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太田参考人 私は病理学を専攻いたしております基礎医学者でございますので、
ガンの対策に関しましても、そういう立場から申し上げたいと思います。
先ほど
田崎博士からお話がございましたように、
ガンの対策ということが本題でございますけれども、
ガンの本体ということが、実はまだほんとうには解明されていないのでございます。敵を知りおのれを知れば百戦何とかということがあるそうでございますが、実はおのれの方はかなりよくわかっておりますけれども、敵の方はよくわかっていないのであります。
ごく簡単に、
ガンがどういうものであるかということを申し上げますと、
ガンというのは、たとえば結核菌がからだの中に入って結核病を起こすように、よそから入ってきたものに対するからだの反応態勢としての病ではどうもなさそうだ。人間のからだの中
——人間のからだと申しますのはたくさんの
細胞からなっておりますが、そのからだの中に、もとからあった
細胞のあるものが急に性質が変わりまして、そうしてどんどんふえ始める。普通正常の人間のからだの
細胞というものは、一方ではこわれていきまして、一方ではそれを補充するだけの数がふえていくわけでございますけれども、
ガンの場合にはどんどん
細胞がふえる一方でございまして、とまるところがないのであります。正常のからだでありますと、一定の数の要求がありますと、それだけふえまして、そこでその成長がとまる、
増殖がとまるのでございますが、
ガンの場合にはとまらない。先ほど申しましたように、からだの
細胞が何か性質を変えて
ガン細胞になるだろということを申しましたが、その性質を変えたというその性質の違い方は、おそらくからだ全体を支配しておって、ある一定の量だけ
細胞がふえますとその
細胞が
増殖をとめるようなブレーキ機構が働く。そのブレーキ機構が働いても、それを受け入れるブレーキがない、そういう
細胞じゃないかという考えが、今生物学者の中ではかなり支配しております。しかし、これは一つの仕事仮説でありまして、まだ、それじゃそのブレーキ機構というものはどういうもので、外からどういうものが働いて、どういう仕組みでとまるのかということは、よくわかっていないのでございます。
ガンと申しますのは、からだの方々にできます。たとえば鼻にも
ガンができますし、胃にも
ガンができる、肝臓にも
ガンができる、肺臓にも
ガンができるというふうに、からだの方々の
細胞が食われまして
ガンができるのであります。
ガンという病が、たとえば結核という一つの病と同じような単位で考えられがちでございますけれども、一人一人の持っておる
ガンはみな性質が少しずつ違うのでございます。このことは、今直接関係はございませんけれども、たとえば薬を
作用して
ガンをなおすというような場合に、ある人の
ガンはよくなおるが、他の人の
ガンは全然なおらない、あるいは、ある人の
ガンでも、一度はなおったけれども、次にはもうなおらなくなるというような
変化が起きる、違いがあるということと関係があるのであります。それで、
ガンの本体ということにつきましては、今申しましたように仕事仮説はいろいろできておりまして、ほんとうらしい仮説はあるのでありますけれども、それ自体がほんとうにはよくわかっていない。これをうんと
研究してその本体を確かめなければ、よく落ちついたほんとうの実力のある
治療というものはできないわけであります。
現在は、からだのある場所で
ガン細胞ができて、それがその場所でだんだん大きくなる、あとでは飛び火をいたしますけれども、飛び火を起こさないうちにその場所をとってしまう、あるいはレントゲン線とかその他の放射線で焼き殺すというようなことをいたしまして、とに
かくその場所で殲滅してしまうということを考えて、その
方法がかなり成功しております。それで、飛び火ができないうちにということは、非常に早期に発見しなければならないということで、人間の
治療は早期発見というところに非常な重点が置かれておりまして、それがかなり成功しております。たとえば、
ガンというものは、昔は不治の病であるというふうにいわれたのであります。
ガンだという診断を受けたらもう死んだと同じだというふうに考えられておったのでありますが、最近では、たとえば
子宮ガンのような場合、
ガンでは非常に死亡率が減ってきております。これは世界的の傾向でありますが、
日本でも非常に減っております。たとえば
癌研の婦人科の
成績によりますと、二期くらいの
ガンまでの
治療成績は約六〇%くらいの
治癒率ということでございます。そういうわけで、
ガンの本体はまだよくわからないけれども、早く見つけて早く処理するという方針で進んでいって、ある
程度の成功はおさめておる。現在の段階では、とに
かくそこまでは確かなことであります。
しかし、それでは飛び火を起こしてから、今まで手おくれだと思われたようなものをどうしてなおしたらいいかということになりますと、飛び火はどこへ行っておるかわかりませんから、からだじゅうに何か薬を与えて
ガンを殺したいということを考えるのは当然であります。その薬についてもいろいろの
研究がなされております。それで、その
研究はどういう方向に進んでおるかということを御説明する必要があると思うのであります。
ガン細胞と申しますのも、他の生物の
細胞と同じように、外から
物質を取り入れまして、そしてエネルギー代謝をしながらその
物質を自分の
細胞質に変えていくわけでありますが、ある
程度以上
細胞質がたまりますと、その
細胞が二つに分かれます。一つの
細胞が二つに分かれる。だから、一つの
細胞は物を取り入れて合成をして、そして二つの
細胞になる準備をする。そういうふうにして、そういう経過が繰り返されまして、ネズミ算式に数がふえていく。ですから、外から物を与えなければ
ガン細胞は死んでしまうだろうということが考えられます。また、特定の、どうしても
ガン細胞が必要とする
物質、たとえば核酸というような、核の中にある一つの
物質がありますが、その核酸の前段階にあってどうしても必要なもの、そういうものに似ているけれども、化学構造がちっと違う。まあくわせものです。にせものを与える。そうすると、
ガン細胞の方はにせものと知らずにそれを取り込んでいく。そうして合成をしたつもりだったところが、ほんとうにちゃんとした合成ができないでつぶれてしまう。そこで
ガン細胞はふえていかないで死んでしまうということが起こるのであります。そういうふうな薬を作りまして、いろいろの
研究をしております。たとえば核酸であるとか、あるいは多糖類であるとか、脂質であるとか、そういうおのおのの化学
物質について同じようなことをいたしております。また、毒物がからだの中に入りますと、からだの一部が死んだりするのでありますが、それと同じように、毒物を食わして、だまして殺してしまうというようなことも考えております。そういうふうな機構を
研究する必要があるわけであります。それでは、正常の
細胞についてそういう機構が全部わかっておるかと申しますと、実はまだほんとうにはわかっていないのであります。生物学が近代科学になりましてから、まだそんなに時間がたっておりません。まあ大体百年ぐらい科学的に
研究しておりますけれども、まだほんとうには、
細胞の中でどういうことが行なわれているかということがすっかりはわかっていない。ですから、
ガンの
治療をするためには、
細胞の中で行なわれる機構全体を知らなければならぬということが問題になってきます。ですから、
細胞の
研究をすることは
ガンの
治療の
研究をすることに非常に密接につながっておるというわけであります。
一方、
ガンの原因になるいろいろな条件ということもいろいろわかって参りまして、それには、御承知のような放射能のような物理的なもの、あるいはこのごろ新聞でも書かれておりますが、たばこの中にあるといわれておりますベンツピレンのような化学的の
物質、あるいは最近ではヴィールス性の微生物というようなものも原因としてあげられてきております。しかし、人間の場合に、それでは確かにあの人の
胃ガンはどういう
物質で、どういうふうにして入ったからできたのだということは、まだわかっていないのであります。現在の段階では、動物を使いまして、これらのわかったものとか、あるいは不明のものを材料にして、いろいろ
研究をしておる段階であります。
しかし、そういう
研究が全部できなければ
ガンはなおらないかといいますと、必ずしもそうではない可能性もあるわけであります。たとえば、ほうそうが種痘によって予防できるようになったのは、ほうそうがヴィールスで起こるということがわかる前であります。ジェンナーがやりました種痘が非常に有効であるということが科学的に証明されたのは、ほうそうのヴィールスが見つかって、それに対する免疫をこうやって作れば予防ができるのだということの説明が何十年もたってようやくできたというようなこともありますので、一歩々々進めていくことだけが科学的の
方法であるということは必ずしもいえません。ですから、ある場合には、非常に優秀な人が、オーソドックスの
方法で順序を立てて
研究しないために白眼視されるというようなことはあり得るかと思います。
今まで申しましたことは、
ガンの
研究には、
ガンの対策としては基礎
研究が非常に大事であって、その基礎
研究の基盤となる広さというものは、かなり全生物学にわたるほど大きなものであるということであります。ですから、
ガンの
研究を正確に科学的に進めるためには、生物化学のすべての方面を振興しなければならぬということがいえると思います。
次に、
ガンの場合には、
田崎博士が言われましたように、直接臨床と関係のある
研究ということがございますし、また臨床と基礎の間にありまして、ちょうど私どもがやっておりますように、どういう
細胞が出てきたらこれは
ガンである、どういう
ガン細胞の集まりは普通はどういうふうなふるまいをして、どういうふうにして人を殺す、だから対抗するにはこうしなければいかぬというようなことを
研究する
研究もあるのであります。
現在のところ、それらの
研究は、各
大学、
研究所、
病院等で行なわれておるのでありますが、今、国家から
ガンの
研究費として直接ひもつきで出ておりますお金は、おそらく文部省関係で二千六百万円
程度じゃないかと思います。それらのものが、多数の
研究者の中にばらまかれまして、一人当たり大体十万円から三十万円ぐらいの年間の究研費となっておると思います。このほかに、国立のがん研ができまして、厚生省の方でも御
研究になるようになりましたので、多少金額はふえておると思います。しかし、私ども役所の外におりまして考えますのは、この文部省と厚生省の両省のなさっております同じ
ガンの対策というものが、一つの線ではなくて、ある意味ではばらばらに行なわれているのじゃないかというようなところがあるのであります。なるべくなら、これらが一つになって、
ガン対策という大きな線を打ち出していただきたいということが一つであります。
それからもう一つは、その文部省から出ますお金も、大体十万円とか三十万円とかいう
程度でありまして、最近の
研究費の高騰、ことに機械類が優秀になりまして値段が上がりましたために、その
程度の
研究費というものは、いただくとありがたいのでありますけれども、非常に助けになるという
程度ではないのであります。たとえば外国等で
ガンの
研究をいたしますときに、フェローとしてもらうようなお金は大体一万ドルとか二万ドルというようなオーダーでありますので、
研究費としてはやはりまだ望むレベルにはないのじゃないかということが考えられます。また同時に、
研究者、ことに基礎的の
研究者になりまして、余分の収入のない人の待遇というものはやはりあまりよくない。そのために基礎
研究にじっくり取り組む人が非常に減っております。ことに医科
大学系統から申しますと、新制
大学の制度になりましてから、基礎の
研究をする者が一般的に減っております。そのために
ガンの方にも人が回ってこないというようなことがあります。そういうことを御紹介しておきたいと思います。
まあ、基礎的の方面から申しましたのでありますが、多少とも御参考になれば幸いと思います。