○佐野
委員 私はさっき大臣がお見えにならないときに、国土総合開発法昭和二十五年に
法律第二百五号をもって公布されたこの
法律に、はっきりと、水害、風害その他の災害の防除に関する事項というのを重要なる計画として
規定してあるわけです。しかもこのための全国的な計画を立てなくてはならない。そして府県の住民も参加する地方自治の
建前から国土の資源の利用、特に防災というものを確立しなくてはならない。それにまた二つ以上の府県にわたる場合には協
議会が設けられている。また特定地域に対する計画等、常に地域住民が計画に参加する。そういうふうにして災害の根本を切りくずしていくことが必要である。そのために、各省にまたがっているから経済企画庁が担当するのだ、こういう
意味における民主的な
建前をとっている
法律だと思うのです。こういう
法律が存在しているにもかかわらず、十年間——先ほど総合開
発課長さんにお聞きいたしますと、ようやく今年の七月、十年たって初めて全国計画の第一次草案——第一次草案ですよ、これを皆さんの御検討をわずらわしておる。非常に苦心のほどは、私も読みながらもそれはよくわかるわけですけれども、そういうところに災害というものは来るのだ。しかも戦争中に荒廃しており、戦後におけるところの手当が不足しておる。また電源開発におけるダムその他工業用水、いろいろな形によって災害が逆に誘発される
原因を作っておる。地盤沈下にしろ、あるいは現在における所得倍増計画なり、あるいは産業基盤充実方針、こういう計画がどんどん進められているが、これが逆に災害を誘発してきている。こういう
原因は明らかになっているわけでしょう。しかも、だからこそこれを防ぐために国土総合開発法が十年前に登場してきているわけです。そうすれば、水害、災害に対して
政府の
責任として、各省にわたっているから、これを防除する応急策をどうするか、復旧策をどうするか、それに対する財政的な扱いはどうするかということは、それぞれの単独法が現在二百五十の関連法が出てきておる。そして一番問題になる点の災害をいかに防ぐかという点が総合開発法の大きな使命となっている。しかもそれが
政府のいうところでは、単に災害基本法の中に置かれているような中央防災
会議を作って、そこで基本計画を立てるのだと全く簡単にやっておられますけれども、この総合開発法の場合にはもっと詳しい
規定があるでしょう。しかもこれは地域から積み上げて、地域の創意と地方住民が自治行政に参加していく、その中で計画を作り、それが二つ、三つにわたる場合には協議
機関を設けることができる、そういう中から特定地域の開発計画をやる。こういうことを参考にして全国計画というものを作って災害の防除というものをやっていこう、こういう基本計画がちゃんと
規定されているわけでしょう。あるいは都市及び農村の規模及び配置の調整に関する事項ということも、今日における地盤沈下なり、あるいはまたいろいろ問題になっていることに対しても
措置するようになってきているわけです。そういう
法律があるにもかかわらず、これが実行されなかった。そして逆に公共事業の推移を
政府の発表しておる統計から見て参りましても、この統計自身の中に、あるいはまた今後における十年計画の行政投資の内訳を見て参りましても、そういう点が抜けてしまっておるでしょう。やはり産業基盤の強化、これに関連するいわゆる構造改善政策というものが最近とられてきているけれども、すべて集中しておるのは社会資本の充実——三十年以前においては、企業におけるところの近代化なり、企業内における資本の充実のために公共事業が導入されていっておる。そのために治山治水が狂ってくる、あるいは先ほど建設省の官房長が言われるように、治山治水計画は二十八年度の災害にびっくりして立てて、緊急災害協
議会を内閣の中に設置した。そこで立案して、十カ年計画でこれで大丈夫だと思ったけれども、六カ年たっても一八%しか進まない。ところが伊勢湾台風が三十四年にやってきたので、あわ食ってまた三十五年度からやり直しだという形をとっておられますけれども、しかしその計画の中にも、工業用水の確保、水資源の確保、電源の確保というようなことが重点となって計画され、予算が計上されている、これまでに見ても。あるいは公共事業に対するところの比率の少なかった道路計画がぐんぐん伸びて参って四兆九千億円、こういう膨大な道路計画が進んできておる。しかもこれに対する計画に地方自治体は何ら協議することもできなければ、参加することもできないという
法律の
建前になっており、しかも片方の総合開発の場合には、ちゃんと住民が地域計画の中に参加できる
建前をとっている。その中から全国計画というものが作られる。こういうようなりっぱなものがあるのにかかわらず、これをやってこなかったその怠慢が、今日のような悲惨な災害を惹起しておるのではないですか。もちろん対策も大切です。この問題もまたあとから質問していきたいと思いますけれども、問題は対策よりも災害をいかに防除するか、これに対するところの
政府の行政的欠陥、そういうことが起こった
原因の科学的な解明を国民の前に明らかにしていくことが一番大切じゃないかと思う。その上に立って防災基本法を作るのだといってこそ国民もそうかと思います。しかも府県の場合あるいは市町村の場合、一体市町村の場合なんかにも
法律で
規定するのはどうかという疑点がある。いずれまた逐条質問の中でもお聞きしたいのですが、消防組織法によってもちゃんと、消防本部長並びに府県知事は町村消防の管理運営、行政に対しては干渉してはならぬという強い
規定をもって町村自治体消防の性格を明確にしておる。この前の国会において、それを、府県知事並びに国家消防本部長は、その町村の自主性を妨げてはならぬ、尊重しなくてはならない、こういう
条文に置きかえようとしたのを、本
委員会において削除して、再び干渉してはならぬという
規定にしたわけなのですが、そういうように町村消防を国が指揮できるような印象を与えるような形で——消防組織法において明確に
規定しておるのも、戦争前において水防法並びに消防法というものがいかにゆがんだ方向に行使されたかという反省の中から、消防組織法はここに明確なくぎをさしておると思うのであります。それを皆さんが勝手に、町村には設けなければならないというようなきびしい
規定を設けるということ、これもいろいろ問題の中において御説明を求めていくといたしましても、私の一番
考えるのは、そういう行政欠陥なり
政府の
責任というものが災害を呼び起こしておるのだ。反省して、遺憾だったと言うのではなくて、災害を呼び起こした
原因を明らかにすることこそが、この基本法を生かすかどうかという立場に立つのではないか、そういう点が非常に遺憾だと思うわけです。この点がやはりはっきりしてこないと、あとに、特にこの倫理
規定は百二十条となっていますが、はたしてこの倫理
規定がどうなるだろうか。あるいは現在の災害関係法は二百五十からありますが、この二百五十あるのを一応基本法の中にうたい入れておる。だから重複しておるし、まことにこれは読みづらいところがたくさんあると思いますけれども、そういうことは別といたしまして、そういう根本的な態度がはっきりしていない以上、この
条文が非常に読みづらくなってもおるし混乱しておるのじゃないかということを
考えるのでありますが、一体災害基本法は宣言法という
考えに立って
考えられたんですか。あるいは一般法という
考え方なのですか。あるいは特別災害に関する
法律として作られたんですか。そういう点に対する心がまえをお聞きしておきたいと思うのです。