういろいろの技術的な点があると思います。その中で一番大事なことは、国庫支出の率を高めるということに帰着をしようかと思います。それについては、いろいろと大蔵省の方々の考え方や何かあって、調整にはいろいろな点があろうと思いますけれども、年金は、できれば無拠出でやられた方がよかったということは当然でありまして、それを拠出制をとられる以上は、無拠出でやる方がよかったという立場を考えましたならば、拠出制に無拠出の味を加えるには国庫負担をたくさん加える、率を高める、そういうことになろうと思います。それが社会保障の方に向かうことの一つの大きな要件であろうと思います。現在保険料について五割、給付について――給付は段階がありますからきっちりいきませんが、平均して給付については三分の一の国庫負担であります。それについて、すでに社会保障制度審議会の、非常に遠慮がちの論議の中でも一番遠慮をしておられる学者の方の論議の中でも、保険料については十割、給付については半分のところまで国庫負担の率を高めるべきであるということが定説になっておるわけであります。そういう問題を厚生省自体として急速に――私はもっと率が高い方がいいと思いますけれども、少なくともその定説になっておる部分は実行するために、やはりそういうことを早く決心を固めて、早く閣議で御推進になりませんと、まぎわになりますと、また大蔵省の方で財政計画上何とかいうことで、延びたり値切られたりというようなことが起こりますので、厚生省としては直ちにそういう御検討を進められまして、決意を固められまして、少なくとも来年度には給付に対する平均二分の一、保険料に対する十割というような国庫負担がつくように御推進を願いたいと思います。それについての厚生大臣の見解を伺いたい。
  42. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 今申し上げました通りに、そういう問題についての検討中でございますので、成案が得られれば、もちろんこれを推進して参るにやぶさかではありません。すみやかに、自信を持って推進し得るような成案を得たいものと、私といたしましては念願しておるわけであります。
  43. 八木一男

    八木(一)委員 まだまだこれから申し上げることがあるわけでありますが、一番重要な点になりましたので、それらについて、具体的な配慮の点について私どもの考えを申し述べますが、それは厚生大臣がおそらくその通り賛成だとおっしゃることばかり申し上げるわけであります。それからまた、前の附帯決議で、その項目の中で実現した部分もありますが、なかなか実現していない部分もあるわけです。いろいろと検討の必要があろうと思います。全部生かされればもちろん一番けっこうでございますが、その問題の内容はまだ触れないとして、来年度国民年金法改正案を当然いろいろな見地から出されなければならない。その内容が私どもの主張以上に、それを越えた十二分のものであることを希望するわけでございますが、御検討の結果で、これが十二分になるか十一分になるか、九・九分になるか、それは厚生省が御検討になるわけでございますが、少なくとも国民年金を前進させるために、国民年金法改正案を来年度に出されるべき情勢にあると思います。厚生大臣も決意を固めておいでになると思いまするが、その改正案をさらに出される御意思を、ぜひ一つ前向きに明らかにしていただきたいと思います。
  44. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民年金につきましては、創始以来まだあまり日がたっていないわけでございます。ただ皆様方の非常に熱心な、また、適切な御要望もございますし、まあこの種の制度としましては比較的ひんぱんに改正を行なってきた制度ではないかと思うのであります。もとよりまだ非常に重要な根本的な問題、そのほかいろいろ問題点があるということは承知いたしております。それらの問題につきまして誠意を持って検討いたしまして、来年度出し得る状態であればもちろん出すにやぶさかではございません。しかし、まだ結論が出ておりませんので、またかたいことを言うというふうにおっしゃられるかもしれませんけれども、私としましては、重要な問題ないしはさしあたり取り上げられそうな問題というふうな問題をピック・アップいたしまして、いろいろ検討した結果、間に合いますればもちろん次の国会にも出すものが出てくるかもしれませんけれども、今どれほどというところまで申し上げる段階ではないように思います。その点は一つ厚生省の誠意のある検討ということで御了承いただきたいと思うのであります。
  45. 八木一男

    八木(一)委員 今まで抽象的なことを申し上げておりますので、今の時点では前向きに、私としては必ず出していただけるという理解もとに、その問題をそれ以上今の時点では御質問申し上げませんが、これから具体的な問題を御質問申し上げますと、今お前の言われるように、わしがどうしても変えるのだとおっしゃるようなことがたくさんあると思います。そうなると、結局来年度には、内容の問題のどれだけということは別として、改正案を当然出すということになろうかと思うわけであります。だんだん論議を進めて参りますと、またほかの委員からもそういうようなことの御指摘が、野党からはもちろんございますが、与党の先生方の方でも、当然そういうような推進があろうかと思います。  次に、ちょっともとへ戻りまして、さっき厚生省の御努力を多といたしましたのは、段階的な点でございますから多といたしたわけでございますが、免除者に対することであります。免除者に対することが、今の社会保険概念からいけば、免除を政府が認定される方は、これは公式に非常に貧しい人であります。だからほんとうは金持ちでありながら貧しいということを勝手に宣伝している人ではなしに、ほんとうに公式に貧しい人であって、政府でこれを認定された人であります。そういう方々が老人になられたときに、一番年金の必要が多いわけであります。今貧しいわけで、商売の収入が足りない、いろいろな賃金が少ない。賃金をもらう人にほかの社会保険だと言われる人もありますけれども、必ずしも全部強制適用ではありませんので、三年未満のところまでは厚生年金保険が適用になっておりませんので、国民年金の問題になろうかと思います。とにかく、五人未満のところにはなっておりませんので、そういうことになろうかと思います。そういうような人たちが老齢になりたときに、一番年金の必要の度が多いわけでございますし、そういう方が障害にあったときも同様であります。また、そういう方がなくなって、遺族が残されたときも同様であります。従って、年金の本質からいえば、そういう方々が一番年金をたくさん必要とする。国の社会保障の、憲法二十五条の現状から見れば、そういう人たちに一番たくさん年金を上げてしかるべきだと思うわけです。ところが、いろいろな保険制度というような制約があって、これは制約はいけないということになりましたけれども、少なくともほかの人と同じだけの年金ば、百歩譲ってもそこまで急速に前進させない場合には、これば非常に不十分な年金というそしりがあくまでも残ろうと思うわけであります。その免除者に対する国庫負担は、ほんとうの御努力で、昨年度論議が本年度出されましたことについては感謝を申し上げます。その御努力は非常に多といたしますけれども、それはほんとうの最小限度中の最小限度でありまして、ほんとうをいいますと、保険料の部分について国がその貧しい人のものは補てんし、保険料に対してつく国庫負担はほかの人と同様につけ、そういう原資を確保することによって一番年金の必要な人にもっとたくさん上げたいのですが、少なくとも今の保険料を払い得る人と同じだけの年金が、保障されることになろうと思います。制度を非常に前進されたところで一安心というところでおありになろうと思いますけれども、ほんとう年金制度を前進しようとするならば、この免除者に対する国庫負担制度の精神をさらに生かして、保険料の点をカバーをする、そうして少なくともそういう人たちに、六十五才三千五百円、もっとたくさん上げたいところでございますが、その年金額が上がったときにどういうことになりますか。今の時点において、そういう免除者に対する保障的――これは全期間免除の場合です。全期間免除の場合じゃなくて、半分免除で、半分保険料を払うときにはもちろんその金額は半分で済む。国庫の補てんは、そういうふうに、免除の場合に、その当時の保険料の全額、その国庫負担をその人たちのために保障するために、国から補てんするというふうに制度を前向きに進めていただきたいと思うわけであります。非常に大きな問題でございますから、直ちにいかがでございますかという御返事もいかがかと思いますが、そういう点を御理解いただき出して、そういう点について前向きに一つ御検討をいただきたいと思いますが、厚生大臣のお考えを伺いたいと思います。
  46. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 ただいまのお尋ねは、八木さんも非常に大きな問題だとおっしゃいましたが、私もこれは大きな問題だと思っております。八木さんのお考えの基本からいえば、別にそう不思議な議論でもないということにもなろうかと思いますけれども、現在の建前のもとにおきまして、その制度をおっしゃるような方向において早急に解決するというふうなことは、これはなかなか容易でない、また、いろいろそこに考えなければならぬ問題が私はあるように思います。この問題は、やはり国民の生活を保障するというような見地からいえば、もとより十分考慮しなければならぬ問題だと存じますけれども、国民年金制度としましては、もっとじっくりとこれは考えさせていただかなければならぬ問題の一つじゃないか、かように考えておるような次第でございます。もちろん検討はいたします。
  47. 八木一男

    八木(一)委員 前向きに御検討をぜひいただきたいと思います。  そこで、財政の問題できますと、そこに生活保護との問題がありまして、このような前向きのことについて、普通の、ほんとうのしろうとが考えますと、金が要るのではないかというふうに考えられますけれども、それが確保されませんと、結局生活保護費の方で出すということになって、結局大した違いはないわけであります。大した違いはなくて、その差額程度の違いになって、財政的の負担についてはそう普通のしろうとが考えるほどの問題にはならないと思います。これは大蔵省の谷村さん、岩尾さんは当然そういうことは考えておいでになると思います。そういう点で、厚生大臣、もちろんそのお気持でおありになろうと思いますが、免除者については、これはできるだけ拡大をしていただきたいけれども、制度は拡大しても政府施策よろしきを得なければなりませんし、得る決心で現在としてはやっておられると思います。これからの内閣もやります。そうなれば、免除を受けないで保険料を納付するという人が当然ふえてこなければならないわけです。現時点で免除者を多くしても、また免除の基準をもっと緩和して拡大しても、将来ともに経済政策、雇用政策がうまくいけば、それは減るべき問題であります。そうなれば、そういう問題の財政負担というものは、その点で減ってくるわけでございます。ただその中で、そういう全体の政策から、ごく不運にしてこぼれる人が、老齢、障害、遺族の場合に、そういう保障をされるということがやはり憲法二十五条の精神からして大事じゃないか。ですから、これと勇敢に取っ組まれても、財政的の顧慮は、ほかの政策がよき方向へいくとするならば、そのように心配される問題ではないと思いますので、どうかごく上っつらな考え方で、そんなことは金がかかってできないというような議論をなさる方がどこかにありましたならば、そういう問題ではない、政府は前進する政策をとっているのだから、そこでかすかにこぼれ落ちて免除になった人に、それだけ人権を保障するような制度をとっても、それは憲法二十五条の精神の具現である、また、財政的にはそれの心配がなくなる世の中を自民党池田内閣としては作ろうと思うし、社会党内閣は、それ以上と言ったら語弊があるかもしれないが、同様にやるだろう、だから心配ないのだということで、理解の少ない人の反対論を、一つ厚生大臣社会保障の大黒柱として、政府の部内においても、また与党の中においても押えていただいて、その問題を前向きに進めていただきたいと思うわけです。それについて一つ……。
  48. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お話にありました点は、私どもある程度理解できると思うのであります。これは必ずしもお金の問題じゃない。お金の問題ならば、われわれの経済政策が成功すれば、免除者がきわめて少なくて済むということは言えるだろうと思うのです。そういうことでありますし、また、免除者が、少ない方が、大局的に見ていい国になったということにもなろうと思いますので、私は必ずしも財政支出だけの問題ではないと思うのでありますが、ただこの種の制度を現実に発展させて参りますためには、国民理解国民の納得、国民協力を得なくちゃならぬと思うのであります。そういうふうな点をあわせて考えつつ、この問題については結論を得なければならぬのじゃないかというふうに考えておるような次第でございます。先ほど申しましたように、この制度の将来のために、これは腰を落ちつけて考えなければならぬ一つの問題ではないかと思いますが、決して検討を怠るという意味じゃございませんけれども、にわかに結論は出しにくい、こういうふうな問題だと私は思うのであります。
  49. 八木一男

    八木(一)委員 ぜひ前向きに一つ御検討を急速にお願いをいたしたいと思います。  それで大蔵省の谷村さんと岩尾さんがおられますので、年余制度についての大蔵省の方のお考えをちょっと伺いたいと思います。  先ほど、谷村さんも岩尾さんも来られる前に、厚生大臣灘尾先生と練達者の小山さんと論議をしたわけであります。そこで政府側の意見もわれわれの意見も、一致点を見た点があります。というのは、拠出年金か無拠出年金制かという問題について、観念的に言って、ほんとうにでき得るならば無拠出年金制がいいのだ。ただし、それでは今の状態財政の問題その他負担能力の問題があるので、観念的によくても、年金額が少なくなったり、いろいろな制限がついて全部に及ばなかったり、多くの人に及ばなかったとすれば、これは年金として具体的に十分なものにならない。それをするために国民負担能力、直接の税負担のほかに、自分の老後を自分の貯蓄その他で用意をするという部分を、合理的に年金に対する掛金という形で負担をしていただいて、国庫負担の部分とその掛金を合わせて拠出年金制を作ることによって金額をできるだけ十分な方に、要件をできるだけ緩和する方向に進む、そのために拠出年金制政府でとられた、また日本社会党も、だいぶ内容は違いますけれども、そのような意味拠出年金制もとにした提案をしたということを両方確認し合ったわけです。ところで大蔵省の方の考え方も、必然そういうふうな観点から拠出年金制がとられたというふうな理解をしておられると思いますが、一応それについて御意見を伺いたい。
  50. 岩尾一

    ○岩尾説明員 国民年金につきまして、無拠出でやるかあるいは拠出でやるか、いろいろ経過の問題つきましては先生のおっしゃいました通りだと思います。ただ大蔵省といたしましては、現在の社会保障制世というものをどう考えるかという場合に、もちろんすベてを、税金をもってまかなうという社会保障制度考え方もあるかと思います。ちょうど公的医療につきまして税金で八割見ておるという形で、あらゆる国民の老後の保障あるいは障害の保障をしようというものを、税金をもってまかなうという思想が一つあると思います。しかし、また一方には、税金というものは、税金のとり方におきまして、あるいは免税点あるいは税率等におきまして、一般的な国民の費用を確保するという意味において、一般行政費的な見地から税法というものを組み立てて、租税をとっておるわけであります。従いまして、そういった金をもって一般的な所得の再配分というものを行なう方がいいのかどうかという点には、議論があるのでございます。でございますから、社会保障制度全体を考える場合には、もちろんそういう意味でとっている税金をもって社会保障に給付すべきものもありましょう。しかしながら他方今度は、いわゆる国民の連帯的な気持から、だんだん近くの者が遠くの者のめんどうを見ていくという気持で、保険料といいますか、掛金といいますか、そういう意味で社会連帯の思想に立って保険料を負担していただくという、そういったものが、両方存在していくというのが大体世界各国の現在の趨勢ではないかと思います。  そこで、拠出がいいか無拠出がいいかということは、もちろん先生のおっしゃいましたような財源の問題もございましょう。しかしながら、制度根本の問題として、日本社会保障制度というものを、あるいはそれのようにすべて税金でやってしまうというふうに割り切ってしまうか、あるいは今私の申しましたように、税金というものは税金としてまた別に残して、そうしてそれ以外の連帯思想の上に立って保険料というものがあるという無想でいくか、そういった点にいろいろ問題がございまして、現在の割り振り方としましては後者のような思想でやっている、こういうことでございます。
  51. 八木一男

    八木(一)委員 別な言葉で言われましたけれども、先ほど厚生当局の方々と私との質疑応答のときはいらっしゃいませんでしたけれども、今私が説明したことと、言葉は別にしておられるけれども、違いはない御意見だと思うのですが、いかがですか。
  52. 岩尾一

    ○岩尾説明員 ちょっと前の論議を聞いておりませんで恐縮なんでございますが、ただいま先生のおっしゃいましたお話は、本来なら無拠出の方がいいのだというふうに意見が一致したというお話でございましたので、私の方といたしましては、それはやはり社会保障全体の考え方の問題でございまして、現在の社会保障制度審議会等で御審議いただいております日本社会保障制度というものの持って行き方は、この両方の部面を互いに相協力しながら、日本の社命保障というものをよくやっていこうという意味でございますから、結論的に無拠出の方がいいのだということではないのだというふうに申し上げたわけであります。
  53. 八木一男

    八木(一)委員 今おっしゃるような意味です。厚生省が無拠出がいいとおっしゃったのではありません。だれしも今白紙の状態で、財源の問題を考えないで、それで年金制度考えるときには無拠出がいい、これは概念的にだれしも一致をすると思います。しかし、そうなれば一般財政から大いに負担しなければならないし、教育の問題もやらなければならないし、ほかの問題もたくさんあるので、もしそれをやるとしたら年金額が減ってしまって、非常に薄いものになる。そういうことになれば、別な意味年金の具体的な効果からすれば、そういうことは具体性がないという問題になる。従って、無拠出がいいという感覚はあるけれども、実際に実現するためには、国家財政の方からできるだけ国庫負担として出すと同時に、今国民の方々は、そういう制度がないときには貯金をしたり生命保険年金払いに入ったり、何か土地でも買ったり、そういうようなことで老後を用意しておられる、また死んだときの用意をしておられる。それを合理的に――われわれに年金税という考え方ですけれども、とにかくそういうような掛金として徴収をして、それで自分たちの老後を用意するという考え方のお金を出していただくと同時に、一般財政から出すことと財源を合わせて、不十分なものをできるだけ十分に、それから制限されるものをできるだけ制限されないで年金を出すという方針で、具体的な点としてに、政府の方も拠出年金制を根幹とした年金制度を立てられる。日本社会党もそうです。拠出年金制を根幹としたものを立てる。そういう認識のもとに立てられたのだろうということを言ったら、それは意見が一致したのです。その点で、大蔵省ももちろん同じお考えだろうと思う。さっきちょっと僕の表現が不十分だったので、無拠出がいいか拠出がいいかということで、現時点において無拠出がいいということを厚生省が是認されるように理解されるような発言をしたとしたら不十分な発言で、そうじゃないので、厚生省は十分そういうことを言いました。現時点においては拠出制をとっているけれども、それについての考え方は、そういう経緯から、年金をよくするためには、今の日本では拠出制を基幹としたものとするということが一番いいということが社会保障制度審議会から出されたし、政府もそうだし、内容は違って、組み立ても違うけれども、社会党もそういう考え方法案を出したということについては、大蔵省ももちろん同じようなお考えだろうと思う。それについて簡単に一つ……。
  54. 岩尾一

    ○岩尾説明員 ただいまの御趣旨であれば、われわれも同感でございます。ただ、現在の国家財政というものは税金から成り立っておるわけでございますから、そういったものからどこまで出していくかという点については、いろいろ議論があろうかと思いますけれども、その方向といたしましては……。
  55. 八木一男

    八木(一)委員 そこでさっきのことなんですが、観念的には全部に無拠出で、必要がある老齢とか遺族とか障害とかいった人に上げたい。程度はいろいろ考え方が違いましょう。何才からとか、幾らからとか、障害はどの程度からとか、遺族についてはどういう状態のときまでとか、そういう程度の差はあるけれども、とにかくたくさん上げたい。たくさんでそれから大ぜいの人に、そういう所得保障をすべき人に上げたいという考え方で立てられている。それを大きくするために技術的に掛金、社会党では年金税、それから政府の方の現行法では保険料という形でとっている財源をということから始まったことが、途中で曲がってしまったわけです。そういう観念ですから、できるだけたくさん所得保障を必要とする人に上げたい。そのために掛金を徴収する、その掛金を――今のは具体的な言葉の遊戯なんです。掛金というものは、一般的には、私的のものでは保険会社があって、保険料というものをとっている。それであの言葉は確かにけしからぬと思うのです。社会保障という憲法の条章をひん曲げて、それが社会保険であったらそれで十分だというような間違った概念がある。社会保険保険がついて、国庫負担の部分や定額の部分が社会に当たるけれども、保険というけしからぬ言葉を使っているために、第二義、第三義的に私的保険、生命保険や何かの概念を持っている人が、保険である以上は掛金を払った割合に応じて反対給付を受けるのはあたりまえだというような、私的保険概念から抜け切らない人が世の中にあるわけです。ところが、技術的に保険計算や何かで保険という言葉を入れた。もとは無拠出でしたいけれども、財源を確保するために掛金をもらった、これは保険概念で組み立てるというところから始まってはおらない。ただ名前は、保険料という名前を使っただけです。ところが、年金制度をやるときに、厚生省年金審議会で、似たような制度だというので、協栄生命の社長さんなんかを年金制度審議会の委員にした。私的保険の人だから、どんなにりっぱな人でも、自分のやっていることが頭の中から抜け切らない。抜け切らないから、答申がそういうことで影響されて、それが妙な間違った概念で進んできてしまった。この委員会のいろんな討論で、もちろん厚生省は歴代の大臣、現在の灘尾厚生大臣も非常に熱心でおられるし、また小山年金局長は、これは最初から手がけて、年金と心中するぐらい必死になっておられるので、非常によくなってはきておりますが、そこの間違いがあるために変なことが起こるわけです。保険料負担能力のない人が、一審貧乏だから年金が一番必要なわけです。ところが、出していないからそっちはやらなくてよろしい、あるいは少なくてよろしいというような、私的保険概念が入ってきてしまった。これは一生懸命直そうとするときに、もちろん予算を伴います。年金は膨大になった、予算をどんどん出してもらわなければならないけれども、予算審査される大蔵省としては、今後財政との総ワクで、もちろん財源というものは作れば作れるものですから、年金のために一年三千億ぐらい出されることは、大蔵省が決心されればたやすくできると思う。けれども、閣議や何かがあって一ぺんにそこまでいけない。予算の総ワクは別にしても、そこでそれを縛るために保険的な概念で縛られるということになると、年金ほんとう所得保障として進展にブレーキがかかる。それで、これは厚生省の主管事項であって、灘尾厚生大臣が閣議できめられることだと思うが、やはりそこでは各省間の折衝があろうと思う。そこで、それをもとにして、大蔵大臣も、幾ら頭のいい方であってもたくさんやったらわからない、年金制度は非常に複雑だから、厚生大臣はおわかりになっても大蔵大臣はおわかりにならないことがある。ただ皆様方の御意見を聞いておられて、それはこれだからだめだというふうに大蔵大臣にがんばられると、ほんとう意味社会保障的な年金の前進がなくなる。そういう点て、谷村さんや岩尾さんも――社会保険という言葉は技術的に取り入れられたものであって、無拠出という概念所得保障を必要とする人のために年金ができた、ただし、財源を確保するために掛金制度をとった、従って民間のような保険会社ではないのだ、従って一番必要な人に年金がいくようにする制度にしなければならないという考え方に立ってわれわれは論議し、厚生省考えていただいておるわけでございまして、今までそういう考えに出たいろいろの改正の部門について相当十分な理解をいただいていることも知っておりますし、大蔵省もよく勉強しておられると思いますけれども、しかしながら、まだまだ間違った保険概念が、これは大蔵省の方のお考えかどうか知らないけれども、閣議のほかの考え方あるいは与党の中の保険業者の考え方というようなことが影響して――大蔵省も保険主義じゃなしに、社会保障主義に徹底されるような態度を完全にとっておられることは私は十分に理解しておる。そういう点で、社会保障主義に徹して年金が前進するように、厚生省が一生懸命やられますので、憲法二十五条の精神に従ってその趣旨を推進されることについては、むしろそれに協力する、ブレーキは一切かけられないようにしていただきたいと思うのです。それについて谷村さんでも岩尾さんでもどちらでもけっこうでありますから、抽象的なことでけっこうでありますから、隊則的な方向として、前向きの御答弁を一つお願いしたいと思います。
  56. 岩尾一

    ○岩尾説明員 先ほど財源等の関係で渋るのではないかというお話がございましたけれども、予算は量と質の問題がございますが、われわれといたしましては、必要なものを財源ということで切るというようなことはやっておりません。将来としてもやるということは考えておりません。  それから先生の御質問の御趣旨は、やはり掛金としてとっておるものを、所得再配分という意味で分配をすべきではないか。もちろん国が負担しております定額といいますか、これは所得再配分という意味から出ているものでございますけれども、別に掛金としてとっているものについても再配分という方向をとるべきではないか、こういう御主張なんですが、現在の年金制度は、定額保険料、定額給付という形になっておりますので、その辺が、今申しましたような再配分の思想を持っていくのが非常にむずかしいのじゃないかと思います。先ほど大臣が非常にいいお話をされまして、国民の感情等も考慮しながらというふうにおっしゃいましたが、実際に当分が掛金を納めておって、そうしてもらう、片方は全然掛金を納めていない、そういう者にも同じように掛金がいくのか、というようなことを言う者もおるかもしれません。そういった全体としての国民感情というものも考慮しなければなりませんし、それから実質上の、そういった所得再配分をやる場合の再配分の基準というものをどこに置いたらいいだろうか、いろいろ先生、御意見がございますと思いますが、せっかくこういうような公的扶助の基準もございますし、現在の年金といたしましては、もう少し高いところに免税の基準を置いておるわけでございまして、そういった点を考慮しながら、今後の方向としては、ちょうど被用者年金におきまして、申されたような年金の再配分という形ができておるわけでございますから、検討はしなくてはならぬ、こう考えております。今すぐというふうにはちょっと御返答しかねます。
  57. 八木一男

    八木(一)委員 抽象的な、原則的なことを申し上げたのですから。そうだから、こうしなかったから来年度予算はこうだ、岩尾さんや谷村さんが約束されたのに、約束違反だ、そういう小じゅうとめみたいなことは言いません。制度の前進のために論議をしているので、警戒をなさらずに一つお答えを願いたいと思います。  今おっしゃったことが、国民感情というようなことで警戒をなさっているわけです。そういうことで、やる気だったら幾らでもできるのです。制度内の所得再配分というものは、ほかにもたくさん例があります。厚生年金保険にもある。国民健康保険なんか大いにそうです。ですから、そういう考え方からいっても、国民年金で被保険者は文句を言うはずはないわけです。ほかにもあるわけです。そういうことを言って、そこまでわかるだけ数理計算など、国民の方々は――これは悪い意味じゃなしに、よい意味でおわかりになりません。ですから、そういうことは心配なさる必要はない。また、もしかりにそのような連帯精神が一切なしに、個人的な、生命保険の契約者みたいな態度の反論があるとしたならば、この部分は、結果的な数理計算はそうなっても、そういう人々の部分には、国庫負担が――もちろん国庫負担はぐんぐん上げなければなりません、国庫負担の上げ力を少なくして、そっちの方の国庫負担をつぎ込めば、ほかの被保険者から金を持ってきたことにならない。それが無拠出であれば当然行なわれなければならない。無拠出であれば国庫負担、それは文句ないと思うのです。そういうことを申し上げておるわけです。無拠出であれば、そういうふうに保険料を払えないような貧しい人たちが、一番所得保障が必要なのにもらえぬという状態になる。逆に、そういう人たちだけに年金がいくということに制度の本質からなる。ところが、保険制度というひん曲がった制度が横から入ってきたために、一番必要な人にいかないで、あるいは少なくて、保険料を十分払えるような、将来余裕のある人には年金がいくという格好に組まれておるわけです。これを直さないと、年金額を上げたという方の効果はあるけれども、本質的に所程保障の必要な人に所得保障をするという一番肝心な目的が曲がってしまっているわけです。国民感情といっても、これは誤った国民感情です。連帯精神の一切ないガリガリ亡者の国民感情、そんなものを考慮する必要はないと思う。ガリガリ亡者が団結して何とか言ったら、国庫負担は直接そういう負担能力のない人に出しているんだから、あなた方の金ではない、国民の金ではありますけれども、あなた方の金だけじゃなしに、社会保障実現する目的を持った、ほかの行政目的を持った金で社会保障の部分につぎ込んだのだから、あなた方の直接の金ではないということで切り返せるわけです。また大体そのような無理解なガリガリ亡者の国民ではない。ですから、その中で直接所得再配分が行なわれている。厚生年金で行なわれておるのに、国民年金の対象者だけがガリガリ亡者ということはないわけです。ですから、そういうような御心配なしに、ほんとうに必要な人に年金がいくというような推進を、厚生省は、灘尾厚生大臣は必ずなさると思う。それに対して大蔵省の方でブレーキをかけられないように――谷村さん、岩尾さんはなさらないと思うけれども、大蔵大臣が全部完全に理解されるとは限りませんから、理解をして厚生省協力するような意味で大蔵大臣にいろいろ協力されて、どんな大蔵大臣にかわってきても、つまらない、保険会計が来たらおかしいじゃないかというようなことを言わないように、大蔵大臣を――失礼な言葉になるかもしれぬが、教育をして、そういうことがスムーズにいくように大蔵省としてやっていただきたいということです。これについて御答弁を……。
  58. 谷村裕

    ○谷村政府委員 どうもさっきから岩尾主計官ばかり返事をして、私、参っておりますのに何も申し上げないのは、はなはだ申しわけないのでありますが、実はこういう問題について、はなはだしろうとでありますので、先ほどから、あるいは厚生大臣、あるいは八木委員のおっしゃられるところを実は感心しながら拝聴いたしておったわけであります。ただ、私しろうとながら考えますが、八木委員は、どうも保険という曲がったものを入れたというふうに言われますけれども、私は別に、保険ということのシステムをとったことが曲がった考え方であるかという店については、必ずしもそうでないという気持を持っております。国民年金を何のために作ったかという場合に、もちろん今御力説になりました点に、将来における社会保障の一番大きな重点があるかと存じますが、同時に、被用者年金から始まりましたわが国のいわゆる年金制度において欠けている、いわゆる被用者でない方々あるいは公的年金制度にあずかっていない、あいている面において、一つの年金のシステムを入れようじゃないかという面もあったと思いますし、そういう意味において皆年金の穴を埋めるというのが、一つの大きな目的であったと思います。そういう、今国民年金という制度が持っております一つの役割、さらにその中において、今八木委員が御指摘になりましたような、本来ならば年金で、あるいは社会保障という形でよく見てやらなければならぬ面が一体どう扱われるかというのは、そういう今の国民年金の全体としての制度の中において考える問題だろうと思います。そういう面で、先ほどから伺っておりまして、決して私ども、ゆがんだ偏見でもって大臣の、たとえば、言葉は悪いのですが、足を引っぱったり口をとめたりするようなことはしないつもりで、むしろ、岩尾主計官も先ほど申しましたが、こういった問題は、今後におけるわが国社会保障制度のあり方として非常に大きな問題でございますから、厚生御当局とも十分意思を通じまして、また各方面の御意見も十分――財政がどうのこうのということも大事でございますけれども、十分耳を傾けまして、今後の進展にいささかでもお役に立つようにしたいと思っております。
  59. 八木一男

    八木(一)委員 今、谷村さんの後段におっしゃった、そういう必要な人に所得保障がいくように厚生省が推進をされた場合に、足を引っぱったりなんかしない、むしろ協力するというような御意見は、非常にけっこうだと思います。そういうふうにしていただきたいと思います。  今、保険のことでちょっと御意見がありましたけれども、谷村さんの考えておられることも僕の考えていることも、あまり変わりない。ただ、保険という言葉がいけないわけです。財政で直接負担できない部分を、拠出制という負担でまかなうことがいけないとは言っていないわけです。それはいいのです。こういうような拠出保険で、政府社会保障の一環としての制度ですから、民間の生命保険みたいな概念とは違うものだ。ただ、そういう金を、直接負担してもらうのと財政を通じた金を入れるということで組んでおる。拠出制という言葉で言うべきであって、保険という言葉で言うべきではないのに、まだ年金制度論議がなかったからそういう言葉がなかったので、民間から保険という言葉をかりてきて、その保険の上に社会をつけて組み合わせた。言葉のごろです。そこで、そういうもと国民の直接負担と一般財政のものを合わして制度を運用するということだけに徹底すれば問題はなかったのですが、保険となるとだれでも生命保険考える。私は十万円の契約に入って、一万円の人の十倍の保険料を払っているのだから、保険をもらうときに私は十万円もらうのはあたりまえだ、一万円の人は十分の一があたりまえじゃないかという、民間の任意保険というような概念が忍び込んでしまった。それが困るのです。社会保障、それの政府の責任を持った実際の実行的な制度である社会保険というものは――まあ、社会保険という言葉が使われておりますので今使いますけれども、これはそうでなしに、あくまでも憲法二十五条の精神に従って社会保障をやる、その実行の手段としての社会保険である。従って、民間の任意保険みたいな、保険料を払った者がたくさんもらうというような思想とは違って、必要な人に必要な給付がいくという思想のもとに組み立てられておる。ただし財源が十分でないので、国の財政と個人の掛金とが組み合わされておる、そういう考え方で処していただきたいということです。ですから、そういう意味社会保険ならば、私は別に反対ではない。ところが、世の中に民間のと混同する人がいます。ですから私は、社会保険という言葉は一切――内容が同じなら別だが、第一段階としてその名前を変えたらいいじゃないか。医療保険なんという名前を医療保障という名前に変えたら、そういう間違った意味ブレーキがなくなるのではないか、そういう意味で申し上げたわけです。谷村さんも同じようなお考え方だと思いますが。ちょっとそれについてもう一回。
  60. 谷村裕

    ○谷村政府委員 どうも非常にしろうとで申しわけないのですが、私は、今の国民年金の建前というものが、たとえば厚生年金保険でありますとか、それからわれわれの共済年金でありますとか、これも、言葉が悪いかもしれませんが、保険というもののシステムの上に乗っかっておりますが、厚生年金とか共済年金という、今私どもの頭の中にあります、そういう建前でやっておりますもののそういう性格も、一部持っておって差しつかえないのじゃないかと実は思っております。もしおっしゃるような意味において、全面的に保障するような意味のものであるとするならば、それはある意味でもう一切の公的年金のベースになるような、全国民が対象になるようなものであるとか、何かそういうことじゃないか。もちろんおっしゃるような意味で、普通の生命保険や何かとはこれは違ってよろしいかと思いますが、どうもこれは、はなはだしろうとで恐縮ですが、全体の姿というものをこれから社会保障のあり方として考えなければならないし、そういう点では小山さんにはいろいろ教えていただかなければならないと思うのですけれども、いろいろベーシックなものがある、その上に、やや社会保険的な形において拠出に応じてあるいはある程度給付も違うというふうな、われわれの共済年金のようなものもあり、あるいはさらに、その上に同じような形で企業年金があります。そこは非常に議論のあるところでありますが、企業年金というような式の上に、今度はわれわれがプライベートな自分の責任においてかけるものもあるという組み立てがある場合に、国民年金というものが一体どこに位置するのかということによっていろいろな議論が出てくると思いますので、今先生のおっしゃったような意味において、保険という名前が入ってきておるのでおかしいというのは、もし生命保険と同じような意味に混同するということであればおかしいと思いますけれども、そうでなくて、あたかも厚生年金、共済年金というものが保険制度もとにしてできておりますが、ある意味においてはそれと並ぶものとして、国民年金というものがあってもおかしくないように私は思います。
  61. 八木一男

    八木(一)委員 谷村さんのお考え方について、賛成ではありませんが、理解はいたします。今多分に分立した制度があるので、そういうことがある。だからそういう考え方が、直ちに払拭できないということはわかります。けれども、これは原則の問題であります。この年金額ともからみ合う問題です。結局、年金額が今の貨幣価値で、単身で一切の制限なしに、しかも七割とか八割とかいうばかな金額ではなくて、五十とか六十とかいう妥当な年令において、少なくとも一人当たり三万なり五万なりというものが保障されるようになれば、これは一人当たり三万なり五万なりの全部一律でいい。そういう制度になれば、奥さんがいれば当然五万のときは十万になる。ところが、残念ながらそういう段階にないということになると、労働者階級の場合は生産手段を持っておらないので――たとえば片方の人は、老齢であってもたばこ屋の店を持っていれば、幾分かの収入がある。それからまた、農地を持っていれば、家族労働であっても幾分かお金が入ってくるというような状態において、定年退職で賃金をもらう場がなくなった場合に、労働者階級は生産手段を持っていないから、より高い所得保障が必要であるという現状があります。従ってベースの年金が少ないために、それに対して幾分社会保険的な賃金比例部分が必要であるという段階が現段階としてはある、そういうような意味だろうと思うが、私はそういう意味ではこれは反対ではありません。しかし、それは今の国家公務員共済組合、地方公務員共済組合、厚生年金保険、そういうようなものとからみ合わせの具体的な御心配から出たものであって、原則としては、さっきから私が申し上げることが妥当だろう。ローマは一日には成りませんから、直ちにそうはならないとしても、一番低いベースの国民年金、あるいはまた、そういうものの概念において、少なくとも原則的な考え方が貫かれなければほんとうの理想の姿には制度は進んでこない。今でも分立して困っているのに、分立して曲がった制度が先に発展してしまって、ほんとう意味国民的に調整しようとしても、やりにくくなるということが起ころうと思う。従って、少なくとも基盤である国民年金においては、さっき言ったような考え方が貫かれねばならないし、またほかの制度においても、そういう考え方で是正をしていかなければならない。具体的な問題としては、定額が非常にふえるということによってそれに近づくわけです。まだほかの点もありますが、そういうような考え方厚生省としてはやっていかれるだろうと私は判断しているわけです。これは厚生大臣の御答弁はまだ伺っておりませんけれども、当然年金制度中心の官庁として考えればそうなっていくべきである。そういうような前向きの御努力に対して、大蔵省の積極的な協力的な御意見を持っていただきたいということです。これについて一つ……。
  62. 谷村裕

    ○谷村政府委員 非常にむずかしい問題で、先ほど厚生大臣から御答弁がありましたように、前提としていろいろ考えなければならない問題が多々あることは、先生がふだん御指摘になっているように、たくさんあるのです。ただ、これを厚生省がどういうふうに今後進められていきますか、私ども、決してこういう大きな問題をもとに戻すような意味ではなくて、できるだけよくなっていただけるような方向において、やはり協力はいたしたいと思います。
  63. 八木一男

    八木(一)委員 厚生省のお気持幾分勝手にそんたくしたところがございます。この点、灘尾先生に大へん失礼だったと思いますけれども、形式的に失礼であっても、実質的には厚生大臣厚生省の関係の方々のお気持とぴたりと合うことを申し上げているつもりでございますので、失礼な点はお許しをいただいて、大蔵省の方も相当十分な理解と御協力をされる態勢が進んでいるようでございますので、厚生大臣としては、今まで熱心に勇敢にやっておられますけれども、ぜひそれ以上に熱心に勇敢にこういう問題を、今申し上げたような原則的な線で進めていただくようにお願いしたいと思いますが、厚生大臣の御感想を願います。
  64. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほど来お答え申し上げた通りでございます。われわれとしましては、日本社会保障制度充実向上、これは前からの念願でございます。国民年金につきましても、前から申し上げておりますように、いろいろ今検討いたしております。できるだけ皆さんの御期待に沿うように努力はいたしたいと存じますが、何さま厚生省として課題が少し多過ぎるくらい多いのであります。逐次これを片づけて参りたい、かようなつもりでおりますので、御了承願いたいと思います。
  65. 八木一男

    八木(一)委員 時間が参りましたので、ごく質問の中の十分の一くらいの中途半端なところで時間切れで残念でありますが、十分に引き続いて質問をさせていただきたいと思います。今厚生大臣に御質問申し上げたうちのごく部分的な点について大蔵省に御意見を求めたので、残りの部分についても、大蔵省に理解していただく必要があろうと思いますので、時間切れのなったのは非常に残念でありますが、今後に質問のときに、できれば大蔵大臣谷村さんと岩尾さんは必ず御出席になっていただくような要望しておきます。質問をあと数十時間留保いたしまして、一応今日のところは、私の質問はこれで終わります。
  66. 小沢辰男

    ○小沢(辰)委員長代理 本会議散会まで休憩いたします。    午後一時五十一分休憩      ――――◇―――――    午後三時二十一分開議
  67. 中野四郎

    中野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続けます。淺沼享子君。
  68. 淺沼享子

    ○淺沼委員 私は、ただいま議題となりました児童扶養手当法の一部を改正する法律案につきまして、お尋ねいたします。  まず最初に、この手当法はことしの一月一日から施行されているわけでありますが、現在までの施行状況はどのようになっておりますか、お尋ねいたします。
  69. 黒木利克

    ○黒木政府委員 本年の一月一日から実施をいたしておりますが、三月十六日現在で、各都道府県におきまする児童扶養手当の認定請求書の受付の状況を調査いたしましたから、その数字を申し上げたいと思います。  御承知のように、三十六年度予算の見込みでは、七万四千九百三十一件あるであろうという想定のもと予算化ができておりますが、三月十六日現在の県の受付状態は、全国で七万一千三百六十四件でございます。そのうち約半数が認定済みだと思いますが、具体的に証書を交付したということは、まだ各県から報告が参っておりません。しかし、大体予定通り順調に事務が進んでおるものと考えます。
  70. 淺沼享子

    ○淺沼委員 児童扶養手当法成立にあたりまして、本委員会において附帯決議がつけられました。第一には、政府は、本制度の実施にあたっては、その原因のいかんを問わず、父と生計を同じくしていないすべての児童を対象として、児童扶養手当を支給すること、第二には、政府は、児童手当または家族手当につき、世界各国が施行している現状を検討し、社会保障の建前に立って実施するよう努力すべきである、以上二点の附帯決議が付されておりますが、この改正案によりますと、ほんのわずかの給付額の増加と支給緩和に終わっておりまして、附帯決議の精神とはほど遠く、私たちが希望し、全国の対象者が期待しているような改善とは申せません。厚生大臣はこの国会決議をどういう形で実現するように努力されていらっしゃいますか、お尋ねいたします。
  71. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 附帯決議の問題で御指摘になりました第一点でございますが、政府としましては、この法律の施行にあたりまして、附帯決議の御趣旨を体して、あらゆる児童に適用するという趣旨でもってやっておるつもりでございます。いりいろ支給に関する条件その他の問題は別といたしまして、対象といたしましては、国民年金の、いわゆる母子福祉年金に該当しない同様の条件にある児童に対しましては、この手当を支給するという考えでやっておるつもりでございます。  それから第二の問題は、実はしばしば御質問を伺っておるわけでございますが、いわゆる児童手当あるいは家族給付、こういうような言葉で呼ばれております制度につきましては、これは社会保障の中でも一つの大きな部門をなすものと考えるのでございます。この問題につきましては、国会の方からも御熱心な御要望がございますし、また、中央児童福祉審議会等におきましても、この実現要望しておられるような状況でございます。われわれといたしましても、国際的な例のILO百二号条約の関係から申しましても、日本としましてまだ整っていないこの方面のことについて、検討をする必要があると痛感しております。ただ問題は、非常に広範にわたる関係問題もございますので、また、その考え方につきましてもいろいろ問題がございます。各国制度について見ましても、必ずしも同じ形にはなっておらないように思うのでございますが、政府といたしましては、この問題につきまして、基本的な問題についていろいろ検討を加え、なるべく早く成案を得たいというつもりで、今日検討中と申し上げざるを得ないのはまことに遺憾でございますけれども、さような段階にあるわけであります。決しておろそかにいたしておるわけじゃございません。
  72. 淺沼享子

    ○淺沼委員 次に、改正案内容についてございますが、所得制度を十五万円まで引き上げたことは、福祉年金所得制限緩和に合わせられたのだと思いますが、母子家庭等が置かれておる状況を見ますと、所得による支給要件をもっと緩和すべきであると思います。また、この改正案による額は、どういう基準で立てられているのかわかりませんが、非常に低額でありまして、物価の上昇等を考えますと、とうてい子供の福祉の増進をはかることはできません。それと関連して、他の公的年金給付との併給が受けられないのはきわめて不合理でございます。たとえば労働災害で死亡して、災害保険遺族補償を受けた子供についても、当然支給されるようにすべきではないでしょうか。これは国民年金における母子年金同様改善をすべきと思いますが、政府はこのことについてどのようにお考えになっておられますか、お伺いいたします。
  73. 黒木利克

    ○黒木政府委員 御指摘のように、本人の所得制限が十五万円に今回の改正でなったのでございますが、これは国民年金に従ったのでございます。国民年金によりますと、市町村民税の寡婦の免税点を基礎にされておるようでございますが、御承知のように、私の方のは国民年金のいわば補完的な制度でございますから、国民年金のこの問題についての改善がありました場合に、これに従うというような考えでおります。なお来年は、この寡婦に関する市町民税の免税点を十七万円にしたいというようなことで、法律案を今御審議になっておるようでございますから、この法律が通りました暁におきましては、またそれに応じた改正をやりたいと存じております。  それから併給の問題でございますが、この制度の発足の当時の建前が、何らか他の所得保障があれば遠慮してもらうというような趣旨から出発したものでございますから、今日のような併給しないという建前になっておりますが、しかし国民年金におきまして併給の道が開けましたことでもあり、将来検討して参りたいと存じております。
  74. 淺沼享子

    ○淺沼委員 私は、附帯決議の第二項は、世界的普遍性に立った社会保障、具体的に言いますと、ILOの基準が示すような児童手当または家族手当を、社会保障の建前に立って実施することを言っているものと理解しております。申すまでもなく、貧乏は生活を脅かし、病気や無知という社会悪の原因ともなるものでありまして、特に母子世帯の救済は重要であります。現在世界的に、社会保険から社会保障へという言葉で広く用いられており、ILO自身も、社会保障の促進は国家の固有の機能であると、社会保障制度の重要性をうたっております。ILO百二号条約、社会保障の最低基準に関する条約は、ILO社会保険関係諸条約の総合的なものとして確立されたもので、現在日本の各方面からその批准が要望されております。政府所得倍増を掲げ、社会保障制度充実をうたう限り、批准を妨げる関係国内法の改正をやるとか、制度改善するとかして批准し、世界のレベルまで引き上げるべきが当然と思いますが、厚生大臣はいかに考えられますか、その決意をお伺いいたします。  また、大臣は、さきの国会で大原委員質問に、日本の児童手当制度は百二号の最低基準に欠けているので、中央児童福祉審議会で特別の部門を設けて検討をお願いしているとお答えになっていらっしゃいますが、その後どうなっておるのでございましょうか。
  75. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お答えいたします。  ILO百二号条約は、社会保障制度各部門につきまして最低の基準を示したものと承知しておるのでございます。日本社会保障制度も、おかげさまでだんだんと進歩して参りましたが、ILO条約の示しております基準に合致しないものが相当あるのでございます。中には、あの基準以上に出ているところもございますし、今お話に上がっておりました児童手当のごとく、まだ日本にはあれにふさわしいような制度を持たない、こういうような部面もございます。いずれにいたしましても、しかし私どもの考えといたしましては、社会保障制度整備充実ということを大きな目標として考えておる次第でございますので、経済の発展、国力の充実、あるいは国家財政の強化ないしは国民負担能力の増強と  いうようなこととにらみ合わせまして、漸次この制度改善し、充実して参りまして、また、足らざるものにつきましてはこれを補っていく心がまえでもって進んで参りたいと存じておる次第でございます。  ただ、社会保障制度も、国際的な視野において見なければならぬ要素がございますし、同時にまた、それぞれの国の国情ということもございますので、かれこれ勘案いたしまして、日本に適した社会保障制度を逐次完備して参りたい、こういう考え方もとにいろいろ検討いたしておるところでございます。  なお、児童手当制度の問題につきましては、かつて中央児童福祉審議会から、すみやかにそのような制度を設けるようにという要望がありましたことは先ほど申し上げました。政府としましても、これを整える必要を感じまして、いよいよその制度を作るとすればどういうふうなものを作ったらよろしいか、こういう意味合いにおきまして、現に児童福祉審議会に児童手当部会を設けまして、そこで各方面からいろいろ検討をしていただいておるわけでございます。問題が関係するところが非常に大きい問題のように考えますので、この成案を得るにつきましては、いろいろと検討を要するものがたくさんあるようであります。急いで作らなければならぬという心持と同時に、一面におきましては慎重に考えまして、りっぱな制度を作り上げていくようにいたしたい、こういうつもりで諮問機関の御検討を願い、また、当局においていろいろ勉強さしていただいておるのが現段階でございますので、さように御了承をいただきたいと存じます。
  76. 淺沼享子

    ○淺沼委員 最後に、児童福祉全般について厚生大臣のお考えをお伺いいたします。  昭和二十二年に児童福祉法ができ、二十六年には社会の構成員としての児童の保育指導、そのための環境整備をうたった児童憲章が採択され、その内容はりっぱでございますが、制度内容はまだまだ低く、厚生省みずから認められておられるように、ILO百二号の最低基準さえ満たしていないほど日本の児童保護はおくれております。私は、児童の保育指導は、国が責任をもって知的にも、肉体的にも健全に育てる責任を負っていると考えます。そのための環境整備として保育所の完備、乳児の場合が特に必要になっております。また、私は、児童福祉の理念に基づいて、乳幼児にミルクを支給することは、保育、健康の増進等から見ても重要で、必要なことだと考えますが、大臣のお考え厚生省の方針を承りたいと思います。
  77. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 子供は国の宝と申しますが、子供を大切に育てていかなければならぬということは、だれしも考えるところだと思うのでございます。さような意味におきまして、日本の児童福祉に関する諸施策も次第に発展をして参った。往年を考えますれば、近来はかなり進んできたとは思います。しかし、決して私どもとしては、これでは完全とは考えておりません。厚生省におりながら、みずからその足らざるところが多いことを痛感いたしておる次第でございます。今後ともに努力いたしまして、各般の制度について整備を進めて参りたいと思うわけでございます。妊娠中の妊婦の方の手当が不完全であれば、いい子供さんが生まれない。その辺から一つ考えますと、子供さんが大きくなっていくまでに、健全に育つようにいろいろな施策を講じて参らなければなりませんが、あまりにも現在欠けているところが多いことを、質的にもまた量的にも考えさせられるわけでございますので、皆様方の御協力を得まして、一そうこれが推進をはかって参りたいと存じます。  また、保育所についての質問でございましたが、仰せの通り、保育所の中でもまだ比較的おくれて出て参りました乳児保育の施設は、非常に重要なものと私どもも考えますので、これにつきましても今後さらに拡充発展をいたしたいと存じます。  また、乳幼児にミルクを飲ますというお話、私どもも、乳幼児のときに健全に育てていくということが何よりも大事だと思いますので、その趣旨におきましては、すべての乳幼児が安全なミルクを飲むことができるような事態を望んでおります。ただ、なかなかこれは、実行する上から申しますとむずかしい点もあろうかと思います。すなわちミルクの生産量の問題もございましょうし、あるいはまた、保健衛生上の見地からの問題もございましょうし、あるいはまた、その流通過程の問題もございましょうし、すべて何もかも国でやっていくというふうにかりに考えましても、実際問題とすれば、いろいろ問題が残っておるわけでございますが、国の財政の関係もあれば、生産量の関係もある、そういう点で理想に向かって進んでいくということについては、私ども今後大いに検討いたしたいと存じますが、現状においては、なかなか思うにまかせないのが実情でございます。しかし、御趣旨につきましては、私どもも決して異論はございません。さようなことになれば非常に仕合わせだと存じます。
  78. 淺沼享子

    ○淺沼委員 どうもありがうございました。
  79. 中野四郎

  80. 本島百合子

    ○本島委員 本日は、私ちょっとからだが悪いから、やめようと思っておったのですが、時間があるそうで、また他の機会に譲らしてもらう点もあると思いますが、簡単にお尋ねいたします。  先ほど淺沼委員から申されました児童手当制度というものについて、過般の国会におきまして質問いたしましたときに、現在の児童扶養手当というような立場でなく、児童手当という制度の方がより進んでおるから、そういう方向づけを考えてみる、こういう御答弁があったわけでございます。今御答弁を聞いておりましたが、はっきりした方向づけというものがうかがい取れなかったわけでありますので、そうした点をもう一度聞かせていただきたいのです。ということは子供の問題については、やはり国がある程度生産率も高まり、経済の成長率も高いという、こういう状態に置かれたときにこそ、児童に対して、何といいますか、まんべんなく児童憲章にのっとって子供の福祉というものがはかられていかなければならない、こういうことはだれもが考えておるわけなんですが、実際面においては、この児童憲章すら空文になっておるというのが現在の状況なのです。そうして今回改正になります面から見ましても、たとえば女の人たちに育てられた子供、おばあ様にしてもお姉様にしても、そういう人たちの子供の場合は考えられるが、おじい様や兄さんたちに育てられている子供、こういうものは別扱いになっている。そうすると、子供の社会から見ると、現実の面から見ますと、そういうおじい様だとか男兄弟に育てられているような子供の数は少ないかもしれないが、現実の問題から見ると、非常に逆境にあるということが言えるわけです。間々捨て子をするような場合においても、その統計から見て、男の場合が多いわけなんです。そういう点から考えて、やはり子供に対しては、ある所得制限もとにおいて無差別平等にこうした手当というものを支給してほしい、こういうことがいわれておるわけです。それが多少でもあれば捨てていくような人はないだろう、こういうわけで、金額の多寡は別といたしましても、こうした一歩前進の形における今回の改正というような場合に、特にこれが考慮されなかったその理由というようなことを開かせていただきたいと思います。
  81. 黒木利克

    ○黒木政府委員 ただいま御質問がございましたが、実は子供を養育しておる祖父母あるいはおじとかおばも受納の対象に該当する場合があるのでございます。附帯決議の趣旨に沿いまして、できるだけ範囲を広げようというようなことで、運用上も非常に広い対象を考えておる次第でございます。
  82. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 現存行なわれております児童扶養手当制度が、いわゆる児輩手出制度というふうなもののところまで至っていないということは、前々から実は申し上げているわけでございます。ILO条約等で規定しております児童手当の制度につきましては、これは皆様も御承知のように、国によりましていろいろな制度もあるようでございます。その制度を創設いたしました目的、趣旨等につきましても、必ずしも同様とも言いかねる点もあるようにも思うのでございます。わが国といたしましては、これはこれからの問題というふうに私どもも考えておりますので、現在日本といたしまして、どういう趣旨の、どういう建前の制度を作るべきか、あるいはどういう形の制度を作るべきかというようないろいろな問題につきまして、自由な立場からいろいろ検討していただいておるようなわけでございます。申すまでもなく、根本は、子供が大切である、子供の健全な育成をはかっていかなくちゃならぬというところにあると存じますが、御承知のように、最近の日本の出生率もだんだんと減って参っておりますだけに、生まれました子供さんはますます大事になってくるということにもなりますので、一そうこの種の制度の必要を感ぜしめるものがあるわけでございます。また、家族制度等につきましても、だんだんと社会の変化に伴いまして様子も変わって参っておりますので、そういう意味合いにおきましても、子供さんを育てるために必要なこの種の制度をわれわれは考えざるを得ない。あるいはまた、賃金制度等も変わって参っておるようなわけでございますので、それに即応しての手当制度というふうなものも考えなければならぬ。関連して考えなければならぬ問題がたくさんございますし、児童手当制度だけで片づかないものも私はあるように思うのでございます。そういったいろいろな事項につきまして十分検討をとげまして、堅実な制度として発足したいということで、私とも将来――将来と申しましても、十年も二十年も先というふうなことを考えておるわけではございませんが、十分検討した上で、これを実現に移したい、かように考えておる次第でございます。
  83. 本島百合子

    ○本島委員 前の古井厚生大臣のときも、大体今の御答弁のようなことを言われたわけなのですが、子供の問題ということは、いろいろの意味において、今大臣が言われるように、根本的に立て直してみなければならないのじゃないかということは、だれもが考えているわけです。といって、きめ手がないのだ、こういうことが言われるのですが、このきめ手というのは、やはり所得のある程度の限度というものを設けて、それ以下の子供たちに対しては、それ以上の子供たちと同額に引き上げていく、同額といって、生活の暮らし方、それから教育の仕方、そういう点なんかの目標というものが当然出てくるのじゃないか、こう思うわけなのです。今回の改正によりましても、所得制限の額とか手当の額の引き上げということは、母子福祉年金の引き上げの額に合わせてなされたようになっていると思います。そうすると、それじゃ、こういう考え方でいくことならば、国民福祉年金に吸収してしまって複雑にしないでもいいんじゃないかというような気もしてくるわけなんですが、こういう点はどうなんでしょうか。多少違うという点があるのかないのか。この児童扶養手当の方がよりいいんだというような点がございましょうか。
  84. 黒木利克

    ○黒木政府委員 御承知のように、この児童扶養手当は、国民年金で漏れたものを補完的な意味で埋めようというような趣旨でスタートしたわけでございます。なぜ、では生別の母子が国民年金の対象にならないかと申しますと、こういう生別というような、離婚というようなことを保険事故と申しますか、保険で取り上げるという例が他国にもございませんし、また、適当でなかろうというようなことで、国民年金からはずれたわけでございます。従いまして、保険というよりもむしろ扶助的な性格の立法の体系で解決しようということで、この児童扶養手当ができたんだと承知いたしております。  それからこの手当の給付の額が、国民年金と比べてできるだけ国民年金に準ずるようにはいたしておりますが、御案内のように、母子福祉年金は母子を対象にしておりますが、児童扶養手当の方は児童本位に考えております。従って、この手当の給付におきましても、国民年令の母子年金につきましては、母子の生活をある程度保障しようという意味で千円になっておりますが、この児童扶養手当は、児童だけでございますから、八百円にしたわけでございます。しかし、第二子以後になりますと問題がやはり変わって参りまして、できるだけ国民年金と同額にして参りたいという意味と、それからもう一つは、第一子と第二子の間にあまり開きをつけたくないというような趣旨で、第二子以後は国民年金と同額にする。これは結局第一子と第二子とが、開きがだんだん狭くなるというような趣旨で、こういうようなきめ方をしたわけでございます。そのほかの条件は、全く国民年金と同一でございます。
  85. 本島百合子

    ○本島委員 だから、そこの最初の基準をやはり同額に合わせていただく。子供一人というのは、あなた方は子供を育てていらっしゃるからおわかりになると思うのですが、なかなか大へんな金がかかるものです。金をかけないで、そこらあたりに野放しにして育てる場合は別ですが、少なくともちょっとした家庭の暮らしということを考えていくと、特に生別母子世帯なんかにあっても、あるいはまた、未亡人世帯の家庭にあっても、普通よりは恩恵をかけてやらなければならないと思う。たとえば就労の場合においても、働き手であるお母さんたちが、まともな職業を与えられるという家庭ではないのです。そうすれば、当然その子供の教育というものはハンディが出てくるわけなんです。特に最近は、厚生大臣はかつて文部大臣をやられておったので御承知通りですが、非常に高等学校の進学率が高まってきておって、私の近所の学校でも、今までは中卒でもって職場につくという児童数の方が多かったのです。ところが、それが昨年、ことしになるとぐっと変わりまして、大体八割程度がもう高校に行く、こういわれる。二割程度あるいは二割未満のわずかの子供たちが中卒で働いているわけなんです。その子供たちの家庭の調査をしてみれば、これにひっかかってくるような子供たちはそういう家庭に多いわけです。そうすると、この社会に巣立っていく瞬間から――今まで育ってきた間に夫があればこんな苦しみがなかったのにと思える、その夫がなく、また父親がなくて苦しんできて、また社会に出て生産年令に達するときは、ほかの、よりよい家庭の暮らしの方よりは先に働いていかなければならぬ、こういう矛盾があるわけでありますから、これはやはり児童一人々々に幾らというふうにきめていくべきじゃないか。第一子、第二子、第三子と分けて、金額に差をつけてトータルでこれこれになって、それで年金と合いますと言うのじゃ、政府・与党といいますか、子供に対する大きな考え方をもってやると言われるその言葉に比較して、あまりにも差があるのじゃないか、こういうふうにわれわれには受け取れるわけなんです。一歩前進であっても、この前進がこそくな手段で行なわれているというような気がするわけです。そういう点で、たとえばそれを、一子も二子もという全体をトータルして考えて、年金と合わしてみたときにはどのくらいの予算が必要となるか、現在の予算よりどれだけ増額しなければならないのか、そのために財政措置としてできなかったのだろうから、そういう点はどの程度になっておりますか。
  86. 黒木利克

    ○黒木政府委員 実は財政問題というよりも、むしろ国民年金の例にならったというところが真相でございます。各国の事例を見ましても、児童が多くなるに従って、たとえば第三子になりますとむしろ額を高めるというような国もございます。これは人口政策的な意味もあるかと思いますが、そういうふうに子供が多くなればなるほど給付額がふえるという国と、それから一子、二子とも全く同額にする国と、わが国のようにだんだん児童の数が増加するにつれまして生活費が低減する、たとえば住宅費とか光熱費とか、共通のものがございますから、そういうような意味で生活費が低減するであろうというので漸減をするというようなやり方と、いろいろあるのでございます。そこで、これは将来の児童手当の立案にも参考になると思いまして、来年度予算で児童養育費調査というのをやりまして、実際に子供の養育費がどれだけかかるか、一子の場合、二子の場合、あるいは男の子の場合、女の子の場合、いろいろな場合を考えまして調査をいたしまして、その結果に基づきまして検討して参りたいと考えております。
  87. 本島百合子

    ○本島委員 そこで、子供だけの問題で考えていった場合にも一つの矛盾が出てきますが、母子といって総合してみた場合、こういう場合にも矛盾が出てくるわけです。ですから、国民年金でいう母子世帯、本法でいう生別母子世帯、こういう法律的用語から考えても、何か統一されていない、ばらばらのような感じがする。そういうような点、また、給付率なんかの点等を考えてみて、母子世帯対策ということで一本化していかれないものかどうか、そういう総合的な母子福祉法というようなものでもあって、それがすべて調整されて一本化されたもので、その中にすべてが含まれてくるというようになれば、現在のある程度の矛盾というものも解消されていくのではなかろうか。そこで全国未亡人会等は、ぜひこの母子福祉法案を制定してほしいという要望もあるわけですが、こういう点については従来からのいきさつでどういうふうにお考えになり、なおかつ、どういうふうに持っていこうかという腹案でもおありになりましたら聞かせて下さい。
  88. 黒木利克

    ○黒木政府委員 実はこの児童扶養手当なりあるいは国民年金の建前では、親母だけでなしに、子供を養っております祖父母なり、いわゆる養育者というものが入っておるのでございます。そこで、現在のように養育者を含める場合には、母子だけを切り離してやるということも無理ではなかろうか。しかし御意見のように、母子の場合だけを中心にして、何か総合的な立法を作るということも考えられるのでございまして、たとえば母子福祉の貸付の立法なり、あるいは国民年金の母子年金、あるいはこの児童手当なり、一本にしまして母子福祉の総合立法を作るということも考え得ると思います。しかし、この問題は、現に児童手当の法案審議をいたしておりまして、この児童手当の立案の過程におきまして、その他のいろいろな立法との調整をどうするかということで、専門の先生方にいろいろ御意見を伺って、結論を出して参りたいと存じております。
  89. 本島百合子

    ○本島委員 今御答弁にありましたように、児童だけを単位として、考える場合、あるいは母子として考える場合、こういう立場の違いで相当違ってくると思うわけです。そこで私どもは、でき得るならば今回こういう改正案が出たわけですから、児童なら児童に一本しぼって、それならば児童手当ということで、扶養手当という形ではなく、児童というものを一つの人格者として認め、そしてその子供たちがよりょく育っていくための施策というふうに考えてみたい、こう思うわけなんです。しかし、残念ながら今言われる通りにばらばらにきておりますから、当然ばらばらになっていくわけでしょうが、将来また母子福祉法を作れということにもなってくる、そうした場合においては、こうしたものがもう複雑多岐にわたらないように、そしてしかも現行法よりはより進んだ方法ということになるのじゃないか、これは私ども婦人として特に願っておるわけなんです。ですから、そういう場合におきますところの役所側の立場としては、一応未亡人会もありますし、また、特にこういう問題と取り組んでいる研究団体もあるわけですが、そういうところと懇談を重ねられて、そして最も納得がいき、また支給方法等も、現行法よりはよりよくなるという目安の上に立っての改正なり新しい法律の制定、こういうことになってくるんだと思いますが、そういうふうな点については、今までにはどういう団体等との話し合いがあったのか、また、なければ全然なかったというふうにお答え願いたい。
  90. 黒木利克

    ○黒木政府委員 実は母子福祉法の立案につきましては、いろいろ未亡人の団体から御要望がございまして、検討をいたしておるところでございます。御承知のように、母子の保健衛生の問題もございまして、母子衛生と母子福祉と一本にするか、あるいは母子衛生、母子保健、母子福祉別々にするか、その辺いろいろの案を今検討いたしておるのでありますが、そこにもってきて実はこの児童手当の問題が起きまして、一体これらの調整をどうしたらいいか、検討中という段階でございます。なお、民社党の方では、児童手当法案というものをお作りになりまして御成案がおありのようでございますから、それも検討さしていただきたいと思います。
  91. 本島百合子

    ○本島委員 先ほどお答えがなかったようですが、たとえば、御答弁の中で言われたように、一子と二子の差額を設けて、今回の場合は少し差が下がってくるわけですね、これを下げないでいった場合、そして現在大体予算上どの程度増額があるならば平等にいけるか、その数字はございますでしょうか。
  92. 黒木利克

    ○黒木政府委員 その計算はいたしたことはございませんが、直ちに計算をいたしまして、あとでまたお答えを申し上げたいと思います。
  93. 本島百合子

    ○本島委員 こういう点については、特に私ども差を設けるということが、何としても忍びない点があるのです。子供が多くなればその暮らしの中で割合安上がりだということを言う人があるわけですが、最近では逆で、安上がりじゃなく、よけいかかるわけです。そうすれば、当然子供を多くかかえておるような、こうした特定の子供さんたちというものは、やはり自分の希望するような教育の機会均等も与えられない。たとえば就労した場合におきましても、何となく自分の生涯というものを暗く感じていく、こういうことになりますので、でき得る限り子供に対しては平等無差別だ、そうして国がある限度においてはもう絶対見てやるのだ、国にまかせなさい、子供は国の花束なんだ、将来の日本を背員うものなんだから、こういうくらいに大みえを切って、ばんとこうやってもらいたいというのが私どもの異常なる熱望なんですが、そういう線に向かって一つ厚生大臣にも今後の御勘考をお願いするわけであります。  それから国民年金の問題についてお尋ねしてよろしゅうございますか、また日にちを改めれば――私もきょうは気分が悪いものですから、できれば次の機会にさしてもらいたいと思っております。ただ、国民年金の問題では、この間からの質疑応答の中で、ある程度私どもも現況というものがわかって参ったわけですが、私が本会議で、やはり国民健康保険と同じように年金所得格差をつけていただこうか、一律に百円、百五十円という形でなくて、所得比例にしたらどうか、こういうことを尋ねたわけです。そうすると、その場合においてば、それはなかなか技術的にむずかしい、だからできないのだ、こういう御答弁であったのです。ところが、現実にはこの年金をかけるというものは、税金以外の税金みたいなものでして、非常にやはり多額になってきて、掛金をかけるのに困難を来たしておる。それは国民健康保険も支払っていかなければならぬ、こちらもかけていかなければならぬ、税金は税金で別個の形でとられる、教育は教育でとられる、こういう格好になっておりますから、そういう負担というものが非常に大きく重なってきておりまして、地方の財政の豊かでない公共団体等では徴収率が悪いなんというような声も出ておるようですが、こういう点はやはり改正をするというような考え方には立たれないものかどうか、この前、本会議のときは、むずかしいとおっしゃったのですけれども。
  94. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 いわゆる保険料の取り方にいろいろの種類といいますか、所得に比例した取り方と、それから均一な保険料方式でやる、こういうのとがあるわけでございます。国民年金の方は、御承知のように均一保険料の方式をとっておるわけでございますが、これにはこれとしての理由があって、そういうことになっておるのだと私は思いますけれども、しかし、これで必ずしも固定的に考える必要もないのじゃないか、今後の状況によりましては、この保険料の取り方等についてもさらにまた検討してもよろしいのじゃないか、こう思うのでございますが、この法律の発足にあたりましては、保険料をとります上におきましての実態並びに便宜というようなところから、こういうふうになってきておると私も聞いておるわけでございますが、必ずしもいつまでもこれでなければならぬということもないと存じます。十分検討に値する問題だとは存じております。全体を通じまして、国民年金保険料であるとか、国民保険保険料であるとかいうものが重いじゃないか、こういうふうな御感想であったようにも思うのでございますが、この問題につきましては、私どもとしましても、第一に国民所得を上げていくということを考えなければなるまい。そうして国民所得が上がって参りますれば、保険料の料率につきましても、従来重く感じておったものも比較的そう感じないで済むということにもなるわけでございます。それが政府として考えるべき一番大きな点ではなかろうかと思います。同時に、現実に過重の負担になって、そのために非常に生活する上においても困難をするというようなことでありますれば、これまた別の考え方をしていかなければならぬということも、これは当然なことだと思っております。まあ簡単に言えば、保険料率を上げるか国庫負担を増すかというような問題に帰着するかと思うのでございます。どちらをとるかということはなかなかむずかしい問題でございますが、われわれとしましては、低所得の階層の人たちに過重な負担をかけて、そしてわずかばかりの保険給付をしていくというふうな制度で満足するわけには参らぬ、所得の増大をはかるかたわら、国の財政収入もふえて参ることでありますので、国の負担の増加という問題につきましても、政府としては十分検討すべき問題であると考えておるわけであります。
  95. 本島百合子

    ○本島委員 物価スライドのことがうたわれているわけですが、昨年からことしにかけての物価が非常に高騰した場合、こういう場合に給付率を変えるとかいうように考えられませんでしょうか。当時の御答弁では、まだ改革するほどまでに至っていない、それから近き将来に非常な高騰があった場合には考えてみてもいい、こういう答弁があったわけです。そうすると、ことしあたりは、ずいぶん物価の上がり率が目に見えて高くなっておりますね。たとえば、物によっては十割以上といいますけれども、それは特定なものにしても、平均五割から六割近く上がってきておる。こういうことになってくれば、福祉年金の場合におきましても、現在の額が妥当でないというふうに考えられるわけですね。そういう点はどうなんでしょうか。この程度の物価騰貴くらいでは、まだまだというところなんでしょうか。どの程度までいったら変えられるのかということをお尋ねいたします。
  96. 黒木利克

    ○黒木政府委員 実は私の方の児童扶養手当の額の八百円というのは、先ほど申し上げましたように、国民年金の千円から均衡上割り出したのでございます。ではその千円はどうやってきまったのかということでございますが、いろいろ調べてみますと、社会保障制度審議会でいろいろ御審議になったときに、この無拠出年金の力で、二千円くらい月になければ年金の体をなさぬだろうというような論議がございました。しかし、いろいろ財政上の都合その他から、半分の千円でスタートしたらということになったように承知いたしております。そのようなわけで、制度の発足早々でもございますし、いろいろなほかの施策との関連もございますから、まあこれで一つ腰だめですべり出してみようじゃないかということだと思うのであります。従いまして、本格的なこういう児童手当なり年金の、いわゆる完全年金と申しますか、そういった額から見ましたら非常にほど遠いのでございますが、物価にスライドする問題も、やはりそういうような完全年金と申しますか、年金で食えるという額を想定いたしまして、それにだんだん近づけるようにということが第一の目的であって、そういうことになって初めて物価にスライドするという問題が起きてくるのじゃなかろうか。まだ制度の過渡期でございますから、そういうような意味で、できるだけ機会あるごとに給付の引き上げをやりたいということで努力を続けて参りたいと思います。
  97. 本島百合子

    ○本島委員 最近は私鉄の運賃も上がってくるし、公共料金が上がれば他の物価も引き上がってくるということは、今までの例から見ればわかるわけでありますから、ことしは昨年から比べればかなり上がるであろう。これは経済企画庁でも、消費者価格は昨年よりは上がるであろう、こう言っておるのですから、そういった場合において、いかにも千円では小づかい銭でも駄賃程度でございまして、これではどうにもならない、こう思うわけでございます。従って、ことしの予算に間に合わなくても、もう近く来年度予算の編成の大綱がきまってくるだろうから、その場合において、何とかこれを、社会保障審議会で二千円くらいといわれた程度くらいに上げられないものか。それを倍にすることによって国庫の負担率が大きくなるなら、それがどの程度に大きくなるのか。それから老人の年齢等を調べてみまして、給付される年齢ですね。現在七十才以上、こうなっておりますが、やはりこういう年金というものを厚生年金と合わしてもらえないか。厚生年金もともと掛金が高い、従って支給率も高くなって多くなる、こういう答弁だったのです。そうすると、たとえばこれは一律で払っていくのでありますから、百円百五十円でいく、こういう格好で拠出年金者でも三千五百円、こうなるわけですから、それならばやはり厚生年金と同じに、所得比例に基づいて計算をして支給額をふやす、また支給年令をもっと下げる、こういう形にしていけば、今日生命保険にかかっている人は、死んだときということで考えているわけですが、少なくとも老後の保障のある一端を受け持ってくるということになれば、まだまだ国民年金よりは厚生年金の方がいいわけですから、少なくともその線に合わせてやってほしい、こういう要望を強くしたわけですが、そういう点はどうなんでしょうか。
  98. 黒木利克

    ○黒木政府委員 児童扶養手当なら手当の範囲内で、私の所管の範囲内でお答えしたいと思いますが、実は年金額を千円にいたしまして児童手当を実施した場合、民社党の案で試算をしてみたのでありますが、これによりますと、所得制限を民社党の案では一応月額五万円ということでやっておられますが、それにしても三千三百億円基本給付だけでかかります。これに民社党の案のように、旅行手当とかあるいは栄養補給の手当とか、そういうものを加えますと、三千五、六百億円になるのであります。従いまして、厚生省の全体の予算をつぎ込まなければ民社党の案ができないというようなことで、結局は児童の対象がこの案によりますと二千九百万人でございますから、全児童を対象にするのでなくて、たとえば第二子に制限するとか第三子にするとか、そういう制限をしたり、あるいは所得制限をもっと強化したり、そういうようなことで何らかの調整をしないと、現実にはなかなか実現はむずかしいのではないかというふうに感ずるのであります。従いまして、対象を広げれば手当の額は少額にならざるを得ないし、対象をしぼればある程度手当の額は加わる。その辺の均衡をどうしたらよいか、その辺に問題があるように感じます。
  99. 本島百合子

    ○本島委員 所得比例にしていって、低額所得層に対しては現在の百円、百五十円をもっと下げていって、そして高額所得層に対しては多少これを上げるという形で、厚生年金と同じ率になっていかないか、そういうことですが、それは操作上むずかしくてできないのでしょうか。
  100. 小山進次郎

    小山政府委員 国民年金所得比例にするかしないかという問題は、かねがね申し上げておるように、一つの大きい基本的な問題点であるわけです。この点については、私ども当局側としては、どちらかと申しますと、時期を見たならばそれに移して参りたい、こういう考えを持っているわけであります。しかし、これについてはまた別に、現在の内閣社会保障制度審議会年金全体について総合調整の議論をしておりますけれども、そこでの議論の大勢は、どちらかといいますと、あるいは先生方にとって意外な感じを持たれると思うのでありますが、国民年金は、将来ともに現在のフラット制のままにしていく方が適当ではないかという議論が非常に強いのでございます。そういう考え方を持っております根拠になっておりますのは、すべての年金制度について、国民年金と同じものをそれぞれ制度の底に置く、従って厚生年金におけるフラッ卜部分というのは、国民年金と同じ程度のものにしていく。同様に、国家公務員の年金とかその他の年金においてもそういうふうにしていく。その部分には国庫負担を相当多く入れて、社会保障的な色彩も非常に強いものを考えていく。その上に、それぞれの制度独自のものとして、それぞれの人々が拠出したものを上に積み上げてやっていく、こういうようなことを考えておるようであります。ただし、この点についてはいろいろ将来とも議論があり得るわけでありまして、国民年金というものをそういうふうなものにするかしないかということについては、十分論議をして参りたい、こういう考えであります。  それからもう一つ、かりに所得比例に移していくという場合の議論でも、あるいはそこまでの議論にしますと、先生方のお考えになっているのと政府が現在いろいろ検討しておりますものとの間に若干の開きが出て参ると思いますが、それは先生方は、保険料所得比例でする、年金は、場合によっては納めた保険料の多寡を考えないで同じ額にしていく、そうすると所得再配分の程度が非常に強くなって、これこそ社会保障年金としてりっぱなものだ、こういうお考えもとになっているわけでございます。ところが、実際問題として、医療の場合は別でありますけれども、年金の場合に、明らかに損になるとわかっているようなものが一つの制度の中で半分近くなるような年金制度というものは、実際として成り立たぬわけでございます。医療でありますと、いつだれがどういう病気になるかということについては、いわば同じチャンスがあるわけでございます。その場合に要ります医療費の額というものは、病気の性質によってきまってくる。金持ちだからたくさん医療費が要って、貧乏人ならば少なくて済むというものではなくて、だれでも同じだけ要る。そういうものでありますがために、ある程度たくさん出してもらってということが成り立つわけであります。ところが、年金の方はそう参らぬわけでありまして、かねがね申し上げているように、老齢年金についていえば、大体二十才で制度に入った人のうちで、女の人でありますと八割ぐらいは必ず老齢年金を受けるわけであります。そうすると、そういう人々が単純に貯金しておいたものに比べてはるかに少ない老齢年金しかもらえないということになると、これは実際問題として、制度として成り立たぬわけでございます。そこにおのずから所得再配分の程度というものに一つの限度が考えられる。そういう限度の範囲内において、所律再配分の程度を強くする年金国民年金を発展させていくということについては、もう先ほど来くどくど申し上げているように、私ども先生方と全く同じ気持ていろいろな案を調整し、検討している、こういう事情でございます。
  101. 本島百合子

    ○本島委員 これで私、もう終わりたいと思いますが、ただ皆年金といい、皆保険といい、こういう点で社会保障という一つの形が生まれてきた、けれども国民に魅力がないということ、この点は一様に言えると思うのです。低額所得層でお金を納められない方々にすれば高過ぎるし、納められる者にすれば安過ぎる、今度は、給付率が低過ぎる、それじゃどうしようもない、全く中途半端な感じ方というのが、この国民年金にはあると思うのです。ですから、そういう点にもうちょっと工夫をして、魅力を持たせ得るような形に、今御説明があったように二段がまえでもいいからやれないか。これは私の希望ですよ。うちの党でそういっているわけじゃないのですが、そういう形にするのは――今保険等に勧誘されて、入っている人たちは九割近いだろうと思うのです。この金は莫大な金なんです。生命保険会社の財産というものはばんばんふえていくといわれるのですが、さて年金の面になってくると、額のわずかなことでごてごてしていて、どうも魅力がなくてばからしいような気がする。これでは、せっかく私ども皆保険を叫んできた者も、一まつのさびしさを感ずるわけです。そういう観点に立って、何とか一挙に――発足したばかりで、あまり経験年数がないからどうということはできないでしょうが、三年ぐらいたったら、思い切ってやはり魅力を持たせ得るような形のものをわっと打ち出していただけないか、そうしてできるだけ厚生年金とこういう国民年金との差を設けない、どちらにいっても大体同じだ、こういうようなうまみが出てくれば、私はもっと国民理解もふえてくる、こう思うわけなんですが、そういう点、一括してでけっこうでございますが、大臣の所信を聞かしてもらって、私、また統計等については、日にちをあらためて御質問いたします。
  102. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民年金にもっと魅力をつけろという御意見につきましては、私もその通りだと思うのであります。われわれも、そういうつもりで制度改善をはかっていかなければなるまいと思います。この制度ができましてまだ日もたたぬことであります。おそらくいろいろな社会保障関係の制度の中では、これほどひんぱんに改正をしている制度は実はないのではないか、それも何とかできるだけの努力をして改善して、皆さん方の御理解を得たい、こういうつもりでやっているわけであります。それにしましても、現状はあまり魅力的ではないという御批判でございます。この問題につきましては、たとえば年金給付の引き上げというふうな問題についても、遠からざるうちに政府としての考え方も出さなければならぬ段階にきているかと思います。だんだんそういうふうにして改善に誠意を持って当たっておりますれば、自然また御理解もいただけるのではないか、かように考えている次第でありますが、いずれにしましても、現在の国民年金の実質というものにつきましては、制度はなるほど一応できたけれども、内容的に見てまだ完備していないということは、われわれも認めざるを得ないのであります。御協力をいただきまして、漸次改善の方向に向かって努力したいと存ずる次第であります。
  103. 中野四郎

    中野委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は明二十八日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後四時三十六分散会