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飛鳥田委員 私は
日本社会党を代表して、
特殊海事損害の
賠償の
請求に関する
特別措置法、この問題について反対の意思を表示したいと思います。
この
法案は、申し上げるまでもなく、新しい安全保障条約に基づく
地位協定十八条五項の(g)から出てきておるのであります。しかし元来この十八条という
条文の設定の仕方それ自身について、
政府に過誤があったことだけは間違いがないことであります。当時の外務省は何でもかんでも行政
協定を改めて、NATO
協定並みにという方針をとられた。そしてNATO
協定と同じ
条件になりましたから、決して
日本も従属的な屈辱的な立場をとっているのではありませんということに、全力をあげて
説明を集中されたわけです。ところがNATO
協定並みと言いながら、実はヨーロッパ諸国における
条件と
日本における
条件との差をのがしてしまった。その差から出てくる事実をちっとも考えていかなかったという点で、過誤というよりはそこつと言わなければならぬわけです。一体
一つの条約を結ぶ場合に、こういうそこつさが許されるかどうか。人間一人々々、個人個人とってみれば、そこつというものはときにあいきょうですらあります。私は自分の弁護をしているつもりではありませんが、ともかくそこつということはあいきょうでさえあります。しかし政治の中でこのような大きなそこつさが公然と許され、しかもそのそこつさを補うために、新しくこのような
法律を持ち出してくるなどということはもってのほかであって、当然条約の改定を
政府としては相手国に
申し出なければならぬはずであります。そういう立場に立ってこの
法律ができ上がっているということについて、私
たちは心から遺憾の意を表します。同時に反対をせざるを得ないわけです。
同様なことはこの新
地位協定の中にたくさんあるのでありまして、今
石橋君が質問をしておられました
間接雇用の問題だって同様であります。私
たちが安保条約及び新
地位協定についていろいろあちらこちらで
説明をいたしました場合に、ほとんどの
労働組合の諸君は私
たちの説に賛成をしたところであります。ところが直接
雇用の諸君だけは、話はわかります。そして
日本がどんなに危険な立場に立つかということもよくわかります。だがしかし、今私
たちが職場の中に置かれている屈辱的な
条件、
アメリカに直接に雇われて、あごの先でおいおいと使われて、しかも気に食わなければ、あしたから来なくていいと、まるで犬ネコのように扱われている。この
条件がもし
政府雇用という形になれるのならば、
間接雇用になれるのならば、私
たちはあした地球がぶっこわれようとも、やはりきょう一ぱいのコーヒーが飲みたいのですという、そういう切実な訴えをして、全面的に安保条約反対には立ち上がれかなったわけです。しかも
先ほど林さんのお話あるいは
調達庁の方のお話を伺っておりますと、あの当時における
政府の
説明とは全然違います。あの当時
政府は、NATO
協定並みになりました、ようやくわが国も対等の立場になる、同時にまた直接
雇用の人は
間接雇用にして完全にこれを救うことができるようになりましたと、高らかに吹き上げたじゃありませんか。そういうほらを吹きながら、現実には十年間の条約
期間の中で一年有半、いや、もう半は過ぎてしまいました。これだけの時間を経ながら、なおかつ
実態は直接
雇用と少しも変わらない
条件で
間接雇用になっている。これではあんなにも期待した職場の
労働者諸君が、一体何と言うでしょうか。なるほど
条文を見ますと、協議の上とか話し合った上でその
条件をきめていくということに
条文自身はなっておりますから、あなた方はどんなにでも遁辞をお使いになれるわけですが、
一つ一つの
条文をしさいに検討するのではなしに、
条件がよくなりますよ、今まで
アメリカにあごの先で使われておって、そして兵隊がやってきて女の子の手を握る、その手を振り払えばあしたから来なくていい、こういうような状態に置かれている
条件が直りますよ、こういう
政府の宣伝をそのまま信じて、安保条約がどんなに危険なものかということを知りながらも、心ならずも今度この
協定に賛成をしていった人に対して、これはぺてんじゃないでしょうか。遁辞は述べられても、大衆の胸の中に現われてくる
政府に対する不信感、ぺてんにあったという感情だけは、だれが何と言ってもぬぐい得ないものです。そしてそういうものは次第に胸の中にたまっていくでしょう。こうした大衆の胸の中に沈澱するおり、これがやがて爆発的な状態にならないとだれが保障するのでしょうか。そういう爆発的なものが出たときに、あなた方は再び自衛隊を使って鎮圧をする、こうおっしゃるでしょう。ですが、もしその言葉が通っていくとするならば、やがて違った形で懲罰は下るはずです。
私はそういう意味でこの新
地位協定の中にたくさんの
不満を発見いたしますが、この新
地位協定の中で特に激しいものの
一つとして、この
特殊海事損害の
賠償の
請求に関する
特別措置法というものに注意をしないわけにいかないのです。しかもこの
法律が出てくる状態を見ますと、
地位協定がほとんど
条文的に藤山さんの手で話がついてしまって、その直後に横浜の調達局の方がこういうのが落ちているじゃないですかという事実を発見したわけです。そうして水産庁もあわてて外務省に話をし、また
調達庁の方でも水産庁と
交渉を持ちながら外務省に話をしというような形で、あのころにはこれはまだ是正をする余地があったはずです。ところがそういう是正をすることもなしに、堂々と
政府が議会にかけてしまい、そして押し通したわけです。そこつさを改めることなしに、公然と今度は居直ったわけです。ですからこの
法案が出てくるまでの間の
政府の態度というものは、当初そこつであったかもしれないけれ
ども、途中から居直った居直り強盗のような形にならざるを得なかったというのが実情でしょう。これは間に入った
調達庁がお困りになった、水産庁が困るだろうということを私
たちは知っています。こうしてあわてて
合同委員会を再度開催して、二十トン未満の船舶に関する損害で一件二千五百ドル以下の
請求にかかるものは、という特別令を作られました。出先軍が単独でやれる範囲は千ドル以下だそうです。それを二千五百ドルまで引き上げられた御
努力はわかりますが、しかしそれはしょせんあやまちを是正する跡始末の
努力にしかすぎない、そういう
努力はもっと抜本的な方向に向けてお尽くしをいただくことが望ましいと思います。従ってこういう点で私
たちはこの
法律案というものが、安保条約というものの中に、そしてまた新
地位協定の中に現われてきた
日本政府の従属性と、
アメリカ政府に対する屈辱的な態度を現わす法文として、賛成するわけにはいかない、このことを申し上げておきたいと思います。
さらにこのことによって海事損害を受けました者は、非常に大きな損失をこうむります。たといあっぜんの申請をいたしましても、そしてこのあっせんの申請によって
調達庁ができるだけの
努力をしてくれる、そしてそのあっせんを
アメリカが受諾するという、何か口上書のようなものをお取りになったとおっしゃるのですが、しかし将来にわたってのその保障はありません。口上書というものがどの
程度の拘束力を持っているものか、その点は私もはなはだ疑問だと思います。また訴訟の援助、こうおっしゃるのですが、訴訟の援助といいましても、現実には管轄裁判所が
アメリカである場合が大部分でしょう。従って援助を受けてみたところで、非常にむずかしい。訴訟というものの運命は、大体いかに弁護士を選択するかということにかかっているだろうと私は思います。なるほど訴訟費用や何かを政令の定むるところによって立てかえて下さる、あるいはその当該訴訟について必要な援助を行なっていただける、その立てかえ金には利息をつけない、こうおっしゃるのですが、しかし東京でかりに訴訟が継続するとすれば、その人はみずからの信ずるこの弁護士さんをという形で、弁護士さんを選択できます。お医者様と同じで、信じなければその弁護士さんの完全能力を発揮することはできないのです。従って
法律技術と同時に、弁護士と依頼者との間の信頼
関係というものは同様な重みを持ちます。ところが
アメリカの弁護士さんを頼むのに、どうやって頼むのですか。
日本の弁護士が
アメリカへ行って訴訟をやれるという相互主義の段階にまだ至っていません。従ってどうしても
アメリカの弁護士を依頼するよりほかに仕方がないでしょう。そういう場合に依頼する範囲というものは限られてしまいます。おそらく外務省の推薦する人、あるいは
調達庁があらかじめ何人かの
アメリカ弁護人のリストを作っておいて、そのリストの中の人、こういうふうに限定されるだろうと思います。しかしそこには
法律技術というものはある
程度確保せられたとしても、人間的な信頼感というものはつながらないのです。だとするならば、費用の立てかえをしていただくとか、訴訟に必要な援助をしていただくなどということによって、問題は解決しはしないのです。この
特殊海事損害の
賠償の
請求に関する
特別措置という
法律をお作りになるのならば、なぜもう一歩踏み込んで、少し乱暴であるかはしらないが、管轄裁判所を
日本に定めるというような
条文をなぜ置いていただけなかったのか、こう私
たちは考えないわけにはいかないのです。だって、不法行為地が
日本でしょう。従って国際司法の
原則をいろいろ研究してみれば、管轄裁判所は
日本ということに持ってこられるはずだと私は思っています。ところがそういう積極的な
努力もせずに、英語のしゃべれる
アメリカの弁護士にお願いしなければならぬということは、依頼者にとっては非常な不利益にならざるを得ないのです。意思だって疎通しないでしょう。
調達庁の人が援助して下さったって、それはしょせん通訳くらいのものでしょう。通訳を介しての話というものがどんなに不便なものかは、私
たちはある
程度知っているつもりです。私自身横浜で戦争裁判の弁護人をやったので、
アメリカの弁護士と二年間一緒に働きましたが、やはり二年一緒にいたって、なかなか話がかゆいところに手が届くような、こぼしたり、訴えたりというような情緒的な面を含んだ話というものはできないのです。ところが弁護士と依頼者との
関係は、こぼしたり、許えたりするという情緒的な面を捨て去るわけにいかない。おい、一ぱい飲みに行こうかというくらいのことしか現実には通用しないのです。そういう点を考えてみますと、なぜ
日本に管轄裁判所を持ってこられなかったか、そういう
条文をこの中へ
向こうとの
交渉で入れられなかったのか、こういう点を考えないわけにいかないのであります。
いろいろな点で、根本的には
先ほど申し上げたような新
地位協定におけるそこつさから、やがては
政府の居直り強盗、そうしてその態度はいまだに続いて跡始末のこの
法案の中でさえ、実に民衆に対して不親切きわまりないやり方をなさっていらっしゃると考えないわけにはいかないのです。そういう意味で、たぐさん申し上げたいこともほかにありますが、この種の
法案でありますからこの
程度で私
たちの反対の
理由の開陳はとどめたいと思います。
日本社会党はこの
法案に対して反対をいたします。(拍手)