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八木(一)
委員 それは、厚生一大臣はおもに国民健康保険を中心にして考えておられると思うのです。国民健康保険は非常にまずい点がたくさんあるけれ
ども、その社会保険、社人会保障論から見れば、まずいところはほかよりもやや少ないのです。ほかの、これは
厚生省の所管ではありませんけれ
ども失業保険であるとか、あるいは健康保険、これは
厚生省の所管ですが、健康保険の中の傷病手当金であるとか、そういうものについては、今言ったような欠陥が非常に多く現われてくるわけです。
厚生省の所管の中では、たとえば拠出年金制にはその社会保険的な欠陥が非常に多く現われておる。国民健康保険は内容全体が乏しいですけれ
ども、そういう制度上のその悪味の欠陥は比較的少ない。広くほかのすべての保険制度に通じてお考えをいただきたいと思うのですが、これはほかの省のことでございますが、社会保障の主管庁でありますから、どうせ総合調整その他で、それについての御意見ももちろん言われなければならない
立場にありますので、失業保険の例をあげてみたいと思います。
失業保険は、御所管ではありませんが、とにかく失業保険料を払った期間の長い人が、長い期間、失業保険金をもらえるということになっているわけです。それから賃金に応じて保険料が定まっておりますから、賃金に応じた失業保険金がもらえるということになる。そうなると、賃金の少ない人のもらえる失業保険金は少ないわけです。賃金が少ないから保険料を少ししか納めていない、それに基づいて計算をされる失業保険金は少ない。それから首切られてぽんぽんかわる、相当長い期間引き続いて失業保険料を納めておらないと、失業保険金をもらう期間が短いわけです。ところが失業保険というものは、失業したときに失業保険金で
生活が確保されるようにできた制度であります。ところが、何回も失業するような、
一つの事業場に安定しないような人は長いこと保険料を払っていませんから、そういう人は短い期間しかもらえない。そういう人に限って足が悪いとか、学校を出ていないとか、からだがそれほど丈夫でないというようなことで就職条件が悪いから、再就職がしにくいわけです。しにくいから失業保険金を長くもらわなければならない。それにもかかわらずその人の失業保険期間はほかの人より短い。それからもう
一つ賃金の少ない人は失業保険料をちょっとしか払わないから失業保険金はちょっとしかくれない。そういう人は賃金が少ないから日ごろ蓄積ができない。貯金ができないですから失業保険金が少なければ暮らせない。その人の失業保険金は少ないわけです。そういうことが社会保険主義なのです。払ったものを払った期間に応じて払う。これだけだったら進歩がないわけです。失業保険金で失業期間中の
生活を保障するということにはならない。一歩進んだだけで、それだけだったら保険がなくてもあっても大して違いはないということになる。たとえば失業保険、これは労働省所管でありますが、社会保障の大きな一環で、それたとえば賃金六千円の人はその六割しかもらえないが、三千六百円で暮らせというようなことはできない。それはもっと上がらなければならない。ところが、社会保険主義の間違った思想が
日本の社会保障を論ずる人の中にまだあるわけです。学者の中にもずいぶん間違った思想の人がいる。それの影響を受けてかどうか、役所の中にも間違った人が多分にまだ蔓延しておるわけです。そのために社会保障が進まないわけです。払える人がもらえるのだったら、これは程度の問題ですが、どうも制度
自体を
ほんとうに考えていない。それならば、とにかくそれだけ長いこと就職している人は、自分で貯金しておればいい。それでまかなえるわけです、そんなことでお茶を濁すなら。そうじゃなくて失業した人が困らぬようにやる。公平、不公平なんという議論をいう人があったらとんでもない間違いです。失業しない人は失業保険金はもらえないわけです。その人の保険料はこちらに回っておるわけです。失業で大きく苦しんでいる
人たちにたくさんその失業保険金が回ってもいささかもおかしくない。それがおかしいというならば失業保険
自体を無視した意見だ。ところが中途半端な、ちょっと入口にとまっておる。ただそういう失業保険制度があるから失業のときには困りませんよ、社会保障のそういう
意味の柱がありますよというのは、弁解事項にすぎないわけです、今の失業保険は。これは、労働大臣に
厚生大臣から、お前の方は非常に社会保障についてはなまけておると、しかっていただきたいと思います、直接にわれわれも福永君を追求しますが。
厚生省も、とんでもないけしからぬ点もたくさんありまするけれ
ども、この問題に関する限り労働省は非常になまけておる。そういう点が
厚生省の方にもあるわけです。
厚生省でもそういばれた
状態ではないわけです。拠出年金これは年金のときに申し上げますが、あれでも、とにかく保険料が金持ちも貧乏人も同じです。たとえば、
日本電器の社長さんでも、ほかの人でも――あの人は年令がそれをこえておるかどうかわかりませんが、社長さんは若いですね、会長さんは年寄りですが。社長さんでもそうじゃない人でも、
ほんとうにその日暮らしの人でも同じものをとられる。同じものをとられるから払いにくい。払えないときにはもらえる年金が減るわけです。それについては免除があるとおっしゃる。免除があるとおっしゃるけれ
ども、免除があっても、その免除は年金をふやす
要件にはしてくれない。期間的に年金から放り出したにすぎない。強制徴収しないということだけにしかすぎない。年がら年じゅう口をすっぱくして申し上げて、これについて政府側でも考えのある方は考えられて
幾分前進をされるきざしが見えておることは非常にけっこうですが、この間の新聞発表なんか。そういうような点があるわけです。とにかく年金の保険料を払えないような人が年寄りになったならば一番年金がほしいわけです。必要なわけです。その人に年金が来なかったり少なくなる。遊んでおっても平気な松下電器の社長さんのような人は、国庫負担までついたものをほかにも全部あるわけです。たとえば健康保険の中の傷病手当金、これは標準報酬で計算されているわけです。標準報酬の少ない低賃金労働者は、結局傷病手当金をもらう額が少ないわけです。ところが、その
人たちこそ多くしなければならないわけです。そういう点がずいぶんあるわけです。たとえば日雇労働者健康保険は保険料が少ないからとか財政が赤だからとかいって、日雇労働者の傷病手当金は、この間ふやしたけれ
ども、わずか二十二日で切れてしまう。ほかの人はもっと何カ月も続く。そういうような点があるわけです。これは制度が違うからとおっしゃるかもしれませんけれ
ども、そうじゃない。労働者は労働者で一体の保険にするのがあたりまえなのに、わざわざ違えて、貧乏な労働者を
一つにするから赤が出るのはあたりまえだ。金持ちの労働者だけを組合管掌にしている。
片方は赤になって、
片方は黒になるのはあたりまえだ。一体にすれば、こっちからこっちに回っていく。一体にできなければ、国庫負担をこっちにうんとつぎ込んで調整をして、同じような給付にしなければならない。そういう点で非常にまずいわけです。ですから、社会保険主義というのは間違いであります。ただ、今社会保険として行なわれているのを全部否定するわけではないけれ
ども、その社会保険主義の間違いを、憲法でやらなければならないとされている、
厚生大臣の義務とされている、
ほんとうの
意味の社会保障の
方向に向ける。社会保険だからこれはできないというような、憲法を無視するような、制度を無視するようなインチキな議論は断じて排除してあらゆるものを社会保障的に変えていくというふうにならなければならないと思う。その
意味で、社会保険という言葉は、これは非常にまずい言葉です。ごあいさつの中に、最初に社会保障をうたってある。ところが社会保険あるいは福祉対策について尽力すると書いてある。これは
事務当局が書いたに違いありません。
事務当局が書いた中に、表に社会保障という大旆をかざしながら、裏で社会保険的な
運用をやろうという
考え方があるわけです。事務局がいかに練達であっても、物事は猛烈によく知っていますけれ
ども、これは大蔵省がこわいのかどうか知らぬけれ
ども、なかなか社会保障的に変えていく勇気は十分ではない。その勇気の部分、推進の部分を受け持たれるのが
厚生大臣である。ほかのすべての面についても受け持っていただいてけっこうでありますが、どんな偉い人でも時間に限りがありますから、一番本元の、社会保険主義を社会保障主義の方に一ぺんには変えられなくても、そっちの方に変えていくという
考え方でいろいろな問題を進めていただきたいと思うわけであります。それについてのお考えを伺いたい。