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坂本昭君 今まあ
大臣の御答弁なさった中で、私は問題の点が二つあると思いますね。
一つは、これはもう池田総理がしょっちゅう指摘しているところの、日本の二重構造をなくすためにはとにかく
国民所得を全体として
引き上げて、いささか非難を受けるほどの高度成長を、
経済成長をやらにゃいかぬ、これはもう総理のいつもの主張であります。ところが、なるほどその日本の全体の、特に二重構造の底辺におる貧困な人たちを
引き上げるために国全体が富を増すということは、これはもちろん当然のことですけれども、その増される富というものが、実は底辺のほうにきていない、これがまあわれわれがずっといろいろな数をあげて今まで主張してきたところなんです。たとえば、この今
最低賃金の問題が出ていますけれども、日本の
経済成長の中で、いわゆる付加価値の中に占めているところの日本の
賃金の率というものは非常に低い。そして、いわゆる企業が利潤として得る分が非常に多いので、そういうものがまたこの設備投資へ回って、ことしのような有史以来の大きな、三兆億、ほかの公共
事業だとか、住宅を合わせると六兆億に近いというような、そういう過剰な設備投資の
状態が生まれてきている。われわれとしては、第一の
目標はやはりチープ・レーバーという、日本の国際的に非難を受けているこの状況を是正するということ、これはもちろん労働問題の一番の
基本になるでしょう。そしてさらにほかの数を見ても、たとえば個人消費の支出を見ても、かつて
昭和三十一年ごろは総需要の中で五二%
程度を占めておったのが、経済の成長はどんどん伸びながら、三十五
年度の個人消費の支出では四七%になっている。しかも、古い、戦争の前を見ても、たとえば
昭和九年−十一年、このころでさえも、五三%を
国民の個人消費の支出というものが占めておる。ところが、今戦争が済んで、もう戦後の時代も済んだと言われているにもかかわらず、そうした日本のいわば軍国主義の一番盛んなころよりも、個人の消費支出というものは非常に低下している。これはいわば低
賃金、そのための
一つの具体的な現われとして出ている。しかもこれは去年の厚生白書にも実は出ておったのですが、日本の一般の人たちの貯金の問題、貯金の
内容を調べてみても、日本ほど貯金をしている国はない。そしてこれは日本銀行の貯蓄についてのいろいろな調査を見ても、日本の場合は貧乏人ほど貯金をしている。そしてその貯金をしている
理由を、日本銀行自体が
説明しておりますが、それによると、病気その他の不時の災害に備えてというのが、これが貯金の
目的として一番多いのであります。それからあと
子供の教育費あるいは
生活改善のため、あるいは老後の
生活安定のためというふうに、こういうふうに
理由としては、病気、災害のときの保障、老後の保障、教育、こうしたことのために日本の貯蓄率が先進諸国に比べて数段高い。外国で貯金するのはお金が余って貯金をしている。日本の場合はお金のない人が、いわば社会保障が不十分なためによけいに貯金している。そういうことでさらに個人の消費率というようなものもずんずん低下している。こういうふうにせっかく
所得倍増
計画をされても、いわゆる低
所得層の人たち、二重構造の底辺におる人たちはいつまでたっても問題が
解決されない。しかもその
解決されないところの行政をなさっているのが、いわばつまり厚生行政なので、したがって、こういう点で私は今の日本の二重構造を根本的に直すということが、これは
厚生大臣としての、やはりその行政の任務を果たす一番大事な眼目であるということが
一つ。
それからもう
一つは、具体的には、この底辺にいる人、ここには非常に低いチープ・レーバーもある。あるいは
生活保護もあればボーダー・ラインの人たちの
生活もある。したがって、
厚生省としてはこの一番低いところの底上げをしていく、そういう点で
基準になるのは
生活保護と
年金である、私はそういうふうに
考える。少なくとも今日一般
労働者の
賃金については、数年前には
最低賃金わずか八千円というふうな
考えを持っておりましたが、もう今日では、たとえば去年から今年の初めに病院ストライキが行なわれて、あのときに医療
労働者の場合に、
一つ確立したのは、大体一万円という線であります。これは東京都内における場合一万円。こういう
一つの
基準というものが労働
賃金として、これは
法律によらないでいわば
労働者の力によって権利を獲得する運動によって確立されたこの
最低賃金の一万円というものに見合わせて、しからば働けなくなった老人の方に対しては、
年金は大体どの
程度のパーセントでいけばよろしいか。また同時に、
生活保護ではどの
程度でいけばよろしいか。そういうところからおのずから一定のパーセントというものが出てきていいのではないか。今まで
厚生省の
生活保護基準を作る作業を見ていると、なかなかこまかく
国民栄養の立場からカロリーを計算し、また、物価を計算し、あるいはまた、さらに、さるまたが月に何枚とかというようなことを計算し、中にはある保護課長さんのごときは、これは高知県の話ですが、私高知県なんですが、高知県の山の中ではふんどしははいておらぬだろう、だからふんどしは除外してもよろしいと言って、だいぶわれわれにとっちめられた人もおるのですが、そうしたこまかい
一つ一つから
生活保護の
基準を出すという出し方ももちろんあるでしょう。が、また同時に、労働
賃金の
最低を押えた場合に
年金というものは大体どの
程度でいけばいいか。これは年
もとっておられるし、働くこともできない。もちろん働くこともできないということについてはあとでまたお尋ねしたいのですが、障害
年金のように本人だけではない、もう少しはたから背後の手段も要るという場合もあるでしょう。がしかし、少なくとも働けない年とった場合の
年金のパーセント、あるいはまた、今度は
生活保護のパーセント、私は何か
一つの数字が出てきているのではないか。私はいろいろ外国の例などを見ておって、
年金は大体
最低賃金の六割から八割、それから
生活保護というものは大体
最低賃金の四割
程度というような感じを持っているのであります。これはまあアメリカの統計などの中にも一部出ているし、また、学者によっては
最低賃金の四割を
生活保護とするのは高過ぎるというようなことを、たしか末高教授などは議論したことがあるのです。これは何かこういう
一つの大ずかみなめどというものがあってしかるべきではないか。むしろ現在の日本の二重構造の中で私は池田総理
大臣にあまり期待しないのです。あの人は大きな企業のほうはどんどんふやしていくけれども、貧乏人のほうはほったらかしているので、それはやはり期待は
灘尾厚生大臣に期待せざるを得ないのですね。だからそういう点では
大臣が明確な信念を持って、もうけの金を
厚生省にふんだくってくる。それにはいろいろな理論的根拠というものを持っていなきゃならぬと思うのです。そういう面で私は
年金の額というものも、皆さんの作業を見るというと、ことこまかな作業をしているけれども、もっと大きな日本の二重構造を直してしまうという点で
生活保護とともに私は大事な
金額だと思うのです。まあその辺について若干私は数をあげましたので、
大臣並びにきょうは
年金局長さんも来ておられるし、それから社会
局長は来ておられぬのですが、ひとつ御意見を聞かせていただきたいと思います。