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加藤(勘)
委員 もちろん、贈与以前の
軍事費であるということは、厳密に狭義に解釈すればそう解釈できないことはない、こういう
意味のことであって、私もそれが純粋に
軍事費であるとは思っていない。これは常識から見てもそうですか、しかし、これが贈与であるかあるいは
債務であるか、こういうことになるならば、どこにも
債務というものを
規定づける条件はない。ただ向こうがこういう意思を持ったから、それだから
債務であるということは言い切れぬと思うのです。債権
債務の発生は、当然
両者の間の意思の合致がなければならぬ。その意思の合致がその当時何にもない。
それから、当時の食糧事情等にかんがみて、
日本国民は物資の配給を受けて金を出しておる、こういうことなんです。なぜ金を出したか。もちろん
政府は本来ならば無償でこれを
国民に与えたいのだけれども、無償ということにおいては、無制限になって、とうていその意を満たすことができないから、価格によってある程度の限界を設けておる。それは当然なんです。だから、貧困な者に対しては無償でも配給されておる。当然代金を支払った。そこで問題がある。むしろ僕は代金を支払ったからなおいけないと言うのですよ。なぜかというならば、当時、あの困窮しておるときに、ほとんど自分の意思にない、もう鶏のえさにしかならないようなものを金を出して買わされておる。その金は
アメリカに払うというのでなくして、それが
日本経済の復興に幾らかでも役立つならば、そういう方も潜在しておった。そういうことから、とにかく
政府としてはこれを無制限に無償で配給するということはできないのだから、そこで有償配給を原則という建前にしたわけなんです。こんなことは当然だれでもわかっておることです。金を払ったから
債務であるとか、金を払わぬからどうというような問題でなくて、
国民はその金が
アメリカに返されるものであるというようなことは考えていない。それは、吉田さんのように、やみのものばかり食ったかどうか知らぬけれども、とにかく生活に困らないような人は、個人的な感情から言っても、これだけのものを
援助してもらったんだから、これは道義的にも一つの借金ができたものだ、借りができたのだ、こういう
意味でその負債ということを考えられるようになったか知りませんけれども、本来の建前から言うならば、
アメリカの
占領政策上必要とする
軍事的な
意義を多分に含んだところの給与物資なんです。配給物資なんです。従って、
国民が金を払ったからどうこうというようなことは、むしろ僕は逆だと思います。二十四年、あなたが聡明な、いわゆる財政的な賢明さをもって特別会計を設置されたことについては、われわれもっともだと思います。いつまでもどんぶり勘定でおかるべきものではない。幸いに
池田というすぐれた能力を持った大蔵大臣が出たから、特別会計を設置するようになったのであろうと思う。特別会計が設置されたからというて、その金は、これは私が言うまでもなく、また、こんなところで言うべきでないかもしれませんけれども、あの当時の石炭の生産等にその特別会計からずいぶん回されたという点から言って、なるほど確かに
日本産業の復興に役立っております。
日本産業の復興に役立ち、
日本国民の生活の
援助、救援のために役立っているということであるならば、
国民は喜んでそれを受け取るわけです。それが後になったらば返さなければならぬものであるということを知るならば、それならばなぜそのときにそうであるということを
国民に知らしめなかったか。これは、今も大蔵大臣が言う
通り、
国民に知らしてないから、大多数の
国民はもらったものだと思っておる。こういうことを大蔵大臣にあるような人ですら言うておる、いわんや、一般
国民がそう考えるのはあたりまえのことなんだ。私は、時間の
関係もありますから、もうこれ以上
政府の答弁を求めようとはしないけれども、ともかくも、そういう点において、今までの
質疑応答の中から、あれをそのままそっくり議事録を
国民の前で読んで、ほんとうにわかるでしょうか。(「わかる」と呼ぶ者あり)わかったという人は
政府与党の諸君、聡明な頭を持った人はわかるかもしれぬけれども、一般
国民はほんとうのところなかなかわからない。そういう点から考えて、これらの問題については……
〔発言する者あり〕