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帆足委員 答弁は
不満足でありますけれ
ども、
沖繩住民の切なる
要望に反した
形態が遺憾ながら行なわれているという事実は
外務大臣が
認められたけれ
ども、ただ、
外務大臣として諸般のことも
考えてエチケットを心得た表現をされたものと理解いたしまして、第二に移ります。
先日植民地廃止宣言が通りましたときに、
日本はこれの
賛成国の一国になっている。まことにけっこうなことですが、そのときに、これに
沖繩が含まれては困るということをちょっと
考えて、起草
委員に打ち合わせして、そうして入らないような解釈を一応とったという御
答弁がありました。しかし、その法的効果やいきさつを聞いてみますと、多少そういう
気持があって私語が交されたような程度であって、植民地の定義について、また
沖繩という具体的場所との連関において、これは何ら公的な決定ではなかったというふうに私は
条約局長から承ったのでありますが、その後
政府当局から提出しましたこの小坂
大臣あての松平大使の公電を拝見してみますと、どうもそういうことは書いてありません。ただ、ガーナ国が出した修正案の中で、「ピープルス・イン・オール・テリトリース・ザット・アー・ノット・イェット・フリー・インデペンデント」すなわち、完全に
独立していない国々を、こういう
言葉であったのを、「トラスト・アンド・ノンセルフガバニング・テリトリース」、自治力を持っていない地域、こういうように変えただけであって、これならば、字句の変化について何らこれは
沖繩に影響を及ぼすこともないし、あるいはまた、最後に可決されました
植民地解放宣言の中には、六項目にわたって詳細な定義がしてあって、もう
論議の余地がないのです。私は、
沖繩がその
住民の
意思に反する
他国支配のもとであろうとも、これをどう取り扱うかということは今後の問題であるとしても、他の国に
支配されている
形態がよくないという点において、
国際法上正確に
植民地解放宣言のその文句が
沖繩に適用しようとしまいと、一国の
住民の
施政権を取り上げて、そうして
軍事基地を運用するのに、お前たちにいろいろな権能を与えたら都合が悪いからというような独断的
親心は、今日の民主世界においては許されない。たとえば、娘に対する
親心であっても、恋愛の自由などというものは、親が子供に対してやはり注意はしても、最後の決定は娘の
意思によらなければならぬ。それと同じであって、それを弾圧し、足どめし、気に食わぬむこさんだからといって娘を押し入れの中に入れておく権能はないのとまさに私は同じことであると思うのです。従いまして、
植民地解放宣言の
趣旨については、直接なり間接なり
沖繩に影響することは当然だと思うし、それは悪いことではないと思うのです。それをなぜまるで
アメリカの
国務省の属吏のごとくこの問題に対して心配されるのか、私はその
気持がわからぬと思うのです。
植民地解放宣言は、諸国
民族の
大義として決定された。われわれとしては淡々としてそれを受け入れればよいのであって、しかる後に、
沖繩にそれが文義通り適用されるということであるならば、それはそれで
アメリカと話し合うし、文義通りでなくて、その
趣旨として道徳的
精神を組み込まねばならぬとするならば、それもまた必要なこととして
アメリカと話し合うための一つの道徳的力になる。それであるにかかわらず、小坂さんのようなわれわれと同じ年代の
政治家がどうしてそういう卑屈な態度をおとりになるか。長野県というのは昔から養蚕で有名であって、世界の見える県で、気骨稜々たる場所であると思っておりましたが、それに対して
外務大臣の
答弁は常にあいまいで消極的であることをわれわれはまことに残念に思う次第です。私たちは
日本人同士ですから、やはり率直に述べた方がよいと思う。従いまして、われわれがこのことを声を大にして言うのは、
外務大臣を窮地に陥れようとしてではない。こういう論旨で言うわけですから、
野党の
論議もなかなか整然としておるので、
アメリカ国務省もこういう
論議もあるからよく
考えてもらいたいというふうにこの問題は持っていけばよいのであるから、われわれは国策に稗益するところ大きいと確信して
発言しているわけです。従って、この松平大使の公電によって、
沖繩は明確に除外されているということはそういう
気持が出先の大使として動いたというだけのことであって、何ら
国際法的公的な効果のあるものでないという感をいよいよこの資料をいただいて強くいたしましたが、
外務大臣はその後、今
事務官殿からいろいろ資料をいただいてごらんになっているようですから、何かいい知恵が浮ばれたか、よい情報がおありになるか、その点について、その後の御研究の結果をこの際御
答弁願いたいと思うのです。