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1961-10-19 第39回国会 衆議院 建設委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年十月十九日(木曜日)    午前十時二十五分開議  出席委員    委員長 二階堂 進君    理事 加藤 髙藏君 理事 木村 守江君    理事 薩摩 雄次君 理事 瀬戸山三男君    理事 松澤 雄藏君 理事 石川 次夫君    理事 中島  巖君 理事 山中日露史君       逢澤  寛君    金丸  信君       徳安 實藏君    廣瀬 正雄君       山口 好一君    岡本 隆一君       久保 三郎君    兒玉 末男君       實川 清之君    日野 吉夫君       三宅 正一君  出席政府委員         法制局参事官         (第一部長)  山内 一夫君         建 設 技 官         (河川局長)  山内 一郎君  委員外出席者         検     事         (訟務局長)  濱本 一夫君         建設事務官         (河川局次長) 鮎川 幸雄君         建 設 技 官         (中部地方建設         局長)     吉川 吉三君         建 設 技 官         (中部地方建設         局河川部長)  西畑 勇夫君         参  考  人         (長野土木部         長)      小林 武雄君         参  考  人         (泰阜ダム撤去         同盟会長)   關島彦四郎君         参  考  人        (長野県知事)  西澤權一郎君         参  考  人         (泰阜ダム災害         宅地建物被災者         同盟会長)   福島 國雄君         参  考  人         (中部電力株式         会社社長)  三田 民雄君         参  考  人         (長野下伊那         郡豊丘村長) 三石 善雄君         専  門  員 山口 乾治君     ――――――――――――― 十月十七日  街燈整備促進法案川村継義君外十七名提出、  衆法第一一号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  河川に関する件(泰阜ダム建設による災害問  題)      ――――◇―――――
  2. 二階堂進

    二階堂委員長 これより会議を開きます。  河川に関する件、泰阜ダム建設による災害問題に基づく調査を行ないます。  本件に関し、参考人として長野土木部長小林武雄君、泰阜ダム撤去同盟会長關島彦四郎君、長野県知事西澤權一郎君、泰阜ダム災害宅地建物被災者同盟会長福島國雄君、中部電力株式会社社長三田民雄君、下伊那郡豊丘村長三石善雄君、以上の方々に御出席を願っております。なお、中部電力横山社長都合により出席できない旨の連絡がありましたので、さよう御了承願います。  参考人に申し上げます。参考人には、非常に御多忙のところ、本委員会に御出席下さいまして、まことにありがとうございました。どうぞ遠慮のない御意見をお述べ下さるようにお願いを申し上げます。  なお、建設省より山内河川局長鮎川河川局次長吉川中部地方建設局長西畑中部地方建設局河川部長、法務省より濱本訟務局長出席されております。  議事の順序は、まず参考人各位より御意見を承り、御意見の開陳が終わったのち、委員各位より質疑をしていただくことにいたします。  なお、勝手でありますが、時間等の都合もございますので、御意見の開院はお一人五分くらいにお願いいたします。  なお、委員各位より御質疑がありました際は、そのつど委員長の許可を得た上、起立して発言して下さるようにお願いいたします。
  3. 中島巖

    中島(巖)委員 議事進行についてお願いいたしたいと思うのであります。  非常に時間がないのと、本日は午後二時から本会議もあるような関係で、十分な質疑の時間がありませんので、地元から見えられた参考人方々お願いいたしたいと思うのでありますが、供述の際、きわめて短い時間でありますけれども、各関係団体災害状況天竜沿岸災害は門島ダムによる河床上昇原因になっておるとお考えになるとすれば、具体的な実例をあげていただきたいと思うわけであります。目先の対策としてどんな御希望があるか。将来の恒久対策としてどんなお考えを持っておるか。この五点について供述の際お話をいただきまして、なるべく私の方の質問は避けたいと思うので、かようにお願いするわけであります。  なお、政府の諸君やまた長野県知事に対しましては、質問の節いろいろと御答弁をお願いいたしたいと思いますので、地元の三人の方に以上お願いするわけであります。
  4. 二階堂進

    二階堂委員長 承知いたしました。参考人にはただいまの発言をお含みの上御発言を下さるようにお願い申し上げます。  それでは、まず最初に關島彦四郎君。
  5. 關島彦四郎

    關島参考人 ただいま委員長さんから五分以内というお示しがございましたが、一、二分長くなると思いますから、どうぞお許しをいただきたいと思います。  私は、現在長野飯田市の川路――泰阜ダム堰堤上流の七キロ半から十キロにわたる天龍川右側でありまして、本年三月三十一日飯田市に合併をいたしました元川路村の村長をいたしておりました關島彦四郎でございます。泰阜ダム堰堤構築後、河床が異常に上昇して参りました、すなわち昭和十一年よりさらに昭和二十二年まで、またさらに今回合併までの間、川路村長といたしまして、この間同村におきましては、水害対策委員長等をやりまして、この泰阜ダムの問題につきましては十分に経験があるわけでございます。なお三十二年、問題解決後は、上流の十カ村の泰阜ダム対策委員長をやり、また今回の六月大災害後は、これが撤去同盟に変わりまして、その同盟会長をやっておるものでございます。なお、現在県の泰阜ダム審議会委員一員でございまして、泰阜ダムにつきましては二十年来の経験があるものでございます。従いまして、本日は、泰阜ダム河床が順次上昇いたしまして、影響を受けつつありまする上流に対する問題を、簡単に申し上げたいと存じます。  御承知通り泰阜ダム昭和十年の十二月に竣工されまして、十一年の一月に通水をせられたのでございます。その当時までは、天竜川河床は順次下がっておりまして、堤防等も根継ぎをするというような状態でございましたのでありまするが、昭和十一年の堰堤構築以来、特にはなはだしい洪水昭和十三年、十五年、二十年、二十五年、二十八年、三十二年さらに今回の三十六年六月の大災害に相なった次第でございます。しかも堰堤構築後は、河床は一変いたしまして上昇の一途をたどり、昭和十五年の洪水後著しく上昇をいたしまして、三十四年の十二月に――比較対照写真を持って参りましたから、御参照をしていただきたいと存じます。泰阜ダム上流の七キロ半、天竜、すなわち天竜峡の入口から姑射橋までの付近は、この写真にありまするので御参照いただきたいと思いまするが、この洪水前は、私ども考えまして、約十二ないし十五メートルの上昇を来たしておったのでございます。なお上流松尾下久堅水神橋弁天橋付近は五メートルないし三メートル、その他上流喬木上郷座光寺豊丘高森等におきましても順次上昇しておったのでございまして、影響は顕著であるのでございます。さらに、川路付近では、すでに今回のみでも二メートルくらいの上昇をいたしておったのでありまして、今回大災害を招来いたしたものと存ずるのでございます。この災害につきましては、集中豪雨原因もあるとは存じまするが、いわゆるある程度以上の災害は、ダム影響により悲惨なる結果を招来したものと確信をいたす次第でございます。今回の六月の災害は、すでに皆様も御承知通りであろうと存じまするが、飯田下伊那で、被害総額は約二百億になんなんとしておる次第でございます。下伊那地方事務所が、最近におきまして泰阜ダム災害と認められるものの再調査をいたしました。すなわち、一市一町四カ村の災害につきましては、新聞等発表のある通りでございます。  六月の集中豪雨災害飯田地方に発生した災害は、約二百億のうち、天竜川洪水に直接関係のない土木林務その他を除いた地区、すなわち、洪水による水害地と思われる地帯である高森上郷竜江喬木豊丘飯田市の一市一町四カ村を調査したところ、農業関係が三億一千百五十二万円、耕地関係が十五億二千万円、学校関係が一千七百万円、住宅建物等関係が七億六千三百万円、合計二十六億一千余万円となったのでありまして、これは集中豪雨土木関係などを除いたその他の総被害の八〇%であるのでございます。こういう大きな災害を受けたのでございます。ことに川路付近におきましては、川路村経済の大半であります二百五十余戸が流失全壊あるいは埋没いたしまして、ただいまでも、三カ月に及びますが、まだ排除作業もできない悲惨な状態になっておる次第でございます。かりに申し上げますが、学校等も大正の十二年に現在の位置へ移転いたしたのでございますが、その際には、最も安全であり、最も児童の交通によいという場所を選んでこれに移転したのでございますが、現在におきましては、数回洪水に見舞われまして、もうどうしても移転改築をせざるを得ない状態に相なっておる次第でございます。その他、今回の被災におきましては、人命こそ異状がなかったのでございますが、まことに大惨事でありますことは、当時当地を御視察いただきました各官の皆様方御了承の通りでございます。私ども、こういう災害を受けましたことにつきましては、泰阜ダム堰堤影響が重大なる関係があると存じまして、今回の六月の災害の際に、旧十カ村、すなわち、現在の一市一町四カ村の住民総決起大会をいたしました結果、ただいままでの泰阜ダム対策同盟会なるものが、撤去を願うよりほか仕方がないというような結論に到達いたして参ったのでございます。最近、県におきましては、この問題についていろいろな調査をなされ、その御発表もいただきました。私どももよく承知をいたしておるのでございます。私どもその御調査に対して決して異議を申すものでもありませんし、否定するものでもございませんが、私どもものを覚えて以来五十年、この地に永住している者が現実にこれを見まして、どうしてもこれはダム構築以来の異常なる河床上昇による被害であると断定せざるを得ないのでございます。泰阜ダムが認可をせられます当時は、泰阜ダム上流六キロ以上は影響がない、バック・ウォーターの地点より上流影響がないということであったのでございます。私どもは、当時村の議員一員といたしまして、当時の天龍川水力電気株式会社に交渉いたしまして、御承知のような契約書をちょうだいし、われわれは必ず影響があると言い、電力会社影響がないと言って参ったのでございますが、はたしてダム構築後は顕著なる影響をいたしておるのでございます。現在におきましても、いろいろな科学的な御調査の結果は、やはりダム上流五キロ半以上は影響はないということでございますが、上流狭窄部上流のいわゆる平坦地に及びますほど、河床はその影響を受けておるのである、河床が常時上昇いたしておる結果によるものである、かように私ども考えるものでございます。  以上簡単に申し上げましたような状態でございますが、私どもは、この問題を解決いたしますには、どういたしましても泰阜ダム撤去を願うよりほかに仕方がない、かように思うのでございます。それがためにただいま運動をいたしておるのでございます。しかしながら、もしこれにかわるべき方法、すなわち河床上昇を低下させ、なお被害を及ぼさない、平常に復する手段がありまするならば、公益事業であります電気事業に対しまして、必ずしもあくまでも撤去を要求するものではないことは当然だと思うのでございます。  私ども祖先伝来何百年来あそこに永住いたしております者は、この地点ダム影響がないという--もし影響があるならば、構築当事にそういう話し合いがあるべきものであるが、影響がないということにおきまして、しかも構築後、この永住をいたしております安定したところを移転しなければならない、逃げ出さなければならない、こういう悲惨なることは、私はどうも民主政治として肯定ができないのでございます。もしそういうことならば、すでにダム構築当事地元に話をして納得させるべきものである。全然影響がないと言いながら、しかも至大なる影響をここにおいて招来し、祖先伝来、永住安定をいたしましたととろを、仕方がなしに逃げ出さなければならない。とういう政治のあり方は私は否定せざるを得ないのでございます。皆様方におかれましては、どうぞとの点をぜひ御了察いただきまして、撤去は容易でないと存じますが、撤去前にでき得ることならば撤去にかわるべき施策をし、なお今回大災害に遭遇いたしました沿岸堤防等は、将来安全な堤防構築をせられ、耕地復旧をせられまして、われわれ被害民民生の安定をはかられますように、ひたすらにお願いをいたしてやまない次第でございます。  まことに簡単でございますが、以上申し上げまして意見といたします。
  6. 二階堂進

  7. 西澤權一郎

    西澤参考人 長野県知事西澤であります。  泰阜ダムにつきまして、私、意見を開陳させていただく前に、一言お礼を申し上げさしていただきます。過般の梅雨前線豪雨による異常な災害に際しましては、私、当時さっそくかけつけまして当委員会に御陳情等を申し上げたのでありますが、さっそくお聞き取りをいただきまして、多大な御配慮をこうむっておるのであります。なおまた、今次国会において引き続きまして御高配を賜わっておることに対しまして、県民を代表いたしまして、つつしんでこの席からお礼を申し上げる次第であります。なお、本日の問題になっております泰阜ダムにつきましても、これまた当委員会で過去から引き続いて御心配をいただき、また御指導を賜わっておるのでありまして、この点も重ねてお礼を申し上げる次第であります。  泰阜ダムの問題につきましては、先年、前の林知事、なお私副知事でありましたけれども、私も参りまして、当時の状況等を申し上げたのでありますが、その後の進捗と申しますか、その後どういうふうになっておるかということを、まずもって申し上げたいと思います。  先年申し上げましたときには、県におきまして恒久対策応急対策を樹立をいたして目下進捗中でありますということを申し上げたと思います。その後、中部電力に折衝いたしまして、一億三千余万円中部電力から金を出させまして、それを関係市町村に配分をする、ざらに一部は工事等に回して一応応急的な解決は見たのであります。しかし、これはいわゆる抜本策ではないのでありまして、そのときの地元との約束によって、さらに引き続いて県と地元と一体となって抜本策を樹立するために、県に特別な条例に基づく泰阜ダム対策審議会を設けまして、その後抜本策についてそれぞれ検討をいたしておる段階であります。なお、当時ダム撤去に対する訴訟がございましたけれども地元はその訴訟を取り下げるということで、その点につきまして地元と円満に話し合いがついたのであります。その後も、その地元との協定に聖づきまして、県におきましても工事等を施行し、さらにまたそのときの話し合いに基づきまして約束等を履行をして参っておるそのさなかに、過般の梅雨前線による集中豪雨被害を受けたのでございます。まことに残念でありますし、また地元に対して大へんお気の毒に存じておる次第であります。  そこで県といたしましては、ただいまのところでは、ただいま本関島さんの方から数字をあげて御説明がありましたけれども、とにかくあれだけの被害を受けたのであるから、あの災害救済というか、対策をまず立てなければならないということで、これは建設省、農林省あるいは厚生省等、国の方にも強くお願いをいたしまして、応急対策というものを立てております。特に工事等におきましては、たとえば本流の堤防はほとんど決壊いたしましたから、建設省お願いして堤防等復旧をやっていただく、あるいは耕地ども来年の植付には間に合うようにということで、耕地復旧に懸命であります。なおまた住宅も相当被害をこうむったのでありまして、この住宅等につきましても、国の方あるいは公団の方、あるいは移転等について中部電力に働きかけまして、対策を講じておる次第であります。  なお、恒久対策でありますけれども、これも、過般、県におきまして泰阜ダム対策審議会を設けて検討いたしたのでありますが、しかし、これは恒久策ということになりますと非常に問題がございます。特に一番問題なのは、河床がいつまでも上昇を続けるのであろうか、あるいはこの辺が限度であろうかというような、そういうことを技術的に検討してもらうというようなことが中心になるようであります。もし河床が将来安定をするということになりますならば、現在の河床を基礎としての抜本策というものも立てられるのではないかというふうに考えられる次第でありますが、そういうこともあわせ、ただいま検討をいたしておる段階でございます。被害を受けられた地元人たらの立場に立ってみますと、私知事として非常にお気の毒でもあるし、またこれは一刻も早く救済をしなければならないという考え方を持っております。その意味におきまして、国に向かい、あるいは中部電力等に向かいましても、微力でありますけれども、できるだけの努力をいたしまして、地元の要望に沿うように目下懸命な努力をいたしておるところでありますから、御承知をいただきたいと思います。  なお、今後委員会におかれましても、私どもの窮状をお察しいただきまして、何くれとなく御指導、御支援を賜わりますよう、この席からお願いを申し上げまして、私の泰阜ダムに対する意見並びにその後の経過の説明にかえさせていただきます。
  8. 二階堂進

  9. 福島國雄

    福島参考人 私は同盟会長福島であります。泰阜ダム地点より上流約十四キロ余の個所にある水神橋付近に居住する者で、明治三十年生まれ、六十有余年間天竜の川で泳ぎ、余暇には天竜のアユをつり、その他の魚をとって暮らして参った者でありまして、天竜河床流水等については幼いときからよく知っておるのであります。  今回の梅雨前線豪雨によりまして、飯田市及び下伊那郡の天龍川沿い家屋被害国鉄飯田線埋没高森町の下平駅の破壊、その他学校木製品工場凍りどうふ工場等々、民家のほかにも幾多の惨たんたる災害をこうむったのであります。  われわれ被災者としての考え方を申し述べる前に、ちょっと簡単に数字合計だけを申し上げたいと思います。われわれが調査したものでなくて、これは県の調査によるものでありますが、飯田川路地区及び対岸の龍江上流から豊丘村及び高森町に至る間の流失家屋五十四戸、全壊百三十六戸、半壊百二十二戸、床上浸水二百六戸、床下百三十七戸、計六百五十五戸となっております。そのうち、移転申請戸数四百二十二戸のうち、すでに県が各戸ごと調査し、調査済みとなっておるものが三百五十二戸となっております。調査地区は、飯田座光寺下久堅松尾龍丘川路龍江村、喬木村、上郷村、豊丘村、高森町の一市五カ町村でありますが、詳細な数字は時間の関係上省略いたします。なお、長野下伊那地方事務所が県へ提出した資料によりますと、農耕地流失面積は五百八十ヘクタール、埋没は三百七十六ヘクタール、土砂流入七十五ヘクタール、冠水六百七十四ヘクタールでありまして、その被害面積は実に合計一千七百五ヘクタールに及んでおるわけであります。昭和三十二年五月七日午前十時三十五分から、当時の衆議院建設委員会において、本日と同様の会議が開かれておりますが、当時の被害総額は、地方事務所調査によりますと、十八億九千六百八十七万円と称されておりますが、今回の被害は、前述のごとく、冠水面積が当時の被害額とは全然比較にならないものであります。河床上昇はもはや限界まできておるなどいわれますが、天龍峡より川下はかりにそうであるとしても、砂は水より重く、砂より石はなお重いものでありますから、下流が詰まっておる以上、ますます堆積し、冠水区域は拡大されていくのであります。とにかく、天龍川は、ダム建設以前は名にし負う急流で、出水の後、水の引けたあとは、堤防蛇かごが根を洗われて毎々ずり下がり、補強に苦労したのに、現在では出水のたびに河床上昇し、冠水して、かさ上げをし、またかさ上げをしても、なおかつ堤防を乗り越え、そして決壊し、ダム建設以来十数回に及んでおるのであります。  今回の被害は、ちょうど昭和十五年または二十年の川路における状況と同じような状態高森豊丘に及ぼしておるのであります。有史以来、六百戸以上というような浸水など、夢にも考えたことのないことが起きておるのであります。水神橋天龍狭と高森豊丘にある出砂原橋との中間にありますが、高い橋台でコンクリートの永久橋であります。その橋の上に冠水して木材が山積し、水が引けても自動車も通れなかったのであります。これらについての写真は持参いたしております。この事実に見ましても、上流下流冠水のほどが想像されるのであります。人命救助を県から受けたとか、あるいはいろいろな冠水状態も申し上げたいのでありますが、時間が限られておりますので、あとで時間が与えられたときにそういうことを申し上げたいと思います。  最後に、たびたび問題になる昭和二十一年七月四日付で、当時の長野県知事物部薫郎氏から、当時の日本発送電総裁新井章治氏にあてて出された、泰阜ダム埋没土砂の措置について、「先づ阿知川口上流のものより処理し而して天竜狭口疎通能力回態に復すことに努め同時に川路竜江村地先河床埋没土砂を二米以上浚深すること。」こういう厳達命令が出ておる事実を見ましても、ダムによる河床上昇とその被害を、今から十五年も前から認めておるのであります。よって、第一段階として、われわれに与えた損害の家屋物件の補償はもちろんのこと、家屋移転かさ上げの費用をすみやかに支払いをなすべきであると申し上げるのであります。国鉄飯田線についても、その他の県道についても、川路小学校についても、まさか冠水承知で作ったものではありますまい。それは泰阜ダム建設以前のものであったからであります。第二に、恒久対策としては、ダム撤去するか、水路式発電所に建設し直すか、でなかったら、旧態に復した河床になるように、何百立米あろうとも、厳達命令のごとくに埋没土砂を浚深して、流域民民生の安定をはかるべきであると信ずるのであります。  以上であります。
  10. 二階堂進

  11. 三石善雄

    三石参考人 私は、豊丘村の村長でありまして、同時に下伊那町村会会長と、それから泰阜ダム関係いたしましては、泰阜ダム地元審議員並びに泰阜ダム恒久対策によりますところの小渋川総合開発期成同盟会長を勤めておるものでございます。  六月の集中豪雨に際しましては、さっそくに応急処置あるいは災害復旧工事につきまして手を打っていただきまして、お礼を申し上げる次第でございます。七月三日の日でございましたが、この建設委員会が開かれまして、その際には許されて陳情申し上げたのでございます。そのときにも申し上げましたが、この天竜川集中豪雨におけるところの災害はまことに異常災害であった。普通の災害でありますれば、今までの災害は、大体豪雨の水の引け際にこれが流失、決壊するのが通常であったのでありますが、今回の災害は、二十八日、九日、一日に四百ミリも降ったということで、最高時の満水の際に一時にこの地域が八カ所も決壊したのでございます。ただいま申し上げましたように、川路の關島さんが申しましたように、旧十カ村、一市五カ町村でございますが、あの地域に集中的に八カ所決壊した。そのうち七カ所は二十八日、九日に決壊したのでございまして、濁流と満水のために堤防を突破いたしまして、河床耕地より高いために、その決壊場所から濁流は耕地に集中いたしまして、その耕地が本流化したわけでございます。そういう本流化した決壊が七カ所ありまして、それでもって下伊那中部のいわゆる穀倉地帯が石川原になったわけでございます。浸水流失家屋が六百六十五戸という大きい災害を出したのでございますが、しかしながら、その際に防除の手を加えなかったら、全区域が決壊したのじゃないかということは――おそらく二十六日以下一週間にわたりまして、地元の者は必死の防除作業をやったのでございまして、今見ても防除作業の跡がわかりますけれども、それがために辛うじて決壊は八カ所で免れたのでございますが、その八カ所のうら一カ所が、普通の天竜川の決壊と同じように、減水する際に決壊いたしまして、災害に見舞われたのでございます。そういうような異常決壊をしたということは、いかに河床上昇しておったかということと、それから泰阜ダム河床上昇の目標になっておりますところの延長二十キロのうちに、こういう大きい決壊を出したということは、如実にこれは説明しておるのではないかと思う次第でございます。  それから、なお申し上げたいのは、川路というのは、ただいまも關島さんがおっしゃいましたように、これは実は遠州街道でございまして、遠州街道の川路の宿場になっておるわけであります。古い歴史を持った川路の宿場が、学校も移転しなければならぬ、道路も作り変えしなければならぬ、それから住宅も住むことができぬという徹底的に大きい災害が、順次こういう河床上昇に伴って大きな災害になった、そういうこと。それから、上流関係でございますが、上流の各支流が川路と同じような大きい湛水の影響が現在現われているのであります。これは三十二年前にはそれほどの影響はなかったのでございますが、三十二年以降の洪水のたびごとに、川路と同じような天竜川支流の合流点にこういう災害が起きている。これは、豊丘村におきましても、比較的広範な地帯に同じように天竜川河床が上がって水がはけない。そこへ土砂が堆積いたしまして、その周囲が決壊し、土砂が流出し、家屋浸水するというように、川路と同じような状況がここに現われているのでございます。これは今にその土砂が堆積して、最近の十月七日の百ミリ降りました雨にも、各小河川の土砂が還流いたしまして、これは浸水でなくて泥浸というような形で家屋を荒らしております。今にそういう災害が各支流に現われておるのでございます。それは絶対に天竜川河床の土砂堆積がそのままになっているということでございます。  次に、河床上昇の経過でございます。これは福島さんの方から申し上げましたが、私は特に上流方面の河床上昇の経過につきまして一言申し上げたいと思うのでございます。大体科学的に調査をしていただいているのでございますけれども、それに対してわれわれは絶対に信頼はしておりますけれども、遺憾ながら、この上流に対しては、まだ県におきましては調査をしていただいておらぬ。こういうことで、昭和三十二年の泰阜ダムの審議会ができて以来、長年月を経ているのでございますが、まだ区域全般に対する河床上昇状況等調査をしていただけないのでございまして、この点は今後科学的の調査を十分していただきたいということを念願するものでございます。私どもしろうとの河床上昇の見方でございますが、不動点というのがございまして、岩でございます。泰阜ダムから十六キロ上流にございます弁天岩が三十二年にだんだん埋没いたしまして、今度の災害では全く埋没してしまいました。また弁天橋の上に、これは昔からありましたいわゆる制水のような格好になった大きな岩がありまして、その岩から渡船場になっておったのでございますが、その岩が全くわずかに痕跡を残して今は埋没している。それが上流十六キロの埋没の姿でございますが、そういう不動点の埋没した姿から見ましても、これは昭和三十二年以前もそういう姿になっておりまして、現在はそれ以上に堆積しておるわけでございます。  もう一つ具体的な問題は、これは豊兵村の例でございますが、先ほど流失しました伴野新田に、三十七戸あったのでございますが、明治二十年にいたしまして、二十七年に完成した堤防で、約四十町歩のそれこそ美田ができたわけでございます。その美田に土地の人たちの分家がだんだんできまして、三十五戸の家がありましたのが、どういうものか最初非常によいところであったところが、庭がじくじくして水がつくようになってきた。それから二毛作がどうしてもできないようになって、一毛作になってしまった。昭和二十五、六年ごろからそういう現象が起きまして、それからその後に四軒やめて岡へ移転しております。そうして三十二年の大きい災害が現われまして、初めてこれはどうも変だ、泰阜ダム影響じゃないかというようなことを言い出したのでございまして、そういう一つの例もございます。ということと、もう一つは、ことに竜東一貫水路という井水がございまして、これは豊丘村から喬木村へずっと通じる約三百町歩の天竜川沿岸に沿った水路でございます。この水路は天竜川の灌漑用水としてほんとうにすぐれた灌漑用水であったのでございますが、二十五、六年からこちら全く冷水がそこからわき出るようになりまして、これは灌漑用水どころじゃなくて、暗渠排水に化した、そういう現象があるのでございまして、どうか、それらの事柄を基本といたしまして、一つ十分調査をしていただきたいとお願いする次第でございます。  それから、最後にお願いいたしたいことは、泰阜ダムの審議会ができまして訴訟を取り上げた際に、ただいま知事さんの申されましたように、審議会として三つの案が出たわけでございます。応急対策恒久対策、それから抜本対策と三つの対策ができまして、訴訟を取り下げるについては、審議会が、その実行の方法を県に責任を持っていただく、こういうことになったわけでございます。応急対策というのは、思うに川路竜江下流に対する水防の対策でございます。それから抜本対策というのは、クレストの低下であるとか、いよいよやむを得なければこれを撤廃するとか、そういう抜本的な対策考えるということ。恒久対策というのは、あの支流上流の根本的な治山治水をやる。それから小渋川の総合開発をやって、大堰堤をこしらえて、天竜川の治水を完全にする。こう三つの案によって発足しておりますが、不幸にいたしましてこの三つの案が、これは計画を進めておったのでございますが、その計画中にこの地区に大きい災害が起きたのでありまして、今後この三つの対策の上になおもう一つお願いいたしたいのは、先ほど申し上げましたように、天竜川の護岸工事にいたしましても、災害を受けたほかの個所もほとんど脆弱でありまして、再び満水がくればこれは必ず崩壊する宿命にある堤防でございますので、災害工事とともに全部に対して完全なる改良工事を施していただかぬと、おそらくその堤防の価値がないものになると思うのでございます。  いろいろ申し上げたいことはございますが、以上をお願いいたしまして、参考意見としていただきたいと思う次第でございます。
  12. 二階堂進

  13. 三田民雄

    三田参考人 私、中部電力の副社長三田民雄でございます。実はきょう私の方の社長がお呼び出しを受けておったのでございますが、やむを得ない事由のために、あらかじめお許しを受けまして私出席をいたしましたので、よろしくお願いいたします。  天竜川筋の当社の発電所の上流に起きましたいろいろな問題につきましては、これまで当委員会におかれましてもしばしば御審議があり、当社も二回ほどお呼び出しを受けまして、過去のいきさつなり当社の考え方なりを御説明申し上げましたので、本席におきましては、その後の経過及び三十六年の六月の梅雨前線豪雨によります被害にあたりまして、当社のとりました措置について御説明申し上げるとともに、こうした問題に関します当社の考え方を申し述べたいと存じます。  まず、三十二年の災害につきましては、いろいろの過程はございましたが、三十三年十二月に至りまして長野県及び当時の川路村外六市町村との間で、三十三年末までの水害問題の解決についての話し合いがまとまりまして、翌三十四年三月にこれに基づいて見舞金並びに県の応急工事費として約一億三千万円をお支払いいたしました。その後三十四年、三十五年にも一部の災害が起きておりますが、地元と御協議の上で、それぞれ応分のお見舞金で了解が成立し解決いたしたのでございます。また、県が行なわれております調査研究のための費用の一部についても、従来に引き続きまして負担いたして参りましたが、本年三月には、根本対策の見通しを得るまでの水害予防応急対策工事に対する協力の意味で、千三百万円を長野県へお出しいたしたようなわけであります。なお、この間におきましても、従前から県の御指示に従いまして、ダムのゲート操作も、五百トン全開放流というのを三百トンで全開するようにいたしております。当社といたしましては、電力を犠牲にして、排砂にもできるだけの努力をいたして参ったわけでございます。  次いで、先般の豪雨でございますが、これは従来に例を見ない記録的な集中豪雨でございまして、支流至るところに山津波とか土砂くずれを誘発いたし、各河川はきわめて短時間に増水、溢流いたしたために、災害が非常に大きくなったと考えております。これがため当社におきましても相当の被害を受けまして、この復旧には非常な困難をいたしたわけでございますが、この未曾有の災害に直面いたしまして、被災地の惨たんたる状況の中で、地元方々が非常に困惑しておられるありさまを見まして、少しでも当座のお役に立てばという考えから、とりあえず六月末に飯田市並びに竜江村に対しまして若干のお見舞金をお贈りしたわけであります。  また、災害発生の直後、地元の一部の方々から当社にいろいろ御要望がございましたが、非常に大きな問題でありまして、とうてい一会社のみで解決いたすべき問題でもありませんので、市並びに県にお願いいたすことになったわけであります。一方、県の御当局におかれましても、積極的に現地の調査解決策の検討などをなされていたわけでありますが、被災地に対しましては応急措置の実施など緊急を要する施策が必要であるとの御観点から、とりあえず相当金額を知事に預託するようお話がありました。当社といたしましては、問題解決に至るまでのとりあえずの善後策としまして、本年の七月三十一日に三千万円を知事さんにお預けしたわけでございます。さらに、その後再度の御要請がございまして、同様の趣旨から、家屋移転費に充当するものとして、二千万円を十月九日にお預けしてございます。  次に、今後の問題でございますが、応急対策といたしましてはそのつど講じられてきたわけでありますが、結局は、前回にも申し述べましたように、国並びに県におきまして、大局的な見地から天竜川全体をどうするかというような総合的な計画のもとに、公共事業として河川改修工事を実施していただかなくては、根本的な解決は望めないのではないかというふうに考えておりますので、何とぞよろしく御配慮のほどをお願いしたいと思います。  なお、当社は、天竜川の利水者の一人として、これらの諸施策に関しましては、関係方面と御協議の上、応分の協力をさせていただく考えであります。  以上、きわめて簡単でございますが、泰阜ダムについてのその後の経過等を申し上げまして、御参考に供した次第でございます。     ―――――――――――――
  14. 二階堂進

    二階堂委員長 質疑に入ります。中島巖君。
  15. 中島巖

    中島(巖)委員 臨時国会では災害立法を初めとして非常にたくさんの案があるのでありますが、この泰阜ダム河床上昇と思われる地域の災害が非常に大きくありまして、今地元参考人からいろいろお話があった通りでありますので省略いたしますが、最近の信毎におきまして、本日お見えになっておる県の土木部長の意見といたしまして、いろいろな話が出ておったわけであります。これらについては後刻質問いたしたいと思いますが、そういうような事情で、しかも流失家屋が八十二一尺全壊が百六十七戸、半壊が百九十四戸、浸水家屋が三千四百六十三というような大きな数字に上っておるのでありますけれども、これに対して何ら今まで手が打たれておらない。こんなような関係もあり、かたがたこの際、委員の諸君、各参考人の方には御迷惑と思いましたけれども、本日この問題に対する審査を進めることをお願いいたしまして、幸いにお聞き届けいただいたことを厚く感謝する次第であります。  泰阜問題は今回に始まったことではないのでありまして、過去にもたびたびあったのであります。現在の中部電力はそんなことはないだろうと思いますけれども、実は過去の水害におきまして非常にひどい仕打をされておることがあるのであります。それは竜丘村と中電との間に、天竜川筋の村計画にかかるときまた地籍水害予防対策事業に関し双方協議の上、次の通りの覚書がかわされたのであります。すなわち、  一、会社は村が水害予防対策の観点から今回施行する時又地籍の天竜川護岸改修並新川護岸改修事業に対する援助金並昭和二十八年七月水害に対する時又地籍被害見舞金として金一八五万円也を村へ贈与する。  二、村は会社の厚意に酬ゆるため昭和二十八年七月水害による時又地籍水害被害問題一切を村の責任に於いて解決すると共に本覚書締結の日より向う二十ケ年を限り今回の水害予防対策事業施行区域沿岸一帯の水害問題一切を解決会社に対し如何なる異議要求など申出ない。  三、前項の水害予防対策事業施行区域は天竜川沿岸新川合流点附近及新川筋の天竜川合流点より左右岸上流村道新川橋上流附近までの間沿岸一帯の区域とする。  四、前項の区域内村民より后日に至りこの覚書事項又は水害等について異議の申立及その他如何なる要求があっても村の責任に於いて解決会社に対し如何なる迷惑も及ぼさない。  五、第一項の金額の授受は本覚書交換と同時に行う。  六、将来村又は会社合併譲渡及その他の理由で名儀変更などをする場合はその承継者をして本覚書を継承せしむる。  本覚書を証するため本覚書二通を作成し、村、各会社一通を保有する。   昭和二十九年九月三十日    長野下伊那郡竜丘村       村 村長林  省三    中部電力株式会社飯田支社     会社 支社長 田中 久好  以上であります。その顕著な例を一つ申し上げますと、現在飯田市に合併になりました竜丘村に昭和二十八年の七月に水害がありまして、その解決昭和二十九年の九月になっておるのであります。この中で、百八十五万円竜丘村長にやったのでありますけれども、この百八十五万円をやって、会社の好意ある見舞金をいただいてありがたかった、そして、そのかわり向こう二十カ年間はどんな水害があっても村で責任を負って決して会社に迷惑をかけぬというような一札を入れたのであります。つまり、災害を二十年間前売りをしておるというような状態で、今回この地区では、天竜川沿線で七戸、二十四世帯というものが土台もなく流されてしまう、それからその支流において、十数戸というものは、やはり流されたり半壊になり、それからすでに二十何戸かは自分で立ちのきをしておるというような状態であります。従って、これらに対して早急な措置をせねばならぬというのが、今回このお願いをいたした私の主たる目的であります。  そこで、私は質問に入るわけでありますが、これは長野県の知事さんでも土木部長さんでもけっこうであります。先ほど福島さんからお話のありました昭和二十一年七月四日の、長野県知事が当時の泰阜発電所の所有者である日本発送電株式会社にあてた厳達命令でありますが、これを読み上げますと、   昭和二十一年七月四日  (写)   長野県知事 物部 薫郎    日本発送電株式会社     総裁 新井章治殿    天龍川通り泰阜並に犀川通り水内堰堤上流地籍の水害予防対策に関する件   管内天龍川下伊那川路村並龍江村地籍及び犀川筋上水内郡水内村地籍は就れも発電施設たる堰堤影響に因り河筋の土砂沈積夥敷く計画当時仮定せる堆積量をも既に相当超過し延ては上流部広範の地域に亘りて極度の河床隆起を生ぜしめたる結果出水時に於ては屡々異状の高水位を誘発し且つ甚だ敷き長期湛水となる傾向ある為に異例の水害を頻発し捨て措き難い事態に立ち至りたるを以って河川治水計画確立の重要性に鑑み堰堤に因る堆積土砂の除却を計る等右両地籍に対する水害予防の根本対策を樹立し之が実行方取り計はれたし、猶ほ差し懸つて左記の応急措置に付ては再び出水期を控へたる此際夫々格別の工夫を集注して急速に其の施策の実現に特段の努力を致されたし。      記  一、天龍川筋泰阜調整池内埋没土砂の措置    先づ阿知川口上流のものより処理し而して天龍峡口の疎通能力を旧態に復することに努め同時に川路龍江村地先河床埋没土砂を二米以上浚深すること。  一、犀川筋水内堰堤上流に対する措置    新町地籍の洪水防禦堤防を取り急ぎ拡築補強し併せて湛水地域に於ける堆積土砂の中特に太田川口附近のものの排除に努むること。  右厳に通達すとございます。これは昭和二十年に異常な大水害があったのであります。そこで、昭和二十一年の七月に物部知事が日本発送電に対して厳達命令を出したわけであります。そこで、この中にある「土砂沈積夥敷く計画当時仮定せる堆積量をも既に相当超過し」、こうなっておりますけれども、この「計画当時仮定せる堆積量」、これはどういう意味のことでありますか。
  16. 小林武雄

    小林参考人 お答えいたします。  計画当時推定した、ダムのうしろの方、上流側に堆積すると会社側におきまして予想をした数量といろふうに考えております。
  17. 中島巖

    中島(巖)委員 河川局長にお尋ねいたします。皆さんのお手元に「ダム上下縦断河床状況図」というのがあると思います。これは、かつて泰阜ダム建設のとき、矢作水力か天竜川水力だったかと思いますが、提出した図面でありますけれども、この図面の中に「計画河床」という線が入っております。これは県にも建設省にもあるわけでありますが、この計画河床の定義と申しますか、御説明お願いいたしたいと思います。
  18. 山内一郎

    山内一郎政府委員 計画河床は、ダムを設置しましたあとにおきまして、普通の洪水といいますか、それによって、砂防工事が相当進捗したといたしましても、やはり土砂が流れてくる、そういう土砂の流れてくる量を想定いたしまして、この線までは河床上昇するというように想定をした計画の河床でございます。
  19. 中島巖

    中島(巖)委員 もう一度河川局長にお尋ねします。今は堆積線と言っておりますけれども、この計画河床は、河川に築造物を設置して、百年後にはここまでたまる線、こういうようにわれわれ聞いているのでありますが、建設省としてはどういうふうに御理解になっているか、お伺いしたいと思います。
  20. 山内一郎

    山内一郎政府委員 その何年間を想定するかという問題につきましては、百年間を想定しております。
  21. 中島巖

    中島(巖)委員 これは知事から御答弁いただきたい。土木部長でもけっこうであります。先ほど地元關島参考人は、泰阜ダム建設当時村の重要な職におりまして、当時矢作水力と話をしたときに、六キロか七キロまでは砂がたまるけれども、それ以上はたまらぬと言った。今また河川局長の答弁によると、この計画河床なるものは、ダムを設置して百年後に砂がたまるだろう、これが七千五百メートルの地点だ、七キロ半の地点だ、この地点は現在の天竜峡のはるか下の阿知川河口と飯田線との中間くらいのところなんです。それが二キロくらい上流川路付近で現在五十尺も砂がたまっており、こんな災害が起こるのは当然なんです。従って、これに対してどういう御措置をなさる考えか。  いま一つは、ただいま申しました厳達命令がどういうことになったかと申しますと、この厳達命令の代案ができたときの経過を書いたのが皆さんのお手元へ差し上げてあるので、見ていただきたいと思います。「天竜川川路浸水予防対策に対する打合議事概要」これであります。これも私全部読みたいのでありますが、時間もありませんので、速記の方に載せておいていただくことにして、その中の二、三を申し上げたいと思うのです。この厳達命令の中には、当時の日本発送電が二メートル以上土砂を浚深しろということがはっきりうたってあるわけです。川幅が六百メートルも七百メートルもあって、川路村発電所地先だけでも三千メートルもある。とうてい人力ではできぬところの厳達命令を出しておる。そこで、私の聞いたところでは、当時の日本発送電は当時の商工省の電力局に泣きつき、電力局は、現参議院議員、当時の岩沢技監のところへ泣きついた。そして岩沢技監は、地元も呼んで、厳達命令にかわる代案を出した。ところが、このとき地元川路村長を一人呼んだだけで、ほかにはだれも呼びはせぬ。そして、この厳達命令を見ていただくとわかりますけれども、当時発送電の土本という補償係長がここに立ち会っております。つまり厳達命令の代案といたしまして、日本発送電は千三百万円出しまして、そのうち三百万円で天龍峡姑射橋下の岩盤を取り、あとの一千万円で川路川に五本だかの水制を入れるという案だった。そして、県からは穂積という当時の河川課長が来ておりますけれども、これは根本策ではないということを言っております。ただ奇怪なことには、土本という補償係長は、これはつまり川路川へコンクリートの水制を入れることによって、対岸の竜江村の土地を流してしまって、川路村へ土地をたくさんこしらえるのだと言ったということが、この速記録にちゃんと出ておる。そういうように県の河川課長も反対し、また日発の補償係長もこうはっきり言っておるのに、建設省建設省の言うことを聞けというような威圧を加えて、この厳達命令を取り消してしまったわけです。全く今日の災害原因建設省にある。これに対して河川局長のお考えを伺いたいのであります。  さらに、この流された対岸の竜江村の村長、これは木下仙と申しまして、現在県会議員をやっておりますけれども、これを呼び出して供述を聞いたときにも、つまり三十二年五月七日の建設委員会では、このように言っております。「お話のございました川路側にできました水制の影響と私どもは解釈しておるのでありますが、二十五年六月に至りまして大洪水を発しまして、その影響によりまして私どもの村の沿岸三十町歩を一夜にして決壊流失したのであります。耕作民はこの惨禍にぼう然自失いたしまして、濁流に身を投じて自殺しようとする農民の細君もあったほどであります。当時のこの惨害に対する私の村の村民の考え方は、ダム影響はもちろんであるが、それに加うるに建設省の不公平な一方的な工事施工がこの結果を生ぜしめたのだという考え方であります。ただしそれはばく然とした推測でございまして、当時の厳達命令の結論としての協定あるいは覚書のできました会議に全然参画せず、同時にこれを承知していないわけでありますから、ばく然とした推測をしておったわけであります。そのために当時の村長であります一ノ瀬善作氏はこれが善後策に東奔西走いたしまして、その心痛と疲労のために、建設省への陳情の帰途中央線の車中で倒れまして、諏訪駅におろされまして入院いたして、以後経過不良でついに死亡されたのであります。」こういうような結果になっておるのでありますが、河川局長としては、これに対して、古い話でありますから御存じないかもしれませんけれども、御所見を承りたいと思うわけであります。
  22. 山内一郎

    山内一郎政府委員 だいぶ前の話でよくはわからないのでありますが、命令はただいま先生の言われました通り長野県の知事から出ております。しかし、その工事量といいますか、相当な量に上りまして、それを実施することはやはり相当な経費を要し、かえってその仕事が手間取るのではないかというようなことも考えられるのでありまして、建設省としては、それにかわるべき代案と申しますか、それによりましても効果は相当上がるわけでありますし、しかも日本発送電が実施可能であるというような点を考えて、代案が出されたというふうに私は聞いております。
  23. 中島巖

    中島(巖)委員 非常に遺憾な問題でありますけれども、押し問答しておりましても時間がかかりますので、先へいくことにいたします。  そこで、こういうような幾多のいきさつがあり、そして過去五回も大災害を受けて、県は災害救助法を発動しておる。しかるに、この泰阜ダムの水利使用の権利は昭和三十年で終わるわけであった。ところが、県はこれに対して何らの制約も加えなくて、昭和三十年にも向こう三十カ年間、昭和六十年何月ですか、それまでの水利使用の伸長許可を与えたわけです。そこで、地元の諸君は、この水利使用伸長許可の行政処分に異議ありということで、訴訟を起こしたわけです。この訴訟の問題等につきましては、訟務局長もお見えのようでありますから、あとでいろいろお尋ねいたしたいと思うわけであります。  そこで、お伺いすることは、水利使用伸長許可にどういうわけで期限をつけてあるか。あれだけの大きな構築物を作るのだから、永代許可にしてもよかろう、こういうふうにも考えるわけです。従って水利使用伸長許可については期限をつけるべき理由が必ずあると思う。それはどういう理由で水利使用伸長許可に期限を付してあるのか、これを、河川局長でも土木部長でもよいが、お答えを願いたい。
  24. 小林武雄

    小林参考人 従来、水利使用の許可につきましては、三十カ年を何と申しますか慣例としていたしておりますが、三十カ年を過ぎました場合におきまして、公益上その他の問題も考える機会もあるのではないか、そういうので一応三十年間というふうにいたしたかと思います。
  25. 中島巖

    中島(巖)委員 専門家である河川局の次長から今の答弁をして下さい。
  26. 鮎川幸雄

    鮎川説明員 水利使用について許可期限を付している理由はどうかというお尋ねでありますが、河川法上は、ただ河川の流水を占用せんとする者は行政庁の許可を受くべしという、権利を設定するだけの規定がございまして、それについてどういう期限であるかどうかというような明確な規定はないわけでございますが、しかし、河川の流水を使用いたします場合には、それぞれその流水使用の目的や工作物の内容、その他流水の状況、いろいろな点が勘案されるわけでありますが、それぞれの内容、条件に即応して期限が付されておるものと考えておるわけでございます。
  27. 中島巖

    中島(巖)委員 いろいろ回りくどいお話でありますけれども河川の水利使用に対して永代許可とせずに期限を付した  たしか法律にはないが、いつも三十カ年間とやっておるその理由は、いろいろ河川構築物を築造した後において、河川に変動が起きて公益に害を及ぼすやいなやの審査の機会を与えるために、この三十カ年間の年限を付してある、こういうように私はいろいろの学説からして見ておるわけであります。そこで、長野県知事がこの水利使用の伸長許可をするにあたって、たびたび地元からダムを取ってくれろという陳情書が出ており、何度かの水害もあり、しかも知事みずからが、先ほど申しましたような、十年前、昭和二十一年にこういう厳達命令を出しておる。また知事みずからが五回の災害救助法を発動しておるにかかわらず、なぜ三十カ年間の権利伸長を行なったのか、この点長野県知事に承りたい。
  28. 西澤權一郎

    西澤参考人 ただいまのお尋ね、私まだその当時知事ではありませんでしたけれども、おそらく許可をする場合の心持といたしましては、地元の意向等を聞いて許可をしないということはできなかったであろうと思うけれども、その際地元の意向等を聞いて、地元災害に対する諸般の要望等があろうから、そういうものを解決しつつ許可を与えるという方法をとった方が、違法、違法でないという問題は別にして、行政措置としては適当であったように思います。従って、このときの地元の意向等を知らない間に許可したということは、違法、違法でないという法律問題を別にいたしまして、知事としての処置は私は必ずしも適当でなかったというふうに思います。しかし、その後地元から訴訟等が提起をされまして、従って新しく期間更新をするときと同じような気持で地元の要望等もできるだけ取り入れるという処置をおそまきながらとって、応急措置を講じたというふうに私は思います。なお、長野県にはたくさんのダムがございまして、期間の更新を迫られておるものもありますが、泰阜等の例にかんがみまして、法律的の要件ではございませんけれども、今日におきましては地元の要望等もできるだけお聞きして、調整をしつつ許可をすることにいたしております。ただ実際問題として被害があったからダム設置許可はできない、やらないということは、これは法律的に新しくダムを設置するときには自由裁量行為であるけれども、自由裁量行為、覊束行為というようなこともあわせ考えつつ、そのときはそういうふうに処置したものであろうというふうに思います。繰り返して言いますように、その処置が適当であったというふうには私はここで言い切れません。できるだけ地元に相談をしつつ許可をすればよかったというふうに考えております。
  29. 中島巖

    中島(巖)委員 私の質問だけに簡単に答えていただけばけっこうですから……。  今知事は冒頭許可しないわけにはいかないということを言われたでしょう。どういう法的根拠に基づいて許可しなければいけないのか。そういうことをなぜおっしゃるのですか。
  30. 西澤權一郎

    西澤参考人 新しくダム河川に設置をするという場合には、これは自由裁量行為によるわけです。しかし、現実にダムが設置をされているという場合には、これはいろいろの条件等があろうと思いますけれども、覊束行為であって、自由裁量行為よりもはるかに拘束をされた考え方によって許可等の処置をしなければならないものである、こういう解釈に立っております。
  31. 中島巖

    中島(巖)委員 それはあなた、とんちんかんな間違った答弁じゃないですか。自由裁量行為ということは、いわゆる行政庁が自由裁量で許可できる。あなたのおっしゃる通り、第一次の水利使用許可は自由裁量行為でありましょう。しかしながら、伸長許可は覊束行為、法制局などの意見もそうであります。いわゆる覊束裁量行為ということは、規則に縛られて裁量しなければならぬ行為、許可しなければならぬ行為だ。その場合にはいわゆる規則に当てはまったことを行なわなければならぬ。従って、知事の仕事はどういう仕事だということは、私が申し上げるまでもなく知事は御存じだけれども、普通一般では地方公共団体を統括してこれを代表するということをうたっておりますが、地方自治法の附則の第三項におきまして、国の委任事務を知事は預かっている。これはいわゆる行政庁の長として知事その者が預かって、その事務を行なうのである。従って、知事が審議会を作ったりいろいろこしらえてカムフラージュしているけれども、そういうことで知事の責任がのがれられるものではないと思うのです。  そこで、ただいまの水利使用権伸長許可の問題に入りますけれども、いわゆる覊束裁量であるから、法律に適したところの仕事を知事はやればいいじゃないですか。これは河川法に適した仕事じゃないでしょう。河川法の二十条には、こういうことがあった場合には、ダム撤去したり改築しなければならないという命令が出ているじゃありませんか。あなたのおっしっる覊束行為なら、当然ダム撤去するか、その他の重要命令を出すべきじゃないですか。覊束裁量行為というものはそういうものでしょう。
  32. 西澤權一郎

    西澤参考人 私は、建設大臣から機関委任を受けて、河川水利使用の許可あるいは管理をいたしておるのでありまして、その意味におきましては、いわゆる行政庁の長である知事ではあるが、建設大臣の監督命令、行政命令に服さなければなりませんので、従ってダム設置の許可あるいは更新というような重大問題、これは私の行為ではありますけれども、その裏には建設大臣の監督命令、統一した解釈がありまして、私の単独でやるというわけにはいかないというふうに思います。従って、泰阜ダムの期間更新につきましても、それは建設大臣に稟請を出してその上に更新をいたしたということで御承知をいただけるものと思います。  それから、覊束行為ということでございますが、覊束とは法律規則などというあの字ではなくて、むずかしい「覊」という字の覊束行為ということで、自由裁量に対して、行政行為としては相当の制約を受けつつ行為をしなければならない。こういう解釈であります。これは私どもの県の単独の解釈ではなくて、国の方あるいは法制局等の統一した解釈であろうというふうに思います。
  33. 中島巖

    中島(巖)委員 法制局第一部長が見えていると思いますが、今ここで二人の質疑応答を聞いておって、内容はおわかりだと思います。いわゆる自由裁量処分と覊束処分、つまり法規裁量処分、この二つが議論になっておる。そこで、知事の言うのには、法規裁量処分であるから、これは許可せねばならぬ、こういう言い分、私の言い分は、法規裁量処分であるから、法規に合った行為をせねばならね、こういう言い分でありますが、それに対して法制局の見解をお伺いしたい。
  34. 山内一夫

    山内一夫政府委員 今おっしゃった問題は、前に昭和三十一年四月二十七日の本委員会中島先生の御質問に対して、法制局がお答えしておったようでございますが、今の要点は、自由裁量処分というのは、行政庁がするかしないかの自由を持っておるという処分であり、片方の覊束裁量行為あるいは法規裁量行為という場合もございますが、これは、対人民の権利自由を保障する意味におきまして、人民に不利益を与える処分につきましては法規は拘束しておる、こういう概念だというふうに私どもは了解しております。そこで長野県知事のおっしゃった考え方で、法規裁量であるということは、過去の水利権があるから、それを継続することは、水利権を持っておるものの利益において拘束されてくるのではないか、こういう意味をおっしゃったと思う。その拘束のない、全くの自由裁量でありますれば、長野県知事はいろいろ政策的な判断をなさって、水利権を付与されるかどうかは自由である、こういうようにおっしゃったのだろうと思います。一方におきまして、先生は、水利権の期間が切れた場合に、それを継続するかどうかは、もう一つ別な形の、公益を維持する、あるいは公共の秩序を維持する、そういう法規に照らして考えるべきである。その意味で法規裁量の意味をおっしゃっておられると思うのですが、その面は確かにあると思います。ですから、水利権を延長するかどうかを行政庁が決定する際におきましては、公共の福祉に影響がない限りは、本人の利益を守って許可を与える。影響がありますれば、やはり行政庁は公共の福祉を維持する責任を持ちますから、これは許可の延長申請を拒否するということに相なるべきであろうというふうに考えるわけでございます。
  35. 中島巖

    中島(巖)委員 つまり法規裁量処分に対して、私の見解は、当然ダムをかつての所有者であるものに渡すべきである。すなわち、ただいま申しましたように、期限を切ったる、またはダムを設置した後において河川に変動があって、公益に害を及ぼすやいなやの審査の機会を与えることになっておる。従って、このような大きな災害が幾たびか起き、知事みずからも厳達命令で認めておる状態で、これを許可すべきではない。すなわち法規裁量処分は、法規に合ったところの処分をすべきである。法規とは何ぞや。いわゆる河川の維持管理に対しては河川法である。この河川法の第二十条でもって、河川計画の一から六までをはっきりうたってある。これに照らして、知事は、河川事務に関する限りは法規に縛られておるだけで、県の議会やその他に縛られておらぬわけだ。従って、許可をする場合には、この河川法二十条によって適当な処置をとるべきだ、こういうように考えるのでありますけれども知事はまだそんな変なことを言っておいでになりますか。
  36. 西澤權一郎

    西澤参考人 これは現実にダムが設置してあるというところに立っての総合判断から許可をすべきであるということで、許可を出したものであるというふうに私は思います。しかし、先ほども申し上げましたように、期限伸長、期間更新という機会を与えたことは、過去を振り返っていろいろ問題がある場合には、そういうことを解決しつつやればいいというふうには思います。
  37. 中島巖

    中島(巖)委員 知事は、あくまで国の委任事務であって、国の法律に従って処理せねばならぬのです。それを判断からどうだとか、そういうことは僕は許されぬと思う。そこで河川局長にお尋ねしますが、今知事からいうと、建設大臣の方に話があって、建設大臣も了承して許可したというお話ですが、それが事実かどうか。それから、今の私の見解に対して、河川局長はどういう見解をお持ちであるか。この点をお伺いしたい。
  38. 山内一郎

    山内一郎政府委員 第一点の水利権伸長の場合に、建設大臣の認知があったかどうかの点につきましては、認知を受けていない、こういうふうに聞いております。それから第二点の、伸長の場合にどういう考えで伸長するか。これはやはり水利権を与えられたものの公益性といいますか、それも非常な重要な点だと思います。しかし、その当時に、やはりダムによるのではなかろうかという解釈もございます。従って、そういういろいろな総合的な判断をして、やはり水利権の伸長は与えられていいじゃないか。しかし、一度与えられた水利権の公益性というものは、発電をする必要がなくなった場合は別といたしまして、非常に強いものではなかろうか、こういうふうに考えております。
  39. 中島巖

    中島(巖)委員 長野県知事は今お聞きだと思います。知事は建設大臣と話をされたと言うけれども、今河川局長はそういう相談を受けてないという答弁だ。それはあと質問しますが、河川局長にお尋ねいたします。河川局長はいろいろな角度から判断してと言われましたが、役人は法律的根拠に立って役人の地位を持っているわけです。従って役人は法律によってやらなければならないのです。今あなたがおっしゃったようないろいろな観点から、そういうものを許可したり取り消してもいいという法律はどこにありますか。
  40. 山内一郎

    山内一郎政府委員 いろいろな点を考えます法的根拠は、河川法の二十条である、こういうように考えます。
  41. 中島巖

    中島(巖)委員 河川法の二十条は、ダムを、河川の工作物を動かしたり改造したりする河川警察の条項でしょう。そうして一号から六号までありますが、たしか六号だけに公益上ということがあるが、あの意味は河川のはんらんによってそこらの人民に迷惑をかけるということであって、公益上の電気の問題とか日本の経済はどうなるという問題は入っておらぬのです。従って河川法の二十条に即してやればそれでいいじゃありませんか。それをまるで総理大臣みたいなことを言って、電気がどうだ、すべったのどうのと言って、どうですか。
  42. 山内一郎

    山内一郎政府委員 水利権の伸張の場合に、やはり河川法の二十条の各項目を考えまして、改築とか、取り消しとか、そういう点はやはり考慮して長野県の知事がおやりになったと思います。しかし、一度与えられた水利権の公益性といいますか、発電をする必要がもうないという場合は別といたしまして、やはり発電をすべきであるということは、その当時は当然と考えられておりましたようでありまして、従って、その場合には、やはり二十条に当てはまらないという解釈のもとに水利権の伸張をした、こういうふうに私は解釈しております。
  43. 中島巖

    中島(巖)委員 あなたの解釈でなくて、そういうようなことがどこの法律にあるかということです。どの法律に基づいてやっているのですか。内閣総理大臣なら内閣法の八条に取り消すことができるということがありますけれども、一般の官吏はあくまで法律を守らなければならない。今局長が言ったような法律は、どの法律の根拠によってやったかということをお伺いするのです。
  44. 山内一郎

    山内一郎政府委員 河川法の水利権の条項でございますから、十八条でございます。それによってこういうことに解釈しております。
  45. 中島巖

    中島(巖)委員 十八条を読んで、十条の解釈をして下さい。
  46. 鮎川幸雄

    鮎川説明員 ダムを設置いたします場合には、水利権の問題と工作物設置の問題が起こってくるわけでございますが、現在の河川法では、それぞれ十七条におきまして、「工作物ヲ新築、改築若ハ除去セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ受クヘシ」それから十八条に、「河川ノ敷地若ハ流水ヲ占用セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ受クヘシ」、この条項で先ほど申し上げました工作物の設置や水利使用について許可をいたしておるわけでございます。しかし、この際に法律上の明文はございませんが、その判断をなします場合には、それぞれいろいろな条件等を十分に考慮してやっているわけでございます。
  47. 中島巖

    中島(巖)委員 そんなでたらめを言ったらだめですよ。そんな十七条や十八条は水利使用伸張の許可に関係ないものではないですか。この二十条によってのみ、官吏は、この業務に携わる者は拘束されるのではないのですか。
  48. 鮎川幸雄

    鮎川説明員 二十条にも明示いたしてありますように、河川状況の変化、あるいは先ほどからお話がございますように、公益のため必要とするというような場合には、すでに許可されている施設、その他の許可の内容になっております内容の取り消しをいたしましたり、条件を変更したりする。新しく水利権設定の規定ではなくして、すでに許可された内容についていろいろな条件が変わったら、それについての内容の変更を命ずるという規定であると考えておるわけでございます。
  49. 中島巖

    中島(巖)委員 その通りだけれども、水利使用の伸張許可には期限を与えて許可を与えることは、河川構築物をこしらえて、その後河川に移動があって公衆に害を与えるかいなかの審査を与えるため、こういうことになっているのでしょう。従って、そういうことに対する法律は、河川法の二十条よりほかないじゃないですか。従って、この二十条に適合したといたしましたなら、あるいは条件を付するとかなんとか方法を講ずべきじゃありませんか。これは非常に重大な問題で、泰阜ダムだけの問題じゃありませんから、ここで徹底的に明らかにしてもらいたい。
  50. 鮎川幸雄

    鮎川説明員 河川法二十条は、先ほど申し上げましたように、許可の期間とは全然関係なくて、その期間内におきましても、条件の変化があったならば、それについての変更の措置等ができる規定でございまして、期間とは関係はないものと考えております。
  51. 中島巖

    中島(巖)委員 あなた、そんな答弁をしていいですか。水利伸長許可の場合は、このことを全然考えないでいいのですか。関係がないということを言われるのですが……。
  52. 鮎川幸雄

    鮎川説明員 水利権の延長ということは、別の面から見ますと、従来あった水利権がその期限が終了いたしましてなくなりまして、新たな水利権が発生する、そういうことになるかと思います。従いまして、新たな水利権の発生は十八条によって設定されるわけでございますが、全く純粋な新しい水利権ではなくして、両方がつながってくるということで、水利権の延長というふうに考えられておるかと思います。二十条は、そういう水利権の延長の場合にももちろんでございますが、その期間内におきましても、先ほど申し上げましたいろいろな事由によって、その施設なりその内容について検討すべき問題があったならば、それによっていろいろな措置ができるということでございまして、期間とは関係はないものと考えておるわけでございます。
  53. 中島巖

    中島(巖)委員 今あなたは言い直したわけですね。結局期間更新のときもあるいは常のときもこれが適用できる、こういうように解釈していいのでしょう。そこで、この条項があるにもかかわらず、なぜ水利伸長許可をああいう状態下に置いたか。この点どうなんです。知事でも土木部長でもいいから、御答弁願います。
  54. 小林武雄

    小林参考人 この二十条に書いてありますように、あるいは何項目か書いてございますが、こういう項目に対しましては、いろいろの施設をする、あるいは措置をいたしまして、沿岸方々被害の防除を別途いたしておる、また一方におきましては、治山治水等の根本対策を実施いたしておる、こういうふうにしまして、ここに書いてございますような沿岸方々被害を与えるようなことを防除いたしておるわけでございます。また一方電力というのも、これはまた国としまして大事なものでございますので、こういったいろいろな点、そういった公益上の判断からしまして、期間の延長ということを承認したものと考えます。
  55. 中島巖

    中島(巖)委員 公益上の判断ということは、具体的にどういうことなんですか。
  56. 小林武雄

    小林参考人 ですから、電力の国における重大性、それからまた、一方におきましては、こうしたような沿岸災害というものは、別途防除し得る措置をする。そういう点を勘案しまして、この期間の伸長をはかった、そういうわけでございます。
  57. 中島巖

    中島(巖)委員 土木部長にお尋ねしますが、どこの法律に電力の公益上重大なる河川の使用の水利伸長の許可をせなければならぬという法律がありますか。
  58. 小林武雄

    小林参考人 これは水利使用の許可をする場合にも、そういう点を考えております。
  59. 中島巖

    中島(巖)委員 いや、考えておるじゃない。どの法律にあるかを聞いておるのだ。
  60. 小林武雄

    小林参考人 別に法律の条文にはございませんが、しかしわれわれが行政をする場合にはそういう考え方が一つある、こう思います。
  61. 中島巖

    中島(巖)委員 これはまるで、あなた、むちゃじゃないですか。役人というものは法律に基づいて仕事をするものじゃないですか。それを、こういう考えだからこうするああするじゃ、むちゃじゃありませんか。ただ内閣総理大臣だけが、内閣法の八条によりまして、そういうものを取り消したりいろいろすることができる。役人というものは、法律の根拠に立って、法律上の命ずるままに仕事をするのじゃないですか。法律を無視してこういう考え方でやっていきますということは、それじゃ役人をやめてもらうよりしょうがない。そんなばかなむちゃな役人であってはやりようがない。
  62. 小林武雄

    小林参考人 今の最初の許可の際、これはもちろん十七条それから十八条に、こういった点、それから今の点もありますし、それから水利使用の許可規則というのがございまして、その中に今言ったような公益上の判断をして許可をするようにということが書いてございます。
  63. 中島巖

    中島(巖)委員 それじゃその条文を出して読んでみて下さい。何条にあるか、私も見ますから。そんなでたらめを言っておってもしようがない。
  64. 小林武雄

    小林参考人 何と申しますか、発電水利使用規則というのには今のようないろいろの事項が書いてございまして、中には企業と公益事業との関係とか、あるいは企業計画の問題とか、こういったものがいろいろ書いてございます。そして、こうした内容のものにつきましていろいろと判断をしまして、これを許可するというわけでございます。それから、今の公益上の判断と申しますか、命令書にはいろいろとそういったものがございますが、この公益といいますのは、いろいろ条文がございますけれども、われわれの判断でするよりほかないのじゃないかと思います。
  65. 中島巖

    中島(巖)委員 公益という判断はいいけれども、公益の判断によって水利伸長の許可をせねばならぬという法律がどこにあるのですか。公益の判断なんかする必要はないじゃないですか。その法律に基づいて許可、認可、取り消しをやればいいじゃないですか。どこにあるのですか、公益の判断により水利伸長の許可をせんならぬという法律は。
  66. 小林武雄

    小林参考人 その点につきましては、先ほど知事から申し上げましたように、公益上等の判断をいたしまして、その覊束処分と申しますか、そういうふうな処分に該当するものが期間延長ということでございますので、そういう関係で許可をしたというわけでございます。
  67. 中島巖

    中島(巖)委員 どうも驚いた。水利伸長許可の問題でしぼってお尋ねしておるのでありますけれども、やはりこれは法規処分――覊束処分でありますから法規処分なんです。一切法規に基づいてやればいいのです。あなたたちが、電気がどうだ、電力会社がどうだという公益上の判断をせよなんということは、どこの法律にも一つもないじゃないですか。ちゃんと河川法の二十三条と思いましたけれども河川洪水の項をはっきりうたってあるじゃありませんか。従って、二十条に公益の判断というのがありますけれども、公益の判断というのは、前段を見ればわかる通り、取りこわしたりするときの判断で、その河川によって影響を与えるということが公益の判断であって、電力がすべったのどうの、こういう公益の判断じゃない。従って、河川法の命ずるところで水利の関係は一切処理していけばいいのです。そうしますと、このような大災害が何回も発生して、知事みずからが厳達命令を出す、知事みずからが災害救助法を五回も出しておって、何らの条件もつけずに三十カ年間水利使用の伸張許可をした。これは私は違法なるところの行政処分であると思うのです。そういうようにお思いになりませんか。知事でも土木部長でもいい。
  68. 西澤權一郎

    西澤参考人 この問題は、過去におきまして当委員会におかれてもお取り上げをいただき御心配いただいた問題でありまして、あるいは中島先生のおっしゃる通りであるかどうかということは、裁判をやってみなければわからない問題であるというふうに思います。私どもの方としては、そういうことのないように、地元の方と話をして、応急策というものは話がつきまして、裁判をやろうとして訴訟を提起したものを取り下げていただいたのでありますから、従いまして、そういう時点に立ちまして、同じ方に向いて今やろうというところでありますから、一つ御了承をいただくと同時に、私ども地元民と同じ方に向いてやりたいというふうな考え方を持っておりますので、その点で御了承いただきたいというふうに考えております。
  69. 中島巖

    中島(巖)委員 私は非常に知事と心やすいのであれですが、了承してくれと言うけれども、私は了承できぬです。これは違法なるところの行政処分であるということは、一点疑いのないものだと思う。従って、知事の言うこともわかりますけれども、どういう法律の根拠によってやったかというくらいな見当の法律くらいは言ってもいいと思うのですが、それも御答弁がないわけです。そこで、訟務局長にお尋ねいたしますけれども、この行政訴訟というものは、出訴期間が六カ月で切れておるわけです。六カ月たてば訴訟は提起できぬことに一応原則としてなっておる。ところが、この水利使用の許可なんかは三十年間もある。そうして、その六カ月のうちはまあいいじゃないかと思っても、十年とか五年とかたって大災害が起こってくる。その場合に、との水利使用伸長許可にただいまのような違法があったとしても、六カ月経過しておれば全然抗告の余地がないわけでありますけれども、この行政訴訟のほかに、こういうものの処分取り消しの抗告ができる措置がないものですか、それをお伺いしたい。
  70. 濱本一夫

    濱本説明員 一たん権利を設定しました以上は、設定処分を争うためには、やはり処分のあったことを知った日から六カ月以内でなければならない。その権利がある間はいつでも起こせるというものではございません。
  71. 中島巖

    中島(巖)委員 そうしますと、ただいまの話のように、これは違法なる行政処分であるということがわかっていても、期間が経過してしまえば、何とも現在の法体系においてはやりようがない、こういうように解釈してよいわけですか。
  72. 濱本一夫

    濱本説明員 国民の方からはそれを争う法律上の権利がないということでありまして、行政上あるいは政治上、それを処分者の方からまた反省を加えるという余地はございますと思います。
  73. 中島巖

    中島(巖)委員 この問題は、たしか昭和三十二の六月だと思いましたけれども、いわゆる行政庁のやった処分に対して異議があるということで、水利使用伸長許可取り消しの訴訟を起こしたわけです。そうすると、多分あなたの部下だと思いますけれども、豊水とかいう第四課長と検事さんが二、三人来て盛んに争ったわけです。その争った争点はどういうことかと申しますと、原告の弁護士さんの方は、訴願をしてある訴願の裁決がないから期日が経過してもよい、こういう話でやったわけです。そうすると、あなたの方は、六カ月以上たったんだからだめだということを言っている。もう一点は、訴願の期日も法的に経過しており不適格である。この二つでもって争ったわけです。そこで、今までの判例なんかを見ますと、訴願前置主義をとりまして、この前もお話ししたことがあると思いますけれども昭和二十九年七月十一日の前橋地方裁判所の判例なんかは、行政裁判所が廃止せられたる後においては法律上死文化したるものと解するが相当であるというように、これは訴願前置主義をとっておりますけれども、またある法律では、この河川法の特例みたいなものをやらなければならぬ、こういうような考えを持っておるわけです。そこで、局長にお尋ねしたいことは、あのときあなたの方でああいうへ理屈を言って一年半も延ばしておらぬで核心に入っていれば、こんな災害は起きないのです。そこで、訟務局として、こういうような行政訴訟だとかあるいは国家賠償法に対する基本的な態度をお伺いしたいと思うのです。つまり、国家賠償法も行政訴訟も、国によって損害をこうむった人民を救済するという目的であるから、不適格でほかに判例のないようなものなら知らぬけれども、判例のあるようなものならどんどん取り上げて争わせるべきだ、こういうように考えるのですが、これは、あなたの方の職務規程を見ると、国の民事や行政訴訟なんかを担当されていることはわかっておりますけれども、国である以上は、こういう悲惨な人民の権利擁護の立場でどうでも解釈できる法だと思うのです、判例が二つに分かれているから。そういう立場を堅持していただきたいのですが、この点についてお伺いしたい。
  74. 濱本一夫

    濱本説明員 私どもやはり訴訟において主張するのでありますから、いやしくも法律の正しいと思われる解釈を曲げたような主張をすることはできません。また、現実に今日までこういう解釈は明らかに間違っておると思いながら、間違っておるという主張を執拗にやったことはございません。国家賠償にいたしましても、賠償原因は国家賠償法に規定してありますから、被害の大小にかかわりませず、それに該当する場合には、私ども良心に反して争ったことはございません。
  75. 中島巖

    中島(巖)委員 その問題に入っていくとまた時間が長くなりますから、やめることにいたしますが、そこで、今あなたは国家賠償という言葉を出されましたけれども、この国家賠償についてお尋ねしたいと思うのです。  いわゆる国家賠償法の第二条は、河川の設置、管理というようなことがうたってあるわけです。これと同じように、民法の七百十七条には、これらの河川なんかの設置、管理のかわりに、設置、保存という言葉が使われておるわけですが、この管理と保存とは法的の解釈はどういうように解釈されておるか、同じ意味にとっていいのかどうか、お伺いしたい。
  76. 濱本一夫

    濱本説明員 文字の上では多少の違いはありますが、民法七百十七条と国家賠償法の二条との要件は、同一に解釈していいと思っています。
  77. 中島巖

    中島(巖)委員 そこで、さらにお尋ねいたしますが、ただいま申し上げた通りで、この事件の内容はおわかりだと思いますけれども、このダムを設置したために、河床が三十尺も五十尺も上がっておる。従って、水害が起きたという場合には、これは明らかにいわゆる河川の保全が通常安全な状態でないことになった結果でありますから、国家賠償法第二条の対象になると考えるのでありますが、御所見いかがでありますか。
  78. 濱本一夫

    濱本説明員 前回の訴訟において全くその点が争点になりまして、準備手続中一カ年余を経たと思いますが、結着がつかぬ間に示談によって訴訟が取り下げになりましたので、今もってその点では中島先生の御解釈と私どもの解釈と違っておるのじゃないかと思います。私どもとしては、やはり国家賠償責任が発生する要件を満たしておるかどうかについては、まだわからない状態のままで経過してきたと考えておるのであります。
  79. 中島巖

    中島(巖)委員 そこで、また知事にお伺いいたしますけれども、行政訴訟はさっきあなたがおっしゃった通り取り下げたわけですが、この取り下げた最大の理由は、あなたの方で泰阜ダムの補償審議会というものを設置いたしまして、そして中電と交渉して補償の結論を得て、それがつまりこの訴訟取り下げの代案みたいな形になったわけであります。従って、私の考えは、補償の審議会はいわゆる過去にこうむった損害の補償の審議会である、ダムの権利伸長許可の行政処分に対する訴訟は永久的なものである、こういうように分けて考えておるのでありますけれども、結局この審議会が活動して取り下げたわけであります。従いまして、私としては、今度の災害の責任はこの審議会が負うべきものだくらいに極端な考え方をしておるわけであります。ところでお伺いいたしますのは、先ほどもお話があったように、中部電力から一億三千二百万円とともに、訴訟取り下げの代案ともいうべきものが出ておって、皆様のお手元にお配りしてあるわけです。これを一々読むと長くなりますので取りやめますけれども、この代案は現在着々実行されておるのであるか。たとえば、この前たしか昭和三十二年だと思いましたが、前知事の林さんがここにお見えになりまして、証言台に立ったときも、ダムのクレストの低下とかその他のことを言われたわけであります。また、訴訟を取り下げる代案の中にも、お手元に配付してありますけれども、膨大なものが入っておるわけでありますが、これらはどの程度進行しておるか、お伺いいたしたいと思うわけであります。
  80. 西澤權一郎

    西澤参考人 審議会は二つありまして、以前の審議会はいわゆる応急対策というべきものを解決するということで、この審議会はそれで解消をいたしました。そのときの条件として、地元においては訴訟を取り下げる、県においては、抜本的な、いわゆる根本対策を樹立するための審議会を、地元と県と県議会一緒になって設ける、こういうことであります。従いまして、先ほども申し上げましたように、この審議会の進行中において今回の災害が発生したのであります。審議会といたしましては、恒久策抜本策というものを立てるために設けられたのでありますので、それが本来の審議会の職責でありますから、それに向かって今活動しつつあるのであります。たまたま今回の災害等も発生いたしたので、その方も審議会であわせて御審議願いたいというふうに考えております。  それから、その過程におきまして、いろいろ抜本策ともいうべきものを地元に提示をしたり、また地元からのいろいろの要請等を集めたり、いろいろしたものがございます。それらに対しても鋭意検討をいたしておりますし、あるいはまたその一部はすでに着手しておるというふうに申し上げてもよいと思います。しかし、将来の抜本策といいますか、あれが全部であるというふうには解釈をいたさないのであります。抜本策の審議において地元に提示したといいますか、話し合った過程はありますけれども、あれは過程において生じた措置であって、あれ以上のこともまだあろうと思いますし、あるいは若干変化をするようなことも最終的にはあろうかと思います。それから、クレストの低下の問題とか、あるいは狭窄部を拡げる問題とか、あるいはバイパスを設けたらどうかということも、これも抜本策恒久策でございまして、これらのことにつきましても、あわせて今後検討すべきものだというふうに考えております。
  81. 中島巖

    中島(巖)委員 そうしますと、あとでいろいろの都合で変更することもあるというようなお話でありますけれども、基本的にはこの泰阜ダム上流対策、お手元に差し上げてある昭和三十二年八月に知事や、当時あなたは副知事でありましたけれども、あなたが地元に指示したこの案は生きておるもの、こういうふうに見てよいのですか。
  82. 西澤權一郎

    西澤参考人 それは私のところに参っておりませんけれども、生きておるとかおらないとか、文書で取りかわして両者できめたということでなくて、地元の方あるいは県の言うておるところを提示したものというふうに解釈いたしておりまして、従って死んだというふうにも解釈はしておりません。もちろんそれらのことをできるだけかなえていかなければならないし、またそれ以外のことにつきましてもやらなければいなけいと思うのでありまして、あれがきちっと両者の間にきまったものというふうには考えておりませんけれども、過程においてそういうことがあったことは事実でありますし、従って、死んだというふうには解釈いたしておりません。
  83. 中島巖

    中島(巖)委員 それから、先ほど国家賠償法の話が出て、訟務局長と私と若干見解の相違があるから、もう少し突っ込んで御見解を承りたいのでありますが、いわゆる河川管理の瑕疵ということをどういうふうに解釈されておるのですか。
  84. 濱本一夫

    濱本説明員 抽象的に瑕疵と言われましても、具体的にはいろいろな場合がありますので、一がいに申し上げかねるのでありますが、きわめてわかりやすい例をあげますと、堤防に損傷個所がありまして、それを直さなければならぬにもかかわらず、それを放置しておったというような場合は、管理に関しての瑕疵ということになるのではないかと思います。具体的にあげますと際限がございませんが、抽象的にはそういうことしか言えないわけであります。
  85. 中島巖

    中島(巖)委員 私ども考えは、通常備うべき安全性が欠けた場合は瑕疵だ、こういうふうに、いろいろ学者の説を聞いたり、自分で考えておるわけでありますが、これはどんなものでありましょうか。
  86. 濱本一夫

    濱本説明員 おっしゃった通りでいいと私どもも解釈いたしております。
  87. 中島巖

    中島(巖)委員 そうしますと、先ほどの問題でありますけれども河川河床が三十尺も五十尺も上がった。従って、かつての堤防は半分もほとんど埋没した。三十尺も四十尺も上がれば水面もそれだけ上がるわけでありますから、水が横溢したり、堤防が決壊したり、人家に流れ入る。これは当然の話であります。そうしますと、今局長は通常備うべき安全性が欠けたことが瑕疵だと言われたが、堆積土砂のために通常備うべき安全性が欠けたわけであるから、これはまさに瑕疵に当たるという解釈が成り立ちませんか。
  88. 濱本一夫

    濱本説明員 非常に言葉のあやがむずかしいのでありますが、自然に河床が上がってきました場合には、通常堤防かさ上げしなければならぬわけです。そのかさ上げをするかしないかということについては、私は、政治上の義務は別としまして、法律上の義務ではないと思いますので、今あげたような例の場合には当たらないと考えております。非常にむずかしい問題であるとは思いますけれども、一応私は今あげた例の場合は当たらないと考えております。
  89. 中島巖

    中島(巖)委員 その点があなたとだいぶ違うわけですね。  それから、国家賠償法の二条に賠償責任をうたっておりますけれども、この責任というものが、どういう責任かということが問題になるわけであります。たとえば、発電所のダムのために河床がただいま申し上げたように上がった。しかし、その後山の奥でも乱伐をしたり、集中豪雨があったりして、それがためにこの大災害が起こった。今までの例からいうと、会社側は、異常な集中豪雨だった、山を乱伐したのだ、それはダムによるところの河床上昇原因かもしれぬけれども、そういうことが大きな原因だと言っておるわけです。私は会社と争うつもりで言うわけではありませんけれども、ほかにいかなる不法があろうとも、あるいはその他のいかなる条件があろうとも、河床上昇したということが一原因であるとすれば、これが瑕疵ということがわかれば、ダム構築をしている人なりあるいは国家が賠償法で責任を負わなければならぬ。これは民法七百十七条にも通ずる問題でありますが、私はそういうように解釈する。その点どういう御解釈ですか。
  90. 濱本一夫

    濱本説明員 ダムの設置と建設のみによってそういうことが起きたのか、あるいはダムの存否にかかわらず、自然現象としてそういうことが起きたのか、あるいはダムの設置と今おっしゃったような自然現象、そのほかの森林の乱伐など、そういうものが競合して起きた場合、三つの場合が考えられるのでありますが、いずれにいたしましても、ダムの設置後できました河床上昇とそれから起きた損害との間に相当因果関係がなければ、責任は生じないものと考えるのであります。前回の訴訟でも実にそれが長く争われておったわけでございます。
  91. 中島巖

    中島(巖)委員 そうしますと、訟務局長の解釈は、この国家賠償法において、ダム構築物も原因である、その他異常な降雨も原因であるということを認めた場合においても、責任を負わぬでもいい。私は、この法解釈からいえば、ダムの設置が一つの原因であるということになれば、いわゆるその他に理由があっても、このダムの工作物の所有者が責任を負うべきものだ、こういうように解釈するのですが、お考えはいかがですか。
  92. 濱本一夫

    濱本説明員 前回の訴訟におきましては、損害賠償が問題になったのでありません。水利権の期間の伸長が違法であるかどうかという点について争われたのでありまして、その場合には、先ほど非常にデリケートな問題になったようでありますが、伸長することが違法であるかどうかを何によってきめるか。電力の発電の公共性のウエートと、ダムの設置、保存により沿岸に及ぼすかもしれない損害を考慮した場合のウエート、それを比較考量して、公共の利益ということをさっきおっしゃって問題になったのでありますが、それによって決するのであります。でありますから、ダムを設置すれば必ずこれだけの損害が予想されるものだから、絶対に水利権を許してはいけないというふうには私ども実は考えておりませんので、そこら辺のウエートを考慮した上で、なおかつ公共の観点から水利権を許すことも、水利権の設定としては違法でないという考慮をしておりましたので、河床が上がるから、ダムの設置を許可したのが違法だというふうには必ずしも考えていなかったのであります。それから、国家賠償の観点につきましては、先ほど申し上げましたように、河床が上がれば堤防かさ上げをしなければなりませんので、かさ上げをするかしないかということは、政治上の義務ではありましょうけれども、法律上の義務ではないと考えますので、その点からの損害は、国家賠償には及んでこないというふうに私ども考えておるのであります。
  93. 中島巖

    中島(巖)委員 その点長くなりますからやめておきますけれども、結局こういうような不当な水利権の伸長をして、ダム構築さしておる。ダム構築以前は、堤防はいつも根を洗われて、堤防の根継ぎ専門だった。それがダム構築したあとは、河床が五十尺も上がって、こういう大災害を受けた。従って、これは河川に安全性を欠いたことになる。これを河川の瑕疵と言えるかどうか。堤防がこわれる、こわれぬの問題じゃありません。堤防のないこともあるわけであります。これが瑕疵であるかどうかというのが、あなたと私との論争の点になるわけであります。安全性を欠いたことは事実だけれども、砂が上から流れていたことも事実だ。自然現象ではなくして、人為的にダム構築さして、そしてそれによって河床が上がったのだから、私は、河川の管理瑕疵、つまり河川の保存に手落ちがあった、安全性を欠いたのでありますから、通常備わるべき安全性を、このダム構築を許可したがために砂が堆積して欠いたのだから、こういうふうに解釈するが、これに対してもう一度御答弁を願います。
  94. 濱本一夫

    濱本説明員 国家賠償法の二条にうたっております「公の営造物の設置又は管理に瑕疵」というのは、河川河床上昇はこれには当たらないというのが、私どもの解釈であります。河川河床が上がってくれば、絶えずそれを掘り下げなければならぬ、あるいは堤防かさ上げしなければならぬという政治上の義務はなるほど国家にはありますけれども、法律上の義務としてはないと、私ども考えておるのであります。でございますから、国家賠償法の第二条にいいます「設置又は管理に瑕疵があった」というのはこの場合に当たらぬというのが、私どもの解釈であります。
  95. 中島巖

    中島(巖)委員 これ以上論争しても仕方がありませんけれども、ただ単に、あなたのおっしゃるように、砂が流れてきてたまるというわけじゃない。もとは砂がどんどん流れ出していて、堤防の根継ぎばかりしておった。それがダム構築したために、たまった。かつてダム構築させたのも河川の管理者であるし、その後におけるところの河川を管理しておるのも同じものである。
  96. 濱本一夫

    濱本説明員 国家賠償法の二条と一条とが少しこんがらかっているのではないかと思うのでありますが、ダムの設置を許可したことが違法であれば、国家賠償法一条の問題にはなるのでありますけれどもダムの設置が違法でなければ、その点は二条の問題にならないと私ども考えておるのであります。
  97. 中島巖

    中島(巖)委員 これ以上、時間を食うから、論争しませんけれども、あなたのおっしゃる通り、一条の問題にも二条の問題にも該当すると思っておる。しかし、きょうは参考人がたくさん来ておりますから、参考人の御意見を聞かなければなりませんので、いずれまた機会を見て来ていただくことにいたします。  そこで、これも法律問題になって恐縮ですが、例の民法百九十九条の妨害排除、すなわち、「占有者カ其占有ヲ妨害セラルル虞アルトキハ占有保全ノ訴ニ依リ其妨害ノ予防又ハ損害賠償ノ担保ヲ請求スルコトヲ得」、つまり、こういうような河川において災害をこうむると思われるものは、訴えのできる条項なのです。これは、先ほども申しましたように、浸水家屋が三千何百戸もあるのですから、おそらくこの訴えは私は一月ごろには起きるものと思うのです。そこで、これに対しまして、これは明治三十六年で、三十七年の三月四日の第二民事部判決でありますけれども、こういう判決が出ておるのです。「他人カ水利ニ影響ヲ生スヘキ工事ヲ為シタルカ為メ其上流及ヒ下流ニ地所又ハ家屋ヲ所有スル者耕地ノ所有者若クハ賃借人等カ生命財産ニ危害を受クヘキ虞アルトキハ工事ヲ為シタル他人ニ対シ其工事ヲ取段シメルノ権利ヲ有スルコトハ従前ヨリ慣習法トシテ認メラレタル所ナリ」、こういう判決が出ておるわけでありまして、その他明治四十二年五月十日の第二民事部判決、その他類似判決が多いわけです。それからさらにこれと同じような判例がありまして、これは大正十一年六月二十二日の広島控訴院の民判ですが、「河川法による工作物設置の許可があるからといって、第三者の権利の侵害を是認したものではない。」こういうようにあるわけです。これは実は大臣に来てもらいたいのですが、大臣の出席を請求してもらいたい。  そこで、河川局長にお尋ねしますが、この問題は必ずこうした訴訟が起きて、私はいろいろ学者の意見ども聞いたけれども、これは必ず勝つと言うのです。そこで、先ほどから申しましたような河川法の二十条があるにもかかわらず、あなたたちは、かつての厳達命令を取り消したり、今度は、またあと土木局長に聞きますけれども土木局長が変な新聞発表をしたりして、ダムの設置をはかろうとしているわけだ。ところが、今度の災害でも、これは昼間の災害でよかったんだけれども川路などでは、川路駅に行った者が、あそこに大きな製材工場があって、丸太が浮き上がったために、丸太をいかだに組んで辛うじて命を取りとめた。今村周造さんの家は、かつて水のつかったことのない二階建のすばらしい大きい農家であったが、その二階に上がったところが、二階までつかって、屋根裏へはい上がったら、また屋根裏まできたから、しょうがないからその上のかわらの上に上がって、赤い旗を振って船を出してもらって救助された。松本では知事さんの方から表彰状を出したので御存じだろうと思いますけれども、市にも、町にも、はるか向こうの水の中の屋根の上にいる人を、決死隊を募って船を出して救助した。従って、これが夜起きたら、何百人死者が出たかわからないのですよ。こういうように幾多の条件がそろっておっても、なおかつ河川局も県も、この二十条の発動によって根本処置をとろうとしない。その場合において、今民間で百九十九条によるところの訟訴などを提起して、この訴訟は一年ぐらいはかかるでしょう。その間に水害は必ず出るにきまっている、河床上昇してきているから。今度はひどいといっても、わずか千平方キロ程度です。天竜川泰阜ダムの上は五千数百平方キロもあるのですから、小渋総合開発をやれば、土砂が流れてくることは確かです。これは天竜川の半分の量ぐらいは防止できると思いますけれども、雨という面積ではわずか一割にも及ばぬわけであります。従って、もう来年か再来年になれば、必ず水害があることがきまっておる。私は昭和三十三年の十二月にこの行政訴訟を取り下げるときに、三年か五年たてば大災害があるから、行政訴訟は取り下げてはいかぬということを言ったのですが、目先の金にそそのかされて取り下げたわけですけれども、私が言った通りに、五年や六年でなく、二年六カ月でこういう事件が起きた。ところが、今度また来年か再来年にあるにきまっている。今度は河川上流地域がひどいから、さらに大きくなると思う。そうして物件の損害したものは、補償とかなんとかいう問題があるからいいでしょうけれども人命を失った場合は取り返しのつかぬ問題である。そのときには、政府はどういう責任をお考えになるか、この点をお伺いしたいと思います。これは建設大臣にお伺いするのが適当であるが、おられませんので、局長にお伺いします。
  98. 山内一郎

    山内一郎政府委員 今回伊那を中心といたしまして非常な大災害を受けましたことは、いろいろお話にも聞いておりますし、私も、現地を見まして、よく存じておるわけであります。これの根本対策、緊急対策としては、災害復旧とか、緊急砂防、それぞれやっておりますが、これを今回こそ根本的にやらなければいけないという決心で、現在いろいろな点を計画し、調査し、対策検討しておる最中でございます。その考え方はいろいろあると思いますけれどもダム撤去するとか、そういう問題もいろいろ案としてお聞きはしておりますけれども、そういうこと以外に、ダムを置いておいて、なおいろいろな根本的な対策ということも考えられる問題でございます。その基本的な考え方は、いろいろ従来堆積いたしましたその堆積の状態とか、今後堆積はどういうふうに進行するか、そういう見当をつけなければ、根本対策はできないと思います。そういう点を考えまして、いろいろ被害を受けられました家屋の移転の問題とか、あるいは今度浸水しました民地をどうするか、こういういろいろな問題が相当たくさんございます。それをいろいろ検討いたしておりますが、ただいまのところは、ダムをとるということを考えておりません。それよりも、そういうような現状のもとにおきまして、なお将来を考えました恒久対策、これの方がずっと妥当である、あるいは適切であるという考えのもとに、現在検討いたしておる最中でございます。
  99. 中島巖

    中島(巖)委員 中部地建の局長にお伺いしますが、この前昭和三十二年に当時の中島建設局長に来てもらって、河床上昇の様子をお伺いしたわけです。その後相当な変動があったと思うのですが、ごく簡単に、時間もありませんから、三カ所くらい、どんな状況になっておるか、御説明を願いたいという一点と、それからもう一点は、これはおそらくあなたの方でも研究されておると思うのですが、いわゆる門島ダム設置以前の旧河床というものがあると思う。それで、現在の、その後における堆積土砂は、正確なことはわからなくても、大体どのくらいあるのですか。そしてそれを取り除くとしたら、どのくらいの費用がかかるのか。これはいつだか、河川局長から非公式だが、私ちょっと聞いたような気もしますけれども、大体の見当でいいのです。それを一つお聞かせ願いたいと思います。この二点を御答弁いただきたいと思います。
  100. 吉川吉三

    吉川説明員 ただいまの河床の変動の状況がどうなったかというお話でございますが、これにつきましては、私の方の中部地建の方といたしましては、一応昭和十八年から三十六年、現在まで、毎年測量によってこれを観測いたしております。  その結果を概略申し上げますと、川路竜江付近を中心といたしまして、姑射橋のところで、主十年から三十五年までに一メートル八十三センチ上昇しております。それから、この間の六月豪雨でどれだけ上がったかということですが、それにつきましては、ちょうど六月末が災害の時期だったのですが、八月に実測をいたしております。それによりますと、昨年度とこの災害の後の差が六十九センチでございます。同時に、これを十八年から現在までといたしますと、二メートル二十五センチということになります。それから、あと一キロ間の平均を申しますと、久米川合流点の前後一キロの間であります。それは例の川路竜江のちょうど中間部に当たります。これにつきましては、三十年から三十五年までが七十七センチ、それから今度の三十五年から三十六年までが四十センチ、十八年から三十六年までが二メートル八十七センチになっております。それから、あと時又でございますが、これも時又橋の付近の一キロの間でございます。三十年から三十五年が一メートル九センチ、三十五年と三十六年の間が一メートル二十四センチ、十八年と三十六年の間が二メートル八十七センチでございます。ついでに弁天橋も申し上げますと、これも前後一キロの間でございますが、これは三十年から三十五年までは一応四十四センチの下降を示しております。それから三十五年から三十六年が八十九センチの上昇、十八年から三十六年までが六十四センチ。これは、毎年観測いたしました資料に基づきまして、一応検討した結果でございます。それから、第二点の旧河床、いわゆる泰阜ダム設置以前の河床につきましては、現在資料を持ってきておりませんし、またどのくらいの土量がたまっておるかということでございますが、これも今のところちょっと手持ちがございません。ただ、申し上げたいのは、三十五年から三十六年の間に、小渋川の合流点から下、例の天竜峡の入口まででありますが、この間に、今度の豪雨によりまして二百六十万の土砂が堆積いたしております。  以上であります。
  101. 二階堂進

    二階堂委員長 中島君に申し上げますが、時間もだいぶ経過いたしておりますが、どういたしましょうか。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  102. 二階堂進

    二階堂委員長 速記を始めて下さい。  中島巖君。
  103. 中島巖

    中島(巖)委員 実は二時から本会議があり、それから昼食もまだで、もう一時過ぎになっているのですから、これは人権問題にもなりますから、あと二、三十分で最後の締めくくりをいたしたいと思います。  そこで、私は、ダム撤去する以外にないと思うのです。知事も、河川局長も、先ほど言われるような公益とかなんとか――いつも役人は許可や認可で困ると、公益の判断とかなんとかで逃げるのが通例であります。しかし、役人はあくまで法的根拠によって一切を処理すべきものだから、法的根拠によって一切を処理してもらいたい、こういうことを要望するわけであります。  そこで、先ほど福島参考人からも話がありましたように、この天竜川洪水によるところの流失全壊家屋が二百数十戸あるわけでありまして、これらかつての美田が川原になったところに、現在寒さを忍んで、家を建てるわけにもいかなくておるという状態なんです。そこで、いろいろ知事が裁定する全般的の補償の見通しというものはいつごろできる御予定であるか。それから第二点といたしまして、先ほど中部電力の方からお話のありましたように、若干のお金は出ているようであります。それに対して県もおそらく立てかえて追加せんならぬでありましょうが、十二月に金をもらったところが、これはもう早いところは十一月の末には雪が降るのですから、建築も何もできやしない。従って、耕地やなんかの方は少しはおくれても仕方がないといたしましたところが、住宅を流されてしまって人の家に一間借りておる、あるいは半壊家屋になって、かつての美田が石川原になったところで寒さや飢えを忍んでおる人が数限りなくあるわけなんですから、それに対しては今月末か来月あたり相当の金を出さないと、その家の修理なりあるいは移転なりできなくて、この冬の年越しができぬという状態になっておる。これはあくまで河川管理者である知事の責任において、そして県民の代表であるところの知事の責任においてやっていただかねばならぬ。これらに対して、どんなお見通しであるか、この点をお伺いしたいと思います。
  104. 西澤權一郎

    西澤参考人 今回の災害の補償裁定という問題がおそらく起こると思いますけれども、それはいつの見通しかということでありますが、これが最終的な補償査定というのはなかなか問題がありまして、今ここで申し上げる時期に至っておりませんけれども、相当長引くかと思います。ところで、それまでこの補償等の問題について何ら手をつけないでおるというのは適当でないと考えまして、暫定的なことを考えておるのであります。御指摘のように一番問題は住宅でありまして、従って住宅に対しまして特に力を入れておる次第であります。先ほど大体中部の方からお話がありましたけれども、三千万円は、何といいますか、いわゆる補償だか見舞だかはっきりしない、何でもいいから金を知事へ預けるということで預かっております。これは市町村を通して渡したいと思っております。これは住宅対策ということではなくて、全般的な意味で三千万円預かっております。すぐに渡せばよかったのでありますけれども、之れは技術的にも非常にむずかしいということもありますし、今回の災害をこうむった地帯が非常に広範でありまして、川路あるいはその地帯だけに金が渡ったというようなことは、必ずしも災害復旧の方式として適当であるかどうかというようなことも配慮いたしまして、県が用意してあるいわゆる起き上がり資金を使ってもらって、その方で間に合わしてもらって、一たん落ちついた場合にその三千万円の金を市町村を通して配分をしたいということで、これはただいまのところでは年内には市町村を通して渡すようにいたしたいということであります。しかし、これはいわゆる住宅対策と銘を打った金ではございません。住宅の問題は、先ほど申し上げましたように非常に重要でありまして、その住宅のうちでも、今度の災害が起こる前からすでに移転することを計画いたしておった川路地区が七十一戸ほどありまして、これはだいぶ進んでおります。それらの人たら対策をまず第一に立てようということで、それを一番先頭で進めております。しかし、ほかの地区にもやはり同じようなケースがありますので、ほかの地区に対しても積極的に進めたいということで、県自体で地元の申請に基づいて調査をいたしまして、三百五十二戸の被害状況調査をいたしております。これらを次の段階として移転するなり、あるいはまた、冬を迎えての修理というような問題があろうと思いますけれども、そういう問題に力を入れなければならないと思います。中電の申しました二千万円というのは、先ほど申しました川路地区の七十一戸のうちで、現実に移りたいと言っておる人の対策に充てるのがよろしいではないかというふうに思っております。これはもちろん全部ではありません。仮渡し式の前渡しでありまして、形式は無利子で貸し付けるということになっておりますが、これではもちろん不十分でありますが、こういう形式で、住宅の最終的な補償というものはきまりませんけれども、仮渡し式に順次渡していって、住宅移住をやっていきたいと思っております。先ほど申しました通り住宅移住に一番力を入れているのであります。一番力を入れてというのは、堤防復旧とか農地の復旧という問題は、ダムに基因するかしないかという議論がいろいろあろうと思いますけれども、国の方で復旧はやってもらう。地元の負担等いろいろあろうと思いますけれども、国の一般災害としてやってもらいたい。もしダムに基因するとすれば、法的にいえば中電も一部負担するという問題も起きると思いますけれども、そういうことでなく、国の方でやってもらいたい。そのかわり、住宅の移ることについて中電の方は力を入れてもらいたいということで、折衝をいたしているのであります。仮契約の文書を取りかわしておりますけれども住宅に関してはとりあえず二千万円知事に預けて、その後は両者の相談で情勢によって増していくということになっておりますから、年末までにどのくらいの金額が二千万円にプラスされるかということは、ここで申し上げる域に至っておりませんけれども、冬を迎えてのことでありますし、住宅は何をおいてもやらなければならぬということで、県においても特に中電との折衝に力を入れて参りたいと思いますので、何分御支援をいただきたいと思います。
  105. 中島巖

    中島(巖)委員 知事の御答弁も住宅には特に力を入れるというお話でありますけれども、県が融資対策を立てても、十一月半ば以前に渡さぬと、年末の年越しに壁を塗るとか大工を入れるということはできぬのですから、早急に考慮していただくようお願いしておくわけです。  それから、土木部長にお伺いします。あなたばかりいじめるようになって大へんおかしいのですが、これは九月三十日の信毎でありますけれども、その一部を参考に読み上げますと、「小林土木部長は泰阜ダム対策について建設省と協議のため上京していたが二十九日帰庁「泰阜ダム上流の治山・治水工事を完成することによってダム河床上昇を防止できるという科学的結論に達したので、こんごはこれを基本線とした地元対策をたて、十月十四日に予定する泰阜ダム対策審議会にかけ結論をえたい」とつぎのように語った。一、天竜川泰阜ダム上流が現在どれくらいの流砂量があり、人為的にこれを防止しうるかについて科学的に調査、計算した結果、計画中の小渋ダムをはじめ、砂防工事、河川工事をおこなうことによって、泰阜ダム河床上昇を防ぎうる――という結論をえた。一、したがってこんごは上流の工事促進をはかり、「河床上昇は防げる」という前提にたって地元対策をたてていきたい。一、地元対策としては、まず家屋移転問題が必要なので、中電と移転融資をめぐる覚え書きはちかく取りかわし、融資額もできれば五千万円ていど(現在中電側の意向は二千万円)とするよう交渉する。」この泰阜ダム関係河床上昇は、上流の治山治水をすれば科学的に防止できる、こういうようなことが書いてあるわけです。それから、移転融資をめぐって中電から二千万円もらったけれども、五千万円程度融資をしたい、こういうようなことを言っておりますけれども、これでは足らぬと思います。これは別として、実は今度の洪水川路の小学校近所の水位は、現在の水面から川路の役場の敷地が約七メートル、その上に約四メートル乗っかるわけでありますから、十一メートルあるわけであります。それからずっと上流のあれは十五キロくらいになりますが、水神橋で実は昨日調べてきてもらったのですが、現在の水位と水神橋までは七メートル五十あるのです。これは、水神橋の上を、先ほど福島参考人からも話がありましたが、どんどんと材木が山ほどかぶさって、橋が通れぬようになっている。そうしますと、かりに百歩譲って今後河床が上がらぬとしても、そんなでかい堤防が技術的にも予算的にもできるのかどうか。それからさらに、とれに入るところの河川は、二十キロも二十五キロも上流の虻川にしましても、あるいは川路付近の久米川にしても、もう天竜川河床とこれに入ってくる支流の河床と同じになってしまっている。これらの支流の天竜川に入る口をどう処理するのか、これらについて、あなたの言われる構想は、堤防はどれだけ高くするのか、天竜川に入る口はどうするのかということを、簡単でいいから一つ御説明願いたい。
  106. 小林武雄

    小林参考人 今、川路竜江地区の地籍でございますが、この低水路がどうなっているかということを調べますのは、今後の問題に非常な重要性があるというふうに考えまして、県の持っているところの量水標等をもとにしまして、低水路の上昇状態検討したわけでございます。その結果といたしまして、昭和十八年までは河床上昇がそれほどひどくなかったのが、十八年から昭和二十九年まで相当な急上昇をいたしております。それから二十九年から三十五年まではまた河床上昇が緩和されてきておる。とういう状況でございまして、これは別に行ないました計算の結果等も大体似ておりますので、私どもとしましては、この川路竜江の地籍の低水路が今後上昇しないとは申しません。しかし、従来急激に上昇した時代に比べまして、相当河床上昇の傾向は緩和されてきている、こういうふうに考えております。しかも川路竜江上流に対してもこういった状況を維持させるということが大事でございまして、そのためには、今のような川路の地籍等においては、量水標を固定しまして、できるだけ河床の低下をはかりたい、こういうふうに考えております。  それから、何回かの出水等によりまして河川が非常に荒廃して参っております。これにつきましては、直轄区域内におきましては建設省で異常埋塞を浚深していただく、また県の工事しておりますところにおきましては、今お話のございましたような小河川上流から下流まで非常に大きな被害を受けておりますので、これを一河川全体としての改修をしていきたい、従ってその際には現在上昇しております河床もある程度下げたいというふうに考えております。もちろんこうした状態にするためには、緊急砂防をやっていただく。これも今本省の方にお願いしておりますし、また国の方から照会もありまして、今後の治山治水対策を大いにやっていただくように、私からお願いいたしておきます。そういったような状況におきまして、できるだけ河床上昇を防止いたしたい、かように考えておる次第でございます。
  107. 中島巖

    中島(巖)委員 実は昭和三十二年にこの席へ長野県の前々土木部長の紙谷さんを呼んで、ちょうど今あなたのように話を聞いたわけであります。そのときに、門島ダムに土砂吐きがつけてあるとか、いろいろして河床は順次低下する傾向にありますと言っておる。ところが、低下するどころではなく、どんどん上がって、現在のようなああいう悲惨な状態を起こした。私は、今あなたから説明を聞きましたけれども、どうも納得がいかぬのです。ことに天竜付近より十キロ、二十キロ上の豊丘付近河床上昇が顕著になってきておるし、三石参考人から話された通り、あなたのこの案は極端にいえば私はだめだと思っておる。そこでこの議論をしておっても仕方がありませんから、委員長お願いしますが、あなたの方でそういう計画書ができましたら、衆議院としてその計画書をさっそく取ってもらいたい。  それから、重ねて知事お願いするわけでありますけれども被災者家屋の問題だけは早急に一つ処理していただきたいということをお願いしておきます。  それから、河川局長知事に申し上げておきますけれども、今度の門島の河床上昇によるところの万年橋までの天竜川のはんらんの損害額というものは、先ほど三石村長から四、五十億に上るだろうという話がありましたが、建設省関係と農地関係だけを申し上げますと、これは地方事務所からはっきりした資料が来ておりますが、農地だけで二十五億二千何百万、それから天竜川の直轄事務所の区域のものは七億九千九百幾らというものが出ておる。これにさらに地方建設事務所がやる天竜川の工事が七千何百万というようになってきておる。さらにこれに支流を合わせれば、おそらく国でやらなければならぬところの補助工事、それから国が今度の臨時措置法で九割負担する農地の工事、両方で約四十億以上になると私は推定いたしておる。こういうような国費をこの一つの工作物のために年々出費していくということは、いかに国家の費用といえども、これは河川管理者並びに監督にある者の重大な問題であると思う。私はきょう会計検査院と行政管理庁を呼ぼうと思いましたが、その影響するところがあまり大きいので、きょうは呼ぶことをやめましたけれども河川管理者である知事並びに建設省が、今度の災害を契機として断固として臨まなければ、私は、通常国会において、はたしてこれが国で負担すべき費用として妥当かどうか、こういう点まで追及いたしたいと考えておるわけであります。従いまして、法的根拠に立つ皆様は、法的根拠によってこの問題を処理していただきたいことを希望して、だいぶ昼飯の時間も過ぎまして人道問題にもなりますので、この程度で私は質問をやめます。
  108. 二階堂進

  109. 瀬戸山三男

    ○瀬戸山委員 大へん時間がおそくなりましたが、重要な問題であります。中島委員から詳細に質疑がありましたが、参考人皆様は非常に遠方からお忙しいところを御苦労願って恐縮であります。実は私も、この天竜川上流、特に泰阜ダム関係ある問題について従来から深い関心を持っておりますので、きょうは一つ皆さんにいろいろ御意見も聞き、またこちらの意見等も申し上げてみたいと思っておりました。しかし、時間が大へんおそくなりましたから、そういうことはやめにいたしまして、私の意見を加えて、希望と申しますか、お願いを申し上げます。  先ほど来いろいろ質疑応答がありましたけれども、こういう事態になっておりますので、皆さん、こういう問題については、それぞれの立場がどうであるとかいうことでなしに、真剣に一つ早く解決をする方に御努力を願いたい。そういう意味においては、ざっくばらんに、少し耳の痛いことも申し上げたいという考えでおりますので、もし気にさわりましたら、悪い気持で申し上げているということでなしにお聞き取り願いたい。  ダムがあることは事実であります。土砂が非常に堆積しており、河床が上がっており、災害があるということも事実なんです。そのために先ほども議論がありましたし、また特に関係の町村の方々のお話もありました。お話のある前に私も十分そういう事態であるということを承知いたしております。これは事実なんですから、それはどの責任だとか、だれが怠慢であったとか、今ごろ言っておるのはこっけいであると思う。実は数年前も長野県の前知事さんにちょっとお耳ざわりなことを私は言うたことを記憶いたしておりますが、率直に申して、これは河川の管理をしておられる長野県、あるいは中部電力会社、それから地元の市町村長建設省、これらは全部怠慢であったと思う。こんなことを今ごろ言って更新もきまらないというのは、私に言わせれば実にこっけいで、今ごろこんなことを議論をしておるというときではないと思う。  そこで、いろいろなことを今真剣に考えておられると思うのですが、私は第一にダムを取る必要があるかどうかということを真剣に考えてもらいたい。先ほどの御答弁によれば、河川局長も今のところはそれを考えておらぬようでありますが、ダムを取る必要があるかどうか。さっきもお話がありまして、多少見解も違うかもしれませんが、あそこの状態は非常に地形が複雑である。河川の地形が複雑であるばかりでなくて、何といっても日本の山どころでありますから複雑になっておる。しかも土質が非常に悪いところであります。そういういろいろな自然条件、地理的条件等が重なっておりますから、私はこれが全部ダムの責任などとは考えておりません。しかし、ダムに全然関係がないのだという今の中部電力の態度――全然関係がないとはおっしゃらないけれども、従来からえてして関係がないようにということで努力をされておる。これは会社としては聞こえないわけであります。そういう態度では解決はなかなかむずかしい。とにかくダムを作って、あのダムが一ぱいになって、天竜峡から上、特に川路竜江なんというのはちょっと人間が住めるところではなくなっている。私はきょうは竜江村、川路村の何百年前からの歴史も実は聞きたかった。それは自分で調べるひまがありませんでしたから聞きたかったのですけれども、そういうことはやめます。とにかくそういう事態に今日なっておる。自然の条件もそうなっておりましょう。しかし、あの地区の損害、あの地区の苦しみというものは数年来ずっと続いておるのですから、これは一つみなでいろんな知恵をしぼって早急に解決するため立ち上がっていただきたい。そういう意味でダムを取る必要があるかどうかということをまず真剣に検討してもらいたい。これは電力会社が立つか立たないかということとは別問題として……。そこでダムを取るについてどのくらい費用がかかるのか、これをまず検討してもらいたい。それから、上流河川状況を見ますと――地元方々はけしからぬことを言うとお考えになるかもしれませんが、先ほど知事さんも相当移転の申請があると言われた。この前建設大臣が行かれるときに、この委員会で、建設大臣は初めてであろうけれども、今回の移転のことを考え災害調査に行ってもらいたいと言ったことがありますが、これはぜひ考えてもらいたい。率直に言って、あそこにかじりついておりましても、ダムを取ったところで、将来安住の地であることはなかなかむずかしいであろうと考えます。  それから、ごく簡単に私の考えを申し上げて御研究願いたいと思いますが、川路村の学校、あるいはそこの下の桑畑、ああいうものも先祖伝来ずっとあるものだと思うのですけれども、今日ではほとんど使いものになっておらない。対岸の竜江村でも同じことであります。ああいうところはどういうふうにしたらいいかということは検討を要しますけれども会社に一つ買い上げてもらって、それをただで作らせる方法を一応研究してもらいたい。それが一つであります。と申しますのは、先ほど中島委員からもお話がございましたが、ダム撤去するのにどのくらいかかるか、三百億くらいかかるだろうということでした。三百億かけてあれを取るならば、三百億かけて上の方に安住の地を作った方がましだと思う。しかしこれは非常な概算でありますから、ただ聞き流してもらってもけっこうです。あの状態堤防かさ上げするとおっしゃるが、現にここに写真がありますように、ずっとかさ上げしておりますが、あんなものは役に立たない。さっき中島委員質問に対して、土木部長はこまかく言われたが、ああいうこそくな手段ではだめであります。あそこを安住の地にするために、建設省が国費を投じても数十億かかる。しかし、数十億の金をかけても、あそこは安住の地にならない。でありますから、それほどの金をかけるならば、今申し上げたように、全部持てとは言いませんけれども、あそこにそれほどの金をかけないで、ある程度の手当をしておいて、あの地帯を電力会社が買い上げるなら買い上げて、あとはただで作らせます。何しろあの辺は土地が狭い。ですから、私がこう言っても、どこに引っ越すのか、どこに耕作地を求めるんだ、どこに屋敷を作るんだというとともあるでしょうけれども、一つの考え方として御検討を願いたい。そこをやって、さっき土木部長がおっしゃったように、上流の砂防もしなければなりません。さっき申し上げたのですが、ここは土質の非常に悪いところですから、山腹の造林もしなければなりませんし、砂防もしなければならぬ。渓流の工事もしなければならぬ。これはあと十年も二十年もかかるでしょう。そこで問題のところはあのままにしておいて、そして川路竜江のみならず、あの上流地帯でも安住するわけにはいかないのですから、まず一つ安住するところを先決問題として考えてもらう。これは一、二年でできるかどうかわかりませんが……。もちろんほかのことを並行的にやるなということじゃありません。もっと申し上げたいことがありますけれども、それこそ皆さん御迷惑だと思いますから申し上げませんが、私はそこを一つ考えてもらいたい。先ほどおっしゃるには、十八年から何年かの間に何センチ上がった、たまには下がったこともあるということですが、そういうことにこだわっておったら、この問題は解決しない。よく一つそれをお考え願いたい。地元の人も補償は補償でけっこうです。しかし、一億もらった、一億三千万もらった、そういうことにかかわっておったら、皆さんのところはますます疲弊するばかりだと思う。私がなぜそういうことを申し上げるかというと、宣伝をするわけじゃありませんが、ちょうどこれに似たような例がある。多少規模は小そうございますが、私の宮崎県に大淀川というのがある。これは大正十三年にダムを作った。ところが、自然の状況はなかなか学者が計算したようにはいかぬもので、砂はたまるはずではなかったといってもたまっておる。昔はその上に馬が通っておった。そこが川になってその上に橋がかかっておるというのが現在の姿なんです。そこでも電力会社関係がないということを言っておりましたが、あるなしの問題でなくて、少なくともそこに何万という人が苦しんでおるからということで、ダムをことしの二月に取ってしまった。これは余談でありますけれども、今日では川が下がり過ぎて、用水が上がらないということを心配しておられます。そしてある部落は全部引っ越してしまった。墓を調べてみますと四百五十年前の墓がたくさん立っておる。引っ越すということは、だれしもそうでありますけれども、なかなか容易なことではありませんが、しかし将来安心して住めるところを作るのが今後の政治の目的なんです。そういう意味で全部引っ越して、今ではどんな洪水が出ても安心をしておられるという状態であります。  もうこれ以上申し上げませんが、皆さんもいろいろ検討されておるわけでありますが、これは長い間の係争のところでありまして、もう補償金なんかを目的にしないで、そして根本的に一つ皆さん協力して解決をしてもらいたい。その方針を早く立ててもらいたい。建設省もどうか一つ――今まで建設省は怠慢です。これはもうさっき何か厳達命令なんかありましたが、そのあとにもたびたび建設省には申し上げておるのです。それが今日どういう方法をしていいか、あと二十年、三十年土砂がどうなるかということを研究しなければ方策が立たないなんて、あと十年、二十年やはりこの状態を続けるということは、これはもう政治も何もあったものではない。それじゃ建設大臣も何も要りはしない。どうか一つそういう意味で技術を最高度に働かせてもらって、根本からやり直すというようなつもりで検討してもらいたい。これを一つ私はお願いをしておきます。ほんとうは聞きたかったのですけれども、時間がありませんから聞きません。私は強い関心を持ってたびたび現場を見ておりますから、そういう強い希望を申し上げまして、皆さんほんとうに御苦労さんでございました。これは中島さんもいろいろ言われましたが、悪気じゃない。一生懸命だからああいうことになっておるのですから、真剣に解決してもらいたい。また何年か先にこの委員会に来て、まだ研究中だなんていうことがないように特にお願いしたい。
  110. 二階堂進

    二階堂委員長 これにて参考人各位に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には長時間にわたりまことに御苦労さまでした。本件調査の上に資するところ大なるものがあると存じます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次会は明二十日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時三十三分散会      ――――◇―――――