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1961-10-06 第39回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年十月六日(金曜日)    午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君    理事 竹下  登君 理事 八木 徹雄君    理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君    理事 高津 正道君 理事 山中 吾郎君       上村千一郎君    田川 誠一君       中村庸一郎君    花村 四郎君       濱野 清吾君    松山千惠子君       井伊 誠一君    前田榮之助君       三木 喜夫君    鈴木 義男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勲君         文部事務官         (初等中等教         育局長)    内藤譽三郎君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 十月五日 委員野原覺辞任につき、その補欠として前田榮 之助君が議長指名委員に選任された。 同月六日 委員久保田豊辞任につき、その補欠として渡辺 惣蔵君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育に関する件      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 これより会議を開きます。  学校教育に関する件等について調査を進めます。  質疑の通告がありますので順次これを許します。三木喜夫君。
  3. 三木喜夫

    三木(喜)委員 私は十月二十六日に実施される全国一斉学力テストにつきまして、大臣並びに係の方にお伺いしたいと思います。  全国一斉の学力テストというものは中学校対象生徒四百四十七万という大規模なものでありまして、私は教育者としてかつてこれぐらい大きな全国的な学力調査を見たこともないし、諸外国にもその比を見ない大規模なものであるわけです。もちろん、私は戦時中、あるいは戦前、軍部が徴兵検査目的を非常に簡単にして、しかも方法も簡単な方法政策テストとして実施したことは知っておるわけです。このたび、それにもうんと増したところの対象の人数、そうして目的が非常に多目的になっておる、そういうものを時の政治権力実施しようとしておるわけなんです。そのやろうとしておるのは、文教の府がこれに当たろう、やり抜こうとしておるわけです。私は、こういう大きなテストをやるということになりますと、それなりに対処する姿勢があると思うわけです。なお、かまえるというかまえがあると思うのですが、そういうものが万全でなければならないということを前提として思うわけです。しかし、この学力調査に対しまして、大きな疑問点があるので、以下質問をしまして、その疑問点を明らかにしていただきたい、こう思います。  まず最初にお聞きしたいのは、当初これを全国一斉学力テストというような名でいわれておったわけですが、学力調査としたわけを一つお聞かせ願いたい。  なお、文部省内でのこの学力調査所管事務はどの局がやられるかということもここで明らかにしていただきたい。まず最初にその二つをお聞きいたしたいと思います。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 学力調査という名称も学力テストという表現も実質は同じものと承知いたしております。学力調査の方が日本語ですから、その方が通りがよかろうということに出ないのであります。  さらに、文部省内の担当の局は初中局と調査局が担当いたしております。
  5. 三木喜夫

    三木(喜)委員 以下この点につきましては後刻お伺いいたしますけれども、次にこれを義務として県教委に強制しておる理由、私たちはこれに対しまして、調査を求めることができる、そういうふうに解釈しておるわけですが、義務を負うと言っております。教育地方自治の国有の事務であり、文部省が若干立法権学習指導要領発行などのほか、指導、助言、援助を与えるにすぎないと思うのです。文部省はここにおいて県教委と上下の関係にあるような形で義務的であるというようなことを言っておりますが、その根拠一つお聞かせ願いたいと思うのです。もちろん地方教育行政法の五十一条には、協力して円滑にやるよう努力せねばならないとありまして、これによって大臣に対する協力はあると思います。しかしながら、義務ということがどこから出てくるかということを一つここで明確にしていただきたい。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 学力調査をやることにつきまして、地方教育委員会文部省として協力方要請します根拠は、三木さんも今御指摘になりましたように、地方教育行政法根拠を持つわけであります。すなわち、教育に関しまして必要な調査を求め、報告を求める権限文部大臣に与えられております。もとより御指摘通り日本教育、特に義務教育のあり方としましては、地方分権建前でやるということに貫かれておることはお説の通りであると思います。しかしながら一方建前はそうでございますが義務教育であるがゆえに、特にこれまたお話に出ましたように、教育内容、実体は、文部大臣が定める権限責任を負わされておりますところの指導要領に従ってなされるという建前であるとは御承知であります。これは建前に対する例外的な、国全体の立場から考えて、国民責任を持てという趣旨であろうかと思います。従いまして今度の学力調査を通じて、調査報告を求めるその実質的なねらいは、学習指導要領を定めて実施しました教育成果が、児童生徒学力知能の点から見ましてどの程度全国共通的な立場において実績が上がっておるであろうかということを調査し、報告を求める点にあるわけでございます。調査報告権限を与えられておるその立場から、地方教育委員会協力を要望しておる。必要性実質は以上申し上げる通り根拠は今申し上げた根拠に基づいてやろうとしておるのであります。
  7. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大臣のお考えそれでよくわかりました。しかしここで私はお伺いしたいのは、この学力調査というものが拒否の自由があるかという問題について、義務だといっておきながら拒否の自由があるかどうかというとをお聞きするのはおかしいと思うのですけれども、それも一つお聞きしておきたい。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これを拒否する自由はないと考えます。それは今申し上げましたように、教育内容それ自体が国の責任において、指導要領に基づいて教育されるということでございますから、その結果を全国的な視野において把握するという権限と職責も、文部大臣に与えられておると思うのであります。これはあくまでも、お尋ね以外のことでございますけれども、さっき申しましたような趣旨でもって、学力調査の結果は必ずや個人的な較差学校相互間の較差、あるいは地域的な較差等が現われてくるものと思います。その較差が現われました原因を、合理的に科学的な根拠に基づいて解明して、その原因の除去に努めるよすがにしたい。それを通じて教育の場がもっともっとよくなる方向に推進するための信憑性のある資料にいたしたい。こういうことでございまして、義務があるとかなんとかということの以前に、教育委員会といわず教師といわず、児童生徒のためにサービスすべき側に立って協力してもらうという性質を持っておると思います。これを拒否するなどということは常識的にもあり得ない。もしその無理解のゆえに拒否するものありせば、義務教育改善のためには適当でない態度でございますから、反省を求める意味において拒否は許さないという建前でやるべきだ。全国一斉であるがゆえに意義がある。意味がある。その本質的な目標を阻害するということは許さるべきではないと心得ております。
  9. 三木喜夫

    三木(喜)委員 内藤初等中等局長にお伺いしたいのですが、昭和三十三年六月の二日、岩手県の教育委員会教育長教育行政の執行上の必要な調査実施についての照会に対する文部省内藤局長の回答が、学力調査依頼調査であるとしている。義務であるということが言ってない。依頼調査であるから立法府では、あなたの発言では、五十四条二項の適用で学力調査をせよと命ずることはできない。返上の自由がある。こういうように解するのですが、どうですか。
  10. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 岩手県に回答したのは今手元にございませんが、先ほど大臣がお答えになりましたように、五十四条二項で文部大臣調査報告を求める権利があるわけでございまして、それに対応いたしまして、求められた場合には報告を提出する義務があるわけでございます。今の具体的な御質問につきましては、岩手県の通達をさらに検討さしていただきたいと思います。
  11. 三木喜夫

    三木(喜)委員 それは今度の委員会一つ答弁願いたいと思います。  次にそれでは、こうした学力調査を、大臣の見解なれば、拒否する者あれば、反省を求める意味拒否を許さない、一斉調査だから意義があるのだということを了解いたしまして、はっきりここでお聞きいたしまして、それでは目的について、こうした大きな労力調査をやられて、しかも諸外国のこの種のテストと比べてみまして、あまりにも目的が多い。これをダムにたとえてみますと、私は多目的ダムだと思うのです。多目的ダムを持つということならそれだけの設備とそれから用意が必要だと私は思うのです。歴史的にも国際的にも類例、事例の発見できない、こういうテストでありますので、私は目的から一つお聞きいたしたいと思います。  その前に諸外国の例でありますけれども、フランス一つ試験を持っておりますし、イギリス一般資格試験として十六歳の者をすることになっておりますけれども、ともにこれは希望者、そうして国が直接実施するものではない。次にイギリスの十一歳の試験がこれに似ておりますけれども、県地域必要性から試験委員が主体となってテストするものであって、これには批判もある。相当数の県がこれを実施していない。進学選別にもむしろ内申書が今重視されるような傾向で、こうしたテスト意味をなしていないということなのです。すでに文明国をもって任じておるところの国においてすらこうした大規模テストいわゆる調査が行なわれていないわけであります。やや、アメリカ国防教育補助金によるテスト、いわゆる科学技術方面英才発見進学援助目的国家テストと名づけられる性格のものをやっておりますけれども、これは総員の採点だと序列はつけない、それを重視しない、こういうような建前になっております。  このように私は考えてくると、わが国で計画されております全国学力調査は、諸外国とは比較にならぬものであるということがはっきりするわけです。そこでこの目的としてあの予算審議のときに政府の方から出されましたのは、高校入試にかわるテストにもなるし、人材開発英才教育の資にするというように承ったのでありますが、今それに対しましてかなり目的が変わっておる。なぜこのような変異をしたかということについてまず最初にお聞きしたいと思います。
  12. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この一斎学力調査目的は、三十六年度の予算にわずかながら経費を計上しましたときに考えました目的と何ら異同はございません。先ほども申し上げましたが、もともと義務教育は、政府が定めて国民責任を持つという建前から指導要領が決定されるのであります。国民責任を持つという立場から申しましても、その指導要領内容かどういうふうに普及徹底しておるであろうということを知りかつ先ほど申し上げましたような意味で、それぞれの較差が出てきたとするならば望ましいことではないわけでございますから、元来児童生徒が生まれながらに持っております能力が同じであるならば日本全国どこでも義務教育課程を通じて中学を卒業します場合には、その児童生徒は同じような知能、同じような学力を持って卒業するということでなければならぬと思います。しかし現実はそうそう物理的にきちんと同じにならないことは当然としましても、努めて機会あるごとにそういうふうになるように努力する責任文部省は負わされておると思うのでございます。そういう立場から、今までのサンプリング調査現実には自分の費用で六割もの希望校があるというぐらいに、学校それ自体も希望しておりますし、教育委員会も希望しておりますし、児童生徒ないしは父兄もそれを希望しておるという実情が、五年間のサンプリング調査の結果を通じて推測されるのでありますから、さらに竿頭一歩を進めて、今申し上げましたような趣旨から実態を把握し、合理的な、科学的な根拠に立って教育内容教育現場改善資料にするということが目的でございます。就職のためのテストあるいは進学のためのテストという意味で本来考えたわけではございません。
  13. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 補足説明をさせていただきたいのですが、先ほど諸外国の例がございましたが、誤解があるようですからこの際明らかにしておきたいと思います。  最初フランスの例がありましたがフランス国家試験をいたしておりまして、義務教育の八年を終わったところで、修了証書を出す前に国家試験を行なって、それに合格した者にのみ証書を出すということになっておるわけでございます。それからさらに大学に参ります場合にも、国家試験があるわけであります。イギリスの場合におきましては、御承知通りイギリスフランスも複線型の教育制度をとっておるのですが、大体十一才のところで、初等教育を終わった段階大学に行くコースとしてのグラマー・スクールがあるわけでございます。それからその他のものはテクニカルのスクールかあるいはモダン・スクールに入れるわけです。この選別をする場合にイレブン・プラスの国家試験をしておるのですが、それは御指摘通り州ごとにやっております。この際もちろん学校内申書もあわせてつけておることは事実でございます。しかしさらに大学に入る場合にはGCEという試験制度がございまして、この場合にはお話のように大学を希望しない者は受ける必要はないわけですけれども、GCE試験によって大学に行く資格試験を行なっておるわけでございます。アメリカの場合には防衛教育法がございまして、連邦政府教育に対しては従来は何ら権限はなく、今日も権限かないにもかかわらず、補助金まで出して学力水準を非常に高めようという意欲がありまして防衛教育法援助を受けて今州一斎のテスト実施しておるところ三十数州に上っておるのでございます。
  14. 三木喜夫

    三木(喜)委員 内藤局長の御答弁につきましては、後刻また触れたいと思います。  大臣の御答弁の中で、目的がそう変わっていない、こういうことなんですが、私は今度出された三十六年度全国中学校斎学力調査実施要綱の中にある目的は、おのずから当初言われておったものと性質が違うと思う。違うものが含まれておる。最初申しましたようにいわゆる多目的になっておるという点、ここに、変わっていないとは言いながら、内容的には非常に変わったものが付加されておると思うのです。  それは以下だんだんお伺いして、私の考えを明らかにしたいと思うのですが、次に、五年間やってみて六割希望校がある、だからこのことに対して国民は渇望しておるのだ、学校は望んでおるのだという解釈は、私は多少早計ではないかと思います。  これはまたあとで申し上げたいと思いますが、次に、この目的が私は先がた申しましたように政策的な調査教育的調査とに分かれておると思う。最初申されましたのは主として政策的な調査になると思うのです。しかしながら付加されて最近出てきたものの中には教育的な意味をこれに見出そうと非常に苦心され、無理されておるという点を発見するのです。そこに目的多目的になるとともに、最初より違ってきたということを申し上げたいと思うのです。そうしますと、この調査につきましては、政府といたしましては最初から変わりがないというのなら、政策的な意味教育的な意味とを持っておる、このようにお考えですか、その点を一つ明らかにしていただきたい。
  15. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 政策的とおっしゃる意味がよく把握できませんけれども、先ほど来申し上げておりますように、義務教育の過程において、九年間の成果がその最終段階において全国的な視野からどの程度にきておるであろう、もし較差ありせば原因は何だろうということを突きとめて、改善資料にしたいということが政策的だとおっしゃれば、まさにその政策的な目的があります。学習指導要領の決定それ自体教育内容それ自体でございますから、教育プロパー課題と思います。その成果を知るということだけをとりますれば、教育的調査ということが言い得るかとも思いますが、今申し上げたような意味では御指摘通り本来両方の目的があったのだ、そうおとり下さっても間違いはないと思います。
  16. 三木喜夫

    三木(喜)委員 その目的の一番にあります「文部省および教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立および学習指導改善に役立たせる資料とすること」一番では教育課程に関する施策を、二といたしましては学習指導改善に役立たせると、こうあるのですが、そうしましたらどのように調査施策関係を持っていくかしかもこのやり方が二年生と三年生とをやっていくというところにどういう関連があるのか、それを一つお聞かせ願いたいと思います。
  17. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この教育課程に関する諸施策でございますが、文部省では昭和三十一年来教育課程の検討をしておりまして、サンプリング調査によりまして、いろいろと改善すべき点がございました。特に国語算数基礎学力が落ちたという点で国語算数の時間を大幅にふやすとか、あるいは指導内容について再検討したわけですが、こういうことは今後も続けて参らなければならぬと思うのでございまして、教育課程改正を一応小中高は終わっておりますが、今後の課題としてさらによりよい教育課程を作るためにも必要かと思っております。なお学習指導改善でございますが、今度は従来のサンプリングテストでありますと、五%サンプルでございますから、同種類の学校というのは一県においてせいぜい二校か三校程度に限定されておりますので、もっと広く科学的に資料を分析していきたいと思いまして、どういう条件において成績がどうなっておるかという相関関係等を見るためにも、できるだけ一斎テストをやりますと、その相関関係が科学的に合理的に出ると思うのです。同じような条件のもとにおいて、なおかつ成績が悪いとすれば、これは学習指導改善に待たなければならぬと思います。そういう点からも、各学校において今日まで六〇%希望校がふえましたのは、各希望校におきまして、これを学習指導改善に役立てていらっしゃるわけです。その改善の事実を私どもは率直に認めまして、学習指導改善に努力していただきたい、こういう趣旨でございます。
  18. 三木喜夫

    三木(喜)委員 今の内藤局長のおっしゃるのは、私は牽強付会だと思う点があるのです。それは今まで三十一年から三十五年まで五カ年間この抽出的学力調査学カテストという名前でやって、そしてその結果として今のお話ではわずかに国語時数をふやすとか、算数時数をふやした、これはおのずから別の意味があると思うのです。いわゆる理科教育振興という点からこれをふやす。あるいは理科国語、数学というようなものをふやしていかなければいけないという要請もあったと思うのです。ただ一つだけのことでそういうような施策がなされるとは私は思わぬ。むしろ私の聞きたいのは、三十一年からやられた、しかも今の大臣お話では六〇%もこれを実施しておった、ほとんど半数以上が五年間もやっておって、その中からたった算数国語を多くしたというようなことだけでは私は不満足です。こういうようなことをやっておきながら、今また全国的にこういう大規模なことをやろうとするのは、はたしてどういう意図があるかということと、はたしてそれができるかということ、あと施策ができるかと思うのです。私の知る範囲では、これはあとで教えていただきたいと思うのですが、この学カテストによってただ傍観者的に政府はこの発表をした。都会の方がいなかより成績がよかった、あるいは住宅地の方が商店街よりよかった、京都と東京がトップ・クラスで、鹿児島が最劣等であったということを発表しておるにとどまったような感じがするのです。そういうようなことは、政府がそういうことをやらなくても、教育はおのずから環境と結びつく問題ですからして生活水準というものを考え合わせればすぐに割り切れて出てくるところの常識的なことです。こういうものだけを見せてもらって、そしてこの調査がよく利用できたということは私は言えないと思うのです。そこでどういうことに御利用になったかということを、私の不勉強のためにわからない点があると思いますので、一つ教えていただきたいと思います。
  19. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 教育課程施策の点がございましたので、教育課程の点に触れたわけでございますが、教育課程改正国語算数だけではございませんので、一方においては道徳教育の強化という問題もございますし、地理歴史改善充実という問題もあるわけであります。どうも最近新学制になってから地理歴史の知識が足らないということもいわれておりましたので、今度の教育課改正にあたりましては、もっと地理的なもの、歴史的なものを系統的に教えるようにした、あるいは科学技術振興という要請も一方にございますが、今までの教育課程は何か生活や経験のことをのべつやたらに出しておった傾向もございますので、もう少し実験観察を中心にやるためには、基礎的なものを重点的に学習させる、そしてそれを実験観察によって確かめていくような改正もいたしたわけでございます。  その他いろいろと教育課程改正についての重要な資料にいたしたわけでございますが、ただいまの御質問の要点は、むしろ教育条件整備という問題とからんでおるのではないかと思います。教育条件整備といたしましては、文部省としても定数改善あるいは教員資質向上教材教具整備僻地教育振興特殊教育振興、こういう面におきまして、ある程度の前進は見ておると思います。ただ御承知通り五%サンプリングでは、先ほどおっしゃったように非常に概括的な、僻地が悪いとかあるいは農村地帯が悪いとか都会がいいというような、簡単な結論しか出ませんので、これを五%じゃなくて悉皆にいたしまして、できるだけ科学的にこれを分析いたしましてその条件のよってくるところを究明いたしまして、一そう教育条件整備をはかっていきたい、こういう趣旨でございます。
  20. 三木喜夫

    三木(喜)委員 言葉じりをとらえるのではないのですけども、そういう美辞麗句で過去のテストを利用していないということを逃げられるということは、私は問題だと思うのです。抽出テストというものはそうした煩雑なことを避けるためにやって、しかもそこから科学的合理的なものを抽出するのが目的だと思うのです。全体をやらなければできないという理由はどこにあるのですか、その点をお伺いしたい。
  21. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 五%サンプルでは非常に概括的な結論しか出ないわけなのです。できるだけ悉皆にした方がいいにきまっていると思うのです。そうしてそれがどういう条件にあるのか、教員定数の不足にあるのか、あるいは資質向上に待たなければならぬのかあるいはおっしゃったように地域的な生活環境にもよると思うのでございますが、生活環境の方は、ここまで文部省としてはなかなか入り込めないのですが、あるいは教材教具が不十分な結果に基づくのか、あるいは校舎とかそういう外的な条件が不十分なのか、こうい点は悉皆調査にして、もう少し条件を分析してみないと、にわかに結論が出ないと思うのです。そういう意味で五%サンプリングよりは悉皆にした方がいいにきまっている、こう思うわけでございます。
  22. 三木喜夫

    三木(喜)委員 私が考えられるのは、三十一年から実施した学カテストについては、教材教具とかいう話も出ましたけれども、これは理科教育振興法によってそれだけの補助金を出さなければなりませんし、僻地関係というのは、そういうことをやらなくとも非常に重要だということは、はっきりいたしておるわけなんです。そのために研究会も持っておるわけなんです。自主的な研究会も持っておりますし、文部省指定の研究会も持って、そこで各人の意見を持ち寄っておるわけです。なお学校統合とか、こういう問題でいろいろ補助金等がふえたということは一兆円から二兆円の予算になってきたら当然なわけなんです。それをどういう教材教具に基づくものであるかどうかというものがあれではわからなかったということになれば、何をしてくれたか、これを聞きたい。そうしますと今度悉皆でやりましたところで、そういう万全のテストをしなければ、ただ一回のテストだけで教育課程を改良するとか、あるいはいろいろな施策考えるとか、教育条件考えるとか言っても、これは不可能に近い。ただ数だけいかにも多くしたというだけにすぎないと私は思うのですが、その点どうですか。
  23. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 先ほど申しましたように、ただ都会成績がいい、僻地が悪いというわけにも参らぬ。大数的に見れば確かにそう言えますけれども、僻地の中でも非常に成績を上げている学校も一方にあるわけなんです。ですから、それはどういう原因に基づくのか。たとえば定数が十分なのか、あるいは教員資質がいいのか、あるいは教材教具整備されているのかどうか。同じ僻地の中でもいろいろな条件が重なっておると思うのです。あるいは社会環境がいいのかもしれないし、そういうものをより精密に、科学的に分析して、その結果に対する是正の措置を講ずるように考えていきたい。要するに精密検査をしたいということなんです。その精密検査の健康診断をいたしまして、悪いところを直して、学校較差を是正して参りたいというのが、その趣旨でございます。
  24. 三木喜夫

    三木(喜)委員 精密検査とおっしゃいますけれども、検査のやり方をいろいろ考えてやるのが精密検査ですよ。一回だけぽっとやってしまって、しかもマル、ペケをつけるようなテストを一回だけやって、しかもそれで精密検査をやっておるというのじゃなくて、これはずさんな全体テストをやっただけ、費用をたくさん使っただけということに終わると私は思うのです。精密テストはそんなものじゃないと思うのです。あなたのお考え方は、人数さえ多くしたら精密テストだと考える。それは地域的な密度はつかまえられるかと思うのです。しかしながらテストそのものは、実にずさんな——見ておりませんけれども、一回だけやる。どういう方法でやられるか、私は非常に疑問に思う。  まずこの一点一つ申し上げておきたいことと、教育課程の問題をおっしゃっておりますけれども、教育課程は本年変えただけで、来年からこれは実施するわけなんです。今移行措置をとっておるわけなんで、中学校はてんやわんやです。現場の教師は移行措置で非常に苦労しておるわけなんです。それをはやって——もちろんそういう要素は見つけなければなりませんけれども改訂をするというようなことが考えにあるのだというようなことは、私は明らかにこじつけだと思うのです。  これが一つと、百歩譲っていろいろなことを改善するところの効果のあるテストだ、調査だ、こうおっしゃるとしても、私はこの一回だけでは問題だと思う。ここに一つ焦点を置いてもらいたいと思う。精密検査なんてことをおっしゃいますけれども、精密検査というのは、その質の問題ですよ。量の問題じゃないと私は思うのです。  それからぺ−パー・テスト教育の骨子をなしておるところの知育とか徳育とか、しかも体育とか、特に技術とかいうようなものが一体どうしてわかるのか。これらがやはり教育課程の中に入っておると思うのです。荒木文部大臣は、形式的な、公式的なことはおっしゃいます。これによって教育課程を改訂するのに非常に重要である、教育課程はおれらにまかされたところの権限だからやらねばならない、こうおっしゃいますけれども、教育課程内容をなしているものにはそうした重要な骨がある。その骨全部をこの一同のテストの中に入れて調査ができるかどうか、これも大いに疑問があると思いますが、その点どうですか。
  25. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 精密検査と申しましたのは、従来サンプリングでやっておりました場合には、毎年やっているのではなくて、国語算数をやるとか、あるいは理科、社会をやるとか大体二教科くらいずつやるわけでございまして、全教科にわたるわけではございません。また範囲が五%という点で非常に極限されておった。希望校は五、六〇%参加を見ておりますが、これは文部省の集計の対象にはしていないわけでございます。ですから分析をいたしていないという点に不都合な点があったわけでございます。今回は五教科にいたしまして、国語、社会、算数理科、英語、これは毎年続けていく、そうして学習指導改善について御研究もいただきたい。毎年やっておりますと、ことしかりに悪くても、その結果、どこに原因があるか、教育条件整備に待たなければならぬ点もあるかと思いますが、同時に学習指導改善を今日まで非常に努力していらっしゃるわけで、それは栃木の例のように悉皆でやりまして、毎年々々成績を上げていらっしゃるところもあるわけでございます。ただぺ−パー・テスト性質上どうしてもそこに限界のあることは御指摘通りでございます。五教科以外を今回省きましたのは、実技を尊重する、音楽とか図工とか家庭とかあるいは保健体育というようなものは、本来実技を中心にしなければならぬ問題でございます。ペーパー・テストをやりましても、たとえばベートーベンがいつ生まれたとかミケランジェロがいつ生まれたということに終わりがちでございまして、そうしますと、そういう点の暗記だけに終わって、かえって実技尊重の本来の教育の姿をゆがめるのではなかろうかという一面不安もございまして、これは将来十分検討を続けまして、何らかいい方法があれば実施したいという気持を持っているわけでございます。  それでは実施するところの五教科にについて指導要領がねらっておる全領域がカバーできるかという御指摘でございますが、全領域のカバーは、私も困難かと思います。しかし指導要領がねらっているところの基本的なものは、大体この程度の到達度を期待している場合に、その到達度は大体これでわかるのではなかろうか。ですから、ぺ−パー・テストの制限がございますが、ある程度はこれで十分把握できるものと心得ているわけです。しかもこの一回のテストとおっしゃいますけれども、私どもは、指導要領の各分野にわたりまして、問題を選んでいるのでございまして、今御指摘のあったように、マル・バツがいかぬというお話もございますが、文書表現にいたしますと、子供も書くのに大へん厄介でございますし、どうしても主観が入りがちだし、採点する方も主観が入りがちでございますから、客観テストとしては無理でございますので、このマル・バツにしたわけでございますが、私も実はマル・バツについては、以前は多少疑義を持っておりましたけれども、実際にやってみまして、マル・バツの非常にいかぬ点は暗記をさせるような問題があるとこれは非常にまずいと思う。そうではなしに、基本的なもの、原理的なもの、原則的なものについてどの程度理解をするか、能力と判断力があれば確実に正解を立て得るという問題をつかみ得るならば、マル・バツもけっこうではなかろうか。それから世の中の事象を見てみましても、新しくものを考えるというよりは、幾つかの命題があって、その命題に対して右にするか左にするかまん中にするかという態度決定を迫られるわけです。実際世の中の事象を見ても、そういう部面が非常に多いのです。これは心理学者の一致した見解でございまして、決してマル・バツがいけないというのではなくて、これはむしろマル・バツの出し方の問題だと思う。ですからその点については、今度二十六日に行なわれるテスト試験問題を見ていただいて御批判を賜わりたい。私どもは、平素学習しておれば、十分できるようなきわめて常識的な問題でございますし、しかも暗記を主にしませんで、あくまでも能力と判断力を見る。問題の内容はどこの教科書にも出ているようなありふれた問題であり、しかも基礎的、原理的な問題にしぼっておるわけでございますので、テストの問題を一つごらんいただいて御批判を賜わりたい、こう思うわけでございます。
  26. 三木喜夫

    三木(喜)委員 問題をもちろん見せてもらう必要があると思います。その上で申し上げるべきところもあると思うのですけれども、ただいま申し上げましたのは、マル、ペケがいけないということです。マル、ペケというものは非常に便利です。便利だけれども、その教育内容をなしておるものをこういうものでつかみ得るか。いわゆる人間形成をねらうところの教育が、こういう知的なもの、紙の上に表わすことによって、そういうものがつかめるか。それをつかむことによって指導要領というものの改正考えたり、課程を考えていかなければなりませんのに、それは原理的なもので、知的なものをこう配分して、こっちかこっちかという判断さえつけば大体可能だということは、私は詭弁だと思う。むしろ今局長がおっしゃったように、べートーベンがいつごろ生まれてどういう曲を出したかという知的な問題を音楽で課してみたところで、これは意味がないとおっしゃったように、地理でも算数でも理科でも、こうした能動的な身体的な半面があると思う。単に知的な問題ばかりを言うのでなくして、私はそうした面ができないということを言っておる。逆にあなたの説を私はお借りしたいと思う。音楽ができないと同じように、理科にも算数にもできない面があると思う。国語にはなおさらあると思う。日本的思考というような問題は、とてもマル、ペケでは表現できない。それなるがために、音標文字だとか表音文字だとかいうことで、おたくの管轄下の国語審議会でも、荒れに荒れております。ああした文字そのものだけでも非常な混乱を呼んでおるのです、その中に持っている意味をつかまえるとかつかまえないとかいう問題で。それにもかかわらず、教育の大きな分野をなしておる柱であるところの地理とか理科とか体育というものが、ただ判断だけで、紙だけでやろうとするところに危険きわまりないものがあると思う。この点御反省を願いたいと思います。ただそういうことを強弁されるだけでは私は問題であると思う。  次に百歩譲りまして、この一回のテストでそういうものがまず可能だと思いましても、学力調査というものには、私は教育テストなら、先ほど大臣がおっしゃったように、これが教育テストとするなれば、やはり要素的な能力、これはいいかもしれないと思う。それと関連、概括する能力が必要だと思うなお行為的能力が私は必要だと思う。こういうものが、三の目的のところに、学習の到達度と教育的諸条件との相関関係を明らかにし、教育条件整備する資料とする、私は教育条件というものは、学力はこういうものであって、学力調査はこういうものであって、教育条件というものは、単なる簡単な抽出では出てこないと思う。かなり複雑多岐なものが教育条件になってきておる。多様なものを持っておると思いますが、それを分析していくところに、私は教育条件整備する大きな意義があると思うのですが、これに対しては相当用意周到にかからなければならないわけですが、この学力調査だけで条件相関関係が検出されるとは思わないのです。そういう意味合いにおきまして、これを理科考えてみたいと思うのです。条件整備の問題を、たとえば理科の実験器具を利用されている場合と、それを利用されていない場合とを考え合わせて学力相関関係がどうかということを見るためには、その準備をしなければならぬ。ただいきなりの試験では、ペーパー・テストの方が頭の中で暗記しておってさえいい点がとれる場合がある。逆の結果が出てくると思う。そういう結果が出てきたときに、はたしてその学校、その地方においては理科の器具が足らないということをそのテストの中から抽出できるかということが問題だと思います。それにはそれなりの準備をしてかからなければならない。私は兵庫県で先生の採用試験をやったことがある。教師がなるほど、マイナスとプラスとをこういう工合につないだらということで言葉ではよくやるわけですけれども、実際に電池と豆電球をつなぎ合わさせたところがつなげない、電気が通じない。電気がともらないというような事態が起こっている。テストでは合っている。口ではよく言うわけです。しかし実際にはそういうことが起こってくるのでこんな一回のテストだけで、しかもそのテスト内容を見、調査内容を見て、それができている、こういうふうに自負されているように思うのですけれども、これは私は不可能だと思いますが、どうですか、この点お聞きしたい。
  27. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 ただいま理科お話が出ましたが、理科の問題を作成するにあたりましては、平素の実験観察を十分にやっていればできるような問題でして、ただ記憶にたよっているようではいい成績はとれないと思います。だから平素どの程度実験観察をやっているかということが如実にわかるような問題を選んでおりますので、この点も一つ十月二十六日の問題を見て御批判を賜わりたいと思います。一般に条件の問題でございますが、いろいろな非常に複雑な条件がございますので、五%サンプルではそれはとても整備できない。悉皆調査にしてできるだけ要件を整備して、分析をこまかくいたしまして条件整備をはかって参りたい、こういう趣旨でございますので、あなたの御主張のようにするためにも悉皆が必要ではなかろうかと思うのであります。
  28. 三木喜夫

    三木(喜)委員 悉皆というのは範囲を私は言っていると思うのです。その中で質的にそれができるかということをお聞きしているのに、全体をやらなければできる、できぬというふうにおっしゃっているのはどうも私の言っているのと食い違っていると思います。しかしこの点は並行のままいきたいと思います。  次に、目的の四です。目的の四に、育英、特殊教育諸施設などの拡充強化、こういうことがあげられているわけなんです。育英ということは、いわゆる人材をここで見出すということになると思います。人材というものが、これも一回のこうしたテストではたして見つかるのか、英才教育とか人材を見つけるということについては、家庭環境あるいは行動面、それからテストにいたしましても、数回のテストをやるべきだ。一ぺんでぽかっと当たるものもあろうと思いますけれども、慎重にやらなければならぬ面があると思います。行動面や観察面があると思う。それをここに英才教育、英才を見つけ出し、そして特殊教育の諸施設なども拡充強化するということをあげておられますけれども、人間全体として、人格的な接触においてこれは見出すべきものだ。これはむしろ教師にまかすべきものではないか、教師を信用すべきものではないかと思うのです。それなるがために、英才についてはすでに各県からこれについては育英資金とかなんとかいう形の中で調査したものについて、今度は給与金を出そうとされている。それでこれだけでやろうということになりますと、非常に危険なものになってくる、私はこれは教育がやがては形式化し、ラジオでもよいというようなことに連なり、しかも画一的な官僚支配や中央集権に連なっていくという危険さえあると思う。名前はまことにいいですよ、英才を発見する……。こんなもので英才を発見できたら大へんだと私は思うどうですか。
  29. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 多少誤解があるようですが、今イギリスでは小学校から試験をやっているのですが、このテストによって育英資金をきめるということではない。現在でも育英については、育英会で特別奨学生については試験をやっていらっしゃるわけですが、このテストはむしろどの程度育英資金をふやすべきかという一つの目標になると思うのです。特別奨学生は今年は一万二千人になっておるわけですが、その一万二千人でいいかどうかという問題があるわけです。相当成績がよくて、しかも経済的に恵まれない者がどの程度あるのか、それならば一万二千人の特別奨学生のワクをさらにふやすべきではなかろうか。それから特殊教育整備につきましても、これは当然のことで、今やっておりますが、非常に知能のおくれた子供が多いなら、もっと特殊教育の計画のスピード・アップをしていかなければならないのではなかろうか。こういう点を考えておるのであって、このテストの結果奨学金をきめるとか、あるいはまたテストの結果、この子は特殊教育の施設に入れよう、そういうことを言うておるわけでは毛頭ないわけです。その特殊教育振興をはかり、あるいは育英資金の増額をはかる一つのよすがにしたい、こういう趣旨でございますので、誤解のないように願いたいと思います。
  30. 三木喜夫

    三木(喜)委員 まず私もそういうようなことを大体思っておりますが、育英制度というものについてはそれなりの方法でやっておりますが、それでけっこうです。その中でそれをやって発見できるかどうかということを問題にしておるわけです。  次に私はこういうように考えてみましたときに、やはり政府は隠された、いわゆる有史以来の全国的な、しかも大規模テストをやるというその裏には、やはり人材開発テストというような説明をしておりますけれども、労働力の編成計画だと、率直に言って申し上げたいこれが隠されていると思うんですね。それなるがゆえに所得倍増計画では経済企画庁を中心として、こうした人材開発を急いでおる。科学技術庁も、技術会議も、この人材開発要請しておる。教育訓練小委員会においても要請しておる。いわゆる大企業の要請に率直にこたえようとするところに私は問題があると思うんです。今までの目的というものは、全部それらを適当に国民に対してアピールする言葉であって——実はこれであると私は思う通常国会の席上、あるいは初級技術者中級技術者というように、技術者のことか非常に問題になりました。そこで社会党といたしましては、技術者、いわゆる単純労働者や中堅労働者、そして技術者、研究者というように段階を分けて、日本の労働力というものを再編成する意図がこの中に隠されておると私は思うわけです。それは私は非常に危険なことだと思う。なぜかといいますと、中学校においてこういうことをやることは差別教育をもたらす、これはやかましく教育委員あたりも言っておりますけれども、これは私は私なりの立場から非常に危険だと思う。私は中学校の二年生の教師に聞いてみますと今就職組と進学組と分けるときに非常に困る。ます父兄の立場進学組に入れてもらいたい。しかしながら人数の制限や教師の手の不足、教師の人数なんかを考え合わせて、そう柔軟なことができないので、進学組と就職組とに分けていく。そのときに父兄は非常に不満に思う。教師も非常につらい思いをする。そうして子供もそういう就職組を非常にきらうというような形が出てきておる。このときにどんぴしゃりとこれを使うことは非常に便利だろうと思いますけれども、一回のこういうようなテストでこういうことをやるということになりますと、これは子供の性格といいますか、特性を非常にそこなうものだと私は思う。現在そういう事態が起こっておるわけなんです。こういうような労働力の再編成だということ、そういう危険が一つあるということ、これは現場では非常に困っておるということです。それからもしこういうような教組政策を目的としたものでなくして、むしろこうした労働力の再編成だということだったら、私は文部省以外のところでこの調査をなさったらよいと思うのです。その点はどうですか。
  31. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 労働政策とか、あるいは人的資源の開発というようなことは全然考えていないのでございまして先ほど来大臣が申しましたように、新教育になりましてから非常に学校の地域差が激しいことが新教育の欠陥なんです。この欠陥を是正しようというのが、このテスト調査のねらいでございます。従って、これで人間の較差をつけるとかいう考えは毛頭ないし、これによって労働対策としての人材開発をしようという意図は毛頭ないのでございます。ただ御指摘のように、中学校で今のところどういう状態になっておりますかというと、御指摘のような点も私はあろうと思います。それは進学する者の方ばかりめんどうを見て、就職する者はほったらかしておくという実情か一面にあるわけであります。父兄の要望としては、進学するような者あるいは英語や数学の能力のある子供にはぜひそういう教育をしていただきたいし、また就職する子供にも進学する者と同じようなあたたかい配慮をもって就職に必要な勉強をさせていただきたいということは父兄側の希望であるわけです。ですから、これはやり方なんです。子供たちに劣等感とか、あるいは差別待遇を与えるというようなやり方をしてはいけませんが、子供たちの理解と父兄の協力を得ますればうまくやっている学校も相当あるのでございまして、決して私どもは、これによってそういうものに拍車をかけるという意図は全然考えていないのでございます。
  32. 三木喜夫

    三木(喜)委員 次に私は、やはりこれによって競争心を激化しないかという問題を指摘したいのです。すでに新聞で御存知だろうと思うのですが、どうお考えになっておるかお聞きすべき筋合いのものだと思うのです。山梨県ではテストについて予備的にそういうテストの練習をやるというような事態が起こってきておる。九月三十日の朝日新聞では、県教委が例題を配って小学校学力調査に備えておるとなっておるのですけれども、こういうことをすでに山梨県ではやっておりまして問題を惹起しております。こうしたことを文部省かやるということになりますと、勢いこういう傾向に私はなってくると思う。そういう官尊民卑の考え方はいかぬとか、あるいは事大主義的な考え方はいけないと言いながら、県教委とか市教委においてはそういう事大主義的な考え方が非常に強いわけですそれともう一つは、自分のところがいい点を取りたい、こういうような考え方からそういう予行演習ということが起こってくるわけです。文部省としては、これについては決して事前にそういう練習をしなくてもいい問題か出ておって、こういうことをしなくてもいいということを言っておりますけれども、その他の府県でもそういうことをやっておるところがあると聞いております。  これが一つと、もう一つは、それよりも問題なのは、中国がかつて官吏登用に対しまして試験制度を用いたことがあります。今でも日本にも試験制度がありますけれども、いわゆる暗記一本の試験制度によって登用したときに、非常な弊害を中国に及ぼしたことを聞いておりますが、日本教育の中でこのペーパー・テストの弊害を考えておきながら、ペーパー・テストは非常に便利でありますから、そういう方向に進んでいくというような傾向が出てくるここに一つの弊害が出てきますし、なお競争を激化する、こういう傾向について文部省はどういう考え方を持っておられるか。すでに方々の府県で現われておりますから、その点について伺いたい。
  33. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 学習指導改善し、そうして学校較差をなくすという意味において努力されることは私は当然だと思うのです。ただ、無用な競争をするのは意味がないと思うし、教育的に弊害だと思う。ですから、私の方としても、この調査の結果は公表しないということにしておるわけであります。公表しますとそういうおそれもなきにしもあらずでございます。これは予備テストをしたから成績が上がるというようなものではなくて、ふだんの学習の改善教育条件整備に待たなければらぬ問題でありますから、決して私どもとしては予備テストをしたからあるいは予習をしたからいい点が出るというような問題は絶対に選んでいないのであります。この点は予備テストをやられたから成績が急に上がるというものではないので、かりにそれはおやりになっても失敗するだろうと思っております。  それから試験の弊害というお話がありましたが、そんなに弊害があるなら今日希望参加で六〇%もやるわけはないと思う。このテスト結果が学習指導改善に役立っておるからこそ六〇%が現在希望し、しかも父兄の負担においてやっておる実態を見ていただきますならば、このテストの過去五カ年の成績は非常によかったと私たちは考えておるわけであります。
  34. 三木喜夫

    三木(喜)委員 それは私はノーと言いたい。六〇%のテストを任意的に希望的にやっておるということが、非常に効果があったからという考え方は最もはね上がった考え方だと思う。なぜかと申しますと、父兄は自分の子供の成績をよくしたいということは第一の念願です。しかしながら、今の教育のやり方、高校の進学テストのやり方というものは非常に地域偏重になっておる。地域偏重になっておるから、それに合わそうと思ってやっておられる。非常に巧利的な考え方で、自分のところの子供のほんとうの教育考えていないと思う。教師もあるいは地方教委も、これは先ほど申しましたように事大主義的な文部省かやることに合わしておけば、高校の入試も大体この線だろうというような安易な考えでやっておる。もちろん先ほどおっしゃるように、自分のところの水準というようなものをそれで見出そうとする、そんな考え方があるかもしれませんけれども、ほんとうの教育水準はそんなものでわかるものではない。そういうようなことで、私は逆説的に、六〇%もこういうことを自発的に希望してくるというところにやはり警戒すべきものがあると思う。それをもって即文部省がこれだから調査はいいんだというような考え方をすることは一つ反省してもらわなければならぬ要素があると思う。  次に、指導要録にこれを記入するということについて文部省は非常に固執しておりますが、記入の義務は一体どこから出てくるのですか。これを一つ承りたい。
  35. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 指導要録というのは大体生徒の原簿みたいなものでございまして、いわば戸籍謄本のようなもので、この中には生徒の初代の学校から校長さんあるいは担任の名前とか、あるいは父兄の名前なり、職業なり、あるいは入学前後の状況等、なるべくつまびらかにしているわけでございます。この中にはもちろん出欠の状況も入りますし、身体の記録も出てくるわけであります。さらに、学校における各教科別の判断が、評価が入っているわけです。その教科の中に、国語、社会、数学、理科というようなものがありまして、それぞれの中で、たとえば国語の中でも、言語への関心とか、あるいは読解力がどうとか、作文の力がどうとかというふうにこまかく評価がされるわけであります。そのほかに子供たちの行動の様式も入るわけであります。たとえば性格のようなもの、自主性があるとか、責任感があるとか、根気強いとか、あるいは協調性があるとかどうとかいうふうに、大体子供のいろいろの面からの観察が行なわれるわけであります。その中に標準検査の記録というのが現在もあるわけでありますがこの中には、民間でやっておるものでも、信頼度の高い知能検査、あるいは適性検査というようなもの、あるいは学力検査というようなものの記録も含まれることになっておりますので、この中に文部省テストも入るのがあたりまえだ、こう考えておるわけでございます。ですから、指導要録というのは生徒の原簿でございまして、いろいろな角度から観察し、見たそのままを記録するのでございまして、これをどう使うかという問題とは全然別でございます。
  36. 三木喜夫

    三木(喜)委員 適性検査とか、あるいは精神検査とか、こういう問題を指導要録に書くことは、その学校実施した場合、これがいいと思えばいい。これを文部省かその場所に記入せいというような強制をする根拠が薄弱だということを私は申し上げているわけです。指導要録は、先ほどおっしゃったように原簿的な役目をする、これはもちろんです。これは戸籍謄本的な役目を持っておりますけれども、ほんとうはこの指導要録というものは、動いているところの子供の実態をここに書くわけです。そうして指導していくところの材料を次々にどんどんそこに書いていかなければならぬと思うのですが冒頭からずっと申し上げておりますように、教育的な調査として非常に不備なんです。これはもう何回も何回も精神検査のように事例によって研究し、そうして実施してみた結果、また当てはめてやってみた結果知能テストこういうものと同じようにいくかどうかということです。私はそこに非常に疑義の念を持っているから最初から言っているのですが、そうした非常に不完全な、これから見てくれというようなものをもう記入せいというような、こういう先回りした考え方というものはどこから出てくるのか。そこへ記入するのだったら、大伴式とか何式というようにかなり権威あるものを記入するのが基準としてはいいと私は思うのですものさしとしてはいいと思うのです。文部省の方は信用がないと言っているわけじゃないけれども、まだ非常に危険かあるということを言っているのですけれども、それを強制的に記入したければいかぬというようなことを言われておりますから、その根拠を聞いているのです。ここで書けというような問題ではないのです。
  37. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 民間の知能検査、適性検査、学力検査も記入することになっております。これは信頼度の高いものであります。文部省もことし始めたわけではない。先ほど申し上げたように、すでに五年も前からこの問題はやっておるのであります。現場でも大体御理解いただいているわけでありますので、相当文部省責任を持ってやっている調査でございますから、私どもとしては、民間のテストに決して負けないし、あるいはそれ以上だという確信を持っているわけでございます。
  38. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そんなことはないです。テストというものは、先ほどから申し上げておりますように、あなたがおっしゃるように子供の戸籍謄本的な役目を持つようだったら、やはり各方面から類推したところのテストでなければならぬのに、ペーパー・テストでは危険だと言っておるのです。それは大丈夫だ、それをここに記入することは、文部省権限でやるというような権限押しつけだけでは解消できない。そういう行き方は一つのファッション的な行き方だと思います。どこに法的根拠があってそれをやっておられるのか。おなたがおっしゃるように、あなたは売る方ですから、この品物は非常によろしいと言うのはあたりまえの話ですが、受ける方はずいぶん危険だ。どこにおいても衆議院においても、私は非常に危険だということを申し上げておるのに、売の方がそういう宣伝だけで書け、こういうことでは納得がいかないと思います。その根拠を示していただきたい。
  39. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これは学校教育法施行規則等にも根拠があるわけでございまして、生徒の原簿というものは保管の義務があるわけです。その保管の場合に担任の先生の評価ももちろんけっこうでございますから、当然担任の先生の評価が出るわけです。それから子供たちについての観察として、どういう性格を持っているか、あるいはどういう行動様式を持っているのか、そういう立場からの記録が出るわけです。しかも民間のテストも書くことになっておるのですから、文部省のものを書くのも私どもは当然ではないかと思うこれを書かないという方に私はむしろ逆に非常に疑問を持つのです。なるべく子供の記録というものは詳細に書いた方がいいと思うのです。いろいろな角度から見た方がその子供の能力なり性格というものは把握できるというふうに思うわけでございます。
  40. 三木喜夫

    三木(喜)委員 戸籍謄本的な役目を持っておるものに、今おっしゃるように学校教育法によって記入するといのは、その言行とかあるいは行動様式とか、こういうものは十分見た上で、そう軽々に書くべきものでないという考え方で記入するわけです。補助簿を置いて、その補助簿で一つの類推をして、試験も各方面の試験をして平均して点を書く。上中ではありませんけれども、五段階に書く場合には五段階にこれを表わしていくわけです。そしてそのうちで何はすぐれておる、かにはすぐれておるということを克明に書いて、読解力はすぐれておるとか、あるいは理解度がどうだとかいうようなことを書いていって、そういう非常に親切丁寧な取り扱いをするわけなのです。なぜかというと、これが戸籍謄本的な役目を持っておるからです。それに対して文部省がやっておるから、民間のやつは記入するのだからおれたちのも記入するのはあたりまえだというような言い方では納得がいかないということを申し上げておるわけです。いわゆるレッテルをはるわけなのです。文部省が一年一回だけやって、これは中か上かという選別をするわけなのですが、そんな選別では危険だということですそれを書いて、それがもうその学校を卒業した後に全部残ります。一つのレッテルです。そういうレッテルをはられて、その後どんどんその子供が成長して参りましても、あの中学校のときにどうだったのだというようなことで評価されると思うのです。こういうようなものであるからして慎重にしてもらいたいということを言うのです。それは指導要録の場合で法的な根拠は一向私にはわからないが、まずそういうことにしておきたいと思います。  次に、時間もたちますから、文部省権限の問題で申し上げたいと思うのです。  神奈川県が神奈川方式なるものを出しておる。私はこのことについてよいとか悪いとかいうようなことの批判は一応避けたいと思う。しかしながら神奈川方式というものは、この新聞で見ますと、あるいはそれが新聞の社説にもなって出ておるわけですが、きょうの様子では、五日午後十一時半、神奈川県教育長室で教育長と日教組の委員長の間にこの神奈川の方式が調印された、指導要録に記入の点については調印文書には触れない、実施まで話し合いを進めておる、こういうことで未成熟のままここで調印がなされているわけですが、神奈川方式の一つの特徴といたしましては、教育診断の意味が少ない、政策テストの形のものは教育条件整備のためということに目的を置いて、県教委責任と自主性をもってこれをやっていく。いわゆる教育条件整備する、個人の診断ということを除外しておこるとは御存じの通りです。従って、氏名を記入せず番号でこれを書く、五項目だけでなくして、知育偏重の傾向を是正するというようなテストをやるわけです。私は神奈川方式がよいとか悪いとかいうことは避けたいわけなんですが、こんなふうに現場では非常に苦労しておる。こういう苦労が今実って神奈川県ではそうした方向をたどっておるが、文部省はこういうことについて今後どう処理しようとしておるのか、いわゆる拘束しようとするのかどうかということを私は聞きたい。過般、学カテスト神奈川方式に対して文部省は再検討を望む、こういうことを書いておりますけれども、なるほど検討を望まれたでしょうが、結論的にはどうなんですか。私はここでこれを全体的に見まして、こういう工合に考えてみましたときに、このテスト実施責任は一体県教委文部省かという権限の所在いや責任の所在ですねあなたは権限を主張されておるわけなんですが、責任の所在を一つ明らかにしていただきたい。
  41. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 その点は一番最初の御質問に対して触れて申し上げたつもりでおりますが、義務教育全国的な視野からする到達度いかんということを確かめて国民におわかりいただく、あるいは教育の場において責任を果たす、改善のかてにするということは、その責任権限文部省にあると思います。それゆえにこそ、先刻も申し上げましたように、学習指導要領文部省責任によって定めて、そのワクの基本線の中で教育が行なわれねばならないということにもなっておりますので、今申し上げた効果を発揮せしめるために、教育委員会文部省からの調査要求、報告要求に応じて実施せねばならない資任と権限があるわけであります。その教育委員会の指示に基づいて学力調査の仕事を学校の先生方がやらねばならない立場にある。そういう相関関係において、文部大臣から始まって学校の一人々々の先生が一体をなして国民責任を持って行なう、そういう筋道かと思います。ですから、第一次の責任権限文部省にあり、それを受けての次の段階国民に対する責任地方教育委員会にあり、さらにそれを受けて学校の現場の先生たちにあるこう一体をなした責任関係国民との間にある、こういうように考えております。
  42. 三木喜夫

    三木(喜)委員 権限でどういうようにつながるかという問題をお聞きしているのじゃないのです。文部省が今回の学カテストで最も批判されているのは、文部省のいう目的がいかにもあいまいな点である。人材開発資料とか高校入試の参考などといって、現在ではその点も一応否定しているものの、学校差、個人差を調査し、しかも一人一人の生徒の学習指導要録に記入を強制しようとしている。つまり強制的実態調査、これは私は政策テストだと言うのです。教育診断テストを並行させていく、教育診断テストなら教育診断テストとしてりっぱな配慮が必要だということを冒頭申し上げたわけです。ただ紙一片、一回だけで教育テストだというようなことは、非常におかしいということを私は申し上げたい。それから実態調査なら実態調査に即したところの、政策テストなら政策テストらしい打ち出し方をしなければならない。このこと自体に対する教育的の権威これを、文部省責任をどう考えるかということを申し上げておるわけなんです。この点を神奈川方式ははっきりついておる。問題用紙に生徒の氏名は記入せず云々というように、先ほど申し上げましたような自主性と責任においてやっております。文部省はこのことについて自主性と責任を持ってもらえるかどうかということをお聞きしておるのであります。大臣から命令を下したら当然やらなければならぬというような公式的なお話は、荒木文部大臣なら当然言われることはきまりきっておることです。だからそういうことをお聞きしておるわけじゃない。教育的権威に立って、責任を持って一つ答弁願いたい。神奈川はこうしておる、文部省はこうだ、これをやるなというように権限でとめるということも可能でしょうけれども、そうでなくして、いいものはいい、悪いものは悪いという判断に立って御答弁を願いたい。
  43. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これは一般的にペーパー・テストが十全のものでない、それ自体欠陥を包蔵しておるということは、このやり方を実施するにあたりましても、文部省として当然考慮しておるところであります。これはどうもペーパー・テストに伴う必然的なものでありまして、どうにもしょうがない。だから一斎テスト調査等をやりますについて、ペーパー・テスト以外のよりよきものが、具体的にこうすればいいのだというものがあればむろんそれによりたいと思います。学校の入学試験にいたしましても、就職試験にいたしましても、ひとしくそういう欠陥が付随しておることは承知しながらも、大勢を察知するには足るという信憑性に価値を発見いたして採用してやっておるわけでありまして、ですから調査のやり方、テストのやり方、方法等は、回を重ねるごとに三木さんの御意見を初めとして、また現場の教師等からも御意見を出していただいて、こうすればもっとよくなるという改善意見として十分尊重して、前向きに改善する努力をすべきものという関係に立つと心得ております。本年十月二十六日にやります場合には、文部省責任においてこの方式より以上のことは、今の時点においてはよりよき方法は発見できない。だから次善の策としてこれをやるのだ、来年はもっと改善してよりよきものとしてやるのだ、年々歳々繰り返すに従って御協力をいただいて、よりよくしていきたいという建前のものであります。ですからこの一斎調査の効果があるかないか、適切であったかないかの責任というならば、これは文部省国民責任を負うべきものと思います。そういう責任に立って教育委員会にも協力も要望し、また教育委員会学校の先生方にも協力を要望するというやり方でやる。これに対して教育委員会がいろいろ意見があるからやらないのだとか、基本線を変えるのだということは、責任の所在が不明確になりますから好ましくないと心得ております。ともかく実施する。実施したよし悪しの批判は国民に対して国会を通じて文部省責任を持つ。その責任体制を明確にしながら前進していくところに、毎年々々やるであろう学力調査成果が一歩ずつ前進いたしていく、そういう心がまえでやらねばならぬと考えております。
  44. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大臣の御答弁はいつも空理空論で空転しているのです。前の国会のときも私は申し上げましたように、池田長官は科学者の待遇を改善しなければならない、それについてはこのようにやらなければならぬということを言ったわけです。あなたのお考えというのはあの待遇改善のときでも待遇改善は非常に重要でありますからして前向きの姿勢でやりますということをおっしゃっておりますけれども、また給与改定がやってきた、そのままずるずる引っぱってそのうち大臣をやめられてしまう。私たちは空理空論に飽いておる。これは教育上非常に重要だからどういうようにお考えですかということをお聞きしたい。きょうはこの神奈川方式を認められるのか、これはだめだとおっしゃるのか。教育的に私たちは責任を持ちますということは一つの空理空論です。こういうことでは私たちは納得がいかない。神奈川でこういう方式を立てておるにかかわらず、これを一方認めておきながら、文部省はこの方式をやるのですかどうかということが、この神奈川方式に対するところの教育的な文部省の識見を持ってお考えになり対処する問題であろうと思います。それが一つ。  その次に、今はしなくもあとでお聞きしようと思うことを大臣は言われたものでありますが、現場の教師もこれに対しては献策してもらいたいというようなことをおっしゃっておりましたがなぜそれなら最初から献策するように話し合いをなさらないのですか。これは朝日新聞の社説にも書いております。中央では日教組を相手にせずということでこの学力テストの問題については全然会って話をなさらない。書に対して一片の通達を出すというか返事を出すという、こういう形だけをとっておきながら、言葉では現場の教師もこれについて献策してもらったらいいのだというような非常に大らかな御答弁である。しかし事実は古武士のようにこわもての態度をいつも、あなたの一つの特徴であるかのごとく持ち続けておられるのですけれども、それだったらなぜそれをなさらないのかということをやはりここで言いたいと思うのであります。その点で大臣もいろいろお考えもあるだろうと思いますけれども、私は非常に遺憾と思います。その点について一つお聞かせ願いたい。この二つについてお伺いします。
  45. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 学力調査は一斎のやり方、一斎の時期にやることによって意味があるわけでございますから、神奈川方式なるものはその意味において脱線しておる点があると思います。これは神奈川県当局に対しては反省を求めたいと思っております。  それから話し合いをしろとおっしゃいますが、現場教師という立場における教師とは話し合いをいたしております。一人一人とは現実問題としてできませんので、学校長がその現場教師を代表しておられると考えて、学校長に御相談をし、意見も徴して、これは実施することにいたしております。また現場教師の意向もくんであろう教育委員会とも話し合いをして、意見もとり入れてこれを実施することにいたしております。ただおっしゃる話の中で日教組が全国大会ですでに団体意思を決定して、実力を行使してでもこれを拒否すると決定をいたしております。このことはILOからの日本政府に対する正式回答にかんがみましても脱線しておると思います。教育政策ないしは学習指導要領の線に沿って教育が行なわるべきことそれ自体に対して労働組合としてかれこれ言うのは、私は団結権の乱用であると心得ます。そういうことが行なわれておるから教育の場が混乱するのであって、労働組合という立場と教師という立場とはせつ然と区別して、日教組たるものは行動させるべきことを私は要請しておるにすぎないのであります。従って今度の問題にいたしましても、労働組合と話し合いをするという問題じゃない。それ自体責任の所在を混迷ならしめることですから、やってはいかぬと心得ておる。ただし教師の意向、意見というものは尊重せねばならない。この話し合いのやり方は、学校長会を通じて御意見を聴取しております。
  46. 三木喜夫

    三木(喜)委員 ただいまの労働条件の問題と関連してのこの学力テスト調査の問題につきましては、時間がたちましたので日をあらためてもう一ぺんお聞きしたいと思います。それをやると長くなりますので、簡単な問題について二、三お聞きいたしたい。  実施にあたりましての財政的責任です。国が命令する以上、その責任を十分果たすべきじゃないかと私は思う。にもかかわらず、和歌山県の場合がここに出ておるわけなんですが、百九十三万円これに対してお金が要る。国から三十九万円、地方交付税を合わせましても五十万円しか国の責任においての費用はもらえない。従って残り半分以上和歌山県で負担しなければならない。従って、この問題について県財政当局は難色を示し、事実上できないというようなことを言っている。このようなことになったときに文部省としてはどう考えるか。
  47. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 国の調査でございますから、国の予算におきましても必要最小限度のものは計上したわけでございます。この額が約一億でございますが、県におきましても、この調査の結果は県で十分活用できますし、県独房の分析調査も必要かと思いまして、交付税の中に一応各県とも五十万円程度見込んでおったわけでございます。実際各県交渉に当たられまして、ある程度の額が確保されております。ほとんど全国各県を見ましたところ、全部予算は計上されております。そこで、この点につきましては、大臣から知事会議に御要望もされましたし、私も総務部長会議に出席いたしましてよくお願いいたしまして、総務部長の諸君も、むしろおそきに失するんだ、本年度の予算については十分協力しますということをはっきりおっしゃっておりまして、大体そのように今日まできておるわけであります。ただ、来年度予算につきましては、不十分な点は反省いたしまして、これを改善し、増額するように予算要求いたしておるわけでございます。
  48. 三木喜夫

    三木(喜)委員 先ほど、私の方が間違っておりましたが、地方交付税の五十万円と合計八十九万円、こういうことになります。国の責任でやるべきだ、こういうようにお答えになっておりますが、私はそうやるべきだと思います。  次に、先がたもちょっと触れましたが、この問題について文部大臣は、日教組はすでに反対の決議をやっておる、従ってこれは大体話し合いの糸口にもなるものでもなし、なお労働組合とこれは話すべきものではない、責任においてもやるべきでない、こういうようにお話しになった。荒木大臣のお考えはそれでよくわかりました。しかしながら、ここで朝日新聞においても社説において指摘しておるように、こうした問題でトラブルが起こるということは、これは悲しむべきことで、決して喜ぶべきことじゃない。やれやれというような気持はもちろん私は持ちませんけれども、しかしながら地方に紛争が起こる、その紛争は、あげて地方教委に処理に当たらせておる。中央からこういう施策をやって、流しておきながら、それを府県に強制しておきながら、そうしてそのトラブル一切はノー・コメント、地方でそういう問題を処理せよというような形はどうかと思うということを新聞に書いておりますが、私もこれはやはり文部省としては、そういう立場からも中央で話をめめられる前向きの姿があってもいいんじゃないかと思います。そうでなかったら、地方教育委、府県に対しまして、あまりに無責任だと私は思うのです。新聞の指摘を待つまでもなくそう思います。その点どういう工合にお考えになるかということと、先がたお話になっておった、現場の教師とは話をしておる、校長会とは話をしたんだとおっしゃるがあなたはやるぞということは話しておられたけれども、こういう工合に持っていって、このような方法で、こんな規模でというようなことを御相談になったり、意見をお聞きになったかどうか。これは後に残る問題でありますから、次の機会にお聞きしたいと思いますが、今御返答できたら聞かせてもらいたい。
  49. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 校長会教育委員会等とどういう具体的な話し合いをしたかということは、私は現場におらないで、話し合いをするということを承知し、それを事務当局にも要請しておるにすぎませんので、そのことにつきましては、政府委員から必要ならばお答え申し上げます。  第一点の朝日新聞の社説を引用されてのお話しでございますが、その社説は私は具体的によく記憶しておりませすのでどうかとは思いますけれども、そのことは離れまして、さっき申し上げましたように、現場で混乱が生じておるとおっしゃいますが、それは、日教組という団体が本来団体として団体の意思を決定して行動すべき課題でないにかかわらず、良識の欠除のゆえにと私は思いますが、全国大会でこれを実力を行使しても阻止するのだときめ、その団体意思を未端に要請しておることの現われがトラブルとして形の上では出ておると私は思うのでございます先ほど来三木さんのおっしゃるように建設的な、たとえばペーパー・テストにはこういう欠陥がある、その欠陥をもっと補正するような努力をしたらどうだ、もっとほかのことを考えたらどうだという、将来に対しての改善の意見というような角度から教職員がアドヴァイスをして下さることは、望むところであります。私は、そのことは混乱となっては現われないと思います。第一回の全国テストをやって、そうしてやった結果に基づいてさらに改善意見は当然出てくると推察されるのでございまして、そういう意見はむしろ期待いたしております。で、ただ、やみくもに実力行使で阻止するのだという団体意見の決定、その決定に、いわば無批判に追随を要請される現場の一人々々の先生は、私はお気の毒に思います。一人々々の先生は、おそらく、こういう調査はやりたいものだ、やるべきものだ、欠陥はあるであろうが、それは教室において一人々々の児童生徒を完全に掌握して観測されておる、その角度から、この調査の結果が現われましたことについて、どの程度正確であり、どの程度不正確なものがあるかは、各教師が自信を持って判断される能力とそういう立場を与えられておるわけでございますから、かりに先刻お話が出ました指導要録に記入する場合でも現われた結果だけを記入すると同時にその結果の意味するものを、担当の教師としては、子供たちの将来についての御指導のためのようすがとして、総合的な観察も当然あわせてされるでございましょうし、それらの事柄を、調査をやりましれ結果についての改善意見という形でお出しをいただきたいと期待しておる。御指摘の、混乱が云云とおっしゃいますことは、その根源は団結権の乱用の結果に基づくのだと私は考えております。
  50. 三木喜夫

    三木(喜)委員 最後でありますのでちょっと私の方でこの問題について結んでいきたいと思います。結局あとに問題は残っておりますけれども、それは残しまして、今までお聞きしましたことにつきまして要約いたしますと荒木文部大臣は、日教組は良識の欠除だからこういうことをやる、このように言われておりますけれども、また一方からすれば、そういうことが言われるかもしれない、そういうことを、相対的なものでありますから、考えざるを得ないわけです。要するにこの全国学力調査というものは、私が今お聞きにした範囲内におきましては、目的が非常に多目的である。しかしながら新聞に書いてありますように明確でない。二番目に目的方法とが対応性がない三番目に私は、予想される教育的な影響というものは、先がたるる申し上げましたように、非常に寒心にたえないものがある。人間形成という教育的な立場からも非常にこのテストというものは欠陥があるというだけでなくて、国民教育を破壊の方向に持っていくんじゃないか、こう思うのです。何ゆえに国民教育を破壊の方向に持っていくか、こういうようなことを反論として言われるかもしれませんけれども先ほど申されましたように、五教科についてのみ重点的にやるということになったら、他教科軽視が現われてくる、これはおそろしいことだと思う。それから教科目の教師がそのことに重点を置いてやりますから、今度の調査以外の教師というものとの間の反目が生じないかということを私は心配いたします。  それから第二点といたしまして、ペーパー・テスト中心の詰め込み教育というものが今後はやるといいますか、そういうのは手っとり早いですから、そういうことになる傾向が非常に強いんじゃないか、こう思う。そういう傾向はやはり警戒すべきだと思う。  三番目に、私は教育というものは、現場で私やって参りました関係上、子供たち一人々々に対して成就感を与えなければならぬ、それがこのテストによってどんぴしゃりとお前はこれだけのものだということになってしまえば大へんだと思うのです。図画なら図画で必ずその者は成就感、満足感が与えられると思うのです。そこに欲求不満あるいは劣等感というものが生じないように、現場の教師は苦心しておりますけれども、国の権威でやられるところのこのテストを非常にあいまいもこたるままで、こういう危険性をはらんだままやるとするならば子供たちの成就感というものは満足できない一つの要素を持っているということを私は言わざるを得ないのです。  それから文部広報の十号かに、このテストを父兄が少し気にし過ぎる、そう気にせぬでも、このテストはいいんだということをおっしゃっておりますけれども、先がたから申しましたように、父兄あるいは日本のこの封建主義の中に閉じ込められておった、軍国主義の中に閉じ込められておった大衆というものは、やはり根強いこういう文部省あるいは大蔵省というものに対する権威追従の気持がある。こういうものがそういう要因をなしおるということをお考えになれば、ただ単に気にし過ぎる、そんなことをせぬでもいいんだというようなことでは、私は問題だと思う。  五番目に申し上げたいのは、たった一回の調査指導要録に記入する危険性が非常にあると思います。これが先がた申しました国民教育を破壊の方向に持っていかないかと考え一つの私の視点です。  それから地方のトラブルの問題やマル・ペケの問題、五教科に限ったこと、入試テストに将来かわるだろうというようなことも言われた。財源不備、教育テストでなくして教育政策的なテストでもないというような、こういう不明朗なものを実施することは、私は言うなれば学力テストによるところの全国統一、中央集権の一つ教育によるクーデターだと思うのです。言い過ぎかもしれませんけれども、全くその通りだと私は思わざるを得ないわけです。自民党の実力者の中におきましても、寺小屋式を抜け切らない文部省考えをたたき直せと言う人もあります。この国会で言っております。封建性の強い文部省は、やはりこういうところに封建性か強いということをこういうところから言われております。私が言うのでなくして、そういうところから言われておるということは、やはりこういう押しつけをやられるところに問題があると思いますし、また同じく民間の伸びを押えようとしておおらかさがないということを、政府の高官も言っておられます。私はここに、文部省としてこの学力テストを契機にして考えるべき教育政策というものがあると思うのです。  要するに、私は屈従の倫理をしているような考え方でこれを推し進められるところに非常に残念なものがあることを申し添えまして、一応私の質問をここでおきたいと思います。また関連して次にさしていただきたいと思います。
  51. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いろいろ御意見をお述べになりまして、中には参考になる御意見もございます。あえて答弁を必要としないと思いますが、ただ一点、学力調査をやることが中央集権的になるという仰せですけれども、元来義務教育の実態は中央集権的な要素も含んでやれという憲法の趣旨に基づいた教育基本法、その趣旨を受けた学校教育法その他一連の民主教育のための法律制度上そうなっておることは、御承知通りでございます。繰り返し申し上げるようでございますが、学習指導要領文部大臣国民に対する責任において定めろ、そのよしあしは国民に向かって責任を負う立場でやれということになっておることは、その範囲に関する限りは中央集権的な要素を温存することが教育のために必要なりという制度になっておりますからやるのでありまして、それ自身民主的だと思うのであります。その点にお触れになったとも思いませんけれども、その点は誤解があるといけないと思いまして申し添えさしていただきます。
  52. 小林信一

    ○小林(信)委員 関連して。私は、今三木委員から、地方にこの問題を通していろいろ混乱が起きることを非常に心配して、これをどうするかというふうな御質問があったのですが、これに対して非常にきめつけた、他を顧みない、実態を無視したような大臣の御答弁を承って、非常に心外に思って質問をするわけなんですが、何か日教組が、中央の者だけが考え一つの意向をきめて、これを地方の先生方に押しつけて、先生方は迷惑を感じながらその日教組の指令に従わなければならぬ。そこに起きる混乱というものは日教組の責任であって、文部行政の衝に当たる人たちの関知するところでないというような印象を受ける御答弁を受けたのですけれども、しかしそれでは学カテストをなさる計画をされる皆さんとして、非常に私は無責任だと思うんですよ。日教組の指令というふうなものでなくても、私たちの接する父兄とかあるいは教師とか、ほんとうに純真な立場でこの問題を考えた方たちの意見の中に、不安を持った意見もございますし、それから疑問を持っておられる。あるいはいろいろな新聞とか雑誌とかいうふうなもので見て、理解のいかないものを持っている人たちもあるわけです。こういう人たちの意見というものも相当に聞いて、それに忠実に、理解のいくような方途を講ぜられるということも、私はこの際文部省として大事な点だと思うのです。私たちも大ぜいの人から聞いておりますが、テストはよろしいという意見があることは、私も多分に聞いておるわけなんです。私たちも、また、このテストということを決して全面的に反対をするという立場にも立っておらないわけなんです。そういうような気持でおりながら、なおかつこの問題にいろいろな疑念を持つということは、これはやはり文部当局がその疑念を解くような態度を持っておらなければ、私は今おっしゃるような目的すらも達し得られぬ、こう思うわけです。そんなことは用はない、要するに、今大臣がおっしゃったように、ある点では中央集権の形でもっていいんだというようなことをお考えになっておられたら、これはやはりほんとうの成果を上げることができないのじゃないかと思うのです。今の指導要領を出すことは、これは文部大臣責任であって、これを遂行する限りやはり中央集権的なものになる、こういうふうな御説明ですが、それに基づいて、教科書というものは、国定でなく、各教科書会社が自由な立場でそれに沿うように、検定を受けられるように作られます。教師はこの教科書を自由に選択する権利があるわけなんです。一応検定を受けたものの中から、最も自分の教育理念に沿ったものを選択するわけなんです。しかしこれが実際は今許されておらないような状態なんですがそこで今度はその教科書を使い、指導要領というふうなものを忠実に教師が考えて、そして今度は教師の教育理念によって教育というものが行なわれるわけなんですが、指導要領を出したから、それによって一切が規制されるのだというふうなお考えを持てば、確かに私は誤れる中央集権的な教育が行なわれると思うのですよ。基本的なものを出す、しかしそれに沿って自由な教科書か編さんされる、その教科書を自由に選択して、そして教師の教育理念によって教育というものは計画され運ばれていくのだというところに、私はやはり教育の自由とか、学問の自由とか、民主的な教育というものがあるのだ、こういうふうな複雑な経緯の中をそれぞれを生かしていくところに、新しい教育行政の行き方があると思うのですよ。そういうふうなものを無視されて、指導要領を出せばそれによって一切が規制されるのだというふうなお考えで、中央集権も当然のことだというふうなお考えだということは、私は誤った教育行政になるおそれがあると思うのですが、こういうふうな点も一つ一つ——もちろん大臣は私が申し上げるような、そういう行き過ぎた中央集権的なお考えを持っておらない、だろうけれども、そういうお考えをもし申されると、やはり一般の人たちがそこに理解に苦しむものを持ち、誤解も持ってくるわけなんです。  きょうの、初めての委員会でこの問題を取り上げて、今までいろいろなものから聞き取った学力テストの問題も初めてだんだん文部省の意図というものがわかってきたわけで、ほんとうにまだその緒についたようなものだと思うのですが、私の伺うところだけを整理してみましても、やはり大臣のおっしゃることはどうしても誤解を与え、疑惑を与えるものだと申し上げなければならぬと思うのです。というのは、あくまでも目的指導要領というものはどこまで徹底し、どこまでこれが成果を上げておるかという点を調査するのだ、こういうお話であれば、まずこの計画というものは従来五カ年にわたって抽出的な調査をされたわけなんですこれは調査一つの形式として、初めは割合広く、それから次にはだんだんそれを科学的に整理して、そしてだんだん小さくなっていくのが私は正しい調査の仕方だと思うのです。小さいところから始めて、そうして最後は全体のテストをやるというようなことは何か当初において無計画であったものが、今になってまた何かほかの目的が出てきて調査をするというふうな形になったとしか思えない。そうして今のように条件整備をするんだ、これ一点ばりで大臣が御答弁なさっているのですが、もうするなら、何も生徒の名前を一々書かなくてもいいし、そのでき上がった成績指導要録に一々書かなくてもいい。これはきわめて単純な学力テストの問題で、一般が言っていることなんです。その問題が本日は解明されないわけです。もうこれだけでも、大臣、決して日教組が云々ということでなく、もう少し一般の声というものをまじめに聞いて、もう少し私たちに納得のいく御答弁が願いたいと思うのす。  そこで、今ここで大臣から御答弁を受けるということは時間もございませんので無理だと思いますし、私たちも初めてでございますので、どういう形式でバツ、マルのものをやるのか、前にやられたようなものを参考にお示し願いたい。それを指導要録に登録するというけれども、私はその指導要録も実際に知っていないわけですので、そういう形式的なものも、できたらお示し願いたい。五カ年間調査されたものがだんだん拡充されてくるということは私たち納得できないのです。どういう結果が現われておるか、その現われてきたものをどういうふうに毎年の教育行政の計画の中に織り込んできたかを簡単なものでもいいのですから、参考にして、これからこの学カテストの問題をもっと進めていきたいと思うのです。大臣の、今の地方に起きる混乱というものは、あげて日教組の責任だというふうなお考えは一貫してお持ちになっておられるのか、多少とも一般のそうでない人たちの声も聞いておられるのか、その点だけをお聞きして、次会に今のような資料をできたら御提出願いたい。これをお願いします。
  53. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 補足させていただきますが、私が中央集権的な要素があると申し上げましたのは、三木さんのお話の中に、文部省は何かしらことさららしく中央集権化せんとする意図を持って新たに何かやっているように聞こえるお説がございましたからそういう意図はございません。本来義務教育につきましては、学習指導要領責任を持って定められるということまで与えられていたそのことが、一種の中央集権的な形をとっておる、その作用としてやっているにすぎないのだということを申し上げるつもりで先刻御答弁いたしたような次第であります。  指導要領がいかなるものであるか、それからまた文部省の検定というものはいかなるものであるか、教科書がどういうふうにして作られ、どういうふうにして選定されるかという関係は、先刻小林さんがおっしゃった通りに私は理解いたしております。その理解の上に立って、また御指摘になりました学習指導要領趣旨を体して、その限度においての到達度を知りたい。条件改善ということの中には、当然に学習指導そのものも含むわけでございますので、先刻来お答えしたようなことでございますから、御理解をいただきたいと思いまして、補足させていただきます。
  54. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 本日はこの程度にとどめ次会は来たる十二日木曜日午後一時より開会することといたします。  これにて散会いたします。    午後零時四十九分散会