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多賀谷委員 一つ大臣の初仕事ですから——石田
労働大臣は就任のモーニングを着て中労委にかけつけて、三池の争議を解決するために
努力されたのです。
福永労働大臣は急遽筑豊に行かれたのですから、
一つわれわれは成果を期待したいと思うのです。産炭地に
労働者が一人滞留しますと、一人でも五十万円くらいは
行政の支出が要ります。たとえば
緊急就労をするといいますと、昨年では事業費を入れて千五十円ですか、そうすると三百日働くとすると三十万円ですね。
ところがそれでは少ないのです。今大体千五百円
程度はやってもらいたいということだし、また、そういうふうに労働省もきめておられるそうであります。そうすると四十五万円、そのほかにいろいろな
行政支出が要りますから、どんなに少なく見ても、一人一年そこへ滞留すると五十万円はかかる。これはもう産炭地においてずっと半永久的にその金は続くわけです。ですから私は、いろいろな面において抜本的な対策をした方が、長い目から見ると
政府の
行政費の節約にもなると思うのです。
そこで私は次に住宅問題を開きたいと思う。私は先般本
会議でも言いましたが、率直に言って、
炭鉱に来ておる人々は帰る家を持たないのです。現在は、日本国民が大体そういうようになっておると思いますけれ
ども、代々
炭鉱におる連中は、昔はなるほど鹿児島県やあるいは徳島県から来たかもしれない。しかし親子何代もおるのですから、もう帰る郷里がない。その連中が一部おる。それから、何といっても終戦面後、傾斜生産に乗って、朝鮮あるいは中国の方々が入っておったその人々が帰った
あと、全くかねや太鼓で人を探して集めたという形です。それは住宅を与えます、食糧を与えますということですね。そうして全国各地から、引き揚げた人々あるいは戦災にあって家がない人たちが集まったわけです。ですから、どこかに行けといったって行く
ところのない連中ばかり集めているわけです。これは私は、どうしても一番の前提条件は住宅ではないかと思う。なぜならば、
昭和五、六年ごろのあの
炭鉱の不景気なときは、
炭鉱地帯に人がとどまらなかった。整理をされる、そうすると本人はどこか京阪神に職を求めて行くわけです。ですから直ちに人口が減る、学校の生徒が減った。今日はそういう
状態ではないのです。首を切られたけれ
ども、人口も減らないし、児童数も減らないという地域もある。不況が長いものですから、やむを得ず人口が減ってきた
状態です。私はそのことを
考えれば、結局住宅問題が最も中心課題であり、前提条件ではないかと思うのです。あなたの方で労働力の流動について今いろいろ苦心をされておりますけれ
ども、あの殺到率を見ましても、とにかく工業地帯は〇・二とか〇・五というような殺到率であるにかかわらず、東北あるいは
九州は三とか四とかいう
状態、まさに十倍ですね。ですから私は
雇用政策は現在そうむずかしくないと思うのですよ。全体的に日本が失業者が非常に多くてどうにもならないという場合には、
大臣もどうもお手上げでしょうけれ
ども、今は政策としては、
政府の政策よろしきを得れば、かなり解決する面があるのじゃないか。全体的には必ずしも昔のような
状態ではないということ、そうして若い者は足らないという
状態、年寄りは余るという、こういう面と、地域的のアンバランスの面と二つですから、この二つを解決すればいいのです。私は地域的な問題は、根本は住宅の問題じゃないかと思う。そこでこの住宅政策について、今までもかなり労働省では御苦労なさっておられるわけですけれ
ども、何さま私は、とにかく一万幾らの人が出ていっておるのに、わずかの住宅ではどうにもならないのじゃないか。むしろ一万幾らの人を出したのは、今大体
考えられております、また現在すでにできました
労働者の宿舎のアパートであるとか、あるいは組立式の移動宿舎であるとか、あるいは奨励金というものが役立ったのだと思うのです。しかし四万八千という人々が職を求めておる、こういうことになりますと、この問題の一番の重点は住宅ではないか。そこで住宅政策についてはどういうようにお
考えであるかお聞かせ願いたい。