○
国務大臣(
荒木萬壽夫君)
お答え申し上げます。憲法は英語で書いた要項が与えられたことをスタートラインとして原案が作られたと承知しておりますが、教育基本法は、刷新
委員会というものができまして、
日本人だけで構成する、教育に特に関心の深い、また権威者の方々が集まられまして、刷新
委員会で原案を作られて、戦前の教育勅語を
中心とする教育の基本理念なり、基本制度がすべてこれは無効なりと宣言された直後、空白状態になった。これでは大へんだというので、これらの方々が原案を作られて、枢密院の議を経て
国会に
提案せられて審議決定せられたということと承知いたしております。ですから、その形式だけを申し上げれば、いわば民主的に、押しつけられないでできたと言えないことはないと思います。それはそう理解いたします。しかし、刷新
委員会の方々といえ
ども、GHQにアプルーバルをもらわなければ
提案ができない
政府側の立場であったことも万々御承知の上で、刷新
委員会として御
検討に相なった、これも確かな事実であろうと承知いたしております。従いまして、形式は整っておりましょうとも、あの当時の置かれた
日本の立場、あるいは
日本国民の立場、あるいは
国会対GHQとの
関係、そういうことを万々念頭に置きながら、言いたいことも言わないで、アプルーバルをもらえそうな限度内のことを原案としてお
考えになって、それが
政府案として取り入れられて
提案された、そういうふろに理解いたします。
国会の場におきましても、その速記録を克明に調べたわけじゃございませんので、その点は自信はございませんけれ
ども、私も、占領直後の
国会で
法案等を審議します場合に、お堀ばたに何回も行ったことを思い出しますが、その場合に、
政府案を
提案する場合でも、事前にGHQの了解をもらわなければ
提案ができなかった。
提案されました
法案、議案が衆参両院で審議されます過程においては、政治課長が
国会内に駐在しておって、一切の審議のいわば監督をしておった。もしアプルーバルをもらった
政府案が
国会で修正されるという
段階ともなれば、修正の動議を出す以前に
委員会は休憩を宣して、そうして修正動議
提案者とともに、当該
委員長が渉外課長を引き連れてお堀ばたに行って、担当のオフィサーに英語に翻訳しました
提案理由、あるいは修正原案等を持っていってごらんに入れて、通訳つきでその趣旨を
説明をして、簡単なものはその場でアプルーバルがもらえたものもありますが、そうでないものは、たとえば明朝十時にやって来いということで、その間担当者が
検討を加えて、その結果オーケーとなればアプルーバルがもらえる、そうでないものはやみからやみに葬り去られるという手続を経て、その間、
国会の審議過程は完全にブランクになって、速記録に一言半句載らない。休憩前に引き続き
委員会を開きますということで、その暗転の部分は全然なかったがごとき形において審議されておったことを承知いたします。終戦直後の
国会——当時帝国議会でございましたが、その帝国議会の場における審議状況は、私みずからが体験はしておりませんからもっと厳粛であったろうと想像をいたしますが、教育基本法の審議過程におきましても、かりに原案に修正を加えたいという意向がありましても、アプルーバルをもらわなければ修正はできなかった。原案その
通りが修正されないで通過したと承知いたしておりますが、そういう自由の意思が表明できない。あるいは占領政治の下請機関的な立場に置かれた当時の帝国議会、あるいは
国会というものが、
日本人みずからの見識が、国民の信託を受けた
国会が、国民にかわって自由な意思を表明して国民の意思決定をする場ではなかった。形は整っておりましたが、実質的にはそうでなかったという審議経過を経て生まれ出たものと思うのであります。従って、私は今の教育基本法をすっと読んでみまして、
規定されている
内容の
一つ一つが、ここはけしからぬからこうすべきだというものとはあえて
考えません。感想的なものはないじゃございませんけれ
ども、それは一私見にすぎない。しかし、今申し上げるように、刷新
委員会の方々の原案作成のときから、
政府がそれを受け入れまして
政府案として
提案する過程におきましても、また
国会の審議を通じましても、完全に
日本人の自由な立場、自由な意思が表明されて確定されたものとは
考えられない、私はそう思うのであります。これは憲法といえ
ども同断であると思いますが、その他もろもろの占領下に制定されました法律についても
一般的に言える事柄だと思うのでありますが、そういう角度から独立回復後すでに十年、
日本人みずからの見識を
国会を通じて発揮していただいて、それ以前に慎重な権威者の
検討の上にいかに扱うベきかを審議してもらうことはまあ当然といたしまして、そして、もし
改正すべくんば
国会を通して
日本国民の、独立国
日本人の自由な意思の表明のもとにこれが再
検討の結論が出るならば、そのことは望ましいことではなかろうか。そうすることが一言半句変えない、今のままであってよろしいとなりましても、
日本人全部に対して
確信をもってこの教育基本法のもとに前向きに教育をしっかり仕立てていこうという決意も現われて湧いてくるのではなかろうかと、そういう
気持から再
検討さるべき
一つの課題だ。それは条文の
一つ一つがどうだというそんなことではなしに、これが制定されました当時の置かれたる環境あるいは成立過程、そういうことに顧みて自由濶達な国民的意思がこれを再
検討してくれることが望ましい、そういう
意味で申し上げておる次第でございます。