○萩
原参考人 わが国におきましては、これまで、
石炭問題の解決は、重油の価格に対抗できるまで
石炭の価格を引き下げることだという
考え方が支配的でありました。昭和三十四年度の
石炭合理化審議会の報告の根底となった
思想も、この
経済性追求が根幹となっておるのでございます。だが、炭価引き下げを世界いずれの国でも見られないようなドラスティックな方法ではかろうとした結果は、逆に
石炭鉱業の
合理化を破綻寸前に追い込む結果と相なっております。価格の一面だけの追及で
石炭問題を片づけようとしたところが、本年初めから、実は多面的に取り上げねばとうてい解決されないということが現実の上で次第に明らかにされまして、従って世論もまた変化を示し、ここに今日
石炭政策が刻下緊急の問題として大きく取り上げられるようになったのでございます。
今日
中小炭鉱は、三日に一社の割合で閉山されております。
大手の
炭鉱でも、こうして皆様に私が御報告している間にも、閉山するかどうかという決断をしなければならないところに追い込まれているものがあるのでございます。
石炭問題は、最後の緊迫した段階において取り上げられておるのでございます。もしこの重大な段階においてもなお価格のみを問題にし、重油の価格まで際限なく引き下げることを
要求されるなら、わが国の
石炭産業は、燃料革命の渦巻の中に没落してしまうことは必定でございます。最終的に
石炭は要らないのだというなら、それでよいかもしれません。しかし、
国内資源である
石炭は、何よりもまず確実に手に入る
エネルギー源であること、また、他
産業と違ってより大きな人間の問題をかかえているということから見て、国家的に見て当然存続させなければならないのであります。さらにまた、かりに
エネルギー源を海外に仰いだとしたらどうか、現在でも毎年七億ドルの外貨が必要となります。
私は三年前、欧米諸国の
石炭政策樹立の責任者に会って、国家として
石炭存立の
意味をどう
考えているかをただしたのでございます。フランスの
石炭公社の総裁バザヤック氏はこう言っておりました。
エネルギーを最も安い価格で手に入れることは正しい原則ではあるが、
エネルギーは
供給と入手の安全という要素を考慮に入れなければならないと。また西独のウエストリック経済省次官は、確実に入手し得る
エネルギー資源を確保することが第一である、われわれの
エネルギー政策の基本的態度は単なる市場経済ではなく、あくまでも秩序を維持する
社会的市場経済にあるのだと言明しておりました。英国に至っては、動力次官のプロクター氏、
石炭庁次官のコリンズ氏を初め、新聞人に至るまで、英国はスエズ動乱を決して忘れてはいない、英国経済自立のため、百年の歴史ある
石炭鉱業を守り抜くであろうと言っていたほどであります。さらにアメリカにおいてさえ、ビューロー・オブ・マインズの人々、
石炭協
会長のラオス氏は、一様に、輸入燃料がとだえた場合、これにかわる燃料を保護していなかったときの事態を
考えるとき、初めて
エネルギー政策は確立されるのだと強調いたしておりました。
エネルギーは、価格の高いことによって生ずる障害よりも、不足によって生ずる障害の方がより大きいのであります。高いことによって生ずる障害は、ある
程度努力によって緩和できるが、不足によって生ずる
生産活動の停止は決定的なのでございます。
このセキュリティの問題とともに、
石炭にはまた人間の問題があります。いかなる
産業においても、その
産業に働く人の問題をおろそかにしてよいということはありませんが、特に
石炭問題においてこれが重大なのは、他
産業に比べ
石炭産業に働く人の数が多いからであります。もっと端的にいうならば、
石炭産業は人による
産業であります。
石炭即人の問題に結びついているからでございます。直接
石炭鉱業に働く人とその家族を合わせて百二十万人、産炭地の市町村の住民が百三十万人、さらにまた間接に
石炭産業で
生活している人々を合わせると、全国でその数は五百万人をこえるのであります。経済の最終の目標が人間の幸福にあることは言うまでもありません。しかるに、もしその目標に反して、働く人々の不安と不幸をもたらすような――現にそれは予想以上の深刻さで現実に起きていることなのであります。そのような経済
政策は、決して正しい経済
政策とはいえないはずであります。私は、今春、
石炭協会
会長に就任するにあたって、
石炭問題を
社会問題として取り上げることを発表いたしましたのは、全くこのゆえからであります。
もとより価格がすべてでない
石炭問題の
対策が、今日の自由主義経済の中にあってはいかに困難な問題であるかは、われわれもよく承知するところであります。それだけにまたわれわれは
政府に望むところが大きいのであります。関連
産業に、また競合燃料にいささかの負担をかけずに
石炭鉱業の危機を乗り切れるとは、遺憾ながら
考えられないのであります。それはできるだけ避けねばならないし、また、自由経済のもとにあっては理論的に好ましいことでないことは知っております。しかし革命の過程において自由経済の原則のみをもってしては、不安定、動揺を繰り返すほかはありません。私は、
国民経済の大局に立って
考えていただいて、この
転換期に他
産業の協力を期待したいのであります。燃料革命の当初西独の
石炭鉱業を救ったものは、実に友情の経済であったといわれております。われわれの
政府に望むものは、
エネルギー源全体の中でどれだけ
石炭が保有されることが
国民経済の上で妥当なのか、そして将来の
人員縮小はどの
程度でとどまるかの見きわめられるような
エネルギー政策の確立であります。つまり
国民経済の中で正しく位置づけ、これを安定させるための抜本的、基本的施策を求めているのであります。
この際
政府に強く望みたいことは、燃料革命に対処するのに、いかなる面にも摩擦のないような抜本策はありません、根本的解決の道と
考えたなら、勇気を持って実行してほしいということであります。たとい理論として正しいとしても、現実の解決に役立たねば空論となるのであります。われわれの求めているのは、現実の打開策なのであります。従来
政府の態度は、その案を持ちながらも、各省間の摩擦をおそれ――といいますよりは、これを重大視し、その緩和をはかることに意を用いてきました。常にその案は微温的なものに修正され、しかも後に問題を残すものとなりました。もはや現段階においては、抜本的
対策がとられないならば、後に問題を残すというより、
石炭鉱業は遠からず没落することとなると思います。かりに数社が余命をつなぎ得るとしても、それは国家経済の上から見れば意義がありません。その上なお大蔵省にあっては、大蔵省の性格あるいはその伝統のみにとらわれ、いかに財政投融資を切るかに意を尽くし、財政資金を出さざることをもって本業とするきらいがあると思います。事の必要性と緊急性とを
考えようとしないと見られるのであります。自由主義経済をその建前とする西独が、
石炭対策として重油に二五%の消費税をかけ、その一部を
石炭輸送の運賃補助金に充て、またその一部を労務者の福祉
対策費に充てたのであります。西独がこのような保護
政策をとったのは政治的考慮からであると、ウェストリック次官は言明しております。その他の西欧諸国にあっても、政治的
政策を進めているのであります。構造の変化に対処する道は、
金融よりも財政的
政策の方が本筋であり、また大きな役割を果たすという経済原則を、そして政治を
考えていただきたいと思うのであります。
また、従来の
政策は、とかく前提を置いた目論見書になりがちであったということであります。従って、前提がくずれてしまえば、単なる目論見として
あとに残るだけのものに終わっていたということであります。そればかりか、その前提のあったことさえ忘れてしまうことが往々にしてあるのであります。炭価を三十八年度までに千二百円引き下げる今日の命題にいたしましても、物価、運賃は横ばいであることを前提といたしております。しかるに坑木二〇%、運賃一五%の騰貴等によって、その前提はくずれているのであります。これに対する
対策は、われわれの要望にもかかわらず、一向に実施されないのであります。現在
大手十八社の平均
能率は、三十四年の十五トンから二十二トンとなりました。その間炭価は一般炭七百円、原料炭七百五十円と力以上に値下げをいたしました。そこへもってきて、本年の物価、運賃の騰貴の結果として、三十六年上期の
大手十八社の平均は、実に一トンについて三百五十円の赤字と相なっております。命題の以前に前提のあったことを忘れず、そして、その前提がくずれた場合はこれに真剣に取り組み、われわれの努力が実るようにしてほしいものであります。
元来、
石炭問題は景気的なものではなく、
産業革命の
一つであります。経済問題というよりは政治問題であると言っても言い過ぎではないと思うのであります。
石炭問題が必要としているのは、今日、政治なのであります。と申しましても、われわれは
政府にだけ望むものではございません。また価格の追及を怠ってよいなどと毫も
考えているものではございません。われわれはその使命の第一を
石炭産業の体質
改善と企業の
合理化に置き、現在これに努力しているものであります。今後もなおその努力を続けていくことは言うまでもないのであります。しかしその
合理化への道すら今や断ち切られようとしているのでございます。
その第一は、資金の逼迫であります。今年に入ってから
石炭鉱業は次第に資金繰りが逼迫して参りましたが、最近では市中銀行は
石炭鉱業に対する融資には全然振り向こうといたしません。市中銀行に融資を求めることが不可能に近い状態なのであります。
大手十八社はばく大な赤字を出しているばかりか、これに加えて炭代の決済は手形が激増いたしております。しかも、これを割り引くことは困難であります。すなわち、炭代が金にならないのであります。その結果として年末には少なくとも二百億円をこえる運転資金が不足するものと見込まれております。金詰まりの深刻な今日、どうすることもできない状態に追い込まれているのであります。
整理の協定はできたが、退職金の調達ができないという
会社もあります。
合理化資金を求めることもできないのであります。
石炭鉱業は
合理化推進をきめてはおりますが、もはや
合理化したくとも資金から締め出されている現状であります。われわれにこれを求めるということは苛酷だと思うのであります。もし、市中銀行から締め出された
石炭鉱業に対し、
政府もまた財政資金を今まで通り締めているとしたら、事実の上で
石炭は要らないのだという
政府の
方針が明らかにされたことと
考えざるを得ないのであります。
第二に、人の問題で行き詰まっているということであります。すでに三十三年度から三十五年度までに約六万人の
人員が
整理されておりますが、このうち安定した職についた人は
大手で約三八%、
中小炭鉱を加えましてわずか一〇%
程度にすぎないのであります。その他の人々は、毎日の
生活にさえ事欠いている現状であります。しかもなお、今後さらに六万人の
整理が行なわれようとしているのでありますが、離職者の行く先のない現状では、
経営者としてこの上
合理化を強行するととは耐えられないのでございます。炭労は
石炭の置かれている構造的変化の
立場を認識し、政治問題には頭から反対しているのではないのでありまして、再就職の場と
最低の
生活の
保障を求めているのでございます。これ以上、
政府の労務施策を待たずして、
経営者も余剰
人員を
整理し――これは
合理化による
能率向上の結果として余剰
人員の生ずるのは当然でありますが、
人員整理を強行することはできないと思います。この資金難と労務
対策の不足の二点から、
石炭鉱業の
合理化は全く行き詰まっております。この
国会において何ら抜本的
対策が樹立されない場合には、好むと好まざるとにかかわらず、
石炭鉱業は私企業として存続できるものかどうか、根本的な問題に取り組まなければならなくなると思います。英国が国営となって以来の赤字は、実に七千億をこえております。私は先年
石炭庁のコリンズ次官に、英国の国営は失敗であったか成功であったかとただしましたところ、責任の
立場にある者としては、失敗であったとか成功であったとか言えない、自分も国営の前は一
石炭会社の
社長であった、国営というゆで卵になる前に半熟の時代がほしかったと述懐されておりました。国営の非
能率であることは明らかであります。しかし私企業として存続し得ないとするならば、しかも
石炭が国家的に必要であるとするならば、
政府はここに抜本的な強力
対策を生み出して、半熟の段階を打ち立てるよう切望してやまないものであります。私は、先日、総評、炭労の陳情団に池田総理が、想を新たにして抜本的
対策を立てると言われたそうでありますが、このことに最大の期待をかけるものでございます。(拍手)