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小坂国務大臣 お話しの
通り、
アジアの
諸国の
一つのまとまった
動きを、何かの形でくみとってみようじゃないかというようなことは、私
どもも考えておりまして、
ウ・ニェン氏の行っております
エカフェの方で、わが方の
経済企画庁の大来君が先般参りました際にも、そうしたことについて
いろいろ話をいたしました。幸い安芸君が先任の
局長をいたしております
関係もございまして、
日本の知恵を大いに借りたいという機運が非常に高まってきております。そこで直ちに具体的な何か
資金計画とかそういうようなものができるかというと、まだそこまではいっておりませんので、まずもって
各国の
経済の動態に関する
報告書をまとめてみたらどうか、かような点が話に上っておるようでございます。その点からまず始めてはどうだろうというようなことを、私
どもも
一つの
構想としていい
構想のように考えております。全体の
経済の実態に関する
調査なくしては、これは何も
計画はできないわけでございますから、まずそのことから始めたらいいじゃないか、 こういうふうに思っておる次第でございます。
ただ、私このたびコロンボ・プランの
閣僚会議に参りまして非常に感じたことでございますが、何といっても一次
産品に依存している国が多いわけでございます。ところが
マラヤにおいて行なわれました
関係もございまして、ゴム、すずの
価格というものについては、非常に
マラヤの
政府が多大の関心を示しております。ちょうど行っておりました
チェスター・ボールズアメリカ代表に対しましても、強く一次
産品価格についての
要望がございました。しかし、その他の国においては、米の問題があることは御
承知の
通りでありまして、
わが国も、米を輸入する力というものはだんだんなくなってきておる。
わが国の国内における米の
需給関係というものは非常に改善されまして、
むしろ米は将来においては若干でも輸出ができるのではないかというふうな状態になってきております今日、
ビルマとかあるいはタイとか、そういう国に対するところの今まで米を買っておった
わが国の
貿易関係というものは、非常に変わってくるわけでございます。そこでわれわれとしては、これらの国に対してわれわれが必要とする一次
産品、すなわちメーズであるとか、そういうようなものに
作付転換をしてもらうとかいうようなことも、問題になってくるわけでございます。
それから一方
マラヤにおきましては、これは御
承知のように鉄が出るわけでございますが、鉄の
粉鉱を処理してスポンジ・アイアンにして
日本に持ってきて、
日本から
延べ棒にして向こうへ出して
建築材にするというような話で、合弁な
どもできて調印もされておるようなわけでございますが、そういうような国の一次
産品を、
先方に
工場を作ってこれを一次製品にしていくというようなことも考えて参らなければならぬと思います。
お話しのよりに、全体の
計画からいたしてみますると、まだ何もできておりませんけれ
ども、個々の、現実に
先方が必要とする問題についての
欲求に応ずるという形は、
日本でも
各種のものはぼつぼつやっておるわけでございます。
中小企業の
センターあるいは
農業の
技術センターというようなものも着々と設置いたしておりまして、ことに
農業で見ますると、小
規模の土地を耕作するための
機械、これは
日本の
機械が最も好評でございます。こういう面に多くの
期待を集めておることは、喜ばしいことだと私たちは考えております。ただそれを、たとえば今の製鉄所を、今度は
粉鉱の処理だけでなくて、製鉄所を作ってくれというような話もございます。しかしそういうものを作れば、全体の需要
関係というものとそういうものの供給施設を作る場合の見合いをもっと研究してみなきゃならぬという問題も出て参りまして、まだ、
アジア全体の問題については、ようやくそういうことを考える緒についたというくらいのものではないかと思っております。それは大いにお互いで
努力をいたしまして、こういう
関係をもっと
調査して進めていかなきゃならぬと思います。
ただ、先ほどちょっと触れましたが、コロンボ
会議に出て私が感じましたことは、
日本も非常に大きく
期待されておるのでありますが、いかにも
日本の寄与が少ないという感じでございます。今までの例を申し上げてみますと、昭和二十九年から三十五年度まで、技術
援助で見ますと、ドルに換算いたしまして
日本は二百九十万ドル出しております。三十五年に九十万ドル出しておるわけでございます。資本
援助といたしましては、三十五年六月現在までで二千百万ドルというものを
日本は拠出いたしておるのでございますが、
アメリカにおいては一九五一年から六〇会計年度までに七十三億七千八百万ドル出しておる。五九会計年度だけ見ましても、資本
援助が十四億九千七百万ドル、技術
援助が四千万ドル、合計して十五億三千八百万ドルというものを出しております。イギリスにおきましても一九五一年から六〇年まで資本
援助が四億五千八百万ドル、技術
援助が千六百万ドル、一九五九年から六〇年までとってみますると、資本
援助が一億二千四百万ドル、技術
援助が三千四百万ドルということになっております。豪州、カナダ等をとってみましても、豪州では資本
援助、技術
援助足しまして一九五一年から六〇年まで七千七百万ドル、昨年度一年をとってみましても資本
援助七百万ドル、技術
援助二百九十万ドルということで、カナダのような遠いところにおきましても、今まで一九五〇年から六〇年までに、資本
援助、技術
援助含めまして二億七千五百万ドル、昨年度の資本
援助、技術
援助をとってみますと五千九百万ドル、そういうふうで、いわゆるドウナーズ・カントリーズといわれる国が、こういう遠いところにあるにもかかわらず、資本力も違いましょうけれ
ども、相当な出資をしている。
日本は、
東南アジアの国でありながら、戦後の非常な痛手もございます
関係もありますけれ
ども、これに比較してコロンボ・プランの寄与が非常に少ないということを痛感するのであります。これでいろいろと訓練を受けてきた学生たちが、コロンボ
会議が行なわれました機会に感謝の会を開いている。どうもどこへ行ってみても
日本へ留学してきた人は非常に少なくて、この点じゃもっとこういうところをわれわれは
努力して、具体的なこういう人と人とのつながりというような面でも、まだまだ
東南アジア諸国に対してわれわれの
努力すべき分野は大きく残されておるんじゃなかろうかというような感じがいたした次第であります。