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1962-03-20 第40回国会 衆議院 外務委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十日(火曜日)    午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 森下 國雄君    理事 北澤 直吉君 理事 野田 武夫君    理事 福田 篤泰君 理事 古川 丈吉君    理事 松本 俊一君 理事 岡田 春夫君    理事 戸叶 里子君 理事 松本 七郎君       安藤  覺君    池田 清志君       宇都宮徳馬君    大久保武雄君       齋藤 邦吉君    椎熊 三郎君       正示啓次郎君    竹山祐太郎君       床次 徳二君    稻村 隆一君       黒田 寿男君    田原 春次君       帆足  計君    穗積 七郎君       細迫 兼光君    森島 守人君       田中幾三郎君    川上 貫一君  出席国務大臣         内閣総理大臣  池田 勇人君         外 務 大 臣 小坂善太郎君  出席政府委員         法制局長官   林  修三君         法制局参事官         (第一部長)  山内 一夫君         外務事務官         (大臣官房長) 湯川 盛夫君         外務事務官         (アジア局長) 伊関佑二郎君         外務事務官         (アジア局賠償         部長)     小田部謙一君         外務事務官         (アメリカ局         長)      安藤 吉光君         外務事務官         (条約局長)  中川  融君         大蔵事務官         (理財局長)  宮川新一郎君  委員外出席者         通商産業事務官         (企業局次長) 伊藤 三郎君         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 三月二十日  委員帆足計辞任につき、その補欠として田原  春次君が議長指名委員に選任された。 同日  委員田原春次辞任につき、その補欠として帆  足計君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国に対する戦後の経済援助処理に関する  日本国アメリカ合衆国との間の協定締結に  ついて承認を求めるの件(条約第一号)  特別円問題の解決に関する日本国タイとの間  の協定のある規定に代わる協定締結について  承認を求めるの件(条約第二号)  国際民間航空条約改正に関する議定書締結  について承認を求めるの件(条約第三号)  日本国アルゼンティン共和国との間の友好通  商航海条約締結について承認を求めるの件(  条約第四号)  海外技術協力事業団法案内閣提出第九二号)      ————◇—————
  2. 森下國雄

    森下委員長 これより会議を開きます。  日本国に対する戦後の経済援助処理に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定のある規定に代わる協定締結について承認を求めるの件、国際民間航空条約改正に関する議定書締結について承認を求めるの件、日本国アルゼンティン共和国との間の友好通商航海条約締結について承認を求めるの件、海外技術協力事業団法案を議題となし、質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、これを順次許します。黒田寿男君。
  3. 黒田寿男

    黒田委員 私は前回ガリオア援助の問題に対する質疑に続きまして、きょうは総括質問の残余の部分を主として総理を対象にいたしまして質問してみたいと思いますが、その前にちょっと総理にお伺いしておきたいと思うことがございます。  それはきょう、これはまだ新聞等には発表せられておりませんけれども沖縄に関するケネディ大統領声明発表されたようであります。それについて、その内容を、概略でよろしいと思いますが、本質的な部分総理から御説明願いたいと思います。
  4. 池田清志

    池田国務大臣 昨年六月アメリカへ参りまして、ケネディ大統領と会見し、沖縄における施政権返還を強く要求いたしますと同時に、それが直ちに実現できない場合におきましては、やはり、沖縄内地並みに、いわゆる経済復興福祉厚生施設充実等につきまして、アメリカ政府はもっと力を入れるべきであり、そうしてまた日本もそれに協力を惜しまない、しこうして、経済あるいは福祉充実のみならず、自治権拡大等々、日本人である沖縄同胞のためにもつと積極的にアメリカは尽くすべきだという強い要求をいたしましたが、ケネディ大統領もその線に同意してくれまして、調査団を派遣し、いろいろ沖縄の実情を調査しまして、今回の声明を出したのでございます。  声明の点につきましては、外務大臣より御報告いたします。
  5. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 ただいま総理からお話しのごとくでございますが、ケネディ大統領声明文について、自分は琉球日本本土の一部であることを認めるもので、自由世界安全保障上の考慮から沖縄が完全に日本の主権のもとに復帰することを許す日を待望しているということを申しております。なお、琉球諸島日本施政下に復帰することになる場合の困難を最も少なくするため幾つかの特定の措置をとるように指令した、こう言っておるのでございます。すなわち、日本施政権が返る日を待っておる、その返る日において、非常に諸般の情勢が円滑にいくようにするためにこれこれの措置をとる、こう申しておりまして、大体五つの点があげられるかと思いますが、まず、行政主席の立法院による指名に基づく任命、二に、民政長官を文官とするという点、三に、福祉水準向上のため日本県並みの地位に引き上げるために諸種援助を増大するという点、第四として、高等弁務官拒否権を限られた目的のみに限るとしている点、第五点としまして、自由に対する制限を軍事的必要のない限り廃止すると申しておりまして、自治権拡大人権尊重をうたっておる点、こういう点が注目すべき点、だと考えておる次第でございます。
  6. 黒田寿男

    黒田委員 ただいま総理及び小坂外務大臣の御説明を承りまして、私ども、今回の声明につきましては非常に不満であります。しかし、きょうは一、二だけ問題点をとらえまして総理に御質問申し上げたいと思います。  元来、沖縄問題は、私どもの口から見ますと、アメリカが対日平和条約を無視して沖縄を保有しておるというところに問題の本質があるのであります。沖縄日本のものであるということを認めておりますならば、いかなる方法でこれを日本に返すかということをもっと明確に示しておくべきであると思います。ところが、極東安全保障沖縄を保有すると言う一方で、極東の緊張を緩和する方策、たとえば対中国関係の打開というようなことについては何ら積極的に取り上げようとしておらないことは、結局沖縄を無制限に保有するということをみずからこの声明で物語っておるのでありまして、私どもはこれを非常に不満といたします。  そこで具体的な点につきまして一、二お尋ねしますが、ただいま外務大臣から自治権という問題についてお話がございました。住民の自治権拡大するということが述べられておりますけれども、しかし、ただいまの御説明を承りますと、公選された主席を任命しないという権限は依然として高等弁務官に握られております。それからまた、米軍利益というばく然たる名目で行政に関する拒否権も依然として残されております。肝心なところで自治権拡大は、私どもから見ますと、空文になっておると思うのであります。自治権拡大にこれではなっていないと私ども考えますが、政府はどのようにお考えになりますか。
  7. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 今後このケネディ声明に基づきまして具体的にいかなる方策をとるかということについては、これは施政権を持っておるアメリカの決定することでございまするが、われわれと十分協議をしよう、こういう考えのようであります。従いまして、今後諸種の点について協議をいたしまするが、ただいまも御指摘のような、自治権拡大は少しもなされていないと、こういうことには私は思っておりませんのでございまして、十分今までから見ましての配慮はあると心得ております。ただ沖縄が軍事的に非常に重要なものでありまする限り、その重要性を無にするごときことはアメリカ側としても困る、こういう意味であろうと考えておる次第でございますが、具体的には、後ほどからだんだん協議を続けまして、そしてわれわれの考え方もいろいろと向こうに伝えて参りたい、こう思っておるわけであります。
  8. 黒田寿男

    黒田委員 私はきょうはこの問題であまり時間をとることは避けまして、あらためて国際情勢をこの委員会で論じますときに徹底的に政府質問をしたいと思います。しかし、今小坂国務大臣自治権拡大について全然触れていないことにはなっていないと、こう言われた。私が質問いたしましたのは、全然触れていないということを申し上げたのではなくて、最も肝心な点、最も本質的な点、自治権拡大といえばこれにはどうしても触れなければならぬというその点に触れていないではないか、こういう質問をしたのであります。しかし、きょうはこれにつきまして御答弁を得たいとは思いません。時間もございませんから、この問題は後日の質問に残しておきまして、もう一点御質問申し上げてみます。  米国の対沖縄政策について、私ども、従来、米国はいかなる態度をとるかということにつきまして絶えず注目しておりました。また、今回の対沖縄政策を見て私は、池田内閣沖縄返還についてはほとんど交渉らしい交渉はしていなかったというように認めないわけにはいきません。私は、その上に、この新政策内容につきまして、池田政府が十分に事前協議を受けていなかったということを明らかに認めることができるのであります。これは政府の非常な怠慢であると私は思う。池田ケネディ共同声明を見ましても、沖縄に関する新政策について、アメリカ政府日本協議をして、その意思を十分に尊重した上で新政策を作り上げるんだ、こういうように共同声明で言われておったと私は思います。ところが、今回は、西山公使事前に内示するという約束さえ無視せられて、アメリカが一方的に新政策発表したように私は見るのです。この点、池田内閣沖縄政策に関する熱意欠除ではないか。アメリカ日本を無視したという点もあるかもしれません。けれども、こちらが十分熱意を示せば、向こうもこららを無視することができない。今回のような経路を経て発表されましたことは、池田内閣熱意の欠乏、内閣使命遂行上の怠慢、こういう点があるのではなかろうか、私どもはこういう考えを抱かざるを得ないのであります。この点について政府のお考えを聞かせていただきたいと思います。
  9. 池田清志

    池田国務大臣 先ほど申し上げましたごとく、昨年六月ケネディ大統領との会談におきまして、私は最も力を入れて沖縄問題について折衝したのであります。私の気持は十分ケネディ大統領にも通じておると確信しております。従いまして、去年の今ごろは日の丸さえあげることができない、これはもう全然あのときから改善された。しこうして、今回のものをごらんになりましても、今までのアメリカ政府沖縄政策はよほどわれわれの言うことを聞いてくれておるのであります。しかも、あなたは、発表前において日本と全然交渉がなかった、こういうふうに独断されますが、発表前に日本発表文を持ってきております。しこうして、それを見まして、われわれの意のあるところを申し伝えまして、その点は全部これに入れておるのであります。そういう事実がございます。これは事実をお知りにならぬからあれでございますが、私は、日本意見を十分尊重し、発表前にわれわれに相談したことをここに申し上げておきます。
  10. 黒田寿男

    黒田委員 アメリカ沖縄に対する政策の変化が日の丸を掲揚することを許すというようなところに現われておるというような御説明は、私はこれは説明にはならぬと思います。これはきわめて枝葉末節のことでございまして、こういうことによって沖縄政策に対する判断をするということは、これは少なくとも政治家のなすべきことではない。今、この新政策発表については、政府は十分にアメリカ側協議され、日本意思も、取り入れられておるというように言われましたけれども、そうであれば、ますます私どもはこの声明に対して不満であり、かつ政府熱意を疑わざるを得ないのであります。一生懸命に交渉した結果がこういうことになった、これが熱意を持って協議した結果であった、これでよろしいというようにお考えになっておるとすれば、そこに、私は、政府沖縄政策に対する客観的に見て熱意の不足がある、こう考えます。しかし、きょうは、これは私の条約問題に関する質疑の中でとりあえず当面の緊急問題として特にこの問題を取り上げて御質問申し上げましたので、きょうはこの問題に関しましてはこれで質疑を打ち切ります。これは後日また外務委員会におきまして、国際情勢を論じますときにこの問題を取り上げたい、こう考えます。  そこで、きょうは、私の前回残しておりました総括質問の続きを行ないたいと思います。私は、前回質問を通じまして、ガリオア・エロア援助が行なわれた当時のアメリカわが国との関係は、債権債務の発生するような法的関係ではなかったということを明らかにいたしました。私は、前回質疑におきましては、ガリオア援助本質を、どちらかと申しますと法的本質の面からこれを取り上げまして質疑を展開いたしましたが、しかし、ガリオア援助は、法律面から見るだけのものでなくて、経済的な、また政治的な面からもこれを見なければ、ガリオア援助本質を全面的にとらえることはできないと思います。私は、前回質疑の経験からいたしまして、きょうはガリオア・エロア援助経済面政治面の意義を明らかにすることから問題を出発させたいと思います。その方が適当だと考えます。しかし、これは、総括質問のことでございますし、時間の制限もあることでございますから、こまかく入っては行けないと思います。その本質的な部分をとらえて御質問申し上げてみたいと思います。  このガリオア・エロア援助に対して支払いをしようという考え方は、それを債務と心得ておるという政府のような立場と、あるいは、元吉田首相や緒方副総理のように、法的債務ではないが、国の名誉の問題として、道義の問題としてこれを考えるという立場のものとの相違がございますが、しかし、ガリオア・エロア援助を本来の意味援助考えておるという点では両者は一致しておるというように見なければなりません。すなわち、アメリカ援助をしただけ損失をしており、日本援助を受けただ利益を得ておる、こういうことになるというのが本来の意味援助である、私はこういうふうに考える。こういうふうに見る者は、債務の弁済をするという意味におきましても、あるいは恩を返すという意味におきましても、これを返そうという考えが起こってくるのでありまして、また、政府ガリオア・エロア援助について国民にそういうように思わせようと努力をしておるように見受けられます。しかしながら、アメリカの戦後の対日援助実態は、私はそのような簡単なものではなかったと思うのです。アメリカにとって非常に有利な、日本にとって相当深刻な問題であった、そういうふうに私どもは受け取らなければならないと思うのであります。アメリカは戦後の対日援助政策によりまして物質的に損をしておるのではありません。この政策によって、アメリカは、アメリカ国家といたしましても、アメリカ民間資本といたしましても十分な利益をあげておるのである、私はそう見なければならぬと思います。私どもは、ガリオア・エロア援助は、それが贈与であるというふうに主張いたしました。債務ではないと主張いたしましたが、かりにそれが債務であるといたしましても、アメリカ日本に対する援助に見合うだけの利益日本から取り戻しておる、もっと正確に言えば、それに見合う以上の利益アメリカ日本から取り戻しておる、これが私は実態であったと思います。従って、今になってガリオア・エロア債務であるから返還せよというようなことはもってのほかだと私は考えますし、政府がこれに応ずるのももってのほかだと私は思う。このことを明らかにいたしませんと対日援助というものの本質はつかめませんので、これから二、三私は問題点をあげてこれを明らかにしてみたいと思います。  第一は、ガリオア援助は、これを有償であるといたしますならば、それはアメリカ過剰物資過剰製品にとりましてきわめて有利な輸出市場日本に求め、そしてそれを獲得したものである。私はこういうことになっておると思います。ガリオア援助アメリカにとってきわめて割のよい過剰商品の売りさばきを意味しておる、これは、私どもがそういうように考えるだけでなくて、当のアメリカ人が、たとえばドッジ氏が現にこのことを告白しております。アメリカの第八十一国会下院歳出委員会に提出いたしましたステートメントの中で、ドッジ氏は次のように言っておる。対日援助の主要な援助物資であった食糧と綿花は、いずれもアメリカ過剰物資である、商品金融会社によってすでに買い上げられているが、これは現行立法によって買わなければならぬものである、その限りで、これは現在も将来も政府支出の増加を意味しない、対日援助計画の実質はこのように主として過剰物資であることを十分考慮すべきである、一九五一年度の日本向け経済援助総額一億七千百万ドルのうち、八七%はアメリカ過剰物資の購入と輸入とに充てられておる、こう述べておるのであります。アメリカ人はほんとうのことをよく知っておると私は思う。そしてそれを率直に言うておるのだと私は思います。こういうことで過剰物資日本輸出せられたというところにガリオア・エロア援助特徴があるのでございますが、それでは、どういう物資輸入せられたか、アメリカ側から言えば輸出せられたか、と申しますと、これは、前回申しましたように、食糧について言えば、戦争終了で不要になったような軍用カン詰あるいは飼料用としてのトウモロコシというようなものもたくさん輸入されたのでありまして、商業輸入であればだれも食糧としては買わないようなものが、過剰物資輸出としてわが国に送られた。これは私はいい商売になると思います。ガリオア・エロア援助にはこういう面があったのであるということをはっきりと国民に知らしておかなければならぬ必要があります。これについて一応——これは一応にも二応にも別に御見解を承る必要はない。これは事実であったのであります。しかし、府政が債務性々々々、支払い支払いと言われております関係上、このことをも一応政府に御質問申し上げまして、私どものごとき見方をどうお考えになるか、このことについての御見解を承っておきたいと思います。
  11. 池田清志

    池田国務大臣 アメリカの農産物は、お話の通り、農業政策の上からいって買い上げをいたしております。これは終戦直後ばかりでなしに、今でも相当の滞貨。しかし、アメリカ農業政策買い上げた品物だから、これはただで人にやっていいとアメリカではきめてはおりません。これはドッジ氏ともよく話しておりますが、これはアメリカ国民のいわゆる納税者に対しての説明だけでございまして、これが過剰物資買い上げ物資だからただでやっていいとドッジ氏は言っていないと思います。
  12. 黒田寿男

    黒田委員 総理は私の質問意味を間違えておられる。私は今贈与であるか債務であるかという問題を御質問申し上げたのではないので、債務と仮定してみて、このような過剰物資輸出ということがガリオア物資輸出特徴であったのではないか、それがアメリカ利益を与えたのではないか、このことを質問したのであります。総理の御答弁は私の質問に対する答弁になっておりませんが、しかし、これも時間の関係がございますから、私はあらためて御答弁を承ろうとは思いません。私どもは私ども考えが正しいと思っております。  そこで、第二問題に進みます。ガリオア援助による輸入は、日本アメリカ占領下にあるという特殊な事態のもとにありましたために、他国の商品輸出が入り込むすきを与えないように利用せられた。管理貿易を媒介といたしまして、日本を対米一辺倒にさせるという有利な情勢アメリカが作り出したのであります。アリメカ余剰物資は当時日本市場を独占しておりました。大蔵省の編さんした資料によりますと、これは一九五一年一月でありますが、この事情を次のように述べておる。輸入について見ると、戦前アジア側が過半を占め、アメリカ州は三割であったが、戦後は、輸入アメリカの対日援助費によってまかなわれた関係上、対米依存の傾向を強め、昭和二十一年度には輸入総額の九七%、二十二年にも九二%、こういうように報告をしております。アメリカは、占領政策ガリオア援助物資輸出を発端といたしまして、貿易上有利な条件をさらに将来に向かって作り出した。そういうことに役立ったと私は思う。客観的に見ればそうなっておる。それは今日もなお日本貿易アメリカヘの片寄りとしてアメリカに有利に働いておるのでありまして、その出発点は、私は、ガリオア援助輸出管理貿易のときにあったと思う。その基礎をガリオア援助の対日輸出が作っておるという意味におきまして、私は、この援助アメリカに非常に有利に作用しておる一つの点であるというふうに言えると思うのです。この点につきましては、私は別に御答弁を求めません。もし私ども考えに異論がありますなら、それを明らかにしていただきたいと思います。していただけなくてもけっこうです。
  13. 池田清志

    池田国務大臣 お答え申し上げます。私は、あなたのお考え方は、当時の事情をつまびらかにしていないからそういうお考えが出てくると思う。あの当時におきまして、どこの国が日本に、延べ払いと申しますか、あるいは払うか払わぬか不確定債務——確定と申しますか、そういうものをどこの国がやってくれたでしょう。アメリカならばこそ、ああいうふうにして、われわれの食糧危機、そして経済復興のためにやってくれた。ほかにやる国がないからアメリカがそうなったのでございます。だから、われわれも国会におきまして輸入物資の放出に対しまして、ほとんど全会一致で感謝したじゃございませんか。それを、今になって、アメリカ日本経済を独占するためにやったんだということは、私は、いかがなものか、日本国民の大多数の意見ではないと思います。しこうして、日本市場を独占するといって、今独占しておりますか。今、やはり三分の一で、戦前と同じでございます。そうしてまた、われわれといたしましては、第一次産品につきましては今後東南アジアからどんどん買っていこう、こうしておるのでございます。どこの国がああいうふうな状態のときに日本に物を持ってきてくれたでしょう。これはアメリカならこそ持ってきたとわれわれは考えるのであります。
  14. 黒田寿男

    黒田委員 政治的立場の違いから、そういう見方の違いが出てくる、私はそう思います。  では、もう一点あげてみましょう。第三に、ガリオア援助アメリカ資本をいかに利益したかということも私ども考えないわけにはいかない。ガリオア援助物資は、日本占領下にあるという条件のもとで、明確な代金日本側に提示することなく日本輸出されたものであります。そして、その援助物資は、アメリカ民間資本家から買い上げられたもので、この援助物資日本に積み出された以前に民間資本家政府から代金を受け取り済みでありまして、十分利益をあげておる、こういう関係になるのであります。しかも、昭和二十四年四月、見返資金特別会計設置までの援助複数レートで操作されておりまして、これは多くの人が指摘したところでございますけれどもアメリカからの輸入品は不当に高く計算され、日本輸出品は不当に安く買いつけられまして、それによってアメリカ民間資本に不当な利益をあげさしておる。これも客観的な事実である。また、輸出入の差額は、見返資金特別会計を通じて援助物資の払い下げ代金でまかなったのでありまして、このような操作を通じましてガリオア・エロア援助アメリカ民間資本を十分もうけさしておる。このような意味で、事実上、米国民間資本家は、日本への援助に対し十分利益の取り戻しをしておるのだという見方ができるのであります。  きょうはこまかい数字をあげませんが、これは、総括質問でございますから、また他の委員諸君が後日このことをこまかく申すはずであります。きょうは、私は本質部分について申し上げておるのでありますが、こういう理論は確かに成り立つのであります。これに対しましても一応政府の御見解を聞いておきましょう。
  15. 池田清志

    池田国務大臣 アメリカの農民が作られた小麦、大豆、あるいは鉱業者の出した石炭等々、それはアメリカ政府が買いましょう。それはアメリカ国内における政府民間業者との関係です。しこうして、アメリカ政府が買ったものを日本に送ってきたのでございます。アメリカの業者がもうけようともうけまいと、これは別問題でございます。しかも、向こうの計算では十九億何千万ドル、こちらの計算でも十七億九千万ドル、この分を四億九千万ドルで済まそうというのでございますから、あなた、業者がもうけたとかなんとかいうことは、私は問題にならないと考えておる。これは、一般の常識から申しまして、日本政府が農民から買ったものを政府でよそに売ったって、これは農民がもうけておるから、日本政府がそれをよそに売った場合に、売ってもらった人は金を払わなくてもいい、こんな議論は成り立たないと思いますが、いかがでございましょうか。
  16. 黒田寿男

    黒田委員 私は、払わないでいいということの論拠として今このことを論じておるのではなくて、先ほどから覆いますように、有償であるとすれば、このような利益アメリカがあげておるということについて、個々の事例をあげたのです。アメリカの対日援助が、アメリカ日本との対等の関係ではなくて、占領、被占領という関係のもとに行なわれたことによりまして、アメリカはこのような特別に有利ないろいろな条件を獲得しております。その上に、このような経済的な従属関係を通じまして、日本を政治的にも従属させるという効果が出てきておる。事実そういうような関係になっておる。そして、その後、ガリオア援助が終わりました後は、MSA軍事援助がこれにかわって、援助の名のもとに日本を軍事的に従属させるという関係がさらに発生してきた、これを新安保条約によりまして体制固めをしておるのだ、私どもは政治的にこう見なければ、さかのぼってガリオア・エロア援助の政治的本質をつかむことができぬ、そういうように私どもは見るのであります。ガリオア・エロア援助も、このようなアメリカの対日政策の体系の中で、その政策の一環としてとらえることが必要であります。それによってのみその本質をつかむことができるのであります。アメリカは非常に遠大な計画をもってこの計画をやったというふうに見なければなりません。その後日本が一つ一つアメリカの計画に沿うてその網の中に閉じ込められてきたというのが、私は従来の保守政党の政策の結果であったと思います。大体、今申しましたことを、すなおに私ども意見を聞く人は十分私は理解すると思う。故意に解釈しようとする者には、何を申しましても耳に入らない。  そこで、私はガリオア・エロア債務性の問題について質疑を続けて参りましょう。念のために聞いておきますが、協定第一条の支払い債務、これは一体どういう意味のものでありますか。これは売買代金支払いという意味であるのか、それとも、貸したのであるから返してくれという意味のものであるのか、その点最初にちょっと承っておきたい。
  17. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 ガリオア援助に基づく債務をここで確定して支払う、こういうものでございます。この協定の御承認があって債務確定する、こういう性質のものでございます。
  18. 黒田寿男

    黒田委員 その債務の性質は、債務といってもたくさんございますから、これは念のために聞くのです。売買代金としての債務を支払うというのであるか、それとも、借りになっておるから支払うという意味であるか、その点が今の御答弁でははっきりしません。法的なものであるということになると、こういう点も明らかにしておかなければならぬと考えますので、私は質問したのであります。
  19. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 従来債務と心得ておったものの中で、いろいろ交渉いたしまして、四億九千万ドルを債務として確定する、こういうことであります。
  20. 黒田寿男

    黒田委員 ただいまの小坂外務大臣の御答弁では答弁にならぬと思います。林法制局長官がおいでになりますから、長く時間をとる必要はありませんが、ガリオア・エロア本質をつかむために、この点も私どもはっきりさせておきたいと思いますので、質問いたします。
  21. 林修三

    ○林(修)政府委員 今の御質問の趣旨は私ちょっと了解しかねる点があるのでありますが、本質的には今外務大臣がお答えした通りだと思うわけでございまして、占領中に、いわゆるスキャッピン等によりまして、その日本側援助を受けた品物の代金支払い条件等は追って協議するということがあるわけです。そういうわけで、未解決になっておりまして、日本側として債務として心得ていたものを今回そのうちの若干の部分についてはっきりした債務確定しよう、こういうものだと思っているわけでございます。
  22. 黒田寿男

    黒田委員 ただいまの御答弁で明らかになりました。代金債務として払う。これは、池田首相の御答弁の中に、贈与か貸与かというような言葉が出て参りますので、それでただいまの質問をしてみたのでございますが、代金支払いだという御答弁でございますので、この点ははっきりしたと思います。  それで、問題を進めていきたいと思います。私は、先回の質問で申しましたように、ガリオア援助が行なわれておりました当時、アメリカ日本との間には債権債務という関係が発生するような法的状態ではなかった、そういう状態の中から、協定文を見ますと、これは債務ということで調印を求められておりますから、いつの間にか債務が発生したということになっているのです。どういう筋道を通って法的関係にない状態の中からそういう法的関係のものが出てくるのであろうか、このことについて、私ははっきりと御答弁を得ておきたいと思いますので、これからそれに関する質問をいたしましょう。  この問題は従来はなはだあいまいに、取り扱われておりました。私はきょう特にこれを最初に問題といたしますのは、「債務と心得る」という言葉がたびたび出てくるのです。占領中、法的状態でなかった事態の中から今債務という法的なものが出てきて、その負担の承認を求められておるというのがこの協定承認問題でございます。けれども、これに関する従来の質疑が非常にあいまいなままになっておる。これをあいまいにさせているのは、政府が「債務と心得る」というような言葉を使っておられるからだと私は思うのです。私はこの債務と心得るという言葉の中に非常なあいまいさが含まれておると思います。このことが問題の筋道をはっきりさせない最も大きな原因だったと私は考える。ところで、この心得るという言葉はどうも私どもにはえたいの知れない言葉でございますけれども、これは決して枝葉末節的な言葉づかいの問題ではありません。私どもから見れば、ここにからくりとごまかしが隠されておるのだ、そう思うのです。これをはっきりとあばき出すということをしておきませんと、今後の質疑もまた何か食い違ったものになり、依然としてあいまいのままに事態を進めるということになって参りますので、これはぜひ私は明らかにしておきたいと思う。  従来までの池田首相に対する私ども質疑を通じまして、ことに前回池田首相に対する私の質疑を通じまして、次のようなことが明らかになりました。第一は、ガリオア・エロア援助法的債務ではないということであります。これは池田首相は前回質疑における私への答弁でこう言っておられます。「法的債務ではないということは、今まで答弁したところでおわかりいただけると思います。それで、私は従来、債務と心得る、——債務であるとは言っていない。」、こういうように答えられております。そこで明らかなように、第一に、ガリオア・エロア援助債務ではないということがわかる。第二に、右の池田総理の御答弁によって明らかになりましたように、 ガリオア・エロア債務と心得る、こういう答弁がなされておりますので、私はそれについて質問してみたいと思います。  池田首相は、去る三月二日の予算委員会におけるガリオア・エロア援助の問題についての横路委員に対する御答弁でこう言っておられます。「私は、その後ずっといろいろ研究したあと、昭和二十五、六年ごろからは、債務と心得ます、こう言っております。」、こういうように答弁されております。そういたしますと、ガリオア援助が開始されましたのは昭和二十年からでございますので、池田首相がガリオア援助債務と心得ると言ようになったのは、ガリオア援助が開始せられてから数年後ということになるわけです。ガリオアもエロアも昭和二十六年にはその援助が打ち切られております。そういたしますと、池田首相はガリオア・エロア援助が終わった前後のころからこれを債務と心得るようになった、こういうことに御答弁の上からはなっておるのであります。これは最近の御答弁の中からそういう内容のものが述べられておりますので、別にそうであったかないかというようなことを質問する必要はないと思いますが、念のためにもう一度事態をはっきりさせますために御質問申し上げるのでございます。総理ガリオア・エロア援助債務と心得ると言うようになったのは昭和二十五、六年のころからである、その前にいろいろ研究してみたが結局そうなったのだ、こう言っておられますことは、これは別に間違いないことと思いますが、いかがでありましょう。
  23. 池田清志

    池田国務大臣 黒田さんはもう十年近くこの問題についてお聞きになっていると思います。しかも、横路委員のお問いになったのは、債務と心得るという言葉はいつごろから使い出したか、しかも、池田昭和二十四年の四月何日にはガリオア・エロアはもらったものか借りたものかまだはっきり言えませんという言葉を使っておりながら、今では債務と心得るという言葉を使い出した、その使い出しの言葉はいつごろかという質問に対して答えたのでございます。で、はっきり、この援助物に対する支払いの方法、計算は追ってきめるということは、昭和二十一年の七月に出ておるのでございます。しこうして、計算、支払い方法は追ってきめるとある。このときにもらったものもありましょう。まだはっきり——ガリオア・エロアのうちで、これは無償であるというものもあったのですから。そこで、私は、昭和二十四年の四月には、もらったものか借りたものかまだはっきりせぬものもあります、こう答えた。今、債務と心得るというのはいつごろから言い出したか、こう言われるから、債務と心得るということを国会で言うのは二十五年ぐらいじゃなかったかと思います、こういうのでございます。質問をずっとお読み下されば、それまでは債務と心得なかったとは言っていないのです。その言葉はいつごろから使ったかという質問であるのであります。それは速記をお読み下さればわかると思います。
  24. 黒田寿男

    黒田委員 それはわかっておりますけれども、はなはだ不明瞭な答弁であります。そこに不明瞭さがあるから問題が依然として解決しないのであります。そこで、私はさらに質問を続けましょう。  池田首相は今、その言葉を使うたのは、昭和二十五年ごろからだ、しかし、それ以前にも債務と心得なかったとは言っていないというようなことを言っておられます。しかし、ある物事について考えておることが言葉になって現われるのでありますから、言葉になって現われたときに、そういう考えを持っておったというように解釈するのは常識でありますよ。その言葉は二十五年ごろから使うたのだけれども考え方としてはそれ以前にも別な考えを持っておったのじゃないのだ、ただ言葉としての使い方が二十五、六年からだというような、こういうあいまいなごまかしを言われますから、問題がはっきりしないのです。この点は一つ冷静に質疑応答を取りかわしてみましょう。私は事態の本質を明らかにしたいからこのことを質問している。池田首相は昭和二十四年四月十三日に、先ほども申しましたように、衆議院の予算委員会で、ガリオア・エロア援助——これは今も申されましたが、贈与なりやあるいは貸与なりやという問題は依然としてきまっておりません、私は講和会議においてきまるべきものと考えております。こう答弁されておるのであります。そして、さらに、去る三月二日の予算委員会では、二十四年のその答弁について注釈を加えられまして、もらう場合もありましょう、払う場合もありましょう、そういう意味で言ったのである、こういうように答えられておるのです。これは私は間違いないと思う。けれども、こう考えることと債務と心得るということとは、意味が違いますよ。二十四年答弁では、まだ債務であるか貸与であるかわからない、そういうことを言われておるのです。一つ一つ物資を分けて、これはもらったことになる分だ、無償だ、しかし他の部分はそうでない分だ、そんなことを今言われた。そういう詭弁を弄すべきではありません。そういうことを私は問題にしておるのではない。援助物資それ自身を私は一体のものと理解して質問をしておるのであります。総理答弁も、決してある個物はこうであるけれども、他の個物はそうじゃない、そういう意味でこの貸与なりや贈与なりやまだきまっていないということをおっしゃったのではないのです。そうでなくて、援助物資を全体として債務なりや貸与なりやきまっていない、こう言われたのです。そうしてまた、先ほど申しましたように、先日は、もらう場合もありましょう、払う場合もありましょう、こういうように答えられておるのであります。これは一体としてのとらえ方です。もらうものもある、払うものもあるというのは個別的なとらえ方です。従来はそうは言われなかった。これは新しい問題が起こった。ところで、債務と心得るというのは、一体としてとらえて、もらうべきものであるとは考えていないということになるわけです。債務と心得るということは、そうなるわけです。これは常識で判断すればそうなる。だから、今総理の言われましたことは、答弁の明瞭さを欠いております。昭和二十五、六年ごろから債務と心得るという言葉を使われましたが、その言葉を発しさせた内心の思想もやはりそうであった、こう考えなければ論理は成り立ちませんよ。議論できませんよ。常識的に私は問題を解明していきたいと思うのです。だから、詭弁を弄しないで下さい。はっきり、どうですか。昭和二十五、六年以前、ガリオア援助が始まって以来昭和二十五年まで、すなわち債務と心得るという言葉を発するようになったそれ以前は、今申しましたように、債務なりや贈与なりやということはまだきまっていないのだ、そう考えられておった時代でありまして、そのときの考え方と、債務と心得るというような言葉を使い出したときの考え方とは、はっきり違いますよ。そこをはっきりしていただかなければ困る。そこをもう一度御質問します。
  25. 池田清志

    池田国務大臣 昭和二十四年の四月に、私が、今お話しのように言っておるようであります。「ガリオアとかエロアとかの資金を贈与なりや貸与なりやという問題は依然としてきまっておりません。」、——このもとはどこから来ているかというと、昭和二十一年の七月に、援助物資についての支払い方法あるいは計算についてはあとからきめる、こうなっておるのでございますから、このガリオア・エロアの分は、もらう分もありましょうし、貸与の分もあろう、こう答えておるのであります。貸与の分もありましょうということは、やはり債務と心得るという意味と通ずるのであります。しかも、極東委員会の決定で、降伏後の対日基本政策のうちに、日本輸出代金は非軍事輸入の費用に使用することができる、これはもう債務性——援助物資は貸与であるから、貸しであるから、この分から差引く、これなんか、今の貸与性がはっきりしておるのであります。で、われわれは、ガリオア・エロアはみんな借りたものだとも思っておりません。また、払わなければならぬ部分が相当あるとも考えております。そこで、これをどう説明したがいいかという場合におきまして、貸与の分もあろうし贈与の分もあるから、一応その後において言葉として債務と心得ると言うのであって、これはある程度のものは払わなければならぬということははっきりしておる。それをどう言うか。貸与の分もあります、贈与の分もあります、このままで通してもよろしゅうございます。しかし、貸与の分もあります、贈与の分もありますと言うよりも、債務と心得ると言う方が簡単で明瞭だから、そう答えたのであります。
  26. 黒田寿男

    黒田委員 それは、簡単明瞭ではなくて、健全な常識を持っておる者には、そういう答弁は依然として理解することができません。今新たに、あるものは贈与であり、あるものは貸与であるというようなことを言われたようでありますが、そういう意味で従来は答えられていたのではなくて、援助物資は全体として貸与かあるいは贈与かということが論ぜられてきたのでありましたし、また、総理も、そういう意味において貸与であるか贈与であるかわからないと答弁されてきたので、個々のものについて、あるものは贈与になり、あるものは貸与になる、そういう意味ではなかった。第一、そんなことを言ってみたところで、簡単に区別できますか。なかなかそういうことはできるものじゃないのです。今いたずらに自分の主張を合理づけようと思ってかえってますます不合理な、前後相違したことを述べられておる。はっきりと答えられたらどうですか。昭和二十五、六年を前後として、そのときに初めて債務と心得ると言いだした。首相もそう答弁されている。事態の性質として、債務というのと贈与というのとは根本的に違うものです。それがどちらかわからぬというのが、昭和二十五、六年以前の、すなわち二十四年答弁に代表せられたその答弁である。昭和二十五、六年を前後として、それ以後債務であると心得ると言いだした。それ以前の考え方は、債務と心得ておるのではなかったのです。私はそう思う。  それでは、一体、債務と心得るということは何か。贈与なりやあるいは貸与なりやわからぬということが債務と心得るということでしょうか。そういうことは常識では考えられません。債務と心得る以上は、まだ金額や支払い方法がきまっておるかいないかということは別として、いずれは必ず支払わなければならぬものということですよ。贈与とは全然違う。だから、債務と心得るということが、もし、贈与なりやあるいは貸与なりやということがまだきまっていない状態のことであるということになって参りますと、これはまた問題が非常に混乱してきます。また、貸与と贈与とが部分的に混在していた状態だというようにも先ほど言われましたが、それは新たに言いだしたことである。ますます混乱してくる。(「何回も言っているのだから」と呼ぶ者あり)何回も言っておられることが、意味がはっきりしないから、きょうここで聞いている。もう少し待ってごらんなさい。私がさらにもっと議論を進めれば、わかるようになる。まだ議論の途中で、いいかげんの予想をして不規則発言をすることはやめて下さい。これはまじめな質疑である。私ども、真剣に、事態の真実を知ろうと思うから質問しているのですよ。それ以外に私どもの目的はないのです。  そこで、私はちょっと聞いておきますが、二十五、六年を境にして債務と心得ると言うようになったときの総理の解釈と、それ以前の債務なりや贈与なりやわからないという考え方とは違います。論理的に見ても違うし、常識上から見ても違う。この違いをなぜお認めにならないのか、もう一ぺん聞いてみましょう。
  27. 池田清志

    池田国務大臣 違いません。私は違わないという気持で答えておるのでございます。言葉使いが悪いというなら別でございます。事実は、先ほど申し上げましたごとく、この援助物資支払い条件、計算は追ってする、こう言っておるのでございます。これは一応債務と心得る、これは貸与と見るべきでございましょう。しこうしてまた、アメリカの方では、商務省の雑誌にはグラントとしながら、これはクレジットも含んでおる、こう言っておるじゃありませんか。これは社会党の方々の引用されるアメリカの商務省発行のブレティンによっておる。これは一応グラントと書くが、クレジットの分もある、貸しておる分もある、こう言っておる。同じことなんです。しかも、債務性をはっきりさせておるのは、日本輸出代金はこの援助物資支払いに充てられる、こういうことも言っておるじゃありませんか。これは債務性があるから貸与と見るべきでございます。しかし、これは貸与でありますと言ったならば、これは全部貸与になっては大へんでございましょう。われわれ、もらう分もある、こう心得ておるのでございます。貸与の分もあります、もらう分もあります、ということを簡単な言葉で言えば、一応債務と心得ておりますが、どれだけの債務かはわかりません、こういう意味で、貸与の分も贈与の分もありますということを債務と心得ておるという言葉使いをしておるのです。言葉使いが悪いという意味なら別でありますが、日本人にはわかると思います。これは日本人の大部分はわかります。
  28. 黒田寿男

    黒田委員 日本人にわかるような言葉使いをされておいでになりますれば問題はないわけです。そうしますと、総理は、いろいろ研究した結果、昭和二十五、六年からは債務と心得ると言うようになった。このことがそれ以前に考えていたことと同じ内容で用いられたとするなら、それ以前になぜ同じ言葉を使われなかったのですか。内容が違っておると思ったからこそ別な表現をしたのではないでしょうか。こう考えなければ論理が立ちません。正常な人間が議論をするときに、総理のようなことを言われたのでは、内容とそれを表現する言葉とが違っておるようなことを前提としては、議論はできません。外部に表現された言葉をもってその内容を推定するのですから、その両者の一致がなければならぬ。そうでなければ論戦はできるものではありません。  そこで、総理はなぜ二十五、六年以前に債務と心得るという言葉を使わなかったのであるかという疑問が起こります。それを一つ聞いてみたい。意味が違うからではないか。
  29. 池田清志

    池田国務大臣 同じことでも言葉を簡単に言う場合がございましょう。だから、先ほど答えたように、贈与の分もあります、貸与の分もあります、とずっときのうまで答えてきてもよかったのです。アメリカの方でもそう言っている。そこで、いつも、贈与の分もあります、貸与の分もあります、こう答えてもいいのでございますが、一口に債務と心得ると言う方が簡単明瞭だから、昭和二十五、六年ころからそれを使い出したということであります。言葉使いが悪いといえば別でございます。問題は、債務の分もあります。贈与の分もあります、と言うことと同じ。そこで貸与は債務でございますと言ったら、債務というのは確定債務か不確定債務か、こういうことになりましょう。そういう問題が起きますから、贈与の分もあります、貸与の分もあります、こういうので、全体をひっくるめて債務と心得ますと言うのであります。気持は同じでございます。
  30. 黒田寿男

    黒田委員 依然として総理の御答弁は明快ではない、はなはだ晦渋であります。はなはだ不明瞭であります。一体、日本語の常識として、債務と心得るということが贈与をも含んでおるなぞということがあり得ますか。日本人の思考方法として、債務であるけれどもまだその内容ははっきりしないんだから、債務と言わないで債務と心得るという理屈なら、——これはそういう理屈であったとしても問題が起こります。それは後で問題にしますが、せめてそうおっしゃるのであるならば、私どもはそう承っておいて、次の議論に進んでいっていいと思いますが、贈与も含んでそれを債務と心得る、そういうことは日本人の頭脳で考えられますか。これは私どもには理解できない。どうしても理解がいかない。こういうことが自民党の委員諸君には全部わかるというなら、頭がよっぽどどうかしておる。日本人の論理の思考方法として、そういう総理の理論は成り立ちません。白人か黒人かどっちかと言われたときに、白人なら白人、黒人なら黒人だ、黒人をも含んだ白人というようなことは考えられません。(「白黒、あいのこもいるじゃないか」と呼ぶ者あり)委員長、注意して下さい。
  31. 森下國雄

    森下委員長 御静粛に。
  32. 黒田寿男

    黒田委員 私は真剣に事態を明らかにしようと思って質問しておるのでありますから、どうか不規則な発言はおやめ下さった方がよかろうと思います。(「よくわかったでしょう」と呼ぶ者あり)わかりません。  そうしますと、総理債務と心得るというのは、贈与でもあり、あるいは債務であるかもわからない状態を言うのである、そうであるか。それとも、債務ではあるけれども、まだその金額や支払い方法や利率などがきまっていない状態を債務と心得るという言葉をもって表現したのであるというのでありますか。どちらでありますか。両方含んでおるということになると一そう混乱してくる。そこをはっきりしてもらわなければならぬ。贈与も含んだ債務という、そういう観念をわれわれは認めることは絶対にできません。中学化の頭脳のレベルでもそれはわかる。それをそのままにしておくから事態が少しも明瞭にならぬのです。
  33. 池田清志

    池田国務大臣 これは、払わなければならぬということはさまっておりますよ。これはスキャッピンが出ておる。そうして、実例におきましても、日本の品物の輸出代金援助物資輸入に充てておる。払わなければならぬということはさまっております。しかし、そのたくさんのうちに贈与分もありましたよ。これははっきりした贈与分もあります。そして、二十億近いものを向こうさんも全部貸与とは言っていないですよ。贈与分をグラントという名目で掲げておるのもあるのですよ。そして、確定債務じゃありません。確定債務は、あなた方の御協賛、同意を得なければできない。しかし、払わなければならぬということはわかっております。しかし、それには贈与分もあります。ただ、金額、支払い方法、利率等がきまらない。しかし、払わなければならぬ。どれだけということはきまっておりません。だから、私は、債務と心得ておる、こう言っておる。だから、ガリオア・エロアは、贈与分もありますし、貸与分もあります、こういうことであります。払わなければならぬということは覚書できまっておることです。
  34. 黒田寿男

    黒田委員 総理がきょうお答えになった言葉は、今までお答えになった言葉と変わっております。今までは、贈与であるか債務であるかわからない状態であると言われた。きょうは、債務もある、贈与も含まれておる、そういう混淆した状態を債務と心得ると言うのである、きょうそれは初めて承る解釈です。今までの解釈を私ども総理の解釈として聞いておった。きょう私の質問に対してはっきりお答えにならぬ。債務と心得るということと、債務贈与かわからないということとは一致しない概念でありますから、それを私どもがついたところ、きょうは答弁内容を変えて、今まで言った内容とは違って、贈与もあるんだ、しかし債務部分もあるんだ、それを債務と心得ると言うのだ、そういうことを言われたのでは、今までのお答えと全然違いますよ。今まで総理はうそをついてきておったのですか。——うそをついてきたとまでは言わないとしても、それでは、きょうの答弁と異なった間違った答弁を長い間してきておられたのですか。今まで私どもは、贈与債務かどっちかわからぬという言葉は総理から聞きましたけれども援助物資のうらに貸与分もある、贈与分もある、そのことが債務と心得るという言葉の内容だということをはっきりと聞かされたのは、きょうが初めてです。全然考え方を変えられたのですか。その点はっきりさせて下さい。そうしないと、質問する私の方が困るわけです。そういうぐらぐらしたこと、こっちをつかれればあっちへ逃げ、あっちをつかれればこっちのことを言うというのでは、これは国会答弁にはなりませんよ。どこか他の世界における答弁にはなるかもわかりませんが、いやしくも責任ある国会委員会における答弁にはなりません。はっきりさして下さい。
  35. 池田清志

    池田国務大臣 私は、大蔵大臣のときからずっと総理大臣までうそを言っておりません。今のように四月には言っておるじゃございませんか。ガリオアとかエロアとかの資金は贈与なりや貸与なりやという問題は依然としてきまっておりませんと。だから、今の債務と心得える、——今まで、今国会で四億九千万ドルを債務とするということを出すまでは、贈与なりや貸与なりやという問題は依然としてきまっていない。その言葉を、昭和二十五、六年ころは債務と心得るというのでやってきておるのであります。言葉使いが誤りだというなら別問題だ。気持はこれと同じです。だから、二十億近いもののうちはっきりした贈与部分もございますよ。グラントとアメリカでも言っているじゃありませんか。しかも、グラントのうちにはクレジットを含む、貸与もあるのだ、こう言っておるのは、アメリカ人も私も同じ考えであります。何も変えておりません。あなたが変わっておるとか言う。どこが変わっておりますか。今も言ったでしょう。昭和二十四年のときの気持を簡単な言葉で言って、債務と心得えると、こう言うのであります。それは贈与の分もあるから、貸与の分もあるから、こう言っておるので、ちっとも変えておりません。
  36. 黒田寿男

    黒田委員 私は、こういう議論を繰り返しておっては、これは切りがないと思います。総理がそういうようにお答えになるのでは、これはもうこれから議論を進めていくことはできませんよ。だれが考えてみても、こんなことを繰り返すのでは、不愉快になります。昭和二十四年に答えた、債務であるか贈与であるかわからないという意味は、今総理がお答えになったような意味と全然違うのです。ガリオア・エロア援助自身が一体として考え贈与であるか貸与であるかということがまだわからなかったのだというような意味に解釈しなければ、日本語の正しい解釈とは言えない。(「きわめてアカデミックだ」と呼ぶ者あり)アカデミックじゃない。それが日本語をもってするきわめて健全な常識的な考え方だと思います。こういう詭弁を弄されては議論の進め方がない。私はむしろ助け舟を出しているのだ。債務と心得るというのは、今総理がお答えになるようなものではない。なぜそれでは総理が、昭和二十五、六年以前に、たとえば二十四年の予算委員会において代表的にやられておるように答弁されたかということについては、私は私なりに解釈することができます。それはただいまは詳しく申しません。ただ、それは債務と心得るということについての今日の御説明のような意味はないということだけははっきり申し上げておいて、次に問題を進めたいと思います。しかし、どうもこのようなやりとりでは進めようがない。私はそう思うのです。もし何でしたら、多少時間を待っておりますから、きょうは一つ政府確定した解釈を出していただきたい。このままでは、総理と私との間に今までのような議論を繰り返しておっては問題を進めることができません。  委員長債務と心得るというのはいかなることであるか、このことについての確定的な解釈を一つ政府でしてもらいたい。今のようなことを言われるのでは、私は答弁にならぬと思う。今のようなことを答弁されたのでは議論の進め方がありません。最も肝心な総理大臣が前後違ったことを覆われるのですから、これでは仕方がない。私の質問に対する総理の御答弁では、満足がいくいかぬという問題ではなくて、理解ができないという問題です。健全な常識をもっては理解できない言葉でありますから、こういうことをここで引き続いて繰り返して聞きましても、それはとうとい審議の時間をむだに費やすことになります。この問題に関する限り私は留保しておきます。そうして質問を進めていきたい、こう思います。  しかし、一応もう一度総理見解を聞いてからにしましょうか。そういたしましょう。
  37. 池田清志

    池田国務大臣 債務と心得ておるということの根拠につきまして、政府見解を申し上げます。  それは、先ほど申し上げたごとく、昭和二十一年の七月に司令部の覚書によりまして、援助物資に対しまする支払い条件、計算については追って定めるということをはっきり書いております。これは債務性をはっきり言っておるものでございます。しこうして、昭和二十四年の四月の予算委員会で、このガリオア・エロアというものが贈与なりや貸与なりやという同順は依然としてきまっておりませんと答えております。そうしてまた、その次におきましても、イタリアその他西ヨーロッパ諸国におきましての例を見ますと、講和条約でこれが贈与になった例もあるのであります、私からはそれ以上のことは申し上げかねます、こう言っております。これはやはりその当日でございます。従いまして、われわれのあれとしましては、これが貸与なりと言ったならば、全部払わなければなりません。しこうしてまた、全部貸与でないということもわれわれ想像つきます。引当の部分贈与部分とわれわれ期待しておるのであります。だから、これをはっきり申し上げられぬと言っておるように、貸与の分もありますし、贈与の分もありますということで、これを考えてみますと、一口に言ったら、債務と心得ておるという不確定なものでずっといった方が、アメリカとの折衡その他わが国国民にもわかりやすい、こういうので申し上げておるのでございます。実際において、結果からも申しましても、十八、九億ドルの援助物資のうちで、結果が四億九千万ドル払うということになれば、貸与の部分もありますし贈与部分もあったという昭和二十四年の四月の答えが適当であったと思います。しかし、このことはやはり債務と心得るという言葉で来ておるのであります。これが政府確定的の考え方であります。
  38. 黒田寿男

    黒田委員 依然として、ただいまの御答弁は詭弁である。了解することはできません。私は、先ほど申し上げましたように、この点につきましては後日に質問を留保します。  ただ、ちょっと懸念のためにお聞きしておきたいと思いますことは、きょうは二十四年の御答弁の言葉をもって債務と心得るということの内容であると言われたのでありますが、そしてそれはきょう初めて承ることでありますが、それに相違ありませんか。そういうお答えであるならお答えであるということをはっきりしておいていただきたい。
  39. 池田清志

    池田国務大臣 さようでございます。
  40. 黒田寿男

    黒田委員 このことははっきりと記録に残ることと思います。  そこで、私は、この問題につきましてこれ以上に時間をとることはこの委員会のためにもよくないことと考えますので、この問題についての質問を留保いたしまして、さらに速記録を前後十分対照いたしまして、後日の機会において質問をすることにいたします。
  41. 森下國雄

    森下委員長 関連質問があるので、これを許します。戸叶委員
  42. 戸叶里子

    戸叶委員 ちょっと関連して、あとの質問の参考のために私は確かめておきたいと思います。   〔委員長退席、野田(武)委員長代理着席〕  今の総理の御答弁を伺っておりますと、二十四年のころの答弁は、贈与であるか債務であるかはわからないと言った、しかし、それはこういうふうにも言えるのだ、贈与の分もあります、債務の分もありますと答えてもいいけれども、簡単に言うには債務と心得ると言えばそれで済むのだ、こういうことを黒田委員質問に対して答えていらっしゃいます。このことをお認めになるでしょうね。債務と心得るということの中には、心得るということを言うかわりに、贈与の分もあります、債務の分もありますということを両方含んでおるのだ、こういうふうに了解していいわけですね。
  43. 池田清志

    池田国務大臣 全部が贈与でもない、そうして全部が貸与でもない、こういうことでございます。
  44. 戸叶里子

    戸叶委員 それでは、伺いますが、債務と心得るという言葉自体の中に、贈与の分もあります、債務の分もあります、こういうふうに解釈するわけでございますか、その言葉自体で。
  45. 池田清志

    池田国務大臣 どうぞそういうふうにお考えおき願いたいと思います。
  46. 戸叶里子

    戸叶委員 私は自分の質問のときにまたこれを問題にしますから……。
  47. 黒田寿男

    黒田委員 私の質問を、ただいまの問題を留保しておいて進めたいと思います。  健全な常識をもって政府の言葉使いを推測すれば、心得るというのは、今総理が御答弁になったような意味のものではなくて、債務ではあるけれども、その内容が、すなわち金額や支払い方法やあるいは利率等がまだ確定していない、けれども、事柄の性質としては債務である、そういう状態にあるものを、債務という言葉で呼ばないで債務と心得る、そういう言葉で表現されたのではなかろうか。こういう考え方なら、一応そういう考えはあり得る、こう考えます。そうでないと問題が起こりますよ。そういう考えはあり得る。それは健全な常識をもって納得できる。こういうことじゃなかったですか。そういう意味債務と心得るというのではなかったのですか。それとも、先ほど言ったような意味債務と心得るとこうおっしゃるのですか。これは両立しない観念ですよ。どっちかへきめてもらわなければならぬ。
  48. 池田清志

    池田国務大臣 先ほど来申し上げておるように、ガリオア・エロア援助物資は、将来債務になるものもありますし、援助になるものもあります、こういう考えでございます。これは債務でございますとは言えません。私は、向こうからは計算方法、支払い条件は追ってきめるということも言っておりますし、日本輸出代金援助物資輸入代金に充てておる、こういうことから見ますと、いかにも全部が債務のようでございますが、私は、やはり、これには贈与の分も、あるということはアメリカの情報その他で考えておりましたので、これは全部が債務であるという断定は私はいたさなかったのであります。全部が債務で、あとからこの債務を減額してもらうのだという気持でなかったということをここではっきり申し上げておきます。
  49. 黒田寿男

    黒田委員 それでは、今私が申しましたような意味でもないのですか。くどく申すようですが、債務ではあるけれども、まだ金額、支払い方法、利率等なんかがきまっていない状態の債務のことを、はっきりと債務と言わないで、債務と心得ておる、こう言ったのであるということではないのですか。そうであったかなかったかということを聞いておきたい。
  50. 池田清志

    池田国務大臣 先ほど申し上げた通りでございます。これは、幾ら繰り返しても、私の気持ははっきりしておるのでございます。債務と心得るということは、二十億近いものを債務として一応負担してそれから減額してもらうという意味じゃございません。私は、援助物資につきましては、初めから相当贈与の分もあるということを知っておりますから、そういうことと考えておるのが当然だと思いましてやったわけであります。
  51. 黒田寿男

    黒田委員 どうもはっきりしませんね。  では、私が今尋ねましたような意味であるかないか、それを答えていただけばいいのですから、もう一ぺんくどいようでありますが、お聞きします。債務であると心得るという言葉を政府が使われましたのは、まだ金額や支払い方法や利率などがきまらないけれども、払わなければならぬということが前提とされておる、払わなければならぬということが前提とされておるのだけれども、まだ金額や支払い方法や利率なんかがきまらない状態をもって債務と心得る、私どもはそういう意味かと推測していた。そういう意味であるかどうかということをはっきり答えていただけばいいのです。私の言うようなものでないならない、あるならある、そう答えていただけばいい。
  52. 池田清志

    池田国務大臣 あなたのおっしゃることがわからぬのですが、債務であるけれどもというのは、十八億ドルが債務であると初めからおきめになるのですか。その点がわかりませんから、私からお聞きします。
  53. 黒田寿男

    黒田委員 私は、金額が債務であるかないかという問題を別にしまして本、もしもガリオア援助の中に、たとい一部分でも債務になるものがあるということになれば、これは債務じゃありませんか。そこが問題なんです。一部は債務でないものもあるが、そうだからといっても、他に債務部分もある、まだ額がきまらぬけれども、やがて必ず支払わなければならぬものもあるのだ、そういうふうに初めから政府考えていたのであるのならば、初めから債務を負担していたことになるではないですか。そういう状態を、債務であると心得る、こう言うておられたのですか。全然債務性のないものを債務と心得るというわけはないわけです。一部でも必ず債務として支払わなければならぬものがあるなら、ガリオア援助債務ということになるではないですか。贈与の分がまじっておったとしても、一部贈与の分があったとしても、一部は初めから債務と心得るものがあるのだというなら、債務じゃないですか。ただ債務にならないものもあるというだけじゃないですか。そこがはっきりしない。これも私は何もいたずらに政府を攻撃するために言っておるのじゃないのです。事態を明らかにするためにほんとうのことを突きとめたいというつもりで言っておるのであります。どうも、私は、政府の言われることは、今お答えになったことは理解できないのです。政府は、初めから、全部が債務ではないけれども、一部は債務になるものがある、(発言する者あり)——ちょっと、これは大切なところですから、記録に残しておきたい。全部が債務とは思わないけれども、しかし、一部は初めから債務になるものもある、その金額等は明確ではないけれども、そういうものがあるには違いないという意味であったのですか。これは大切なことです。私どもは、贈与である、債務であるという議論は、そういうことではなくて、全体的に見て、これは債務ではない、あるいは贈与である、こういう考え方の議論ですから、今もし総理の言われるように一部でも初めから債務になるものもあったということになれば、初めから債務を負担しておるということになるのですよ。ただ、それが金額等が確定していないから、心得るというような言葉をもって、私どもの推測からすれば糊塗しておったのである。われわれは債務性はないと考えるのですが、首相の答弁からすれば債務性は初めからあった、そういう政府の主張になるのじゃないですか。それならそれではっきりして下さい。
  54. 池田清志

    池田国務大臣 全体か一部かという問題につきましては、大体、あなたも、一部は債務性のあるものだ、そしてまた……。
  55. 黒田寿男

    黒田委員 私が言うておるのじゃない。政府が言っておる。
  56. 池田清志

    池田国務大臣 私の言うことを聞いて下さい。一部は債務性のあるものだ、それからまた、他の部分贈与の分もあるのだということは、その点につきましてはあなたと同じ考えです。ただ債務性のあるものということは、債務ではございませんよ。将来債務になるものもある、こういう意味でございますよ。そうでございましょう。あのとき債務を負担しておるのではないのでございますから。そこで、貸与の部分もありますし、贈与部分もあります、これはまだはっきりいたしません、こう言っておるのでございます。一部そういうものが両方ともまじっておるということは、あなたの意見と同じ。ただ債務があるかということになると、将来債務になるものが含まれている、こういう意味でございますよ。
  57. 黒田寿男

    黒田委員 私は別に林法制局長官には答弁を求めておりません。池田総理はその当時大蔵大臣としてやっておられたのですから、何も今ごろになって当時のことについて法制局長官答弁を求めようとは思いません。横合いから出ないようにして下さい。  私は今相当問題になる御答弁を聞いたと思うのです。将来債務になるものがあるかもわからないということは、当時はまだ債務でなかったということになる。二十四年の答弁においてはこのことが言われている。債務やら贈与やらわからぬというのである。ところが、一部でも初めから債務になるものがあるというなら、二十四年に総理のおっしゃった言葉とは違います。将来債務になるものもあるかわからないということは、まだ債務になっていないということです。それは、一部はすでに必ず債務になるものもあるが、他のものは贈与になるものもあるかもわからないということとは違うのです。その点は大切なことです。そこをはっきりして下さい。
  58. 池田清志

    池田国務大臣 それは、二十四年の四月に言ったことと債務と心得るということは同じことでございますと、こうはっきり育っておるじゃございませんか。言葉使いが悪いと言うなら別でございますよ、これは日本語の問題ですから。気持は同じ気持で言っております。そこで、今の債務性があるということは、二十一年の覚書で言っておるわけです。それから、極東委員会でもはっきり言っておるわけです。だから、債務性はございます。しかし、債務じゃございませんよ、まだきまっていないのですから。
  59. 黒田寿男

    黒田委員 まだきまっていないから債務ではございませんとおっしゃいましたね。それは、私が先ほど言いましたように、債務であるか贈与であるかがきまっていないということではなく、債務ではあるけれども、まだ金額その他の内容確定していないから債務という言葉を使わぬのだということにすぎないのです。けれども債務であるということには違いないじゃないですか。ここは非常に大切です。切めから債務ではあるけれども内容がまだ十分に確定していないから債務という言葉を使わなかったのだ、債務性はあるということと、まだ債務になるやら贈与になるやらわからないから債務と言わなかったのだということとは非常に違うのです。このことについて、総理の御答弁では、前後で意味が違っていると常識上の判断で考えられますので、私ども議論を進めていく上において非常に不便を感ずるのです。今までおっしゃったこと、この問題につきまして総理の御答弁になったことは、私ども、悪い意味において参考になる。これは、なおよく記録を調べまして、前後を十分に対比します。この点につきましても私は質問を留保しておきます。そうして次の問題に進行します。   〔野田(武)委員長代理退席、委員長着席〕  この問題はまだ残るのですが、もうちょっと確かめてみます。われわれの考え方とは違いますが、政府債務になるものが一部はあるということを考えておられたというのですが、それはそうでしょうね。そうであれば、これからこの考え方出発点として問題を発展さしていきたい。債務もあるけれども——どもがそう考えておったのじゃないですよ。債務になるものもあるけれども贈与になるものもある、こう考えておったのだ、それは初めからそう考えておったのだ、政府が配付されましたアメリカ側の三文書が発せられたそのころから債務と心得ておったのだ、その意味は、今申しましたように、ガリオア物資の中には債務になるものがあるということをその当時から心得ておったのだ、ただ額等がきまっていなかっただけだ、だから、債務という言葉を使わなかったのだ、心得るという言葉を使っておったのだ、しかし、心得ておるという言葉使いは二十五、六年から始めたのだ、こういうことになると思います。やはり切めから、債務になるものも一部ある、こういうふうにお考えにはなっておった。この点は大切です。その点をちょっとはっきりして下さい。
  60. 池田清志

    池田国務大臣 先ほど来言っておるじゃございませんか。昭和二十一年の七月にそういう覚書が出ておるじゃございませんか。そしてまた、極東委員会から日本輸出代金援助物資輸入に充てておるじゃございませんか。これは多分贈与でないということを示しておるのであります。債務と心得るというのは、確定債務じゃないということです。将来支払わなければならぬかもわからぬ、それは交渉によってき在ることだ、こういうことを言っておるのでございます。
  61. 黒田寿男

    黒田委員 ただいまの御答弁でまた違ってきた。将来支払うかどうかは交渉できまると言われた。それでは、今日の先ほどまでの答弁内容とまた違ってきた。はなはだはっきりしない。今までの御答弁で私は満足するわけにいきません。これは、先ほど申しましたように、いま一度なお速記録を精査いたしまして質問することを留保させていただきます。  総理の御答弁はあいまいですが、とにかく、初めから債務になるものが一部あった、こうおっしゃったことを基礎にして質問を進めましょう。そうすると、これはやはり初めから債務であったのじゃないですか。ここが大切ですよ。額がきまっておらぬけれども債務になるものがあるということを初めから覚悟しておったというのですから、それはやはり債務を負担しておったということになるのじゃありませんか。その当時憲法問題が生ずるかどうかということも問題でありますが、その当時国会の問題にこの意味でなすべきであったかどうかということも、これはあとから問題にしてみたいと思いますが、とにかく、一部は債務になるものが必ずあるというふうに考えておったということになれば、それじゃ、援助物資を受けておった当時、日本債務を負担しておったのだということになるのではないでしょうか。
  62. 池田清志

    池田国務大臣 これは、支払いその他をきめるということになっておるのでございます。それだけでは債務を負担したことになりません。債務を負担するのは、債権債務の合議がなければなりません。その合議のところまでいっていない。支払わなければならぬということですぐに法律上の債務になるか、将来そのことにつきましては計算、条件についてはきめるということになっておるので、普通の債務ではないと考えております。  なお、法律問題でございますから、法制局長官から答えさせます。
  63. 林修三

    ○林(修)政府委員 この問題は、今の憲法に照らしても、私は、いわゆる債務を負担したことにはならないと思っております。  もう一つ、問題は、これは黒田さんもよく御承知だと思いますが、この問題は二十一年七月のスキャッピンで性質がきまっておるわけであります。そのときにすでに、スキャッピンで、この支払い条件あるいは計算はあとできめる、こういう性質のものとして、ずっとあと来ております。別にその後性格が変わったものでも何でもございません。その性格がずっと続いてきておるわけです。そのことは、かりに、これは債務であるとおっしゃるのかもわかりませんが、いわゆる新憲法施行前のことでございまして、そのすべての債務について、新憲法施行前にあった債務を、新憲法になったときにもう一ぺん国会にかけなければならないという性質のものでもございません。これは、しかし、そういう意味確定債務でないことは明らかでありますが、要するに、債務性の濃いものという性格は、そういうことを度外視しても、二十一年七月のスキャッピンできまっておる、その性格はずっとあとまで続いておる、こういうものでございます。
  64. 黒田寿男

    黒田委員 債務性の濃いものというのはどういう意味ですか。将来払わなければならぬということがきまっておるなら、債務を負担したことになるのではないですか。債務性が濃いということと、債務ということとはどう違うのです。債務性があるとか、債務性が濃いということは、やはり債務があるということになるのです。詭弁を弄してはいけませんよ。健全な常識をもって判断した御答弁を願いたい。
  65. 林修三

    ○林(修)政府委員 このガリオアあるいはエロアの援助の性質は、スキャッピンの昭和二十一年七月の内容できまっておる。それをいかに表現するかという問題だけであります。これは、その通りに言えば、要するに、この援助支払い条件及び計算は追ってきめる、これを何と心得るかという問題でございます。要するに、これは全部贈与ではないということを現わしておる。追って、その全部が、あるいは場合によっては交渉の結果贈与になるかもしれない。しかし、相当部分返還を要求されるかもしれない。その返還の額は幾らになるかわからぬ。そういうことはすべてあとの交渉にまかされておる。つまり、全部もらったものでないという性格ははっきりしております。それを債務性が濃いということで表現したわけでございます。要するに、条件内容は、あのスキャッピンの内容できまっておる、こういうものでございます。
  66. 黒田寿男

    黒田委員 全部もらったものでないというなら、一部はもらったものがあるということになっておったのじゃないですか。その点、林さん、どうですか。その反面、全部もらったものでないというなら、一部は払わなければならぬもの、こう考えておったのですか。それではやはり債務じゃないですか。債務性が濃いじゃなく……。それは全体としてはいろいろなものがまじっておるから、あるいは全体としての性質を債務性が濃いとおっしゃられたのかわかりませんけれども、しかし、全部が贈与じゃなくて、将来必ず支払わなければならぬものも一部あるということになれば、その一部のものが債務じゃなかったんですか。私はその当時のことが簡単に言うことは困難であるということはわかっているのですよ。けれども政府が強弁されるから私は質問するのです。はっきりおっしゃい。その当時として、われわれは、ガリオア・エロア援助債務だとは言えないものだ、こう思うのですけれども政府の言うことははっきりしない。
  67. 林修三

    ○林(修)政府委員 これは、もう何回も繰り返すことになりますが、要するにスキャッピンの条項できまるわけでございます。これはよく御承知だと思いますが、ガリオアの中にはごく一部分を初めから贈与だと言ってきたものもございます。そういう意味で、全部が全部向こうが初めから贈与ではないと言っていたわけではございませんで、一部は贈与部分がはっきりしております。それから、残った部分全体についていかほどを向こうがあと返還してもらうように要求するかという問題は未確定でございます。従って、たとえば、はっきり向こうから贈与だと初めから言った分を全体から除いたものが日本側の計算で十七億九千万ドルございます。そのうちの四億九千万ドルを債務として確定する、そうすれば、残りは結局もらったことになるわけであります。そういう意味で、全体として考えて、全体のどの部分債務であって、何年何月に来た物資債務である、何年何月に来た物資贈与であるというようなことは、ごく一小部分について初めから贈与と言ったものはございますけれども、その残りの大部分のものは、つまり、この部分債務であるとか、この部分贈与であるとかいうことは、初めは何も向こうは言っていないわけであります。要するに、それは追ってきめるということであります。全体として総合してわれわれは判断するほかない。全体として総合して判断すれば、債務と心得る、つまり、全部もらったものじゃない、いずれ支払いをしなければならぬものである、そういう性格を含んだものである、こういう表現しかできないものと思います。
  68. 黒田寿男

    黒田委員 要するに、それは全体としては債務になるものとならないものがまじっていた、こうおっしゃるのでしょう。私はそうも考えません。私の解釈はあとから申しますが、全体として贈与でなかったのならば、一部は債務になるものがあるということはその当時から考えておられたのではないですかということを聞いておるのです。そうであれば、どんな問題が起こるかということはまたあとから質問します。そうではないのですか。そうではなくて、まだ債務になるやら贈与になるやらわからぬものだ、全体的に見てそういうふうに考えておった、そういうふうにとれる説明もまじっていたように思われる。そこで、そのところをいろいろと聞いておるのであります。総理大臣の御答弁にもいろいろと前後矛盾する点が出たのです。ただいまの私の質問に対してはっきり答えていただきたい。余分なことを言っていただく必要はありません。これはきょうになって初めてそういうことを聞かされるのでありますが、このガリオア物資の中には贈与になるものもあるけれども債務になるものもあるのだということを初めから心得ておったの、だということになるのですかどうですか。林法制局長官お話だと、全部が全部贈与ではないとおっしゃる。それなら、一部は債務となるべき性質のものだというふうに受け取ることは常識じゃないですか。だから、そうであるかどうかということを、イエスかノーかだけ聞かしていただけばいい。ほかのことを言っていただきますと、また答えが不明瞭になります。
  69. 林修三

    ○林(修)政府委員 このガリオア・エロア援助の性格は、スキャッピンの第四項に書いてある通りでございます。それ以上のものでもなければ、それ以外のものでもないわけでございます。
  70. 黒田寿男

    黒田委員 どうも私の質問に対する答弁になりませんね。こういうことでは質問を続けていくことが非常に困難だということになります。こういうことになるのじゃないですか。要するに、その当時の状態として、金額等はっきりしないけれども、しかし、贈与でない部分があり、すなわち将来支払わなければならぬ分があるというのならば、債務になるということが確実なものがあったのだ、そうすると、言いかえれば、金額等その内容はまだ明確ではないが、とにかく債務を負担しておるという関係になるのじゃないでしょうか。債務でない部分があることは別ですよ。必ず債務になる部分のものがあるならば、その内容は明確ではないにしても、内容はまだ確定してないけれども、しかし、そういう内容不明確なままでやはり債務を負担したことになったので、債務負担じゃありませんか。
  71. 林修三

    ○林(修)政府委員 いわゆる不確定債務とおっしゃる意味がどういう意味かわかりませんけれども、要するに、これは今のスキャッピンの第四項で、追って交渉しよう、追って協議してきめようということでございます。従いまして、全体として、あるいはもらったものになるのか、あるいはその一部分の金額を払わなければならないようなことになるのか、そういうこと自身が不明確なわけでございます。つまり、金額はほかの条件できまってくるけれども、今金額はわからない、しかしほかの条件が成就すればきまってくるというような意味の不確定債務とこれは違います。要するに、幾ら払うか、また、払わないで済むか、どのくらいをどういう条件で払うかということはすべてあとの協議にまかされている。そういう意味は私は債務を負担したということにはならないと思うわけでございまして、いわゆる、いずれあるいは払わなくちゃならない事態は起こるであろう、しかし、それはそのときに債務を負担したことにはならない、かように私は考えるわけでございます。
  72. 黒田寿男

    黒田委員 また問題になる言葉が出ましたね。払わなくても済むようになるかわからぬと言われる。それなら、先ほどから言いますように、贈与債務かわからぬという状態であったということになる。そうであるかと言えば、いや初めから債務と心得ておるのだ、あるものは贈与だが、あるものはそうではないと言う。それなら債務になる部分があるじゃないかと言うと、今度は、払わなくて済むようになるかもわからぬと言う。これじゃ議論になりませんよ。  それでは、私はこう考えるということを申してみましょう。大体、この当時のことを債権だとか債務だと言おうとするから今のような苦しい答弁が起こってくる。私は、前回も申しましたが、池田首相が、贈与なりやあるいは貸与なりやという問題はまだきまっていない、もらう場合もあるかもしれぬし、払う場合もあろう、講和条約のときにこれはきまるのだ、こう言われました言葉の意味はどういう意味か。私はこういうふうに解釈する。それは、前回質問で繰り返して述べましたように、ガリオア・エロア援助が行なわれておりました当時は、アメリカ占領政策としてこれが行なわれておったのでありまして、従って、一方的意思によって行なわれたものである。決して契約的基礎に立って行なわれておったものじゃないのです。すなわち、法的な債権債務関係というようなものがまだ発生するような状態ではなかった。しかし、将来は払ってくれということも書いてあるではないかと言う者がありますが、その意味は、契約の基礎に基づいて債務として弁済を要求するという意味ではなくて、占領者として対価を将来取り上げることもあるかもわからないという意思を留保しておるのだ、私はそういうような意味に解釈すべきであると思うのです。協定に基づいた権利の実行としてというようなものではなくて、事実上の取り立てをすることがあるかもわからない、こういう意思を表わしておるものでありまして、従ってまた、わが国がこれに報いるといたしましても、吉田元首相の答弁のように、あるいは緒方副総理答弁のように、法的債務としてでなく、そういうものとしてではなくて、国の名誉の問題として、道義の問題として、やっかいになったの、だからお礼はするのだ、こういう意味において返すという考え方も出てくるわけです。私は返す必要はないと思いますが、返すとしてもそういう関係においてであったのじゃないですか。それなら何も権利義務なんということでむずかしく言う必要はないのですよ。政府が法律上の債務の負担として今回協定承認を求め、従来債務と心得るというように言われてきたものですから、そこで私は今このような質問を続けてきたのです。私どものように解釈すれば、これは私は実態に即した解釈だと思う。そうすれば何も苦しい答弁をする必要はない。昭和二十四年に池田首相が、債務になるやら贈与になるやらわからないと言われたのは、私が言うたような意味と解釈すれば、すなおに理解できるのです。そうじゃないのでしょうか。法的な債務というような関係は成り立っていなかったのではないでしょうか。成り立たなかった状態とすれば、なぜ今日に至ってその法的関係のないものの中から法的関係が出てくるかという問題が起こってくるのです。私は今解釈するように解釈しているのですが、これは、どうですか。
  73. 池田清志

    池田国務大臣 吉田元総理が言われた法的債務でないということは、国が債務を負担することは国会承認を得なければなりません、従って、法的債務でない、こう言っておる。私の言っておる債務と心得るということと同じことを言っておられるのでございます。
  74. 黒田寿男

    黒田委員 これは依然として私どもを満足せしめる答弁ではございません。そうすると、実質的には債務の負担をしておった、しかるに、憲法上の手続をとっていなかったから、債務だと言うと責任を追及せられるから、債務と心得るという言葉を使っておったのだ、こういうことになるのですか。これは非常に問題だと思う。
  75. 池田清志

    池田国務大臣 実質的にも債務であると私どもは認めていない。それは債務と心得る、そして、それには、贈与の分もありますし、債務の分もありますし、これに何ら変わりない、これで私はおわかりだと思います。
  76. 黒田寿男

    黒田委員 相変わらずわかりません。贈与の分もあるけれども、他の部分債務であるならば、債務はあったということになるのですから、私はそう解釈します。総理の御答弁では私どもは満足することができません。あくまで、債務になるべきものも一部含まれておったという御解釈である。政府はそう言っておられる。今までの答弁答弁内容は再三変わって参りましたが、ただいまは、債務の分もある、そう言っておられるのです。そうすると、憲法上の承認を経ない以前に債務の負担をしておったということに事実上なるのですよ。債務の分もあると強弁すれば、そういう理屈になる。これは私は健全な常識で考えてそういう問題が起こってくると思うのです。これはどうですか。
  77. 林修三

    ○林(修)政府委員 その点は、先ほど実はお答えしたかと思うのでございますが、要するに、国が債務負担するには国会承認が必要である、国会の議決を必要とするという、今の憲法八十五条でございましたか、その規定に言うような債務ではないと私は思います。その債務には今度の協定によってなるわけでございます。従いまして、今回の協定でその御承認を得れば、それによって国の債務として確定するわけであります。それで、その以前の問題については、先ほどから申し上げた通りの性格のものでございますから、これは、今の憲法に照らしても、そういうスキャッピンの出た当時においてこれを国会にかけなければいけないという問題ではないと私は思います。まして、そのスキャッピン自身、これは旧憲法時代に出たものでもございますので、今の憲法の問題でもございません。しかし、いずれにしても、あのスキャッピン自身がそういう確定的な債務をきめたもの、かようにはわれわれは考えない。あそこに書いてある通りのものだ、かように考えます。かりにこうしたことが今の憲法下に起こったとしても、私は、ああいういわゆる憲法八十五条で言う債務負担ということにはならない、かように考えます。
  78. 黒田寿男

    黒田委員 また疑問に思う問題が出たわけです。同じ行為であっても、ただいま法制局長官の言われることを聞きますと、憲法上の規定に基づいて国会承認を得れば債務になるのだ、経ない間は債務ではない、こういうことを言われたのですか。承認の有無にかかわらず、同一の行為ですから、債務負担行為であることに違いはない。承認を得ることによって違憲性を免れようとしているのではないか。また、支払いをするには承認が必要だからそれを求めているというにすぎないのではないか。
  79. 林修三

    ○林(修)政府委員 憲法の問題は、形式的な問題と実質的な問題と両方ございます。つまり、国会承認を得ていなければ有効の債務でないという問題か一つと、それから、そういう債務負担をするには国会承認が要る、そういう実質的な債務政府限りで負担してはいけない、こういう二つの問題があるわけでございます。どちら側から言っても、これはそういう性格のものではなかった、かように考えるわけでございます。事は旧憲法下においてしかも占領のスキャッピンということで起こっている問題でございます。今の憲法の問題ではどちらにしてもない。しこうして、こういうような昭和二十一年七月のスキャッピンのような事態は、今後、普通の状態では私はおそらく起こるまいと思います。普通のときには、要するに、政府としてあとで払うか払わないかわからないというようなことで物を買うということは、普通には起こらない事態だと思います。平常時においてはこういうことは起こらないと思いますが、しかし、かりに、まだ払うか払わないかわからない、全くもらうかわからないという問題であれば、憲法で言う債務負担というものとはおよそ違うものだ、かように考えます。
  80. 黒田寿男

    黒田委員 法制局長官の御答弁はまた変わってきました。私は承服できません。債務であるかどうかということはわかっていない、全くもらうかわからない、そういうものは憲法でいう債務負担とは違う、そう言われた。それはわかりきっていることです。そうすると、ガリオアは払うか払わないかわからない、全くもらうかもわからないというのですか。それならもちろん債務負担にはならない。そうおっしゃったのですか。
  81. 林修三

    ○林(修)政府委員 不確定債務というものにもいろいろ言葉がございまして、つまり、金額はきまらないけれども、こういう条件がこうなれば金額ははっきりきまってくる、そういう意味の不確定債務でございます。しかし、初めから債務であることははっきりしている、ただ、その金額の内容等は一定の他の要件によってきまってくる、こういうものはもちろん債務負担でございます。しかし、ここで問題になっているような問題は、実は条件を追ってきめようということでありまして、全額、あるいはもらうことになるかもわかりませんし、あるいは債務負担になるかもわからない。そういう問題は、条件をきめて初めて国会の御承認を得て、それではっきりした債務にする、それをきめなければ、実は法的債務であるかどうかもわからない。きまるまでは憲法で要請しておるような債務負担という問題は起こらない。これはかりに今の憲法下に引き直してもそうだと思います。  問題は、何べんも申しますように、二十一年七月の問題でございます。これはいわゆる旧憲法時代の問題でございます。また、占領という一つの特殊な事態の問題でございます。しかし、そういう問題を度外視しても、今の憲法に引き直してみても、つまり、今後折衝してみなければそういう法的債務になるかどうかわからないという問題は債務負担ではないと私は思います。
  82. 黒田寿男

    黒田委員 それならば、やはり、最初から債務であったか贈与であったかというのがきまっていたのではなくて、交渉してみた結果債務になるかもわからない、全くもらえるかわからない、そういうふうになるのですか。総理大臣は、さっきは、そうじゃないと言われたでしょう。初めから一部債務となるものはあるのだと言った。今法制局長官は、交渉をしてみればあるいは債務にならないで負けてもらえるかもしれない、まだその状態が確定していない状態だ。こうおっしゃったように聞きましたが、どっちなんですか。前後言うことが違いますよ。
  83. 林修三

    ○林(修)政府委員 これは、何べんもお答えします通りに、スキャッピンの昭和二十一年七月の第四項の意味でございます。その意味をどうとるかということでございます。これはあの言葉通りにとるわけでありまして、追ってきめようということでございます。(「その当時は債務ではなかったのでしょう」と呼ぶ者あり)いや、債務ではなかったとは申しません。債務になる可能性もあるわけでございます。可能性はある、それを債務と心得るという意味でございます。
  84. 黒田寿男

    黒田委員 いわゆる債務になるものがあるということは初めからわかっておったんだ、一度はこうおっしゃったのでしまう。幾らになるかということはわからない。それならば、債務を負担しておったということになるんじゃないですか。そうかと思うと、今度は、ただいまのように、交渉の結果払わなくてもいいようなことになるかもわからないと言う。どっちです。今度は総理大臣と法制局長官とのお話がそごしているというだけではなくて、法制局長官それ自身のお答えが分烈しております。違っていますよ。冷静に考えてごらんなさい。
  85. 林修三

    ○林(修)政府委員 私は終始一貫して同じことを言っているつもりでございます。この点は速記録をごらん下さればよくわかると思います。
  86. 黒田寿男

    黒田委員 ただいまの御答弁に承服できません。
  87. 森下國雄

    森下委員長 ただいま黒田君の質疑に対して関連質問の通告がありますから、これを許します。川上貫一君。
  88. 川上貫一

    ○川上委員 私のは簡単ですが、今ちょうど黒田委員質問をしておられる問題に関連しますから、ここでほんのちょっとだけ質問さしてもらいます。  法制局長官は非常に重要なことを言われておる。長官の答弁は、全部もらえるか、一部支払わなければならぬかわからぬ、全部もらえるかもわからぬ、これははっきりとそういう答弁があった。これは総理答弁と全く違います。同時に、全部もらえるかわからぬものをなぜ心得ると言うか。これは言えません。全部もらえるかわからぬものを心得ると言うたのは、勝手に言うたのだ。これは非常に重大な問題だ。同時に、黒田委員質問しておる、最初から債務であったと思っておったのじゃないか、これに対しては答弁があいまいだ。同時に、全部もらえるかもわからぬ、そこでわからなかったのだ、こうはっきり言うたのだ。これをどうして債務と心得たか。これは心得ることはできません。これについては、総理と長官との答弁は全く違うのみならず、私は長官の答弁、これが重要だと思う。これははっきりしなければいかぬ。
  89. 林修三

    ○林(修)政府委員 私は実は総理のおっしゃったことと全然違ったことは言っていないつもりであります。つまり、スキャッピンの第四項の言葉、要するに、追ってきめるということでございます。追ってきめるということは、もちろん追って交渉するということで、もちろん、これは、そういう意味においては、払わなければならないことは一応は予想されるわけでございます。しかし、その払う条件、払う内容等は全然まだ不確定である。従って、交渉内容によっては、あるいはそれがゼロになることも、言葉自体としては含まないことではないわけであります。しかし、つまり、向こうただでくれたということはどこにも書いてない。つまり、日本としては払わなければならない事態になることは当然予想されるわけです。従って、それを債務と心得ると言うことは何も矛盾ではございません。
  90. 川上貫一

    ○川上委員 当然、心得るなんていう言葉は出てきませんよ。全部がもらえるかもわからぬと言った。   〔発言する者あり〕
  91. 森下國雄

    森下委員長 静粛に願います。
  92. 川上貫一

    ○川上委員 そんなことを言うちゃいかぬと言うておるじゃないですか。このものを、心得るとどうして言えるのですか。全部もらえるかもわからぬ、また一部は払わなければならぬかもわからぬ、全部もらえるかもわからぬという条件のあるものをどうして心得ると言うか。これは債務と心得ると言うことはできません。この点についてはっきりと御答弁を願いたいと私は言っておるのです。私は関連ですからたくさん質問しません。黒田委員質問中ですから、続いて黒田委員の方で質問してもらえばいいのです。私の質問はこれだけです。
  93. 林修三

    ○林(修)政府委員 もちろん、スキャッピン自身に、全部くれるなんてどこにも書いてございません。追って交渉するということでございますから、追って支払い条件がきまり、支払わなければならないようなことになるということは当然予想されるわけでございます。しかし、交渉でございますから、あるいは向こうがそれは負けてくれるということも、あの言葉自体では、ないとは限りません。そういう意味を申しただけでございます。しかし、日本側としては、これは支払わなければならないという事態になることは当然予想されるわけでございます。それを債務と心得ると言うわけでございます。また、そのほかの、マッカーサー元帥のアメリカ国会における証言とか、あるいはいろいろなことから見れば、当然これは日本債務であると向こうは言っているわけでありまして、全部もらえるというような性質は、あるいは当然予想できなかったと思います。しかし、あの言葉自身で言えば交渉事項になっているということを私は申し上げただけでございます。
  94. 川上貫一

    ○川上委員 その答弁はだめです。向こうが言うているからということはない。債権債務というものは、本来、向こうが言うと同時に、こっちが承諾しなければ、債権債務ということにならない。向こうが言うているからということはいけないのみならず、第一に、ここで全部もらえるかもわからぬと言った、ここがわからぬと言うた。だから、一部、(発言する者あり)——君に聞いているのじゃない。そう心配せぬでもよろしい。僕はこれでやめるんだから、心配要らぬ。心配するのは政府の方だ。全部もらえるというものをなぜ債務と心得ると言うたのですかということを聞いておるのです。この点なんです。交渉によってはゼロになる、あるいは全部もらえるかもわからぬ、一部払わなければならぬかもわからぬ、ここのところがわからぬのでありますからと言うておる。これをなぜ債務と心得たのかと言うのです。向こうが言うたから心得る、それは心得るになりません。債権とか債務というものが生ずるのは、向こうが一方的に言うたから生ずるものじゃないのです。これは相互の問題なんです。債務と心得ると言うたことは、これは債務と思うたということなんですよ。だから、債務があったんです。これは黒田委員質問の通り。ところが、全部もらえるかもわからないものを、それをどうして心得るということが言えるかという問題は、きわめてこれは重大ですから、私はもう質問しませんけれども、これだけははっきりしておいてもらいたい。
  95. 池田清志

    池田国務大臣 昭和二十一年七月何日の覚書によりますと、援助物資支払い条件及び計算については追ってこれを交渉する、こうなっておるのであります。この言葉自体は、理論的に考えますと、万が一もらう場合も理論的にはあり得る、観念的には。しかし、それは非常な例外の場合。これを私は言ったのだと思います。理論的に言えば、支払い条件、計算は追って定めるというときには、これは全然贈与ということは理論的に起こらないか、実際的は別問題として、理論的に起こり得ないかということになると、そういう場合も例外の例外で、観念的に考えられぬことはないという意味法制局長官は言ったと思います。観念的に考えられぬことはない、こうお考え願いたい。支払い条件及び計算につきましては追って定める、それで、支払い条件及び計算については追って交渉で定めるというときに、われわれは、今の日本語で、債務を負担したとは言えない。しかし、将来債務になり得るものがあると考えますので、債務と心得る、こう言っておるのであります。
  96. 川上貫一

    ○川上委員 総理は、観念的にとか、きわめてまれにとか言われましたが、このきわめてまれにあり得ること、これを総理言うておる。あり得るものを、どうして先に債務と心得たのか。絶対にそういうことはあり得ないから債務と心得たというのじゃないのです。まれな場合にはそういう場合もあり得ると覆う。それから、長官ははっきりと、全部もらえるかもわからぬから、ここをはっきり言わなかったのだ、こう言うている。それをどうして債務と心得たのか、この点がはっきりしない。同時に、総理の方では、ごくまれな場合ではあるけれども、全部もらえることもあり得ると言う。そういう時分には債務と心得ることはできません。関連ですからたくさん言いませんが、この点がはっきりしないから、このあとは(発言する者あり)!何です。(「ヤジなんかに耳をかすのじゃない」と呼ぶ者あり)——そうじゃないんだ。委員長、ヤジをとめなさい。まじめな質問をしている。どうしてヤジするのですか。これをとめなければだめだ。関連の関係でいかぬというのなら、委員長は関連をやめいという命令を出しなさい。私は許可の範囲でやっておる。
  97. 森下國雄

    森下委員長 川上君に申し上げます。関連質問でございますから、なるたけ簡単にお願いします。
  98. 川上貫一

    ○川上委員 私はこれ以上繰り返して言いませんけれども、私の要点はもう簡単なんです。全部もらえるかもわからぬと言う。総理は、万々一ではあるけれども、全部もらえるかもわからぬ、こう言われた。これをなぜ債務と心得ると合点したのか、ここなんです。これだけなんです。
  99. 池田清志

    池田国務大臣 私は、援助物資は、贈与の分も考えられるし、それから貸与とも考えられる、こう言っておる。ただ法制局長官が言うのは、あの昭和二十一年七月の覚書を純理論的に言えば、支払い条件及び計算は追って交渉で定めるというときに、これはもう全然理論的に、全部もらえる場合、全部支払いをする場合、これがないかといったから、そういうことも理論的にはあるということを法制局長官は言ったと思うのであります。それを私は申し上げている。昭和二十四年の委員会で、野坂君の質問に対して答弁しているように、この援助物資は、贈与の分もありましょうし、貸与の分もありましょう、今はっきりいたしません、これ以上申しかねますと、こう言っておるのでございまして、法制局長官の今言った、覚書の支払い条件及び計算は追って定めるという場合におきまして、観念的な問題としてはこうだと言っているという意味で、私は補足したのであります。
  100. 川上貫一

    ○川上委員 関連質問ですから、留保しておきます。
  101. 黒田寿男

    黒田委員 今朝からの御答弁は、戸叶君あるいは川上君などが御質問になりましたことに対する政府の御答弁も、私に対する御答弁でも、問題を少しも解決しておりません。この点は、あらためて速記録を精査いたしました上で、いま一度質問をいたします。そのことを留保しておきます。  なお質問を続けていきたいと思いますが、休憩の時間が参りましたので、休憩後に質問を続けます。
  102. 森下國雄

    森下委員長 この際暫時休憩いたします。    午後零時五十四分休憩      ————◇—————    午後二時三十六分開議
  103. 森下國雄

    森下委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。黒田寿男君。
  104. 黒田寿男

    黒田委員 午前中に引き続きまして質問いたしますが、少し角度を変えます。それから、午前中のようにいろいろと問答を繰り返しておりますと、貴野な時間を必要以上に費やすことになるおそれがございますから、これからの質問は、私の質問の要旨を述べまして、御答弁で食い違うところがありましても、あるいはきょうは質問を繰り返さないかもわかりません。後日それをまた問題にするという方法をとることになるかもわかりません。そうしませんと、午前中のようなやり方で進めますと、なかなか予定の時間通りに質問が終わらないのであります。そういう心がまえでこれから質問をいたします。  そこで、池田首相にお伺いしますが、今回政府ガリオア・エロア援助債務としてその負担の承認を求めておられるのだと思います。今はガリオア・エロアをはっきり債務としてその承認を求めるということで、その協定がこの委員会に提出されておるのだと考えますが、そうしますと、従来債務考えておったものがここではっきり債務と言い得られるものになった、そういうものとしてその債務の負担の承認を求めるということになると思うのでございます。そうしますと、この債務と心得ておったものがいつ債務になったのであるかということがはっきりしません。こういう難問が出てくるのです。債務債務だと言うからこういう質問を発せざるを得なくなるのですが、一体いつから債務心得というものが債務になったのであるか、それをまず第一に質問してみます。
  105. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 いつから債務になるかということでございますが、この協定を可決いただきまして、国内の憲法上の手続に従ってこの協定が効力を発生したときに債務が発生する、こういうことでございます。
  106. 黒田寿男

    黒田委員 私はこの御答弁にも承服できません。今では金額も支払い方法も確定して協定締結した。しかし、債務負担行為はすでに済んでおる。終わっておるのです。ただ憲法上の手続を経てその負担行為の承認を求めるという問題が残っておるだけである。債務であるからこそその負担の承認を求めておる。かりに、ここに援助協定の問題が起こって、こういう協定締結しようと思う。その協定締結いたしますそのときにはっきり債権債務という概念を持つものは協定内容の中に出てくる。それが協定締結の段階で言われることである。これを日本政府の行為として合憲のものにするために国会承認を経る。こういう順序になるのであります。協定締結したときには、債務確定しており、その協定承認という形で債務の負担を承認する、こういうことになるのでしょう。憲法に規定せられた承認を経たら債務になり、それ以前は債務ではないなどと言うのは、はなはだしい詭弁であります。承認を得るか否かは、合憲的な債務負担協定であるか違憲の債務負担であるかというだけの差であって、相手国に対する関係債務負担の契約をしたという点では同じじゃありませんか。承認が得られなければ、協定を実行できず、政府の政治的責任問題が起こるのです。協定の中ではっきり債務を負担するときめたからこそ、その承認国会に求めておるのです。そして、それが承認されれば、承認された債務負担ということになる。そして、その協定に基づいて金銭を支出するときにも、またあらためて予算の形で支出の承認国会に求める。こういう順序になるのです。すでに債務として内容確定したものとなったから承認を求められるのであって、債務という概念自身は、承認の前後によって性質が変わるものじゃない。国として、憲法上で認めた債務であるかどうかということの違いが起こってくるだけじゃないのですか。
  107. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 四億九千万ドル、これを債務としようと考えております。しこうして、これが債務確定いたしますのは、憲法上の手続が終わったときに債務となる。確定するわけであります。
  108. 黒田寿男

    黒田委員 だから、憲法上の承認を求めるときには、債務と心得ておるものじゃなくて、債務という概念のものとしてその承認を求める、こういうことになるのじゃないですか。どうも私はその点外務大臣の御答弁がはっきりしません。
  109. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 これは、あらゆる協定条約等でそうだと思いますが、そういう協定なり条約を結ぼう、こう考えて、それを条約なり協定なりにするわけです。それが有効なる条約なり協定なりになりまするには、憲法上所定の手続を終えたときにそれが有効なものになるわけです。今度の場合も、四億九千万ドルというものが債務になろうというわけであります。それについて、有効な債務として確定されるには憲法上の所定の手続が要る。そこで、それが終わったときに確定債務となる、こういうことでございます。
  110. 黒田寿男

    黒田委員 これは、いろいろな例を見ればよくわかるわけです。たとえば、ガリオア・エロア食糧輸入が相当大きな部分を占めておりましたから、食糧輸入の問題について見てみましょう。いわゆるMSA小麦の輸入協定がございましょう。アメリカ日本との間に食糧輸入に関する協定ができて、そしてその承認国会で求める。国会承認が得られたときに初めて、その承認に基づいて、その後に協定で定められた債務負担行為を行なう、こういうことになるわけです。これが普通の場合です。これは普通の場合でございますから、そういう場合について言えば、第一にその協定締結する。その協定締結したときにどういう債権債務関係が発生するかということがちゃんと協定の中には出てきているわけです。債務と心得るというようなものじゃなくて、債務という概念のものとして出てきている。それを国会承認するときに政府は合憲的に債務負担行為をすることができる。協定締結するときには、債務という概念は出ているわけです。そういうものと、今回のガリオア・エロア輸入行為とは非常に違う。今までは債務と心得る、心得る、こうおっしゃっておりますが、もし外務大臣のような御答弁でありますならば、MSA小麦の輸入協定ができたときに、その協定文の中には債務という概念は出てこず、債務じゃなくて債務と心得るというものであったのでしょうか。やはり債務の概念のものであったのでしょう。それを国会承認して初めて合法的に負担行為をなし得ることに日本政府としてはなる。今回のこのガリオア・エロア処刑協定の中に出てくるものも、債務という概念のもので、債務と心得るというものじゃない。普通の債務の概念で用いられるその債務というものじゃないかというのが私の質問です。そうじゃないですか。それと、今の債務と心得ると言っておられたのとどこが違うようになるか。債務と心得るものがいつ債務になったかと先ほど質問しました。ここで承認したとたんに、債務と心得るものが債務になる、そんなことじゃ私は理解できない説明だと思います。
  111. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 ガリオア・エロアの問題につきまして、援助を受けたときに、昭和二十一年七月二十九日の覚書もあり、かたがたアメリカ側では債務と言っているのです。これは、いろいろな人の証言で、その負担を陸軍省がいたします場合に、陸軍省予算を先方のアメリカ議会で審議する際に、幾たびかそういう発言があるわけです。そこで、日本側としては、これを債務と心得て、そのうちの幾ばくかを債務とするかということを外交交渉によって考えるということにして参ったわけでございます。今回、その案がまとまりまして、四億九千万ドルを支払いましょう、こういうことにしたわけです。しかし、これはあくまで支払いましょうでございまして、支払うという確定的な債務にするには、国内の憲法上所定の手続を経て初めてここに債務確定する、こういうことであります。  これは、法律案でもみな同じことじゃございませんか。法律案ができて、それが国民の権利義務を帆走する。しかし、これが憲法上所定の手続を経て初めて法徳になるのです。そして初めて国民の権利義務を規定することになるわけです。それと同じだとお考え下されば、何ら不明な点はないと思います。
  112. 黒田寿男

    黒田委員 私の考え外務大臣考え方とは依然として食い違っております。それでは、これもこのままにしておきましょう。重要な問題として論ずベきものとして、後日の委員会のときに問題にしましょう。  それでは、一つ角度を変えてお尋ねしてみましょう。今回の債務協定承認問題における特徴は、債務負担行為を、憲法上の手続によって国会承認を経ない前にすでにやっておるというところにあるのじゃないでしょうか。先ほど私がMSA小麦の協定の話をしましたが、あの協定のごときが普通のやり方であります。まず協定を結ぶ。そのときにはもう債務という概念ははっきり出ている。それを国会承認することによって、政府として協定に基づく債務を負損することが合法的に行なえるようになる。そういう合法性を得た上で債務の負担行為をする。債務負担行為をすることそれ自身を出前に国会承認を得て、しかる後に負担行為を行なう、これが普通であります。そして、その負担行為それ自身の事前承認を経た上に、さらに、いま一つ次の段階として、その債務負掛行為から生じた債務支払いをするときに、今度は予算の形で承認を受ける、こういうことになると思う。ところが、今回のこれは、これは理論の問題でなくて事実問題ですが、ガリオア・エロア債務協定承認を受けて、それからガリオア・エロア物資輸入するというのじゃなくて、すでにガリオア・エロア物資輸入ということは数年前に済んでしまっている。それを今になって承認を受ける。こういうふうになっていて、今回の協定承認におきましては、普通の場合とははなはだ異なる特徴が出てきております。事後承認ということになっておる。憲法上こういうことが合法的にできるかどうかという問題があると私は思う。政府債務と心得ておったものでないと言われるなら別問題ですが、債務と心得ていると言われるから、そこで私の今言うような質問が出てこないわけにはいかないのです。今回の協定は、これから債務負担行為をするということそれ自身の承認を求めておるものではなくて、すでに債務負担行為をしたそのあとで承認を求めておるという特殊の問題である。これは私は事実を申し上げるのですから、別に御答弁を承る必要もないと思いますが、事後承認であるという私の見方について一応政府の御見解を承りたいと思います。
  113. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 この事柄の性質は、これは事実でございますからあえて説明を要せぬと思いますが、終戦後の日本物資欠乏の際に、こういう援助物資が来た、こういうことであります。これをいかに了解するか、こういうことでございますが、先ほどからしばしば述べておりますような事情で、われわれは債務と心得た。しかし、昭和二十四年に阿波丸の協定ができます際に、附属了解事項というものがございます。この協定国会の決議に基づいて政府が授権されていたした協定でございますが、この協定を作りますに際して、衆議院では当時の岡崎勝男議員、参議院では佐藤尚武議員がそれぞれ決議案について提案理由の趣旨を説明している。このときに債務という言葉を使っておる。そして、了解一項では、有効な債務というふうに了解されておるのであります。そこで、黒田さんの御質問は、そういう場合に債務というものを確定しておいたらいいんじゃないか、こういう御議論のようでございますが、そういう際に債務確定すれば、二十億になってしまったのです。十九億五千四百万ドルという債務ができてしまう。そこで、われわれとしては、日本国民立場からして、どうせ債務になるにしても、できるだけ少なく払った方がいい、そういうことで今日までいろいろ交渉を重ねて参りました。ようやく合意ができましたので、四億九千万ドル払いましょう、四分の一だけ払いましょう、こういう話を合意したわけでございます。そこで、国会の御承認を得ればこの四億九千万ドルというものが債務として確定される、こういうことでございまして、少しも問題点はないと思います。
  114. 黒田寿男

    黒田委員 少し先走って小坂外務大臣はお答えになりましたが、ただいま外務大臣がお答えになりました御答弁につきましては、私はあとで質問をしたいとその用意しております。  私が今質問いたしましたのは、普通、債務を負担する行為を国会承認を求める場合は、事前に、負担行為をすること自身の承認国会に求めて、その承認を受けて、しかる後に負担行為を実行する、これが普通でありましょう。これは事実問題を尋ねておるのです。あの当時行なわれたことがどういう事情のもとで行なわれたかということを尋ねているのではないのです。そのときにいろいろ御事情があったということ、そのことに対してはわれわれも無知ではありません。ただ、私の今お尋ねしているのは、普通の債務負担行為の承認の場合には、繰り返して申し上げますが、事前に負担行為の承認を求めるということが憲法の予定しておるところでございますが、この場合は、どういう事情があったかということは別問題といたしまして、これから債務負担行為をするその承認を求めるというのではない。すでに債務負担行為をしたその事後に承認を求めておるという、そういう事案である。私はそう思います。そうであるかどうかということをお尋ねしているのです。これは事実問題でございますから、別にこれに対してどうこうと申さるべきことではないと私は思います。私も申しますように、はっきりこれは事後承認を求めておる事案だということをお答え下されば、それでよろしいわけです。私は決して政府に無理なことをお尋ねいたしません。私もいろいろその当時の事情は知っております。ただ、事実を事実としてお尋ねしておるのでございます。そういうような問題としてお答え願いたいと思います。
  115. 林修三

    ○林(修)政府委員 これは、条約でも実はいろいろ型があるわけでございまして、今おっしゃいましたように、一定の約束をして、その約束で、たとえば行政府がその権限によって債務負担をする、そういう授権をするような内容条約もございます。それから、今回のガリオア・エロア援助返済協定のように、条約自身がその債務負担をきめているのもあるわけであります。たとえば、条約に例をとりますと、たしかラオスに十億を供与するというようなものも、あれはその条約自身で十億供与という債権債務をきめていた。つまり、条約自身の内容が、日本はこれだけの債務負担をいたします、そういうものでございまして、それに基づいてさらに行政府アメリカ債務負担するというようなものではないのでありまして、これ自身が債務を発生させよう、そういう条約でございます。決してこれは事後承認ではないわけであります。これは国内法に例をとってもすぐおわかりだと思います。国内法でも、たとえば行政府がこれこれの債務負担をするような契約をすることができるという授権行為をきめた法律もございますけれども、国は、たとえばある問題について三分の一を負担すると、はっきり法律自身で債務ときめたものもあるわけであります。この条約は、後者、つまりこの条約自身で債務負担をきめようというわけであります。従って、これが発効すれば、そこで債務が成立する、こういうわけであります。
  116. 黒田寿男

    黒田委員 どうも私の質問意味を正しく理解されないで御答弁になったようであります。債務の負担を承認するという形式は、これは私はいろいろあると思います。債務負担行為それ自身を法律の制定という形で承認する、そういう形式もございましょうし、それから、今回のガリオア・エロア協定は、協定承認するという形式で債務負担行為の承認を求めている、こういう形式のものもあると思います。私が質問を繰り返していたしておりますのは、こういう負担行為をしてもよろしいということを事前国会承認を求めて、その後で債務負担行為をして、そこに債務が現実に発生する、そしてそれを履行しなければならぬという問題が起きてくる、普通はこういうものである、ところが、今回は、債務支払いをしなければならないというその根本の原因になる行為はすでに承認前になされておる、そういう関係にあるのではないかという事実関係を私は聞いておるのであります。私は、事実をありのままに申し上げておるので、これに対してはっきりした御答弁を求めることは、私は少しも困難ではないと思うのです。こういうところに普通の債務負担行為承認の場合とこの協定の場合との間に根本的な違いがある。債務と言われるならばこういう問題が起こってくるわけでありますから、それを質問しておるわけです。
  117. 林修三

    ○林(修)政府委員 今おっしゃった点になりますと、先ほど外務大臣がお答えになりましたことがお答えになると思うのでございますが、実はこれは終戦後のいろいろの事情でああいう覚書がございました。それに対して政府としては債務と心得ておったわけであります。それについてアメリカ交渉がまとまって、これだけのものを払いましょうという債務負担がこの条約でございます。従いまして、現在まではいわゆる債務と心得ておったわけで、債務負担をしたわけではなかった。今度の条約の効力発生によって債務を負担しよう、そういうことでございまして、この条約自身がいわゆる債務負担行為そのものをきめたものだ、かように考えております。
  118. 黒田寿男

    黒田委員 違います、質問の趣旨とは。憲法上の手続に基づいて国会承認を得るということは、負担行為をしたことに合法性を与えるという問題である。そうでしょう。普通は、債務負担行為をすることそれ自身を国会で私ども承認するとしても、債務負担行為はそれ以前に現実に行なわれているものではない。ところが、負担行為としてガリオア・エロア物資輸入したこと、そのことによって債務性は発生する。政府債務性のある部分もあると考えておるとおっしゃるのですから、輸入したという行為によって債務の負担行為を行なったのである、それを今事後に合法性を与えようとしてその負担の承認を求めておるのだ、こういう事実関係になるのじゃないですか。こう見るのが常識ではないか。こういう場合は実際は憲法の予期していないことです。政府が頭を痛めるのも無理はないと思う。こういう場合はめったに起こることじゃないのです。占領下のいわば特別な例外的な状態です。そこで、憲法も期待していないようなことが行なわれた。債務性のあることには間違いないのだ。いずれは支払うべきもの、こういうように政府考えておいでになったというのでありますから、そういうものとしてガリオア物資を受け取ったことになる。だから、そのことが債務負担行為になるのです。そして、そういう債務負担行為をしたあとで、それに合法性を付与するために国会承認を求めておられるのだ、こういう関係になるのじゃないですか。これが常識的な考えではないのでしょうか。ここで承認するということによって債務負担行為になるというのじゃなくて、ここで承認することは、すでになされた債務負担行為に合法性を付与しようという政府の意図からである。普通ならば、協定の国内的有効性を得るべき手段として、承認を得て、しかる後に債務の負担行為をするべきである。そして、それによって債務が発生するのである。こういう順序になってくる。これは繰り返して申しますけれども、そういうことになる。もう一度申しますが、本件では、ガリオア物資を受け取ったというその行為が債務負担行為になるのです。それに合法性を与えるために国会承認を求めておるのだ。本件では、債務負担行為それ自身は、この承認を求める以前になされておるものだ。そういう事案であるということにおいて、普通の、たとえば先ほど申しましたように、MSA小麦輸入アメリカ日本国との協定のようなものと、はなはだしく異なる特徴を持っておるのではないかということを質問しておるのです。  私は、こういうことをあまり繰り返して質問をやっておりましては時間をむだに使うことになりますから、もう一度だけ政府の御見解を承っておきまして、次の問題に進みますが、もう一度だけ御答弁願っておきたい。
  119. 林修三

    ○林(修)政府委員 この点は一貫して昭和二十何年来言っておることでございまして、つまり、昭和二十一年七月以来にガリオア・エロア援助物資を受領したこと、あるいはその覚書自身も債務負担行為とは見ておらないわけでございます。それは、ああいうものの性質で、債務と心得る。ああいう性質で来たものだから、債務と心得るということで考えてきておるわけであります。いわゆる債務負担は、この四億九千万ドルという確定した債務を負担する、今回この協定によって初めて債務を負担する、そういう考え方で来ていることは、もう何回も今までお答えしたことだと思います。
  120. 黒田寿男

    黒田委員 今法制局長官の御答弁になっておるそういう詭弁は、きょう私はもう繰り返して承ろうとは思いません。そういう御答弁を承るのはむだです。そこで、後日にこの問題を留保しておきまして、私の意見をはっきりと申し上げておきます。まだこれから何回かこれが問題になることだけは心得ておいて下さい。私は、きょうはこの問題につきましてこれ以上は質問いたしません。しかし、私の意見だけははっきりときょう申し上げておいて、この問題については私自身としましてはこれを留保しておいて質問を終えることにします。  私自身の意見を申しておきます。これはしょっちゅう私どもが申すことでございます。新憲法によりまして国会の地位が最高のものに高まって、従って、財政に関する国会の権限も強化せられたのであります。そして、憲法第八十三条によって、財政に関する国会議決主義の原則が定められまして、さらに、八十五条によりまして、債務の負担行為も国会の議決に基づくことが必要であるとされたのだと私は思うのです。これは、行政府に対する国会の監督、コントロールを私は定めたものであると思います。こういうところに憲法上の規定意味があるのです。もし私の見解に従いますれば、国会承認なくして債務を負担する——私、今回の場合はそうだと思う。(「そうではない」と呼ぶ者あり)私はそう解釈する。そういうものであっても、後日、今回のように、事後承認を受ければよい、もしそういう考えであるとしますならば、不当な債務負担行為が国会意思にかかわりなくなされるということを許すことになるのです。これでは債務負担に関する国会のコントロールを保障しました憲法第八十五条の後段の規定は無意味になってしまう。国会意思とかかわりなく政府によって不当な債務を負担するようなことを防止することによって、一そう国会政府に対する監督統制を全からしめようというのが、憲法八十五条後段の規定の趣旨であると私は考えます。すなわち、事前債務負担の段階においても国会の議決を要することとしたのがこの規定でありまして、債務負担の行為とは何であるかということは、私が先ほど言ったような意味のものであります。繰り返して申しますれば、憲法第八十五条後段は、国費の支出の原因である行為をなすこと自体について国会の議決を得るよう要求しておるのでありまして、従って、国会の議決のない限り債務負担行為をすることは許されない。これに違反してなした債務負担行為、すなわち国会の議決なしに債務負担行為を行なうということは憲法違反になる。さような行為をすることは、政府に憲法違反の責任が発生するのであります。私はこういうように問題を解釈しておるのであります。政府ガリオア・エロア輸入債務と心得ておられたということになりますれば、そうしてそういう考えのもとで輸入物資を受け入れられておったとすれば、そしてまた政府債務性と言われるのですから、そのことによって債務が発生して、債務支払いをしなければならないということになるとしますならば、政府が憲法違反を犯したという理屈になってくるのです。ガリオア・エロア援助債務であったとすれば、憲法違反の債務負担行為となって、このような違反行為に私どもは事後承認を与えるということはできないのであります。こういう関係になっております。これは私の意見でございますが、先ほどの外務大臣の御意見に私は承服することができません。  私のこれだけの意見を申し上げておきまして、いま一つ、この協定について発生いたしております問題を取り上げてみたいと思います。  私は、今回の協定の中に、憲法上の見地から見て二つの問題点があると思う。第一は、今申しましたように、事前国会承認を経ないで債務負担行為をしたということ。債務と心得るということになると、こういう問題が起こってくる。それから、第二は、内容不明のままに、とにかく将来は支払うべきものと心得ておるというようなものを輸入したこと、これはとにかく債務を負担したことになる。これは、何らか内容のわからないばく然とした債務を負担したということになるのです。政府がガリオアは債務性があると言われるならば、こういう二つの問題が起こってくると思います。今まで私が申しましたのは、その二つの問題のうちの一つを問題としたものであります。  そこで、いま一つの問題を取り上げてみたいと思います。債務贈与かわからなかったから承認を求め得なかったのだ、こう言われるのであれば、これは私は別だと思います。しかしながら、内容ははっきり確定はしなかったけれども、いずれは必ず支払わなければならぬものであると考えておった、そういうように考えながらアメリカのガリオア物資を受け入れた、それによって債務を負担行為がその時行なわれたということになりますと、これは、憲法から見れば非常に不当なことになる。その当時の政治情勢のことは別問題といたしましょう。私は、政府債務と心得ておると言われるから、こういう議論をしなければならぬことになるのです。こういうように何だかはっきりしない形で、将来どのくらい支払わなければならぬことになるかわからぬけれども、とにかく払うだけは払わなければならぬということで債務負担をした、具体的に言えばガリオア物資輸入をした、こういうやり方をすることは非常に不当でありまして、憲法はこういう場合を予想していないのです。そういうことをすること自身が憲法違反である。日本の憲法は、政府がこういうことをやろうとは予想していない。そういう憲法の予想していないようなことが行なわれておったという問題になってくるのです。私どもの申しますように、債務贈与かわからないのだ、占領軍の一方的意思として物資を送ってくれる、それをわれわれは受け取っておったのだというように解釈するならば、私が今申しますような問題は起こってこない。ところが、政府が、債務だ、債務と心得ておるとおっしゃれば、今私の申しましたような問題が起こらざるを得ないのです。国会承認し得るのは内容確定した債務のみでありますよ。内容確定しないような債務を負担しても、それは承認のしようがないのです。これを承認したとすれば、こういうものを承認したとすれば……   〔発言する者あり〕
  121. 森下國雄

    森下委員長 静粛に願います。
  122. 黒田寿男

    黒田委員 だから、内容確定しないような債務を負担しても、それは承認のしようがないのです。これは憲法上の常識だ。だから、憲法はこういう場合を予想していないのです。こういう債務の負担の仕方というものを予想していない。だから、何だかわけはわからないが、こういう債務負担行為をして、後日これは幾らであったというようなことを言って国会に持ち出し、これを承認してくれ、こういうやり方をすることは憲法の予想していないところでありますし、こういうものに一々承認を与えておっては、憲法が行政府の財政権の行使のコントロールをするという意味において、債務負担行為について国会承認を求むべきであるとしているその意味が全然失われてしまう。私は繰り返して申しますが、今回のような場合は、憲法の予想しないような場合である。だから、普通の状態から言えば、そのような内容確定な、不明確な債務を負担するということは、初めから憲法に許されることではないと考えられているし、また、そういうことを政府がやるということも、全然憲法では予期されていないのです。それが、ガリオア・エロア輸入について債務だと心得ておったということになると、その憲法の予想していないようなことをやった、そういう事件が起こっていたということになるのです。そうなると、やはり、私どもは、この行為を憲法違反の行為であると断定しないわけにはいかない。そうなると私は思うのです。  政府は、今この国会におきまして、この協定承認を求めるという形で債務負担の承認を求めておいでになりますけれども、元来、私が先ほど申しましたような意味において、これは憲法違反である。(「スキャッピンは憲法違反か」と呼ぶ者あり)スキャップの時代であるから、憲法を超越した時代の行為であったのですよ。それを、皆さんが、法律的なもの、初めから債務性のあったもののように間違って考えられておる。だから、そうであるというなら、こういう議論をせざるを得ないのである。私は初めから言っている。スキャッピン時代はアメリカとの関係において法律を超越した時代であった。繰り返して言っているじゃありませんか。それを政府があくまで法的なものだと言われるから、こういう議論をしなければならぬことになるのです。私は、憲法はあくまで確定した債務負担行為の承認を求めるということだけを予期しており、今回のような場合は予期していない、こう申したいのであります。  そこで、国会で今承認すればいいではないかという議論がございますけれども、繰り返して申しますように、国会承認し得るのは、内容確定した債務を負担した場合のことであります。内容においてどう確定するかわからない間に、しかし債務性はあると初めから考えていて、輸入によって債務を負担してしまったというのが今回の事案だ。あとになって金額がきまった、それから債務負担行為の承認を求めるという事案であります。こういう内容確定しなかった場合に、しかもなおかつ債務と心得て負担行為をしたというようなものに、私どもとしては承認のしようがない。そんなものを承認したとしても、そういう承認は憲法の予期しておるところではございません。そういう承認をすることは、八十五条後段を無意味にしてしまうのです。だから、私どもは、そういう憲法違反の行為に賛成することはできないということになる。ここで条約承認したら債務負担行為の承認ということになるではないかという議論があるかわかりませんが、しかし、憲法違反の内密を持っておる事前債務負担行為をここで承認すること自身が、私は憲法違反であると思います。私は、このガリオア・エロアをスキャッピン時代から債務と心得ておられるということになれば、こういう憲法問題が起こるということを申し上げておるのです。これにつきまして政府の御見解を承ってみたいと思います。
  123. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 債務と心得る行為をしたなら、そのときに債務が発生したのではないか、従って、これは憲法八十五条の規定から見て違憲であるというような趣旨の御意見でございますが、私は、先ほどからの御答弁でいろいろ尽きておると思いますけれども、一つつけ加えて申し上げますと、新憲法ができまして、昭和二十二年の五月三日にこれが効力を発生したわけでございます。五月二十四日に片山内閣ができまして、六月の十九日に極東委員会の決定があったわけでございます。この決定は、先ほども答弁総理から申し上げましたように、日本輸出代金は非軍事的輸入の費用に使用することができる、これははっきり代金を取るものであるということを言っているわけです。黒田さんの御見解に従えば、そのときなぜあなたの御意見のように債務負担行為を国会にこの金額について出さなかったか、こういう問題が出るわけであります。しかし、このガリオア援助については、この代金並びに支払いの方法は後日決定するということになっておったのでありまして、幾ばくが債務になるというその債務の額がきまらないわけです。額のきまらないものを確定するわけには参りません。従って、今回相談をいたしまして、債務の額をきめましてこれだけ払おう、こういうことにいたしましたので、ここに憲法八十五条の規定に基づく債務確定国会に御承認を求める、こういうことでございまして、少しも憲法違反の問題などは出るものではないというのが政府見解でございます。
  124. 黒田寿男

    黒田委員 私としても、その当時の事情はよくわかっているのです。しかし、普通の場合には、決して、債務の額が結局幾らになるやらわからぬようなものについて、それを負担するような行為をなすべきではないのです。債務性があると初めから強弁するならば、そういうことを政府がしたということになり、政治的責任の問題になるのです。普通の場合には、こういう事態が起こらないということを私は繰り返して申し上げておる。スキャッピンのもとだからあのような輸入をやらざるを得なかった。その事情は私どももよく知っております。しかし、それは法的なものではない。先ほど言いましたように、当時はアメリカに対する関係で普通の法的な環境で事態を理解できるというような状態でなかった。だから、政府は、やれと言われるようにやり、受け取れと言われるように受け取った。そういうことになるので、決してそこに協定上の根拠も何もなかったのです。もし普通の場合ならばちゃんと協定を結ぶ。そのときに、どれだけの債務を負担するかということがわからないままで、しかも債務になることははっきりしているものを負担する、そんな無責任なことがありますか。そういうときには、債務となるべきものの額をきめて、そうして国会承認を求める、負担行為を行なう前に求める、それが普通です。それがあの当時にはできなかった。私は、できなかった事情を責めるのではない。できなかった事情があったのは、政府が言われるような債務性関係が発生するような環境にあったのではなくて、私の申しますように、当時は法的環境を超越した状態であって、そういう状態のもとで政府もこういうことをされたのです。普通の場合に政府がこんなことをされたら、大責任の問題です。それにもかかわらずそのときのことが責任として追及せられないのは、スキャッピン時代のことであったからだ。またわれわれは債務性はなかったと理解していたからだ。私どもはその程度の理解を持っておる。また、そのように理解していたのであります。そういうときのでき、ことであるから、債権債務という関係は発生していないのだ、それを私どもは申し上げるのです。それを、その時期から、額はわからないけれども、いつ支払うかという時期はわからないけれども、そして支払い方法も決定していなかったけれども、利率はきまっていなかったけれども、いずれは必ず払うもの、そういうものが一部はあるということを政府は言われた。それではやはり債務負担行為になるのです。スキャッピン時代であったから、占領軍が一方的意思によって取り立てを要求するということは、これはあり得ることでしょう。それは彼らの自由である。しかし、それは、契約的基礎に基づいて要求するのではなくて、占領者の権力として要求するのだ。日本政府がかりにその取り立てに応ずるとしましても、契約の基礎に基づいて義務の履行として支払うのではなくて、被占領者として、事実上の行為としてその取り立てに応ずるというだけであります。そういう状態でその当時はあった。こういう状態は超憲法的状態であるのです。だから、政府債務だと心得ているとおっしゃらなければ、憲法問題は出しません。債務と心得ているというようなことが考えられないときのできごとについて債務性の発生を強弁されるからこういう憲法問題が起こる、こう申し上げるのです。  もう一度私ども考え方を申しましょう。この当時は、そのようなわけで、ガリオアには決して法的債権債務関係があったのではなくて、特別な占領状態における事実上の支配関係から出てきた問題でございますから、かりにアメリカが取り立てようと思えば、事実行為として取り立てる、日本が支払おうと思えば、事実行為として取り立てに応ずるという関係にあった。しかも、これは、占領政策でございますから、占領期間が過ぎれば、もうこういう関係はなくなってしまうのです。もしそれまでに取り立てておきたいと思えば取り立てることもできましたでしょうし、取り立てていなかったとすれば、こういう関係は占領期の終了とともに消滅してしまうものである。私は、この関係についての明確な規定はできていなかった、こう思いますが、そのことは、きょうは、そこまで入ることは時間の関係上できませんので、入りません。これは後日に留保いたします。ガリオア・エロア債務でなかったものを、それを無理に債務と心得ようとするから、憲法問題として追及したのであります。
  125. 森下國雄

    森下委員長 黒田寿男君の質疑に対する関連質問の通告があります。これを許します。田中幾三郎君。
  126. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 だいぶ債務と心得るという言葉をめぐって朝から論議をしておりますが、私は、債務というものは、支払うという義務を負う意思表示をして、一方に請求することができるという意思表示があって、これが債権債務になるものだと思う。そうでない債権債務というものはない。債務と心得るということは、最初はそうでなかったけれども、あとでこれは払うべきものであると考えて払うようになったというような意味にわれわれには受け取れるのです。初めから心得て品物を受け取ったのならいいけれども、最初は何が何だかわからずに品物を受け取っておいて、あとで、この代金は払うべきものであろう、こういうことで、あるいは向こうから請求が来たかもしれません。  そこで、その問題はおそらく私は論ずる必要がないのではないか。阿波丸事件に基づく日本国の請求権の放棄に関する日米の協定、これの了解事項にちゃんと書いてあるじゃありませんか。何と書いてあるかというと、「各自国の政府のために、次の事項を確認し」と、こうして、この確認事項の内容に、今問題になっておる借款と信用の問題が書いてあって、「占領費並びに日本国の降伏のときから米国政府によって日本国に供与された借款及び信用」——おそらくこれはガリオア・エロアの問題も含んでおると私は思う。含んでないなら問題外です。「信用は、日本国米国政府に対して負っている有効な債務であり、」とこうして、すでに昭和二十四年に、もうこの際には有効債務として確認をしておる。おそらく、これ以後においては、心得るどころじゃないのですね。たとえば、赤ん坊であるならば、これはもうおなかの中から出てきて大きな子供になっておるわけだ。債務になっている。胎児じゃないわけですよ。心で思っておったのでなくして、すでにそれは外部に日本意思として表現されて債務が生まれてきておるわけなんです。そこで、黒田議員の質問しておる、この国会において承認を求める前に債務の負担行為があったかどうかという時期の問題が出てくる。債務がいつ生まれたのであるか、これははっきりしておるわけですよ。そこで、先ほど憲法のない時代のことも出ましたが、昭和二十四年に債務の負担行為ははっきりしておるのであります。額はきまっていなかったかもしれません。おそらくきまっていなかったでしょう。条件もきまっていない。しかし、債務そのものはあるわけですから、子供が生まれれば、名前はついていないかもしれぬけれども、男であるか女であるかはわかっておるはずなんです。債務たることは、これは明瞭なことです。今回のことは、あらためて国会において債務承認意思表示をするのではなくして、すでに存在しておるところの債務の弁済の方法を約束することなんです。私は弁護士でありますから、しばしば債務支払い問題も扱いますが、われわれはこれを弁済契約と言うのです。債務承認契約とは言わない。債務承認をした上で、どういうふうにして払うかという、いわゆる年賦弁済の方法を契約するのでありますから、そこで、黒田議員の今質問しておることに対して、政府答弁もすこぶる不明快である。いつ債務負担行為があったのであるか。債務負担行為をやるのならば憲法上の国会承認を経ることが必要ではないかという議論が出てくるのですが、この点に対する政府の御意見をお伺いいたします。
  127. 池田清志

    池田国務大臣 関連質問でございまするが、前の黒田さんの質問は、憲法違反に持ってくるために、今までにすでに債務負担行為が行なわれたという断定のもとに憲法違反を言っておられる。これは、われわれは今言ったような債務と心得ている。われわれは今まで債務負担行為をしておりません。今回負担行為をしようというのございます。ただ援助物資が来たという事実は認めております。事実を認めておるだけで、これは負担行為ではございません。だから、今回初めて債務負担行為をしようとするのであります。  それから、田中さんの御質問は、阿波九事件の了解事項で債務であるとこういうように言っておるということでありますが、これは、原文の了解事項には、——これは了解でございますよ。「米国政府に対して負っている有効な債務であり、これらの債務は、米国政府の決定によってのみ、これを減額し得るものであると了解される。」、債務であり、減額できるものと了解するという了解事項でございまして、これは、われわれの言ういわゆる債務と心得るということであるのであります。
  128. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 私どもの間では、了解なんという言葉は、債権債務を決定する意味には使われない。これは合意なんですよ。やはり、了解ということは合意なんです。だから、ひとりで一方でこう解釈するというなら、心得るでよろしい。一方的に了解をするというのならそれでよろしい。双方がこれを了解するというのでありますから、これはやはり合意であると私は思う。  そこで、この合志によって、かつて生じておった債務確定したのではないか。問題は、このときに債務が発生したという解釈もあるでしょう、ところが、無償行為ならば贈与を受けたときに別に代金支払いの義務は生じないけれども、有償行為ならば、むろん物が来たときに代金支払い義務は発生するのです。ですから、有償行為の部分があるというならば、アメリカ物資日本に来たときにすでに代金支払いの義務が発生する、債務が発生する。しかし、その額がきまっていないし、債務も払うのか払わないで済むのかわからぬからという不確定な状態にあったから、ここで初めて日本債務てあるということが確定したわけなんです。これは日本の方が認知したわけですよ。どこの何かわからぬようなものを、ここで初めて了解をし、認知をして、しかも両国の間に了解されたのでありますから、これは合意の上で日本債務確定したのであって、心得るという心境を一歩前進して、すでに債務がここでできたわけです。そこで、この債務発生の負担の行為をするときに、これは物の来たときに債務の負担行為があったと解釈することもできるし、私はそれが正しいと思います。物が来たときに代金支払いの義務が発生する。債務の負担行為は、物を送りましょう、受け取りましょうという合意のあったときに、これは債務負担行為が発生したと思う。私はこの黒田委員意見が正しいと思うが、一歩譲って、その当時はわからなかったが、しかしここで日本債務たることを確認して、双方の国が了解をしたということになると、この債務確定的なものになって、ただし金額と支払い条件だけがきまっていなかったのでありますから、債務の負担行為は、このときもしくはこのとき以前にあったものと見なければならぬという見解に立てば、なぜ国会承認を得なかったのであるか、得ておるのでありますならば今回再びこれをかける必要がないではないかという議論が出てきます。その点に対してはいかがでしょう。
  129. 池田清志

    池田国務大臣 援助物資が来たという事実は、われわれは認めるのであります。しかし、これを債務であるとは言ってはいない。将来これを減額し、債務であるけれども減額し得るものであるということを了解するという了解事項は、すなわち、われわれが債務と心得ているということを確認したのでございます。債務とここできまったわけではございません。事実は認めます。従いまして、御両所とも、債務負担行為が行なわれたとお考えになるのは少し早過ぎるので、事実を曲げることになる。われわれは債務負担行為をいたしておりません。こういう援助物資が来たという事実は認めます。しこうして、これが支払いの方法あるいは計算については将来きめる、こういうことがありますから、事実と、そういう文言によりまして、一応の債務と心得ておりますということです。だから、これは有効な債務であり、アメリカ政府によって減額し得るということを了解するということは、すなわち債務と心得ているということを確認したのでございまして、私は債務負担行為とは思いません。
  130. 森下國雄

    森下委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十九分散会