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木村説明員 ドライブ・
クラブにつきまして、今日までの経過をまず簡単にお話し申し上げたいと思います。
日本に貸
自動車の形が実際行なわれ出しましたのは、
昭和二十六、七年だったかと思います。そのころはもっぱら、今の普通の
乗用車ではなくて、小型の
乗用車とかあるいは三輪車というものの貸
自動車から端を発しまして、だんだんこれが普及されるに至ったわけでございます。
昭和三十年から三十
——年にかけまして、今日のように普通の
乗用車を借りて
運転するということがだんだん盛んになってきた。当時はまだそういうはしりのときでありましたので、あるいは
交通事故を起こすとか、あるいはこの
貸し車を借りていろいろな
犯罪の手段に使う、いろいろ問題がありましたので、運輸省といたしましても、この貸
自動車の形を認めるにあたりまして、ます見やすく一見わかるようにという意味から、
車両番号標を普通の
自家用の
乗用車とは違いまして、黒地に白の
ナンバーを入れることになったわけでございます。その後、御
承知のようにだんだん
自動車熱が高まりまして、
運転免許をとる人も非常に多くなって、いわゆる借り
自動車熱というものもだんだん盛んになって参りましたのですが、一方車を借りる側からいいますと、どうも黒字の
ナンバーということは縁起をかつぎまして、たとえば
葬式ナンバーとかなんとかいって借りる者が非常にきらいまして、勢い正式の貸
自動車事業をやっている者から車を借りなくなるという状態になって参りましたので、一昨年この黒の地色を変えまして、先般まで実施して参りました
ピンク色の地に
文字を書いた
車両標によっておったわけでございます。その後今日まで数年経過したわけでございますが、その間
正規の貸
自動車事業に対します当局の監督も相当厳重にやって参りましたし、また一面貸
自動車による
事故あるいはこれを
犯罪の用に供するというふうな
傾向もだんだん減って参りました。よく新聞紙上等に、
ドライブ車が
事故を起こしたというふうな記事も散見するのでありますが、これは
ドライブ・
クラブの車ということではなくて、
ドライブ中の車が
事故を起こしたということをそういうふうに表現をされるために、
ドライブ・
クラブの車だというような誤解を起こしておるというふうな例もございました。一方貸
自動車の形は世界的にだんだん発達して参りまして、すでに諸
外国におきましてはりっぱな
事業として育成し発達してきておるのでございますが、
ひとりわが国だけそういった歴史が浅かったために、またいろんな点を配慮いたしまして特殊の扱いをしておったのでございます。すでに数年を経過いたしましてだんだん本格的な貸
自動車の
形態を認め、諸
外国並みにこれを上げても決して弊害も起こるまいというふうにわれわれは見たわけでございます。また一面現在までの貸
自動車の形式は、たとえば外人が
帝国ホテルに泊まりまして、車を借りて
地方に出かけたいというふうな場合でも、
帝国ホテルまで車を持ってこさせてそこで使うというふうな形でございませんで、貸
自動車の事務所まで本人が出かけていかなければならないというふうにいろいろ
実情に合わない点も多くあります。また車の
整備にいたしましても、従来は
自家用車並み、つまり一日の
走行キロが
自家用ですと
営業車に比べて当然少ないわけでございまして、従って車の
整備基準等も
自家用並みの
基準のもとに置いておったのでございますが、これはやはり安全の
見地から
営業車並みの
整備基準の
適用を受けるべきであるというふうに
考えましたし、また一方
ナンバー標が単に普通の車と違うということだけでこれをきらって、いわゆる許可を得ていない普通の車の
所有主から車を借りて使う
傾向がだんだんふえて参りましたので、ただ単に
ナンバーの
色彩を特異にしたためにそういう
傾向に追いやることもいかがかと
考えまして、この際本格的な貸
自動車の
形態に持っていき、あわせて
整備の
基準あるいは貸借の契約、
約款等につきましても厳重な規制を加えることによって車を借りたい者は
正規の貸
自動車の法の
適用のもとにりっぱに
整備をされた車を使い得るような方向に持っていってもう差しつかえない時期であろうと
考えて、今回の措置をとった次第でございます。