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黒田委員 返すか返さぬかということを私は問題にしておるのじゃない。それはあとでやります。吉田元
総理は最も熱心な返還論者だということを私は言っておる。その吉田元
総理が、ただいま申し上げましたように解釈しておる。私はその解釈が正しいと思う。先ほど
池田首相は、その当時の
国際関係として、
アメリカと
日本との間に
債権債務の
関係は生じなかった、こうおっしゃった。私はそれが正しいと思う。そのことを吉田元
首相もここで言っておられる。私は、
債務であるとか、
債務と心得るとか、それはどこが違うかという問題は今ここでは論じません。それは非常な詭弁が含まれている。幾らでもそれは論破することはできますけれ
ども、これはあとにいたします。
そこで、私は
理事諸君にお願いしたいと思うのですが、こういうわけですから、ぜひこの
委員会に吉田元
首相に参考人として出てきてもらいたい。私はそう思う。これはしかし私が直接にお願いすることではございません。
理事の諸君に御相談申し上げまして、この
委員会の進行中にぜひそうお願いしたいと思います。これはゆっくり御相談していただいてけっこうです。ここで今すぐきめていただかなくてもけっこうです。まだ
委員会は進行中でありますから、今すぐ急いできめる必要はございません。私は、もう
一つ、吉田元
首相にぜひこの
委員会に出ていただきたいと思う問題があると思いますが、これはまたあとから申し上げます。ただいま申しました点も、ぜひ吉田元
首相に出てきていただきたいと思う理由の
一つであります。これも、私
ども、真相を突きとめたいから申し上げるのである。
私は、平和
条約の中にも、ガリオア
援助の
返済を
日本の
債務として
義務づけているような明確な
規定はないと思いますが、これもあとで申し上げることにいたします。
きょうは、概論的にもう少し進めていきます。私は、第二に、次の事実を指摘したいと思います。先ほどから繰り返して申しますように、
ガリオア・エロア援助は、
アメリカの占領
政策として行なわれたものでありますが、この
援助は、
アメリカの国内法に基づいてすなおに解釈する必要があると思うのです。この
援助が救済であって、本来、対価を要求するものでないということは、それをすなおな気持で解釈すればすぐわかることである。私はそう思う。この問題につきましては、しかし、横路議員が予算
委員会における御
質問で触れられておりますから、私はあまり詳しく申し上げる必要はないと思います。ただ、ここでこういう
方面から見る必要もあるんだということだけ指摘しておきます。これは横路君も触れられた問題でございますが、
アメリカの商務省の文書によりますと、占領地での民生品供給は必要であったし、それは占領軍みずからの目的のための支出であったということ、このことがすなおに読みとれるのであります。占領地救済
援助、すなわちガリオアは占領行政と密接な関連を持ったものである、米国の占領目的あるいは政治的戦略と密接に結びついておったものであるということが私
どもには知られます。商売として物資を供給したものではございません。
日本との間に、先ほど申しましたように、公式な文書をもって将来の返還を約すというようなことはあったものではない。ガリオア支出予算を定めました一九四七年法を見ましても、——これも横路
委員が詳しく説明しておられますから、ここでは概略だけ申します。ただ、私は、私の論旨を進めていく上において、先ほ
ども申しましたように、われわれ社会党の
質問は、今回は、体系的にやっていくというつもりでございますから、一応他の議員の触れた問題でも必要であればそれをわれわれの議論の中に組み入れなければなりません。ただし、すでに他の
委員によって詳細に
質疑されておりますことは、それを再びは繰り返しません。このガリオア予算は、その使用者は米国でありまして、決してある
外国に対する借款というようなものではなかったのであります。
援助を
贈与と
クレジットに分けまして、ガリオア
援助は
贈与とされております。これに対しまして小坂外務大臣がどうお答えになったかということも私は議事録で読んでおります。だから、きょうは別にそれと同じ
答弁をしていただく必要はないと思いますが、要するに、私は、ガリオア
援助は
贈与である、こう読み取ることができる、こう
考えます。
それから、もう
一つ、制度の上から
考えて、これもよく言われることですから簡単に申しますが、見返資金制度、これもやはり一応問題にしておかなければならない。これは対
日援助に特有の制度ではなく、むろんマーシャル計画に基づいて採用されました制度でございますが、一九四八年の
経済協力法で、この法律に基づいて物資、役務を
贈与として
供与した場合には、その物資や役務に相当する金額を、
援助を受ける国の通貨をもって、その国と
アメリカ政府との間で
協定した条件により特別勘定として積み立てることを要求しておりまして、この預金がいわゆる見返資金になり、とのファンドは
アメリカの意思に従うてその被
援助国で運用するという仕組みになっておりますから、ここでも
アメリカの意思というものが強く出ておる。こういう制度を設けるということは輸入物資が
贈与されたものであるからこそこういう制度になっておるのだ、こういうことが
アメリカ側の法律の上から見て私は言えると思います。こう解釈するのが正しいと私は思います。これについてもし反駁が出れば、私の方でも相当詳細に述べたいと思います。しかし、時間の点についてきょうは制限がありますし、人間の体力ということも
考えなければなりません。この
委員会は午前十時に始まれば午後五時にはきちっと終えていただきたいと思います。私もあまり頑強な方ではありませんから、そうおそくまでやることはごめん願いたいと思います。
ガリオア
援助はあくまで占領者の
政策であると思いますが、そうでありますからこそ、先ほどのような
アメリカ国内法があったといたしましても、占領
政策の常といたしまして、この
政策の中に、占領者の恣意の入る余地はもとよりあるのであります。法律にかくかくと書いてあるからその
通り厳格にやるというものであれば、それは法的
関係の中における現象においてである。しかし、そういう法的
関係はない。だから、
アメリカの国内法に私が今申しましたように書いてあるからといって、それは必ずしもその
通りに行なわれないこともあり得ます。それが私は、やはり、ある意味において占領
政策の特徴でもあると思います。でありますから、
アメリカの国内法はそうなっておるけれ
ども、ある国に対しては対価を要求せずして終わることもできるし、また、ある国に対しては若干の対価を要求するかもわからないということも、決して、
考えられないことはないのです。これは占領
政策としてそのくらいの恣意は行なわれるのです。しかし、それは、先ほどから申しますように、あくまで
協定に基づく法的権利としてやるといったようなものではないのです。あくまで占領者の権力をもつて、一方的な意思で、事実問題として、このことをやるということは、これは皆無ではございません。ただ、しかし、西独のような場合とはこれは違います。西独の場合にはちゃんと
協定があったのですから、
日本の場合とはこれは根本的に違う。オーストリアとか
韓国というような国は、これは
贈与を受けた。それが過去の
やり方でありました。
池田首相もかつて大蔵大臣として
昭和二十四年四月十三日に衆議院予算
委員会で、これは今までよく援用されたことでございますけれ
ども、「
ガリオア・エロア援助が
贈与なりやあるいは貸与なりやという問題は依然としてきまっておりません、私は講和
会議においてきまるべきものと
考えております」と言われました上に、さらに
贈与をも期待して
おいでになるというような口ぶりも
答弁の中に現われておっだのでございます。先日、三月二日に、横路
委員の
質問に対しましても、「もらう場合もありましょう、払う場合もありましょう、こういう意味で言ったのだ、」こういうことを
答弁しておられます。私は、自分の判断から言えば、以上のような事実によって、あくまで
債務性を持っておったものとその当時判断されていたものではない、そう
考えるわけです。一応
総理の御見解を聞いておきたいと思います。