○
西川甚五郎君 この二
法案が提案されまして以来、
衆議院、参議院において各
委員の熱心なる
質疑応答がありまして、大体私はその点において、
修正された点が多々あるのでありますが、大体において了承されまするが、この
法案が
通りますと第一に取り上げられるのは、やはり
利根川あるいは淀川の水域の問題であると思うのです。そこで淀川の問題になりますと、一番大きく現われて参りますのは琵琶湖の問題であると思います。各位にははなはだ申しわけないのでありますが、少しばかり琵琶湖の問題について申し上げることにしたいと思います。
あの琵琶湖はその六十億トンの水を
利用しまして、八十数万の県民が大なり小なりにこの水に依存して生活いたしておるのであります。そこでこの
法案が出ましたときに、一番大きなショックを受けた
一つは滋賀県民であります。と申しまするのは、今から十数年あるいは数十年前からこの琵琶湖
開発については熱心なる
検討を滋賀県でやって参りまして、あらゆる点を
検討いたしましてなかなかむずかしい問題があったのであります。ところが滋賀県というところは御存じの
通り近畿において一番
開発のおくれておるというようにいわれております。実は先般
委員の仲間におきまして、各地におきまする
開発法がありまするが、それに従って近畿
開発法というような
法案を作りたいと思ったのでありまするが、近畿の各府県の方々はこれを近畿振興協議会という名前に
変更されたのであります。そのときに、私ははなはだ不満に思いまして、どうしても
開発という文字を使うように要請したのでありますが、みなの同僚議員は結局
開発するのは滋賀県だけじゃないというような話がありまして、結局振興協議会という名前にしたのであります。と申しまするのは滋賀県は湖東、湖南の一部は
開発されておりますが、湖西、湖北はほんとうに単作地帯でありまして所得の格差はひどいのであります。これは
中村建設大臣にも先般お越しいただきましてよくごらんいただいたと思います。
そこで今日琵琶湖の水がどのよになっておるかと申しますと、先般六月の
災害のときに、一秒間に琵琶湖に入りました水が一万トンであります。そうして洗せきから出て流れております水は一秒間に七百トンであります。とうていこれを流し切ることはできませんので二十日間周辺の田畑は冠水いたしました。そうしてその結果稲苗を岡山からいただき、またおのおの各地お互いに助け合いまして稲苗を分けましてようやく耕作いたした次第であります。このような状態でありまして、これは何かと申しますと、やはり戦時中の山林の乱伐、そうしてまた滋賀県は御存じの
通り急流な
河川が多いのであります。結局こういうことが起こり得るところであります。そこでこの二
法案が出ましたときに大へん驚きまして、そして滋賀県におきましては数十回、また滋賀県の当局が
東京に移るというほど真剣になりまして、
東京においていろいろと協議をいたしまして、その結果あらゆる手段を尽くしまして、今度皆さんの御
協力によってある一部
修正をしていただきまして、また附帯決議をつけていただいたのであります。
そこで私が申し上げたいのは、これほど真剣になっておる表現がどこにあるかと申し上げますと、先般の
衆議院における
参考人の意見、また参議院において
参考人として呼ばれました滋賀県知事の
言葉であります。これはたぶん両大臣ともごらんになっておらないと思いますし、ここにおられます多数の当局の方々もあの当時お出ましでなかったものですから、あの
参考人の
発言、またこれに対する
質疑の速記録と申しますか、会議録と申しますか、これははなはだ失礼でありますが、ごらんになっておらないと思う、あの字句をお読みになったならば、いかに滋賀県の人間があの琵琶湖に、そうしてあの水を愛しておる、そうしていかにしたならば、この
水資源の
開発法案が
通りましたときに、これを成立さすのに滋賀県はこういうような気分でおるということがはっきりとうたってあると思います。どうかこの点はひとつ両大臣並びに当局の方々もあの会議録を十分にお読みいただきまして、そして今後の処置に善処していただきたい、こう思うのであります。いろいろと申し上げたいと思いますが、時間の
関係上これだけ申し上げまして両大臣の御所見を伺いたいと思います。