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穗積委員 そういうようなことは実はやったことにならない。ですが、時間がありませんので、あと
質問者がありますから、すべてこの問題についてもまた次の機会に譲りたいと思うのです。
最後に、きょう
情報局長に来ていただいておりますから、具体的な問題について一度
外務省の確認を得ておきたいと思うのです。それは、戦時中に、旧満州国、今の中華人民共和国の東北地区ですけれ
ども、ここの学生を
日本に留学せしめるということで、小石川の後楽園のそばに学生会館を作ったわけです。これは資金も組織も両者の協力のもとにできておった。それが、終戦後進駐軍の管理に移り、それが
外務省に移り、さらに
外務省から下げられて今の財団法人善隣学生会館の所管になっておったわけです。ところが、戦時中、終戦後を通じて、
中国の学生あるいはすでに卒業した人も住まっておりました。この立ちのきの問題について、財団法人善隣学生会舘側と在寮する
中国人、その背後の世話をしておる存日華僑総会との間で、御承知の通り非常な紛争が起きました。そこで、財団の方は立ちのき訴訟を
提案をいたしました。これを承服することができないというので深刻な抗争になって、昨年実はかつての長崎の国旗事件のような不祥事件を起こしまじき深刻な
段階になりました。そこで、われわれ
日本における日中の友好団体十八団体が寄りまして、代表者をあげて、これをあっせん者として所管官庁としての
外務省によくその経過を説明したのは、現
情報文化局長の前の近藤さんのときです。そして、その精神を納得されて、その上で両者の間で
話し合いをした。そこで、話し合った結果、経過は御承知だと思いますから省略いたしまして、先般二月二十六日、続いて三月一日にこれを国内法律によって争うということはやめて、この会館はあくまで中華人民共和国との文化交流に重点を置いて運営する、また、在寮の学位も
中国の学生を重点に優先的に
考えるという大原則を三者の問で了解し合いまして、そして、その上で、訴訟あるいは国権による立ちのきを要求するというようなことではなくて、
話し合いによって学生を処理してやる、そのかわり、学生でない
中国人、あるいはまた
日本商社がこれを利用しておりますが、これらも立ちのいてもっらて、全面的な日中間の協力のもとにこの会館を本来のそういう大精神の文化センターにしようということに
話し合いがついたわけです。そして、あっせん者と財団との間でこれを確認し合う覚書を交換いたしました。これをさらにあっせん者が在日華僑総会の責任者に話をして、これとの間にもこれを確認して、この覚書に送り書きをしたわけです。それで今円満に事態が進んでおるわけです。このときに、
中国側の華僑総会の
態度としては、御承知の通り、訴訟を財団の方で起こされましたときに、いろいろな理由で抗弁をしたのですが、その中の一つに、この会舘の所有権は
中国側にあるものだということを強く主張したわけです。今度そのことについての華僑総会側の基本的
態度は変わっておりません。しかしながら、これはわれわれがよく説明をし、われわれの理解においても、この財産権の問題については
中国と
日本との間で国交回復をするというようなときに
政府において話し合うべき性質のことであって、われわれ
日本の友好団体あるいは在寮の者あるいは華僑総会が
日本政府と話し合うべき筋合いのものではないという点を
お互いに理解をいたしまして、そして、基本的にはこの問題は
政府間の問題であるということにいたして、そして、当面はこの運営の
方針というものを認めて、三者の間で円満な納得がいったわけです。これは時間もありませんから説明不十分ですが、要点だけ申し上げました。
これに対して、
外務省は、それらの三者の間の
話し合い、また華僑総会の基本的な
態度をも確認をし、これに協力しておるわけです。それについて、所管の官庁としての
外務省は、この取りきめの覚書の精神を実行することに対して、これを理解し、今後問題によりましては支持と協力を仰がなければならぬこともあるわけですが、それについての
外務省のお
考えをこの際伺っておきたいと思います。