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東隆君 今の生産
農協をこしらえるということになると、非常な制限を受けて、そうして合名会社、合資会社、有限会社をこしらえた方がその村その他においても
発言権も十分確保できるし、
農業以外の仕事もやろうと思えばやれる。こういうふうに非常に営業の自由を十分に保持さしているわけです。だから少し頭のいい人間ならば、生産
農協をこしらえないで、そうして合資会社や、合名会社、自分のよく気の合う者だけでもって
一つにまとまっていこう、こんなような形のものができ上がってきて、生産
農協というものの組織がなかなかできづらいのじゃないか。私は生産
農協のようなものが農村にできることを希望しますけれ
ども、しかし、今の
政府の協業の促進ですか、助長という形式からいけば、かえって合名会社や有限会社、合資会社というようなものができていく。そうして生産
農協というものがなかなかできないのではないかという気がする。そこで私は
合併の問題を
中心にしてやはり考えなければならぬのは、
先ほどの
農協を充実し、それから
組合員のための
農協という場合には、これは個人が加入をするという形でこしらえていくことは正しいと思うのですけれ
ども、生産
農協のような場合には私はかえって家族が、家族の代表者が入って構成する、こういうようなものを、生産
農協の形でもって作り上げていって、そして最小限度五人というような、五家族が一緒にやるのだというような体制を作り上げていって、それに対して非常に有利な条件を持ち出してこないと、今のような制限のような形でやっていくのじゃこれは仕事にならないと思うのです。家族の一員が
農業に従事しておったらいいので、そこのおやじさんがたまたま村長に出たら
農業者じゃないのだというふうに制限をつけられるようになったら、これは成り立っていかないと思うのです。だから、そういうような
意味で、もう少し制限をしないような形でもってやるためには、生産
農協というものは家族の中もみな入れるのじゃないのだと、それで家族から一人代表者が出てそれでもって構成するのだと、そういう
一つの形のものを作り上げてやっていくような体制のものを作ったらどうか。そうすると、
経営主という
一つの執行部隊というのはおやじさんによって形成されるかもしれませんけれ
ども、そこへ出て働く者は、これは従業者としての形になって賃金
計算もできますし、やろうと思えばですね、いろいろな形のものができてくる。だからそういう形態のものであってしかるべきじゃないかと思うのですがね。長男が入りそれから主婦が入り、そういうようなので人数をそろえてやるというのでしたら二戸でもってできるわけですね。二家族でもってできるのですから、その
程度のものだったら、五反百姓のものが集まって一町歩
程度のものをこしらえてみても、そうその問題にならぬわけですね。だから、もっと生産
農協というものを、もう少し大きなものを構成するのだという考えから始まって、そして十分に大きな
農業、農具でも何でも中へ導入し得るような、そういうような体制を作り得るくらいのものを作り上げていく。二家族ぐらい集まってそしてやるならば、合資会社をこしらえた方がいいのであって、合名会社こしらえた方がいいのであって、その
考え方が私は少し、あまりに
考え方が少し狭過ぎるのじゃないか。合資会社だの有限会社だのの方は勝手にやれるのですからね、勝手に自分の
考え方を伸ばして。だから国会議員さんだのなんだのかりに考ええみたら、
農業者でございますなどと言っている人だって、これはみんなはずれてしまいますよ。これはみんな
農業者でなくなっちゃう。だから私はそういうような
考え方からいくと、私はやはり生産
農協というようなものを作って、家族の一員が十分
農業に従事しておると、そういうようなものを基盤に置いて、農村の基盤はそういうふうに考える必要がある。と同時に、
農業以外の仕事もなし得るように門戸を開けておかなければ、生産
農協というものは、これは発達もしませんし、農家収入を上げるいろいろな手段、方法を考え出して、それはやれないようなものをこしらえたら、これは
農業基本法なんかにいっているようなものの
考え方と違うのですな。だから
農協の自由なる
農民をもって組織するというあの
考え方を生産協同
組合のところまで持ってきたら、これは問題たろうと思います。生産
農協というものは、能率的に仕事をやればやるほど分業の形が中に入ってこなければ、ほんとうの生産的な仕事ができないのですから、生産の仕事というのはみんなどんぐりの背比べみたいに共同作業でやったっていい仕事はできるものではないのです。みんな分業になって、そして自分のすぐれた能力を自分の適したところにすわって、そして仕事をやるときに初めて生産が上がるのだから、だから、そういう
意味から考えてくると、
農業から離脱するのがあたりまえの話なんだ。それを故意に引きとめるような、そういう
考え方でやっても、これはちょっと無理だと思う。だから、そういうような
意味で生産
農協というものをお作りになるならば、十分間口を開けてそして中でもって分業を十分になすことができると、しかし、その生産
農協の範囲内においているものは
農業者とみなすのだと、こういうような体制でも作り上げて、そしておけば、村会議員を初めとしてずっと出てくる人たちも
農業者という、私は
農業者ですと、こういうことができると思うのです。これができなくなってしまいます。そういうやり方をやると、
農民の代表、
農業者の代表なんというものは、これは無理じゃないか、これは
合併にあまり
関係がないようですけれ
ども、私は
合併の場合に基礎になるのは生産
農協を、私が言ったような形でできたところの生産
農協が、ある
程度その区域内に組織的に計画的にできて、そうしてその人たちの
考え方がまとまって
合併をしたときに本当の
意味の
合併ができるのです。ただいろいろな
関係でもって
合併の問題を促進してもなかなかまとまるものじゃないですから、だから地方的な形のある一定の区域内のものが十分にまとまった意思をまとめて、その意思が積み上げられて、そうして
合併の組織になる、こういうようなことが基本的なものだ、こう考えますので、そのときに家族の一員がおやじと同等の
考え方でもって
発言をするような形じゃなくて、一家は
一つというような
考え方で出てくるような
一つの組織も必要だろう、こう考えましたのでお伺いをしておるわけです。