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小坂国務大臣 お答えを申し上げます。
タイの特別円
協定というものは、大久保さん御
承知のように、わが方と
タイとの間に防衛同盟が昭和十六年にあったわけでございますが、この
関係に基づいて昭和十七年の七月に特別円の
協定が結ばれたわけでございます。ところが、二十年の九月になりまして、
タイ側からこの
協定を廃棄するという通告をしてきたわけでございます。そこで、廃棄されたこの特別円の
協定でございますから、通告があった以後はこの
協定は無効になる。すなわち、これに含まれておりましたところの金約款等はこれは無効になるわけでございます。しかしながら、終戦当時のこの日銭にございました
タイの特別円に残高が十五億円何がしあったわけでございますが、これについては、いわゆる商業ベースの金の供給を
約束したものでございますから、これは何とかせねばならぬということになりまして、日・
タイ間に話し合いが持たれたわけでございます。ところが、問題は、その金約款もございませんので、何によってこれを評価するかという点が問題であったわけでございます。わが方は、
タイ側に金の引き渡しを
約束をしておったもの、あるいは金を売却する
約束をしておったもの、そういうものが残っておるわけでございまして、金の売却を
約束をしておったものが四千四百万円でございましたわけでございます。これを終戦時の価格金一グラム四円八十銭というもので割ってみると、九・一七トン何がしになるわけでございます。それから、
約束をしてまだ引き渡してない分が〇・五トンあったわけでございます。そこで、その十五億何がしの中から、この九・一七トンのものに三十年当時の価格
——現在の価格もそうでございますが、金の価格一グラム四百五円というものをかけてみますと、大体三十七億円見当になります。〇・五トンの金に四百五円をかけてみますと二億何がしになるわけでございます。この二つで大体四十億見当になる。そこで、十五億円の残っておりまする残高から四千四百万円を引いたもの、すなわち十四億円何がしのものを加えまして、そうして五十四億円というものを出しまして、これはスターリング・ポンドで払う、こういう
約束をしまして、これは実行したわけでございます。ところが、問題は、そうした残高を何の基準で評価するかというところに問題があるわけでございまして、
タイ側としては、この一ポンドが十一バーツという当時の価格で計算したい、そうすれば一千三百五十億円になるというようなことを言って参りましたこともございますし、あるいは、それを四割に切り下げて
——当時、
日本とフィリピンとの間の賠償交渉がやられておりまして、いわゆる大野・ガルシア
協定というものが、フィリピンの十億ドルの要求を四億ドルでどうだという話をして、この話がまとまりつつあったような
事情も背景にございましたりして、フィリピン並みの四割でどうだ、そうすれば五百四十億円だというようなことを言って参ったこともございます。しかし、
日本側としてはやはり一バーツ一円ということを強く主残しておりましたので、その後になりまして、今度は一バーツ一円として、そうして一ドルが二十バーツということで換算すればこれは二百七十億円になる、そこで、まるい数字で二百五十億円でどうだというようなこともあったりいたしまして、その二百五十億円をスターリング・ポンドで払う場合にはこれを倍とみなす、物の場合は全部この場合の表示の円でほしいというようないろいろないきさつがございまして、結局、
タイ側としては、百五十億円というものはこれは最低の線だ、こういう主張を強く言っておったわけでございます。そこで、いろいろ折衝の結果、御
承知の三十年
協定ができまして、五十四億円というものはスターリング・ポンドで払って、
あと九十六億円は投資あるいはクレジットの形式で供給する、こういうことになりましたわけでございます。
しかし、そうした経緯からいたしまして、二条にさようなことがございまするが、四条にこれを実行する方法が書いてあるわけでございます。この第四条においていかなる形で投資あるいはクレジットの方法を見出すかという点で、全く合意ができませんで、
協定ができた直後からこれが日・
タイ間の争いになっておったわけであります。
一方、アジアにおける
タイの地位というものは、よく御
承知のように、輸出においてはこれは最大の市場でございまして、千人の邦人がおりまして商業活動に従事し、これが輸出の面で見ましても一億一千万ドルの輸出がなされておる、こういう
状況でございます。私
ども、この
タイ側からの六年にわたるところの
条約の改定の要求に対していろいろ話をいたしておりましたのでございますが、
先方は、この
条約文をたてにして言われたら一言もない、しかし、そういうばかな
協定を結んだのはこれは
タイ側の落度であるけれ
ども、
日本側がそういうことを押しつけてくるならば、こういうことで
タイは
条約をたてにとられて屈服せざるを得なかったということを
タイの青史に残すのみであるということを申すのでございます。すなわち、もう
日本との
関係はこれはどうなっても知ったことじゃないぞというふうな
態度でございまして、千人からおりまする邦人の諸君も非常に心配をされまするし、わが方といたしましても、東南アジアにおいての
タイがわが方と非常に大きな経済
関係を持ち、あるいは長く友邦として来た
関係等も考慮いたしまして、大所高所に立って、九十六億円というものはこの際無償で供給する、ただし、その
内容は、
日本人の役務あるいは生産物、資本財、こういうもので供給する、こういうところに踏み切りました次第でございます。
繰り返して申し上げますと、くどいようでございますが、結局、三十年
協定のできましたときに、双方がその価格をいかなる法的な基準で見積るかというところの完全な
了解というものが実はなかったと申しますか、きわめて不十分であった。なかったというのは言い過ぎでございますが、不十分であった。こういうことで、実際
協定を動かすに際してはかかる大所高所に立たざるを得ないという判断をした、こういうことでございます。