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1961-10-13 第39回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年十月十三日(金曜日)    午前十時十九分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君テスト    理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君    理事 竹下  登君 理事 八木 徹雄君    理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君    理事 高津 正道君       伊藤 郷一君    上村千一郎君       小川 半次君    田川 誠一君       中村庸一郎君    濱野 清吾君       原田  憲君    松永  東君       松山千惠子君    井伊 誠一君       野原  覺君    前田榮之助君       三木 喜夫君    村山 喜一君       湯山  勇君    鈴木 義男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         公安調査庁次長 關   之君         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勲君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 十月十三日  委員井伊誠一君及び松原喜之次辞任につき、  その補欠として三宅正一君及び湯山勇君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員三宅正一君及び湯山勇辞任につき、その  補欠として井伊誠一君及び松原喜之次君が議長  の指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第一一号)  学校教育に関する件      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 これより会議を開きます。  学校教育に関する件等について調査を進めます。本件に関連し、文教行政について質疑の通告がありますので、この際これを許します。湯山勇君。
  3. 湯山勇

    湯山委員 先般予算委員会で、文部大臣が七月の二十一日に四国市町村教育長研修会でごあいさつをなさったその内容が問題になっておりましたが、そのことに関してお尋ねをいたしたいと思います。当日大臣が一時間余にわたって四国の各町村の教育長あるいは付近の校長その他を集めてお話しになった内容がいろいろ問題になったことは大臣もよくおわかりのことだと思います。これについて大臣はその後八月の一日に日朝協会代表とお会いになって心境その他の御釈明がありましたし、また九日の野原委員のこの件に関する質問について、いろいろ御答弁がございました。その御答弁がまた新しい問題を起こしておりまして、そのことについてお尋ねをいたしたいと思うわけでございます。と申しますのは、大臣の従来申し述べておられたこと、おとりになった態度、そういうものと先般の予算委員会での御答弁とはかなり違っておるし、それからまた大臣のお考えそのものも若干違っておるというような印象を受けております。  そこでお尋ねいたしたい点は、大臣はあの講演の中で、大部分日教組の攻撃的な談話をなされておる。ただ、特に教育的なものというのは、その最初にお述べになった点であったと思います。その最初部分で、教育目的というものは国土を愛する、民族文化を愛する国民を育てて、人格、識見を身につけさすことが教育目的であるという御信念を披瀝されて、そしてそれに続いて、日本民族はすぐれた民族だということをお述べになる段階では、これだけの文化を持つ民族はほかにはない、これはわれわれの先祖努力たまものだ、どういうふうにおっしゃっておられます。それに引き続いて、劣等民族というのは先祖努力が足りなかったからで——そしてそのあとに、われわれはよくぞ朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかったということをお述べになっております。そこでそういう前提に立って、これからの教育はどうなくてはならないかということにお触れになって、そういう民族の誇り、そういうものをよく理解するためには、これからの教育では日本の地理、歴史をもっとよく教えなくてはならない——という意味は、最初にお述べになった国土を愛し民族文化を愛する、こういうことにつながってくると思います。ここまでは大臣の御論旨は終始一貫しておりました。そして戦後の教育マッカーサー司令部によって歴史道徳教育に大きな穴があいた。その穴があいたまま最近までやってきたのであって、その結果全学連のような親不孝者が出てくるし、あるいはカミナリ族青少年犯罪の数が増加してきた。こういう穴をますます大きくしようと努力しているのが日教組ばか者どもであると、以下は全くそういう論旨で、ただ、今私が述べた範囲が、先般の大臣演説の中でほんとう教育に触れた部分であった、私はそう聞いています。  私がこういうことを申し上げるのは、私は何に基いて申し上げておるかということを先に申し上げた方がいいかと思いますから、私の手元の資料をまず申し上げますと、当時の愛媛新聞——大臣談話の要旨として発表になった愛媛新聞、それから当時会場の中で文部大臣のそのお話をメモしておった者が相当ございます。その中のメモの一部、それから文部大臣愛媛新聞に対してお出しになった取り消し写し、それから大臣のそういう演説に対して、大臣に対していろいろ意見を述べて、抗議的な文書を出した人があります。その人に対して大臣中島一郎秘書官が出した手紙の写し、それから愛媛新聞社から大臣取り消し要求に対して参った返事写し。それから大臣はあるいは覚えていらっしゃらないかもしれませんけれども、大臣と私はちょうど宇野の駅でお目にかかってお喜びを申し上げたことを私は覚えておりますが、大臣は御記憶ないかもしれません。たまたま私はうちに帰っておりまして、実は私が今読み上げました部分等については、ラジオの放送を私は聞きました。そういう資料によってお尋ね申し上げておるわけですから、前もって私の持っておる資料を申し上げておいた方が、大臣からお答えいただきやすいと思いますので、そういう資料に基づいてお尋ねしておるということを明らかにしておきます。  大臣は、その後新聞社に対して取り消し要求をなされておりますし、また日朝協会等代表に対しても遺憾の意を御表明になっておられます。それは、朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかったというそのことが、どうも具体的にそういう名前まであげるのは悪かった、まずかったということで、野原委員質問に対しては、「ただし民族名前を具体的に出すことは一体どうだというお話も出ました。その点は、要すれば言わない方がようございましたねということで、取り消したらどうだという話だから、ここで、愛媛新聞には、私の言ったこととニュアンスはだいぶ変えて出しておりましたけれども、民族名前を出したことだけは、そのまま書いておりましたから、私も愛媛新聞に対しましては、取り消し要求をいたしました。」この答弁は、民族名前を取り消すというようにお答えになっておる、こう受け取れますが、これは大臣ほんとう愛媛新聞に対して取り消し要求を出されたものとは違っておるわけです。いずれが真実でございましょうか。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 大体今おっしゃった通りのように記憶いたしております。ただ野原さんにもお答えしましたように、私は他の民族劣等民族考え——他民族表現します場合に、劣等民族などという言葉を使った覚えはございませんので、むろん愛媛県の演説会におきましても、そういう言葉は使わなかったつもりでございます。ですから、その点は少なくとも事実と相違しておる。それからなお日朝友好協会方々には劣等民族という言葉は使わなかった、そういう考えが本来念頭にないんだから。日本人が他の民族よりすぐれた点がたくさんある。そういうことは、その部分に関します限りは日本人に劣っておる民族があるということを意味することなんで、その意味では、劣っておるすぐれておるという概念は当然含んでおりますけれども、だからといって、他の民族劣等民族呼ぱわりしたことは、私の意識にはいまだかつて浮かんでこない。そういう自信はございましたから、その点が愛媛新聞記事とは違う。だからそれは一つ取り消してもらいたい。朝鮮人とかあるいはアフリカ土人とかいう言葉を使ったことは事実で、私は覚えておりますから、これはどうも、言ったことを取り消せと要求する資格は私にはない、こう思っております。そこで取り消し要求書にどういう文章を書いておりましたか、ちらっと見せてはもらいましたけれども、全部覚えておりませんけれども、私の意識に残っておる一番明確な点は、他の民族劣等民族表現した覚えはないという点に主眼があったと記憶いたします。  それから日朝友好協会方々——社会党の方も入っておられましたが、その方々にお目にかかったときにも、野原さんにお答えした通り気持で、私の論旨表現ニュアンスを、相当時間をかけてお話をしまして、そこで私の気持は、皆さん十分おわかりいただいて、了解して帰っていただきました。そのときも申し上げましたが、劣等民族なんということは言った覚えはない、そういう意識は本来私の頭の中に一つもない、ただ、具体的な民族名前をあげつらねて言ったことは、これは無用のことであった、誤解を招くことも当然と思われるので、その点ははなはだ遺憾でありましたというお話を申し上げて、お別れをしたわけであります。
  5. 湯山勇

    湯山委員 それでは大臣のお考えの中には、朝鮮人とかアフリカ土人というものの現在置かれている地位から考えて、それらの民族先祖努力が足りなかったのだということはおっしゃっていない、そういうことはお考えになっておられなかったということでございますね。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 しゃべりましたときにそういうことは言っておりません。われわれの民族そのものの、外国人から見て長所とあげつらっておってくれること、さらには、日本の有史以来の改善的な努力によって、狭い国土ではございますけれども、百パーセントに近い有効活用をはかっておるという成果、さらには、本来固有の文化プラスアジア大陸ないし欧米との文化交流による日本文化の向上という、現にわれわれが周囲に認め得る実情は、まさしく祖先努力の積み重ねであることは、私は認めざるを得ない。われわれもまた日本人の一人である限りは、祖先努力に劣らない努力をして一生を終わりたいものだ。そういう一種の使命感自覚することが日本人としての自覚であり、その自覚に立った責任と権利を果たす根底ともなるものだという考え方に立つわけでございまして、その長所祖先努力に基づくものなりということは、論理的に言えば、他の民族日本人長所に及ばないものありせば、その部分については努力が足りないということを言った、そういう気持だったろうと言われれば、潜在的にはむろんそういうものはございますけれども、そういうことを具体的にあらわに出して、劣等民族日本民族劣等民族だからお前たちの祖先努力が足りなかったのだ、だから、日本人の方がいいんだという対立概念としては、私は全然そういうふうに思考した覚えがございません。ですから、愛媛であろうとどこでありましょうとも、しゃべりますときには、そういうことに触れてしゃべった記憶がございません。繰り返し申し上げれば、劣等民族という言葉を使った覚えはない。ただ、朝鮮人とかアフリカ人とかいうような名前引き合いに出したことが誤解を生むもとであったことは、言われてみればなるほどと思いますから、その点は言い過ぎでありますから、恐縮いたします、遺憾の意を表しますと申し上げるその心境において報道したわけでございます。
  7. 湯山勇

    湯山委員 今の大臣のおっしゃったことはそれで了解できます。ただ、今大臣のお言葉にもありましたように、日本民族が非常にすぐれた民族だということをこの御指摘内容としていろいろおっしゃいましたが、そういうことは先祖努力たまものであるということは、確かにお言葉としてあったことは大臣もお認めの通りです。それと、じゃ、朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかったということは一向結びついて参りません、今の大臣お話では。その間に、やはり劣等民族というものは先祖努力が足りなかったのだというお言葉が入らなければ、文章にも説明にもならないわけで、ことについては、大臣の言われることは、そういう覚えがない、自分意識の上にそういう言葉もなかった、こういうことですから、これは主観的なものだと思います。その主観的なものは、これはわれわれがどうにも言いようがございません。ただ、先般の予算委員会の御答弁では、今のようなそういう覚えはなかったのだということじゃなくて、大臣の御答弁は、もう少し自信に満ちた強い表現をしておられます。劣等民族云々という言葉を御指摘になりましたが、そういう言葉は生まれてこの方いまだかつて使ったことはございません、これは主観的なものと客観的なものとの混合が大臣の御答弁にはあるんでございませんでしょうか。私は、今大臣の御答弁になったことならば、大臣愛媛新聞社長取り消し要求をされたその文章と符号することは認めます。しかし予算委員会で御答弁になったように、生まれてこの方使ったことはないのだということだと、これは今の大臣の御答弁と違うと思うのですが、これはどうなんでしょうか。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それはさっき申し上げましたように、私は、他の民族劣等民族表現する必要を認めない。そういう意識が全然ございません。従って、愛媛における演説におきましても、劣等民族という言葉を使って他の民族表現した覚えはございません。もしそういう記事があるとすれば、その点は私が言ったことと反すると私は思いますから、取り消し要求にはたしか、そのことを中心に取り消してもらいたいと言ったと記憶いたしております。そのことは別に、野原さんにお答えしたことと今申し上げることとの違いは、私としてはないつもりでお答えしております。
  9. 湯山勇

    湯山委員 大臣取り消しの御書面は「拝啓貴社益々御隆盛の段大慶に存じます。さて七月二十一日付け貴紙夕刊の小生講演に関する記事のうち「劣等民族先祖努力が足りなかったからで」云々は申した覚えなく事実と相違するにつき取り消されたくこの段ご依願申し上げます。」こういう文章でございます。従ってこの段階では、大臣は、主観的には、そういうことを意識して言ったのじゃないし、言った覚えはないのだ、こういうことですから、それはいいと思うわけです。しかしそういうことは絶対言っていない、こういうことになりますと、それは今のような大臣の主観的なものと、言ったという客観的なものとがごっちゃになるわけで、これはやはりはっきりしておく必要があると思います。大臣は、あくまでも、その覚えがないという観点に立たれるのか、絶対言わないという事実をお述べになろうとしておるのか、どちらでございましょうか。
  10. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私の意識にございませんから、そういう日朝協会の方が見えましても、その当時の論旨等頭にべ考えても、他の民族劣等民族と呼ばわり、しかもそれはその民族先祖努力が足りなかったからだということを私の口を通じて言わねばならないという意識はよみがえらない、だから言ったはずがない。それは今でもそう思います。
  11. 湯山勇

    湯山委員 と言われることは、大臣の主観的な立場でおっしゃることで、あるいはひょっとするとそういうことを言ったかもしれない、あるいは意識しなくてもあるいはもののはずみで、そういう言葉が出たかもしれないということは、今の朝鮮人とかアフリカ土人とかそういうことも、おそらく初めからこういうことを言おうと御計画になったわけではないと思います。そういう点から考えて、この問題についてはあとへ残るものがあるわけです。というのは、ちょうど時あたかも十月の初めから新聞週間で、大臣は、野原委員のその取り消しについてどうだったかということについての答弁で、事実そういうことを言ったのだから、取り消し大臣からされても、今さら活字はどうなるものでもないという意味取り消しできない、こういう返事をいただいたという御答弁になっております。ここが今度新たな問題を起こしておるわけです。というのは、いかにも今さら活字になったものはどうにもならぬじゃないかという言い方は、大臣の御答弁から考えますと、大臣被害者のように見えます。そういうものじゃなくて、大臣から取り消し要求がなされたときに、愛媛新聞社長の代理として編集局長の田中氏から条理を尽くした返事が参っておるはずでございます。その中には大臣がおっしゃったように、活字になったものを今さらどうにもしようがないじゃないかというような、そういうでたらめな、あるいは新聞の良識に反するような、そういう言葉は一言半句もなかったと思います。むしろかりに事実であったとしても、新聞社としては書いていいことと悪いこととがある、御指摘のようなことを考えてみれば、大臣が非常に重要なことをおっしゃっておるんだから、たとい大臣がそうおっしゃったにしても、新聞へ書こうと思うんだがどうだろうかという、事前の大臣の了承を得るべきであったかもしれない、新聞としては事実であれば何でも書くという態度をとって決してひとりよしとしておるものではありませんということも、その返事に書いてあるはずでございます。さらにまた大臣に対するお答えの中で、申した覚えがなくということと、事実と相違するから取り消せという御要求とは、それは理由として受け取れない、それについては事実こういうものも証拠としてある、これは単に聞き違いあるいは考え違いじゃなくて、具体的に当日の放送、こういう事実もあるということも、返事の中には指摘してあったはずでございます。活字になったものは仕方がないじゃないかという、新聞に書かれれば泣き寝入りだというような意味返事は全くなくて、その返事条理を尽くしたものであったはずでございますが、大臣はどこからその活字になったものは今さら取り消しできないというようなことをお読み取りになったのでしょうか、伺いたいと思います。
  12. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今返事を読んでいただいて、なるほどそういう内容返事をいただいたということが思い浮かべられますが、返事そのもの新聞社としてもっともなことを言っておられると思いました。私が取り消し要求をしましたのは、今読まれたことではっきりいたしますが、朝鮮人アフリカ土人という言葉を具体的に申したことは今でも恐縮に思っております。要らざることを言ったものだと思います。だからと言って、劣等民族といった概念は私にはないことはさっき申し上げましたが、長所短所はそれぞれの民族にあると思います。日本人長所に劣る点を持っておる民族が、その部分については劣っておるということは、注釈を加えないでも当然そういう意味合いであることは言わずもがなでございますが、だからといってその部分で劣っておる民族といえども、日本人よりまさった長所をそれぞれ持っておるわけでございますから、包括的に、部分的な日本人長所があるからそれに劣った民族はすべて劣等民族と誓うこと、それ自身が不合理なこともありますし、そういうことを表現する必要がない、だから私はいまだかつて言った覚えがないと自分では自負いたしております。のみならず、それに追っかけて、そのこともまたその民族先祖努力が足りないからそんなふうになったんだ、ざま見ろというばか念を押すことは私の論旨から絶対に必要としない。日本人長所を伸ばし、短所をためていこうじゃないか、日本国土のよさを伸ばし、また国土欠陥を補う努力先祖に負けないようにしていこうじゃないか、日本が他の民族からよき文化を持っておると客観的に認めてもらっておることは先祖努力であり、われわれも負けないように、もっとそれを乗り越えていいものに育て上げようじゃないか、しかしまた他の民族文化的に劣っておる点もある、それはまたその民族長所を取り入れながら、これまた先祖に劣らぬ努力欠陥を補っていこうじゃないかということを申したのでございます。従って取り消し要求は、朝鮮人とかアフリカ土人という言葉を言いましたことは確かだと私も思っており、一緒に行きました秘書官も聞いておりまして、朝鮮人や何とかいうものを引き合いに出して大臣はしゃべったようだが、あれは要らぬことだったなとその直後にも感想を述べております。その後日朝協会等の方が話しに来られましたので、当時一緒に行きました秘書官記憶等もたどりながら、はたして新聞に書いてあった通りを言ったかどうかを確かめてもみたのですけれども、民族名前を具体的に言ったことは確かで、しまったと思ったくらいだった、しかし劣等民族と言い、あるいはその民族祖先努力が足りないからだということは言わなかったということは、秘書官からも聞いておりましたから、従ってその点をそういう私の記憶秘書官記憶とをつづり合わせまして、取り消し要求部分はその部分に限ったわけでございます。それでは取り消し要求をしたらどうだと日朝協会の方も言われまして、それはむろんいたしましょう、しかしその民族名前は私は言いましたから、この点ははなはだ遺憾だった、その他の、総括的に劣等民族視するという概念を与える部分、これは私は言いませんでしたから、その点を取り消し要求いたしましょうという話をいたしまして、取り消し要求したわけでございます。新聞社の方は速記をとるか録音をとるかして書かれたかどうか私は知りませんけれども、少なくとも私と一緒に行きました秘書官が関心を持って聞いておったはずでございますが、その記憶に従えばそういうことはない、同時に先ほど来るる申し上げますように、私自身意識の中には、そういう点が特に取り上げられましてもよみがえらない、そんなことを言ったはずがないという気持だけは私なりには一貫しておりますから、その記憶をたどって、その事実なしと結論して取り消し要求をした、心理描写を申し上げればそういう経過でございます。
  13. 湯山勇

    湯山委員 大臣がそういうお考えで、主観的にもせよそういうふうにお思いになっておるのを、証拠をあけて、言ったじゃないかというようなことまで私は今申し上げてはおりません。それについてはもうすでに大臣劣等民族というような考え自分は持ってないのだ、それから朝鮮人とかアフリカ土人とか言ったことは軽率だったし、きわめて遺憾だったということを言っておられるのですから、そのことをもう今どうこう言うつもりはありません。ただしばしば私ども非常に遺憾に思うことは、今回の大臣談話もそうであったと思いますけれども、かなりつっ込んだことを大臣は旅先やほかでおっしゃいます。これは荒木文部大臣に限らず、他の大臣もそうです。そして言っておいて、あとそれを新聞責任にする。そういうことは言った覚えがない、いやそれは記事の書き方が間違っておるのだ、いや言葉が足りないとかいうことで、えらい人はとかく言っておきながらそれを新聞責任にする、こういう例が間々ございます。結局新聞社の諸君はそれで泣き寝入りをする、どうにもしようがない、こういう場合がよくあるわけです。今度の場合もややそれに近いと思います。まして、活字になったものはもう取り消すことができない、どうにも仕方がないじゃないかという返事であったということになると、いかにも被害者文部大臣で、もう書かれたらこれは仕方がないのだ、そういうことは一般国民新聞に対する認識ということにも大へん大きな影響があると思います。  そこで、私が今尋ねておりますことは、大臣の御心境はもうよくわかりました。言った、言わないという客観的な事実は別としても、そういう意思はなかったのだということはよくわかりましたが、今度は具体的な事実で、愛媛新聞社へ今おっしゃったような意味覚えがないから取り消してもらいたいという御要求をなさった、ここまでもおっしゃる通りです。その返事大臣予算委員会で公表しておられる。それはどうかというと、今申しましたように「今さら活字はどうなるものでもないという意味で、取り消しはできないという御返事をいただきました。」こういう御答弁をしておられるわけです。そういうことはその返事の中には一斉もありません。むしろそういう点に関する返信の中の部分を読みますと、「『事実に相違する』として取り消し要求されていますが、もとより本社としては報道内容が事実に相違する場合は率直に取り消し訂正の措置を講じますし、また報道機関としてその義務があるわけです」こういうこともその返事の中に書いてあったはずでございます。しかもかりに事実おっしゃったとしても、それでもなお、記事にする前には重要なことだから大臣に一ぺん見てもらった方がよかったと思う、という新聞社みずからの反省まで書いて返事が来ておるのに、その返事を、今はそういうのがあるかどうか存じませんけれども、昔のいわゆるごろ新聞のように「今さら活字はどうなるものでもない」というような受け取り方をしておられる大臣のこの御答弁は、これまた別な意味で大きな問題になる。現に問題になっている。そこで、これは一体ほんとうにそういうことが書いてあったのか。私が今資料として持っておるその返信の写しと、それから大臣のところへ来たものとは違うものかどうか、これをお尋ねしておるわけです。
  14. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今湯山さんの読み上げられました返信の写しは、本物と違っていないと思います。私が野原さんにお答えしましたときに、その返信の文章までもはっきり念頭に浮かばないままに、私の気持を、気持だけでもってお答えしたものですから、言葉が足りないことと、不正確な部分の両方がごっちゃになっていると思います。その点は私も遺憾に存じます。私が申し上げました意味を注釈を加えさしていただけば、今申し上げましたように、具体的な民族名前をあげつらったことは、衷心より恐縮に思っておるので、無用なことだといまだに思います。ですけれども、ことさら包括的に劣等民族視するということは、論理的にもそういうことがあるはずがございませんし、長短おのずからあるわけですから、長所だけを、とかくこのごろの若い者は忘れがちだから、長所もあるぞということを強調したい、同時に短所もある。長短それぞれ長所を伸ばし短所をためる努力をする責任がわれわれ日本人としてはあるんじゃないか、それも先祖に負けない気概を持ってやるべきだということを説かんとして申し上げたわけであります。従ってその具体的な民族名前部分は、新聞に書かれても私は一言もない。まさに事実であることを明確に私も記憶しておりますから。ただ、それをさらに追っかけて包括的に、劣等民族であり、さらにそれがお前たちの祖先の不変の努力が足りないせいであるということを言った覚えはないという点で、取り消し要求をしましたが、新聞社の方では今お読み上げになったような趣旨のお返事をちょうだいしました。それに対してさらに、反証をあげるだけの根拠が私には客観的なものがない。私の記憶と私の秘書官記憶とを根拠にして、まさにそれが事実そのものであると思ったから取り消し要求の文言にいたしたわけでございまして、それでもなおかつ今読み上げられましたがごとき新聞社側の意向が出てきますれば、それに抗しようもない。具体的にはそれにさらに抗弁する根拠は私にはございませんから、いわば泣き寝入りといえば泣き寝入り、いわば加害者の部分被害者部分と両方あるという気持であるものですから、そのことをとっさに野原さんにお答えしました言葉が十分でなかったことを今にして思います。その点は遺憾に思いますが、これまた心理的な内容を申し上げますれば、私はそう思っておるわけであります。
  15. 湯山勇

    湯山委員 そういう意味大臣被害者部分と加害者の部分とがあるということならば、それは確かにそうだったろうと思います。ただ、特にこの際大臣にそれに関連してお尋ねをしたいのは、よく世間では、弱い者は新聞に書かれれば泣き寝入りする、強い人はかなり具体的の事実を述べられてもそれは新聞の間違いだということで、逆に新聞の方が泣き寝入りする、そういう事例が間々あるということを大臣は御存じですか。
  16. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 あるかもしれぬと思います。しかし、私だけにとりましては、新聞その他の報道と私の言動と違いましたときに、私が静かに思いめぐらして、事実であった部分についてそれを報道機関のせいにしたことは一ぺんもないと思っております。またそんなことがあってはいけない。具体的には私はそんな記憶はございません。一般的にはあるかもしれませんが……。
  17. 湯山勇

    湯山委員 そういう前提のもとに大臣被害者でもあるし加害者でもある、こういうことだと思います。そこで、非常に突き詰めたことをお尋ねして恐縮ですが、活字になったものは仕方がない、そういう意識大臣は心理的にはお持ちですか。
  18. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それは今私が申したように、自分だけでは処しておるつもりですから、自分にはございません。ございませんが、野原さんにお答えしたことについて申し上げますならば、被害者的な印象が私には半ば残っておったものですから、それを中心に、それだけをつい申し上げ過ぎたということが、今お読み上げになった誤解等になっておる、こう今思い起こします。
  19. 湯山勇

    湯山委員 それは愛媛新聞から大臣に対しての回答でございますね。これは十万人以上の読者を持っておる、地方としては大きな新聞です。先ほど返信の一部分は申し上げましたが、その返信には決して今大臣が言われたような意味のことはなくて、むしろその返信はきわめて紳士的な良心的なものであったということはお認めになるわけでございますか。
  20. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そう思いますから私は泣き寝入りをせざるを得なかったのだろうと思います。
  21. 湯山勇

    湯山委員 泣き寝入りという言葉大臣だけがそうなのかどう冷そんなに泣き寝入りをするような弱い文部大臣じゃないと私は思うのです。そういうことじゃなくて、条理を尽くした返事があったので、納得したという意味を強調して言われた言葉でしょうか、泣き寝入りというのは。
  22. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そうデリケートに追っかけておっしゃいますと、返事がしにくくなるのでありますが、それも半々でございます。
  23. 高津正道

    ○高津委員 関連して。これは大臣の学力テストでなくてイデオロギー・テストのように、こう横から聞いておると見えるのでありますが、事は非常に重大だと思います。一国の文教を担当する国務大臣が、日本人長所をさんざんほめたあとで、朝鮮人アフリカ土人というように、それに対比するものとして打ち出してある以上は、それは劣等民族なり、こういうことを言ったと同じことになっておるのであります。私はこの間在外公館で、ある大使の情勢報告を聞いておりましたところ、ベルリン問題に触れて、ソ連の言い分は一つも言わないで、全くアメリカの代弁だけをわれわれに報告されるので、ソ連のこういう言い分ぐらいは入れて何とか言ったらどうですかと言ったところが、一から十までソ連の言い分というものを全部否認するので、私は仕方がないから、こんなのを相手にしてもしょうがない、多数党の保守党が作っておる政府の指令に基づいてあなた方は行動をされるので、野党の一国会議員が今ここで批評したところであなたの態度というものは変えられるものではあるまい、それはわかった、しかしあなた方は多くの機会に新興勢力というか、低開発国の外交官とお会いになる場合もあろうから、その際は理解ある態度で接して、日本に同情を求めるような、理解を求めるような態度で臨んでほしい、このぐらいなことは望んでも政府の方針に反するものでもあるまい、こういうことを私が大使に言ったら、その大使は低開発国の外交官に接するのは頭を下げればいい、下手に出ればいい、そんなものじゃありません、こういう戦闘的な答えであったのです。私には、それは外交は専門家にまかせておけというニュアンスに受け取れましたよ。ところが外国で一等書記官か参事官を勤めていた人間が今国会に来て随員になっているのです。その人がホテルへ帰る途中体験談を話しました。私は外地にいるときに低開発国の一外交官が帰国する場合に飛行場に見送りに行ったところが、ついてきた諸君も非常に喜んで、日本語で話しかけてきた。平素は日本語で日本の外交官に話すということはないのだが、日本の大学卒業生が非常に多いので、話せば日本語が話せる連中なんです。その後彼らだけの集まりに私もときどき招待するので行ったところ、日本語で肝胆相照らしていろいろ話し合ったのですが、そのときに言いにくそうに、日本の外交官は非常にいばっておられるように見えてどうも近寄りにくい、こういうことをしゃべったという体験談を私は聞いたのであります。列国議会同盟の会議に臨んで、ソ連の代表の団長が会議がちょっと休憩になったときに、ナイジェリアだとかラオスだとか黒い色の諸君の代表たちのところへ近寄っていって、いとも軽い身振りで飲みに行こうというのでサロンヘぞろぞろと引っぱっていくのを見たのであります。そのサロンはベルギー政府の好意で、代表はいつでもそこへ来て軽い飲みものを何でも無料で飲めるのでありますが、そういうように各国の国会議員といえども、外交官といえども、熱心にいわゆる新興勢力というもの——国連において多数をだんだんに占めていっておるところの勢力に対して、そのぐらい留意を払っておるのに、日本荒木萬壽夫という一人の国務大臣が、日本長所をぶちまくって、そしてその対比物として朝鮮人とかアフリカ土人ということを持ってくるのは、その大使の考え方と全く同一であって、世界は動いておるのに、まるで一時代前の感覚で日本の行政を担当しておるので、民族の将来にとっても、日本の国際的な立場を考えましても、非常に嘆かわしいことであると私は思うのであります。池田総理が渡米してお帰りになりまして、日本大国論を振り回される、それらが在外公館におる外交官の諸君に——全部じゃありませんが、古い頭の諸君に一そう拍車をかけるような結果になるのではあるまいか、そういうことまで私は連想したのであります。今同僚湯山議員の追及はのらりくらり逃げればいいというものじゃなくて、ほんとうにあなたのイデオロギーはどうしたら直るのか知らぬが、私はやはり政治をやる者として国を憂え、あえてどこもかしこも本質がのぞくその考え方の根本を何とかしてお改め下さることを切に要望いたします。
  24. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ただいま御注告と考えられることをおっしゃっていただいて、一部参考になるかとも思いますが、私のものの考え方は間違っていないと自分では思っております。ただ日本民族と他の民族との関連において感情的に誤解を招くような表現があったことを遺憾の気持で先ほど来申し上げておるわけでございます。  私は余談を申しておそれ入りますが、満州国の役人を三年いたしまして、漢民族とも朝鮮民族とも一緒に仕事をして三年おったことを思い起こしますが、他の民族に対してことさら蔑視するような態度をとることが日本人がよく思われることではない、こんなばかなことはあり得ないという考えを三年間いたして参りましたが、朝鮮人とも漢民族ともほんとうに胸襟を開いて暮らし得たと自分では思っております。その私の主観は今日文教の責任者になりまして、先ほど来御指摘になりましたような話に及ぶといたしましても、表現のまずさは重々恐縮な点はございますけれども、私の信念なりものの考え方なりということから、今御指摘になるようなことが当然出てくるのだ、いばっておる、外交官みたようなやつだと断定されるのは少し当たらない御批評かと自分では思ったわけでありまして、そのことは答弁を必要としないことですけれども、私の心の中のことにお触れになりましたから、自分で思っておることを蛇足ながら申し上げさせていただいた次第でございます。
  25. 湯山勇

    湯山委員 それで事実関係のことは大体わかりましたが、大臣はその当時の講演の中でこれだけのりっぱな文化を持つ民族はほかにはないということをおっしゃったと思いますが、これはどうでしょう。
  26. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 具体的に一々例をあげて指摘しましたその限りにおいては、日本人がそううぬぼれるのじゃなしに、外国人がそう言っていることを引例して申しましたので、そういう点については外国人の批評が一応当たっておると考えますから、そういう部分については大いに自信を持ってよかろうという感じを申した記憶でございます。
  27. 湯山勇

    湯山委員 表現はこれだけの文化を持つ民族はほかにないという表現になって表われておるわけです。そうすればほかの民族よりも日本民族は優位にあるというようなことをお考えになっておられるのでしょうか。
  28. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 日本人は少なくとも外国人から正直者だ、勤勉だ、手先が器用だ、しかも近代的な普通教育が普遍的に成果を上げておるという角度からほめちぎられていることは事実であります。また、ほめられながら現実を見通してみましても、これまた明治以来のわれわれの先輩の努力によって、まさにそういうことであることを確認いたします。そういう点については、全世界の民族に、諸君どうだと言いたいぐらいの気持を私は持っております。だから、その点はもっとお互いに努力して伸ばしていくべきじゃないか。ただし、やれ気短かだ、なんだかんだという短所指摘される。そういう点はわれわれが思いをひそめて短所をため直していくという権利と責任を持って今日本人として生を受けておるのだ、しっかりやろうじゃないかということを申したのでありまして、その間話を聞いていただいても、他の民族を劣等視して、さげすんで、ひとりよしとするということじゃないことはだれしも感じてもらえる内容を話したと思っております。
  29. 湯山勇

    湯山委員 今、大臣の御答弁の中で、前半は確かにおっしゃいましたけれども、後半にはお触れになっておりません。私どもも、日本民族がすぐれておる点があるということはもちろん認めておるし、むしろその他の面で文化的な、あるいは民主的な平和的な国家として世界の国々から敬われる国にならなくちゃならないという努力はわれわれ続けなければならない。文教の最高責任者としては、今おっしゃったような、半分だけおっしゃって、それでこれから努力しなければならないことを抜いてお話しになる、そういうことは、どこか大臣意識の中に民族劣等民族と優秀民族、こういう区別をする、そういう意識がおありにならないでしょうか。もしおありにならないんだとすれば、そういう言い方が、今言ったような誤解——大臣言葉をもってすれば誤解を生んだということにはならないのでしょうか。
  30. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は常に両面を申しております。ただ、言葉の数が前半と後半と、多い少ないはそのときの時間の都合等によってございますけれども、必ずお話論旨として当然両面を言わなければ思い上がったばかものだと言われることは必至であります。私は常にこのことに触れますときには、大東亜戦争で日本民族は優秀だということが言われた、それは思い上がった立場から言った傾向が顕著である、私が今言っておるのは、日本人が思い上がって言っているんじゃない、外国人がおりに触れて日本民族を批評するときに、少なくとも欠点もあげつらうだろうけれども、長所としては今申したようなことを言ってくれている、それはわれわれが国内を見通しても事実だ、だから、これはわれわれがそういう長所を持った民族の一人として生きていることは喜ばしいことだ、祖先のおかげでそういう文化と、民族それ自体として、あるいは狭いながらもこのよき国土に生まれたことを感謝せざるべけんやと思う、感謝は、当然われわれが日本人として生きておる立場においての責任だ、一生かかって先祖の意思に添う努力を棺のふたをふさぐまでにやるべきだと思う、そういうふうにやろうじゃないかという論旨を常に申し上げているので、湯山さんが、前半だけ言って後半言ってないとか、いろいろ御批評ですけれども、それは言葉の数の多寡等はございましょう。しかし、話の内容というものは、私の念頭にある人様に申し上げんとする本意は以上のところにございまして、愛媛県で話をしましたときも、言葉は少し少なかった点はあったかもしれませんが、その点に私は欠陥はなかったと思っております。
  31. 湯山勇

    湯山委員 覚えがあるとか、そういうようなことでは事は解決しないと思う。というのは、私が申し上げたい点は、大臣はそういう自分の所信をお述べになるということじゃなくて、そのときの話は、日本教育はどうあるべきかということを当初述べておられるわけです。その日本教育の中で、逆に言えば、地理、歴史をもっと教えなくちゃならぬ、その地理、歴史歴史内容というものは、先祖努力に感謝しなければならない、こういうことなので、その一貫したもの、そういう中から出てくるものは、ちょうど戦前の歴史教育のように、ただ単に、さっき大臣みずからおっしゃったように、神がかり的な民族礼賛ということが出てくる心配がある。これは私が言うんじゃないのです。当日聞いておった教育長の諸君が、あれじゃどうも戦前の歴史教育に戻る心配があるということを直接言っておるので、これも大臣ほんとうの声ですよ。ただ、今の民族差別のことと同時に、大臣教育観がそういう教育観じゃ困るじゃないか、そういう考え方で歴史、地理をしっかりやらなければならないということでは困るじゃないかというのが、今の大臣答弁と一貫して考えて、当時受講者の中から出てきた声なんです。これを私は問題にしているわけです。その点はどうでしょう。
  32. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほど来申し上げた通りお話をいたしまして、たくさんの方の中には聞き違いをなさった方もないとはいえないと思います。ですけれども、終始私の話を聞いていただく限りにおいては、今も申し上げましたように、その民族みずからがりっぱだとか、偉いだとか、単に思い上がるだけのことを人様の前で言うほど私も愚かではないつもりでございます。ことごとく国会を通じて申し上げました趣旨にのっとって申し上げたのでございまして、ただ湯山さんがおっしゃる意味が、そんならそれはいいから、もっと一人でも聞き違いのないように巧みに話せという御忠言ならばありがたくお受けしますけれども、私の考え方それ自体が基本的にただ単なる単純なる復古調であると断定されることには私は異議がございます。
  33. 湯山勇

    湯山委員 この際大臣に特に要望もし、御答弁もいただきたいことがございます。それは一国の文政の最高責任者である文部大臣の発言というもの、特に公式の発言というものはよほど慎重でなければならないと思います。それは大臣自身もよくおわかりだと思うのです。ところが、当日の大臣の話を聞いた者の印象は、実は大へん恥ずかしかったという印象も多分に受けております。しかし、むずかしい中で大臣をするのだから、あれくらいの向こう意気がなくちゃならないじゃないかというのは好意的な人の意見です。今私の質問を通しても、大臣はいろいろ間違えであったこともお認めになるし、不用意であったこともお認めになるし、そういう面も多分にございました。しかし、それが今不用意であった、あるいは取り消すということで済むものじゃなくて、一国の文部大臣のそういう公式の発言というものは、実際には何百万の子供たちに何らかの形で影響を与える、こういう自覚大臣の常々の言動になければならないと私は思いますが、それは大臣はどうお考になるでしょうか。  それからさらにこの際言いにくいですけれども申し上げたいことは、大臣のお言葉づかいです。これは人それぞれ性格がありますけれども、きょうも大臣の御答弁の中にはばかとかなんとかいう言葉が出て参りました。こういう言葉は一ぺん出すと、あと何の抵抗もなくて出る言葉だと思うのです。しかし、やはり一国の文政の最高責任者としては、たとえばそういう講師はばかだとか、あるいはこういうことを言うのはばか者だとか、そういったようなことは私は望ましい、好ましい言葉ではないんじゃないか、あるいはばか者どもがとか、あるいはチンピラどもがとか、あるいは暴力団だとか、つまみ出せだとか、そういった大臣の当日のお言葉の中にはかなり激しい言葉が出ておりました。そういう言葉を聞いておる教育長の諸君は、実は恥ずかしかったということを率直に言っておるのです。話の内容もですけれども、そういう言葉づかいも、もし言い過ぎであればお許し願うとして、私としても文教に関係しておった者としては、一国の文部大臣というものはあらゆる面から国民の崇敬の的である、あるいは敬愛される的であって、少なくとも同じ教育に携わる者が大臣の話を自分で聞きながら恥ずかしい思いをする、そういうようなことは今後気をつけていただいた方がいいのじゃないかと私は思うのですが、いかがなものでしょうか。
  34. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は閉会中の演説会等でしゃべりましたことにも、すべて国民に対して責任を持たねばならない心がまえを持っております。ただ表現します言葉等が、私のいなか育ちのゆえに、ボキャブラリーが貧弱なゆえに、ついとっさの場の言葉を使ったりしまして、あと考えてみて、もっと洗練された表現をけいこしなければならぬと思うことはございます。そういう意味で、お前はもっと勉強しろということをおっしゃっていただいたと思いまして、今の御意向になるべく沿うように努力したいと思います。
  35. 野原覺

    野原(覺)委員 関連。ただいま湯山委員からいろいろ質問がなされたわけでありますが、実は私は予算委員会で時間があればもう少しお尋ねをしなければならぬ点を痛感いたしておったのでありますけれども、時間がなくて中断いたしておるのであります。今、湯山君との問答を承っておりますと、どうもはっきりしないのです。文部大臣のお考えが私にはどうしてもまだ明確につかめない点があるのであります。そこでお尋ねをいたしますが、劣等民族とはおっしゃらなかった。これを言ったら大へんなんです。朝鮮人アフリカ人劣等民族だ、これは国際的に大問題になります。アフリカ土人は最近独立をし、朝鮮民族は残念なことに南北二つに分かれてはおりますけれども、やはり独立の気概を持って、韓国にしても北朝鮮にしても、日本から解放されてからの朝鮮は、やはり非常な民族的な努力を続けておるわけです。そこに持ってきて朝鮮人劣等民族だなんということを政府の閣僚が、しかも数百名の教育長を前にして講演をする、こういうことになったらこれはゆゆしい問題です。ですからこれはあなたのおっしゃったように言われなかったということを私も信頼したいのです。信じたいのであります。私はこの問題には触れたくはないのであります。国際的にも大問題になりますから……。だから、この点は愛媛新聞が取り消さないそうでございますけれども、あなたのおっしゃっていることを私は信じていきたいと思う。あなたが誠意を持って国会において陳謝なりそれから所見を述べておるわけでございますから、そのことを私は信じて、私どもはそういうことであったかなという了解をして参りたいと実は考えておるのであります。そういう立場でお尋ねをしたいのです。そういう立場で、なおもう少し明確におっしゃっていただかないと、これは単に北朝鮮の日朝協会だけではないのです。韓国の韓国人居留民団も大問題にしておるのです。あなたのところに抗議に行かれた諸君は一応納得したような形で帰られたかもしれませんけれども、その後私がお会いしたところによると、まだ釈然としていない。機会あらばやはり問題にするといきまいておる者も、抗議に行かれた諸君の中にかなりおるのです。従ってこれが誤解をされて、国際的に流されるということになると、これは私は池田内閣の大きな問題であろうと思う。あなた個人の問題だけでは済まない。そこでもう少し明確にしていただきたい第一点は、劣等民族とはおっしゃっていないけれども、朝鮮人アフリカ土人という名詞を使ったことは遺憾だと、こう言われるわけでございますが、私は朝鮮人朝鮮人——アフリカ土人という言葉には侮辱の意味がありますけれども、何もその名詞だけが遺憾ではなかろうと思う。あなたの愛媛新聞記事を見ると、「よくぞ朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかった。」やはりここではないかと思うのです。劣等民族と言わなくても、やはりわれわれが朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかったということの裏を返せば、朝鮮人アフリカ土人はやはりわれわれよりも劣っておるじゃないか、こういうようにとられるわけですね。だから劣等民族という言葉は、それはいろいろ聞く人によって——あなたはおっしゃっていないというから新聞が間違いであるかもしれない。しかしながらよくぞ生まれなくてよかったということをおっしゃったのですか。この点はどうです。
  36. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 よくぞ外国人に生まれなくてよかったという意味で、つい具体的な名詞を使った点が誤解を生むもとですから遺憾であると申し上げております。裏を返せば日本人の一人として生まれたことを喜びたいということを申し上げたのであります。(拍手)
  37. 野原覺

    野原(覺)委員 あなたの今裏を返せばということで、自民党席から拍手があったのですが、私はその点をもう少しお尋ねしてみなければならぬと思うのです。それはあなたの、この新聞記事でこういうことがある。「これだけのすぐれた文化を持つ民族はほかにない。これは先祖努力たまものだ。劣等民族先祖努力がなかったからで、われわれはよくぞ朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかった。」この点が実は第一の問題点でございますが、これだけのすぐれた文化を持つ民族はほかにはないという、こういう断定の仕方ですね。私は日本人の一人として、日本人に生まれたことを私も実は誇りにも思い、うれしくも思っております。しかしすぐれた文化を持つ民族はほかにない、われわれだけだという、こういうようなものの考え方はこれはいささか問題があるのではないかと思いますが、どうお考えになりますか。あなたはほんとうにほかにないと考えておるのですか。
  38. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それはさっき湯山さんのお尋ねにもお答えしました通り、こういう長所があると外国人が見てくれておる。われわれを取り巻いておる文化をかりに考えても、たとえば建築にしてもあるいは絵画、彫刻その他手工芸に至るまで、日本の芸術なり文化というものは相当高く評価されておる、こういう文化を持つ民族はほかにはないということでございまして、民族それ自体の長所短所についてもさっき申し上げました通り、芸術、文化等の角度から見ましても、あらゆる民族にすべての点ですぐれているなどと思い上がる考えは間違いだと冒頭にも申し上げてお話を展開しておるのでありまして、例示しましたような、こういう文化については外国人がすぐれておると言っておるのだから、その点については日本は大いに誇らしく考えてよろしいというニュアンスのことを申したのであります。これは前後の論理体系ないしは全体の話のニュアンスを判断していただきませんと、単にそこだけをとらえて、そう言った以上はすべてあらゆるものが他の民族よりすぐれておるとお前は思うかと御質問なさいますことは、私の真意とはだいぶんかけ離れておるわけでございます。ただ表現の上手、下手という点で、もっと適切であれという御指摘であればわかりますけれども、そう思ってそう言ったんだろうとおっしゃることには私は異議がございます。
  39. 野原覺

    野原(覺)委員 それから同じく愛媛新聞記事でございますが、こういうことをおっしゃっておるのでございます。日教組五十万の組合員中には三千人の共産党分子がいる、あとの四十九万七千人の善良な教師を守るためにも、これらの三千人の分子をつまみ出してもらいたい。こういうことをおっしゃったのですか。日教組には三千人の共産党員がおる、これは文部大臣が言うのですから、聞かれた人はだれもそう信ずるわけです。そして四十九万七千人の教師は善良であるから、この教師を守るためにもつまみ出せ、あなたが教育長に向かって号令をかけている。こういうことを言われたのですか、お尋ねします。
  40. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は、昨年の臨時国会でございましたか、公安調査庁長官が政府委員として国会で御答弁申し上げたことを速記録で見ました。それによりますと、三千人余りの共産党員がおって、中央地方の幹部として活発な行動をしておるということが明らかになっておりますから、三千人余りということはそのことを援用いたしたのであります。同時に日教組という団体の目的意識は私は間違っておると信じております。これは国会でも私の考え方はお答え申し上げております。その間違った団体の動きあるいは目的意識、その中で幹部として末端に指令を発する立場におる人々は私は間違っておると思います。従って、そういう人々には文部大臣という立場においても反省を求めたいが、教育は結局は主権者たる国民のものと思いますから、国民という立場において父兄の方々も十分に教育の場に関心を持っていただきたい、また教育長方々も、文部省と一緒になって、先生方とも一緒になって、国民に奉仕する立場でありますから、憲法なり教育基本法なりその他の法令に基づいて、そののりを越えないでサービスこれ努める立場にあるから、今申し上げたような趣旨で反省を求める努力に協力してもらいたい、幾ら反省を求めても改めないとならば、ほかに手がない、教育の場から去ってもらうよりほか手がなかろう、そういう考え方で御協力を願いたい、私はこういうことをお話し申しました。
  41. 野原覺

    野原(覺)委員 あなたは、つまみ出してもらいたいという言葉は実はこの愛媛だけではないのです。全国の新聞を私も念のために調べてみましたところ、通常国会が終わりましてから臨時国会になるまでの間、方々講演をされたのです。その講演は、ことごとくが今あなたの言うような信念に基づく日教組の罵倒攻撃であります。何ら一片の教育政策もない。教育経綸の披瀝もない。罵倒攻撃。それはあなたが御勝手になさるのでございますから、これはあなたの信念でやっておることでございますから、これには、問題がございますけれども、ただいま私は触れません。ところがその最後にどの新聞記事も書いておることは、つまみ出せ、つまみ出せ。一体つまみ出せというのはどういうことでしょうか。教育長でしょう。市町村教育委員会は任命権を持っておる。その任命権を持っておるところの教育委員会の教育長に、つまみ出せ、つまみ出してもらいたい。具体的にはどういうことですか。
  42. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 具体的には法令に違反した行動が今までの実績を見ましても、新聞記事だけから見たってずいぶんあるように思われる。そういうときには法治国家たる日本においては、法律制度に従って厳粛に行動してもらいたいという意味であります。
  43. 野原覺

    野原(覺)委員 それならばそのように言うたらどうですか。それならばそのように言ったらどうですか。あなたが今ここで答弁されるように言ったらどうですか。それをつまみ出せ——こういうような品のない言葉で、一般世間の人の受け取る受け取り方はどうです。つまみ出せ。それからあなたはチンピラ、大ばかやろう、薄のろ。私はこの人は大へん語彙の豊富な方だと思って、実はその点では感服しておったのであります。実にえらい言葉を知っておる。大ばかやろうのこんこんちきやろう。あなたは新潟で七千人のPTAを前にして講演をした。大ばかやろうのこんこんちきやろう、薄のろ、こういうことを言っておる。だから日教組に批判があるならば、日教組のここが間違いだと言うことは、私は言っていいと思います。あなたは文部大臣ですから、当然大いに言って下さい。日教組の間違える点を国民に訴えることは必要でありましょう。その場合になぜ日教組と言わないのでしょう。日教組の先に日教組のばかもの——講演の中で大ばかやろうとくるのです。これを聞いた——PTAの全国の役員でありますから、かなりの地位の方々です。どちらかというとこれは保守的な人々が新潟では多かったと私は聞いております。各都道府県から選ばれた会長が七千人新潟に集られた。あなたがお帰りになってからこのことが討論会で大問題になったのです。これは日教組新聞ではございません。日本教育新聞記事を見ると、その大問題になった記事が出されて、全国のPTAの会長はつるし上げにあったのです。君はそういうことを知って荒木文部大臣講演をさせたのかと詰め寄られた。教師からではありません。一般の会員から詰め寄られた。そこでその会長は困って、いや私は文部大臣にあいさつをお願いに行きました。そしたらああいうことになったのだ。一時間半話をさせてくれということであったけれども、私は四十分で実はがまんしてもらった。日教組の攻撃をしてくれなどという講演を頼んだ覚えはさらさらない。こう言うものですから、ではそうか、その点は了解するということで解散をしておるのであります。それで大ぜい集まった人が異口同音に言ったことは、やはりPTAの人ですから、学校給食に対する考え方を聞きたかった。あなたが旅先で国定教科書は理想的だということを愛媛で話しておるのですから、あるいは義務教育費無償の精神を実現するために、全額義務教育学校では子供に本をただで政府はやろうというような新聞発表もあなたはしておるのですから、そういうことも実は聞かしてもらいたかったに違いない。ところが徹頭徹尾大ばかやろうのこんこんちきやろうで一時間半終わった。だからこの人たちは、こういうことを会長が文部大臣と示し合わせて講演をさせたとするならば大問題だということで、実はつるし上げになったのです。ところがあなたが新潟のこのPTA大会で講演をされて一番最初に言われたことは、私は日教組を批判する。そういうことを前提にしてこの講演に来たのだということであった。そこで会長は実はつるし上げを食らっておるのでありますが、あなたと会長の全国PTA大会に出席する場合のお話し合いというものはどうだったのですか。あなたは、おれは一時間半日教組の攻撃をやるからいってもいいか。そこで会長がよろしゅうございますと言って行かれたのかどうか。実は私のところに保守的なPTAの役員から、この問題は究明してもらいたいと言うてきておるのです。だから私は全国の会長にも場合によっては国会に来ていただこうと思うのです。これはどういうことなんですか。全国のPTA大会で大問題になっておるのです。あなたの講演を聞いて、人をばかにするなと言ってみんな席を立って各県に帰っておるのですよ。この辺の経過を御説明願いたいと思います。
  44. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 午前中に優良PTAの表彰式をやる、それで当然行くことになりまして、そのあとで特別講演会というようなことで、一時間ばかり時間があるから何かしゃべってくれということでありました。別に注文もございませず、私も一時間ばかりならば、——下手の長談義になるおそれがあるけれども、一時間ばかりちょうだいすれば、何か一つお話し申しましょう、こういうことで伺ったのであります。私の話の内容は、私の責任におい  て申し上げました。
  45. 野原覺

    野原(覺)委員 私の質問に対する御答弁がなされていないのだが、PTA会長とあなたは日教組の攻撃をするということを約束をして登壇されたのですか。それともあなたはどういうわけでこの講演を受諾されたのですか。それはあなた御自身の問題ではない。PTA大会があなたに講演を御依頼したというのは、一国の文部大臣から話を聞きたいということで行ったわけです。ところがあなたのお話内容は、ただいま私の言った通りでしょう。これは私は否定されないと思う。あなたはどこにも教育政策のせの字も言っていない。今全国高等学校の全員入学の問題もあるし、来年度、再来年度、義務教育の中学校の卒業生をどう収容するかということも問題になっておるのです。こういう最も関心の深い点には一言もお触れにならないで、徹頭徹尾三千人の共産党員をつまみ出せ、日教組の幹部はチンピラ幹部、薄のろだ、大ばかやろうだ——出ておりますよ、新聞に。講演の至るところでそれを言っております。これはきのう岩手日報の記事を出して山中君が指摘をしましたが、私はかりに問題があるとしても、このような実に品位のない、これは一体どういう人々の使う言葉ですかね。こういうようなことをあなたが言われておるのだが、その話し合いというものは、どういうことだったのですか。あなたが登壇をするにあたっての会長との間のお約束というのはどういうことであったのですか。そこら辺を御説明願いたい。
  46. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今申し上げました通り、特別講演会ということで、一応予定されておる時間が一時間ばかりあるのでというお話でございました。私はとかく下手の長談義になりますから、一時間ばかりではどうかと思いましたけれども、それくらいちょうだいすれば、何かお話し申し上げましょうということで参りました。お話内容は、さっき申し上げた通り、私の責任において申し上げたのであります。なるほど私は教材のことも重大であることはわかっております。さらにまた教科書の問題も、憲法にさかのぼって考えないまでも、重大な課題であると思います。その他もろもろの課題があることはむろん承知いたしますが、教科書といい、あるいは学校施設の整備といい、教材の整備といい、もろもろの教育条件の改善は何のためかといえば、教育そのものがよくなるためにこそ努力する値打があると私は思います。それにもかかわらず、日教組の倫理綱領に根ざしておるものの考え方というものは、端的にいえば、共産革命のにない手として育て上げるということは明瞭であります。ですから、そういう考え方でやられたのでは、ただいまやっている給食も何のためのものかわからないじゃないか、学校施設の改善も何のためのものかわからないじゃないかということをおそれますから、そうしてまた、日教組の一部の人々の考え方なり倫理綱領というものは、国民一般は御承知ありませんから、そういうことに根を置いて、十年この方いわばばかなことをやっておると私はかねがね信じておりますから、そのことを申し上げることが根本的な課題として必要であろうと私が信じまして、PTAの方々お話を申し上げたのであります。お話の上手、下手、用語の拙劣さ、洗練されていない等の御批判は、これはどうも甘んじてお受けするほかはございません。ただしかし、今後十分注意をして、洗練された表現をする努力をしなければなるまいとは思っております。
  47. 野原覺

    野原(覺)委員 参考までに、この新聞が収録した記事を、短いですから読んでみます。荒木文相の日教組批判については、参加者の多くが批判的に受け取った模様であった。一国の大臣が、政策については一言も触れず、教師をばかやろう呼ばわりするのは良識がないではないか、これはある人の声です。その次に文相はPTA大会を踏みにじったという意見が多数出た。全体討議でもこの点を追及する意見が多く、かなりの混乱状態になった。そこで会長が立って陳謝したものですから、結局はPTAからそのような内容要求したものではなかった。文部大臣が勝手にしゃべったのだ。それならば司会者並びにその全国PTA大会の役員諸君の説明を了としよう、そう言ってふんまんやるかたなく集まられた人々は、あなたの話に感激するどころか、実は憤慨して帰っているのです。私は、あなたが日教組を批判することは悪いとは決して言いません。大いにやって下さい。日教組に間違い点があれば、これを父兄に訴えることは文部大臣としては当然です。やって下さい。ただこの批判をする場合に、あなたは言葉に洗練がない、私は修練が足りないからといいますが、あなたは文部大臣です。一介の平代議士ではありませんよ。それでは済みませんよ。そういう下品な言葉しか使えないのならば、あなたは文部大臣をやめるべきですよ。いやしくも七千人も集まった全国PTA大会から批判されるような講演しかできないならば、あなたはやめるべきですよ。私は予算委員会でこの点を池田総理に追及したかったのですが、一般質問で総理は出ないし、また時間もないので触れなかったのですが、これは非常に遺憾にたえない。しかも新潟ばかりではない。愛媛でも岐阜でも岩手でも宮崎でもそうだ。私はそこのローカル新聞を取り寄せて見ると、出てくる言葉は、ただいま言ったつまみ出せ、ばかやろう、これだけしか共通の言葉が出てこない、こういうようにして全国を講演して歩かれるようなことで一体池田内閣の文部大臣が勤まるのか。そうして中には朝鮮人アフリカ土人に生まれなくてよかったと放言する。大体あなたはILOについてもそうです。脱退辞せずと放言する。そうして私どもから責任を糾弾されると陳謝する。この点は率直でいいのですが、それがたび重なることは軽率であります。放言をして陳謝をすると事が済むのではありませんよ。責任が残りますよ。その責任がたび重なるということは、文部大臣としていかがなものかと考えるのであります。  公安調査庁の關次長がお見えでございますからお尋ねしますが、日教組に共産党員が三千人いるということをいつかの機会にあなたの方で発表されたことを私も実は薄覚え記憶しておりますが、これはどういう調査で三千人の共産党員というものを把握されたのか、御答弁願いたい。
  48. 關之

    ○關(之)政府委員 たしか二年ほど前にあたると思いますが、例の勤評反対のときに文部省に対していろいろお尋ねがありました。当時三十四年であったと思いますが、私が文教委員会に参りまして、日教組内における共産党員は、当時で大体三千人前後いる、こういうふうに申し上げた記憶があるわけであります。
  49. 野原覺

    野原(覺)委員 それは二年前だということでありますが、二年前でよろしゅうございますから、あなたの方が共産党員が何名いるのだ、こう発表する以上は、調査になられた資料の根拠をやはりお示しになる必要がある。これは公安調査庁は何によって調べたのですか。
  50. 關之

    ○關(之)政府委員 調査は、結局共産党というのは一つの組織体でありまして、中央から県、地区、それから細胞、こういう組織体になっているわけでございますので、結局その組織の内容を調べるということに相なるわけでございます。  さて、いつ、どこで、どういうふうな調査ということは、これは率直に申しまして、調査はある意味において一くせを要するわけでありまして、あまり具体的に申し上げますと、こちらの手の内が暴露されるわけでありますので、この程度で御容赦いただきたいと思います。
  51. 野原覺

    野原(覺)委員 それはこれ以上できないからあなたは御容赦いただきたいと言うけれども、私どもはそれでは了承できない。いやしくも何政党に属するかということは自由なんです。従って、だれが何政党に属するかということを発表されてもこれはかまいませんよ。その人の人権無視にはならない。だからこそあなたの方も調査をされたのです。従ってどういうわけでこういう数字を把握されておるのか。共産党の組織から調べたと言いますけれども、共産党ではそういうことになっていないと言っておりますがね。三千人というのは架空じゃありませんか。架空な数字を国会でお述べになったということであればこれは問題になりますが、架空でないならば、その資料の根拠、どういうふうにして調べたかということを、これは国民に発表すべきです。手の内と言いますけれども、秘密探偵じゃないでしょう、あなたの方は。自民党員であれ共産党員であれ、教員は政党支持の自由がある、何党にでも入れますよ。ただ若干の法令によってその党の役員になれないという規定があるだけです。党員になることは自由なんです。だからこれは遠慮は要らぬと思う。手の内も何もない、もしもあなたの方で、手の内を心配されるくらいあなたの方は秘密調査をやっておられるのか。そうじゃないでしょう。公安調査庁というのは国内でスパイをやっているんじゃないでしょう。そうでなければ発表しなさいよ。どうして調べたのです。
  52. 關之

    ○關(之)政府委員 お尋ねの御趣旨は一応私も了解できる点でありまするが、しかし破壊活動防止法に基づく調査の根本の問題でございますから、少しその立場で、私どもの調査の基本的な考え方を御説明申し上げてみたいと思うのであります。  破壊活動防止法によりますると、暴力主義的破壊活動をする団体の疑いがあれば調査してよろしい、こういうことに相なっておるわけであります。従いまして、暴力主義的破壊活動をなす疑いがある場合は調べてよろしい、こういうことになるわけであります。  さてそこで、この調査は簡単に申し上げますと、ある意味においてこれは犯罪の調査に似ている。従って、犯罪の調査においてああしたこうしたということを、その調査の段階において申し上げることは、これはとうていできないわけでありまして、それに類するものがあるわけであります。もちろんそうかといって何もかもということを申し上げるわけではありませんけれども、申し上げられないことはどうしても申し上げられない。これはどうしても公安調査庁として調べなければならない問題である、こういうふうに私どもとしては考えておるわけでございまして、その点は御了承いただきたい、こう存ずるのであります。
  53. 野原覺

    野原(覺)委員 これは公安調査庁に要求いたしておきますが、この資料は一つ文書で出して下さい。そこで、なおこれは委員長にもお願いいたしておきます。公安調査庁がこのようなことを公言する以上は、その根拠を国会に示さないことのできないわけはないと思う。できないならば私どもはこれは問題にいたします。私どもはそのような秘密機関を設置することを承認した覚えはない。国会から要求されたならば、それが秘密なら極秘の判を押してでもよろしい。各県に何人の共産党員がおるのか、どの学校には一体何名おるのか、名前が出せないならばA、Bでもよろしい、そうしてそれが三千人になるのかならぬのか、こういうことを私は要求いたしておきます。早急にこれは出してもらいたい。なぜ私がこういう要求をするかといえば、共産党員は悪者だ、共産党員というものは破壊分子だ、共産党員というのは——私は共産党ではないけれども、弁護するわけではないけれども、合法政党なんです。荒木文部大臣はそう言って国民に宣伝をして回っておる。私はこれが実は問題であるから、そこら辺のことをはっきり数字を確めていきたいからこの要求をいたすわけであります。これはお帰りになって十分上司とも相談をして、すみやかに出すようにしてもらいたいと思う。  それから二年前が三千人でございましたが、今日ただいまは何人ですか。
  54. 關之

    ○關(之)政府委員 さっきのお求めの問題につきましては、たしか私の記憶では、一年前か二年前か、各県別の日教組内における党員数は、どこだかの委員会で御報告した記憶があります。ですから、当時のものであるならば——段階における総数はあとで御報告申し上げたいと思います、ただいま手元にありませんから。  さて、現段階に、今日になってどのくらい情勢が変化したか、こういう問題でございますが、これは三十四年の六月というものを共産党は基準にしておりまして、その後におきまして、党員倍加運動というものをいたしたのであります。それからその当時、私は、共産党員の全総数を約四万前後と踏んでおりましたが、最近は八万前後に相なった、こういうふうに向こうも発表いたしますし、私どもも大体そういう疑いを深めておるわけであります。  さてそこで、その増加が日教組内ではどうなっておるかという問題に相なりますが、これは情報によりますると、某県の日教組内の党員は数倍にふえたとか、あるいは二倍にふえたとか三倍にふえたとか、こういう情報がたくさんございますし、また「アカハタ」自体にも、この四、五月ころから各地域の日教組内における共産党細胞の活動が公然と公表されているのが数回も、もっともございました。それらを見ると、いずれも大いにふえて、そして拡大をいたす、こういうようなことが書いてあるのであります。  さてそこで、数的なことで申し上げますと、その三千名がどのくらいふえたか、党員総数は四万もふえたが、どのくらいふえたかということになりますが、私は、私の役所が現実に調査を進めておりまして、もちろんこれは及ばない面があろうと思いますが、一応日教紀内における今日における共産党員の疑いのある者は、約四千名前後、こう申し上げることができると思うのであります。しかし実際の数はおそらくこれをこしておるものであろう、私どもの調査がまだ及んでいない、こういうふうに大体判断をいたす次第であります。
  55. 野原覺

    野原(覺)委員 なお公安調査庁にお尋ねしますが、あなたの方は共産党だけではなしに、自民党も社会党も、すべての党員にわたって調査をされておりますか。
  56. 關之

    ○關(之)政府委員 そういうことは破防法の領域の全くの範囲外の問題でございまして、絶対そういうことはいたしておりません。
  57. 野原覺

    野原(覺)委員 そうすると、共産党員だけを調査するということは、どういう目的ですか。
  58. 關之

    ○關(之)政府委員 どうも破防法の講釈になりまして大へん恐縮でありますが、破防法は要するに破壊的容疑団体は調べてよろしい、こういうことに相なっております。そしてその責任は公安調査庁にある、こういうふうに相なるわけであります。  さてそこで、共産党はしからばどうかと申しますと、私どもは、昭和二十六、七年当時においては、明らかに共産党は内乱的構造によってある暴力的企図を敢行する、しようとした疑いがある、こう思わざるを得ないのであります。しこうして、しからばその後今日においてその根本的企図を変更したかいなかということになると、変更していないというのが私どもの考え方であります。これは各種の資料によって御説明できると思うのであります。これはたとえば昨年十一月の八十一カ国の世界の共産党の行動綱領を見てみましても、その中に、要するに、暴力を使うのは相手方の出方いかんであるという面もあれば、あるいはあるところにおいては、戦争によって事を行うのは当然であるということを書いてある面もございまして、それらの点は、私どもはどうしてもそう考えざるを得ないのであります。従って、共産党の基本的性格が依然として継続している限りにおいては、破防法によってこれを調べるのはまことにやむを得ない、こう私は考えるのであります。
  59. 野原覺

    野原(覺)委員 わが国内における破壊的容疑団体というものは、共産党とそのほかにございますか、あなたの方で考えておる破壊的容疑団体というのは……。
  60. 關之

    ○關(之)政府委員 左が五つ、右が五つ、こういうふうに今まで申し上げております。左の方は日本共産党、朝鮮人総連合、それから学生団体が三つ。全学連その他二つ、こういうふうに考えております。
  61. 野原覺

    野原(覺)委員 その破壊的容疑団体も、これは一ぺん出してもらいたい。左と右があるそうでございますが、私ども、これは知っておきたいと思う。破壊的容疑団体と公安調査庁が考えておるものは次のごときものであるということを文書でお出し下さることを要求いたしておきます。  そこでなお委員長にもう一点要求をいたしておきますのは、荒木文部大臣日教組はあたかも破壊的容疑団体であるかのごとき講演をしておるわけです。公安調査庁長官、いかがですか、日教組は破壊的容疑団体とお考ですか。
  62. 關之

    ○關(之)政府委員 私ども、との席で日教組の性格がどうであるかということは申し上げることはできません。ただ日教組にはただいま申し上げましたごとく、私どもが認めるだけでも四千あるいはそれ以上かもしれませんが、共産党員がそこにいるし、相当の役職の地位を占めている者もたくさんいる。こういう方々が現実にいて、その活動に参加している事実だけを私は申し上げるだけであります。
  63. 野原覺

    野原(覺)委員 それはすべての労働組合、すべての職員団体におります。共産党は合法政党ですから、共産主義がよいと考えれば共産党に入党するでしょう。そうして組合員から選ばれれば役職員になる。これは当然だ。そういうふうになっておるから破壊的容疑団体だと断定することができないのは言うまでもないことなんです。私は日本共産党がなぜ破壊的容疑団体であるのか、全学連がなぜ破壊的容疑団体であるのか、これはあなたの方から文書で提出されてからなおあなたの方にお尋ねしておきたいと思う。  そこで、荒木文部大臣は、破壊的容疑団体であるかのごとき講演を子供の父兄にするわけです。日教組というのは五十万の教師の結集体なんです。全国の教師がこの日教組に結集しておる。ところがこの日教組が破壊的容疑団体であると講演するわけでございますから、私は非常にこれは重大だと思う。私は日教組の出身議員として重大に思います。私は文部大臣の御承知のように前身は日教組なんです。だから日教組ほんとうに破壊的容疑団体であるのかどうか、私ども社会党はこれは大問題にいたします。事が重大でありますから、これは文書で文部大臣からどこが破壊的容疑団体であるか、どこが日本の国を破壊するものだと文書で出していただきたい。文書で出せないはずはない。あなたは国民講演をしておる。これは委員長にお願いをいたします。早急に文書で出すようにお願いをしておきたいと思うのであります。  それから愛媛荒木文部大臣は国定教科書にしなければならぬというような記者談話を出しておりますが、この点についてどういうお考えであるのか承っておきたいと思います。
  64. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答え申し上げます前に、最初資料要求のことについて申し上げたいと思います。  私は日教組という労働組合の一種である職員団体が、破壊的容疑団体であると申したことはいまだかつてございません。またそうも思っておりません。ですからその意味における文書によっての資料要求でございますけれども、今申し上げたことで御回答にかえさせていただきます。私が申し上げておりますのは、日教組の中に共産党員がおろうとおるまいとそれ自体は問題ではない。それ自身としては、今野原さんも御指摘のように何党を支持しても、個人たる教師の自由でございますから、そんなことを私は問題にしていない。ただ、日教組という団体のよって立つ組合綱領は、端的に申し上げれば、さっき申し上げた通り共産革命のにない手として青少年を育成せよということを信条としておる。これはきわめて明瞭であると信じます。そのことが教育基本法第八条にまつ正面からぶつつかるという性格を持っておるから、教育の場においてはけしからぬものであるということを一般国民も、末端の先生方もあまり御承知でないようですから、先生方のお集まりであろうと何であろうと、そのことの真相をお訴え申して認識を高めていただきたいという意味での講演をしたことはございます。日教組という団体それ自体を破壊的団体であるということは、いまだかつて申し上げもしませんし、思ってもおりません。  そこで教科書の問題でございますが、私は学校教育法の二十一条でございましたか、また二十条と二十一条と関連もしておると思いますが、義務教育の場における教科書は文部省が検定をしなければならない、検定をしたもの以外は使ってはいけない、検定をするにつきましては許可のことは文部大臣に留保されておる。それに基づきまして学習指導要領というものを決定し、そのものさしに従って検定をして、その教科書が使われる、こういうことで今日実施されておると承知いたしますが、そのことは実質上は国定教科書であると心得ております。ですからそういう制度というものは今後も続けていくべきものだ、こういう考え方を記者会見で申したのであります。それを聞いた人が、国定教科書というふうに受け取ったようであります。国定教科書という意味が実質上のことであるならば、現在といえども国定教科書である。こういう理解のもとに教科書のことを話した記憶はございます。
  65. 野原覺

    野原(覺)委員 とにかくあなたは誤解をされるような言動が非常に多い。あなたが日教組は破壊的容疑団体だと言ったら大へんです。言ったら大へんでございますから、そういう言葉は確かに新聞にも出てこないし、使ってもいないけれども、あなたの講演の中をずっと読んでみなさい、あなたの話をずっと聞いてみなさい、受け取る人は、日教組というのは国を破壊する、国の平和と秩序とを破壊する団体であるかのような受け取りをするような講演をずっとしておるのです。そうして子供の父兄と学校の先生との離間をはかっておる。これは文部大臣としてきわめて重大だと思うのです。あなたが文部大臣としての職責に忠実であるならば、日教組ほんとうにそうであるとお考えになるなら、なぜ委員長の小林君を呼んで、君の倫理綱領のここは一体どうなんだ、これでは現場の教師としてはいけないじゃないかと指摘して話し合いをしたらいいのです。自民党の前の文部大臣松田さんは、そういう態度であったのです。あの人も日教組には共鳴はしなかった。日教組にいろいろな批判を持っておった。批判があればあるほどこれは話し合わなければならないということでやってきたでしょう。それが国の教育を愛するゆえんではありませんか。なぜやらないのですか。それをあなたにやれといっても、それはなかなかおやりにならないであろうと思うけれども、ここら辺を考えていただかないと、国民はあなたの文教政策には共鳴もしなければ、ついてもこないですよ。あなたは一人よりがりに悪口ばかり講演をして回っておるだけです。それでは一歩も前進しません。現実に組織があるのです。現実に団体があるのです。その組織と団体に問題があるならば、あなたは話し合いをすべきです。大いに討論すべきです。そうしてその討論は国民に公開をして批判を求めるべきです。そこに初めて日本教育が前進するのではありませんか。カタツムリのようにあなたは閉じこもっておるでしょう。会わないでしょう。そこからすべての誤解が生まれ、そうして感情的な今日の離間が実は生じてきておる。これは日本の大きな不幸ではないかと私は思うのです。この点についてお考えを承っておきたい。
  66. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 倫理綱領に根拠を持ちます日教組という団体の目的意識なり、行動綱領というものは、私が会って話をし、討論をするからどうだという課題じゃないと思います。任意団体として、地方公務員法に基づいて存在しておる日教組という団体は、それ自身のものでございますから、これこそ民主的に全教師の意向を聞きながら改善すべきはするということでなければならない、干渉がましくかれこれ言うべきものじゃないと、むろん私は心得ております。ただ、批判をしなければわからないだろうと思いますから、批判をいたしております。その批判にこたえるがごとく、この春早々でございましたか、日教組の幹部の人が、記者会見を通じて発表しておることを新聞で見ました。それは、倫理綱領そのものは変えないけれども、解説の部分で、新聞表現によれば、どぎつい表現のところが数カ所ある、それをそのままにしておくと言葉じりをつかまれてうるさいから、それをやわらかく表現を変えようということにした、しかし倫理綱領そのものは絶対変わらないんだという注釈づきで記者会見を通じて発表していることを私は読みました。その後表現をやわらげたものはかくの通りだということを、参考的に私ももらって読んでみました。ある程度用語をやわらげてはおることは確かですが、倫理綱領そのものはいささかも微動だもしていない、そういうことを確認しておるわけですが、私のみならず国民的にも関心が高まって批判をしておると思いますが、それに応じてなしましたことは、性根は変わらないんだ、表現だけを便宜変えるんだということで終わっておるのであります。そうなれば、先ほども申し上げましたような考え方で、教育基本法第八条にまつ正面から挑戦するがごとき目的意識を持った、それが動かない限りにおいては、教育の場には弊害がある。野原さん仰せの通り、重大問題でもあり、教育の場がでんぐり返るおそれがある。民主憲法、それに基づいての教育基本法以下の法律制度にももとるおそれが多分にある、そういうことを私は警告しておるわけでございます。会って話そうと、批判をしてその意向が伝わろうと、効果として私は同じであると思います。また、会う会わぬにつきましては、昨年来申し上げております通り文部大臣は職員団体の全国組織たる日教組代表者と交渉を持つべき立場にはない。法律制度上そうであります。また現実に、事実問題として会うにしましても、今申し上げたような目的意識を持った団体の代表者と会うことそれ自体が、中正なるべき教育の場を預かるものとしては穏当じゃないと考えますから、会いたいということが伝わりましても、会わないできております。また今後も会わないでおる姿を続けた方が適切だと心得ております。
  67. 野原覺

    野原(覺)委員 あなたがそういう考えであるならば、私どもはあなたに対する追及の手は断じてゆるめません。私は実はもっと材料があるのです。あなたが、湯山君の質問に対して反省したかのごとき言辞を出しながら、実は何らの反省もない。遺憾なことです。私は何のために本日質問したのか、実は今でも残念に考えておりますが、第一、日教組教育基本法に挑戦をしておると言いますけれども、教育基本法に挑戦しておる者はあなたですよ。あなたのやっておる今日の文教政策は教育基本法に挑戦しておるのですよ。あなたはお気づきになりませんか。お気づきにならなければ、私はそれを述べなければならぬのです。従って、私は委員長にお願いいたしますが、午前中の瞬間は委員長との約束もございますのでこれで終わりますけれども、教育基本法に挑戦しておるのは荒木文政であるのか、今日の文部省であるのか、それとも日教組であるのか、私はあなたと同じように教育基本法を尊重する、憲法を尊重する、今日教育基本法をゆがめておるのはどっちなんだ、この問題であなたと徹底的な論戦をしたいと思う。これは究明していきたいと思う。大事な点だと思います。  以上で本日は終わります。
  68. 小林信一

    ○小林(信)委員 今日の大臣との話し合いは、今野原君が言われたように、結論が出ておらない。もっと審議をしてほんとう大臣の意思を聞きたいというようなお話で終わっておるのですが、ただ一つ、お話の中で、これだけは大臣としても考えてもらわなければならぬ点がある。ひいてはそれがあるいは大臣のものの考え方全般に及ぶような、私はおそれをなしておる点でございますが、あらゆるところに参りまして問題を生んでおるわけですけれども、それに対しまして大臣は、自分考えというものに非常に自信を持っておられるようです。が、その自信が過剰になるとどうも問題を起こしやしないかと私おそれるのです。これはきわめて小さい問題で、一つ大臣に反省していただきたいと思うのです。  今、教科書の問題で、ある意味では国定教科書だと大臣が記者会見で話されたというのですが、私は、現在の教科書は国定教科書ではないということが、大臣として言うべき言葉だと思うのです。そういうような印象を国民が持ってはいけないというふうに言うことが、大臣の役目じゃないかと思うのです。それを、どういうふうにお考えになるか知らぬが、指導要領は文部省が出すのだ、そしてそれにい基づいて教科書が編さんされる場合には文部省がこれを検定するのだ、従ってこれは国定教科書と同じものであるというようなことをお考えになったら、大臣として、今の教育行政は昔の教育行政と違うのだというところを一般に理解させなければならぬ役目の人が、かえって混乱をさせるようなことになると思うのです。前の委員会で、三木委員質問をされておる中で、大臣は、ある意味では中央集権であるという答弁をなさっておられる。これも、文部大臣は、国民に対して、文教行政は決して中央集権じゃないのだ、国民の手で国民のための教育をする、教育基本法の第十条というものを常に国民に認識させることは、私は大事な仕事だと思うのですよ。ところが、考えようによれば中央集権である、こういうことを大臣が言うということが、私は非常に憂慮すべきことだと思うのですが、そういう点も簡単にお考えになって、いささかも反省されない。教科書の問題でも、国定教科書であるというふうなことを大臣の口から言われることはどうかと思うのですが、どうも、こういう点、おれはそう思うのだから仕方がないのだとか、そういう論理的な考え方になるのだというような点を固執されると、私は問題だと思うのですよ。こういうような問題から考えていけば、大臣日教組に対する考え方あるいは先ほど来各地でもって問題になっておられる大臣演説というふうなものも、同じような罪を犯しておらぬか。私はそういう心理状態ではなかったんだ、こういうふうに言われてすべてを糊塗されていったら、ほんとう文教行政というものが、日本の本来あるべきものに乗っかっていくかどうか、非常に心配になるわけです。今の国定教科書の問題あるいはある意味では中央集権だというお考え方、これはいかがですか。
  69. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほど申し上げた通りでございますし、三木さんにお答えした通りに思いますが、それは今申し上げたことをさらに繰り返しますれば、義務教育課程で使います教科書は文部省が検定したものを使わねばならないということは、学校教育法が明記いたしております。さらにその検定につきましては、教科に関することは文部大臣責任を負うんだというふうに、これまた学校教育法に明記してあると私は承知しておりますが、そのことはこの間の三木さんのお話に関連して申し上げれば、すべてが地方分権で都道府県段階以下でやらなければならないかのようなお話がございましたから、文部省にその権限を留保したものがある、原則は地方分権の建前だけれども、教科書に関する限り、教科に関するととは、文部省に留保されておる、教科書は検定を受けたものしか使っちゃいけないという意味の留保がされておる、そのことは文部省個有のものとして留保しているという意味から申し上げれば、中央集権的といえないこともない、そういう理解を申し上げたのであります。で、教科書については先ほども申し上げましたが、教科に関する権限に基づいて学習指導要領を決定し、それに基づいて教育課程も定められ、それらのものさしによって検定が行なわれるというやり方で、今検定教科書が最終結論に到達する手はずになっておると存じます。ですから教科書に国としてどの程度に関与しておるかという点だけを取り上げますならば、教科書の内容の大綱は国で定めねばならないぞと法律そのものが定めておる。その点だけを抽出して申し上げれば実質上は今でも国定だと、こう申しても過言でなかろう、こう申し上げておるのでありまして、私はそのことが、罪を犯すとか誤まりを犯すとかいう事柄として御指摘になりますけれども、法律制度そのままを申し上げているので、ほかのことを付加して申し上げていると私は思っておりません。
  70. 小林信一

    ○小林(信)委員 これは時間がないですから、この法案を上げるという約束もしてありますので、時間をとりたくないからこれ以上申し上げませんが、今の問題はよく静かに考えていただきたいと思うのですよ。こういう点があるから、そういう点を特に摘出して国定教科書であるとか、ある意味では中央集権であるというふうなことを言うべきであるかどうか。むしろ今の教育制度というものは、教科書は国定ではないのだ、今の教育行政は中央集権ではないのだという印象をもたらすことの方が、私は国民に対する忠実なる教育行政のあり方ではないかと思うのですが、この点はどうですか。
  71. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 原則はあくまで地方分権の建前で日本文教行政は行なわれる建前になっておる。ただ一部に全国的な視野に立って取り運ばねばならないものが必要であるから、それが文部大臣の権限、職責として留保されておる、それは学校教育法第二十条ないし第二十一条の事柄であるということを申し上げるにとどまるのでございます。それを、全部都道府県段階以下の地方の完全自治の範囲内にあるんだという印象を与えますことは事を誤ります。正直にありのままそのままを言うことが忠実な態度であると思いますから申し上げているにすぎないのでございまして、今後におきましても今の建前をどうしようという考えはない、今の法律の定めを言えば、実質上はこうなっておるということを、新聞記者に聞かれたから申したということでございます。
  72. 小林信一

    ○小林(信)委員 もちろん私も今の建前をどうこうしろということでなくて、かえって今の建前というものを本来あるべきものに常に生かしていかなければならない、曲げてはいけないという努力をすることが、大臣責任であり、またわれわれ国会議員の責任であると思う。私はそういう意味大臣考え方というものは今のあり方をかえって曲げていく、今度の学力テストの問題あるいは日教組に対する大臣態度というふうなもの、そういうところからもっと統制をとって文部省の意図の通りに行なわれるようにすることが本来のものでないかということが、今のようなお考えからは出てきがちなんだ。そうすると本来あるべきものを曲げていくおそれがあるわけでありますので私は申し上げたのですが、どうも大臣言葉というものはそういうふうな疑惑というもの、混迷を起こしやすいわけなんですが、大臣も学力テストをすることがいいというので、今国民の学力テストをしようとしておるわけなんです。大臣は、自分はこういうふうに考える、こういう心理状態だとおっしゃられますが、やはり国民全体が受けた印象というものが結局は結論なんです。大臣がどういう考えでおっしゃろうと国民部分が受けるところの印象というもの、これがやはり私はその結論になると思うわけです。結局もう少し国語というものを、大臣も十分お考えになっておられると思うのですが、ただ口が下手だとかあるいは言葉が足りなかったとかいうふうなことでなくて、今のような二つの、小さい問題ですが、根本的にお考えになっていただくならば、もう少し私は大臣も謙虚なものを持てるのではないか、こういうふう思って、実は大臣心境をお聞きしたわけですが、いずれまたこの問題も引き続きお話があるそうでございますので、きょうはこの程度にしておきまして進行していただきます。      ————◇—————
  73. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 引き続き学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。質疑の通告がありますので、この際これを許します。村山喜一君。
  74. 村山喜一

    ○村山委員 この学校教育法等の一部を改正する法律案につきましては、先般通常国会に提案をされたのでございますが、いろいろ問題点がありまして通過をいたさなかった法律案であります。今回提案をされるのにあたりまして、われわれが委員会の中においていろいろ意見を申し上げて参りました。それらの内容のものがどの程度修正をされてこの原案として今回提案をされたのか。改正案として提案されたのであれば、その点について説明を承りたい。
  75. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 前国会におきまして当委員会の可決を見、本会議を通過しておりまして、前会のものと同じでございます。
  76. 村山喜一

    ○村山委員 そこで大臣お尋ねをいたしますが、この法律案につきましてはわれわれ日本社会党はいろいろな問題点を指摘をいたしましたが、自由民主党の諸君の多数をもって決定をいたしました法律案でございました。その中におきまして問題点として取り上げて参りました点は、今後後期中等教育をどういうような形において取り上げていく考えがあるかという基本的なかまえの問題であります。その問題につきましては、文部省が出しました「進みゆく社会の青少年教育」という木の中にも、後期中等教育の完成をはかるということが打ち出してございます。さらにまた、池田内閣の一枚看板であります国民所得倍増計画に関するところの問題におきましても、経済審議会の答申を見ましても、後期中等教育の必要性ということは、人的能力の向上、そういう立場から強く打ち出されているわけでございます。そこで、今それらの資料によりましても出ておりますように、教育訓練小委員会の報告書によりますと、昭和三十五年から四十五年までの十一ヵ年の学校卒業者の数を押えた数字がございますが、中学校だけの卒業生は八百万人、高等学校に進んで高等学校を卒業する者が一千百万人、大学に行く者が二百二十万人、合わせて二千百二十万人という数字が出ているわけでございます。その中学校だけで学校を終わろうといたしております青少年の八百万人のうち、公共的訓練を、これは公共職業訓練所でありましょうが、そういうようなところで技能の訓練を受ける者として百六十万人が予定をされているわけであります。そういたしますと、残りの青少年、いわゆる六百四十万人という青少年の後期中等教育の問題に対しましては、どういうような立場から考えて、文部省自身が打ち出しておりますように、後期中等教育の完成をはかりたいという考え方に合わせていこうとしているのか、こういうような全体的な後期中等教育の完成図というものを目標に描きまして、それぞれ政策を立てておいでになるものだと思うのでありますが、そういうようなものがあれば、この際お示しを願いたい。
  77. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 具体的には、要すれば、後ほど政府委員から補足御答弁申し上げることにいたしまして、後期中等教育の構造図と申しますものを、きちんとしたものとして現に持っておるわけじゃむろんございませんが、年々歳々高等学校に進学します進学率は、向上の一途をたどっておると承知いたします。さらに所得倍増計画ということに直接して考えましても、その結果は必然的に進学率のより一そうの向上となって現われることと思います。そういう青少年の進学の希望は、まともな教育の場で受け入れることに支障なからしめたい、そういう考えを根本に持っておるわけであります。しかし現実問題としては、高等学校という学校制度の中に入り得ない家庭事情の者も当然あるわけでございますから、それは端的に申し上げれば、職場に入って、しかも進学の希望を持っておる者が相当数あることは必然でございますので、それらに対しましての希望を満たす場としても、ただいま御審議願っておりますこの法律案で幾らかでもその求めに応じたいと考えておるような次第でございます。
  78. 村山喜一

    ○村山委員 後期中等教育の完成をはからなければならないということは、文部省自体においても打ち出しておきながら、それに必要な具体的な計画というものがないということは、これはそういうような意思はあるけれども、計画を持たないということで、職務怠慢と言わなければならないと思う。そこで、私たちが今まで文部省が出しましたいろいろなものを調べたり、あるいは所得倍増計画の中で後期中等教育の目ざす方向というものを見てみますと、今大臣からお話がありましたように、ただ高等学校の学校教育体系の中において考えるだけでなくて、別の、学校教育体系外におけるところのそういうような施設における教育というものも、後期中等教育の一環として考えていかなければならない、こういうようなことが言われているようであります。そこで、働く青少年の問題点を考えて参りますと、働きながら学校にいきたいという青少年に対して、今回学校教育法等の一部を改正する法律案の中に規定があるようなものによってやっていきたいのだという一部の計画は、今大臣からの説明で承ったわけであります。ところが、それ以外の全体的な、たとえば農村にありまして、あるいは漁村にあって、あるいは大企業の企業内訓紋所におることができるような青少年、それ以外の中小企業に働く青少年、それらに対するところの後期中等教育はどういうふうにしなければならないか、そういう計画をお立てになるべきだ、そのことが所得倍増計画の上から見ても、人的資源の養成、そういうとらえ方においては問題点があるにいたしましても、全体的計画の中におけるところの位置づけというものがなされなければならないと思う。従いまして、今回改正案として出されましたこの法律案内容と、それらの全体的な構想の上からの問題点とのそういう位置づけは、どういうふうな位置づけとして受け取ってよいかということを説明願いたい。
  79. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほど申し上げましたように、今おっしゃるようなことまで含めての具体的な見通し、できれば年次計画でも立てましてこういう構想を持っておりますと申し上げる意味においては具体的な例がございませんので、申し上げませんでしたが、御指摘のような必要性はむろん私どもも痛感しております。現状は職場内訓練所が、別の省の担当のもとに、原則的には全然と言っていいほど相互の脈絡なしに行なわれている。社会教育の面でいささかの努力はしておりますが、まだまだ十分とはむろん申せません。さような実情にございますので、明年度におきましては、そういう御指摘のような考えをもっと具体化する構想を立てる資料としまして実態調査をして、実情把握に立ってでなければどうも自身のある案画もできませんので、実態調査をいたしたいという概算要求をしているような段階でございます。
  80. 村山喜一

    ○村山委員 よくわかりましたが、この実態調査をやるということと、高校の急増対策の問題、この急増対策についての具体的な計画は、この働く青少年の教育の問題外してお考になっているのですか、この点はいかがでありましょうか。
  81. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 急増対策につきましては、大体昭和四十五年の所得倍増計画の終わるところを目標にいたしまして、中学校卒業生の七二%を収容する、こういう計画でただいま進めておりまして、各県から参っておりますところの報告を集めますと、公立で八十万、私立で四十三万、合わせて百二十三万の収容計画が今出ておりますので、それに基づきまして予算を要求しておるわけでございます。この中にもちろん定時制、通信教育も含めてはおりますけれども、この法案がまだ通過しておりませんので、この法案が通過した後に定時制と技能者養成施設の連携によって相当増加を見ることになろうと思いますし、また全国的な規模における通信高等学校の設置を見まして、これによってさらにその数は増加するものと考えますが、これらはいずれもこの計画からは除外しております。
  82. 村山喜一

    ○村山委員 高等学校の急増対策の問題につきましては、また高等学校の定数等の標準化の法律に関連いたしまして、そのときに急増対策の問題は問いただして参りたい。従いましてきょうはそれについて深く触れるつもりはございませんが、できるだけ先般来質疑が取りかわされて参りましたことと重複しないようにいたしまして、条文の内容について質問を申し上げて参りたいと思います。  そこで、この前一番大きな問題になりましたのは、御承知のように技能施設の中において行なわれた学習を、定時制の高等学校に通っております場合の高等学校の校長が単位として認定していく、こういうようなのがございまして、産学協同のそういう体制がこの法律によってでき上がっていく。そこら辺に非常に大きな問題点があったことは御承知の通りであります。ところがその内容をいろいろ見てみますると、施設の指定等に関しましても、重要な事項は政令にゆだねられておりまするし、あるいは校長が、教科の一部を履修をした、そういうようなものにつきましての内容的なものをどういうふうにして認定をするか。こういうようなものは文部大臣の定めるところによりというふうに書いてございまして、省令で定めることになるだろうというふうには考えられるけれども、それらの内容がどういうふうに考えられているのかという方法が明らかにされていなかった。そうしてわれわれが心配をいたしますのは、こういうような大企業の企業内訓練所において教育が行なわれるということになると、企業の考え方によって、それぞれ必要な人材を養成するという形における企業の意欲というものによって、学校教育体系がゆがめられてくるのではないか。特に労働組合がしっかりいたしているようなところにおいては、そういうような心配もないわけでございますが、労働組合自体が非常に弱い、こういうようなところにおいてはさらに青少年の教育というものが、学校教育体系の上からいってもゆがめられてくるのではないか。こういうような点が心配をされておったわけです。御承知のようにイギリスあたりにおきましては、あるいはフランスの総同盟の考え方なども出ておりまするが、フランスにおけるところの技能者の養成の計画なども、御承知のように文部省の技術局の方で担当をして、そうして技能教育というものに対するところの取り扱いは文部省が取り扱っている。ところが日本の場合には、労働省が技能教育は取り扱っている。こういうふうな点もありまするし、イギリスにおいては労働組合と企業者、それに学校当局、この三者間において対等な立場に立って協議会式の運営の方法というものによって、この教育がなされている。こういうような実態からいたしまして、日本の場合には今日企業内におけるところの職業教育というものの現実の姿の上から見て、非常に危険性があるのではないか、こういうような点をわれわれとしては指摘をいたしたわけであります。従いまして今回そういうような指定等に関しまして、必要な事項は政令で定めるようになっております。もう審議をいたしましてから相当長くなっておる関係で、それらの内容のものにつきましても、文部省としては用意をされているところだと思うので、従いましてこの際学校教育がはたしてそこなわれないような方向に持っていくことができるかどうかということを、政令なり省令の内容を通じて考えられておいでになる点から御説明を願いたい。
  83. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 御指摘の点大へんごもっともでございまして、要は職場における教育はそれ自体一つの目的があるわけでございます。ただこの法律にもございますように高等学校及び同等以上の施設、設備、教員組織あるいは内容を持っておるものについてどの程度まで学校教育の中に取り入れることができるか、これは結局子供の二重負担を解消したいという趣旨でございまして、その限度から申しますと、高等学校と同等以上という認定の条件が政令に譲られているわけであります。それは第一に修業年限が三年以上であること、年間の指導時間数が八百時間をこえるということが一つの案として考えられているわけでございます。さらに技能教育を行なう者が原則として半数以上の高等学校教員の普通免許状以上を有する者、またはこれと同等以上の学力を有すると認められる者であること、これは教員組織の面でございます。ただし実習を担当する者は、六年以上の技術教育に関する実地の経験を有し、技術優秀と認められる者で足りるというふうにいたしておるのでございます。それから第三に技能教育を行なう者及び技能教育を受ける者の数並びに施設、設備が文部省令で定める基準に適合するものであるかどうか、これは高等学校の設置基準等も勘案いたしまして、高等学校と同程度の施設、設備を設ける。それから維持運営について確実なものでなければならぬと思うのでございます。さらに教育内容が高等学校と同等以上であることを期待しておりますので、その技術教育施設における学習についての教育計画が直等学校と比べて遜色のないものである、こういうような点を考慮いたしまして、十分審査をいたして、さらに必要に応じては実地に検査もいたしまして、その指定の誤りなきを期していきたい。校長さんが具体的にどの程度までその教育を認定するかという問題があるのですが、この点につきましては、一般教養は、これは学校でやるのを建前といたします。ただ実験、実習を伴う実地の教科につきましては、これは認定してもいいのではなかろうか。そこで高等学校の教育を全部まかすわけじゃございませんで、そのうちの一部、まあ単位数にいたしますと、三分の一以内程度を認定させよう、しかもそれが実地に校長の判断によって確実に履修されたという認定をした場合にのみそれを認める、こういうことにいたしますれば、従来の学校教育に対する保障も十分できる、同時に産業教育の要望もかなえられる、こういうふうに考えておりますので、学校教育の形態を乱すことは毛頭考えていないのでございます。
  84. 村山喜一

    ○村山委員 ただいま考えられておる政令なり、省令の内容について承ったのですが、大体内容的に考えられておりますことは、学校教育が技能教育によってゆがめられないようにいたしたい、こういうような点はほぼ目的を達成しているように受け取るわけでございます。ただこの際考えなければならないのは、そういうような高等学校の教育がそこなわれるような形においてなされている企業内訓練所のそういうような姿と、それから高等学校の教育水準に見合わないところの、たとえば一年、あるいは二年、そういうような技能教育を経営者の必要性によって行なっていく。働く場所によってそういうような差が出てくるということであります。そうなって参りますと、そういうような恵まれない劣悪な条件のもとに働いている青少年は、高等学校の単位を修得して高等学校を卒業したい、こういうように考えておりますが、それらの青少年に対しましては、この際どういうような考え方で対処していこうというお考えをお持ちになるか。それからさらに通信教育の問題点は後ほど触れて参りますが、このことは、働きながら学ぼうという意欲を持っている農村の青少年の教育というものも、そういうような面からも取り上げていかなければならない。従いまして、指定は厳重にやらなければならない。それと同時に、働く場所によって非常に恵まれない青少年がおる。そういうような者に対する全体的な計画なり構想というものがこの際打ち立てられて、そういうような方向に努力をするという問題が指摘をされなければならないと思うのですが、そういうような点について考えがございましたら、御説明を願います。
  85. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 今御指摘の点のそういう子供たちは、定時制なりあるいは通信教育を現に受けておるわけでございまして、その場合に単位の認定の問題になると思うのですが、結局職場が非常に貧弱な場合には、認定施設には該当しない。ですから免除単位がなくなるわけでございまして、この場合には、高等学校教育を受けるという建前から、通信教育なりあるいは定時制なりでしっかりやっていただくのが一番いいのではないかと思うのでございます。ただ、通信教育の場合には、ラジオを聞いた場合、あるいはテレビを見たような場合には、履修単位について免除する規定もございますので、スクーリングを免除するとかその他の方法で、できるだけ働く者が学習しやすいような方法は検討しておるわけでございます。
  86. 村山喜一

    ○村山委員 企業内におきまして差が出てきまして、片一方においては企業内において履修をした者、しかも企業内で企業の必要に応じてやっている者が、それが高等学校の実習なりあるいはそういうような関連学科を履修をした、こういうように認定をされる。片一方においては、技能教育施設で訓練を受けているけれども、それは認定をされないで、そうして定時制の高等学校なりにおいて同じようなことをやらなければならない。こういうような差が現実に企業間についている。それに対して、そういうような差をつけないように持っていく方法をお尋ねをしているのです。
  87. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 これは結局、その技能者養成施設を大企業のみならず労働省も非常に今日努力しておりますのは、中小企業等に合同の技能者教育施設の設置を奨励しておるわけでございますから、大企業のみならず、中小企業につきましても、広く技能教育施設を拡充し、整備することが一番大事だと思っておるのでございます。
  88. 村山喜一

    ○村山委員 そういうような技能教育施設を整備していくという方向と、高等学校に全員希望者は入れていかなければならないという考えの方向とは、相反する方向に教育の流れが進んでいくんじゃないか。ということは、そういうような高等学校なり定時制高等学校を作って、学校という教育の場において教育をするのが、青少年の教育としては最も望ましいことなんです。しかしながら、現実の青少年の実態の上に立った場合に、技能教育施設もそれの一部を認めてやって、教育の二重負担にならないようにしてやるというのが文部省の親心というのですか、そういうような考え方でこの法律案が出てきた。ところが今の内藤さんの話を聞いておりますと、そういうような技能教育施設の内容を高めていくのだということになって参りますと、技能教育施設関係は労働省が取り扱っている、そういうような方向に重点が置かれていって、定時制なりあるいは普通課程の学校、そういうようなものをもっと拡大をしていくのだ、それによって希望者はできるだけ全員入れるような学校教育のあり方にならなければならないということとは相反する方向ではありませんか。
  89. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 これは少しも相反しないと思うのであります。もちろん文部省といたしましては、通信制の高等学校を設置するとか、あるいは通信教育を拡充するというような諸方策を講じているわけです。同時に、定時制教育につきましても、できるだけ広く一般の人が入れるように定時制教育の振興をはかっていく。この技能者養成施設との関連の問題は、二重負担の軽減というだけでございますから、この法律が通りますれば、技能者養成施設でりっぱな施設を持っているものは二重負担を解消する、そうでない中小企業のものについては負担が解消しないという難点がございますので、それはそれなりで、現在労働省で中小企業関係の技能者養成施設の整備をいたしておりますから、そういうものも含めて、できるだけ広く二重負担の軽減をはかっていきたい、こういう趣旨であって、決して矛盾しないと私は思うのであります。
  90. 村山喜一

    ○村山委員 大臣お尋ねいたしますが、高等学校の後期中等教育の完成というものは、やはり高等学校教育内容を持ったものが行なわれなければならないという意味において正しく把握をしなければならない。そういたしますと、技能教育施設を今労働省が取り扱っておりますが、こういうような施設の内容というものと、学校教育の中で行なう教育内容との間には相当な開きがある。中には、たとえは専門に関する単科については非常に充実したものをやるところがあります。それは企業の必要性に応じてやるのであって、基礎的な学科なり、あるいは一般数養的な学科についてはほとんどやられていない。こういうような事態があるわけですが、そうなった場合においては、将来の構想といたしまして、労働省がやっているところのそういうような技能者訓練というもの——今話がございましたように、大企業に働く青少年の場合には、この法律が通ったならば恩恵を受ける、ところが、中小企業に働く青少年が技能教育施設において技能訓練を受けておってもそれは単位は認められないわけでありますから、その間には不公平が出てくる。そうなって参りますと、その救済策というものは、中小企業に働く青少年の問題として取り上げて、働きながら学ぶところのそういうような制度、これは西ドイツあたりにもあるようでございますが、週一日有給で学んでいくことができるような、そういうような法律体制というものを作ってやって、そうしてそれを学校教育というものの中に組み込んでいくような形の中で消化していかなければならない。これはやはり文部大臣としてだけでなくて、国務大臣としての資格を持っておいでになる荒木文部大臣が、閣議あたりにおいて、働く青少年の教育の問題をどういうような方向に持っていくかということを強く——こういうような学校教育を主体にした考え方の方向から、こういうような恵まれないところにおいて働いている子供たちの問題を考えなければならない、これが方向であろうと思うのでありますが、閣議においてそういうような方向に努力をされる御意思があるのか、その点について承りたい。
  91. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今、西ドイツの例をお話しになりましたが、私もそれは聞いております。なるほど、せっかく技能教育をそれぞれの事業場でやるとしましても、また、労働省の慫慂によって、援助によって、中小企業について、今後さらに同じような事業内訓練所に類するものが実施されるでありましょうけれども、要は会社、工場等の立場に立って、必要な限度以上のことをやっていけないという考え方はあり得ないことであって、そういう場を作るならば、むしろその際に青少年のために一般教養を高め、そうして後期中等教育の完成の方向に便宜をはかるという考え方は当然あってしかるべきものと実質的には思います。そういう見地に立ちまして、ドイツの制度を見てみますと、一週何時間は有給で学校生徒の中に入って教育を受ける義務づけをするということをやっておるように聞いておりますが、そういう考え方も今後日本でも具体的に取り上げていくべき段階にきておる、少なくとも検討を要する課題だと文部省内でも話しておるような状況でございます。
  92. 村山喜一

    ○村山委員 そういうようなものは文部省でできるだけ早くまとめていただいて、そうして全体の後期中等教育のレベルを下げる方向に努力するのでなくて、引き上げる方向に、特に学校教育体系の中に組み入れていくような方向にお考えを願わないと、この文部省のわが国の教育水準のところを見ましても、統計として十五歳から十七歳までの青少年の教育を何で受けておるかというところには、青年学級まで入れて後期中等教育を受ける。ところが今日の青年学級というものを見てみますと、きわめておそまつ、何のために青年学級というものをやっているのか。私も青年学級の講師をやったことがございますが、新聞の読み方くらいしか指導していない、一般教養の中では。これが現実の青年学級の姿です。そうして産業的な技能教育をやるというのは、ただほんとうの学問体系とは離れたほんとうの技能教育をやっているだけであって、あの青年学級はもっと考え直さなければ希望者は——モデルに選ばれたようなところは労働から解放されて、きょうは五時までで仕事を打ち切るから学校に行ける、青年学級に行けるからありがたいというような、きわめて情けないありがたさは持っているけれども、これが青年学級の問題にいたしましても、全体の高等学校の教育体系の中においてどういうような位置づけをされていかなければならないか、こういうような点からレベルを引き下げる点において考えるのでなくて、もっと生かした行き方があり得るのではないか。たとえばそういうような希望者の場合は通信教育を受ける。ところが今日通信教育の場合においては一人々々離れて自分で勉強しておりますので、最終の段階まで単位を修得することはきわめて困難である。そういうような人を一ヵ月に一回なりどこかの公民館なら公民館に集めて、あるいは企業の中の訓練所なら訓練所に集めて、そこに高等学校の先生なり中学校の先生が勉強の仕方の方法を、共同学習の態勢というものを作り上げて、そういうような組織的な学習をうながしていくのだというような方向に青年学級の教育は向かうべきであって、それがただもう社会教育の一半として一般概念の上からこうやった方がいいであろうというような上の方からの施策をあまり希望もないのに押しつけて、そういうような指定校を作っていくような、しかもそれは後期中等教育の一環でございます、こういうようなことでは日本教育の方向は、レベル・ダウンをするような方向になっていると私は思う。従いましてそういうようなものはもっと文部省内において、これは初中局段階ではなくて、ほかのところにも関係がありますので、来年度予算編成の際等においては、いかにして早く青少年に後期中等教育、しかもそれは高等学校教育内容を持つ教育を与えていくことができるかという全体的な計画を作ってお示し願わなければ、ただ大企業に働いておる割合に恵まれておるこの青少年の教育の救済だけを考えたのではまずいではないか、こういうことを申し上げたいのであります。  最後にお尋ねいたしますが、これは経過規定として打ち出されてあるのだろうと思うのでございますけれども、附則の七、国民年金法の一部を次のように改正するという条項がございます。これはただし書きのところを改めておるにすぎないのでありますが、内容を見てみますと、定時制の高等学校なり、あるいは通信制の課程、さらにあるいは大学、そういうようなところで教育を受けるものは、昼間学校に行っておる高等学校の生徒、大学の学生に比べて、働きながら学んでおるのであるから、国民年金の対象者として、いわゆる拠出制年金を納めなければならない旨の規定なんです。ところが、大企業に働く青少年は、それは納める能力はありましょう。ところが、中小企業に働きながら学んでおる子供たちは、何のために勉強しておるのかといえば、そういうところで働いておるよりも高等学校の教育を受けて、さらにもっと恵まれた職場において働きたい、こういうようなことで乏しい財布の中から金を出して学習をやっておるわけなんです。そういたしますと、昼間の生徒、学生は支払い能力がないのだというので除外して、夜間の、あるいは定時制の通信のような恵まれない青少年は収入があるからということで適用除外をしておる。こういう格好においてなされようとしておるわけです。これに対するところの見解を承りたい。
  93. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 ちょっとこの点誤解があるようですが、最初に青年学級の話が出ましたが、今度は全国的規模の通信の高等学校を作るということの法律でありますので、御指摘のような点は、そういう方向で私どもも指導して参りたいと思っております。職場なり、あるいは青年学級の青少年、生徒が通信教育の単位がとれるようにしたいというのが、この法律の一つのねらいであるわけであります。  それから国民年金のお尋ねでありますが、これは被保険者にしなかったということでございまして、つまり、学生や生徒で親のまるがかえになっておりますものは被保険者は世帯主でございますから当然除外されるわけです。この夜間に働いておるもの、あるいは通信制の子供たちで職場で保険金をとられておるものがあるわけです。そのものは除外するというだけでありまして、職場でそういう保険金をとられていないものは当然国民年金の対象になるわけでございます。ですから、そこのところはちょっと誤解があるのではないかと思うのでございます。
  94. 村山喜一

    ○村山委員 今の点は政府の共済組合なりあるいは恩給法の適用という厚生年金に入っている者は除外されている。ところがそれに入れない劣悪な五人以下の零細企業のところで働いている青少年、これが該当になるのでしょう。だから問題があるのです。
  95. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 それは当然国民年金の方に入ってくるわけです。ですから掛金をしておればその受ける対象になるわけです。掛金をしていない人は一般の国民年金の方に入る。これは除いて、除いておりますから、解釈からすれば当然入るのです。ですから親がその保険金を払っておるから当然恩給を受けるということです。
  96. 村山喜一

    ○村山委員 その点はこれはあなたのおっしゃるように国民年金に入るようになっておる。だから昼間のそういうような生徒、学生というものと五人以下の零細な事業場で働いておるような、支払い能力がないような学生、生徒というものも、同じように考えるべきではないかという私の主張、だからそういうような、収入があるから、収入があった場合には所得控除も勤労控除もあるから、そういうようなものは、この際そういうものから除かれてもよろしいんだ、こういうことにはならないじゃないか。だから働く青少年のそういうようなものに対しては、やはりもう一回考えてもらわなければならないのではないか。こういうようなのが私の意見なんです。
  97. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 たとえば文部省に定時制の子供が通っておる、この場合に文部省で保険金をとって、その子の短期給付なり長期給付をいたしておるわけでございます。ですから国民年金に入る必要はない。ところが五人くらいの世帯で、保険金をとっているところもあるし、とらぬところも私はあると思う。とっているところは一般の従業員の待遇と同じ待遇をしているのですから、入った方が得の場合もあるわけなんです。国民年金に入った方が得か、その事業主の保険に入った方が得かという問題があるわけなんです。ですから、そこは私は本人の希望で、どちらでもいいと思うのです。
  98. 村山喜一

    ○村山委員 この附則の第七項というのは、こういうような子供たちは国民年金に入らなければならない、法律の上からはこういうことになっているのですよ。それが現存まだ法律としては通算制がとられるということにはなっていないわけです。これは通算がされるようになれば、あるいはある点においても考えられると思う。しかしながら、今の恵まれない事業場で働いているような人は、国民年金というものには入らなくてもいいんじゃないか、また収入の上からいっても、入らない人の場合が多いかもしれません。そういうような点から、もっとやはりそこら辺は、昼間の生徒、学童並みくらいに、こういうような恵まれない人たちの場合は考えるべきじゃないか、こういう思想で申し上げているわけです。
  99. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 もちろん昼間の学生、生徒と同じになる者もあるわけでございます。特にそれぞれの事業場で一般の年金のあるところはそれに入るし、それに該当しない者は国民年金に入るというわけでございますから、その点は一般の昼間の学生と同じじゃないかと思うのでございます。
  100. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 他に御質疑はありませんか。——なければこれにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  101. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 引き続き討論に入ります。  討論の通告がありますのでこれを許します。村山喜一君。
  102. 村山喜一

    ○村山委員 もう時間もないようでございますので、簡単に申し上げますが、この学校教育法等の一部を改正する法律案内容の中においては、私たちがかねがね主張をいたしておりますように、学校教育というものと、産業教育というものとの関係で、これは今も質問の中におきましても申し上げましたように、学校の教育というものが、青少年のためになされるような方向としてあくまでも守られなければならないという立場からの問題であります。ところが今日、日本の労働組合、これは総評なり全労を含めてすべてでありますが、そういうようなところからのいろいろな状況を見てみますと、企業内訓練に対するところの労働組合の権限というものは、日本の労働組合法の中においては、労働協約を結んでいるところは別でございますが、大部分はそういうような協約が結ばれていない。そして企業者が自分の必要な、企業に従嘱するところの人間を作り上げていくような方向において、従業員の教育というものがなされておる。これが現実の姿であります。ところが、憲法の二十六条なり二十七条の解釈からいたしまするならば、すべての労働者は性別にかかわることなく職業教育を受ける権利があって、国家はこれに対して保障をしなければならないという立場に立たなければならないと思うのであります。しかもその職業教育内容は、体系的でそして完全な思想教育内容として含み、現在の技術革新の進歩に対応するものでなければならないと考えるわけであります。そういうような点から、職業教育のための諸費用及び訓練中の生活は、国家なりあるいは資本家がこれを負担すべきである。そうして見習工なり養成工というものは、法定の最低賃金が保障をされて生活が守られる中において後期中等教育学校教育の一環として守られていくような体制が、全体計画として作られなければならない、こういうような立場に立つべきであろうと思うのであります。ところが今日この法律案が提案をされました。中にはいい点もあることは事実であります。しかしながら、先ほども申し上げましたように、労働組合、企業、それに学校、この三者が共同の形において学校教育を推進をしていくという態勢がとられていない今日の段階におきましては、文部省の方において非常に御努力は願い、政令や省令の中において学校教育がゆがめられないようにしていこうという善意は認めるのにやぶさかではございませんけれども、ややともすれば、企業の経営の方向に引きずりこまれてしまう心配があるわけであります。こういうような点、さらにまた、それらの技能教育施設において学ぶところの青少年に対する保護をしていくところの規定が今日わが国にはございません。そのような点から申し上げまして、考えられる方向としては望ましい点もございますけれども、十分な姿のものが日本では保障ができない、そういうような点において反対をせざるを得ないわけでございます。従いまして、この企業内訓練を中心にいたしますところの定時制と企業内訓練施設との単位の通算につきましては、現時点においては反対をせざるを得ないのであります。これらの問題は、最低賃金制の問題なり労働時間の問題に関係がございますので、それらの全体的な日本の労働行政、文教政策というものの中にあって、今後の青少年教育が後期中学教育の完成という姿において、高等学校の教育がレベル・ダウンすることなく行なわれるような方向に、今作られておらないところの全体計画を早く作っていただいて、それに対する予算的な裏づけを出し、あるいは法制の準備を進められるように希望をいたしまして、私の反対討論を終わります。
  103. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 以上をもって討論は終局いたしました。  これより採決いたします。  本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  104. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 起立多数。よって本案は原案の通り可決するに決しました。  本案の議決に伴う委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  105. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 御異議なしと認めます。よってさよう決しました。  本日はこの程度にとどめ、次会は来たる十八日水曜日午前十時より開会することといたします。  では散会いたします。午後一峠十七分散会      ————◇—————