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辻政信君 次に民主主義。民主主義という言葉が使われるのは
小学校六年生の
社会科で初めてです。その
内容を一
通り見ますというと、個人の人権尊重を教えております。しかし、民主主義の
根本である順法精神、他人の人権と自由を尊重する
内容は全然盛られておらない。その結果が今日の
社会相となっておるんじゃないか。また、
中学校社会科の憲法論ではこういうことが書いてある。「新しい憲法が、
国民自身の手でつくられず、
政府も世論をすすんでとりあげることができなかったのは、敗戦後の苦しい国情であったとはいえ、残念なことであった。」一応否定しております。しかし、憲法の「草案は
国民によって論議され、議会でも長い間討議された。新憲法は、民主主義の原則のうえにたてられ、
国民の大多数が」支持している。明らかに前後矛盾したことが書かれておるのであります。また学問の自由、そこでは「精神の自由は、けっして個人の心だけの問題ではない。それは自分の考えや感情を表現し、他人に伝える自由でなければならない。これが言論、出版の自由である。言論の自由こそ、民主的な
社会にとって、このうえもなくたいせつな人権である。」と教えております。その結果、人様が名誉を傷つけられようが、国家に不利益を与えようが、それを戒めるような
内容はただの一言もありません。このような考え方が発展して風流夢譚となり、ないしは嶋中事件となっておる。この事件は天皇御一家に対する単なる名誉棄損じゃありません。憲法第一条によって、
国民の総意に基づく天皇を国家の象徴としたその憲法第一条、
国民の総意に基づく象徴に対する侮辱罪であります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)そういう
意味におきまして容易ならぬ事態であるということを総理
大臣以下はっきり
認識をされて——この点をこのまま見のがしておいたならば、こういう世相は繰り返され、政治の
根本がくずれてくる。ここで即答は求めません。事きわめて大事です。天皇御一家の名誉問題じゃない。憲法第一条の違反である。そういう
意味にこれをおとりにならぬというと、私は
日本の憲法を改正しなければならぬ、こういう感じがしますから、重大な問題ですから、総理の即答は求めませんが、真剣に閣僚諸君、御検討をお願いしたいのであります。
次は、憲法の章のところです。こういうことがある。「憲法には、「公共の福祉」のために、
国民の権利を制限しなければならないときめているところがいくつかある。」それは大切なことだが、公共の福祉の名のもとに
基本的人権を無視されてはならぬ、それは、「戦争中にしばしば経験したことである。」こういうことで、個人の人権というものが公共の福祉に制限されてはいかぬということをくぎを打っている。これが道路の拡張も、ダムの建設も、一人ががんばるとできないということを
教科書で教え込んでいる。また、憲法の改正のところでは、「今後も、
国民の権利をもっとひろげる必要が生じた」場合には改正されるだろう、いいですか、そうして現行憲法では個人の自由がまだ不十分だ、こういうような印象を与えておる。こういうことをお聞きなさいまして、総理以下この忘れられた
教科書、
青少年の
教育ということにもっと真剣に取り組んでいただきたい。
次は、新しい
日本の
目標についてどのように教えておるかといいますと、これを読んでみると、こういうことが書いてある。
日本人は将来に明るい希望を持ち、東西をつなぐ橋としての役割を果たすように
努力していかなければならない、東西のかけ橋となるという鳩山外交が
小学校六年生で教えられている。この点だけは私は現在の外交よりも少し進んでおるのじゃないかと思う。小坂外務
大臣の御所見いかがでありますか。