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担当委員外委員(大谷贇雄君)
昭和三十三年の三月二十四日、
予算委員会の同じく
分科会で、
裁判所並びに自治庁に対して御質問を申し上げたのであります。その問題をきょうも担当
委員外発言のお許しを願って質問をしようとこの部属に入ってさましたら、
裁判所の方であるかどなたであるか、質問をやめてくれと言う。はなはだ私は心外千万であります。この問題は自治省にもそういうことがありますから、後ほど申し上げます。
そこで、今から三年前のこの
委員会で、私が質問をいたしましたのは、自由民主党の当時の参議院の関根久蔵君並びにかく申す大谷贇雄、さらに当時三年議員でありました
社会党の八木秀次君、また、当時緑風会の柏木庫治君、さらに楠見元農林次官で参議院議員、この五名が、
裁判所に対しまして国家賠償を要求をいたしておる問題でございます。この問題は
昭和三十一年の七月三日訴状の
提出をいたしたのでございますが、今日に至るまで五年近くになって、いまだにこの問題が
裁判所におきまして御判決がない。一体いかなる理由に基づくのであるか、この点を伺いたいのでございます。この質問をいたしまするのは、私
ども超党派で、国家に対して七百万円近くの賠償を要求いたしましたのには、非常に深い根拠があり、当然の要求として訴えをなしたのでございます。それは
昭和二十八年の四月二十五日に旅行されました全国区参議院議員の選挙に際しまして、私も、今申す四名の人々も立候補をいたしました。当時第一位の当選者は宇垣一成元大将、大谷贇雄は第五十番目の、六年議員のどんじりでございました。私の下に三年の補欠議員として八木秀次さん、柏木天理教、楠見君らが当選をいたしましたのでございます。ところが、当選をして晴れて
国民の輿望をになうて
国会へ登院をいたしましたとたんに、たしか五月の三日かそこら辺でありますが、とたんに、栃木県の佐野という小さな市で、有権者三万人ばかり、この佐野市で次点で落ちました、ただいま参議院に出ておる平林剛君が全国区選挙無効の訴えを提起いたしましたのであります。それは、当時佐野市の選挙管理
委員会が、平林君の党名を
社会党と書かずに、日本共産党と書いた。四十カ所ばかりの投票所の入口にそれを掲示をしたわけであります。選挙管理
委員会はそれに気がついて、一時間くらいでそれは全部回収をしたと聞いておりますが、とにかく党名の誤記をいたしたわけであります。そこで平林君は、もし共産党と書かれずに日本
社会党と書かれたならば、
自分は当然当選をしたものである。ということは、平林君の言うのにも多少の根拠がある。それは、平林君はたしか、タバコ耕作組合の
委員長でありましたから、あの辺はタバコ耕作者の有権者がある。そこで、共産党と書かれなければおれは当選したんだという訴えを出した。そこで、この栃木県の佐野なんというところは、私は何の縁故もないところなんです。私の所属しております、私の宗派の大谷派の寺が一カ寺あるだけです。従って、私の得票はわずかに八票よりなかった。私の上の四十九番の関根君は埼玉県で、隣ですから、数千票もある。八木秀次さんも、
社会党ではただ一人ですから、従って数千票あったと思う。柏木君も天理教の大教会があるから
相当得票がある。楠見君は、奥さんがあの付近の人。大谷贇雄は、全投票の中で、わずかに八票よりもらってない。従って、もし訴えが通って全国区選挙無効ということになれば、再びそこで選挙のやり直しを、佐野というところは見ず知らずのところで行ったこともなければ聞いたこともないところ。何のゆかりも縁もない。わずかに私の方の大谷派の寺院が一カ寺あるだけの
関係の土地わずか八票より出ないそのところで、毎選挙をしなければならぬということになればこれは、大谷贇雄は当然落選にきまっておる。せっかく全国の人々からの投票によっての当選をしたこの私が、選挙管理
委員会の間違いによって、選挙管理
委員会の重大なる疎漏によって、そうした運命に置かれるというようなことになるとするならば、これは前代未聞のことでありますし、容易ならざることである。従って、二十八年四月二十五日、私はせっかく当選はしたものの、もう月あけての五月二日か三日には、全国区選挙無効の訴えが起こった。従って、当選したやらせぬのやら、わけのわからぬことになった。本
会議の議場に腰かけておっても、何だか腰が落ちつかんでふわふわする。まことに何とも言いようがないのです。このような全国の選挙民に対して申しわけない事態が起こり、私個人としましても、何とも言いようのない実は事態が惹起した次第です。そういうことで私は心を痛め、何とも言いようのない
気持を感じたのです。ところが、この
国会においては、自民党も、
社会党も、全部で全国区の選挙が無効だというような、万一そういう判決が下るというと、全部やり直しです。宇垣一成初め、全部やり直しです。これでは大
へんだということで、佐野は三万人ばかりですから、三万人の票数を何かで割って、そうしてそれに影響する者だけが、その場合には失格になって、再選挙をすることになろうということを
国会で申し合わせしてしまったのです。すなわち
裁判所に有利なようなことをやった。はなはだこれはこの当時当選した
国会議員の人々の利己主義であります。私は心外にたえなかった。二重の苦しみです。一年半たって、その一年半というもの、私
どもの苦しみというものは、口や
言葉では名状すべからざるような、心胆を苦しめ、
国会においても、落ちついて働くことはできないような状態となったのです。私
どもは、関根さんなど隣の県だから始終行ける。また、農協
関係だから組織がある、大谷贇雄はたった一方寺の寺では何ともしようがない、八票の土地ではどうしようもない。私
どもは牧野良三先生、沢田竹治郎先生に弁護士を依頼いたしました。牧野さんは大丈夫、そんな自治省が、
政府が間違えて、選挙管理
委員会が間違えて、平林君が訴えを起こしたって、それでもって一時間ばかりの誤記でそんな全国区が無効になって、再選挙を行なうなんていうことはないのだから、大谷さん、そんなものちっともおそれることはない、安心して
国会で働きなさいということでしたけれ
ども、しかし、
裁判所の、お上のことはどうなることやらわからない。さて、一年半たって、二十九年の九月二十四日、
最高裁判書はついに全国区選挙無効の判決を下したのです。従って、私
どもはせっかく当選したけれ
ども、とたんに失格をするということになった。そうして議員バッチは失われたわけでございます。前に言ったように
国会の諸君の申し合わせで、その場合に四十九番以下の者が選挙をすることになった、再選挙。そこでどうなることかと、苦しみ悩み抜いた一年半がたって、見ず知らずの土地で私
どもは再選挙をしなければならぬという運命に立ち至ったのです。何とも言いようがない。ほかの人はそれぞれ基盤があるからいい。私はわずかに一ヵ寺のお寺よりたよるところはない。いよいよ自治省は告示を出して、二十九年十月十七日再選挙をする、前代未聞の選挙をやる、やむを得ません。しかし、楠見君などは、こういうばかなことはあり得ない、そんなばかなことはあり得ない、
政府が間違えておいて、そうして投票を全
国民から受けた者が、役所の間違いで失格をし、再選挙をする、また佐野の市民は二重投票なんだ、一ぺん投票した者が二重に投票権を行使する、そんなばかな、法治国家として、ばかなことはあり得ないじゃないか、こういうことで楠見君はついに立候補しなかった。
政府に対して無言の抵抗をしたわけです。そこで、私はたとえ負けるということが明らかであっても、これは戦わずにおれません。全国の投票して下さった
方々に対しても申しわけない。そこで、残念ながら、自由党は関根久蔵、大谷贇雄、
社会党八木、緑風会柏木それから訴えを起こした平林、その下に北海道の何とかいう人がおりました。さらに自民党は――当時の自由党、今日はだいぶ違ってきておりますが、ずっと下の、佐野で一万票とっても当選できぬことの明らかな寺田甚吉というのを――大阪南海電鉄の元社長、これを私、関根のほかになお公認として推せんしたのですよ、自由党は。関根さんは農協の組織がある。大谷費雄はここで八票しかない。その上に、わが所属の党派自由党は、はなはだ遺憾千万ながら、寺田甚吉という人をさらに推薦候補にしてしまった。そして彼は数千万円の金を使ったといわれている。うわさによれば桐生、足利では一月も二月も前から、芸者総揚げをやったということだ、佐野ではできませんからよそでじゃんじゃんやって、そうして、その妻君は女優の筑波雪子です。選挙になったら大映、松竹の女優さんが数百名押しかけてきて、佐野の町は、びっくりぎょうてん、一ぺんに桜の花が咲き出したみたいになって、戦いは進められました。やむを得ません。私は覚悟のほぞをきめ、命がけで市民諸君に訴えた。
そこで、もういよいよ選挙の戦い済んで、泥にまみれ、ほこりにまみれて選挙戦をやってきた私は、髪床へ行って戦塵を洗って、これは残念千万だけれ
ども、名古屋へ旗を巻いて帰るより仕方がないから、あきらめ切って髪床へ行ってやっておりました、ところが、新聞記者諸君がどかどかと入ってきて、大谷さん、よかった、よかった、何がよかった、あなた当選したんだよという、ふたをあけてみましたら、わずか八票の手がかり、あらしのような迫害の中で、私は勝ったのです。がっちりと勝利をかちうることができました。四千六百票、拝みたいような一票一票です。何も見ず知らずの大谷贇雄に対して、八票がついに開いて、四千六百票の票、私の上だった関根久蔵さんを飛び超して当選をする。関根久蔵さんはあとで選挙違反が起こって大騒動。私はお陰をもって、関東の義侠のある佐野市民諸君の正義の力によって、当選することができたのです。従ってこの一年半の苦しみというものは、何ともかとも言いようのない。そこで、先ほど申しました五名は、当然これは国家が間違ったのだから、慰謝料を賠償するのはあたりまえである。そこで、こういう訴えを提起をいたしたのです。三年前にもこの
分科会で質問をして、早くやりますということでありましたが、今日に至るまでもそのまま放置されておるということは、いかなる事情に基づくものであるか。また当時自治省は、弁護士の沢田竹治郎――私
どもの弁護士沢田竹治郎さんが、自治省側の弁護士であったために、沢田さんに向かって、あなた今まで
政府側の弁護士だったから、今度五人の方の弁護士になることはおやめなさいと沢田弁護士に言ったというのですよ、はなはだ自治省はけしからぬ。それから私のところへ来て、それは国家賠償なんということは今まで例がないことだから、大谷さん、
一つ取り下げて下さい。
与党だから私はけんかをしなかったが、何たる一体卑劣千万なことを私に言ってくるのか。私はいまだにそのことを思い出しますというと、胸の中に憤激の渦が湧く。今また
裁判所の人は、きょう質問をやめてくれ、何です、一体これは。日本の
政府、
司法の
独立をしておる
裁判所の
方々に、何のためにこの質問をしていけないか。私は与党であります。しかし、正しからざることに対しては、とことんまで究明せざるを得ない。私は党の治安対策特別副
委員長をずっとしておる。従って、国家の治安問題に対しては、深甚なる関心を持ち、
当局に対して私は敬意と、そうして今まで御無礼ですが、微力をささげて
予算獲得等には努力してきた一人である。その私に対して、質問をやめなさい、一体何たることですか。私は何とも言いようのない憤激を覚えずにはおられません。正しからざることは、あくまでこれは究明しなければなりません。
自治省にお尋ねします。一体、そういう事実があったのをあなたは御
承知か。こういう重大な誤記のあやまちを起こしておきながら、
最高裁判所が判決をおくらせになったのをあれこれ言っても始
まりませんから言いませんが、沢田弁護士は官選弁護人だったから、五名の
方々の弁護は引き受けることをやめなさい。大谷贇雄に対して、国家賠償云々、そんなことを野党の人に言ったら、えらいことになってきますぞ、そうですよ。与党だから私は涙をのんでしんぼうにしんぼうを重ねてきた。そういうけしからぬことだ。
裁判所の人は今何です、質問をやめてくれ、私は遺憾千万に思います。時間がないそうですから、どうか
一つ、重大なる、自治省、選挙管理
委員会がやっているのはあ
まりにも誤りがある。
委員長もやめない。もとを正さなければ世の中は明るくなってきません。
責任を感ぜざるような者が首脳部におってはだめです。自治省の
答弁並びに
裁判のおくれている経過について御
説明を願って、さらにこの問題を私は他の
委員会なり、あるいは本
会議でもこれはやります。御
説明を願います。