○羽生三七君 どうかそういうことで中国問題が一歩前向きの姿勢で正しい解決を結ぶことを、私は心から希望いたしておるのであります。
この
機会に、私は、これと関連して、
日本外交の姿勢といいますか、そのあり方という問題について特に
お尋ねをしたいと思いますが、御
承知のように、ベルリン問題を中心に、ソ連の核実験の再開、続く
アメリカのそれ。
国際緊張が激化していることは憂慮にたえませんが、しかし同時に、一面
国連総会を
機会に軍縮交渉を進める米ソの共同宣言が
国連に
提出されております。また、続いてベルリン問題について米ソの接触が行なわれておるわけで、前途なお予断を許さないけれ
ども、私はこれは明るい希望を持ち得る一つの問題だと思います。そこで、私はこれと関連してお伺いしたいこと、は、米ソ共同宣言にも示されておりますように、これは
国連に
提出されたやつです。すべての国は平和的な手段によってすべての紛争の解決を求めるべきであり、かつまた、戦争はもはや
国際問題解決の具ではないと、こういう基本的な立場をこの米ソ共同宣言は示しておるわけでありますが、これはもちろん当然
総理も賛成であろうと思うのです。問題は、こういう
国際情勢の中にあって、
日本が
国際的にどういう寄与をするか、
日本が
国際的にいかなる寄与をしようというのか、この問題であります。
日本外交には、率直に申して、平和維持に関する積極的かつ建設的な意欲と具体策が乏しいのではないか。今度の
国連総会に
日本は核実験の停止決議案を出すといわれておる。どこまで一体本腰なのか。たとえば核兵器の
日本への持ち込みや甘木
自身の保有については、
政府は今日まで、そういうことはしないと言明されておる。それなら、なぜ
日本政府が一歩進んで核非武装の宣言ができないのか。
日本政府が全世界に向かって核非武装の宣言をし、あるいはまた国会において核実験停止と完全軍縮の決議案がなぜ難航するのか、これはあとでこれだけ別に申し上げますが、なぜ難航するのか。もし
国連総会に
日本の核実験停止決議が出された場合、その場合においても、
政府がかりに核非武装の宣言を行なうとか、あるいはまた国会において核実験停止、完全軍縮等の決議がスムーズに行なわれるならば、私は
日本の決議というものはより生き生きとして精彩を放つものになるのではないかと思うのです。また、
日本の真意もそれによって実証されるのではないかと思う。たとえばベルリンの問題がなぜかくも大きな問題になっておるか。その大きな条件がいろいろあるでしょうが、そのうちの一つに、西独核武装化を防止しようとするソ連のこの
気持というものが大きく支配しております。これは間違いのない事実であります。たとえば
アメリカのフルブライト氏すら先日ロンドンにおいて——
アメリカ上院の外交
委員長フルブライト氏、それがロンドンで談話を発表しておりますが、ソ連とある種の合意に達する
見通しがつけば原子兵器は西独に与えるべきではない、こう言っておる。
問題が少し横にそれますが、
日米安保条約について、これは全く防衛的な性格のものだということを
政府はしばしば言われておる。しかし、私はきょうこの問題について論議する
意思はありません。しかし、甘木に対する近隣諸国の不安は多い。そこで、
日本政府としては、今申し上げたように、核非武装の宣言をするとか、あるいは核非武装地帯の設定をするとか、つまり甘木が平和国家として生き抜く姿をいろいろな
機会に証明していくことが肝要であると思うのです。なぜもっと積極的、建設的に平和維持に関する問題に本腰を入れて取り組むことができないのか。情報によれば、中国の陳毅外相はロイター通信のコール氏に、中国が核兵器を持つのは、これは、原爆を持つのは近い将来、おそらく二年以内であろうというようにも言っております。こういう場合に、中国が核兵器を持てば、
アメリカの
日本への核兵器の持ち込みも
現実の問題になってくる。ベルリンの場合、西独が核兵器を持つ場合も同様であります。しかも、それを防止する効果的な
方法があるか。その場合には、私は今申し上げましたように、まず
日本自身が核非武装の宣言をするとか一これは
政府です。国会としては決議をするとか、そういうことをやる。こういう熱意を持ってこそ初めて私はこの
国際的に寄与する
日本外交のあり方というものが宣明できると思う。
国連にしかるべく動く、極端なことをいえば世界の動きを見ながら適当にという、こういう外交で、どうしてこの困難な、しかも中国が近く核兵器を持つことが明らかになり、
アメリカの核兵器の持ち込みも
現実の問題として起こらないとも限らないときに、なおかつ今のような静観的
態度でよろしいのかどうか。もっと積極的な平和維持に対する熱意を求めたい。
よく外交の自主性ということが言われますが、これは客観的評価です。主観的には、
総理が、
政府は自主的にやっておるのだといえばそれまででありますから、私は自主的という言葉は使わない。あえて建設的、創造的と言います。そういう
意味の
国際的寄与というものはどこにあるのか。これをまず
総理から伺いたい。
総理からひとつ先に、基本的な問題ですから。