○小川(豊)
委員 一、二点お尋ねしますが、尊敬する
上塚先生が長い間移民のことについて御努力を願ったわけですが、今度おそらく世界にも類例がないだろうと思う集団帰国というようなこういう事態が起ったということは、これは移民史上にちょっと類例のないことじゃないか。従って、先生のような非常に長い間この問題で努力なさってこられた方にとっては、感概無量な点もあるだろうと思うのです。そこで、私どもここで考えなければならぬ点は、なぜ一体こういう事態が起こったのか、それからこの起こった事態をどう処理するのか、それから今後の移民行政というものはどう立てていくべきかというようなことが、やはりこの問題の焦点になってこなければならぬと思うのです。
そこでもう各
委員の
方々からいろいろ
質問があり、
お答えもあったので大体わかっているわけなんですが、ただ
一つ私どもに割り切れないのは、先般ここへ来て帰国された
方々が言われたことと、それからきょう
政府の
移住局並びに農林省の
方々あるいは
調査に渡られた
中田さんですか、こういう
方々の御答弁の中でも、まだ食い違いは多々ある。たとえば
土地の問題からいっても、そちらから出てきたのは、全くいい
土地であるという
写真がある。片一方から出てきたのは
石ころだけの
土地である。けれども真実というのは
一つしかないんですね、二つはないんです。だからよかったのか悪かったのかどちらかしかない。それが雲泥の差というか、片一方は
石ころだらけの
土地である、片一方は全くいい
土地であると言う、こういう事態が出てくるところに私は問題があるんじゃないか。ことに私どもとしては、往々民間同士は利害
関係というのがありますからこれは全くそごする場合があると思うのです。しかし、
移住局にしてもあるいは農林省にしても、これは役所です。これは
日本の機関です。しかも
日本の移民政策というものを強力に推進する最高の
移住局という機関ですから、ここの言うことに
うそ偽りがあるはずはないので、私どもがここで期待したのは、今までできたことについて、こういう事態になったことについて、
調査にも落度があったか、これは私は当然あったと思うのです。というのは、今までお聞きしておっても、この募集から移民までの期間が非常に短かったですね。それから
現地調査について、その
調査の期間も
調査の方法についても、十分な用意も時間も持ち得なかったということは、これは中出さんの答弁でわかります。それから、
移住してから日常であるとかコロニアであるとか、これは自営と管理農業との相違ということになってくるのでしょうが、この点についても非常に相違がある。けれどもそういう点より私は問題は、移民をするというからには、今までの私どもの記憶しておる移民というのは、
適地の選定というものに対してと同時に、その受け入れ態勢の整備、
検討というものにまず十分な
調査が行なわれるというか、配慮が行なわれていくわけです。それから、今度はそれにいく職業、これは農業とは限りません。この場合には農業といいましょうか。その
現地における農業、いわゆる職業としての農業の訓練というものを十分になされなければ、これは成功するはずがないのです。なされなければならなかった。そればかりではなく、資金から資材の準備もしていかなければならない。さらに、私は、
移住後の指導というものもなされなければ、当然なし得ないだろうと思う。こういうことをなさるのが、私は
移住局の任務じゃないかと思う。にもかかわらず、今までの御答弁では、この点は遺憾ながら私どもは、ああいう局としてよくそこまでやった、そこまでやってもこういう事態になったのだから、これはまあ全く不幸なことであったとは言い切れない点があるわけです。私はその点において
調査が十分でなかったということを認めざるを得ない。
そこで、今までのものを要約してみると、
移住局長の
お話をちょっとさっきメモしたのによると、やはり戦後
移住の弱さが積み重ねられてこういう結果になったということであるし、それから農林省の振興局は、もっと慎重かつ親切にやるべきであったと反省しているという御答弁に要約できると思うのです。ここで問題は、先日からずっと気を配って聞いていると、どうもあなた方役人の方には、その責任をこうだといえば、あとこの悲惨な事実に対して責任はお前さんの方にあるのだというので押えつけられるのじゃないかという点にばかり頭がいって、事態を正視するという考え方がいささか乏しかったのじゃないかと思う。この間も
移住局長は、
ドミニカへ行く行く先は本人が決定するのだから、私の方の責任ではないというようなことを言われた。これは速記に出ていますが、たとえば九州へ行くなら九州へ行くということを決定するのは私です。切符を買うのは私です。その場合に行く先を決定したのは私だけれども、汽車が転覆した責任は切符を買った私にあるわけじゃないでしょう。それと同じことですね。こういう事態になったというこの事実ですよ、大ぜいの人が私財を売り払って希望を抱いて
向こうへ渡って、しかも悲惨な状態で帰らざるを得なかったというこの事実を、われわれはもっとお互いに直視して、これを今後どうするかという、ここに持っていかなかったならば、これは幾らやっていたところが、最後になったらば、またもう一回
向こうへ行って石があったかなかったか見てこなければどっちかわからないというような結果になる。冗談ではないのです。この問題については、私はどうしてこういう事態を生じたかということを、もっと謙虚な気持で突き詰めてみる。
それから、私はあなたの方にもまだもう
一つ疑問があるんだが、どうしてもだめだから帰国をするように取り計らったんだ、どうしてもだめだ、本人たちがだめだから帰りたい、帰りたいからというだけであなたは
判断するはずはないわけで、それには客観的な、これではとてもだめだという
一つの事実がやはりあったから、これは帰国を取り計らうことになったんだと思うが、その点もまだ明確に出ておらないのです。けれども、それよりも、これよりも、帰られた
方々、あなたの方では二、三日前何百万か必要だと言われた。これは問題だと思うのです。お気の毒なことは事実だが、じゃそのままけっこうだと言った場合に、今度は、今外国へ出て苦労している人たちが、それじゃおれらも帰った方がいいと言う心配もなきにしもあらず。そういうことも政治としては配慮しなければならぬということも私は認めるけれども、同時に、この人たちの更生の道を開くということも、これはあなた方の責任ばかりでなくて、お互いにわれわれの責任でもなければならないと私は思う。と同時に、今後の
移住行政といいますか、移民行政といいますか、これを一体どうするか。ここに私は大きな欠陥があると思う。欠陥があるからここでこういうような議論が行なわれているのであって、再び今後こういうことを繰り返さないために、私はもっとこの問題について
検討もしてみたいと思うのですけれども、しかし、いかに
検討しても、要は今後の移民行政をどうするか。これでいいはずはないんだから、今後どうするかということ、ここに帰着してくるわけです。ところが、その問題に触れたいと思って、きょう時間をいただいて触れたいと思ったんですが、この問題を重視して農林水産
委員会でも取り上げられるということになると、ここで軽々に結論を出して、今度農林水産
委員会とここの
決算委員会の結論が食い違ったとなったら、これまたわれわれ目も当てられないものになってくるので、そこで農林水産
委員会の経過を見ながら、十分に農林水産
委員会とも打ち合わせもして、この事態の解決に当たりたいと思うのです。
そこで、最後に一言私はあなたにお尋ねしたいと思う。実は
中田技官には十分にお聞きしたいと思ったんですけれども、これは西村さんその他皆さんがお聞き下さったからやめまして、
移住に対する最高の責任者としてあなたにお尋ねしたいのは、責任の問題に融れるんでなくて、今後こういう事態が起こらないようにするために、
調査ももちろん十分にしなければならないこともわかります。
調査だけではなくして、その後における送ってからの指導や、そういうものに対してあなたの方にも欠けるところがあったんではないかということを考えるんです。そういうことに対して、あなたの方は欠けるところはなかった
——欠けるところがあったと言うと責任問題が出るんじゃないかと思う。ここで私はあなたの責任を言うんでなくて、今後の移民行政をどうするかという点から、あなたに率直にそういう点での
意見を伺いたい。