○小林(信)
委員 関連して。私は、今
三木委員から、地方にこの問題を通していろいろ混乱が起きることを非常に心配して、これをどうするかというふうな御
質問があったのですが、これに対して非常にきめつけた、他を顧みない、実態を無視したような
大臣の御
答弁を承って、非常に心外に思って
質問をするわけなんですが、何か日教組が、中央の者だけが
考えて
一つの意向をきめて、これを地方の先生方に押しつけて、先生方は迷惑を感じながらその日教組の指令に従わなければならぬ。そこに起きる混乱というものは日教組の
責任であって、文部行政の衝に当たる人たちの関知するところでないというような印象を受ける御
答弁を受けたのですけれども、しかしそれでは
学カテストをなさる計画をされる皆さんとして、非常に私は無
責任だと思うんですよ。日教組の指令というふうなものでなくても、私たちの接する父兄とかあるいは教師とか、ほんとうに純真な
立場でこの問題を
考えた方たちの意見の中に、不安を持った意見もございますし、それから疑問を持っておられる。あるいはいろいろな新聞とか雑誌とかいうふうなもので見て、理解のいかないものを持っている人たちもあるわけです。こういう人たちの意見というものも相当に聞いて、それに忠実に、理解のいくような方途を講ぜられるということも、私はこの際
文部省として大事な点だと思うのです。私たちも大ぜいの人から聞いておりますが、
テストはよろしいという意見があることは、私も多分に聞いておるわけなんです。私たちも、また、この
テストということを決して全面的に反対をするという
立場にも立っておらないわけなんです。そういうような気持でおりながら、なおかつこの問題にいろいろな疑念を持つということは、これはやはり文部当局がその疑念を解くような態度を持っておらなければ、私は今おっしゃるような
目的すらも達し得られぬ、こう思うわけです。そんなことは用はない、要するに、今
大臣がおっしゃったように、ある点では中央集権の形でもっていいんだというようなことをお
考えになっておられたら、これはやはりほんとうの
成果を上げることができないのじゃないかと思うのです。今の
指導要領を出すことは、これは
文部大臣の
責任であって、これを遂行する限りやはり中央集権的なものになる、こういうふうな御説明ですが、それに基づいて、教科書というものは、国定でなく、各教科書会社が自由な
立場でそれに沿うように、検定を受けられるように作られます。教師はこの教科書を自由に選択する権利があるわけなんです。一応検定を受けたものの中から、最も自分の
教育理念に沿ったものを選択するわけなんです。しかしこれが実際は今許されておらないような状態なんですがそこで今度はその教科書を使い、
指導要領というふうなものを忠実に教師が
考えて、そして今度は教師の
教育理念によって
教育というものが行なわれるわけなんですが、
指導要領を出したから、それによって一切が規制されるのだというふうなお
考えを持てば、確かに私は誤れる中央集権的な
教育が行なわれると思うのですよ。基本的なものを出す、しかしそれに沿って自由な教科書か編さんされる、その教科書を自由に選択して、そして教師の
教育理念によって
教育というものは計画され運ばれていくのだというところに、私はやはり
教育の自由とか、学問の自由とか、民主的な
教育というものがあるのだ、こういうふうな複雑な経緯の中をそれぞれを生かしていくところに、新しい
教育行政の行き方があると思うのですよ。そういうふうなものを無視されて、
指導要領を出せばそれによって一切が規制されるのだというふうなお
考えで、中央集権も当然のことだというふうなお
考えだということは、私は誤った
教育行政になるおそれがあると思うのですが、こういうふうな点も
一つ一つ——もちろん
大臣は私が申し上げるような、そういう行き過ぎた中央集権的なお
考えを持っておらない、だろうけれども、そういうお
考えをもし申されると、やはり一般の人たちがそこに理解に苦しむものを持ち、誤解も持ってくるわけなんです。
きょうの、初めての
委員会でこの問題を取り上げて、今までいろいろなものから聞き取った
学力テストの問題も初めてだんだん
文部省の意図というものがわかってきたわけで、ほんとうにまだその緒についたようなものだと思うのですが、私の伺うところだけを整理してみましても、やはり
大臣のおっしゃることはどうしても誤解を与え、疑惑を与えるものだと申し上げなければならぬと思うのです。というのは、あくまでも
目的は
指導要領というものはどこまで徹底し、どこまでこれが
成果を上げておるかという点を
調査するのだ、こういう
お話であれば、まずこの計画というものは従来五カ年にわたって抽出的な
調査をされたわけなんですこれは
調査の
一つの形式として、初めは割合広く、それから次にはだんだんそれを科学的に整理して、そしてだんだん小さくなっていくのが私は正しい
調査の仕方だと思うのです。小さいところから始めて、そうして最後は全体の
テストをやるというようなことは何か当初において無計画であったものが、今になってまた何かほかの
目的が出てきて
調査をするというふうな形になったとしか思えない。そうして今のように
条件整備をするんだ、これ一点ばりで
大臣が御
答弁なさっているのですが、もうするなら、何も生徒の名前を一々書かなくてもいいし、そのでき上がった
成績を
指導要録に一々書かなくてもいい。これはきわめて単純な
学力テストの問題で、一般が言っていることなんです。その問題が本日は解明されないわけです。もうこれだけでも、
大臣、決して日教組が云々ということでなく、もう少し一般の声というものをまじめに聞いて、もう少し私たちに納得のいく御
答弁が願いたいと思うのす。
そこで、今ここで
大臣から御
答弁を受けるということは時間もございませんので無理だと思いますし、私たちも初めてでございますので、どういう形式でバツ、マルのものをやるのか、前にやられたようなものを参考にお示し願いたい。それを
指導要録に登録するというけれども、私はその
指導要録も実際に知っていないわけですので、そういう形式的なものも、できたらお示し願いたい。五カ年間
調査されたものがだんだん拡充されてくるということは私たち納得できないのです。どういう結果が現われておるか、その現われてきたものをどういうふうに毎年の
教育行政の計画の中に織り込んできたかを簡単なものでもいいのですから、参考にして、これからこの
学カテストの問題をもっと進めていきたいと思うのです。
大臣の、今の地方に起きる混乱というものは、あげて日教組の
責任だというふうなお
考えは一貫してお持ちになっておられるのか、多少とも一般のそうでない人たちの声も聞いておられるのか、その点だけをお聞きして、次会に今のような
資料をできたら御提出願いたい。これをお願いします。