○
清澤俊英君 それで、その問題ではだいぶ
東京、
千葉、神奈川的あるいはさっき言いました
茨城付近では進んでいるようです。
東京都のごときは、
水源地帯、水道の
水源地造成などいたしますと、この間も
川治ダムから
案内状が来るようなことで、都が
養魚をやって、そうしてこれは、
観光地帯のやはり
勤労者の
リクリエーションに専門的に使う、こういうようなこともやはりやっておりますし、だんだんそういう形は、
地方にも押し広げられて参りますと同時に、
千葉県等における
釣り会というのがあるのですね、この
連合会などが、今の場合
土地の
漁業協同組合と話し合いをつけて、そうして何がしかの
入漁料を取って、それに有志が幾らかずつ出して、
養魚をやって、取る魚も非常に制限している、こういうような形が出ているのです。ところが
地方へ参りますと、結局
経済の伴わないそういうものは問題でない、こういう解釈が非常に強いのです。これは最近のようなせせこましい
時代になって参りますれば、どうしてもそういう方面に自然に
勤労者の足が向くことは、当然の話です。で、それらのことをいま少し、幸い勧告もあるのですから、全体の
漁業権等を、
立法化されるときには、だいぶ考えておられるようですが、
地方にも及ぶように十分考えていただきたい。そういう適当な
場所は幾つもあるのですけれ
ども、そういう話をしてみましても、どうも
経済の伴わないそんなばかな話はないとすぐこう言うてしまうのですね。これはとんでもない間違いだと思うのです。取ること
自体は
経済に合わぬかもしらぬけれ
ども、
観光事業なんという
一つのりっぱな
事業があって、オリンピックなんてとにかくあれだけの金を使って、そうして、
そこらじゅうの人を呼んで、してまれなホテルがどんどんそう建っていく。大と小の違いはあるけれ
ども、
観光という
事業に二つはないと思うのです。そういう点から見れば、下手な
フナやドジョウを取っているよりは、ずっと
地方的な
経済も潤すと思う。こういう見地から考えれば、そういうことをやらして、同時に今、金のかからぬ
遊び場がない、しかも
労働はだんだん緻密になってきている、こういう
時代ですね。特に考えなければならぬことは、
青少年の遊ぶ
場所だと思うのです。どこで一体彼らが伸び伸びとして遊ぶのだ。
遊び場なんていうものはないでしょう、
東京あたりでは。だから私はこの前、
空気銃の禁止の問題が出たとき、一体そうやって片端から
青少年の行き場をとめてしまったならば、しまいに飛び出し
ナイフで、
有益鳥は保護しているから殺さぬかもしらぬけれ
ども、
人間を刺しているじゃないかと言っているのです。ああいうすさんだ考えになるだろう。今まで道路で野球もやりましたし、あるいはよそのあき地で相撲もとったのです。そういうことができなくなったら、できないようになった代償をいま少し作って与えるということは私はあたりまえだと思う。だからしまいに
人間がいらいらしてきて、飛び出し
ナイフでもって人を刺すなんて、スズメと人命とはかえっこはできませんですよ。こういう立場からも、私は今度は、
釣人の
団体等が
中心になって
漁業権の
要求をしたときには、思い切ってそれらに対して権限が与えられていくような
一つの
法律をぜひ完成していただきたいということをお願いします。