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久保参考人 私
どもネイバ地区の場合は、この写真にもありますように、こういうみじめな
耕地の
状態でございまして、このことにつきましては、今まで報道もされましたし、私
ども、
請願書、
嘆願書を通じてその事実の通り申し上げておりますように、
最後には
家族が食っていくことさえできないというような、食べものも作れないというような
土地条件であったというのが、今回の私
ども帰国を請願いたしました
——昨年三月以来ですけれ
ども、その
最大原因、根本的な問題はここにあるのでございます。
それで、ついせんだって五日の
決算委員会におきまして、私
ども傍聴させていただきました。それによりますと、
ネイバ地区の
帰国、その根本的な
原因は、あそこの場合は水であるということを
局長さんも言われておりましたが、これは事実に反するわけであります。と申しますのは、
昭和三十六年五月二十六日に
鶴我参事官一行調査の際にも、
ネイバ地区帰国請願運動最大の
根本的原因は
灌漑水量削減や
米州機構よりの
経済制裁のためではない、
土地であると私
ども申し上げ、
耕地の実態と照らし合わせてこのところをよく認知してほしいと申し上げて、了承を得ておるはずであります。それから、九月十二日に
高木移住局長を初め
小長谷大使一行が来られまして、
帰国決定の通知を持ってきてくれたわけでありますが、その際にも
高木局長がどう言われたかと申しますと、あなた
たちに
責任はない、
政府の
責任だから卑屈にならず堂々と帰ってくれ、
日本では厚生省もあたたかく迎えるために準備をしておると、こういうふうに言われたのであります。しかるに、せんだって五日の
決算委員会を傍聴さしていただいておりますうちに、それとはまるきり逆な
答弁がなされておるのに、がく然とした次第でございます。それで、
事前調査の
最終的責任の所在は
主務官省の
外務省にあるが、
移住を決意した
移民にも
責任はあるというような言い方をしておられるわけでありますが、これは何事であるかと私
ども憤慨にたえない次第であります。と申しますのは、だまされなければ、われわれは
移住する
意思は持たなかったのであります。ずいぶんといいところであるし、
土壌もいい、こういうふうなえさにつられて、私
どもは
移住する
意思を持つに至ったのでありまして、これが、たとえで申しまするなれば、
牛カンのその
中身は
馬肉であった。こういうことも世の中にはあるわけでありますが、
中身が
馬肉であるということがわかっておれば、私
どもはそういうものに飛びついて買わなかった。それで、
ネイバの場合も、
中身は石であったわけであります。石を、優秀な、驚くほど優秀な
土壌として
欺瞞宣伝をしたがために、私
どもは
移住する決意になったのでありまして、それで
移民にも
責任の一端があるというような議論は、人道的にもまた道義的にも許さるべきことではないと思うのであります。それで、本日私
ども参考人として
機会を与えられましたこの席上を通じまして、
外務省の
移住業務に携わっておられる
方々に、なぜあなた
たちは
うそをつかなければならないのかということを申し上げたいのであります。
と申しまするのは、「
移住執務提要」というものがございます。
移住実務を担当されておられる
所管の方が絶えず持っておられるはずのものであります。私
ども移民にとっては、こういうものは募集以前にも見せていただいたこともなければ、見る
機会の与えられない書物であります。それで、この「
移住執務提要」の
内容につきましては、「
啓蒙宣伝」と題しまして、「
方法・
手段」という項がございます。そこに、正確さを犠牲にしてもよい、より刺激的でなければならぬ必要を説いておりますし、
商業宣伝を
十分手本として、下品にならぬ限りあらゆる
方法手段を繰り返し繰り返し動員することが肝要であると教えておるのであります。それで、私
どもにしてみれば、これは
計画的欺瞞性がある、こういうふうにして
応募者を欺けと教えておる、こう考えるわけであります。
それから、五日の
決算委員会傍聴の際に、
木村さんという
代議士の方が言われておりましたのに、
移民の
申し立てと
政府事前調査の結果
——これは
中田農林技官の
報告でありますが、表土が一メートル以上あるというこの
報告との食い違いをあげて、もし
移民が虚偽の
申し立てをして
代議士先生の力をかりて
帰国したとすれば、事は重大であると
発言されました。が、私
どもネイバの場合、前後五回
本省の
正式調査団の
調査の結果、
移民の主張はもっともであるという結論のもとに
帰国実現いたしたはずであります。そして、これはなるほどよいことを言われたと思いますのは、
政府委員が虚構の
答弁で
質疑に当たった
代議士さんをだましていたとすれば、これも同じく事は重大であると私
ども考えるのであります。と申しまするのは、昨年五月三十日、八月一日、それから十月二十日、この
参議院予算委員会、
外務委員会を通じまして、その
議事録を帰ってから読ませていただきますと、あまりにも事実と相反することばかり
答弁がなされておる事実があるわけであります。
外人部隊の件にいたしましても、
横田支部長は、絶対に
自分としてはそういうことを、
移住者に登録しろということを勧誘した事実はありません、と申し述べておるというのが、八月一日の
議事録に載っておるわけでありまするが、これは事実無根であります。その後同じ
議事録に、
外人部隊勧誘の件についても認められておるわけであります。
それで、その
場当たり主義に、だまされるものであったら、その場その場をだましていこうというやり方は、非常にけしからぬと思うのであります。と申しますのは、私
ども現地にありまして、飢えに泣く、腹が減ったといって泣いている子供を、もう少ししたら助けてくれる、それまでがんばろうじゃないかといってなだめながら、絶望の底であえいでおりますときに、
高木移住局長は、餓死の
心配のないだけに万全の
措置が講ぜられておるとか、当面の
生活の保障については
心配ない、こういうふうに
答弁されておりまするが、私
どもに正式に当面の
生活問題に対する
保護の
措置が生まれましたのは、
昭和三十六年九月八日付の
大使館からの
公文によって、初めて
月最低二十五ドルというわずかな金でありまするが、
日本政府の方から
生活保護措置がとられた、こういうふうな
工合でございまして、それ以前におきましては、私
ども大使館、
海協連にたびたび足を運びまして、助けて下さい、何とか
保護措置を講じて下さいといって、必死にすがりついてお願いしておったのであります。そのときに、最初のうちには三十ペソ、四十ペソと個人の小づかいを借用することができました。しかしこれもほんの一部のものだけであります。それで、それからあとの九月までの間に
胆のう炎、じん臓炎、そういう病に冒されまして、
治療代を貸して下さいといってお願いに行きました
鹿児島出身の
久保悟という
人たちに、
出先機関から投げつけられた
言葉はどうであったかと申しますと、
移住者の
病気は
移住者自身のからだが作ったものであって、われわれとしては
関係ないことだ、こういうふうに申されたのであります。それから
福岡出身の矢野という人も行きまして、これじゃ
家族とも
ども死んでしまうから何とかして下さいとお願いしたわけであります。そうすると、死んだってしかたがないじゃないか、君
たちには該当する法も、従ってまた
予算もない、われわれとしても
月給取りだから、ポケット・マネーをいつまでも貸してやることはできないという話であったわけであります。それから私
どものうちで五人ほどそれから以後に参りまして、そして何とかこれは
人間同士の話として、また
日本人同士として、
一つ何とか早く
本省の方へ連絡をとって
措置が生まれるようにしていただけませんでしょうかとお願いしたのでありまするが、そのときに
大使館から示されましたものは、
ブラジル国及び
ドミニカ国内へ
転住をするということを一筆書けば、当面の
生活を見てやろう、しかしながら
帰国を希望するという文字が一字でもあったらこれはだめだといって、向こうが見本を書いて示したのであります。そうしてあくまでも
ドミニカ国内のほかの
地域または
南米ブラジルヘ
ドミニカからそのまま移れ、そうすれば助けてやるが、そうでなければ助けてやらないとはっきりみんな言い渡されているのであります。それでありますが、私
どもとしましては、何とか生き延びなければならぬ。しかしながら、新しいものはパンツもシャツもみな売り尽くしてしまった。それで
ドミニカのバオルコ州の
州知事を通じまして
賃仕事を探してほしい、みんな
身体の障害が起こりまして、いろいろ胃の
病気とか肝臓、
胆のうまた肋膜というふうに病を得たからだで、
賃仕事をしてでも生きつないでいこう、そうして必ず帰るんだ、帰る以外に望みはない。なぜかと申しますと、私
どもとしましては、この次再
移住すれば必ず殺される、こういうふうな切迫した感じしか抱いておらなかったわけであります。というのは、私
ども三月二十日に第一回の
大使館への
陳情を申し上げて、その以後、二十一日のことでございましたが、
公文書とともに、
ドミニカで一番いいところがあるが移ってはどうか、それは
バーバ・デ・ピーニャという
個所でありますが、そうして勧められ、また
公文書をいただいたのでありますが、その
公文書もただいま持っております。そして、そこがどんなところであるかと申しますと、私
ども調べまして判明しましたのには、以前に
スペイン人の
移民が入っておったわけであります。しかしながら、そこで営農ができないというので引き揚げて、その
現地の
人たちの言う話では逃げてしまったというような
土地柄であるわけであります。それで、
ネイバの場合は、七カ月も雨の降らぬときもあるくらい乾燥した
地域でありますが、その
バーバ・デ・ピーニャというところは、
乾燥季でもひざまでぬかるみだという
個所もあるという
湿地帯であるということがわかったのであります。さんざん、かわいたところでやれないと言ったから、今度は徹底的にそういう
湿地帯へ追い込むのかと、私
どもは憤慨したわけであります。
それで、これからまた御質問をいただきまして、真実に基づきまして私
ども申し述べます。
一つ何とぞ早急に更生の面とかいろいろな面で早く実現いたしますようにお骨折りをお願いいたすわけであります。と申しますのは、私
どものうちにもほとんどの者が
身体に故障ができておりまして、それでだまされたがために、結果として運命も狂わせ、また
生活機能さえも破壊されたというような
状態でございます。どうも失礼しました。