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国務大臣(河野
一郎君) 私が、食管制度についてこういうふうなことはどうであろうかということを申し上げましてから、各
方面で
お話し合いになっております話を聞きますと、理論的に、こういう場合もあるのじゃないか、ああいう場合もあるじゃないかという御議論が非常に多うございます。私は、米の問題のようなものは、事実の問題でございまして、もちろん理論を超越するわけには参りませんけれ
ども、こういう場合はどうであろう、ああいう場合はどうであろうという、場合として持ち出されるものは、事実を非常に極端に追い詰めた事例をもって議論されている場合が
相当にあるように思うのであります。ところが、かねて私が申し上げますとおりに、こんなばかなことを言うと、おしかりを受けるかもしれませんが、米というものは、年に一度取れるものでございます。食べるというのは、一年を通じて食べるものでございます。したがって、一度、九月からおおむね十二月まで、この三カ月の間に取れるものでございますから、取れたものを一ぺんに、三カ月の間に食べるなら、これは、野菜だとか牛乳だとかというものは、これはなかなかむずかしいと思います。ところが、米のように、三ヵ月間に一年分取れる、その一年分のものが、今
お話のように、一年分配給するものを三カ月の間に収納しなければならぬものじゃないと思います。ところが、長年の習慣で、しかも現実にも、今
お話のとおり、持っていれば金利、倉敷の
関係もある。質も変わる、土用をこして米の質が悪くなるというようなことは、もう百も皆さん御
承知でございます。おおむね出来秋に
政府に売れば一番それが有利であるということは、どなたもおわかりのことでございます。それから先の金利、倉敷一切を
政府が負担するのでございますから、したがって、おおむね明年のどんなにおそくも二月、三月までの間に、従来の慣習から申し上げましても、
政府に売ろうと思う者は皆売ってくると私は思います。その慣例がくずれるわけでは私はないと思うのであります。特別に何か、これは先高だ、持っていればどうなるという思惑があれば別でございますけれ
ども、そうでない限り、大体において、国内で生産せられたものは、まず
政府に売ろうという意欲のある方は、三月ぐらいまでに売っていらっしゃる、こう私は思うのであります。なおかつ、
政府は早場奨励金を出す、六月には予約奨励金を出すということをいたしているのでございますから、おおむねここらの植えつけどきから早場奨励金のところで、
政府に収納される予定のものは勝負がつくと、こう
考えておるのであります。それが、今
お話のように、不確定なものとおっしゃいますけれ
ども、私は、第一に、そうは
考えておりません。第二には、これもかねて申し上げますとおりに、どれくらいが配給を予約される人だろうか、配給を希望される消費大衆はどれくらいあるだろうかということは、これも続いているのでございまして、それが
経済事情等その他によって高低はございます。増減はございます。しかし、その
傾向というものはわかっているだろう。そこで、配給に依存される大衆はどの程度、自由米を買われる人がどの程度という
傾向がわかる。そこで、米屋さんのほうにしても、買うという意欲のない者に
自分が米をたくさん備えておったところで、売れないのでございますから、売れないものを米屋さんが買ってくるわけがない。いずれにしても、作るのはお百姓さん、食べるのは大衆、この間に
政府が流す、今のように自由米で流れる、流れ方は二通り、出てくるところと落ちつくところは同じなんでございますから、別にわきにどこにも行くところはないのでございますから、そうして見れば、それは、今
お話のように、一ぺんに同じ季節に同時に行くのなら別でございますけれ
ども、取れる時期は一ぺん、食べるのはぶらぶら一年間を通じて食べる。その間にぶらぶら流れていくというのでございますから、そんなにめんどうなことを
考えないでも、外米を手当をしなくても、何をしなくても、ただし、生産が異常に変化して参りまして、また、非常に天災等によって少ない、このときには、むろん外米の手当をしなければならぬと私は
考えます。需給だけはどこまでも合わせなければならぬ、これは
考えます。そうでない限りは、まず今までの従来の流れの
傾向に従って、それを今までどおりに
政府は管理を続けて参る。ただ、管理にはずれておるものは、今申し上げますように、やみ米と呼ばれるものは自由米というもので流れる、合理的に流れるということでいいのじゃないか、こう
考えております。