○
田村参考人 御
審議の資料に加え得る何ものももう残されていないように私は思うのでありまするが、ただ、この問題の起因と、その経過をめぐりました
政治上の背景と、この問題に含まれておりまする若干の法律問題とに関しまして私の解釈を申し上げさせていただきたいと考えるのであります。
大東亜戦争の始まります以前の
アジアには、独立国というのはただの三つしかございませんでした。
日本と中国と
タイがそれでございます。しかし、その戦争の前夜には、不幸にして中国と
日本はすでに干戈をまじえておるというような状態でございましたが、幸いに、
タイとの間では、伝統的な
友好関係を維持しておるのみならず、戦争の前年には
友好関係の存続並びに領土の相互尊重という
条約まで作っておるのであります。いよいよ開戦になりますると、その十二月八日の日に
日本軍の
タイ国通貨に関する
条約ができました。それから二週間日には
タイ国との間に同盟
条約が結ばれたのであります。それのみならず、さらに、それから四週間たちますると、
タイは
日本に協力をいたしまして、
イギリスと
アメリカに戦争をしかけたのであります。
タイは、その前年、すなわち
日本との間に
友好関係の存続並びに領土保全の
条約を結びましたと同じ日に、
イギリスとの間に不可侵
条約を結んでおるのであります。その不可侵
条約によりますと、相互は、一方は
他方に対して単独たるとまたは他の第三国と合同するといなとを問わず、一切暴力、戦争行為、侵略というものをやらないという
条約上の義務を負うておったのであります。それでありまするから、
タイが
イギリスに戦争をしかけるためには、どうしてもこの
条約を破らざるを得ないのみならず、
日本の戦勝に国家の運命をかけてのことでございまするから、
タイとしてはかなり迷惑なことで、非常に弱ったことであろうと思われるのであります。
イギリスの方は、隣のビルマとかマレーが当時
イギリス領でございましたから、まだこれに戦争をしかけるということも全くわからぬことではございませんが、
タイが
アメリカにいくさをしかけたということになると、これはもう全然わからないのでありまして、そんな理由はだれが考えても考えられないのです。それはなぜかと言えば、だれが解釈いたしましても、
日本からの要望であるとか要求であるとか、強い要求の結果、
日本の道連れに連れられていった、こう解釈せざるを得ないのであります。その間の外交文書が発表でもされますればはっきりわかると存じまするが、ただ、
日本といたしましては、
タイを敵に回したくない、しかして、
イギリスに対してはすでに宣戦を布告しておる、
イギリスの領土をいかな攻めなければならない、そうすれば、作戦上の必要上やむを得ず
タイ国を、非常な迷惑ございますが、道連れにせざるを得なかった、こういうことがあり得ることだろうと考えられます。そういう
状況のもとで、開戦と同時に、その日に二万五千という
日本軍を
タイは迎えたのでありまするが、そうして、四年九カ月という間、ここで
日本軍が
最後には十二万にもなったという、ずいぶん長い間の二万五千、平均一万五千が二万と申しましても、これは、四年九カ月、五年近くになりますると、
一つの小さな市でありますか、町の大きなものを、おまけに食う盛りの者を五年も養っておったのでありまするから、食うものだけでも相当のものを食っておると思います。そういうふうに、
タイは自国に全然無
関係な戦争に
日本の道連れに巻き込まれ引き込まれたのでありまするが、その上、今のような外国の
軍隊をも常駐を許さねばならぬ、その上また、今のその
軍隊に要る物資でありますとか、特に労力を提供しなくてはならぬ。そればかりではありませんで、さらに、物資や労力を調達する支払い手段まで
タイ国に背負わされたのであります。これが
特別円でございまして、その総額は、これは
日本銀行の預金でありまして、向こうから
タイの通貨を受けて、それの相当額を
日本銀行の帳簿に書いた。これは
日本銀行における
タイ政府の預金であります。その預金額は、終戦のときに当時の金で十五億円になった。この金額は、これは
日本政府はかつて争ったことはないのであります。特に、この
特別円ということでありますが、
特別円という意味はよく知らないのですが、おそらく、そういう名前をつけたのは、金の交換性がある、コンバーティビリティがあるということで
特別円と言ったのではないか。円に何か特別のものがあるわけはないと思いますから、そういう意味で、初めは、御
承知のように、金で換算して払う、金を別送するというわけであります。それが、戦局の進展とともに現送がむずかしくなったのかどうかよく存じませんが、今のように
日本銀行の帳簿に
タイ貨として、バーツで受けた金を
日本の金で
日本銀行の帳簿に載せた。つまり、
タイ国の預金でありますが、この預金の残高が十五億円だ、これが私のこれからの展開いたします出発点になっておるのであります。
戦争をやってみて、ついに負けたということになりまして、これをまた、
日本は非常に信義を重んじまして、降伏の決意をいたしますると、直ちにその瞬間にこれを内報しております。十五日に、正式に終戦になりますと、これを公式に通告をしておる。
ヨーロッパのわれわれの同盟国は、彼らは
日本より早く降伏いたしましたけれども、同盟
条約に基づけば、
日本に相談もしなければならぬ、通告しなければならぬ義務があるのですが、そんなことは一切してくれませんでした。そうなりますと、われわれは、やはり、敗れたりといえども信義を重んじて
タイ国には降伏の決意をすると同時にこれを内報しておるというようなことは、この際記憶を新たにする必要があるのじゃないか、こういうふうに考えるのであります。
さて、そういう
日本と運命をともにした
タイが、その片割れがいくさに負けて、正式に降伏したという通告を
日本から受けた
タイとしては、失望もいたしましたでありましょうが、道連れにされてずいぶん怒りの感情も禁じ得なかったと思います。それで、
日本からも、お前さんの方は
イギリスと
アメリカといくさをしておるから、その方は
一つしかるべくお前の方で最善の方法をとってくれと言われたものでありますから、
イギリスとは休戦
条約などを結んだような形跡がございますのですが、
アメリカは敵国とみなさなかったのであります。
タイから宣戦を布告されましたけれども、
タイの宣戦布告というものは
タイの自由意思によった自発的のものでないとみなして、これは強要されたものであるというので、ついに敵国たる地位を与えなかったのであります。これもよくその間の感情がわかると考えるのでありますが、一方、
日本に対しまして、これは大へんなことであったのでありますが、同盟
条約及び同盟
条約の付属の一切の
条約、特にと言うて念を押して、この
特別円に関する
協定まで、これを、ターミネートという字を使ってありますが、終了したという通告をして来たのであります。ここで大きな通告の効力というものの法律問題が起こるわけでありますが、これはやはり今日でも問題であろうと思いますが、特に向こうは断わっておりますね。その通告文を拝見いたしますと、特にこの
特別円に関するものを含みというような言葉が使ってあります。同盟
条約その他は正常な
情勢で廃棄されたとか終了したということは、これはもう理解ができるのでございますが、わざわざ特別のものまで終了するというのは、ちょっと見ますと、彼らはりっぱな根拠のある債権をみずから進んで放棄したようにも解釈されるようであります。しかし、私は、それはそうではない、次の二つの理由で、それはそういうふうに解釈すべきものではない、この通告は債権まで放棄したという効力を持つものではないという解釈をとっておるのであります。
その第二の理由は、こういう
条約の終了ということは、これは将来に向かってのみ効力のあるものでありまして、過去にさかのぼって、その
条約なり協約が有効に存続中に発生した事態までこれを抹殺するというような効力のあるものではない、これが第一の理由であります。ターミネーションという字は、
条約の場合はいろいろな場合を含んでおります。あらゆる
条約が、もとの
条約が変わって新しいものができるとか、もとの
条約が全然なくなるというような、あらゆる場合を含んでおるのでありますが、大体概括して申し上げますと、今申し上げたようなことが一般の理解でありましょう。また、事柄の性質上そうでありまして、過去において、たとえば李承晩時代の日韓会談の当時に、韓国併合の
条約を廃棄してくれということをしばしば言うたと、私ども伝え聞いておるのでありますが、これなどはしようがないのでありますね。過去の歴史を抹殺することはできないのであります。
条約を廃棄するということは、将来その拘束力はないということだけでありまして、それでございますから、この
特別円に関する
協定が廃棄されたからといって、それは、将来、それがために
日本銀行にあった頭金がなくなる、預金にそれが
影響する、そういうものではございませんで、やはり、その通告というものは、将来預金を続けるという原因がなくなったということであり、それからまた、その損金を続ける場合に、それを計算する基礎がなくなった、こういうふうに私は解釈しておるのであります。それでありますから、
タイは、あの通告によって過去における預金を放棄する意志は毛頭なかったものだ、こういうのが第一の理由であります。
第二の理由は、同盟
条約の第二条を見ますと、
タイは
日本に対しまして
政治上、
経済上、軍事上あらゆる
援助をするということがあるのであります。この
特別円に関します
協定と申しますものは、その同盟
条約第二条の
経済的
援助を
日本にいたします
一つの方法としてのものであります。従って、その基本になりますもとの、母親である同盟
条約がなくなったのでありますから、当然、それを実施する——その
経済協力をするという同盟
条約二条の一般的な義務を具体的の場合にどうして協力するのかというのが
タイの
特別円協定でございますから、それが消滅するのは、母親がなくなったら子供も同時になくなる。これは当然です。安保
条約がなくなって行政
協定だけが生きているということはあり得ないと同様でありましょう。それを、その通告において、
タイがわざわざ、特にこれまで含む、終了するものの中に
特別円に関するものまで含むとこう書いたのはどういうわけかといえば、これは私の解釈でありますが、
タイからすれば、あれだけを残しておくと、今言うのが当然の解釈でございまして、母法がなくなれば子法もなくなる、根本法がなくなれば実行法もなくなるというのが当然でございますが、それを残しておけば、あるいは生きておれば、また
日本からいつ、こんなものがあるじゃないか、これで
一つ続けろと言われてもしようがないじゃないか、そういうおそれがあり得たんで、私は、特にといって、わざわざあれを書いたのではないかと思います。かりに私があの文章を起草したとすれば、そういうような気持で書いたのではないかというように考えられるのでございます。それが第二。
第三の理由、ということでもございませんが、第三は、
日本は、御
承知のように、開国以来、ロンドン
市場とかニューヨーク
市場で幾多の外債を出しておりますけれども、いまだかつて元金はもとより利子一毛といえども怠ったというような歴史を持っていないのであります。対外信用というものは非常に高いのであります。私がかつてロンドンに在勤していたときに、ある財務官が言われておりましたが、ロンドン
市場で何か四十数カ国が公債を発行しておるそうでありますが、一番金払いのいいのは
日本であったということであります。そういうので、
タイとしては、大国
日本が食い逃げなどするようなものではないという、
日本に対する
信頼感というものがまた
一つあったということが、
一つの原因ではなかったか、こういうふうに考えるのでございます。
さればこそ、そういう消えたのではないということであるからこそ、
日本が平和
条約によって独立を回復いたしますと、すぐ、
一つあの円の問題の
解決をつけてくれないか、こういう交渉を持ち込んだ。これは、もう、その債権の十五億の
日本銀行の預金を放棄したというつもりならば、そんなことを申し出るわけもありませんし、また、
日本政府がそれを受けて交渉に応ずるわけもなかったと私は思うのであります。
ともかく、この問題は、三十年の
条約で一応
解決がついたのでありますね。ところが、この三十年の
条約というものは二つの部分からなっておる。この二つの部分は不可分一体でありまして、そこに私は非常に大事な点があると思うのであります。それで、これは二つの部分になっている。
一つの部分は支障なく履行が完成したのでありますが、第二の
日本が負うておる義務の方は、
日本が義務を履行するためには必ず相手の
タイ国の協力が必要なのであります。その
タイ国の協力がなければ
条約の義務の履行はできない。すなわち、投資とクレジットでありますが、そうなりますと、これはずっと履行のできないまま今日までデッド・ロックになっておる、不屈行の状態になって六年なり七年なりを経過してきた、こういうのでございます。
それでは、なぜ
タイ国は、
日本が
条約を履行しょうというのに、投資とクレジットをしようというのに、それに協力しないのか、なぜ協力を拒絶しておるかと申しますと、その理由でありますが、これは、別に、第二条のクレジットなり投資というものに
日本政府が与えている解釈、すなわち、これは
タイ国の債務になるのだ、あなたの借金になるのだ、こういう
日本政府の解釈に挑戦をしておるわけではないのであります。それはその通りだと向こうは認めた。それでありますから、これは国際司法裁判所へ持っていくこともできないのであります。向こう様は認めておるのであります。それからまた、とにかく判をついているのです。
条約に同意をしているのです。ところが、その同意をしたけれども、その同意の意思表示に瑕疵がある、きずがあるということも言うているわけではありません。たとえば、同窓はしたけれども、あれは強迫したのだとか、詐欺にかかったのだとか、策謀にかかったのだ、そういうことを言うておるのでもありませんということであります。それからまた、よく、
条約の終了の
一つの原因だと言われるのに、
事情変更の原則というものがございます。
条約を結んだ当時と
事情が非常に変更した場合、
条約の義務の履行が耐えられなくなった場合にはこれを変更することが許される。もとより相手の同意が要るのでありますが、そういうようなことを言うておるわけでもないのであります。なるほど、三十年と三十七年とを比べると、
日本の
経済は変更したけれども、そういうことを言うておるのでもない。ただ、自分の方で勘違いしておったのだ、間違っておったのだ、こういう率直なる告白なんであります。いつ
タイが自分の間違いを発見したか、ちょっとわからないのであります。早くに気がついたのか、このごろ気がついたのか、ちょっとわからない。これは向こう様の腹の中へ入ってみないとわからないことでございます。私の考えでは、非常にこの一条と二条が不可分の一体をなしているので、二条の方の投資とクレジットを、
タイの
経済発展に
日本が
援助をするというような目的で、
特別円問題とは無
関係に、これと全く独立に
経済援助協定というものを結んだならば、
タイの
政府も、
日本から金を借りたからといって国家の面目に何ら
関係いたしませんし、
国民に対する言いわけだってりっぱにつくのであります。ところが、これが
特別円問題と一緒になっておりますから、これがぴったりひっついて不可分の一体をなしているところに困難が起きた、こういうふうに考えられるのであります。
履行不能になりました三十年
条約の成立までの過程をちょっと私顧みますと、一番初めは、
タイは御
承知のように千二百六十七億円という数字の要求を出した。
日本がそれに反対して参りますと、たちまちこれを約半額の五百四十億に減額した。それもいかなかったら、今度はさらにその半額の二百七十億に引き下げた。
最後にはその約半分の百五十億と、四回要求額を引き下げまして交渉が成立した。いかにもこれは高くふっかけて手荒なかけ引きをしたように見えますが、しかし、
タイから見ますと、これは決してそうではなくて、やはり一定の根拠を持っておると私は解釈されるのであります。と申しますのは、初めの千二百六十七億というものは、金であったものでありますから、そういう
協定でありましたから、金約款を有効だと見るとこういう数字が出るのでございましょう。そんなことはとてもできないというのでこれを引き下げたのでございましょうが、たとえば二百七十億というものもそうでございますね。二百七十億という数字もどこから出たかと申しますと、バーツと円とを一対一で、十五億円をバーツに換算して十五億バーツになります。十五億バーツをドルで換算したものをさらに
日本の現在の円にすると、それがちょうど七十億になる。こういうわけでございまして、決して縁日のかけ引きというようなことではないようにも考えられるのでございます。そういうわけでございますから、この交渉の経過から見ますとこれは非常に大事な点だと思いますが、
タイの預金の十五億の決済というものが百五十億円
程度で、妥協された、こういうことになる。経過から見ますと、どんどん下がって、もとは十五億、
最後に百五十億で妥協した。この百五十億という天井は
日本も認めておってのことであります。
ところが、
タイのふところ勘定を見てみますと、実際は戦前の十五億円の預金がただの五十四億円にしかならなかった。金でもらったのは五十億でありました。戦前十五億の預金を
日本銀行にしておった。それが今、
日本銀行にくれぬかと言うと、五十四億円しかくれなかった。
あと借金だということになった。これが一番大きなことで、十五億円というものを
日本政府がかつて争っていないとするならば、戦前の十五億円を今日五十四億円で支払うというのが妥当であるか、この数字が公正なものであるかどうか。私は数学のことはよくわからない、非常に不得意でありますが、法律的には、どうもイクィティに、公平の原則に反するのではないかという感じが強いのでございます。戦前の十五億円の預金というものを現在の金で現金で払ったのは五十四億しか払っておりませんから、それだけで打ち切ることが正しいかどうか。
そこで、問題は、
日本政府がどこまでも
条約第二条の投資とクレジットに関します文理解釈をたてにとって、戦争のつめ跡を無期限に残しておくのが賢明な策であるか、それとも、この際、百五十億という天井は三十年の
条約にも認めておるのでありますから、大局にかんがみまして
政治的な
解決を行なうのが得策であるか、こういうハイ・ポリティックスに関する問題でございまして、行
政府としては、ことしその後の政策をとって、百五十億円を債務と認めるということに踏み切ったわけでございますから、当院における御
審議もそこが核心にならなければならぬと思うのであります。
これに関しまして以下、
条約の
締結に関します行
政府と立法府との、先ほど御婦人の方にも何かあったようでありますが、その
関係について一言つけ加えさしていただきたいのでありますが、どこの国の憲法でも、
条約の
締結に関しまして、どんな事項を
条約の対象にするかという選択、それが
一つ、それから、選択した
あと、これをいかに交渉するかという問題、それから、いよいよ交渉が済みまして調印をする、この段階までは、これは行
政府の自由裁量に一任されておるのが、世界にほとんど例外のない慣行でござ一いまして、立法府が
条約の
締結に参加をいたしますのは、批准の段階になって初めてでございます。わが憲法もその例外ではございません。従って、調印までというのは、外部に漏れないのが原則であります。これを外へ漏らしておったら、交渉なんかできません。交渉が成立しないのです。これは普通のわれわれの個人間の取引でもそうでございますが、一々取引を公衆の面前でやっておったならば、取引なんて絶対に成立しっこありません。いわんや、結婚の媒介においておやでございます。調印が終わりましてから初めてこれを
国民に発表いたしまして、それから後にこれが同意を議会に求める。この制度は
日本ばかりではございません。この制度は行
政府と立法府との間に非常に摩擦を起こすのであります。ときには、すっかりデット・ロックになってしまって、麻痺状態に陥る場合が少なくないのであります。立法府は、どこでもそうでございますが、行
政府が交渉をし調印をしたものを時ってきて、それにイエスかノーかを言う、これが立法府の権限でございます。中で修正する、これはまた事柄の性質上修正なんかできないわけであります。
条約というものは相手と判をついておるのでありますから、これをうちへ持って帰って国内で手を入れるということは許されないのでございますから、イエスかノーか、どっちかしか言えません。そういう権限を時っておられますけれども、同時に、それではもし立法府
自身が出かけていって
条約の交渉者になれるかというと、それはまたできないのであります。どこの国でもやっておりません。そこで、第一次大戦以後は、どこの国の憲法でも、みんな
条約の
締結には立法府の参加を必要といたしております。立法府の協力を願っております。ところが、今申しましたように、なかなか協力の実現ということが
政治的に非常に困難なことがある。なぜ困難かと申しますと、
条約を結ぶ前には、立法府と行
政府というものは、本質的に
立場が違うのであります。行
政府の方は、
条約を結ぶ場合は自国の利益とそれから相手の国の利益とのバランスをとって、均衡をはかって、初めてその
条約というものができるわけであります。すなわち、ギブ・アンド・テークというものでできるのでありますが、ところが、立法府の方はそうではないのでありまして、立法府はもっぱら国内の利益、自国の利益に主として重きを置いて、しかも、その
関心の置き方は、選挙民にいかに有効に訴えるか、これは
日本ばかりではございません。どこの国でもそうです。選挙民にいかに有効に訴えるかという方法で発言するのであります。そこで、行
政府と立法府というのは非常に摩擦を起こすので、それは本質上やむを得ないのであります。でありますから、わが憲法の母法であります
アメリカの憲法には、大統領は上院の三分の二の助言と同意と書いてあります。
日本の憲法には助言というのがないのでありまして、同意だけ、
承認だけでございます。だから、
アメリカでは、
条約は、財政上の支出以外は下院は
関係ないのでありますが、上院の助言が要るのであります。ですから、大統領は始終表面に出ないのでありますけれども、外交
委員会という非常に有力な
委員会がございますから、その
委員会と大統領は絶えず重要な
条約については明前に
協議をする。非常に多くの
条約でございますから、ことごとくの
条約ではございませんが、たとえばNATOの
条約を結ぶとか、国家の大きな方向を変えるような
条約のときには、必ず事前に十分連絡する。また、憲法上もその助言を求めざるを得ないことになっておりますので、立法府と行
政府との間の円滑な
条約締結に関する運営をやっておるようでございますが、
日本でもそういうことができれば、大きな
条約になりましたらそういうことが非常に願わしいのであります。国家の生命というものは永遠でございますから、今もし
タイとの
協定が本院で否決をされるようなことがありますればどうなるか。かつて
フランスの議会でEDC
条約というものが否決をされました。また、その前に
イギリスの議会で、ジュネーブ・プロトコール、国際連盟規約を修正する重大な
条約ができたのでありますが、これが否決されたのであります。また、さらにさかのぼれば、
アメリカの上院はベルサイユ
条約を否決いたしました。そんな世界の歴史を大きく変更するような重大な
影響はございませぬにしても、これが今否決されるようなことがありますれば、
タイの
国民の胸の中にぬぐりべからざるしこりを残すことは、何人も考えざるを得ないのでございます。
御年配の方は御記憶でございましょうが、四十二対一ということがあったのであります。これは、満州事変のときに、国際連盟の
最後の
総会でありましたが、そのときに、
日本は国際連盟規約を破った侵略者であるという決議であります。それが四十二対一で通過したのであります。(「五十二対一だ」と呼ぶ者あり)——いや、四十二対一なんです。この四十二と申しますのは、これは全世界でありまして、一というのは
日本であります。そのときに、ただひとり棄権をした国があるのであります。どっちにもつかない、それが今日の
タイでございます。
タイは、全世界の人が
日本を侵略者なりという烙印を押そうという決議に棄権をいたしました。別に、
タイが、今日いう、当節の中立主義をとっているとか、または、もしそうしなければ、四十二の仲間へ入れば
日本から復讐を受けるというような考えであったのではないのでありまして、
日本にもこの際何か言い分があるに違いない、だから、
日本を今侵略者にするという仲間に入らない方が、
タイの将来を考えてその方が利益と見たに相違いないと私は感ずるのでございます。
非常にわれわれにとっては理解のある国であるということのいま
一つの証拠で私の話を終わりたいと思います。これは個人のことにわたりまして非常に恐縮でございますが、大戦たけなわなるとき、
タイのある
大使が重光外務大臣を訪問されまして、私どもはあなたの国と同盟をしていくさをしておるが、どうも
日本の方が
アメリカに戦争をしかけたということは実に無理なように今の今まで実は思うておったと言ったというのです。ところが、最近、
田村某が、コンテンポラリー・ジャパンという雑誌に、太平洋戦争の起因論、ジェネシス・オブ・パシフィック・ウォーという論文を数回にわたって書いたのでありますが、その論文を読んだが、そうではないということを発見した、それで、これを自分らばかりが読んでおるのは何だから、
タイ語に翻訳して
タイの
国民に知らせたいから著者に翻訳の許可を得てくれぬかということを大臣に申し上げたという、かようなエピソードがございましたのですが、
日本のやったことについて
日本が世界の指揮を受けるような場合には、そこに何かわけがあるのじゃないか、これを発見してやろうというのが
タイの一貫した心持ちのように見えるわけでありまして、何も十七世紀からの山田長政の歴史を言わなくても、近い歴史をわれわれが見ても、
タイが
日本の
立場を絶えず理解してくれるようという心持を持っておるということは、いろいろ例があると私は思うのであります。どうかそういう点もお考えの上御
審議を進めていただきたいと思います。(拍手)