○御手洗
公述人 現在のわが国の
選挙の実情は、はなはだ公明を欠いて、議院
民主政治をあるいは危うくするのではないかというような状態にまでなっておるということは、おそらく皆様もお認めのことと存じます。それがために
政府は
選挙制度審議会という異例の
審議会を設けられ、総理大臣みずから率先してぜひ
法律を
改正したいというような熱意をお示しになり、ここに
改正案をお出しになったことと存じますが、一体今日の
選挙の公明を欠くようになった原因は何か、私は一言にして申しますと、まだ
国民の間に民主主義という
考え方が徹底していないのだ、それがために
選挙がかように乱れておるのだと
考えますがゆえに、
根本は
国民の啓発運動、精神教育にある、人心の刷新にあると存じます。それがなければ幾ら
法律、
制度を改めてみましたところで、これは百年河清を待つもので、とうてい実効を上げがたいと思いますが、しかし人心の一新などということは、これは申してみれば、病気にたとえれば漢方流の長期の服薬でなければなかなかなおらない。それでは長期の服薬療法を待てるのか、今日の状態は私はそれを待てない状態だと思います。そこで、まあまあ多少の副作用がありましても、頓服薬を用いて早くなおさなければいけない、そういう事態が今日のありさまだと思うのであります。そのためには、やはり
法律、
制度の
改正が大事でありまして、その
法律、
制度といたしましても、なまぬるい
改正ではなかなか今日の症状はなおりにくい、こう
考えます。
政府の
改正原案を拝見いたしますと、かなり意を用いておいでになることは私も了承をいたします。今日よく申されますように、
選挙費の届出なんて、あれはうそ八百だ、みんなうそを
承知で出しているのだ、こういう点も今度はかなり実際に近いように改められる、あるいは驚くことは、政党が
選挙告示があって後は
選挙活動がはなはだ自由でない、よく総裁や
委員長などが自党の
候補者を推薦されて告発されたりなどするような奇妙なことが起こっておりますが、まことに不思議なことなんです。どうしてこういうことが今日まで放任されたか。これらのことが今度は改められておりますし、あるいはさまざまな
形式犯などわずらわしいものも今度は大いに改められておる。その他あげますと七、八十項目にわたって、確かに今度のは従来の
選挙法改正に比べて相当進歩しておることは認めます。しかし私が冒頭にあげましたような、今日の
選挙の症状を十分に治療するということがちょっとむずかしいのじゃないか、一番肝心なことが忘れられ、あるいは置き去られておる、かように
考えるのであります。
島上さんからお出しになりました
修正案は、この
原案に比べますとはるかに対症療法としては有効なものである、私はこの島上
修正案を決して満足とは申しません、私
どもから申しますとまだまだ不十分な点が多いのでありますが、しかし
政府原案よりはよほど効力がある、かように思いますので、不満足ながら、でき得れば
修正案の線において
国会が御決定になってはいかがであろうか、それが
国民の望むところのように私には
考えられます。
以下、その
理由を申し述べます。
一番肝心な点、病源に向かって薬が投ぜられていないという第一点を申し上げますと、申すまでもなく今日の
選挙界における第一の欠陥は、
候補者と、
候補者の味方になっております
選挙運動員、特にその首脳者との間における不明朗な取引があり、それが巧妙な
選挙運動によって大体において隠蔽されることができる、そういう方向だと思います。そこに
連座制というようなはなはだおもしろくない
法律が生まれ――これは私ともも
連座制なんというようなものが決して文明国にふさわしいものとは
考えません。できれば一日も早くかような野蛮な
法律というものはなくなった方がいいと思いますが、現状やむを得ずそういうものが用いられた、こう思っております。
最近の
選挙界、
皆さんその方のくろうとでいらっしゃるから、私が説明するまでもないと思いますが、まず
候補者に及ぶ責任といたしましては、
総括主宰者、会計の責任者、これがこの
法律に定められた一定限度以上の悪質な、
選挙法に触れたもので、犯罪が確定いたしますと、
候補者に累が及ぶ、こういうことでありますが、しかし今日の
選挙の実情を見ますと、表に届け出た
総括主宰者と会計の責任者、これと実際にやった者とが同一人であるということはあまりないようであります。これは全然別の人が隠れたところにおってやっておるのであります。従ってその人がかりに検挙されまして、相当の犯罪が発覚しましても、事実上は
候補者には及ばない、それが当選者である場合にもその人には及ばない、かような抜け道が用意されております。
さらにはなはだしいのは、最近数回の
選挙に傾向が顕著になりましたことは、
家族をしてさようなことを行なわしめる。他人の
総括主宰者あるいは会計責任者のほかに
家族――妻、両親あるいは兄弟、子供といったようなものに大金を与えて、これが実際の
買収をやり、膨大な
選挙違反を起こしておるということは明らかなことで、これはすでに検挙され、裁判にもなっておる事実がたくさんあるから指摘することをやめておきますが、かようなことが最近流行になりつつあるように見えます。
これらの点から
考えまして、
連座制というようなことは好ましくはありませんけれ
ども、その傾向に対してこれを牽制する、ブレーキをかけるということが
選挙の実際から見て必要ではないか、いや必要だと信じます。といたしますれば、その
連座制の対象を、実際の総括主催者あるいは実際の会計責任者及びそれと同じようなことをやった
家族にまで及ぼすということは、現状いたし方がないのじゃないか。悪いことだという人もあります。確かにそうでありましょう。しかし
法律というものは、これは抽象論で、仮空の事実に基づいて作るものではない。いつの時代、どこの国におきましても、事実に基づいて、それが社会的に大いなる弊害を及ぼすというような場合に初めて
法律の規制が行なわれる、これは
法律の建前でありましょう。その点から見まして、今日の
選挙界において隠れたる
総括主宰者、会計責任者あるいは一
選挙区全部でなくとも相当な広い
範囲にわたって実際の
選挙運動をやり、また悪質
選挙をやった人々あるいは
家族、これらの人々にその
連座の
制度を拡充するということは必要やむを得ない処置ではないか、かように思います。
しかるに、この点について
政府原案を見ますと、それはよろしくないことであるという建前をおとりになったと見えまして、第二百五十一条の二の四号において、これには
家族に対する
連座制は五つのしぼりがかけられておる。御
承知の通りであります。同居の
家族であって、意思を通じて、悪質の
選挙犯罪であって、禁固以上の刑に処せられて、しかも執行猶予のつかない者、こういう五つのしぼりがかけられておりますが、これではたして
連座の
目的が達せられるかどうか、私は達せられないと思います。達せられない証拠として
一つのことを申し上げますが、同居しておるという条件に対して、これは親子で別居するのは今日はすでに流行であります。ほとんどの家庭では親子は、相当の年令になれば別居しております。これはすでにのがれます。また、意思を通じてと申しますが、この点にはいろいろな
議論もありましょうけれ
ども、かなりむずかしい判別ではないか。第三には、禁固以上の刑に処せられ、またそれが執行猶予がつかなかったものだけが
連座の対象と申しますけれ
ども、しからばこの数字はいかがでありましょうか。昭和三十三年の総
選挙において、懲役刑に処せられた者は百五人なんです。そのうち執行猶予の恩典に浴した者が百三人、しからば二人だけが
連座の対象になるにすぎません。百五人のうちの二人であります。禁固に処せられた者は十二人、このうち執行猶予の恩典のあった者は十一人、
連座の対象になる者といえばたった一人です。三十四年の参議院の
選挙においては、懲役に処せられた者九十八人、このうち執行猶予は九十七人、禁固に処せられた者は二十九人、このうち執行猶予に処せられた者が二十九人、全員であります。これは全然
連座の対象にも何にもならないのであります。これを合計いたしまして九九・八%までがのがれるということになるのでありますが、こういう条件がつけられて、はたして
連座制をこれに適用するという意義が成り立ちましょうか。私はそんなことはないと思います。この点
一つを
考えましても、
連座が
家族の上にも、あるいは隠れたる
総括主宰者にも必要であるとしまするならば、かような条件は取り除くのが当然ではないか、かように
考えるわけであります。
またその次の問題、右様の君たちが
選挙の悪質犯罪が確定いたしましたならば、今度の案によりますと、これはさらに
検事がそれから公訴を起こして失格裁判をやるのだ、こういうことになっておりますが、
検事が公訴して一体事実役に立ちましょうか。今日までの実例を見ますと、
選挙裁判はまずごく短いものでも初審が二年、普通三年かかっております。それが控訴、最高裁判所への上告、これらのものを通算いたしますと、よほど早いもので五年。六年、七年は普通であります。六、七年たって悪質犯罪が確定をする。その上で
検事が訴えを起こす。これを最短二年と見ましても、まず七年から八年、ときには十年くらいはかかるのではないでしょうか。十年間に、一体
最初の犯罪の
連座の対象になった当選者の身分はどうなりましょうか。その間に衆議院の場合は二度、三度あるいは五回くらいの
選挙が行なわれる。これではたして刑の
目的を達し得られましょうか。これは私
どもはナンセンスであると思います。かようなことはやはり
常識をもって現実の事態を見詰めて
改正をはかった方がよろしいように思います。
この問題については、先ほどの
公述人のお話にもありましたように、憲法違反の疑いが確かにあります。学者の中にも違憲であるとの説が少なくないことは私も
承知いたしております。しかしまた一方、権威ある憲法学者の中に違憲にあらずとする説も少なくない。現に
選挙制度審議会の中におられます憲法、
政治学の権威である人々、たとえば矢部貞治博士あるいは宮沢俊義博士あるいは田上穣治博士、これらの人々はいずれも
日本の憲法学の権威でありますが、限定されたる場合にはさような疑いはなくなる、こういう説をとっておられます。第三十一条あるいは第三十二条などに触れるという疑いでありましょうけれ
ども、これはやはりさようなことは、学者の一部にそういう説があるからといって、それだけをとるということはいかがでありましょうか。
ことに、私はさらに指摘いたしたいことは、本法第二百五十一条を見ますと、
総括主宰者や会計の責任者が悪質犯罪を犯したときには、
候補者は自動的にそれに
連座するということになっております。現に、現在の
公職選挙法に自動的に
連座の対象になるという規定が設けられておるのでありまして、これな
ども、この自動失格ということが行なわれてもおかしくないという
理由になりはしないか。さらに
改正案の
政府原案を拝見いたしますと、
公務員が同じ
公務員をやめた人の
選挙運動をやった場合には、その犯罪に対しては
連座する、そしてこれは失格するとはっきりと書かれております。これは
政府原案にあるのでありますが、この事実もまた、悪質犯罪を犯した人々が、犯罪が最終判決で確定した場合には、自動的に
連座失格しても差しつかえないという論拠になるような気がいたします。もっと手近なことを申しますと、近ごろの交通犯罪などに、やはり街頭で犯罪を犯した者はその場でチケットを渡して処罰をするということが論ぜられ、あるいは雇い主にも
連座せしめる。明らかに第三者の過失であるか、故意か、何か交通犯罪を犯した場合に、雇い主がそれに
連座する、これも今
法律になろうかという
議論が起こっておるくらい――まだなっておりませんが、これらのことを
考えますと、それに比べてはるかに重い
選挙上のこういう犯罪に対して
候補者が
連座する、そしてその結果が自動的に責任を負うということは、きわめて
常識的ではないか、現状やむを得ないのではないか、決して好むことではありませんが、私はさように
考えます。
また第二の点、
高級公務員の立
候補の問題でありますが、これも御
承知の通りであります。今日の参議院
全国区の
選挙の状態を見ますと、
国民の利害に直接結びついた高い地位にある
公務員が
選挙のたびごとに立
候補する。そうして、かつてあった地位と権力を利用して事前にさまざまな運動をやっておる。立
候補後でももちろんでありますが、そうして旧同僚、部下の人々がこれに対して応援をし、助力をいたしておる。これによって毎回多くの人々が当選しておる事実は、何人も否定できないことだと思います。今日までの実績を見ますと、最高のときは十三人、近来は八人ないし十二人の当選者を毎回出しておる。現在、各省の局長あるいは公共事業の局長に匹敵するような身分の人、それらより以上の人で、さような状態で当選している人が十六人もあります。しかしてそのポストは大体一定しつつある。ある省の次官あるいは局長あるいはある公団の
理事、専務
理事、常務
理事というようなものは、毎回ある一人の人が退職して参
議員全国区の
選挙に出て当選する。そうすると、次のポストの人が、次の三年後の
選挙にまたそこに出ていく。次々にさようなことをして、六年間の任期を務めていくということが自動化しつつあります。ある見方をいたしますれば、これらの官職は参議院
全国区
議員の職務を世襲化しつつある、かように申してもいいのではないか。こういう
議員は、私
ども戦前には勅選
議員というものを存じておりますが、私は、勅選
議員滅びて特選
議員始まる、こう申したいのであります。かような状態において、はたして
国民の
選挙権、
政治に対する
国民の主権というものは確保されるのであろうか。国家の公器、国家の権力、これらのものを利用して――私は悪用とは申しませんが、少なくとも利用でしょう。そうしてその地位を獲得し、しかもその間に公費を使う旅行すらも少なくないのでありますから、
国民は二重、三重にこれらの人によって
政治参与権を奪われておる、少なくとも踏みにじられておる、かように
考えます。これは
金銭による
買収選挙よりもっと悪質だろうと思う。金を出して
選挙運動を汚すという人は、みずからの努力によって、みずからの損失においてやるのですが、こういう
公務員によって行なわれる悪質
選挙は、国家の公器、国家の権力を使うのであって、これは二重、三重の
国民に対する犯罪であろうかと
考えます。それがいかに
国民の権利を侵し、
国民に悪い影響を与えておるかということは一々述べませんけれ
ども、聞くところによれば、近ごろ、ごく近いときに、自衛隊のある有力な幕僚長が職を辞して、そうして与党から参議院
全国区に立
候補するという意思を発表しておられますが、実にけしからぬことだ、許せない。どうお
考えになりますか。もしさようなことが慣例になって自衛隊の幹部が引き続き、今申したような例に従って
全国区
議員に立
候補するというようなことになりました場合、元の上長と部下との
関係、これによって自衛隊はどういう地位になりましょうか。私
どもは、自衛隊が健全に成長して、ほんとうに
国民のものとならなければいけないと思って、及ばずながら日夜苦心いたしておりますが、そのような不心得者が出て、それを有力な政党が支持するというようなことになりますと、自衛隊はもう崩壊するのではないか、少なくとも精神的に
国民からそむかれるのではないか、かようなことを憂えます。これは余談でありますけれ
ども、今日の参議院
全国区における官僚のばっこというものはそこまできておる。かような事態に対してきびしい
制限を加えるということは、私はぜひとも必要ではないか。これは国を憂える余りさように申すのであります。
この問題についても、憲法違反であるとの
議論がずいぶん行なわれております。もちろん学者の中には
二つの見解が分かれておりますが、私
どもの
承知している
範囲において、先ほどあげたような
選挙制度審議会の委員であられる学者諸君は、ことごとく違憲にあらずとの説をとっておられます。また法制局の中にも、違憲論を否定する人が少なくないことも
承知いたしております。もちろん、憲法第十四条の法のもとの平等、二十二条における職業選択の自由、これらに触れる若干の疑いがないとは私も申しません。しかし、この憲法二十二条にいたしましても、ただし書がついております。「公共の福祉に反しない限り、」という条件がついておるのであります。
高級公務員が国家の地位、公権を利用して
選挙運動をやるというようなこと、しかして今日のような弊害を起こしておるときに、これは公共の利益に反しないかどうか、
議論の余地はありません。この条件を
考えまするならば、憲法二十二条が無条件に適用されて、この人々を擁護するということには、はなはだ異論があるであろうと私は思うのであります。それどころではありません。知事、市長など、地方の団体の首長は、やはり自分が任期中に辞表を出して、次の
選挙に立
候補することを禁じられております。これはケースに若干の相違はありますけれ
ども、しかし職業の自由を奪われておることは同様でありましょう。それだけではありません。まだあります。国家
公務員法第百三条の第二項を見ますと、こう掲げられております。すべての
公務員は離職後二年間は、その離職前五年間の職業と密接な
関係にあった職につくことは禁ぜられる、こういうことがある。すべての
公務員は、離職後一定の期間は就職の
制限が現にあるのであります。このことを、
高級公務員が
議員に立
候補する場合に適用してどうしていけないでありましょうか。その他、時間がないから飛びますが、人事院規則十四条以下、これらのものを調べてみますと、ことごとく国家
公務員、地方
公務員を問わず、退職後の就職には相当の
制限があるのです。こういうことを
考えまして、弊害のはなはだしい
高級公務員に対して一定の
制限を加えるのは当然でありましょう。この
原案を拝見いたしますと、立
候補は自由である、しかしさような不都合な
選挙を発見したならば厳重に処罰する、また
公務員はさような
選挙に携わってはならない、こういうようなことが
政府原案に書かれておりますが、これは一体役に立つでしょうか、冷静に御判断を願いたい。過去の例から見て、さようなものが役に立つということはまず百に
一つあるかなし、大部分はのがれることは目に見えておるであろうと思います。従ってこの件に関しましてはやはり
修正案の線において、国家
公務員の立
候補には相当なきびしい
制限条件を付するということが必要であろうと思います。
政治献金、
寄付金の問題でありますが、政界、
選挙界の腐敗の根源が第一に金にあることはもはや申すまでもありません。これは各国共通の悩みで、アメリカのごときも多年これに悩んで、一九五一年の連邦法で新しく
制限を設けて、すべて政党及び
政治家に対する
献金は、いかなる名目であることとを問わず
献金者は
個人に限る、あらゆる団体の
献金を禁じ、しかもその額も一年間一人の
献金限度額を五千ドル、
一つの政党が一年間に受け得る
献金は三百万ドルという
制限を連邦法で規定いたしております。これらのことは、直ちに私はこれをまねろと申すのではありませんが、そのくらいきびしくしないと、民主主義の発達したアメリカでも弊害に困ったくらいである。イギリスな
ども同様であります。これらのことから、私は
政治献金というものは厳重に
制限すべきであり、できれば
個人に限る、かように
考えるのでありますけれ
ども、まあ頓服薬を与えて、これが劇薬の量を越して致死量に達してはいけませんから、この辺多少の妥協をいたします。やはりこれも島上
修正、案の
程度において、国家と利益その他請負等特別の契約
関係を持つ会社その他の団体だけは
政治献金を禁ずる、こういうことが妥当であろうと思うのです。これは前進妥協の
意味でありまして、私は
根本的には、やはりいつかのときに
個人に限るというようにしなければならないと思います。
政府案では実際において私は役に立たぬことを信じます。何となれば、
政治献金と
選挙の
献金とどこで区別するでありましょうか。
政府原案によりまするというと、当該
選挙に関して
寄付することはいけない、こういうことになっておりますが、これが当該
選挙の
寄付であったか、その人の
政治活動の基金であったか、あるいは政党に対する
献金などに至ってはもっとあいまいになるのでありましょう。これらのことを
考えますと、これは弊害の中心に向かってメスを入れていない。弊害のわきの方に持っていってメスを多少振り回した
程度であって、実際の役には立たない。骨のかたわらに腐った部分があるのに、皮膚をちょっと削ったぐらいでお茶を濁すといったようなことが、この
政治献金の
政府案の規制ではないか、かように思います。
特にこの場合
皆さんの御注意に訴えたいことは、私の今右に申しましたような点は、わが国の現在における世論がほとんど一致しておる点だということであります。もちろん反対の
意見のあることを私も
承知いたしております。現にこの
公聴会にも多くの反対の陳述者がおいでになっておるので、これを疑うことはできません。しかし世間にいわゆる世論として認められておるものはどうであるか、世論調査があまりこの問題で行なわれておりませんけれ
ども、国策研究会という団体があります。この団体が昨年、朝野の有識者に対してアンケートをとっております。皆様の中にもお受け取りになった方があるだろうと思う。
政治家、学者あるいは言論人、財界人、地方の指導者、これらの人々に
選挙法改正についてのアンケートをとっておりますが、その答えを申し上げます。
高級公務員の
全国区立
候補について賛否いかん。これに対しては、禁止が百八十四に対して禁止反対が二人、百八十四対二で
高級公務員の立
候補を禁ずることには賛成があるのであります。また特定の
寄付を禁止することがよいか悪いか、禁止すべしという者が二百四に対して、禁止する必要なしとする者が八人であります。一般的な
選挙資金の
寄付、これを禁止すべきかどうであるかということに対しましては、百五十六の禁止説に対して、禁止する必要なしという者が三十七人であります。
連座制をさらに強化し
家族にまで及ぼすことがよいか悪いか、それがよいという者は百八十七人に対して、すべからずとする人が二十人であります。どの項目を取り上げましても、圧倒的多数で私
どもの申し上げたことに
日本の識者は賛成をいたしております。この回答の中には、衆参両院の
議員諸公の回答も含まれていることをつけ加えておきますが、この一点を見ましても、世論がどちらに向かっておるかということは明らかではないかと思う。
さらに申し上げたい。つい先般、
政府の委託を受けております中央調査社が、やはりこの問題について世論調査をいたしました。これに対して、罰則はどうだという問いに、罰則が軽過ぎるという者が全体の五五・四%、重過ぎるという者が一・九%であります。五五対二といった比率で罰則を厳重にすべしという世論、違反を減少させるためにはどうすべきかという問いに対しては、
法律を
改正すべしという者三九・九%、
現行法で規制すべしという者が一八・六%、どの一項をとってみましても、現状よりゆるくせよ、現状でよろしいというものは全くないのであります。すべてがもっときびしくやらなければいけない、こういうことになっております。
さらにつけ加えますが、
日本国中の日刊新聞をごらんになれば、いろいろな説が載っておりますけれ
ども、その社説において、島上
修正案の基礎になっております
選挙制度審議会の
原案、
答申案、これに反対の社説を私は一社も見たことはございません。もし私の寡聞でありましたならばお教えいただきたい。全部の新聞、北海道から鹿児島に至るまで、
日本国中の新聞の社説は繰り返し繰り返し
選挙制度審議会の
原案を支持、賛成いたしておる。この一事をもって見ましても、今日、国論がどちらを向いておるかということは明らかであろうかと思います。これらの
理由によりまして、私はぜひ本
委員会において十分な御
審議の上、最低線として島上
修正案をもって御決定になりたいという希望を持っております。
もう
一つつけ加えますけれ
ども、かような
改正によって一体だれが利益を得るのでありましょうか。もちろん危険に瀕した
民主政治が救われ、
国民が最終的に
政治的に得をすることは申すまでもありませんけれ
ども、一番
最初に一番多くの利益を得るのは正しい
議員諸公ではないのでしょうか。
皆さんお困りになっていませんか。(拍手)
選挙のたびごとに
皆さんの御同僚、私
ども懇意な人がたくさんおりますが、実に憂うつな顔をしておられる。それは申すまでもなく
選挙資金の収集のためでありましょうが、かようなことがいつまで続くのでしょうか。おそらく私の
承知しております限りの
国会議員諸公は、みなりっぱな紳士であります。決して悪いことはなさる人ではありません。その人々がどうしてああいうことをするのか、それは自衛上やむを得ない、自衛権の発動でありましょうが、自分がやらなければ相手方がやる。また
皆さんの中には、正しい
選挙をおやりになったために、相手方の無法な
選挙によって落選の悲運を味わわれた方もお見受けすると二、三おありのようでありますが、はなはだ失礼でありますけれ
ども、もしあなた方がそういう場合に相手に負けない悪質
選挙をやられたならば、おそらく落選されるようなことはなかったのじゃないかと思う。これらのことを
考えるにつけて、これはみんなが一斉にやりさえすれば
選挙は改まる。一斉にスタートするためには、この
改正案に
一つ十分な御検討を加えられて、良心の発動をもって、この
国民共同の大事な
法律案をりっぱなものに改めていただきたい。これが私の申し上げる
意見の大部分であります。失礼しました。(拍手)