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1962-03-09 第40回国会 衆議院 外務委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月九日(金曜日)    午後四時七分開議  出席委員    委員長 森下 國雄君    理事 北澤 直吉君 理事 野田 武夫君    理事 福田 篤泰君 理事 古川 丈吉君    理事 松本 俊一君       安藤  覺君    愛知 揆一君       井村 重雄君    池田 清志君       宇都宮徳馬君    宇野 宗佑君       大久保武雄君    木村 公平君       齋藤 邦吉君    椎熊 三郎君       田澤 吉郎君    竹山祐太郎君       床次 徳二君    藤井 勝志君       井堀 繁男君  出席国務大臣         内閣総理大臣  池田 勇人君         外 務 大 臣 小坂善太郎君  出席政府委員         法制局長官   林  修三君         外務政務次官  川村善八郎君         外務事務官         (大臣官房長) 湯川 盛夫君         外務事務官         (アジア局賠償         部長)     小田部謙一君         外務事務官         (アメリカ局         長)      安藤 吉光君         外務事務官         (条約局長)  中川  融君  委員外出席者         通商産業事務官         (企画局次長) 伊藤 三郎君         専  門  員 佐藤 敏人君     ――――――――――――― 三月八日  委員示啓次郎君及び受田新吉辞任につき、  その補欠として木村公平君及び西尾末廣君が議  長の指名委員に選任された。 三月九日  委員大久保武雄君、椎熊三郎君、勝間田清一君  及び西尾末廣君辞任につき、その補欠として田  澤吉郎君、井村重雄君、横路節雄君及び受田新  吉君が議長指名委員に選任された。 同日  委員田澤吉郎君及び受田新吉辞任につき、そ  の補欠として藤井勝志君及び井堀繁男君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員井村重雄君及び藤井勝志辞任につき、そ  の補欠として椎熊三郎君及び大久保武雄君が議  長の指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  日本国に対する戦後の経済援助処理に関する  日本国アメリカ合衆国との間の協定締結に  ついて承認を求めるの件(条約第一号)  特別円問題の解決に関する日本国タイとの間  の協定のある規定に代わる協定締結について  承認を求めるの件(条約第二号)  国際民間航空条約改正に関する議定書締結  について承認を求めるの件(条約第三号)  日本国アルゼンティン共和国との間の友好通  商航海条約締結について承認を求めるの件(  条約第四号)  海外技術協力事業団法案内閣提出第九二号)      ――――◇―――――
  2. 森下國雄

    森下委員長 これより会議を開きます。  日本国に対する戦後の経済援助処理に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定のある規定に代わる協定締結について承認を求めるの件、国際民間航空条約改正に関する議定書締結について承認を求めるの件、日本国アルゼンティン共和国との間の友好通商航海条約締結について承認を求めるの件及び海外技術協力事業団法案議題とし、質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、これを順次許します。井堀繁男君。
  3. 井堀繁男

    井堀委員 ただいま議題になりました日本国に対する戦後の経済援助処理に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件について、以下お尋ねをいたして参りたいと思います。便宜上ガリオア・エロアという通称でお尋ねをいたして参りたいと思います。  まず最初にお尋ねをいたしたいと思いますものは、この協定対象になりまする、占領下においてわが国アメリカ合衆国から経済的援助を受けた内容については、われわれもよく承知をいたしておるのでありますが、この援助を受けました当時の客観的な情勢や、あるいはその情勢に見合う物資あるいは金品の援助、この点について、アメリカ合衆国並び連合国軍占領下に置かれておりました日本の当時の状況からいたしまして、今日協定対象になっております貸借関係とみなせるかどうかという以前の問題について一、二総理お尋ねしてみたいと思うのであります。  それは、われわれの判断からいきますと、一九四五年の九月二日から一九五二年四月二十八日までといえば、日本占領下にあった時代である。この間にアメリカ合衆国からわが国国民に対していろいろな援助が行なわれました。その好意に対してわれわれは感謝をいたすのに決してちゅうちょするものではありません。その好意は、今日もなお日本国民感謝をいたしておると思うのであります。しかし、この援助を今日協定審議の場合に問題になりまする貸借関係とみなすかどうか、この問題については、日本国民は割り切れない感情、もっと積極的に言いますると、こういうものは貸借対象とすべきものでないという、きわめてばく然たるものもあるかと思いますが、国民感情はおおむねそのように理解しておるのではないかと私は思うのであります。この点を実は総理お尋ねをいたすのでありまするが、その対象として私が取り上げたいと思いますのは、国際常識の基準をなしまするものと、それから、法律的な国際義務との二つに分かれると思うのでありまするが、私どもは、国際常識の上から判断をいたしますならば、先ほど申し上げました日本国民感情というものは、そのまま国際常識として理解できるのではないかと思うのであります。しかし、ここでその前にお尋ねをしたいと思いまするのは、国際基本法の中で、国連立場をわれわれはもっと深く理解をしてこの問題に取り組まなければならぬかと思うのでありまして、すなわち、国連憲章前文に掲げてありまする意味であります。簡単でありますから読み上げてみたいと思いまするが、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、」と言っております。大へんたどたどしい文章のようでありますが、われわれの理解するところによりますと、今後世界の恒久平和をめざす国連としては、その戦争原因を断つという点にこの意味は重要な意義があると思うのであります。すなわち、基本的人権は、戦争に参加したとしないとにかかわらず、勝者であろうと敗者であろうと、このきびしい原則は、――これは、言うまでもなく他の条文にも現われてきておるのでありまするが、この精神はあくまで守られなければならぬ、日本占領下にあるといえども、その人類としての基本的人権でありまする生活最低線は保障されなければならぬという意味が多分に強調されておると思うのであります。ことに、占領軍がこの義務を負うことは他の条約からも引例することができると思いまするが、まず、私は、この憲章前文規定されておりまするこの文言から、この種のものについては、貸借という思想よりは、むしろ世界恒久平和を願う相互的な道義的なものから出発をしておるものと解すべきであると思いまするが、この点に関する総理見解を一つ伺っておきたいと思います。
  4. 池田勇人

    池田国務大臣 国連憲章前文におきまして、二度とこういう戦争を繰り返したくない、そしてお互いに仲よく助け合っていこうという精神がうたわれておると思うのであります。従いまして、助け合うというところから、いろいろ生活につきましてもめんどうを見るということも起こりましょう。しかし、そうだからといって、めんどうを見てもらった人がその対価を出さなくてもいいという規定じゃないと私は考えておるのであります。
  5. 井堀繁男

    井堀委員 さきにも私説明をいたしましたように、私たちは、返すか返さないかということの以前に、それが貸借となるか、あるいは道義的に好意に対する感謝ということになるかということは大きく分かれてくるところであろうと思います。私たちは、権利義務というよりは、むしろ道義的な、――すなわち、世界恒久平和を維持しようというこの前文が出てきたのは、第一次世界戦争の結果新しく生まれてきたいわば新しき民主主義の基礎をなす思想から出発しておると思うのであります。たとえば、第一次戦争におけるドイツに対する過酷な占領政策、あるいはその戦後における過酷に失すると思われる国際条約その他の圧力というものは、第二次世界戦争への大きな原因をなしたというところに問題があるのでありまして、いかにその罪を憎んでも、その後に世界の平和を維持しようとすれば、各国国民生活最低というものが保障されてこないところに平和はないという根本思想が横たわっておると私は思うのであります。こういう意味で、私は、ひとりアメリカに限らないと思います。国連加盟でありますならば、この精神からいたしますならば、あの戦後の日本国民生活というものは荒廃の極にあった、食糧にも、あるいは交通にも、衣料住宅にも最低生活を維持する状態が許されなかったのでありまして、これに対する援助を与えた行為に対しては、冒頭にも申し述べましたように、日本民族は深い感謝の念をささげてありがたくあの当時の援助を受けたということは、私も全く今日なお記憶を新たにしておるのでありますが、しかし、それは受ける方の側でありまして、相手国たる連合国もしくはアメリカ合衆国は、その当時は、債権としてこれを取り立てようなどという意思は、こういう精神から見ますならばなかったのではないか。この点に対するアメリカとの折衝の際におけるアメリカ態度というものを私どもはこの際伺っておく必要があると思うのであります。日本国はこれに対する返済義務を感ずるか感じないかということの以前に、一体、相手国たるアメリカが、そういうものを債権として、また日本債務として迫ってきたかどうかということについて非常な疑いを持ちますので、お伺いしてみたのであります。
  6. 池田勇人

    池田国務大臣 ガリオア・エロアに関しまするアメリカ日本に対しまする態度は、昭和二十一年の七月でありましたか、日本への援助に対する返済条件あるいは計算は追ってこれを定める、こういう覚書が出ております。その前後におきましても、米国議会におきまするマッカーサーの証言、あるいは向こう陸軍省関係者等の証書は、これは幾ら幾らということにきまっておりませんが、援助につきましての支払いを向こうは期待しておると考えられる事実がたくさんあるのであります。具体的な分につきましては事務当局より御説明いたします。
  7. 井堀繁男

    井堀委員 具体的事実については追ってお尋ねをしていきたいと思いまするが、私は、この外交折衝の際における相手国態度というものについては非常に重要だと思って、国連憲章を引き合いに出したのであります。ことに、この憲章前文には、さらにこういうことが書いてある。すべての――すべてというのは加盟国全体を言うのだろうと思いますが、すべての人民の経済的及び社会的発展を促進するための規定があるのであります。また、続いて、第一条の目的の三項に「経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決する」云々ということを規定してありますのは、冒頭お尋ねいたしましたように、これは、権利義務思想というよりは、相互援助立場において世界恒久平和の基盤を作ろうという思想に出発しておることは間違いない、こういう点から判断をいたしますならば、アメリカ国日本に対して債権として迫ってくるという思想はここから生まれてこないのではないか、こう私は理解して実はお尋ねをしておるのでありますが、さらにへーグ条約を引例してみたいと思います。この条約によりますると、占領地秩序維持規定、あるいは被占領民の疾病、飢餓などに対する保護は占領国の責務であるということをきびしく規定しておるのであります。これは私はこの憲章精神から出発したものと思うのでありますが、当時の日本現状というものは今さら説明するまでもありません。日本国内秩序を維持し、占領政策をスムーズに行なうとすれば、食に飢えている人々のために食糧を、住宅に全く困窮しておる者にその住居を、また衣料に事を欠いております者に衣料を与え、それによって人類最低生存権を守ってやる必要があった。そういう日本現状であったことはお恥ずかしいながら認めざるを得ないのであります。こういう状態のもとになされたものでありまして、ここら辺に問題があるのではないか。こういう点は、アメリカ合衆国との交渉の際にアメリカ態度がどうであったかということは国民の多くが知りたいところではないかと思いますので、もう一度この点についてお伺いしておきます。
  8. 池田勇人

    池田国務大臣 一九〇七年のへーグ陸戦法規四十三条の規定は、あの当時の戦争状況から割り出しまして、しかも、国の権力が事実上占領者の手に移ったときはなるべく公共の秩序の保持に努める、こういうことでございまして、昔の一時的のことを予定してやっておるのであります。たといそれが長かったにしても、これは無償ということを前提としておるのではないのでありまして、しかもまた、日本の場合のように長く占領されて行政をしておる場合におきまして、この陸戦法規が適用にならぬということは、もう世界の通念だと私は考えておるのであります。
  9. 井堀繁男

    井堀委員 次に、もう一つお尋ねをしたいと思います。これは当時日本に送られたガリオア・エロア内容の中で非常にわれわれが高い関心を持っておる点でありますが、かつて、これは自民党の方も一緒でありましたが、生産性政策チームの派遣の際に、あちらで邦人の代表者とたびたび会う機会がありました。日本人会の幹部でありますとか、あるいは日本人向け新聞関係者でありますとか、そういう指導的地位にあるアメリカ在住者、というよりも、日本系アメリカ人と言った方がいいかと思いますが、そういう人と何回か会合を重ねたことがあります。その節、いずれの場所においてもそうだったのでありますが、ガリオア・エロアに対する問題については、当時、血を同じゅうするという関係もあったろうと思いますけれども日本に与える援助物資に対してはかなり大きな犠牲を払って日本に送り込んでおるのであります。そして、それはもちろん返済などというものはごうも考えていない。もしあるとするならば、それは日本がりっぱに繁栄をして、そしてお互いに国際的な交際の可能な状態に成長することを望むという意味で、もし返済があるならばそういう返済を希望していたのじゃないかと思うのであります。特に私がこのことを申し上げるのは、今度の第二次世界戦争以後における日系米人というものは、すなわち二世、三世と言われておる人々は、その市民権が従来と全く本質的に異なると思われるほど高く評価されて、優遇を受けるような諸制度が法律の上でもしかれておる直後のことであります。こういう日系アメリカ人感情からいたしますならば、もしここで日本国アメリカ国債権債務の形において協定が結ばれるというようなことについては、どうしても割り切れぬ感情になるのではないか。それから、協定内容を見ますと、そういう人々に直接還元するということはもちろんないはずであります。でありますから、こういうかなり多数に上ります日系米人といいますか、こういう人々感情に対しても深い考慮が払われなければならなかったのではないか。私は、アメリカ交渉の窓口がどうであったかということよりは、そういうものが交渉の際にどのように日本政府に響いておるかということもきわめて大切であると思いますから、一言伺っておきたいと思います。
  10. 池田勇人

    池田国務大臣 井堀さんのお説を反駁するようでございますが、私もたびたび参りまして、二世、三世の方々からいろいろなことを聞いております。しかし、日本はよほどよくなった、払うべきものは払ってもらった方がわれわれも肩身が広いというふうなことも聞いておるのでございます。いずれにいたしましても、これは援助物資を全部払うのでもございませんし、今の日系の人が言ったと言われるあなたの言葉も、また私の言葉も、うらはらのようで合っているのじゃないかと思います。日本が払えるような状態になって払えれば、全部でなくても払えるだけ払ってくれた方がわれわれもいいということは、日系米人も相当考えておると私は思っておるのであります。
  11. 井堀繁男

    井堀委員 私どもこれからこの問題を審議していく際に、このことは今後も尾を引くと思います、そこで、議論を繰り返そうとは思いませんが、私どもは、あくまでも国連憲章精神というものがこういう協定を結ぶ場合においては大きな役割をするであろうということを強く主張いたしておきたいと思うのであります。見解の相違は別といたしまして、国民関心はやはりこういうところに存外あるのではないか。同時にまた、こういう思想がこういう協定を結ぶときに生かされてくるということであって初めて世界の恒久平和への方向が差し示されてくるのではないか。それを、法律家のように、権利義務のような形で、取ったり取られたり、払ったり払われたりするということは、この精神に合わないものではないかと理解しておるのであります。  そこで、次にお尋ねしたいと思いますことは、これは予算委員会の際にも問題になったようでありましたが、法律的な見解であります。憲法八十三条、八十五条、財政法四条、十五条の関係からいきますと、日本がそういう債務を約束する場合には、法律的な手続その他が当然とられていなければならなかったはずでありますが、わが党の春日委員の質問に対して、小坂外務大臣債務として確定したものではない意味のことをはっきり答えておるのであります。こういう法律手続の上からいきましても明確を欠いておるということは、私は、冒頭に申し上げた関係からそうなったものであるという判断ができるのであります。私は、そういう意味で、あくまで国際的な大きな精神国連憲章であり、そして国際的な条約はその中で規定される方向が引き出されてくるのではないかと思うのであります。こういう点については、わが国外交交渉としては、初めから債務と認めてかかるという態度はあやまちではなかったかと、多くの国民政府に対して非常な不満を持っております。われわれもそういう点に対しては強い不満を感じておりますので、この点を総理に一ぺん伺いまして、所用があるようでありますから、あとは外務大臣に伺うことにいたします。
  12. 池田勇人

    池田国務大臣 その点につきましては、はっきり申し上げますが、われわれは債務と心得えておったので、確定債務ではない。ただ、債務と心得たものを向こうと話したのでありまして、そして、どれだけ払おう、どれだけ払えということの交渉が今済みまして、それを国会に提案しまして、そして国会議決によってこれが債務になるのであります。だから、その議決があるまでは法律債務ということじゃないと思います。
  13. 井堀繁男

    井堀委員 それでは、この国会承認を得られなければもちろん債務は成立しないというふうに理解すべきだと思いますが、いかがですか。
  14. 池田勇人

    池田国務大臣 その通りでございます。
  15. 井堀繁男

    井堀委員 外務大臣お尋ねいたしたいと思いますが、今総理が答弁されましたように、債務と心得るという意味は、国会承認が得られて初めて債務、こういうはっきりした御答弁がありまして、政府態度が明らかになった。そこで、外務大臣としては、債務として明確でないものを、当然この協定内容を見ますると債務としてということが前提になる協定になると思いまするが、この辺の解釈はどのようにいたしておりますか、伺っておきたい。
  16. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 アメリカから援助を受けまして、先方は十九億五千四百万ドルと、言っておったのでございますが、私どもの方は、レシートを調べまして、そしてその中から当然債務とならない性質を持っているものは除きまして、そして西独の先例その他によって四億九千万ドルというものをはじき出したわけでございます。従って、これを国会においてお認めいただけますれば、これが債務になる、こういう考え方でございます。
  17. 井堀繁男

    井堀委員 債務とはっきりきまらないうちから金額をはじき出されたりあるいは返済具体的内容協定されるということは、私は法治国としては許されない外交折衝の失敗ではないかと思うのでありますが、あなたはどういうふうにお考えでしょうか。
  18. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 すべての外交案件がそうだと存じまするが、協定をいたしまする場合に、政府政府が個々の問題について交渉いたしまして、折り合ったところのものが協定案になるわけです。この案文が国会に出されまして御承認をいただければ、それが協定になる、すなわち、この場合にはこれが債務として確定される、こういうわけでございます。
  19. 井堀繁男

    井堀委員 それは、私は、一般の条約協定の際の手続はそうあるということは慣例で心得ております。しかし、わざわざさっき例を引きましたように、このことは、憲法八十三条、八十五条に、また財政法の第四条、十五条において、そういう国の行為というもののきびしい禁止規定があるわけであります。これは煩にわたりますから読み上げませんが、こういうはっきりした憲法規定なりあるいは法律規定があるにもかかわらず、それを破って協定に応ずるという態度は、私は他の条約協定とは本質的に異なると思うのでありますが、このはいかがでございましょうか。
  20. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 ちょっと仰せられまする意味がよく私にはわかりませんのでございまするが、このガリオア問題の解決に際しましては、従来から政府債務と心得て参ったわけでございます。このうち何がしが債務になるかということについて交渉いたした次第でございます。その交渉の結果によりまして、国民を代表せられる国会の御意見を承りまして、それによって、よろしいということになれば、これが債務になる、こういう考え方でございます。
  21. 井堀繁男

    井堀委員 先ほど来明らかになっておりますことを私は繰り返そうとは思いませんけれども総理も言っておられまするように、債務ではない、それが債務になるには国会承認を得てからということは、先ほどあげた憲法規定なり法律規定があるからでありまするならば、要するに、それを犯すような内容がもし協定対象になるということは、確かに行き過ぎたやり方ではないか、あるいは憲法法律精神をじゅうりんする結果になると私は思うのであります。その点はいかがですか。
  22. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 これは、例をあげて言いますると、賠償協定などお考えいただいたらいいかと思うのでございますが、要するに、ある国が賠償を要求する立場にある。そういたしますと、その国の政府賠償を要求せられる立場にあるわけであります。しかし、何がしかを賠償にとるかということになりますと、その国の政府相手国政府交渉して、そうしてきまったものが賠償額になる。これと同じことだと存じます。
  23. 井堀繁男

    井堀委員 私は意外なことを伺ったのであります。賠償平和条約の中にもきわめて明確に規定されております。賠償に応じなければならぬということは、平和条約わが国義務づけられておる。それに基づいて行なわれる交渉は私は適当だと思う。ところが、この場合は、先ほども質疑応答で明らかになりましたように、債務ではない。国会承認を得て債務になるわけです。そういう点は前提がまるで違うわけですから、こういう点はきわめて重大だと思うのであります。この点をはっきりさしておくことが今後の審議を続けていく上に重要でありますから、お伺いをいたしたいと思います。
  24. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 この問題につきましては、これが債務性を有するものであると考えられまする根拠についての資料を御提出申し上げておるわけでございます。すなわち、極東委員会の決定であるとか、あるいは、この対日援助のなされましたるもとであるガリオア予算アメリカの議会を通過するに際しましてアメリカの当局者の申しましたるいろいろの証言とか、あるいはまた、わが国におきましても阿波丸の協定承認する際等におきましてこれの債務性を認めているわけでございます。従って、これは債務でも何でもないということは若干違うのでございまして、債務性を持った援助である、こういう前提に立つのであります。しかして、何がしを債務とするかということに対しまして、これは、政府といたしましては、アメリカ政府の要請によって外交交渉に応じなければならぬという立場にあるわけでございます。しかしながら、そういう立場上ではありまするけれども、何度も催促をされて、ただこれを回避しようとか、アメリカの圧力によってこういうものを協定したということであってはならないので、私どもは、むしろ自分の方から進んでこの協定を今回は申し入れて交渉しよう、こういう立場の方が、日本としても今後の対米発言権その他から考えましてもよりりっぱである、かように考えまして、との交渉をいたし、かような妥結をいたしたような次第であります。
  25. 井堀繁男

    井堀委員 委員長にちょっとお尋ねをいたしたいと思いまするが、野党の第一党の社会党の出席がありません。今、私的な話でありまするけれども、一方的職権による委員会の招集だ、こういう野党の社会党からのお話であります。私どもは、第一党の野党と、それから責任の立場にありまする与党との間にできるだけ委員会がスムーズに進められることを願っておる。今伺いますとそういう事情でありますが、一体この委員会は社会党との間にどのような話し合いがあったのか。今社会党の言うように一方的職権でやっておるということになりますと従来の慣例から考えまして、今後問題を他に波及するようなことがありましては、せっかく審議に協力しようとする民社党の態度がかえってあだになる結果になるかと思います。注意を受ける前はとにかくとして、今野党側からそういう意味の発言がありましたから、はっきりしておきたいと思います。
  26. 森下國雄

    森下委員長 委員長から申し上げます。委員長は、理事会を開いて、あらゆる手段を尽くし、最善を尽くしました。そうして、理事向こう側と交渉をいたして、その理事の野田君がその合法的な方法をもって帰ってきたことを認めましたので、私はこの会議を開きました。
  27. 井堀繁男

    井堀委員 念のためもう一つ伺っておきますが、もちろん合法的であるとは思います。委員長の職権は非合法じゃない。しかし、国会の運営は、それぞれ国会対策もありますし、そういう慣行に基づいて、法規によらない慣行に基づいて運営が実はスムーズに進められておるわけであります。要するに、手続の上であるかどうかということが問題なのであります。職権は非合法であるとは思いません。合法的でありましょうけれども、そういうことは従来の慣行の上から言って好ましいことでないことは私もよく理解いたします。その点どういうことかということで、そういう意味で実は委員長お尋ねをいたしたのであります。合法的といっても、そういう意味ですから、それに基づいて私はもう一度質疑を続けたいと思います。
  28. 森下國雄

    森下委員長 委員長から申し上げます。われわれ理事会を開きまして再々向こう側と交渉をいたしまして、そうして、いろいろな結果、それを聞くことにきめて開いたのでございますので、決して私ども理事会がとった態度に手落ちはないと思いますから、どうぞ御安心の上御質疑を続けていただきとうございます。
  29. 井堀繁男

    井堀委員 委員長のお言葉を信用いたしまして、この会議が単に合法的であるのみならず、理事の間で十分話し合いができての招集だというふうにはっきり確約がございましたので、あと野党と与党との間でもしこのことについて紛糾がかもされるようなことが万一あったとするならば、委員長の責任において、あるいは与党の責任において善処されんことを前提にして、私は質問を続けたいと思います。
  30. 森下國雄

    森下委員長 お言葉、承知いたしました。
  31. 井堀繁男

    井堀委員 外務大臣お尋ねをいたしたいと思いますが、このガリオア・エロアの発生した日本の客観的な事情であります。これは、言うまでもなく、占領下に置かれておったのでありまして、その占領の内容形式は従来たびたび各国に例を見ることがあるのでありますが、日本の当時の連合国の占領の状態というものは、私も多少実情を心得ておるつもりでありまするが、日本政府は全く占領軍の指揮采配のもとに動かざるを得ない状態であったことは一般も御承知の通りであります。言いかえまするならば、連合軍に関する限りは、政府の発言というものは一方的に去勢されていなければやむを得ないという実情であったことは間違いないのであります。でありまするから、そういう時代に行なわれた経済援助である以上は、占領軍の意思によって、占領軍見解によってこういう経済援助もまた大きく左右されるということは当然だと思うのであります。この辺の事情をどういうふうに日本政府は理解をしてアメリカとの間の交渉をなされたかは、国民の聞きたいところだと思います。正直にありのままを言っていただきたい。
  32. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 まさに、仰せのごとく、占領時代は、われわれの国民によって選ばれたる政府も、その発言は司令部の意思のもとに規制をされておった、これはもうその通りでございまして、私どもがこのガリオア問題の解決に当たりましても、その当時の事情というものは十分アメリカ政府において思い起こしてもらうように申したことは数回にとどまらないのでございます。しかしながら、さればといって、私どももこの援助感謝し、かつ、当時の事情が全然そういう輸入食糧がなくてもよかったかといえば、われわれはかりに意思を持っていたとしても、あの当時のような食糧危機、しかも外貨などは全くない事情において、外国輸入食糧というものがなければ国民がいかんともし得なかったあの当時の事情を無視するわけにも私どもとしてはいかなかったのであります。従いまして、先方の言っておる約二十億の援助は四分の一にしてもらう、四分の三は切り捨ててもらって、四分の一だけ返す、こういうようなことで話を結んだような次第でございます。
  33. 井堀繁男

    井堀委員 問題は、たびたびあとに戻ったりいたしますが、その当時の事情からいたしますならば、日本国民の意思を代表する政府の意思でなかった占領軍の意思がこういう問題を決定する上に大きな役割をしたということは、だれも認めて、意見の相違するところではない。そういたしますならば、アメリカ占領政策というものは、さっき憲章前文お尋ねいたしましたように、この憲章は、今日世界の恒久平和を維持していくということは武力による占領政策では不可能であるということを明らかに認めた精神でありますし、言うまでもなく、占領下にある国民の相応の生活というものが保障されてこなければ占領秩序というものは維持できないということが大前提になっておるわけでありますから、言いかえますならば、占領政策の一つのやり方として、その占領政策の一こまとして行なわれた経済援助であるということは、この点から言って私は動かないところだと思う。ただ、私は、こう言うからといって、その当時のアメリカ国民の好意的な援助に対して感謝しないわけではない。特に、アメリカ人にとりましては、自分の税の一部をさいて、日系米人のように、乏しい財布をはたいて同胞のために援助を送ったというその好意を無視することはできないと思うのです。そういう精神的なものについては、私どもは報い方があるのではないかというところに論点があるわけであります。でありますから、一方では法律的には債務ではないし、他方では、道義的な立場から言っても、また、世界の全人類が希求しておりまする世界の恒久平和への前向きの姿勢からいたしましても、こういうものの解決というものは、この憲章の中の善良な隣人としての考え方に出発して行なわれたものならば、その結末もその精神に従って行なわれるべきではないか、こう考えるのでありますが、こういう点について一体政府はどういうふうに理解してアメリカ折衝したか。要するに、国民の非常な疑惑を呼んでおり、国民も今までの御答弁では理解することができませんので、私にわからせるようにすると同時に、国民に理解できるように、詳細なる御答弁を要求しておきます。
  34. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 旧敵国、当時終戦直後としてはそういうわけでございますが、その国民を飢えから救い、しかもその国の経済再建のために、アメリカ国民すなわち納税者が自分の財布をはたいていろいろな物資を送り援助したということは、まさに非常な人道的な行為でありまして、これは非常に私ども感謝をしておるのでありますが、この点については井堀さんの御意見と私も全く同感でございます。ただ、この援助について、われわれはこれはありがたくちょうだいしてただでいいじゃないか、こういう主張をいたしましても、これは相手のあることでありまして、アメリカ側は、そうはいかぬ、これはやはり債務性のあるものであるから、全部を返してくれとは言わぬが、何がしかのものは返してもらう、こういうことに先方の態度はきまっておるのであります。こちらだけの主張で先方を説き得なかったかという点におそらく井堀さんの御質問の重点もあろうと思いますが、われわれもできるだけそういう点は強調いたしましたが、これは、日本だけに対してそういう援助がなされたのではございません。西独に対しても御承知のようになされておる。ところが、西独の場合は、御承知のように、西独はアメリカ地区、イギリス地区、フランス地区とそれぞれ占領地区がございまして、アメリカのほかにイギリスもフランスも援助したわけであります。ところが、一九五三年二月に協定をそれぞれ結びまして、イギリスが西独に援助した物資、またフランスが西独に援助した物資については、それぞれ七五%は返させておるのであります。アメリカが西独に対して援助した物資については、三三・一七八、すなわち三分の一返させておるのでございます。そういう点を考えますると、日本だけの分をただにしろ、こう言うわけにもいかなかった事情は井堀さんにおいてもお察しをいただけるかと存ずるのでございます。すなわち、あとを考えましても、西独はちゃんとあの当時の援助を返した、同じ連合国に対して戦った立場にある日本が、あのときはありがとうと言ったからもう全部ただだ、こういうことを言っておるということでは、あとあとまでも日本国民というものの矜恃にかかわるという点もあろうかと私は思うのでございます。ことに、あの金が、また後ほど申し上げることでございましょうけれども、相当国内の各種の産業あるいは社会資本の再建に役立ちまして、今日では四千億からの金があるわけでございます。これをまだ今後とも運営していけるわけでございます。かりに七分五厘に運営いたしたといたしましても、相当額になるわけでございます。これを今後十五年間に二分五厘の利子ですから、それだけでも、利息だけでも五分違ってくるわけでございますが、現に四千億からある金の中から二千八十五億返そうというのが今度の考え方でございまして、結局、私どもは、援助を受けたものの中の利息その他の果実をもって払えて、しかも元金は残る、こういうことでございますから、そのくらいのことはするのは当然ではないかと思っておるわけでございます。  なお、先ほどお話しの、在米の二世を含む米国人よりの自発的な援助、これはケア、ララ物資と申しておりますが、これは無償援助ということになっておりまして、この分は特に今度のガリオアの問題の解決の中には含まれておらないということでございます。
  35. 井堀繁男

    井堀委員 西ドイツの例をお引き合いに出しましたが、私は西ドイツと日本の場合を考えてみたいと思います。それは、一つには、先ほど来私ども政府との見解の異なる基本的なものは、われわれは、債権債務という権利義務思想よりは、もっと善良なる隣人としての高度の理想追求のための人類の協力関係というものがこういう問題の解決を推進していくものであるという立場ですから、まるで違うと思うのでありますが、そういう点では、私は西ドイツは理解ができると思うのであります。これは議論にわたることでありまするが、日本は、なるほど戦後十数年になるのでありますけれども、実際、国民生活というものは、こういうアメリカ国好意に対して直ちに金銭あるいはその他の物でこれに返礼をするというのにはまだ時宜を得ないと思う私の立場からでありますが、西ドイツの場合は、すでに御存じのように、貿易収支の数字を見ましても、国民生活の実態を見てもわかりまするように、日本のように低所得階層が生活にあえいでいるという現況とは違う。もちろん日本においても一部にはかなり高い生活を享楽している者がないではありませんけれども、これは私は全体をさすのにはあまりに低い比例だと思うのであります。あくまで、私は、西ドイツと比較する場合におきましては、西ドイツにおいては、経済的にもあるいは思想の上でも、国民は堂々とアメリカとあるいはその他の連合国とその地位を競うだけの基礎ができ上がっておる点に違いがある。それから、いま一つの問題は、私は、法律的な解釈もそうでありましょうけれども、もっと実際問題から判断をいたしますと、日本が今国際収支のアンバランスに苦しんでおり、言いかえまするならば日本経済の危機をここから引き出すのではないかと思われるときにこういう協定をするということは、先ほど来の論議の中でも明らかなように、私は適切な時期ではなかったのではないか。また、内容において、問題をこれからお尋ねをしていくと明らかになると思うのでありますが、こういう点において、私ども政府態度をどうしても理解することができないのであります。  本日は、準備も十分でありませんので、ごく概括的な基礎的なものだけに質問をとどめまして、他日具体的の点をこれからお尋ねいたしたいと思いますから、大体この程度で質疑を終わりまして、あとは保留いたしておきます。
  36. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 どうも、特に議論を申し上げるという意味でなくて、御参考でけっこうでございますが、ただいまの御質問の中にございました西独とわが国の経済力の比較でございます。これは、西独の場合、一九五三年に協定締結して、わが国は一九六二年に締結する、こういうことになるわけでございますが、その当時と比較してみまして、西独の一九五三年とわが国の一九六〇年を比較してみますと、国民所得におきましては、西独は二六三・三ドル、わが国は二九五・五ドル、また金の保有高についても、西独は当時一二・二億ドル、わが国は一七・六億ドル、かようになっておる次第でございます。
  37. 井堀繁男

    井堀委員 なお、タイ特別円の問題についても質疑をいたしたいのでありますが、私の方の時間の都合もありますし、準備の都合もありまするから、この点も保留をいたしておきまして、後日御質問をいたしたいと思います。
  38. 森下國雄

  39. 木村公平

    木村(公)委員 私は自由民主党を代表いたしまして若干の質疑をいたしたいと存じます。  ただいま当委員会において最も問題になっておりまするガリオア援助処理協定の問題でありますが、これの結論は、債務性があるかないかということが結局問題の結論でございます。そこで、これについては昭和二十一年の七月に覚書が出ておるのでございますが、ちょうどその当時私は国会に議席を有しておりましたので、それを思い出しながら外務大臣お尋ねをいたしていきたいと思います。  世間並びに野党の諸君が今なお、これが単なるお慈悲でもらったものである、債務性がないという議論をなさる根拠が私にはわからない。政府の方でももう少し明確に債務性があるということの根拠を示して堂々と御答弁をなさることが必要ではなかろうかと私は思うのであります。  私が申し上げるまでもないと思いますが、ちょうどこの年、昭和二十一年四月十日に選挙がありまして、外務大臣も当時初めてお出になったのでありますが、私どもも当時一緒に出てきたのでありますけれども、その七月の二十九日付で連合国の最高司令部から日本政府あての覚書が出てきておるのであります。これはいわゆる外務省で申せば指令第一八四四-Aという覚書であります。当時の覚書というのは、後ほど私はポツダム宣言の内容も申し上げたいと思いますが、この覚書はディレクティヴとわれわれは了解いたしまして、命令だと思っておったのであります。しこうして、最高指令官の覚書というものは、これは負けた日本としては動かし得ないものであるというふうに理解をいたしておったのでありますが、その覚書によりますと、その4項に、「支払条件及び経理に後日決定される。」、こうあって、署名者は当時の高級副官のジョン・ビー・クーリ大佐であります。しこうしてその債務性を最も如実に表現しておると思われるのは、1、2、3いずれにもありますが、たとえば1の項を見てみますると、「米国その他の供給地から日本に到着する穀類、その他の生活緊要物資は、将来日本の消費に充当せられる。」、それから、これを受け取ったところの貨物の品名はできるだけ詳細にこれを司令部の方へ受取書を出せということが書いてある。さらにまた、「損傷、抜荷、せっ盗、その他の損害危険より貨物を保護し、貨物が常時適当な管理下におかれるよう貨物を保管すること。」が義務づけられておるのであります。さらにまた、「貨物が連合国最高司令官の放出許可発給前に分配せられることのないよう保証すること。」が義務づけられておる。そして、本件に関しては、昭和二十一年四月十一日付連合国最高司令部発日本政府あて覚書「輸入食糧の保管及び分配に関する記録保持の件」というのが出ておる。  このディレクティヴが政府に出されまして、政府昭和二十一年の九月の末の国会においてこれを朗読されておるのです。そうして、そのときわれわれは全員これに対して感謝と同時に承認をしておる。こんな重大な覚書を持っておりながら、今どきになって債務性があるとかないとかいうようなことを野党の諸君、国民の諸君に言わしめておるということは、PRも足りないかもしれませんけれども政府の怠慢と言わざるを得ないこれほどはっきりした証拠がある。この証拠があるにもかかわらず、なおかつそのようなばかげたことを野党に言わせておくということは、まことに心外でございます。  しからば、そのディレクティヴの信憑性、ディレクティヴというものがどのように当時力を持っておったかということは、降伏文書を見てみれば明らかでございます。「下名ハ 「ポツダム」宣言ノ條項ヲ誠實ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ實施スル爲聯合國最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合國代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ發シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本政府及其ノ後繼者ノ爲ニ約ス」、「天皇及日本政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏條項ヲ實施スル爲適當ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」とあります。「千九百四十五年九月二日午前九時四分日本東京灣上ニ於テ署名ス」ということで、重光葵が署名しておる。そうして、当時の「日本帝國大本營ノ命ニ依り且其ノ名ニ於テ」梅津美治郎大将が署名しておることは御記憶の通りです。重光さんは今おりませんけれども、これはよく知っておる。そうして、それに対して、連合国最高司令官、合衆国代表者、中華民国代表者、連合王国代表者、ソビエト社会主義共和国連代表者、オーストラリア連邦代表者、カナダ、フランス、オランダ、ニュージランド等の代表者が全部このポツダム宣言に基づく降伏文書というものを認めておるわけです。しからば、この降伏文書というものが最も根幹となって、これに基づいてディレクティヴが出てくるわけです。しこうして、このディレクティヴというものが、小坂大臣が御当選なさった昭和二十一年の七月二十九日付に日本政府に来ておる。これをなぜもっとはっきり野党の諸君にも申し上げないのか。こういうようなはっきりした文書がある。返しますと書いてあるじゃないですか。  さらにまた、私は不思議で仕方がないのは、当時われわれはガリオア・エロア資金をもってアメリカに行った。私も内閣委員長として行った。そのときには社会党の戸叶君もおった。それから山花秀雄君もみんなおる。その金はガリオア資金で行っておるのです。日本政府から金をもらったのではない。われわれは、将来それを返すべきものだと思うから、堂々と行った。ところが、その後の交渉において、あの金は返さなくてもよろしいということになって、四分の一に下げられたときにあなた方のお手柄によってそれは削られたから、今は支払い義務もないかもしれないが、戸叶も行っておるじゃないか。もう一人女の人がおる。何とか自転車屋、これも行っておる。こういう者が行って、山花秀雄君も行っておる。みんな行っておるじゃないか。ガリオア・エロア資金でもってアメリカに当時国政調査あるいは行政調査という名目のもとに行っておるじゃないか。たまたまそれは日本政府の力によって返済義務を免れたからといって、今ごろになって債務性がないなんということを言うことははなはだわれわれは不可解です。  従って、ここで何べんも何べんもすでにあなた方は同じようなことを繰り返されて言っておられるのでありますけれども、これは大事な点でありますから、この点について、債務性があるかないかの点について、もう一度われわれに向かって十分明らかにしてもらいたい。政府の累次の声明によって、援助債務性を有するものであって贈与ではないという根拠は十分明らかにされておるとは考える。しかしながら、私が十分にと言うのは、今私が読み上げました覚書のことです。これは本協定の基礎をなす最も重要な点ですから、国民に対して十分意を尽くしてこれを理解せしめる意味においても、この覚書について、大臣、あなたの口から、確かにこの覚書は政府が受領した、しこうして国会もこれを承認したのだ、満場一致感謝とともに承認をしておる、しこうして、覚書の4項には明らかに「支払条件及び経理は後日決定される。」とあり、署名者はジョン・ビー・クーリー大佐である、このことを御答弁いただきたい。確認をしていただきたい。
  40. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 まことに適切な御注意をいただきまして、政府も従来から申してはおりますことですが、さらに、私としまして、木村委員の仰せられるように、この点をここで明確に申し上げる必要を痛感いたす次第であります。  お言葉のように、これはAPO五〇〇という文書で、スキャッピン一八四四-Aという一九四六年七月二十九日に発せられたる司令部のディレクティヴでございます。これによりまして、日本政府は常に食糧の放出を連合軍総司令部に対してこちらから懇請して、当時としては要求と言いませんで懇請という言葉を使っておったわけですが、それによって、司令部の方は、日本政府はこの書き物を承知の上で食糧その他の放出を受けるということで、先方はこの放出物資を出しておったわけでございます。従いまして、もうこの債務性というものはこの一点できわめて明確であると存ずる次第でございますが、これには、御承知のように、今仰せられたように、支払いの条件等については後日これを決定するということが明確になっておるのでございまして、今、感謝決議をしたからあれはただだ、あるいはアメリカの道義心によって援助がなされたのであるからこれはただだという、こういう議論は通らぬのでございます。しかしながら、この援助を受けたものが全部債務であるかどうかということになりますると、そうではない、こういう意味において、われわれは債務と心得ておる。返すときが来ればその何分の一かを債務として確定しようということで、債務と心得ておったわけでございます。世上、往々にして、債務性を明確にするためにはなぜ憲法八十五条による国会承認を求めなかったかという意見もあるのでございますが、そんなことをすれば、援助すなわち債務になるのでございまして、われわれは二十億程度のものを支払わなければならなくなるのでございます。そういう意味において、私ども、歴代の政府並びに自民党のとっておったこの解釈は全く正しいものと考えておる次第でございます。
  41. 木村公平

    木村(公)委員 この覚書が根本でございますので、覚書についてもう一言お尋ねしておきたいと思いますのは、先月の二月六日の衆議院の本会議におけるあなたすなわち外務大臣の説明に対して、社会党の代表質問に立ちました戸叶議員は、占領軍の覚書などは、米国の一方的な意見を表明したものにすぎないもので、援助が贈与ではないという根拠にはならないということを述べておるのです。速記録を読んでみるとそう述べている。驚き入った話ですけれども。一体、こういう債務性を確実に認めておる覚書に対して、歴代の内閣、片山内閣も含めまして、異論をはさんだような歴史があるかないかということについても一つ一ぺん聞きたいと思います。おそらく歴代内閣はこの覚書をそのまま承認しておる。この覚書は間違っておるとか、債務性はないと言ったことはないはずです。そのまま感謝して受け取ったのであります。今日まで歴代内閣は異議を一ぺんもはさんだことはないと考えるが、いかがですか。
  42. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 全く仰せの通りでございまして、この歴代内閣中一番援助物資を多く受けましたのは、当時の片山内閣でなかったかと存ずるのであります。それは、その当時としては、インフレは高進して諸種の経済混乱がございましたので、やはり終戦直後の関係から昭和二十三年ごろまでが一番日本経済のまた日本国民生活の受難期でございまして、そういう意味で非常に多くこちらから食糧その他の援助物資の放出を要求して、そうして先方によって放出された、それをありがたく受け取ったということでありまして、それはディレクティヴにこう書いてあるがただでしょうなどということは毛頭言われたことがなかったのであります。
  43. 木村公平

    木村(公)委員 次に、大事なことでございますので、明確な御答弁がいただきたいのでありますが、二月六日のこれもまた衆議院本会議において、社会党の代表から、ガリオア援助に対する昭和二十二年七月五日の衆議院の感謝決議に言及して、占領軍食糧放出に国民を代表して感謝決議をしたのだ、同じ衆議院議員を代表して今度は援助は借金であるという主張を聞くことはおかしいじゃないかと言っておるが、こういうばかげたことを言われて、政府は黙っておるのですか。そのときは、われわれも感謝決議をした一人ですが、ほとんど国会議員でもあしたの米がなかった時代ですイモばかり食っておった時代です。そのときに放出物資をもらって感謝せざる者がどこにあるか。金のあるなしの問題じゃない。支払い義務というものは、その前にわれわれは債務であるということは百も承知しておりましたよ。債務であろうとも、幾ら高くても安くても、物をもらったということに対してわれわれは全国民を代表して感謝をいたしたことは、おそらく外務大臣も当時国会議員でしたから御記憶であろうと思います。なぜあなたはばかなことをいつまでも言わせておくのですか。感謝決議をしたからもらったんだというような、そんなばかなことをなぜ言わせたのですか。その前に覚書が出ておるじゃないか。それを百も承知の上で、われわれは、しかしながら物のないときに物をいただいた、腹の減ったときに米をもらった、うれしいということで、小坂さんも私も一緒に感謝決議をしたのじゃないか。社会党の諸君も感謝決議したのだ。一人残らず感謝決議をした。これは、金がただだから感謝決議をした、そんなさもしい根性をわれわれは持っていない。幾ら高くてもよろしい、――あの時分は金よりも物の時代、米のない時代です。米をもらった、小麦粉をもらった、トウモロコシをもらった、そうしてスープができる、ありがたいというので、われわれは国会感謝決議をしたと思うのですが、感謝決議をしたからただであろうなんということに対して、どのような御見解ですか。もう一度伺っておきたいと思います。
  44. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 われわれがたとえば借金をしたという場合に、これは必ず返すとわかっておっても、金が必要なときに借金をすれば、ありがとうと言うのであります。そのときありがとうと言ったからあの借金はただだというのは、世間では通らぬと存じます。今の御説は私も全く同感でありまして、その当時の感謝決議は、大村さんと私も一緒にやったわけですが、輸入食糧の放出について感謝をしたのであります。輸入食糧ということから参りますと、すでに輸入というものは金を払って入れるという前提があるわけであります。しかも、当時、国民は、あの物資をただでもらっておったかといえば、ちゃんと金を払ってもらっておった。その払っておる国民の代表として、われわれは国会において感謝決議をした。すなわち、当時、外貨もない、食糧その他が手に入らない、そのときに、外貨もないのに輸入ができて、その輸入の食糧が放出されるということについて感謝をしたのでございまして、こういうありがとうと言ったからただだというようなことでは、私は、今後日本民族世界を大手を振って渡れなくなると思うのです。さような考えを持っております。
  45. 木村公平

    木村(公)委員 感謝決議は、有料であろうと無料であろうと、当時としてはまことにありがたいというので感謝決議をした。だから、感謝決議に対する政府見解は明らかにされたわけです。わかりました。  そこで、もう一つお尋ねしておきたい。お尋ねというよりも、大声疾呼して全国民に訴えるために、あなたの口から伺っておきたいことがある。これは、去る三月二日、衆議院の予算委員会において、社会党の代表でしょう、横路節雄という人が発言をして、ガリオア援助に対し、へーグ陸戦法規極東委員会の決定を引用して、ガリオア援助占領軍として当然の義務を果たしたものであって、これに対して代金を支払う必要はないのだという趣旨を述べておるが、もしもそんなばかげたことを、まあ社会党の代表でしょうが、今ごろ言い出すとするならば、私はあなたにお尋ねしたい。あなたはどのような御答弁をなさったか知らぬが、社会党がほんとうにこのような立場を今なおとっておるとするならば、占領中の国会においてガリオア援助に対する感謝決議なんかなぜやったのですか。当然もらえるものなら、感謝決議をする必要はないじゃないか。へーグ陸戦法規、それから極東委員会の決定から見れば、当然よこすのはあたりまえなんだ、日本の窮民を救うのはあたりまえである、日本の全国民にあれを出すのはあたりまえだというような考え方であるとするならば、なぜ感謝決議を社会党が音頭をとってやったのですか。社会党の諸君に私は伺いたい。あの諸君たちは、アメリカに行くと社会主義とは言わないで社会改良主義と言っておる。それと同じようなことで、私は不思議で仕方がない。そんなものは感謝決議をしたのだからただでもらったのだと言うかと思うと、今度は、へーグ陸戦法規などを持ち出して、こういう法規があるから当然もらうのはあたりまえだ、そんなことは何も喜ぶ必要はないのだと言うわけです。こう言いながら感謝決議をしておる。矛盾もはなはだしいと思うのですが、今の陸戦法規とか極東委員会の決定というものにからみ合わせて、一つあなたから明確な御答弁をいただきたいと思います。
  46. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 へーグ陸戦法規の四十三条は、よく社会党によって引用されるのでありますが、横路委員もこの点を引用されておりまして、すなわち、これを読んでみますと、「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。」、こういうことになっておるのであります。これは、御承知のごとく、一九〇七年にできたものでありまして、当時は、占領について、今回の第二次大戦後の占領のような長い期間のああいう大規模な複雑な占領というものは予想されておらなかった。短期間の場合について、占領軍がその地区に行ったらその国の法律を尊重して社会秩序をできるだけ乱さないようにし、なお公共の秩序生活等を確保するために一切の手段を尽くせと言っておるのでありますが、この規定からは何もただで占領軍がその地区の治安、生活確保のための一切の手段を尽くせということは出てこないわけであります。今日になりまして、平和条約規定を見ますと、へーグ陸戦法規を越えるような規定がたくさん出ております。御承知でありますように、平和条約の十四条とか十五条とか、ああいう規定は、へーグ陸戦法規当時は全く考えられなかった規定であるわけであります。ここにそう書いてあるからといって、このガリオアその他の援助がただであるということは、全く牽強附会の議論であると私は思います。かてて加えて、一九四七年六月十九日の極東委員会の決定がございまして、降伏後の対日基本政策というのがございます。この中に、日本の輸出代金は、「占領に必要な非軍事的輸入であって、降伏以来すでに行なわれていたものの費用に対し支払をするためにこれを使用することができる。」、すなわち、この非軍事的な輸入、占領の間におきますガリオアその他の援助というものは、これは軍事的なものではない輸入であるということが明らかにされております。ここに債務性がはっきり出ておるのであります。この一九四七年六月というのは、社会党の片山内閣の時期でありますので、こういうことが出ました以上は、それはへーグ陸戦法規に違うじゃないかと当時一言でも言っておりますと、先ほどの議論が生きるわけでありますが、今日になってそういうことを申しましても、これはなかなか事柄の性格上通らないことでもあり、かつまた、払うときになって、いやだというためにこういう規定を援用することは、私は筋の通らない議論だと存じます。
  47. 木村公平

    木村(公)委員 もう一、二点お尋ねをいたしたいと思いますが、ガリオア援助債務性があるということは明確になりました。  そこで、もしガリオア援助返済すべきものであるとするならば、今回の協定に定められた返済の金額並びにその条件がはたして妥当であるかどうかということがおのずから議論になってくると思います。一つこの機会に、この協定に定められた返済金額並びにその条件がどこと比べても妥当である、むしろ日本政府の力によって、もう少し出さなければならないものを負けてもらったくらいなことを、この機会に明らかにしていただきたいと思います。
  48. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 ガリオアの返済については、昭和二十八年にドイツは同じような性質のものをすでにアメリカに支払うという協定を結んでおります。当時、ドイツは、三十億ばかりガリオアあるいはECAの援助を受けまして、それを十億ドル払うということを約束したわけでございます。それで、日本にも払うようにという話が昭和二十九年からあるわけであります。そこで、昭和三十年には重光さんが当時外務大臣アメリカへ参りまして、共同声明を出しまして、すぐ交渉をいたしましょう、こういうことを約束いたしたのでございます。そこで交渉が数回持たれたのでございます。それ以来、事あるごとにアメリカの方では、ドイツが払っているのになぜ日本は払わないのだ、こういうことを日本政府に対して申して来ておるのでございます。しかし、この話があったことはまあ内緒にしておいてくれ、日本の国内でもなかなか議論がうるさいからというようなことを言って、それは事実話を受けながら世間に発表していない趣がずいぶん何回もあるわけでございます。その間の実情が二、三漏れておりまするのは、ある時期においては、アメリカは六億四千万ドル返してもらいたい、こういうことを言っておる時期もございます。これはアメリカの二十億近い援助に西独の返済率をかけてみれば大体そういうことになるわけでございます。それから、五億五千万ドルと言っておったこともございます。そこで、私どもは、これ以上――日本の経済も非常に復興し、国民生活も安定して参っておる。それで、やはりアメリカと対等のつき合いをしよう、日米対等のつき合いをしよう、日米対等だということを強く言っております建前からしても、いずれはこの話はしますということでいつまでも引っ張るわけにもいかぬのじゃないか、むしろこの際は自分の方から払うと言って出れば、先方も意気に感じて十分われわれの主張も入れてくれるのじゃないかということで、今回話を始めたわけでございます。その結果、実は非常に、私が申しますと何でございまするけれども、先方は今までにない非常に大幅の譲歩をいたしまして、そして四億九千万ドルになったわけでございますが、これは、まず第一点において、西独の場合は、アメリカの支払ったと言っている金額に対して、これに三分の二切り捨て、三分の一支払いという方式を適用したわけでございます。日本の方は、実はそういう証拠がないというので、日本の受け取ったと思われる証拠、それも総司令部がこちらに残していった資料を寄せ集めて、それを一つ一つ丹念に計算いたしまして十七億九千万ドル近いものを算出いたしまして、それをもとにして計算をいたしました。その点でも西独より非常に有利になっている次第でございます。その点が非常に大きいのでございますが、なお、私ども、金額をきめるに際しまして、これはこちらの都合でございまするが、先ほど申し上げましたように、こちらに相当の金額がたまっておる。このたまっておる金がございまするけれども、実はこの金は電電公社に入ったりあるいは住宅公団に入ったりいろいろいたしておるわけでございます。そこで、一応入ったその金が今度政府出資で産投会計へ入っているわけですから、ただの金を使えているわけであります。ところが、ただの金を出資しているからといってこれを引き出して使いますると、全部の産投関係の財政投融資の計画に狂いを生じます。そこで、開発銀行が貸しておる金、この開発銀行だけにしぼって、これの納付金あるいは回収金、そのもので払うということにして参りますれば、これは一般の財政計画に傷がつかぬで払えるのでございますので、その範囲ということに限って四億九千万ドルならば払えるということで、そこで手を打ったわけでございます。この点は、たとえ話を申し上げて恐縮でございますが、私が木村さんから非常に困って援助を受けた。私がそれを品物で受けた。その品物を川村さんにお渡しした。そこで、川村さんはその品物を買って下さって、私に金が入ったわけです。その金で私は家作を持った。その家作をもってだいぶ家賃が入ってくる。そこで、木村先生から品物の援助を受けるときには、これはいつかまたお返ししますが、その返す条件その他はあとで御相談しますと約束しているわけです。そこで、家賃の上がりで木村先生にお払いするということにした。こういうわけです。もとの家作はそのまま手つかずに私の財産になる。私の手に残る。これならば私は国民に迷惑をかけることはない、こういうふうに考えておるわけでございます。しかも、なお欲をかきまして、このお返しする金にはまたさらに条件をつけたわけです。この金は、自分のところのむすこが今後いろいろ木村先生にお教え願いたいから、そこで返すけれども、そのうちの一部をむすこの留学の金にとっておいて下さい、よろしいと木村先生が言われたので、これが日米文化交流の基礎になって、二千五百万ドル、これは日本にあるわけです。もう一つは、木村先生も慈悲深い方だから、これは一つ岐阜県の方で十分使っていただきたい、そういう条件もつけてあるわけでございます。  以上御報告申し上げます。
  49. 木村公平

    木村(公)委員 外務大臣お忙しいようでございますので、最後に一点だけ伺いたいと思いますのは、この間座談会を聞いておると、勝間田清一君だったか、奇怪なことを言っておる。これは二重払いじゃないかと言っておる。あの人もわれわれと一緒に出たくらいの経歴を持った古い人だと思っておるが、当時のことを知らない。放出物資と称せられる当時の物を、われわれ金を政府に払っていただいておった。ただでもらったことは一ぺんもない。トウモロコシの粉か何か知らないが、あれでも必ず私どもはお金を払っておった。その金が積み立ててあったのでしょう、結局。その積み立てた金を初めて日本政府向こう政府へ覚書か何かに基づいてお払いになるということでしょう。二重払いという説は、どこから出てくるか、私にはわからない。その中のだれかが言っておるが、これも何かごたごたとして話しておったので何が何だかわからないが、どこから二重払いということが出てくるのですか。
  50. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 お答え申し上げます前に、もう一つ、今のトウモロコシや何か食えないものをもらったのじゃないかという議論がございます。それは一部的にはそういうものもないとは言えないと思うのでございます。ところが、その議論の際に、西独は食えないものはみな突っ返した、日本政府はだらしがなくてみなもらってしまった、こういう議論がある。私は、これは一つの問題だと思いまして、西独に問い合わせたのです。ところが、西独政府の申しますには、そういうことはございません、当時西独は、アメリカやフランスやイギリスや、――ソビエト地区は今東独になっておるわけですが、そういう国が分かれて占領しておったので、全部地方政権だった、今の政府のように、日本政府のようなものではなかった、そこで、その地方政権が占領軍に対してそれは要らぬなんということはとうてい言えたものじゃない、それで、みなもらったのだ、みな援助を受けたのだ、こう申しております。ところが、アデナウアーが一九四九年九月に単一政権を作りまして、そのときに全部それを引き継いで、アメリカとの間に援助物資に関する協定を結んで、いわゆる債務性というものをそこで明確にした。日本の場合はそういうことをしなかった、だから債務性がないじゃないかという議論がありますが、日本では初めから政府があったわけです。木村先生御承知のように、歴代、社会党が入っても、日本政府であることに変わりはない。ですから、そんなことをしないで、さっきおっしゃったスキャッピン、阿波丸協定等もあるから、それでいいのだということになっておるという事情でございます。  それから、二重払い論でございますが、これは私も実際わからない。なぜ二重払いか。少なくとも国民政府に金を払っておるわけです。政府はその金をふところに持っておるわけです。政府アメリカとの関係は、まだ一回も払っていない。一回も払っていないものを一回払うのが何で二重になるか。これには全く私は理解できない。だから、これは当然のことじゃないか。もし政府が一度も払わなければ、これは日本政府が悪いのです。国民からもらった金を自分のふところにねこばばしていたことになりますね。どうしてもこれは払わなければならない。そこで、二重払い論というものが出ておりますが、それはどういうことかといいますと、国民はそういう金を払って政府の国庫に入れた、それをもう一度政府が何か新しい税金を徴収してアメリカに払えば、政府としては、一回援助物資の代金を国民からもらい、さらにまた国民から代金をもらうのは二重じゃないか、こういう意味だろうと思うのです。それは白昼横行する議論としては私ははなはだ粗末な議論だと存じまするけれども、しかし、かりに百歩を譲ってそういう議論にお相手する場合でも、今度の場合は、先ほど申し上げたように、開銀の回収金、納付金で払えるのでございます。当時見返資金で二千九百十九億円というものを昭和二十四年に積みまして、それから営々とこれが利子をかせいで四千億になっておる。そのうちから二千八十五億円払うのでございますから、もとの二千九百億円というものはそのまま手つかずに残るのでございます。残るのでございますし、これはもう全然二重払いにならぬ。そのために新たな国民の負担を課するものではない。従って、二重払い論というものはおかしいのですが、かりにそういう議論に応待するにしても、二重払い論というものはいずれの面から見ても成り立たない、かように思っております。
  51. 木村公平

    木村(公)委員 大体よくわかりました。  そこで、最後に注文なんですが、こんなばかな問題、債務性ありやなしやというととで今ごろごたごたやっておるということは、私どもから見ると実に心外です。特に、ポツダム宣言から出てきたところのディレクティヴ、覚書によってこの問題の一番初めは基礎づけられておるわけです。その覚書には、はっきり、「支払条件及び経理は後日決定される。」ということで、ジョン・ビー・クーリー大佐が署名しておる。これをまずどなたにもわかるように政府は一つPRをなさる必要がある。それと同時に、二重払いなんというばかげたことを言われないためにも、政府はあらゆる機会を見つけてこの覚書を国民に知らせる必要がある。うちらの院内のことはよろしい。院内のことは、ここまでくれば、われわれが野党の諸君とどんな対決をしてでも、これの債務性のあることもはっきりさせる。どんなことでもできますが、院外でつまらないことで政府が誤解を受ける、与党が誤解を受ける。だから、この機会に、あくまでもこれはポツダム宣言というものが前提であり、そのポツダム宣言から発せられた二十一年七月二十九日付の連合国最高司令官から日本政府にあてられた覚書、その覚書を明確に皆さんに配付するばかりじゃなくて、これを日本じゅうに見せなければいかぬのです。それがためにどうしても支払わざるを得ないものだということを国民に理解させる努力を、私はもう少しお続けになることを政府に要望いたします。  今までのあなたの御答弁によって大体明確になってきたわけですが、感謝決議は、ただでもらったから感謝決議をしたのじゃないということは、われわれが当時感謝決議をしているのですから、われわれが一番よく知っているのです。あとから議席を持たれた方は御存じないはずです。ただでないということはわれわれが一番よく知っている。われわれは後日返さなければならぬということを承知しておる。その上で感謝決議をしておる。これが何よりの証拠です。私は当時の憲法改正委員会の委員ですから、憲法の問題でもいつでも伺おうと思っておる。だいぶ間違ったことばかりやっておる。ただいまの問題でも、横路君だとか戸叶君といへ人は間違ったことばかり言っておりますから、一つ国民に大いにPRをしていただくことを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  52. 森下國雄

    森下委員長 通告順に質問を許可いたします。藤井勝志君。
  53. 藤井勝志

    藤井委員 大へん時間がおそくなりまして、まことに恐縮でございますが、聞きますと外務大臣の方では多少時間の余裕もあるようでございますので、私は端折って一つ問題を提起いたしまして、当局の御答弁を願いたいと思うのでございます。  私は本日は特にタイの特別円の問題に関連した質問をいたしたいと思うのでございます。同時に、私は、もちろん外交方面については議員生活も非常に浅くていわばずぶのしろうとでございますけれども、昨今の外交論議を予算委員会その他でいろいろ聞き、いろいろな面において問題を感じます。私としては、いずれ次の機会に、総理大臣の御出席も仰いで、外交論議に関する基本的なかまえについていろいろお話を申し上げたり、質疑をいたしまして、当委員会の確認を得まして、今後外交論議を軌道に乗せていただきたいという考えを持っておりますことを一つあらかじめ申し述べておきたいと思うのでありますが、きょうは不幸にして野党第一党の社会党の諸君の姿の見えないことをまことに遺憾に思うわけでございます。  ところで、このたびタイの特別円協定が一応成立いたしまして、今後東南アジアに対して日本も大いに経済協力を背景として進出する一つのきっかけができたということは、いわゆる大所高所から私は非常にけっこうなことだと思うのでございますけれども、ここに二、三問題を指摘いたしまして、外務大臣の明快なる御答弁をお願い申し上げたいと思うのでございます。  その第一は、戦時中の特別円勘定設定の根拠と相なりました日・タイ同盟条約並びにこれに関連する一連の両国間協定は終戦直後終止符を打たれたのでありまして、従って、特別円勘定残高を日本返済をしなければならないという法的な根拠はないではないかという意見が出ておるようでございまして、これは一般国民の受けから言うとなるほどそうではないかというような感じも受け取れるように思うのでございます。この点についての経緯と内容につきまして、外務大臣から明確なる御答弁を承りたいと思うのでございます。
  54. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 お答えを申し上げますが、御承知のように、日本タイとの関係は、昭和十六年に日・タイ間に同盟条約ができまして、十七年にタイは米英に対して宣戦布告をいたしたので、そういう関係で、日本の軍人もバンコックを中心としてタイに非常に多く行っておりまして、大体二万人くらいの人が行っておったわけでございます。ところが、終戦間近になりますと、ビルマからタイの方に移って参りました軍人も多くなりまして、十二万人くらいの軍人がおったわけでございます。そういう軍人の非常に多いタイにおける軍費をまかなうために、日・タイ間に特別円勘定ができまして、つけによっての決済、すなわち、日銀の帳じりに特別円の勘定じりを置きまして、そして、タイの軍費を現地においてバーツでまかなって、日本からこれを送っておる、こういう形を特別円協定においてとっておったのであります。ところが、この特別円協定の中には金約款がございまして、この決済は金でするということは書いてございましたけれども、一方において、この金約款というものは、その当時の事情ではそのままに実行しなくてもよいのだという了解事項がうしろにくっついておったわけです。従って、一時全額金で送ったこともあったようでありますが、だんだん日本の財政状態等も逼迫して参りますにつれて、あまりそういうことを実行しなくなって、そして終戦を迎えたわけでございますが、今藤井さんのお話のように、昭和二十年九月十一日に、タイ側から、この日・タイ間の特別円に関する協定、また両国大蔵省の協定、覚書も含めて、これは終止したものとみなすという廃棄通告が来たわけです。そこで、この通告を受けました以上、これ以後の日・タイ間の特別円の問題は問題にならぬわけでございますが、そういう協定廃棄が遡及するかどうかということになれば、これは遡及はしないわけでございます。そこで、日銀の帳簿じりに約十五億円のものが残っておったのであります。これをどうするかということですが、特別円の協定が廃棄されましたので、この十五億円をいかに評価するかという評価の基準がなくなってしまったわけです。そこにタイ特別円の問題があるわけです。  そこで、タイ側にすれば、その後この協定というものは商業勘定として残っておるんだから、これは決済してもらいたい、日本の方でも、一応これはできるだけ安くしてもらうという考え方で、協定お互いになくなったんだし、互いに敗戦国なんだから、そういう請求権というものはお互いに言うのはやめようじゃないかということを言って交渉した経緯もございます。ございますけれども、やはり、お互いの私生活でもそうでございますように、お互いが同盟を結んでおったのがなくなったからといって、銀行の預金残高までゼロになるという議論は成り立たないのであります。従って、いろいろ交渉しまして、昭和三十年、御承知の三十年協定を結びまして、そして、全体を百五十億円というふうにタイ側は強硬に主張いたしましたので、そのうち五十四億円、これは、金を送るときめておって送ってない分と、それから、金を支払うということを約束しておってまだその約束が実行されてなかった分、これが九トン何がしの金でございますし、前者が〇・五トンくらいの金でございますが、これを評価して、当時、金を売却するという約束をしておって残っておったものが当時の価格で四千四百万円あった、これを当時の一グラム四円八十銭という金の価格で割ってみて、九・一七何がしトンというものを算出しまして、四千四百万円を十五億円から引いたものと、今申し上げた二つのものを足しまして五十四億円というものを出し、これをスターリング・ポンドでタイに支払ったわけです。ところが、タイ側の方では、先ほど申したように、いろいろ向こう側の基準というものを持っておりまして、たとえば十五億円を一ポンドが十一バーツというので評価すれば千三百五十億円になる、それだけくれ、いやそうはいかぬというので、それが二百七十億円に折れ、それが今申し上げた百五十億円に折れてきたわけです。ところが、タイ側として見れば、百五十億円まで折れたものを、日本が五十四億円と言い、九十六億円は投資かクレジットの形で供給すると言っておるけれども、自分の方がさんざん折れたあげく、五十四億円しかもらえない、あとのものは決済されると思ったら逆にタイの借金になったということでは、これは何とも納得し得ない、こ所高所というのは、まさに藤井さんが仰せられたようなそういう意味でぴったり来ることであろうと思っておるのであります。私どもがこの東南アジアの経済を考えまする場合に、何といっても農業国でございます。農業を振興をしていかなければならぬ。また、工業を考えまする場合にも、非常に初歩的な、しかも中小企業が多いわけでございます。これを考えまする場合に、日本の行き方というものは最もぴったりするのでありまして、東南アジアにアメリカ式の大規模農業を持っていっても当てはまらない。また、ソ連式の寒冷地農業が当てはまらぬことは当然でございます。この面からいたしましても、日本の農業技術、また中小企業の技術というものを中心にして東南アジアの経済をさらによくして参る、そうして国民の福祉を増進して参るということに日本としては大いに力を尽くさねばならぬ、かような基本方針で考えておる次第であります。
  55. 藤井勝志

    藤井委員 ただいま大臣から将来の東南アジア外交路線の基本的なお考ええの御披瀝がございましたが、私も大臣のお話を聞いて全く同感の感を禁じ得ないのでございます。  ちょっと横道にそれますが、私は昭和十六年大東亜戦争勃発と同時に学徒動員であの方面へ出た者でございまして、ここに敗戦二十年ぶりに去年の八月一日から約一カ月間東南アジアを回ったわけでございます。私の視察の率直な一つの結論は、今大臣が言われた農業技術開発協力による一つの線ということ、これが私は今後の大きなきめ手であるというふうに感じて帰ったのでございますが、いろいろ申し上げたいこともございますけれども、長談義は省略いたしますが、約七億に近い国民大衆のうち、八割ないし八割五分が農民であるわけでございますが、それがきわめて低い生活をしておる。カンボジアあたり、私はアンコール・ワットヘも時間を見て参りましたが、その道すがらの農村風景、全く掘立小屋でございます。一緒に同道してもらいました大使館員の話によりますと、いろいろ資料に基づいて、カンボジアの農民の生活状況日本で言えば鎌倉時代だ、こういう話でありましたが、われわれ旅人の目に映ずるカンボジア農村の風景は、むしろそれよりもずっとさかのぼった縄文土器の時代が大古の昔くらいな調子ではないかくらいに思ったわけでございます。しかも、そのような状態は、あにカンボジアのみならず、ほとんど東南アジア全体に通ずる常識であろうと思うのでございます。しかも、それが八割から八割以上がそういう生活をしておる。よく人は言います、はだしとキャデラックの同居している社会に安定はない。こういったことをまざまざと見せつけられたわけでございますが、従って、私は、そういう低い生活状態に置かれておる農村の生活をここに大いに高めるということは、安定した東南アジアの国々を作り、これが日本の安定にもつながるゆえんであることは、これは国際政治の常識であろうかと思うのでございまして、ここに農業技術の開発のために大いに積極的な対策をとってもらいたい。そうして、この東南アジアの国民大衆の八割から八割五分を占める人たち生活水準の向上によって、やはりそこに購買力がついて参りますので、日本の貿易とのよき結びつきという共存共栄の道がここに開かれる。われわれは学生時代大東亜戦争に参加したわけでございますが、当時いわゆる銃剣をかざしてアジア共栄圏を作ろうとしたこの方途は大きく誤って、この大失敗の敗戦のどん底にたたき込まれたわけでございました。このような過去のきびしい反省の上に、平和な姿に徹したアジア共栄の道を開くべき機が今日まさに熟しておる。この機の熟したところに持っていって、タイの特別円の解決ということができた。こういういろいろな重なり合ったよき条件のもとに、今申しましたような農業技術開発についてどのような方針でいかれるか、やや具体的に大臣のお答えを願いたい。なお、次回に、そういう問題についてはもう少し、各論は大臣でむずかしければほかの方に一つ答弁を願いたい。(笑声)――むずかしいという言葉は訂正いたします。
  56. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 非常に要を得たお話で、大いに感銘いたします。私は、やはりあなたと同じように、かつての剣を持った誤を反省して、いまやコーランを持って東南アジアに友邦としての契りを深く結ばなければならぬ、かように考えております。それには、何と言っても、私はお説と全く同感で、農業技術の問題、まずそれから始めなければならぬ。これには、われわれ彼らを説くのに非常によい体験者であるわけでございます。日本があれだけの敗戦を喫して、そして食糧難にあえいでおった当時、私ども傾斜生産ということを申しておりましたが、傾斜生産の対象として大きく農村の問題を取り上げ、農村購買力がふえて、そして国内の経済再建が軌道に乗った。この経験を話しますと、いずれも日本に対する賞賛の言葉とともに、不肖私にも賞賛の目が向けられるようなことでございまして、この点は私は藤井さんと意を同じうするものであります。  そこで、何と申しましても、そう全部についてやるわけにも参りませんので、やはり重点的にセンター・システムがいいんじゃないか。農業技術センターというものを各所に設ける、それから中小企業のセンターを設ける、あるいは、電気通信というものは割合に手に入りやすくてしかも効果が非常に目立つものでありますから、電気通信センターというものを設けていきたい、こう考えておりますが、私も若干大所高所の方に立つ方で、どうもあまり技術的な詳しいことは仰せの通りよく存じませんので、これは一つ後刻政府委員等からも詳しくお聞き取りを願いたい、かように思っておる次第でございます。
  57. 藤井勝志

    藤井委員 今の問題につきましては、まことに恐縮でございますけれども、一つ次回にやや具体的な方針をお聞かせを願いたいと思うのでございます。  ところで、これまた次回に本論は譲りたいと思うのでございますが、率直に考えまして、いろいろ専門家の意見や話を聞きまして、端的に申しまして、十九世紀は民族独立の世紀であったというふうに思うのであります。それに対して、二十世紀は民族連合の時代だ、こういうふうに一応割り切れるんじゃないかというふうに思うのでございまして、そういった動きはいろいろな方面に出ておることは多弁を要しないわけでございます。ところが、ここに東南アジアをすっと回りまして感ずることは、すべての国、タイは別でありますけれども、すべてのほかの国は、太平洋戦争の歴史的成果、歴史的なこの結果が生んだ事実といたしまして、急に独立が与えれらた。このような国々の大衆なり指導者は、いわゆる独立の意識に非常に情勢を持っておる。従って、自国本位ということにいきり立っておるような感じが受け取れるのでございますけれども、今申しましたような二十世紀の民族連合の方向に向かって、やはりより高いところでまとまっていくような努力が必要である。しかしながら、そのような努力を買って出る適役は一体どこにあるか、こういった問題でございます。これが激しい民族意識に燃えた東南アジアの諸国に対し、米欧の連中がいきなり直接結びつくことはいろいろな問題において非常に困難な点がある。また、文化的にも距離的にもいろいろ問題点があろうかと思うのでございまして、ここにいわゆる日本がアジアの心を持ってそういった連中の中に立って欧米とアジアとを結びつける忠実な媒介者とならなければならない、こういうふうなことを私は常日ごろ感じておる次第でございます。こういう問題については、私は、このタイ特別円問題の解決を契機に、外務省当局はもちろん、これは一つ総理大臣を先頭に積極的な態勢を開かれることが日本の将来の安定をもたらし、世界の平和に寄与するゆえんであるというふうに深く信じておる次第でございまして、この点について一つ外務大臣の御所見、経綸を承りたいと思うのであります。
  58. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 われわれ、世界各民族の共通の目標は、一つの世界といいますか、戦争のない非常に繁栄したものになろうというグローバル・ポリシーを持っておるということは言えると思うのであります。ところが、一方において、経済・社会環境その他の相違から、やはり自国本位、ナショナルなものに固まろうという傾向もあると思います。そこで、昨今は、これの中間的なと申しますか、地域的なリージョナルな結合というものが方々に見られておるわけです。御承知のように、EECとEFTAが一緒になろう、あるいは共産圏がコメコンというようなもので一緒になろうというようないろいろな動きが見えるわけです。それから、ラテン・アメリカではLAFTAというような形のもの、東南アジアでも一つOAECというものを作ったらどうかというようないろいろな問題もございますけれども、やはり、そういうものができるためには、それ相応の民族的な意欲というものもさることながら、それを可能ならしめる経済的な条件も必要なわけでございます。そこで、日本という国がアジアにおける唯一の欧米の先進国と比べて違わない高い工業水準を持った国であるし、国民の教育程度も欧米と変わらぬという高い水準を持った国であるということについては、アジアの諸国においてこれが非常に布く評価されておることは、現地においでになって藤井さんもお認めでしょうが、私もさように思うし、日本民族としてはさような自信を持っていいと思うのです。そこで、アジアの問題はアジアで解決するということはよろしいのでありますが、そこにあまりに偏狭なナショナリズムというものが行き過ぎますと、アジア全体にございます資本不足の問題との間に、これがどうしても解決できないものにぶち当たってしまう。そこで、私は、あなたのおっしゃるように、やはり日本は、よく東西のかけ橋と申しますが、今日の東西関係の間に日本が中立主義とやらいうものをとったら、それで東西のかけ橋になれるということはできぬことだと思う。それよりも、日本はやはり西欧の高い工業水準とアジアの多くの民族との間のかけ橋になって、そうして日本の力によってアジアにおける七億の諸民族が繁栄する、こういうように持つでいくのが日本の大きな務めであろうというふうに考えておりまして、タイ特別円問題も、まさに大所高所というのはさような観点も考えているということであろうと考えております。
  59. 藤井勝志

    藤井委員 外務大臣の高邁なる御所見を聞きまして、まことに心強い限りでございます。実は、よく言われますように、血は水よりも濃しという言葉の通り、インドまで行くとまたちょっと違いますけれども、ビルマまでは全く、言葉をかわしてみて初めて、これはビルマ人だ、これはタイ人だというふうに気がつくほど、事それほどわれわれときわめてよく似ております。しかも、われわれが子供時代に教わったことから言いますと、当時の名前でシャム、すなわち今のタイとの関係くらいはいろいろわれわれも知っておりましたけれども、私が現地へ行きまして驚いたことには、アンコール・ワットのあの高い石段の石骨の上に墨痕あざやかに書いてある。一種の落書きと申しますか、どういう名前が書いてあるかと申しますと、「肥前国住人藤原朝臣森本右近太夫一房、寛永三年正月十九日認之」と書いてある。大宅壮一さんがあちらへ回りましていろいろそれは記事に出ておりましたが、加藤清正の息子だという。当時は日本の鎖国の前でありましたが、そういうふうに当時日本人が行っておった。だから、私は、そういった日本の長い歴史的なつながり、同時にまた、安田徳太郎さんというその道の専門家に言わせると、先祖は一緒だということも書いておる。北のモンゴル人と南のインドネシア人との混血児が日本列島の日本人であり、東南アジアの系統だと、こういつたこともわれわれは聞かされておるのでございますので、そういう点からしても、先ほど私が申し上げ、また大臣からお話がございましたようなことは、ただ言葉の上の話ではなくして、具体的に外交政策にあるいはまた日本の国政に一つ強く反映をいたしてもらわなければならない、このように思うわけでございまして、私はそれについて一つ提案をいたしたい。  それは何かと申しますと、今申しました海外経済協力、こういったことを太く強力に推進するためのいわゆる対外経済協力庁といいますか、お役所です。お役所をふやすことは行政管理庁はきらうでありましょうけれども、これだけは私は時期を失してはいけないと思う。しかも、これは現在いろいろなお役所に関係がある。農林省にもそういった担当官がありましょうし、あるいはまた、外務省はもちろんでありますが、通産省、いろいろな方面におるこういった連中をまとめれば、そう人員はふやさなくてできることですから、例の最近やられる方式によって対外経済協力庁というものを作る。これが外務大臣のいわゆる指揮下にやっていく。このくらいのことをやらなければ、今まことに御高説を拝聴したけれども、それは言葉の上の答弁にすぎないということに相なることをおそれまするがゆえに、一つ大臣の明快なる御答弁、どういう方針でこの問題を取り組むか、御意見を承りたいと思うのであります。
  60. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 総理大臣がアジアを回られてアジアの一員ということを痛感されたということを言っておられましたが、これはまさに藤井さんの今の御心境と池田総理の心境は一つである、かように思うのであります。そういう意味からいたしまして、私は、やはりアジアに対する経済・技術協力というものをもっともっと強化していかなければならぬということで、この四月から、予算的にも、あるいは、ただいま御審議をいただいておる法律においても各省設置法の中にございますが、現在まで外務省に経済協力部というものがございましたが、これを局に昇格していただく、それから、海外経済協力事業団という特殊法人を作りまして、この事業団においては、いわゆる役所の官僚式のレッド・テープの覊絆から脱しまして、ほんとうに機動的に、しかも雄渾な構想を持って政府の意図を体して経済協力をやってもらうというものを作りたいと思いまして、これまた外務委員会にもその法案を御提案申し上げておるわけでございまして、これをぜひ一つ皆様の御協力によってすみやかに御審議の上通過さしていただきますれば、ともどもに、私ども心を許す同志の各位と手を携えまして、大いにアジアにおける経済協力事業に貢献いたしたい、かように、言葉だけでなくて、心底から思っております。   〔委員長退席、北澤委員長代理着   席〕
  61. 藤井勝志

    藤井委員 えらいしつこく申し上げるようで恐縮でございますが、蛇足ながらもう一言この問題に関連して意見を付しておきたいと思うのでございます。私も外地へ参りましてしみじみと感じたのでございますが、非常に、なわ張り争いと申しますか、外務省は外務省、農林省は農林省、通産省は通産省と、こういったことが露骨に現地においてまたいろいろな面に現われておる。これは日本人が仕事熱心だという面の半面ではないかというふうにも思われるのでありますけれども、まことにみっともない。同時に、経済協力の効果を減殺することはなはだしい。従って、私は、そういった弊害を除去する意味においても、やはり今のような対外経済協力庁、こういったもので一本にしぼっていくことが大切ではないかというふうに思うわけでございまして、この点は外務大臣のみならず総理大臣にも特にお願いをいたしたいと思いますのでございまして、先ほど触れられました海外技術協力事業団の構想が一応生まれるまでにも、通産省と外務省との間に非常にごたごたしたことも私は聞き及んでおります。これは日本の現在置かれた東南アジアの経済協力のこの重大課題を考えますときにまことに寒心にたえないと思うのでございまして、この辺こそ総理並びに外務大臣に大いに一つ英断をもって善処されんことを特に希望として申し述べておきたいと思うのであります。  それと関連ではございませんけれども一つお尋ねをいたしたいのでございますが、これまた外地へ行って感じたことでありますが、日本人の商社の進出というものがこれで一そう活発に相なると思うのであります。ところが、この商社が一生懸命に仕事熱心にやる結果が、いわゆる過当競争の弊害として、これまた経済協力を非常に減殺いたしておりますことも十二分に御理解されておると思うのでございます。竹本経済の建前がいわゆる自由経済になっておりますから、計画経済の国のような調子には参りませんけれども、ここに自主的な調整をはかるための行政指導について何とか一ついい方法はないものだろうか。こういったことについていろいろ関係各省なり皆さん方で一つ御相談をされたことがあるかどうか。もしないとするならば、こういった問題については一つ大いに積極的なかまえをもって善処してもらいたい。これに対する外務大臣の御所見を承りたいと思うのでありまして、自主的調整の行政指導の方途いかに、大臣の御所見を承りたいと思うのであります。
  62. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 全くごもっともな御意見で、私ども役人の経験を持ちません者には、いわゆる官僚のなわ張り争いというものについての理解がなかなか困難でございますが、現実にこれに当たってみますると、なかなかのものだということを痛感するのであります。しかも、それぞれにおいてこれはよくないことだと言いつつ、相手方のやり方に不満を述べつつ、なおかつ争っておるのでありますから、これはある時期においては清算さるべきものだと考えております。  実は、過当競争の問題も非常に大きな問題でございまして、何とかせねばならぬ問題でございます。この点につきましては、御意見の通り、できるだけ一つ関係各省庁において調整すべく努力をいたしております。また、輸出入取引法等についてもいろいろ意見があるのでございまして、やはり、この輸出というものを日本が非常に重大視し、しかも海外経済協力というものを大いに考えまする場合に、やはりそのときどきの必要に応じて法律改正等を考えていかなければならぬと痛感しております。  なお、タイのことについて一言申し上げますると、タイの側においては非常に問題になっておりました二重課税防止のための協定、これは今まで何度もこちらが申し込みましてもだめだったものでございますが、ようやく仮調印の段階になりました。これで商社活動はよほど楽になると考えております。
  63. 藤井勝志

    藤井委員 もう一点、海外経済外交の推進体制の強化に関しまして大臣の御意見を伺いたいと思うのでございますが、私はこういう考えを一つ持っておるわけでございます。  在外公館、大使館であるとか公使館あるいは総領事館、こういったところに、この際、いわゆる経済協力担当の参事官とか政治担当の参事官、この二元制度、こういったものを一つやったらどうか、そうして専門的に海外経済協力をやる、こういった点でございます。現在はそういった段取りができてないわけでございますが、そういった点と、それから、私は現地に行って惨たんたる在留日本人の話を聞いたのでありますが、日本人のお医者が全然いない。三百人、五百人おるところ、こういったところにもいない。バンコックにはおりますかどうか私は知りませんが、ぶつからなかった。インド、パキスタンのカラテはもちろんです。やはり、おなかがきりきり痛むとか、こういった調子のことは、幾ら語学のたんのうな外交官でもなかなか表現がしにくい、こういうこともあるし、病気になれば気が弱くなる。従って、やはり、そこにお医者をある程度派遣して、ひまな時分には仕事のお手伝いもしてもらう、こういった線で、ちょっとまとまったところには、そういったお医者の駐在あるいは医療施設、こういつたことを一つ考えたらどうか、人道上から考えても必要であるというふうに思うのであります。これが第二点。第三番目は、外地に勤務しておるこういった人たちが、参事官以上くらいはときどき連絡会議か何かで帰れますけれども、ほんとうに事務をやっているそれ以下の連中は、三年、五年、いつ帰れるやらわからない状態で仕事をしておる。私も二、三年外地へ戦争中行ったわけでありますけれども、いわゆる南方ぼけがしてしまいます。従って、ときどき内地へ帰す、そうして、そういう人たちが外地の海外のいろいろな事情を生のままいわゆる内地で関係方面に反映する、いろいろ話をする、同時に、また、内地の人たちは外地の様子がじかに聞ける、わざわざよそへ行かなくても話が聞ける、こういったことで、一石二鳥の意味があるのではないか。特に、不健康地帯である東南アジア、こういったところに対しては、大いに一つそのような意味の人の交流を積極的にやるための財政措置を考えるべきじゃないかというふうに思うわけでございます。  この三点について大臣の御答弁をお願いをいたしまして、私の質問を終わりたいと思うのでございまして、最初に申し述べましたごとく、私は、日をあらためて、総理大臣の一つ御出席を願いまして、また本論に進みたいと思うのでございます。
  64. 川村善八郎

    ○川村(善)政府委員 大臣があなたの御質問やその他の御質問でだいぶお疲れになっておるようでございますから、私がかわって御答弁を申し上げます。  実は、大使館に、あなたのおっしゃられるように、あるいは政治、経済等分けて置くということも、これは必要かと私は考えております。しかし、これらも御承知のように予算に制約されますので、われわれはやりたいと思いましても、容易なことではない。従って、経済も政治も一緒にやってもらわなければならない、そのかわりにりっぱな人をやるということでやらなければならない、かように思っております。  さらに、あなたの出かけた地方にはお医者さんもないところがある、こういうことは事実でございまして、そのお医者さん等におきましても、邦人の多いところにはやらなければなりませんけれども、お医者さんにはやはりお医者さんのいろいろな内容があるようでございます。あなたのおっしゃられるようにほんとうにもうおなかを病んでも薬を盛る人さえもいないというところもあれば、いわんや、重い病気になると、その重い病気をなおすお医者さんがないということで、われわれは寒心にたえないと思っております。しかし、これはもういつかしら日本の外務省に置く時代も来るのではないかと思っております。  それから、さらに、内地と外地の交換、交流の問題でございますが、私もこのたび欧州方面に参りましてその感を深くして参ったのでございます。申し上げると、各地方によったそれぞれ生活状態も違いますが、いずれも参事官以下ぐらいの方の生活が苦しくなっている。従って、借金をして車を買い、借金をして油を買い、運転をしているということも私もわかっております。これらについては、ようやく今度在勤俸が改正になりまして、わずか四億ではありますけれども、下に厚く上に薄くということになっておりますので、この点は実現ができるのではないか。  しかし、お医者さんの問題にしても、政治、経済を分けて公館員を置くということにつきましても、予算に制約されましてどうにもならないというような状態でございますから、今からお願いすることはどうかと思いますけれども、来年の予算にはそろってこういう問題を解決するための御努力をお願いいたす次第でございます。
  65. 藤井勝志

    藤井委員 恐縮ですが、最後にもう一言だけ、答弁は要りませんから、大臣にお願いをしておきたいと思います。  私も、外地を回って今のようなことを感じて、いろいろこの予算獲得について微力ながら側面的に大蔵省あたりとも交渉しました。ところが、大きな政策的ベースは大臣が一生懸命なられるが、こういった問題は大蔵省の一主計官ぐらいでぴんとはねられてしまうのです。しかし、こういったことがきめのこまかい政治でありまして、これは一つ大臣にきょうとくとお願いをしておきますと同時に、これは一つ閣議で取り上げていただいて、小さい問題とお考えにならないで、三十八年度の予算については思い切った線を出してもらいたい。金額は知れている。それなのに、外地の事情のわからない、政治判断がなかなかむずかしい、仕事に追われた主計官ぐらいのところで、これはだめですとちょんされてしまっている。この問題は一つ特に大臣に本日つつしんでお願いを申し上げます。
  66. 小坂善太郎

    小坂国務大臣 非常にありがたい御注意をいただきまして、私もただいまの御注意を深く肝に銘じまして今後とも努力したいと思いますので、何分また御支持、御声援のほどをお願いいたします。
  67. 北澤直吉

    ○北澤委員長代理 本日はこの程度にとどめ、次回は、来たる十三日火曜日午前十時より理事会を開き、理事会散会後委員会を開会することとし、これにて散会いたします。    午後六時二十九分散会