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豊瀬禎一君
大臣は、
米田君の
質問に対して、
テストの結果が、あるいは学力が、全部均等になり、しかも、最高の
点数になることが望ましい、こういう表現をしたと思います。学力というもの——あるいは能力と言った方がいいと思いますが、これが均等になるということは不可能なことであり、これを均等化しないのが
教育基本法の
精神であります。そのことは別にして、
大臣は、別に
試験勉強をしなくても、
学力テストがやれるかのような言い方をしておりますが、平常の
学校教育自体が
一つの基準に従って勉強を均等に教えておるわけであります。しかし、何か
試験はあすしますよ、こう言うと、今まで習ったことを一生懸命に復習して、それに合うように子供たちは努力する、これは当然の作用であります。したがって、たとえ問題が普遍的あるいは基準性のあるものであろうとも、
指導要録につけて、ついて持って回るような性格を
強制してみたり、そうでなくても、
文部省の
学力テストの何番目であったか、こういう結果があればよい成績をとるように努力するのは当然であります。こういう傾向を欲の皮の突っぱった者が勝手にやっておるという薄ぎたない
言葉であなたは業者を非難してありますが、それは
一つの
テストが行なわれる、それにできるだけよい結果をしようとするのは、運動であれ、
テストであれ、すべての分野にわたってよい結果をとろうとすることを否定して
教育が成り立ちますか。あなたは全く
教育の実態というものを無視しながら、抽象的な理論をもてあそんでおるにすぎません。小
学校一年生でさえも
テストがあるといえば、何とかして似たような問題、いい成績をとろうと努力するのは普通のことですよ。したがって、
大臣が失言された中
学校の予備校化、特に
学力テスト五科目についての
学校教育は偏向しなくとも生徒はよい
点数をとりたいと願い、特によい
点数をとる
一つの
教育活動の方法として問題集が出てくるし、その問題集に剽作が行なわれていくというのはだれでも予見し得る常道であります。私はこのことによって六・三制の最もうま味であるところの人格の形成という面が、
文部省のこの措置によって次第に薄らいでいく、いわゆる頭でっかちというか、五科目専門の勉強、
教育が行なわれ、
学校体系上からも、子供の全人格の完成の上からもきわめて憂うべき事態が生じているということを今日はっきり
大臣に警告いたしておきます。
次に、昨日も矢嶋
委員が
指摘しましたし、私も
米田君の関連
質問で
指摘した問題ですが、
米田君の
質問に対して、
学力テストの結果がついて回るようなことはさせませんと
大臣は言った。私はこの
言葉の中に
文部大臣のファッショ的な思想が端的に現われておる、
指導要録というものは校長が作成し、
米田君が読み上げたように、その校長が、進学をした場合には抄本写し等を送付しなければならない
義務を持っておる、させませんということは
大臣にどこに
権限がありますか。することは望ましいとか、望ましくないという言い方ならばまだまだ許せます。あなたの
権限でない、しかも
指導要録というものに書かれたものは、それを持っていくようにちゃんとしてある、就職の際、結婚の際尋ねてくれば、ちゃんと身元がわかっておれば、秘密親展として渡すことになっておる、させませんというあなたの
趣旨は明らかに現行
法規尊重の思想でなくして、あなたに万能の
権限があるかのごとき錯覚を持つ
言辞であります。この一言が私は
学カテストを貫いておるところのあなたの考えである、そしてあなたが
意図するとしないとにかかわらず、アメリカのバロンがボリティックス・アンド・フューテュア・オブ・デモクラティック・オブ・ジャパンといった中に書いておるように、
日本にとって奇妙な現象は、
社会主義者や進歩的な分子が現行
法規を守ることを主張して、しかも反米的であり、現行
憲法、諸
法規を逆行させようとする人々が親米的なのはきわめて重大な事態であるということを言っておりますが、今日までの
教育諸
法規の改正された
国会における足跡をたどってみると、昭和二十四年以来今日に至るまで、最初の
教育基本法審議の際の
精神が
教育二法となり、
委員会法の改正となり、
指導要領の改悪となり、何
一つ憲法、
教育基本法の
精神を前進させるものでなくして、むしろブレーキをかけていく方向に
制定されてきたいきさつを見ますときに、あなたの言ったそういうことはさせませんという、
権限のないものを、あたかも自分に
権限のあるかのごとき錯覚を持った
教育行政を推進しようとする、その考え方と全く一致しておると私は断定して差しつかえないと思います。今日もなお
文部大臣は、
指導要録に書くか書かないかは、あなたがさせるかさせないか、その
権限があると考えていますか、それとも
学校教育法施行規則第十二条の三に、「校長は、その
学校に在学する」云々というように、当然
学校の
教師の、何を判断して書くかは
責任であり
権限であると私は思っておりますが、今日もなおあなたは、そのことをあなたがさせる、
文部省がさせるかさせないかという
権限を持っておると考えておりますか、このことが現行
民主教育の
一つのコアをつぶすものであるという証拠には、神奈川県教委は
指導要録には書かせませんと言った、ほかの幾つかの
学力テストを円満にやろうと
現場でまとまった県は、この問題を
一つ大きな問題としておるところにおいても、
文部大臣に
指導要録に書かせるか書かせないかという判定あるいは指示権はなく、そのことは
現場教師にゆだねられた固有の
権限である。こういうふうに判断すべきと思いますが、
大臣、今日に至ってもなおあなたにあるとお考えですか、
教師にあるとお考えですか、前向きにしてぴしゃりと答えて下さい。