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齋藤(憲)
委員 今の御
説明の中で、専門的にわたることは私もよくわかりません。いずれ
速記録ができましたならばそれを拝見して、専門的な注釈をお願いして、もう一ぺん御
説明を
検討してみたいと思うのであります。
私が資料としてちょうだいいたしましたこの
評価委員会の
結論を見ますと、どうも
ビスマス冷却というものはもう将来性がないのではないかというふうに書いてある。
冷却剤として
ビスマスを用いることは問題を困難にするばかりでなく、特別取り立てて利点を見出すことはできなかった、半
均質プロジェクトとして
ビスマスに関する
研究を今後も発展させることは疑問があるように思われる。こういうことが書かれてありますので、私といたしましては、
ビスマスというものに
原研としてはお手上げなんだ、これはやる必要がないのだという
結論になったのではないか、というふうに
考えたので、特に所長の御
説明をお願いしたわけであります。ただいまの
お話を承りますと、
ビスマス冷却というものには幾多の難点があるが、しかしこれはギブ・アップしたのではない。さらにその
研究を
推進していくのだという
お話であったのでございます。
しろうとの
考え方からいたしますと、
一つの着想が必ずしも成功するとは限らない。十中の八、九は失敗に終わって、十のうち
一つあるいは二つが成功すれば
研究としてはりっぱなものじゃないか。私はそう思っておるわけであります。ただ、どういう
評価委員会の
検討が加えられたかわかりませんが、とにかく蒼鉛が
冷却剤として一本の独創的な
考え方の中に浮かび上がった限りにおいては、
一つとことんまで追及していただきたい、こう思うのであります。とにかく、この
ビスマスが二百十度にならなければ熔解されないとか、あるいはこれが冷え切ったときに
膨張率が多いとか、あるいは資材を腐蝕させる率が多いとか、
欠点はいろいろあると思うのです。しかし、そういう
欠点があり
長所があるならば、
欠点をなくして
長所を生かすというのが、私は
ほんとうの
研究体制ではないかと思うのです。ですから、せっかく
プロジェクトとして取り上げた
ビスマス冷却の独創的なアイデアを、あまり早くギブ・アップをしないで、それを追及していく間に、
ほんとうに
世界各国がやっているヘリウム・
ガスの却冷炉がよくて、
日本があらゆる角度から
検討を加えていったけれども、やはり半
均質炉というものは、
ガス冷却が一番いいのだという
結論に到達したのならば、われわれもまたそれに対して承服といっては語弊がありますけれども、それを認めるということは当然のことだと思います。ですから、この
新聞記事にございますが、
研究室が閉鎖されるとか、あるいはこれはもう問題にならないのだとかいうことになりますと、何かあまり早く独創というものが生まれて、あまり早くその独創というものをギブ・アップするような感じを受けるのです。
私から申し上げるまでもなく、
原子力の平和利用というものは、世間でもって、スロー・ダウンしているとかスロー・ダウンしてないとか、そういう論議の
対象になるべき問題でない、私はこう思っているのです。いやしくも
原子力の平和利用というものは、これは遠からず人類のすべてのあり方というものを根本的に変える、原動力であって、そういう見地からいくと、一段上がったのか二段上がったのかという
評価さえ早計ではないか。畳の上がでこぼこになっているというくらいの
段階にしか、
原子力の平和利用というものは、大局から見るとまだ進んでいないのではないかと思うのです。ですから、わが
日本の
原子力研究所に課せられた課題というものは、
ビスマス冷却の
プロジェクトがどうなったとか、こうなったかということでかなえの軽重を問われるべきものではなくて、もっともっと大局から、腰を入れた
研究というものがあっていいと私は思う。しかし、これは国家要請にかなうべきところの
研究所でありますから、常に何かの目標、
プロジェクトというものは持っていなければならぬと私は思うのであります。漫然とした大学の付置
研究所のような
研究のあり方というものは、
日本原子力研究所としてはあまりほめた形でない。何かの目標を持っていなければならない。その目標をようやくこの半
均質炉ビスマス冷却というものでつかんだというので、われわれは非常に喜んでおった。それが今の
新聞記事によって現われるような
ほんとうの
体制であるとすれば、これは悲しむべきことだと思ったものですから、はなはだ老婆心みたいな失礼なことを申し上げたのでありますけれども、
一つあくまでも目標をつかんで、あらゆる角度から
研究をしていただきたい、そう思うのであります。
なお、この問題はこの程度にいたしまして、きょうは原子
燃料公社、
出席していませんか。
人形峠を中心として、
日本にはウラン原鉱石が相当発見された。われわれも、
日本の原鉱石を
開発するよりは
アメリカからイエロー・ケーキを買ってきた方が万事において都合がいいのであるから、大がいに国内の探鉱というものはやめたらいいではないかという議論を押し切って、この
委員会としては、あくまでも国内資源の探鉱及び
開発というものを目標として、相当の国費をつぎ込んできたわけです。そして、その
最初において、その鉱石の価格決定ということを大いに論議して、
原子力委員会においては〇・一%含有のウラニウム鉱をトン当たり五千円ときめたわけですね。
ところが、最近においてイエロー・ケーキの値段というものを私が教わりましたところによりますと、今、原燃公社において海外より購入しておるところの値段というものは、三十五年六月カナダから六千五百キログラム、FOBポンド当たり四・九ドル。これは東海渡しに換算いたしますと、一キログラム当たり三千八百八十円、そしてこれは品位が八〇%以上だ。三十五年十一月にカナダから買いましたのは東海渡し一キログラム当たり三千四百六十六円です。そうしますと、とにかく
アメリカでは国内のウラン鉱を擁護する
意味におきまして、八ドルパー・ポンドで保証している。しかし実際の取引を見ますと、
アメリカもずいぶん安く売っている。ですから、一キログラム三千、五百円なんといいますと、一トン当たり三百五十万円ということになる。そうすると、
日本の鉱石〇・一%を含んだやつを五千円で買って、これをまるまる抽出、製錬に成功したとしても、五百万円につくんですね。抽出、製錬のパーセンテージというものは、私はおそらく七〇%ないし八〇%くらいしか見込まれないだ
ろうと思う。そうすると、まあ普通からいくと、〇・一%を含んでいるものをトン当たり五千円ということになれば、これはどうしても国際価格には引き合わないということになる。ここに
日本のいわゆる国内ウラニウム資源に対する政府のお
考え方をはっきりしていただかなければならぬ。これはあくまでも〇・一%をトン当たり五千円ギャランティしていくのかどうか。これは絶対に曲げない値段だ、これで国内の資源
開発を擁護していくのかどうかということです。こういう点は、一体
原子力政策として〇・一%あくまでもトン当たり五千円で、将来とも国内資源擁護の建前から曲げないでやっていくというおつもりなのか。だんだんウラニウム鉱というものは値下がりしてきているから、この値段は当然改正せらるべきものとお
考えになっておるかどうか。