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千葉千代世君
昭和たしか二十年の十一月だと思いましたけれ
ども、マッカーサー司令部に幣原当時の首相が呼ばれて、そして
労働組合の促進、
教育の民主化あるいは婦人の参政権等々について
日本側に提示したわけですね。それを受けた幣原首相が当時の閣内で相談し合って、この中には占領当時としていろいろ条件があるけれ
ども、特に戦前の
労働者がばらばらで、一人々々の力ではとても自分を守っていくことはできない制度の中にあった。戦前からいろいろ労働運動があったけれ
ども、これも封殺されておった。だから占領下であって占領軍としての勧告ではあるけれ
ども、
日本の
勤労者が一人々々
権利を主張しておって幾多の辛酸を経た結果もあるのだから、これは
労働組合の促進あるいは
教育の民主化、そういう点で大いに自分たちは
日本の民主化のために尽くすという
約束をしたわけです。その戦前からの
勤労者の意欲とそのような勧告と、それからいろいろの情勢が相待って、
日本の進展のためにはどうしても
労働組合の促進をしなければならない。
教育制度についても幾多の民主化をはかっていかなければならない。こういう観点から発足して、そして
団体交渉権を持ったけれ
ども、それは
大臣の言われる
通り、正式な
団体交渉権を持ち、
団体協約を
文部省と結んだ。その結んだ中にたくさんの条項はございましたけれ
ども、
昭和二十四年でしたが、御承知のように政令二〇一号が出て、
団体協約というものはこれは無効にするけれ
ども、そのかわり人事院というものを置いて、公務員の問題については全面的に
政府がこれを取り入れて、よりよい労働条件を作って、給与の問題についてもその
通り、こういうことを
約束されたし、
日教組と結んだ
団体協約の中で、福利に関する件、休日の問題であるとか、あるいは産休の問題であるとか、こういう教員の福利に関する件についてはこれを残しておいて、そうして交渉を続けていく。ストライキ権はなくなったけれ
ども、そのかわり、これこれの
条文については幾多の覚書もあったはずなんです。その後、
団体協約がなくなって以後の
文部省との交渉の中で、免許法の問題
一つを取ってみましても、当時、劔木さんがいらしたはずですが、これは
大臣、次官と七十回ぐらい交渉していらっしゃる。そうして非常に押しつけられた免許制度、不法なものをだんだんよくして
現場に出していく、それには
現場の意見を聞こうではないか、たくさんの
現場の人たちから意見を取って、それで中
学校については一科目しか出さないのを二科目にしようじゃないか、たとえば師範
学校卒業したものについては。そういうふうにこまかい問題についてずいぶん
改正されていったわけです。あるいは給食法につきましても、これはやっぱり農林省の食管
関係と
文部省の
関係でいろいろな問題があったけれ
ども、とにもかくにも
現場の子供たちがおなかがすいておる。あるいは食生活の改善、あるいは体操の先生については加配米をよこせ、というとおかしいのですが、加配米を出せと、こういうような
話し合いを続けてたくさんの成果を上げておる。賃金の問題でも、御承知の
通り最低六百円の
保障給の問題から発展して、その当時は
地方々々でもって結んだ給与の問題についても、ですから、でこぼこになっていたわけです。そういう点についても、
文部省では
地方の
実情と照らし合わせて、特別不当のものについてはどうしようではないか、
文部省にその権限はないけれ
ども、皆の意見を聞いて大蔵
当局に対して
義務教育の
負担分をどうしようとか、それから全部
国庫負担から半分
負担とこうなった。こういう
推移の中でいつも
文部省は真剣に交渉に応じて下すった。私も現に
昭和二十年から、田中
文部大臣から歴代の
文部大臣にお会いいたしました。一生懸命なるあまり、やはり議論は沸騰することもございましたけれ
ども、腹の底には、お互いに
日本の
教育をしょって立つんだという意欲というか、気力というか、あって、そういうものについてはお互いに真剣に話し合っていったわけです。大運
文部大臣から少しおかしくなっていったわけです。非常に御不幸にもなくなられたのですが、いろいろ考えていった場合に、やっぱり人の気持を率直に聞いて、謙虚に聞いて、この問題はこうだからと、
一つの問題をとらまえてあらゆる角度から検討しなければ、
日本のどんな文化も進んでいかないということを私は考える。特にその省の責任の地位に当たるものは一人々々の教員の気持というものを、
文部大臣は
文部省の中で電波探知機か何かで全国六十万の先生の胸の中で思っていることをぼっぱっとわかれば別ですけれ
ども、まだそこまで発展していない。そうすれば、やはり持っている気持を一人々々が出し合って、それを
学校の
先生方の
代表なり、郡の
代表なり、県の
代表なり、これらがまとめて、そうして
陳情するなり、交渉するなり、名前はどうでもけっこうです。とにかくお
話し合いをして前進していこうという、こういう姿勢がない限りは、私は
日本の
教育者というものは非常に気の毒だと思うのです。自分たちの考えというものが、
大臣のおっしゃるように、職制を通してだけしか言われないということでは、戦前と何ら変わりがない。私たちは戦前の
教育会に入っておって、そうして
教育会の総会がありますというと、校長先生が委任状に判こを押しなさい、こう言われるのです。校長先生、
教育会の総会で何かございましたでしょうか、ようわからぬじゃった、それで済んだんです。ところが、それでは
日本の教師一人々々がほんとうに
教育を達成する道ではないということを悟ったがゆえに、自分の
権利を主張することは人の
権利を守ることである。
権利を主張することは当然義務が生ずることはあたりまえのことであって、そうした相関
関係の中でお互いに真剣に取っ組んでいく、そういう姿勢で絶えず切磋琢磨していくということで、そうして
教育の前進があるのじゃないか。こういうことで私たちは大衆の意思を結集して
文部大臣と話し合うということがぜひ必要である。特に
文部大臣が再三言われるように、
現場の一人々々の先生は大
へんいい先生だ、けれ
ども、
日教組は気に食わない、こういうわけですね。そのいい先生がお互いに選んだ
代表が悪いというはずはないですよ。どうですか、おかしいじゃありませんか。私は時間がないからやめたいと思いますけれ
ども、聞いておって非常に情ないと思ったのは、
話し合いをして何も効果がなかったということを放言するということは、私は非常に不見識であると思うのですが、どうですか。