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吉田法晴君 今手元にありませんが、三笠宮が、これは「オリエントのあけぼの」というのだったかと思いますが、それの巻末に、
終戦後
天皇が人間になられて、そして警備の点等についてもやかましくなくなったから、そこで、これは三笠宮だと思うのですが、初めて銀座に行ってすき焼を食った。自由に、警備なしにすき焼を食うことができた。そうしたら、そのすき焼は、かつてなくうまい味だった。ところが、これは数年前の話ですが、そのときでさえ、だんだんまた昔に逆戻りをして、そうして自由に銀座にすき焼を食いに行くこともできなくなろうとしている。特に
天皇についてはそうだが、これは不幸なことだと書いてありましたが、とにかく一ぺん人間になった喜びというものを再び奪われようとしている。あるいは制限されようとしている。これは悲しむべきだ。こういう記事がございます。今手元に取り寄せておりませんから、正確に伝えることはできませんけれども、そういうことが書いてあったことは、
瓜生さんも御承知だと思います。これは復古思想かもしりませんけれども、
天皇についても、あるいは皇族についても、だんだん昔に逆コースに戻ろうとする。そういうものが警護なんかに現われつつあるのではないか。一ころと最近の警護を見てみますと、東京都内なら東京都内でもやっぱり私どもの感ずるところである。そしてその警護の強化を見ていると、その言葉を思い出すのですが、なお、最近のあれを見てみますと、新聞紙その他で見てみると、これはあるいは議員にも多少
関係ありますけれども、一部のものの中に、あるいは不敬罪に相当する罪を復活すべきだという運動がある。あるいは、きのうきょうの新聞を見てみますと、憲法調査会の動きとして、象徴という点がはっきりしないので、元首にすべきではないか、あるいは象徴という規定を君主制にすべきではないか、そういう国の元首としてのはっきりした地位を規定しながら、君主制度を――これは私は復活だと思うのですが、すべきではないか、こういう議論等があるようです。私は、これらの点は、現在の憲法のもとでは、不敬罪というものが復活するはずがないし、それから、前のような君主制あるいは
天皇制というものが復活するはずはないと思うのですが、これは、憲法の改正をして、もとの
通りにしようというなら別問題、
天皇主権にしようというなら別問題ですが、憲法の前文なり、あるいは一条なり、
天皇の地位も、国民の信託によって、主権者たる国民の意思によって
云々という点がくずれないならば、あるいは民主主義なら民主主義の原則がくずれない限りにおいて、不敬罪が復活するはずはないし、あるいは
天皇制が復活するはずはない。君主制が復活するはずはないと思うのですが、最近の逆コースと、こういう論議についてどういう
工合に考えられるか。その三笠宮のかつての喜びと、最近の嘆きから考えて、これは少し総理に尋ねるべき問題だと思うのですけれども、いわば
宮内庁を代表して来られましたからお尋ねをしたい。というのは、この
予算の問題についても幾つか指摘をしましたように、
宮内庁に残っておる昔の考え方、あるいは、背こうであったから、あるいは賢所がどうだ、あるいは昔の宮殿はどうであった、あるいは田植えといいますか、その行事を私ども数年前行って見たことがありますが、何の合理性もない。国民の苦労を知るというのならば、国民の苦労をこれは分かたれればいいのである。ポンプで上げた水で田植えをする。それは、一本か二本を植えるにとどまるのでしょうが、これは、昔からのやり方かもしれませんけれども、何の
理由もない。あるいは合理性もない。しかるに、旧慣を墨守し、あるいは
宮内庁のやり方としても、旧態に復しようという空気があるだけに、そうして不合理主義が克服されないで残っておる。そういうものが、たとえば
内廷費の要求にしても、あるいは皇族費の
増額にしても、その底を貫いておる面の中にあるだけに、あるいは警護の問題にしても、あるいは不敬罪の復活にしても、
天皇制の復活にしても、君主制の復活にしても、一応やはり伺わざるを得ないので、お尋ねをするわけです。