運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1962-03-23 第40回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十三日(金曜日)     午後三時四十九分開議  出席委員    委員長 前田 正男君    理事 赤澤 正道君 理事 齋藤 憲三君    理事 中曽根康弘君 理事 西村 英一君    理事 山口 好一君 理事 山口 鶴男君       秋田 大助君    佐々木義武君       塚原 俊郎君    保科善四郎君       石川 次夫君    松前 重義君  出席国務大臣         国 務 大 臣 三木 武夫君  出席政府委員         防衛政務次官  笹本 一雄君         防衛庁参事官  麻生  茂君         科学技術政務次         官       山本 利壽君         総理府事務官         (科学技術庁原         子局長)    杠  文吉君         大蔵政務次官  天野 公義君         気象庁長官         南極地域観測統         合推進本部副部         長学術会議会長 和達 清夫君  委員外出席者         外務事務官         (国際連合局科         学課長)    栗野  鳳君         文部事務官         (大学学術局審         議官)     岡野  澄君         海上保安官         (警備救難部         長)      樋野 忠樹君         参  考  人         (第五次南極地         域観測隊越冬隊         長)      村山 雅美君     ————————————— 三月二十三日  原子力委員会設置法の一部を改正する法律案(  内閣提出第一三四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  原子力委員会設置法の一部を改正する法律案(  内閣提出第一三四号)  科学技術振興対策に関する件(南極地域観測に  関する問題)      ————◇—————
  2. 前田正男

    前田委員長 これより会議を開きます。  まず、本日付託になりました原子力委員会設置法の一部を改正する法律案議題とし、その提案理由説明を聴取いたします。三木国務大臣
  3. 三木武夫

    三木国務大臣 ただいま議題となりました原子力委員会設置法の一部を改正する法律案につきまして、提案理由を御説明いたします。  昨年秋のソ連による核爆発実験以来放射性降下物、いわゆる放射能に対する対策は、一日もゆるがせにし得ないものとなり、内閣におきましても放射能対策本部を設けてこれに対処して参りましたことはすでに御承知の通りであります。  原子力委員会におきましては、かねて放射能水準の総合的な調査分析を進めてきており、今回の核爆発実験に対処いたしましては、調査分析充実強化障害防止に関する研究推進をはかって参ったのでありますが、さらに一そうその機能を活用し、放射能対策中心的役割を果たすようにとの要請が強く、昨年十一月衆議院科学技術振興対策特別委員会におきましても同趣旨決議が行なわれておるのであります。  従いまして、この際、決議の御趣旨にものっとり、従来から原子力委員会が所掌して参りました放射能水準調査分析及び障害防止研究にとどまらず、「放射性降下物による障害防止に関する対策基本に関すること」をも所掌することを明らかにし、関係行政機関が講じます具体的対策基本を決定することによって放射能による障害防止に遺憾なきを期することとし、もって国民の期待にこたえて参りたいと考える次第であります。  以上が原子力委員会設置法の一部を改正する法律案提案理由であります。何とぞ慎重御審議の上御賛成あらんことをお願いいたします。
  4. 前田正男

    前田委員長 本案に対する質疑次会に行なうことといたします。      ————◇—————
  5. 前田正男

    前田委員長 次に、科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。  昨二十二日の本委員会決議に基づき、これより南極地域観測に関する問題について、昨年から一年間余にわたり南極地域において越冬観測を行なわれました第五次南極地域観測隊越冬隊長村山雅美君から、参考人として南極観測状況等について御説明を承ることといたします。  この際、村山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御帰国早々にてきわめて御多用中と存じますが、特に本委員会調査に御協力のため御出席をわずらわし、まことにありがとうございました。ただいまお聞き及びの問題について約三十分間程度においてお話を承り、その後に委員各位質疑にお答え下さるようお願いいたします。それでは、村山参考人より御説明をお願いいたします。村山参考人
  6. 村山雅美

    村山参考人 私、村山でございます。昭和基地に一年間、いろいろ所定作業に従事して参りましたけれども、はからずも私昭和基地を開いたときもおりました。中断されるときにもまたその場におりました。まことに感慨無量の感を抱いて昭和基地をさようならしたわけでございます。  そういうような事情でございまして、われわれいわば暗い気持で帰ったのではございますが、帰りの船中におきまして、本委員会で活発な御発言をいただきまして、昭和基地再開のような気風をわれわれ身近に感じまして、まことに明るい気持東京に帰って参りました次第でございます。さっそく本委員会議録第七号及び第八号を拝見いたしまして、非常に詳しく御論議願っておりまして、私たちまことに感謝にたえない次第でございます。  今の御指名によりまして、私昭和基地の一年及び過去、昭和基地状況を申し上げるよりも、むしろ現在の昭和基地はどうなっているか、あるいは外国との関係はどうなっているか、というようなことを簡単にお話し申し上げまして、御参考に供したいと思います。  今まで昭和基地にすでに足かけ七年間の経常を経まして、四度の越冬隊を置いたわけであります。お手元の参考資料「クーリエ」の最後の方に、日本隊状況というのが載っておりますが、越冬隊だけに関して申しますと、すでに五十名の越冬人口を数えるに至ったのであります。そのうち一名、福島君が残念なことになくなりましたが、五十名が越冬経験を経て日本におります。そのうち五名、ちょうど一割になりますが、これが二度以上越冬をしております。そういうようなことから考えまして、ただいまの昭和基地あるいは越冬ということを考えますと、輸送という問題さえ解決すれば、きわめて平静な、あるいはきわめて有効な観測作業ができる場所となり、われわれの経験、われわれの南極に対する知識につきましても、十分危険なく所定作業に応じ得るものと確信し、皆様の前に申し上げる次第でございます。  要は、どうやって昭和基地に取っつくか、これがまず問題でございます。昭和基地は非常にむずかしい場所といわれております。たまたま第一次のときに、言うなれば天佑のごとき状況で入りまして、その後あれが一番悪いときなのか、ああいうチャンスは何度くらい来るものかというようなことも、続けてやらなければわからない事実でございます。今まで過去四回の越冬においては、なかなか昭和基地状況、いわんや南極状況をはかり知ることができないところでございます。続けてやってこそ初めて今までの観測結果、われわれの見通しということもはっきりするものと思っております。   〔村山参考人地図を示す〕  ここに図面がございますが、左の方、ちょっと字が小さくてはっきりいたしませんが、あそこで扇形で囲んでございますのが、東緯三十度から東緯四十五度に至るいわゆる十五度の間の地域、わが国が地球観測年に参加するにあたって分担すべき地域でございます。そのまん中昭和基地オングル島がございます。さらに、赤い旗が三本ばかり立っております。これはソ連基地でございます。黒い旗、これはソ連でない、以外の国の基地でございます。現在、私たちがおりましたときには、南極条約参加中の国家のうちノルウェーベルギーが落ちまして、十カ国がこれに参加し、非常に協調あるいは友好的な関係を七年間続けて参ったわけでございます。われわれといたしましては、この同じ目的のもとに同じ隔絶された南極大陸という一つの小社会におきまして、こういう各国と連携、同じ目的に進み得たということ、南極条約というものが生まれた過程及び南極条約を育てる一つの行き方としまして、大いにわれわれとして責任を持ち、また非常に南極観測の将来について明るい気持を持っておりましたところ、われわれこれから突如として脱退しなければならないというこを考えますと、われわれなりにこの条約に対する責任といいますか、そういうものを感ぜざるを得ないわけでございます。  話はそれましたが、このワク内、われわれに与えられました地域を四年間にわたって調査しております。また、外洋におきます海洋調査その他につきましては、六次にわたって宗谷の運航の往復間に調査を進めております。中に点々がございます。これは頂点に短い点、それからチョンチョンがありますが、これは各国大陸横断、いわゆるフックス横断隊あるいはアメリカバード・ステーションの隊、あるいはソビエトミールヌイから不到達地点に行きまして、それから極点に行くようなルート、こういうようなおもなる大きなコースを一応示すものでございます。また、縁の実線昭和基地から見えておりますが、あれは過去日本隊大陸に足跡を残しましたその跡でございます。ごらんになりますれば、ソビエトアメリカ等に比べていささか小さいかもわかりませんが、しかしなが、われわれ四年にしてあれだけの地域を歩き得たということは、一に国民の御後援と御理解のたまものと思って、非常に感謝しておる次第でございます。  まだまだわれわれが与えられている場所は、この通り極点に向かって広い氷原として残されているわけであります。この地域はわれわれに対して空白であるのみならず、世界各国全く空白場所であります。われわれがここに旅行をいたしますときに、できる限り資料を得るべく、ソ連あるいは米国に大がかりなこのあたりインフォメーションを要求します。みなすぐに、もちろんそういうインフォメーション日本にたよっているのだ、全く見たことがない、飛行機も飛んだ経験がない、ぜひよくやってくれというような応援をもらって、われわれはこのわれわれに課せられました地域を南下し、でき得れば、最後には極点までわれわれの手で調べ尽くしたい、こういうような気持で行ったのでございます。  昭和基地状況をさらに詳しく描きましたのがこの図面でございます。図面はそう正確ではございませんが、これが大和山脈、これが昭和基地でございます。これをプリンスオラフ・コース、これをプリンスハラルド・コースと称しておりますが、これは東緯四十度にありますが、この四十度線に沿ってわれわれは南下をいつも試みております。  ただいままでのところ、われわれ南極昭和基地における観測の要点を、次の三つくらいに分けております。  第一は、昭和基地におきまして気象を含みますいわゆる地球物理学観測、これはもう各項目を申し上げるまでもございませんが、あらゆる項目をやっております。第三次以来、第四次、第五次と、三度にわたりまして、いわゆる南極で行なうべき水準観測を続けて参りました。特に第五次におきましては、岡層気象観測に重点を置きまして、隊員もそのうち四分の一をさきまして、大いに充実した観測をやって参りました。またもう一つ昭和基地を見まして、生物調査、これは長年やりたいと思っておりましたが、ようやく第五次におきまして生物調査をやることができました。ちょうど第六次、われわれの帰る時期に当たりますが、熊凝団長の海鷹丸海洋調査と相待ちまして、南極生物資源あるいは漁場に関します生物資源につきましても、われわれと相符合しますおもしろい調査結果が出ております。この調査結果につきましては、ただいま至急調査分析中でございまして、必ずやおもしろい結果が出るものと期待しております。  それと別に、今度は内陣調査ということをかねがね計画しております。これは西堀隊以来南極の内陸の調査、氷の厚さ、地形調査地質調査、あるいは重力の測定、地磁気の測定というようなことをやっておりまして、あとで今言いましたようなことを大体第四次、第一五次の観測越冬隊でやったわけであります。  この図面で申しますと、地域を四つに分けてわれわれは考えております。  まず第一としまして、海岸線地形調査あるいは地質調査、あるいは生物も加えまして、海岸線調査が第一の目的。もう一つは、これをまっすぐに南にどこまでも下がるということが第二の地域。第三は、これを東南方面へ下がる。東南方面へ下がりますと、ちょうどこの線から向こうオーストラリア領域になりますが、オーストラリア領域に入ったところに地質上あやしげな山があります。そのあやしげな山の所在を確かめるべく東南方面に進むのが第三の地域。もう一つは、ノルウェーが一九三七年に発見したものでありますが、このあたり山脈、これを調べるのが第四の地域、というようなふうに南極昭和基地からの方向を分けて考えております。  第五次隊としまして残されたものは、この南の地域、それからこれはクック岬と申しますが、このクック岬に至るところ、赤の実線で書いてありますが、これを第五次越冬隊ではカバーをしたわけでございます。ただいままでの結果としましては、大体予定通りとは申しがたく、燃料あるいは機械等関係で思うようには参りませず、まだまだ赤い矢が入っておりますが、あれはまだ未知調査すべき場所として残っております。また、これはわれわれは七十五度まで到達いたしましたが、さらにこの先、極点まで十五度のいわゆる氷の氷帽が残されているわけであります。  そういったような過去におきます第四度目の観測結果等は非常にむずかしいものでありますが、これについての、どういうような効能があるのかというお声はいろいろ聞いております。せんだって、私も帰って本を読んでおりましたが、ファラディですか、それが電磁発電による理論を発見したとき、当時の総理大臣のディズレーリが、そんなものを発見したってどうなると聞いたところ、ちょうど赤ん坊が生まれたのを見て、これが何の役に立つという答えをしたということがあります。これがわずか百年ばかり前のことであります。南極仕事にいたしましても、ちょうどそれにひとしいような感を抱くわけであります。今までやった仕事も、これらの積み上げによりましてさらに有効な結果を生むものとわれわれは確信をしております。  ただ、われわれは、この地図を見ればわずかこの範図しか歩いておりませんが、それにいたしましても、南極大陸の特徴というものを幾つかわれわれもっかんでおります。たとえばこの図をごらんいただきますと、ちょっとここの右側ですが、点々とまるい輪が南極大陸中心からずれて、書いてあります。これがいわゆるオーロラーゾーン、詳しい話は私はわかりませんが、オーロラのよく見える地域、いわゆる超高層の物理学的観測においては最もいい場所、いわゆる一等地だといわれる場所、それに乗っております基地が、よくごらんになればわかりますが、日本アメリカバードでございますが、この二つしか乗っておりません。あとはみんなこれからはずれているわけであります。といいますのは、いわゆるオーロラといえば一番手つとり弔いことかもわかりませんが、オーロラが一番よく見える場所昭和基地があるわけであります。その一つの例でございますが、この夏、私たちの仲間の前の鳥居隊長がマクマードに参りまして、そのとき向こうではいろいろ自慢をして、オーロラの写真を見せるのだが、われわれの方から見ますと、まるでおかゆのやくざのようなオーロラにすぎない。日本昭和基地オーロラはこうだと言ったら、びっくりぎょうてんしていたということであります。それほど昭和基地オーロラの見える場所は、観測所としてきわめてよい場所を占めているわけであります。  また、この地図では、はっきりいたしませんが、われわれはここを旅行いたしました。そういたしますと、南極東大陸あるいは川大陸と大きく分けて、南極大陸ではないだろうといういろいろな説が出ております。その一端をわれわれは見たのでありますが、この大和山脈、それからこちらにベルギーが長年やっておりますベルジカという山脈があります。また、われわれの昭和誌地の近くにこんな露岩がたくさんありますが、先ほど申しましたオーストラリア基地のところに山がある。そういう意味から申しまして、ここに一つ山脈のつながりが明らかにわれわれの見た範囲でも出てくる。しかも、これから南へ下がって高度をはかっていきますと、このあたりから急に高くなっております。そこで、こうやってけばの生えておりますのはクレバスを示しておりますが、クレバス帯がこういうところ−にあります。このクレバスを越えますと、非常に高い標高、このあたりになりますと三千メートルをこえます。七十五度に行きますと三千三百メートルの高度を示しております。と申しますのは、こういうような方向に非常に高い台地、山脈帯がありまして、いわゆる東南極大陸脊梁山脈にわれわれは取っていている。それを越えてさらに五度くらい南に下がりますと、約四千メートルに近い勾配をおそらく持つであろうところの峠がありまして、それを越えてしまえば極点に向かってだらだら下がりの氷原なるものというような推測ができます。今までそういうような推測はできなかったのでありますが、われわれが七十五度に到達したことから見ましても、南極大陸の少なくも東の方の未知の分は相当はっきりわれわれの手で見てきた、こう思っております。  また、生物につきましては、これは先ほど申しましたようにいろいろありますが、一つの例で、われわれ、南極には化物の限界というか、あそこでとれるものは何もないと思っておりましたところ、実は約五種類、二百近い魚をつり上げました。食生活に飢えておりますわれわれは、さっそくこれを焼き魚にしたり、あるいは刺身にして非常に食んで食べたわけです。そういったようなものもできるということ、これは生物の話とあまり関係はございませんが、そういうふうになかなか生物資源も豊富であるということの一つの例でございます。  昭和基地におきます大体の様子は以上にとどめまして、今昭和基地はどうなっておるかということを簡単に御報告させていただきます。  昭和基地には、ただいま本建築、いわゆる東京から設計して持っていきました家屋が六つございます。そのほかに向こうで臨時に作りました観測小屋あるいは倉庫等のもの、これが約十、十六ほどの小屋が建っております。われわれ見通しといたしまして、この仮設小屋の耐久につきましては別に意にとめませんし、大して持つものとは思っておりませんが、本建築であります六つの小屋につきましては、少なくとも五年間はしっかりと、動くこともなく、ゆれることもなく、りっぱにわれわれを迎えてくれるものと確信しております。中にはいろいろな発電機械あるいは観測機械、すべて置いてあります。車両も今のところ六両置いてあります。もし再開のときには、大体いつもの通りの人力を得るならば、私は、二十時間以内に発電機を全部動かして、昭和基地にあかりをともすことができると確信しております。また、四十八時間以内に少なくも三両の車が動き出しまして、除雪等に活躍し得るものと考えております。また、五日間以内におきまして、生活環境は、われわれがいたと同じように、水道が通り、暖房が十分通るという状態にあります。さらに、その二日後、いわゆる一週間以内には、あそこに残しております観測機械等を組み立て直しまして、基地観測ルーティーンに入れるものと思っております。そういうようなことをお考えいただきまして、昭和基地状況等は非常にいい状態であるというふうに御了解願いたいと思います。  また、さらに大きく見まして、昭和基地外国基地との関係に簡単に触れますと、われわれ二月の八日に昭和基地を離れたわけでありますが、その前から何度か、ソ連基地がどこかにあるらしいということを仄聞しておりました。また、事実飛行機も、われわれが作業をしておる間に、一月の初めでございますが、よく飛んで参りました。どこから来たか、と申しますと、昭和基地の北東の方向二百八十キロあたりのところから飛んできた、こういうことで、内容はよくわかりません。しかし、気象電報その他から申しますと、ずいぶん長い問、一月の初めからずうっと同じところにとまって気象電報を発信しておる。何か作業をやっておるに違いないということはわかっておりました。昭和基地を引き揚げました翌日、すなわち二月の九日、非常な好天に恵まれたために、われわれ東にできるだけ飛んで新しいソ連基地を見てこようといって、この付近から飛んでいったわけであります。私たち、ちょうどこの図面になりますが、こういう方向へ飛んで参りました。そうしますと、ここにDC3にひとしい大きな飛行機が一機、ちょうどセスナと同型の観測機が三機、これは明らかに目につきます。これは飛行場になっておりまして、そのわきにまるいテントが十張りきれいに並んでおります。そのわきに通信のマストが  一本立っております。この間に茶色く示しましたものが露岩であります。あとは全部氷河。こういうところはクレバス雪上車では登りにくい、ちょっと危険なクレバスが出ておる。ここはずっと平らで、飛行機が十分着陸できるような平面が見えるわけであります。こちらから北に海洋に向かうのでありますが、このあたり海洋の氷は、ことしは非常に悪い氷でございまして、強力なオビでさえここには取っつけず、四十キロか五十キロと記憶しておりますが、そのあたりまでしか入れません。それからあとは、DC3が近所にある大きな氷板におりまして、そこからそりをつけたDC3が四往復して物資を持ってきて、今ここにベースを作っておるわけであります。彼らはこれを名づけてエンダービー・ベースと申しております。これをエンダービー半島エンダービー岬と称しておりますが、それをとってエンダービー・ベースと呼んでおります。その位置は、ここに書きましたが、六十七度サウス、四十七度イーストという地点でありまして、オーストラリア領域とは申せませんが、地域内にぽつんとできたわけであります。彼らのやっております目標というか、作業内容について聞きますと、これは東経四十五度から五十二度に至る間の地形地質調査南極の夏にやる。すなわち一月から三月までにやりたい。三月の初めに迎えのオビが来て、もしも状況がよくて建物を運び得たならば、ここに建物二つくらい建てたい、こういうような希望であります。それを約三十名の人がおりまして、その約半分は飛行機関係あとの半分は学者あるいは設営、そういうような人割りで、長は地質学者の某博士でありまして、これで今言った作業をことしの計画としてやっております。  さて、これは何に使うかということでありますが、われわれの基地は、ちょうどこの赤旗二つにはさまれた昭和基地、日の丸でありますが、まん中の赤い旗がちょうどこの位置を示しておるわけであります。彼らは西のラザレフの基地と東のミールヌイ基地の間を何度か越冬、中往復するわけです。彼らの飛行機も直行することはできず、必ず昭和基地に寄って燃料を補給していく。その燃料は、すでに過去において了解を得てわれわれのところにデポし、われわれが預かっておる燃料でありますが、この燃料を補給して、それぞれの基地に到達しなければならない。そういう場所にあります。そういうようなことから、彼ら自身の燃料補給所を設けたいというのが第一の目的であります。また、海氷状況その他から見て大きな基地はとうていできそうもありませんから、おそらくは沿岸の地形調査等は若干はやるにいたしましても、燃料補給基地ということを第一目標としてこの基地を設けたものとわれわれは推測しております。従いまして、もしこの基地ができたからといって、昭和基地の存在を云々するようなことはおそらくないものと確信し、われわれは先ほど申しましたような理由によりまして、昭和基地再開が一日も早いことを望んでいる次第であります。  簡単でございましたが、御説明を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  7. 前田正男

    前田委員長 本問題について質疑の通告がありますので、これを許します。齋藤憲三君。
  8. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 第五次南極地域観測隊越冬隊長として、村山さんは第二回目の重責をお果たしになってお帰りになったわけでありますが、国民の一人といたしまして、まことに御苦労千万で、厚く御礼を申し上げる次第でございます。  ただいまいろいろ御説明を賜わりましたが、未知の世界に対して、しろうとのわれわれはちょうだいしたグラフあるいは映画等によってわずかに南極の実態というものを知るだけであります。国民といたしましては、この未知の天地に対して、日本が科学技術的な調査研究を遂行して、世界の進運に劣らないような体制を形作っていくということに対しましては、心ある者は、考若男女を問わず、みな非常な関心を抱いておることは申し上げるまでもないことだと思うのであります。越冬中、はからずも日本は一時昭和基地の閉鎖をしなければならないという状態に陥りましたことは、さだめしこの南極観測に当たられた各位にとりましては、非常に御不満であったろうとお察し申し上げるわけであります。そういう意味から、当委員会といたしましては、政府当局になるべく万全の措置を講じて、この南極観測一つ継続をしてもらいたいということをかねがね要望しておったのでありますが、どうもその希望が達せられませず、遂に一時中止ということになったのでございます。従いまして、御承知の通りこの委員会では、南極地域における科学調査に関する件という決議を上げまして、なるべくすみやかに再開のできるように政府当局にも要望をいたしておる次第でございますから、この点も十分一つ御一了察を願いたいと思う次第であります。  そこで、はななはだ雑駁な質問になって恐縮だと思うのでありますが、われわれがしろうと的に観察いたしまして一番知りたいことは、昭和基地というものは一体どういうところだろう、将来大きな南極地域に対していろいろな国家的な施策を行ないますときに、そこへ堂々たる永久的な設備を行ない得るようなところであるかどうかということです。これは今ちょうだいいたしましたこのグラフによりますと、南極というものは、南極大陸は総面積およそ千二百八十万平方キロ、ヨーロッパとアメリカ合衆国を合わせたくらいの大きさだ。南極大陸というものはずいぶん大きなものだ。そうして海抜三千メートル以上の山が縦横に走っておる。そういう大きな未知大陸が、現在においては気候が非常に寒くて、交通が不便で、とにかく経済的には価値はないといたしましても、このグラフには、将来は観光地になりはせぬかというような記事まで載っておる。これは人知の進歩ははかり知るべからざるところでございますから、そういうところにもどんどん観光施設が将来は世界的に進められていくのじゃないか。そういう夢を持ったって今の青少年は一向差しつかえないのじゃないかと私は考えるわけです。私の手元にあります昭和基地に関する地質地形というものには、「この地域の岩石は、古カンプリア紀(五億年前)に変成作用を受けた片麻岩および花こうせん緑岩からできている。これらは、東部南極大陸の基盤をつくっている岩石で、南極大陸は安定した大陸塊である東部南極と比較的新しい時代にしゅう曲運動をうけた西部南極二つ地質学的に分けられるが、昭和基地は前者に嘱することが確かめられた。」こういう記事が載っておるわけです。お話によりますと、昭和基地は相当安定した岩盤の上にある。他の基地と違って、氷を割って設営をするということではなしに、非常に安定した山石盤の上にあるのだ。だから、この昭和基地というものは、接岸は非常にむずかしいであろうけれども、そこには恒久的な施設をやり得るのだというお話を承ったのでありますが、二回越冬隊長として御体験を一経たその立場で、はたしてそういう安定感を持った所であるかどうか、一つお話を承りたいと思います。
  9. 村山雅美

    村山参考人 お答え申し上げます。今齋藤先生のおっしゃったことは、ずいぶん知識が深くいらっしゃいまして、ほとんどその通りでございます。  今の御質問は、昭和基地のスペースの問題、あるいは立地条件の問題の二つの点だと思うのであります。  スペースの問題にきつましては、南極におきます基地としまして、あれほどいい岩盤の上に立つ基地はないわけであります。ちょうど昭和基地が立っておりますのは東オングル島という島でございますが、これはちょうど皇居の倍ほどの大きさがあるとわれわれ見ております。皇居の倍ぐらいの大きさの岩盤で、冬も氷や雪の積もることの非常に少ない、夏は全く雪のとれました暖かい基地がこのオングル局にあります。このオングル島は若干地勢は複雑でございますが、高さもわずか四十三メートルが最高峰、中には池もたくさんございます。これの最もいいところは、各国基地のように氷の上にないということはもちろんでございますが、わずか五キロではありますが大陸から離れておる。大陸から離れているために非常に温暖であるということであります。いわゆる大陸の高い氷の斜面をおります大陸の斜面下降風といいますか、これが大陸から五キロ離れているばかりで昭和基地には参りません。従いまして、近所の大陸と比べますと、おそらく五度あるいは六度ぐらいの暖かさはいつでも保っております。一番寒いときでもマイナス四十二度何がし、暖かいときにはプラス五度ぐらい上がったことも過去の記録を見ますと出ております。そういう意味からいいまして、今後輸送さえよくできれば、もっと広い基地を建て、最も永久的な基地としてのスペースは十分に確保できる非常にいい場所であるということを申し上げたいのでございます。  それから立地的条件、南極全部を見た場合の立地的な条件でございます。昭和基地は、やはり東南極大陸の非常に古いいわゆるカンプリア紀でございますか、これの上にある一つ基地としまして、地質学上あるいは地理学上非常におもしろい問題をわれわれの目の前に展開している場所であります。と同時に、これは余談になりますが、ちょうど南アにあるような地質が見られるそうであります。何度か地質学者が参りましたが、南アの地層、地質を見て、これと同じ岩が昭和基地にあるべきだということでいろいろ研究されたそうです。南アは御承知のように、ダイアモンドあるいはウラニウム等がたくさんある国でございます。われわれの目では見られませんが、そういったものが、この東南極大陸が同じような地質とすれば、どこかにあるのではないかということをわれわれしろうとは見ているようなわけであります。  以上のような条件からいたしまして、昭和基地は非常にいい場所を占めておる、こういうことを申し上げておきたいと思います。
  10. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 ちょうだいいたしましたこのグラフを見ますと、南極大陸の中に一九六一年南緯六十度以南で越冬中の基地というのが、さっきから数えてみますとイギリスが十カ所、これは六一年ですからもっとふえたかもしれませんが、チリが四カ所、アルゼンチンが七カ所、南ア連邦が一ヵ所、ソ連が三カ所、日本が一カ所、オーストラリアが三カ所、フランスが一カ所、ニュージーランドがアメリカと共同のものを加えて二カ所、アメリカはニュージーランドと共同のものを加えて四カ所あります。日本はわずか一カ所でやったわけですが、イギリスがここに十カ所も置いてやっているという状態は一体どうなんですか。大がかりでどういうことをやっておるのか。
  11. 村山雅美

    村山参考人 イギリスのことについての御質問に応じましてほかのことにも関連してくると思いますが、南極の南アメリカに向かっておるところにパーマ半島という半島がございます。ここにチリ、アルゼンチン、それからあの近所にあります英国のフォークアイランドあるいはサウスジョージア、こういったようなところに、いわゆる南極条約以前の問題としまして、軍事的あるいは領有の問題にからみましてその三つの国が小さい基地をたくさん作ったわけであります。第二次戦争のときに、オーストラリアを遮断するためにこの海峡をドイツがねらったということも聞いております。あるいはアルゼンチンの小屋をイギリスが入れずに燃してしまったということもポーラー・レコードという南極に関するすべての記事を網羅しました最も権威ある本に出たことがございます。それは南極条約以前、いわゆる地球観測年以前の問題でありまして、現在はイギリスといたしましてはフォークアイランド何がしといういわゆる植民地管理の省庁がありまして、これの経営をいたしております。また、アルゼンチン、チリにおいても、地域的あるいは国策の上からいいまして、イギリスと全く同じような方法で小さい基地をたくさん設けております。  それらの国についての基地の様子を申しますと、アメリカそれからソ連越冬時におきまして約百名で、ずば抜けて大きく、両横綱であります。それに次ぎましてイギリス、オーストラリア、フランス等が約三十名台のベースを持ちまして、相撲でいえば関脇クラス。その下にニュージーランドあるいはアメリカ極点ベース等、前頭筆頭に立つ基地が二、三あります。それから続いて昭和ベースが十五、六名としまして前頭二、三枚目というようなところで、今齋藤先生のおあげになりました表で地域を確保したもの、こう思っております。
  12. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 他にもお尋ねしたい先輩の方がおられるようですから、なるべく簡潔に私のお尋ねを終了したいと思います。  先ほどのお話にもございましたが、問題は再開するのに一番ネックとなっておるのが輸送関係だ。これは前のこの委員会で私も南極条約に関しましてのいろいろな質問をいたしたのでありますが、まあそれは別問題といたしまして、最初に参加をいたしましたいわゆる南極条約加盟国十二カ国のうち、今は二カ国がここに観測基地を持っておらない。私の一番おそれましたのは、南極条約の締結したところの精神を読みますと、地球観測年に参加した国がその地球観測年に参加した体制をそのまま南極条約に持っていって、そして南極において今後三十年間領土権を放棄し、軍のために用いることを否定して、そしてその上にいろいろ科学技術的な調査研究をやる。そしてお互いに情報を交換し、査察員を出して一切をオープンに査察をしていく。こういう体制であるのが南極条約なわけですね。  そこで、こういうことをお尋ねするのがいいのか悪いのかわかりませんが、実際問題として南極における基地を閉鎖しますと、そういう代表国として査察員を送って各国基地の査察ということを、自分は基地を閉鎖していながらやれるかやれないかという問題です。やめている二国はそういう査察員を出しているか出していないか。そうして、自分も協力しているときと同じように自由自在に情報の交換とかそういうものができるのかどうか。条約文からいくとそれはできるようにも思われますけれども、条約文と実際の現地においてはやはりよほど違うところがあるのじゃないか、私はそれを非常におそれたのでございます。そういう御質問を申し上げていいかどうかわかりませんが、もし何らかお話を承れれば、一つお話を承りたい。
  13. 村山雅美

    村山参考人 ただいまのお話でございますが、現在は日本を含めましてベルギーノルウェーの三カ国がこれからはずれておるわけであります。すなわち九カ国が現在やっております。  査察員云々につきましては、私、越冬中にこの南極条約の発効を見、条文等は帰ってからよく見たわけでございますので、その辺の事情につきましては私お答えできません。
  14. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 それでは、大蔵政務次官もお忙しいようでありますから、私の質問はそれに関係ありませんけれども、最後の御質問だけを一つ。私の希望で、せっかく防衛庁の政務次官がお見えになっておりますから、お尋ねを申し上げておきたいと思います。  二月二十一日の当委員会には文部大臣もおいでを願いまして、いろいろ質疑応答をいたしたのでございます。やはり村山越冬隊長の申されるように、また文部大臣の申されますにも、繰り返し申し上げれば、輸送関係機関の整備、またこれを推進実施していくに必要な事務的機構及びその内容の整備、こういうことがあるわけであります。そこで、この南極条約締結についてのこちらの決議の中には、原子力船を作ってやったらいいじゃないかというようなことまで盛り込まれておるのでありますけれども、この原子力船を作って南極昭和基地再開をはかるということは、これは十年かかるか十五年かかるか、政府が思い切って大蔵省にうんと金を出させてやってくれれば、日本の技術というものも三年間くらいでやれないとは言い切れないわけなんですけれども、下手にまごつくと五年も六年もかかってしまう。そうすると、せっかく今まで設営をしておった昭和基地の設備というものはみながたがたになって、雲散霧消してしまうわけですね。それで、お話に承りますと、南極観測に従事をさせられた一番大きな力を発揮いたしましたところの  ヘリコプター、これは自衛隊の非常な協力を受けて、そうしてこのヘリコプターの設備から、要員をみんなやった、こう承っております。  そこで、きょう政務次官を突然ここへお呼び出しを申し上げて、即答してもらいたいという無理なことを私は申し上げるのじゃありませんが、南極条約の第一条の第二項に、「この条約は、科学的研究のため又はその他の平和的目的のために、軍の要員又は備品を使用することを妨げるものではない。」こういう規定があるわけです。これはあとで時間があったら村山越冬隊長にもお話を承りたいと思うのでありますが、私の今政務次官にお伺いいたしたいのは、軍の要員は、これはお伺いする必要はないのでありますが、軍の備品という中に船舶が入るか入らないか。駆逐艦とか、そういうものが軍の備品というものの中に入るかどうか。これ、山もしおわかりでしたら一つ
  15. 笹本一雄

    ○笹本政府委員 今の、船舶が備品であるかどうかということは、とっさのあれでわかりません。今調べております。  今の齋藤委員のお話の中に、輸送の問題というお話がございまして、輸送の関係ということになると、自衛隊に触れるわけであります。そういう関係で私をお呼び出しになったと思います。  三十一年から六年間、今、隊長のお話を聞いてもそうでありますが、南極探検をやり、これだけの実績がある今、昨年の九月の閣議了解によって本年からこれをやめる、まことに残念であります。それは齋藤委員と同じく非常に残念に思っております。  そこで、これはほかの話になって恐縮でございますが、前に、日本には自衛隊に潜水艦も護衛艦もあるじゃないか、これを持っていったらどうかというお話がございましたので、自衛隊その他の船の関係を調べてみたことがあるのであります。そうすると、潜水艦の方は今三隻ございます。千百トンと七百五十トン、七百八十トンという三隻ございますが、これは南極に持っていっても役に立たない。南極に沈んで行きましても浮いて行きましても、非常に海が荒いので、今の設備じゃ、なかなかこのままでは使えない。それでは護衛艦はどうか。護衛艦もやはり同じでありまして、船の設備、防寒の設備でございますとか、あるいはそれを持って参りますには、どうしてもヘリコプターその他の航空機を搭載しなければならない。すべての軍の設備をみんなはずしまして、そしてやってみても、なかなか設備ができ得ないという状態で、そういう話を聞いておったので研究しておりましたのですが、非常に残念でありますが、今の日本の自衛隊の持っております護衛艦にしても潜水艦にしても、その用に供せないという結論が出ております。
  16. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 私の質問を一時中断して、中曽根委員が大蔵政務次官に質問があるそうですから……。
  17. 前田正男

    前田委員長 それでは、齋藤君の質問を保留いたしまして、次に中曽根康弘君。
  18. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 大蔵政務次官お忙しいようですから、一再だけお聞きしておきます。  南極観測は戦後の国民的な壮挙で、国民の士気を高揚するところもあるし、また学術的にも、国際的協力という意味で非常に意味があったと私は思うのです。特に南極へ指向しているという世界の人の気持の裏を考えてみると、国境がないというところが非常な魅力である。今アメリカソ連の間で、大気圏外の協力について積極的に話が進んでおるようですが、これはすなわち私の哲学によると、大気圏内のけんかにも人間があきてきておる。そこで、大気圏外的世界というものに人間があこがれている。大気圏内では、核爆発とかあるいは冷戦とか、人類の神経をちくちくさせるもの、はかりがある。何かそういうもののないゴールデン・ワールドというか、ゴールデン・ランドはないかというと、大気圏外だということで、あそこはみんなが安心して手を握るというところであると思います。それはあるいは西方の浄土であるかもしれないが、南極はそれに次ぐところであって、南極条約ができたということは、そういう意味においても非常に意味があると思います。しかし、南極観測についてどういう成績があり、どういう意味があるかということは、これから私ただしていこうと思いますけれども、今のような点から見ただけでも、当然日本としては協力すべきである。国際学術連合等が一生懸命やるとか、あるいは国際地球観測年とかいう、世界的に意味のあることについては日本は無条件的に協力すべきである。従って、今昭和基地が閉鎖されたということは、そういう点からも国民的な痛恨事と考える。従って、もしこれが再開するという儀が文部省とかあるいは科学技術庁から起きた場合、大蔵省当局は大蔵省の意見として、各行会議で出た場合に予算上の点から反対するか賛成するか、意見をお聞きしたい。どうせ大蔵省としては、省議を開いて必ずこういたしたいという意見が出るはずです。そのときに大蔵省が積極的にやるという言葉と、いやまだ早いという言葉とでは、非常に進度に影響がくる。大蔵政務次官を呼んできたというのはその意味があるので、局長を呼んできたのではその返事ができない。あなたなら即答できるので、来てもらったわけです。ここではっきり御意見を述べておいていただきたい。それだけ答えればけっこうです。
  19. 天野公義

    ○天野政府委員 南極観測が科学的にもまた国民の士気の上におきましても、いろいろな面で非常な効果があったということは御承知の通りでございまして、そういう意一義をもわれわれは認めまして、今日までこの壮挙に対してできるだけ予算もつけ、この目的遂行に向かって成果が上がるように御協力を申し上げてきた次第でございますが、三十五年の九月二十日の閣議決定によってこれが中止ということになりましたことは、まことに残念なことでございます。本年はその残務整理、またいろいろな資料の整理ということになっておるわけでございますが、今後どうするかということになりますと、御承知のように、現在の宗谷ではもう不十分でありますし、そういたしますと、それにかわるところの新船を作るということもあるわけでございます。また、いろいろなその他の関連した問題もあるかと思うのでございまして、相当多額の財源を必要とすることになるわけでございます。そこで、当省としてはどういう考え方かということになりますと、当特別委員会の御決議もございますので、その御趣旨を十分参照すると同時に、また各方面の御要望も承り、そしてまたいろいろな他の諸施策ともからみ合わせて考えていかなければならないわけでございまして、現在の段階では今後絶対にやらないというわけではございません。しかしながら、何年から今度再開するかという場合には、まだその具体的な案を持っておらない。重要性にかんがみて、もし再開をするということになりましたならば、各方面を調整して、そして努力していかなければならない、こういう考え方に立っておるわけでございます。
  20. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 もう一言、ちょっとあいまいなところがありましたから、ただしておきたいと思うのです。大蔵省としてはいろいろ苦労はあるでしょうけれども、ともかく積極的な方向へ歩みたいのか、あるいは現状でこのままにしておきたいのか。どっちですか。
  21. 天野公義

    ○天野政府委員 現状ということは、停止をした。従って、今後将来に向かってやらない、そういう意味ではございません。
  22. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 積極的に歩みたいという希望を持っているわけですか。
  23. 天野公義

    ○天野政府委員 それは各方面とよく御相談申し上げまして……。
  24. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 今の答弁ではまだわれわれは不満でありますけれども、お忙しいようでありますから、どうぞもうけっこうです。
  25. 齋藤憲三

    ○齋藤(憲)委員 関連して。二月二十一日の当委員会の速記録で荒木文部大臣はどういうことを答弁しておるか、一ぺん参者のためにあとでお読みを願いたいと思うのです。これは「政府側の責任において、全然廃止するわけじゃございませんから、一時都合によりやむを得ず中止するという事柄でございますから、純然たる概念論から申し上げれば、必ずしも直接にはおしかりを受けるほどのことではなかろう、」一時都合によってやめたんだ、こう言っている。だから、中止してけしからぬじゃないかというようなおしかりを受ける程度のものではないという答弁までしておられるのですね。ですから、その点一つ政府御当局の答弁は統一していただかないと、あとでまた問題が起こりますから、一つ参考までに申し上げます。
  26. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 その次に、それでは私は村山さん及び学術会議の会長の和達博士にお伺いしたいと思います。南極観測の意味についてであります。南極観測が行なわれるというときに、国民は非常に喜んで非常に協力した。今でもそういう気分である。しかし、その喜びや希望の背景には、白瀬中尉以来の南極探検的な期待というものがかなりある。あるいは国威宣揚的な民族精神の高揚というようなものもかなりあったわけで、むしろ国民の間に学術的な意味というものはそう理解されていなかったと私は思う。しかし、これが回数が続いていくと、そういう当初の出陣的な気分よりも、学術的にいかに重要であるかということを認識させることが非常に重要になってくる。そういう点で、われわれはしろうとですから、どの程度重要性を持っているかということをもう少し理解いたしたいと思うわけです。  そこで、初め南極観測をやるときには、ロケットその他はまだそれほど発達しておりませんし、日本の実力もなかったので、現地に行って地磁気とか宇宙線とか、 あるいはオーロラ現象とか、そういうものを現場で観測する必要もあったと思います。しかし、ロケットがだんだん発達してきて、高層における研究がもっと簡便に、もっと正確にできるようになった今日においては、南極観測の意味も性格が少し変わってきたように私は思う。たとえば今あなたのお話がほとんど網羅されておったように、南極の地理の調査であるとか、あるいは生物調査であるとか、そういう方向に姿が変わってきておる。そうすると、学閥的にそれは必要なことではあるだろう。また、国際的協力の面からも日本はそういう分担をすることも必要であろうと私は思うけれども、当初観測隊を派遣するという重要性と比べていかがであろうか。そういう疑問が私には少なくともある。そういう点から、南極観測の今までの実績及び成果と今後の問題等について、国際的にもまた日本の学問向上の上からも、どの程度の重要性があるかということをちょっと御説明願いたい。
  27. 和達清夫

    和達政府委員 南極観測が学術的に高い意義のあることは申し上げるまでもないと私は思うのであります。第一に、この南極地域というのはまだよく科学的に解明されておらない地域でありますので、国際協力によってその自然現象並びに地質、その他赤道等の翼状を把握するという点において、まだまだ観測を続ける必要があります。また、この土地が先ほどもお話しになりましたオーロラ・ゾーンにあるという、高層物理学の研究に非常に適地でありまして、今までにもこれについて相当の観測をいたしました。それで学界に非常に貢献するような調査も出ておりますが、なおこれらの資料を現在さらに調査中でございますので、今後も引き続き観測調査いたしました資料に基づいて結果は続々と出て参ると思うのであります。南極地域におきましては、御承知のように非常にたくさんの調査研究すべき項目がございます。地球物理学を初めとして、地質地形、また生物、地球科学というような部面がありまして、今まで越冬いたしましてそういうような研究をいたしましたと申しましても、何分にも十数名の人数で、全部が研究者である、あるいは観測者であるというわけでもなく、そうしてこれほどたくさんの金と費目を控えておるのであります。毎年越冬するときには重点を置きましてこれらをやって参りまして、その重点を置きましたものすらもまだ十分にできておらないのであります。むしろ今後にこの研究の成果はかかっておると言ってよろしいと私は信ずるのであります。従いまして、先ほども申し上げました長年の観測を必要とするものを、国際協力によって遂行する。それぞれの科目につきまして、今までにおきましても相当の成果をいたしておるものを、さらに奥深く突き進んでいくということにおいて、今後南極における科学的調査を継続的に実施いたしたいと思います。
  28. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 どうも私は、今の御返事によっても必ずしも釈然といたさないのであります。なるほど地磁気とか夜光、極光、宇宙線、そのほかのことが書いてありますが、こういうようなものはむしろ人工衛生というものが出現して、いろいろな型の人工衛星を飛ばすことによって、相当の新しいデータが入っておる。特にアメリカの人工衛星からきておるデータというものは、南極観測する以上のもっと貴重なデータが入っておるだろうと私は想像しておる。従って、南極に行って地上から観測するというようなことは、むしろ手段としてはやぼなおくれた手段になりつつあるのではないかと私は思います。しかし、南極に行ってみなければできないということは、今言った生物とか地理とか、そういう問題があるでしょう。元来南極に行こうとした趣旨は、そういうところにあるよりも、むしろ地磁気とか宇宙線とか、そういうものにあったはずです。そうすると、主目的がほかの方法によって代替されるということになってくると、南極観測自体の意味も変わりつつあるのではないかと私は思うのです。にもかかわらず、私は行った方がいいと思うのですよ。行った方がいいというのだけれども、今まであなた方がわれわれに説明した点に納得できないから質問する。  そこで、もう一つ考えられることは、はなはだ失礼な言葉ですけれども、学者というものは、観測してデータを毎日記録して帳面へつけていることが学者仕事のように思い込みがちである。それを毎日々々累積していることが学者仕事だというような迷路に、ややもすれば入り込みがちだと思う。そういうあやまちを南極へ行った皆さんが犯しているのではないか。あるいは統合本部の中心にいる人が犯していやしないかという感じも私はするのであります。最近の大学の連中や何か見てみると、根気のいいことは感心すべきでありますけれども、そういう数字のデータを針の先を見ながら毎日つけていくことが仕事だと思っている。そういうようなことで、ともかく資料を作ること自体が学問であるというふうに思いがちです。そういう要素がこの中に入っていないか。もし今までのお考えのようなことを言うならば、南極の雄物とか地理を調べる以上に、太平洋の大陸だなの調査をやることが日本にはもっと大串じゃないか。あるいはインド洋の海洋調査をやる方が日本にはさらに大事じゃないか。比較考量の問題が出てきます。そうすれば、南極というものは薄れていく可能性も出てくるだろうと思う。しかし、にもかかわらず必要だという強さが今までの説明にないですよ。  そこで、大へん恐縮ですが、今までどういう研究南極でやってきたか、どういうデータを集めてきたか、それが学問的にどこへ響いてくるのだという系統図を作ってくれませんか。地震学であるとか、あるいは地球の生成の学問であるとか、いろいろあるわけですね。そういうデータはこういうふうに今やって、これがここへ響いてくるのだという、日本学者がやっている研究の総合図の中でこれがこういう位置を占めるという、それを作ってもう一回説明していただけば、少しはわかってくるだろうと思う。そのことをお願いいたします。今のような疑問を心ある人は持っていると思うのです。生物とか地理とかいうものをやるのだったら、金のない日本だったら、むしろ日本の近海の大陸だなをやりなさい、あるいはインド洋をやりなさい、あるいはロケットをやって高層をやった方が早いのじゃないか、そういう疑問が出てくる。そういうものに対抗するだけの答弁をもう少し親切に、科学的にやってもらいたい。用意してもらいたいと私は思います。  それから第二に、学術会議の内部において、あるいは日本学者の内部において、南極観測をどの程度ほんとうに評価しているか、これを私は知りたいと思う。学者の中にも、やれと言う人もあるし、もうあの程度でいいと言う人もかなりいるようです。学術会議では何かやれという決議はしていますけれども、決議が必ずしも総員の意思でないということはよくある。おつき合いで手を上げるということは、人間の社会ではよくあることだ。そういう面から見て、学術会議の中で、あらゆる科学の全般的な水準の中で南極がほんとうにどの程度の評価があるのか、これも私は知りたい。精細なことはあとでもいいですけれども、その点についても、今学術会議の会長からお考えを承れれば承りたいと思う。
  29. 和達清夫

    和達政府委員 ただいま中曽根先生からおっしゃっていただいたことは、まことに頂門の一針で、われわれにおきましても科学者研究者十分に反省したいと思います。しかし、これに対してお答えいたしますと長くなりますので、学術会議のことだけお答えさしていただきます。  この南極地域観測が初め学術会議の勧告になって出されましたときに、学術会議におきましても、正直に申しまして全会一致ではございませんでした。しかし、そのときの討論を見ましても、これに不賛成であって、この価値を認めないというのではなくして、わが国の科学研究がいろいろの部門にわたり、しかも学者が十分な研究費を得られない現状においてこれが論ぜられたのでありまして、その意味におきまして、この南極地域観測の意義を疑っておるものでないと私は信じておるものであります。なお、現在、地球観測年を契機として始められた南極地域観測は、諸種の事情から一時これを中止することになりました。非常に残念でありますが、南極観測の特別委員会といたしましては、来たるべき学術会議の総会に再開に関する提案をいたし、そこに具体的な再開の方途、あるいは今までの調査の結果を報告し、そこで、つまり来たるべき総会におきまして論ぜられ、それをもちまして、もしそのときに必要とされるならばさらに政府に向かって学術会議が要望とか何かいたすことになることもあるかと存ずる次第であります。
  30. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 率直に申して、昨年九月中止するということをきめたときに、あれは宗谷が具体的な端緒であったわけですけれども、しかし、もしほんとうに南極観測というものが日本の学術にとって重要であり、どうしても続けなければならぬというていのものならば、われわれはそんな困難を克服するためにもつと一生懸命にやったはずです。しかし、われわれ自体が、まあこの程度でやむを得ぬだろうという気分になって、そういう方向へ賛成したというのは、あなた方のわれわれに対する啓蒙が足りなかったか、あるいは何か誤解があったか、そういうことがあるではないかと私は思うのです。宗谷の問題にしても前からわかっていたことなんで、手当をすれば必ずしもできないことではないと思う。そういう点で、学術会議の中でも南極観測はこの程度という気分があったのではないですか。それがまた政界にも反映して、やむを得ないというような気分になったのではないですか。もしそうでなくて、ほんとうにどうしてもやらなくちやいかぬというようなものでしたら、もっと激しい要望とか運動というものがわれわれの周囲に起こって、われわれを決起さしたと思うのです。そういうような動きはあまりなかったのです。何か自然に衰弱してきたような形で、しばらく休めということになった。学術会議の中や文部省の中にも、そういうような諦念的な気持があってそこに行ったではないかと私は考えるのです。だから、これを再開するとなりますと、それを爆発して爆破するだけの強いエネルギーが必要です。そういうエネルギーを科学的データをもってあなた方はわれわれに供給しなけれ、ばだめです。そのことを私は申し上げたい。そういう点から見ると、越冬隊の諸君が数次にわたってあれだけ苦労されたのに、そういう程度の評価しか得られぬのかと思って、越冬隊の人たちに申しわけないと思う。しかし、そういうことは率直に科学的に話しておいた方が将来のためだと思いますから、私はあえて村山さんの前でそのことを申し上げておくのです。  そこで、今度はこれを再開するという問題です。防衛庁当局としては、もし再開するような場合に、必要があったら南極観測にできるだけの協力をする用意がありますか、どうでしょうか。
  31. 笹本一雄

    ○笹本政府委員 さっき齋藤委員の質問にお答えいたしましたが、今までもヘリコプターのようなものを海上保安庁に、所管外ではありますが、要員を組みまして出しております。やはり協力を現実にはしているわけであります。潜水艦とか護衛艦を持って行くまでの協力は、したくても、構造の上において南極に適さないそうでありますから、今までずっとやっておりましたので、ヘリコプターの所管がえをして協力するということは、再開されれば、これは前例もあることですから、当たりまえのことです。
  32. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 協力の態様は、そのときの科学の発達やあるいは観測の必要性から、おのずから協議してきまってくると思うのです。今までの態様がそのまま続くとは私は考えておりません。しかし、いずれにせよ、要請があった場合には、自分たちの行動や性能の許す限りにおいてできるだけ協力する、そういう御態度でありますか。
  33. 笹本一雄

    ○笹本政府委員 今まではそうでございますが、そうなって参りますと、自衛隊には自衛隊法がございまして、それにだいぶ制約されることがございます。もちろんその上から参りますときには、今お話のあったごとく、兵器の一つくらい出しても、科学技術を振興する上においてはもっと進めなけれ、はならないことであります。今の範囲内におきますと、それもできますが、これ以上のことになりますと、自衛隊法の修正なり改正をしなければ、今言う全面的の協力をすることはでき得ないと思うのであります。
  34. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 しかし、その限度はどういうふうにしてきまるのですか、自衛隊法による制限というのは。ヘリコプターならいい。では、ほかのたとえば飛行機ではどうか。ヘリコプターよりもっと性能が出てくる。
  35. 麻生茂

    ○麻生政府委員 ただいままで私の方で南極観測につきまして御協力申し上げておりますのは、先ほど政務次官から御説明いたしましたように、ヘリコプターなり飛行機を海上保安庁の方に所管がえをしてしまっているわけです。従って、海上保安庁の航空機なりヘリコプターなりを使っておるわけであります。要員につきましても、海上保安庁の職員としての兼務を発令いたしまして、海上保安庁の職員の任務を遂行されておるという形式で協力しておるわけでございます。御承知のように、自衛隊法では、いわゆるわが国の平和と独立を守るために外国からの侵略に対してわが国を防御するということを主たる任務にしておるわけでございます。従いまして、この平和的な南極観測に協力するという仕事を法律上明文で規定されておられないわけです。われわれは、たとえばオリンピックの協力のような問題にいたしましても、できるだけ明文の上ではっきりとした規定に基づきまして、国民からの十分な支援のもとに御協力を申し上げたいということで、御案内のようにオリンピックの協力につきましても、自衛隊法の改正という手続をとってきておるわけでございます。従いまして、純粋に平和的な目的ということで、自衛隊がそういう平和的な仕事に協力するということを国会がお定めになるというようなことでありますならば、そういう線に沿ってまだ御協力を申し上げるということもあるというふうに考えております。
  36. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 それでわかりました。そうすると、オリンピックと同じように、自衛隊法に手をつけなければいけない、こういうふうに了解いたします。  それで、学術会議に伺います。自衛隊がそういうふうに協力するということについて、学術会議側はこれを歓迎いたしますか、それとも迷惑に思いますか。いかがですか。
  37. 和達清夫

    和達政府委員 私は学術会議の会長で同時に議長でありますので、議長は総会のことをちょっと申し上げかねますので、これをもってお答えにかえさせてもらいます。
  38. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 当科学技術特別委員会としては、そういうような両者の意向をよく聞いて政策を作っていかなくてはならぬわけです。だから、今和達さんが即答することは、あるいはむずかしいかもしれませんが、われわれに対する考えの基礎を作る意味において、そういう問題を内部でお考えいただいて、われわれに意思を示していただきたいと思う。私は個人的意見ですが、自衛隊が個別的に、閣議決定とかあるいは議会の決定とか、そういうことによってオリンピックとかあるいは南極観測、そういう平和行為に協力するということはいいことだと思うのです。むしろ自衛隊が大衆化され、国民の中に入っていく一つのモメントにもなる。そういう意味で歓迎すべき傾向であると私は思う。ですから、そういう判断は内閣とかあるいは国会がやります。しかし、両方で受け入れる用意がなければそれはできないわけで、今の自衛隊側の話によれば協力する意思があるということですから、学術会議側はこれを醜女の深情けとしないで、醜女じゃないのですから、そういうふうにとらないで、国民の財産、国民の税金を使っておることなんですから、自衛隊が平和行為に入っていくことは望ましいことであり、むしろ歓迎する方向にこれを解決していただきたい。あなた方の考え方によっては、われわれはこの委員会において、社会党とも協力して一致した線が出せると思うのです。そのことをここで申し上げておきます。  それから、この次に再開するとしまして村山さんにお聞きしたいのですけれども、どれくらいの人員、どれくらいの装備のものをこの次ぎ持っていく必要があるか。今までは二十人前後の者でしたけれども、今度やるとすればどの程度の規模のものを持っていって、どれくらいの予算がかかるであろうか。その点を最後にお尋ねいたします。
  39. 村山雅美

    村山参考人 現在の昭和基地の現状は先ほど申し上げましたが、輸送の問題につきましては、たとい船ができたといたしましても、どうしてもヘリコプターあるいは飛行機の輸送にたよらなければならないのがルッツオホルム湾、昭和基地の表にあります玄関先の状況であります。おそらく第一次のごとく、新しい船ができた場合にも接岸することはまず望めないと思います。そのためには持っていく物を制限する。飛行機が使いにくい昭和基地でありますれば、当然ヘリコプター等の輸送手段のワク内に限られてくると思います。従いまして、現状におきましてヘリコプターがどの程度に安定した機種であり、あるいはさらに変わったものができるか等については、それぞれの御専門の方に御研究をお願いしておるわけであります。現状からこの二、三年先を見通して考えますれば、建物等をこれ以上ふやすことは非常に条件がよくなければ、第一年目では困難である。まして今度再開する場合には、大体現状程度のものをまずできるだけ早い時期にやって、少なくとも基地をまずきめたいということになれば、言うなれば今まで墓守越冬と申しまして、ほんの小人数で基地を守ろうということが、第二回のいわゆるタロー、ジローのみの越入隊のときも考えられたのでありますが、今、中曽根先生のおっしゃるように、昭和基地での観測ということを考えますれば、当然昭和兼地を価値あらしめる必要な材料は、そのときの状況によりまして勘案いたすにいたしましても、まずヘリコプター輸送を前提に置きまして、その範囲内で基地再開をはわることが最も早道であり、昭和基地を生かす方法であると考えます。
  40. 前田正男

    前田委員長 次に、松前重義君。
  41. 松前重義

    ○松前委員 社会党は、ただいまの中曽根委員の発言、すなわち防衛庁の援助をこの昭和基地再開に対して使うということには、これは諮ったわけじゃございませんが、非常に歓迎すべきことだと思って、実は実現さしてもらいたいと、まず希望しておきます。  それから、一つ簡単に伺いたいと思うのであります。アメリカ昭和基地で原子力発電所を作っておるという情報があります。もしこのことが事実であるとしますならば、一体何の目的をもって原子力発電所を作っておるか。それはホテルを作るとか、あるいはまた基地の生活に必要な電力を得るためとか、いろいろあるとは思うのであります。もしその間の、アメリカが作っている目的、あるいはまたその用途等がわかりましたら、簡単に伺いたいと思います。
  42. 村山雅美

    村山参考人 今の松前先生のお話にお答えいたします。私、資料は持っておりません。聞いた話でございますが、昨年、一九六〇年から六一年にかかります南極の夏に原子炉を持ち込んで、ことしから、一九六二年にかかります夏においてこれが動き出した。その大きさは千五百キロワットと聞いております。これは私、聞いた話でございますから責任は持てません。それを何に使うかということにつきまして、南極特別委員会といいますか、国際的なものがございますが、この第四回の席上でも同じような御質問があったそうです。当時出席しておりましたアメリカのタイリー准将、これは南極の親方でありますが、これがその答えに詰まったという話をちょっと聞いたことがございます。千五百キロワットというのは、いわゆる原子炉のミニマムの容量だともまた聞いております。ちなみに、昭和基地におきまして、われわれ十六人が生活をするには二十キロワットで済んでいるのであります。アメリカは約百名、さらに大きな設備を持っておるとすれば相当の電力は要るものと思いますが、これをよその国に送電するという話は聞いておりませんが、すぐわきにスコット・ベースというニュージランドのベースが、約二キロ、約一マイルばかりのところにございます。そういうところに電力を供給するということも当然考えられますし、われわれとしましては、こういうような有効な発電施設がありまして、昭和基地にも送電してくれれば、むしろありがたいくらいに思って、いわゆるこれにからむ悪い意味といいますか、このことについては、われわれとしては実は全然考えてございません。
  43. 松前重義

    ○松前委員 原子力発電所の建設目的が那辺にあるかということは、発電所までも作って南極研究調査をやろう、これは単なる研究調査だけでなくて、やはり相当具体的な目標があるんじゃないかというふうに私どもは思うのであります。これはもちろん学術の研究とは直接関係がないかもしれませんけれども、先ほど来、齋藤委員が質問しておられましたように、観光地なんかの問題が考えられるとするならば、これはやはり一つアメリカとしての野望ではないか。平和的ではあるが、一つの企業的野望ではないかと思われる。こういう点については何か御推察になるような情報なり御経験はありませんでしたか。
  44. 村山雅美

    村山参考人 観光地という問題が出ましたが、アメリカの原子力発信と観光地との関係についての話は聞いてございません。ただし、観光地といたしましては、アルゼンチンが、あの国から近いものでありますから、一つの砕氷船のあとに客船、これも耐氷船と思いますが、これを従えまして、金額は忘れましたが、一人幾らということで南極氷山見物、基地に泊まったかどうかは知りませんが、そういうことはすでにやったことがあるそうであります。観光の問題はそれだけしか私知りませんので、マクマードにおける観光と原子力発電については申しかねます。
  45. 松前重義

    ○松前委員 もう一つお伺いしたいと思いますが、飛行場の問題です。南極で飛行場を開発しておる国がありますか。
  46. 村山雅美

    村山参考人 飛行場という定義でございますが、事実飛行機各国から来ております。たとえばマクマードの飛行場には、いわゆるグローブマスター程度のものがニュージーランドから一日四便出ているそうであります。このたびはまたニュージーランドとマクマードの中間に、南極の夏のシーズン、すなわち十月の中ごろから定点観測船を置いて、その上を飛んで、夏輸送のために一日四便出しておるということも聞いております。これが一番大きな飛行場と思います。その飛行場を使いまして、ソ連のターボジェットの飛行機がこの夏、十二月の末でございますが、モスクワからタシケント、ボンベイ、それからジャワの何とかいうところ、ニュージーランドのウェリントンを経由しまして、マクマードに着陸し、それでミールヌイに着いたという事実も聞いております。以上であります。
  47. 松前重義

    ○松前委員 その飛行場から昭和基地まで、ヘリコプターその他で行けないものでありますか。
  48. 村山雅美

    村山参考人 ヘリコプターではとても回れませんので、先ほど申し上げましたソ連飛行機も、ミールヌイからDC3型の双発の飛行機で飛んで参っております。昭和基地の付近は、DC3型程度の飛行機のおりるには、夏も全く苦労のない非常にいい飛行場をすぐ提供できるような場所柄であります。四発の飛行機がおりられるかどうかは、ちょっともう少し研究しなければわかりませんが、暴風圏を約二千マイル以上のものを飛べる飛行機がない場へ口には、やはり昭和基地に来るにはミールヌイなりあるいはラザレフなり、そういう飛行場を経由して来る現状が南極の一年のうちには行なわれると思います。
  49. 松前重義

    ○松前委員 そうすると、再開という問題を考えますと、そういうような既設の飛行場等を使いますならば、飛行機の協力といいますか、何も防衛庁でなくても、日航でも、あるいは全日空でもかまいませんが、飛行機の応酬をすることによって、昭和基地への道を開くことはできませんでしょうか。
  50. 村山雅美

    村山参考人 この件につきましては、昭和基地の今申しました飛行場の問題、それから日本からの距離の問題が、諸外国と非常に違うのであります。そういう意味から言いまして、さらに研究してお答えしたいと思います。
  51. 松前重義

    ○松前委員 船の問題はだいぶ討論されましたから大体わかりましたけれども、船で行くとするならば、宗谷は修理すれば使えるのでございますか。中曽根委員はそういう発言のようでしたが。それとも、新しい船を作らなければいかぬのでありますか。
  52. 和達清夫

    和達政府委員 船の専門家から聞いたのでありますが、私の聞いた範囲では、宗谷をこれ以上使うことは安全上考えねばならぬというようなお話を聞いております。
  53. 松前重義

    ○松前委員 そうすると、新しく作る……。
  54. 和達清夫

    和達政府委員 ええ、新造を要することになります。
  55. 松前重義

    ○松前委員 船でなければいけないということになりますと、これは先ほどの大蔵政務次官の答弁のようななまぬるいことでは、再開は当分困難じゃないかという感じがするのです。幾らここで決議してみても、作らなければいかぬですから。同時にまた、大蔵省が金を出しても、作るのに時間がかかるから。それからまた、船を作ったとしたときに、一体どこの管理に属せしめるかという問題もあるでしょう。どこが一体船の予算を出すとか、そこまで一応考えていかないとなかなか再開は困難じゃないかと思う。この点については、和達先生はどういう御意見を持っていらっしゃいますか。
  56. 和達清夫

    和達政府委員 統合推進本部におきましては、再開のための小委員会を設けまして、昨年からそういう点を検討しております。最近の知識、情勢を入れて、ただいまも鋭意そのことを審議中でございます。私らとしては、できるだけ早くそういう面を検討いたしたいと思っております。しかし、現在のところまでの検討結果では、どうしても船を新造することを必要とする。そういうような方向に現在のところでは出ております。それが今日中止に至る大きな原因でもあり、また再開にあたってもいろいろ私どもが苦心いたしたところであります。
  57. 松前重義

    ○松前委員 そういたしますと、今の再開という問題に対しては、なかなか多くの問題を宿しておると思うのです。もしも来年あたりからやるというなら、船の建造というものがどのくらいの期間かかるか。今予算を出しても、なお一年間か二年間はかかるだろうと思うのです。だから、その目安もつかぬで、ただ抽象的にここで議論しても、先ほどまではちょっと有望なような感じがしましたけれども、どうもこれでは有望でないような感じが実はするのです。従って、この問題に対しては具体的に、一つ自民党として今度一つ予備費か何か取って、そうしてことしも具体的にこれを推進していかなければ——私はことしからこれにかからなければ、ただ、から念仏ばかり並べたててみても成仏しないだろうと実は思うのです。期間の問題につきましてはどういうふうにお考えなんですか。
  58. 和達清夫

    和達政府委員 松前先生のおっしゃいますように、船を新造いたすということは、予算がきまりましてからも一年なりそれ以上の日数を要するわけです。また、それに適当なる航空機も整備しなければならず、また航空機の要員という非常に現在困難な問題も解決しなければならない。そういうために、確かにおっしゃるように、今直ちにこれをするということは困難で、二年あとになりますか三年あとになりますか、非常に急ぎましてもある時間はかかることになります。それで、統合推進本部におきましても、南極観測事業は継続的事業としてしっかりした体制のもとに再開する、それにはしっかりした計画のもとに行なわなければならない。これはただ、先ほども申し上げましたような時間がかかるのでありますが、それまでに昭和基地における観測は中断しておくという状態は、学術的にも、南極条約の精神に照らしても、非常に残念であるから、何とかその間は便法を用いてつなぐ道があるか。この二通りの考えをもって現在小委員会で具体案を検討し、できるだけ早く統合推進本部の総会にそれを出そうといたしているのでございます。
  59. 松前重義

    ○松前委員 事情は御説明でわかったようなわからないような気がいたします。ただ問題は、来年からでも、外国でもどんどんやっておりますから、発言権というか、一つ日本の立場を世界に示すためにも、これは何かやらなければならぬと思います。それは、もしも飛行機が使えるならば、飛行機研究によって何とかしてこれを克服する。しかし、本筋においては船によるというならば、船の建造に対して一つ着手する。こういうような二段がまえのような作戦で昭和基地再開というものを考える。あるいは昭和基地以外に基地を作ってもかまわない。いずれにしましても、これはもう少し具体的にやり遂げ得る作戦、何段がまえかの作戦、これはおわかりになっていますか、伺いたいと思います。
  60. 和達清夫

    和達政府委員 小委員会におきましては、あらゆる面から検討しておりまして、もちろんそういう面も十分に検討いたしたいと思っております。
  61. 松前重義

    ○松前委員 また非常識のようにお思いになりますかしれませんが、村山さんに伺いたい。と申しますのは、夏でなければ飛行機は飛ばせませんか。南極はいつでも行けるというわけに参りませんか。
  62. 村山雅美

    村山参考人 大体昭和基地は南緯六十九度でありますが、あの辺と七十度ぐらいを飛びました場合には、夏でなければ飛べないと思います。それは気象状況は、非常に時期によって分かれますし、今までの南極内の飛行旅行、航空作戦も、全く夏、あるいは秋も早い秋に限られているように見ております。従って輸送に使う場合には、もちろん夏しか使えませんし、その夏もいわば十一月、十二月、一月、あるいは二月も使えるかもしれませんが、非常に短い期間に有効な空輸作戦ということは、非常にむずかしい問題であります。ので、よく検討しております。
  63. 松前重義

    ○松前委員 どうも宗谷がだめだからやめたというようなお話のようです。これは文部省にお伺いしますが、宗谷がだめだから、使えないからおやめになったのですか。それとも、大蔵省に要求したが、大蔵省が予算を通さなかったからやめたのか。どちらでしょうか。
  64. 岡野澄

    ○岡野説明員 宗谷が非常に困難だからということが原因でございます。昨年の閣議決定に、大蔵省に予算を要求してはねられたからだめだという性質ではございませんでした。関係者が何べんか集まりまして、検討いたしました結果、現在の難点は、一つは輸送手段に非常に行き話まりを生じた。さらに具体的に申し上げますと、宗谷そのものも非常に老齢でございますが、航空輸送にたよらなければならないことになりまして、パイロットの確保に海上保安庁は非常に困難を来たすという点はあるわけであります。  それからもう一つには、現在の体制が臨時的な体制で来ておるために、実施の中核機関がないということも、率直に申しまして行き詰まりの一つの原因でございます。  従って、今後再開を半永久的にやるという考え方に立ちまして、現在輸送手段は四、五千トン、一万馬力の船が必要だという中間報告がございますが、なおそれについて新しい角度で、たとえばもう少しヘリコプターを使った方が経験上いいのじゃないかという考え方もございますし、そういう点で、なおなお具体的な問題を、村山隊長もお帰りになりましたので、御経験も徴して、現在関係者が集まりまして検討を進めておるという実情でございます。
  65. 松前重義

    ○松前委員 私どもなるべく早くこの具体案ができることを待望いたしますけれども、大よそ見込みとしてはいつごろまでにその案をお作りになり、そして政府に要求すべきものは要求なさるというようなことになるか、これをお伺いいたしたい。
  66. 和達清夫

    和達政府委員 現在小委員会の目途としておるのは、五月初めまでに作り上げることであります。
  67. 松前重義

    ○松前委員 大体わかりました。空輸の問題等もあるようでありますから、総合的に、再開されるように、私ども熱望いたしております、与党でありませんけれども、野党でもチンドン屋は大いに努めますから、一つしっかりやっていただきたいと思います。
  68. 前田正男

    前田委員長 山口鶴男君。
  69. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 時間も大へんおそくなりましたので、きわめて簡単に一、二お尋ねをいたしたいと思います。  先回当委員会で決定をいたしました決議内容は、すみやかに再開をせられたいということもございましたが、問題は、現在の南極観測推進本部が文部省の中にありまして、そしていろいろ問題点として出ました飛行機の問題でありますとか、あるいは船の問題でありますとか、いずれもこれは海上保安庁なり、あるいは防衛庁のお話も出ましたが、そういう形で各省にまたがっておる。そういう状態の中で、文部省の中にある推進本部では、これはもちろん各行から代表の方もおいでになっておるとはいうものの、実際強力な推進ということになるときわめてカが弱過ぎるのではないか。従って、当委員会としては、内閣の中に推進本部を移すということも考えて、強力な推進本部をぜひ確立することによって、すみやかな再開を実現すべきである。こういう決定であったと記憶をいたすのであります。  そこで、次官にお尋ねをいたしたいと思うのであります。本委員会のそういう南極推進本部に対する機構の問題でありますが、今私が申し上げたような内容に関しましては、その後政府としてはどのようにお考えになり、どのような構想でこの推進本部を作ろう、こういうような形の議論が進んでおりまするか。その点を一つお聞かせをいただきたいと思うのでございます。
  70. 和達清夫

    和達政府委員 機構の問題につきましては、強力なものを作り、推進せよとの御決議をいただきまして、私どももその通り思っておりまして、統合推進本部において目下検討中でございます。もちろん統合推進本部には関係各省の部員がおられることでありますから、できるだけ早くそういうことを検討いたしまして、取りまとめて、そして私ども実現できるようにいたしたいと思います。
  71. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 推進本部の中でいろいろ議論されておるというのですが、私はそれじゃ不徹底だと思うのです。やはり批准本部長は文部大臣であって、あと各省から出ておるのは次官でしょう。そういうわけでありますから、内閣推進木部を作れというような当委員会の意向がありましたならば、少なくとも次官もおられるのですが、やはり政務次官会議とか、あるいは閣議とか、そういった段階である程度大筋の構想というものを議論をして方向を決定していくというのでなければ、私は仕事が進まぬと思うのですが、そういう点、次官どうですか。
  72. 山本利壽

    ○山本(利)政府委員 お説の通りでございます。今日までこの問題についての運営が文部省内にある推進本部でございましたから、その方面の意見もよく承りまして、それからさらに先ほど中曽根委員からもお話がありましたように、この南極探検に対して、その学術的あるいはその他の効果が、今後どうしても継続すべきものだという強い意思表示というものがやはり物事を推進していくと考えますので、それらも、今度隊長も帰られたわけでございますから、いろいろな点をさらに承って、当委員会決議されましたように強固に進めていきたい、かように考えております。
  73. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 とにかく推進本部で議論したのでは、なかなか推進本部の現状のワクを破った大きな構想というものは出てくるはずのものでもないのでありまして、そういう点ではりっぱに政務次官もおられるわけですから、政務次官の会議あるいは閣議の段階において推進していただくことを、当委員会決議を尊重するという立場に立ってお願いいたしたいと思います。次に、外務省の方が来ておられますので、お伺いいたします。村山隊長のお話によりますと、南極条約に参加をいたしました十二カ国のうち日本並びにノールウエー、ベルギーでありますか、三カ国が中止をいたした、こういうことであります。外務省の方で、日本と同様な離脱といいますか、ノールウエー、ベルギー、こういったものについてはその後どういう態度といいますか、いつごろ再開をするとか、簡単でけっこうでありますから、こういった状況がわかっておりましたらお答えをいただきたいと思うのであります。  それから、脱退したことに関しましてICSU、国際学術連合会議、及びそのもとにあります推進機関であるSCARか、南極観測科学委員会、こういったものが日本に対してどういう態度でおりますのか。あわせて簡単にお聞かせをいただきたいと思います。
  74. 栗野鳳

    ○栗野説明員 ちょっときょうはどういうお話になるかわかりませんで、資料も持って参りませんので、正確なところはわかりません。あるいはむしろ村山さんの方が現地での情報をキャッチしてお帰りになっているかもわかりません。なお、次のこういう情報が入ります機会としては、ことしの七月になると思いますが、ブエノスアイレスで南極条約の締約国の会議がございます。  それから二番目の質問も、申しわけないのですが、よくわかりません。
  75. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 村山隊長さんの方でおわかりでありますか。
  76. 村山雅美

    村山参考人 今のお話でございますが、私はただ情報として聞いているだけで申し上げますが、ベルギー再開したという機運があるとは聞いております。しかし、コンゴ問題その他でいろいろ問題があるということも聞いております。また、新しく入りたいという国でイタリア、これがいわゆる色気の程度かどの程度か知りませんが、意思表示をしておるそうであります。もう一つは、ソ連から基地を譲り受けましたポーランド、これがイタリアよりももう少し具体的な腹案があるのではないかと漏れ聞いております。
  77. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 あとで外務省の方から、私の尋ねました点がわかりましたら、資料としていただきたいと思います。  最後にお尋ねいたしたいと思います。先ほど中曽根委員の方からいろいろ南極観測の意義についてお話がございました。私の考えでは、かりにロケットが発達をいたしまして、ロケットを通じて超高層の観測のデータというものがいろいろ入る。そういう機会が非常に多くなっておることは事実であろうと思いますけれども、しかし、いわゆる科学の進み方の立場からいけば、それではロケットだけで高層の観測というものが十分か、私はそうでないと思うのです。ということは、やはりロケットでもって実際飛ばして、いろいろなデータを集めることももとより必要ではありまするが、同時に太陽活動の最も盛んになった年、あるいは微弱になった年、そういったマキシマム、ミニマム、そういう最も観測に適した時期をとらえてオーロラその他を使ったいわゆる地上での観測、そういったものが両々マッチしたものの中から私は未知の世界というものが漸次開かれていくのではなかろうかと思うのです。ですから、私はそういう意味で、ロケットが発達するということと、この南極観測の意義というものとは決して反比例するものではないと思う。その理由は、現にロケットその他に非常に力を入れておるアメリカあるいはソビエト、こういう国々の方がむしろ南極における観測もより強化をしておる。こういった事情からも私は明らかだと、しろうとながら推察をいたすのであります。  そこで、村山隊長並びに和達学術会議議長さんにお尋ねしたいと思うのであります。今後南極観測、超高空の観測なりあるいは地球物理的な意味での観測なり、——生物というのはこれはいつでもいいかと思うのでありますけれども、今申し上げたような点で、少なくとも一本がこういった国際的な科学的な仕事に協力するにおいては、少なくともどのような時期までに観測をすることが学術的な立場で必要なのだ、こういう点がございましたら一つお答えをいただきたいと思うのであります。
  78. 和達清夫

    和達政府委員 たとえば高層気象観測のごとき、世界と協力して観測網の一端を分担いたすものにつきましては、観測の中止はないのが一番いいのでございますから、できるだけ早く再開いたすべきであると思います。  なお、超高属物理学その他いろいろの観測におきましては、これも期間は短かければ短かいほどいいのでありますが、一つの目標としましては、一九六四年から六五年にかけましての御承知の太陽活動の静かなる時期におきまして、世界が特に力を入れて地球観測年に行なわれたと同じような規模におきまして、地球に関する、特に高層物理学に関する観測研究をいたす、そういうプロジェクトがあり、その中におきましても南極観測の果たす役割は非常に大きく期待されておるのでありますから、できればこの時期に間に合うように、日本南極観測再開されれば最も効果的であると考えております。
  79. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 学術的な面では議長のお答えの通りだと思うのです。現地で苦労して観測に従事された方々、そういった方の気持を代表して隊長さんから、少なくともこの時期にはというお考えがありましたらお聞かせをいただきたいと思います。
  80. 村山雅美

    村山参考人 大へんむずかしい御質問なのでありますが、まず手っ取り早い話としましては、現在基地にある財産の問題にかかって参ります。現在基地には約三億くらいの固定資産があるわけでございます。まず問題の家屋、これにつきましてもわれわれの経験、あるいは設計、建築その他の専門家の御意見を徴するに、大体五年間は人がいない基地でももつだろう。もし五年後に人が入って手入れを続ければ、私の見たところでは相当長い期間もつということは、現在までの痛みと比較して言えると思います。また、食糧等は約十トンございますが、これは非常に片寄った食糧でございますから、これもやはり五年以上はなかなかもちにくい。そういうような条件、あるいは機械等の様子、さらにもっとむずかしいものは、いわゆる向こうにあります観測機械を含みまして、機械、器具の日進月歩の進み方を考えますれば、今ようやくわれわれは各国基地と同じレベルに達したわけでございますが、このギャップは長ければ長いほど比例級数的に大きくなるのだと考えます。現在すでに昭和基地を含めて南極基地ではもうテレタイプを使っている時期であります。これが現在昭和基地にない。これは一つの例でありますが、あらゆる観測器具、あらゆる設営器具にいたしましても、この中止は一年に二倍三倍のギャップを生むものと思って、われわれとしましてはできるだけ早い機会を望んでおる次第であります。
  81. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 学術会議の議長さんから、太陽活動が最も少なくなる二年後、それまでには学術的な意味からも、特に南極観測の主要なテーマである超高層の気象観測あるいはそういう面の物理学的な観測からも、ぜひとも再開したいというような一応のめども承ったのであります。特に先ほど次官に対して私御要望申し上げたのでありますが、何といいましても、政府におきましてこれを強力に推進する機構、そういったものを早急に樹立をしていただく。そういう中でこそ飛行機の問題、あるいは船の問題、その他各省にまたがるいろいろな事務の問題、予算の問題、そういったものを解決することができるわけであります。そういった機構をすみやかに整備、確立すると同時に、南極観測再開に向かって政府は強力な第一歩を踏み出していただくことを心から期待いたしまして、終わりたいと思います。
  82. 前田正男

    前田委員長 村山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  長時間にわたり貴重な御意見の開陳をたまわり、本委員会調査のため多大の参考となりましたことを本委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十八分散会