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横路委員 先ほど
山中委員からも指摘されましたが、けさの
新聞に載っております
文部大臣の談話、これは毎日
新聞ですが、これにはこうなっておるのです。「
義務教育の内容
改善向上を図るため問題、時期、
方法を一にして
全国的な
学力調査を行なうことは
文部大臣の当然の職責である。」それからさらに「この
目的は、中
学校における
教育条件の
整備と
学習指導の
改善のための
全国的
規模の精密な
基礎資料を得ることにあって、」こうなっているわけです。そこで私はこの点について先ほどちょっと触れたのですが、本
会議の
関係で時間もありませんでしたので、もう少しこの点について掘り下げてお尋ねをしたいと思います。
それは、
学校教育法の三十六条に「中
学校における
教育については、前条の
目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。」というので三つございまして、
一つは「小
学校における
教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な
資質を養うこと。」第二番目は、
義務教育の最後ですから「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。」第三番目は「
学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと。」こうなっているわけです。このことはまた、第一項の「小
学校における
教育の目標をなお充分に達成して、」云々ということは、同じく
学校教育法の第十八条に小
学校の
教育の目標について書いてあるわけです。「一、準校内外の社会化活の経験に基き、人間相互の
関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」第二番目は「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」第三番目は「日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」四番目は「日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。」第五番目は「日常生活に必要な数量的な
関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。」第六番は「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。」第七番目には「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。」第八番目には「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」これは私が申し上げるまでもなく、
文部大臣はすでに御理解の通り
学校教育法の三十六条で中
学校における
教育の目標、第十八条で小
学校における
教育の内容について触れている。これらを考えた場合に、今度の中
学校における国語、数学、理科、社会、英語、しかも先ほどのお話によりますと、マル、バッテンということになる。このうちで何が、たとえば「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。」どこにマル、バッテンでそういうような「自然現象を科学的に観察し、処理する能力」が何で養われるでしょう。また三十六条に言う「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養う」こういうことが何でマル、バッテンでわかるのでしょう。また「
学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく浮き、公正な判断力を養うこと。」これが何で五つの
教科でマル、バッテンで養われるでしょう。また「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。」この五つのマル、バッテンでどこでこれが養われるでしょう。
学習指導の基礎的なそういう
資料がこれによって得られるでしょうか。「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」これが国語、数学、理科、社会、英語の五つのマル、バッテンで何で判断できるものでしょうか。さらに「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」なんてどこから止まれてくるのでしょう。五つの
教科のマル、バッテンでそれが養われるのでしょうか。「
学校内外の社会化活に基き、人間相互の
関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」何で五つの
教科のマル、バッテンでできるでしょうか。私はこのことを考えたときに、先ほど
大臣がおっしゃられたこと、本来の
学力テストの姿は
学校の
教育者が行なう
テストである、
文部省がやる
学力テストは例外のものであると言われた。
文部大臣の考えはわれわれの
意見と一致するわけです。
学力テストそのものは、
教師みずからが
教育者の自主的な判断、
教師の集団、
教育委員会における
指導主事、
地域における社会性、そういうものを考えて、
教育課程を作って、その上に基づいてそれぞれ自分たちが授業を通して
子供との毎日の日常生活の中から生まれてきた、そういう科学的に観察する態度がどうなるか、勤労を重んずる態度が一体どうなるか、そういうことをあわせて総合的な観察判断の中で今の児童化徒に対する
教科がなされてきておるわけです。ですから
文部大臣の言った
学力テストそのものは、
教師みずから行なうものは本来の姿だというのは、この
学校教育法の三十六条並びに十八条からいけば当然なんです。国語、数学、理科、社会、英語という五つを選んでマル、バッテンでやって、そのものからいえば本来の
学力テストではない、例外なものだ。しかも勤労を重んずる態度、精神とか、いわゆる科学的なものに対して継続的に観察するとか、あるいは自分の心身を健康にするためのいわゆる健康の問題であるとか、あるいは生活を豊かにするための音楽とか図工とかというものをはずして、五つだけに規定してマル、バッテンでやって、
学校教育法三十六条、十八条からいういわゆる本来の
教育目的からはずれている例外の
テスト、
教師が拒否をして自分は
教育者の良心の
立場から本来の
テストをやるんだといって、あしたは中間
テストをやるところもあるでしょう。あすとは
関係なしに市町村のそれぞれの単位において
指導主事や
現場の
教師が一緒になって問題を作成して別の
機会に
テストをやるところもある。そういうふうにそれぞれ
教育上の
立場に応じて
テストを考えてやっている。それをわずか五つの
教科に限ってマル、バッテンでやって、それを
教育者が年間を通しての
学校行事、自分たちの自主的な
教育課程の編成、
地域的な
条件あるいはそれを取り巻く
教育的な環境、そういう点からいって自分たちは市町村単位に
学力テストはやっても、
学校単位にやっても、これはやらないと言って拒否したからといって、
学校教育法本来の
目的に別に反しているわけではない。逆に返して言うならば、
文部省の方こそいわゆる例外のものなんです。だから私はそういう
意味で
学校教育法本来の精神からは逸脱していない。
学校教育法本来の精神からいって、いわゆる
教師本来の
テストは積み重ねてやっている、そういう
意味であす予定される
文部省の
学力テストが、
あとで自分たちは市町村ごとに
学力テストをやるのだ、
指導主事、
教師も入れたそういう集団の研究としてやるのだ、そういうことにすでになっておる。それぞれの市町村において明日の
学力テストをやらなかったからといって、
現場の
教育者を
処罰するということは、あなたの方から言えば、そのような行為は
違法行為として
処罰の
対象になるとおっしゃっているけれども、
学校教育法本来の
目的にいう
教育の
目的を達成するそれぞれの目標に応じてやっている
教師本来の仕事、それを拒否しているのではないのです。けさの
新聞にあなたの談話として、それをやらなかったら
処罰をするのだと出ておるが、これはたくさん動員して入れるとか入れないとか、警察官ともみ合ったとかいうことではないのですよ。ただ
テストをやらなかった、やらないということは普通に授業はやっておるか、定められた計画に基づく中間
テストをやっているかなんです。そういう基本的な
考え方でやっている場合において、明日
文部省の
学力テストをやらなかったから著しく
教育本来の
目的が阻害された、
学校教育法に定められた
教育の目標達成が阻害された、
教育基本法の精神がじゅうりんされた、だから
処罰するということには私はならないと思うのです。この点の今回の
文部省のおやりになろうとしておる
学力テストというのは、戦前の読み書きそろばんという昔に戻ったのであって、
憲法からする
教育基本法の平和を愛し、真理を追求していく、お互いの人格を認め合っていくという個性豊かな人間を形成していく、そういう
教育本来の精神から言えば、私は今度の
文部省の
学力テストは逸脱をしていると思う、本来のものではないということを言っておるのであります。だから明日これをやらなかったからといって、これを
処罰するということは、私は
教育行政上これこそ不当な措置だと思うのです。これは私の考えですよ、
文部大臣どう思いますか。私は三十六条、十八条からいって、
学力テストそのものは一連のいわゆる
学習指導の中で生まれてくるものであって、五つのものをマル、バッテンでやって、
教育本来の
目的がこれによって達成される、
学習指導の重要な
資料にしようなどとは、私はこれははるかに思い違いであると思うのですが、この点
大臣から御答弁願いたいと思います。